史︑ 料
塩 製 秘 録 巻七 ︵巻七・巻八は毛利家文輯中より発見されたるもの︶
塩浜業間に応じ周防浜の振分を以て答の革 ︵閏苓莞言︶
問て日塩民塩を製する道神代より伝へしや神武以来の事なりや
答て日蟻製の事始神番にいかん浜方にてハ神の教へなりとす
聞 流れを汲て其本源を知ると我か家業の発りを知らすんハ道に疎しと云へき也
答 海遠く隔りし都の国々ね潮運ひしなといふ事のあらされは神武よりして今の坂浜伝ハりしとする事塩場に立る所也
問 奥州千資の塩竃塩浜の始なりと小ふこといかん トホルオトド 答 何故千資を始とせんやむかし融の大臣陸奥千賀の塩電を都河原の院へ移させ藻塩やく購の平業を見玉ふなと是ハ大
臣の千賀の風景を恭ハせ給ひしなるペし何とて千賀を塩かまの始めとせんや
間 国々塙を製する秘事ありや
三浦源蔵遺稿﹃塩製秘録h
三浦源歳遺稿﹃逢製秘録﹄
︵五二三︶ 六五
答 潮を煎し塩となる是製の根元也然りといへとも潮を釜紅入煎したるの︑\\にてハ塩何はとも止まらす塞転より製秘を工 ハ︻・ 夫し浜妙にしはつけ重して其垂汐を焼塩多し是を往古才揚浜法といふ
阻 揚浜の仕やういかん
答 粉浜と云ハ満汐の湛へきわ磯なり干除たる跡ハ潟なり潟の上浪た1.へさる巻上ケ砂の所を浜といふ此浜砂をならし潮
ソソギ を荷ひ洒きかけかきさかし日乾さらし垢つく砂をかき集メぬい軋入佃臥篭潮をかけ重し其垂汐釜に入塩に焼是を往古より
伝ふる粉浜と云也
間 国々製し方違ありや
答 釜あり塩竃あり揚浜あり入浜あり
間 釜と塩竃とハいかん
答 釜ほ鋳物なり塩竃ほ石と灰にて造りたるかまなり此塩竃墟の留り尤多し依て釜ハ不用塩篭を用る国専多し
問 入浜といふ尊いかん
答 入浜といふハ汐の干潟に堤を築堤内の浜に溝を構へ満汐にハ潮を常に湛へさせ上ハ妙に垂らさるほとにして浜底に融
通させ上へなる砂をかきさらし日にさらせハ砂の乾くに随ひ底の汐を吸上け上砂に汐つくる法なり砂を集めて汐垂す事ハ
揚浜も同しことなり打汐にて妙に汐つくるに遵ひて吸上けさせ汐つくるにより湯贋よりハ能汐つくにより垂汐濃く塩の出
来増格別なり是を後世の入浜といふ
問 入浜いつの頃より何国にて始めしや
答 寛永年中丸旨弐百余年世中静誰になりて瀬戸内にてハ上¢御開作百姓町人の開作彩しく出来立て塩浜多軒となる此御
より始りしも何国を始めとする事なし
間 瀬戸内といふハ何国メ何国迄の海上なるや 第三十一巻 第五号 ︵五二四︶ 六六
答 長門より和泉大坂の浦迄百四拾壁の沖に淡路嶋四国九州あり其内海なるにより瀬戸内といふなるへし
問.瀬戸内の︑︑\何故塩浜多軒なりや
答 俗に云彼広海といふハ潮の満干少し其上常に高波打によりて開作なりかたし瀬戸内ハ沖に瀬戸とて海上の関所あるに
より津浪なといふ高汐滞る串柿にして大浜うたす又汐の満干丈余に及ふ依て干潟ある紅より海関作なる垂戸内塩浜多軒な
hソ
間 瀬戸内塩浜ある国々は
答 阿改讃岐伊予播磨備前備中備後安芸周防長門拾ケ国なり
問 諸国匿おいて塩浜ある国々は
答 東海道にて上総東山道にて陸奥北陸道妃て越前能登佐渡山陰道にて丹後舛い南海道にて紀伊淡路阿波讃岐山陽道にて
播磨美作備前備中備後安芸周防長門西海道にて豊後豊前筑前肥前日向大隅薩摩凡弐拾五ケ国程なり
問 塩浜壱軒といふ町数極る所ありや
答 町数極りなし阿波の国壱軒弐町三町余もあるよし周防壱町五反A弐町三町迄あり其外諸国ハ壱町方壱町四五反位の事
と云へし
画 諸国塩浜壱ケ年何程出来立事哉
答 五百万石とし四百弐拾五万右とし︑︑︑な大旨にして其極る所なし
問ノ 五百万石として瀬戸内にて何程出来立ものなりや
答 五百万石とする時ハ瀬戸内四百五拾万石諸国五拾万石とす
間 墟五百万石にて壱ケ国用塩何程む当る哉
答 日本六拾八州列に蝦夷竜宮城ともに七拾州配当国の大小平均壱ケ国七万千四百弐拾八石五斗七升壱合に当る也
三浦源蔵遺稿﹃鴇製秘銀﹄ ︵五二五︶ 六七
問 竃宮奴へ塩の配当とハいかん
答 海川へ捻る塊竜宮城へ納るなり
問 壱ケ国七万石当り大国へハ入増あるへし然ハ小国は何はとの塩も入へからす
答 江戸大坂余分塩入津す是又江戸の用塩のミならす大坂用塩而巳ならす隣国へ道贈す又小国にても塩余分入津の場あり
其国の用塩の︑︑︑ならす近国へ運贈する事なり又小国なりといへとも塩下直なる国ハ余分用ひ大国なりといへとも塩至て高
直の国ハ余分用る事ならすして見塩とて臍の端に置見てすますなと咄しありよつて大国といへとも余分用るにもあらす
問 塩浜壱軒壱ケ年薪代其高何程なりや
