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福島県白河市近傍の地形地質について 特に白河炭田の層序學的研究-香川大学学術情報リポジトリ

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全文

(1)

乱徳

福島県白河市近傍の地形地質について、

ク、、

特に白河剋耶輝学的研究

替 :資

Studieso孔the geographyandgeologyofthe Shirak

districtin Fukushima pIefectuIe,eSpeCially,On the

stratig・IaPhicalst11dyoftheShirakawa coalfield

By

Minoru SAITO

(Laもα・atOfy\占f′EaI也Science) Ⅰ.序文 ∬.位置及地形 】旺.化昔

1.概説

2.各説‘(倉浄比) 3.地質構造特断層 衆 ・・■∫ ノ 〔Ⅰ〕序 文 本地域の地形,地質上の研究に」は,東京文理大,藤本博士の八溝山泳の地形並びに其の古生層の研 究,最近同大学,河田教授の八満山塊の地質等の研究あるのみ笹て甚だ蓼々たる感あり.然れども, 其の南部隣接地区たる茨城県大子・,鳥山及び両島県棚倉地域は夫々諸学者,諸華聾の詳細に亘りたる 御研究が多数なされておる.筆者は此等南部地区を延長し,猪苗代湖東岸に.発達する海成第三紀層と の関係をみるべく,主として本地域全般に亘りたる層序学的臍究と,更に.近時に於ける石炭資源の重 要性から本域内東部を占める白河炭田の再検討を目的として1950年以来調査に従者し,其の観察をま とめて本報告となしたのであるが,時間の都合により又漢学のため所期の目的を達し得ず,唯従来の 智故に一・歩たりとも加へ得たりとす・るものあらば幸甚とする次第なら.葡調査研究に際し終始御懇 切な御指導を賜った,東北大学理学部教授半沢博士,同工学部数授江口将士,並びに熊本大学理学部教 授遠藤博士,及碇々と御助言を戴いた発京教育大学河田教授に対し,深く感謝の意を表すると共に・特 に今回の調査研究に際し,特別の御便宜を与へられた香川顔料大学長黒上博士に対し深甚の謝意を表 する.叉図面作製に終始その労をとられた本学副手中山一儀君並びに.本学学生山下泰雄君に厚く御 礼を申上げる. 〔正〕位置及び地形 本調査衰城は,栃木県那須郡及び福島県西白河郡・岩瀬郡に亘る地域にて,地理調査所地形図20方 舟乏1白河。示高島・同地形図5万分之1大田原。白河i棚倉。長沼。須賀川・各国幅中に含まる南北約 45km,東西約20kTnに及ぶ狭長の地域にて,其の間に大田原町・黒羽町。芦野町。白河市。長沼町が 位置し経々の中心地をなす・.特に白河市は閑■東奥羽の分岐点にして盲尭より交通の要地なり.

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本城ほ,ノ奥羽地如こ通ザるの咽喉に.して,域内は血圧多くし七山楯は高原睦め痙ぬとして,此れを 画武陳平原よ′り望め甘吏其の状恰も億台の如し.即ち其の西敵をなす山晩は,塩尿火山。那須久山より 滋超して白川布引山を経て八幡嶽。笠ケ廟。磐梯山こ吾穿山等より成る頂北日本背東山賑を形成す るものにして,その走向は外与ど,南より弗するものなり・しかしで此等詔火山ほ城内に広大なる裾野 を引き就中郭須山は本火山列の盟主に.して海扱1910煎現㌢こ噴煙絶え間なき活火山せある.′主なるも り,此れを那須五獄と云ひ,是等火山群ほ,†南北に列をなして速く裾野を葡南方に引いて おるのである.叉東棟をなすほ八満山肱申 の の入港山塊にして,\南より北して阿武隈平 原に鍵ヰし,その東亜を澄も阿武隅山泳に 連るものであも.墟和ま漉等南山脆にはさ まれたる鋏小め地主如と.そ,′その南部は,祈 ㌦ナハ・ . ・賓.〟 謂辞川,郡馴一に依りて形成されたる郵須 根 白河布引山 ▲沌 ハ︶ 野ケ原複合屈状地にしで∴此れほ北西に漸 次昂起t七人痍山塊を知嶺廃山との掛とぉ る野磐画境をなす明神及び主黒川の廠卓 (400⊥50白血トを敵え.で白河盆地に低下し・ 又北着紅前寵宥恕山鹿の衆知こ旛掛400∼ 500mの丘痩が存在して,乗車なる段丘を形 成せヰ.、本地域はン,中生代。新生代の地層 及び㌍由嘉う火山岩等より成りその地形も 自らそれに度配せら身いセ夫々特勉あ為適 貌を皇し,此れを通観するときほ兜第三紀 層区。償≡紀層区及び索四紀層区其の外火 山裾野と四大即せられるのである.、各区に 於けも地形の詳述は此れを他日にゆずると して,此所でほ童として段丘に付いて概述 する∴前述の如く本地区ほ,地形が非常に 良く地層の分布に影響せられるために,段 丘の舜達ほかなり著しいものがある. (り最上鱒段丘 (2)上琴段丘 (3)中段段丘 (4)下段段丘 蝕 m 八郎 小磯 図‘1地形大観 以上の四段にして段丘分布図を参照

知荷川由■衰及び白河南部の所謂入港山系にその著しき発達を見る・その外,第三紀層に属すとほ云

へ,北方分水嶺をなす八幡軌及び笠ケ森等も本段立面に相当す恵ものなるべし・倭蝕極度に進み銃

き崖面ほ随所に見らる.しかして此れを形成するのこは靡砂岩・顆枚岩に・して北部に於ては欝≡紀層の

砂岩及び頁岩。英次岩なり.此等八満山系に於ては;弓00∼700mの台地地形か見られ北方八幡獄並

びに笠ケ森等ほ,同様長針日する事に依り−・つの平坦面を恩はしむ・

しかして青木教授。田山博士の「一関寓構造盆地,掛こ′その西辺部の地形及び地質に就いで」の卸訝

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1衆 究笹於て覇成田段丘と、!ノて特利にご区別せられる魯をさけ節多摩鱒城に包含せられたる所謂PTT面に・ 相当す・づきものなり、・本革ほ部分的に・ローム層の分布を認め得るの冬で,谷間凹卿こ二郎勺ロ㌻一ム畢 を推領しあるも礫層ほ頻れを快く:・以下八準の準平原とレて琴に諸学翠樗依り檻々論ぜられてお争 から省略す. (2)上段段丘 此の段丘群ほ,本地城中最も顕著な る丘陵なり.ノしかして嚢上嘩段丘とは 明瞭なる境界をなす.本段丘に属する

ものほ八鹿山塊の北棟部,及び西級

部,並びに白河周辺地区,其の外長沼 ・白方方面に稜々なる南港を以て, として第≡紀層区に広く発達を見るJ 時として第四窺層及び千枚岩・片麻岩 釆より成る.那覇川以西に於て250∼ 80坤、(大田琴丘陵)以東に於て如0∼ 2∂0甲(黒羽丘陵),白河周辺及び北方 地区ほ400∼卑00m内外であるi本段卑

を形成せ挙、ものほ,第≡托層の砂巷・

貫岩及び凝衣岩なり.しかし融村堀之 内・釜千村形見・大屋村大屋附掛芋於 ては其の基磐璧雫傲岩・片麻岩より成

る.叉白河周辺丘陵は,第四紀層の石

英安山岩畢びに其の凝次岩,大田塀附 近●黒羽附近丘陵ほ第四紀層の部須琴 塊岩層より成る.此等の浸蝕虔は仙台 附近に発達する育英山を想はしめT面 に対比す・その分布を革段丘図に於て捺 戯たる如く最上隼段丘たる八旗山系及

