『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(
その三)
著者 植木 朝子
雑誌名 文化學年報
号 66
ページ 189‑214
発行年 2017‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027583
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(
その三)
著者 植木,朝子
雑誌名 文化學年報
号 66
ページ 189‑214
発行年 2017‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027583
﹃ 梁 塵 秘 抄 ﹄ 法 華 経 二 十 八 品 歌 と 釈 教 歌 ︑ 経 旨 絵 ︵ そ の 三 ︶
植 木 朝 子
現存 する
﹃梁 塵秘 抄﹄ 巻二 法文 歌二 百二 十首 の 中心 を な すの は
︑﹃ 法 華経
﹄八 巻 二 十 八章 を 各 章ご と に 讃嘆 し た 法 華 経二 十八 品歌 百十 四首 であ る︒ 前稿 に引 き続 き⑴
︑ 各品 ごと に︑ 経旨 絵や 釈 教 歌 とは 異 な る今 様 の 性格
︑そ の 流 行 歌 謡 と して の 面 白さ を 考 え てい き た い︒ 紙幅 の 関 係に よ り
︑本 稿 では 人 記 品か ら 宝 塔品 ま で を 取り 上 げ る こ と と す る
︒
一︑ 人 記 品
﹃ 法華 経﹄ 五百 弟子 品に おい て︑ 富楼 那・ 憍陳 如を は じ め︑ 千二 百 の 弟子 が
︑未 来 に 仏に 成 る との 予 言 を与 え ら れ た
︒人 記品 にお いて は︑ 釈迦 はさ ら に阿 難
・羅 䉩 羅を は じ め︑ 学︵ まだ 学 ぶ べ きも の を 残し て い る 者︶
・無 学
︵も は や 学ぶ べき もの を残 して いな い聖 者︶ の二 千の 声聞 に︑ 未来 に成 仏す ると の予 言を 与え た︒ 人記 品を 歌う 今様 は次 の四 首で ある
︒
― 189 ―
釈 迦の 御弟 子は 多か れど
仏 の従 弟は 疎か らず
親 しき こと は誰 より も 阿難 尊者 ぞお はし ける
︵九 四︶⑵
阿 難尊 者は あは れな り 慈悲 の室 をす みか にて
忍 辱衣 を身 に着 つつ
諸 法空 を御 座と して
人 に教 えて 知ら し め よ︵ 九五
︶ 阿 難尊 者 如来 の親 しき 弟子 なり
疎 から ず 学地 に住 して 年久 し 大願 深き によ りて なり
︵九 六︶ 二 千声 聞の
仏 を讃 むる 譬ひ には
昼 は甘 露の 注く を見
夜 は灯 火照 るが 如︵ 九七
︶ これ
らの 今様 のう ち︑ 九四 番歌
・九 五番 歌・ 九六 番歌 は阿 難尊 者に 焦点 を当 てた もの
︑九 七番 歌は
︑二 千声 聞の 立 場 から 仏を 讃嘆 した もの であ る︒ 阿難 尊者 は︑ 釈迦 の従 弟で 十大 弟子 の一 人︒ 侍者 とし て二 十五 年の 間︑ 釈迦 に仕 え︑ 説法 を聴 聞す るこ とが 多か っ た ので
︑多 聞第 一と 呼ば れる
︒釈 迦滅 後は 第一 結集
︵最 初の 経典 編集
︶の 時に
︑高 座に のぼ って 経を 誦出 した
︒九 五 番 歌は
︑法 師品 の偈
﹁若 人説 此経
応 入如 来室
著 於如 来衣
而 坐如 来座
処 衆無 所畏
広 為分 別説
大 慈悲 為室 柔 和忍 辱衣
諸 法空 為座
処 此為 説 法﹂
︵若 し 人︑ こ の経 を 説 かん に は 応 に 如来 の 室 に入 り 如 来 の衣 を 著 し か も 如来 の座 に坐 して
衆 に処 して 畏る る所 なく
広 くた めに 分別 して 説く べし
︒大 慈悲 を室 とな し 柔和 忍辱 を衣 と し 諸 法 の 空を 座 と な し こ れ に 処 し て た め に 法 を 説 け
︶⑶
を 出 典 と し て お り︑ 本 来︑ 人 記 品 の 歌 と は 言 い 難 い
︒ 法 師品 の偈 では
︑﹁ 経 を説 こ う とす る 人﹂ が 主語 で あ り︑ そ の﹁ 人﹂ に︑ 室・ 衣・ 座の 譬 え によ り
﹁慈 し みの 心 を 持 ち
︑人 にや さし く忍 耐し
︑諸 法は 空で 実体 がな いこ とを 悟っ て
︑人 々 に 法を 説 け﹂ と 呼び か け てい る
︒﹁ 考
﹂⑷
が 述 べ る よう に︑
﹁ 阿難 尊者 はあ はれ なり
﹂の 一句 は︑ 伝誦 の間 に 付 会さ れ た もの で
︑元 来 は 以下 の 四 句の み で あっ た と も 考 えら れる が︑ 九五 番歌 の形 をそ のま ま受 け取 れば
︑四 句を 阿難 尊者 の行 動と して 捉え
︑そ れを ほめ たた えた 一首 と
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三) ― 190 ―
見 るこ とが でき る︒ 九四 番歌 と九 六番 歌は
︑阿 難と 釈迦 の﹁ 親し さ﹂ を強 調し てお り︑
﹁ 弟子
﹂﹁ 疎か らず
﹂の 語も 共 通 する
︒た だし 九六 番歌 には 釈迦 との 親し さの 他に
﹁学 地に 住す
﹂と いう 別の 要素 が含 まれ る︒ 原本
﹁か ひち
﹂に つ い て は︑ こ れを
﹁迦 毘 羅﹂
︵ 迦毘 羅 衛︒ 釈 迦 の故 郷
︶と み る説
︵考
・評 釈⑸
・新 大 系⑹
︶ と﹁ 学 地﹂
︵ ま だ 学 習 し な け れ ばな らな い境 地︶ とみ る説
︵大 系⑺
・ 集成
⑻
・新 編全 集⑼
・ 全注 釈⑽
︶が あ る が︑ 長く 学 人 の立 場 に あり
︑釈 迦 の 滅 後 の経 典結 集の 時に はじ めて
︑修 行者 の最 高位 で ある 阿 羅 漢に な っ たと い う 阿 難の 捉 え られ 方 か ら して
︑﹁ 学 地﹂ と と るの がふ さわ しい であ ろう
⑾
︒
﹃ 今昔 物語 集﹄ 巻四
﹁阿 難入 法集 堂 語第 一
﹂に は︑ 千 人の 羅 漢 が 霊鷲 山 に 至り
︑﹁ 法 集 堂﹂
︵経 典 編 纂所
︶に 入 ろ う と した 時に
︑迦 葉が 次の よう に言 う場 面が ある
︒
﹁此 ノ千 人ノ 羅漢 ノ中 ニ︑ 九百 九十 九 人 ハ既 ニ 無 学ノ 聖 者 也︒ 只 阿難 一 人︑ 有 学ノ 人 也︒ 亦︑ 此 ノ人
︑時 々 女 引 ク 心有 リ︒ 未ダ 習ヒ 薄キ 人也
︒速 ニ堂 ノ外 ニ出 ヨ﹂ ト云 テ︑ 立テ 曳出 テ門 ヲ閉 ヅ︒⑿
こ こで は︑ 阿難 は﹁ 有学 ノ人
﹂︵ ま だ学 ぶべ きと こ ろ があ り
︑悟 り を得 て い な い人
︶で あ り︑ 女 性へ の 関 心を 抱 く 者 と して
︑堂 の外 に追 い出 され てい る︒ しか し︑ この 後︑ 阿難 は︑ 無学 の証 とし て神 通力 を発 し︑ 鍵穴 から 堂の 中に 入 っ て︑
﹁ 法集 ノ長 者﹂
︵経 典の 編集 長︶ と定 め られ た
︒こ の よう に
︑弱 点 を持 つ 者 に 対し て 今 様は 心 を 寄 せ︑ しか も
︑ 長 い間
︑有 学の 境地 にい たこ とを
﹁大 願深 きに より て﹂ と解 釈す る︒ この 大願 は︑ 人記 品に
﹁阿 難︒ 護持 我法
︒亦 護 将 来
︒諸 仏 法蔵
︒教 化 成 就︒ 諸菩 薩 衆︒ 其 本 願如 是
﹂︵ 阿 難は わ が 法を 護 持 し︑ ま た 将 来 の 諸 仏 の 法 蔵 を も 護 り て
︑ 諸 の菩 薩衆 を教 化し 成就 せし めん
︒そ の本 願は
︑か くの 如し