答 薪極る所なし上方の浜ハ年中日持なるにより出来塙多し塩焚日数も二百日余なるへし則臼二枚木千葉焚にて銀三拾目
より三拾四五匁二宵闇分銀六七貫目なるへし防州の浜ハ休浜あり塩焼日数百四十日より五十日なり石炭焚にて一日仙夜拾
八匁方式拾屈百四十日分銀弐貫八百目右ほ大旨なり
問 石炭焚木焚より勝手なら︵何故上方浜にハ是を用ひさるや
谷 木千葉焚の塩竃と石山灰焚の領は仕立相違あり木焚の竃にてハ石炭ほたかれす石炭ハ九州の国産筑前炭朝出帆して日の
中に周防へハ入津する寧あり依て西国浜にては強て闘炭なくても不自由なし員焚とて入用次第′に買得なる事也叉石炭上下
数品あり西国にてハ能見分け悪炭を求めす直段買損しなし上方浜遠く隔り船賃の違ひあり其上炭の善悪見へ兼兎角不貞在
にて勝手ならさるゆへ石炭な用ひぬかと見へし事なり
間 石炭ある国々は
谷 島州にて船木御審判宇部藤曲り有帆妻崎より出る極上炭少し九州にてハ︑豊前筑前筑後肥後上炭多し
問 周防にては山切木焚せさるや
答 電代替木千葉焚なり天明年中より石炭焚はしまる也 第三十一巻 第五官 ︵五二六︶ 六八
間 石炭焚何国にて焚始めしや
答 石炭ある国々にてほ後盲点内焚に用ひ乗り場浜に焚ほしめしハ筑前艶崎紅・ほしむ 三田尻東須賀忠左衛門といふ老筑
前に下り是を習ひ帰国して膏江浜にて是を始め大名二田尻浜忠左衛門を師としてはしめし笹木焚より勝手よき故惣浜石炭
焚虹なりしハ寛政年中より専となりしなり忠左衛門刷代弐人欣持をあたへしなり
問 石炭常︑の石のやうなりや色ハいかん
答 色ほ黒く日向炭のやうなり
問 山にありや田地の底にありや又ハうえに顧ハれあることにや
谷 田畠の底あり或ハ山底にあり或ハ海辺川辺にもあり上鱒あらハれたる所あり至て底深き所あり其究る事なししかし滑
山杯穿つやうに掘取にハあらす底炭といふは戎ハ山戎ハ田畠の底にて其つるを見立て井を掘やう鱒電文も其余もはりさか
り炭に掘付て見るに炭の厚サ或ハ弐尺戎ハ三尺四尺五尺と違ひあり其上へ下タハ士なり横に穿取にハ石炭を柱に残し横は
り・に掘出す事にて六ツケ敷業なり山よりハ津端二出し或ハ所紅よ√り川舟に出し元船へ積入硯海を凌き入津するなり
問 石炭直段の立かたハ
答 三田尻ね入津水上直段壱振噂相貫代九拾文百文或ハ百弐避ニ†由十五十父上中下直段違あり
問 石炭掘跡へ又出来韮や
谷 大竹と違ひ再ひ生するものに非何れ尽る期あるへし西国浜壱ケ年焚とても容易ならさる振数なり
田中藤六の遺訓に当時瀬戸内墟浜弐千五百軒として晩秋より早春迄日弱く塩付よからさる時候浜業をして薄水を取入焼立
る塩ハ仕入損あり其塩にて相場下態となる能考へし叉右焼立の薪の代軒別壱賞目とするに弐千五百貫目なり大きなる費な
り浜カのミの損失ならす瀬戸内墟浜の外にて薪買得の搬儀となる事なり能々分別して塩付容赦時候休浜をして諸国用塩不
足するにあらす又新たに田地を開く紅ハ用水の手を先に工夫して田地ハ渇くなり国に塩浜あり国に手当テの薪山なくてハ
三浦源蔵遺稿﹃塩製秘録﹄
払
︵五七︶ 六九
田地に用水の乏しきに同し自他国共粒浜雪国ニハ申立て海辺鴨々にて野山をねかひ塙浜の薪山として松の竪琴した
き挙なり後年必鯨浜薪に難儀すへし遠き慮りなき時ハ必近き憂あり海辺の野山を申請て松番を植守りを付置国々塩浜薪の
手当テしたしとの欲なり 問 西国の塩浜休浜迎冬春家業を休む事何故なりや 谷弐百年裟追々瀬戸内塩浜多軒と成ぬ御治貰百余年民讐増人も余分殖しと見へしか塩の出来増こと是に過たるに や諸国中買の手元に塩の適期なく塩場紅塩の切る期なき澄段→直となり仕入損雑用ハ年々入増不勘定なる賢り塩付よ
からぬ冬春家業を休めハ塩の出来高も少し減少し冬春の滞水仕入損の薪代を滅し彼是利方有へしと明和年中三田尻浜田中
藤六と云人此法を始めしに其年才勘定よくなり夫点して家業相続退転なし 問 巷持とて現土地半方宛二日に持悩する事いかなる利方ありや 答替持の事是亦塩少し減少の方にて第劃仕入方の雑壁賢なきやう警能心の至る敏也讐警て設けんとはかり恩ハす
損すまし与簡を付て仕入方の警ならさるを設与るの見付是又藤六粉骨の工夫なり家業相続の根琴能心得れハ盤製
の秘事自然と心得るなり 間休浜する国々ハ 答安芸備後伊予三ク国二月十六最付九月十雷持止七ケ月慧ケ月休浜也防長両国ハ三最付八月持止賢六夕月休
浜なり但周防諸浜休月不同小割あり略之
間 塩浜より上吟貢諸国一統其極りありや
答′国正より塩売立俵別御運上の所あり防長ハ浜土地の石貫召上らる1により私道上の事なし
