佐 久 間象 山 の思想 と国防論
笠 井 和 広
一 .は じめ に
佐 久 間象 山 は 文化8年(1811)2月28日 、 信 濃 国松 代 城 下 に生 まれ た。 父 は ト伝 流 の剣 術 の達 人 で 一 学 とい い 、象 山 はそ の家 督 を18歳 で 相 続 し、学 業 優 秀 で23歳 の とき江 戸 へ 遊 学 を して い る。 この期 は 天 保年 間 と よ ばれ て い る時期 で 、 日本 の封 建 制 度 が揺 らぐ とき で あ り、 日本 の 近 代 化 へ の 転 換 期 ともい え る。 それ は幕 末 、西 洋 諸 国 や ロ シ ア な どが 日本 に 開港 を迫 る に あ た り、 ヨー ロ ッパ 資本 主 義 の荒 波 が 押 し寄 せ て き た ときで 、 と りわ け 日 本 だ けで は な く極 東 にお い て も同様 で あ る。 そ の ころ象 山の 君 主 の真 田幸 貫 は海 防掛 老 中 とな り、象 山 は君 主 よ り海 外 事 情 の研 究 を命 じ られ た の で あ る。
これ に よ り象 山 は海 外 へ 目を 向 け蘭 学 に 関 心 を高 め る こ と とな り、 この期 の 日本 の激 動 を感 じた 先 駆者 の一 人 で あ る。
蘭 学 を学 ぶ 以前 の象 山 は朱 子 学 が 唯 一 の 「正 学 」 と信 じてお り、 陽 明 学 者 佐 藤 一 斎 に入 門 して い るの で あ るが 、 一 斎 の講 義 に は 出席 しな か っ た の は有 名 で あ る。 この よ うに朱 子 学 を 「正 学 」 と信 じる象 μ」が 、 西 洋 諸 国 の接 近 と とも に西 洋 事 情 に つ い て 関心 を 高 め、 蘭 学 と対 外 関係 に も強 い 関 心 を よせ 古 い 思 想 か ら新 しい 思 想 を唱 え、 視 野 を世 界 に 向 けて 拡 大 す る こ とを 強調 し、
西 洋 の学 術 を導入 して 国力 の増 強 を主 張 して い る。 さ らに重 要 な こ とは 、朱 子 学 の 側 に た ち な が ら 自 ら西 洋 学 術 を学 び と り理 解 し得 て い る こ とで あ る。
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そ して 、 そ の ころ の洋 学 の 中心 で あ る蘭 学 を幕 末 の武 士 階級 に浸透 させ た こ とは象 山の 力 が 大 き か った の で あ る。 事 実 、幕 末 や 維 新 に活 躍 した 人 に勝 海 舟 や 吉 田松 陰 らが い る が 、 この よ うな人 々 に は象 山 の弟 子 が 多 く、 象 山 はそ の 時 代 の武 士 階級 に思 想 的 、 学 問 的 影 響 を 大 き く与 えた の で あ る♂)
この 象 山 の朱 子 学 の と らえ か た は 特 異 で 、朱 子 学 を駆 っ て西 洋 学 術 の 自然 科 学 にお もむ かせ た と ころ に特 徴 が あ り、 西 洋 学 術 を学 ぶ こ とは朱 子 学 と相 容 れ ざる もの で は な い と して い るの で あ る。 そ して 、幕 末 の 国 際状 況や 対 外 関係 を察 しな が ら、幕 末 日本 の 国 内海 防 の 重 要 性 を 唱 え、 西 洋 学 術 を受 容 し 象 山独 自の砲 術 を確 立 して い くの で あ る。
.二.朱 子 学 の 理 解
象 山 が 自己の 課 題 と した の は 、 い か に して 対 外 的 危機 を克 服 す る か とい う 問題 で あ っ た。 象 山 が この対 外 的 危機 と本 格 的 な 取 り組 み を み せ る の は アヘ
ン戦 争 に よ る清 の 敗 北 以 後 で あ る。 それ ま で の象 山 は西 洋 の政 治 に 関心 へ の 理解 を示 して い るの で あ るが 、 西洋 とは 国体 ・政 体 を異 にす る 日本 が 西 洋 の 真 似 をす る必 要 は な い と して い る。 そ して 、象 山 は 日本 の 封 建 制度 と中国 の 封 建 制 度 を 同一 視 して い る こ とに よ り儒 学 に深 い 関 心 を示 し、 な か で も 「正 学 」 と信 じ る朱 子 学 を再 興 す る こ とが 実 践 的 関心 の 主 要 な 内容 とな って い た の で あ る。2)
元 来 、 朱 子 学 は 中 国 で 思 想 的 に体 系 化 され 、 自然 ・社 会 ・人 間 が 同一 の
「理 」 に よ って 貫 かれ て お り、 そ れ ら三者 を道 徳 性 の優 位 の も とに連 続 的 に と らえ よ うとす る合 理 主 義 の 体 系 で あ る。 そ れ は大 き く分 けて 、第 一 に存 在 論 に い う 「理 気 」説 、第 二 に倫 理 学 、 あ るい は 人 間 学 に い う 「性 即 理 」 の 説 、 第 三 に方 法論 に い う 「居 敬 ・究 理 」 の説 、第 四 に は 古 典 注 釈 学 お よび 著 述 、 第 五 に科 挙 に 対 す る意 見 や 社 倉 法 、 勧 農 文 に 分 け られ て い る。3>この朱 子 学 は 、 「格 物 窮 理 」 とい う客 観 的 で 知 的 な学 問研 究 と道 徳 の 酒 養 とい う主観 的 方 法 で あ る 「存 心持 敬 」 を併 用 す る こ とに よっ て 「天 地 万 物 」 の根 本 的 な原
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理 で あ る 「理 」 を体 得 す れ ば 、 誰 で もが道 徳 の完 成 者 で あ る 聖 人 に なれ る こ とが で き る とす るの で あ る。4)
そ の 朱 子 学 者 で あ る象 山 の 学 問 態 度 は 「学 を為 す 要 は 格 物 窮 理 に在 り。
