ジュリアン・ジャクスン
『フランス人民戦線史 民
+t
義の擁護←•九三四~三八年—』(渡辺)ッ
I¥
^九九
1年度の歴史学界を阿顧した
9
史学雑誌﹂の﹁ヨーロ︵現代ーフランス︶﹂部門を担中けした田中正人氏は︑ゴ訳内
の多いことに﹂燈きを表明すると同時に︑戦間期の業績につい ては経済史の領域以外にはほとんどなかったことを指摘して いる︒たしかに近年の歴史学ジャンルの翻訳事情は︑中世から 近代初期のヨーロッパ社会史の翻訳があいつぐという特徴を持
振津純雄訳︶
擁 護 九 三 四
\ 三 八 年 ー
﹄
ジ ュ リ ア ン
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一 三
五
わが国の一九三
0
年代フランスの研究も低調であ ったことは否めない︒このような文脈に本内を置いて考え合わ せると︑本書の意義がいっそうきわだつ︒なぜなら本書は︑第 一にフランス人民戦線というフランス現代史卜の政治的﹁大事
件﹂を扱った書物の翻訳であり︑第一一にわが国ではここ数年︑
現在の研究水準に立った人民戦線のモノグラフが内かれていな いという事情があるからである︒バランスのとれた人民戦線史
を叙述した平瀬徹也氏の〗フランス人民戦線し(近藤出版社)は、
一九七四年の出版であった︒厖来一八年︑そろそろ一八年間の
渡 辺 和
︵向井喜典︑岩村等︑
﹃ フ ラ ン ス 人 民 戦 線 史 ー 民 主 主 義 の
‑ T p
ノ イ
1 2 ‑ ‑ ‑ ‑4 ‑ ‑ 6 7 7
(香法' 9 3 )
れた内容の農い代口物となった︒
それ
は︑
本文
のみ
で二
段組
で一
.^
がって1九八八年に出版された原朽は︑
彼の研究歴に裏打ちさ
第五章
﹁自由﹂ー民主
t
義の擁護 第 二 部 権 力 の 行 使 ー 平 和 と パ ン と 自 由
著者は/几:
・ : o
年代フランスの経済政策の研究から出発し︑近 年は人民戦線の文化政策に関心を移しているようである︒した
第四章
文化的爆発 第二章
スンの研究歴も︑このような人民戦線の研究史を反映している︒
社会的爆発
第一一部爆発 第二章
指 導 者
第1章人民戦線の起源 も︑視座の変化は表れている︒炭.﹁シンボル﹂" " ぃ ー その紹介は︑
﹁イ
メー
ジ﹂
・﹁
余
といった新しいテーマから始まり︑﹁地方﹂.
﹁知識人﹂.﹁キリスト教徒ーと続き︑﹁スペイン﹂・ー政治﹂が最
後に叩いかれるという構成をとっていた︒英国人の歴史家ジャク
第一部
政権への道 序章
人民戦線ー経過の説明
レ—ヌ・ルベリューによる人民戦線の研究動回の紹介の仕方に
ある
︒
んだ日常生活史や社会史の研究へと変貌を遂げつつある︒
ヽ
7
ド
゜
るヽ~てし
本書は五部からなっており︑その目次は以ドのようで
政治史・外交史・経済史中心の研究からこれらの領域を含みこ
た政府としての側面である︒
この
立場
は︑
本内の構成にも表れ
すでに廣田功氏がパリとストラスブールで開かれた人民戦線
の五
0
周年記念集会の珪調を報告したように︑人民戦線研究は︑成果を踏まえた人民戦線史が内かれてもよい頃である︒本内の 翻訳刊行が︑わが国の研究事梢のなかでは意義のあることが
f
解できるであろう︒以じの一般的意義を確認したうえで︑本屯
r
の書評に移ろう︒
人民戦線をトータルに描く歴史内がイギリスに欠けていた状態
著者の基本的立場は︑人民戦線が初めから﹁消極的な連合ー
であり︑国際情勢の屯圧によって解体したとい
うも
ので
ある
︵:
︱‑
九ペ
ージ
︶︒
そのうえで拷者は︑人民戦線を
‑ 1
つの性格を持った現象として把握する︒第.に大衆運動とし
ての側面︑第二に政党連合としての側面︑第二に権力を行使し
︵五
ニペ
ージ
︶
がで
きる
︒
を埋めようという著内の意気込み︵序ば︶をそこに感ずること 三九ページという本内の分吊にもぷされている︒
われ
われ
は︑
口
̲ ̲
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1 2 4 -~678
(香法' 9 3 )
ジ ュ リ ア ン ・ ジ ャ ク ス ン
I
フ ラ ン ス 人 民 戦 線 史 民t1
・:義の擁設一九三四〜ー:八什:』(渡辺)ミンテルン内部の議論・ソ連外交の新方向との 転換をモスクワ起源説によりつつも︑
万.