︶と ある もの を受 けて いる と考 えら れる が︑ 経で は︑ そ
― 191 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三)
の 本願 のた めに
︑わ ざわ ざ長 い間
︑有 学の 境地 にい たと はさ れて いな い︒ 阿難 の弱 点と 思わ れる とこ ろを
︑そ れは 深 い 考え があ って のこ とだ った のだ と逆 転さ せる よう な表 現に なっ てい る︒ こう した 表現 は︑ 提婆 達多 を歌 う今 様に も 見 られ
︑今 様が 聖者 を讃 嘆す る方 法の 一つ と言 えよ う⒀
︒ 九七 番歌 の﹁ 二千 声 聞﹂ の語 は
︑人 記 品の 偈
﹁是 二 千声 聞 今 於 我 前住
悉 皆 与 授記
﹂︵ こ の 二千 声 聞 の 今︑ わ が 前に おい て住 せる もの に悉 く皆
︑記 を与 え授 けん
︶に 見え る︒ 全体 は声 聞ら が偈 とし て述 べた
﹁世 尊慧 灯明
我 聞 授 記音
心 歓喜 充満
如 甘露 見灌
﹂︵ 世 尊は 慧の 灯 明 なり
わ れ は 記を 授 け ら るる 音 を 聞き た て まつ り て 心
︑歓 喜 に 充満 する こと
甘 露を もっ て灌 がる るが 如し
︶に 見え る︑ 灯明 と甘 露の 比喩 を利 用し
︑そ れを 夜と 昼の 対句 に仕 立 て てい る︒ 今様 にお ける
﹁夜
﹂﹁ 昼
﹂の 語は
︑﹁ 夜昼
﹂と 続け て︑ 普
賢薩 埵は 朝日 なり
釈 迦は 夜昼 身を 照ら し 昔の 契り しあ りけ れば
達 多は 仏に 成り にけ り︵ 三五
︶⒁
法 華経 持て る人 ばか り うら やま しき もの はあ らじ
薬 王勇 施多 聞持 国十 羅刹 に 夜昼 護ら れ奉 る︵ 一六 一︶ こ れよ り北 には 越の 国 夏冬 とも なき 雪ぞ 降る
駿 河国 なる 富士 の高 嶺に こそ
夜 昼と もな く煙 立て
︵四 一五
︶ 夜 昼あ げこ し手 枕は
あ げで も久 しく なり にけ り 何と て夜 昼睦 れけ ん なが らへ ざり ける もの 故に
︵上 野学 園 蔵 今様 断簡
︶⒂
の よう に︑
﹁ いつ も﹂
﹁常 に﹂ の意 を表 すこ とが 多い が︑ 次の 一首 は昼 と夜 を対 比的 に捉 えて おり
︑九 七番 歌と 似た 構 成 にな って いる
︒
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三) ― 192 ―
稲 荷な る三 つ群 れ烏 あは れな り 昼は 睦れ て夜 はひ とり 寝︵ 五一 四︶ 人記
品は 分量 も少 なく
︑阿 難と 羅䉩 羅に 続い て二 千人 の声 聞が 成仏 の保 証を 受け ると いう 趣旨 は︑ 絵画 的要 素が 少 な いた めか
︑談 山神 社蔵
﹁法 華 曼陀 羅
﹂︵ 文 治三 年
︿一 一 八七
﹀頃
︶に は 描 か れな い
︒立 本 寺蔵
﹁妙 法 蓮 華経 金 字 宝 塔 曼陀 羅﹂
︵ 十三 世紀 中頃
︶⒃
は 一場 面だ け取 り上 げる が︑ それ は多 くの 声聞 が授 記 を 得 たこ と に 対し て 八 千人 の 菩 薩 が 疑念 を抱 いた とい う箇 所で
︑仏 の行 為に 対す る讃 嘆で はな く疑 いと いう マイ ナス の側 面を 描い てい る︒ 仏へ の讃 嘆 を 明 る く力 強 く 歌う 傾 向 の 強い 今 様 は︑ この よ う な内 容 を 取 り上 げ て はお ら ず︑ 対 照的 な 素 材 の選 び 方 と い っ て よ い
︒経 の見 返し 絵に おい ても
︑人 記品 が取 り上 げら れる 例は 少な い︒ 厳島 神社 蔵﹁ 平家 納経
﹂の 表紙 は亀 甲の 中に 花 菱 文︑ 見返 は蓮 の二 群を 描い たも ので
⒄
︑経 の内 容と は直 接関 わら ない
︒一 幅 に 一 品ま た は 二品 を 描 く本 法 寺 蔵﹁ 法 華 経 曼 荼羅 図
﹂︵ 嘉 暦元 年
︿一 三 二 六﹀
〜三 年 頃︶⒅
で は︑ 第 九幅 が 人 記品 で
︑霊 鷲 山 会で の 授 記 の 場 面 の ほ か︑ 阿 難 の 説法 や供 養の 様子 と︑ 羅䉩 羅の 出家 前の 生活
︵釈 迦の 実子 とし ての 王家 の暮 らし
︶や 出家 後の 修行 の諸 相を 描い て い る︒ 阿難
・羅 䉩羅 の逸 話に つ いて は
︑法 華 経本 文 に は﹁ 阿難 常 為 侍 者︒ 護持 法 蔵︒ 羅 䉩羅
︒是 仏 之 子﹂
︵阿 難 は 常 に 侍者 とな りて 法蔵 を護 持し
︑羅 䉩 羅 はこ れ 仏 の子 な り︶
︑﹁ 羅 䉩 羅 密 行 唯我 能 知 之﹂
︵羅 䉩 羅 の密 行 は 唯
︑わ れ の み︑ 能く これ を知 れり
︶と ある 程 度で
︑具 体 的 には 描 か れて い な い︒ 本 興寺 蔵
﹁法 華 経曼 荼 羅 図﹂
︵建 武 二 年︿ 一 三 三五
﹀︶⒆
で は︑ 短冊 形に
﹁羅 䉩火 投﹂ と書 かれ たそ ばに 宮殿 前の 蓮池 に合 唱 す る 童子 が 描 かれ て い る︒ 童子 の 体 の 回 りに は赤 い火 炎が 見え る︒ これ は︑ 羅䉩 羅が 釈迦 の実 子で ある こと を証 明す るた め︑ 羅䉩 羅母 子が 火坑 に入 った と こ ろ︑ 火 坑 はた ち ま ち変 じ て 蓮池 と な っ たと い う﹃ 法 華文 句
﹄⒇
な ど に 見え る 逸 話 を絵 画 化 した も の であ る
︒人 記 品 の 今様 は阿 難に 焦点 を当 てて いる が︑ 少な い絵 画の 例で はむ しろ 羅䉩 羅に 興味 が寄 せら れて いる よう であ る︒
― 193 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三)
人記 品を テー マに した 和歌 は︑ 次に あげ るご とく
︑﹁ も ろと もに
﹂﹁ ふた なが ら﹂ とい った 表現 を使 って
︑釈 迦と 阿 難 が同 時に 菩提 心を 発し たこ とを 踏ま え︑ 両者 の近 しさ を詠 むも のが 多い
︒ も
ろと もに さと りを 開く 是こ そは 昔契 りし しる しな りけ れ
︵﹃ 赤 染衛 門集
﹄︶ ふ たな がら 三世 の契 りの 有り けれ ば行 末か ねて ゆふ にぞ 有り ける
︵﹃ 公 任集
﹄︶ も ろと もに 咲き はじ めけ る花 なれ どい かな る木 の実 なり おく れけ ん
︵﹃ 散 木奇 歌集
﹄︶ も ろと もに 思ひ そめ ける 紫の ゆか りの 色も けふ ぞし らる る
︵﹃ 拾遺 愚草
﹄︶ 次
の源 信詠 も同 様の 趣旨 であ ろう
︒ い
にし へは おの がさ まざ まあ りし かど おな じ山 にぞ いま はい りぬ る
︵源 信﹃ 続拾 遺集
﹄︶ 釈迦
と阿 難と が同 時に 菩提 心を 起こ した 近し さを
︑特 に﹁ 契り
﹂の 語と とも に詠 む和 歌と 比べ
︑今 様は 同じ 趣旨 な が ら︑
﹁ 疎か らず
﹂﹁ 親し き﹂ と︑ 両者 の人 間的 親し さを 取り 上げ て︑ 今様 享受 者の 感情 に訴 える よう な表 現に なっ て い る︒ 曼荼 羅図 が取 り上 げて いた 羅䉩 羅を 詠ん だ和 歌は 少な いが
︑今 様と 近い 時代 に以 下の よう な例 が見 られ る︒ 人記
品︑ 我為 太子 時︑ 羅䉩 羅為 長子
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三) ― 194 ―