(中 略)今 の 人 は 、 試 み これ と物 理 を 言 へ ば輯 ち 曰 く、 我 、 方 に 人 倫 日用 を 窮 む る これ 暇 あ らず 、 而 るに何 ぞ物 を窮 む る に暇 あ らん や と。 嵯 、 宣 に人 倫 日用 に して物 理 に外 な る もの あ らん や 。 余 未 物 理 に昧 して 人 倫 日用 に者 を 見 ざる な り。」(郡 康 節 先 生 文集 序5))と 主 知 的 ・概 念 的 で 、 物 理 の 法 則 性 を 追 及 す る とい う意 味 に お け る 「格 物 窮 理 」 が 学 問 の 基 本 と して 重 視 され 、 「格 物 窮理 」 が道 徳 的実 践 の前 提 条 件 と して い るの で あ る。 それ に象 山 に よれ ば 、 朱 子 学 は 「凡 天 下 の もの に即 て 基 論 を窮 め て 智識 の量 る尽 くす と 申す 。」(川 路 聖 護 宛)と し、 朱 子 と 同 じ く 「天 地 万物 の 理 」 を窮 め る こ とを 目的 と して い る。 一 方 、王 陽 明 は 陽 明 学 につ い て 自 己の 心 中 に 固有 す る 良知 を発 揮 す る こ とを 目的 と して 、6)象Wは 「夫 に て は外 馳 せ る之 幣有 之 候 間 、 吾 心 は 即 ち 理 に て 、 天 下之 万物 尽 く我 に備 わ り候 え ば、 吾 心 の理 をだ に窮 め候 え ば、 夫 に て 事 済 と 甲候 事 に 成 候 。」(川 路 聖 護 宛)と い っ て い る。 す な わ ち象 山 は
「格 物 窮 理 」 の 対 象 が 陽 明 学 の 「在 我 の 万 物 」 で は な く、 朱 子 学 にい う 「天 地 万 物 の理 」 で あ る と してい る。 さ らに象 山 の 「理 」 は朱 子 学 に お け る五 常 の 「仁 義 礼 智 信 」 を 内容 とす る実 体 的 な道 徳 規 範 で は な く、 自然 科 学 的 な実 験 に よ っ て検 証 され も のや 経 験 的 現 実 か ら帰 納 され る個 別 の経 験 法 則 に近 い もの と理 解 され る。 道 徳 性 と物 理 性 、規 範 性 と法則 性 が連 続 して い る朱 子 学 の 「理 」 を 象 山 は 後 者 の 物 理 性 ・法 則 性 に 焦 点 をお き、 「格 物 窮 理 」 が 「仁 義 礼 智 信 」 とい う道 徳1生の究 明 で は な く客観 的 な 事 物 の法 則 的認 識 の た め の 方 法 概 念 で あ っ た の で あ る。7)この よ うに象 山 の 「窮 理 」 の対 象 は 主 と して 自然 科 学 に 向 け られ 、 「理 」 の普 遍 性 に対 す る確 信 に よっ て 「宇 宙 に 実 利 は 二 つ な し。 こ の理 の あ る とこ ろ は天 地 も これ に異 な る こ とは能 は ず 、 鬼 神 も これ に異 な る こ とは 能 は ず 、 百 世 の 聖 人 も これ に 異 な る こ と は能 は ず 」(小 林 柄 文 に 贈 る)と 象 山 自身 の 世 界 像 の 拡 大 と とも に 、 そ の 「理 」 の 内容 を豊
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か に して い る。 こ の こ とか ら 「五 世 界 に渉 り、 そ の あ らゆ る学 芸 ・物 理 を窮 め る」(時 政 に 関 す る幕 府 宛 上 書稿)こ とが 「朱 子 学 の 本 意 」 で あ り、 西 洋 学 術 を兼 ね て学 ばな ま けれ ばな らない と した の で あ る。 よって世 界 中の学 術 ・ 物 理 を窮 め る こ とが 近 世 日本 社 会 の 正 統 思 想 で あ る朱 子 学 に よっ て正 統 化 さ れ 、伝 統 思 想 に よ って 正 当 な位 置 を賦 与 され る こ と とな っ た の で あ る。 む し ろ 西 洋 学 術 を学 ぶ こ とは 「朱 子 学 の本 意 」 に沿 うこ とな の で あ る。 そ して 、 兵 学 につ い て も 「談 兵 も講 学 家 の一 端 に て 、 本 よ り儒 術 中 の こ と に御 座 候 。 連 も入 りて相 とな り、 出 て 将 とな るの規 模 無 之 候 に て は 、 正 学 も畢 寛 無 用 に 属 し申候 。」(加 藤 氷 谷 宛)と 、 象 山 は 時務 と論 じ、兵 法 を講 じる こ と も 「正 学 」 と矛 盾 しない こ とを 明 らか に した の で あ る。
この結 果 、 象 山 は学 問 の広 大 さが宇 宙 間 の 心 理 を説 く もの と し、 中 国 と西 洋 を 区別 な く、 わ が 国 に取 り入 れ る こ とを 主 張 し、 西 洋 学 術 も朱 子 学 と矛 盾 す る も の で な い 結 論 に達 して い る の で あ る。
三.蘭 学 か ら 砲 術 へ の 関 心
象 山 が 蘭学 研 究 に の起 点 とな った の は アヘ ン戦 争 に よる清 の敗 北 で あっ た。
そ れ は 単 に清 が イ ギ リス に対 して 軍 事 力 が 劣 っ て い た だ け で は な く、 「西 洋 学術 を精 研 し、 国 力 を強 盛 に し、頻 を得 候 て 、周 公 ・孔 子 の 国 ま で も是 が 学 に 打掠 め られ 候 事 、 抑 何 の 故 と被 思 召候 や 。 畢 寛 彼 の 学 ぶ とこ ろは其 要 を得 、 其 学 ぶ 所 は 其 要 を得 ず 、 高 遠 空 疎 の 談 に溺 れ 、 訓 話 、 考 証 の宋 に流 れ 候 て 、 其 間 一 、二 有 用 の 学 に志 し候 もの あ りとい え ど も、一 対 万 物 の窮 理 其 実 を失 ひ候 。」(ハ ル マ 出版 に関 す る藩 主宛 上書)と 西 洋 学 術 が 清 を上 回 っ て い た こ とに 原 因 を あ げ て い るの で あ る。 わ が 国 にお い て も同様 で 「兵 法 に 申所 の彼 を私 利 己 を知 る の義 を勉 め度 事 に奉 存 候 。」(ノ〉レマ 出版 に 関す る藩 主 宛 上 書) と、 西洋 の知 力 ・学 力 に よ り国 内 の充 実 を図 らな けれ ば な らな い と して い る の で あ る。
