一九 五〇 年代 にお ける フラ ンコ 体制 の岐 路
︱︱ 経済 成長 路線 の政 治的 起源
︱︱
武 藤 祥
は じ め に 序 章 一九 五〇 年代 の政 治構 造 第一 章 政治 的・ 社会 的基 盤の 拡大 を目 指し て 第一 節 カト リッ ク界 との
﹁対 立的 共生 関係
﹂ 第二 節
﹁国 民革 命﹂ の実 現に 向け て 第二 章
﹁フ ラン コな きフ ラン コ体 制﹂ に向 けて
︱ ︱
アレ ーセ 案の 構想 と挫 折︱
︱
第一 節 アレ ーセ のF ET 書記 長復 帰 第二 節 アレ ーセ の﹁ 施政 方針﹂
︱
︱
バ リャ ドリ ード 演説︱ ︱
第三 節﹁体 制を 構築 する
﹂
︱
︱
基 本法 案の 起草 過程︱ ︱
第四 節 カト リッ ク教 会の 反対 から アレ ーセ 案の 撤回 へ 第三 章﹁実 効性
﹂の 追求
︱ ︱
アウ タル キー 政策 の放 棄と 中央 行政 の再 編︱
︱
第一 節 経済 自由 化と 介入 主義 の並 存第二 節 経済 自由 化へ の最 終的 転換
︱ ︱
一九 五七 年二 月の 内閣 改造︱ ︱
第三 節 一元 的行 政機 構の 形成︱ ︱
国家 中央 行政 再編︱ ︱
終 わ り には じ め に 一九
七〇 年代 から 政治 学界 で広 く適 用さ れて いる
﹁権 威主 義体 制﹂ とい う概 念が
、ス ペイ ンの フラ ンコ 体制
︵一 九三 九
-
七五 年︶ に準 拠し て形 成さ れた こと はよ く知 られ てい る。 それ は、 内戦 のさ なか に形 成の 端緒 がつ けら れ、 一九 四七 -四 八年 に確 立さ れ、 その 後多 くの 変容 を遂 げな がら、一 九七 五年 にフ ラン コ︵
F r a n c i s c o F r a n c o B a h a - m o n d e
︶ の死 によ って 終結 する まで 存続 した。そ の中 で一 九六
〇年 代以 降、 いわ ゆる
﹁開 発
( )
独裁
﹂的 色彩 の強 い体
1
制へ と変 容し たこ とが
、体 制の 長期 持続 の一 つの 鍵で あっ たと 考え られ る。 した がっ てこ の変 容過 程が なぜ
、い か にし て生 じた かは
、政 治学 的に もき わめ て重 要な 意味 を持 つテ ーマ であ る。 にも かか わら ず、 従来 の研 究に おい て、 この 時期 の政 治的 変容 が十 分に 解明 され てき たと は言 えな い。 一九 五九 年の
﹁経 済安 定化 計画
﹂の 導入 は経 済政 策の 大き な転 換を 画す もの であ り、 その 二年 前の 内閣 改造 にお いて カト リッ ク在 俗信 徒団 体﹁ オプ ス・ デイ
︵
O p u s D e i
﹂︶ のテ クノ クラ ート 二名 が入 閣し たこ とと 合わ せ、 フラ ンコ 体制 の分 水嶺 と位 置づ けら れる こと が多 い。 すな わち
、内 戦終 結以 来続 いた アウ タル キー
︵自 給自 足︶ 的経 済 政策 を放 棄し
、一 九六
〇年 代に
﹁ス ペイ ンの 奇跡
﹂と 謳わ れた 成長 をも たら した 転換 点だ った とい う位 置づ けで
( )
ある
。
2
この 見方 自体 は極 めて 妥当 であ るし
、研 究者 の間 でも
、一 九五 七- 五九 年か ら経 済発 展・ 開発 を特 徴と する 新た な局 面が 始ま る︵ さら にこ の時 点を 境に フラ ンコ 体制 を前 後半 に分 ける と︶ いう 時期 区分 に関 して はほ ぼ合 意が でき て
( )
いる
。 だ 3
が、 一九 五〇 年代 のフ ラン コ体 制の 変容 を、 この よう に経 済的 側面 から
、も しく は国 際社 会へ の復 帰︵ 一九 五 三年 のヴ ァチ カン との コン コル ダー トと アメ リカ との 軍事
・経 済協 定、 一九 五五 年の 国連 加盟 など と︶ いう 観点 から の・ み・ 捉え るこ とは 一面 的で あろ う。 本稿 は以 上の 問題 関心 に基 づき
、初 期フ ラン コ体 制の 特質 が変 容/ 流動 化す る中 で生 まれ た体 制改 革の 動き を整 理し
