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地 平 線 に 薄 ち 行 く 太 陽 は 大 地 を 一 瞬 ~ 色 に 輝 かせます

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(1)

磁 賀 県 立 大 学 人 化 学

研 究 報 口

入居司支化

第3

I

BULLETIN VOL

8

(2)

.もくじ・

巻 頭 言/西川幸治

ある“遊牧地域論"の生成過程/小貫雅男

遊牧民家族と地域社会/伊藤恵子

2

4

2

つ U

モンゴルにおけるヤギの識別名称について/棚瀬慈郎

64

現代モンゴルの住空間/ 山 根 周

...7 0

現代モンゴルの住生活と生活財/面矢慎介…………....・

H

.84

ひとつの〈世界単位〉モンゴル/高谷好一…...

.

H

.

.

…99

.人間文化学部棟のデザイン(

3

)

編集後記

-モンゴル牧民の母と子・

1996作の夏、モンゴルはバヤンホンゴル県のツェルゲル 付に滞イ上していた時に織った写1主です。 地平線に薄ち行く太陽は、 大地を一瞬~色に輝かせます。 昼の問中ーを食べに山かけていた15群は、その右足勢な光のqrを 騒々しく帰ってきます。写真のおりさんの指の先には彼等の 家畜がいます。 やがてH音くなる頃、ゲルのrlrでは千│勾を戸、込んだスーフが 煮え上がります。アルガリの燃えるストーブを凶んで米か短 をスープで煮込んだものを食べ、乳A与を飲むあとは迫々

l

限り に着くだけです。 しかし、夏の夜のゲルの平和lはしばしば酔っ払った間入者 によって彼られます。彼等はしばしばとんでもない復中にや ってきでは、自家裂の円い馬乳ilJ

4

ゃアルヒ (蒸留酒)を1-'当 てにゲルの戸を激しく11j]¥,、たりするのです。 そんな時でも牧民たちはお客をもてなすことを忘れません。 満天の星空の下、馬上で揺れている酔っ払いと、それに吠 えかかる犬達。モンゴルと聞くといつも脳裏に浮かんでくる 光景です。 写真・文/棚瀬慈郎

(3)

人間文化

-

モンゴル学術調査特集

(4)

‘逼孟,

モンゴル学術調査特集に寄せて

西

E

里Jl

I

~

ー 学

5

学 長

J

ーハjレハ河畔の罵を追う人びと

「キャンパスは琵琶湖、テキス

は人

間」をモットーに滋賀県

立大学は

出発した。人間文化学部は地域文化に注目し、まず「虫

の眼Jで地域をとらえ、しだいに視点をたかめて「鳥の眼

j

怖撒し、ひろい

地域を観察し

多様な文化

をはぐくみ育ててき

た地域を比較し考察する研究をめざしている。また、激しく変

化する生活文化に注目し

考現学の立場にたって現状を冷静に

観察し、現状を正しく把握し、定点

定時の観測

を通じて変化

の相を明らかにし、正確な記録をこころみ、こ

れからのあるべ

き生活文化を求め省察する考現学の方法

をきりひらこうとして

いる。こうした観点にたって、

北東アジアにお

ける具体的な地

域研究の第一歩として、モンゴル調査を

じめたのである。

この調査は「モンゴル遊牧社会の変容と将来像」を研究課題

として、科学研究費(国際学術研究)で

1

9

9

6

年から 3年計画で

調査をつづけている。

来るべき

2

1

世紀は多様な文明が共存し

自然と人間の共生を

はかるべき時代だといわれている。ところで、人類の生活様式

の一つを形づくってきた遊牧社会は、どのように変容し存続す

るのであろうか。重要な課題である。たしかに、モンゴル遊牧

社会は、いま、大きく変容をとげつつある。この変容の様相を

らかにし、その新たな展開について考察するのが、この調査

の目的である。

1

996

年の調査は、ボグド班とウランパート

ル・フブスグル班

(5)

2

班に分けて行なわれた。ボグド班はバヤンホンゴル県ボグ

ド郡で、従来からつづけてきた「ゴビ・プロジェクト」にもと

づく研究調査を継続し、ツェルゲ、ル村を中心に遊牧地域の特質

を自然生態との関連でとらえ、遊牧と人間集団、さらには自然

の「水の大循環系」にまで考察を展開しようとし、その基礎的

作業としてボグド郡に拠点を定め、定点・定時観測をつづけ、遊

牧社会の実態と変容を明らかにしようとしている。

ウランパートル・フブスグル班は、首都ウランパートルを中

心に都市化がすすむ地域とフブスグル湖をめぐるフブスグル県

など伝統的な遊牧社会とを比較して、その変容の実態を明らか

にしようとした。その生活空間を往生活を中

に考察し、生活

時間についてききとった。草原で解体し、移動し、組み立てる

伝統的なゲルの構造と構成、その生活道具、ゲルと家畜群につ

いて調べ、ウランパートルの住生活をアパートの構成とその設

計のしくみ、移動しないゲルや木造家屋(バイシン)からなる

団地の構成、夏期

郊外ですごす別荘(ゾスラン)の構成などに

ついても調査した。なお、併行してすすめた生活時間、中央と

地方の関連については 9

7

年度の調査とあわせて、あらためて報

告する予定である。

3

号は 1

9

9

6

年のモンゴル学術調査の概報とした。今後も

こうした企画を特集として報告することにしたい。

人周文化・ 3

(6)

ある“遊牧地域論"の生成過程

ぉ 小

一 一 膏 貝

日 雅

目 はじめに 1.“ゴビ・プロジェクト"の理念 われわれを取り巻く現状の認識 “ゴビ・プロジェクト"のめざす方│白l II.“ゴビ・プロジェクト"以前の段階 初期の調査 “遊牧地域論"の生成 “ゴビ・プロジェク卜"構想の発端 E “ゴビ・プロジェク卜"の調査 1 .本格的な準備へ 2 調査の概要 (1)定点調査地域の概要 (2)サブ・プロジェクトの設定 3.“ホルショー構想"の成立 (1)“ホルショー"の構造とその形成過程 (2)“ホルショー"の意義 人間文化学部地級文化学科 次 4 越冬調査(1 992 年秋~1993年秋) (1)ツェルゲル村という土地 (2)住込み越冬調査の目標と成果 (3)“ツェルゲル村モデル地域構想"実現のための実践 (4)“ホルショーペボグド郡全域に波及 W 今後の課題 1 “ボグド郡モデル地域構想" 2 追加調査 3.“国際砂漠・遊牧地域研究センター"の必要性と将 来の調査 むすびにかえて