︱市
の相
吐作
一 三
七
和 ︑ E
義的文化活動の多様な形態や余暇の組織化が明らかにされ
フランスの国内政治・コ
︵一
一.
九ベ
ージ
︶が
テー
マで
あり
︑
ト ︑
4
ク けて若察を進めている︒彼は︑.九1•1四年六月の共産党の戦術つま
り
ー芸
術と
論にフランス共廂党の連動方針や党内巾情とを打機的に糾びつ 理由が検討される︒行者は︑
ソ連外交とコミンテルン内部の議
~)
之)そこでは共産党の戦術転換の理由や共賄党の人閣拒否の
ヽ
歴史的論争に^澗究していることである︒この点を本桂りにそって
人民戦線の終焉 本内の第一の特色は︑年代記的構成をとって通史としての性
格を持ちつつも︑
見てみよう︒第一部は︑人民戦線の形成過程を政治史的に扱い
テーマ別の構成を合わせ持たせて人民戦線の
第一一部は︑大衆連動としての人民戦線が叙述され︑民衆のマ
終 章 人 民 戦 線 の 歴 史 的 位 附
ある
︒ 第 十 章 検 視
第五部 第 九 章 布 炭 の 見 解
に描かれる︒注意すべきことは︑
これら四人の指導者像が個人 第八章
統一の神話
ーズ
︑
エドワール・ダラディエ︑レオン・ジュオー︶
が伝記的 第 四 部 連 合 と 対 抗
政党と労組の四人の指尊者︵レオン・ブルム︑
第七章
﹁平
和
L
ー矛盾 第六章﹁パン﹂ーブルムのニューディール
モーリス・トレ 用の結果﹂︵四一ページ︶と見る立場を提ぷした︒人閣拒否も
1 1
様の図式で説明される︒また第二章では︑人民戦線に集まった を越えて︑社会︑E
義・
共産
︑
F義
・氣
進︑
F義・サンディカリスム というフランス左燦の屯要な政治文化の説明になっている点で
ンタリテにまで跨みこんだ分析がなされる︒第三背ャのテーマは︑
一九三六年のストライキの起源とその慈味である︒
年の獲得物をめぐる攻防が︑労働運動史として一↓一八年まで追跡
され
る︒
し)
る゜
と捉えるのではなくて︑
こ一
^冗
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.﹄"‑,ノさら ストライキの起源については︑ジャクスンは陰謀説を否定し︑自然発生説によりつつも産棠祁門によってはストライ キの初期段階で組合活動家の意識的介人を認める立場に立って
ストライキの意味については︑行者はストライキを吊命
﹇場規律の恐怖から解放された労働者 が連帯感を高揚させて作り出した祝祭と衿えている︒第四章で
は︑人民戦線の文化政策が立体的に描かれる︒
政治と余暇との相互関係﹂
12 . . 4 ‑ ‑ 6 7 9
(香法' 9 3 )
巾などのテーマが探求される︒第五章で︑明確な植民地政策を もたなかった人民戦線は︑植民地に﹁自由﹂をもたらさなかっ
たことが明らかにされた。購買力政策•平価切ドげ・プラニス
ムなどの経済•財政政策を論じた第六章は、
薬籠中のテーマであり論旨も明快である︒第七章で外交が論じ
られ︑﹁平和﹂を掲げた人民戦線が﹁戦争﹂に備えなければなら ンス経済に仔えた影評︑
ジャクスンの自家
スペイン内戦に対するト
r
渉政策の理本書の第二の特色は︑ る ︒
これまで比較的触れられなかったテー
( 1
四八ページ︶の打破である︒もちろん的者は︑文化の発 暇が一夜にしてフランス労働者階級の生活の特徴となることは
第
. .
