総 説
付 圭早 と迎 酒 司 大 と 嘗 祭
一 造 酒 司 と 木 簡
本 報告 書収 録 の木 筒 のう ち6 A CA 区
︵V 地区 出︶ 上 の木 筒 は宮 省内 被 官 の造 酒 司 に関 連 す る内 容 を含 む も のが 多 く︑ とひ つの 官衝 に つい てま とま たっ 料資 とな てっ いる 点 が注 目 され る︒ 先 述に べた よう に遺 構 の状 況 や他 の 遺 物︑ 上 器 墨の 書 など から こ の地 区 が宮 省内 酒造 司 か︑ そ の 一部 であ たっ とこ は ほぼ 確実 であ り︑ 平城 官内 具で 体 的 に官 衛 の所 在 の知 ら れ る例 の ひと つで あ る︒ そ こで 新 たな 資料 加を え た こと によ り︑ 造 酒司 が ど のよ うな 官 衝 であ たっ か︑ ど のよ う な機 能 をも てっ いた か を考 え てみ た い︒ ただ し奈 良時 代 の造 酒 司 の実 態 に いつ ては ほ とん ど知 り えな いの で︑ 本 稿 では 造 酒 司 の組 織 に 簡 単 ふに れ︑ 平安 官 と の関 連 造で 酒 司 の所 在 場 所 に つい て若 干検 討 す る にと めど る︒ 次 に醸 造
≡ 房と し ての 造 酒 司内 部 の施 設︑ 酒
・酢 等 の醸 造 の方 法︑ 製 品 用の 途 な ど に つい て 延﹃ 喜
﹄式 を中 心 考に え てみ る︒ ま 新た 嘗祭
・ 大 嘗祭 等 に使 用さ れ 酒る と木 簡 みに え 酒る と の関 連 に つい ても 察考 を加 え た い︒
0 造 酒 司 の 組 織
・
造酒司 と木簡
職 員令 によ れば 造酒 司 は正 一人 佑︑ 一人 今︑ 史 一人
︑ 酒部 六〇 人︑ 使 部 一二 人 直︑ 丁 一人 が お り︑ そ れ 酒に 戸 が 一八 五戸 付属 して いた
︒ 酒造 司 の主 な職 務 は供 御 お よび 神事
・節 会 な ど 用に いる 酒 や峰
︵あ まざ
︶け
︒酢 等 を造 るこ とで あ たっ
︒ ま 酒た 部 は主 とし て節 会 の折 の行 傷
︵酒 の酌 をす る︼
﹂と や︶ 榊 事 の際 の献 酒 など 従に たっ
︒ 酒戸 は 令﹃ 集
﹄解 職員 令 所 引古 記 よに れば 一八 五戸 のう ち 一六
〇戸 が 品部 であ り︑ 大和 国九
〇戸 河︑ 内 国 七〇 戸 で︑ 八〇 丁ご と 上に 番 し て使 役 され て いた
︒ これ ら の酒 戸 は醸 造 に従 てっ いた ので あろ う︒ 残 り の二 五戸 は摂 津 国 あに り︑ そ のう ち 一〇 戸 を客 饗 の時 の役 充に てて いた
︒
0 造 酒 司 の 位 置
城平 官 の造 酒 司 の位 置 は文 献 の上 から は全 く推 定す る手 が かり はな い︒ 安平 官 の造 酒 司 は九 条家 本 や陽 文男 庫 本 の官 城 図 によ れば 官 の西 方 で豊 楽 院 の西 北 に位 置 し てお り︑ 平 官城 酒造 推司 定 構遺 が内 裏外 郭 の東 方 位に 置 す る事 実 と合 わ な い︒ た だ 延﹃ 喜式
﹄ には 造 酒司 とは 別 の場 所 と みら れ る 酒﹁
﹂殿 の語 三が 個 所 にわ りた 出 てお り︑ この 酒 殿 の場 所 に つい て平 城 官造 酒 司 と の関 連 で若 干考 察 して み る必 要 があ る︒ まず 民﹃ 部式
﹄ に 九﹁ 酒内 殿料 黒米 百 五十 斜︑ 井大 所歌 料 汁 八斜 七斗 二升 三合 二勺 五撮 受 於省
﹂ とあ り︑ 内﹁ 酒殿
﹂ の語 が みえ る︒ ま た 主﹃ 殿
﹄式 に 造﹁ 酒 司油 四升 噸剛 搬牲 ご とあ り︑ 御﹁ 酒
﹂殿 が造 酒 司 の管 下 あに たっ こ
総 説
とが 知 ら れ る ︒ ま た 造﹃ 酒式
﹄ の年 料醸 酒数 条 に 御﹁ 酒料 二百 十 二斜 九斗 三升 六合 九勺 九撮
﹂ の内 訳 と して 山 城
・大 和
・河 内
・和 泉
・摂 津 から の醸 酒 用米 年 料 を記 し て いる が︑ そ こに 就﹁ レ中割 二十 石 一付 工東 酒 殿 こ とあ り︑ 造 酒 司 と結 び つき を持 ち なが ら特 別な 場 所 と して 東 酒 殿が 存 在 し て いた こと が う かが われ る︒ これ ら の内 酒殿
・御 酒 殿
︒東 酒 殿 はお そ らく 同 一の も のと みら れ︑ 内﹁
﹂ や 御﹁
﹂ な どが 冠 せら れ て いる と こ ろ を みる と内 裏 近 く にあ り︑ 内裏 のみ かに か わる 酒関 係 の仕 事 を し て いる 場所 と考 え られ る︒ そ の場 所 に つい て 日﹃ 本紀
﹄略 承平 三年 月正 十三 日条 に次 の記 事 があ る︒ 今 夕︑ 陽粥 門内 近衛 陣 直 大沢 有 春︑ 為 工同 府近 衛小 槻 滋連
・被 二念 怒
↓於 二酒 殿北 辺
︵以 工太 刀 一被 レ傷 之︑ 即 逃去
︑ 有 春僅 存命
︑ これ から 考 え ると 酒 殿 は官 城東 面 大透 にあ 陽る 明 門 から 遠 くな い位 置 にあ たっ と思 われ る︒ 西﹃ 官記
﹄巻 八所 々事 の酒 殿 の項 に 有﹁ 二別 当
︹升
︺預
︵納 二播磨 庸米
︵造 レ酒 ︑ 随 二蔵 人 所 召 一進 〆之 ︑ 一度 レ過不 二九升
︵甘 糟 又随 ノ
﹂召 とあ り︑ 拾﹃ 芥抄
﹄ 第中 一九 官城 部 の 酒﹁
﹂殿 の項 には 在﹁ 二外 庁記 東 こ と して 西﹃ 官
﹄記 の文 を引 用 てし いる
︒ 外 記庁 の東 が 酒殿 であ る とす ると ︑ 外 庁記 は内 裏 のす ぐ 東 であ る から 酒 殿 のお およ そ の場 所が 推定 でき る︒ 大﹃ 内裏 図考
﹄証 では 校 本 拾﹃ 芥 抄﹄ 省略 図 と同 異 本図 とを 掲 げ て酒 殿 の位 置 を示 し て いる
︒ それ よに ると 酒 殿 外は 庁記
︵結
︶政 ︑ 釜 殿︑ 御 書所 侍︑ 従所 な がど あ る 一劃 東の 北部 を占 め て いる
︒ 酒殿 の機 能 に つい ては 具 体的 知に りえ な いが
︑ 拾﹃ 芥抄
﹄ や 延﹃ 喜式
﹄ の記 事 にみ え るよ う 別に 当 預︑ な がど
造酒司 と木簡
置 かれ 播 磨 の庸 米 が納 め られ てお り︑ 造 酒 司 への 畿内 各 国 から の酒 米 の 一部 も納 めら れ てお り︑ 酒殿 料 米が 部民 省 から 納 めら れ てい た こと な どか ら︑ 少 量 の醸 造 が行 わ れ て いた こと は確 実 であ る︒ 造 酒 司 で酒 や酢
