中国人日本語学習者の日本語モダリティ習得研究−
「ダロウ」を中心に−
著者 徐 文輝
著者別表示 Xu Wenhui
雑誌名 博士論文要旨Abstract
学位授与番号 13301甲第4915号
学位名 博士(文学)
学位授与年月日 2019‑03‑22
URL http://hdl.handle.net/2297/00054802
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
様式 7(Form 7)
学 位 論 文 要 旨
Dissertation Abstract
学位請求論文題名
Dissertation Title中国人日本語学習者の日本語モダリティ習得研究――「ダロウ」を中心に――
(和訳または英訳)
Japanese or English TranslationStudy on the Acquisition of Modality in Japanese by Chinese Japanese Learners:Focusing on
"darou"
人間社会環境学
専 攻
(Division)
氏 名
(Name) 徐 文輝主任指導教員氏名
(Primary Supervisor) 深澤 のぞみ(注)学位論文要旨の表紙 Note: This is the cover page of the dissertation abstract.
2 This study focuses on “darou” which has been said to be particularly difficult for Chinese learners of Japanese (CN) to learn in Japanese modality. We investigated how CN use “darou”
in natural conversations and consider what problems exist while comparing this with how Japanese native speakers (JP) use “darou.” The following were made evident. Compared to JP, it was confirmed that CN tend to underuse “darou.” Furthermore, when looking in detail at
“darou” used by CN, many “darou” that are not suitable for different situations were used. In short, even CN who become intermediate or advanced level speakers do not correctly use
“darou,” which was learned at the beginner level, and CN have difficulties using “darou”
appropriately in various situations. To clarify the factors that caused these problems, we conducted surveys on Japanese textbooks used by CN, conducted questionnaires and interviews with CN, and conducted interview surveys with Japanese teachers who were Chinese. Through these investigations, we confirmed that guidance on the situational use and expressive function of “darou” in China’s Japanese Language Education is insufficient, and there is a possibility that CN are negatively affected by the Chinese particle “ba.” Based on these results, in order to promote the acquisition of “darou” by CN, while considering the use of “darou” in natural conversations of JP, the “usage base model” of “darou” presented by Miyake (2010a, b) should be applied in Japanese language education targeting CN.
本論文は、中国人日本語学習者(以下、CN)のモダリティ習得、特に「ダロウ」に焦 点を当て、調査研究を行ったものである。本論文は、9章で構成されており、以下にそ の概要を述べる。
