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議会による委任立法の統制

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(1)

委任立法の限界について はじめに

西

ロ ィ ギ リ ス 議会による統制

フランス

̀ ̲

, ',  

西ドイツ

曰 ィ ギ リ ス

E

議会への提出手続 おわりに

議 会 に よ る 委 任 立 法 の 統 制

五七

貞 美

5‑2‑227 (香法'85)

(2)

第一次大戦以降の行政権の肥大化現象にともない立法府の衰退が叫ばれるようになってから久しい︒この行政権の 肥大化は立法府から権限を奪った結果ではない︒肥大化した行政権が優位することによって立法府が相対的に衰退し てきたものであって︑立法府の権限そのものが絶対的に増大してきていることは︑ホイーアの指摘している通りであ ろう︒しかし今日においても立法府の中核的機能が法律制定作用であることに変わりはないにしても︑法案の作成や 審議における行政権の主導的役割や委任立法の増大現象に顕著にみられるように︑立法機能に関する議会の地位や役 割は著しく低下してきている︒制定される法律の大部分は内閣提出法案であり︑それに比して議員提出法案の可決さ れる機会は非常に少なくなっている︒また議会の委任にもとずく行政立法が激増の一途をたどり︑ますます議会立法 を浸蝕し量的にみても圧倒的にこれを凌駕する事態に至っている︒たとえば︑わが国において︑昭和五十七年六月三 十日現在の現行法のうち︑法律一五一五︑政令一八一九︑府令ならびに省令は二六三九であり︑行政立法の占める割 合は七三パーセントの高率を示している︒さらに最近五年間の統計によれば︑行政立法の占める割合はますます高く まれ

てお り︑

なってきて九

0

パーセントを越えるようになり︑その数も少ない年で九

0

五︑多い年で一〇六四の多数にのぼって

(2 ) 

いる︒もちろんこの中には国民の権利義務にかかわる重要な委任命令もあれば︑単に技術的・細目的な執行命令も含

その内容が文字通り種々雑多であることはいうまでもない︒

このような現実を前にして委任立法に関する現在の問題の焦点は︑委任立法を法治主義を形骸化︑空洞化させるも のとして認めないかあるいは認めるかということではない︒そのような問題はもうすでに一世紀も前に決着がついて

は じ め に

五八

‑ 2‑228 (香法'85)

(3)

議会による委任立法の統制(上村)

点がわが国との大きな違いである︒

(3 ) 

いるのであって︑今日その有用性や必要性はもはや否定されない︒委任立法を現代国家における不可避の現象として

認めた上で︑﹁⁝⁝もっとも問題になるのは︑第一に議会の立法技術の改革︑なかんずく委任命令の制定手続ないし政

治的統制に関する法制度であり︑第二に委任の限界に関する法理論である︒﹂特に議会の唯一の立法機関性を貫徹し議

会主義を活性化させるためには︑委任立法に対する議会の統制をどのように制度化し機能させるかが︑憲法学にとっ

て重要な課題であろう︒

五九

わが国においては委任立法に対する統制のための制度がきわめて不備であることを反映してか︑憲法の体系書や概 説書において委任立法とその統制に関する記述は極端に少ない︒それに対してイギリスの憲法ないし行政法の概説書

においては︑委任立法に関する叙述に相当の分量が充てられており︑しかもその統制については︑公布

( p u b l i c a t i o n

) ︑

い て

利害関係人への諮問

( c o n s u l t a t i o

o f n

  i n t e r e s

t s )

︑司法的統制

( j u d i c i a

c o l

n t r o

l ) ︑議会による統制

( p

a r

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e n

t a

r y

c o n t r o l )

の四種について言及しているのが通例である︒フランスにおいても︑﹃憲法と政治制度﹄と題する概説書にお

フランスの憲法史の個所で第三•第四共和制下のデクレ・ロワについて、第五共和制憲法の個所で三八条のオ

ルドナンスについて必ず言及している︒また西ドイツにおいても︑ボン基本法の八十条において委任立法の要件が規

定されていることもあって︑概説書や註釈書において委任立法とくに委任の限界について論じられており︑

本稿 は︑

これらの

このような状況にかんがみ︑当面の課題である委任立法の限界と議会による統制の比較法的研究を試みた

ものである︒ただ委任立法の研究については︑これまで公法学会でテーマとして取りあげられたことや故水野豊志氏

﹃委任立法の研究﹄という優れた研究書をはじめとして厚い研究業績の蓄積が存在することを考え合わせると︑本

稿にいかほどの意義があるのかはなはだ心もとない︒

5‑2‑229 (香法'85)

(4)

が必要である︒

委任立法の限界について

( 1 )  

W h

e a

r e

,   L e g i s l a t u r e s .   p

p.