︑ 甘陛 を造 る場 合 はに そ の料 米 を畿 内諸 国 から 進 上 さ せる 他 に︑ 民部 省 の庸 米 を受 け て いる が盆 筆じ ︑ 同 じ こと が小 模規 な が 酒ら 殿 でも 行な われ て いた と思 われ る︒ 酒殿 で醸 造 され 酒た は後 述 のよ う 殿に の醸 す 酒 とし て大 嘗祭 の時 に内 裏
︒中 官
︒東 官 に給 され
︑ 大嘗 祭 第 四 日 目 の豊 明節 会 には 親 王以 下 五位 ま で 給に され る︒ また 西﹃ 宮
﹄記 に よれ ば新 嘗祭 の常 寧殿 試 五節 のと き 大歌 の人 等 酒に 殿御 酒 を賜 う こと にな てっ いた ご とく
︑ ご く内 む き の料 とし て使 用 され て いた よう であ る︒ 延﹃ 喜 式神 名帳
﹄ によ れば 造 酒 司 の神 六座 のう 酒ち 殿 の神 とし 酒て 秀 豆男 神 酒︑ 弥 豆女 神 の二 座が 祀 ら れ て い る︒ こ の神 は貞 元観 年正 月 二七 日 に無 位 から 従 五位 下 を授 けら れた こと が 三﹃ 代実 録﹄ に記 され て いる
︒ 以 上 のご とく 平安 宮 の酒 殿 造は 酒 司 の管 下 にあ り なが 造ら 酒 司 と離 れ た内 裏東 部 にあ てっ 内︑ 裏 特で 別 の場 合 に使 用 され る酒 を少 量醸 造 し て いた と推 察 され るが
︑ そ の場 所 が平 城 宮 の造 酒 司推 定 地 と似 かよ たっ 場所 であ る こと は興 味深 い︒ ま た本 冊 告報 分 の6 AA F地 区出 上 の木 簡 の中 に 酒﹁
﹂殿 の語 のみ える も のが あり 命蕃 S 平︑ 戎 官 にも 酒 殿が 存 在 し て いた こと 知が られ
︑ しか も この 木簡 が 平城 官東 部 から 出 土 てし いる こと 注が 意 され る︒ これ ら のこ とか ら少 推し 測 加を え るな らば
︑ 平城 官 では 造 酒司 と酒 殿 が接 近 した 場所 にあ たっ ので はな いか と 考 え られ る ので あ る︒ それ が平 安 宮 にな てっ 酒 殿 はほ ばも と の位 置 を踏 襲 した も のの 造︑ 酒 司 は全 く異 な る場 所 に作 られ た ので はな かろ う か︒ それ はに 造 酒 司 酒と 殿 の機 能 の分 化 進が んだ な ど の理 由 が考 えら れ る︒ ま た官 衡
総 説
の配 置が 平城 官 から 平安 官 ま で踏 襲 され る可 能 性 があ たっ とし もて 造︑ 酒 司 の場 所 は立 地条 件 にか なり 左 右 され る から 城平 官 と平 安 宮 で大 き く異 るこ と は有 り う る︒ 平城 官 内 の水 脈 は内 裏 東外 郭東 方 の南 北 の谷 筋 が主 要 なも ので あり
︑ 水が 第 一の 要件 あで る造 酒司 とし ては こ の場 所が ふ さわ し いと いえ る︒ 発掘 区 の二 基 の井 戸 のう ち東 Sの E三
〇 四六 井戸 上 の建 物 は完 全 に密 閉 され 泉た 屋 と称 す べき も ので あ り︑ こ の水 が醸 造 用 に使 われ た ので は な かろ う か︒ この よう な考 え が妥 当性 持を ちう るか どう かに つい ては さら に隣 接部 の発 掘が 進 み︑ 新 たな 知 見を 得 かて ら の 考 察 にま ち た い︒ 0 造 酒 司 の 内 部 酒
・酢 の等 醸造 を主 な職 と務 する 酒造 司の 部内 はど のよ うに な てっ いた か文 献上 から はほ とん ど明 らか にで き な いの であ るが
︑ くい ら か推 定 す 手る が かり が な いで はな い︒ 造 酒 司 に は 延﹃ 喜造 酒式
﹄ よに れば 九座 の神 が祀 てっ あり
︑ 秋春 の祭 り に預 てっ いた
︒ そ の九 座 のう ち 二座 は 酒弥 男豆 神 酒と 弥 豆女 神 で︑ 目 一代 実録
﹄ や 廷﹃ 喜式 神名 帳
﹄ では こ の二 座 を 酒﹁ 殿神
﹂ とし てお り︑ この 二座 造は 酒司 所 管 の神 で はあ るが
︑ 造 酒司 と は場 的所 に離 れ た内 裏 の東 あに る酒 殿 にま つる 神 であ たっ ら し い︒ 造 酒 司 祀に る神 のう ち 四座 竃は 神 で︑ 造 酒 内司 米で を蒸 した り湯 を沸 か した り す る亀 が 四 口据 え あて り︑ そ の竃 宿に る神 を祭 たっ も ので あろ う︒ 内膳 司 や大 炊 寮︑ 主殿 寮
︑ 大膳 職 等 の竃 の役 割 の大 き い官 司 もで 竃 神が 祭 られ 春︑
造酒司 と木簡
秋 の祭 が行 な われ て いた
︒ 残 り の三 座 は大 邑 刀自 ︑ 小邑 刀自 ︑ 次 邑 刀自 と云 い︑ 女 性神 であ る︒ 文﹃ 徳実
﹄録 斉 衡 三年 九月 一一 日条 に 造﹁ 酒 酒司 甕 神︑ 従五 位 下 大邑 刀自
︑ 小邑 刀自 等
︑ 並預 二春 秋祭 こ とあ り︑ これ ら の神 酒が 甕 神の あで たっ こと が 判粥 す る︒ さら に この 三座 の酒 甕 神 に関 し て 続﹃ 古 談事
﹄第 一に 次 のよ う な記 事 が あ る︒ 造 酒 司 ノ大 刀自 云卜 ツボ ハ︑ 三十 石 入也 土︑ 深二 ク ホリ ス ヱテ
︑ フゾ カ 二二 尺バ カリ イデ タ ル ニ︑ 一 条院 ノ御 時 ︑ ユヱ ナ ク地 ヨリ ヌケ 出 テ︑ カタ ハラ ニフ ツタ リ ケリ 人︑ オド キロ アヤ シミ ケ ルホ ド ニ︑ 御 門 ウ セ給 ニケ リ︑ 三条 御院 時︑ 大 風 フキ テ︑ カ ノ ツカ サタ フレ ニケ ル ニ︑ 大 ジト 小︑ 刀自 次︑ ジト
︑ ミナ ウ チ フリ テ ケリ
︑ す な わち 三座 の神 は造 酒 司 実で 際 酒に 醸を す甕 を神 格化 して 祭 たっ も ので あ る︒ 造 酒 司 の中 に三 日 の醸 造 用 の 大 き な甕 が あ り︑ そ れ は 日 部の 分 尺二 だ 地け 表 面 に出 し てあ と 土は 中 深に く 埋 め こん で据 え てあ もる ので
︑ そ の うち の大 刀自 と名 の つい た甕 は 三十 石 入り と いう 大巨 なも ので あ たっ
︒ これ ら の甕 に毎 年 一定 の時 期 にな ると 原 を料 仕込 ん で酒 を醸 たし ので あ ろう 造︒ 酒 司 作で る酒 には 御 酒
・御 井 酒
・曜 酒 下以 種 々の 酒が あ たっ が︑ これ ら 酒の のど れが
︑ 三 日の 変 のど れ で造 られ た かの
︑ あ る いは 他 にも 醸造 用 甕の が あ たっ のか 粥 ら かで な い︒ ただ 木 簡 の中 に 三﹁ 条 七駈 水 四石 五斗 九
﹂升 全≡
︶︑ コ 一条 六駈 三 石五 斗 九升