第1章では、本論文の背景について述べる。日本語には日本語学習者にとって習得す る必要があるモダリティ表現が非常に多くあり、日本語学習者にとって習得しにくい と予想される。しかし、日本語のモダリティ習得研究はまだ少ないのが現状である。
本論文は、このような現状を踏まえ、一例としてCNの「ダロウ」の習得に着目して考 察を行う。
第2章では、本論文と直接関係する先行研究の概要及びその問題点を述べたうえで、
本論文の目的を述べる。先行研究では、アンケートや作文データを利用し、「ダロウ」
がCNにとって習得困難なものであり、中・上級レベルになったCNでもその習得がまだ 不十分であることが指摘されている。ただ、現実の会話場面で同様の問題があるのか、
また、CNを対象にする日本語教育での効果的な指導法についてはまだ詳しい分析はな されていない。そこで、本論文では自然会話データを利用し、日本語母語話者(以下、
JP)の「ダロウ」の使用実態と比較しながら、自然会話におけるCNの「ダロウ」の使
用状況及びその問題点を明らかにしたうえで、その問題点が発生する原因を検討する
ことを目的としている。
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第3章では、本論文の研究課題と研究方法を述べる。本論文は以下の5つの課題を設 定し、課題①を第4章で、課題②を第5章で、課題③を第6章で、課題④を第7章で、課 題⑤を第8章で扱う。
課題① JPは初対面同士の会話と親しい者同士の会話でそれぞれどのように「ダロ ウ」を使用しているのか。「ダロウ」の使用に関して場面差が見られるの か。
課題② 自然会話で、各用法の「ダロウ」はどのような表現機能を果たしているの か。
課題③ CNは初対面同士の会話と親しい者同士の会話で、どのように「ダロウ」を 使用しているのか。
JPの使用実態と比較し、どのような問題点があるのか。課題④ CNは「ダロウ」の意味・用法についてどのように捉えているのか。どのよ うな問題点があるのか。
課題⑤ 中国の日本語教育では「ダロウ」をどのように扱っているのか。どのよう な問題点があるのか。
第4章では、『名大会話コーパス』に収録されている初対面JP同士の5自然会話と親 しいJP同士の80自然会話に使用されている「ダロウ」をそれぞれ収集し、それをさら に用法別及び形態別に分類して分析を行う。
まず、用法別に見ると、初対面JP同士の会話では、「推量」(58.5%)が圧倒的に多く 使用されており、「不定推量」(20.7%)も比較的多く使用されているが、その他の用法 は極めて少ない。一方、親しいJP同士の自然会話では、「知識確認の要求」(40.4%) が圧倒的に多く使用されており、「推量」(16.9%)「命題確認の要求」(14.4%)「不定
推量」
(14.2%)の使用も比較的多く見られるが、その他の用法の使用頻度が非常に低い。このことから、JPの自然会話では、「推量」「不定推量」が場面と関係なく、比較的 多く使用されているが、「知識確認の要求」と「命題確認の要求」が初対面同士の間 ではあまり用いられておらず、親しい者同士の間では多く使用されていることが分か った。
そして、形態別に見ると、初対面JP同士の会話では、多く使用されている用法とし て、「推量」が主に「複合でしょう」という形態によって表されており、「不定推量」
が主に「単純だろ(う)」という形態によって表されている。一方、親しいJP同士の 会話では、多く使用されている用法として、「知識確認の要求」と「命題確認の要求」
が主に「単純でしょ(う)」という形態、「推量」が主に「複合だろう」という形態、
「不定推量」が主に「単純だろ(う)」という形態によって表されている。このこと から、「推量」の用法は場面によって使用されている形態が異なっているが、「不定 推量」の用法は場面と関係なく、主に「単純だろ(う)」という形態が使用されている。
また、親しいJP同士の会話で多く使用されている「知識確認の要求」と「命題確認の
要求」は主に「単純でしょ(う)」という形態によって表されていることが明らかにな
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った。ここから、「だろう」の「敬体」とされている「でしょう」という形態が、全 体の文体と関係なく、すでに「知識確認の要求」と「命題確認の要求」を表す専用形 式なりつつあると言うことができる。
第5章では、『名大会話コーパス』で使用されている各用法の「ダロウ」文の命題 内容及びその具体的な使用文脈を詳しく観察し、それぞれ自然会話ではどのような表 現機能を果たしているのかについて考察し、次の表1のような結果を得た。なお、収集 したデータの中で、「丁寧さの加わった質問」の使用例が非常に少ないため、本論文 では、その表現機能についての分析を割愛した。
表1 自然会話における「ダロウ」の各用法の表現機能
用法 表現機能
推量 断定的な意見表明
命題確認の要求 押し付け的な判断承認促し
潜在的共有知識の活性化 前提・話題作りのための共通認識喚起促し 認識の同一化要求 認識ギャップ埋めのための共通認識形成促し
念押し確認用法 情報や主張の正確さをアピールするための共通認識喚起促し
不定推量 思考中表明
弱い質問 間接的な思考参与要求