北方分水嶺の内方に直接し,又はその

延長と考へらるゝものほ孤立して或は 半島状に中段段丘面上に位置する.朗 に依りて段丘堆積物の全然認められざ りし朗ありたるも形状より推して段丘 面と考へたるものあり.此の段丘上に ほ白河以南に於て関東ローーム層が割合 に良く発達し,下俄に礫眉の発達を見 ずして直接基準岩額に不整合関係を以て接す朗多し.但し大田原・鼻羽地区ほローム層下にうすき礫 周布す,称こ白方附近丘陵は段丘礫層の発達著し・本段丘に鳳する主跨る丘陵をあげると次の如し. 大田鱒丘陵・黒羽丘陵・,芹野・丘陵・金山丘陵・長償丘陵・申方.丘陵. (3)中段段丘 此の段丘榛筆者が白河段串と凝名せるものにして主に.第四紀層より成り扇状地礫屠と掛、甲_・ム

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17 の健積商なり・その外白河町。長溜町等を形成せる盲期段丘礫屈面なり.若年地形を呈し,その表面

ほ平坦にして彫刻せられること殆んどなし・叉河面に沿ふてゐる部分には,ローム層下に.新靭礫層の

分布するものありi此れも同∴面としてM面に対比する. 炎に前述の上段段丘と中段段丘との問に中間段丘を区別す・此れは中段墜丘上に精々明瞭なる丘 陵をなして存するものにして,上段段丘と喀窄易笹箪則し得るものに対・して特笹中間段丘と.して上

下村れよりノも区別しおく・他の段丘の分布ほ,魂須野ケ鹿の中段段丘主に北西∼南東わ軸を有する

数条の割合低き丘陵あり.叉須賀川町西方の高台等本市に嵐し得べき、ものなり▲

(4)∴下段段丘 阿武隈川・都妄 段 丘 表 関東癒渡 川等を始め,各河 川の周辺転分布す る数段の河成段丘 Ⅰ群にして,特に隣 計帳机。金喰川・ 紅花川等の石華安 山岩質凝次岩より 成る地区を流下す る河川の流域に菅 しく春海サ.河鹿 段丘礫層の面にしてその上位虹ロ−ム癖を軟く. 加 地

(、1)一概瓢∴

本地域に発達する地層は,片麻岩い千枚岩系及び八溝中生層ナ第≡紀層↓第四由廟なり.前項地廟 に・於rて述べたやうに凍南方八橋山地 り,叉南方富士山より西北∼薇南に・÷発達する丘陵を形成庭草は!千枚岩!片麻岩席である.しかし七 中央低地帯を形成するものは,第三由層及び第四紀層であるし・八東中生虐は儀あ梅坪絃砕ける花崗閃 緑岩によりて見れ随卿こ接触変成岩を生じ,千枚岩・片麻岩剰納武野の本体、より機塵をなして分離 せるものに・して,千枚岩,片岩額片辟岩等より成る.本地城西有り難須火山群の存在により中央低地 帯十革は,火山砕層蜘こよりて被黍され第三鹿層の発達は著Lく痙限せられ,唯南に於て部濁川の僅 軌こ僅かながら露出し八溝系とほ断層を以て接する沓掛層,又中部に於てむよ入港系と不整合,千枚嘉 †片麻岩系と断層で境されたる棚倉植物化石層あ、り・更に北部笹於てぼ下■部守屋層及び上部守屋層あ るに過ぎず,前記諸層には不完全ながら揮わ¢g鱒βル)rαゝノ弼gO脚β/ム鋸乃β/を多産し,その上隼龍あ る第四紀の白河石英安山岩及びその凝次岩層により不整合に掛まれその関係は仝く断たれ周序的関

係は不明なり・仝層を通じ凝衣岩の発達ほ著しく当時の火山活動の嘩烈さを物語るものである.以上

各層を更に不整合に被番する那須集嘩岩層あり.主として南部地区に発達す.更に此れを不整合に被

覆する関東ローム層あり.その外各河川の周辺に分布する河成段丘礫層及び氾濫原礫層あり.

(2)各説 各層に関してほ他の機会に詳述することとし,今回は略述に・とめ白河炭田の層序並に植物イヒ石に付 いで詳述するものとす a)千及岩・片麻岩系

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Ⅰ8 本地域に於ける千載君。片麻岩系は,頂芳高野村′J、瓜より五箇村形見を通り阿武隈川を横切り,鳥 峠を経で速く岩瀬即牧本村附近迄細長い帯状をなして西北一東南の方向に発達せるものにして,南半 は第三系己植物化石屑と断層を以て頃し,北部に於ては第四紀の白河石英安山岩及びその政次岩に・より て不整合に・蓼ほれ僅かに低地に 露出す.本来ほ従来の御帝新暦 に属すべきものにして,阿武隈 の本体より断層に・より一分離した る塊鼻なることは明瞭なり.甫 より北するにつれて変質度は高

く、即ち南に於て,千枚岩を主

としユ部絹重砲片岩及び珪岩な り.その SGhistose plain はN

200⊥300W北するに付れて準

片麻岩を蓋とし正片麻岩,石英 片岩此につぎ鮎b王stose.plain N60∼150Wである.(各変成岩 についての記戟ほ此れを省略 す). b)入溝系(附火成岩) 本地域の凍南方にある八瀞町 境を形成する非常に厚い層で, 北端は敢川,西縁は那覇川及び その支流たる黒川を結ぶ級や断 たれ,′以北以西には殆んど霹鴎 な七.その一腰溝向ほ,N∼S, N200Wで西に.300∼600 傾,くト. 本末を形成する岩石は主として 徴砂岩及び粘板岩の互層に・しで 桝々に角岩,チヤ」−トの薄眉を はさむ.第三紀屑とは断層及び 第3図一 宮 河 滞 附、近 柱 状■ 図

不整合を臥て接し前記千叔岩

系とほ.その嶺触点なく関係は不明なり.此等の硬砂岩,粘板岩ほ随即こ・於て花端閃緑岩陀筑かれ,附 疲一備に頭¢才チ♂d血才♂,頭∂ナチ云dあわ才グきg∫Jαね,.建質ホルンフエルス,雲母片岩等昏々の接触変成 患を生ず.本系は大略次の如き常に各ち得る (ユ)敬砂岩と粘板岩の玄層背 (2)密砂岩と角倉の互層帯 し3)変成岩背 (4)火成岩背(以上の分布状態は省略す) 従来本系よりは,時代決定に・到る何等の資料なく唯々小仏古生層として一・托されて来たものであ る.その後藤本博士は本山塊の南部にある驚ノ子・山塊北部忙於て多数の放散虫化石を発見せられそ の結果四万十川就中のものと近∴似又は同藩のものなる事を指摘され,同層を四万十川統に・対比され

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1年 たるも,ユ9釘年同氏ほ更に南部の難足山塊より多数の有孔虫化石を発見せられ,上部音盤代(マスコ 」ビアンより苗ぐなくウラジアンより若からず)と考へられるに到りた.而かし八蒔山塊からの化 石発見報告はなかったのであるがi筆者は白河市西北方約8km,西郷村熊倉の阿武隈川に滑へる崖の 赤紫色∼淡緑色のチャート中より多数の放散虫化石を発見し,次の如き種を識別せ・り.甚だ保存良く 顕微鏡下に明瞭に・見得る. 動物ぬ粥如α頭:βfcoわ¢q如αわ:C7〝ざαHINDE‥C抑0頭αβ和わ仰fゐ印NDE、‥β才¢め¢(坤ざα 形r頭:C蹄0頭彪αg相加c妙dgグ・弼αRDsT‥Cgク‡0頭ゐαe和頭:乃砺布頑和明り鱒ゆHINDE・: 乙iオ加gJ和∂〝ざ頭:エf才ゐOcα研クβCγβねcβαRひsT:動物毎桓由切乳頭:か≠め70∽ざわⅦ耶ね¢gq RむsT,(Gβ玖頭」∼形dg才.Jβ) 以上の放散虫のみによる時代決定は困 難なるも,従来中生代層より発見報告さ れたる経の多いことより,.筆者ほ本系を 中生代に属し得べきものと考へる. C)第三翠(含対比) 本地城に発達する第三紀層は,南部は 黒羽,北部は白方村より夫々南北に漏・斗 状に開き夫々烏山地区及び猪苗代湖東岸 の第三紀層に遊統発達せるものなり.そ の間に・発達するのが本地域内に於ける第 三紀層である.地質因を見ても瞭然たる 如ぐ本屑は第四紀の火山墳出物たる白河 石英安山岩及びその凝次岩,並び’に∴那 須集塊岩レこより広範囲に亙りて被署重さ れ,、その露出は著しく極限せられ且つ各 層の連続関係も断たれ,その棺互的関係 は全く不明なり. (ノ)棚倉植物化石層(白河炭田) 本地城の■東部,炭田地区に発達する地 層で此れを便宜上三区域に分かつことと する.南部より金山植物眉区域,五箇植 物層区域,小剛Jl植物層区域・とす.此の 各区頓に発達する植物化石層ほ,各々祀 ・川,一阿武隈川によりてその中問は断たれ 連続関係は明らかならざるも,・先第三系 第4囲∵相島県白河市近傍の地質図 とほ厚い基底礫岩を以て接し此れより移化する砂岩,貰岩中にほ,研ゐcgチZβノわrαを達し,叉上部に.は 礫岩層をいだくことより同一・層が分離孤立したものと濁へる.走向ほ大体北西一項滴の方向を有レ, 金山地区は東北に,小田川・五箇地区嬢夫々西方に傾斜す.各地区を特敏づける化石は次の通.りであ る.