一部で︑政府としての人民戦線の諸政策が︑﹁パンと平和と
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‑
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L t
ー L
という人民戦線のスローガンにしたがって述べられる︒
人民戦線の柏民地政策の目的︑週四
0
時間労働制の実施がフラ
なかった﹂
.i.Lo\
—ジノ(illノ
点に注怠を喚起している︒ 給休暇﹂が実際にどのように利用されたのかをフォローし︑﹁休
する政治行動をポすにいたったが︑人民戦線を構成する諸組織 の組織内対立や組織間対立によって人民戦線が解体していくさ まが分析される︒第九章で︑保守党や布燦リーグと宋教弄と廂 業界の対応が検討され︑右翼勢力の不統一が明らかにされた︒
第五部は結論部であり︑
人民戦線の成果と人民戦線がフラン ス社会と歴史に仔えた衝撃について総括される︒ブルムの辞什 の理由がテーマである︒拷者はこれまで論じられた諸理由に加 えて︑辞任によって連合としての人民戦線の団結を保持した点 を強調する︒以上の紹介からも分かるように︑時系列的構成と テーマ別的構成とが縦糸と横糸としてうまく織り合わされてい
マにも光をあてていることである︒第二章のダラディエ論は︑ 仙者と受伯者の双方についての吟味を忘れていない︒さらに五ロ
ランス人が︑
人民戦線期には白発的に組織に加人し団体を結成 準 ﹂
点が当てられている︒第八章で︑梱人︑E
義的政治文化を持つフ
つまり﹁即辟ゎを破壊せよ﹂というスロ
ーガンにあるように︑﹁民衆と文化との間の節準︑文化表現のさ
まざまな形式の間の︑観客と出油者との間の︑創作者と文化の 消費者との間の︑過去と現代との間の︑科学と芸術との間の仰
の人民戦線が崩壊にいたる過程の力学と︑
右炭勢力の対応に焦
第四
部は
︑
一九三六年から
1
バ八年にかけての政党連合として1 ページ)り1•1
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であ
った
︒
映画の民衆への普及であり︑
1
現存の伝統的文化の民ヽじ化﹂︵一 た︒そこで志向されたものは︑文化・芸術・スポーツ・旅行・
フランス
国内の政治情勢を重視する著者の見解は妥叶であり︑英米仏
1
・
1国通貨協定をめぐる交渉が政府の対スペイン政策の手足を縛っ
たという指摘は重要である︒ ないジレンマが描かれる︒スペイン問題については︑
一 三 八
1 2 4 ‑680
(香法' 9 3 )
ジュリアン・ジャクスン
『フランス人民戦線史 民 :tt 義の擁護—--九三四~三八年ー—l (渡辺)
へのコメントは打益であり︑初心者にも分かりやすい︒
本内の第四の特色は︑社会史的手法の適用である︒第二部や
自の創見があるわけではないが︑論争点の
F
際よい整理とそれ
すな
わち
︑ 今日求められている
一 三 九
﹁非人間的労働の人間化﹂が開 タイルを創り出した原点が戦間期の社会であることが分かる︒ 律︑時短や余暇︑芸術や文化など︑今日のわれわれのライフス かつ人 て政治的な運動であった人民戦線﹂ ていない︒しかし人民戦線による余暇や文化の提供が︑﹁すぐれ
の﹁非政治化の過程に奇
tf
した﹂︵;五六ページ︶という逆説も芳者は忘れていない︒
また
第五章の海外植民地間題や第九章の共産党による﹁手をさしの
( 6 )
べる﹂政策へのカトリック勢力の対応や︑﹁経営者の復讐﹂は注
目に値する︒この第九章によって︑左れ両翼を含んだ人民戦線
期のフランス社会が令体として明らかになったからである︒
本内の第.の特色は︑人民戦線の歴史的論争を巧みに幣理紹
介していることだ︒
それぞれの論争について︑斬新な見解や独
一九
六八
年と
一九
一ニ
ハ年
︑
ことを示した︒ 現代史にも社会史的アプローチが可能であり︑かつ必要である を想起させる︒つまり民衆連動と祭りの結合である︒本程
n
は ︑
を人れたところであろう︒
.︑:ページ︶であると指摘している
﹁
カ国民的和解の買竹﹂(‑ノ︱ ヽ ヽ `9
︑
J‑︑, 1