羅 䉩羅 にも おと らぬ 身と ぞ成 りぬ べき 子と は契 らぬ 人し なけ れば 仏太 子と いま せし 時︑ 羅䉩 羅こ とし 給ひ て仏 に成 りに き︑ 又一 切の 人を ば子 とた とへ 給へ れば
︑な じか 羅䉩 羅 にお とら むと おも ふべ きと よめ り
︵﹃ 田 多民 治集
﹄︶ 人記 品 我為 太子 時︑ 羅㬋 為長 子︑ 我今 成仏 道︑ 受法 為法 子 子 をお もふ むか しの やみ はは れぬ れど さま かは りて やあ はれ なる らん
︵﹃ 寂 蓮集
﹄︶ こ
れら は︑ 曼荼 羅が 描く
︑羅 䉩羅 の修 行や 火坑 が蓮 池に 変じ ると いっ た奇 跡で はな く︑ 親子 の情 愛を 中心 にす えて 成 仏 への 期待 を詠 んで いる
︒当 然予 想さ れる こと なが ら︑ 絵画 化し やす い行 動面 を取 り上 げる 曼荼 羅と
︑仏 世界 の情 の 面 を人 間世 界に 引き つけ て取 り上 げる 和歌 との 違い がよ く現 れて いる
︒ その 他に 注意 され るの は︑ 釈迦 の説 い た偈 の 一 節﹁ 寿命 無 有 量 以愍 衆 生 故﹂
︵ 寿命 に 量 有る こ と 無き は 衆 生 を 愍 むを もっ ての 故な り︶ を引 いた 和歌 で︑ 西行 や俊 成に 例が 見ら れる
︒ お
もひ あり てつ きぬ いの ちの あは れみ をよ その こと にて すぎ にけ るか な
︵﹃ 聞 書集
﹄︶ か ぎり なき いの ちと なる もな べて 世の 物の あは れを しれ ばな りけ り
︵﹃ 長秋 詠藻
﹄︶ ま
た︑ 阿難 と羅 䉩羅 が述 べた 偈の 一節
﹁我 願既 満﹂ を題 にし たも のに
︑ わ
がね がひ みち てう れし きま とゐ かな たれ もの ぞみ のか なふ むし ろに
︵﹃ 拾 玉集
﹄︶
― 195 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三)
が ある
︒人 記品 をテ ーマ にし た和 歌は 阿難 や羅 䉩羅 自体 に焦 点を 当て るの では なく
︑彼 らの 授記 を通 して
︑釈 迦の 尊 さ を詠 んで おり
︑特 に︑ 釈迦 と阿 難を
﹁も ろと もに
﹂と 捉え てい るの に対 し︑ 今様 は阿 難に 絞っ てそ の尊 さを 取り 上 げ よう とし てい る点
︑特 徴的 であ る︒ なお
︑九 七番 今様 が用 いて いた
﹁世 尊慧 灯明
我 聞授 記者
心 歓喜 充満
如 甘露 見灌
﹂を 題に した もの に︑ 選子 内 親 王の 詠歌 があ る︒ あ
きら けき 法の 灯火 なか りせ ばこ ころ のや みの いか では れま し
︵﹃ 発 心和 歌集
﹄︶ た
だし
︑当 該和 歌は 前半 の灯 明の 比喩 のみ 用い てお り︑ 今様 が灯 明と 甘露 を対 にし て一 首を 構成 して いる のと は異 な る
︒宇 津木 注釈 は︑
﹃ 能宣 集﹄ の例
︑ 粟田
のみ ぎお とど の弁 に侍 りし とき
︑念 仏し 侍り し︑ 世尊 慧灯 明と いふ こと をよ めと はべ りし かば
︑な つ のこ とに はべ り な なへ なる うづ きの かげ もく らか らず なつ のよ ふか きの りの ひか りに を
併せ て挙 げ︑ 九七 番歌 につ いて
︑ 和
歌に 詠ま れた
﹁慧 燈明
﹂と
︑詠 まれ なか った
﹁甘 露﹂ とを 同等 に対 句と して 用い たと ころ に今 様形 式を 生か し
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三) ― 196 ―
た 独自 性が ある と言 えよ う︒ と
指摘 する
︒時 代が 下っ ても
︑ 人記
品 世尊 恵灯 明︑ 我聞 授記 音 う れし さよ ふみ もさ だめ ぬわ がみ ちの ゆく すゑ てら すと もし びの かげ
︵﹃ 尊 円親 王五 十首
﹄︶ の
よう な例 は見 られ るが
︑﹁ 甘 露﹂ は人 記品 の和 歌に 詠ま れる こと はな く︑ 先の 指摘 を積 極的 に支 持し たい
︒ 二︑
法 師 品 人記
品で
︑二 千人 の声 聞に 授記 がな され た のを 受 け︑ 法 師品 で は︑ 釈 迦は さ ら に︑
﹁ 現在 ま た は仏 滅 後 に法 華 経 の 一 偈 一 句を 聞 い て随 喜 す る 者に は
︑み な 授記 を 与 えよ う
︒法 華 経 を受 持 す る者 は 諸 仏に 守 ら れ る で あ ろ う﹂ と 述 べ る
︒ 法師 品を 歌う 今様 は次 の七 首で ある
︒ 寂
莫音 せぬ 山寺 に 法華 経誦 して 僧居 たり
普 賢頭 を摩 で給 ひ 釈迦 は常 に身 を守 る
︵ 九八
︶ 忍 辱衣 を身 に着 れば
戒 香涼 しく 身に 匂ひ
弘 誓瓔 珞懸 けつ れば
五 智の 光ぞ 輝け る
︵ 九九
︶
― 197 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三)
慈 悲の 御室 に住 みな がら
忍 辱衣 を身 に懸 けて
忍 辱衣 は色 深く
慈 悲の 室に は風 吹か ず 諸法 空を 御座 とし て 人 には 教へ 持た しむ
︵一
〇〇
︶ 二 乗高 原陸 地に は 仏性 蓮花 も咲 かざ りき
泥 水掘 り得 て後 より ぞ 妙法 蓮華 は開 けた る
︵一
〇一
︶ 静 かに 音せ ぬ道 場に
仏 に花 香奉 り 心を 鎮め てし ばら くも
読 めば ぞ仏 は見 えた まふ
︵一
〇二
︶ 法 華経 八巻 は一 部な り 二十 八品 いづ れを も 須臾 の間 も聞 く人 の 仏に 成ら ぬは なか りけ り
︵一
〇三
︶ 法 華は 諸法 にす ぐれ たり
人 の音 せぬ 所に て 読誦 積も れば おの づか ら 普賢 薩埵 は見 えた まふ
︵一
〇四
︶ これ
らは
︑A 法華 経受 持者 が諸 仏に 守 ら れる こ と を歌 っ た も の︵ 九八 番 歌・ 一
〇二 番 歌・ 一
〇四 番 歌
︶︑ B弘 経 三 軌
︵経 法を ひろ める ため 必要 な 三 種の 規 範︶ を 室・ 衣・ 座に 譬 え て 歌っ た も の︵ 九九 番 歌・ 一
〇〇 番 歌
︶︑ C法 華 経 全 体を ほめ たた えた もの
︵一
〇三 番歌
︶︑ D 高原 穿鑿 の比 喩を 歌っ たも の︵ 一〇 一番 歌︶ に大 別で きる
︒ Aの 三首 は﹁ 寂莫 音せ ぬ﹂
﹁ 静か に音 せぬ
﹂﹁ 人の 音せ ぬ﹂ と静 けさ が強 調さ れて いる 点が 共通 する が︑ これ は︑ 法 師 品最 終部 の偈 の一 節﹁ 若説 法之 人 独 在空 閑 処 寂 莫無 人 声 読誦 此 経 典 我 爾時 為 現 清 浄光 明 身﹂
︵ 若し 説 法 の 人 にし て 独り 空閑 なる 処に 在り て 寂莫 とし て人 の声 なき とき
こ の経 典を 読誦 せば
わ れは その 時た めに
清 浄 な る光 明の 身を 現わ さん
︶︑
﹁ 空処 読 誦経
皆 得 見 我身
﹂︵ 空 処 にて 経 を 読 誦せ ば 皆
︑我 が 身を 見 る こと を 得 ん︶ に よ って いる
︒た だし
︑法 師品 本文 には 見え ない 普賢 菩薩 を出 す点
︵九 八番 歌・ 一〇 四番 歌︶ は今 様に 特徴 的で
︑九 八 番 歌の 頭を 摩で る主 体も
︑経 本文 によ れば 釈 迦で あ る︒
﹃ 梁塵 秘 抄﹄ 諸 注で は
︑九 八 番 歌の 普 賢 と釈 迦 は 逆で あ る の が 本来 だと され てき た︒ しか し︑ 菅野 扶美 は︑ 十世 紀末 以降 の普 賢信 仰の 広が りの 中で