金山地区:苗躍り祓両用ねHEER(膠多)

五箇碓屈:Co研♪わ刀砂わ,gg〟研乃α〟研α刀ク;オNATHORST(移多) 小田川地区:5gヴαOfβ上汐:(多)

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20 第5函∧白河席東部(楷物化石層)地質図 倫五箇地区に於て.■はα明神助植物嘩鱒 ろβ∂’の下部の褐色粗顆砂岩中から yo旭α .γ¢∂g才YOKOY.AMA:乙〝C£;:0∽α旦夕等の 弼♂γわ:eメα録ク?αを産サ. 金山植物層区域(第六国、) 白河市の東方,西自郡金山村附近■−ト常に・発 達する合相物化石層なり.本地区の相物層は 東部ほ千政党系と.逆断層を■以てご壊し,ニ南部ほ 基底礫岩たよ㌣∧沸弄、と不敵合に:接し,北部 は赦川断層に.よりて劃されたる狭長の地域で 金山村,官関村が此れを占めてゐ、る.柱状図に 示す通り金港700mゥ丁基底礫岩ほ200m位の厚 さを有しその中笹・粗粒砂署を介在する.礫ほ 角ばったものと円礫とで5−】5cm程度の直径

を有し,主として野砂岩,、粘板岩の磯で花崗

岩,片麻岩の礫此笹次ぎ,敏密に∴入り砂質物 貿に・よりて凝結せられてゐる.此れほ金山村 戸沢の西南の谷に・見ることが出来る.該礫層 ほ粗粒なる褐色の砂岩叱・移化しそれより淡賛 色及び乳白色の厚.い徴密なる貫岩層となる. 此の貰岩中上部のものほ黒衣色の、炭質甫岩に

して石炭層をはき卒,−多数の保存良好なる植物化石を含む・該石炭層ほ20c正隆庶の・・もの数枚,特に

30「−90c甲∴程度のもの三救あり∨,■中層は割合厚く炭質讃溝のは′さみを有するも1m程度どなる.瀞こ

〉セサー

硬砂岩。チヤ「ト▼粘板岩,花崗岩等?不規則な又は円い5・こ10cm程度の礫より成る・本地区の石炭

屑は到る卿こ於七見られ,その琴頸を痕跡すれば必らず炭質貰岩を伴ひその貰岩中には必らず穐物化

胡 石を伴ふ.現在は戸沢西卑猥び羞噛附脚こ町て−,染森炭疏及び白棚炭俵として稼行せられておる・木

屑の発向は鱒600∼700扉で,∴此れ拝奉層が(溝系と不審合に腰する境界線卑・一激する・傾斜は、N、E 20。∼30。で金峰として簡車なる単鱒構造を呈し,南に・下部周東北∼東に行くにつれて上部層があら

はれる.東部の澄断層に接して木屑ほ急に・なる傾向があり,婦中こ断層附道で傾斜は6bo内外,断層角礫

も甚だ豊富でニケ所で千枚岩系が木屑上に鱒上するのが見られるゝ本層より筆者が探集した植物化石 をあげれば次の如・し.

AJ〝ク倣=材抄頭好蚕UNG‡;鱒:Bgオ〝gα∂和ク‡gク‡gαγgZE、rTJINGHAusTこN:UJ桝おg頭:Gらか0よ丁

わ・0∂〝5g〝γqタαg〝5HEER:(多.)Q〟の′撒昔頭:仇脚躍=拗ねわ戯:Tk舟山蔀■研紗(鉄山厨ね湖 面わcgクZ〝∽HEER(鯵多):山裾柏倉頭∵ダ払描出倣物価勉HE・ER(彩多.〉ニFオc〝ざ、j汐:加ゎ庖 申:∼SαJぴf乃ま■α刀・頭:(多)ニAcβケ頭(揮わcβクZg秒♪β)助〝ねgわ‘沼αγ仁子gc〝研HE・ER:朗〟グ5gタ〟班 頭:α方形α∽0∽%沼頭‥物痴砂Jg〝沼頭:5αざ〃頭‥5如才ノ〝ゐ∫頭;0ふ読〝タ一成畑地の承砂地 アENH.ALLOW:CαブタZ形〝ざ旦夕:qγ如グ’gオβぶ旦夕:Sαざq/ケαざ与夕:J祝〆αプ75申:弼αgクZOg査■α旦夕く 伽乃〟ぶ頭:以上 五箇植物屑区域(第七図) 本区域の植物層ほ凍部は片麻岩系と逆断層(一・部不整合),西部は白河石英安山岩及びその凝衣岩層

(8)

21:

第6田 植物化石屑金山区柱状図 により不整合に襟はれ,北部は 阿武隈川断層,南部は敢川断層 を以て劃されたる:地域に発達し 五箇村及び祀村が此れを占め る.基底をなす礫岩層は片麻葛 に∴沿ふて」発達し,朗々に褐色粗 粒砂岩を介在す.草だしくもめ 轢は不規則形のもの多く10∼15 cm埠贋,時として30c隕位のも のもある⊥片麻岩礫最も多く僅 かに花崗岩礫,硬砂岩礫より成 る.上隼なるに・従ひ円礫となり 買岩を略さんだ褐色砂岩ケこ・移作 する丁礫岩層の150mに対し,砂 岩層埠非常に厚・く4叩m内外あ りそ?中華・ザ畢無げ甲轡せ 放す.走向噂革−W襲ほN串00∼

700Wで,傾斜ほ400∼700SWを

示すが,西するにつれて相物化 石を有する濁母斑和砂岩から琴 色徴準貰岩と.なり,走向はN200 ∼600哀傾斜むよ200∼300Nに変化 す・即ち走向ほ基底部で西北( 時として東西)南へ傾斜し此れ が上層ケ羊・なるに・従って「衆革嘩と なり途むF二東西性となり綬やかに シγクライγせおびてゐること が老へられる..前嘩区と反対忙 基底部は東部にあり,傾斜は西