1 

48

1 49 . 

( 2

)

これらの数字は︑平岡久﹁行政立法﹂﹃現代行政法大系2・行政過程﹄六四頁から引用した︒

( 3 )   A l l e n ,   L aw   i n   t h e   M

a k

i n

g ,

  p .  

562 

( 4 )

芦部信喜﹃憲法と議会政﹄四九六頁︒

議会が行政府に法制定権限を委任する場合にその限界を定めなければならないことはいうまでもない︒無制限な委

任立法︵授権法︶は︑ワイマール体制と第三帝国の例を引くまでもなく︑議会主義と法治主義の破滅以外の何もので

もない︒同時に委任立法の限界を明確に画定することは委任立法に対する統制の不可欠の前提条件である︒とりわけ

裁判的統制の場合には︑限界の存在しないあるいは限界の不明確な委任立法に対して統制を加えることが不可能ない

し著しく困難であることは容易に推察されうる︒議会による統制の場合であっても︑授権した法律に照らして委任立

法を審査するわけであるから︑議会が授権する法律を制定する際に行政府に委任する限界を明確に画定しておくこと

この委任立法の限界については︑わが国では通常次のように説かれることが多い︒すなわち︑﹁法律の委任が認めら

れるとして︑問題になるのは委任の限界である︒この場合︑委任の限界を画定することは困難であるが︑法律の委任

は︑立法権が国会に属するという憲法の原則を崩さない程度において︑個別的・具体的に限られた特別の事項につい

六〇

5 ‑2 ‑230 (香法'85)

(5)

議会による委任立法の統制(上村)

しなければならない︒ 一般的・包括的な白紙委任は認められない︒﹂とか︑あるいは﹁少

( 2 )  

なくとも立法権を国会が独占するという憲法上の原則が本質的に否認される程度の委任は許されない︒﹂と代表的な書

(3 ) 

物において述べられている︒しかし個別的・具体的な委任と抽象的・一般的な委任との差異が結局程度の差にすぎない

ラン

ス︑

以上︑極端なケースは別にしてどちらであるのかを認定することは決して容易ではない︒このことは︑わが国で繰り

返し問題とされてきた委任立法の代表的事例である国家公務員法一〇二条と人事院規則十四ー七を想起すれば十分で

あろう︒この規定が白紙委任を認めたものか否かについて意見が分かれるのは︑上述のように白紙委任と個別的・具

体的委任の差が程度の差でありその判定の基準が不明確であるということによると考えられる︒

したがって︑委任立法の限界を明確に画定することが委任立法の統制のための必須不可欠の条件である以上︑その

限界についてより精緻な理論化を試みることが要請されているといえよう︒そこでその作業の一環として︑フランス︑

西ドイツ︑イギリスにおける委任立法の限界に関する理論を比較法的に研究することは有意義であろう︒ただ第五共

和制のフランス、西ドイツのように委任立法の要件が憲法典に規定されている国とそうでない第三•第四共和制のフ

イギリスおよびわが国とでは︑実定法上の構造が異なるので︑問題の扱われ方に差異が生じることを前提に

( 1

) 清宮四郎﹃憲法I

( 2

)

0

( 3

)

宮沢俊義著・芦部信喜補訂﹃全訂日本国憲法﹄五七七頁︒ てのみ行なわれるものと解せられる︒したがって︑

I 

5‑2‑231 (香法'85)

(6)

(一) フ ラ ン ス

フランスにおいて委任立法が重大な憲法問題として登場してくるのは︑戦間期の一九二四年から一九四

0

年の時代

である︒この時期のフランスは大きな財政的・経済的・社会的危機に見舞われるか︑この危機から脱却するためには

適切な措置を敏速にとること︑とりわけ行財政改革を早急に実現することが喫緊の課題であった︒しかし議会で法律

を成立させるためには議事手続に余りにも時間がかかりすぎて即応能力に欠けるので︑事態に敏速に対応することが

著しく困難であった︒そこで議会が完全授権法律

( l o i ds e  pl

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)

