ATP 合成酵素のγの回転と ATP の着脱の同時観察
物理学専攻 宗行研究室
森脇 啓介
1. 序章
生物は、環境からエネルギー物質アデノシン三リン酸(ATP)を合成し、そのエネルギー を用いて生活、成長している。
ATPを合成する酵素をATP合成酵素といい、そのひとつにF型ATP合成酵素がある。
F型ATP合成酵素はミトコンドリアの膜などに内在し、H+の濃度勾配に従ったH+輸送に 共役してATPを合成する。
その構造は膜に内在するFo部と膜に表在するF1部からなり、Fo部分は回転するローター 部分と回転しない固定子部分に分かれ、これらの間に H+輸送のための通り道がある。一方 F1部分はATP合成の触媒部分で、5種類のサブユニットがα3β3γ1δ1ε1という複雑な構成で 組みあがっている。F1は水溶性の蛋白質としてFoから簡単に外すことが可能で、F1だけでATP の分解活性があり、F1-ATPaseともいわれる。
F1-ATPaseには3ヵ所ヌクレオチドが結合する触媒部位があり、それらは各3つあるα、β サブユニットの間、主にβサブユニットに位置している。F1は触媒部位でATPをADPとリン 酸に加水分解しながら、γが回転すると考えられていた。
1997年、日本の野地・安田らがFOF1のα3β3γ(以後これをF1と呼ぶ。)を顕微鏡で観察し、蛍光アクチン繊維を 回っていると思われるγサブユニットにくっつけるという手法により実験で初めて回転を観ることに成功した。
以後F1-ATPaseは回転分子モーターとして広く知られ、そのメカニズムを解き明かすべく数多くの研究がなされて
いる。
宗行研究室では F1γの回転観察はポリスチレンのビーズを用い て行っている。
ATPが存在する溶液中でF1はATPを加水分解し、γがγ側か ら見て反時計回りに回転する。
ATP濃度が低い溶液中では、γは120°ごとにステップするような回転運動を 示す。ATP濃度に依存するこの120度ごとの停止は、F1の触媒部位にATPがく るための待ち時間と考えられている。ATPが低濃度の条件で観察した結果は右のグ ラフのようになる。
下に示したのは、現在までに明らかになっている、ATPを加水分解し、γが360°
回転する過程でF1がとる状態の一部を図で示したものである。
γが120°回転する間のおおまかな過程は、まず空いている触媒部位
にATPが結合し、次に他の触媒部位からADPが離れ、その後もう 一つの触媒部位のATPが加水分解されてADPになる、という流れ である。ATPが低濃度だと、なかなかATPが触媒部位に来ないので、
γの回転が停止し、120°ごとにstepするように観察される。
上に示した、γが回転する際にF1がとる過程は様々な先行実験によって明らかにされてきた。
2004年に西坂博士(現在 学習院大学教授)らは、F1ATPaseについたATPはγが240°
回転したのち離れる、ということを明らかにした[文末、参考引用文献]。この研究では、
F1γの回転を落射光で観察し、同時にCy3という蛍光色素をラベルしたATPの蛍光観 察を行った。この研究によって、加水分解方向にγが240°回転する間、ATPはF1に 結合している、ということが明らかになった。右下の図はF1のγにつけたビーズと
Cy3ATPの蛍光を同時に観察した時間変化である。上側がγに結合させたビーズを観察
した様子で、下側がCy3の蛍光を観察して Cy3ATPの脱着を判断している様子である。
γが2stepする間、Cy3の蛍光が観察され ていることが分かる。
生体内でF1はFOF1の形でミトコンドリア膜に内在し、ATPを合成しているが、このとき、
F1γはFoの駆動力によって、加水分解時とは逆向きに回転させられていると考えられて いる。
私の所属する研究室では、回転電場技術を用いてF1γにつけたビーズにトルクをかけ、
120°stepしながら加水分解方向とは逆向き(以後、合成方向とする)に回転させるこ
とに成功している。回転電場技術とは、4つの電極に90度ずつ異なる位相の電位をか け、電極中心付近の誘電体に一定のトルクをかける技術である。回転電場によってビー ズにトルクをかけ、合成方向に回転させた結果のグラフは右の様になる。
磁気ピンセットという磁力でビーズを操る技術を用いてγを合成方向に回した時に ATPが合成されているということを明らかにした研究結果がある。
2. 目的
F1は生体内でFOF1 ATP合成酵素の形で存在している。よって、合成方向に回転しているF1がATPをどのように合 成しているのかを調べることはとても意義のあることである。
そこで、回転電場によってATP合成方向に回転させたγとCy3ラベルしたヌクレオチド(ATPやADP)の着脱を 同時に観察し、γの角度とヌクレオチドの着脱の関係を明らかにすることにより、F1がATPを合成する仕組みの手掛 かりを得ることを目的とした。
この目的のためにまず、Cy3蛍光色素を観察できる環境の構築をし、その後、F1のγの回転とCy3ATPの同時観察 を行った。
3. 方法
微小なATPを光学顕微鏡で観察するために、Cy3蛍光色素をラベルしたCy3-ATPを用いた。
Cy3 蛍光色素の蛍光強度は非常に微弱であり、通常の蛍光観察 では、一分子の着脱を観察することは難しい。そこで、TIRF観察 を用いた観察方法を当研究室にも導入した。
