相談センター 第18回臨床心理教育研修会
著者 齊藤 万比古
雑誌名 東京家政大学附属臨床相談センター紀要
巻 15
ページ 1‑20
発行年 2015‑03
出版者 東京家政大学附属臨床相談センター
URL http://id.nii.ac.jp/1653/00010089/
はじめに
ただいまご紹介いただきました齊藤です。愛 育病院の小児精神保健科の医師をやっておりま す。不登校・ひきこもりとなってますが、不登 校の子どもたちを理解するためのさまざまな 試みを、切り口と言いますか、理解するための 文脈と言いますか、そういったものを3つくら いの観点から述べ、不登校の子どもたちの特性 と支援ということにも触れてみたいと思ってい ます。
Ⅰ.思春期心性
まず、不登校・ひきこもりの発生には、思春 期心性がとっても関わっている、ということを 話したいと思います。ご存知の通り不登校・ひ きこもりと言いますと、子どもの、幼稚園生、
保育園生が、幼稚園行くの嫌だって言って、抵 抗を示すような不登園の世界から、小学生の、
始まり頃にかけての幼い子どもたちの不登校、
不登園と、それから一番不登校がよく出てくる 中学生・高校生という年代があり、さらに大学 生、そして就職して以降の青年あるいは成人の ひきこもりという現象まで、年齢に応じた多様 な社会的回避行動がある訳です。中でも思春期
と呼ばれる、小学校の高学年から中学生、高校 生、といった辺りにかけての心性が、不登校・
ひきこもり、社会を回避してお家に留まるとい う行動に最も親和性の高い年代であることはお 聞きになった方も多いかと思います。
なぜ思春期の心は、社会的回避と繋がりやす いのかという文脈から、子どもは何故ひきこも るのかということについて、お話ししたいと思 います。なお、もう5年ほど前になりますが、
ひきこもりの評価と支援に関するガイドライン を作らせてもらいました。そのガイドラインの 中で、不登校とひきこもりは、名前は違うけれ ども一貫した現象であって、不登校と青年のひ きこもり特性はほとんど共通であり、大人でひ きこもっても、ひきこもったまま年余の時を過 ごすと、そこに現れてくる心性は思春期、つま り10歳から16、7歳ぐらいの子どもの心が、ひ きこもっている大人の心の中に生じていると記 載しています。つまり、幼児返り(退行)が生じ ているのです。
思春期における、親と家庭外の世界と自分と いう3者の関係の力学というか、バランスとい うのでしょうか、それはきわめて崩れ易い脆弱 性を持っているのです。しかし、その脆弱性を 持った時代をきちんと育ち抜くことによって社 会的能力を完成させるという、そういう非常に 重要な発達課題と向かい合っているが故に、思 東京家政大学附属臨床相談センター 第 18 回 臨床心理教育研修会
不登校・ひきこもりの心性
齊藤 万比古
Psychology of School Refusal and Hikikomori in Adolescence Kazuhiko SAITO, M.D., Ph.D
社会福祉法人恩賜財団母子愛育会 総合母子センター愛育病院
春期はひきこもり・不登校への親和性が高いの ではないかという点に、ここでは注目してみた いと思っております。それは思春期の発達課題 とは何か、思春期の心は何を獲得しようとする ライフサイクルの1段階なのかという問いでも あります。
第二次性徴が発現してくる前後と言えば、10 歳から13歳の間のどこかですよね。その数年 前から、身体機能と身体サイズの急激な増加が スタートします。この身体機能が増加してくる ということは生殖機能が成熟してくることに他 なりません。成熟とは、内臓機能が高まるとい うだけの問題ではなく、機能が高まった分の、
衝動性とか、いわば成熟した欲望、欲求である とかそういったものの量が増大してくるという ことを意味している訳です。それは、子どもに とって、実感的に言うならばなんだか落ち着か ない、変な感じなのです。男性もそうですが、
たぶん非常に居心地悪かったと思うのです。女 性の違和感はそんなものではおさまりません。
思春期の子どもたちと出会って、強く感じるの ですが、男子よりも女子の方が思春期の到来に 向けた動揺は大きいようなのです。思春期は何 が発達課題かといいますと、第一に幼児期にひ とまず果した母親離れを本格的に完成させるこ とです。これは、ほんとに重要なものです。母 親に共生的に密着した存在である0歳児は、
5、6歳くらいでの年齢になると、すでに一人 で、家から離れて、何時間か過ごす能力が出来 上がっているのです。ただし、それは、一先 ず、出揃っただけであって使い物にはまだあん まりなりません。これが、本当に大人のよう に、親と地球の反対側まで離れても、あるいは 親を亡くしても平気で生きていける心を獲得す るには、思春期という、もう一度幼児期のテー マと直面し、動揺し緊迫しつつ、それを越えて
いくという作業が、幼児期に開発した能力の完 成を促すのです。そのために、思春期っていう のはとっても不安定な時代ですけれど、どうし ても無くてはならない年代なのです。そして、
人間はその思春期・青年期という年代が15年 間近くも続くのです。猿だったらほんの数ヶ月 でその思春期を通り過ぎていくだろうと思われ る、もっと、他の動物だともっと短いのです が、これを人間は15年も必要としているとい うことは、社会的存在である人間が獲得しなけ ればならない能力がいかに複雑かということを 示唆していると思われます。
母親離れをして、一人の人間として、成立す るために、幼児期の、さまざまな葛藤との出会 い直しをする10歳から16、7歳にかけての思春 期は、何の武器も持たずに母親から離れ始める ことに直面せねばならないのです。母親から離 れるということは、結果的に、自分を保ち自分 の価値を維持し、他者と関わり、他者の思いに 同調し、他者と共同作業をし、また対立しとい うことを繰り返しつつ生き延びていくために、
自己の独自性に裏打ちされた自立的能力を獲得 しなければなりません。すなわち、自分探し・
