“科学はまじめな遊びなんだよ”
レオン・パーキンズ
中学 1 年生のときの理科の先生 アルドモア中学校,アルドモア ペンシルバニア州,米国,1956~1957 年
【訳注:本書に関係する米国の科学技術関連の省庁と組織】 米国政府の科学技術研究予算は,2009 年度でみると研究開発費総額が 14 兆 7 千 億円(1 ドル= 100 円換算,以下同)で,そのうち,基礎・応用研究費は 5 兆 7 千億 円である.基礎・応用研究費の多い省庁から,①健康福祉省(HHS)の 3 兆円,②エ ネルギー省の 7 千億円,③国防省の 6 千億円,④米国科学庁(NSF)の 4 千億円, ⑤ NASA の 3 千億円である. 健康福祉省(HHS)の 3 兆円のうち,2 兆 9 千億円は生物医学分野の NIH 予算であ る.日本政府の科学技術研究予算では,文部科学省が大きいが,米国の教育省は,予 算 200 億円と小さく,科学技術に関与していない.米国の科学研究の実施組織は全米 の私立大学,州立大学,非営利研究所などであり,NIH,エネルギー省,NSF からの 研究助成金で支えられている.生物医学では NIH の貢献が圧倒的に大きい.
NIH:国立生命科学研究機構(National Institutes of Health).健康福祉省(HHS) 傘下の一機関.国立衛生研究所と誤訳されることが多いが「衛生」ではなく,ヒトの 病気を中心に生命科学の研究,助成,政策,臨床を行なう世界最大の総合研究組織で ある.傘下に国立がん研究所など基礎医学研究と臨床研究を実施する 19 の研究所と, 国立医学図書館などの研究基盤支援組織,さらに,NIH 予算の 8 割以上を全米の 3,000 以上の大学・非営利研究所に研究費(グラント)として審査・配分する科学評価セン ターなどがある.
NSF:米国科学庁(National Science Foundation).国立科学財団,全米科学財団な どと訳されるが,民間組織ではなく政府の研究助成機関である.傘下に自前の研究所 をもたず,全米の大学・非営利研究所に研究費を配分する.NIH が対象とする研究分 野以外の科学,工学,数学,社会科学などを支援する.予算規模は NIH の約7分の 1.
米国・科学アカデミー:National Academy of Sciences(NAS).全米における科 学,技術,医学における著名学者集団で日本学術会議に相当する.会員は約 2,100 人. 日本人会員も数十人いる.科学政策に関する意見を発信している.
米国科学振興協会:AAAS(トリプルエイ,エス;American Association for the Advancement of Science).1848 年設立の科学技術を支援する非営利団体で,科学技 術に関する調査・研究・啓蒙・社会運動を強力に展開している.この手の民間団体と しては世界最大で,有名な科学雑誌『サイエンス』を発行している.なお,このペー ジに引用した米国政府の科学技術研究予算は AAAS の分析を利用した(AAAS Analysis of R&D in the FY 2009 Budget http://www.aaas.org/spp/rd/prev09tb. htm).