象 山 の 西洋 学 術 に対 す る 関 心 と評 価 は 、 単 に国 防 に直 接 役 立 つ成 果 の 面 だ 94国 際経営論集No.282004
け で は な く基 礎 や 方 法 の 面 まで 向 け られ て い た の で あ る。 こ うした 態 度 の根 底 とな っ てい た の は 、道 徳 性 よ りも物 理性 に力 点 を お い て と らえ 「格 物 窮 理 」 の観 念 を媒 介 と して 、 近代 西洋 の 自然 科 学 を理 解 し摂 取 し よ う と した の で あ る。8)
この よ うな 思 想 を もつ象 山は 、 は じめ江 川 太 郎左 衛 門 よ り砲 術 を学 ぶ の で あ るが 、 本格 的 に砲 術 を研 究 す る よ うに な っ た の は、 蘭 学 者 、 坪 井信 道 よ り 原 書 の オ ラ ン ダ砲 術 書 を贈 られ た とき か らで あ る。 そ の砲 術 書 は従 来 の砲 術 伝 書 とは比 較 に な らな い ほ ど進 歩 した もの で あ っ た こ とに よ り、原 書 に よ っ て 蘭 学 を研 究 す る こ との必 要 性 を痛 感 す るの で あ る。 そ れ か らオ ラ ンダ の 百 科 全 書 「シ ョメー ル 」 を参 照 し、 ガ ラス の製 造 ・養 豚 の 実 験 ・ブ ドウ酒 の 醸 造 ・薬 用 人 参 ・馬 鈴 薯 の 栽 培 な どを試 み 、 「い ず れ も皆 異 国 の書 に 出総 て 実 験 の 慌 な る手 口に て候 、た とえ ば箇 様 に 致 し候 へ ば 、 水 精 の如 き美 事 の ビー ドロに 出来 候 、 箇様 に致 し候 へ ば 、 葡 萄 酒 出 来候 。 箇 様 に致 し候 へ ば養 豚 に 破 れ な し杯 申事 、 一 々密 に 手 に 取 る如 く有 之候 。」(塚 田源 吾 に贈 る)と オ ラ ン ダ の原 書 の と う りに 実験 して 成 功 して い るの で あ る。 これ らの 製 品 は 日本 で は 出 来 な い も ので あ っ た が 、 蘭 学 者 の原 書 を用 い れ ば造 られ る も の で あ っ た の で あ る。 しか も ビー ドロ にお い て は 、 「大 店 の ビ..̲̲ドロ屋 へ 遣 わ し此様 の 品は しき 由 申 させ て 候所 い ずれ も此 は渡 りに この表 の品 にて は無 之 と申候 。」
(藤 田甚 右 衛 門 に贈 る)と 舶 来 品 と同様 で 、 そ の 出 来栄 え の 見 事 さ をい っ て い る。 これ らの実 験 の成 果 よ り 「西洋 人 とて も三 面 六 曹 も これ な く矢 張 り同 じ人 にて 、本 邦 人 な り とて 片 端 者 に は か れ な く候 へ ば 、 よ く其 書 を読 み 考 を とき候 は ば 、必 ず 同 じ様 に 出来 候 うは ん と存 じ取 り掛 け り候 所 、果 た して 何 の 苦 も候 はず 出 来 申候 。」(藤 田甚 右 衛 門 に贈 る)と 自信 を も ち西 洋 学 術 の 理 解 は飛 躍 的 に高 ま り、象 山 は次 第 に西洋 学 術 へ の確 信 と傾 倒 を深 め 、洋 式 兵 法 ・砲 術 の研 究 に 最 も熱 心 に従 事 し、 「ケ チ ー ル 」 の兵 書 ・「カル テ ン」 の 砲 術 書 を読 み 西洋 砲 術 書 の読 解 に 沈 溺 した 時 期 で あ った。 そ こで今 ま で 日本 に 伝 え られ て い る砲 術 に不 合 理 を見 出 だ し、 「原 書 を読 み 発 明 仕 へ ば 、 江 川 殿
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心 得 られ 候 位 の 義 は 、 僅 か 高 島某 の伝 へ候 の み の略 々 の法 に て 、 西 洋 軍 争 地 に 掛 り候 の 百分 の 一 に も足 り不 申候 。」(山 路 源 太 夫 に贈 る)と 誤 りが 多 い こ
とを指 摘 して い る。 こ の よ うに 日本 お よび 西 洋 学 術 の 長 所 、短 所 を理解 す る た め に一 人 で も多 くの 日本 人 に原 書 を もっ て 蘭 学 を学 ぶ こ と を広 く望 ん だ の で あ る。 しか し、 蘭 学 の原 書 を読 む こ とは 容 易 で は な く、 そ の た め に オ ラ ン ダ語 辞 書 の 刊 行 を計 画 し嘉 永2年(1849)に 「ハ ル マ 出版 に関 す る藩 主 宛 上書 」 を藩 主 に上 書 して い る。
この 弘化 ・嘉 永 期 の軍 事 に 関 す る蘭 書 を購 入 す る主 体 は幕 府 で あ り、 翻 訳 は天 文 方 で行 っ て い た。 それ は 封 建 制矛 盾 の克 服 の た め実 学 で儒 学 に奉 仕 す る学 問 と して 育成 され 、蘭 学 の批 判 的 精神 の警 戒 心 か ら蘭 書 そ の もの が 市 中 に横 行 す る こ とを規 制 して い た の で あ る。9)しか し、 象 山 は 西 洋 諸 国 の侵 略 に は、 す べ て の もの が 平 等 に全 力 で 対 処 す べ き 問題 と し、 西 洋 諸 国 を知 るた め に も少 数 支 配 者 が 蘭 学 の 独 占をす べ きで は な い と し、 一般 の 人 々へ 普 及 さ せ る こ とに努 力 した の で あ る。 さ らに重 要 な こ とは 、象 山の原 書 に よ る西洋 学 術 の深 い 理 解 とそ の 実用 性 の 確 信 は 、 単 に 旧来 の砲 術 な い し砲 術 家 の批 判 に と どま らず 、 わ が 国 の学 問 全 体 の あ り方 や 社 会 情 勢 へ の対 処 ま で進 ん だ こ とで あ る。1。)