自分作りという作業を続けなければなりませ ん。母親離れと自分探し自分つくりという発達 課題は、自分のジェンダーを受け入れ、その ジェンダーの社会的役割を果たそうとすること も含まれます。たった10数年という経験しか 持っていない子どもたちが、この発達課題と取 り組みながら、母親から決定的に離れ始めま す。自己と、それを支える諸能力を獲得してい くという作業を、ほんとに経験不足な段階で取 り組み始める。これが思春期なのです。
Ⅱ.思春期の心理的サポートシステム こんな思春期の不安定な時代ですから、子ど もはいくつかの支えが無いとやっていられませ ん。一人で歩き出す、経験不足、実力不足で一 人で歩き始めるということには、必ずや孤立感 と見捨てられ感と、そして、頼りたいけど頼 るって言えない両価性(頼りたい、頼りたくな い、近寄りたい、遠ざかりたい、大好き、大っ 嫌いなど)を抱えることに他なりません。この 状態には、絶対に支援が必要なのです。その支 援は図1で示すような、3種類の支援システム の間の均衡によって実体化するもので、思春期 の子どもは揺れながらもその時代を生き抜い て、その間に経験したものから有益な対処法と か、戦略とか、戦術とかいったものを獲得して いくのです。その3種類の支援の間の均衡は、
静かにぴたっと収まった均衡ではなく、このぐ らぐら揺れている、微妙に、その支えの中で子 どもが振動を繰り返しているような、そういう ダイナミックな、システムなのだということを、
承知していていただけると有難いと思います。
まず思春期の子どもの心というか、あるいは 自己を中心に描いてみました。この自己に対し て最も一般的な支えは、ママ、眠れない、一緒 に眠っても良いかな、みたいな感じで髭の生え 始めた中学1年生の息子が、母親の傍に、寄っ てくる。どうしても眠れないんだ、なんか、胸 が変な感じなんだ、眠れないんだよという感じ ですね。そういう、幼児返り(退行)した、母親 への依存です。これは、思春期に入っても依然 として大きな大きな、支えなのです。しかし、
思春期というのは、本能的に母親離れのプレッ シャーが強まっていますから、母親への依存に 支えを求めるだけだと、母親に近寄り過ぎて、
それはそれでえらく居心地が悪い。
そこで、思春期では幼児期にはまだ形成され
ていなかった家庭外のお友達との関係に支えら れるといった外界に適応することで得られる心 理的支援の意義が大きくなります。A君と
B君
と
C君と僕はいつも一緒だよね、一緒にいると
ママから離れている自分を無視出来る。自分は パワフルだと幻想を持てる。これは友人関係だ けでなく、学業やスポーツや芸術などの学校活 動や、あるいは学校の先生に母親の代わりに接 近することなどによって支えられるということ も沢山あります。こうした外部の人間関係や活 動によって支えられるということにも重大なリ スクがあります。例えば、仲間集団といつも一 緒だから何も怖くないといった思いを維持する ために、その関係性が崩れないよう子ども達は 無理にも適応し続けなければならないという思 いにとらわれることになります。すなわち過剰 適応が必然的に求められるわけです。でも、過 剰適応はいつもうまくいくとは限りません。何 かの拍子に仲間外れになったり、あるいは何か の拍子に仲間の前で大恥をかいたりすると、途 端にもう仲間から外されてしまうだろうとか、
責められるだろうとか思うだけでいてもたって もいられなくなります。いわんや、実際に責め られたり、いじめられたりということになる と、もうたまりません。そうなると思春期の子 どもはたちまちお家に帰りたくなってしまうわ けです。
以上の二つの支えに加え、思春期の子どもに はもう一つ支えがあります。それは自己の内に ある支えで、その代表的なものは自己愛という 機能です。思春期に自己愛はその前後の時代よ り肥大する、あるいは膨らむ傾向があります。
思春期というのは自己愛が非常に膨らむ時代だ という点は多くの古典的な小説に描かれていま す。経験不足のまま母親離れを担わねばならな い思春期の子どもは、大人よりも遥かに自己評
価を高く見積もる自己愛性の肥大が生じること で、先行きの見えない心細さや、経験不足ゆえ の自信のなさから自己を守ろうとするのです。
ところがこの自己愛の肥大化もまた高いリスク を持った支えなのです。自己愛は様々な関係性 の営みや社会的活動がうまくいかなければいか ないほど、さらに肥大していく傾向がありま す。例えば不登校になりかけると、「みんなは 僕の本当のことを分かってない」「僕は学校へ 行くなんてまったく平気、だけどあいつらが僕 のことをちっとも分かってくれないから、僕は あんな馬鹿な所へ行かない」「学校の先生は僕 のこと認めてくれないからあんなところ行かな い」といった具合に、それまで適応の対象だっ た場所や人物の価値を切り下げ、尊大に、すな わち自己愛的に登校できない事実を否認、もし くは合理化しようとします。自己愛が不合理に 膨らんでくると、ますます子どもは自己愛が破 たんすることを恐れる気持ちが強まってきて、
傷つく可能性のある場所や人間関係を回避する ようになります。これは本格的な不登校の悪循 環が始まっていることを意味します。
思春期の心は親への退行的な接近による支え と外的な世界の人間関係や活動によって与えら れる支えに挟まって、両者の引力の均衡のとれ た真ん中に身を置いて、細かく振動し続けてい るようなイメージでとらえることができます。
自己愛は、外的な二つの支え(親と外界との両 者から与えられる支え)の間のどこに自己が位 置するか(図1か図2か図3か)によって膨らん だり萎んだりを繰り返しながら自己を内面から 支え続けます。このように、3種の支えは自動 的に均衡が維持される恒常性保持のシステム、
すなわちホメオスタシスを保有しているのです。
思春期という年代はこのようなくりかえしの 中で経過していく不安定で両価性に富んだ年代
です。そんな年代が人間にはなぜ必要なのかと 言いますと、本当に母親から離れ、例え母親か ら永遠に離れたとしても一人の人間として生き ていける心を獲得し維持していく機能を成熟さ せねばならないからです。結果的に 18、19、