∴千枚岩系及八滞系.瓜

で従って西方に於て上層せあらはしてゐる・∵最上部は片麻岩の円礫を多数摘んだ礫眉層があり,途に 白河有英安山岩及びその凝灰岩屑に・よりて不黎合に被腰さる・血れは大岡。板橋附近で見られる・五 箇村田島の東南方500mの卿こ・,.帯赤褐色砂岩をあらほし上部に・は白河石筆安山岩及びその凝欠岩層 の下層により不整合に被蓼されるのがみられる、その中より次の如き植物化石を得たり. Coク妙わ刀抄砂g〃沼”α彫沼α”のZ N.ATHORST斗膠多):都c〝ざ子吉Jgα〆bJgαHE・ER‥エα〝γ%ざ頭.こ 飽g〟ぶ旦夕:C査■乃乃α∽0∽〝甲CO,ア建7わ7協NE恵Sαク才dEBERM:Q〟g和郎頭: 特に・α明野㈹妙砂肋卿は非常に偵布が良く多数侍やれた, ′ト田川植物層区域(第入国) 本地区内も同様東部は片麻岩系,西部は白河石英安山岩及びその凝次岩層によりて広範囲に被覆さ れその露出区域は甚だ少く,従って全体の構造ほ判明せざるも,前地区と同様東部に基底,西部に上 層があるものゝ如し.走面ま殆んどN200∼7−00Wなれど,傾斜は†り股に西,朗に・よりて東傾斜の朗も ある.本層中を走る南北性の小断層のため,走向。傾斜は鍔乱され特に傾斜は一局せず・基底礫岩は

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2ぎ 主と⊥して不規則形め斉麻岩礫, 特に角礫の存在が管しく,その 上紅次褐色砂質腰衣岩並びに黄 褐色砂岩が重なり偽層が発達す る.更に/ト角礫質の礫岩層,そ の上位た.薄い4∼5枚の石炭層を 介在せる炭質貰岩並びに・炭質砂 質貰岩が来る.此の申に不完全 ながら楷物化石を蔵す.しかし て割合粗な最上部礫岩層となる ,仝厚500mにして本区よりの植 物化石は次の慮りせあぁ′∴ 八/gJJぶ〟〉:J’/、仙・J/∫ざ♪:ぐl・♪− βγg才βgj汐:Sgq〟βf〃土砂:Sg¢〝OZα 〆■γgα;L;gざ(わグ/Z才BRONGN: ∫/用ざざノ):ぐ/ご〃〉/、J′ゞ∫♪: Q〝g作〟ざざ少:本地区内の石炭 層ほ非常に細く最大15cm位に して穣行にたえず.以上木棺物 化石層の各分立地区の層序並び に化石に・付いて記載せり.筆者 わ調査せほ各地区の鹿吻虐ほ同 一・のものに.して,各分立せるも のなりと考へたるも.金山地区, 五箇地区は余りにも甚だしく岩 質を異にし,出土する化石も両 ナ∴−‥∴JノごJ岬∴・−・//りハ/●−・:∴ 前者にはCoわ建ね勿∠少妙ggぉ粥は 存在しない.筆者は此等岩賓の

第7図 五箇地区相物化石層柱状図

層別片威替入港率礫

徴客質癌(一部珪質ト …鹿

片 麻 夢 系

1ユl 甲

鱒遣を

りの深海性を示す研払料地木吻別の出土より推して,本属は璃海推横物に・して,此の関係咤ユ947

年棚倉地区を調査されたる文理大,大森学士が西郷内爽炭層(加∼α研)の下桝こ塙層と区別され

た関係を示すものであらう.依りて重要は此の関係より叉出土する如如βク7gメねグム

中新世の下位と考へるのが壷当のやうに思は.れる.又此れを1947年,茂木−・鳥山地区を細調査された

る教育大学河田数授の荒川膚轟す部に対此して遠からざるものと信ず.恐らく中位成ほ上位のCo元少・

血∼砂砂gJ〝沼ZOチアgを示すものであらう.しかしながら各地区より出土する植物化石の緬違ほ,その

問に何等かの古生物学的政eakあるものと信ず.鏑木地区の炭層は南部に静く,施するにつれて良

質炭となるも撒く稼行にたえず.稔じて褐炭なるも東部の逆断層に近く動力変質のため森壇炭化され

岳質良好となるも粉炭状な一り.金山地区に於てのみ現在二箇所で稼得せられておる.車均TOc;nの厚さ

を示し炭塵(150万屯)は割合豊富なるも,石炭そゐもぁの実質内に粘土分(主としてアルミナ)がは

きみとしてゞなく,堆積当時恐ちく溶液(コロイグル状)として混入せるもの′ゝ如く,従って選別に

(10)

軍学 よる除去は不能,その粘土分の ため次分の%’は甚だ高く,発熱 量は4000ca1内外,又五箇,′j、田 川碓区ほ炭質良好なるも10cln 下郡cm程鹿の滞層にして,石 炭生成当時の原初料の供給の不 足を物語るものであ肴. (2)沓掛屑 箱部鱒革隼翠達する唯一の わざ5・Zggocβgオ妙にこして,部須郡伊 三野村南部の西藤村沓掛に/郎ち 大戸部落め対韓隼して廃魔川あ 崖面笹屈めて小区域なれど,せ 部に磯岩層を有ト,上部ほ砂岩/, 賞賛の玄層より成る地層が露出 してゐる.本層ほ他屑と尭仝転 分離して八港系とほ断層を以 境し∴箪軍紀廟たる那須集塊岩 ′層樗・よ9て■不整合に微香ざる・ 走向ほN・150∼如0捌こ℃てN扉 200イ郎」下部ほ琴接へ溝系と壊 する面は不明なるも,鱗砂岩, 花崗内孫帝,チャート,粘枚岩 等の不規則形め小礫より成る厚 さ約ヱOmの礫岩屑あり,その上 第8園 小田、川区植物化石層柱状囲 部に仇プ7gわー∂α刀dを辞する約 20m位の砂質凝次着,更に八溝系の′J、円礫を以たる瓢箪砂岩あり上部年到るに従ひメb戚J∂gαグ■オク呼 ク:・¢血gg‘を含むに到る.本眉の化石帯は此のク20d〟ね を含んだ黄次色の狐粒砂岩と,その上位に・来る 苛一岩と砂嚢の互層中に・ある.クご0ゐJβ は石衣質物質より.成り多数の介教化石を含む.稀ケ手相物破片を 採集し得るも保存不良にして鑑定に・ノ適せず.木屑中よりり主要な化石を記すると次の如し.Pgc如才 5ゐ査ケーαゐα∽αgノ纏おr NOMURAα〃d NITNO:CゐJα〝砂5〆少々αゑゐα烏∫g;=75ゐNOMUR.A′αのdNIINO :Cゐわ明γgプアOね抑5・ゐ仁YOKOY.AMA(仰わーβgわ)∴訊ね加滋幼稚¢サや服摘血吻〃’グDuNK正R(揮わ・ 払):Cαグd言上α〆わざわgα桝β符5∼ぶNoMURA(轡わ):7セγg∂和才〟〟乃αわ加点鋸g卵S・査よH.AT■AI:ヱわざZ一 刀∼αゐα;;βみαrα言YOKOY.軋M.Aく沼Zp):一個わ‘7?βαゐ〝ゐ〝5首班eタフgゐNOM α乃d HATAI(桝グ0)こ

Calliostoma c/r batoe]7SeIIATAIaナZd NISHILYAMA(mio):Nassariusiw提kiaクエa ¥OKO

YAMA(mio):7bgaliadecussatoidesNoMURA aチIdHATAI(mio)以上.其の外 Chla鱒グS

旦夕:瓜㍑ね抗招巨頭:j秒αgq少gぐJβノ‡旦夕:〃g∽OCαγ成〝研 〆’γざα桝虎グα〃gαg MAKIyAMA: Aな沼OCαク1ガ〟招5少:Cαγdffβ0,や言cα YOKOYAMA:Cα,1ガれz旦夕:了セrg∂rαわ多gわ‡α5汐:ぷ妨如お 刀.gタ:劇痛め柁頭:Cデがぶα才gggグ∼g5上汐:斤∼ノZgグc〝Jα旦夕ニβαgαフ‡〟5j沙:q′調αfヂ〝血5少こエαg%− と:;:5与タ:肋c〟Jα頭:如紆畑地=頭:動お勿ゆ㈲邪巨頭:Cα妙わ・αgα5ク:肋J:20(わチ如上沙:、0ざオねα

(11)