を制定し︑それにもとづいて政府がいわ

ゆるデクレ・ロワを公布してそれによって目標を実現する方法が採用されたのである︒こうした事情に加えて当時の

議会における政党状況が委任立法の増加に一層の拍車をかけたのである︒議会内に安定した多数派政党が不在で小党

分立状況にあったので︑内閣も必然的に連立内閣にならざるを得なかった︒しかも﹁選挙で成立した議会多数派が院

内で組みかわるという︑一種の振子現象﹂のために︑内閣は弱体・不安定にならざるをえなかった︒このような状況

では︑仮りに内閣によって危機を克服するための具体的な内容を盛り込んだ法律案がまとめられて議会に提出されて

も︑政党間の利害が対立し論議が紛糾して法律が成立しなかったのである︒さらに行財政改革のための措置は国民に

負担を強いるものであったから︑国民には不評であった︒議員たちはこのような評判の悪い政策に加担して有権者か

ら非難を受けることをおそれ︑自ら手を汚さないでそれを政府に委ねてやらせたわけである︒議会にとって委任立法

はまさに﹁手ごろな逃げ道﹂であったのである︒

このような理由のために︑戦間期においては関税に関するものを除外しても︑主な完全授権法律だけで十五年間に

十一も制定され︑

りわけ一九三四年から一九四

0

年の

間は

その下で多数のデクレ・ロワが頻発された︒それは例外的現象というよりむしろ原則であった︒

( 3 )  

その半分近くがデクレ・ロワの体制の下にあったのである︒

I. 

/'¥ 

‑ 2 ‑232 (香法'85)

(7)

議会による委任立法の統制(上村)

六 十九世紀後半に確立した議会中心主義の憲法体制に動揺をもたらすこのような委任立法の増大現象を前にして︑当時の憲法学説は歯止めを掛けるために︑﹁授権限定の原則﹂

( p r i n c i p

d e

e   l

a   s c i a l

i t e

d e

  l ' h a b i l i t a t i o n )

が憲法上存

在しているのだと主張した︒それによれば︑授権は限定的︵S

c i a l e )

でなければならず︑一般的な

( g e n e r a l e )

な授

(4 ) 

権はなしえないとされた︒その理由はまず第一に一般的な授権は議会の立法権の内容を空虚にするからであり︑第二

に議会あるいは裁判所による委任立法の統制を実効的にするためである︒したがって︑完全授権法律は政府への授権

期間

( d u r

e e )

︑授権事項

( o b j

e t )

︑デクレ・ロワ制定の目的

( b u t )

のすべてもしくはいずれかを限定することが必要

であったが︑しかし実際問題として授権の限定について﹁不変かつ唯一の基準﹂を設定することは事の性質上不可能

(6 ) 

であるから︑授権が限定されているか否かは結局ケース・バイ・ケースによって決定せざるを得なかったのである︒

議会が当初この授権限定の原則を受容して授権期間を明確に定め︑授権事項を明示し︑デクレ・ロワを一定期間内

に追認︵承諾︶のために議会へ提出することを義務づけ︑政府に授権した事項についての議会自身の立法権を留保す

る等の配慮をしたのは︑議会主義が形骸化することを警戒したからにほかならない︒しかしながらこの授権限定の原

則は︑実際の授権法律によって徐々に破られていった︒まず授権期間については︑次から次へと短い間隔で授権法律

が制定されたため︑期間を限定した意味がなくなってしまったし︑最後には一九三九年十二月八日法によって授権期

間も将来の戦闘行為の終結までという不確定な定め方がなされたのである︒授権の範囲についても︑当初はその事項

を限定するという方法がとられたが︑次第に事項を限定しないようになり︑ついには単に授権の目的を示すにすぎな

(8 ) 

い︑しかもきわめて一般的な文言で目的を示すにすぎないようになったのである︒

こうして頻発されたデクレ・ロワの体制は遂に破局を迎える︒ペタン元師に対して憲法制定権を付与した一九四〇

年七月十日の授権法は︑親である第三共和制そのものに死亡宣告を下してしまったのである︒

5‑2‑233 (香法'85)

(8)

この苦い歴史的経験にかんがみて︑

のみが法律を表決する︒国民議会はこの権利を他に委任することができない︒﹂と規定した︒憲法制定者の立法趣旨が︑

第三共和制下のデクレ・ロワを禁止することにあったということについては学説は一致していた︒

第二次大戦直後のフランスは︑戦間期と同じく相変わらず財政的・経済的・社会的危機の状態にあった︒そのため

議会と政府は憲法十三条の規定があるにもかかわらず︑後述するような様々な方式を編み出して︑実際には数多くの

委任立法を行なってきたのである︒このことは憲法十三条に祇触するのではないかとの疑義が当然のことながら持ち 一九四六年十月二七日の第四共和制憲法は︑その第十三条において︑﹁国民議会