間御上納御庄屋取立なるよし然るに浜掛り地→役人井役者多人数ある事何故なるそ 答塩ハ完国交易の革なる賢り他国人取引物替商ひに付万感心得たる人直立といふあり年寄役ハ其頭役賢て商売向
第三十一巻 第五号 ︵五二八︶ 七〇聞役なり大年寄の役ハ周防にてハ三田尻浜計にあり往古ほ浜方大年寄ハなかりしか明和年中の塩浜大飢饉を休浜さやし番
持の法を献し直に塩浜成り立し功に依り田中藤六大年寄の初役目を蒙り体験規定筋塩浜成立の仕組山通御任せなり大年寄
ハ其御役目筋を連綿せるものなり大年寄小年寄直立会所人塩問屋共万事能心得されハ他国へ対し恥へき事なり塩ほ売物に
て他国廻船恭ひ来らされハ不繁昌となる畳て問来るやうに正直を第一とすへき寧なり
問 釜屋塩立塩古積塩差別いかん
答 昨日焼たる嵐今日釜屋にて俵仕立テするを釜屋塩といふ買船なき時ハ蔵入するなり
一応蔵入したるを立塩といふ離禁錆鑓軋が璃又年内焼立越年したるを春になりて古積塩といふ寒中に余程欠たつ
なり直段も釜屋腹立塩弐斗違ひ釜屋塩古墳塩五斗開き年に依り三斗違の事あり大鉢相場ハ釜屋塩の直段なり
問 塩直段立かたハ
答 上方浜ハ俵にて何匁何分何度と定む周防ハ銀百目二付八石或ハ拾石戎バ拾弐石五斗なとゝするなり
問 問屋口銭ハ
谷 口鎖国々遍あり文代呂物紅依り違ひあり周防塩口鏑ハ買方A銀目三歩調朋編
問 浜仕入用物買入の口銭ハ
答 積来る船より売口船を出す是叉代呂物紅より違ひあり
間 浜.一軒に浜子何人拘るや
答 壱町五反浜当時替特にてハ日々仕役五人懸りなり浜子年中雇の分四人釜焚ハ弐人にて昼夜替りなり一年間雇屠への日
雇也寄竺一天女なり大小の浜人懸万端壱町五反の割合なり
間 周防壱町五反浜のほま形りほ
答 勧閃作沖堤ハ大旨根すへ弐拾間も有へく誠に山のことし入川堤は大旨七八間あり堤際より屋敷叉七八間夫A悪水除ケ
三浦源蔵遺稿﹃墟製秘録﹄ ︵五二九︶ 七一
︵五三〇︶ 七二 第三十一巻 第五号
前借壱間也夫より前道壱間此間数凡拾七八問あり前道向ひ浜境堤迄百弐拾間横言拾七間単四千五百坪にて壱町五反なり竪
大小清六筋紅て地場五筋壱筋三反阿り壱筋に縫数拾八阿り五筋にて九拾縫也縫壱ツに穴弐ツ宛あり都合百八十穴あり縫の
垂汐左右に分れ穴に入なり地場壱筋横凡七問叉縫のとあいより次の縫のとあい迄凡七問縫壱ツ分の地場大旨五拾坪なり居
間屋ハ物数寄次第其外普請方大旨塩蔵ハ堤の巽踏にあり三間三ハ七間電屋ハ都て五間四面也浜子固屋弐間工三間溜坪弐間
単一一入間九間納屋究りなし扱亦弐町浜ハ縫百八ツなり此外大浜の分万事壱町五反浜を立として割合極る事也
問 諸国も入浜ハ同様なるへし
答 大鉢同様なり但周防ハ其極サ壱町五反壱町七反五畝弐町弐町五反と結︑\\たる多し 諸国浜ハ防長程に極りなきやうな マ£ り他国にて浜の町数を尋るに其移りあしハ穴数にて答ける事多し周防の壱町五反浜百八拾穴の浜なり他国にてハ冗数を尋
る事卑分りなり又壱町五反浜に塩千八百石出来の年ハ符指右転当る冊駁千五百石の年は山犬八石三斗疫当る蕾臥兎角其
年の出来高を尋んにハ仙穴俵数卑分りなり上方浜上浜軋て抽二穴三十俵或ハ弐拾五俵弐拾俵拾八俵の事あるよし年中業ゆ
へ周防より余分ぬ出来立方なるへし又他国転ては儲塩穿竪の時分俵数にて谷てよし撃へハ拾万石ある時ハ弐招万俵とすへ
し謂描佃仏
囁 黎 秘 録 巻八
塩浜家業問答の其こ
間て日瀬戸内国々塩場い・つれも古来点仕来りの売場ありて其定船といふ事ありや
谷 金銀米銀にて交易の塩何国にても廻船存知寄りの所へ入津すへし其極り有事なし 然といへとも船手の方正仕来りと
いふ事ありて播州甜州泉州紀州四ク国の廻船文京海道の廻船ハ東海道筋江戸表まての荷物運送を仕来りとす中国九州山陰
道北陸道の廻船ハ九州山陰道北国を廻浦する仕来り大旨なり依て中国九州北国船ハ西国塩を積立る事大旨仕来りな㌢四国
A播繍泉紀州東海道の廻船ハ上方塩を積立大坂β東海道の遥贈仕来り也中国九州山陰道北国ハ中国路の塩用ひ来り播州揃
州四国東海道筋ハ上方浜の塩用ひ来りし所なり是諸国墟を用ひ来る大旨也
劇︑瀬戸内諸国塙場埴仕来り望冗場の大旨ハ先播磨六百八十五軒瀬戸内第劇の大場所尚年中巣にて塩余分出来立売方自国ハ
勿論兵庫西ノ宮尼ケ崎常一大坂売尤大なる事なり備前塩阿改讃岐の塩大坂売多し皆殻登を売なり改も大坂は天下第一ノ大
湊転て出船千肢入船千披いか様諸国の店売物大坂匠て仕入するになしといふ事なし又何を積登りてもむかず捌けずといふ
事なし
山︑大坂ハ万物座ありて其積登る品々其筋の問屋へ水揚サる事故直段も我子に名を付るやう相場を立る故脇売したしと恩ふ