、そ の中 から 一九 六〇 年代 以降 の成 長路 線に つな がる 政治 的構 図が いか に形 成さ れた かを 検証 する もの であ る。
︵
︶﹁ 開発 独裁
﹂と いう 概念 自体
、明 確な 規定 があ るわ けで はな いが
、高 橋進 によ る﹁ 経済 成長 のた めに は政 治的 安定 が不 可欠 であ ると して
、 政 1 治体 制へ の参 加を 著し く制 限す る独 裁を 正当 化し てい る体 制﹂ とい う定 義が 最も 適切 であ ろう
。高 橋進
、﹁ 開発 独裁
﹂、 同﹃ 国際 政治 史の 理 論﹄
、岩 波書 店、 二〇
〇八 年、 九五 ペー ジ。 また 藤原 帰一 は、 開発 独裁 とい う概 念を
﹁経 済発 展に よっ て正 統性 を担 保す る政 治権 力を 指す 概念
﹂と 定義 した 上で
、そ れが 政治 体制 の分 析 概念 とし ては 貧弱 なが らも
、開 発と 民主 主義 のジ レン マに 切り 込ん だイ デオ ロギ ーで ある がゆ えに 流通 した
、と 鋭く 指摘 して いる
。藤 原帰 一、
﹁﹃ 民主 化﹄ の政 治経 済学
︱東 アジ アに おけ る体 制変 動︱
﹂、 東京 大学 社会 科学 研究 所編
、﹃ 現代 日本 社会
国際 比較
︵
︶﹄
、東 京大 学出 版会
、 3
2 一九 九三 年、 三二 八- 三三
〇ペ ージ
。
︵
︶ フラ ンコ 体制 下の 経済 に関 して は、 さし あた り Ca rl os Ba rc ie la yo tr os ,L aE sp añ ad eF ra nc o︵ 19 39 -1 97 5︶ .E co no mí a, Ma dr id ,S in te si s, 2 2 00 1を 参照
。ま た、 一九 五九 年ま での アウ タル キー 政策 につ いて は、 Ca rl os Ba rc ie la
︵e d.
︶, Au ta rq uí ay me rc ad on eg ro ,B ar ce lo na ,C rí ti ca ,2 00 3 を参 照。 一九 五九 年ま での 経済 政策 に関 する 研究 史に つい ては
、J or di Ca ta la n, BF ra nq ui sm oy au ta rq uí a, 19 39 -1 95 9: en fo qu es de hi st or ia ec on óm ic a” ,A ye r, nú m. 46 ,2 00 2を 参照
。経 済安 定化 計画 に関 する 日本 語で の研 究と して
、戸 門一 衛、
﹁経 済安 定化 計画 の導 入背 景と 展開
︱フ ラ ンコ 体制 最大 の経 済転 換﹂
、﹃ スペ イン 史研 究﹄ 第二 号、 一九 八四 年。
︵
︶ トゥ セー イは 一九 五九 -六 四年 を﹁ 経済 安定 化計 画に よる 発展
︵開 発︶ の時 期﹂
︵J av ie rT us el l, La di ct ad ur ad eF ra nc o, Ma dr id ,A li an za , 3
19 88 ,p p. 25 1- 26 2︶
、モ ラデ ィエ リョ スは 一九 五九 -六 九年 を﹁ テク ノク ラー トに よる 開発 独裁 的権 威主 義・ 経済 拡大 の段 階﹂
︵E nr iq ue Mo ra - di el lo s, La Es pa ña de Fr an co
︵1 93 9- 19 75
︶: Po lí ti ca ys oc ie da d, Ma dr id ,S in te si s, 20 00 ,p .2 7︶
、ペ イン は一 九五 七/ 五九 -七 五年 を﹁ テク ノク ラー トに よる 官僚 的権 威主 義の 段階
﹂︵ St an le yG .P ay ne ,T he Fr an co Re gi me ,1 93 6- 19 75 ,M ad is on ,T he Un iv er si ty of Wi sc on si nP re ss ,1 98 7, pp . 62 2- 62 3︶
、プ レス トン は一 九五 七- 六九 年を
﹁オ プス
・デ イと 結び つい たテ クノ クラ ート によ る経 済的 近代 化の 段階