はじめに

日本・モンゴル共同ゴビ・遊牧地域研究プロジェ クト(略称、 ゴビ・プロジェク卜)の第一次調査が 開始されたのは、 1990年であるから、そのときから もうすでに7年間が経過したことになる。 昨年の1996年夏からは、この“ゴビ・プロジェク 卜"にひきつづき、文部省科学研究費による“モン ゴル遊牧社会の変容と将来像"(代表者 西川幸治) の調査がはじまり、研究は新たな段階に入ろうとし ている。 “ゴピ・プロジェク 卜"がどのようにしてはじまっ たのか、“ゴビ・プロジェクト"に至るまでの調査・ 研究の経緯のあらましと、“ゴビ・プロジェクト"が はじまってから後の調査の経過とその内実をたどっ ていくと、“遊牧地域論"とでもいうべきものが、次 第に浮かびあがってくることに気がつく。 この“遊牧地域論"なるものが一体何であるのか については、ここでは詳しく触れることは差佳える として、日本における、とくに戦中・戦後の“遊牧 研究"の流れとはかなり違ったものが、そこには想 定されてくるような気がする。これまでの“遊牧研 究"が、主として文化人類学の関心から、家畜の側 に重点がおかれ、牧畜技術やそれにまつわる習俗・ 儀礼といったものに関心がむけられてきたとすれば、 “遊牧地域論"は、白然や家畜の領域を包括しつつ、 むしろ、家畜の利用によってそこから生活の糧を得 て生きている人問、さらには家族・共同体といった 人間集団や、「地域」といったものの側に関心の重点 がおかれてきたように思われる。 自然一家畜一人間集団といった系のそれぞれ次元 の異なる個々バラバラの事象を、自然と人間の一つ のまとまりをもった特定の生活空間、すなわち「地 域Jの設定によって、人間の“いのち"の再生産と “もの"の再生産を基本にしておこなわれる物質代謝 の循環系の、統一ある有機的なメカニズムの体系と して捉えようとする。“遊牧地域論"は、このことを 方法の核心に据えている。したがって、それぞれ次 元の異なる個々の事象を研究対象にしながらも、究 極においては、人間の生産と生活の“場"である「地 域」、さらには人間そのものに収飲されていく。“遊 牧地域論"は、こうした研究として想定されるもの である。 本稿の目的は、“ゴビ・プロジェクド'の巾間総括 をおこなうことなのであるが、それはまた、“遊牧地 域論"の生成過程をたどることにもなっている。こ うした視点からも、この中間総括を見ていただけれ ば幸いである。 ここでは、まずはじめに、これまで“ゴビ・プロ ジェクト"が掲げてきた基本となる理念と目標につ いてふれ、“ゴビ・プロジェクト"が開始される以前 の時期の調査活動の跡をたどり、さらに“ゴビ・プ

(7)

ロジェク卜"がどのような活動をしてきたのか、そ の調査の経過と到達点を明らかにしたいと思う。 I . “ ゴ ビ ・ プロ ジ ェ ク 卜" の理 念 われわれを取り巻く現状の認識 人類の明日を脅かす砂漠化、森林の消滅、さらに は酸性雨、食品の化学汚染・・・。地球生態系の破 壊は、北極から南極、成層圏から深海層に至るまで、 実にグ口ーバルな範囲で、加速度的に進行している。 人類の物質的生産は、絶え間なく発展し、生活の水 準は向上しつつあるかのように見えるが、地球各地 にあらわれる人口集中、巨大都市の出現によって、 自然と人間の調和的関係は断たれ、人間の精神的荒 廃はますます進行している。人間が生きる上で必要 不可欠な食糧を生産する農業は、斜陽産業となり、 農業の危機が叫ばれている。 このような生産力の発展にともなう現実は、生産 力の発展を手放しでほめることができないことを示 している。これまでの人間と自然、人間と人間の関 係を反省し、人類の生存と、これからの文明のあり 方に根本的な反省を加える必要がある。 人類による生産活動の効率は、労働の生産性た、け で計ることができないことは、ますます明らかに なってきている。工業は、 土地面積当りの生産性を たしかに増大させたが、自然の物質的循環の人工化、 あるいは自然破壊の進展となってあらわれてきた。 人類の生産活動の無制限の拡大は、自然破壊を極限 にまで押し進めるにちがいない。何らかの理性的な 制限を課すことなく、人類の生産活動を次の世代ま で拡張し続けることはできないであろう。 いま私たちは、現代社会が追求してやまない価値 自体までを批判的に検討する必要にせまられている。 自然は有限であり、最大の問題は、この有限性と 人類の発展をいかに調和させるのかという点にある。 先進諸国においては、すでに生産力の絶対的不足は 問題ではなく、生産力の浪費と成果の不平等な分配 が問題なのであり、次代の生産体系の構想、は、自然 と調和した生産体系を追求することである。これは、 現代の私たちにつきつけられた緊急かつ重要な課題 である。 地球大の自然との関係から、 生産活動の飽和を問 題にするのであれば、不均等 ・不公正な世界経済体 制の是正のためにも、今日の先進諸国は、むしろ生 産縮小にすすむべきであり、大量生産・大量消費シ ステムの進展とその国際化をとどめない限り、地域 性に根ざした産業の発展の芽は、ことごとく摘みと られるであろう。つまり、地域のあらゆる潜在的な 能力を生かす多穐 ・少量生産システムにもとづく、 多彩で豊かな地域づくりの形成はのぞめないのであ る。少なくとも、私たちが十数年間考察してきた一 つの地域 モンゴルの遊牧地域と日本の農・山 ・漁 村ーはそれぞれのちがった立場から、自らの実践に よって、このことを指摘している。 “コビ・プロジェクト"のめざす方向 農業と工業、この二つの関係から、一国の社会発 展の現状をみるならば、今日、世界はおおさずっぱに、 次の五つのグループに分類することができるであろ

第一は、工業の未発達のために、生産水準の低い 農業のみに依存し、停滞している国 第二は、工業を高度に発展させながらも、農業衰 退の危機におちいり、自然破壊、都市問題など人間 の生存にとって根源的で重大な問題を抱え、解決不 能におちいっている国 第三は、この第一の道を歩む先進工業諸国のあと を追い、工業優先主義の弊害を十分に認識できずに すすんでいる新興工業諸国 第四は、「社会主義jへ移行し、工業力を発展させ つつも、社会体制の崩壊、あるいは衰退による経済 的混乱の巾で、経済・社会運営の円熟したシステム を模索し、その改革をめざしている国 第五は、第四のグループに属しつつも、工業力の 未発達の国 モンゴルは、基本的には上記の第五のグループに 位置づけられるものといってよい。 こうした現代世界の現状認識の上に立って、第二 のグループに属する日本と、第五のグループに属す るモンゴル、いわば社会発展のあらゆる意味で両極 に位置する両者の共同によって、モンゴルの中でも 最も困難であるといわれているゴビ・遊牧地域を対 象に、 地域を総合的に調査・研究し、 21世紀にふさ わしい新しい地域構想を打ち出し、さらに地域づく りの実現へと進むことができるならば、私たち自身 にとっても意味のあるものになるにちがいない。そ れは、こうした地域研究と地域づくりの実践によっ て、私たち自身が、いわば世界の「辺境」との対比 において、日本の現実の姿を否応なしにきわめてリ 人間文化・ 5

(8)

ある“遊牧地域論"の生成過程 アルに見せつけられざるを得ないからである。 モンゴルでは、ペレストロイカの押し寄せる波の 中で、旧体制が崩壊し、今、市場経済への道をひた すらに突き進んでいる。過去の社会主義体制への極 端な反発から、西側諸国への憧れ、無批判的追従と 模倣をくりかえしながら、主体性を失い、憂慮すべ き事態に立ち至っている。今モンゴルは、何よりも まず、自国の自然と歴史的伝統に立脚し、その特質 を十分に生かした「地域Jの再生が必要になってい る。「地域」再生のためには、まず、さまざまなレベ ルの伝統的遊牧共同体を基盤に、「地域」再生の新た な主体を確立し、伝統的技術と近代科学技術との融 合による “小さな技術"の創出によって、「地域」の あらゆる潜在的能力を生かす多種・少量生産システ ムを 「地域Jによみがえらせ、新しい世界認識にも とづく自然と人間の調和を基調とするモンコcル独自 の道を模索しなければならない。 モンゴルは、第二、第三のグループに属する先進 工業国や新興工業国のように、もはや軌道修正不可 能な状況にはまだおちいってはいない。広大な自然 と遊牧、その生産と生活の優れた伝統的基盤がいま でも息づいている。 私たちは、 1989年以来、社会発展の先の五つのタ イプの道とは別の、第六の道ともいえる人類にとっ て新しいモデルともなるべき社会発展の道をさぐる そのひとつの具体的な方法として、日本・モンゴル 共同“ゴビ・遊牧地域研究プロジェクト"(略称 ゴ ビ・プロジェク ト)を提起し、現地での調査活動を おこなってきたのである。 21世紀は、産業革命以来一貫して貰かれてきた生 産効率主義に見切りをつけて、新しい世界観にもと づく新しい生産体系をさぐり、新たな世界システム を構築しなければならい課題を背負わされている。 世界のこうした「辺境」における実践、その中から 生まれてくる思想が、世界のこの新しい道の模索に 求められている。

1

1

.

