エルンスト・カッシーラーのマキャヴェリ論 ― 「 シンボル形式」の哲学の政治思想的「到達点」 ―
著者 馬原 潤二
雑誌名 同志社法學
巻 58
号 5
ページ 151‑218
発行年 2006‑11‑30
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011005
エルンスト・カッシーラーのマキャヴェリ論 一五一同志社法学 五八巻五号
エルンスト・カッシーラーのマキャヴェリ論
―
﹁シンボル形式﹂の哲学の政治思想的﹁到達点﹂―
馬 原 潤 二
目 次
Ⅰ はじめに―﹁マキャヴェリ問題﹂
Ⅱ 政治と神話―﹁解釈﹂のモティーフ Ⅲ 政治における人間性―﹁評価﹂の位相 Ⅳ 文化哲学の﹁道しるべ﹂―評価の﹁背景﹂
Ⅴ おわりに―﹁マキャヴェリスト﹂カッシーラー
︵一八二五︶
エルンスト・カッシーラーのマキャヴェリ論 一五二同志社法学 五八巻五号 ︵一八二六︶
Ⅰ はじめに
―
﹁マキャヴェリ問題﹂一九四六年
︑
前年すでに鬼籍に入っていたエルンスト・
カッシーラーErnst Cassirer ︵ 1876 1945 ︶
の遺著﹃
国家の神 話﹄︵ The Myth of the State, 1946
︵げてその白鳥の歌
﹂
であるとともに︑
彼るがこれまでほとんど真正面から取り上﹁
飾掉尾カッシーラーのキャリアのを︶
このがニューヨークで上梓された︒ ︑
著作はおよそ半世紀になんなんとする哲学者 1︶こなかったテーマを本格的に取り扱ったはじめての著作でもあった ︵
思想率直の彼自身
︑
には記述その︑
しかし︒
っている語にをこれまでになく見解についてのみずからの政治思想︑
るが︒
ぶりではあ口な慎重やや︑
カッシーラーはここで 2︶的スタンスからすると
︑
一見したところ意外と思わせるような︑
さらにいえば戸惑いを覚えさせるような箇所が少なくない ︵1469 Machiavelli Niccolo
政治思想家︵
マキャヴェリ・
ニッコロイタリアはフィレンツェの期ルネッサンス︑
ばたとえ︒
3︶1527 ︶
について︑
彼は次のように述べている︒
マキャヴェリズムが欺瞞とか偽善を意味するのなら︑
マキャヴェリは決してマキャヴェリストではなかった︒
彼はなんら偽善者ではなかった︒
彼の私信を読んでみると︑
われわれがいたずらにとらわれている観念や先入主とはまったく異なった別のマキャヴェリ
︑
つまり︑
腹蔵なく︑
偏見なく︑
ある率直さをもって語る人間を見出して驚かされるのである︒
その人間について妥当することは︑
また︑
著作家そのひとについても妥当する︒
この政治的策略や背信についてのすぐれた教師
︵ great teacher of political trickery and double crossing ︶
は︑
おそらくもっとも誠実な政治的著作家︵ the most sincere political writers ︶
の一人であった ︵︒
4︶エルンスト・カッシーラーのマキャヴェリ論 一五三同志社法学 五八巻五号 このようなマキャヴェリ評価の言葉を
︑
われわれはいったいどう理解すればよいのだろうか︒
われわれはすでに︑
カッシーラーが﹃
啓蒙主義の哲学﹄︵ Philosophie der Aufklärung , 1932 ︶
の著者であるということ︑
そしてその彼がみず から二十世紀における啓蒙主義思想のパイオニアをもって任じてきたことを知っている ︵︑
り共和政の精神的弁護人であ︑
ー両大戦間のドイツにあってルマ︑
れ討してきたようにイわわれはこの哲学者がヴァ︑
また︒
別稿においてすでに検 5︶リベラルな民主主義の灯を守り抜こうとした数少ない知識人の一人であったということをも知っている ︵
素の
﹁︽
したこの展開するかのごときディスクールを向否定っ真を政治的見解自身︑
にあるものが立場かかる︑