そ れ か らの 象 山 は 自分 の 砲 術 を 「西 洋 真 伝 」 と称 し塾 を 開 き 、 嘉 永3年 (1850)に 木 村 軍 太 郎 ・武 田斐 三 郎 ・津 田真 道 ・勝…海 舟 ・坂 本 龍 馬 、 翌 年 に は小 林虎 三 郎 ・吉 田松 陰 らが 入 門 して い る。 多 い とき は100人 を越 え る 門弟 が い て 、 奥 平 ・大 野藩 な どの藩 そ の もの が 入 門 して い る の で あ る♂1) そ れ は 、 こ こに お け る象 山 の砲 術 教授 につ い て の 留 意 点 が 、 そ の砲 術 が 原 書 か ら直接 得 られ た もの で 高 島や 江川 の翻 訳 か らの知p̀と 異 な り正 確 で あ った とい うだ け で は な く、 象 山 が西 洋 学術 の 内 面 的理 解 者 で あ っ た か らな の で あ る。
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四.砲 術
象 山は 以 前 か ら西 洋 自然科 学 の 素 晴 ら しさ を感 じ、世 界 的 視 野 を も って い た こ とを示 す もの と して 、 「世 界 の 形 成 、 コ ロン ビユ ス が窮 理 の 力 を以 て 新 世 界 を見 出 だ しコペ ル ニ キユ ス が 地 動 の説 を発 明 し、 ネ ウ トンが 重力 引 力 の 実 理 を究 知 し、 三 大 発 明 し以 来 、 万 般 の学 術 皆 其根 底 を得 、 柳 か も虚 誕 の 節 な く、 悉 皆 著 実 に相 成 、 是 に 由て 欧 羅 巴 、弥 利 堅 諸 州 次 第 に 面 目を改 め、 蒸 気 船 、 マ グネ チ セ 、 テ レガ フ等 創 製 し候 て 、 実 に造 化 の 工 を奪 ひ 候 義 に て 、
可愕 可 怖 模 様 に相 成 り甲候 。」(染 川 星 巌 宛)と 賛 嘆 して い る と こ ろが あ る。
象 山 の この よ うな 見 識 は 、 日本 が 世 界 情 勢 の 中 にお か れ た 立場 をふ ま え て 、 アヘ ン戦 争 にお け る清 の 敗 北 か ら実 用 性 と して 西 洋 砲 術 の優 秀 性 を観 点 にお い て 世 界 的 視 野 に た ち、 西洋 自然 科 学 のす ば ら し さを認 識 した こ とか らで も あ っ た の で あ る。 そ の象 山が 最 初 に江 川 太 郎左 衛 門 に入 門 し砲 術 を学 ぶ の で あ るが 、 実 用 性 の観 点 か ら西 洋 砲 術 と 日本 砲 術 を比 較 し西 洋 砲 術 の優 秀 性 を 指 摘 し、 原 書 に よ り研 究 を続 け た の は 前 述 の 通 りで あ る。 この 原 書研 究 の結 果 、 嘉 永 元 年(1848)に は 、 オ ラ ン ダ人 ヘ ウセ ル の原 書 に よ り、3斤 野
ドイ ム
戦 砲(カ ノ ンi2))1門 ・12栂 手(ホ ー ヰ ツ ス ル13))2門 ・13栂 手14)(モ ル チ ー ルt5)13門 を 造 り試 演 ま で 行 っ て い る の で あ る。 こ の と き の 大 砲 の 出 来 栄 え は 、 嘉 永2年(1849)5月28日 の 中俣 一 平 へ の 書 簡 に し め され て い る試 演 時 の命 中 率 の よ さや 、 嘉 永3年(1850)の 大 砲 鋳…造 場 所 の 視 察 の と き 、 ほ と ん ど の 大 砲 が 西 洋 に お い て 使 用 され て い な い 旧 式 の も の を 使 用 して い る
こ と を 指 摘 して い る こ と か ら も 、 旧 来 の も の よ り素 晴 ら しい 出 来 栄 え を 察 す る こ と が で き る の で あ る 。 これ らの 大 砲 の 区 別 で あ る が 、 西 洋 で は 、
一 .フ ェル ドゲ シ ュ キ ュ ッ ト(行 軍 野 戦 の 銃)
二.ヘ レー ゲ リ ン グ ゲ シ ュ ッ ト(城 塗 を 取 り囲 む 銃)
三.フ ェ ス チ ン グ ゲ シ ュ ッ ト(城 墜 の 銃).(竹 村 金 吾 に 贈 る)
の3通 り と して い る が 、 象Wは 、 二 の へ 一 ゲ リ ン グ ゲ シ ュ ッ トと三 の フ ェ ス チ ン グ ゲ シ ュ ッ トガ 使 用 す る場 所 に お い て 名 称 が 変 わ る も の と し て お り、 二
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と三 を 同 じ も の とみ な し2通 り と して い る 。 こ の そ れ ぞ れ の 大 砲 で あ る が 、 一 の フ ェ ル ドゲ シ ュ キ ュ ッ トは 「口径 十 六 ドイ ム の ホ ー イ ッス ル
、 短 き 十 ニ ポ ン ドの カ ノ ン 、 口径 九 ドイ ム 五 十 二 、 短 き 三 ポ ン ドの カ ノ ン 、 口径 七 ドイ ム 」、 二 の ヘ レー ゲ リ ン グ ゲ シ ュ ッ トと 三 の フ ェ ス チ ン グ ゲ シ ュ キ ュ ッ トは
「二 十 四 ポ ン ドの カ ノ ン 、 口径 十 五 ドイ ム 十 七 、 十 八 ポ ン ドの カ ノ ン 、 口径 十 三 ドイ ム 、 短 き 十 ニ ポ ン ドの カ ノ ン 、 同 じ く 六 ポ ン ドの カ ノ ン 、 五 十 ポ ン ドの モ ル チ ー ル 」(竹 村 金 吾 に 贈 る)が 二 と 三 が 含 ま れ る と し て い る 。 こ れ ら の 大 砲 の 特 徴 は 一〇が 行 軍 野 戦 で 使 用 す る た め 手 軽 で 便 利 な も の で あ る。 二 と三 に っ い て は 一 よ り大 き い が 大 砲 とい う よ り も少 し小 さ め の も の で あ る。
そ れ は 象 山 が ベ ウ セ ル の 説 を 引 用 し、 小 さ め の 大 砲 が 有 利 で あ る こ と を 説 い て い る か ら で あ る。 こ の よ うに 大 砲 とい え 小 さ め に 製 造 さ れ て お り、 象 山 は 大 銃 と い う言 葉 を 使 用 して い る 。
砲 台 に つ い て も 区 別 を し、
一.ヘ ル ドア ホ イ ト(行 軍 銃 架)
二.ヘ レー ゲ リン グ ア ホ イ ト(城 墾 を 取 り囲 む 銃 架) 三.フ ェ ス チ ン グ ア ホ イ ト(守 城 銃 架)