20歳くらいになってきますと、思春期に比べ ると外の世界との関係が圧倒的に優勢となり、
幼い退行的な依存による支えの部分はずいぶん 小さくなってしまいます(図4)。もちろん、自 己愛はより成熟した水準のほどほどの大きさに 安定しています。いわゆる同一性と呼ばれるよ うな、自分はこういう風な人であったし、これ からもそうであろうという確信に近い思いがあ り、私は世界のナンバーワンではないナンバー ハンドレットかもナンバーミリオンかもしれな いけどもその自分には意味があるといった成熟 した自己愛に到達していく、それが青年期とい う大人の直前の年代です。18歳くらいから25 歳くらいまでのこの年代の発達課題は、思春期 で獲得した心理的機能を使った予行演習にある と私は考えています。これはモラトリアムです ね。人生をまだ本格的に決定しなくてもよいと いう時間の中で、恋愛をしたり職業体験をした り、競い合う練習をしたり、そのような時間の 中で、敗北を受け入れる、辛いけど必然的な経 験をまだ決定的なものではないよというモラト リアムという保障の中で経験するのです。大学 生の年代がちょうどそれにあたるというのは納 得出来るところですね。
Ⅲ.思春期心性から見た不登校観と支援 前章で述べた3種の支持の間で自己が振動を 繰り返しながら恒常性を維持するホメオスタシ スが、もしも破綻し崩れたら何が起きるのかと いうと、大抵の場合、お家にとどまって母親へ 退行的に過剰接近し、母親にしがみついた状態
が常態化してしまうのです。例えば、ひどいい じめをはじめとする仲間関係の挫折と傷つき、
あるいは成功していたはずの学校活動における 失敗、それから、両親の夫婦関係の危機のよう な家庭の安定性がひどくぐらつくなどの深刻な 環境が生じてきたような場合、あるいは例えば 不安が増大したり、強迫症状が悪化したり、う つ病に罹患したりといった精神疾患との遭遇が 生じている場合、これらいずれの場合にも家に ひきこもり母親に過剰接近する幼い関係性への 退行状態から回復するホメオスタシスの機構
(図1を基本的布置として図2と図3の間を往 復する)が作動しないまま、ひきこもり状態を 持続させる可能性が急激に高まるはずです。そ の過程で、子どもの自己愛は過剰に膨らんでい き、それに比例して挫折することへの恐れに対 する過敏性が亢進していきます。かくして、挫 折の可能性のある外界に出ていくことを回避す る心性が明瞭になっていくのです。
このような不登校、ひきこもりの恒常化が形 成される機制というのは、退行的に幼児期母子 関係の中に存在した母親の支持を求めて母親に 過剰接近し、それに呼応して自己愛が現実にそ ぐわないほど膨らんでいき、結果として、外の 世界へ打って出て再び傷つくことをひどく恐れ るようになってしまうというものです。この過 程で、自己愛は限界まで肥大していますから、
子どもは恐れている自分をけっして認めること はなく、出ていくべき社会にその価値が無いと 必ず言います。社会の価値切り下げを必死にす ることで、自己の現実を認めないですむ鉄壁の 防衛にしようというわけです。
このような子どもの退行的なしがみつきに対 して母親は、生まれた時から子どもの本当に理 屈じゃないその子どもの生理というか、胸の鼓 動や呼吸音や動く皮膚の擦れる音やいろいろな
ものを実感し続け見守ってきた存在である母親 は、社会の文脈から子どもをとらえてしまう父 親とは多くの場合、それを受け入れるもので す。どんなに女性が社会進出する時代であって も、子どもに対する母親のこの実感的、肉感的 な感覚は失われてはいません。不登校が長期化 するほど、挫折感がひどければひどいほど、あ るいは子どもの育ちの中で積み上げてきた自己 が何らかの事情(例えば発達障害であるとか)で 脆弱であればあるほど、母親と子どもが強く結 び付き、外側の世界に対して壁を作ったかのよ うな状態がより速やかに形成されます。これを 甘い母親がそうさせていると単純にとらえるの は状況を正確にとらえていることになりませ ん。大切なことは、不登校・ひきこもりの支援 が支援対象とするのはこのような母子の強く結 びついた社会的回避状態であるという点です。
その理解のためにこのような図5をお示ししま す。
では、このようなひきこもった子どもと、そ れを守ろうとして子どもの過剰な接近を受け入 れざるをえなかった母親とを対象とする支援と はどのようなものになるのでしょうか。私はこ こで3つの次元に支援を分け、それが重なり合 い組み合わされた支援ということを考えまし た。
第一の次元には、背景にある精神障害、これ は広い意味での精神疾患で、発達障害とパーソ ナリティ障害も含みますが、この診断された各 疾患に特異的な支援を置きました。第二の次元 は、家族への支援、そして学校とか社会とかそ ういった、その人が、挫折をしたと感じている 環境の修正すべき点があるならば、それを修正 するということ、それだけでなく、その人が再 び動き出す時、何をこの人に提供し、スムーズ な、復帰に繋げる材料を提供できるのかを整理
していくのも環境に対する働きかけの別の側面 です。
この第一次元と第二次元の治療・支援は環境 への介入からまず開始し、それをやりながら子 どもの過剰に膨らんでしまった不安、それは、
幼い子どもであれば分離不安(母親から離れる ことの不安であったり、家から離れることの不 安)、思春期であれば、皆の前でパフォーマン スをすることがとっても辛いことに思えてしま う社交不安とか、皆の前で恥をかく自分を受け 入れがたいという、あれも心配、これも心配と いった予期不安の塊になるものとか、気分の落 ち込み、うつ病と呼んでも良いような落ち込み が存在することもありますし、それほどでもな いけれども学校でスムーズにいくには落ち込ん だ気分が持続しているというものもあります し、それから学校にまつわることが不潔に思え てどうしようもない、学校から帰ってくると、
もう教科書までアルコールで消毒しないと家に 持ち込めないといった強迫症状などに対応する 治療を行います。
こうした支援が成功裏に進行したとしても、
