代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可 能性について : ユージェン、フランク(Eujen,
Frank)の通説批判とシュヴァルツェ(Schwarze)の検 証・反駁を中心に
著者 臼井 豊
雑誌名 同志社法學
巻 60
号 7
ページ 377‑430
発行年 2009‑02‑28
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011644
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三七七同志社法学 六〇巻七号
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の 制限可能性について ― ユ ー ジ ェ ン 、 フ ラ ン ク (
Eujen, Frank) の 通 説 批 判 と
シ ュ ヴ ァ ル ツ ェ (
Schwarze) の 検 証 ・ 反 駁 を 中 心 に ― 臼 井 豊
(三三九五)
1はじめに 2否消取誤錯則原と判批説通のクンラフ、ンェジーユ認 3承消取誤錯則原のェツルァヴュシ認 4検の干若・理整較比の説ェツルヴァュシと説クンラフ、ンェジーユ討 5ていつに性能可・性向方の決題解問るけおに国がわ
―
にりわお―
1はじめに
⑴ 本人が錯誤に陥った状態で代理人に代理権を授与し (
本手、で後たしを為行理代と方相、引取で内囲範のそが人理代 1)
人がようやくその錯誤に気づき、代理行為の効果が帰属しないよう、代理権授与の錯誤を主張した場合、取引安全保護
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三七八同志社法学 六〇巻七号
との関係で、これを無制限に認めて無権代理から出発してもよいのであろうか。その錯誤が、早くからドイツにおいて
シュロスマン(Schlossmann)、ローゼンベルク(Rosenberg)やトゥール(v. Tuhr)が疑義を表明していた (
性欠頼性や専門知識・能力をいらているなど代理人個人の属信かしたは代理人が過去に歴詐欺・背任行為やその経実 うよに、 2)
(persönliche Eigenschaften des Vertreters)に関する場合(以下、代理人の適性錯誤と称する)、とくに代理特有の﹁代理人選任﹂に関わる錯誤であるというその特徴に鑑みれば、他の錯誤一般と同列に扱ってよいのであろうか。かりに当
該錯誤主張が無制限に認められた場合、代理権は当初よりまったく存在していなかった、つまり無権代理となる結果、代理行為時に代理権を有していたはずの代理人は﹁無権代理人﹂扱いされることになる(いわゆる内部関係への﹁直接・
近接作用(Nahwirkung (
た﹂し張主を誤錯の体自為か行律法たしの人理代たのる帰く導を結帰いなし属に如人本が果効のそ、く﹁れ解に般一さ )﹂にあ、ずらまどとはれこか用作のそがだ)。た人も個と為行律法の立独別本はと与授権理代が 3)
め、終局的には取引相手方との関係にまで及ぶこととなる (
ungirknwerF(用作隔遠・(接﹁のへ係関部外るゆわい間 4)(
ppngtuchlriieZe eltdo目が﹁二重のー的指向(サ)﹂とすー現理るまさに本人による代権ュ授与の錯誤主張は、ステ表 ( )﹂)。 5)
と 6)
おり、終局的には代理行為に向けられている証左といえよう。この法的事実は、代理行為締結を実際に委ねる代理人に対する授与が大半であるとはいえ、本質的には﹁代理人が取引相手方とする代理行為の効果帰属﹂に向けられていると
いう代理権の法的二面性、つまり﹁代理人の資格・権能﹂という属性的側面と﹁代理行為の効果帰属要件 (
だの理権授与の錯誤主張﹂問題特)殊性と困難性があり、それ代部こに面に由来する。こ内、﹁代理行為後における( しと﹂ての側 7)
けに当該問題における取引相手方保護の行方に一層の関心が集まっても何ら不思議ではない。⑵ 案の定、当該問題について、ドイツの学説は現在まで活発に議論を展開してきた (
。 8)
① この状況について、かつて筆者は二〇〇二年前後までフォローした (
。のるあでりおと次がは要概のそ、 9)
(三三九六)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三七九同志社法学 六〇巻七号 通説は、代理権授与と代理行為は各自別個に意思欠缺(Willensmängel)規定に服する、二つの独立した法律行為であるという代理人行為説に依拠した起草者の見解(いわゆる﹁代理権授与と代理行為の厳格な分断﹂を前提として、(B GB[ドイツ民法典]一六六条 (
の為一(し消取誤錯条行九理代)るす律規の一 10)(
取条め含も)項二九厳一一(誤錯性
―
密の効[条二四一(及に遡のそとう言適人ら意も、他のあゆる思表示同様、代理 に代、い別は権理て授与のそれにつ)と 11)消しの効力]一項)を
―
無制限に認める立場を踏襲してきた。だがこの錯誤取消無制限承認説に立って法律を文言どおり形式的に適用していくと、本人は、通常一般的な内部代理権授与の場合﹁その意思表示を実際に受領した﹂代理人に取消しを主張する(BGB一四三条[取消しの意思表示]三項一文)ため、一二二条 (
でとその結果、取引相手方は、本人のるをがとこるけ受護関保接直はで係。なのにうにまた代理人も対てということし のり信頼利益任賠償責を負によ 12)
きず、代理人に無権代理人の責任(BGB一七九条 (
償過あで定規任責失無以の定法が条九七一る上Gよ賠の益利頼信りに
―
項二のそにかしたBBもてしとたっあで失、 のい代たま。追なきで及人か理錯も、本人)誤につき善意・無過し 13)責任に軽減されるものの
―
、とにかく取引相手方に対して何らかの法的責任を負わざるを得ない。つまり、取り急ぎ取引相手方との関係では、ボルク(Bork )が﹁攪乱事例(Störfall )﹂と評する (の人誤錯の人本﹁が理代かぜな、にうよ 14)
尻拭い﹂を強いられることになる (
。 15)
そこで早くから、この
―
法律を忠実に適用した結果とはいえ―
煩雑な通説的結論を問題視して、取引相手方や代理人の利益保護との調和を図る試みが散見されていた。たとえば、代理権授与の錯誤取消しを無制限に認めるべきではないとの問題意識から、ヴァルデイヤー(Waldeyer)やフルーメ(Flume)は、﹁代理権授与は、代理行為がなされて初めて、本人の財産関係に変動を及ぼす﹂という代理 の特殊性(いわゆる﹁代理権授与と代理行為の内在的連関(innerer Zusammenhang)﹂)を踏まえて、当該取消しを、
(三三九七)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三八〇同志社法学 六〇巻七号
本人の代理権を授与する際の意思欠缺が代理行為にまで﹁影響を及ぼしている﹂とか、代理行為につき﹁重要になって
いる﹂場合に限定することを主張した (