2LE 傾斜の変化は認め得ぎるも,分布 よりみるとき恐らく断層を以て八 浜系と接するものなるべし.その 上限は那須集塊岩層に:紋蕃され追 跡し得ず. (3)下部守屋層 本地区の北部たる岩瀬郡長沼町 及び白方村諏訪蜂附近に模式的に 発達する地層にして,主として線 色凝荻岩,礫岩,雲徴栗砂岩,更 に次白色の浮石質凝次発の順に重 なり,発向ほN400王:,傾斜はSE 300 でその構造ほ極めて簡単でヰ ノクリナルであるカミ,所々に粒状

安山岩,長石斑岩の岩脈,

あり,小部分錯乱され地層の急立 せるのがみられる.(主として長 沼呵勢至堂方面)調査の都合でそ の下限は追及出来ず今後め研究に 待つ.本層申化石を合萌する葛樋 小田川村 五箇村

Plant fossilfrom Tanag■ura plantbed6

_ヰ/郁■ざ如・/ご†■ざ行J〃〃 しTytiEl一 点巌該‖流転卯棚元EmTyG∬AUSEy 打勿朋S♪(硫琴嘩)秒♪β ¢わカね5かこりろ〝Sβ〝γ0クαβ〟.S HEER G(y♪ねS‡グPあ〝Sβ〟クひ♪αβ〝5CO〝8 甘圧十ヾ/一 . ¢〝¢ナC〟5S♪ 動物庖s♪ C()町阿州/♪恒イ/〝〃=′“ノナナJ“川JNATヱ(1RST C/J川(川…ナノJ川J押ノ/J♪/〃)川NEESα〝〟E】∋ERM βJ’岬♪Jけ/J〝ナナ!ざ♪ ′.・ゴ 塾頭十頃鱒画商り坤甲(写展参照) 都加灯 頭 05研〟?血‘ノダ鱒αC“ゆゐ.γ肋PEyFALも0ア(写眞参照) 瓜め飯ねあ∴∴頭(写眞蒙猥) 劫gぉざ ざ♪ ぴ/〝〃.ざ 5♪ Acβダ 5♪(∽わFβカβ秒♪β) C吋亦鱒S 5♪ 一弘細 頭 Cッ♪βγ2fβ5 5♪ 、 塾準ゆ中郷マ久∴鱒鱒カαざ5カ C川,化け〃0/ノ川川∫♪A血g㈲〟〃5♪ .ノ吻g血邦55♪..Cβグ〝〟55♪ ● × × × × × × ×× × × × × × X X X × ×× × .×× 〉く × X X X X X X X 一助曾〝07α5♪(ぶq/ン由乃g5(わグ 2よ BROyd めて卿こし七,僅に・緑色凝次岩中に (4)上部守屋屑 上述の下部守屋層を整合に顔賞する含化石層がある.岩瀬郡白石村大字町守屋附近た魔めて良く発

達するを以て上部守屋腐とし,前記層を下部守屋層とす.本層は,前記下部守屋層の東側に帯状に葬

適し,遠く北に延びで猪苗代湖北衆岸の墾準附華の欝≡程層に届統草挙卑のと思考する・木屑は前記 周と河鹿,簡単なる単科構造を呈し,南部に於て発向は∴N400E,400∼60EO傾斜するも,北部に於 せNJS性となり傾斜は殆んど変化なく,その間に小断層多数存し部分的に非常にもめそれ等の小錆 敵地常に.は長石斑岩等の岩脈,:岩床が存し,その附近の地層を一層複雑ならしめておるも,一・般に西 部た下位層,衆部に.上位層があらほれておる.本層は主と.して緑色凝友党(石英,黒雲母,長石を含み 流紋漕質である)′及び砂岩の.互層にしてその、聞に礫岩屑を介在す・顕著なる化石啓三帝あり・中位層 上位廟ぬ多いご \、下部化石帯:−白方村権田・南方丘陵の凝次発質組数砂岩申に,;無数のヱおcオβク2を蔵し水平的に.排 列七ておる.そrの中より,、.托¢才β乃一丸勿髄漉〃九滋YOKOVAMA(多)●:.托cオβチZ j沙:fb才わz(ゆβ〆gチ‡ j沙・:・β占gα吻ぶご沙:β顔妨扇ね痴=頭:月館わ(沙gcJgチ3♪Jαガ才cゐね‘gαわばNOMUR。A(多)・:常に上位の 礫質中部分はβクツOZ叫ウニ・の、虚言L7;β,Gαg才グq2わdα の、/女αgク乃g押才等の介致破片が非常に多く′石 衣質で偽層が発達し明らか‘に餞海性相を物語り′,静かな浅海の堆積物なり.此れを梅剛ヒ石背(飽c一 ね乃一触ぬ娩め・由g zoケアβ)ど銘名す∴ 中部化石背∴一此れは自首村町守屋の小川の崖をなす褐色砂質凝次岩中に多数の異化石を蔵す,

LucinaacuiilineataCoNRAD(多)::Lucinoma acuiili;lleata CoNRAD’(多):Luぢi’??Oma

d>’otukai’HATAIaクIdNTSHIYA担AL・:lLudl10maS?/:Mtunea hukysimensisNo叫aク2d

HATAI(多):7brritellaka(わnosawaeガSis OTUKA:Dentalium yokQyqmaiMAKIYAMA

(12)

2去 (多):β血涙αgg〝桝頭:C肋〝砂ざ〆ケ・ぐ05g∂g刀5ゐYOKOYAMA(多):C肋吻′g虚:S紺或〝感gc才g乃 頭:β加治ね吻沼1汐:Cα描0ざね班α5少:Ac∽αgα5少:エf∽痴ざゐ〆ケγ々γタフCゐ0〝g〟ogdゐNOMα適

HATAI:7セrebratalia旦夕:Chla叩γSqfrkahisahieク:SisNOMURA:Chlaクク砂S.n.上汐:17bnusLn.

頭その外有孔虫風娘扉那が非常に多く,ニ聾者ほ此れを町守屋化石背と名付ける. 上部化石背:一夏に上位にある非常に薄い礫岩をはさんで凝衣貿砂岩,角礫質凝衣岩が重なる.此 れは白方村日向部落の池畔に於て最も良く見られる.庇の角礫質感次岩の中には不完全ながら非常虹 多くの介化石あり.次の如きものを儲定せり1 乃β〟政綱彫云5・Z〝沼α鬼才ゐ0βプZ虜ざM.ATSU丸IOTO(多):C鉱研がゐ路紘加始YOlくOYAMA(多): Chlamyskbtcrana YOIくOYAMA(多):ChZa鱒γ.S ka;ZehaytliYOKOYAMA(多)chla77qyS 扉衰勿扁■ピタ‡Sどぶ’NoMα7:・d〕注AT・AIC妨抑卵のサ轡蜘血血蹄ぬ丹OM[β㈲d:HATAI:C肋〝ぴぶ dケmei’se;:Sis MAK工YAMA:Chlaタフ叩S Si):Vbnus dl・tOYeuma GOULD:Swqわi)ecteク2 ぶ紆好才オ才おERNARD(多):S祝げね少gc才g;Z頭:拘紙座βc抽z、pすαプ滋0ざわ‘オαね‘ざNOMMURA(−多) :♪′JノノーJ′・八(ヾ=ざノ):上ノー/り小/・.l・/し、ミノI:71Jハ′JんJり(J/′/ノ/−/入Jげ√Jl【.ヽj、Al:細川−・ん=ソJ・んJム=、∫●、わ・ クZOβ;7ざ査よ0Ⅰ良oM工KADO:Aプニαゐグαげケogαぴ〃玄MAKIYA叫A;CクⅥぶざα才g批βぶぶαgαぴαのZ・Sグざ 0エNOMIKADO:職ゆ0痛みγγ■査■ざ頭:Gそγり∽βrゐ〆オー成グg批αYOK()Y今MA‥苅堰画‰=ね弼㌻ 占めダぬNOM二βプ;dHATA工:以上筆者は此れを日向化石帯と属名せり.叉此の化石背中に朗Åに 植物破片あり.不完全に.して膚の鑑定に適せず.僅かに・乃加齢頭を識別せり・以上記載したる沓掛 層と主部守屋層は,その後の石英安山岩流のたあ中間は断たれ,その廊係は不明なるも,出土する主 要牝石;即ち如財ぬ細勉励政略通津OMαク7dH塾TAI:てC肋?叩ぶゐα尾ゐαゑざのZぶfざⅣoMURA :匁gαggd▲d∂あ∫ざ¢ねfdgざNOMURA:等多くの共通曙を認め雨層は略々何層位のものと息ほる・ 雨層を特徴づける底質なる化石ほ旅cタg;Z烏αク:gゐα和才YOKOYAMA:Pざβ〟dα研〝ざざg〟沼α彪才ゐ0郎ほね 舶A HATAI±Luci,la aCuiili,lealaCoNRAD:7brritellakadonosawaensisOTUKA:Dentalium

yokqyamaiMAKIYAMA:Tb;・Zakurailal2akura HATAI:Ebcte;11110tOe;lSis YOKOYAMA:

上わ5査■、オαゐαクZ¢ゐαγα言YOKOY今甲■A:Cαグ成オαざゐ即沼g刀5gざNOMURA:那加勅吻毎払∽(拘㌧わ 如助融通.sHA二I・.AI‥′Cα〃わざね沼α∂α地主7ざ占H.AゴA土αゐdNI細工YAMÅ・:加ぬ㍑祓産ゐ血紘澗購 YOKOY.左MA:等である.以上の化石より考へるときほ,両層は中部中新世なり.又棚倉附捌こ発達し 1935年伊藤学士の調査による棚倉海成層(1947年文選大,木森学士の棚倉層群中上位の久保田貝層) と比すれば本地区の沓掛層と.は,ヱ晦ク紬クZβα あ〝ゐαぶ首班βタフgゐNOMα知オ∴臼。ATノAI:かめ払成油壷 如翫庇坤閻刀UNKER:入セタ郁¢αγ成〝桝Lざα研αグ・ゐ乃gαg M。AKIYAMA:」ね戒ニ才αゐαチ7βゐαγαグYO− ⅩOY.AMA:7bgαJ∼αdgc〝ざ5α∠0グゐ5NOMαチアdHATAI:等の共通種を認む・叉同様に上部守屋 屑とは,

Lucina acuiili;leata CONRAD:Aeudamussium akihoensis MATSUIMOrO:

hukusi’me;lSis NoMURA al;d HATAI:7brritellakadbプ70SaWaeフISisOTUKA:Dentaliu

yokqyamaiMAKIYAMA:Chla呵γSkaプIeharai¥oKOYAMA:7bnahuYtuallakuraHATAI:

乃g提gZα(おc〝5ぶdねgdg5NOMUR.Aα::■dHAT.AI,等の共通静を認む・以上の対比よりするとき上 部守屋屑,沓掛層,棚倉落成層とは略々対.比しても遠からざるものと信ず.叉1933年下野山地葡北縁 を御調査されたる,水産大学教授新野博士の鹿股沢屑群(3species/34sp):194ナ年入港山塊西縁,茂 木−L鳥山を御調癒されたる寛京教育大学河田教授の荒川屑群(1台specie畠/34sp)と天火対此しても可 能なりと信ず.叉木地区内に於ける両港成層と植物化石層との関係は,相離れて連続関係は不明なる も,植物化石層に属する五箇地区からは研Ogg鋸∫云αを採集してゐること,又上部守屋即iらf翫沌ば

(13)

芦6 頭等の植物鯉石の移すること,此の関係は1947年棚倉地区に於て,文塩丸大森学士が海成層と植物 湛石庭を共むこ棚倉屑群とされ,下部より塙層,西郷内爽炭層鱒朔輿頑物頻準甲2β)▲,久保田易 穐布野き琴別されたると同じく以上の穏より撃考ほ,沓掛鳳,上部守屋屑,植物化石層は何・一層蔚濫 属すべきものなりと思考す・次に簡単なる対比琴を示すと a)寡聞系 本地域の西半 の大部分を占め る丘陵地にっ甫 第三濱己屑対此表(関東地方東北部) 福 島 県 棚倉近傍 (■大森,1947) ■F野山地東北傲 (新野,1933) より北に広範に 亘りて分布し, 主として火山噴 −√、〉“、・′、−【、′、/〉州∼ 出物,その他易 妖地,各河川の 周辺に発達する ものにして河成 段丘の各面を形 成する.下部よ り白河石英安山 岩及びその腰衣 岩層,郵須集塊 岩層,顔状地礫 層,関東ローム 層,河威段丘礫 久保田層 西郷内爽茨層Lq−C 塙 暦 層々な卑丁 川白河石筆安川箪及びその凝衣岩層

木屑駆.石英安山岩質戯率宥界び有英安山岩より成りその間ほ瀞移して明腰なる療界を引き静ず・本

層の分和ま滴ほ栃木県郡御脾野町から北ほ福島県岩瀬那須賀川町及白方村を結ぶ級まで,融ま金山

村,五箇村附近,西は西郷村を経て遠か西方に続くものと思考す・即ち白河市を中心として前述の

如く広範齢こ分布し,片膝董「千枚患乳八溝系,棚倉植物化石層,上,下部守屋眉を各地に於七

不整合に被臥その分布の広大な考ことより考へて,此れが噴出した当時の火山活動の坤咋嘩恕で

あったか想像に難くない.木屑?下部は石英安山等質凝衣岩にして−・潮成風する所あれど,大部分は

塊放で石英粒を多数含み,

P鋸研左■ぐg,乙感去■招■を摘む.上部は石英安山岩に・して衣色∼黒衣色で,風化

分解したる部分はやはらかな次の如き感を呈す・・−・般に塊故にして柱状節理極めて良く発達し,時

として0如血=由■おCわ‘グゼ・を呈する朋もある.此れを顕微鏡下に放すると.きは全体斑択構造で,大き

い石英,科長石,輝石,角閃石の斑晶があり輝石には普通輝石と紫蘇輝石とがある・石基は淡黄褐色

の致璃より成り微小なる輝石,科長石,磁鉄鉱等を有する・此等の構造より考へて雨輝石角閃石石英安

山岩と称するが最も適当だと鳳はれる・本地城中に於ける本岩を比較するに幾分性状を異にし,粗

痕にして火山礫の多きは西郷方面,後密にしで比較的等質なるは南端芳野方面及び北端の須賀川方面

にある・叉木岩の噴出箇所に・付いては論じ難きも号西方山地なる錐房山,大白森,′ト白森等の火山活

動の結果境域溢流せしものであらう.叉噴出の時代に閲しては従来稜々論議され一応鮮新統上部と

されておるようであるが,筆者は,木屑をその分布北端たる須賀川地区iこ・追跡せしとき,肋二ヱプαクZ・

(14)

27 痛打亮痺¢7ZねオαLINN】三を多達する雷炭層群を不整合に凝覆するを認め,㌔∴且つ南部の伊壬野村東

岩崎附近檻於いて,その後の那須集塊岩層軋不整合に被貫される・此の那須集塊第層は西南方に追跡

する之きほ,∴細野博士の塩原地区の・泉層群と一憩連年るせ見る・以上のこと声■り,若しも、凪免ク7.γα弥

才加ぶ∂gぁが遠藤博士の時代決定の如く,下部更新統を指示するものであるとすれば,本岩層ほ少く とも下部更新位∼中部更新世へかけてこの噴出でほ・なからうか・ (2)那須集塊岩層