なかなか学校に行けないということがよく生じ ます。その時に子どもの性格や親の関わりのせ いにしてしまうといった反応を専門家が行って しまうことがよくあります。しかし、それはた ぶん間違いです。ここに関わるのが支援の第三 の次元ということになります。いやむしろ、こ の第三の次元の支援こそ不登校・ひきこもりの 最も特異的な次元なのです。思春期の経験不足 で、限りなく傷つきやすく絶望しやすい子ども が、例えば手痛い挫折を機にうつ病になるとし たら、それ自体が手痛い挫折です。さらに学校 に行けない不登校状態となることはそれに輪を かけた新たな挫折です。仲間から距離を置いて しまったこと自体が決定的な挫折なのです。
「うつ病はすでに治って意欲が出てきた、いじ めっ子はもう居ない、なのにどうして学校へ来 れないの」と支援者が感じてしまう背景にその ような二重三重の挫折があるということを忘れ てはならないのです。この挫折に傷つき、自己 愛を極限まで肥大させた傷つき易さを抱え、母 子の密着状態まで退行している次元から、かつ ての仲間たちが元気にやっている社会的な次元 まで繋いであげること、これこそが第三の次元 の支援なのです。
ひきこもり状態から社会への復帰までを繋い でいく支援は、階段を1段1段上っていく歩み のイメージがぴったり当てはまるように思いま す(図6)。1段目は支援者との出会いと、この 子どもはどんな子だろう、この子どもを取り巻 く環境とは何だろうという評価が主たる目標と なる時期にあたります。この時期は大体親しか 来ないことが普通です。たとえ、はじめから本 人が来ても、自分の問題じゃないような顔をし ていたり、支援の提案には気のなさそうな態度 を採ったりしがちで、肝心な話は親からしか聞 けないっていうのが、大体この時期の状態で す。また、この段階は親とちゃんと関係を作る ことに取り組むべきだと思います。これを私は
「出会いと評価段階」と呼んでいます。不思議な ことに、親の腹が据わってくると、自分の問題 と直面する余裕が子どもに出てくることが多い ように思います。そしてある日、何気なく、当 たり前のような顔をして親と一緒に現れたり、
気のない態度から積極的に自分が話そうとする 姿勢に変化したりすることがよくあります。そ れが次の段階へ階段を一つ登ったサインです。
第2段階は、1対1では話せるようになった り、プレイセラピーに参加できるようになった り、不安を乗り越える練習に取り組む認知行動 療法(CBT)に乗り気になったりという個人療法
に参加できる「個人的支援段階」です。そうした 様々な支援法に取り組んで一定の時間がたち、
そういう中でいろんなものを表現したり取り組 んだりする関係が出来上がってくると、「僕が 行ける学校ってあるの」とか、「前に、何とか教 室っていうのをママが言っていたけど、それっ て何?」とか、そんなことを言い出すものなん ですね。こう言いだすまでの第2段階は3年か かる子もいますし、数ヶ月で済む子どももいま す。
第3段階は、こうした現実へもどる関心の表 明から始まり、フリースペースと言ったり、フ リースクールと言ったり、適応指導教室であっ たりするのですが、中間的な橋渡し機能を果た す場と人間関係を提供する機関の活動に参加す ることで展開し始めます。私はこの段階を「中 間的・過渡的な集団との再会段階」と呼んでい ます。そういう場に参加し始めるとまもなく、
多くの子どもはまるで以前から参加していたよ うな平気そうな顔をしてしまうようです。中に は萎縮して不安そうに様子を見ている子もいま すけれども、いずれにしても、そのまま仲間達 と合体出来るとあっという間に勢いをつけて、
わいわい、わいわいやり始める。スタッフ達に 挑戦をしてきたりとか、ため口をきき始めると か、こういうようなことが必ず始まってきま す。そうなると子どもは、個人的支援に対して は熱意が急激に下がっていきます。「先生もう 止めたい、友達も出来たし」というような調子 です。でも、このタイミングで絶対に個人的治 療・支援は止めてはならないということを覚え ておいてください。何故かというと、過渡的な 仲間集団との出会いというのは、確かにパワー を与えてくれるのですが、そこにも同年代の子 ども達の集団があり、不登校開始時に経験した ような挫折の機会は山のようにある訳です。今
度は、それを成功裏に通過しなければなりませ んし、そのことを経て初めて真の思春期の現実 への合流がかなうのです。中間的・過渡的な集 団の場で挫折の危機を感じた際に、子どもが支 えられるのは個人的支援段階の治療者との関係 性なのです。中間的・過渡的な場のフリース ペースのスタッフが、その役を果たしてくれる ことはよくありますけれども、やっぱり前の段 階で関係を築いてきた治療者との関係にその時 だけもどってくるのです。そのことによって、
また中間的な場でみんなとやろうという勇気が 沸いてくるのですね。
第4段階は、仲間とつるんで各々の学校に顔 を出すとか、それぞれ自分達の学校に行ってみ て行けたぜみたいなことを始めたり、もう少し 年上だと一緒にアルバイトにチャレンジしたり とか、一緒にハローワークに行ったり、サポー トステーションについて関心を持ったりする最 終段階です。これが「社会参加の試行段階」と私 が呼ぶ段階です。不登校における適応指導教室 は、この試行段階を支える場でもあります。地 域によっては、その機能を強調している適応指 導教室もあるし、居場所的なものを、役割とし て、何と言うか、中心的に持っている所もある ようですけれども、民間のフリースペースは大 抵中間的、過渡的な場を与える所ですね。いず れにしろこの段階を経て本来の社会的な場に復 帰するのです。
Ⅳ.思春期心性の男女差から見た不登校支援 今度は思春期という年代を生きる様式の男女 による差について考えてみたいと思います。
1.男子の思春期と不登校
思春期の男子の心性を図7で表現してみまし た。「私」とあるのは、男子の自分あるいは自己
を示しています。母親離れが始まる、思春期、