︑普 賢摩 頂も 一般 化し てい く こ と を 明 ら か に し︑ 九 八 番 歌 は 当 時 の 法 華 信 仰 の 現 実 に 基 づ い て 普 賢 摩 頂 を 取 り 上 げ て い る も の だ と 指 摘 し て い
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三) ― 198 ―
る B ︒ の 二首 は︑ 第一 節に おい て九 五番 歌の 典拠 とし て挙 げた 偈の 部分 を利 用し てい るが
︑九 九番 歌で は︑ 経本 文に は な い︑ 戒香
︵戒 律を 守る とそ の功 徳が 薫る のを 香に 譬え た︶ や五 智︵ 仏の 備え る五 種の 智慧
︶の 輝き を放 つ瓔 珞を 取 り 合わ せて いる
︒ま た︑ 一〇
〇番 歌で は忍 辱の 心が 深く 強い こと を忍 辱衣 の色 が深 いこ とに 譬え
︑慈 悲の 心が 穏や か で ある こと を︑ 室に 風が 吹か ない こと に譬 えて いて
︑経 本文 にな い﹁ 忍辱 衣は 色深 く 慈悲 の室 には 風吹 かず
﹂の 表 現 を加 えて いる
︒こ れら は︑ 永井 注釈 が指 摘す るよ うに
︑嗅 覚・ 視覚
・触 覚 と い った 五 感 に訴 え る 表現 で あ り
︑ 経 に 説か れる 世界 をよ り一 層感 覚的 に把 握し てい こう とす る今 様の 性格 の一 端が 現れ てい ると 言え よう
︒ Cの 一〇 三番 歌は 二十 八品 のど の章 でも
︑わ ずか の時 間で も聴 聞す る人 で仏 に成 らな いこ とは ない
︑と 法華 経全 体 を 讃嘆 した もの で︑ 法師 品に 限定 さ れる 内 容 では な い が︑ 偈に
﹁我 所 説 諸 経 而於 此 経 中 法華 最 第 一﹂
︵わ が 説 け る 所の 諸の 経あ り しか も︑ この 経の 中 に おい て 法 華 は最 も 第 一 なり
︶︑
﹁ 是 諸経 之 王﹂
︵ これ 諸 経 の王 な り
︶と あ る のを 受け てい るも ので あろ うか
︒一
〇四 番歌 の冒 頭に も﹁ 法華 は諸 法に すぐ れた り﹂ とあ る︒ Dの 一〇 一番 歌の 典拠 につ いて は︑ 諸注
︑前 半が
﹃維 摩経
﹄仏 道品 に拠 り︑ 後半 が﹃ 法華 経﹄ 法師 品に 拠っ てい る こ とを 指摘 して いる
︒﹃ 維 摩経
﹄に は︑
﹁譬 如高 原陸 地不 生蓮 華卑 湿淤 泥乃 生此 華︒ 如是 見無 為法 入正 位者
︒終 不復 能 生 於仏 法︒ 煩悩 泥中 乃有 衆生 起仏 法耳
﹂
︵譬 へば 高原 陸地 に蓮 華を 生ぜ ず︑ 卑湿 淤 泥 に 乃ち 此 の 華を 生 ず る が如 し
︒ 是 の如 く無 為の 法を 見て 正位 に入 る者 は︑ 終に 復た 能く 仏法 を生 ぜず
︒煩 悩の 泥中 に乃 ち衆 生有 りて 仏法 を起 こす の み
︶と ある
︒﹁ 高 原陸 地﹂ は︑ 声聞 や縁 覚の 小乗 の悟 り
︵大 乗 に比 べ て 低次 の 段 階︶ を 乾い た 高 原の 地 に 譬え た 言 葉 で あり
︑泥 は煩 悩の 譬え であ る︒ 一方
︑﹃ 法 華経
﹄法 師品 に見 える 高原 穿鑿 の譬 えは 次の よう なも ので ある
︒
― 199 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三)
譬 如有 人︒ 乾乏 須 水︒ 於彼 高 原︒ 穿 鑿求 之
︒猶 見 乾土
︒知 水 尚 遠︒ 施 功不 已
︒転 見 湿土
︒遂 漸 至 泥︒ 其 心決 定
︒ 知 水 必 近︒ 菩薩 亦 復 如是
︒若 未 聞 未 解︒ 未能 修 習︒ 是 法華 経
︒当 知 是 人
︒去 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 尚 遠︒ 若 得 聞 解
︒思 惟︒ 修習
︒必 知得 近︒ 阿耨 多羅 三藐 三菩 提︒
︵譬 えば
︑人 あり
︑乾 乏し て水 を須 め ん とし て
︑彼 の 高原 を 穿 鑿 りて
︑こ れ を 求む る に︑ 猶︑ 乾 ける 土 を 見 れ ば︑ 水︑ なお 遠し と知 るも
︑功 を施 すこ と已 ずし て転 た︑ 湿え る土 を見
︑遂 に漸 く泥 に至 れば
︑そ の心 は 決 定し て水
︑必 ず近 しと 知る が如 く︑ 菩薩 も亦
︑ま たか くの 如し
︒若 しこ の法 華経 を未 だ聞 かず
︑未 だ解 ら ず
︑未 だ修 習す るこ と能 わざ れば
︑当 にこ の人 は阿 耨多 羅三 藐三 菩提 を去 るこ と︑ 尚︑ 遠し と知 るべ く︑ 若 し 聞き
︑解 り︑ 思惟 し︑ 修習 する こと を得 ば︑ 必ず 阿耨 多羅 三藐 三菩 提に 近づ くこ とを 得た り︑ と知 れ︒
︶ 水
を求 めて 高原 の土 を掘 る人 が︑ 乾い た水 を見 て︑ 地下 水に 至る まで には まだ まだ だと 思っ ても
︑掘 り続 ける こと を 止 めず
︑湿 った 土に ぶつ かり
︑さ らに 泥に 至っ て地 下水 の近 いの を知 るよ うに
︑菩 薩も 行に 努め 続け てよ うや く悟 り を 開き 得る とい う譬 え話 で︑ 菩薩 であ って も︑ 法華 経を 聞き
︑修 習し なけ れば 完全 な悟 りに は近 づけ ない とい う趣 旨 で ある
︒長 く修 行し てや っと 悟り に近 づく こと がで きる こと を︑ 今様 は﹁ 泥水 掘り 得て 後よ りぞ
妙 法蓮 華は 開け た る
﹂と 表現 して い る︒ この 譬 え にお け る﹁ 泥﹂ は 悟り
︵水
︶に 近 い も ので あ っ て︑
﹃維 摩 経﹄ が﹁ 泥﹂ を 衆生 の 煩 悩 に 譬 え るの と は 異な っ て い る︒ その た め︑
﹁ 意味 の 一 貫性 に 欠 け る﹂
︵集 成
︶と の 評 価 も あ る が︑ 前 半 と 後 半 は﹁ 高 原
﹂﹁ 泥
﹂の 語か ら連 想さ れる 二つ の比 喩を 並べ たも ので あり
︑﹁ 泥﹂ の指 し示 す内 容に は踏 み込 まな い形 で︑ 逆説 的 に つな がっ て︑
﹁ 二乗
︵声 聞・ 縁覚
︶の 境地 に譬 えら れる 高 原 の陸 地 の 乾い た 土 に は︑ 仏性 の 表 れで あ る 蓮華 の 花 も 咲 かな かっ た︒ しか し︑ 高原 の土 を長 く掘 り続 け︑ 泥水 を掘 り得 た後 には
︑悟 りの 蓮華 の花 が咲 くの であ る﹂ と解 す
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三) ― 200 ―
る こ と がで き る であ ろ う︒ 宇 津 木注 釈 は︑
﹁ 法華 経 の 講経
・注 釈 の 中 で法 師 品 の高 原 穿 鑿の 喩 を 釈 す る に 当 た っ て
︑ 維 摩経 の著 名な 文が 引か れる こと があ り︑ そこ に直 接の 典拠 があ った
﹂ と推 測し てい る︒ 以上
︑法 師品 七首 の今 様は
︑弘 経 三軌 の 比 喩︵ 九九 番 歌・ 一
〇〇 番 歌
︶・ 高 原穿 鑿 の 比喩
︵一
〇 一 番歌
︶と 部 分 的 な 比喩 の箇 所を 歌う 今様 を先 に置 き︑ その 後︑ 法師 品の 趣旨 であ る法 華経 受持 者が 諸仏 に守 られ るこ とを 歌っ た一
〇 二 番歌
︑法 華経 全体 をほ めた たえ た一
〇三 番 歌を 置 く 配列 に な って い る
︒そ の 五首 を 挟 むよ う に︑ 最 初︵ 九 八番 歌
︶ と 最後
︵一
〇四 番歌
︶に 普賢 の守 護を 歌う 歌が 置か れて おり