よ入ノ共和ヽ・ト義的な文化統合が意図されていたことも行過し
線り歩いた人々が多くいたことは︑連盟祭などの
7
吊命祭
典﹂
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とか
︑
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"
〇 . l 1
ルノワールの映画ニフ・マルセイ
J
ーズ
わが国でも研究されていないテーマである︒第四章の
のテーマ
爆発﹂は︑割かれているページ数からしても著者がもっとも力
そこでは︑文化からスポーツや旅行 や映画にいたるレクリエーシ3ンの提供とその実態が描かれて
いる︒しかも単に実態を描くだけでなく︑﹁旅行は娯楽であるだ
けでなく︑フランスとソランス史の発見であった
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フラ
ン
シャリバリや
﹁文
化的
シンボルに言及した第八章が好例である︒
場占拠ストライキのなかで模擬裁判や模擬葬儀が行われ︑職
L
長の人形を梁につるしたり火あぶりにしたり︑
とで
ある
︒
代の幕開けであったことが指摘されている︒ また人気のない
坑内係員を行列の先面に立つよう強制したりと︑
モラル・エコノミーといった民衆文化の蘇生をそこに読みとる ス吊命時代の衣裳を着て︑大革命の事件を描いた山車を作って
本書の第五の特色は︑現在的関心から著者が執筆しているこ
一九
八一
年と
一九
一・
一六
年 とが比較されたり︑人民戦線期の文化政策が文化の大衆消費時
また現代まで人民
戦線が政治的にどのように論じられ扱われてきたのか︑
民戦線の時代を生きた人々によってどのように記憶されてきた のかをも明らかにしている︒本内を読むと︑労使関係やじ場規
一九
1
.‑
六年
六月
の下
1
1 2 ‑ 4 ‑ ‑ 6 8 1
(香法' 9 3 )
年ではなくて一八九八年である︒
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山史 学雑 誌ぢ 中
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/編第五号 も一部拙訳である︒ 目についたのが非常に惜しまれる︒
一九
九.
一年
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ー 一
几
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このため本耗贔町の引川訳文
( 9 )
本茸
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が好著であるだけに残念である︒であるし︑
はなくてジャン・ゲーノであり︑人権同盟の創立は︑
↓ ー ︑
L.
︑
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での訳語のが統一︑
さらに一字から:二行にわたる脱文の脱洛が
e
;ヴァンドルデイiの編集者は︑ジュール・ゲーノで
であ るが
︑ そ の 訳 文 は や や 生 硬 で あ る う え に
︑ 誤 訳
︑ 訳 者 の 間
ーダーょ︑
9 9
ごュンツェンブルクではなくてミ上ンツェンベルク
このように今日の人民戦線研究の成果が散りばめられた本内 些事に属する苫者の因出であるが︑
コミンテルン西欧屈のリ
読者はフランス人民戦線の最良のガイドを得たのである︒
.I
‑ r .
と述べているが︑
本内はそれに成功している︒
と文化の三領域の闘争として人民戦線を描いた本内によって︑
け て い た 総 合 的 な 考 察 を 提 供 し よ う と 怠 図 し て 机 に 間 う
﹂
︵ 序 線 研 究 と し て も 出 発 点 と な る 文 献 で あ ろ う
︒ ファシズムと恐慌
ように先行する研究が
t
ご分に消化吸収され︑現時点での研究
の決定版となる可能性が邸いパスカル・オリーの研究がいまだ 織 ︑ 九三六年﹂ハ月の地方のストライキなどがその例である︒
‑ .