﹂︵ Pa ul Pr es to n, Th eP ol i- ti cs of Re ve ng e, Lo nd on ,U nw in Hy ma n, 19 90 ,p p. 11 2- 11 3︶ と、 それ ぞれ 位置 づけ てい る。
序章
一九 五〇 年代 の政 治構 造 当初
、幾 重に もわ たる 困難 に見 舞わ れ、 早晩 崩壊 が予 想さ れた フラ ンコ 政権 であ った が、 一九 四七 年の
﹁国 家首 長継 承法
︵
L e y d e S u c e c i ó n e n l a J e f a t u r a d e l
( )
E s t a d o
﹂︶︵ 以下
﹁継 承法
﹂と 略記 成︶ 立を もっ て、 かな り安 定し た基 盤を
4
持つ 政治 体制 とし て確 立
( )
した
。こ の時 期︵
﹁体 制形 成期
﹂︶ の統 治の 特質 は以 下の 四点 に要 約さ れよ う。 すな わち
、
5
①﹁ 勝者
︵
v e n c e d o r e s
︶﹂と
﹁敗 者︵
v e n c i d o s
﹂︶ の分 断と
、後 者に 対す る苛 烈な 弾圧
・政 治的 暴力
、② 個人 とし て のフ ラン コへ の権 威・ 権力 の集 中、
③ア ウタ ルキ ー/ 介入 主義 政策
、④ 国民 の組 織化
・政 治的 動員
、で ある
。こ れ らの 特質 は、 フラ ンコ の支 配が
﹁戦 時体 制﹂ とし て形 成さ れた こと に起 因す る。 その 後一 九四
〇年 代末 から 五〇 年代 初頭 にな ると
、体 制を めぐ る状 況は 大き く変 化し た。 第一 に、 冷戦 とい う文 脈の 中、 第二 次大 戦終 結後 続い てい た国 際的 孤立 が解 消さ れた
。第 二に
、内 戦後 から 続い てい た、 左派
・旧 共和 派 によ るゲ リラ 活動 が大 幅に 弱体 化し た。 この こと によ って
、そ れま で懸 案で あっ た体 制の
﹁安 全﹂ は確 固た るも のに なっ たが
、同 時に 体制 派諸 勢力 の間 には 様々 な相 違・ 対立 が浮 上す る。 そも そも 内戦 中ナ ショ ナリ スト 陣営 に結 集し たの は、 ファ シズ ム的 国家 建設 を 目指 すフ ァラ
( )
ンヘ から
、王 政復 古を 目指 す王 党派
、カ トリ ック
、一 九世 紀か らの 歴史 を持 つ反 動勢 力の カル リス タ
6
まで 実に 様々 な勢 力で あっ た。 彼ら の共 通目 標で あっ た単 一の 独立
・主 権国 家と して のス ペイ ンの 存続 と、 左翼 の 弱体 化が 確実 なも のに なる 中、
﹁戦 時﹂ の論 理に 基づ く統 治の 妥当 性は 揺ら ぎ始 めた
。そ の結 果、
﹁形 成期
﹂の 重要 なア クタ ーの 一つ であ った 軍が 政治 の舞 台か ら撤 退す るな どの 変化 が起 こる 一方
、上 述の 諸特 質が 変容 /流 動化 す る中
、体 制派 内の 各政 治勢 力か ら体 制改 革の 動き が生 まれ てく るの であ る。 それ は、
①体 制の 政治 的・ 社会 的基 盤を 拡大 する
、② フラ ンコ への 権力 集中 から 脱却 し、 脱個 人的 で制 度化 され た政 治シ ステ ムの 構築 を目 指す
、③ アウ タル キー
・介 入主 義的 経済 から
、効 率的
・一 元的 な経 済政 策運 営へ 転換 す る、 の三 つに 要約 でき るで あろ う。 これ らは それ ぞれ
、上 述の 体制 形成 期の 特質
①か ら③ まで と対 応し てい る。 以 下、 これ らの 動き を検 討す る。
︵
︶ Bo le tí nO fi ci al de lE st ad o︵ BO E︶ ,1 94 7. 7. 27 ,n úm .2 08
︵ 4
︶ 武藤 祥、
﹁フ ラン コ体 制の 形成
︱﹃ 安全
﹄と
﹃正 統性
﹄を めぐ って
、一 九三 九- 一九 四七
﹂、
﹃国 家学 会雑 誌﹄ 第一 一六 巻三
・四 号、 二〇
〇三 年 5
。
︵
︶ 本稿 では