第6章では、『多言語母語の日本語学習者の横断コーパス:I-JAS』に収録されてい る初対面同士の会話及び筆者自身が収集した友人同士による会話でのCNとJPとの「ダ ロウ」の使用状況を比較した結果を、会話の場面、話題、時間などある程度統一され ているが、JPよりCNの「ダロウ」の使用頻度が低く、用法ごとに見ると、JPと異なる 使用傾向が見られた。
第7章では、CNに対するアンケートとインタビューを通し、以下のようなことが分 かった。
1)単文レベルでは「ダロウ」自体に関する誤用がほとんど見られないが、「推量」
という用法に偏り、ほかの用法はあまり見られない。つまり、「推量」という用 法はCNにとってすでに定着しているが、第4章で見たJPに多く使用されている
「知識確認の要求」「命題確認の要求」「不定推量」等の用法はまだ定着してい ないと思われる。
2)CNは日本語教科書や日本語教師の指導だけではなく、日本語教師のティーチャー
トークや日本のアニメやドラマを利用し、日本語教育で教えられていない用法を 自分なりに学んでいる。また、日本語教師のティーチャートークや日本のアニメ やドラマを通して習得した用法が正しいかどうかが分からないという不安がある ようである。それはCNの「ダロウ」の産出を妨げる可能性があると考えられる。
3)また、「だろう」と「でしょう」の使用場面について、協力者としてのCNはほと
んど「だろう」を同輩や目下の人に対して使い、「でしょう」を目上や親しくな
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い人に対して使うというふうに捉えている。つまり、CNは「だろう」と「でしょ う」を「常体」と「敬体」の関係であると考えており、その使用制限について教 えられていない可能性がある。
4)CNは「ダロウ」を中国語の「吧」と対応して理解し、使用している傾向が見られ
る。
5)現在の中国の日本語教育における「ダロウ」の扱いは、CNの実際の運用について
十分考慮に入れていないことが窺える。日本語教科書の中の「ダロウ」に関する 記述や日本語教師の説明は不足している可能性があると考えられる。
第8章では、CNに使用されている、現在でも中国の日本語教育では影響力が大きい
『新編日語』という教科書及び『新編日語』を習ったり、教えたりした経験がある現 役の中国の大学の中国人日本語教師に対するインタビューを通し、中国の日本語教育 における「ダロウ」の扱いの一端を明らかにした。
『新編日語』では初級後半の同じ課で初めて「推量」「命題確認の要求」「丁寧さ の加わった質問」の「ダロウ」が「でしょう」という形態で導入されている。その課 ではこの3つの用法についてごく簡単な説明があるが、「ダロウ」文が持つニュアンス とずれている記述が見られた。また、導入例を見ると、用法的に曖昧な例や場面的に 不適切な例が見られた。そして、ほかの課のモデル会話では「不定推量」などの用法 の「ダロウ」が導入されているにもかかわらず、それについての説明が見られなかっ た。また、「だろう」と「でしょう」をそれぞれ「常体」と「敬体」として説明して いるのみであり、「だろう」と「でしょう」の使用場面や使用制限についての説明が 見られなかった。
中国人日本語教師へのインタビューを通して、教師たちが日本語教科書の内容をそ のまま受け入れてそのまま教えている傾向が見られた。また、中国人日本語教師が「ダ ロウ」を教える時、その「推量」の用法、接続方法を重視し、中国語の「吧」と対応 させて説明する傾向も見られた。そして、CNにとって「ダロウ」の習得は難しくない と考えている。それは、教師たちは理解の面だけを見ており、CNが実際に適切に運用 できるかどうかについて十分考慮に入れていないからであろう。また、教師たちの発 話から、教師たちによる「ダロウ」の用法に対する捉え方が日本語教科書の説明とほ ぼ一致していることが分かるため、教師たち自身も日本語教科書から直接影響を受け ていると言えよう。
第9章では、本論文の結論と今後の課題を述べる。本論文では、自然会話データ を利用し、JPの「ダロウ」の使用実態を比較しながら、会話での中・上級レベルCNの
「ダロウ」の使用状況を見てきた。その結果、JPと比べ、CNは「ダロウ」をあまり使 用しないということが分かった。また、
CNに使用された「ダロウ」文を詳しく見ると、使用傾向がJPと大きく異なっており、場面的に不自然な例も多く見られる。伊集院・
高橋(2004)、高橋・伊集院(2006)、伊集院・高橋(2010)、野崎・岩崎(2013)などの先
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行研究は、作文の中で、CNの「ダロウ」の使用には、同じような問題点があることを 指摘している。このように、会話でも、作文でも、CNにとって、「ダロウ」の産出が 困難である。
CNを対象にする日本語教育では、CNの「ダロウ」の習得を促進するため、どのように指導するかを考えなければならないことになる。自然会話では、「ダロウ」
にはいろいろな使用制限が存在する。それは「ダロウ」のプロトタイプ的な意味・用 法と関係していると考えられる。三宅(2010a、2010b)では、「ダロウ」の「スキーマ」
を「想像の中での認識」としている。三宅(2010a)では、疑問詞や「か」と共起しない