出された︒国務大臣の申請にもとづいてコンセイュ・デタは︑一九五三年二月六日に﹁意見﹂という形式で︑次のよ

うな憲法十三条の公式解釈を打ち出した︒まず第一に第四共和制憲法の制定者たちは第三共和制下の完全授権法律と

それにもとづくデクレ・ロワを禁止したこと︑第二に立法者は法律の所管事項を命令の所管事項に移しかえることを

主権的に決定できるということ︑

ことはできないが︑

しかしながら︑第三に憲法の規定によってあるいは一七八九年の人権宣言および憲

法前文から結果する共和的な憲法上の伝統によって法律に留保された事項が存在し︑それには命令制定権を拡張する

ただ立法者は本質的な規範のみを定めて細部を政府に委ねることは可能であるということ︑第四

に命令制定権の拡張はその一般性

( g e n e r a l i t e )

と曖昧さ

( i m p r e c i s i o n )

によって国民主権の行使を政府に委ねること

( 9 )  

ができない︑ということである︒フランスには一七八九年の人権宣言と第四共和制憲法前文から結果する憲法的伝統・

慣習によって︑法律に留保された事項が存在するとされている︒その内容は人によって若干異なるが︑日平等および

( 1 0 )  

市民の身体の自由︑口課税の適法性︑国商工業の自由︑四市町村の自由︑国財産権への侵害の適法性︑因刑罰および

( 1 1 )  

行政制裁の創設︑囮裁判権の創設等である︒これらについては議会が法律によって本質的な規範を定める必要がある

ことと一般的︑不確定的な委任をすることができないという制約はあるものの︑法律の所管事項を命令の所管事項に

六四

5 ‑ 2 ‑234 (香法'85)

(9)

議会による委任立法の統制(上村)

まず

第一

は︑

いられた授権の方式の主なものは次の三通りである︒

六五

移しかえる︑すなわち非法律化することによって命令制定権の拡張を容認したわけであるから︑実質的にはこの﹁意

見﹂は委任立法を認めたことになる︒

この﹁意見﹂によって委任立法の限界がどれほど明確にされたかはけだし疑問である︒ともあれこのように﹁柔軟

( 1 2 )

1 3 )

 

な解釈﹂をされた憲法十三条でさえ迫りくる委任立法の需要の前には︑所詮﹁木製のサーベル﹂.﹁紙の防壁﹂でしか

なく︑第四共和制の二十二年間には三十七の授権法律が制定され︑厖大な数の委任立法が公布された︒この時代に用

一九四八年八月十七日法の六条・七条によって採用された方式で︑﹁性質上

( p a r n a t u

r e )

命令の性格

をもつ事項﹂という概念を打ち立てて命令事項の領域を拡大するやり方である︒すなわち︑行政改革を目的とするこ

の法律は全文十一ケ条の短い法律であるが︑六条において︑命令の性格をもつ事項において現行法の規定を自由に廃

止し︑修正し︑置き換えるために︑財政・経済大臣と関係大臣の報告にもとづきかつコンセイュ・デタの意見を経た

後に︑閣議のデクレを公布することができる︑と定めている︒それを承けて七条において︑性質上命令の性格をもつ

事項を十一項目の長いリストにして規定している︒このリストに含まれる事項は排他的に命令制定権に属することに

なり︑広範囲の領域にわたって法律を修正する権限が行政権に付与されることになった︒このような方式が用いられ

( 1 4 )  

たのは︑﹁少なくとも公然と憲法十三条に違反することを避けるため﹂であると説明されている︒

この一九四八年法の方式による委任立法については様々な問題がある︒この当時に支配的であった形式的法律概念︑

すなわち議会が所定の形式をふんで制定した規範が法律であり︑その法律の内容となりえない事項はないという原則

と一九四八年法の﹁性質上命令の性格をもつ事項﹂の概念とは矛盾するので︑この区別はほとんどの学説によって支

持されなかった︒また命令事項とされた七条の列挙事項の中には伝統的に議会に留保された事項は含まれていなかっ

5‑2‑235 (香法'85)

(10)

とが義務づけられていたが︑

一九

0

年七月七日法八

0

ー五一四によって︑この特別執行令は﹁コンセイュ・デタを これまでコンセイユ・デタの総会の意見を求めるこ

分か

れた

し ろ

た し

その列挙の仕方も限定的で政府に白紙委任をしているわけではないが︑しかし規定の中味そのものは漠然とし

( 1 5 )  

ていて決して明確であるとはいえなかった︒これに加えて六条と七条にもとづいて発せられるデクレについては期限

の定めもなく︑追認のための議会への提出も義務づけられていなかった︒このような広範な授権は︑前述のコンセイ

( 1 6 )  