、組 織と して の単 一政 党を 指す 場合 に﹁ FE T︵ Fa la ng eE sp añ ol aT ra di ci on al is ta yd el as JO NS
︶﹂
・﹁ 国民 運動
︵M ov im ie nt o N 6 ac io na l︶
﹂と いう 語を 用い
、そ の中 のフ ァラ ンヘ 党︵ Fa la ng eE sp añ ol a︶ 系の 指導 者・ メン バー
・イ デオ ロー グを
﹁フ ァラ ンヘ
﹂と 呼ぶ
。
第一 章 政治 的・ 社会 的基 盤の 拡大 を目 指し て 一九
五〇 年代 の体 制改 革の 動き は、
﹁開 放︵
a p e r t u r a
︶﹂
、﹁ 自由 化︵
l i b e r a l i z a c i ó n
︶﹂ ある いは
﹁正 常化
︵
n o r m a l i z a - c i ó n
︶﹂ とい った 言葉 で表 現さ れて きた
。す なわ ち、 内戦 の敗 者を 社会 に統 合し
、ま た体 制の あり 方に つい ての 幅 広い 議論 を喚 起す るこ とで
、体 制の 支持 基盤 拡大 と社 会の 活性 化を 図る とい う立 場で ある
。こ うし た立 場は
﹁包 摂
派︵
( )
c o m p r e n s i v o s
︶﹂ とも 呼ば れ、 一九 五一 年七 月に 国民 教育 相に 就任 した ルイ ス・ ヒメ ネス
︵
J o a q u í n R u i z -
7
G i m é n e z
︶ らが その 代表 格と され るが、カ トリ ック やフ ァラ ンヘ など
、既 存の 政治 勢力 を横 断し て存 在し た。 これ に対 し、 より 保守 的な 立場
︵﹁ 排除 派﹂
︶か らは 反発 が生 まれ
、両 者の 間に 激し いイ デオ ロギ ー的 論争 が巻 き起 こ
( )
った
。 だ 8
が、 従来 の狭 隘で 抑圧 的な 政治
・社 会シ ステ ムの 改革 を目 指す 動き は、 決し て単 なる 言説 上の もの では なく
、 以下 で検 討す るよ うに 様々 な政 治領 域で 実際 に見 られ た。 他方
、一 九五
〇年 代半 ばま での 政治 史は
、﹁ 包摂 派﹂ と
﹁排 除派
﹂と の対 立を 中心 に描 かれ るこ とが 多い が、 彼ら は共 通の 政治 的目 標を 持つ 単独 のア クタ ーで はな く、 ま たこ の時 期の 政治 が﹁ 包摂 派- 排除 派﹂ とい う対 立軸 のみ で動 いて いた わけ でも ない
。 第一 節 カト リッ ク界 との
﹁対 立的 共生 関係
﹂ 改革 の動 きの 先鞭 をつ けた のは カト リッ
( )
ク界 であ った
。カ トリ ック 教会 は内 戦勃 発時 より ナシ ョナ リス ト陣 営を
9
﹁十 字軍
︵
C r u z a d a
﹂︶ と形 容し
、そ の正 統化 に尽 力し た。 その 背景 には
、第 二共 和制 下で 行わ れた 政教 分離 を目 指 して の諸 改革
︵カ トリ ック の非 国教 化、 宗教 教育 の非 義務 化、 イエ ズス 会の 解散 令な ど︶ への 強い 反発
・危 機感 があ っ た。 また フラ ンコ 政権 側で も、 カト リッ ク教 会に 様々 な特 権を 付与 し、 両者 は緊 密な 関係 を維 持し て
( )
いた
。
10
しか しカ トリ ック 界の 体制 への 支持 は必 ずし も無 条件 なも ので はな く、 とり わけ 一九 五〇 年代 に入 ると
、教 育や 出版 など にお ける 影響 力の 回復 を目 指し て活 発に 活動 する よう に
( )
なる
。そ の過 程に おい て、 カト リッ ク界 と政 権と
11
の間 に対 立が 生じ るこ とも 珍し くは なか った
。 この 時期 の体 制と カト リッ ク界 との 関係 に関 する 重要 な事 例を 二つ 検討 した い。 それ はカ トリ ック 系労 働者 組織
﹁カ トリ ック 活動 会労 働者 兄弟 団︵
H e r m a n d a d O b r e r a d e A c c i ó n C a t ó l i c a , H O A C
﹂︶ と、 中等 教育 法改 正問 題で ある
。