ばるなら︒
えてみ考そう 6︶晴しい極悪無道
︾
の主張者 ︵︒
ないというべきであろう 事実をかしげざるをえ首いささか︑
にはという﹂ ﹂
っている買﹁
く高マキャヴェリをかくも 7︶それどころか
︑
右の発言が﹃
国家の神話﹄
という全体主義批判のコンテクストにおいてなされているということを勘案するならば︑
マキャヴェリに対するカッシーラーのこのような態度は︑
ますますもって不可解といわざるをえなくな ってくる︒
一方においてナチス・
ドイツに対する思想的批判の論陣を張っておきながら︑
他方においてマキャヴェリという﹁
何らの道徳的なためらいにもわずらわされない純然たる権力政治 ︵﹂
の正統性を吹聴した思想家を評価するという 8︶のは
︑
それこそまさしく矛盾というものではないのか︒
さらにいうならば︑
ほかならぬこのマキャヴェリこそは︑
カッシーラーその人が批判してやまなかったナチス流保守主義革命のいわば精神的指南役であり
︑
いわゆる﹁
第三帝国﹂
において血肉をえた権威主義国家をあからさまに肯定し賛美した当の本人だったのではなかったのか︒
事実︑
西洋思想の流れのうちに全体主義思想のルーツを読み取ろうとするものにとって
︑
政治思想家マキャヴェリは―
プラトン︑
ヘーゲル︑
そしてニーチェなどとともに―
まさしくそのようなものとして︑
すなわち﹁
未来の︽
ファシズムの行進︾
にた いして非常に尽くしたもの ︵﹂
として糾弾されていたのである 9︶︵︒
カッシーラーと同時代人の歴史学者ゲーアハルト・
リッ 10︶︵一八二七︶
エルンスト・カッシーラーのマキャヴェリ論 一五四同志社法学 五八巻五号
ター
Gerhard Ritter ︵ 1888 1967 ︶
のような保守的な人物でさえ︑
その著書﹃
権力のデーモン―
近代政治思想における権力問題の歴史と本質についての考察
﹄︵ Die Dämonie der Macht. Betrachtungen über Geschichte und W esen des
Machtproblems im politischen Denken der Neuzeit . 1947 ︶
において︑
マキャヴェリについては次のように述べざるをえなかった
︒
マキャヴェリが鬼才
︵ Gran Ingegno ︶
の作品として思い浮かべたのは︑
民衆国家︵ V olksstaat ︶
ではなく官憲国家︵ Obrigkeitsstaat ︶
であった︒
少なくとも︑︵
民衆の︶
熱狂によるよりは︵
権力の︶
テロによって支えられる政 治的権威であった︒ ⁝⁝
かれは民主的な民衆本位主義︵ V olkstumsidee ︶
の先駆者ではなかったが︑
近代ヨーロッパの最初の国民主義者であり︑
同時に軍国主義者であった︒
ファシストのイタリアがマキャヴェリに特別の敬意を 払ったのは︑
そのためにほかならない ︵︒
11︶もちろんカッシーラーもまた
︑
マキャヴェリの思想のこのような危険な側面を決して看過していたわけではない︒
というよりも︑
彼のような亡命の﹁
故郷喪失者﹂
ほど︑﹁
マキャヴェリ思想の鋭い刃﹂
の真の恐ろしさを身をもって体験 したものはいなかったというべきであろう︒
一族の離散︑
旧友の裏切り︑
近親者の悲惨な最期︑
自身の急速な健康の悪化︑
祖国ドイツの急激な変貌︑
そしてイギリス︑
スウェーデン︑
アメリカへのいつ終えるとも知れぬ逃避行 ︵⁝⁝
ドイツ 12︶を追われてからというもの
︑
つねに自決を覚悟していたというこのユダヤ系ドイツ人にとって ︵ちはだか観念立に身そのとしてつねに
﹂
現実﹁
の所与︑
としてではなくな抽象的なる単︑
は暴力性のあからさまな政治 権力な的マキャヴェリ︑
13︶っていた
︒
そして︑﹃
国家の神話﹄
の次のような一節― ﹁
マキャヴェリズムは︑
その諸原理が後に︑