ゴビ・プロ

"

以前の

“ゴビ・プロジェク卜"に至る経緯について、より 正確な理解を得るために、“ゴビ・プロジェクト"以 前に私自身が個人的に調査活動をおこなってきた初 期の段階についても、はじめに若干触れておきたい と思う。 初期の調査 1970年の夏、ウランパートルで開催された国際モ ンゴル学会に参加した機会に、はじめてウムヌゴビ 県のダランザドガドを訪れ、ゴビ地域の調査をおこ なっている。ゴビにはわず、か三日間の滞在であった。 モンゴルとの国交がまだ回復していない時期で、 地方での長期滞在は、西側の人聞にはほとんど認め られていなかった。このときはじめて、ゴビ地域の 調査の構想がおぼろげながら浮かひ、あがってくる。 それから 6 年間が過ぎ、 1976年秋 ~78 年秋までの 2年問、モンゴル国立大学の客員教授として、首都 ウランパートルにはじめて長期滞 在 。 こ の 時代は、 国交が回復したものの、西側からの外国人に対して は、首都からら40キロ離れた地方旅行は許されず、 厳しく制限されていた。 こうした状況の巾で、

7

7

年夏には、ウブルハンガ イ県とアルハンガイ県を転々と調査旅行し、 78年 2 月の厳冬に、ザブハン県のウリヤスタイとアルダル ハーンを調査、同年夏には、 ゴビアルタイ県のタイ シル郡を調査した。いずれも、一週間から一ヵ月の 短期間に制限された。それでも、76年から 78年にか けてのこれら一連の調査は、それぞれ短期間の調査 ではあったが、モンゴルの中央部、南部および西部 の典型的な平原や砂漠や山岳地帯の遊牧の特徴を把 握することができ、その後の調査の貴重な予備的知 識となった。また、その後のブルドの調査の方法を 編み出す上で極めて大切な時期であったといえる。 “遊牧地域論"の生成 本格的な調査がはじめてできたのは、 1982年秋か らはじまる一年間のウブルハンガイ県のブルド郡の 調査である。 ブルドは、ウランパートルから西へ 350キ口、ハ ンガイ山脈の東端に位置している。平均標高1700 メートル、総面積26万5000ヘクタール、東西に 90 キ口、南北60キロにわたる広大な土地である。滋賀 県にほぼ匹敵する面積である。ここに人口2900人が 暮らし、家畜(ヒツジ、ヤギ、ウマ、ウシ、ラクダ) 総原数9万6000頭を放牧している。君¥r部は、草原が 基調をなしているのであるが、東西にパットハーン とエレーンの山なみが連なり、ここを源に、巾央部 の平原には、タルナ川をはじめ幾筋もの川筋が流れ ている。 北部には砂漠地帯が横たわっている。 冬になると、ほとんどの家族が、山地の中腹に冬 営地をかまえ、夏になると中部の平原を流れる川筋

(9)

地図

I

モンゴルの地勢

・¥・ 、 画 、 / 戸

-

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5

km

中 華 人 民

和 国

に降りてきて、夏営地をかまえる。この冬営地と夏 営地の巾間あたりに春営地と秋営地を定めて、この 四つの営地をめぐる四季の遊牧循環がおこなわれて いる。この遊牧のタイプは、モンゴルの草原地帯で 広く見られる典型ともいえる。 モンゴルの全土には、郡が約 250あり、ブルドは、 その一つにあたる。調査は、まさに、モンゴルの 250 分のーの典型を対象地に選んだことになる。 ブルドの調査は、広大な郡内に散在する家族の巾 から、 4家族を選んで、 四季の遊牧循環をおこなう それぞれの家族を追いつづけながら、このブルドの 自然とそこに生きる人間とその地域社会をトータル に把握するようにつとめた。この時期は、ソ連のコ ルホーズのモンゴル版ともいえる遊牧の集団化経営 ネグデルによって、この地域社会が成り立っていた。 15世紀以来約 500年間つづいてきたといわれてい る伝統的遊牧共同体ホタ ・アイルが、社会主義集団 化によって、はたして、このネグデル体制の巾にど のように組み込まれ、変容を強いられてきたのか、 その伝統の継承と断絶の側面に注目しつつ、新たな ネグデル機構のもとでの下位の共同組織である家 族・ソーリ ・ヘセックといったレベルにとくに注目 して、家事労働から牧地の利用の仕方、牧畜労働に おける分業と協業の関連、家畜群の構造、牧畜技術、 手工芸、個人副業経営(私有家畜)およびネグデル と放牧賃金との関連など、基礎的な実態を明らかに 4 した。そして、ネグデルの機構・管理・運営および 教育-文化・医療・福利厚生といった公共的機能な ど、再生産のメカニズムの全体像を浮き彫りにした。 冒頭でも触れた“遊牧地域論"は、このブルドの 調査によって、その方法の骨格は、確立されてきた ように恩われる。つまり、特定の「地域」を設定す ることによって、自然一家畜 人間の物質代謝の循 環の系としてトータルに把握し、その内的連関のメ カニズムを重視し、「地域」を人間の生産と生活の “場"として重視する方法である。この方法に基づく ブルドの調査の成果は拙著『遊牧社会の現代』青木 書庖.1985.にまとめられているので、ここでは詳 細は省略することにする。 社会主義集団化経営ネグデルは、 1950年代に出現 しはじめ、 50年代の末にモンゴル全土に広がり、ネ グデル体制の確立をみるのである。そして、60年代、 70年代、 80年代と30年問、ネグデル体制はつづい てきた。私がブルドを調査した1982年は、このネグ デルの最盛期にあたり、このブルドでも家畜頭数は ピークに達し、その後次第に減少傾向をたどり、後 にふれる“ゴピ・プロジェクト"の第一次調査がは じまる1990年には、このネグデル体制は崩壊への道 をたどり、やがてモンコずル全土から消えてゆくので ある。 モンゴルの風土の奥深いところで長い歴史をかけ てじっくりと熟成され育まれてきた遊牧を、外部か 人間文化・ 7

(10)

ある“遊牧地域論"の生成過程 ら人為的に、しかも一気に社会主義集団経営に組み 込み、地域の発展をめざそうというこの社会改革は、 現実からかなりかけ離れた極めて無謀で大胆な実験 であったというほかない。その結果は、「共同」とい う名のもとに「個」を圧殺するという弊筈を生み出 した。このネグデル時代

3

0

年間というものは、今日 から見ればモンゴル遊牧社会の長い歴史の巾でも極 めて特異な時代であったといえるのである。 現在、モンゴルでは市場経済への移行によって、 今度はそれとは反対に、「共同」が極端に軽視され、 その反動として、 I@JJが盲目的に重視されるという 時代になった。その結果、ここでもまた、逆の新た な弊害が生まれてきている。人々は、私的利益の追 求や投機に明け暮れ、失業と物価の高騰、生活の不 安定、貧富の格差の増大となって、弱肉強食の様相 すらあらわれてきている。人間への信頼にかわって、 不信と憎悪が助長され、精神の荒廃がすすんでいる。 社会主義が世界的規模で崩壊した今、社会主義は、 いとも簡単に否定的に批判されている。だが、社会 主義とは一体なんだったのか。人類史の巾でどんな 意味をもっていたのか。その失敗の原因はどこに あったのか。具体的事実に基づいて究めることが今 求められている。 私たちは、今はじめて、ネグデ