はじめに
科学に興味をもつ人はだれでも,科学研究の進め方・あり方を理解したほう がいいと私は考えている.ところが,現代の理科教育・科学教育では,科学研 究の進め方・あり方が理解できるようにはなっていない.科学研究の進め方を 無視し,発見は直線的に進むという線形モデルに固執していて,実験法ばかり を教えている.これはとても問題である.発見がどのようになされるかは,科 学研究の現場にいればわかるが,現実は,直線的に進んでいない.発見にいた る道は曲線的で複雑で曖昧なのだ. 研究者は,研究テーマに興味があって,何らかの貢献ができると考えて研究 を始めるが,成功する場合もあれば,失敗する場合もある.研究遂行には客観 性とロジックが必要だが,それだけでは成功しない.もっとずっと必要なの は,直観と情熱である. 現代の理科教育・科学教育で教える線形モデルは退屈で,人間性が欠け,直 観と情熱は軽視されている.このことは,とても問題だと思う.ただ,これら は本当に表面的なことで,その表面をチョッと引っかけば,興奮,危険,冒険 に満ちた科学研究のワンダーランドを体験できるはずだ.この本では,「科学 研究者は,客観性とロジックを保ったまま,直観と情熱で生きている」という 視点で,科学研究の進め方を記述する. では,科学研究のあり方を理解するのが,どうして重要なのだろうか? 大 衆雑誌は,表紙に挑発的な言葉を使い,科学研究をセンセーショナルに取り上 げる.たとえば,「医学研究は何百万人もの人間をどのようにモルモットに変vi はじめに えたか?」(『タイム』,2002 年 4 月 22 日号)とか,「胚に権利があるのか? 科 学は論点をどうすり替えたか?」(『ニューズウィーク』,2003 年 6 月 9 日号) などとある. 科学技術が進歩した結果,現代では,人の誕生から死ぬまでの社会問題や法 律問題の中心に科学技術が関与するようになった.それで,かつては宗教や哲 学の対象だった思索的問題も,いまや科学研究で扱わざるをえなくなった.一 方,研究者の不正行為や利害関係の事件が発覚し,研究者の公正性に対する疑 念が大きくなるにつれ,国民,マスメディア,政治家は,研究者の倫理観に疑 問をもつようになってきた. それでも多くの人は,人類の健康,繁栄,セキュリティは科学研究の進歩に 依存することを認めている.科学研究以外の方法は悲観的であり,社会政策と 公共政策だけで,決定的な向上を望めないと考えている.しかし,科学技術が 発展したために環境破壊が進んだことも事実である.さらに,科学の新発見が 予期せぬ悲劇を引き起こし,国民を不安にさせたことも事実である.このよう に,科学は人類に大きな利益をもたらしてきたと同時に,悲劇ももたらしてき た.また,これからも予期せぬ悲劇をもたらす可能性がある.それにもかかわ らず,有効で革新的な科学技術は,国の安全保障,繁栄,国際競争力の維持に 必須と考えられている. 私は,2 つの異なる視点で本書を執筆した.1 つ目の視点は,私が約 35 年間, 分子からヒトまで,生物医学の研究をしてきたという視点である.その経験と 知識から本書を執筆した.2 つ目の視点は,と同時に,その年月以上に,私は, 科学技術と社会のインターフェースで起こる哲学的問題,とくに生命倫理と研 究者倫理の問題を研究してきたという視点である.これら 2 つの異なる視点を 組み合わせることで,科学研究の進め方・あり方について多角的に記述し,さ らに哲学的・倫理的な次元に統合することができたと思う.なお,いままで何 度もこのテーマで講義しており,本書の記述はそれらの講義に基づいていると いうことも付記しておきたい. 科学は一枚岩ではないし,研究者コミュニティも一枚岩ではない.“科学”と よばれるものや科学の遂行方法も,時代によって変わってきた.科学雑誌の 『サイエンス』や『ネイチャー』は,宇宙論から経済学まで幅広い論文を扱って
はじめに vii いる.生物学の研究プロジェクトも,事実を記載することが中心のものから数 学的・理論的なものまで幅広い.にもかかわらず,どんな種類の科学研究にも 価値判断は必要である.「何を研究すべきか?」「誰が研究すべきか?」「誰が 払うべきか?」「コストはいくらか?」.そして,研究が終わると,「発見にはど んな意味があったのか?」となる.本書では,生物医学研究とその研究者コミ ュニティを例に,これらの問題に対する答えを示したい. 本書は 2 部構成である.第Ⅰ部は「科学研究の進め方」で,第Ⅱ部は「科学 研究のあり方」である.第Ⅰ部,第Ⅱ部ともにそれぞれ 3 章からなる. 第Ⅰ部「科学研究の進め方」は,第 1 章で科学研究の基本を記述し,第 2 章 と第 3 章で,研究のエッセンスである発見とその信用について詳細に解説し た.発見は世界(つまり研究対象)について新しい何かを見つけることである. 信用は発見が正しいと他人に認めてもらうことである.