より大規模な舞 ︵一八二八︶エルンスト・カッシーラーのマキャヴェリ論 一五五同志社法学 五八巻五号 台や
︑
まったく新たな政治的状況に適応されるに及んで︑
それの真の相貌とそのまぎれもない危険性とをあらわしたのであった︒
この意味では︑
マキャヴェリ理論の帰結は︑
現代にいたって初めて暴露されたということもできよう︒
今や︑
われわれはマキャヴェリズムを︑
いわば拡大鏡を通して研究することができるのである ︵襲いかかったこのようなだったのである言葉らせた語が政治的体験な過酷 ︵ に彼自身に実
︑
は一節という﹂
14︶︒
15︶にもかかわらず
︑
カッシーラーは﹃
国家の神話﹄
において︑
現下の状況に対するマキャヴェリの思想的責任を追及することはおろか︑
その政治理論にむかって非難がましい言葉を投げかけようとする気配すらみせていない︒
それどころ か︑﹁ ︵
マキャヴェリについては︶
ほかのいずれの著作家の場合より以上に︑﹃
嘲わず︑
悲しまず︑
呪いもせず︑
つとめて理解する﹄︵ Non ridere, non lugere neque detestari, sed intelligere ︶
というスピノザのマキシムを思い浮かべることが必要であろう ︵
マキャするいらだちや
︑
はむしろ筆致その︒
じられないといってよい感も微塵︑
じさせるようなエートスなど感を敵意 対に書記官このフィレンツェの︑
からは文体の論きをもってはじまるそのマキャヴェリ書し但という﹂
16︶ヴェリに対して明らかに好意的であり
︑
さらにいえば―
カッシーラー研究の第一人者ジョン・
マイケル・
クロイスの指摘にもあるように―
このマキャヴェリに関する考察こそが﹃
国家の神話﹄
という著作のいわば﹁
中点﹂︵ Mittelpunkt ︶
をなしているかのような観すらあったのである ︵︒
これはいったいどういうことなのか︒
全体主義国家と対決するにあた 17︶って
︑
敵方のイデオローグと思しき人物を﹁
新たな政治学の創始者―
その思想や理論が近代世界に大変革を引き起こし︑
社会秩序を根底から震撼せしめた偉大な建設的思想家︵ the great constructive thinker
︵︶﹂
などと評価しなければな 18︶らない必然性は
︑
どこにあったというのであろうか︒
カッシーラーがマキャヴェリを好意的に評価するということは
︑﹃
国家の神話﹄
執筆当時の彼の現実的状況からはおよそ説明しがたい
︒
この亡命の哲学者を取り巻く政治的状況からすると︑
われわれはカッシーラーがマキャヴェリを評︵一八二九︶
エルンスト・カッシーラーのマキャヴェリ論 一五六同志社法学 五八巻五号
価する動機を見出せないばかりか
︑
逆にそのような動機の存在に疑問符を突きつけざるをえなくなってしまう︒
とするならば
︑
われわれはこの問題をむしろまったく別の次元―
カッシーラーの当時の思想的状況との関連において検討しようとするのでなければならないというべきであろう︒
そのためには︑
われわれは全体主義国家という﹁
現代の病的状 態を診断 ︵をはじめる点議論するところから検討ということを
︑
しようとしていたのか評価し共感にまたそのどの︑
していたのか 解釈をどのようなものとして思想カッシーラーがマキャヴェリの︑
において著作するためにものされたこの﹂
19︶のでなければならない
︒
そしてそこからさらに︑
カッシーラーその人の当時の思想的取り組みである﹁
文化哲学﹂ ︵ Kulturphilosophie ︶
が︑
かかる解釈や評価とどのように関連しているのかということを確認しようとするのでなけれ ばなるまい︒
この﹁
アメリカで新しくとり組んだ著書 ︵︒
ならないのだばをはじめようとするのでなけれ議論のようなところから 組こ︑
もうとするものはり取に﹂
問題マキャヴェリ﹁
における﹂
20︶してみれば
︑﹃