10歳過ぎから、15、16歳までの思春期年代と いうのは、母親から離れ始めるからこそ、今ま で申し上げたように母親との繋がりが太くなる 時期なんです。こういう太い、繋がりで結びつ こうとするんです。これは、離れようとすると 引力がそれを逆に引っ張るという物理的現象と 同じで、離れようとすると母親が気になってた まらなくなってくるのです。そして実際、外の 世界で心細くなれば、「ママ、一緒に寝て良 い?」といった一時的な退行がこの年代でも起 きてくるのです。この年頃では、一方で母親に 赤ちゃん扱いされているような気がしてならな いという気持ちになって、「僕を赤ちゃん扱い しないで」と母親を突き飛ばす、こういうこと が起きる。このギザギザの線で表現したのはそ ういう葛藤がとても強いということを示しまし た。次に、父親は1本線ですから、母親よりは ずっと愛着が少ない量であって、しかもとって も葛藤的です。パパが目障り、でも母親に勝手 なことを言っている、自分勝手に振舞ってい る、ママに対して横暴にふるまうこんな僕をパ パは怒っているという、こういう思いは必ず出 てくるもので、出来たら帰って来なきゃ良い な、出来たら地球の反対側まで離れてくれると 良いな、出来たら火星ぐらいまで行ってくれる と嬉しいなという思いがとてもある訳です。で は、父親が地球の反対側ほど影が薄くなってく れると良いかというとそうじゃないんです。こ の、父親が居るからこそ、目障りな父親の目を 気にしながら、母親との結びつきへの耽溺が抑 制され調整されるということになります。もち ろん、思春期の男子にとって友達との結びつき がとても強くなっています。友人と一緒に居る と元気で安心、ママなんて居なくても良いよう な気がする、そういう思いさえ出てくる訳で
す。でもその一方で、さっきも言いましたが、
物凄く、葛藤的リスクが高くて仲間外れにされ たらどうしようみたいな気持ちがいつもある、
このバランスの中に男子は居る訳です。
ところで不登校になると何が起きるのでしょ うか、それが図5の世界であることはすでに述 べたとおりですが、家族および外界との関係性 という観点から図8を描いてみました。「眠れ ない、一緒に寝て良い」対「僕を赤ちゃん扱いし ないで」という両価的な思いを強く持ちながら、
母親に過剰接近して母子が厚いカプセルで包ま れてしまったという関係性です。通常の思春期 男子の母親との結びつきは図7で示しましたよ うに、この程度の太さの点線で描けるものでし たが、不登校状態になると図8のように非常に 厚いカプセルで母親と息子が結びついてしまう のです。そうなると父親との関係はより葛藤的 となり、不登校になったことを怒っているに違 いないと子どもは恐れ、父親を徹底的に避ける ようになります。もちろん、友達との関係は当 然ながら断絶するか、一部の友人と文字通り細 い糸(LINE)で繋がっているということになっ てしまう訳です。これが不登校の男子の関係性 です。
こういう不登校の男子のひきこもりを、どう 支援したら良いのでしょうか。そして、親が目 標にするのは何であるべきなのでしょうか。
不登校の進行に伴って、息子と母親関係の密 着化が生じ、図8のような厚い分厚いカプセル に覆われることになりますから、このカプセル の殻を薄くすることが不登校支援の目標である ことはいうまでもありません。そこで、不登校 支援では、父親の存在が、たとえ子どもにとっ てどんなに目障りであっても明確でなければな らない、居てもらわなければ困るということを 特に強調しておきたいと思います。でも、家族
での支援の主役はいうまでもなく母親です。目 障りな父親には後ろに控えていてもらわねばな りませんが、でも確かに存在していなければな りません。父親と母親が「不登校のわが子との このような関係性をどうやって維持していくか 夫婦で一緒に考えよう」という目的意識を持つ ことができるかどうかがとても大切だと思いま す。母親が不登校の子どもの最も近いところに 存在することは疑いようもない事実ですから、
文字通り最前線で子どもと渡り合っているのは 母親なのだということを、父親は認めるべきな のです。そうであるが故に、母親が感じている 子どもの手触りと自分のそれとは異なっている ということを、父親は悪くないものとしてとら えるべきなのです。
父親が以上のような不登校状態にある子ども と母親の関係を理解していてくれるということ が、とても大事になります。図8は、親御さん に説明するときにも、今はこういうことが生じ ていますということを説明するにはわかりやす い図ですが、けっしてこうなっているから駄目 なのだと言っているのではなく、これが現実で あり、ならばどうやって支援すべきかを一緒に 考えていきましょうという提案のためのツール として利用すべきです。父親は、子どもに縛り つけられた生活を余儀なくされている母親を支 えるのが自分の役割であるということを意識 し、母親を時々外へ連れ出して、子どものいな いところで2人で話をするなどの機会を作るよ う意識してほしいと思います。ちょっと家族療 法的ですが、「次にお会いする2週間後までに、
お父さん、お母さん、一度はデートしてみてく ださい、これを宿題とします」といった提案を 両親にすることを私はよくやっています。する と、両親で「先生、冗談でしょ?」とたいていは 反応しますから、「いや、真面目に提案してい
ます。次回報告してくださいね」と答えること にしています。こうした夫婦での取り組みが実 現してくると、母親が精神的に子どもと適切な 距離を置き、合理的な付き合いをできることが 少しずつ増えていきます。
私は父親に、「いまだ」と直感した場合には、
そして休んでいる息子の話に真摯に耳を傾ける ということができているなら、父親が子どもと 現状についてきちんと話し合うことは悪いこと ではありません。ただし、いきなり「学校行 け!」では駄目だということは私から申し上げ ています。それはこの「直面」ということとは根 本的に違いますと。で、そんな話の本意を理解 してくれると、父親は息子に「自分の考えを押 し付ける人」から、息子の「真剣な思いを受け止 め、自分らしく生きることを応援する人」に変 わっていくことができるのです。なかなか理解 していただけない場合には、「やっぱり、脛に 傷持つ者の脛にさらにバットを振るうのは、