も座になりて外へ向へき仕やうなしすくめ取にあふ事なり其代り仕入方の買物ハ随分下直なり
劇︑四国路播州塩鏡登るに於大坂墟問屋拾七軒ありて此外へ水揚ならす入津の墟問屋仲間へ受込て大坂中の塩屋へ売渡締州
︵国カ︶ 口々河内淀見丹後桂川大和奈良郡山へハ木津川点登り江州二困の用墟ハ六地蔵点年革紅て大浮へ越︑京都の塩問屋中の用
塩又江州より伊賀越若狭丹波へも運送なる事なり右国々の用塩皆大坂始七軒の問屋A仕送りにて以の外大どとなり
一︑阿波讃岐伊予の塩ハ自国近国ハ勿論大坂売第一ハ東海道筋江戸売専なり
劇︑備後安芸周防塩ハ是又自国近国ハ勿論九州山陰道北陸道蝦夷地迄を売来りしなり
是西国浜上方浜売仕来りの大旨なり依て仕来り観りといふに非すして塩場船手共に古来Aの仕来りなきにハあらす
問 西国浜休浜を止メ年中共にして余分に焼立直段諸国A少し下直にして大坂えも関東筋へも売へきハ商売手広するにて
勝手よかるへし此事いかん
答 農家ほ田地な余分絶たる商売人ハ商事手広くならん事壱人として好まざるはなし
然るに塩浜業古代ハ多軒ならさるにより年中家業にて相続子細なかりしに弐百余年世の中静認にたりて瀬戸内塩浜開作彩
三浦疎蔵追稿﹃塩製秘録﹄ ︵五三こ 七三
第三十一巻 第五号 ︵垂一一二︶ 七四
しく多軒となりし故諸国用塩に延あり浜方仕入損となるゆへ家業次第表徴して宝暦明和年中にて相続なりかたく己に諸国
浜荒し多かりしにより西国浜家業休ミをハ始めしなり
余所の塩直段定直段にさせこなた討少し下直にせハ能捌け勘定よかるへしこなた少し下直なれハ余所叉下直とす是売争ひ
にて直段下ケ勝になりて仕入損に至る所迄下落に及ふ事なり依て休浜法ハ塩高を滅して売争ひを止め値段大下直に至らぬ
やうにして仕入方喝少費なきあゆ︑\\を以て家業兎角相続の見込なり
間 瀬戸内塩浜軒数何程ありや
答 阿改三百拾壱軒讃岐百四拾五軒伊予九拾八軒播磨六百八拾五軒備前備中三拾六軒備後百弐姶四軒安芸百五拾四軒周防
四百三拾三軒長門拾弐軒拾ケ国弐千九拾五軒なり ︹その倉は撃と含ているザ小計は合わない︒︺
但四国路にて洩たる場所余分ありとみへたり塩浜名所記あり
問 塩浜土地の尊患いかん
答 国々塩浜よしあしほ何故といふ事委敷弁へかたし上方浜塩色白く味よきを塩の上品とすへし又土地の宜敷といふへし
西国浜塩少しうる︑︑︑手先あらく利目強き塩下品といふへし又土地あしきとすへし
間 塩付のよしあしは何故なるや
マ︐ 答 塩浜開作場所入海の所ハ上へあら砂薄く底砂細くねまりあるもの故後年二重り底しまりて汐透りよろしからす必汐付
あしくなるへし
又入江にあらすして止へあら砂深く庶ねまき砂なき所ハ後年に至りて底しまらぬ故にいつまても汐能融通する故塩付宜敷
也 叉砂の手言分なき開作にても底に水有所ハ水気障りて塩付よろしからす依て川を能除け地方の田地を見合浜片田地高き所
ハ必後年水気浜となるへし周防浜の升築とて開作の潮巡るやう匹築立なりしハ水気を除く為なり
叉浜土地よくとも高山蟹へ続きし所は白雨しけし西南の山近きハ初秋診日弱く砂乾かず浜上ミに水田ある時ハ必水気さす
湊なきハ船来らす在なきハ人手乏し
叉風防たて上浜土地とするハ左の如し もち砂鴇筈寸三分警三寸弐歩五度荒砂責九寸五歩大旨弐尺四寸言立て上浜仕著する也底の荒砂ハ溝汐早く融通
︵マl︶ の為なり張砂三寸弐歩ハもち砂ぬすかと浦あるらぬ制道場也此張砂じりくと汐をもち砂へ登す事なり此三段の抄如法に
仕立て塩付あしきといふ事なし 又此外縫普請溜坪普請釜屋墟蔵豊浦利方ハ国之仕来り功者あるにより略之
間 瀬戸内にぉいて廻船の事聞達といふ事ありいかなる訳欺
答北国より瀬戸内大坂兵膵和泉あたりへ往来ハ弐度なり三度町往来ハ稀也壱番逮三四月五月迄に登り弐番達ハ七八九月
迄に登り荷物を捌中国を九月の節の内に出帆して北国へ†るなり中国出帆十月の節にか1れハ北国へ下らす兵藤大坂虹て
船を紫き番人を残して陸路を北国へ下り翌正月陸路を出浮荷物を積立北国へ下る連塩場へ入津するを囲逮といふなり
問 北国の海何故冬後来ならすや
︵南カ︶ 答 いか様俗に云︵︹︶海東海道も北まへも同前なるに東海道の海ハ冬も往来し北国へハ牲来セず東海道ハ遠江灘さへ渡
りてハそこ蒙湊あり北国の船路ほ湊なきにハあらすといへとも能湊といふハ大河の川尻専多し冬向西風強く浪高く川尻へ
砂を打審痘山を築川尻ふさかるといへとも河水乾き押流すことならす春八十八夜頃に至れハ奥山望ヨ消へ春雨に水かきま
さりて砂を押流し川口を開く北国にて札尻へ八十八夜を過されは出る事能ハす上方にて囲し船も北国へ下りても入へき湊