が場。また取消し合認められる 16)(
取をあ﹂たし起惹頼い信りよに与授権るは代方きべす結締と手﹁相引取は権理代理る与あ護をえるため、﹁本人が瑕疵 係関のにと人本、直で一接取引相手方に定の保も 17)
引を理由に授与されようとしたものである (
の一償賠害損の条二二B任GB接直に人本が責を手。と為行理代﹁のこた追し慮配うよるきで及方相取、でとこるす引 を人手相引取は由本、にに理をと方主取ば解といならなれ消けなし張﹂しこ 18)
つながり﹂を考慮した錯誤取消制限説をさらに発展させて、独自の代理の法的構成論たる統一要件説から、ミュラー・フライエンフェルスは、代理人が取引相手方から無権代理人の責任追及を受けて本人の錯誤の尻拭いをさせられないよ
う、代理権授与の意思欠缺は代理行為においてのみ重要であるとした上で、単なる意思表示にすぎない代理権授与の錯誤取消しによりそれと一体的な、一つの法律行為を形成する(代理人がBGB一七九条により責任を負うべき)代理行
為の遡及的無効を導く見解を主張した。
他方、代理権授与の錯誤取消しを原則否認するという正反対の立場からは、ローゼンベルクが、代理人行為説に依拠 しながら、﹁まさにこの具体的な(代理)行為が代理権を授与する際の本人の意思欠缺に見舞われている﹂場合にのみ例外的に錯誤取消しが許容されるにすぎないことを終始一貫、主張し (
イにラフ・ーラュミるす異を論成構的法の理代、 19)
エンフェルスと同様の結論に達していた。
このローゼンベルクに触発されて、代理権授与の錯誤取消しを無制限に認めてきた通説に﹁批判的再検討を受けるこ
とが重要である﹂という問題提起を突きつけたのが、
与ン)るす称略とらェ著ジーユに単、下共の(に授権理代るけお後論結締為行理代﹁文以クユラフ、ンェジーたれさン tegnzrisJueitun2)三紹介する、一九七年にの法曹新聞(載掲で の取消し? (
認か(取引相手方保護)ら負出発し、その取消しを担人は本ある。ユージェンら、﹂当該錯誤危険の原則で 20)
(三三九八)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三八一同志社法学 六〇巻七号 めないとしつつ、例外的に代理行為の取消余地を残しておく。
以後この原則錯誤取消否認説の登場を契機に、﹁代理行為後における代理権授与の錯誤取消主張﹂問題への関心はい っそう高まり、﹃民法総則﹄の基本書や注釈書レベルでも、﹁代理権授与の意思欠缺﹂といった項目まで立てて言及されるようになった。とくにユージェンらの見解は、その後ブロックス(Brox)やプレールス(Prölss)らの積極的支持を
取り付けることに成功した。
他方、痛烈な批判に晒された通説にあっても、いまだ代理権授与の錯誤取消しを無制限に承認する立場は維持しつつ、﹁(その遡及的無効に)何より直面するのは取引相手方である (
の為斟を関連的物即る行す理代と権理代﹁﹂、酌 21)(
れB趣る取引相手方もG許B一二二条は保護さがる授るあで旨は代理権与との存続を信頼するこす ( いるあ﹂、 22)
などの理由から、取 23)
引相手方は直接本人に対して一二二条の類推適用により信頼利益の賠償責任を追及できると考えたり (
理適、BGB一六六条二項の類推用よにより錯誤取消しの対象を代うい本錯て、代理人がなの人誤されのせらをい拭尻 、め進歩一にらさ 24)
行為であると考えたりし始めるようになった (
―
相で人理代は方手のるし消取―
は又用適あと直保らか性要必の護方し手相引取もらがな接の二二一―
で上た条―
引が方手相現取、は在とてし、取にかく。消しの相手方であるとしそ 25)その類推適用により、直接本人に対して信頼利益の賠償請求をすることができるとの修正的見解が有力である (
。 26)
また二〇〇一年には、ペーターゼン(Petersen)が本格的論文で、ユージェンらに代表される原則錯誤取消否認説の批判に回りつつ、代理権授与の錯誤取消しを判断する際に﹁代理行為とのつながり﹂を重視する錯誤取消制限説の姿勢 に賛同し、独自の錯誤取消制限基準として、代理権授与と代理行為の一体的考察を可能とする﹁瑕疵同一性(Fehleridentität)﹂、つまり前者の錯誤が後者において具体的に再映・複写されていることを提唱する。そして、上記
つながりを重視する基準を採用したこととの関係で、代理権授与、代理行為の双方を取消対象と捉えて代理人、取引相
(三三九九)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三八二同志社法学 六〇巻七号
手方両者への取消しを本人に要求することで、取引相手方が本人に対して直接BGB一二二条により信頼利益の賠償責
任を追及することを認めるとともに、代理人が一七九条責任の追及を受けないよう配慮している (
。 27)
このように﹁代理行為後における代理権授与の錯誤取消主張﹂問題について、現在学説はいまだ数の上では錯誤取消
無制限承認説が通説と目され、その対極にある原則錯誤取消否認説は一般的支持を得るまでには至っておらず、むしろその中間に位置する
―
代理権授与自体の錯誤取消しを認める点では通説と同様だが、﹁代理権授与と代理行為とのつながり﹂を重視してその制限を模索する点では反対説に通ずる
―
錯誤取消制限説が充実しつつあり、混迷の度を増している。そして議論の焦点は、程度の違いこそあれ錯誤取消制限という共通の方向性を模索する後二説を中心に、本人が代理権を授与する際に陥った錯誤危険を本人、取引相手方いずれに原則負担させていかなる調整的修正を図るべきか、つまり、本人負担(取引相手方保護)を原則としてその錯誤取消主張を認めないとしつつ例外的に(代理行為につ
いてではあるが)その取消しを認める余地を模索するか、取引相手方負担(本人保護)を原則として本人の取消主張を認めつつもその制限可能性を考えるかにあるように思われる。とくに代理特有の﹁代理人の適性﹂錯誤が問題となる場
合、その危険を最終的に本人、取引相手方いずれに負担させるべきかについて、学説は鋭く対立し帰一するところを知らない。また当該取消しが認められる場合にも、その対象は果たして代理権授与か、代理行為か、それとも両方なのか、
これとの関連で、取引相手方が直接本人に対してBGB一二二条の直接あるいは類推適用により信頼利益の賠償責任を追及しうるのかについても、すでにユージェンらがその煩雑さを懸念していたとおり、様々な組み合わせの見解が錯綜
している。
② ところが、筆者が上記学説追跡を終えた直後の二〇〇四年
―
ユージェンらの論文が掲載されてから三〇年余り経過したわけだが
―
奇しくもその同じ法曹新聞に、シュヴァルツェが、3行部内(たれさ使、﹁でるす介紹くし詳)
(三四〇〇)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三八三同志社法学 六〇巻七号 代理権の取消し
―
構成と評価の教材―
﹂と題する論文 (を公表した。 28)
その冒頭、シュヴァルツェは、ユージェンらの論文を﹁行使された代理権(つまり授与された代理権に基づき代理行