ルール違反ですよね、学校に行けない子ども に、学校へ行け、将来どうなるのかわかってい るのかと言うことはそういうことと同じです。
これはルール違反ですよね。子どもは怒りだす か、ふてくされるか、自室の鍵を閉めてひきこ もるしかないですよね。それよりお父さん、一 緒に何か世間話をしたり、散歩したりとか、そ ういったことを提案してみたらどうですか」と いったことを話してみます。自分の意見を相手 に押し付けることしかしない父親は息子とはう まくいかないものです。そんな父親の場合、息 子は父親を徹底的に避けて、不登校を続け、母 親を思い通りに動かそうという活動にこだわっ てしまいます。家族面接で支援者は、父親が息 子に押しつけていた自分の理想を引っ込めるこ とから、新たな展開は始まるということを父親 に理解してもらうことに努めたいものです。象
徴的な言い方をすると、父親が許してくれた息 子は生き返る、息子を許してくれない父親の元 で息子が生きていくことは難しいということな のです。子どもは本当に未経験ですから、「そ んなわからず屋の父親なら、家を出ていこう」
とは思えないし、いわんや実行できません。父 親が不登校になっている息子を許し、「お前の 考えで生きてよい」と腹を括ることがすごく大 事なことだと私は思います。
2.女子の思春期と不登校
通常の思春期の女子が家族や友人とどのよう な関係性の布置を示しているかを図9は模式図 化したものです。女子(図9では「私」)も母親 離れが始まれば、男子と同様に母親に依存した いという願望がむしろ大きくなり、母親に近寄 ろうとします。女子は男子よりずっとダイナ ミックな生殖機能の成熟過程を通ることになる ため、初潮の数年前から何ともとらえどころの ない内的感覚や心理的状態を抱えることになり ます。この年頃の娘が、その不安定な情緒や身 体感覚を和らげてくれる、女性としての経験豊 かな母親の支えなしにこの年代を生きぬいてい くということは、不可能ではないものの、きわ めて辛く心細い取り組みとならざるをえないこ とは言うまでもありません。
しかし、母親は思春期の女子にとって、異性 の親である父親をめぐるライバルでもあったと いう幼児期以来の歴史を持っています。ある意 味では、思春期に入った今でもライバルかもし れません。そんな思春期の女子は男子のように 露骨な退行を示して「ママ一緒に寝て」なんてこ とは絶対に言えない。普通なら言えない。でも 母親の支えは必須なので、女子は甘えと見せか けない甘え、依存と見せかけない依存を母親に 求めることになります。「ママ、今日学校でこ
んなことがあってさ、○○君が私に死ねって言 うんだよ、頭きちゃった」とか、「あいつってい つもそうなんだよ、馬鹿みたいだよね」とか、
「あいつ私のこと蹴とばすんだよ」といった愚痴 をこぼすという行動はこの年代の女子が母親に 対して示すきわめて一般的な行動です。母親が 思わず、「○○君の家に電話してあげようか!」
「学校の先生に言いに行く」などと反応すると、
女子は困ってしまいます。むしろこんな時、母 親は「ふーん、そうなんだ」と相槌を打ちなが ら、最後まで聞いてあげることが大切です。そ の内に「あ、宿題やらなくちゃ」といった調子で 離れていく。つまり母親に愚痴をこぼして、
「外の世界って大変なんだよ、ママ、わかって る?」と言いながら、それを聞いてくれて「あな たも大変ね、苦労してるんだ」って言ってくれ る母親の反応に支えられて安心し、嬉しくな る。「まあいいか」という気分になれる。これが 母親と娘の思春期の一番安定した良い関係性だ と思われます。
一方、図9に示すような父親との関係性で す。女子は幼児期に異性の親を独占したいとい う野心を男子ほど徹底した中和をできないまま 思春期を迎えます。生殖機能が成熟して行く思 春期の進行過程の中で、異性を意識しはじめた 時、一番近くにいるのは父親なのですね。この ことが、男の子が母親を意識するよりもずっと 生々しい誘惑的存在として父親を意識すること につながります。それは危機的な心性ですか ら、女子はそれを意識する前に強力に抑圧し、
意識から排除してしまう必要が生じてきます。
女の子は小学校の高学年から中学生頃、やたら に「お父さん汚い、汚い不潔」「私より先に風呂 に入るな」「トイレ行くな」「傍に寄るな」と言 いたくなります。図9のように、女子の場合に は愛着を示す線は2本と男子より多い常態が維
持されたまま思春期に入りながら、それを遮断 し、周囲も自分をも欺いて「愛着ゼロ」の振りを しないといけない。それが「パパ不潔」というわ けです。この年代の女子にとって、それが最善 の方法なのです。「パパ不潔」というのは、「パ パ、遠くにいて、離れていて」「私が気持ちが ざわざわするほど近よらないで」という意味を 込めた本能的な父親への姿勢なのです。だから 父親は、こういう時期に娘が汚いって言った ら、あんまりひどい場合は「お前いい加減にし ろよ」と言ってもよいのですが、「トイレ先に行 かないで」「お風呂に先に入らないで」くらいは
「わかった、じゃあお前が先に入れよ、急いで な」くらいのことを言いながら聞き流すという のが最善の姿勢です。「何を言ってるんだ!僕 は汚くない!朝もちゃんとシャワーを浴び た!」なんてことを言う父親では困るのです。
こういう自己愛的な父親の場合、思春期の女子 は父親とは別の異性を対象として想い描きにく くなり、親離れに苦労することになります。
女子の場合も、友人と一緒にいるということ は当然一緒で安心ですから、男子と同じように 友人との結びつきに強い執着を示します。図9 で友人との間を結ぶ線が3本で表すほど強い反 面、ギザギザの線を加えましたように葛藤も強 いというわけです。この友人への強い執着と併 存する「もし友人に見捨てられたらどうしよう」
という不安は男子にも見られたものです。た だ、男子は比較的大きな集団を組んでギャング 集団となるのに比べると、女子では一対一の
「二人組」を形成する傾向が強いと私は感じてい ます。だから、仲間集団体験の挫折は二人組の 破綻、すなわちどちらかが置いていかれるとい う形で現れやすいようなのです。