︑緩 やか な配 列の 意図 が感 じら れよ う︒ 法師 品の 経旨 絵と して よく 取り 上げ られ る図 相は
︑法 華経 受持 者の 供養 の様 子︑ 如来 の庇 護︑ 高原 穿鑿 とい った も の で︑ 今様 に歌 われ る素 材と 重 なっ て い る︒ ただ し
︑今 様 が﹁ 花香 奉 り
﹂︵ 一
〇二 番 歌︶ と 表現 す る とこ ろ を
︑談 山 神 社蔵
﹁法 華曼 陀羅
﹂は 十種 供養 の図 とし て経 文に 沿っ て︑ 蓋︑ 幡︑ 伎楽 など まで 細か く描 いて いる
︒ま た︑ 法華 経 を 受持
・読
・誦
・解 説・ 書写 する 者︵ 五種 法師
︶の 様子 も描 かれ る︒ 九八 番今 様に 歌わ れた
︑頭 を摩 でる 如 来の 様 子 は︑ 談山 神 社 蔵﹁ 法華 曼 陀 羅﹂
︑ 立本 寺 蔵﹁ 妙 法蓮 華 経 金字 宝 塔 曼 陀 羅﹂ とも に描 いて いる が︑ さら に今 様に は歌 われ てい ない
︑僧 に衣 を与 える 如来 の姿 も描 き込 まれ てい る︒ 経本 文 に
﹁如 来滅 後︒ 其能 書持
︒読 誦供 養︒ 為他 人説 者︒ 如来 則為
︒以 衣覆 之﹂
︵ 如来 の滅 後に
︑そ れ能 く書 持し
︑読 誦し
︑ 供 養し
︑他 人の ため に説 く者 は︑ 如来 は則 ち︑ ため に衣 をも って これ を覆 いた まい
︶と ある こと によ る︒ 一〇 一番 今 様 に歌 われ た高 原穿 鑿の 譬え は︑ 談山 神社 本︑ 立本 寺本 とも に描 く︒ なお
︑立 本寺 本は 高原 穿鑿 の図 の下 に象 に乗 っ た 普賢 菩薩 を描 く︒ 宮次 男 氏 は︑ この 図 を 普 賢品 の 図 相と 指 摘 する が
︑菅 野 扶 美の 指 摘 にあ る よ うに
︑法 師 品 に 普 賢菩 薩が 登場 する のは 自然 なこ とで あっ た︒ 本法 寺蔵
﹁法 華経 曼荼 羅図
﹂で は︑ 霊鷲 山会 の様 子︑ 悟り を得 た者 が仏 殿に 昇る 様子
︑法 華経 を受 持・ 読・ 誦・ 解
― 201 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三)
説
・書 写す る者
︵五 種法 師︶ の様 子︑ 迫害 に耐 え る僧 の 姿︑ 五 種法 師 の 伎楽 供 養
︑高 原 穿鑿 な ど の場 面 が 描 かれ る
︒ 興 味深 いの は︑ 僧が 女人 を摩 頂す る様 子が 描か れる こと で︑ 如来 が弟 子た ちを 摩で ると いう 経文 の摩 頂が
︑人 間同 士 の 間の こと に変 化し てい る︒ 本興 寺蔵
﹁法 華経 曼 荼羅 図
﹂は
︑法 師 品か ら は 高原 穿 鑿 の 場面 だ け を抜 き 出 し てい る
︒ 談 山神 社蔵
﹁法 華曼 陀羅
﹂︑ 立 本寺 蔵﹁ 妙法 蓮華 経 金 字宝 塔 曼 陀羅
﹂も ふ く め︑ 高 原穿 鑿 の 場面 は
︑切 り 立っ た 崖 の 上 で︑ 二人 の男 が向 い合 わせ にな って 地面 を掘 ると いう よく 似た 図柄 で描 かれ てい る︒ 高原 穿鑿 は経 見返 絵に もた び た び描 かれ
︑個 人蔵
﹁紙 本墨 書法 華経
﹂︵ 平 安時 代︶ 巻四 見返
︑中 尊 寺 伝 来個 人 蔵﹁ 紺 紙金 字 法 華 経﹂
︵基 衡 経︶ 巻 四 見 返
︑ 延 暦寺 蔵
﹁紺 紙 金銀 交 書 法 華経
﹂︵ 平 安 時代
︶巻 四 見 返
︑ 本興 寺 蔵﹁ 紺 紙 金字 法 華 経﹂
︵平 安 時 代︶ 十 巻 本
・八 巻本
の巻 四見 返な どに 表さ れて いる
︒ 厳島 神社 蔵﹁ 平家 納経
﹂の 見 返絵 は
︑幡
︑天 蓋︑ 鞨 鼓︑ 笛な ど を 描い て お り︑ 中 島博 は
︑﹁ 細 部ま で 現 実的 に 描 写 さ れた
︑華 麗な 法会 を彷 彿さ せる 諸道 具を
︑荘 厳な 空気 の中 に置 くこ とに より
︑宗 教的 行為 から 得ら れる 法悦 の境 地 を 表す もの と思 われ る﹂ と する が︑ これ は法 師品 に説 かれ る十 種供 養を 象徴 的に 表し てい るの では ない だろ うか
︒ 法師 品を テー マに した 和歌 には
︑法 華経 を聞 く者 の心 得と して 心を 澄ま すべ きこ とを 詠ん だり
︑法 華経 のす ばら し さ を蓮 の花 を引 き合 いに 出し て詠 むも のが 散見 する
︒ す
みが たき 心し むろ にと まら ねば 法と くこ とぞ まれ らな るべ き
︵﹃ 赤 染衛 門集
﹄︶ 法 とか むみ むろ も外 にな かり けり 誰が 心を ぞす ます べら なる
︵﹃ 公 任集
﹄︶ 法 の雨 にみ なが らき よめ つく して はさ はり の外 を何 か尋 ねん
︵﹃ 公 任集
﹄︶ 君 がた めか ける みの りの 水茎 にわ が身 をさ へも すす ぎつ るか な
︵﹃ 散 木奇 歌集
﹄︶
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三) ― 202 ―
む すび おき し花 のみ のり をと く聞 けば やが て仏 の身 とぞ なり ぬる
︵﹃ 教 長集
﹄︶ つ ゆば かり 法の 蓮を 聞き 初め てや がて おき ゐん 身と ぞな るべ き
︵﹃ 教 長集
﹄︶ 思 ひき や八 百万 代の 法の 内に すぐ れて にほ ふ花 を見 んと は
︵﹃ 拾 玉集
﹄︶ 春 の山 秋の 野原 をな がめ すて て庭 に蓮 の花 を見 るか な
︵﹃ 拾 玉集
﹄︶ 赤
染衛 門詠
︑公 任詠 には
﹁慈 悲の 室﹂ を意 識し た﹁ むろ
﹂の 語が 見え るが
︑弘 経三 軌の うち の一 つと いう 具体 性は 弱 く
︑澄 んだ 心が 在る べき 場所 とい った やや 抽象 的な 表現 にな って いる
︒﹃ 拾 玉集
﹄の 二首 は︑
﹁法 華最 第一
﹂を 題と し た もの で︑ 一〇 四番 歌初 句が よっ た偈 に基 づい てい るが
︑﹁ 八 百万 代の 法﹂
﹁春 の山 秋の 野原
﹂と
︑比 較の 対象 を具 体 的 に挙 げた のは
︑今 様に ない 点で ある
︒ 慈円 には
︑九 九番 歌・ 一〇
〇番 歌に 歌わ れた 忍辱 の衣 を詠 んだ もの も見 られ る︒ 墨
染の 袖を とは ばや 法の 師に それ ぞま こと のし のぶ もぢ ずり
︵﹃ 拾 玉集
﹄︶ こ
こで は忍 辱の 衣を 歌語
﹁し のぶ もぢ ず り﹂ とか け て 詠ん で い るが
︑蓮 に 夏 の 季節 感 を 与え
︑﹁ 春 の 山秋 の 野 原﹂ と 対 照さ せる 例と 同様 に︑ 四季
︑恋 とい った 和歌 の伝 統的 な表 現の 枠組 みを 利用 する 釈教 歌の 方法 が見 て取 れる
︒忍 辱 の 衣と
﹁し のぶ もぢ ずり
﹂を 関連 させ て詠 む例 は後 の時 代に も散 見す る︒ わ
がた めに 憂き を忍 ぶの すり 衣み だれ ぬ色 や心 なる らん
︵藤 原伊 信﹃ 続拾 遺集
﹄︶
― 203 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三)
乱 れじ なた もて る法 の衣 手に うき もつ らき も忍 ぶも ぢず り
︵﹃ 芳 雲集
﹄︶ 九八
番歌
・一
〇二 番歌
・一
〇四 番歌 に 見ら れ た﹁ 音 せぬ
﹂﹁ 寂 莫﹂ な どと 通 う 静 けさ を 詠 んだ も の には
︑次 の よ う な 例が ある
︒ し
づか にて 法と く人 ぞ頼 もし きわ れら みち びく つか ひと 思へ ば
︵ 源信
﹃玉 葉集
