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4. これからのモンゴル
今回モンゴルを訪れて、強く印象に残ったのは次 の3点であった。第1はウランパートルの田Tの件ま いである。これが何とも不自然で、ギョッとした。10 階建てぐらいのアパートが林立しているのだが、そ のすぐ脇には粗末な木造りのバラックが解、数に広 がっていた。その巾にはいくつものゲルも混ざって いた。 2‑3年前まではゲルはもっと多かったのだ が、急激に木造りのバラックに変えられているのだ という話だ、った。こういう状態で60万の人達がこの 平原の中の首都に、いわば仮住まいをしているので
チベットの風景② ラサの中心部
ある。
次に驚いたことは、この10階建てのアパートの近 代的設備である。アパートは皆冷暖房完備で、 24時 間の給湯サービスを受けている。だから人々はしばし ば朝シャンを楽しんでいる。何とも賛沢な話である。
とはいえ、短めてしばしば停電があり、給湯も中断す るということであった。これがロシア式ということな のだろうか。ともあれ、私には、このアンバランスが ひどく印象に残った。
第 3にこれまた強く印象づけられたことは、牧民 の落ちついた生活であった。首都のウランパートル では上に見たように、とにかく異常づくめという感 じだ、ったが、一歩、郊外に出るとそこには落ちつい た牧民の世界があった。その生活をつぶさに見て、草 原に生きる人達の伝統に基づいた豊かな生き方、落ち ついた生活にはつくづく感心させられた。
こんなモンゴルを見て、私はやっぱり、モンゴル はモンゴルらしく生きていくのが一番いいと強く 思ったのである。自分の歴史を振りかえり、今の 狂ったような経国のやり方は一刻も早く正すべきで はないかと思ったのである。
考えてみると、モンゴル人達はつい100年前まで は本当にいい、モンゴルらしい生活をしていた。ヂン ギスハンが世界制覇をした時は勿論素晴らしかった。
それと同じように、その後も彼等はモンゴルらしい生 活を続けてきた。巾固に抑えつけられていたといわれ る明・清時代もそれなりのモンゴルらしい生き方をし てきたのではなかろうか。私には封建領主達が希望を かかげ、ボクド・ゲゲーンを戴いて君主制国家の建国 を宣言した時などは、そのモンゴルらしさがひとつの クライマックスになった時ではなかったのかと考えて いる。
モンゴルがおかしくなったのは、彼等が共産主義国 家の建設などという悪夢にとりつかれてからである。
1930年頃にはまだ、モンゴルにはモンゴル族という民
人間文化・ 105
ひとつの(世界単位)モンゴル
族に生きるべきだという人達と、いや世界のプロレタ リアートとして生きるべきだ、という一つのグループが あった。しかしソ連の後押しを受けたチョイバルサン が出てからは、前者は徹底的に駆逐され、モンゴルは モンゴ ル性を一気に失っていった。固有の文字を投げ 捨て、固有の宗教から引き離され、固有の社会組織を 崩壊させ、あげくの果ては回有の牧畜の仕方まで変質 させてしまった。結果は先に見た奇怪なウランパート ルの件まいなのである。そして、人々は、やっと今に なって、この半世紀以上の歴史が誤りであったことを 確認したのである。
モンゴル人達の1990年の確認は正しいことだと私 は思う。だが、私をしていわしむれば、モンゴル人 達は今また同じ誤りを犯そうとしている。今度は共産 主義に替わって、世界資本主義を受け入れようとして いる。だが、これは大変危ない。特にモンゴルのよう な国にとってはそうなのである。
考えてもみよう。およそ 普遍論理"といわれるも のにはいつも大きな欺臓がある。例えば、世界の経 済発展といっても、その根底にあるものはまず自国 の発展である。先進国は経済発展は相手国にとって も良いことなのだという。だがこれはごまかしであ る。多くの場合、それは搾取以外の何物でもない。
ロシアの場合がそうだ、ったし、今、日本やアメリカ のやっているのがそれである。
それに、こと世界資本主義に関しては、もうひと つ問題がある。それは成長の限界ということである。
世界経済の発展というけれど、もう地球は谷量一杯 まで発展してしまっているのだから、これ以上の発 展はありえない。どこかがより大きなパイを取ろう とすれば、どこかはより小さくせざるをえないよう
トルキスタンの風景② ボサラのマドラサ(神学校) 撮 影 菅 谷 文 則
な状態に達してしまっている。もし、まだ発展を望む とすればそれは世界を一律に発展させるという考え方 ではなくて、もっと、個々のケースに応じた、地方に 根ざした、木目細かい発展である。すなわち、世界資 本主義などというものではなく、個別主義的な手法で やって行く発展である。
話は少し大きくなるが、この問題は超近代の世界 の生き方の問題と直結している。地球世界を単質な ものと考えて、そこに一つの普遍論理を通そうとす るのか、それとも、世界は多様であり、それぞれの (世界単位)ごとの生き方が追求されるべきであると 考えるかの違いに直結しているのである。
