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博士学位論文審査報告書 大学名

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2016 年 1 月 7 日

博士学位論文審査報告書

大学名 早稲田大学

研究科名 スポーツ科学研究科 申請者氏名 鄭 卿元

学位の種類 博士(スポーツ科学)

論文題目

テコンドーの起源問題と競技スポーツの形成過程に関する歴史的研究 A historical study concerning the origin of Taekwondo and its developmental process as a competitive sport

論文審査員 主査 早稲田大学教授 志々田文明 博士(人間科学)(早稲田大学)

副査 早稲田大学教授 寒川恒夫 学術博士(筑波大学)

副査 早稲田大学教授 リー・トンプソン 学術博士(社会学)(大阪大学)

本研究は韓国発祥の国際的格闘スポーツであるテコンドーの形成過程を明らかにした歴史研 究であり、以下の研究課題が設定されている。第一は三国時代(1 世紀)から朝鮮時代(19 世紀) に至る歴史の中で、朝鮮半島の素手武芸の起源とそれ以降朝鮮時代の武芸テッキョンまでの変 遷の解明、第二は韓国解放(1945 年)前後に創立された初期のテコンドー道場の成立過程と日本 空手との関係の解明、第三は 1960 年代における競技ルール制定以降の急激な変化の過程の分析 を通してテコンドー競技確立に至る理由と特徴の解明である。

第一部の朝鮮半島の「素手武芸」については三国時代、高麗時代、朝鮮時代に区分して考察 している。

高句麗・百済・新羅が鼎立した三国時代(37 年-668 年)は文献史料が欠如しているため従来 から遺跡、遺物また古墳壁画の研究によって素手武芸の存在が指摘されてきたが、その資料点 数は僅少であり実証性に欠けていた。本研究では古墳壁画 (高句麗 17 点、百済 3 点、新羅 3 点)、瓦(百済)、石像(新羅)などより広範な調査を行った結果、多くは武芸との関係が希薄であ ることを確認し、武芸に関係する騎馬兵の姿(百済の瓦)と素手武芸に関係する力士像(新羅 の古墳壁画)とを新たに証示することができた。

高麗時代については、従来の研究において当時の文献史料である『高麗史』の記録で、素手 武芸と推定される「手搏」(手のひらで力を競う武芸)の存在が確認されてきた。本研究によ って高麗中期の毅宗 24 年(1170)から高麗末期の忠穆王(1344 年-1348 年推定)までの間に軍 人の選抜と昇進の際に行われていたことが確認された。また王による手搏演武の観覧が行われ たことを 3 件の新たな証拠を示して確認している。

朝鮮時代(1392 年-1910 年)については、従来の研究において当時の文献史料である『朝鮮 王朝実録の記録』(16 件の記事)を通じて手搏の存在のみが指摘されていたが、本研究によっ て高麗時代の記録で確認された手搏が朝鮮初期太宗 10 年(1410)から 57 年間実施されていた ことを確認している。これによって三国時代から行われた素手武芸が高麗と朝鮮時代に手搏と いう武芸に受け継がれ、軍事的あるいは遊戯目的で行われたものと推定している。また手搏の 継承が 1967 年以後途絶えたことから、素手武芸の継承の視点から古代から朝鮮時代までの文献 史料を追跡した結果、1419 年以降 1664 年までの間に角力の記事 11 件、さらに 1599 年以降 1790 年の間に拳法の記事 6 件を確認している。これらによって手搏から足中心のテッキョン (1798 年に存在が言及)に至る 331 年間になぜ手中心の武芸が足中心の武芸に変わったのかとい う疑問への解答を示している。

第二部では、(1) 韓国解放(1945 年)前後に創立された初期のテコンドー道場の成立過程と、

(2) テコンドー創立者たちと日本空手との関係について考察している。

(1) に関する韓国内の定説では、テコンドー道場の出発は日本に留学中に松濤館で船越義珍

(1868-1957)師範から空手を学んだ二人の韓国人修業者たちによって開始された。彼らは韓国 に帰国し、1944 年にテコンドー基幹道場の一つ松武館を、また同年に靑濤館をそれぞれ創立し て韓国テコンドーの普及に専念した。従来両道場の開館日と演武会の日時が明らかでなかった

(2)

ことから思想的対立があったが、本研究では資料に基づいて事実の認定に成功している。

(2)では、当時の武術の名称と初期テコンドー指導者(創立者)の日本における武術修練の背景 について考察している。新聞記事(123 紙。1920 年-1978 年)などを中心に事実関係を調査し た結果、当時韓国に武術を指す用語は統一されておらず、1964 年以前は、唐手、空手、拳法、

1959 年以後に跆手道、テコンドーの名称が使用されてきたという事実を明らかにしている。ま た、初期テコンドー指導者たちの武術修練が誰の指導でどのように行われどのようなシステム を持つに至ったかを調査し、初期のテコンドー指導者らは日本の空手近代化に貢献した代表的 な空手師範である船越義珍及び遠山寬賢(1888-1966。琉球唐手の大家・糸洲安恒[1831-1915]