本層も前記周南棟,本区域の南部の大部分を占めその分布広大に・して∴入港乳沓掛層,白河石英

安山岩を天火不草食に磯麗する.そ・り起基源は,恐らく第四紀中頃に於ける那須火山の噴出による産

物なりと考へらる.僧体塊状にして発向,傾斜は測定し難きも極めて蹟傾斜を以て北西に傾き,・速く

那須火山欝に連続■せるものなりとそ・の分布状態,岩窯より思考す・本層群を形成する岩石は,下部よ

り避次岩,集塊岩質凝衣岩,及び集塊岩に.してその間軋介在する線き凝賽東砂並びに粘土等の題屑よ

り、成るノ.仝厚6帖mで;代表的なるは集塊岩なり・義としで南部の黒羽丘陵,永由原丘陵等を形成せ

りノこ本岩申わ安山岩塊は,輝石安山岩,商輝石安山岩最も多く,紫蘇輝石安山岩此れに次ぎ周在郷猟

火山を形成サる患者、と.同一・なり.本岩層は大田原地区に於いて関東ローム層に・より不整合に磯葛さ

れる. (3)関東ローム層

本地区の・南部に割合に.よく発達す・その分布は一・棟ならざるも大田原町周辺に最もよく.今布し,4

血内外を慄式自勺に.認め得る」層理は殆んど発達せず,縦に條理が発亀し,上部の考貯蔵いPumiceba車

を介在せり.下部になるに従い債鬼なく・−・般に塊状である・下部の方は一腰粧茶褐色粘土質であり,

幾分戯次質の部もある.上部は粘土質が少く砂質傾向を帯び来たり,所謂縦の像瓢で以て著七く狩徴

づけられたる赤褐色の砂質,粘土風土墟となる.本区のPumieebandは東京周辺の∂0∼60cm軋比し

て非常に薄く10cm内外である.大田原地区に於いて郡猥集塊岩層の上に・下部に磯層をおいて不整

沓に乗るを見る.文草野町,伊重野村以西に於いてのロ→−ム層はその下位の那須集塊岩層の風化分

解せるロ⊥・ム蟹砂と区別困難,果し七本腰に属し得べきか否か不明なり・叉金山租区に於いて棚倉個

物化石層上に縦の條鑑極めて発達せる関寮ローム層あり・文白河市以北む羊・,ノ‥ローム層ほ潜在せず,

従つ七本鱒区内に於ける白河∼金LUの線を以て関東ローみ層の北棟を劃し得べきものなり・本ローム

盾は,鹿共通り地形には無関係に一機濫推穏する風成層笹・しで唯餅以前には甥在の地形Lと、略火類

似せろ優蝕面の存在を暗示す.牒京周辺のそれに此して幾分砂質の度を増和しているように思われ

る.他の沖横眉は此れを省略す・ (3)地質構遽特に断層 本地域の地質構造ほ甚だ簡単で此ほ各説中に洩べてあるめで,此の頃は断層に・付いて述べる・当地

域の主なる断層をあげれば,(乱)沓掛断層,(b)小田川一小爪断層,(c)阿武隈川断層,(d)敢川

断層(e)ノ江花断層である‘ (a.)沓掛断層

㊥王軌寒井を結ぶを線を以て∧港系は断たれ,それ以西に露出を見ず・第三絶沓掛屈との直接の

関係は認られざるも,附近の東砂岩は,極度に破砕せられ且つその境界の余り隼もシヤーナなるは/両

者の関係は断層なるべく思考す.叉寒井,高館城附近濫於いて,敬砂岩層に南北の滑嘩あるを見たり・

北割こ於いで此の断層線は那須集塊岩及び白河石英安山岩質凝衣岩によりて被嚢さる・しかして本断 層ほ.沓掛層を切るものなり・ bJ)′ト田川∼小爪断層 西白河郡小乱川村′卜田川より高野村′ト爪に屠る断層で後に・生じた断層によりて各所に於いて切断

(15)

28

されている.棚倉植物化石層と千枚岩層麻岩系とを分つ発向断層で,その断層は二,三ケ所に於いて此

れを見た.即ち高野村瀬ケ野に於いで角礫岩が非常によく発達し,東部は千枚岩,西部は植物化石層

と∧なる.此の角礫岩は明瞭なる断層角礫岩にしてその間に・青色粘土をはさみ,N350w,串50ENを示す.

又′ト爪に於ける接触面と同様断層角礫岩の発達著しく此れを枚鏡するときは石英堪がひどく破砕せ

られ,Angularで,一つのGrainよりAngularなる破片が分離して数個になりておるのが見られる・断

層角礫岩より青色粘土に変化し粗粒砂岩に移行す.此の粘土の傾斜ほ600Eである・此等の接触面に

癒づくにつれて植物化石層は300∼40?の傾斜から70?位に変化し即ち綬かなものより急に移化してい

るこ以上のととにより叉接触面の観察より第三紀格物化石層上に片麻岩,千枚岩系が乗り上げるよう

転しか考へられない.より三て筆者は此れをTbI・uStであると考へた.しかしながら本断層は北部地区に

終いてはぅ断層面の見えるはなく唯々断層角礫岩の極めて塵富なること▲即ち釜千村形見,敢村桜岡に

存し及び大沼村本附こ於いては,玄武岩が角礫質に.なりておること且つ小田川地区植物化石卿こ本聯

膚転伴ぬれたると思ゎれる小断層の著しいとと等より本断層の延長を推定せり.しかしながら五番

村由島,入方附捌こ於いては,不整合らしき所も存′し即ち基底礫岩を臥て片麻宕系に斉直物化不屈が乗

りておるの七ある.各卿こ存する角礫岩はその存在が屑を形成し,基底礫岩申笹介在せられて中耳乳

うに見られる所もある.依りて或は北部は不整合でほないかと.考へられないでもない・此の断層嘩北

に延長するときは白河石英安山岩及びその凝衣岩層に・よりて被拶される・ (c)阿武隈川断層 阿武馴lに滑って乗る断層七此れを界と・した北部と‘酵に・於ける地層の排列より此所に・断層を堆 定す. (d)敢川断層

前者同様,祀川に∴沿うた断層で地層の排列より推定せり・

(e)紅花断層

木酢層は,江花川に滞って推定せるものに.して,片麻岩系の北棟を限るものなり・以上の断層の時

代に関しては,(a.),tb),の南北系の断層は,沓掛層及び植物化石層を天火・労り,且つ八港系,片麻岩

系と蜂界をなす.しかして白河石英安山岩並びにその腰衣岩に・よりて,芦野地区及び大屋坤区で天空

破贋される.よりて本断層の時代は,沓掛嵐植物化石層(共に中部申新脚堆横後,白河石英安山岩

押 及び戯次岩の堆積以前である.叉(c),(d)の■東西性の断層は」ニ記(b)の,小田川∼小爪断層を計

る故,それ以後のものなり.(e)の常田性断層ほ,時代を論ずべき資料なきも上記凍西性断層と同時

代ならんか. 〔批〕結

論(地 史)

本地域の基盤をなすものは,八溝系並びにこれを異く花南関繚岩額り・ハ満山系は南部より鶉足山

塊,驚ノ子山塊,入港山塊の三城塊に分たれ従来時代を指示する資料なくl唯入港系としてその岩相

より′ト仏盲生層に・一席対比されて来たものであるが,葡京文理大,藤本博士は南部の鶴足山塊より多

数の有孔虫化石を発見せられ,発足山塊を構成する碓屑群を上部古生代とせられた・備中部?専ノ子

山塊より同,藤本博士−,及び東泉教育大学,河田教授、、は放散虫化石を発見せられそれを中生代傑羅

紀四万十川統に対此せられたのである.し今回筆者ほ,北部の八満山塊より保存良好の放散虫化石を琴

見し,それほ鷲ノ子血塊のそれと斯似又は同定せられるものに・して恐らく驚ノ子山塊,八溝山塊笹

−・連の地層群なりと考へるものなり.従って入港山系は,;鵜足系(上部古生代ト,治ノ子∼入港系

し中生代保薙紀)と分ち得べきものと思考す.叉花崗閃緑岩ほ,此の驚ノ子∼入港系に・琴しき変質

を与へ,第三紀層(中新世)とは不整合関係にあ、り,恐らく北上山地梅於いて考へられておると同じ

(16)

29

く中生代宋の活動によるものではなからうか・其の後長い一Time駒pがありで,第≡紀申新華燭な

り1て海僚が行はれ,その当時植物化石層及び沓掛層北部に於いてム下部守屋層を堆積せり′その間

軋北部地区には随卿こ火山清励起り,・その産物たる浮石質凝次岩守屋層中笹.多し,叉金屑を通じ粗

粒砂岩は著しく偽層をなし,深海性を示す化石の出土と共に此較約浅い海の堆積なり

叉その化石【よりサる‥とき当時酸い寒候の下に堆積したであらう;と成想像に難くな、いのであります.