私自身は(世界単位)論者である。その世界単位論 者の目から見た時、モンゴルほど魅力的な(世界単 位)は他にはあまり例を見ない。モンゴル高原とそ こに現存する牧民文化やモンゴル社会は人類の宝の ようにさえ私には見えるのである。
個別文化を残すということは決してパラ色のことば かりがあってできるのではない。経済的にも、また政 治的にもがまんしなければならないこともあるかも知 れない。例えば、多少の貧乏は甘受することが必要に なることもある。人‑事なことはそれに耐え、しかし斡 持を持って生きて行くということである。それがあっ てはじめて、一つの地域はそれ自体でありうるし、ま た、それを踏まえて多文明の共存した本当に美しい21 世紀の地球はありうるのである。私はそう考え、モン ゴルはぜひその体現者になってほしいと思うのであ る。
最後になったが、モンゴル滞在中にお世話になっ た多くの方々には深い感謝の意を表したい。ゲルや アパートで私達の質問に答え、御馳走をして下さっ た方々は大変多い。こうした方々のお名前をいちい ち上げることは出来ないが、せめて、 G.ミエゴン ボさんとムンフツエツェックさんのお名前だけは記 しておきたい。前者は元党大学長であり、今回の調 査のカウンターパートであった。後者は完壁な日本 語を話される、女性歴史家であり、フィールドには、
いつも通訳兼歴史の先生としてついて来て下さった。
このご両人にはことの外お世話になった。ありがと うございました。
人間文化 f 開問東のデザイン ( 3 )
人 間 文 化 学 部 の ゲ ル
人間文化学部では、一棟のゲルとその中(こ人る生活財(家財 道具)のワンセットを研究資料として所蔵している。これは現 地調査の実胞に先立ち、1996年春、ウランパートル市で購入し たもので、ゲJレは昨年の調査でも訪れたフブスグル県の出身者 によって製作された。生活財は近代fヒ以前の伝統的生活様式を 想定して収集しである。
現夜までに、本学キャンパスのけ"L、て、ある│百1,ヰ情報センタ 日ijの広場、交流センター内のホワイエ(ロビー)などに組み立 て、授業での活用のほか、学生や市民にむけて、期間をIHi!って 公開展示している。
本 号 は 人 間 文 化 学 部 が3年 計 画 で 進 め て い る モ ン ゴ ル 学 術 調 査 の 中 間 報 告 と な る 論 文 を 集 め ま し たO
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特 集 と す る た め 、 地 域 文 化 学 ・生 活 文化 学のあり 方 に 関 す る 論 考 、 地 域 フ ォーラ ム へ の 投 稿、人間 文 化 通 信 な ど の 情 報 ペ ー ジ は 次 号 送 り と し ま し た。昨 年 に 続 い て 、 今 年 の 夏 に も 本 学 部 の 教 員 ・ 学 生 を中心とする百十10数名がモンゴルに渡り、い く つ か の テ ー マ で 調 査 を 行 っ て き ま し た。ただし、編 集 の 都合により、この 号 に 掲 載 し た 論 文 は 昨 年 夏 ま で の 調 査 に も と づ く も の で す。
モンゴルは1990年 前 後 か ら の 新 体 制 へ の 移 行 、 経 済 の 白 山化によっ て 、 日 本 で も 急 速 に 閃心 が 高まっ て い る 固 で す。観 光 や ビ ジ ネ ス の た め の 波 航 者 も 増 え、豆、速な柏会変動による混乱についての報道など も 増 え て い ま す。しかし、 本 号をj亘 読 す る と 、 そ れ ら と は ま た 別 の 、 地 域 文 化 研 究、生 活 文 化 研 究 の 視
,t:.r:からみたモンゴル遊牧社会の様相、その変動のあ り さ ま が 浮 か び 上 が っ て く る の で は な い で し ょ う か。
ま た 、 私 た ち の 連 の モ ン ゴ ル 研 究 を 通 じ て 、 大 学 内 外 を 含 め た 議 論 ・ 交 流 が 進 め ら れ 、 あ り う べ き 人 間 文 化 研 究 の ひ と つ の 方 向 が い っ そ う 明 確 に な っ て い く こ と に も 期 待 し て い ま す。
最 後 に な り ま し た が 、 ま た し て も 発 行 の 遅 れ に よ り 各 方 面 の み な さ ん に ご 迷 惑 を お か け しました。次 号 以 降 は 、 編 集 体 市JIの見直しを合め、定期刊行に│白l け 努 力 し ま す 。 今 後 も み な さ ん の ご 理 解 ・ ご 協 力 を お願し、します。(IIl
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矢)編集委員・
黒田末書・面矢d限介‑l甫音目安美子・大橋松千丁・棚瀬慈郎
人間文化 3 号
滋 賀 県 立 大 学 人 間 文 化 学 部 研 究 報 告 3号 発行日