3

0

年間の功罪を歴 史に則して広い視野から公正に判断し、評価できる 地平に立たされたといえよう。「個」と「共同Jの問 題は、人類の歴史の中で絶えず難解な問題として あったし、今日でも未解決の諜題として残されてい る。この課題を今、私たちは、ブルドと市場経済移 行後の新しい事態、この一つの厳粛な事実を素直な 日で受け入れることによって、っきつめて考えるこ とが可能になったのである。 “ゴビ・プロジェク卜"構想の発端 一年間にわたるブルドの調査がおわり、帰国した その翌年の1985年の春に、“遊牧地域研究グループ" が、大阪外国語大学を拠点に、学生・院生が巾心に なって結成され、活動が開始された。日本の農・山・ 漁村の調査からはじめて、深刻な危機に直面してい 炎天下の砂漠を、ヤギ・ ヒツジ混合の 群れが、草をもとめて移動してゆく。 た日本の農業・農村問題にじかに取り組み、自分た ちの足場をしっかりみつめながら、同じその目でモ ンゴルの遊牧社会の調査をつづけようというもので あった。 兵庫、鳥取、岡山、人一阪、京都、和歌山、富山、秋 田、岩手、滋賀、北海道の各県の巾から、調査対象 地域を選定するために、現地を訪れ、予備調査をか さねていった。そして、最終的には、兵庫県の山村 但東町と篠山町を巾心にした調査を深めていくこと になった。 ブルドから帰ってくると、日本ではアフリカの飢 餓の問題が連日のように報道されていた。アフリカ では、人間と自然が調和していた時代は、もはや遠 い思い出になってしまった、という。人間と家畜に よってずたずたにされた自然は、干ばつに低抗する すべもなく、砂漠化の道をたどっているともいわれ ている。飢餓の問題は、単なる自然災害ではなく、人 間の自然への関与の仕方に大きくかかわっているこ とも明らかになっている。今、私たちは、こうした 問題から目をそらすことは許されなくなっている。 私たちがよしとしてきた価値そのものが、今ここで 根本から検討されなければならなくなってきている のである。 ブルドから日本へ帰ってきたばかりの 私にとって、「アフリカで何が起きているのか」の問 いは、ただこととではなかった。モンゴルのブルドは、 北アフリカからユーラシア大陸を斜めに走る乾燥ベ ルト地帯の東の果てに位置している。飢餓に悩んで いるアフリカとは同質のベルト上にある。もうかな り旧い時代からこのベルトの上では、遊牧民の定住 農民化がすすみ、都市への流入によるスラム化が進 行し、遊牧の縮小 ・衰退が、長い歴史の流れの趨勢 をなしていた。 しかし、今起きている「アフリカの飢餓Jの問題 は、この歴史の一般的傾向といったものとはかなり 異質なものであり、現代世界の新たな構造的変化に 深くかかわった深刻な問題として提起されている。 私はブルドの観察から、両者を対比しつつ、そのこ とを深く痛感させられたのである。 同じ遊牧ベルトにありながら、今日、モンゴルは、 北アフリカや、巾東、中央アジアとはかなり異質な 発展の方向をたどっている。このモンゴルの実態を 組み入れて、現代世界の今日的視点から、遊牧世界 の舞台となったこの乾燥ベルトを、空間的にも、歴 史的にも、トータルに把握する必要にせまられてい た。私がフルドから帰国し、再度、こんどはモンゴ

(11)

ルのゴビ・砂漠地域へと目がむけられていったのは、 こうしたことと深くかかわっていた。

1

1

1

ゴビ・プロジェク卜

"

の調査

内陸アジアの草原と遊牧の国モンゴルにも、ペレ ストロイカの波は押し寄せてきた。1987{I::J2月、モ ンゴル人民革命党は、はじめて農牧業生産の停滞を 認め、絶対視され神聖にして犯すべからざる遊牧の 社会主義集団化経営ネグデル体制も、かげりを見せ はじめた。これを機に、牧畜の生産請負制の実施、私 有家畜の制限の撤廃がなされ、ネグデル体

*

1

1

は徐々 に基礎から崩れはじめたのである。 1989年 11月、ベルリンの壁の崩壊は、モンゴルに も強烈なインパクトを与え、政治過程の民主化を促 進することになる。同年12月のウランパートルでの 民主化要求のデモ、翌90年3月のスフパートル広場 でのハンガーストライキなど一連ーの動きによって、 政府・党幹部は総辞職へと追い込まれ、同年7月の モンゴルはじめての自由選挙へとめまぐるしく政局 は変わっていった。 1991年 8 月 ~10 月には、急速立法化した私有化法 にもとづき、ネグデルの家畜 ・家畜小原などの固定 資産の私有化がすすみ、これと関連して92年 l月か らはネグデルに代わって、各地にホビツアートカン パニが出現している。これは、市場経済への風潮の 巾で、政府が、名ばかりの変更によって遊牧民をあ ざむき、家畜の国家調達を維持しようとしたもので、 本質的にはネグデルとたいして変わるものではな かった。また、これと並行して、固有財産や県や郡 の小心地の公的生産基盤や国営商業機関などの資産 の私有化がすすみ、地方は、ネグデル30年の歴史の 巾で最大の転換期をむかえ、旧体制は崩壊へとむか い、市場経済のうずに巻き込まれていく。 “ゴビ・プロジェク卜"の構想、が、おぼろげながら 頭に浮かんできたのは、さきのブルドの調査が終 わって帰国した直後の84年の末であるから、モンゴ ルにまだ民主化の兆しがあらわれていない時期から、 この構想はねられてきたことになる。 1. 本格的な準備へ 1986年の夏には、ブルドを再訪し、 3週間ほど調 査をしている。そして、 1988年 9月から翌年の 9月 までの一年間、モンゴルに滞在することになり、こ の期間に“ゴビ・プロジェクト"の構想、は、その実 施のための本俗的な準備段階に入る。 1988年12月 6日、モンゴル科学アカデミー総裁

N

ソドノム氏に「“ゴビ・プロジェクト"に関する 意見書」を提出している。そして、“ゴビ・プロジェ クド'の調査対象地域として有力視していた一つの 県、 パヤンホンゴル県とウムヌゴビ県のうちの一つ であるバヤンホンゴル県を翌89年3月の冬期に訪問 し、現地の責任者と協議している。 このバヤンホンゴル県の視察にもとづき、さきに 科学アカデミー総裁N.ソドノム氏に提出した「“ゴ ビ・プロジェクト"に関する意見書」に検討を加え、 89年5月18日、国家科学技術高等教育委員会議長 M. ダシ氏に最終案「“ゴビ・プロジェクト"に関す る意見書・計画書」を提出している。 そして、同年夏2ヵ月間にわたる日本・モンゴル 共同の予備調査を実施した。日本側からは、 85年以 来日本の農・山・ 漁村の調査をしてきた“遊牧地域 研究グループ"に研究者が加わり、 18名からなる日 本チームを編成し、モンゴル側からは10名の研究者 が参加した。この日本・モンゴル共同の遊牧地域調 査隊は、 2ヵ月間にわたり、ジープとトラックで 4900キロにおよぶ広域調査を実施したのである。 調査行程は、以下の通りである。 ウランパートル→ウブルハンガイ県ブルド郡→岡 県アルパイヘール→同県ナリーンテール郡→パヤン ホンゴル県パヤンホンゴル→岡県パーツァガーン郡 →岡県ボーツァガーン郡→ゴビアルタイ県デルゲル 郡→同県アルタイ→岡県タイシル郡→ザブハン県 チョロート郡→岡県アルダルハーン郡→岡県ウリヤ スタイ→岡県イデル郡→岡県ボルナイ郡→アルハン ガイ県タリアト郡→岡県ツェツェルレック→岡県 ジャルガラント郡→岡県ウルギーノール郡→ボルガ ン県ダシンチレン郡→ウランパートル。 首都ウランパートルを出発し、ハンガイ山脈の南 麓を西へ、草原や砂漠、山岳地帯を越えて、ハンガ イ山脈の東端にあるウリヤスタイを経て、ハンガイ 山脈の北麓に出て、それからは北麓を東へむかつて すすみ、ウランパートルに戻っている。 この調査旅行では、モンゴルの基本的地帯である 草原、森林、 山岳、砂漠、あるいは川の流域や湖畔 など各地で営まれている遊牧の多種多彩な形態や、 遊牧民たちの暮らしの多様性を観察することができ た。この予備調査は、その後の本調査において、定 点調査地での遊牧の実態を絶えず相対化することを 可能にし、各地の遊牧の特質をとらえる上で大いに 人間文化・ 9