ュ・デタの意見のように合憲として容認するものもあったが︑学説のなかには違憲とするものが多かった︒

この六条と七条にもとづいて一九五三年迄に公布されたデクレの数は二六五の多数にのぽったのである︒これ

らのデクレの性格や効力については︑第三共和制下のデクレ・ロワと同じであるとする意見と異なるとする意見とに

第二の委任立法の方式は︑﹁枠組み法﹂または﹁概則だけからなる法律﹂と訳されている

l o i

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r e

である︒この

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の理解については若干の相違があるようであるが︑通常次のように理解されている︒議会は一定の改革のため

の簡潔な立法上の原則のみを定め︑その具体的な実現を政府のデクレーーこれを発展のデクレまたは適用のデクレと

いうーに付与する方式である︒

l o i

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は一般的な原則だけを定めることから︑別名

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  p r i n c i p e と か

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と呼ばれており︑通常法律e

l o i

o r d i n a i r

e とは区別されている︒

この

l o i

c

a d

r e

にもとづく発展のデクレは︑通常の行政立法とは異なる︒第四共和制憲法の第四十七条は︑憲法的伝

統にしたがって︑﹁内閣総理大臣は法律の執行を保障する﹂と規定し︑通常法律の執行態様を定めることを行政立法に

付与している︒また具体的な通常法律が︑﹁この法律を施行するための諸条件は特別執行令

( r

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がこれを定める﹂という規定をおいて︑法律の適用のための条件を定めることを議会が行政立法に義

務づける場合があった︒この特別執行令を制定する手続として︑

六六

いずれに

5‑2 ‑236 (香法'85)

(11)

議会による委任立法の統制(上村)

六七

経るデクレ﹂

( d e c

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に一本化されたので現在は存在しない︒ 

異なって発展のデクレは︑政府に大きな裁量が付与されていることとその制定手続において後述するような議会の関

与が制度化されている点において際立っている︒

l o i ,

a   c

d r

e 方式は通常の授権法律の方式とも異なる︒学説の中には︑議会が立法によって原理的な問題を解決するた

めの規範を定立し︑それを具体化する権限を政府のデクレに委ねるやり方ならば︑それは通常の授権法律の方式と異

( 1 7 )  

ならないとする見解もある︒たしかにそのような類似性は否定されえないし︑発展のデクレ・ロワがデクレ・ロワと

同じく既存の法律を改廃する効力を有する点では同一である︒しかし

l o i ‑

c a d r

は通常の授権法律とは異なるとするe

学説が有力であった︒それらは

l o i

c

a d

r e

方式の特質を何よりも発展のデクレの制定手続に求めている︒通常の授権法

律が既存の法律を改廃する効力をもつデクレの制定を政府に一方的に委ねてしまうという﹁放棄の方法﹂

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d e

 

! ' a b

a n d o

n ) を採用しているのに対し︑

l o i ,

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e の方は︑発展のデクレの制定について議会の関与を認めるという﹁議

会と政府の間の協働の方法﹂

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)

を採用している

( 1 8 )  

点において委任の仕方が異なるのである︒

この

l o i

c

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r e

方式が成功するためには︑後述するように議会内における一定の政党状況を必要条件とすることも

一九五七年八月七日法︑

一致

して

l o i ‑

c a d r

e 方式を採用しているとされているのは︑

一九五八年二月五日法だけである︒これらの法律によって採用された

l o i

c a d r e

方式の合

憲性は︑前述したコンセイュ・デタの意見に照らして承認されたと考えられる︒というのは

l o i

c

a d

r e

は憲法上法律に

( 1 9 )  

留保された事項に関する本質的な規範を定める可能性を立法者に認めているからである︒

さてこの

l o i

c

a d

r e

方式は委任の限界を明確に定めたといいうるであろうか︒もともとこの

l o i ‑

c a d r

e 方式が政府に

法 ︑ 一九五六年六月二十三日あって余り用いられなかった︒ いずれにしろこれらの行政立法と

5‑2‑237 (香法'85)

(12)

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(13)

議会による委任立法の統制(上村)

この法律は委任の限界を明確に定めているといいうるであろうか︒政府への権限の授与は相対的に厳格な方式でな

( 2 6 )  

されていると評されているものの︑委任の限界を越えたか否かの判定は確実に困難を惹き起こすといわれている︒と

いうのはデクレの内容が法律に留保された領域に侵入していないかどうかそして七条に列挙された特殊なカテゴリー

( 2 7 )  

の中に包摂されるのか否かをデクレの制定者や裁判官らが審査しなければならないが︑それは容易でないからである︒

委任立法を明示的に禁止した第四共和制憲法とは対照的に︑第五共和制憲法は三十八条において委任立法を制度化

( 2 8 )  