国家の神話﹄
において展開されたマキャヴェリ論の全容を解明するということは︑
そのままカッシーラーの﹁
文化哲学﹂
が到達するにいたった思想的境地を︑
とりわけ政治思想の側面から明かにする作業にそのまま結び ついているということになってこよう︒
そして︑
このことはまた︑﹃
ソーシャル・
リサーチ﹄
誌におけるレオ・
シュトラウスLeo Strauss ︵ 1899 1973 ︶
の書評以降︑
今日までカッシーラーの﹁
著作の中の一等のものとは言いがたい ︵﹂
とさ 21︶れてきた
﹃
国家の神話﹄
の思想的意義を︑
ふたたび問い直すということをも意味しているといってもよいであろう︒
このような課題については︑
一九九〇年代以降のいわゆる﹁
カッシーラー・
ルネッサンス﹂
と呼ばれるカッシーラー哲学見直しの動きのなかで
︑
すでに多くの研究者によってその重要性が示唆されてきた ︵その問異
︑
ついてはなった観点からいをこれまでとは直そうとする研究が確実につみかさねられている思想的意義 ︵ に﹄
神話の国家﹃
に実際︑
そして︒
22︶︒
に 23︶もかかわらず
︑
この﹁
マキャヴェリ問題﹂
については︑
今日においてもなお︑
そのアウトラインすらほとんど明らかに ︵一八三〇︶エルンスト・カッシーラーのマキャヴェリ論 一五七同志社法学 五八巻五号 されていない状態で
︑
いまだ本格的に究明されているとはいいがたい︒
そこで本稿では︑
カッシーラーのマキャヴェリ論について検討する作業をとおして︑
この哲学者が最晩年になって抱懐するに至った政治思想的見解の輪郭を透写するとともに
︑
そこからさらにどのような思想的意味を見出しうるのかを考察していくことしたい︒
以下︑﹃
国家の神話﹄
において︑
カッシーラーがマキャヴェリの政治思想をどのようなものとして理解していたのかを確認するところから︑
議論をはじめることにしよう
︒
︵
University CassirerForeword by Charles WHendel in Ernst . , Myth of the State, Yale The しのそ︑らたいてれ稿原げのて複﹂︵いたれさなも写 彼ーラーシッカ︵月︑の日三一の四年五四︶し突の一上仕はに前日数死然るぎす早てそ︑の九﹁及れ言はがある︒そによると︑この著作の 1らげ掲に頭冒のい書本︑はて神つに情事の立成の﹄話たの家国﹃れ︶カー少多に文序のルデンヘ・ズルャッチ僚同の学大ルェイのーラーシー Press, 1946, p.vii. ただし括弧内引用者︶状態であったという︒ヘンデルによれば︑この著作は﹃人間についてのエセー﹄と同様︑周囲の強い要請に応えて書かれたものであった︒彼は次のように証言している︒﹁彼と親しかった人たちの何人かが︑思い切ってこう尋ねてみた︒あなたには﹃過去の歴史や︑科学や文化について書こうのとするかわりに︑今日起こっていることの意味するところを語る気はないのでしょうか︒あなたには浩瀚な学識と叡智―あなたと一緒に働いているものには︑そのことがよくわかっています―がおありだが︑あなたはほかのことにも︑その助けを与えるべきでしょう﹄︑と︒そこで彼は一九四三年から四四年にかけての冬に︑﹁国家の神話﹂というテーマの著作のためのスケッチをおこなうことにした︒一九四四年六月の﹃フォーチュン﹄誌は︑彼がその時点で執筆していたものを要約した構想を掲載した︒ついで︑一九四四年から一九四五年のあいだに作成されたこの著作︵﹃国家の神話﹄︶は︑そもそも彼の親友たちの要求に応えるところからはじまったこの仕事を完全に実現したものなのである﹂︵ibid.,p.x. ただし︑括弧内引用者︶︒この間の事情については︑カッシーラーの妻トーニ・カッシーラーの回想にも詳しい︒Vgl. Toni Cassirer, Mein Leben mit Ernst Cassirer, Felix Meiner Verlag Hamburg, 2003,