為がなされてしまった後)の取消しに関する議論に、後世まで残る衝撃を与え﹂たと賞賛した上で、﹁もし(彼らの通説批判が)すべて正しいとするならば、(代理権授与の)取消可能性(を無制限に承認すること)に固執してきた通説
はいっそう疑わしいものになる﹂と述べている (
。性討検るす関に当中正の説認否消取を心錯にるいてし手着考に再の題問該当、誤則のらン原 積与消取誤錯の理授権代、てしし極の。的制限を主張する、ユージェそ 29)
⑶ 翻ってわが国において、﹁代理行為後における代理権授与の錯誤無効主張﹂問題の解決は、実際どのように考えられてきたのであろうか。
学説は、その無効により﹁無権代理﹂扱いになっても、表見代理により取引相手方保護を図ればよいとの思惑からか、およそ俎上にすら載せてこなかった (
。 30)
判例も、錯誤無効ではなく詐欺取消し(民法九六条)に関する最判昭和四六年三月一六日集民一〇二号二四九頁が一件あるにすぎない。事案は、本人が代理人の詐欺により代理権を授与するとともに、印鑑及びその証明書を交付し、代 理人が越権 00行為をした後で、本人が代理権授与の詐欺取消しを主張したという若干複雑なものであった。本判決は、法
律行為としての代理権授与については詐欺取消しを認めながらも、民法一一〇条の帰責要件たる﹁基本代理権﹂については、表見代理がその﹁取引安全保護﹂という制度趣旨及び﹁権利外観理論﹂的構成からそもそも意思欠缺規定に服さ
ないことを理由に、その取消しによる影響を受けないとした。この取引安全保護に親和・適合的な判断に概ね異論はなさそう (
授。には疑問なしとしない詐構欺取消しにより代理権成文独条、民法一一〇条の単適だ用を問題にした、そのが 31)
与が遡及的に無効となった結果、当初より何ら代理権が存在していなかったことに鑑みれば、民法一〇九条(厳密には
(三四〇一)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三八四同志社法学 六〇巻七号
類推?)と一一〇条の重畳適用を問題とすべきであったようにも思われる。それにもかかわらず、上記昭和四六年判決
は、民法一一〇条のみを根拠条文としたわけだが、それでは上記事案より単純な﹁越権行為ではなく代理権の範囲内で代理行為がなされていた﹂場合、(代理権授与の錯誤無効主張からの)取引相手方保護の法律構成は一体どうなるのだ
ろうか。
たとえば近時、能見教授は、﹁代理人と相手方との取引が行われた後に、代理権授与行為の効力を否定しても、相手 方は一〇九条の表見代理によって保護されると考えるべき﹂との解釈論を主張される (
す、し視重を点る一滅消に的及遡が一性るれさ唆示をて二能可立成の条 00( )。理代、は授教権健(井川たま 32)
条は九〇一に昧曖りよ、授教)三敬(本山、し 33)
又は一一二条の類推による取引相手方保護の可能性を志向されるようである (
つ為﹁きづ基に説行理人理代、はて代権お断せさ底徹を﹂分授の為行理代と与いに条自のような文体を持たないわが国 G一B与Bにら七六)条(代理権の授。さ 34)
つ、前者行為を内部関係に溶解・吸収解消しその独自性を否定する
―
最近一部有力な―
委任契約説によれば、(代理権を発生させる)委任契約に本人の錯誤があっても、取引相手方は、当該契約との関係では所詮﹁第三者﹂にすぎないと考えることも可能である。このような着想をもとに、たとえば辻(正美)教授は、表見代理ではなく民法九四条二項の類推適用による取引相手方保護を志向される (
。 35)
このように論者により、その適用条文自体、一致を見ておらず、﹁代理行為後における代理権授与の錯誤無効主張﹂問題が本来的に表見代理の守備範囲なのかすら、疑念を抱かせる。かりに表見代理の射程圏だとしても、その適用条文
との関係で、当該問題の場合、委任状や実印等に代表される代理権授与の外観がなくても、常にその要件は充足されうるのであろうか。またそもそも表見代理の射程外であるとか、表見代理の要件を充足しない場合もありうるとすれば、
もはやその場合、有権代理に準じる履行責任的保護という道は閉ざされるが、取引安全保護に傾注するわが国にあって、
(三四〇二)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三八五同志社法学 六〇巻七号 果たして
、ては 3くむか、甚だ疑わしい。しるろ価値判断としし詳のれ紹ェ介するシュヴァルツの切ようにそう簡単に割でり 2すも十分検討に値る余のではあるまいか地るでェ紹介するユージンすらの方向性を選択。
⑷ 以上のように、﹁代理行為後における代理権授与の錯誤主張﹂問題については、表見代理による保護が図れない可能性も視野に入れて、それでも本人による錯誤主張を無制限に認めて、本人に由来する錯誤危険を取引相手方に原則負
担させる﹁無権代理﹂から出発するのかどうかが、本来問われている。また表見代理による保護を考えうるとしても、表見代理への意思欠缺規定の類推適用可能性について、今のところ取引安全保護に傾斜したわが国では否定的だが、今
日ドイツの有力学説が示すように、﹁権利外観理論﹂に基づいて構成した場合にも肯定するという選択肢も十分ありうるとすれば、なおさらであろう。
そこで本稿は、﹁代理行為後における代理権授与の錯誤主張﹂問題に関するドイツの法状況を更新しつつ、その深まる混迷を整序することを通して、わが国にも参考となりうる問題解決の糸口を探ることを目的とする。まず始めに、当 該問題の重要性を喚起した功績から必ず参照されるユージェンらの論文について
―
拙著では結論と簡単な理由づけにしか言及しなかったが (出険否認という錯誤危の取本人負担原則から消誤批錯の原点たる通説判
―
に立ち返り、原則そ 36)発する主張に傾聴する(
2し制限承認に固執続消ける通説との関係無取)。の続いて、その後学誤説展開、とくに錯で ユージェンらに代表される原則錯誤取消否認説の正当性を検証しようと試みる最新文献として、シュヴァルツェの論文を採り上げ (
、詳細に紹介する( 37)
3にルツェの両見解つヴきその後の反応ァュ)。れそして最後に、こらシユージェンらと・
評価状況も一瞥しつつ比較整理・若干の検討を試みた上で(
(いるいてえ考といたき 4決解わが国における問題てのっ探を性能)、・性向方可 5)。
(三四〇三)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三八六同志社法学 六〇巻七号
2
ユージェン、フランクの通説批判と原則錯誤取消否認
ユージェンらは、1説制限に承認する通にをつき批判的再検討無し⑵り①で前述したとお、消代理権授与の錯誤取を 加える必要性を訴えて、﹁代理行為後における代理権授与の錯誤取消主張﹂問題に着手する。⑴ まずユージェンらは、次の設例の通説的例解を通して、その結論に疑義を唱える。
[設例]食肉工場主
F家を前提に、食肉用畜この買付担当者としとるはに、営農・家畜衛生関すする専門知識を有て
V
を雇い入れた。ただ実際