「ダロウ」の「推量」「命題確認の要求」「知識確認の要求」の3つの用法の中で、「推 量」という用法はプロトタイプで、「命題確認の要求」「知識確認の要求」はそこか ら拡張された用法であるとしている。三宅(2010b)では、疑問詞や「か」と共起する「ダ ロウ」の「不定推量」「弱い質問」「丁寧さの加わった質問」の3つの用法の中で、「不 定推量」という用法はプロトタイプで、「弱い質問」「丁寧さの加わった質問」はそ こから拡張された用法であるとしている。
CNに「ダロウ」の使用制限を無理なく理解させるため、先にプロトタイプとしての
「推量」と「不定推量」の「ダロウ」を導入すべきであると考えられる。「推量」の
「ダロウ」を導入した後、段階的に「命題確認の要求」「知識確認の要求」の「ダロ ウ」を導入する。疑問詞や「か」と共起する3つの用法を「不定推量」「弱い質問」「丁 寧さんの加わった質問」という順で導入するのは効果的であろう。そして、中国の日 本語教育では「ダロウ」を導入する際、「ダロウ」は中国語の「吧」に対応するとい う説明がされることが多いと予想される。しかし、「ダロウ」と「吧」の使用場面が 異なり、「吧」からの負の転移を防ぐために、「ダロウ」と「吧」の場面差をCNに教 えるべきである。これは日本語教科書では詳細に説明するのは難しいかもしれないの で、分かりやすい場面などを示すことは、中国人日本語教師に可能であると考える。
但し、本論文では、『新編日語』を使用しているCNのみを対象にしたため、研究結 果を一般化するのは難しいかもしれない。今後データを増やして検証する必要がある。
また、本研究での提案に従って指導したCNの縦断的なデータを収集し、習得状況を分 析するなど、時間をかけた考察をすることを、今後の課題としてあげておく。さらに、
中国語からの影響についても十分に考察できなかった。今後、中国語による会話と日
本語による会話の話題の展開や談話構造等の観点から分析することも今後の課題とす
る。
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学位論文審査報告書
平成31年 2 月 2 日 1 論文提出者
金沢大学大学院人間社会環境研究科 専 攻 人間社会環境学専攻 氏 名 徐 文輝
2 学位論文題目(外国語の場合は,和訳を付記すること。)
中国人日本語学習者の日本語モダリティ習得研究 −−「ダロウ」を中心に−−
3 審査結果
判 定(いずれかに○印) ◯合 格 ・ 不合格
授与学位(いずれかに○印) 博士( 社会環境学・◯文学・法学・経済学・学術 )
4 学位論文審査委員
委員長 深澤 のぞみ 印 委 員 加藤 和夫
委 員 高山 知明 委 員 西嶋 義憲 委 員 山本 洋 委 員
(学位論文審査委員全員の審査により判定した。)
2 5 論文審査の結果の要旨
本研究は,中国人日本語学習者のモダリティ習得に関するものである。
日本語には話している内容に対する話し手の判断や感じ方を表すモダリティ表現が多くある と言われている。例えば,「たぶん」や「だろう」,「ね」などのようなものである。この日 本語のモダリティ表現は日本語を母語としない日本語学習者にとって習得が困難なものである という立場から,本研究は,日本語のモダリティ表現がどのように日本語学習者に習得され,
どのように指導すれば効果的に習得に導けるのかを,中国人日本語学習者による「ダロウ」の 習得を例として考察したものである。
本研究で取り上げた「ダロウ」は,例えば「明日は雨が降るでしょう」のような形で,日本 語教育において初級の段階から必ず指導項目に挙げられるものである。しかしその割には,日 本語学習者の正確な習得につながっていないことや,日本語レベルが上級に上がっても実際の 運用に至っていないことが指摘されている。「ダロウ」の意味や用法については多くの先行研 究があるが,小説やシナリオなどのデータを利用したものが多く,また習得研究についても日 本語学習者の作文をデータにしたものであった。そのため,実際の自然会話における「ダロウ」
の実態については,まだあまり研究がされてきていないという現状もある。これらの問題につ いて,本研究は,日本語母語話者(以下,JPと略記)の会話データ,中国人日本語学習者(以 下,CNと略記)の会話データ,さらに中国で使用されている日本語教科書,中国人日本語教師 へのインタビューを用い,CNの「ダロウ」習得について,多角的なデータから習得の実態や問 題点,日本語教科書や日本語教師の影響などの幅広い観点による分析を行い,考察を加えた意 欲的な論文である。
まず9章から成る論文の構成を説明する。第1章では,いまだ研究の少ない日本語のモダリ ティから一例としてCNの「ダロウ」習得に着目して考察を行った背景を述べている。続いて第 2章で,これまでの先行研究の概要を述べ,先行研究ではアンケートや作文データのみを利用 した「ダロウ」の分析であり,日本語学習の中・上級レベルの日本語学習者が「ダロウ」の習 得が遅れる原因を十分に解明できていないことを指摘している。そこで本研究では,JPの自然 会話における「ダロウ」の使用実態をまず明らかにすること,その上で,CNの自然会話におけ る「ダロウ」と比較しながら実態を分析することが必要であるとしている。第3章では,上述 の方針を基に,本論文での研究課題と研究方法について述べている。具体的には,設定した5 つの課題を提示している。