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ある“遊牧地域論"の生成過程 地図E 定点調査地波 パヤンホンゴル1,1 パーツァガーン郡 ①第1:地区 ②第5地区 主

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③アルタイ村 @ツエルグJレ村 役に立った。 さきに触れたように、私有家畜の制限が撤廃され、 生産請負制が実施されたのは、 1988年であった。そ のため、この調査旅行巾に、たえず各地で観察され たことは、遊牧民が集団化経営ネグデルの家畜に対 する関心よりも、私有家畜に関心がむけられ、私有 家畜が次第に増加の傾向をたどりはじめたことであ る。そして、旧ネグデル体制内という限界はあった ものの、その体制内でなんとか遊牧民たち自身の新 しい生産形態を模索しようという動きが、各地で見 られたことであった。ネグデル 30年間の旧体制から 次の時代への移行現象をつぶさに観察する機会を得 たのである。このことによって、遊牧の基礎過程へ の歴史分析のための手がかりがつかめたと同時に、そ の後の“ゴビ・プロジェクト"調査の目標と計画を具 体的に立案し、調査内容を深める上でも大いに役に 立った。 2ヵ月にわたる広域の予備調査が終わり、 89年 8 月末ウランパートルに戻ると、 M.ダシ議長からさ きの「“コ。ビ・プロジェクト"に関する意見書・計画 書」を承認し推進する旨の回答を得た。ただちに同 案は、国家科学技術高等教育委員会から、モンゴル 政府閣僚会議に提出され、正式に承認されることに なった。こうして、 1990年夏から“ゴビ・プロジェ クト"は、バヤンホンゴル県を主要な調査対象地域 に選定し、調査を実施することになったのである。 2 調査の概要 さきに触れたように、“ゴビ・プロジェクト"調査 は、 1989年の予備調査を経て、 90年夏の第一次調査、

立ム三豆

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立と量 ダJレ地区 ゴピ研究所 f6)川ヤングライ1!K パヤン・ナラン地区 91年夏の第二次調査、 92年夏の第三次調査をふま え、さらに、 92年秋から 93年秋までの一年間の越冬 住込み調査に至る調査活動をおこなってきた。また、 この問、毎年小グループによる冬期の調査もおこ なっている。 参加した研究分野は広範囲にわたり、毎年次、日 -モ双方合わせて60名を越える専門家が参加してい る。この問、調査に参加した研究分野は、以下の通 りである。 社会研究(遊牧地域論・歴史学・文化人類学・経 済学)、医療・公衆衛生学、気象・砂漠環境論、土壌 学、水利用学、植物・動物学、牧地・牧草学、飼料 学、畜産資源学、家畜栄養学、獣医学、乳加工 ・食 品加工、羊毛加工・染織工芸、生薬・植物化学、太 陽光発電・風力発電、通信工学、地域活動家。 調査対象地域は、当初はパヤンホンゴル県とウム ヌゴビ県で、これは九州と北海道を合わせた面積の ほぼ2倍にあたる。草原と砂漠と山岳からなる広大 な地域である。ジープとトラックで移動し、テント を張って野営しながら、地域社会と自然を相手に総 合的に調査するというかなりハードな仕事であった。 調査をかさねながら、調査の対象地域をしぼり込 んでいく方法をとり、第一次調査の結果、バヤンホ ンゴル県およびウムヌゴビ県の巾から、定点調査地 域に次の6ヵ所を選定することになった。 パヤンホンゴル県 パーツァガーン郡 ① 第1地区 ② 第2地区 ウムヌゴビ県 ボグド郡 ③アルタイ村 ④ツェルゲル村

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⑤ボルガン郡 ⑥パヤンダライ郡 (1)定点調査地域の概要 ①パーツァガーン郡第I地区のダラントゥルー 集落 アルタイ山中に位置し、北側と南側を東西に走る 山並が連なっている。この二つの山並の聞には泉が あり、比較的濃い緑の牧地が広がっている。この山 間に夕、ラントゥルーの集落の夏営地がある。冬営地 は北部の山中にあり、短距離移動型で、ある。 この集落の家族数は 18戸。 18戸は自然に発生した 集落で、ネグデルとはそれぞれの家族が個々に、家 畜賃貸契約(民主化への移行期にあらわれた制度) によって結ぼれている。羊毛刈り、井戸・家畜小療 の建設等では、共同労働がみられるが、ゆるやかな 共同が特徴で、ネグデルの第 l地区長の直接の管轄 下にある。 この集落は郡の中心地からは、山を越え 50キロ離 れていて、郡の辺境にあって孤立している。ゴビ地 域では一般的現象といわれている女系家族(夫のい ない家族形態)が多くみられる。山あり、 川あり、泉 あり、草原・砂漠ありで、自然条件からして地域社 会のあり方をさぐる上で、格好の調査地域である。 アラクチャ一家、ミャグマルジャブ家、パーサン 家等数家族には、かなり長い日数お世話になり、強 烈な印象を受けている。イルー ・ゲル(母屋ゲルの そばに建てられる離れゲル)は、さながら乳加工場 の観を呈していて、伝統的手工芸が全般的に衰退し ている今日でもなお、乳加工の分野に限つては伝統 の技はまだまだ生きながらえているという印象を受 けた。とくにバーサンさん (50歳)からは、自然に 融け合って生きている人間の人生観・世界観を煩問 見ることができた。ダラントゥルーの人々からは、 私たちとは別の生き方を発見した思いである。 現地のネグデルの指導者たちは、このダラントゥ ルーの集落が、貧しいということを再三言うのであ るが、同じゴビ地方の他の地域と較べても、そのよ うには恩われなかったのはなぜなのか、その理由を もう少し時間をかけて調査する必要がある。 この集落で、自然に発生しつつある共同労働の側 面に注目し、新しい共同体の可能性を探ることが、 このダラントゥルーでは大切である。 ②パーツァガーン郡第5地区のセムネー集団

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家族。アルタイ山中に冬営地があり、ここから 北へハンガイ地方の夏営地まで 150キロにおよぶ移 動をおこなう。長距離移動型の遊牧形態である。 民主化の風潮を受けて、ここでもこの集団は、ネ グデルとの問で家畜賃貸契約を結んで、新しい経営 形態をっくり出している。この集団には、共同の家 畜小犀や羊毛加工工場や共同所有の家畜なと、徐々 に共同ファンドを蓄積してきている。また、急病や、 雪害、干ばつなど災害時を念頭において、 日常ふだ んから相互扶助の関係を密にしている。セムネ一氏 の長女の夫がウランパートルから Uターンしたり、 近辺の家族がこの集団に加入するなど、ここ一、 二 年間に急激に戸数が増加している。近い将来には、 三年制の小学校分校をこの集団内に開校する計画を 立てている。 この集団は、遊牧民の巾から自然に再生してきた 伝統的遊牧共同体ホタ ・アイルを基礎に、その上位 の共同組織として成立しているものであるが、遊牧 民の主体形成をめざした共同組織の事例として、こ この自然条件とこの地域の歴史的背景を十分に考察 しながら、将来へのその可能性に注目していきたい。 ③ボグド郡のアルタイ村 あとで触れる“ボグド郡モデル地域構想"の中で、 重要な地域になっている。ここでは省略し、後述す る。 ④ボグド郡のツェルゲル村 “ボグド郡モデル地域構想"の巾でも詳述するの で、ここでは省略する。 ⑤ポルガン郡のオアシスとダル地区 ウムヌゴビ県の巾央部に横たわるアルタイ山脈の 支脈ゴルパンサイハン山地の北側に広がる広大な草 原・砂漠地帯。この砂漠の真ん巾に一秒間 15リット ルの清水が湧き出る泉があり、オアシスを形成して いる。このオアシスに耕地が広がり、郡役所・病院・ 学校・砂漠牧畜研究所があり、砂漠の巾の都市萌芽 を形成している。このオアシス以外にも郡内には ーカ所ほど、かなり良好な泉があり、農耕がおこな われている。 砂漠牧畜研究所は、砂漠の巾にあって劣悪な条件 にもかかわらず、ここの若い所員は、熱心に研究に 励んでいる。この研究所は、現在、ヤギ・ラクダの 品衛改良の研究部門が巾心になっているが、牧畜部 人間文化・ 11