V入妥当な金額で仕れかる術は心得ていたくには欠、上記専門知識をいとてはいたものの、。
Vは、営農家
A、 B、 C各自と家畜買付契約を締結した。
Aとの関係では、
Fは、 Vの雇用に先だち、
Aに直接﹁
V
に代理権を授与する﹂と電話連絡していた(
Aに対する
Fの外部代理権授与)。次に
Bとの関係では、
Vは、 Bと契約
する際、
F証たいてし示呈を書与の授権理代たし名署(
Vに対する
Fの代理権授与証書の交付+
Bに対する
の書呈示)。また Vの上記証 Cは、 B代いと﹂るいてれさ与授を権理はか私、﹁めたたいてい聞を話記上らう
Vの主張を鵜呑みにし
てしまった(
Vに対する
Fの内部代理権授与のみ)。
しばらくして市場価格が想定外に暴落した。とかくするうちに
Fは、 Vずてしと者当担入仕たが持を識知門専記上の
適格性を欠いていたことを知るに至った。この錯誤を奇貨として、
。授二項により代理権与九の取消しを主張した条 Fはか、不利な買付契約ら一免れるため、BGB一 上記設例において取引相手方
A、 B、 Cを本、はかのるうしな求各請的法るなかいが自人
(、つまり、通説によれば内る部代理権や外部代理権。いを態っ係にかたいてし択選て F形与授権理代るなかいが Cや Aの場合)は錯誤取消しが 可能であるのに対して、その﹁中間形態(Zwischenfigur)﹂とでもいうべき、代理権授与証書等により特別に通知され
(三四〇四)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三八七同志社法学 六〇巻七号 た内部代理権(
B条項一条二七一、項一一の七一BGBは)合場 (
、ええゆれそ。るいてれら考とるあで能可不りよに 38)
B
のみがまさに運良く
Fに履行責任を追及しうるだけで、
A、 Cは、
―
Fよ消で上たし受甘をし取るに錯の与授権理代誤 1⑵①の支配的な有力説によれば―
F又は うるまどとにる ( V一責それぞれBGBし及追を任償二賠害損りにに条九七一、条二よ
。 39)
この通説的結論に対して、ユージェンらは、﹁取引相手方それぞれが異なった扱いを受けることになるが、いかなる理由から正当化されるのか﹂と問い糾し、その不均衡・不合理性を指摘する。たしかに
Fは Bに対してのみ錯誤取消し
を主張できないという結論を正当化するため、BGB一七一条、一七二条の授与通知は権利外観理論に基づく表見代理であることと、その観念の通知という法的性質が主張されているが、次に述べるとおり、﹁いずれの理由も再検討に耐
えられない﹂、としている。
第一の理論構成的理由については、BGB一七一条、一七二条に関する立法過程の議論 (
、それらの
―
表見代理性の 40)象徴ともいうべき
―
善意要件を無視した文言やフルーメによる表見代理有権代理説の復活を挙げて、そもそもこれら条文の表見代理性が疑わしい。また第二の概念法学的理由についても、BGB一七一条、一七二条は外部代理権が授与された場合よりも厚い(つまり錯誤取消しを排除する)取引相手方保護を志向するものではなく、現に支配的な権利外
観説の中にも、外部代理権授与と内部代理権授与通知の﹁法律行為・準法律行為﹂という技巧的分類に反対し、むしろ両者の法的類似性から後者の錯誤取消しも認める見解が現れている。
したがってユージェンらは、ここまでの議論、とくに立法趣旨を重視する限りは、外部代理権、内部代理権のみならずその授与通知もすべて錯誤取消規律に服するという同一的解決が導かれるはずであるとする (
。 41)
⑵ しかしながら、上記取消しが認められると内部代理権、その授与通知、外部代理権それぞれの場合、本人は代理人、
(三四〇五)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三八八同志社法学 六〇巻七号
取引相手方のいずれに対して取消しを主張し、BGB一二二条により損害賠償を義務づけられるのかという
―
すでに理で権には適さない﹂のは代ないかと考え始める ( 1こでるじ生が題問な介厄
―
部た内説通にうよた見で①﹄れともから、ユージェンらは、そ⑵さも﹁取消規律は﹃行使そ、認てし呈を問疑に体自論結ういと承限制無消取誤錯の説、通でこそ。 42)
その正当性・妥当性の検証に入る。
① まずは代理の三面関係という特殊性を念頭に置いて、取引相手方、本人の利益状況を中心に分析を進め、然るべ
き問題解決の指針とする。
取引相手方から見れば、本人と代理人は一体であり、直接契約交渉をするのが本人自身か、それとも代理人なのかは
どうでもよい。他方、本人から見れば、代理制度の利用は労働分業を意味し、代理人は本人の利益に適うよう法律行為をする存在ということになる。
この利益状況に鑑みれば、労働分業的利益を享受する本人がBGB二七八条(履行補助者の過失)の場合に準じて不利益も負担すべきである(いわゆる報償責任的な利益帰属者負担)という考え方が自然である。また現実問題としても、 本人が代理人を選任する際に冒した誤解などの危険について、この選任に関与しないどころか本人と代理人の法律関係を認識したり影響を与える機会すらない(第三者たる)取引相手方に転嫁する根拠を見い出すのは難しい (
。 43)
それにもかかわらず、通説のごとく、BGB一六六条による代理行為の錯誤取消しのみならず代理権授与のそれまでも本人に無制限に認めてしまうと、本人は、不利益な代理行為についてはすべて
―
⑴の冒頭設例で示したような場合にまで
―
代理権を授与する際の意思欠缺を逆手にとり錯誤取消しを主張するのではないかという懸念が生じる。つまり本人は、自己の利益のために行為する代理人を選任しておくことで、自ら法律行為をする場合よりも有利な状況に立つことになる。
(三四〇六)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三八九同志社法学 六〇巻七号 この分析から、ユージェンらは、上記通説の、本人に有利な危険分配をおよそ不当であると断じた上で、本人が代理人を選任する、つまり代理権を授与する際に起こりうる意思欠缺の危険は自ら負担すべきであり、それを理由とする取 消しを本人に原則認めるべきではないことを確認する (
。 44)
② 次にユージェンらは、温度差こそあれ錯誤取消しに制限を加えようと同じ方向をめざす学説と対比させ、当該﹁代
理権授与の意思欠缺が代理行為につき重要である﹂という基準を吟味することを通して、例外的に取消しが許容される独自基準の定立に努める。
すでにヴァルデイヤー、ミュラー・フライエンフェルスやフプカ(Hupka)により提唱された﹁重要性﹂基準は、次の二つの理由から疑わしい。まず当該基準は、﹁代理権授与の意思欠缺危険は本人が負担すべし﹂という報償責任的考
え方を必ずしも反映していない。たとえば本人が当該代理行為に必要な資格があると誤信して代理人に代理権を授与していた﹁代理人の適性﹂錯誤事例において、この錯誤が﹁重要性﹂基準を充たす、つまり代理人の無資格のせいで本人