﹂ 金一 吾 と︶ 記 した も のが あり ︑ これ は い く つも 駈の 整が 然 と並 ん で いて 水︑ 酒や が 入 てっ いた こと を示 し て いる から 醸︑ 造 用 の甕 のそ ば にそ れ ら 駈の を 並 べる 広 い場 所 が あ たっ か︑ あ る いは 貯 蔵所 のよ う な とこ ろが あ たっ と思 われ る︒ ちな み に発 掘区 の二 基 井の 戸 の排 水溝 や西 の濤
︵s
⊇ 二〇 一一 一五 か︶ ら大 型 の須 恵 器 甕の 破の 片が 出 土 てし おり
︑ 他 の発 掘 区 比に べそ の量 きは わ
総 説 だ て多 いG
⑭ 注 連 酒 司 の 職 掌
造 酒 司 の職 掌 まは 第ず 一に 毎 年定 期 的 に 種 々の 酒 や 酢 等 を 醸 造す るこ と であ たっ ︒ そ の酒 を 内 裏
︒中 官
︒東 官
・諸 官 司 に供 給 し︑ 神事 や諸 節 会 に必 要 酒な も造 酒司 から 出 した
︒ これ ら の酒 造は 酒 司 で醸 造 され 分た も あ る し︑ 畿 内各 国 から 造 酒司 へ貢 進 され 酒た も あ たっ 神︒ 事 のう ち毎 年 一 月一 の新 嘗祭 と︑ 天皇 即 位 の折 に行 なわ れ る大 嘗祭 は とく に重 要 な神 事 であ るた め︑ 特 別 酒の が 醸造 され がた
︑ これ にも 造 酒 司官 人 が参 与 し て いた
︒ これ ら の職 掌 以外 に儀 式
︒節 会
・諸 神 事 造に 酒 司官 人
・酒 部
・仕 丁が 供奉 す る こと にな てっ いた
︒ a 酒
・酢 等 の醸 造 延﹃ 喜 造酒 式
﹄ よに れば 造 酒 司 で通 常 用意 し て いる 酒
・酢 等 は︑ 御 酒
・御 井 酒
・儒 糟
・磯 酒
・三 種 糟
・酒 酢
・ 内膳 司供 御唐 莫 子 肇甘 陛
・雑 給酒
・酢
・汁 糟
・紛 酒 の 一 一種 であ る︒ これ ら 酒の 原の 料 は大 別 して 二 つの ルー ト から 調達 され る︒ ひと つは 畿内 諸国 から 納 入 され 酒る 米 であ り︑ ひと つは 民部 省 の庸 米 を受 け るも ので あ る︒ こ のう ち御 酒 供は 御
・神 事 用 酒の と思 われ るが
︑ そ の料 米 は山 城
・大 和
・河 内
・和 泉
・摂 津 の畿 内各 国 から 出 され た︒ 御 井酒
・躊 糟
・醍 酒 の三 種 の料 米 も畿 内諸 国 から 酒造 司 に送 ら れ て いた 御︒ 酒 料 二 一二 石余 に対 し て︑ 御 井 酒以 下 の三 種 の料 米 は少 く︑ た とえ ば 御井 酒料 は 一九 石 五斗 であ り︑ 特殊 な 用途 を持 てっ いた か︑ 嗜好 品 と
42
造酒司 と木簡
して 用 いら れ て いた ので あろ う︒ 御 井酒 が ど のよ う な酒 か判 明 しな いが 平︑ 安官 では 主水 司 の管 理す る神 聖 な 御﹁
﹂井 が あ り︑ これ と関 連 す る であ ろう か︒ これ 以外 の種 々の 造 酒司 製造 品 に つ いて も実 態 は不 男 であ る︒ 酒 酢
︒内 膳 司供 御唐 英 子 茎甘 醍
・雑 給酒
・酢 の各 料 米 は庸 米 を 民 部省 から 受 け て いた
︒ そ のう ち雑 給 酒 はそ 名の のと おり 官内 の各 官 司 で の消 費 に充 てら れ て いた ので あ ろう
︒ そ の料 米 は 六 一五 石余 で他 にく ら べて 多 い︒ 奈 良 時代 の醸 造 用米 の調 達 ルー トは 大︑ 倭 国 正税 帳 にみ え る よう に畿 内 から 納 めら れ て いる 点 は 廷﹃ 喜式
﹄ と同 じ であ るが
︑ それ ば かり でな く木 衛 な どか ら知 られ る よう に畿 外 諸 国 から も貢 進 され て いた
︒
225
225
225
225
米 米 春 掃 赤 赤 織 田ヵぅ
作 口 人 原 柳 木 野 村 原 因 山 河 服 黒 石 山 恥 井 詔 舟 芋 田 大 豊 諌 荒
2262 2263 2266 2253 2265 2250 2252 2264 227.
木 簡 番 号 2267, 2268 2289 2251 2254 2272
2259, 2260 2261 拝
野 島 田 田 上 社 野 野 野 穂 田 調 賀 田 毛 安 飯 中 山 曝
氷 与 竹 竹 熊 赤 勝 御 郵
山 加 御 勢 張 め 脚 脚 御 後 後 後 磨 作 後 ω り
伊 尾 幌 研 研 碍 丹 丹 丹 幡 美 備 硫
赤 春 米
御 酒 米 春御酒米 赤
米
原 鱈 村 弁 上 張 杵 名 両 八 川
第5表
造酒司遺構 出上の木簡 にみえる米の頁進地
総 説
今 回報 告 す る造 酒 司推 定遺 構 から 土出 し 米た の貢 進木 衝 は断 片 類 を入 れ 合て 計 九二 点 あ る︒ こ のう ち あき ら か 44 酒に 米 と注 記 す るも のは 五点 赤︑ 米
︒赤 掲 米
・赤 春米 が 八点 白︑ 米
・春 米
︒米 と記 すも の四 点
︑ この ほか 米 の貢 進 数 量 であ る 五﹁
﹂斗 と のみ あ るも のが 七点 あ る︒ この う ち赤 米
・赤 掲米
・赤 春米 は同 もじ ので
︑ 酒料 と し て天 平年 間 の諸 国 の正 税帳 に記 載 され て いる も ので あ る︒ した が てっ 右 の米 貢 進札 のう ち の半 近数 くが 酒原 料 の米 と いう こと なに る︒ 解﹃ 説
﹄一 では 白︑ 米 を田 令 田租 条 規に 定 す る年 料春 米 と解 した が︑
︼≡
﹂に えみ る酒 米
・赤 春米 な ども 米白 と同 じく年料春米であると考えられる︒そして﹁納大炊寮酒料赤米弐伯伍拾玖斜 充穎稲伍叶壱伯捌拾東﹂森郎臥隣呼 の記 載 から み とる 酒︑ 米 は年 料春 米
︵白 米︶ 雑や 穀 な をど 管 轄 す る大 炊寮 にま ず収 納 され た こと が わ か る︒ し かる のち
︑ 炊大 寮 から 造 酒 司 に分 配 され るも ので あ たっ ら し いが
︑ これ ら の米 の貢 進木 簡 はそ よの う な ルー をト 通 り︑ 造 酒 司 で廃 棄 され もた ので あ ろう
︒ 今 のと ころ 延﹃ 喜式
﹄ の記 載 のご くと 奈︑ 良 時代 にお いて も 民部 省 の庸 米 を醸 造 用 造に 酒 司が 受 け て いた か否 か は確 認 でき な い︒ 次 に︑ 原 料 を仕 込 む時 期 や︑ 醸 造期 間 は酒 種の 類 によ てっ 異 てっ いる
︒ た とえ ば 御 酒 は 一〇 月 から 醸造 を始 め︑ 仕 込 ん でか ら 一〇 日程 で配 と いう 酒原 が きで た︒ 造醸 は期 間内 に四 度行 たっ 酢︒ は六 月 に醸 造 を始 め︑ や りは 四 く回 り かえ さ れた
︒ ま た御 井酒 は七 月 下旬 に醸 造 始を め︑ これ も 一〇 日程 でで き