S.315321. また︑カッシーラーは﹃国家の神話﹄を執筆するにあたって︑﹃フォーチュン﹄誌に掲載した論文以外にも多くの準備原稿を用意し︑大学の講義のなかでもさかんにみずからの構想を紹介していた︒そのなかでも︑﹁哲学と政治﹂︵Philosophy and Politics, 1944︶︑﹁ユダヤ教と現代の政治的神話﹂︵Judaism and the Modern Political Myths, 1944︶︑﹁われわれの現代の政治的神話の技術﹂︵The Technique of Our Modern Political
︵一八三一︶
エルンスト・カッシーラーのマキャヴェリ論 一五八同志社法学 五八巻五号 Myths, 1945︶については︑Ernst Cassirer, Symbol, Myth, and Culture. Essays and Lectures of Ernst Cassirer 1935
‑, Donald Phillip 1945 Verene ︵ed︶, Yale University Press, 1979.︵エルンスト・カッシーラー﹃象徴・神話・文化﹄︑神野慧一郎︑薗田坦︑中才敏郎︑米沢穂積訳︑ミネルヴァ書房︑一九八五年︶を参照されたい︒︵
︵ 点余地があるといわざるをえないであろう︒こののについてはの課題としたい︒今後 カがどこまでーッシラーそ構成︑の体全作著こ人とるすらか葉言のののと意討検もとくな少︑とこういはかに図のるところす合たしてい致 ibid経大半その︑ておりなを吟味綿密の彼て︑についてに私たちは実際個人的に議論する機会をえた﹂︵︶とのことであるが︑このヘンデルの Hendel, op.cit.,p.ix.さて﹂︵だとういといないしれ認確はでちたか出うよたなこ︶部べすどんとほ︑﹁ていつには二る第べてい述︒部とと一第 ―そ︒た版てれさなが備準いて出で方りやじ同と﹄ーセエのといれののり違提ここ︑を部三第のそけわにととがいただひはつ人者その著 たい印象けを受る︒事実がてい言はとるいしなを説論のヘ︑︑﹃ン国とつに間人﹁﹃は﹄話神の家でデかなの文序たげ挙に先はルつひてしと のも︑部構成のこし著作は︑て﹄にち話神の家国︒﹃たっかなくなの三にぶ体述︑で確明不つとひ今がきつ全す︑むるようにべ各の内容の部 ︑﹄︵学術房九一九四年︶定所論る決非と論定決けおに学理物代︑収書二ま少がとこましてし六手を稿原放まな四い︶︑十分頁推え敲なう加を 年出版のドイツからの亡命以後彼は自分が書いたものをかなり急いで︑傾向するエルンストがあり現﹃カッシーラー・﹂︑訳者解説﹁山本義隆︵ ――決定論歴因果問題のと非お論定決るけ的に学理物代現﹃作著史﹄︑体三三九一︑にうよるあもに摘指の隆義本山るあで者訳究研的系の 2ラ︑人本ーラーシッカでまこどは意ていつにとこのこ︑しだたーの向ー討シッカ︒るあが要必くおてし検がに分十をかのたいてれさ映反︶ Dorothea Aufklärung , Geschichteund in „Cassirer: Michael John Vgl. Krois WPhilosophieund Kultur irkung. erk und WCassirers Ernst “3︶
Frede, Reinold Schmücker ︵Hrsg︶, Hamburg, 