に不利益な代理行為がなされたと判断されるときは、錯誤取消しが認められ、結局ローゼンベルクが懸念していたとおり、この錯誤危険は取引相手方に転嫁されてしまうからである。また﹁重要性﹂という﹁むき出しの(blaß )﹂判断基
準では、錯誤取消しの制限を確定することは不可能であり、およそ実用的なものとは思われない。
もっとも﹁重要性﹂基準は、新たな制限基準を模索する上で然るべき手がかりを含んでいる。具体的には、代理権を授与する際の錯誤が﹁屈折していない(ungebrochen)﹂、つまり、代理人の意思形成により影響(治癒)されることな く代理行為にまで﹁貫通している(durchschlagen)﹂ことが、新基準として考えられる。本人が代理権を授与する際に、取引の目的物や金額につき言い間違いや書き間違いをするなど表示上の錯誤に陥っていた場合には、この意思欠缺の影 響を受けたまま、代理人は、あたかも﹁(本人により)決められた行進の道筋(gebundene Marschroute)﹂を辿るかの
(三四〇七)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三九〇同志社法学 六〇巻七号
ごとく、本人の誤った指図に従い契約を締結している。﹁貫通﹂基準によれば、この場合に限り
―
結果的に絶大なる啓発を受けたローゼンベルクに準じて
―
錯誤取消しの主張が許される。ミュラー・フライエンフェルスも論証したように、本人が、商品一〇〇個を売却するつもりで、一〇〇〇個の売却を申し込んだか、代理人に一〇〇〇個売却の代理権を授与したかにより、その錯誤取消しを認めるか否かにおいて、法律は異なった判断をすべきでない (
。 45)
このようにユージェンらは、新たな﹁貫通﹂基準を独自に措定し、この基準が充足される場合にのみ例外的に本人に よる錯誤取消しを許容するにとどめることで、あくまで﹁代理権授与の意思欠缺危険を本人に負担させる﹂という原則を死守する (
。 46)
その上で、例外的に錯誤取消しが認められるとしても、その対象は代理権授与ではなく、実際それを前提になされた代理行為であると主張する。その理由として、﹁貫通﹂基準によれば、本人があたかも自ら取引相手方と契約を締結し
たのと同じように扱われるべきことと、ローゼンベルクが指摘したように、代理人がすでに複数の代理行為をしていた場合において、錯誤が貫通したのはある一つの代理行為のみであるにもかかわらず、代理権授与を取消対象としてしま
うとすべての代理行為が遡及的に無効になってしまうという不都合性を挙げている (
意引上記主張を代理法(の取安い全保護)体系上補強するうとよ限さらに﹁貫通﹂基準にる錯誤取消しの積極的制⑶ 。 47)
味から、ユージェンらは、むしろ取消しを無制限に認めてBGB一二二条による(信頼利益の)損害賠償責任的保護にとどめる通説について、取引相手方の履行責任的保護を標榜してきた表見代理法理、とくに外見代理
(Anscheinsvollmacht (
。う行 しるのではないかと、ててその比較検討をいしに盾価値判断と決定的乖)離しその方向性と矛の 48)
上記両場合の通説的解決を比較すれば、本人は、代理権を授与する際に錯誤に陥っていたときは、BGB一一九条に
(三四〇八)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三九一同志社法学 六〇巻七号 より代理権授与を取り消すことで、代理行為に基づく履行責任から免れ一二二条により信頼利益の賠償責任のみを負えば足りるのに対して、ただ単に過失で代理権授与の外観を惹起していたにすぎないときは、代理権を授与する意識すら なかったにもかかわらず、(錯誤取消不可能な)外見代理に基づき履行責任を負わされることになり、この矛盾した﹁異なった解決に唖然とさせられる(verblüfft)﹂。
たしかに両解決を比較すること自体に対しては、実際に代理権が授与されていたというだけで、外見代理の﹁無権代理行為の反復・継続性﹂という外観要件を充足するとは限らないとの反駁があろう。しかし、この﹁反復・継続性﹂を BGH(ドイツ連邦通常裁判所)が要求するのは通例に限られていて、実際頻繁に下級審レベルでは、一度の無権代理行為にすぎなくても社印や会社便箋の使用があれば外観要件を充足すること (
、同が人本、にうよじ。るいてれさ調強が 49)
意思欠缺状態であったとしても、とにかく実際に代理権を授与してさえいれば、代理権授与は意思表示とその外観という二重の法律要件を作出するというレーゲルスベルガー(Regelsberger )の主張 (
し、足充を件要観外にうよるれら見に 50)
ていると考えられる。
また本人の帰責性という観点からも、本人は、代理人に対して実際に代理権を授与し法取引上自己のために行為させ
ることで、上記外観要件を作出している。さらに取引相手方も、代理行為時以後は、意思欠缺状態であっても実際に授
与された代理権が錯誤取消しにより遡及的に無効にならないことを信頼している。
このようにユージェンらは、﹁代理行為後における代理権授与の錯誤取消主張﹂問題について、外見代理の履行責任 的保護と同様の条件、つまり代理権授与の外観、それに対する本人の帰責性、相手方の正当な信頼が三拍子そろっている以上、外見代理の場合に準じて錯誤取消しを排除するという法的判断を下すべきであると結論づけている (
。 51)
⑷ 最後にユージェンらは、自由・個人主義的立場から二当事者関係を念頭に規定されたBGB一一六条以下の意思表
(三四〇九)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三九二同志社法学 六〇巻七号
示規律について、その修正が許容されるぐらい (
保といてれさ請要が護全こ安引取い強上法理代る 52)(
はもとより、利益・問 53)
題状況の類似する場面における﹁取消排除﹂傾向 (
mionitiegLKundgabeat)的理代訟訴)・告知(たし化説通)﹂理法解や、すで上ZPO(民事訴訟に権明証格資)のへ( 代件響影の説、要一統受衡均を理けた、と権授与の﹁(取引相手方の 54)
の取消不可能性 (
取限消しの遡及効を制す誤べきだとして稿をる錯じ的等に鑑みても、﹁目論り的縮小﹂解釈によ閉 55)(
。 56)
3
シュヴァルツェの原則錯誤取消承認
2いです、はェツルァヴュシ、てつでに文論のらンェジーユたし介紹に
け批に性当正の判説す通のら彼、で関るた代おに後為行理﹁検てしと心中を討上したを評く高を績功のそ、と価﹂え与 1②おで前述したと⑵り﹁後世まで残る撃衝 る代理権授与の錯誤取消主張﹂問題の再考に取り掛かる (
行しいかなる通説批判を展開つ説つ、独自の主張・提案をが認ー否シュヴァルツェは、ユジェンらの原則錯誤取消⑴ 。 57)
うのかについて簡単な分析を試みることから始める。
ユージェンらの通説批判は、﹁立法者が取消規律を起草する際、行使された(内部)代理権(という問題)の特殊性(つ まり、特別な利益保護を必要とする取引相手方の存在と、本人が望まない代理行為から不当に免れる目的で代理権授与の錯誤取消しをいわば濫用的に主張する、いわゆる﹁本人による錯誤取消しの便宜主義的(opportunistisch)利用﹂問