四.キ ュ ス トア ホ イ ト(海 浜 の 銃 架)
五.シ キ ップ ア ホ イ ト(船 で 使 う銃 架).(竹 村 金 吾 に 贈 る)
の5通 り と して い る 。 これ らの 大 砲 と砲 台 は 、 そ の ま ま の 使 用 法 で 使 用 す る の で は な く、 象 山 は 「ヘ ス チ ン グ の 為 に備 ふ る 銃 器 に て も 其 土 地 の 廣 狭 山川 の 形 成 に 随 て 、 二 十 ポ ン ドの カ ノ ン ロ径 十 五 ドイ ム 十 七 、 十 八 ポ ン ドの 、 口 径 十 三 ドイ ム 七 十 四 を 、 備 ふ る事 も 有 之 、 又 十 ニ ポ ン ドの カ ノ ン 以 下 を 多 く 備 え て 即 十 八 ポ ン ド以 上 を 用 ひ さ る 」(竹 村 金 吾 に 贈 る)も あ る と して 、 使 用 す る 場 所 の 形 成 や 実 践 経 験 に よ っ て 大 砲 の 種 類 を か え て 使 用 す る と して い
る の で あ る。
大 砲 の 使 用 方 法 に つ い て は 洋 書 「タ ー フル 」 を み れ ば 容 易 に 理 解 で き る と して い る 。 し か し 、 日本 の 砲 術 は 洋 書 で 研 究 す る こ と に よ っ て 容 易 に 理 解 で
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き る事 で も象 山 は 、 「江 川 に て は け しか らず 、伝 書 な ど惜 しみ 候 て 中 々三 年 五年 に て は皆 伝 な ど致 し候 はぬ 様 子 に て 中々 私 な ど大 き な るれ うけ ん も御 座 候 。」(母 に上 る)と 日本 で は 皆 伝 を 与 えず 、 秘伝 と称 して な か な か 教 授 しな い 日本 の 秘密 主 義 を批 判 して い る。 この秘 伝 に つ い て は 日本 の 特 徴 で 、 武 芸 に 関 す る奥 義 は修 行 態 度 、年 数 、 知 識 、人 物 等 を兼 ね備 え た弟 子 の み伝 授 す る秘 密 主 義 を とっ て い るか らで あ る。 長 年 戦 乱 が な か っ た平 和 な 日本 に あ っ て武 芸 に関 す る究 極 の 目的 は 人 間形 成 で あ り、 技 術 そ の もの の 習 得 も さる こ とな が ら精神 修 行 を 重 ん じて い る か ら とい え るの で あ る。 象 山 も西洋 に な い 日本 精 神 文 化 の 素 晴 ら し さは 、 「東 洋 の道 徳 ・西 洋 の技 術 」 と唱 え て い る こ とか ら認 識 してお り、 前 述 の ご と く象 山独 自の 朱 子 学 思 想 に よ って 「西 洋 の 技術 」 に素 晴 ら しさ も同 時 に学 ぶ べ きだ と して い るの で あ る。16)
嘉 永6年(1853)に は西 洋 砲 術 に関す る原 書 研 究 に よ り、 わ が 国銃 砲 史 上 特 質 す べ き 「砲 学 図編'7)」を 著 して い る。 この 図編 は 大 砲 にお け る弾 丸 、 信 管 、装 薬 な どを 図解 してい る。 特 に弾 丸 で は大砲 の種類 に よ り形 が変 わ り、
外 側 の材 質 が鉄 製 で あ っ た り、 柔 らか い も の で造 られ た 弾 丸 や 弾丸 の形 を変 形 させ た もの を使 用 す る こ とな どを解 い てい る。 この よ うに同 じ大砲 で も違 っ た 弾 丸 を使 用 し、攻 め る場 所 、 戦術 に よ って も弾 丸 を替 る もの と認 識 す る。
使 用 法 に つ い て も小 銃 と大 砲 に 分 け る こ とを著 わ して い る。 小 銃 に つ い て は 向 き 方 、歩 き方 、 玉 の込 め 方 、 打 ち方 、 戦 法 、 進 み 方 に ま で お よん で い る。
大 砲 に お い て は前 述 の3種 類 の 大砲 の 使 い 方 や 使 用 す る場 所 に ま で に い た る ま で しめ され て お り、象 山 のす べ て にお い て進 歩 が あ った の で あ る。
この期 よ りの 象 山 の 時流 を抜 い た 砲 術 、学 問 、 見 識 は 門弟 の増 え る結 果 と な り、藩 に よ っ て は象 山の 大 砲 ・砲 台 ま で 取 り付 け る ま で に な るの で あ る。
さ らに、 これ らの 門弟 や 藩 は象 山の 影 響 を受 け て 近 代 国 家 の形 成 を推 進 して い くの で あ る。
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五.海 防 論
天 保 期 の 国 際 情 勢 は西 洋 諸 国 が ア ジア へ 資 本 を求 め 市場 を獲 得 して い く時 代 で あ る。 特 に イ ギ リス はイ ン ド会 社 を 設 立 し、 イ ン ドアヘ ン の販 路 を確 保 し、 中 国市 場 開拓 の 足 場 をつ くる た め の アヘ ン戦 争 は 、 イ ギ リスの極 東 進 出 政 策 の ひ とつ の具 体 的 な もの で あ る。 この アヘ ン戦 争 にお い て 、清 が イ ギ リ ス に破 れ る とい うこ とは 当 時 の支 配 者 層 や 象 山に とっ て大 き な衝 撃 で あ った。
この アヘ ン戦 争 の 情 報 に よ り 「無 二 年 打 払 令 」 が 撤 回 され 、 「薪 水 給 与 令 」 が 出 され 幕府 の 政 策 が転 換 して い る。 特 に朱 子 の 思想 を もつ 象 山は 、儒 学 の 母 国 で あ る清 が破 れ た こ とに対 し 「時 に清 国 、英 吉利 との 戦 争 の様 子 は 、 近 頃御 伝 候 や 。 惜 に承 候 と も甲 か ね候 事 に候 へ ど も、近 来 の 風 聞 に て は 、 実 に 容 易 成 らぬ こ と に被 存 候 。 事 勢 拠 り候 て は、 唐 虞 以 来 礼 楽 之 区 、欧 羅 把 洲 の 腺 稼 に 変 じ申 され ま じき と も 申̲;F̲子 に 聞 こ え 、扱 々 嘆 は しき義 に 有 之 候 。