なき故八十八夜墳丘入津出津の噂節として上方囲船下る事なり 問 西国塩利目強くして鯨の白身へ通らぬよし上方塩利目弱しといへとも能通る利目強くして其能なき事いかん
答 上浜昧能︵自然の製法なり西国垢の利目強きハ言古付力紅て利目親しといへとも身深きものへ通らぬなり
′ 三浦源蔵遺稿﹃塩製秘録し ︵五三三︶ 七五
間 然ハ製法違ひありや
答 製法違ひあり上方ハ年中日業なり是往古よりの製法なり中国塩ハ暖気に移り業を始め八月残暑さめさる目盛の問計り
浜業をし別て咋替業とて日沓家業を勤て二日塩つけるハやつけなり能塩付製法違ひありて利目強し
問 讐付カの訳ありとも蛤くして通らぬ寧不審なり
答′人慈慾より諭する事あり謀計を習ひ其云事甚強し其相人鈍しと見へしも成程にて道理至櫨に理非明白なるに依り付力
の謀討人終略閉口し成程なる人最初弱く見へし人の勝利となる謀計人は中国塩の付力の製才塩なり終に其事達することな
︵右腹︶ らす又焔硝と硝石と山口宛仮の上に置て火を付るに焔硝ハ・はつともへ立其勢強く甚しといへとも其板に痛ミなし硝ほじり
ぐとなかく撚る故板にもへ入る事甚探し焔硝は硝石に張りを何たる製法にて焔硝となりて勢強しといへとも板にもへい
る事なし上方塩ハ自然の製法にて硝石なり中国塩ハ付力匿て焔硝の強に等し
問 上方塩上品粧して中国塩下品也同しくハ上方塩同様製したき事なり
答上方年中家業西国浜其三歩山の作巣をして相続の事なるにより種々製秘を点す事なり上方塩の上品なるも売たらさる
にあらす中国塩の下品なるも売余るに非上方塩にあらされは用ひさる国あり中国塩にあらされハ用ひさる国あり
問 諸国上方塩中国塩の昧ひ委しく知らさるにより中国塩売なるへし岩味ひ違ひある事知るにおいてハ罠人なかるへし
答 資君其人を知り用ひ玉ふに必其能有と上方墟中国塩両灸共ぬ能知りて用ゆる何れも異能有事なり能ハ能にして其慈き
も捨へからす借用ひかたあるへき事なり
問 塩の用ひかたハいつくも簡なり其用ひかた√といふ弔いかん
答 其塩を知り共用ひかたといふほ先京都江戸大坂諸国御城下其外繁花の地にて味噌醤油乗法大根漬九州の鯨白身等にハ
其価高直に付たりとも必上方塩を用る也叉片都の国々塩壱升代百文弐百文三百文とする所にてハ中国塩味噌に︑も用る事其
勝手大に違ひあり於大坂塩の店売りする所にて変数穿整せしに備前播磨麦藁俵五斗入小升計り三斗六升点七升五合有よし 第三十山巻 努五号 ︵五三四︶ 七六
周防塩五斗入ハ大坂へ運送しても正五斗あり正味弐割半多し又備前塩正五斗用ゆる所へ周防塩三斗七升五合用て其利日間
様也然ハ廃前播磨塩五斗入弐俵の所へ海防塩竃俵にて其用ひ方同様なり然ハ上方塩を用ゆる半銀にて済へt嚢用ひ方にて
周防塩大に勝手なり依て北国筋にてハ上方塩ハものにきかず慈しとて不用倭国利目よしとて上塩なりとする依て手隙なし
下手只居らすの心にて周防利屈強きも其好む所あり上方上境も其能なしとて不好所あり
叉大根凛鯨の白身に通らすともかき鰯ハ周防塩尤よろし能通りてまた目方多くなる叉於大坂周防三田尻の味噌督油を買取
客屋する家あり周防塩にて仕立たる味噌督抽必其味ひて慈しといふ鱒あらす先其塩を知て其用ひやう如斯
叉北国山陰通徹大名様方御国塩上方垢にてハロを経月を経るに随ひ減りたち終に︑ほ窄俵ネなるなり周防塩ハ能乾きて欠立
事少し周防三田尻塩の一丹なり
問 棒磨檻は花壇といふ事あるよし諸国においで墟の名産ありや
答 先棒磨の花塩伊予の率jも塩周防の五色の焼塩此外珍救国産の塩閲し寧なし しかしいつれも其味ひよきにはあらす
叉自然の花塩といふあり氷の如くいろくの細工ものあり是も味ひよろしからす重り汐より自然と出来るものなり 閏 年久敷塩浜家業太勘定にて困究なりといへり然といへとも浜卓出弄するにも非売買其価高潰なるよし何を以囲究なり
といふや 答 周防にて浜壱軒加溺銀弐貫目の大旨なり四拾貫目Ⅵ五朱あかゎを見詰の売買也
其浜手業する紅弐賀目備ハる年ありかね叉下作する人も只々弐貿目の加調ハ.傭へたり共得徳する事なし因玄浜主も弐貫目
こてハ漸渡世するとも内借等のあるものハ利殖となりて終に相続ならすして地養子をし預り作のものも或ハ三年或ハ五年
にて元銀を失ひ預り浜ならずして難儀に及ふ上へ貢をかくにあらざる故格別困究のやうに思召上られすといへとも古代の
浜主皆代りて当時の浜人ハ当時浜買得セしもの計りなるにより休浜替持の意味委しからす兎角法を摂る事多し但し有徳の