︑ 八月 一日 から 一日 に五 升ず つ 内 一暴
︒中 官 等 に供 給 され 九︑ 月三
〇 日 で終 了す る こと にな てっ いた 醒︒ は 一夜 酒 とも いわ れ よる う に 一日 で造 ら
造酒司 と木簡
れ るも ので
︑ 月六 一日 から 醸造 を始 め︑ 月七 三〇 日 まで 毎 日作 られ
︑ 日 に六 升ず つ供 給 され た︒ b 酒 の 用 途 喜﹃延 造 酒式
﹄ 供奉 料条 を みる 醸と 造 され 種た 々の 酒 は官 中 用 と して 内 裏
︒中 官
︒東 官 の毎 日 の料 に充 てら れ て いた
︒ そ の他 に伊 勢斎 内親 王 の在 京 の間 と︑ 賀 茂斎 内 親 工 の毎 日 の料 にも 供 され て いた
︒ ま た正 月元 日や 月五 五 日等 の諸 節 の折 にも 酒が 供 され た︒ 奉供 以外 にも 種 々の 祭 り に酒 が 使 用さ れ て いた
﹃︒ 酒造
﹄式 に載 せら れ て いる も ので は︑ 月四 の山 城 国葛 野郡 松 神尾 祭 愛︑ 宕郡 茂賀 神祭
︑ 月六 二 一一 月 の官 中 神今 食
︑ 月二 二 月一 の山 城 国 乙訓 郡 原大 野 神祭 葛︑ 野 郡 平野 神祭
︑ 宮内 省 の園 韓 神祭 ︑ 一一 月 の官 鎮中 祭魂 など が あ る︒ ま た孔 子 を祭 る大 寮学 の釈 貧 もに 造 酒 司 で酒 が準 備 され た︒ c 新 嘗 祭
︒大 嘗 祭 酒の 毎年 一 月一 に行 なわ れ る新 嘗祭 と︑ 天皇 の即 位 あに たり 行 なわ れ る践 稚大 嘗 祭 にお いて は特 殊 な酒 が準 備 され た︒ 新 嘗祭 は 一一 月 下 の卯 日の 当に 年 の新 穀 を諸 神 に供 し︑ 皇天 自 食ら す る儀 で︑ 平安 官内 裏 では 中 和院 神 嘉殿 行で なわ れ る のが 原 則 であ たっ
︒ 奈良 時代 天平 勝 宝 八歳 には 神 祗官 曹 司 で新 嘗祭 が行 なわ れ て いる 新︒ 嘗祭 の神 膳 に新 穀 の黒 酒 白と 酒 とが そ えな れら た︒ また 翌辰 日の はに 豊 節粥 会が あ り︑ これ は黒 酒
・白 酒 を諸 臣 に頒 ち与 え る こと が 中 心 の饗 宴 あで る︒
総 説
黒 酒
・白 酒 は特 別 醸に 造 され る酒 であ る︒ そ の醸 造 ま で の過 程 は 延﹃ 喜 造酒
﹄式 を みる と︑ 月九 二 日 宮に 内 省 と神 祗官 の官 人 が造 酒司 集に 合 し︑ 醸造 にあ た る造 酒 司 の酒 部
・官 人
・仕 丁各 二人
︑ 春稲 仕女 四人 を卜 定 し︑ 黒 酒
・白 酒 料 の酒 稲 を出 す畿 内 の国 郡 を卜 し︑ 臨 時 の酒 殿等 の屋 を建 てる 地を 鎮 祭 する
︒ そ の地 へ木 工寮 酒が 殿 一 宇︑ 日殿 一宇 麹︑ 室 一宇 を黒 木 造で る︒ 九 月下 旬 卜︑ 定 され 酒た 稲 を進 上す る畿 内 の国 郡 へ民 部省 符が 下 され
︑ 官 田か ら稲 二〇 束 が造 酒 司 へ送 られ た︒ 通常 の酒 米 が米 にな てっ いる のに 対 し︑ 新 稲 を 田か ら苅 てっ そ のま ま運 ん だ こと が 注 目さ れ る︒ そ の稲 二〇 東 は春 稲仕 女 によ てっ 春 かれ て米 一石 とな る︒ 一 月〇 上旬 に醸 造 を始 め︑ 一
〇 日 の内 に 一斗 七升 八合 五勺 の酒 が出 来 上 たっ
︒ それ に久 佐 木 と いう 植物 の灰 を 入れ たも のを 黒酒
︑ 入 れな いも のを 酒白 と呼 んだ
︒ 新嘗 祭卯 の日 に神 嘉 殿 の中 に他 の諸 司 の神 膳 物 と とも に︑ 酒黒
・白 酒が 造 酒 司 の酒 部四 人 に よ てっ 供 され た
︵江 家次 第巻 一〇 ︶︒
祭 が終 ると 酒殿 以下 の三 宇 は神 祗官 に払 い下 げ ら れた
︒ 大嘗 祭 に つい ては 別 に述 べる が︑ 神 事 の基 本 的 な形 態 は新 嘗 祭 と近 似 して おり
︑ 奈良 時代 以前 には 両 者 は判 然 とは 別区 され て いな か たっ 新︒ 嘗祭 で用 いら れ る黒 酒
︒白 酒 が造 酒司 内 の臨 時 の酒 殿 で造 られ た のに 対 し︑ 大嘗 祭 の黒 酒
・白 酒 悠は 紀
・主 基 の国 郡 が卜 定 され たあ と︑ そ の国 郡 に斎 場が 作 ら れ︑ そ こ で抜 き とら れ た稲 が在 京 斎場 に運 ば れ︑ 醸造 され て神 事
・節 会 供に され た︒ な お木 筒 の中 に 白﹁
﹂酒 と記 した も のが あ る 全三
◇︒
﹃延 喜 造 酒式
﹄ 践酢 大嘗 祭供 奉 料条 よに ると
︑ 大 嘗祭 の四 日間 に内 裏
・中 宮
・東 宮等 へ供 奉 さ れ る酒 は三 種 あ る︒ 一 は悠 紀
・主 基 二国 斎 場 の稲 造で たっ 酒 で︑ 悠 紀
︒主 基 二国 貢 進 の重 に入 れ られ て いた ︒ 一は 三種 糟 で︑ こ れ は造 酒 司 で造 られ もた ので
︑ 造 酒司 で準 備 した 器 に入 れ られ た︒ 一は 殿﹁ の醸 す酒
﹂ で︑ これ は前 述 の内 裏 の
造酒司 と木簡
そば の東 酒 殿 で醸 造 され た酒 を いう ので あ ろう
︒ 供 奉 酒以 外 の大 嘗祭 四 日間 に親 王以 下 の諸 臣 へ賜 う酒 も三 種 類 あ る︒ うち 種二 は殿 の醸 す 酒 と悠 紀
・主 基 二国 の白 酒
・黒 酒 で︑ これ は供 奉 酒 の場 合 と同 じで あ る︒ 他 の 一種 は 県﹁ の醸 す
﹂酒 であ る︒ 大嘗 祭 四日 目 の年 の日 の豊 明 節会 に賜 う酒 は︑ 位 階 に よ てっ は きっ りそ の種 類 が決 めら れ てお り︑ 親 王以 下 五 位 まで の上 級者 には 殿 の醸 す酒 ︑ 六位 以下 歌舞 人等 に は 県 の醸 す 酒が 給 され た︒ 県 の醸 す 酒 に つい ては 造﹃ 酒 式
﹄供 奉神 事諸 司給 酒法 条 をみ ると 次 の記 載 が あ る︒ 九県 醸 酒︑ 山城 国 四斜 二斗 一升 五合 大︑ 和︑ 河内
︑ 摂津 等 国各 斜四
︑ 並十 月一 汁 日以 前進 詑 酷齢 醍岨 新 のこ 条 は豊 明節 会 に つい て では なく
︑ 神事 一般 に つ いて であ がる
︑ そ の場 合 に県 醸 酒 は諸 王 から 芸 能 にた ず さ わ る国 栖 まで 位 階 にか かわ ずら 全 員 給に され て いる