(中 略)何 れ に も界 に は本 邦 の患 と も可 相 成 事 と被 存 候 。 よ しや 、 彼 よ り我 を犯 し候 心 な く候 と も、 法 に も 『そ の来 ら ざ る を まず 、其 待 あ る もの をた の む』 と も申 し候 らえ ば 、 国本 を 固 く し、海 岸 防 禦 の事備 具 候 様 、本 邦 に生 を 受 候 う もの は、 願 わ しき事 に有 之 候 。」(加 藤 氷 谷宛)と アヘ ン戦 争 に 対 す る 動 静 を示 し、 対 外 危 機 に 関 して 国 家 存 立 の基 礎 と して海 岸 の 防備 を備 え る よ
うに い っ て い るの で あ る。
ま た 、 この ア ヘ ン戦 争 で の清 の敗 因 は 「す べ て本 邦 之火 術 は 、皆 時世 に 至 り候 て 開 け、彼 方 之 火 術 は 、尽 く乱 世 に機 功 を尽 く して組 み 立 て候 うもの 故 との相 去 る事 数 等 の優 劣 を免 がれ ず 。」(加 藤 氷 谷 宛)と 工 夫 を こ ら した優 れ た 砲 術 の 実 用 性 が 決 定 ず け た こ と を指 摘 して い る の で あ る。 そ こ で象 山 は
「海 防 に 関 す る八 策 」 を天 保13年11月 に藩 主 に上 書 して い る。
一 .諸 国海 岸 要 害 の とこ ろ に厳 重 に砲 台 を築 き平 常 大 砲 を備 え置 き緩 急 の 用 に応 ず べ き事 。
二.和 蘭 貿 易 の銅 を暫 く差 し止 め右 の銅 に て 西 洋 性 に倣 ひ 数 百 千 門 の 大 砲 を鋳 立 、 諸 分 配 有 之度 候 事 。
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三.西 洋 之 制 の倣 ひ 堅 固 の 大船 を作 り、 江 戸 御 廻 米 に 難破 船 無 之 様 仕 度 候 事 。
四.海 運 御 取 締 りの 義 、御 人 選 を 以 て被 口仰 付 、異 国 人 と通 称 は勿 論 、海 上 方 端 之好 猜巌 敷 御 糾 有 御 座 候 事。
五.洋 制 に倣 ひ 戦艦 を造 り、 専 ら水 軍 の 駆 引 き を習 わせ 申度 事 。
六.辺 鄙 の浦 々里 々 に至 り候 迄 、学 校 を興 し教 科 を盛 に仕 、愚 夫愚 婦 迄 も、
忠孝 節 儀 を弁 へ 候 様 仕 度 候 事。
七.御 賞罰 弥 明以 御 威 思 益 々 顕 れ 民 心'{固 結 仕 度 候 事 。 八.貢 士 之 法 起 し候 度 候 事 。(海 防 に関 す る藩 主 宛 上 書)
この 「海 防 に 関す る 八策 」 は、 主 に西 洋 に 習 って 大 船 や 戦 艦 を造 る こ とや 海 軍編 成 を 中心 とす る防衛 力 強 化 に 主 眼 が 置 か れ て い る。 この 上 書 は象 山 の 対 外 思 想 をみ る うえ で 重 要 で あ り、象 山 の思 想 か ら も 「海 防 に 関す る八 策 」
が 上 書 され た と考 え られ る の で あ る。 そ の 上 書 の理 由 と して 「ま して 此 の説 の イ ギ リス に於 い て は 、 そ のx昌獄 兇 桿 、虐 を隔 海 の諸 国 に逞 し く仕 候 事 、 此 度唐 山 と戦 争 に及 び 公 候 にて も、相 分 候 事 に候 へ ば 、能 々彼 我 の 勢 を審 に し、
格 別 に遠 大 の御 心備 無 御 座 候 て は 、 叶 はせ られ 間敷 御 義 と奉 存 候 。」(海 防 に 関す る藩 主宛 上 書)と アヘ ン戦 争 の 勃発 に対 して 強 い 関 心 を示 して い る とこ ろ か らで あ る。 また 、 オ ラ ンダ 人 が 長 崎 に入 港 す るた び にオ ラ ンダ風 説 書 と して報 告 して い る海 外 事 情 よ り 「イ ギ リス人 の 此度 唐 山 と戦 争 方 付 次 第 、 本 邦 に 交易 を願 ひ 、 万一 交易 御 免 無 之 節 は 、 千年 漂 流 人 戻 しの為 海 岸 荷 乗 り寄 せ 候 船 へ 、 理 不 尽 に鉄 砲 を被 打 掛 候 。(中 略)唐 山の 騒 乱 方 月 次 第 、 長 崎 、 薩 摩 、 江 戸 三 ヶ所 へ 兵 艦 差 し向 け候 様 。」(海 防 に 関 す る藩 主 宛 上 書)と 資 本 市場 を 日本 に求 め 、 これ を拒 否 した とき は 、 モ リ ソン号 事 件 の こ とで 、 日本 の 主 要都 市 に戦 艦 を派 遣す るイ ギ リス人 の 野 心 を 指 摘 して い る。 そ して 、 象 山 は 「抑 彼 国 は 唯利 にの み 走 り候 習 俗 に 有 之候 へ ば、 仮 令 本 邦 に 深 き雌 怨 有 之 と も、 本 邦 を乱 防 仕 為 の み に熊 々兵 艦 を し らひ 、(中 略)其 儘 兵 を構 え本 邦 を悩 ま し、遂 に要 して 交 易 を始 め 、本 邦 の利 を網 し候 べ き科 見 に可 有 之候 。
佐久間象山の思想と国防論101
元 来 道 徳 仁 義 を弁 しぬ 夷秋 の事 に て 、唯 りの み か い し こ く候 へ ば 、0且 兵 乱 を構 候 方 、終 始 己 の利 潤 に相 成 り可 甲 と見 込 候 はS、 柳 か我 に怨 み な くと も、
如 可 様 の暴 虐 を も可 仕候 へ ば 、此 方 に て は 其 怨 の な き所 を侍 み に は 出 来 か ね 候 義 奉 存 候 。」(海 防 に 関 す る藩 主 宛 上 書)と 利 益 の み を考 え 、脅 しを か け強 要 して 交 易 を始 め 、 日本 を植 民 地 化 しよ う とす るイ ギ リス の対 日政 策 をみ て
い るの で あ る。,
こ の よ うなイ ギ リス に対 し象 山 は 「容 易 に交 易 を御免 座 候 う と申 し候 て は、