人の浜を抱ゆるハ浜の加調のミ引当の事ならぬ故弐買眉の加調壱貰五百目に成ても差閉なし然といへ
三浦涼蔵遺稿︑﹃塩製秘録﹄ ︵五三五︶ 七七
れば塩浜堅固にたつといふ事ならす依て塩浜因究の名たつ時節なり
問 浜主人甚万事花共にして何因も陥りなるにより所苛衰微するよし其事ありや
答 延享寛延宝暦明和と追々家来衰へ頗る困究に及ひ浜主出奔し諸国荒浜多し然るに明和なかハより休浜替菓始り再ひ家
業盛になり天明の末迄十歳余りハ至て勘定よかりしかハ少し替りかましき風俗もありしと言伝へし也天明の末より休浜の
法を乱りて家弟次第に衰へ寛政年中にて遠からす明和の飢饉に押移らんとせしに享和元年配して其法を少し改しかハ且々
相続なりといへとも上の勘定にあらす只浜主倹約を表とし其身も浜子に等しく難光背労してからき取渡りの次第云んかた
なし何そ隋りかましきなと更にある事なし
間 休浜さやし沓菜利方ある事ならハ何故上方浜へ相談して瀬戸内−統ならさる事なりや上方分て人賢し相談したき嘗也
︵仕カ︶ 答 身侍まらすして人を情むることあらんや近年阿汲播磨西国の□法立聞まはしなと便りなきにハあらすしかるに周防休
浜根本の地にして当時にてハ三田尻諸郡浜休浜不同なり尚御分地ハ年中其の場所数ケ所紅して御国中休浜乱法也根規定所
の国として斯乱りなるに何そ他国の休浜相談なるへきに罪過る西の歳ほりまかた宜り相談ありといへとも周防とり得さる
ハ国方の休浜不同なる故なりしかし芸備よりとりて播州へ相談なり掃州休浜ほしまりしなり阿州ハ播州Aの相談にして阿
州又休浜始りしも休浜日数行届かす其乃頗る1にあらす法を立るといへとも如法に能行︵されハ共益なし
問 阿波はりま休浜はしまるにあらすハ何故翰伽集会ありや
答 阿汲播磨餓の休浜はしまりし政次解体浜繁昌する博もあるへしと先同家業の地顔かけ相談に及ひし車種年因を重ね時
の至るを待て諸国一統の休浜なるへきを待の︑︑︑なる集談なり
問 年久しく塩浜凶年続きて風気立直るへきやうなし塩浜家業行末いか1なるへきや
答︑塩ハ諸国一統用ゆる品にて塩を製る国大場所あるハ娩十ケ国也塩浜の改易捨りとなるへき事なし家業の盛衰有む時な
り人力匿ていか程に計る共諸浜−統盛るへきほとの事叶ひかたし浜人は沓り行共塩浜の荒る程の事なるへし家業の表へた 第三十叫巻 第五号 ︵五三六︶ 七八
︵以上旧山口県史蝿某所々戎本︶
塩 製 秘 録 巻九
毛●r 周防lニ田尻鶴浜田申璽ハ白和家業二休月ヲ設ケ又砂晒シ浜替へ業ノ妙術ヲ始メシコト
塩浜′家業往古衰盛アル事舌筐伝蒜ナ宗ル還暦ノハレメ冒此業諸国蒜浜主危急ノ期妄フ因玄芸州竹原生口浜噂甲田備後
尾ノ道ノ浜主申合テ十†て十二︑ノ正月︑四ケ月家業ヲ休ムヘ㌢ト国中諸浜工談スルニ困究ノ時節言り宕ハ能キ方便ナクヤト
相彗及ヒテ四ケ月休ミ始マリ望其年ヨリ勘定ヨクナリ備リヌ依テ此休浜法瀬戸内諸浜へ談夢益タルヘ¥瀬戸田浜主三原屋
貞右術門卜云人二甲輩ヲ伴ヒ備中備前播磨阿波讃岐伊予六ケ国ノ浜所残ル所ナク廻在シテ相談二及フ何国モ同志不勘定ナル御ナル
ニヨリ相談二応レケルカ阿州播州五七ケ所不折合アリテ瀬戸内蒜ノ功ナラス芸備予三州四ケ月休︑︑︑デリシハ年増勘定ヨクナリテ
︵垂二七︶ 七九
三浦源蔵遺稿﹃垢製秘録﹄ る時生れ出たる浜人の否様恵敷也又塩浜格別吟味を尽さすといへとも風気自然と行政る時節あり此時生れ出たる人否様よ
きなりしかし家業の道ハ少しも怠らすして時節の感歎ほ天命なり時節悪くハ猶々相続の方便瞥﹂1ろを尽す事今日身の勤なり銘々身の勤めを怠慢なく執る此外なし自国の乱りなるを包て他国休浜の催促なしかたきにより只自国の納りを持のミ なり 問 株浜法に持延ある故年々相談あり年々其日限に始末すへき事なり 答 壱人一日塩三勺喰の分監有といへとも只先位を見たるにて其侮る所なし臨時猟方多して入増あり餓饉によりて入増の
年あり洪水にて諸国仲買の持塩流れ捻る事あり風故にで海上難船多く費へ捻る事あり又雨しけき年にハ.諸国軒別用塩減少し塩場出来高減少するにより備に直段高直にもなり休浜所ハ八九月牢業終るといへとも諸国紅お′ゐてハ十月霜月迄も浜す
菜る故此時節の降暗片よるについて出来塩出来劣りあり夏分雨しけく至て出来劣りてハ稀蔽ハ業延すべネ年柄にさしか1る事故持延持縮といふ事あり然るに得手勝手を行ふにて毎年持延すへきと思ふ事至而愚なる心得也
︵五三八︶ 八〇 第三十一巻 第五号
一︑瀬戸内塩浜一統年ヲ童子テ家業糞へ明和年中ニチハ於諸国荒浜モ多カリ︶トソ己二周防三田尻浜ニモ浜主余分出奔ソテ浜主ナ