﹄︶ し づか なる とこ ろは やす くあ りぬ べし ここ ろす まさ ん方 のな きか な
︵源 信﹃ 新千 載集
﹄︶ 草 の庵 にこ ゑも ここ ろも すみ ぬら し人 はか げせ ぬ光 をぞ 見る
︵﹃ 拾 玉集
﹄寂 莫無 人声
︶ 今
様が その 静け さの 中で 仏の 姿を 見る こと を直 接的 に歌 うの に対 し︑ 和歌 では 右の 慈円 詠の よう に経 の﹁ 光明 身﹂ と い った 言葉 から
︑光 を見 ると いう 間接 的表 現を とっ てい たり
︑次 にあ げる 如く
︑待 つ姿 勢に 焦点 を当 てて 詠ん でい る も のが 多い
︒ 法師
品︑ 寂漠 無人 声︑ 読誦 此経 典 い さぎ よき 光も 身に やさ しく ると しづ かに 法を とな へて ぞ待 つ しづ かに のり をと なへ
︑き よく 光の ささ むを まつ べし とよ める なり
︵﹃ 田 多民 治集
﹄︶ 空 すみ て心 のど けき さ夜 中に 有明 の月 の光 をぞ さす
︵選 子内 親王
﹃続 後拾 遺集
﹄︶ と ふ人 の跡 なき 柴の 庵に もさ しく る月 の光 をぞ 待つ
︵﹃ 長秋 詠草
﹄︶
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三) ― 204 ―
静か な道 場に いる 僧を 歌う 今様
︵九 八番 歌・ 一〇 二番 歌・ 一〇 四番 歌︶ から は︑ 当然 なが ら清 澄な 雰囲 気を 感じ 取 る こと がで きる が︑ しか し︑ 僧の 心の 状態 は直 接的 には 表現 され ず︑ 出現 する 仏︵ 普賢 菩薩
︶の 姿を 劇的 に描 くの に 対 し︑ 和歌 では
︑仏 の姿 は多 く月 に譬 えら れて 朧で あり
︑﹁ 澄 む﹂
﹁の どけ し﹂ など の語 によ り︑ 人間 の心 の状 態の 方 に 焦点 を当 てる 傾向 が強 いの であ る︒ 高原 穿鑿 の譬 えを 詠む 和歌 も多 く︑ 今様 前後 には 次の よう な例 があ る︒ 法師
品︑ 漸見 湿土 泥︑ 決定 知近 水の 心を よみ 侍り ける 武 蔵野 のほ りか ねの 井も ある もの をう れし く水 の近 づき にけ る
︵ 藤原 俊成
﹃千 載集
﹄︶ 尋 ね行 く清 水に ちか き道 ぞこ れ御 法の 花の 露の 下か げ
︵﹃ 拾遺 愚草
﹄︶ な がれ きて 近づ く水 にし るき かな まづ ひら くべ きむ ねの はち すば
︵﹃ 拾遺 愚草
﹄︶ 心 すむ 草の いほ りの 法の 水に うれ しく 月の 影や どす らん
︵﹃ 慈 鎮和 尚自 歌合
﹄︶ 当
然予 想さ れる こと なが ら︑ 経の 漢語 をそ のま ま取 り入 れる 今様 とは 異な り︑ 和歌 は和 語と して やわ らげ た表 現を と っ てい る︒ 特に 俊成 詠は
︑恋 歌で よく 用い られ る﹁ ほり かね の井
﹂と いう 歌枕 を使 いな がら
︑そ の名 とは 裏腹 に水 に 近 づい てい る︵ 悟り に近 づい てい る︶ とい う経 の内 容を 詠み 込む とい った やや 複雑 な組 み立 てに なっ てい る︒ 俊成 詠 で は︑ 地名 との 掛詞 で﹁ 掘り
﹂が 意識 され ては いる が︑ 概し て︑ 和歌 にお いて は︑ 乾い た土 を掘 り進 むと いう 行動 を 直 接に は詠 まず
︑す でに 清ら かな 水が あふ れ︑ 蓮の 花が 咲い てい ると いう 美し い情 景を 前面 に押 し出 して いる
︒
― 205 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三)
三︑ 宝 塔 品 宝塔
品の 内容 は次 のよ うな もの であ る︒ その 時︑ 巨大 な七 宝の 塔が 地か ら湧 き出 て 空中 に 静 止し た
︒そ し て︑ その 塔 の 中 から
︑﹁ よ く ぞこ の す ばら し い 法 華 経を お説 きに なっ た︒ この 内容 はす べて 真実 であ る﹂ とい う声 が聞 こえ た︒ 一同 は怪 しみ
︑そ のわ けを 問う た︒ 釈 迦 は以 下の よう な説 明を した
︒│ 過去 に多 宝と いう 名の 仏が いた が︑ その 仏は
﹁自 分の 滅後
︑法 華経 の説 かれ る場 所 に は︑ 自分 の遺 体を 収め た宝 塔が 出現 し︑ 法華 経の 真実 性を 証明 しよ う﹂ との 誓願 を起 こし た︒ 今︑ ここ に現 れた 塔 は それ であ り︑ 今聞 こえ たの はそ の多 宝仏 の声 であ る︑ と︒
│一 同は
︑多 宝仏 の姿 を見 たい と思 った が︑ その ため に は 十方 世界 に散 在し てい る釈 迦の 分身 をこ の場 に集 めな けれ ばな らな い︒ 釈迦 が白 毫の 光を 放つ と︑ 諸仏 の国 土が 見 え
︑娑 婆も 清浄 にな り︑ 数々 の宝 玉で 荘厳 され た美 しい 世界 とな った
︒分 身の 諸仏 が集 まっ た時
︑釈 迦が 右の 指で 宝 塔 の戸 を開 くと
︑多 宝仏 の全 身が 見え た︒ 釈迦 は塔 の中 に入 り︑ 多宝 仏と 並ん で座 した
︒そ して 釈迦 は一 同に
﹁自 分 は 間も なく 涅槃 に入 るで あろ う﹂ と告 げた
︒ 宝塔 品を 歌う 今様 は次 の五 首で ある
︒ 霊
山界 会の 大空 に 宝塔 扉を 押し 開き
二 人の 仏を 一度 に 喜び 拝み 奉る
︵一
〇五
︶ 宝 塔出 でし 時 遥か に瑠 璃の 地と なし て 瑪瑙 の扉 を押 し開 き 分身 仏ぞ 集ま りし
︵一
〇六
︶ 宝 塔出 でし 時 須弥 も鉄 囲も 投げ 捨て て 遥か に瑠 璃の 地と なし て 分身 仏ぞ 集ま れる
︵一
〇七
︶
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三) ― 206 ―
十 方仏 神集 まり て 宝塔 扉を 押し 開き
如 来滅 後の 末の 世に
法 華を 説き 置き たま ひし ぞ
︵一
〇八
︶ 法 華経 しば しも 持つ 人 十方 諸仏 喜び て 持戒 頭陀 に異 なら ず 仏に なる こと 疾し とか や
︵一
〇九
︶ こ
れら の今 様は
︑当 然な がら 宝塔 に焦 点を 当て るも のが 多く
︑一
〇九 番歌 以外 には すべ て﹁ 宝塔
﹂の 語が 見え る︒ 宝 塔 品で 起こ った 事柄 は︑
①宝 塔湧 出︑
②娑 婆世 界の 清浄 化︑
③分 身仏 集結
︑④ 宝塔 開戸
︑⑤ 二仏 並座 であ り︑ 一〇 五 番 歌に は①
④⑤
︑一
〇六 番歌 には
①②
④③
︑一
〇七 番歌 には
①②
③︑ 一〇 八番 歌に は③
④の 要素 が含 まれ る︒ 経の 要 点 を追 って いく 歌が 多い が︑ 細か い点 では 諸注 指摘 する よう に︑ 経本 文と 差異 があ る︒ 一〇 六番 歌の
﹁瑠 璃の 地﹂ は 経 本文 にあ るこ とば だが
︑﹁ 瑪 瑙の 扉﹂ はな い︵ 経で は﹁ 七宝 塔戸
﹂︶
︒ 今様 にお いて は︑ 極
楽浄 土の 宮殿 は 瑠璃 の瓦 を青 く葺 き 真珠 の垂 木を 造り 並め
瑪 瑙の 扉を 押し 開き
︵一 七八
︶ の
よう に︑ 瑠璃 と瑪 瑙を 対比 的に 取り 上げ る例 が見 られ
︑類 型的 表 現 と言 え よ う
︒ なお
︑一
〇 六 番歌 の 宝 塔 開戸
↓ 分 身仏 集結 の順 番は 経と は逆 にな って いる
︒一
〇七 番歌 の末 句も
﹁分 身仏 ぞ集 まれ る﹂ で結 ばれ てお り︑ 分身 仏集 結 を クラ イマ ック スと して 一首 を閉 じる 形は 一つ の型 であ った とも 考え られ よう