し︑その要件について次のように定めている︒

﹁︵一項︶政府は︑その綱領︵プログラム︶の実施のために︑

する措置をオルドナンスにより定めることの承認を国会に求めることができる︒

ス は

コンセイユ・デタの意見をきいたのちに︑閣議において定められる︒オルドナン

その公示後ただちに効力を生ずる︒ただし︑追認の法律案が授権法律によって定められる日以前に国会に提出

︵三項︶本条一項に掲げられる期間の満了後は︑法律の所管に属する事項については︑法律によってでなければもは

三十八条には新しくオルドナンスという言葉が用いられているが︑このオルドナンスという用語はド・ゴールの愛

用したもので︑

ゴーリズムと密接不可分の関係にありゴーリズムの権力観念を表わす言葉なのである︒すなわち︑

れは憲法による授権︑議会による授権あるいは人民による授権にもとづいて︑法律事項に介入して法律を改廃するこ

( 2 9 )  

の政治的意見を実際に反映する措置であるということができようとのできる行為であり︑元首︵ド・ゴール︶

この三十八条の規定は第三•第四共和制下のデクレ・ロワを憲法規範化したものであるが、 や変更されることができない︒﹂ されない場合には︑このオルドナンスは失効する︒ ︵二項︶それらのオルドナンスは︑

六九

オルドナンスという観 一定の期間につき︑通常において法律の所管事項に属

5‑2‑239 (香法'85)

(14)

( 3 0 )  

念が用いられていることに象徴的に示されているように︑次の三つの重要な点において異なる︒まず第一に︑デクレ・

よびデクレに署名する﹂と規定されているが︑ ロワの場合には閣議すなわち実質的には首相に決定権があったのに対し︑オルドナンスの場合にはそれに署名する大統領に決定権があることになった︒憲法十三条一項には︑﹁共和国大統領は︑閣議において議決されたオルドナンスお

このオルドナンスヘの署名権は当初は名目的・形式的な権限であると

考えられていた︒しかし三十八条にもとづく最初の授権法律である一九六

0

年二月四日法以来︑これは実質的な権限

( 3 1 )  

を意味するものとされてきた︒第二に︑授権は︑第四共和制の後半期と同じように︑特定の政府だけに付与され︑政

府が交代した場合には授権は無効となる︒このことは三十八条に明示されていないが︑﹁政府は︑その綱領︵プログラ

( 3 2 )  

ム︶の実施のために﹂という文言から導き出されるからである︒というのは憲法四十九条一項に規定されているように︑

政府が事前に綱領を作成しそれが国民議会によって承認されたということが︑三十八条にもとづいてオルドナンスを

発する前提になっているからである︒第三は︑議会は授権期間中は政府に授権した立法事項には介入できないことで

( 3 3 )  

ある︒もし介入した場合には︑憲法四十一条の規定にもとづいて政府は不受理をもって対抗することができる︒デク

レ・ロワの場合には︑たとえ授権期間中であっても授権した事項に介入できたのであるが︑それに比して議会の権限

は大幅に後退しているといえる︒これをドイツ風に表現すれば︑﹁保留的な

(k

o n s e r v i e r e n d

e ) な委任﹂ではなく︑﹁委

d e l a i   l i m i t e )

と明文で定められている︒ 譲的な

( d e v o l v i e r e n

d e )

委任﹂といえよう︒

次に三十八条の定める委任の要件について述べる︒まず授権の期間については︑﹁一定の期間につき﹂

一九五八年の第五共和制憲法の制定以来今日までの二十七年間に十五の授権

法律が制定されたが︑そのうち十一は一定の年月日までという期限を定め︑残りの四は一年︑

という期間を定めている︒ 四ヶ月あるいは一ヶ月

七〇

︵ 宮

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5‑2 ‑240 (香法'85)

(15)

議会による委任立法の統制(上村)

最も重要なのは授権事項の限定であるが︑これについて三十八条は﹁その綱領︵プログラム︶

の実施のため﹂とい

う要件しか課していない︒これは後述するボン基本法の八十条やイタリア憲法七十六条の﹁立法作用の行使は︑指導

的な原則および標識が定められていなければ︑しかも︑限られた期間および特定された目的についてでなければ︑政

府に委任することができない﹂という規定に比して︑余りにも簡潔すぎる︒そのために憲法上認められた授権事項を

積極的に定義することは著しく困難である︒ただ支配的な見解によれば︑消極的には憲法改正︑組織法律の領域に属

( 3 4 )  

する事項および国際条約の批準の三つの領域は授権事項から排除される︒もとよりそれ以外のあらゆる事項を委任し

うるわけではない︒三十八条は︑﹁その綱領の実施のために通常において法律の所管事項に属する措置﹂と定めている

••

3 5 )