春 秋 伝 に所 謂城 下 之 同様 に て公 儀 之御 恥 辱 此 上 あ らず べ か らず 。」(海 防 に 関 す る藩 主宛 上 書)と 対 処 す べ きで あ る と し、容 易 なイ ギ リス との平 和 開 国交 易 は屈 辱 と して い る ので あ る。 そ して 、 象 山 はイ ギ リス との 貿 易 の利 益 に対 し 「イ ギ リス との 交 易 相 開 け候 は ば 天 下 有用 の 品 を以 て益 々外 国 無用 の 品 と 取 換 候 次 第 に て 、天 下 の御 大 計 に有 御 座 真 敷 奉 存 候。」(海 防 に 関す る藩 主 宛 上 書)と 貿 易 の経 済 的利 益 は 否 定 され 、 国 の 富 が 少 な くな る と鎖 国体 を公 定 す る よ うで あ る が 、 一 方 で 当時 の わ が 国 と西 洋 諸 国 の 軍 備 、兵 力 を比 較 して み て は 単 な る鎖 国 懐 夷 論 は 成 立 しな い こ とは 明 瞭 で あ り、 「一 概 に御 拒 否 御 座 候 は ば、 必 争 乱 に及 ぶべ き候 。 争 乱 に及 び 候 連 ま で も、 我 に勝 算 だ に 多 く 候 へ ば 、 深 く灌 れ 候 に は足 らず 候 らへ ども、 当形 勢 を以 思 量 仕候 に、 此儘 に て は我 の 勝 算 至 るれ 乏 しく候 様 奉 し存候 問、 この筋 如 何 様 に も被 尽 口御 国力 候 て 、御 武備 を厳 重 に被 建 。」(海 防 に関 す る藩 主 宛 上 書)と 日本 が イ ギ リス 相 手 に戦 っ て も勝 算 は な く、多 大 な 損 害 が で る と し、 まず 武 器 、 防備 を充 実 しな けれ ば な らな い と して い るの で あ る。 そ の イ ギ リス に対 す る具 体 策 は先 の 「海 防 に 関す る八 策 」 を重 要 視 し、 さ らに 「御 急 務 と 申す は 西洋 に 従 い数 多 く之 火 器 を御 造 立 て 候 と、 同 じ く戦 艦 を御 仕 立 、水 を習 わせ 候 。」(海 防 に 関 す る藩 主 宛 上 書)と 大砲 、 戦 艦 を造 る こ とを急務 と して い る の で あ る。
当時 、 幕府 は 大 船 建 造 を禁 じて お り大 船 を 造 る こ とが で き な か っ た。 又 、 技 術 的 に も容 易 で は な か っ た。 だ が 、象 山 は 、 この よ うな情 勢 を天 下 の安 否
と考 え規 定 を破 る こ とは 、 「如 何 に もす ま され ま じき御 義 理 に 可有 御 座 候 へ 102国 際経営論集No.282004
ど も、 天 下 の た め な らば天 下 の た め に 改 め させ ら彼 に 、何 の御 慨 御座 候 。」
(海 防 に 関す る藩 主 宛 上 書)と 天 下 の た め らな ば 天 下 の た め に 立 て た 法 を改 め る こ とは許 され る こ と と して い るの で あ る。 い つ の 時 代 に も法 は守 るべ き もの で あ る が 、非 常 の 際 に は非 常 の法 を用 い て 、 時 代 遅 れ の法 は 改 め 天 下 の た め西 洋 製 戦 艦 の造 艦 や 防備 強 化 を行 い 、 イ ギ リス の侵 略 に備 え な けれ ば な らない とす る と こ ろ に象 山 の卓 見 が あ る。 そ して 、 象 山 の具 体 策 と して 「海 防 の要 は砲 と艦 に あ りて 、 砲 は最 も首 に居 れ り。」(省 け ん録)と 砲艦 を重 視 し、 「阿 蘭 陀 よ り水 軍 の 法 に鍛 練 仕 候 もの 測 量 に長 じ大 艦 を扱 い 候 もの 等 二 十 人 、船 大 工 十 人 、 大 小 の鉄 砲 を造 り候 職 人 、井 に 陸 戦 の 陳 法 習 い候 者 各 五 人 宛 も被 ロ 升 呼 候 て 、 御 旗 本 衆 御 家 人 の 内 水 軍 十 隊 」(海 防 に 関 す る藩 主 宛 上 書)と 兵 学 熟 練 者 や 大船 、鉄 砲職 人 を オ ラ ン ダ よ り雇 い 入 れ,旗 本 、御 家 人 に よ る軍 隊 の編 成 をす る こ とを指 摘 して い る。 この よ うに象Wが 水 軍 に こ だ わ る理 由 は 、 イ ギ リス 所 領 の喜 望 峰 に お け るイ ギ リス軍 備 の 充 実 の例 を あ げ 、他 国船 は喜 望 峰 を通 過 す る の に許 可 を必 要 と し、許 可 が な い 場 合 イ ギ リ ス は そ の船 に対 して 攻 撃 を加 え る こ とを あ げて い る。 日本 に お い て も この 喜 望 峰 の例 を模 範 と し、海 岸 に 近 寄 る異 国船 は砲 撃 を加 え、 た や す く上 陸 させ な い た め に 「天 下 七 ヶ所 大 湊 に(石 ン巻 ・江 戸 ・鳥 羽 ・大 坂 ・下 の 関 ・長 崎 ・ 新 潟)御 船 役 所 を被 建 」(海 防 に 関 す る藩 主 宛 上 書)と 国 内要 所 の防 備 を充
実 させ る こ とを あ げ て い る。 大砲 につ い て は 、 「ホ ー ヰ ツ スル(筒 の 目方 百 二 十 貫 目余)千 門 、 モ ル チ ウル(筒 の 目方 五 十 貫 目余)千 門 を被 鋳 立 申候 。
(中 略)又 大 小 の石 被 数 十 間 を被 造 立 甲候 。」(海 防 に 関す る藩 主 宛 上書)と 、 近 年 中 に西 洋 製 を模 倣 し製 造 す べ き と して い る の で あ る。 こ こに あ げ た陸 上 防 備 ・砲 兵 や 人材 登 用 に 関す る もの ま で が 「海 防 に 関す る藩 主宛 上 書 」 に述 べ られ 、 これ は 「海 防 に 関す る八 策 」 に なか っ た こ とで あ る。 そ れ か ら十 年 後 に は蛮 社 の獄 で 投 獄 され 、 そ こで 書 か れ た 「省 けん録 」 の海 防 の 内容 は 大 艦 や 要所 防備 を増 や し充 実 させ 、 陸 戦 にお い て ま で 論 じ、 そ れ ま で よ りさ ら に 一 歩進 ん で書 かれ て い るの で あ る。