題)は考慮していなかった﹂という歴史的事実を前提に、大きく二つ展開されている。
第一の批判は、本人が内部代理権授与を錯誤を理由に取り消す場合、その遡及的無効(BGB一四二条一項)という
危険を原則負担すべきは、当該危険の回避可能性を有する法律行為の相手方、つまり内部代理権授与の名宛人たる代理
(三四一〇)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三九三同志社法学 六〇巻七号 人にとどまり、この遡及的無効に伴う﹁(当初は代理権が覆っていたが現在は)代理権なき法律行為(無権代理行為)﹂の危険を第三者たる取引相手方に負担させてはいけないというものである。この評価に基づいて、内部代理権授与の錯 誤取消しの遡及効が取引相手方にまで及ぶこと、﹁(つまりこの)間接・遠隔作用を回避するためには、それと不可分に(unauflösbar)結合した(本人と代理人間の)直接・近接作用それ自体を阻止する﹂、つまり内部代理権授与自体の錯
誤取消しを積極的に制限せざるを得ないことが主張されていた (
。 58)
第二の批判は、次の理由から、錯誤取消しが認められるかどうか、つまり錯誤の重大性(Erheblichkeit)につき判断
する対象が通説によれば内部代理権授与であることに向けられている。なぜなら、通常一般的に考えて、本人が錯誤取消しにより遡及的に無効にしようとするのは決して内部代理権授与ではなく、それに基づいてなされた代理行為である
にもかかわらず、錯誤取消しにつき前者をその対象として判断すれば、本人は
―
かも自らが法律行為を行う場合より有れ利な状況に置かれることになる、ら
―
な受けるに値しいに取消可能性を与え 2うよたれ表に著顕で例設頭冒の⑴らである。
これら﹁(解釈)方法論上明らかに(錯誤取消可能性の)目的論的制限(teleologische Restriktion )と解される﹂批 判に基づいて、ユージェンらは、本来﹁すでに(BGB)体系構成上所定の(konstruktiv gegeben)取消可能性﹂につ いて、代理権を授与する際に本人の陥った錯誤と代理人のした代理行為の目的(Gegenstand)との間に﹁内在的連関﹂が存在する場合に限定する独自の﹁貫通﹂基準を措定しているのである、と (
。 59)
⑵ このような原則錯誤取消否認説について、シュヴァルツェは、﹁(代理権授与の錯誤)取消可能性が法律上の評価と矛盾していると見なされうるか、あるいは(矛盾しなくともその)法律上の評価が行使された代理権には適合しないこ
とが明らかになる﹂場合にのみ、それを制限するという主張が成り立ちうるとする。ただそれにはまず、当該問題を考
(三四一一)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三九四同志社法学 六〇巻七号
える上での﹁素材の所在地(sedes materiae)﹂を調査する必要があり、代理権授与が錯誤取消しによる遡及的無効に 伴い無権代理を帰結することに鑑みれば、BGB体系構成上、錯誤取消規定と無権代理規定がその手がかりとなりうる (
。 60)
そこでシュヴァルツェは、これら両規定のうちいずれが﹁素材の所在地﹂たりうるのかについて、検討を開始する。 ① まずシュヴァルツェは、本人と代理人間で授与された内部代理権について錯誤取消しが認められると、無権代理、つまり、取引相手方が代理人とした代理行為の効果は本人に帰属しないこととなり、本人と取引相手方の外部関係にま
で影響を及ぼすことから、両者の利害衝突につき解決基準となる評価を、代理法の無権代理規律(BGB一七七条[無権代理人による契約締結]以下)から析出しようと試みる。
内部代理権の欠缺(という無権代理)危険については、代理人が授与された代理権の範囲内と誤認して越権行為をしたとか、本人が代理権を授与する際に錯誤に陥っていたことを理由とした取消しによる場合であっても、取引相手方負
担が原則である。なぜなら、取引相手方は、代理人から顕名を受けていた以上、今から行うのはあくまで代理人を媒介とした本人との法律行為であり、常に無権代理リスクの負担を覚悟すべきことを認識しているからである。このように
無権代理規律からすれば、代理権授与の錯誤取消しを認めることは、決して本人に﹁偶然の利得(Zufallsgewinn)﹂を与えるものではない。それどころか、代理の法的構造の論理的帰結であり、ユージェンらによる通説批判、とくに⑴で
見た第二批判は取るに足らないことが判明する。
それにもかかわらず、ユージェンらのように、錯誤取消制限という解釈論を積極的に展開しようとするのであれば、
代理権の欠缺原因に応じて細分化する、つまりその原因が代理権授与の意思欠缺による場合には錯誤取消しを制限しその遡及的無効を阻止することの妥当性を明らかにする必要があると、シュヴァルツェはいう。
一見したところ、代理権の欠缺危険について、代理法は原因中立的に、つまり代理権がそもそも授与されていなかっ
(三四一二)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三九五同志社法学 六〇巻七号 たのか、授与された範囲が踰越されたのか、あるいは代理権が錯誤取消しにより遡及的無効となったのかとは無関係に規定しているため、これら原因の種別は、取引相手方保護にあたって重要な意味をなさないかのようである。だが詳し
く検討してみると、原因別の、とくに最後の、代理権授与を遡及的に無効にする錯誤取消しについては異なった危険負担を考えうるし、この考え方は説得力を持ちうることが分かる。すなわち、前二者の、すでに代理行為時に代理権を欠
いていた場合(以下、代理権の原始的欠缺と称する)については、取引相手方が、代理人から顕名を受けていたにもかかわらず、代理人に代理権授与証書を呈示するよう求めたり本人に調査確認したりするなど適宜の安全措置
(Sicherungsmaßnahmen)を講じていなかったときは、その欠缺危険を意識的に引き受けているため、これを取引相手方に負担させることが正当化される。それに対して最後の、代理権授与の錯誤取消しにより当初代理行為時に存在して いたはずの代理権を欠くに至った場合(以下、代理権の後発的欠缺(nachträgliche Vollmachtslosigkeit)と称する)については、本人でさえいまだ代理行為の時点で自己の錯誤に気づいていない。それゆえ、取引相手方に本人への調査確
認を要求しても、本人からの適確な返答が期待できないため、上記安全措置自体が無意味である。まさにこの点に、(代理行為時に代理権が存続していたかを基準とする)代理権の原始的欠缺と後発的欠缺の違いを見て取ることができ、こ
の違いによってこそ、後者の後発的欠缺については錯誤取消しの積極的制限により取引相手方を保護するという原因分
別的解決が正当化される可能性が生まれるのである。