その後前述の如き■卜構造線に・より・て沓掛層ほ入港系と接し,且?植物化石層は千枚串,片麻岩罪と接

す・しかして千赦岩,片麻岩系は阿武隈の本体より地顔をなして分離し本革区に露出す.かくして

隆起,随化して優蝕を受く・その後本地区の射線に沿い,局部的ながら火山蒔動が凝り←関山初めその

周辺に.粗面岩質安山岩を流出す.其の後第四紀初にごなり二で本地区最大と思われる火山活動が西方山地

なる鎌房山附掛こ行われ,息づその序曲とレでDaqi胎・Tufトを本地城金体に摩らし,如箪Daciteの

熔岩流を金城に流出し,既存地層を不整合に被賞する・そ?後阿武隈川,敢川断層喋よりでたゝれ植物

化石層分離し,又優蝕著しき為■Da′Citeかくきばらに存するよう港なり㌻′しもの、と㌧思考す・そ?攣再び

火山活動の時代に入り,塩原地区及び黙須火山の大噴火牽こよ.り集塊岩と凝衣岩を南方一▲常に堆積せり.

それと相前後しで北方地区にも天栄山,十丹波楯山,妙紳助、妙見山等の商輝石安山岩及び輝石安山岩

よサ成る小火山を形成サ・しかして金城ほ易々j現地形・と額似や:拳鱒取を還す卑㌢ち杢る・】

藤夕原易釈画転礫屑堆積し関東ローキ層,白河市以南を−傲に磯覆す.く各河川申河威段丘は形成され

顔海に1至るへ.

参 考 文 献

1青木靡二郎:田山利三郎 関東構造盆地特に四辺部め地形及地質に就いて 弼藤報恩会学術報告第8雀19aO 畠 3沌遠藤琴志免近の地質時庇於いて巳薙群島に絶滅せる楷軌動物及植物第2巻9辱1934 4尾崎 樽 仙台附近新生代地史 東北大卒論1932

) 5加藤武夫 東邦に於ける造山作用,火山作用及鉱床生成の関係地球5巻1925

6河田苗代助 八滞鴛/子,鵡足山塊に放ける火成活動 地質雑誌57雀673尊19 ネ 野 久 7 二郎 催眠 山 杉田 8 q/ 琴触変成岩組訟 岩波1929 房組半島の地形特に侵蝕面の対比に就いて 斉藤報恩会学術報薯1930 10新野弘下野山地寛敬の地形地質尉ヒ大卒嶽∵i弊q

11S,NO耶RA:N,ZINBO Molluscafro甲tneYA料AQAWAshellbedsintheHUEUSTIMAbasin

12S,NOMURA:K,HATAIMollusGatr9mth占TANAEURA占hellbedsintheTANAKURAdistrIict 13S,HANZAWA TerItlarypaleontqg・r・aPbyofNoTtnJapan軍オ映重科報告1950

14A,軍AEER NotesongeoIpgicalmap r−eading■1926 15藤木給養 関東の地質19321952

16山口鎌焚 火山噴出物概詭:岩波l兜9

17H’YABE SENDAIand mATSUSEIn王A

18H,YABE Summar・yOfthepaperson thephysiogr■aPhyoftheJapaneseislands 土■ifth−PaCific sci

Congr・eSS1926

19矢部長克;寄木席次郎;日本近世代地層の対比 東北大邦文報告No・41920 20矢部長克:中∴下部瑞穂統 東北大地質邦文報賃No・・121940

R岳sum岳

(17)

泌IZOmOuntain.払ai正,′、havenotしbeen studied though the TANAGURA distIict,its easteぬ

par七,andtheMOG鍾ARASUYAMAais七rict,itswestempart,(in‡BAiRAGIPref占ctue)吐血Ve

bee這aは・ea碑investigatedby血¥OKOYA二M.A.S・ENDO and軋MORITÅ,T・ITO and

rec流tly(1947)\by適.oMORI左ndK.KAWADA・

{AsrtiieresultしOfthe血diesof geology、and Pdaeohtologyin thi$unStudi甜di如rict,ノme

pIもsentwriteIfoundoutthatther・ewaSfollowingstra七ig工aphicalsequenceofthe加Cks・

貯otlmda毛玉0れTO¢ks

鵬tamorph宜cseries…various益etamorphicIOCks,phylli七色,Gneiss,Par’tly qu舐tzite

・‥・・・・・…・ Nob contact…………

鮎ic泌王edYAMIZO dldirrocks七alt6Ination of graywacke and clayslate withlay眈\Ot

che汀C6nta主ningIadi占1a;・ian fauna;遠ay beconsideI壱d to be正長s6zoic(Pe血psJurassic)

iromガ盲ewpalaeontologie左Ievia6nc昌s(radiolarian)inthischert・

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甘あー七ia叩£omatioh

甘度NAGURÅノplan七beas:もas左1co克Iomerate with bands of sandstone,br叩n COarSe

sa混成one,Shale,eぬ1,brown−yelI6wsandstonelShale,COnglomerate免nd cr・OSS bedded sand!

stone;fromthisbedthewIiterIeCOrdssuchinteIeStingplantfossilsas,Sah)iプIialそ・$9・ficus

lilide/diaHEER,Osm%ク7ddmacroPhyllaPヱNH.ALL9Wetc,maybeconsideIedtobelower

paItOfmiddlemiocenefIOmPlantfossilsanaaf占wmolluscs・

・・‥……‥ Non?OntaCt・‥…・・‥・‥ を

ds:(i巧thesouth卿㌢aItOfthisaIea)cpnsists・Ofco這glomer?te,

t。ffa。e。。SSand$tOne,tuff,Sands匝ne、including、nOdule(co叩OSedofcalcareous matte‡)・F6声・

silifeIOuふ

Upper兼OR王YAmarin、beds:(inthenorthern part of this area)Greenliparitic tuff,

conglomeraticsandstone,bIOWnSandytuffandc‡OSSbeddedl〕IeCCiatedtuff(fossils bearing

stIata);bothof棒esemarineJbeds being chaIaCteIized by・SUCh fossils as・

akihoe17SisMATSuNbPtuneahukusimeMSisNOMandHATAI,.E%cien kaneharbi¥dKO・

YAMA,77drYi・tellakadb†1IOSaWaeのざisOTUKA,77g13ahlimtanaknraHATAI,

古αわざdeざNOM and HATAI.托γゐ(¢ぶ,∽オ(揖Jβ班言ocβクZg UqconfoI叫ity 恥atern甲yde㍗Sits S蒼壬ⅠA鼠A :dacitet早ffanddacitelav表flow ‘Uncと〉nfo土・mity∴・

NASUagglomeraticbeds:tuff,agglom占主・atittuff and、a盆glom6rate・

‥・“‥…・・・ UnconfoImity‥…・・・・…

鼠WANTOloaw bedsand terrace graVel,Sand,

(18)

嘉睦 筑■叩囲、

Ficus tilinefolia HeeI

第9図 Osmund亘ヰacT0鱒yllaやらnBa恥壷

\.・l 帽島県西白河郡金山村石崎西南雰 第11阿 ′ト田川∼小爪断層 ×..5 野島県西白河即金山村石崎 凍南雰

Phyllite

Coa.Ⅰ・Se s乱ndstone (Plant bed) Fau1tI∋Ⅰ6ccia N3三)OW 540EN 両島県西白河郡金山村瀬ケ野二於ケル逆断層

参照

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