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この よ うに象 山 の海 防論 は 、 西洋 諸 国 と交 易 通 商 に よ る経 済 的利 益 が 目的 で は な く、 西 洋 諸 国 の有 益 な学 問 、 軍 事 、 人 材 を取 り入 れ 、 国 の 防備 を充 実 させ 西 洋 諸 国 と対 等 な る地 位 を確 保 す る こ とで あ っ た。 国 内 外 の情 勢 を察 し て 無 謀 な る 開戦 を避 け造 船 、戦 艦 購 入 、有 能 なオ ラ ン ダ人 招 聰 な どの 具 体 的 方 策 を掲 げ 、 国 防 の 完備 を唱 え た ところ に象 山独 自の 国 防論 が あ る とい え る の で あ る。
六.む す び
これ ま で の象 山 の思 想 をみ て み る と、 朱 子 学 者 で あ る象 山 が 自分 自身 の思 想 か ら西 洋 学 術 と朱 子 学 は矛 盾 す る こ とで は な い と し、 世 に存 在 す る有 益 な 学 問 を学 ぶ こ と こそ 朱子 学 の 本 意 と考 え る西 洋 学者 で あ り、砲 術 家 で もあ っ た。 そ して 、 そ の象 山が 西洋 自然 科 学 に全 面 的 に傾 倒 す る の は アヘ ン...i.争を 契 機 と して 、 西 洋 学 術 が東 洋 の もの よ り優 れ て い るい る と認 識 した か らで あ
り、西 洋 の もの だ か ら取 り入 れ よ うと した わ け で は な い。
自然 科 学 の 面 で は 西 洋 が は る か に東 洋 を圧 倒 して い る こ とは認 め つ つ も、
西 洋 人 が東 洋 人 よ り優 れ て い る とは 考 え て は い な い 。 そ れ は 象 山 の 有 名 な
「東 洋 の 道徳 ・西 洋 の 芸術 」 の 言葉 で い い表 わ され て い る とい って よい。 又 、 い っ の 時 代 にお い て も西洋 は過 去 、未 来 に お い て まで で も東 洋 に.rる もの で は な い とす る もの で あ る。 そ れ は象 山 が西 洋 学術 を導 入 し よ うとす る こ とで 知 力 や 学 力 の面 で西 洋 を圧 倒 し、 さ らに進 ん で 日本 が 政 治 面 、 軍事 面 で も西 洋 諸 国 を圧 倒 で き る よ うにす るの が 目的 で あ っ た の で あ る。 象 山 は西 洋 学術 導 入 反 対 者 や 西 洋 学 術 の うわべ だ け理解 して い る人 々 の 態 度 で は西 洋 に は 追 い っ け な い と考 えた うえで 、原 書 に よ り直接 自分 自身 で 西洋 の よ さを学 び と
り、 基 礎 か ら出発 して い る点 は ま さに 日本 的 で あ る とい うべ きで あ る。
さ らに象 山 の砲 術 教 授 に お い て の留 意 点 は 、,西 洋 事 情 と西洋 学術 の 普 及 拡 大 を 自 己の 責 務 と し、 それ を西 洋 砲 術 とい う当時 の 最 大 の需 要 に応 え るか た ち で深 化 と拡 大 を はか っ た こ と に あ る。 こ の西 洋 学術 に つ い て の科 学 的認 識
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は 、 多 くの 門弟 た ち を通 じて深 く社 会化 され て い っ た の で あ る。 そ の意 味 で は象 山 は単 な る西 洋 砲 術 家 で は な い。 幕 末 の 変 革 期 にお い て 朱 子 学 者 と して 国家 的 危機 を感 じ、 国 防 問題 や 国 家 的課 題 に 取 り組 み 、 日本 の 近 代 化 に ま で 努 力 した こ とは 、 当 時 の 学者 に は な か っ た 姿 で あ る。 象 山 の 思想 、 学 問 は近 代 国家 形成 に活 躍 した幕 末 の 志 士 た ちへ 大 きな影 響 を与 え 、 現代 の我 々 に対 して 日本 とは、 又 、近 代 化 とは何 か とい うこ とを再 考 させ られ る こ とを痛 感 す るの で あ る。
注
(1)大 平 喜 問 多 「佐 久 間 象 山 」 吉 川 弘 文 館P121〜1241959 (2)前 掲 書(1)P45〜48
(3)井 上 哲 次 郎 ・蟹 江 義 丸 共 編 「日本 倫 理 毫 編 」P1〜61970 (4)麓 保 孝 「宋 元 明 清 近 世 儒 学 変 遷i私論 」 国 書 刊 行 会P12〜14
1970
(5)信 濃 教 育 委 員 会 「象 山 全 集 」 全5巻1935〜1937以 下 引 用 資 料 は す べ て 「象 山 全 集 」 か ら引 用 した 。
(6)岡 田 武 彦 「王 陽 明 と 明 末 の 儒 学 」 明 徳 出 版 社P46〜48 1943
(7)金 子 鷹 之 助 「佐 久 間 象 山 の 人 と思 想 」 今 日の 問 題 社P86〜90 1943
(8)本 郷 隆 盛 「近 代 日本 の 思 想 」 有 斐 閣P114〜116 1979
(9)沼 田次 郎 「洋 学 」 吉 川 弘 文 館P153〜160 1989
(10)前 掲 書(7)P73〜96 (11)前 掲 書(1)P85〜90
(12)カ ノ ン砲 。 長 大 な 砲 身 の 射 角 四 十 五 度 以 下 の 低 弾 道 遠 距 離 射 撃 砲 。 佐久 間象 山の思 想 と国防論105
(13)ホ ー ヰ ツ ス ル 。 曲 射 砲 。 物 陰 や 水 平 に あ る 目標 を 打 つ た め に 湾 曲 した 弾 道 で 上 方 か ら弾 丸 を 落 下 させ る 射 撃 砲 。 象 山 は 人 砲 と訳 す 。
(14)ド イ ム 。 三 分 二 厘 八 毛 九 弗 二 四 八 。
(15)モ ル チ ー ル 。 臼砲 。 砲 身 の 短 い 大 砲 で 射 角 が 大 き く弾 道 が 弓 な りに 曲 が る 。 象 山 は 天 砲 と い っ て い る。
(16)前 掲 書(8)P96〜98
(17)砲 学 図 編 。 「象 山 全 集 」 第2巻 に そ の す べ て が 書 か れ て い る 。
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