︒一 方︑ 一〇 八番 歌の 冒頭 は分 身仏 集 結
↓宝 塔 開 戸の 順 で 歌い 出 さ れ︑ 宝 塔品 最 後 に述 べ ら れる 釈 迦 が 末世 に 法 華経 を 説 き置 い た こ とに 重 点 を 置 い て い る
︒ 一〇 七番 歌の
﹁須 弥も 鉄 囲も 投 げ 捨て て
﹂は
︑﹁ 無 大海 江 河
︒⁝
⁝鉄 囲 山︒ 大鉄 囲 山︒ 須 弥山 等 諸 山王
︒通 為 一 仏 国 土
︒﹂
︵ 大 海 江 河︑
⁝⁝ 鉄 囲 山
・大 鉄 囲 山
・須 弥 山 等 の 諸 の 山 王 な く︑ 通 じ て 一 仏 国 土 と な り
︶の 経 意 に よ る が
︑
― 207 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三)
﹁投 げ捨 つ﹂ とい う動 詞に よっ て釈 迦の 行動 をダ イナ ミ ッ クに 歌 う のは
︑今 様 の 特 徴と 言 え る︒ 釈迦 の 行 為を 表 す 語 と して は︑ 一〇 五番 歌・ 一〇 六 番歌
・一
〇 八 番歌 に
﹁︵ 扉 を︶ 押し 開 き
﹂と あ るこ と も 注意 さ れ る︒ 経に は
﹁以 右 指 開
︒七 宝塔 戸﹂
︵ 右の 指を もっ て︑ 七宝 の塔 の 戸 を開 き た もう に
︶と あ り︑ 今 様の
﹁押 し 開 く﹂ が一 定 の 重量 感 を 持 つ のに 比べ て軽 やか な印 象が あ る︒
﹃ 梁塵 秘 抄﹄ に おい て
︑﹁ 扉 を押 し 開 き﹂ と いう 表 現 は︑ 前掲 の 極 楽 歌︵ 一七 八
︶ の 他に
︑ 毎
日恒 沙の 定に 入り
三 途の 扉を 押し 開き
猛 火の 炎を かき 分け て 地蔵 のみ こそ 訪う たま へ
︵ 四〇
︶ の
例が あり
︑﹁ 扉 を開 き﹂ の例 とし て︑ 竜
樹菩 薩は あは れな り 南天 竺の 鉄塔 を 扉を 開き て秘 密教 を 金剛 薩埵 に受 けた まふ
︵ 四二
︶ が
ある
︒こ れら は︑ 地蔵
︑竜 樹と いっ た菩 薩を 主語 とし て︑ その 行動 を動 的 に 表 現し て い る
︒ 宝塔 品 の 今様 は 経 本 文 の﹁ 以右 指開
﹂を
︑﹁ 押 し開 き﹂ と︑ より いっ そ う大 き な 身体 の 動 き とし て 捉 えて お り︑
﹁ 投げ 捨 て て﹂
︵一
〇 七 番 歌
︶と 併せ
︑躍 動感 のあ る表 現を とっ てい ると 言え る︒ 以上 の宝 塔湧 出を 歌う 今様 に対 し︑ 一〇 九番 歌は
︑宝 塔品 の偈
﹁此 経難 持 若暫 持者
我 即歓 喜 諸仏 亦然
⁝⁝ 是 名 持戒
行 頭陀 者 則為 疾得
無 上仏 道﹂
︵ この 経 は 持つ こ と 難し
若 し 暫 ら くも 持 つ 者あ ら ば わ れ︑ 即ち 歓 喜 せ ん 諸 仏も 亦︑ 然か なら ん︒
⁝⁝ これ 戒を 持ち
頭 陀を 行ず る者 と名 づく
則 ち為 れ︑ 疾く
無 上の 仏道 を得 たる な
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三) ― 208 ―
り
︶に 基づ き︑ 法華 経を しば らく の間 でも 受持 する 人は
︑持 戒頭 陀︵ 戒律 を守 り︑ 衣食 住に 関す る貪 りを 払い 除く 修 行 者︶ と異 なら ない ので あり
︑す みや かに 成仏 でき ると する
︒宝 塔品 の今 様の 中で
︑唯 一︑ 宝塔 出現 の逸 話と は関 わ ら ず︑ 法華 経受 持者 の成 仏を 歌う もの にな って いる
︒ 宝塔 品の 内容 は︑ まさ に絵 画化 する にふ さわ しい 華や かさ を持 って おり
︑宝 塔湧 出の 場面 がし ばし ば描 かれ る︒ 談 山 神社 蔵﹁ 法華 曼陀 羅﹂
・ 立本 寺蔵
﹁妙 法蓮 華経 金字 宝 塔 曼陀 羅
﹂に は 雲の 上 に 乗 った 宝 塔 が描 か れ︑ そ の扉 は す で に 開い てい て︑ 中に は多 宝仏 の姿 が見 える
︒宝 塔品 の絵 画に おい ては
︑宝 塔の 中に 釈迦 と多 宝仏 が並 ぶ二 仏並 座の 姿 が 描か れる こと が多 いが
︑談 山神 社蔵
﹁法 華 曼陀 羅
﹂・ 立 本寺 蔵
﹁妙 法 蓮華 経 金 字 宝塔 曼 陀 羅﹂ では 多 宝 仏の み が 描 か れて おり
︑特 徴的 であ る︒ 周囲 には 諸仏 が座 し︑ 多く の人 々が 礼拝 して いる
︒ 本法 寺蔵
﹁法 華経 曼荼 羅図
﹂は
︑画 面上 方左 に霊 鷲山 会の 説法 の様 子︑ 画面 上方 右に 多宝 仏の 浄土 であ る宝 浄国 が 描 かれ るが
︑中 央に 描か れる のは 雲中 の巨 大な 多宝 塔で
︑扉 が大 きく 開か れ︑ 二仏 が並 座し てい る︒ 周囲 には 多く の 仏 が集 まっ てい る︒ 本興 寺蔵
﹁法 華経 曼荼 羅図
﹂は
︑二 仏並 座の 多宝 塔と 諸仏 の集 まる 様子 を描 いて いる
︒ 宝塔 湧出 の場 面は 経見 返に もし ば しば 描 か れ︑ 個人 蔵
﹁紙 本 墨書 法 華 経﹂
︵ 平安 時 代︶ 巻 四見 返
︑中 尊 寺伝 来 個 人 蔵
﹁紺 紙金 字法 華経
﹂︵ 基 衡経
︶巻 四見 返︑ 金剛 峯寺 蔵﹁ 紺紙 金 字 法 華経
﹂︵ 秀 衡 経︶ 巻四 見 返
︑ 延 暦寺 蔵
﹁紺 紙 金 銀 交書 法華 経﹂
︵ 平安 時代
︶巻 四見 返︑ 本興 寺蔵
﹁紺 紙金 字法 華経
﹂︵ 平安 時代
︶十 巻本
・八 巻本 の巻 四見 返な どに 二 仏 並 座 の宝 塔 が 表さ れ て い る︒ 厳島 神 社 蔵﹁ 平家 納 経﹂ の 見返 絵 は
︑花 唐 草文 が 描 かれ
︑経 の 内 容 と は 関 わ り が な い
︒ 宝塔 品を テー マに した 和歌 には
︑当 然な がら
︑宝 塔湧 出や 二仏 並座 が詠 まれ るが
︑瑠 璃や 瑪瑙 など 七宝 で飾 られ た き らび やか な塔 が具 体的 に詠 まれ るこ とは 少な く︑
― 209 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三)
お ほぞ らに たか らの たふ のあ らは れて 法の ため にぞ 身を ば分 けけ る
︵﹃ 赤 染衛 門集
﹄︶ 玉 の戸 をひ らき し時 にあ はず して 明け ぬよ にし もま どふ べし やは
︵﹃ 発 心和 歌集
﹄︶ が
見ら れる 程度
︒多 くの 場合
︑具 体的 な姿 は描 写せ ずに
︑空 とい う場 所だ けを 示す か︑ 宝塔 を月 に譬 えた り︑ 二仏 を 日 と月 に譬 えた りし て︑ さり げな い空 の風 景の よう に表 現し てい る︒ い
にし へも 今も かは らぬ 月影 を雲 の上 にて なが めて しか な
︵後 嵯峨 院﹃ 続拾 遺集
﹄︶ そ のか みの ちか ひた えね ばい くよ とも しら ぬ姿 を空 にみ るか な
︵﹃ 公 任集
﹄︶ き く人 もは るか にこ れを あふ げと て空 にぞ 法の とく 声は せし これ も品 の大 意な り︑ 此品 をば
︑そ らの 上に 座を なら べて とか せ給 ひし なり
︵﹃ 田 多民 治集
﹄︶ く まも なき 月の みか ほの 並び しに よも の人 さへ 空に すみ にき
︵﹃ 教 長集
﹄︶ い づれ か日 いづ れか 月と なが むれ ばわ しの たか ねの み空 なり けり
︵﹃ 拾 玉集
﹄︶ い でて 入る わし の高 根の 夕附 日ひ かり なら べて 空に こそ すめ
︵﹃ 慶 運法 師集