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ある“遊牧地域論"の生成過程 復活したオナガニ・ウルス(馬乳の初搾りの 儀式)。初搾りの罵乳を桶に入れて、杓子で まきながら罵に乗って練り歩く若者たち。 門を拡充し、地域研究部門を増設するなどして、将 来、バヤンホンゴル県ボグド郡に計画している“国 際砂漠遊牧地域研究センター"のもう一つの拠点と して期待しているロ 郡東部には、ダル地区があり、半砂漠短距離移動 型の遊牧が、ここではおこなわれている。モータ一 井戸を拠点に、四季の営地が散在している。モンゴ ルの砂漠遊牧の典型のーっとして、この地区は有望 である。 91年春、ネグデルから単独で離脱しようと した馬聞いシャラブドルジ (28歳)の家族、明るい 雰囲気の12人の子供がいるラクダ飼いのホーシャン

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歳)の家族を知り、この地域がようやく見えてき た気がする。 ボルガン郡は、政府の私有化法案の決定にそって、 全面的な私有化への準備をすすめていた。私有化郡 委員会は、ネグデル資産の評価、ネグデル組合員の 確定作業をすすめ、 91年8月末にはネグデル総会が 開かれ、私有化が決議され、ネグデルは郡から消滅 した。ここでも、上からの性急な改革が、遊牧民た ちの理解が不十分なまま強行された。その後の状況 を十分に調査する必要がある。 ⑥バヤンダライ郡のバヤン地区とナラン地区 ウムヌゴビ県ゴルバンサイハン山脈の南部へ広が る広大な砂漠地帯で、ゴルパンサイハン山麓沿いに 良好な牧地が展開している。この山麓沿いにパヤン 地区がある。 夏営地は、この山麓地帯であり、春・冬営地の大 部分は山巾にある。 山麓から南へ下ったところに良 好な泉があり、そこに地区の中心地がある。民主化 の風潮の巾で、最近ここにラマ寺院が復活した。口 ブサンシャラブ家を巾心に、 15戸ほどの自然発生的 な共同労働によって結ぼれる集団があり、ゆるやか な地域共同体を形成している。このなかにはブブ一 家のアーゲン卜(日常必需品の取扱庖)があり、市 場経済への移行にそなえて、トラクターを購入して、 この地域の流通を担おうとしていた。 トゥムルパートル (25歳)は、民主化運動の高揚 期に入党した民主党の党員。ウランパートルからU ターンした遊牧民で、彼は、友人のパット トゥムル (27歳)やその妹ツエツェクデルゲル (26歳)を民 主党員に勧誘するなど、当時としては、遊牧地域で は珍しい動きが見られた。彼ははっきりした自分の 考えをもっているようで、この地域社会はこうした 若者たちによってどのような動きを見せるのか、そ の後の追跡調査が必要である。 ロブサンシャラブの集団とは別に、この山麓一帯 には、ボヤンフ一家を巾心に、 10数家族からなるも う一つのまとまりがある。オナガニ・ウルス(馬乳 の初搾りの祭事)がボヤンフ一家でおこなわれてい た。ゴルパンサイハン山麓の西へ寄った緑豊かな夏 営地。篤飼いボヤンフ一家でのこの祭事にあつまっ てきた人びとの様子から、たしかにここにも、もう 一つの自然な地域共同体が、徐々に復活しつつある ことがうかがわれた。自然の恵みへの感謝と豊穣を 祈る敬度な心を素直に儀式化したこの行事は、たし かに人びとを固く結びつける粋となっている。都会 では望みようもない遊牧民独自の文化がそこにはあ る。この儀式を遂行する馬上の若者たちは、いつも よりも勇ましく誇らしげである。この光景を地上か ら見上げる幼い子供たちの輝く目、その表情にも、 やがて自分たちが担うであろうこの役割への期待が 紡例としている。都市にはないまったく別の価値に もとづく生産と生活の形をつくりあげ、それによっ て独自の幸せの体系をきずきあげる可能性。このオ ナガ二・ウルスの光景に、現代都市文明にはない、遊 牧社会独自の発展の道の可能性を垣間見る思いがし た。この可能性の追求、これがこの“ゴビ・プロジェ クト"の最大にして究極のテーマでなければならな しユ。 ゴルパンサイハン山の南麓のこのパヤン地区から 南へ数十キロ先の砂漠の中に、清水が湧き出る泉が ある。ここがナラン地区の中心地である。ここでは、 泉の水をひいて農耕がおこなわれている。さらに南 西へゆくと、ダリジャー

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歳)の家族がある。こ

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の地方では有名な銀細工師で、息子のイデルツォク

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歳)とモンゴルフン(1

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歳)は、幼少のころか ら父親の仕事を目の当りにして合ってきた。この息 子一人は、父親の技を継承し、木工、石工の仕事に も励んでいた。隣りの郡の山へ石材を採りに数十キ ロの道のりを馬でゆき、それを素材に石を刻み、ま た木材を手に入れては馬頭琴の製作を手がけていた。 地域にあるものはとにかく創意工夫して活用してい こうという精神が、この二人の息子にはみなぎって いる。自分でものを創り出していく、これが今のモ ンゴルに一番必要とされていることなのである。こ の芽を大切にして、このパヤンとナランの一つの地 域に、地i或再生の手がかりをつかみたいと思う。後 述の「手工業拠点施設構想サブ・プロジェクト」は、 この具体的な事例から発想されたものである。 パヤンダライ郡のネグデルも、政府の家畜私有化 の方針を受けて、 91年8月末にはネグデル総会で決 議され、全面的な私有化の方向へ踏み出した。ここ でも、上からの行政主導型の改革が強行されようと していた。もっと、遊牧民の巾にある自然な動きや 新しい萌芽形態に注目し、調査研究を重ねて、遊牧 民たちの自主性を汲み上げて、ゆっくりと地域に根 ざした総合的な方法を、遊牧民自身がさぐりながら 試行錯誤をつづけてゆくべきである。 (2)サブ・プロジェクトの設定 “ゴビ・プロジェクト"の調査は、問題が広範囲に わたるので、 91年の第二次調査からは、とりあえず 課題を大きく五つに分類し、そのそれぞれをサブ・ プロジェクトとして位置づけ、調査の目標とその専 門性をより明確にすることにした。 さきに説明した六つの定点調査地域の設定は、こ れら地域に調査を集中させるためなのであるが、将 来は、この巾から、さらにモンゴルのゴビ地方(モ ンゴルの全国土の南半分)の地域モデルとなるべき 「地域」を選定し、そこにさらに調査を集中させ、“モ デル地域構想"を具体化しなければならない。この ための調査・研究は、“ゴビ・プロジェクト"調査全 体の巾でも、根幹をなすものであるので、サブ・プ ロジェクトの第一番目に位置づけ、これを含む五つ のサブ・プロジェクトを設定した。 ①モデル地域構想、のためのサブ・プロジェクト 砂漠・山岳・草原における21世紀の地域社会のあ り方を模索し、地域づくりのモデルを具体的に提示 する。そのための基礎調査およびそれにもとづく実 現への可能性を追求する。 当面の調査対象地域と しては、さきに触れたセムネー集団、ダラントゥ ル一、アルタイ村、ツェルゲル村、夕、ル地区、パヤ ン地区とナラン地区の六つの定点調査地域である。 このサブ・プロジェクトの主要な調査・研究項目 は、次のようなものである。 a)目的に適った対象地域の地図の作成