発見と信用は,研究活 動にとって切っても切れない関係だが,そこにいたるステップは研究者個人の 経歴と性格が大きく影響する. 第Ⅱ部「科学研究のあり方」では,近年,全国レベルで問題視されている「科 学が社会に及ぼす問題」に論点を移す.最初の第 4 章は研究者倫理を扱うが, とくに,科学政策,信頼される研究行為,利害関係,科学の公正性について執 筆した.第 5 章は生命倫理を扱うが,とくに,ヒト研究と遺伝学の間で生じる 問題,インフォームド・コンセントとリスクに注目した.最後の第 6 章は,科 学と宗教の関係について執筆した.科学と宗教はその信仰への原理こそ異なる が,人間にとって両方とも生きるのに必要だと考えている. 私は,学生,院生,教員,学者,科学行政官,および科学に興味をもつ一般 人のためにこの本を書いた.とくに,中学・高校の理科教育,大学・大学院の 科学教育,また,国レベルと世界レベルで科学政策に関心をもつ人々,医学, 歯学,薬学,看護学,理工学,生命倫理学,科学社会学,宗教学の分野の科学 者,研究者,大学教員は,本書を有用だと思うに違いない. テキスト全体にわたって,できるだけ専門用語を使わないように心がけた. また,いろいろなバックグラウンドの読者がなじめるように,過去の出版物を たくさん引用した.といっても,重要な出版物だけを引用したので,文献リス トは,サイエンス・スタディ(「科学研究」の研究)のふつうの論文よりも役立
viii はじめに つと自負している.多くの研究者は他人が適切に自分の発見を引用しないとい う不平不満を抱いているし,私自身もしばしばそう感じている.したがって, 他人の考えを記述する場合,なるべく原典を思い出し適切に引用しようと努め た.ただ,文章の流れが分断されないよう,文献は最後にまとめた. 本書は,通常のサイエンス・スタディの著書より引用文を多く用いている. 引用文の多くはノーベル賞受賞者の著述,あるいは,ノーベル賞受賞研究に関 係したものである.これは,ノーベル賞受賞者が,圧倒的多数を占める非受賞 研究者よりも科学に関する知識が豊富だからではない.また,どの研究者のど の発見がノーベル賞に最もふさわしいかを決めたノーベル委員会の判断が常に 正確だったという理由でもない.もっと現実的な理由である.ノーベル賞受賞 者は,受賞したがために,しばしば回想録を書き,研究者の人生や思索を書き 残している.そのために系統的に引用しやすい,というのが正直な理由だ.ま た,多くの場合,ノーベル賞受賞研究の内容そのものも,いろいろと分析され, 出版されている.私は,科学研究の進め方・あり方の重要な特徴を検証するた めにこれらの回想録と分析を使わせていただいた.もちろん,使わせていただ いた部分は私自身の考え方に合致した部分である. フレデリック・グリンネル
謝 辞
本書の原稿を読み,コメントをしてくれた Mark Frankel, Kenneth Pimple, William Snell, Lee Zwanzigerに感謝する.有用なコメントとアドバイスをくれ た Peter Farnham, Daniel Foster, David Hull, Stephen Jenkins, Mihai Nadin, Michael Ruse, Daniel Sarewitz, Ken Yamada に感謝する.Charles Currin と南 メソジスト大学倫理コロキウムは重要な洞察を与えてくれ,オックスフォード 大学出版局の元編集者の William Curtis は,本書を執筆するように激励してく れ,OUP 編集者の Peter Prescott は執筆完成に大きな力となった.感謝する. 私は,1970 年代,南メソジスト大学の Richard Zaner のもとで哲学を勉強 し,大きな影響を受けたが,そのすぐあと,テキサス大学サウスウェスタン医 学センターの教員になった.数年後,私が 1 年間のサバティカル休暇で Zaner の師であるエール大学の Maurice Natanson のもとで学ぶことになったとき も,Zaner がアレンジしてくれた.というわけで,私の哲学的思考は,Zaner と Natanson に大きな影響を受けている.感謝している.
最後に,本書の完成までの長い年月,最愛の人 Gayle Roth,3 人の子供 Laura, Phillip, Aviva が支援してくれたことを心から感謝している.本書の執筆内容 は, 米 国 NIH( 国 立 生 命 科 学 研 究 機 構 )・ 国 立 医 学 図 書 館 の グ ラ ン ト (LM07526),米国 NIH・総合医学の MERIT グラント(GM031321)の助成を 受けた研究によることも,記して感謝する.とはいえ,本書での議論や意見は 私個人の見解で,米国 NIH の公式見解ではないことをお断りしておく. フレデリック・グリンネル