の直弟子)から道場の名称と指導方式(型、級•段システム)について影響を受けたものと推定 している。特にテコンドー道場青濤館の館長・李元國の『跆拳道教範』(1968)と船越義珍の

『空手道教範』(1935)を比較分析した結果、基本姿勢、鍛錬道具、型、急所解説について共 通点を見いだす一方、蹴技の方法の違いを解明している。一方、遠山寬賢の弟子であった尹炳 仁(YMCA 拳法部の館長)は中国満州の奉天で生まれ、1938 年の日本留学まで中国拳法を修練した ため、遠山寬賢の修道館から学ぶ空手以外に中国拳法を教えていたことを確認している。

第二部の研究を通して著者は以下の知見を示している。①1944 年から始まったテコンドー道 場において、当時の武術の名称(唐手、空手、拳法など)、指導者(創立者)らの武術修練経路、

空手型中心の指導、空手型と基本動作の共通点、そして段システムを通じて空手との強い関連 性が認められたこと。②1940 年時代は空手以外にも尹炳仁の中国拳法の指導の影響があったが 彼も遠山寬賢を通して日本空手との関連があること、また当時行なわれた武術の記録を総合し て推測すると空手の影響が多大なものであったこと。

第 二 部 に お け る 研 究 成 果 は 、 以 下 の 題 名 で 、 国 際 学 術 誌 「 Journal of Martial Arts Anthropology」に研究論文として掲載された。

鄭卿元, 劉暢, 志々田文明:2015 空手家船越義珍が嘉納治五郎とテコンドー指導者たちに 及 ぼ し た 影 響 (The influence of karateka Gichin Funakoshi on Jigoro Kano and taekwondo leaders), Journal of Martial Arts Anthropology, 15 巻 3 号,49-53 頁.

第三部では、1960 年代における競技ルール制定以後の変遷を以下のように叙述し、その分析 を通して、テコンドーが戦後の短期間に、なぜそしてどのようにして世界的に発展したのかに ついて考察している。

テコンドーの競技化は 1961 年に創設された大韓跆手道協会が大韓体育会に加盟し、翌 1962 年に全国体育大会に競技種目として参加することにより始まった。テコンドー第 1 世代指導 者(創立者)である崔泓熙及び黄琦らは共に実戦的実用性を強調し、競技化はそれを損なうも のとして反対していた。しかし競技化反対の意見は李鍾佑、嚴雲奎ら第 2 世代の指導者たち によって否定される。結局テコンドーは第 2 世代指導者らが中心にいた大韓跆手道協会によ って 1962 年の大韓体育会主催の全国体育大会においてテコンドー競技がはじまり、競技テコ ンドーが広く一般に普及することとなった。その後 1973 年に世界テコンドー連盟(WTF)が創 設され、1975 年の国際スポーツ連盟機構(GAISF・現 SportAccord)への加盟を経て、アジア 競技大会、オリンピック競技大会が実施されるようになる。

こうした状況を踏まえて著者は、(1)この発展のプロセスの中で競技ルールの改正が繰り返し 行われてきた点に着目し、誰が、何のために、どのように改正し、それがどのような結果をも たらしたかについて調査・分析した。また(2)競技に関わる発展要因以外に、政府やテコンドー 団体によって推進された政治的要因についても検討している。

研究の結果著者は、大韓テコンドー協会及び WTF が、テコンドー競技を統一し、選手の安全 性を確保し、テコンドー種目の普及を目的としてルール改正が行われてきたことを明らかにし ている。方法としてはテコンドーの技術、特にステップおよび回転蹴技の導入と、保護用具の 変化について、新たに新聞記事や写真などの資料に基づいて新奇性を指摘している。また先行 研究が 2009 年までに限定していた研究時期を伸張し、2009 年以後のルール変化、特に電気防 具の正式使用及びルールの変化によってもたらすテコンドー技術の進化の実態を明らかにした。

テコンドー普及と発展における競技以外の要因、とりわけ政治的要因については、①大学に 設置されたテコンドー学科、②撃破(板などの破砕の試演)、型(プムセ)そしてテコンドー 体操の三つを示範するデモンストレーション団、そして③テコンドー奉仕団における活動が有 効に機能したこと、特にこれらが併行して機能し、今日のテコンドー、つまり官民一体の努力 で形成されてきた韓国発の国際文化としての性格をもつ格闘スポーツが形成されたことを明ら かにしている。

(3)

新しい格闘スポーツといえるテコンドー史の研究は、テコンドーの世界的規模での成功と反 比例するかのように、長い間思想的対立や曖昧さが伴われてきた。そうした研究状況のなかで、

本研究が、テコンドーの起源問題と競技スポーツの形成過程を考察していく上で、実証性を伴 う優れた基礎的研究であることは明らかであり、博士(スポーツ科学)の学位を授与するに十 分値するものと認める。

以 上

参照

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