このようにシュヴァルツェは、ユージェンらとは異なる理由から、代理権の後発的欠缺につきその錯誤取消しを制限
する余地を残しつつ、とにかく原始的欠缺に対応した無権代理規律から単純に、行使された内部代理権の錯誤取消しが認められるという結論は導き出せないとして、通説批判を展開している。その上で﹁代理行為後における代理権授与の
錯誤取消主張﹂問題については、そもそも代理権の後発的欠缺の原因となった、意思表示法の錯誤取消規律による法的
(三四一三)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三九六同志社法学 六〇巻七号
評価が決め手になるとして、後述⑶の詳細な検討に委ねる (
。 61)
② 次に、代理法は原則として代理行為の存立(Bestand)との関係で内部代理権授与に関する本人の錯誤を重視していないとの命題から、ユージェンらが、代理行為後における内部代理権の取消しを認めることはBGB一六六条に違
反するとしたことについて、シュヴァルツェはその正当性を検証する。
BGB一六六条は、その文言・体系上、代理事例における錯誤危険の一端、つまり代理人が代理行為をする際に錯誤
に陥った危険についてのみ規律している。たしかにこの一六六条を反対解釈すれば、内部代理権授与については、その錯誤取消しを制限するという考え方は正しいように思われるが、この種の反対解釈は、一六六条が原則認められない錯
誤取消しを代理人の錯誤に限って認めるという許可規範(Gestattungsnorm)である場合にのみ可能である。ところがBGB一六六条は、許可規範ではなく厳密・明確化規範(Präzisierungs- oder Klarstellungsnorm)であり、代理行為の
錯誤取消し(一一九条)についてはその判断基準が
―
一六六条二項の例外はあるものの―
本人ではなく代理人の錯誤であることを明確にしたにすぎない。つまりBGB一六六条は、代理権を授与する際の錯誤については、何ら言及していないのである (
。 62)
このように、本人と代理人間における代理権授与の錯誤危険を取引相手方に負担させてはならないとしたユージェン
らの通説批判的命題について、シュヴァルツェは、その根拠をBGB一六六条の反対解釈に求めることはできないと結論づける。その上で、ユージェンらの通説批判について、代理人のみならず本人の錯誤までいわば二重の危険を取引相
手方に負担させてはならないとの
―
BGB一六六条とは無関係な―
原則により、たしかに法政策上は正当化されうるかもしれないとしながらも、ただ現行の代理法上、その規範的根拠は見あたらないという (。結局ここでも①同様、内 63)
部代理権授与の錯誤取消しの制限に関する問題について、代理法は有効な答えを示しておらず、後述⑶のとおり、意思
(三四一四)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三九七同志社法学 六〇巻七号 表示法の錯誤取消規律を指針とすることになる (
。 64)
③ また、本人の過失を帰責要件とする外見代理は錯誤を理由に取り消すことはできないとする通説的命題、つまり 外見代理の錯誤取消不可能性を根拠に、ユージェンらが、ましてや 0000代理権を意識的に授与していた場合は当然 00その取消しは問題になり得ないと結論づけたことに対して、シュヴァルツェは、むしろユージェンらの演繹的手法自体が逆であ
り (
るす駁反とかい ( 見全理代を表む含に般せ反映さ代るべきではな理見能外理権授与一般の錯誤取消可性、を論じた上で、その議論を代 65)
。 66)
以上①から③で見たとおり、シュヴァルツェは、﹁代理行為後における代理権授与の錯誤取消主張﹂問題について、たしかにユージェンら同様、再検討の必要性は認めている。ただユージェンらと決定的に違うのは、そもそも上記問題
について﹁錯誤取消しの制限ありき﹂ではなく、ニュートラルな姿勢で臨んでいることである。その上で、ユージェンらによる錯誤取消制限という主張が正当性・説得力を有するか否かは、次の⑶で、意思表示法の錯誤取消規律を手がか
りとして考察を続ける必要があり、少なくともユージェンらが通説批判として持ち出した代理法上の評価、つまり代理という三面関係の利益状況、代理法規律(BGB一六六条)からの反対解釈、表見代理法理(とくに外見代理)との比
較均衡論については、上記検討の結果いずれも根拠たり得なかったとして退けている。
⑶ そこでシュヴァルツェは、ユージェンらがBGB体系構成上認められた錯誤取消しの制限的修正を主張する、次の二つの評価論拠について、意思表示法の錯誤取消規律の評価パラメーター(Wertungsparameter)と比較検討する作業
に取り掛かる。
① 原則錯誤取消否認説は、通説が無制限に内部代理権授与の錯誤取消しを認めて本人でなく取引相手方に当該錯誤 危険を分配する、その不公平性を批判した (
能る的意味におけ﹁責錯誤の支配可任配配上険危てしと準基支分な平公、で 67)
(三四一五)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三九八同志社法学 六〇巻七号
性(Beherrschbarkeit)﹂と、(﹁法的行為の危険は利益を享受する者に負担させるべし﹂とする不文律に依拠した)報 償責任的意味での﹁労働分業の受益性(Nutzen der Arbeitsteilung)﹂を挙げていることから、まずこの両者につき、シュヴァルツェは考察を加えている。
錯誤取消規律は、錯誤に陥った表意者の私的自治を根拠にその取消しを承認しているため、取消し自体を判断する第一段階(BGB一一九条)において、表示相手方による錯誤の支配可能性を基準としていない。この可能性が斟酌され
るのは、取消しが認められた場合に、その相手方に信頼利益の賠償請求権という一定の保護を与えるかどうかの第二段階(BGB一二二条)においてである。つまり、この保護を取消相手方に与える条件として、BGB一二二条二項は、
この相手方が﹁錯誤の具体的支配可能性(つまり、錯誤の認識可能性と錯誤除去の可能性)﹂を有していなかったことを規定しているにすぎないのである。
後者の﹁労働分業の受益性﹂についても、たしかに代理人を使って利益を享受するのは代理権を授与した本人であるが、あくまで現行法(BGB一二二条一項)は、本人に対して
―
﹁その過失の有無にかかわらず﹂という意味では重いが
―
信頼利益の賠償責任を負担させるにとどめる。このような損害賠償的解決というBGBが構想した体系的判断を、ユージェンらは看過してしまっている。錯誤取消しの積極的制限により本人に履行責任を負担させようというユージェンらの提言は、あくまで法政策上、錯誤危険の負担方法の一つとして考えうるにすぎない (
。 68)
② 次にシュヴァルツェは、代理権授与の錯誤取消制限を試みる学説が本人による錯誤取消しの便宜主義的利用を懸