1997, S.137. ﹃国家の神話﹄においては︑カッシーラーの立場からすれば︑当然批判されてしかるべき思想が評価されているなど︑不可解と思われるような箇所が少なくない︒この点については︑ジョン・マイケル・クロイスの指摘にもあるように︑当時全体主義と関係を疑われた数々の思想家を次々と﹁シロ﹂と判定しているところに顕著にあらわれているといえよう︒たとえば︑プラトンを政治的思惟への神話的思惟の介入を阻止した思想家として高く評価し︑十九世紀のドイツ・ロマン主義者たちを政治的な全体主義とはまったく関係のないものとしている︒また︑カッシーラーはここで︑﹁二十世紀の神話﹂を準備したものとして︑カーライルの英雄崇拝︑ゴビノーの人種理論︑ヘーゲルの国家崇拝の思想を次々に俎上に挙げているが︑いずれもナチズムの発生には直接的な関係をもたないものとみなすなど︑みずからの啓蒙主義的な見地に敵対するように思われる思想を擁護するかのような発言を繰りかえしている︒クロイスはこのような記述を︑カッシーラーの全体主義観を反映するものと説明しているが︑この点については︑クロイスの論考のほかに︑拙 ︵一八三二︶
エルンスト・カッシーラーのマキャヴェリ論 一五九同志社法学 五八巻五号 論﹁エルンスト・カッシーラーと﹃啓蒙﹄の行方―﹃シンボル形式﹄の哲学から﹃シンボル形式﹄の政治へ―︵
︵ 二︒されたい参照を第二章の︶一年〇〇︑第二七五号所収 2・﹄学法社志同﹃︶﹂︵完
︵ MS―略記︑は引用の以下︑一九六〇年一五五とずしも六頁︒以下︑本書をする必邦訳なお︒に︒していない一致 Ernst Cassirer, Yale , Press, 1946, p.120.University Statethe of Myth The 4︶創文社︑宮田光雄訳﹄︑神話の国家﹃カッシーラー・エルンスト︑ ――5へらボル形式﹄の哲学か﹃治シンボル形式﹄の政ン﹃シッ拙論﹁エルンスト・カシ︶ーラーと﹃啓蒙﹄の行方︵
︵ 二︒されたい参照を︶年〇〇〇︑第二七四号所収 1︶﹂︵﹄学法社志同﹃ s 19ie Hamburger Universität von b19ndis 1933“ inErnst Cassirer der uunVgl.Barbara Vogel „Philosoph d liberaler Demokrat. Ernst Cassir6︶ Werk und Wirkung. Kultur und Philisophie, S.185214. また︑拙論﹁エルンスト・カッシーラーと自然法思想―﹃シンボル形式﹄の哲学の﹃政治的﹄転換点―﹂︵﹃政治思想研究﹄第二号所収︑二〇〇二年︶を参照されたい︒︵
︵ ,p.144,MS7︶邦訳一八八頁︒
︵ ――8フォアレン﹄︑︒一八頁︑一九七八年︑創文社︑宮田光雄監訳カールダ社会理論=︶の近代・マキャヴェリからレーニンまで﹃ー国家
︵ MS,p.190.9︶邦訳二四六頁︒
︵ ﹂発生にを負う﹁非合理主義責任のい手として断罪している︒担 は︑その当否︑ともか一八かでルなの書本はチーカ紀︒るきでが世く後想半義主体全くとごとこをれ流のの思紀ツら二十世かにたるドイい 第著作集﹄巻一二およびー第チ理カル﹄︵﹃壊破の性﹃作著のジルョ三一社巻水所とこるげを︶年八六九一︑挙白︑収︑飯宗享島生松敬三訳︑ 系てのこ︑たま︒るい議し開展を論つのていの統ば著い﹂ジ・チーカル︑えと作のもな端極もとっもでに会のあ社自身持論でる﹁開かれた 一九八︶年〇著作︑未来社︑内田詔夫訳︒があげられよう政治思想ポッパーはそのの第一部においてプラトンやマルクスのを批判しつつ︑彼 でもっともして方するやり批判全体主義出い洗を思想的系譜のなものといえ有名・ば社会︑小河原誠﹄︵とその敵かれた開﹃ポッパーのカール︑ の︑思想家よなかでもこのなく歴でりかば家史なうよのータッリうな方法もでかな︒い多数はのもたしとうよし察考を義主体全にとものた 10用義よし解理らか面側的想思を主と体全︑は方りやなうよのこしうす引ピに次︒たっあで法方なーラュポるてめわき時当︑ていおにき向︶
︒一九五三年︑書房 貞った西村よ二にがる全文あと交親も人本ータッリがい古々少訳るあ思ずすみ︑訳二貞村西﹄史想力は権﹃ータッリ・トルハルゲ︒︑に作 11 ﹄集全リェヴャキマ﹃﹄︑性魔力の権﹃ータッリ・トルハアーゲ補︶巻二著のこ︑おな︒頁〇五一︑年〇収〇二︑房書摩筑︑訳一淳上村︑所
︵一八三三︶