キ浜トナリレハ上ノ和事浜トナリシモ年々公損彩敷誠二塩浜ノ家業スタリ果テ此業二携ハルモノ忽チ身上ヲ滅スルユヘニ諸人此
菜ヲ恐ル\事限ツナク浜人向ヨリ釆ルヲ見テハ身ノ毛ヨタチ遥二除沓へテ通ン塩浜ノ話シ閲人工舌フルヒシテ.恐ヲナス如何様朝
鮮ニテ子供ヲオドスロロ来トイヘハ子供泣ヤム又鬼将軍卜呼ハレハモノ\ゲモ忽チ落チルト聞ク明和年中ニテ子供ヲオドスエ浜
人−叶ヤロカトイヘハ泣止︑︑\シ子供サへ浜人卜聞テハ恐ヲナシクル程ノ飢饉トナリテ要具三浦ルニナヲサレバ上御厄害ノ︑︑︑多カリ
∴︸
仙︑明和五年子ノ歳三田尻小郡両和事判ニテ村分デリ中ノ関へ新規御勘場建中ノ関御宰判トビア御代官三戸四兵衛様初出役ナリ
塩浜成立御斗ヒ†シテ小郡初等判キテモ浜方ハ残リナク中ノ朗御宰判付−脚成り別ケテハ大浜新地相続成立ノ事尋常‡フサル勧配
︵国力︶ 慮ノ︑︑︑多カリシナリサレドモ年増困究ニオヨビ塩浜相続ナルヘキ様見エサルニヨヅ田中ノ諸浜成立へキ見付アルニオヒデハ地方
町方浜方二限ラズ早々訴へ出へレト〆仰触ランナリ明和八年卯ノ冬三田尻鶴浜ノ住人豊後屋田中藤六上古フ人塩浜家業相続ノ目
論見アリ委赦蛮キ付ヲ以テ訴訟ノ次第
覚
〟︑′御国申請浜一統三月朔日菜始メ八月晦日限り菓止候事
一︑塩浜豪其方端法度相定可申償自然相背キ候者ハ過料ノ出銀相口□可申事
御国中諸浜一統右之通り相成候時ハ塩浜家業堅固二相続相成可申奉存候右仕法立ノ儀ハ休浜法卜可申候若此ノ瀬戸内諸浜一統仕
候ハ塩直段モ大鉢無高下定直段仕金高利ヲ貪り候取斗不仕倹約質素ノロロ︑︑\ヲ以テ永年要路キ候併他国相談之義容易一画相調御国
中ニチハ漸ク御百姓軒相相続ノミト泰存候猶委敷ハ涜舌ヲ以テ〆奉申上候以上
デ
御 当
二御代官所二於テ藤六訴状之趣御赦見之上藤六召出サレ御尋ノ次第諸人皆商売手広クセンコトヲ願フ然ルニ当村塩浜年中出精
シテ塩余分二焼立トイヘトモ斯ク困難二及ヒシナリ浜成立ノ見込ニハ此上塩出来塩ノ手数ナルヘキニ休浜沓持ハ商売ヲ減スルナ
リ家業ヲ減ソテ相続ノ法アリトハ千万不審ノ至リナリトノ和事
各 年久敷家業衰へ候儀ヲ篤クト考候二諸国浜人家業二道立ヲ不仕只墟ヲ製スル利方ノミ相考候故塩製スル上手卜成り候へ
共商売二懸チエナルユヘ家業ノ表トハ相成申候今休浜替持ヲ可仕義ハ家業二道ヲ立ツルニテ御座候塩余分二製レ候ノ︑︑︑ニテ
家業相続ナリ候ヘバ余年疎無御座候へ共年静因究二及ヒ候和治世二百有余年世ノ中静認ニテ瀬戸内海開作移敷塩浜多軒トナ
リ壱年出来塙壱ケ年諸国ノ用塩二延ルユへ多キモノハ其価安ク寡キモノハ其ノ価貴シ塩場二塩透期ナク諸国仲買ノ手元塩屋
敷時節ナキュへ塩浜廻船ヲ見掛ケテハ講演売リヲ争ヒ候故値段至テ下直トナリ候テ終二仕入損仕候此段家業ノ衰へ候基ニテ
御座候今般私義見付候義ハ壱ケ年ノ出来塩高壱ケ年ノ用塩工延ピザルノハカラヒニテ直段称下ゲナキナキノ見検リニ候然リ
トイヘトモ瀬戸内劃統イタサステハレカト積り前二重ラズ其ノ詮クスク候へ共此ノ理ヲ考へ得ルトキハ壱人其ノ益アリ壱ケ
村休浜スルトキハ壱ケ村其ノ益アリ二凶休浜スルトキハ二困其ノ益アリ御国中バカリニチモ諸浜休浜一統仕ルニ於ハ永年資
ヲカ\ズ塩浜相続ハ無稽違奉考候
塩ハ人ノ食分ナリ年中出来立処ノ塩六月陳浜ヲレデ出来高ヲ減少センコト国中ノ浜主利潤ナリトイフモ万民ノ雉義トナルべキ事
甚夕以テ恐アルコトナリカ山公儀ヨリ〆売ノ斗ラヒアリト徹替アランモハカリガタレ全ク申訳アルマジ我勝手ニナランニハ人ノ
︵五三九︶ 八一 三浦源蔵遺稿﹃墟製秘録﹄
\11︑ 明和八年卯十月
豊 後 屋 藤 六
︵五四〇︶ 八二
第三十一巻 第五号
雉義ヲ弁ヘザル事不着ノ至リデリ何ゾ道トイフヘキヤ此ノ外ニシテ墟浜相続ノ積リアラサルヤト′御車
谷 万物売込︑︑\ヲレ是ヲ〆テ後高直二売払フ事〆男〆売トハ可申今塩ハ買方ノ仕合ネテ売方浜主仕入損ヲシテ.困究二及ヒレ
也私訴訟ノ赴ハ往年買方−二七ヂキ三向直ノ煩ラヒナク売方塩場仕入扱ノ煩ヒナク塩直段定値段煩土テ浜人且々家業相続ナル
ヘキハ仕入方ノ費ナル事ヲ除キ質素ノロロミヲ以テ家業相続ノ積リエンデ全ク〆売等ノ所存ニチハ無御座候
年中勤ムヘキ家業ヲ六ケ月休︑︑\現土地半分方宛替持ノ事家集三荷∵/減少ナヅイカホド弁別スルトモ〆売ノ斗ヒ遁レガタレ響へ
国中ノ塩浜荒浜トナル共不義ノ行ヒナスべカラズ能ス1勘弁スヘシ十ノ御事
答御製道ノ蚤キ奉恐入重デ可申上様無御座候へトモ休浜可仕段毛頭番数儀ノ所存ヲ以積り候儀二無御座候休︑︑︑ト申事万事 二付際限御座候農業ヲ始メ仕巣スル人気労レ候へハ煙草三体︑︑︑テ糟ヲ出レ又大大坂アタリヲ出レ船東リモ汐二向ヘハ碇ヲ入