︒ ま た県 醸 酒が 畿 内 四個 国 から 貢進 され てお り︑ 酒 が官 内 で 醸造 され るだ け でな く ︑ 一部 に つい ては 直 接貢 進 され て いた こと が 知 られ る︒ こ こに いう 県 とは 大和 国 の六 御 県 な どに み られ るよ う に︑ 三世 紀 から 五世 紀 かに け て展 開 した 地方 制 度 であ り︑ し かも 宗 教祭 祀的 結合 が屯 と にな たっ いわ ゆ る県 制 の遺 制 とし て の県 であ ろう 実︒ 質的 な意 味 を失 たっ 県 は︑ わず か 畿に 内 お よび そ 周の 辺 に遺 制 を とど め︑ 宮 儀廷 礼 のた め の供 御 料地 的 性格 をも てっ いた ら t い爺 郷販 史﹃卿朗
膝鮎 ひ
︒ 平天 八年 の摂 津 国 正税 帳 に県 醸 酒 が記 載 され て いる が
︑ これ は同 国内 あに たっ 県 全二島 県と わ思 れる
︶ の旧 地 か ら出 され た の あで ろう
︒ また 天 平 一〇 年 の和 泉 監 正税 帳 もに 県 醸 酒 を記 載 し てお り︑ これ は同 監 内 に属 す る茅 淳 県 の旧 地 から 出 され たも ので あ ろう
︒
総 説
これ ら の正 税帳 にみ え 県る 醸 酒 は用 途 が 不明 であ るが す︑ べ てそ の醸 酒料 は正 税 でま かな われ て いる
︒ 和泉 監 の県 醸 酒 は民 部 省符 によ り進 上 した 旨 を記 し てお り︑ こ の当 時 でも 官 中 で神 事 に使 用す る酒 を畿 内 の県 の旧 抱か 貢ら 上 し て いた と考 え てよ いで あ ろう
︒ 6 AA C区
︵V 地区 出︶ 土 の木 簡 で直 接 酒に 貢を 進 した 付 札が 二点 あり 一︵一 一一宅 二一 二帝ё
︑ いず れも 河内 国志 紀郡 か ら で 一点 は 田井 郷 から
︑ もう 一点 は少 林 郷 から のも ので あ る︒ 通 常 の貢 進付 札 と具 り貢 進 者名 は記 され て いな い︒ 酒 の貯 蔵容 器 は 一石 入り 以 上 の大 型 の奏 産か など を使 うが
︑ この 付 札 の場 合 に は運 送 の便 のた め か四 斗ず つ小 型 の容 器 の缶 に入 れ て いる
︒ 酒 は 清﹁
﹂酒 と 難﹁
﹂酒 の二 種 であ るが 難︑ 酒 は カ﹁ タサ
﹂ケ と訓 む ので あ うろ
︒ 和﹃ 名抄
﹄ 飲食 部 に 醇﹁
﹂酒 の説 明 と して 日﹁ 本紀 私記 云︑ 醇 加酒 太佐
﹂介 と し てお り︑ 和﹃ 名抄
﹄ 所 引 の 日﹃ 本紀 私
﹄記 では 醇 酒 を カタ サ ケと 訓 ん で いた
︵な お現 の存 日﹃ 本書 紀私
﹄記 では
﹁加 幾良 佐介
﹂ の訓 みが つい てい る︶︒ 醇 酒 に つい て 和﹃ 名抄
﹄ はさ ら に 厚﹁ 酒也
﹂ と るし し てお り︑ 箋﹃ 倭注 名類 乗抄
﹄ では 加太 佐 介 は 堅﹁
﹂酒 であ り 濁﹁ 酒之 厚也
﹂ とし て いる
︒ 難 酒 は のこ 醇 酒 を いう ので はな か うろ か︒ お そら く かな り濃 い︑ ア ル コー ル度 の高 い酒 で︑ 造 酒 司に 貢 上さ れ て き てか ら薄 め て使 用す る こと が あ たっ かも しれ な い︒ な お藤 原官 跡 から 下﹁ 鳥 羽駈 難 酒 三斗 一升
﹂ と記 した 木衛 が出 土 し て いる 触傘 繰勲 舗警 額験 工祭 原自
︶o と ころ で河 内 国志 紀 郡 は雄 略 記 に出 る志 幾之 県大 主 の居 た とこ ろ でか つて の県 であ
たっ
︒ 神﹃ 名帳 考証
﹄ に よ れば 田井 郷 の近 く には 志貴 県 主神 社 が あり
︑ ま さに 紀志 県 の中 心部 あで たっ
︵少 郷林 は
﹁和 名抄
﹄に なく 拝︑ 師︵
︶林
大嘗祭 と造酒司木簡
郷が ある が︑ 拝師 郷だ とや はり 志責 県主 神社 の近 くで ある
︶︒
した が てっ この 二点 の木 衛 にみ え る志 紀郡 貢 上 の酒 は正 税帳 や 延﹃ 喜式
﹄ にみ え る県 の醸 す酒 であ たっ と思 われ
︑ 大嘗 祭 やそ の他 の神 事 で の饗 宴 に使 われ るた め貢 上 さ れ た と考 え られ る︒
一 一 大 嘗 祭 と 造 酒 司 木 簡
6 A AC 区
︵V 地区 出︶ 上 の木 筒 は前 述 し たよ う に造 酒 司関 係 の文 書 や酒 米
・赤 米 の貢 進付 札︑ 種 々の 酒 や酢 の 名 辞 のみ え る物 品付 札な どが 多 く︑ こ の地 区 を造 酒司 と推 定 す る根 拠 とな たっ
︒ これ ら の木 簡 は奈 良 時代 の造 酒 司 に つい てそ の機 能 を具 体 的 に知 る手 が かり と な る貴 重 な資 料 であ るが 造︑ 酒 司 の機 能 職や 掌 の全 般 にわ た る資 料 では なく 仔︑ 細 に検 討 す ると あ る時 点 のあ る行 事 に関 係 す る内 容 を持 つと 推定 さ れ るも のが 多 い︒ そ の行 事 とは 後 述 す るご とく 木︑ 筒 の年 紀 と内 容 から 亀神 元年 一 月一 三二 日に 行 わな れ 聖た 武天 皇 の践 確大 嘗 祭 あで り︑ 木 筒 は そ の大 嘗 祭 に造 酒 司 とし て準 備 にあ た たっ 際 の内 容 を示 し て いる と考 え られ る︒ も ち ろん 聖 武 天皇 の大 嘗祭 であ る こと を直 接 示す 木 簡 はな く︑ ほ とん ど の造 酒 司関 係 簡木 断は 的片 で︑ 司内 の機 能 のど の部 分 かに かわ る記 載内 容 な のか 不粥 のも のが 多 いが
︑ そ の中 にや やあ 傾る 向 がう かが われ る 一群 の木 簡 が あり
︑ そ の 一群 を相 互 に関 連 さ さ て考 え てみ とる 神亀 元年 の大 嘗 祭 に かか わ るも ので はな いか と推 定 され る ので あ る︒ それ ら の木 衛 が ど のよ う な理 由 で大 嘗祭 に関 連 す る と考 え られ かる 説 粥 して ゆく が︑ それ と とも に大 嘗 祭 と は ど のよ う な祭 儀 であ るか を述 べる 必要 があ る︒ ただ し︑ 大 嘗祭 きは わ めて 規大 模 複︑ 雑 な祭 儀 であ り︑ そ の全 て
総 説
にわ た てっ 言及 す るわ け には いか な いの で︑ 木筒 の内 容 関に 連 の深 部い 分 を中 心と し て概 略 を述 べる こと にす る︒
● 大 嘗 祭 の 概 要 践 確大 嘗祭 は天 皇 一代 に 一度 の重 要 な祭 儀 であ り︑ 即 位 し た年 の 一一 月 下 の卯 の日 から 四 日間 行 なわ れ る
︵た だし 八月 以後 の即 位の 場合 は翌 年 の 一一 月︶︒
毎年 同 じく 一一 月 の下 の卯 の日 に行 な われ るも のに 新嘗 祭 があ るが