念し独自の基準、具体的には、ユージェンらの厳格な﹁貫通﹂基準、それより緩やかなミュラー・フライエンフェルスやヴァルデイヤーらの﹁重要性﹂基準あるいはペーターゼンの﹁瑕疵同一性﹂基準によりその阻止を試みることについ
て、次のように論評する。
(三四一六)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について三九九同志社法学 六〇巻七号 原則錯誤取消否認説や取消制限を試みる見解が独自に定立する複数の基準について、その違いは、本人が代理人の適性(たとえば取引経験の欠如など)につき錯誤に陥って代理権を授与した場合に顕在化する。つまり、前者の﹁貫通﹂
基準によれば、上記錯誤は表示上の錯誤とは異なり代理行為に現れていないため、この取消しすら制限されるのに対して、後二者の﹁重要性﹂あるいは﹁瑕疵同一性﹂基準によれば、上記錯誤はまさに代理行為にとって重要である、ある
いは代理行為において具体的に再映・複写されているため、表示上の錯誤同様、取消しは認められる。
しかし、そもそもBGBは、一一九条一項で﹁代理行為後における代理権授与の錯誤取消主張﹂問題も含め規律して いて、(錯誤者が﹁事情を知り、かつ、その事情を合理的に判断すれば表示をしなかったと認められる﹂という意味の)﹁重大な﹂錯誤を要件として取り消すことを認めている。この﹁重大性(Erheblichkeit)﹂基準によって、次の三つの場
合が示すとおり、本人による錯誤取消しの便宜主義的利用は十分阻止しうる (
。 69)
第一は、本人が代理人の職業経験につき錯誤に陥っている(BGB一一九条二項)が、たとえこの錯誤を知っていた
としても、この者に代理権を授与していたと考えられる場合である。この場合、当該代理人の適性錯誤は明らかに重大ではないため、これを理由とする代理権授与の錯誤取消しは認められない。
第二は、本人が五万マルクを上限とすべきところ誤って六万マルクとして購入に関する代理権を授与してしまった
が、実際に代理人が購入したのは三万マルクであった場合である。この場合も当該代理権の範囲に関する錯誤は、たとえこの購入価格が本人に不利であったとしても、﹁重大性﹂基準をクリアーせず、これを理由に取り消すことはできない。
なぜなら、代理人が、本人から本来授与されるはずの五万マルクの購入代理権を与えられていたとしても、とにかく三万マルクで購入したと考えられるからである。
第三は、第一の場合とは異なり、本人が代理人の職業経験に関する錯誤を認識していれば、この者に代理権を授与せ
(三四一七)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について四〇〇同志社法学 六〇巻七号
ず、自ら取引行為を行うか、あるいは別の第三者を代理人にしたはずであるが、ただ(今実際に行われた代理行為が本
人の業務上通常一般的な取引であったとか、市場適合的取引であったなど)自らあるいは第三者であっても同様の行為をしたと考えられる場合である。この
―
ユージェンらが2、のもな大重は誤錯該当も⑴合場
―
たしと例設で頭冒と はいえない (。 70)
このようにシュヴァルツェは、本人による錯誤取消しの便宜主義的利用が懸念される三つの場合について、あえて統 一性を欠くとともにその結論に差異を生じうる﹁貫通﹂、﹁重要性﹂あるいは﹁瑕疵同一性﹂基準によるまでもなく、BGB一一九条一項所定の﹁重大性﹂基準を駆使すれば十分妥当な解決が得られることを実証したのである (
。 71)
⑷ 以上の考察結果から、シュヴァルツェは、結局ユージェンらに代表される原則錯誤取消否認説の通説批判は意思欠缺ないし錯誤取消規律の保護構想自体の原則的修正を迫るものにほかならない、つまり取引相手方にとってBGB一七
九条や一二二条による損害賠償責任的保護では足りず履行責任的保護が必要であることに向けられていると結論づけた上で、彼らの批判が現行法の解釈論として成り立ちうるかについての検討に移る。
ユージェンらの、錯誤取消しを積極的に制限する原則錯誤取消否認というコンセプトは、意思欠缺ないし錯誤取消規律が表意者とその相手方という法律行為の二面関係に適合するよう作られたものであり、第三者たる取引相手方を想定
した代理の三面関係には妥当しないという命題から演繹されている。しかしながら、取引相手方について、損害賠償責任的保護では原則不十分であるという特段の事情(たとえばとくに判例上認められた継続的契約における長期履行関
係)は見いだせない。そしてこのことは、代理行為がなされた後で内部代理権授与が錯誤により取り消された場合における取引相手方保護という当該問題についても同様であり、原則として損害賠償責任的保護で足りる。たしかに意思欠
缺がある場合でも、当該法律行為の取消しを認めないという解決方法も考えられなくはないが、それは、あくまで当該
(三四一八)
代理行為後における代理権授与の錯誤主張の制限可能性について四〇一同志社法学 六〇巻七号 行為の履行に移った後で、その巻き戻し(Abwicklung)が事実上不可能であるとか、損害賠償責任的保護では填補できない相手方の利益侵害が発生したといった例外的場合に限られている。とにかく内部代理権に基づいて代理行為がな されたというだけでは、いまだその履行に着手されたわけではないから、上記場合に当たらない (
評任する取引相手方の履行責的志保護を過剰であるとまで向のツ説このようにシュヴァルェは、原則錯誤取消否認⑸ 。 72)
し、それが解釈論上成立する可能性を原則否認し通説支持を打ち出す (
。 73)
そして最後に、BGB体系構成上所定の取引相手方保護、つまり条文上、取引相手方が損害賠償責任的保護を直接求
めることができるのは一七九条によれば代理人のみにとどまり、内部代理権授与の錯誤取消しをした本人が損害賠償責任を直接負うのは所詮一二二条によれば代理人にすぎないという結論について、評価適合的であるか、最低限修正を要
しないかを検討しておく。
シュヴァルツェは、上記結論によれば、代理人が無資力であるとか、未成年者のためBGB一七九条三項二文により
その責任を負わないときは、その危険を取引相手方が負担することなどから、当該危険分配を﹁不十分﹂であると評価する。もっとも、この再分配の必要性だけでは、取引相手方に直接本人に対する保護を与えるべきという修正的主張を
正当化できないとして、代理権の﹁第三者(たる取引相手方)指向(Drittbezug (
。特るす目着に性的在内ういと)﹂ 74)
BGB三一一条(法律行為上及びそれに類似した行為上の債務関係)三項は、契約準備に関与しない第三者といえども、ある事実状態に対する信頼を惹起した場合、その責任を負わなければならないと規定しているが、この結論は﹁ま してや当然(erst recht)﹂、同じ状況下で権利外観が惹起された場合にも当てはまる。なぜなら、権利外観責任は、法倫理上その他の信頼責任よりも強いものであるし、また本人は、代理権を授与することでその﹁第三者指向﹂を認識し、
(代理人による代理行為を介して)第三者たる取引相手方に代理権の有効な授与を信頼させていることを覚悟せざるを
(三四一九)