1 1
の地 方 の 状 況 や 反 フ ァ シ ズ ム 知 識 人 監 視 委 員 会 の 地 方 糾
本内の第七の枠色は︑
そ の 総 合 的 見 地 で あ る
︒ 注 に 明 ら か な
の総合が目指されている︒著者自身︑﹁本内を⁝・:これまでに欠
叙 述 に 加 え て
︑ 文 化 闘 争 な い し 文 化 吊 命 と し て の 人 民 戦 線 を も
( 7 l }
読 者 に 教 え た︒ 社 会 史 や
1 1
常牛 活 史 の 影 評 の も と
︑ こ の 分 野 で
(8 }
の国際的比較もすでに始まっている︒人民戦線の文化政策研究 出
版 さ れ て い な い 現 状 で は
︑ 本 内 は
︑ 文 化 闘 争 と し て の 人 民 戦
けでなく地方の動きについてのパ及も多い︒
1L:•Ll ド'
. .
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『
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ー
.
ズ ム と 反 恐 慌 と い う 二 つ の 闘 い に つ い て の 均 衡 と 抑 制 の と れ た
ツキストや左料急進ヽじ義者への一↓け及がそうである︒
またパリだ
トロ
始されたのがこの時代であった︒;ブルムの実験﹂が︑現代社会 とダイレクトにつながっていることが︐
J
解できるであろう︒本
c t t 日の第ハの特色は︑日配りの効いたバランスのある叙述を していることである︒人民戦線形成期の氣進党の対応や︑
これまでわが国の訛者は︑反ファシズムと反恐慌闘争として の人民戦線しか知らなかったと
: ‑ n
ってよい︒本書は︑反ファシ
四
一 四
〇
1 2 ‑4 682
(香法 '93)ジ ュ リ ア ン ・ ジ ャ ク ス ン
『フランス人民戦線史 民
t : +
義の擁護一九三四〜二.J¥年ー』(渡辺)c
\ ー ゞ
/
0
( 2
)
廣川功ーフランス人民戦線期のバロ常牛話︐
I
五0
周年
:叫 念 集会をめぐってー
□社会経済史学﹂第五四巻六号︑一九八九年︒
ストラ人ノール集会に提出された倫文については︑江ぃ会運動ド
誌に掲載されたー付給休暇﹂特
1
によってそり仝容を知ることがで きる
︒
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19 89 ).
(5
)
この点は︑拌者も不
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渉政策の経済的罪由として数年前から 考えている論点である︒不
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渉政策については︑渡辺和行﹁不r
渉政策の決定過程﹂︑M ,
不
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渉とフランスt t t
論一九
. .
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ハ ﹂9
香川法学9第.こ巻第•:号、第四巻第....号、一九八. .
—四
一
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(6)7経営者の復讐
1
とは本R 1 1
第九此早の小見出しであるが︑コルボ
ームのi者作を怠識したネイミングである︒Ingo
Ko
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L( 1言 ミ︑
︵ミ ミ姿
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︵ミ こ恙 志言
( P a r
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19 86 )
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( 7
) 邦語文献では︑すでに激
1 1 1 功ーフランス人民戦線の︿文化吊
命﹀の.側而
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中央人学人文科学研究所糾希叩と幻滅の軌跡
n
︵中 央大 学出 版部
︑
1九八し年︶がある
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一九 九
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年九月脱稿︒
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ミonu1[(~f
Co
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History•
v o l .
2 4. 1 98 9.
クロス論文は︑英仏の余暇を論じてい
る︒なおイタリアの余暇の組織化については︑デ・グラッツィ
ア︑曲豆卜楢彦その他ぶぶ不らかいフrシズム﹂︵打斐閣︑一几八
九年︶があるし︑ナチス期の
1 1 常化活史や`ーからの社会史し
の
F
法による文献が数多く出版されていることは周知の巾実 であ る︒ 内評脱稿後に側間するところでは︑本訳内の新版が用怠され
ているとのことである︒昭和常編集部の"央断と良心に敬意を表
した い︒
詔和常︑
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