︑ 奈 良時 代以 前 には 両者 は判 然 と は区 別 され てお らず 祭︑ 儀 の意 味 も基 構本 造も ほぼ 同 じも ので あ り︑ 農村 の収 穫 儀 礼が かな り儀 式化 し て官 廷 行に なわ れ て いた も ので あ る︒ 奈 良時 代 で はす でに 毎 年行 なわ れ る のを 新 嘗 とよ び︑ 天 皇 の即 位 に当 り 一世 に 一度 行 な われ る のを 大 嘗 と称 し て区 別 し て いた こと は 続﹃ 日本 紀
﹄等 で男 ら か であ り︑ 大 嘗祭 のあ る年 には 新 嘗祭 は行 な われ な か たっ
︒ 続﹃ 日本
﹄紀 には 奈 良時 代 に即 位 した 天皇 七人 の大 嘗祭 の記 事 を載 せ て いる が︑ ほと ん がど 大嘗 祭 の中 心部 分 であ る 一 月一 下 の卯 の日 から の四 日間 に つい て の簡 単 な記 事 であ る︒ わず かに 淳仁 天皇 の天 平宝 字 年二 八月 一六 日 に大 嘗 祭 を行 なう た め に天 下 諸国 の大 祓 を した と いう 記 事が あ り︑ こ の時 代 にも 記録 には あら われ な いが 大︑ 嘗祭 の準 備 が そ の年 の早 い時 期 から 行 なわ れ て いた こと が知 ら れ る︒ 延﹃ 喜
﹄式 によ れば 大嘗 祭 の準 備 の最 初 に行 なわ れ る こと は︑ 神撰 お よび 酒黒
・白 酒 を作 る稲 を取 る国 郡 二個 所 を卜 定 す る こと であ る︒ こ の二 国 を悠 紀 国
︒主 基国 と いう 卜︒ 定 多は く は 月七 まで に行 な われ 畿︑ 内 周辺 の国 あで る こと が多 い︒ 国郡 卜 定 のあ とは 大 嘗余 の 一切 の準 備 を 司 る組 織 あで る行 事 所が 設 けら れ 検︑ 校 以下 の役 が 置 かれ た︒
大嘗祭 と造酒司木簡
月八 上旬 には 大祓 使 を卜 定 し︑ 左 右京
・五 畿 七道 に遣 し︑ 諸 国 の大 祓 を行 な たっ
︒ 月八 上旬 と九 月上 旬 には 由 加物 使 畿が 内近 国 差に 遣 され た︒ 由 加物 とは 大嘗 祭 俵 に使 用す る諸 雑 器 や天 皇 が食 す る雑 贄 を指 す︒ 由 加物 使 はそ れ ら の作 製 採・ 取 を監 督 し︑ 京 に運 んだ
︒ 九 月上 旬 には 摂津 国神 社服 の神 主 一人 が神 服使 とし て参 河国 に派 遣 され 天︑ 皇 の着 す る神 服 を織 る服 長
・織 女 な どを 定卜 した 卜︒ 定 され た人 々は 一〇 月 上旬 に上 京 し︑ 宮城 北野 の斎 場 に設 けら れ た服 院 で神 服 を織 たっ
︒ 月八 下旬 に は神 祗官 の官 人四 人 から な る抜 穂 使が 卜 定 され
︑ 悠紀
・主 基両 国 に二 人ず つ派 遣 され た︒ こ の抜 穂 使 は大 嘗 祭儀 の最 も中 部心 分 であ 卯る 日の の神 事 に使 われ る神 撰
・天 皇 供御 の飯
・白 酒 と黒 酒 を造 る稲 を取 るた め の重 要 な使 いで あ る︒ 両 国 の斎 場 に至 たっ のち 抜 穂 に従 う男 女 を現 地 の者 から 卜 定 し︑ 稲 取を 田る のそ ば に斎 場 を作 たっ
︒ 稲が 稔 たっ 頃 に抜 穂が 行な われ 現︑ 地 の男 女 と とも に京 に運 ば れ︑ 九 月下 旬 北に 野 の斎 場 に到 着 した
︒ 宮 北城 部 の北 斎野 場 は方 四〇 丈 の外 院 の中 悠に 紀 と主 基 の内 院 と服 院
︑ そ の他 の雑 舎 が設 け られ ︑ 一〇 月 上旬 ま で に造 り終 え る こと にな てっ いた
︒ ま た斎 場 に隣 接 し て大 嘗祭 に従 う官 人 の準 備 作業 と起 居 の場 であ る大 嘗 会 所が 設 けら れ た︒ 斎 場 はで 一〇 月 上旬 に大 嘗祭 に使 用 す る酒 が︑ 悠紀
・主 基両 国 から 運ば れ 稲た で両 国 の男 女 よに てっ 醸 造 され た︒ 両 内院 では 特 に卯 の日 の神 事 に使 用 され 酒る が 一一 月上 旬 に醸 造 され る︒ これ ら 酒の の醸 造 にあ た てっ も 酒 甕 を地 面 に掘 すり え て いる
︒ 一〇 月 中旬 には 服 院 の中 に悠 紀
・主 基 の神 服 院が 造 ら れ︑ 神 服使 に率 いら れ て上 京 し 参た 河 国 の神 服 女 と服 丁
総 説
によ てっ 神 服 が織 られ た︒ 一〇 月下 旬 に天 皇 は斎 場近 く の河 臨に ん でみ そぎ を し︑ 一 月一 一日 より 大 嘗祭 終が まる で 一個 月間 の物 忌 に入 る︒ これ 御を 楔 と称 す る︒ 北 野斎 場 にお いて 大嘗 祭 のた め の酒 が醸 され
︑ 服神 繊が れら て いる とき 宮︑ 内 の諸 官 司 でも 大嘗 祭 の準 備が 進 めら れ る︒ 造酒 司 でも 備準 が行 な われ がる
︑ それ に関 係 す る木 簡 があ る ので す︑ こし 詳 くし 述 べて みた い︒ 延﹃ 造喜 酒式
﹄ 践酢 大嘗 祭供 神料 条 よに れば 造︑ 酒 司 はで 月九 中旬 に司 内 に黒 木 の舎 一宇 を建 て始 め︑ そ こ で 一一 月 の中 の成 の日 酒に な ど の供 神 物 準を 備 す る︒ こ の供 神物 は卯 の日 の夜 に天 皇 の出 御 に先 立ち 朝︑ 堂 竜廃 尾 壇 の前 設に らけ れ た大 嘗 宮内 に他 の官 司 の料 物 とと も 納に めら れ る︒ 供 神物 を とと のえ るた め の供 神料 は 造﹃ 酒
﹄式 よに れば 酒︑ を 入れ る容 器 の等 呂 須伎 都︑ 婆 波 を はじ め種 々あ るが
︑ こ こで 問 題 に しよ う とし て いる のは そ の中 の畿 内所 進 の植 物 と し て いる も ので あ る︒ それ は檜 葉︑ 真木 葉︑ 弓弦 葉 寄︑ 生 真︑ 前 葛︑ 日蔭 山︑ 孫組
︑ 山 橋 子︑ 衰等 売草 九の 種 であ る︒ これ ら の植 物 が ど よの う に使 わ れた のか 不引 であ るが 卯︑ の日 の巳 の刻
︵年前 一〇 時︶ 北に 斎野 場 から 大 嘗 宮 へ行 列 をな し て 運ば れ る悠 紀
・主 基 両 国 の供 物 の荷 に使 用 され る 植物 と共 通す とる 思 わ れ る︒ 儀﹃
﹄式 や 延﹃ 喜 碓践 大嘗 祭
﹄式 よに ると そ の荷 物 は用 途 によ てっ いく つか に分 らけ れ るが
︑ そ のう ち 酒黒
︒白 酒 二甦 ず つを それ ぞ れ黒 木 の輿 に載 せ︑ 輿 に檜 葉 を葺 き︑ 醒 に 羅 廓 が. 飾 る︒ さら に︑ 御 水 六魁 を輿 に 載 せ草 木 葉の 飾を り とす る︒ 別 に黒 酒
