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はじめに(pdf)

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Academic year: 2021

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はじめに

生命は細胞に始まり,細胞は生命の基本単位とされている.生物と無生物を 隔てている“生きている”という機能は,10−15から10−11リットルという小 さな細胞内で数千から数万種類もの分子によりくり広げられている化学反応に 担われている.細胞内の化学反応にはDNAが自己を複製する反応,DNAを鋳 型としRNAを合成する反応,RNAを鋳型としタンパク質を合成する反応,合 成されたタンパク質が酵素として機能し細胞内の生体分子を相互に化学変換す る反応,細胞外からのシグナルを核内のDNAに伝達する反応などがある.そ れらは自己複製,転写,翻訳,代謝,シグナル伝達といわれ,それぞれが特徴 的な化学反応ネットワークを構成しているが,細胞内では相互に連結し,単一 の化学反応ネットワークとして“生きている”機能,すなわち細胞機能を維持 している. 古くから,そのような化学反応ネットワークを数理モデル化し,その構造と 機能を解明しようとする試みがなされてきた.酵素反応の速度論的解析は1913 年のミカエリス-メンテンの研究に始まるが,1970年代には膨大な酵素反応機 構の数理モデルが整理され,多くの研究が蓄積された.1980年前後には計算機 の高速化もあり,解糖系やクエン酸回路,さらには転写,翻訳系を含む化学反 応システムの動的挙動と制御機構のモデル解析が行われている.その後,赤血 球やミトコンドリア,肝細胞の代謝系の解析も進み,解析対象となる細胞内化 学反応の多様化,大規模化,精密化が進んだ.2000年前後にはMAPキナーゼ カスケードやNF-κB,p53を含む多くのシグナル伝達系のモデル化がなされ, 自己複製,転写,翻訳,代謝,シグナル伝達からなる細胞内の統一的な化学反 応ネットワーク解析の基盤が確立されている. いま,それら化学反応ネットワークを解析する試みはシステム生物学(systems biology)といわれている.システム生物学が“再発見”されている背景には, 生命の設計図とされるゲノムDNAの塩基配列解読に伴う細胞内分子情報の急

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ii はじめに 速な増加がある.ゲノム情報の解読により細胞内に存在するRNAおよびタンパ ク質,酵素の一覧表を手にすることができ,たとえばゲノム情報からヒトの全 代謝ネットワークを構築する試みが複数の研究組織で進められている.また, ゲノム情報に基づくマイクロアレイ技術や質量分析技術,1分子計測技術など 各種計測技術が進歩した結果,生体分子が個々の細胞で時間的・空間的にどの ように発現しているのか,またどのように相互作用し,化学反応ネットワーク を構成しているのかの情報を得ることができるようになった.これら大量の情 報は,細胞の理解を深め,鍵となる生体分子を見いだすことにより,発生・分 化などの細胞機能を人為的に制御する道をも拓きつつある.しかし全体として みると,いまだそれら日々蓄積される情報は「諸事実の集合体」の段階にある. システム生物学はそれら諸事実の集合体から細胞内の化学反応ネットワークの 構造を明らかにし,その機能を解析することを目的としている. システム生物学は細胞の特性に照応した数理モデルを構築し,その構造と機 能を解析する試みである.細胞生物学を専攻する友人は「細胞は数学なんて気 にしていないよ」という.真実の重要な側面をするどく突く友人である.友人 によると,同じく電子や分子も数学を気にして運動したり,反応したりしてい るわけではない.しかし,電子や分子はシュレーディンガー方程式やニュート ン方程式に従い運動し,反応している.すなわち,シュレーディンガー方程式 やニュートン方程式に表現された“数学の論理”が“電子や分子の論理”に照 応し,整合的であるかぎりにおいて,電子や分子は数学を気にする.同じよう に,システム生物学が細胞を研究対象とするかぎり,援用する数理モデルに表 現された“数学の論理”が“細胞の論理”に照応し,整合的でなければならな い.本書では,それら2つの論理のあいだの整合性を保証するための必要条件 は,システム生物学の数理モデルが物理化学の法則に基づいていることである と考えている.DNA二重らせんモデルの提唱者の一人であるワトソンは,1965 年に出版した教科書『遺伝子の分子生物学』の第2章のタイトルを「細胞は化 学の法則に従って生きている」とした.この表現そのものは楽観的すぎるきら いはあるが,その当時若い研究者を鼓舞し,いまも多くの研究者を鼓舞しうる タイトルである. 本書は3つの章から構成されている.第1章では,ゲノムDNAの解読以降も

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はじめに iii たらされた多くの情報,とくに細胞内生体分子の網羅的かつ体系的な計測実験 結果をもとに新たに構築されつつある細胞像を概観する.第2章では,細胞を 研究対象としたシステム生物学が援用している数理モデル,とくに物理化学法 則に従った化学反応ネットワーク解析のための数理モデルを解析例とともに詳 述する.システム生物学では,数理モデルの妥当性を実験的検証および予測能 力の検証によって明らかにすることが強く求められている.第3章では,それ ら数理モデルが細胞,おもにヒト細胞の構造と機能の解析に用いられている実 例を紹介する. システム生物学はいまだ,モデルの多さに比べ理論の少ない,幼児期の段階 にある.その背景には“細胞の論理”が多様でかつ複雑であるため,十分には 汲み尽くされていない現状がある.システム生物学が翻って,“細胞の論理”を 汲み尽くす一翼を担うことを期待している.そのためにも,生物学,医学,薬 学とともに工学,物理学,化学,情報科学など学際的な視点から,多くの学生, 研究者がこの分野に参画されることを願っている. 九州大学大学院農学研究院生物機能科学部門の岡本正宏教授,濱田浩幸助教, 田島慶彦博士,岩本一成氏らとの和やかな研究会がなければ本書が生まれ出る ことはなかった.ここに深くお礼申し上げます.また貴重なコメントをいただ いた多くの方々に,この場を借りてお礼申し上げます. 最後に,共立出版の北 由美子氏には常に暖かなご支援をいただいた.ここに 深く感謝いたします. 2008年5月 江口 至洋

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