女子の思春期とはこの図9のような母親、父 親、友人の三者との結びつきの微妙な均衡の下
で生き抜くことであり、その経験を通じて様々 な自律的ならびに社会的な機能を身につけてい くのである。しかし、もし不登校になると何が 起きてくるでしょうか。それを図10で示しま した。もちろん、不登校のために友人との関係 は決定的に減少します。また、家にひきこもれ ば女子も母親に常の間隔よりもっと接近し、母 親との結びつきは常よりもずっと強くなりま す。しかし、この母子の結びつきのカプセルを 破線で描いたのは、男子ほど強く幼児返りし、
母親との結びつきを不均衡に強めていくのでは なく、退行的な関係性に男子よりも葛藤が強い ことを表すためです。不登校状態でも、父親に は対立的な場合が多く、「パパ不潔」という感覚 はあるため、父親との距離は保たれているのが 普通です。これが不登校状態にある思春期女子 の関係性です。
このような不登校の思春期女子のひきこもり を、どう支援したら良いのでしょうか。そし て、親、とりわけ母親は何をしたらいいので しょうか。
不登校状態の先鋭化に伴って、通常は露骨な 幼児返りをしないはずの娘と母親との結びつき が、明らかな幼児返り(退行)を伴う均衡を欠く ほど強い結びつきに変わったり、稀ではありま すが、逆に母親を強く拒否したりといった現象 が出てきます。ここでは思春期女子として均衡 を欠いた退行的な母親へのしがみつきの場合で すが、ここでは母親は娘の愚痴や繰り言を批判 なしに聞いてくれる人になるという思春期の母
‐娘関係の原点に返るべきです。そもそも不登 校になる女の子の中には、愚痴を聞き、繰り言 を批判なく聞いて、「あなたも大変ね。でもね、
今の話聞いていると、あなたのこと心配してく れる友達もいるみたいじゃない」「そういう友 達を大事にした方が良いよ」「まあ明日も元気
でやろうね」といった感じに返してもらうこと で、またパワーが湧いてきた気持ちになって翌 日はいつものように学校に出ていけるといっ た、そうした母親機能を持っていない母親と娘 の関係である傾向が少なからず存在します。こ うした母親の支えがないと、思春期女子はスト レスに耐えられなくなる閾値というか、壁の高 さが下がってしまいます。家庭外の世界で感じ るストレスを、あるところまで抱えてやり過ご すことの出来る心の受容力、あるいは耐性はひ どく下降してしまいます。では、どういう母親 が愚痴を聞けない母親かといいますと、母親が
ADHD
で、娘の話を最後まで聞かずに学校へ抗 議の電話をするといった衝動的な対応をしてし まうとか、娘が自立的になっていくことに嫉妬 してしまうとか、娘の親離れを見捨てられる体 験あるいは裏切られた体験と感じてしまうと か、例えばそのような場合には、母親は思春期 の女子の心を支えることができません。それど ころか、娘が自分の手元に戻ってきてくれるこ とを、そして情けない娘(しばしば精神疾患の 子どもの役を引き受けることで)として母親の そばにずっと留まってくれることを無意識の内 に望んでしまうことがあります。こういうケー スは一番支援が難しいのですけれど、これは本 当に治療の、支援の、技術、我々が獲得した技 術の、本当に全てを、導入しないとうまくこう いう母親と協同作業が出来ないものです。また、娘は母親の代わりに社会的成功を収め る、母親の代走者ではないということを母親は 自分を振り返って気付かねばなりません。これ はどんな母親でも少しそういうこところがあり ます。でも、不登校になった娘を持つ母親を支 援する際には、母親がそういう自らの気持ちに 気づき、娘が自分の歩みだと思える自分の歩み を始めることを許し喜べるという心境を支援者
と目指していかねばなりません。これが不登校 の子どもの立ち直りの前に、親の心の再建から 始めるということの意義でもあります。そのこ とで、娘は母親に歩かされていると感じるよう な母‐娘関係から娘を解放することが可能にな るのです。
それから母親は、父親を毛嫌いしているかの ように見える思春期の娘が実は父親に愛着を 持っているということ、「不潔、不潔」と言いな がら実は父親のことが大好きなのだということ を許し、当然の感情として受け入れなければな りません。これは「不潔、不潔と言うのは、『大 好きだから今は離れていてね』ということなの ですよ」ということです。そのことを承知して、
娘のその葛藤を伴う本音を受容し許してあげる というのが、不登校の思春期女子に限らない思 春期女子の心の発達を保証する母親のミッショ ンの一つなのです。
Ⅴ.家族という観点から見た不登校
次に、家族という観点からいくつか文脈を提 示して、それに沿って不登校を見てみましょう。
1.程良い乳幼児期の養育環境が提供されない 家族
まず、程よい養育環境が提供されない乳幼児 期を持った子どもの思春期における不登校への 親和性という文脈から見てみましょう。これは 虐待的、逆境的な養育環境で乳幼児期を過ごし た子どものことで、幼児期には二つの類型の愛 着障害の表現を示すことがあります。第一の類 型は対象に近づくことに対して並はずれた抑制 を示す子どものことで、虐待的な環境の中で、
自分の価値を踏みにじられ、愛着を形成するこ とを親側から妨害され続けた子どもが、対象に 近寄りたいけれど、近寄って傷つけられ踏みに
じられることは怖いという気持ちが背景にあり ます。第二の類型は先の類型とは逆に垂れ流し 的な誰彼構わない接近と甘えを示す一方で、一 旦拒まれると、その拒否の強弱や質の如何に関 係なく強い怒りと抑うつを引き起こし、二度と その対象には近づこうとしないというもので す。この第二の類型は幼い頃から、対象への貪 欲さ、それを受容されない際の激しい怒りと空 虚感・無力感の出現という特徴的な人間関係の 不安定さを主な特徴とする子どものことで、思 春期にとりわけ不登校に接近しやすくなりま す。