・白 酒 一〇 缶ず つの 荷 やを はり 輿 に載 せ︑ 美草 もを てっ 飾 り とす る︒ ま た 倉 代十 輿が 時同 に運 ば れ るが
︑ これ 屋は 形 に檜 葉 を葺 き︑ 中 に肴 物 莫や 子 な どを 入れ もた ので
︑ 同 くじ 美車 を飾
大嘗祭 と造酒司木簡
る︒ さら に人 給 酒の 一百 缶が 黒木 の営 形 に入 れ て運 ば れ るが
︑ これ もに 美草 を飾 りと す る︒ また 荷︑ 物 では な い が
︑ 同 じ行 列 の中 で神 服 の男 七二 人が 持 酒つ 柏
︵卯 の日 に天 皇が 大嘗 宮 の正 殿 の神 食上 酒に を麗 とぐ きに 用 いる
︶ に弓 弦棄 使が わ れ る︒ 造﹃ 酒式
﹄ 九の 種 の植 物 も これ ら の草 木 の実 や美 草 と同 じよ う に使 われ た ので はな かろ う か︒ す わな ち造 酒 司 で造 られ た酒 など の供 神物 飾に り とし て付 せら れ︑ 大嘗 官 の中 納に めら れ た 推と 定 され る︒ た だ 単し な る飾 り と し て では なく
︑ 酒等 の荷 が神 聖 あで る こと の表 徴 でも あ ると 考 えら れ る︒ ちな み に日 蔭 葛 は新 嘗
︒大 嘗祭 な ど の 神事 の時 に参 加者 の冠 懸に け る こと にな てっ いた
︒ 古﹃ 語拾
﹄遺 よに れば 照天 大神 の岩 戸 隠れ の時
︑ 天釦 女命 は 真壁 葛 をも てっ 髯 とし
︑ 薙葛 をも てっ 手組 にし て歌 舞 した と いう
︒ 造 酒 司供 神 料 の九 種 の植 物 用の 途 が推 定 でき た と ころ 木で 簡 全垂 をじ み よう 左︒ 右が 欠 け いて て判 読 でき な い 個所 が あ るが 槍︑
・真 前 葛
・衰 等 草売 読が め︑ これ は九 種 の植 物 のう ち であ る︒ さら に
□﹁
□葉 二荷
﹂ と読 め る 個 所 から も︑ こ の木 衛 は表 一異 もと 大嘗 祭 に使 用す 九る 種 の植 物 名 を書 き 上げ た と考 え られ る︒ な お 造﹃ 酒式
﹄ 記 載 の熱 量 と比 べる と衰 等売 草 の二 荷 は合 てっ いる が 真︑ 前 葛 は合 わな い︒ この 木 街 は内 容 的 に大 嘗祭 に関 す る こと が明 ら か あで り︑ 他 の 一連 の木 筒 が大 嘗 祭 に かか わ る ので はな かい と いう 推 定を 助 け もる ので あ る︒ ま 奈た 良時 代 の大 嘗祭 に関 す る数 少 い具 体的 資 料 のひ と つで あ る︒ 造 酒 司 の大 嘗祭 のへ 準備 に関 す る こと は以 上 にと ど め︑ 再び 延﹃ 喜
﹄式 によ てっ 大嘗 祭 の概 要 を続 け る とこ に す る︒
総 説
大 嘗祭 儀 が行 なわ れ る大 嘗 官 は 一一 月下 の卯 の日 の七 日前 から 造 り始 め五 日 の内 に造 り終 え る こと にな てっ い た︒ 場所 は平 官安 はで 朝堂 院 の竜 尾壇 の南 であ るこ とが 多 い︒ 平 城 宮 では 元正
・聖 武
︒称 徳 天皇 の大 嘗 祭 の場 所 は 不粥 あで るが 淳︑ 仁
・光 仁
・桓 武天 皇 の場 合 は いず れも 太 政 官院
︵乾 政官 院︶ で行 な てっ おり
︑ 孝謙 皇天 は官 外 の南 薬園 新官 で行 な たっ
︒ 大 嘗祭 第 一日 の卯 の日 前の 日 の寅 の日 に は鎮 魂祭 が行 な われ る︒ 卯 の日 には 悠紀
・主 基両 国 の供 物が 行列 を作 り︑ 北 野斎 場 から 官 内 の大 嘗 宮 へ向 たっ 祭︒ の中 心 は同 日 の夜 中 に天 皇 が大 嘗 宮 の中 の廻 立殿 で湯 を浴 び悠 紀
・主 基 の神 殿 で供 御物 や黒 酒
・白 酒 を神 と共 食 す 秘る 儀 あに る︒ そ れ が終 り朝 にな ると 大嘗 官殿 はと り こわ され
︑ つ いで 平安 官 場の 合 仁は 寿 殿 で大 殿祭 が行 わ れ︑ 天皇 の践 昨 にあ たり 官殿 内 の平 安 を祈 る︒ 平 城官 では 大嘗 祭 にと も なう 大 殿祭 が ど こで 行 な われ たか 不 男 あで るが
︑ こ の大 殿祭 に関 す る木 簡 が 一点
︑ 6 AA C地 区 から 出 土 し てい る 全一 喬C 大︒ 殿祭 では 延﹃ 喜式
﹄ によ れば 芸安 綿木 や酒
︒米 な がど 用 いら れ るが
︑ こ の木 簡 は大 殿祭 に つい て の造 酒 司 で の準 備 に関 す るも ので あ る めた か︑ 酒 の量 の記 載 の み あで る︒ この 木 衛も 一群 造の 酒司 推 定 地出 上 の木 街 が 大嘗 祭 に関 連 す るも ので あ る とこ を 示す 証 左 であ ろう
︒ 卯 の日 以後 辰︑
・巳
︒午 の三 日間 は場 所 を豊 楽院 にか え て の饗 宴 であ る︒ 辰 の日 は悠 紀 節の 会 天で 皇 に御 膳 を供 し︑ 五位 以 上 饗に 蟹 賜を い︑ 風俗 の歌 舞 が奏 され る︒ 巳 の日 は主 基 の節 会 で和 舞 悠︑ 紀
・主 基 二国 によ る風 舞俗
︑ 田舞 が奏 さ れ る︒ 午 の日 は いわ ゆ る豊 明 節の 会 で悠 紀
・主 基両 国国 司ら に叙 位 し︑ 久米 舞 吉︑ 志舞 大︑ 歌︑ 節五 舞
︑ 和舞 な どが
大嘗祭 と造酒司木簡
奏 され る︒ 以 上 によ てっ 四 日間 の大 嘗祭 儀 は終 了す る こと にな る︒ 翌未 の日 に は諸 司 六位 以下 両︑ 斎 国 の郡 司役 夫 等 に叙 位賜 禄 が あ り ︑ 一一 月 晦 口 には 在 京諸 司 の大 祓 があ り︑ 三 月一 上旬 には 両斎 国 で御 膳 の八 神 を祭 り︑ 斎郡 の解 斎 解 除が 行 な われ て大 嘗 祭 かに かわ る 一切 の行 事 は完 了 した こと にな る︒ 奈良 時代 の辰 の日 以後 のこ と あは ま りは きっ りし な いが
︑ 第 6表 にみ ら れ るよ う に主 と して 朝 堂 を使 用 して 饗 宴 が 行 なわ れ た︒ 三 日間 す べ てに わ た てっ 宴 が あ たっ とは 限ら な いに して も辰
・巳
・午 の日 が饗 宴 の日 であ たっ こと は確 かで あ る︒ また 未 の日 に は平 安 時 代 と同 じよ う に叙 位 も行 な われ て いる が︑ 宴 も行 わな れ て いる 称︒ 徳 天皇 の大 嘗祭 のと き には 辰 日の を豊 明 と称 てし お り︑ 桓 武天 皇 の時 の巳 の日 の節 会 には 雅 楽寮 の楽 や大 歌 が奏 さ れ て いる
︒ 以 上大 嘗祭 の概 要 をご く簡 単 説に 明 し︑ 大嘗 祭 にか かわ る木 簡 があ る こと を述 べた が︑ 次 に この 大 嘗祭 が いつ の大 嘗 祭 であ る か木 簡 にみ え る年 紀 と日 付 から 考 え てみ よう