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家畜 群の構造と放牧技術c)四季の遊牧循環と牧地の配 分利用

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家族と家族経営の実態e)伝統的遊牧共 同体ホタ ・アイルの実態f)上位共同体サーハルト とヌフルルルの実態g)遊牧民協同組合ホルショー の研究h)伝統的手工芸と地域の可能性 i)教育・文 化・医療・厚生など公共的機能と地域形成 i)流通 における遊牧民の主体性の確立k)地方行政と小 「地域J ②手工芸・手工業拠点施設のためのサブ-プロ ジェクト 地域自立への手がかりとして、家族内および地域 内に伝統的な手工芸・手工業の再生をはかる。その ためには、伝統技術の実態調査、およびその再生と 伝統技術の改良の可能性をさぐる。 木工、銀工、石工、染色工芸、紡糸、織工、革工、 住居ゲル工法、陶工、草工、果実加工、乳加工、食 肉加工等の分野が、当面の課題となる。 ③資源利用のためのサブ・プロジェクト 地域の自然を最大限に活用し、地域の特色を生か した特産品の創造をめざす。また、巾でも重要なの は、水資源とエネルギー資源であるが、地域の自然 と調和のとれた“小さな技術"の開発が求められて いる。この場合、地域の生産力水準に見合ったコス トが肝要で、このことを無視した一時的な“援助"に よる解決は、ただちに地域の自立性を損う結果にな ることは明らかである。地域にとって持続性のある 開発とは一体何であるかといった難解な課題を、克 服できるのかどうか、大きな問題である。 a)太陽光発電b)風力発電c)地下水資源d)生 活燃料e)生薬・果実・野草活用等々 ④オロック湖保全・南北ライン構想、のためのサ ブ・プロジェクト 主要調査対象地域ボグド郡を巾核に据えながら、 ハヤンホンゴル県南部のエヒンゴル・オアシス 砂 人間文化・ 13

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あるH遊牧地域論"の生成過程 漠 恐 竜 の 谷 ボグド山頂高原ーオロック糊ーチフ ル ウ ブ ス ・ス タ ン ツ トゥイン川 シ ャ ル ガ ル ジョート源泉 県北森林地帯に至る南北ラインを基 軸に、バヤンホンゴル県全域を視野に入れた21世紀 の 新 し い 広 域 づ く り を め ざ す 。 そ の た め の 基 礎 調 査・研究である。 中国国境に接する県南部の砂漠地帯からオアシス へ、さらに中部に横たわる標高三千数百メートル級 の高山高原、そこから下ってオロック湖から卜ゥイ ン川流域へと草原地帯を経て、県北部の森林・温泉 地帯に至る550キロにおよぶ大広域を対象にする。 この南北ラインを結ぶ広域では、砂漠・高山・湖・ 川・ 草原・森林をめぐる自然の生態系のマクロの実 態を把握することが可能になる。地球環境の問題も、 こうした術徴的視 野 の中で、 一層 明 瞭 に 浮 か び あ がってくる。さらに、この広域に散在する個々の「地 域」に生きる遊牧民の生産と生活の実態も、マクロ 的に把握されようo この広域づくりは、かなり遠い 将来の長期展望のもとに考えられるものであるが、 今後、君.~内各地にあらわれてくる個々の地域モデル 構想は、こうした広域次元のもとに位置づけられて 研究される必要がある。 広大な砂漠に固まれた標高3950メートルの西ボグ ド山頂には天文台をおき、下界の遊牧砂漠地帯で、は 満天の星空の下、野営しながらのアマチュア天文観 測が考えられ、あるときは、砂漠の遊牧生活を体験

地園田

し、恐竜の谷では太古の歴史をしのび地球を考え、 ボグド山頂高原では、ヤクの集落を訪問するなど、 21世紀にむけて、新しいタイプの逗留型ツーリズム 自然を汚さず、地域住民の主体性にもとづく、住 民 と の 交 流 を 基 調 と す る 、 住 民 の た め に な る エ コ ツーリズムーを模索し提示することになるであろう。 @オアシス都市(ボルガン)構想のためのサブ・ プロジェクト これも遠い将来の長期展望に立つものであるが、 前 述 し た ウ ム ヌ ゴ ビ 県 ボ ル ガ ン 郡 の オ ア シ ス の 泉 (15リットル/秒の清水が湧き出る)を活用して、既 設の砂漠牧畜研究所などを基礎に、研究都市および 畜産加工の拠点、農耕地の拡充による農作物の供給 地として、砂漠の巾に美しいオアシス都市の建設の 可能性を調査・研究する。 さきのオロック湖南北ライン構想とボグド山頂高 原からボルガン・オアシス都市を結ぶ東西ラインを クロスさせることによって、一層多面的で重層的な 広域のゴビ広域構想、を提示する可能性が出てくるで あろう。 こうした“オロック湖保全・南北ライン"および “ボルガンのオアシス都市"の二つの広域構想は、当 面課題となっている郡内各地にあらわれる地域モデ ル構想とあいまって、ゴヒ、地方の将来への展望と夢 が、より確実な道筋として提示されることになり、 これからの調査・研究の積み重ねによって、一層現 実性を帯びたものになっていくはずである。 3.“ホルショー構想"の成立 今ふれたように、前項の五つのサブ・プロジェク トは、 1991年夏の第二次調査の過程で提示されたも のであるが、 92年夏の第三次調査の時点では、定点 調査地域の調査がすすむにつれて、大きく方針を変 更する必要にせまられていた。パヤンホンゴル県と ウムヌゴビ県という二県にわたるとてつもなく広大 な地域に設定された六つの定点調査地域にカを分散 させるのではなく、この定点調査から得られた成果 の上に立って、この巾から一つのまとまりのある特 定の「地域」を設定し、そこに先のサブ・プロジェ グトがそれぞれ掲げる目標と課題にむかつて調査を 集中させ、一つのまとまりのある「地域Jをとらえ、 その内部のメカニズムを重視しながら調査する方針 へと次第に移行していった。 方針がこのように移行していった理由は、定点調

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査地域が広大な地域に分散しているという物理的な 理由もさることながら、 調査 を 重 ね て い く に し た がって、 地域づくりの「主体形成Jの問題が、当時 の地域状況から見て、まず第一に掲げられなければ ならない最重要課題であるということが、はっきり してきたからである。 またもう一つの重要な理由として、次のような点 があった。世界的視野から見ても、農牧業の大規模 経営の行き詰まりは、明確になりつつあり、農牧業 における家族経営の優れた面が再評価されようとし ているとき、モンゴルでは、まさに遊牧の集団化経 営ネグデルの解体がすすみ、私有家畜を基盤にした、 自立した遊牧民家族経営が大勢を占める状況にあっ た。こうしたとき、農牧業における家族経営のもつ 重要性についての深い理解とともに、この家族経営 の優れた面とその限界性の両面を十分に認識した上 で、この長所を伸ばし、短所を補完し得る、自然性 にもとづく、優れた上位の共同組織を構想し、地域 の未来構想、を明雄に描き出すことが急務になってき たからである。 こうしたモンゴルの時代の要請に応えて提起され たのが、“ホルショー構想"であった。この構想は、 第三次調査の直後の