 

のであって︑あらゆる措置をとりうると定めているわけではないからである︒また憲法三条一項は︑﹁国の主権は︑人

民に属し︑人民はその代表者によって︑それを行使する﹂と定めているので︑余りにも広範な授権はこの規定に違反

すると解される︒同じことだがコンセイユ・デタの一九五三年の意見の中で述べられている授権の明確性と個別性の

( 3 6 )  

要件は︑第五共和制憲法下でも有効である︒

授権事項の限定について積極的な主張を展開している人は少ない︒ただボン基本法八十条との比較研究の成果にも

とづいて︑﹁綱領︵プログラム︶の実施のために﹂というのはボン基本法八十条の﹁あたえられた権限の内容︑目的お

( 3 7 )  

よび程度﹂の明確性と同義であると解して︑授権の限界は授権法律によって追求される目標

( o b j e c t i f s )

のなかに︑あ

( 3 8 )  

るいはオルドナンスが制定される目標のなかにあると主張する人もいる︒いずれにしろ授権の限界は明確にされてい

( 3 9 )  

るとはいえないので︑それを画定する法律家の仕事は非常に複雑であるとまで評されている︒

( 4 0 )  

次に三十八条にもとづいて制定された授権法律とオルドナンスの実際について簡単に言及する︒

第五共和制下の最初の授権法律である一九六

0

年二月四日法は︑アルジェリア問題に関連してド・ゴール大統領の

5‑2‑241 (香法'85)

(16)

緊急命令権として用いられた︒ド・ゴール︑ポンピドウ︑ジスカール・デスタンの保守政権下における授権法律の残

余の大部分は︑海外領土あるいはヨーロッパ共同体に関するもので︑議会における混乱を避け国内法との調整をはか

るという技術的な理由のために用いられた︒ただ一九六七年六月二十二日法は例外的に﹁政治的理由﹂のために用い

られたとされている︒この法律は社会保障の改革に関するものであったが︑改革の内容が国民に不評なので議会内の

与党が支持せずその結果法律案が成立しないことが予測されたので︑

( 4 1 )  

って実現することを企図したのである︒

保守政権下のこれら十三の授権法律は︑﹁達成すべき目的あるいはとるべき措置の範囲を制限﹂しているものの︑

( 4 2 )  

ルドナンスが法律領域全体に介入することができるようになっているのが特色である︒

一九八一年五月にミッテラン社会党政権が成立して以来︑この三十八条は二度用いられた︒一度目は一九八二年 それを回避して改革の実質をオルドナンスによ

月六日法である︒この法律は︑ミッテラン政権が雇用情勢および労働者の生活条件の改良に関するプログラムを実施

( 4 3 )  

するために︑政府に一定の措置をとる権限を付与している︒この法律の特色は授権事項に番号をつけて明示している

ことである︒その中には一週三十五時間の労働時間︑年間五週の有給休暇︑六

0

オの停年および年金支給などの政策

( 4 4 )  

の目標が掲げられている︒なおこの法律には﹁方向づけの法律﹂

( L o i d ' o r i e n t a t i o n )

というタイトルがつけられてい

( 4 5 )  

るが︑単なる授権法律と解すべきであろう︒二度目は一九八三年四月二十二日法で︑様々な財政上の措置をとること

を政府に授権しているが︑授権事項には同じく番号をつけて明示しているのが特徴的である︒

これまで二十七年の間に三十八条にもとづく授権法律の数は十五︑そのうち保守政権下では十三︑公布されたオル

ドナンスの数は九十一︑オルドナンスが全く公布されなかった授権法律は四つある︒この数字を一九二四年以降の第

三共和制と第四共和制下の委任立法の数に比較すると圧倒的に少ないといえる。それは第一―-•第四共和制下でデクレ・

5‑2 ‑242 (香法'85)

(17)

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(‑)翠口室l『丑溢嗣坦・洛口逃』

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(""1')~ 活出「iトヽ入・ロド以0.::ド」丑溢坦裁詣ll配ぐ―l臣や直゜

(ir:,) *翫・i忌翌攣111ば臣一111ばばロ゜

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活・i忌喪漉‑P<1配<直゜

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(00)~ffi・塩翠縄以111]‑¥]寓'*翫・i忌喪攣11]ば拉直'皿活・i忌寂攣1111<直゜

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(18)

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(~) ::‑‑‑谷Hロ・i忌完鬱Kil菰゜

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ぼ)i卜~~・ロぃ如語{赳ヤ姐忌旦叡詞lS縣叡店賑国如栄◎心J刈如聡採ヤi‑0Q芯抵臣#忘再)L-Qi卜~~・ロl>Q淀叫や~i-0

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ど゜Soubeyrol,ibid., p. 105. 