︒ 0 木 簡 に み え る 大 嘗 祭 の 時 期 本報 告書 収載 の木 簡 の中 に神 亀元 年 一一 月 一一 日の 日付 持を つも のが 一点 ある 喜会 C︒ そこ に記 され てい る三 石七 斗 二升 とい う数 量か らみ て︑ 酒 か酒 の原 料 とな る米 か水 の量 示を すも ので あろ う︒ 年紀 があ るこ とと 数︑ 量 の多 さ︑ それ に付 札型 をし てい こる とか ら考 え て︑ 酒 の貯 蔵か あ︑ る いは 醸造 に関 する も ので あり 甕︑ など の容
総 説
器 付に けら れ て いた も ので はな かろ う か︒ と ころ でこ 神の 亀 元年 一一 月 は
﹃続 本日
﹄紀 に よれ ば 聖 武 天皇 の践 碓大 嘗祭 の行 なわ れ 月た であ る︒ こ の木 衛 偶が 然 に 大嘗 祭 の時 期 と日 付 が 一致 し ただ け な のか
︑ 容内 的 もに 大 嘗 祭 と関 係 が あ る かの 考 え てみ よう
︒ 年 紀 はな いが 一一 月 の日 付 を持 つ木 簡 は この 一点 の他 点四 会喜 霜・ 三日 と≡ 甲
≡死 ё で︑ 合 計 五点 にな り︑ 日付 のあ る木 筒 の中 では 他 月の くに ら べ て 一 月一 が 一番 多 い︒ そ の他 に 一 月〇 が 一点 全一 一一 一5 あ る︒ ま 神た 亀元 年 銘 の木 衝 はも う 一点 あ るが 一全 喜δ
︑ そ れ は 一二 月 であ り︑ 一 応大 祭嘗 終 了後 の日 付 あで るが
︑ これ も後 述 のご くと 大 嘗祭 と関 係 が あ ると み ても よさ そう であ る︒ 貢 進付 札以 外 で 一〇
︒ 一一
︒一 月二 以外 の 付日 を 持 つ木 衝 は三 点 喜会 一千 善嘉 二亭 も だ け であ るか ら︑ 日付 のあ る木 筒 は 一一 月 を中 心 集に 中 し て いる とこ にな り︑ 顕著 な現 象 あで ると いえ る︒ 大嘗 祭 の祭 俵 そ のも のは 天皇 が即 位 した 年 の 一 月一 の下 の
百寮主典以上朝堂賜 饗
諸司主典以上賜饗 諸司主典以上朝堂饗
賜禄・叙位 叙位 五位以上朝堂宴,内裏 に て賜御酒・ 禄
五位以上宴,賜禄 畷悪
に御 し,五位以上宴 黒酒・ 白酒 を賜 う 甲賜悪握 にて五位以上宴
乗鉄盟 萎写
:矮逢牢 疹森
叙位・賜饗・ 賜禄 叙位・ 賜禄
五位以上宴,叙位・ 賜禄 主典以上朝堂宴
※ 諸司主典以上饗,賜禄
厨 に御 して叙位あ り。
大嘗祭 と造酒司木簡
卯 の日 から 四 日間 行な われ るが 前︑ に述 べた よう に大 嘗祭 の 準備 はか なり 早く 始 めら れ︑ 七月 ま でに は神 餞 お よび 黒 酒
︒ 白 酒 を造 る稲 を取 る悠 紀
︒主 基 の国 郡 二個 所 を卜 定 す るこ と が行 なわ れ︑ 一 一月 に入 れば 祭 を直 前 にひ かえ て多 方面 で の 準備 が進 め られ るか ら︑ これ ら の木 筒 の日 付 が 一一 月 を中 心 に集 中 し てみ られ る こと は︑ 造 酒司 で の大 嘗祭 あに た てっ の 準備 に関 す るも のと 考 え る こと が でき るわ け であ る︒ 奈良 時 代 では 天平 宝宇 年二 月八 六一 日 に淳 仁天 皇 の大 嘗祭 のた め の 天﹁ 下大 祓
﹂ を行 な てっ いる から
︑ や はり かな り早 く から 準 備 が 始 めら れ て いた こと が知 られ る︒ ま た神 亀元 年 一二 月 の 日付 の木 筒 は︑ 大嘗 祭 の終 了後 に先 に卜 定 され て いた 紀悠
・ 主基 両国 の斎 郡 の解 斎解 除 や︑ 斎 場 の撤 去 が 行 な わ れ る か ら︑ そ れ 関に 連 した も のと 考 え られ る︒ 貢 進 付札 以外 の木 簡 神で 亀元 年銘 のあ るも のが 二点 あり
︑ 神 亀 元年 一一 月 には 聖武 天皇 の大 嘗 祭が 行 なわ れ て いる こと から
︑ これ ら の 一〇 月2 一二 月 ま で の日 付 のあ る木 簡 を神 亀
第6表 奈
天 皇 年 〔紀 国
:蒸国 ,「 日 辰 日
元
正
聖 武 孝 謙 淳
仁 称 徳 光
仁 桓 武
霊 亀 2 神 亀 元 天平勝宝元 天平宝字2 天平神護元
宝 亀 2 天 応 元
江馬 前磨 幡濃 波 磨 濃前 河幡 前前 遠但 備播 因美 丹播 美越 参困 越備
大嘗,賜禄 。叙位 大嘗,神楯 を斎宮南北二門 に立つ
南薬園新官にて大嘗 乾政官院にて大嘗 大嘗
香竪写野馬曇萎軍綺瞥錬瘍
・ 諸司宿侍名簿を奏す
査 験写野 上氏杏豪舞曜異娑
五位以上宴,叙
位
叙位,ナホラヒ の豊明
※ この ときには、ひ きつづ き申 日に叙位、酉 日に由機厨、戊 日に須岐
総 説
元年 の大 祭嘗 かに かわ もる との 考 え る のは 自然 であ ろう
︒ 奈良 時代 には 七人 の天 皇 の大 祭嘗 平が 城 官 や離 官 で行 な われ て いる が︑ それ ら の年 と6 AA C区 で出 土 し て いる 年紀 のあ る木 簡 で 一致 す る のは 聖武 天皇 の大 嘗 祭 の神 亀 元年 だけ あで る︒ こ の点 から も 年 の記 載 が くな 一〇 月2 一一 月 の日 付 だ け の木 簡 も神 亀 元 年 のも のと 考 え られ ZO︒ また 先 に説 明 した 造 酒司 供 神料 の植 物 名 を書 き上 げ 木た 簡︑ 大殿 祭 に関 す る木 簡 を は めじ 多 く の大 嘗祭 に かか わ ると 推定 きで る木 簡 と︑ この 神亀 元年 の木 簡 と は発 掘区 の西 の溝
︵s
⊇ 二〇 一一一五
︶ の同 一土 層 から 出 土 し てお り︑ こ の事 実 も大 嘗 祭 が神 亀 元年 のも ので あ る こと の裏 づ けに な る あで ろう
︒ 以 上大 嘗 祭 と木 簡 に つい て説 明 を し︑ 木街 の中 に奈 良時 代 の大 祭嘗 にお いて 造 酒 司が 関 与 す る内 容 を持 つも の があ り︑ し かも それ が神 亀 元年 の聖 武 天皇 の大 嘗 祭 では な いか と推 定 した が︑ これ 以外 でも 大嘗 祭 と いう 観点 で み ると そ のか かわ りを 推定 でき る木 簡が あ る︒ そ れ ら に つい ては 釈文 の補 注 で ふれ てお いた
︒ これ ら の木 簡 は︑ 奈 良 時代 の大 嘗 祭 の史 料 乏が し いだ け に︑ きわ め て貴 重 であ り︑ そ の内 容 を さら によ く検 討 しな けれ ば なら な いが 本︑ 稿 で は木 街 の紹 介 を中 心 に︑ 多 少 の考 察 を加 え るに とど めた
︒