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日に、ウランパー トルで開催された“ゴビ・プロジェクト"のセミナー で、それまでの三次にわたる現地調査の総括として 提起したものである。 調査の中で当時、遊牧の集団化経営ネグデルの解 体の巾から、アルディン ・アジ・アホイタン(自立 した遊牧民家族経営)があらわれ、伝統的な遊牧共 同体ホタ ・アイルが自然に再生しつつある現象に注 目し、この研究に集巾していったのも、こうした状 況が背景にあったからである。 アルディン・アジ・アホイタン(自立した遊牧民 家族経営)→ホタ・アイル(伝統的遊牧共同体)→ ヌフルルル(伝統的隣保共同体)→ホルショー(遊 牧民協同組合)の過程、つまり伝統的共同体の再生 過程から新しいタイフ。の上位の共同組織への止揚過 程を遊牧民たちの自主的な力によって、下から時間 をかけて自然性的に熟成していくこと。これをテコ にして「地域」形成を構想すること。このことなし には、モンゴルの経済の再建も、民主主義の課題も 根本的には達成されることはないこと。これが数次 にわたる調査から得られた私たちの結論であった。 (1)“ホルショー"の構造とその形成過程 ホルショーの構造の最下位の一次元にあらわれる最 小の基礎単位は、アルディン・アジ・アホイタン(独 立遊牧民家族経営)である。その上位の一次元にあら われる共同体組織がホタ・アイル(遊牧共同体)であ り、さらにその上位の三次元にヌフルルル(隣保共同 体)があらわれ、さらにまたその上位の四次元にホル ショー(遊牧民協同組合)があらわれる。ホルショー は、こうした構造をもって成立する。 このホルショーは、形成過程の面から見ても基本 的には、アルディン・アジ・アホイタン→ホタ ・ア イル→ヌフルルル→ホルショーという順序で形成さ れていくのであるが、以下この形成過程の順にした がって、それぞれの次元にあらわれる共同体組織を 順次説明し、ホルショーの構造を明らかにしていく。 アルヂィン・アジ・アボイタン (1唱すii捺 牧 民 家 依 終 営 ) 自立した遊牧民家族経営としての家族経営体は、 歴史上その盛衰のさまざまな形をとりながらも、長 い時代にわたって存続してきたものであり、 これか らも長期にわたって存続していく性格のものである。 人聞が未発達で人間の諸能力が全面的に開花され ていない段階にあっては、とくにこの独立遊牧民家 族経営は、人間の諸能力を開発するすぐれた“学校" の役割を果たす。ここには、すべての要素が含まれ ている。生活のあらゆる知恵、遊牧生産の総合的な 技術体系、共同労働のシステム、経営の形態や方法、 家事労働、手工芸 ・手工業のさまざまな分野、遊牧 文化・芸術の萌芽形態、医療、娯楽、スポーツ福利 厚生、教育の諸体系、相互扶助の諸形態等々が未分 化のままつまっている。ここには、人間の発達を促 すすべての要素が萌芽のまま凝縮されている。それ は、家族というものが本来“いのち"の再生産と“も の"の再生産の“場"であり、いまだこの二つの“場" が未分離のまま重なり合っているという性格による ものであるからである。 基本的生産手段である家畜が、家族の私有である ことから、家族経営の自立性が高まり、労働に対す る経済的刺激、家族経営全体に対する責任!惑が高ま り、家族構成員の経営への創造的参加が可能になる。 家族を基盤にしていることによって、親子、兄弟愛 に支えられた緊密な人間的協力関係を基礎に、相互 の人間理解が深まる。この良質な人間関係は、家族 の枠を越えて拡大・発展していく可能性を卒んでい る。こうしたアルディン・アジ・アホイタン(独立 人間文化・ 15

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ある“遊牧地威論"の生成過程 遊牧民家族経営)が基礎単位となって、ホタ・アイル、 ヌフルルル、ホルショーと上位の共同組織が形づくら れてしべ。 アルディン・アジ・アホイタンは、ネグデル時代 とはちがって五畜(ヒツジ・ヤギ ・ウマ ・ウシ・ラ クダ)を放牧する。したがって、多種多様な畜産物 が家族の手元に確保され、こうした畜産原料が素材 となって、手工芸・手工業の発達を促す。ここで、人 びとが物を“手づくり"でつくることによって、物 の交流を促すだけでなく、人の交流、したがって心 の交流と心の豊かさを地域にもたらし、色彩豊かな地 域形成の重要な契機になる。羊毛・ヤギカシミヤ・ラ クダ毛を原料に、“紡ぐ、編む、織る"という行為、人 びとが“使い、着る"という行為、そしてその他の畜 産原料や地域の自然のあらゆるものを原料にして、さ まざまな分野への手工芸・手工業が拡延していく。こ のことによって地域の自給性は高められ、地域間の交 流の基盤もっくりあげられていく。 アルディン・アジ・アホイタンは、血縁集団とし ての家族であるということ、遊牧の基本的生産手段 である家畜が、家族の私的所有であるということ、 “いのち"の再生産の“場"と“もの"の再生産の“場" が重なり一致しているということ、この三つの特性 によって、ホルショ一、すなわち地域社会形成の核 となり、重要な最小基礎単位になる。 ネグデルが解体し、ホビツアート・ カンパこが

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月に全国的に発生したが、その後の経過 を観察すると、この独立遊牧民家族経営アルディ ン・アジ・アホイタンが急速に増大し、現在では大 勢を占めることになった。こうした状況の巾で、ア ルディン・アジ・アホイタンがもっ歴史的意義と、そ の優れた側面を十分に認識し、このアルディン・ア ジ・アホイタンを土台にして、その上位にどのよう な共同体組織が可能なのかを研究することが、今最 も大切な課題として要請されている。 ホタ・アイル(~傍牧共同体) 市場経済への移行直後に、自然に再生しつつある ホタ・アイルの形態に注目したい。これは、モンゴ ルの遊牧史上およそ500年間の歴史を有する伝統的 な遊牧共同体である。 地域によっては草生量が少な いこと、家族の労働力、つまり働き手の数が比較的 多いことなどから、ホタ ・アイルの形成が見られな いで、一家族が単独で孤立して広大な地域に散在し ている場合もみられるが、ネグデルの解体と家畜の 私有化の実施にともなって、ホタ ・アイルの形成が ホタ・ アイルの家族ゲル。夕刻、ヤギ・ヒツジを追っ て家路を急く。 自然性的に発生している。遊牧共同体の伝統の復活で ある。 この復活は、ネグデル時代とはちがって一家族当 りの私有家畜が増人ーし、ほとんどの家族が五畜を全 部放牧することになったことと関連している。ネグ デル解体後あらわれたアルディン・アジ ・アホイタ ン同士、あるいはホビツアート ・カンパニの成員家 族同士、あるいはアルディン ・アジ・アホイタンと ホビツアート ・カンパニの成員家族との間の組み合 わせによるホタ・アイルの形成がみられた。ホビ ツアート ・カンパニとの賃貸契約による家畜を含み ながらも、基本的には私有家畜を基盤にした自立し た家族経営が、このホタ・アイルの構成基礎単位に なっていることに注目すべきである。なぜなら、郡 規模で全家畜頭数の 50~70% が私有家畜になった状 況では、ホビツアート・カンパニの家畜を賃貸契約 によって副業的に位置づけて、ホビツアート・カン パニをむしろ利用している事情があったからであ る。ホビツアート・カンパニの成員家族経営をアル ディン・アジ・アホイタンと規定してもおかしくな い状況が、

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年の夏の段階でもあらわれていた。 ホタ ・アイルの構成家族は、近親の血縁関係にあ る家族から、親密な友人の家族に至るまで、その組 み合わせの選択は、遊牧民の自主性にもとづき、極 めて自由自在である。決して上部から組み合わせを 強制されてできるものではない。ホタ ・アイルの結 合・離散は、季節によっても比較的自由自在で、こ のことをはじめから認めたものでなければならない。 アルデ、ィン・アジ・アホイタンからホタ・アイル への形成過程は、それぞれの家族の内部事情や他家 族との関係など、極めて微妙繊細で、白然性的なも のであること、これを行政的指導によって強制され

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