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第4章では,『名大会話コーパス』に収録されている初対面のJP同士および親しいJP同士の 自然会話における「ダロウ」を収集し,用法別および形態別に分類して分析を行った。まず初 対面同士のJPの会話では「推量」が圧倒的に多く使用されており,また「不定推量」も比較的 多く使用されている。一方,親しいJP同士の会話では,「知識確認の要求」が圧倒的に多く,
「推量」や「命題確認の要求」「不定推量」なども比較的多く用いられているが,その他の用 法の頻度は低いことが明らかになった。また「ダロウ」の形態については,初対面JP同士の会 話では「推量」が「複合でしょう」(「でしょうね」のような形)という形態で表されている ことが多く,「不定推量」は「だろ(う)」という形態で表されていることがわかった。親し いJP同士の会話では,「知識確認の要求」と「命題確認の要求」が主に「単純でしょ(う)」
という形態,「推量」が「複合だろう」という形態,「不定推量」が主に「単純だろ(う)」
という形態によって表されていることが明らかになった。このことから「推量」の用法は場面 によって使用される形態が異なるが,「不定推量」は場面と関係なく,主に「単純だろ(う)」
という形態が使用されていることが明らかになった。また親しいJP同士の会話で多く使用され ている「知識確認の要求」や「命題確認の要求」は,主に「単純でしょ(う)」の形態で表さ れていることもわかった。このことは,「だろう」の「敬体」とされている「でしょう」とい う形態が,全体の文体と関係なく,すでに「知識確認の要求」と「命題確認の要求」を表す専 用形式になりつつあることを明らかにしたもので,大きい成果と言える。
第5章では,『名大会話コーパス』で使用されている各用法の「ダロウ」文が自然会話でど のような表現機能を果たしているのかを考察した。例えば,用法「推量」の表現機能は「断定 的な意見表明」,用法「命題確認の要求」の表現機能は「押し付け的な判断承認促し」といっ たものである。
第6章は,『多言語母語の日本語学習者の横断コーパス: I-JAS』に収録されている初対面 同士の会話および筆者自身が収集した友人同士による会話でのCNとJPの「ダロウ」の使用状況 を比較したものである。その結果,JPよりCNの「ダロウ」の使用頻度が低く,また用法もJPと CNとでは異なる使用傾向のあることがわかった。
第7章では,CNに対してアンケートとインタビューを実施した結果を報告している。単文レ ベルでは「ダロウ」自体に関する誤用は見られないが,「推量」という用法に偏っていること,
CNは日本語教科書や日本語教師による指導だけでなく,教師のティーチャートークや日本のア ニメなどから「ダロウ」を習得しているが,それが正しいのかどうかという不安を抱えている ことがわかった。さらにCNは「だろう」と「でしょう」を「常体」と「敬体」の関係であると
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考えており,正しい使用や使用制限が教えられていない可能性があることや,中国語の「吧」
と対応して理解して使用している傾向があり,中国の日本語教育での「ダロウ」の扱いは十分 でないことが明らかになった。さらに第8章では,CN日本語教師にインタビューを行い,中国 での日本語教育で「ダロウ」がどう扱われているかを調査した。その結果,CN日本語教師が,
中国の日本語教科書の内容をそのまま受け入れて教えている傾向がわかった。
最終章の第9章では,本研究結論と,第8章までで明らかになった結果に基づき,CNを対象 にした「ダロウ」の効果的な指導法を具体的に提案した上で,今後の課題を述べている。
以上のように,本研究は,「ダロウ」を例に,先行研究であまり使用されてこなかった自然 会話のデータを用い,さらに中国での日本語教科書での扱いやCN日本語学習者や日本語教師へ のアンケートやインタビューといった,幅広いデータを基に丁寧な分析を積み重ねており,こ れまで日本語学および日本語教育の分野で見られなかった厚みのある分析が実現されているこ とは高く評価できる。また,「知識確認の要求」と「命題確認の要求」の「ダロウ」では,「で しょう」が専用形式として用いられつつあることが明らかになったことなどの新しい知見は,
日本語学や日本語教育の分野に大きく貢献するものである。
本研究への審査委員からの指摘には,対照研究として見ると研究デザインが必ずしも十分で ないことや,得られた結論の先行研究を超えた部分をもっと強調すべきだったこと,またそれ らを最終的な教授法の提案にもっと反映させて欲しかったことなどがあったが,いずれも本研 究の評価に大きく影響するものではない。得られた結論については,今後の中国の大学におけ る実際の日本語教授活動の改善に資するだけでなく,すでに行ったいくつかの学会発表に加え,
今後の更なる学会発表,学会誌への投稿が期待できる。
以上のことから,本論文は博士学位論文の水準に十分に達しているものとして,審査委員全 員一致で合格と判定した。