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(芯)Donnedieu de Vabres, ibid., pp. 139‑140. 

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(g) Duverger, ibid., pp. 220‑221, Hauriou et Gicquel, Droit constitutionnel et institutions politiques, 7ed., p. 1024. 

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Melanges Maury, tome II, p. 212. 

(斜)回十兵~1寄竺'「筵囲+<lill竺'

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(笞)回+1~1寄ざ「囲俎癒寓翠壬0坦赳條悩ど竺掌国帳芯迅赳S~llll誓寄旦匿初~, 翌癒S描癒00心/囲出癌ぐ記」沿こ¥J'S謳姪1'1l+.:! 豆密~[I~0やさl峯祖絣~Q甜計吾け」巨

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(19)

議会による委任立法の統制(上村)

七五

( 4 5 )

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(46)M・ヴェイユ•R・ヴェイユ、稲本・田畑編訳『現代法とマルクス主義』二五七頁以下は、「非法律化」(delegalisation)

概念を用いてフランスの現代法を解明しているが︑国会から政府へと規範制定権限の行使が移動することから次のことが導き出

されるとしている︒

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政府にとっては︑もっとも従順な議会内多数派による場合でさえ︑ただひとつの法律を採択させるよりも一千のデクレを発

することのほうが︑より容易であるということ︒これが法文の異常な増大のひとつのファクターである︒

②世論は︑法律よりもデクレによってとられる措置の採択を阻止することのほうが︑はるかに困難である︒

③デクレは︑その作成者が適用可能性について行なう賭けに依拠しているかぎり︑その主意主義と主観主義のゆえに︑状況追

随的で場当り的で向うみずな法であり︑他方︑必要がある場合には︑別のデクレによってつぶすことができる法である︒このこと

は︑その異常な増大をさらにおし進めることになる︒﹂ ̀ 4 

することが立法手続中に明らかとなった場合︑政府は不受理をもって対抗することができる﹂と定めている︒

( 3 4 )

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( 3 5 )

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( 3 6 )

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( 3 7 )

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( 3 8 )

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( 3 9 )

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( 4 0 )

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H載されている︒

( 4 1 )

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52 2.  

( 4 3 )

岩本勲

rフランス社会党政権の転換点﹄六

0

頁以下参照︒

( 4 4 )

この訳は︑稲本洋之助他﹁フランスの政策基本法﹂法律時報四五巻七号七

0

頁による︒リヴェロ・前掲書は﹁指針的法律﹂と訳し

5‑2‑245 (香法'85)

(20)

法規命令を必要とする︒﹂

ボン基本法は︑

一項において次のように定めている︒

﹁法律により︑連邦政府︑連邦大臣︑またはラントの政府は︑法規命令を発布する権限をあたえられることができる︒

この場合︑あたえられた権限の内容︑目的および程度は︑その法律のなかに規定されなければならない︒命令には︑

その法的根拠を示さなければならない︒法律が権限をさらに譲渡しうる旨を規定しているときは︑権限の譲渡には︑

ボン基本法下における委任の限界について︑

彼は委任の限界を﹁構造的な限界﹂と﹁倫理的・政治的限界﹂に分ける︒前者の構造的な限界には二種あり︑

第一はいわば内在的な種類のものである︒立法機関はその権限を全体としてあるいは本質的部分を委任することはで

きない︒また法律変更命令や法律代位命令を制定する権限の委任は︑八十条一項が法規命令

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う概念を用いていることおよび八十条の立法趣旨からも認められない︒第二の限界は実定法上︑すなわち間接的に憲

法典の上に根拠づけられているものである︒ボン基本法二十九条七項や四十一条三項のように︑﹁詳細は︑連邦法律で

これを定める﹂という規定がおかれている場合には︑その事項の規制は法律に留保されているのであるから︑この権

限の委任は許されない︒第二の倫理的・政治的限界というのは︑客観的な正義とか憲法に規定されている法治国原理

のような国家の憲法的基礎をなしているものである︒特に立法機関と行政機関の権限分配にとって規準ともなるべき

権力分立︑法律の優位︑立法機関の権限上の優位といった法治国家的組織原理が重要である︒八十条一項の授権の要

件は︑これらの原理に服しなければならないと︑クラインは主張する︒

口 西 ド イ ツ

(l ) 

ワイマール憲法と第三帝国の下における授権法体制に対する回答として委任立法の要件を︑

(2 ) 

クラインは次のように述べている︒

七六

八十条

その

5‑2 ‑246 (香法'85)

参照

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