TIRFMとはtotal internal reflection fluorescence microscopy の略で、全反射蛍光顕微鏡という意味である。TIRF観察は光が全 反射した際に生じるevanescent fieldを用いて対象を励起し、観察 する方法である。そのイメージ図を下に示した。Evanescent field は境界面より100nm程度の領域のみを励起する。つまり目的であ るF1付近のCy3だけを選択的に励起することができるため、背景 光を大きく抑えることができる(コントラストが上がる)。
下に示した写真は、実際に私が構築したTIRF観察用の光学系である。
F1の回転とCy3ATPの着脱を同時に同じ場所を 同じカメラで観察するための光学系を組み立てた。
右に同時観察光学系の概要を示した。
励起光は532nmのNd-YAG LASERを用い、Cy3 の蛍光は570nm付近の光で、F1の回転観察用の落 射光は695nm 以上の光を用いた。これらの光をダ イクロイックミラーで分離し、カメラの異なる部分 に導くことによって、同視野を同時に観察した。
0 30 60 90 120 150 180 8500
9000 9500 10000 10500 11000 11500 12000
12500 18
16 14 12 10 8 6 4 2 0
Rotations
Intensity
time(sec)
Rotation and Intensity (Hydrolyze derection)
Pink: Raw data Red: smoothed(10point)
2 4 6 8 10 12
8500 9000 9500 10000 10500 11000 11500 12000
12500 2
1
0
-1
Rotations
Intensity
time(sec)
Pink: Raw data Red: smoothed(10point)
0 30 60 90 120 150 180
9500 10000 10500 11000 11500 12000 12500 13000
-120 -100 -80 -60 -40 -20 0 20
Rotations
Intensity
time(sec)
Rotation and Intensity (synthetic derection)
Pink: Raw data
Red: smoothed(10point) forced
100 110 120
9500 10000 10500 11000 11500 12000 12500 13000
-85 -84 -83 -82 -81 -80 -79 -78 -77 -76 -75
Rotations
Intensity
time(sec)
Pink: Raw data Red: smoothed(10point)
4. 結果
まずは先行研究の追試実験を行った。
ATPを加水分解しながら(分解方向に)回転するγとCy3ATPの着脱を同時に観察した。
右に示した画像は、同時に同じ場所のF1のγの回転とCy3ATPの蛍光を 観察した様子である。
結果、F1γが240°回転する間、Cy3ATPがF1についているという結果 を示すデータを何例か得る事が出来た。
青線がF1γの回転角度で、ピンク線がF1と同じ視野のCy3観察側の光の 強度の変化である。赤線は、Cy3観察側の光の強度の変化を隣接5点での 移動平均をしたものである。
このデータでは5~10秒の間に2回光強度の増大している部分が見られ、
それらとγの2step(240°回転)が同期している。これは2004年に西 坂博士の示した結果と一致している。これにより、Cy3一分子の観察が出 来ているということも確認できた。
しかし、同じような光の強度の増大を示している部分が他にもあるので 精度を上げるためには、条件を検討し再実験をする必要がある。
次に回転電場によって合成方向に回転しているγとCy3の着脱を同時 に観察した。合成方向なのでCy3ADPがF1につくことが期待されるが、
Cy3ADPが手元になかったので、Cy3ATPを用い、F1によって加水分解 されて生成されたCy3ADPが溶液中にあることを期待して実験を行った。
結果の一例を右に示した。グラフ下に示した緑線の範囲で合成方向にトルク をかけ、γを合成方向に回転させた。
得られたデータからは、γの回転角度とCy3 の着脱には再現性が見られな かった。ここに示したデータではCy3が付いている間γは3回転ほど回 り、γの角度が変わっていないときにCy3が離れている(離れたのでは なく、蛍光色素が消光した可能性もある)。まだデータの数が尐ないので、
なんとも言えない。観察しているF1のごく近傍にCy3がつき、観察してい るF1とは関係のないノイズが入り込んでいる可能性もある。
5. まとめと展望
Cy3ATPの着脱の判別が出来るような観察系は構築できた。
また、回転電場を用いてγに結合させたビーズを合成方向に回転させるこ ともできた。合成方向回転時の実験の条件を検討し、実験の精度を上げる ことによって、合成方向のADP、ATPの着脱とγの回転角度の関係性が 明らかになると考えられる。
6. 参考引用文献
主に以下の文献を参考にした。
Takayuki Nishizaka, et.al (2004) Nature structural & molecular biology volume11 number2 pp.142-148
ATP分解方向
ATP合成方向