これら2類型の愛着障害を持つ子どもは、い ずれも特定の人間を対象とする愛着関係を作り 出したり、維持したりできないのです。こう いった子どもが思春期に入ってくると、自尊心 が絶対的に低く、なんでも自分が悪いと思いが ちです。それから現実的な充実感が通常の子ど もと比べて乏しく、自分は空っぽ、あるいは他 者を満たす能力が自分には無いという自己効力 感の欠如した心性を抱えがちなのです。こうし た心性が中核にある人格特性を持って思春期に 至ると、子どもは見捨てられた気持ちになり易 く、落ち込み易いのです。そのため、内なる空 虚感を埋めるため依存を許しそうな対象に必死 でしがみつきます。でも、最初は構ってくれた 友人や先生も、あまりにもワンパターンかつ貪 欲にしがみついてくるその子にいい加減呆れ、
「あなたって自分勝手」と突き放されてしまいま す。かくして、うまく人間関係で満たされなく なってくると薬物依存に走ったり、自傷行為に ふけったりということを始めることも在ります し、不登校にもなり易いですね。
2.母親とのアタッチメントの展開が妨げられ る家族
これは虐待を背景とする愛着障害とは別のも ので、母性的養育の最も重要な年代である乳児 期に母親が母性的な関わりを提供出来なかった 場合です。これは母親が周産期のうつ病になっ ていたという場合が典型的ですが、母親が出産 後間もなくから家を出てしまい父親が託児所に ほとんど預けっぱなしにするといった場合も、
さらには父親が自己愛的で、母親の養育を批判 し、自分の方が養育力があると子どもの養育に 関わりすぎるために、母親がしらけ無力感に 陥っていく場合も含むと考えられます。こうい う養育環境の中に育った子どもは、無条件で受 容してくれるという母性的な自己肯定感を剥奪 されているため、思春期では代償的に、そして ときには父親の過大な自己愛を取り入れること で、均衡を欠くほど自己愛的になりがちです。
それは母性の貧困という傷を父親の高い自己愛 性に同一化することで代償しようとしているの ではないでしょうか。しかし、そのような心性 はとても傷つき易いものとなりがちで、一方で 他者に対し非常に尊大な態度で接する傾向があ るため、思春期の仲間集団から疎外され、孤立 しがちとなります。そうなるとこのタイプの子 どもは仲間集団を軽蔑的に価値切り下げして、
大人との関係に向かいます。しかし、強い依存 欲求の含まれた自己愛的な背伸びと尊大さは、
例えば女子であれば男性教師に誘惑的に接近し たり、男子の場合だと対等な学問的論争を挑ん だり、集団的反抗の陰の計画者となったりする ため、大人にも受け入れがたいものとなりがち です。こうしたマヌーバー(策略)が有効に機能 しなくなり、孤立しそうになると不登校となる というのが、このタイプの心性から不登校が出 現する経過ではないでしょうか。
3.母親が娘の親離れを受容出来ない家族 様々な理由で、母親が娘を幼い子どものよう に身近に置かないといられない葛藤を持ってい る場合、娘はしばしば困りもの、あるいは病気 の子どもの役を引き受けて、母親の心を支える という反応を示すものです。母親は困った娘を 叱咤激励し、娘の立ち直りに懸命な母親の役を 演じながら、そのことに支えられているという 母‐娘関係を維持しようとします。そのような 状況にある思春期の娘は、親離れの推進力を提 供してくれる学校に行くことを止め、駄目な娘 の役を引き受けながら、母親の傷つきやすい心 を支えようと努めるのです。しかし、それは けっして居心地の良い自尊心を育む状況ではな いことから、結局は自己破壊的な心性が亢進 し、自傷行為や自殺行動、性非行、家庭内暴力 といった問題行動に走るか、あるいは受動攻撃 的な怒りの表現として無気力で努力しない不従 順な気持ちが強まり、葛藤の強いひきこもり状 態を深めていくことになります。
4.父親の息子への関わりが問題な家族 父親が息子の幼い頃から一貫して介入的にふ るまいすぎる場合、あるいは逆に単身赴任か何 かで父親の思春期における影が薄い場合も不登 校の生じやすさは亢進します。
父親の息子への過干渉は、娘でも問題となっ た父親の高い自己愛性が問題となるケースで、
母親をさしおいて自分が息子の世話を焼き、指 図を続け、母親の介入を妨げてしまうという状 況を作り出します。もう一つ、父親が自己愛性 は目立たないものの、不安が強く、強迫的に母 親の頭越しに子どもにあれこれと指示・命令を 行うようなケースでも類似の状況が出てきま す。いずれの場合も、息子の自立的な芽、能動 的な芽はこのような父親のふるまいによって
散々摘まれてしまうことがあります。それに対 して、息子は受動攻撃的な怒りを自発的で前向 きな努力を放棄し、この指図し続ける父親の困 り者になることで表現するようになります。そ の結果としてしばしば不登校状態が生じます。
一方、単身赴任で父親の影が家庭で薄くなっ ている場合、当然ながら、思春期の息子は図7 で示しているような思春期の母親への関心の高 まりと部分的な幼児返りの反復を調整する父親 の存在が薄いため、当然母親との心理的距離が 接近しすぎてしまいます。その結果、家庭内暴 力的になったり不登校になったりする傾向が高 まります。
5.幼児期の子どもに過剰適応を求める家族 これは母親が働いているのが当たり前になっ た現代社会の問題点でもあります。現代病、社 会病理だと言ってもいいかもしれませんが、現 代の子どもは幼児期に過剰適応をかなり迫られ る環境の中で育ちます。母親がゆっくりと産休 を取れる職業はほとんど無いので、早期から子 どもに、昼間母親から離れていることが求めら れますし、次の日母親が仕事に行けないほど 駄々をこねたりすることを我慢するということ を本能的に行っています。実は子どもは幼けれ ば幼いほど過剰適応能力が旺盛なので、母親の 都合に子どもは合わせようとします。
しかし、そういう子どもが思春期で躓くとい うことが結構存在するということを児童精神科 の臨床現場で仕事をしている者として感じてい ます。例えばこれは不登校じゃありませんが、
小学校の高学年、中学校の初めくらいで神経性 やせ症になるような女子には、母親に子どもの 小さい年代のことを聞くと、「手のかからない 良い子だった」と口をそろえて言われるのです。
それが要するに過剰適応的であったのだという