﹄︶ め もあ やに 雲ゐ にぞ 見る いに しへ のひ じり のす みし やど のけ しき を
︵﹃ 拾 玉集
﹄︶ 宝塔 品 七 宝塔 婆彰 世界
四 衆観 仏在 虚空
俊 国 む かし きく たま のと ひら くひ かり にぞ さし いる 月も かげ をな らぶ る
成 茂
︵﹃ 二 十八 品並 九品 詩歌
﹄︶
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三) ― 210 ―
古 里は 玉し く庭 と成 りに けり あさ ぢが 露に 月を やど して
︵ 有海
﹃人 家和 歌集
﹄︶ お のづ から 花の とぼ そを ひら きて ぞ春 もと きは のも のと しり ぬる
︵ 頼真
﹃安 撰集
﹄︶ 経を
踏ま えて
︑今 様で は﹁ 須弥 も鉄 囲も 投げ 捨て て﹂
﹁ 遥か に瑠 璃の 地と なし て﹂ と歌 われ る娑 婆世 界の 清浄 化も
︑ 野
もや まも みな うつ され しよ なり とも はな をば めで し人 やあ りけ ん
︵﹃ 入道 右大 臣︵ 頼宗
︶集
﹄︶ 苔 の庭 を玉 の砌 にし きか へて 光を わか つ峰 の月 影
︵ 源承
﹃新 後拾 遺集
﹄︶ の
よう に︑ 野︑ 山︑ 庭な ど身 近な 場所 の景 物︵ 花・ 月︶ にと りな して 詠ま れて いる
︒ 一〇 九番 歌が 踏ま える 宝塔 品の 偈に よっ て︑ 法華 経の 持ち 難さ や法 華経 受持 者の 成仏 を詠 んだ 和歌 も散 見し
︑次 の よ うな 例が 見ら れる
︒ 大
空を 手に とる こと はや すく とも 法に あふ べき をり やな から む
︵ 源信
﹃玉 葉集
﹄︶ 宝塔 品 是名 持戒
︑行 頭陀 者︑ 則為 疾得
︑无 上仏 道 か いな くて うか ぶよ もな き身 なら まし 月の みふ ねの のり なか りせ ば
︵﹃ 聞 書集
﹄︶ 宝塔 品若 暫持 者︑ 我即 歓喜 ま きま きを かざ れる ひも の玉 ゆら もた もて ば仏 よろ こび 給ふ
︵﹃ 長秋 詠藻
﹄︶ 是名 持戒
― 211 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三)
ひ とつ 法を しば した もて ば十 のつ みも けが さぬ 人に 成り にけ るか な
︵﹃ 拾 玉集
﹄︶ 釈教
歌に おい ては
︑薬 草喩 品な どで も触 れた よう に︑ 経の 世界 を季 節の 詠歌 とし て位 置付 けて いく 傾向 があ り︑ 清 浄 な 仏 の世 界
︑悟 り の象 徴 と な る月 と の 関わ り か ら秋 の 季 節 感を も つ 場合 が 多 い︒ 時代 は や や 下 る が︑ 次 に 挙 げ る
﹃宗 尊親 王詠 法華 経百 首﹄ の宝 塔品 四首 はそ の典 型で
︑月 と雁 によ って 秋の 季節 感を 押し 出し てい る︒ 宝
塔品 又聞 塔中 所出 音声 め ぐり あふ 秋を わす れぬ ちぎ りに てと こよ のか りも 今き なく なり 釈迦 牟尼 可就 此座 久 かた の空 ゆく とも にさ そは れて 田面 のか りも いま ぞた つな る 仮使 有人 手把 虚空 あ まつ 空て にと らず とも 雲ぢ 行く 雁だ に法 のも じを つら ねよ 我即 歓喜 諸仏 亦然 う き事 をわ すれ てぞ 見る よは の月 千里 の人 もお なじ ここ ろに
︵﹃ 宗尊 親王 詠法 華経 百首
﹄︶ 以上
︑見 てき たよ うに
︑宝 塔品 をテ ーマ とし た今 様と 和歌 を比 較す ると
︑宝 塔湧 出と いう 仏世 界の 奇跡 を︑ きら び や かな 色彩 と仏 の身 体の 躍動 感を もっ て表 現し てい く前 者と
︑穏 やか で清 らか な秋 の風 景詠 とし て詠 む後 者の 対照 が
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三) ― 212 ―
浮 かび 上が って こよ う︒ 註
⑴ 植 木 朝 子
﹁﹃ 梁 塵 秘 抄
﹄ 法 華 経 二 十 八 品 歌 と 釈 教 歌
︑ 経 旨 絵
︵ そ の 一
︶﹂
︵﹃ 文 化 学 年 報
﹄ 第 六 十 一 輯 二
〇 一 二 年 三 月
︶︑
﹁ 同
︵ そ の 二
︶﹂
︵﹃ 文 化 学 年 報
﹄ 第 六 十 五 輯 二
〇 一 六 年 三 月
︶︒
⑵
﹁ 梁 塵 秘 抄 注 釈
︵ 第 三 回
︶﹂
︵﹃ 梁 塵 研 究 と 資 料
﹄ 第 二 十 五 号 二
〇
〇 八 年 三 月
︶ の 校 訂 本 文 に よ り
︑ 一 部 表 記 を 改 め た
︒ 以 下
︑ 特 に 断 ら な い 限 り
︑﹃ 梁 塵 秘 抄
﹄ 法 華 経 二 十 八 品 歌 の 引 用 は 本 誌 に よ る
︒
⑶
﹃ 法 華 経
﹄ 本 文 お よ び 書 下 し 文 の 引 用 は
︑ 岩 波 文 庫
﹃ 法 華 経
﹄ 中
︵ 岩 波 書 店 一 九 六 四 年
︶ に よ る
︒
⑷ 小 西 甚 一
﹃ 梁 塵 秘 抄 考
﹄︵ 三 省 堂 一 九 四 一 年
︶︒
⑸ 荒 井 源 司
﹃ 梁 塵 秘 抄 評 釈
﹄︵ 甲 陽 書 房 一 九 五 九 年
︶︒
⑹ 武 石 彰 夫 校 注 新 日 本 古 典 文 学 大 系
﹃ 梁 塵 秘 抄 閑 吟 集 狂 言 歌 謡
﹄︵ 岩 波 書 店 一 九 九 三 年
︶︒
⑺ 志 田 延 義 校 注 日 本 古 典 文 学 大 系
﹃ 和 漢 朗 詠 集 梁塵 秘 抄
﹄︵ 岩 波 書 店 一 九 六 五 年
︶︒
⑻ 榎 克 朗 校 注 新 潮 日 本 古 典 集 成
﹃ 梁 塵 秘 抄
﹄︵ 新 潮 社 一 九 七 九 年
︶︒
⑼ 新 間 進 一
・ 外 村 南 都 子 校 注 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集
﹃ 神 楽 歌 催 馬 楽 梁 塵 秘 抄 閑 吟 集
﹄︵ 小 学 館 二
〇
〇
〇 年
︶︒
⑽ 上 田 設 夫
﹃ 梁 塵 秘 抄 全 注 釈
﹄︵ 新 典 社 二
〇
〇 一 年
︶︒
⑾ 宇 津 木 言 行 担 当 九 六 番 歌
︻ 考 説
︼︵ 註
⑵
﹁ 梁 塵 秘 抄 注 釈
︵ 第 三 回
︶﹂
︶︒
⑿ 今 野 達 校 注 新 日 本 古 典 文 学 大 系
﹃ 今 昔 物 語 集 一
﹄︵ 岩 波 書 店 一 九 九 九 年
︶ に よ る
︒
⒀ 植 木 朝 子
﹁ 提 婆 達 多 の 今 様
│﹃ 梁 塵 秘 抄
﹄ 法 文 歌 の 一 性 格
│
﹄︵
﹃ 同 志 社 国 文 学
﹄ 第 六 十 三 号
・ 第 六 十 四 号 二
〇
〇 五 年 一 二 月
・ 二
〇
〇 六 年 三 月
︶
⒁ 註
⑼ 書 に よ り
︑ 一 部 表 記 を 改 め た
︒ 法 華 経 二 十 八 品 歌
︵ 人 記 品
・ 法 師 品
・ 宝 塔 品
︶ 以 外 の
﹃ 梁 塵 秘 抄
﹄ 今 様 の 本 文 は
︑ 以 下
︑ 同 じ
︒
⒂
﹃ 日 本 音 楽 史 研 究
﹄ 第 二 号
︵ 一 九 九 九 年 三 月
︶ 口 絵 写 真 に よ り
︑ 適 宜 漢 字 を 宛 て
︑ 濁 点 を 加 え た
︒
⒃ 宮 次 男
﹃ 金 字 宝 塔 曼 陀 羅
﹄︵ 吉 川 弘 文 館 一 九 七 六 年
︶ を 参 照 し た
︒ 両 曼 陀 羅 に つ い て は
︑ 以 下 同 じ
︒
⒄
﹃ 厳 島 神 社 国 宝 展 図 録
﹄︵ 奈 良 国 立 博 物 館 二
〇
〇 五 年
︶ を 参 照 し た
︒
― 213 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その三)