レテ休ミテ櫓柄ヲ取ル無益ノ働キハ不仕今塩家業テ道ヲ立テズ来ル年々モ正月ヨソナ二月二重り持詰一義ヲ製レ下商三扁Ⅴ
仕入扱ヲソテ困究二及ヒ候叉勘定ニハカ︑バラズ共休︑ふカタク拾カタキ事猶ホ休︑︑︑トナルコトノ御座候米ハ五穀ノ司ニテ人
命ヲ保ツ根本ナル言リテ米程大切ナルモノナレ軽少些ッヲ小判五拾両二換へタリト申ス事ノ御座候然ルテ水田ノ早稲ヲ
前取レ跡稲株ヘヒッチハヘト申並ヒ稲葉ヲ生シ籾ナク候コヤシヲレ守護ヲ加フル1壷実少ク仕入損トナリ勝手ニナチサレハ
大切ナル米ナリトイヘトモ虚人スラ是ヲ捨テ水田ハ稲ノ一作キテ休マセ候此ノ段ノ御質慮仰ク所二俣今般献スル所ノ休浜法
ニデ諸国用塩不足ト⊥ノン全ク〆売ノ斗ヒ1表御座墟売延ニ!フナル大旨ニシ≠治定瀬戸内一統卜申ニチモ無御座御国中斗ニ
チハ費ヲ除キ偏二倹約賀素ノ秩リニテ御座候侶降暗片詰候儀モ有之万二閑ジグク塩至テ出来劣り候ヘハ見合共進可仕候此ノ
余ハイカ様トモ御質慮次第卜申上ル ー︑件委敷劫詮議ノ廉藤六弁別シテ申←芝篤卜被聞召分ケテ其ノ方中ソ通タニテ公儀へ申訳アリ斯ク困究ノ事二付イカヤク共塩
浜成立仕組ヲ遂ケ法度ヲ定メ休浜換持共三国中ノ浜主二談レタ取離尚他国迄奇相談一義ヒ瀬戸内仙統シテ.塩浜ノ家業繁昌ノ仕組
立位心一二早速出立スヘレ心添卜︸デ大塚屋忠次郎可敦同道少モ猶予致ス間数卜被仰波レナリ
一︑東和八年卯ノ年十月二十六日田中藤六白和石川忠次郎三田尻ヲ出帆シテ国中ノ諸浜休浜ノ相談二及ヒ悉ク折合シカハ直様芸州
ニ押シ移り八日網野謂詔㍑覿順〃謁帽仁方忠海汲戸田竹鼠ヲ経過シ夫ヨリ備後三原尾ノ遺書和肥浜冨浜松永二至り程々相談二及
ヒシカ伊予備後安芸ハ程近ク隣レルニヨリ周防此ハ四ケ国山統相談スヘレトソココ\飛脚飛船ヲ馳セテ知達二及ヒ備後尾ノ道漁人
町ノ上へ海蔵寺ヲ借り集会場トレ馳七集ル人々予州汲止浜升居茂八郎備後松永ヨリ福島屋庄三郎竹原屋善次郎吉和浜ヨリ坪居仲
右衛門天満屋長四郎姫路屋宗右衛門肥浜門田屋輿石衛門冨瀬列屋善次郎仁方大川司屋三石衛門大平屋魚平治竹度肝茂屋直十郎
帽膨閃次屋伴重郎仁賀屋甚太郎三田尻豊後屋藤六大塚屋忠次郎以上拾七人日夜種々申レ合セチ元来芸備二州ハ宝暦年中四ケ月休
浜試︑\︑アジタ其ノ利方大鉢心得有事二付ムツケレキ問答一脚モ不及シテ相談ナリヌ夫ヨリ上ミ瀬戸内イカヾテ有ルトイブト備中備
前播磨阿波讃岐伊予六ケ国ハ宝暦十三未年瀬戸田浜主三原屋貞右衛門廻浦ソテ相談二及ヒシ所不折合ノ場所アリ終二其事ナラズ
時節到来セスソテ相談ナリカタジ尾ノ道竹原ヨリ追々相談アルべキヨソニテ先ツ周防安芸備後伊予四ケ国体浜ノ事堅ク申合ハセ
酒宴ヲ設ケ睦︑︑︑合同家兼是迄相琴−及ヒシ事此ノ業再ヒ繁昌スヘキ時ノ至レルナルベレ往年平二信ヲ通レ脚力疎略ナスマジ斯ク
モ因ノ幾久敷中絶セサル為メェトテ毎年三月十九日ヲ全日トレテ厳島二於テ四ケ国ノ浜主因︑︑︑ノ集会スヘソト堅ク約ヲナシケル
四十余ケ年ヲ経テ今二至り其事連綿セリ
一︑明和九年ヨリ周防愈休浜始マリシカ其年ヨり∴γテ勘定ヨクナリ塩浜ノ個立賑ハク事イフモ吏ナリ偏二豊後屋藤六大塚屋忠次郎
両人ノ功ナリ迫田中藤六浜方大年寄役ヲ欝り名字帯刀御免ニテ休浜規定御任セナリ石川忠次郎御庄屋役ヲ蒙り両人共御役目所勤
中公私為筋取計ヒノ庶多レ略之
一︑宝暦年中芸備両国休浜始マリ十年そフズシテ崩レ又明和八卯ノ年田中藤六休ムルニ六ケ月能諸法度ヲ定メ是ヲ導キ教へ猶芸備
予州二相談シテ四ケ国山統ナシタルニヨリ忽チ家来繁昌トナリレハ大ナル功ナリ四十余ケ年ノ得失ヲ考フルー脚此ノ休浜ハレキル
ニ リ又当時ニテ此ノ家業ノ人ハ四十余年ノ得失ヲ考へ巣ノ利方ナル事ヲ噂ミ此ノ二法ニヨリテ家業堅固三相続ナルナ
田中ノ恩沢ナリト思フ心キ事ナリ格別ナント見エソ事モ其ノ道ヲ立テハレムル軍容易ナラゲル心配アル車ナリ弱訟酌鮎㌶㍊掘
テ此ノ串岬統テナセリ後代上リテハ共法夕嘩︑カタシ時トイフ串 モ宥ナカラ飴不徳剖ル︑チ拾ムル革ノサカイ者フヘヤコトナリ
三浦源蔵遺稿彗墟製秘録﹄ ︵五四こ 八三
、
︵五四二︶ 八四 第三十一巻 第五号
一︑物有本天草有終始知所先後則近道央其兼務ムル事ハ其本ヲ知ルヘソトノコトナルヘキカ何事モ能ク穿竪ヲシテ事二委レクナル
ヘキナリ休浜沓持ノ意味二達シティカ様当時此ノ法ナクテハト思フ時ハ田中ノ恩沢ナルコト知ラルヘレ明和年中ニテスタリ果候
家業三トセヲ経ズシテ盛エナジ層中ノ︑︑︑‡フズ他国其事劇統㌢チ.今二重ツタ是ヲ用ユ凡ソ意エアラストモ恩フヘキ也日ヲ費シテ
路用ノ費へ又人和ヲト\ノブルモ心配ナリ公私ノ為万事場忍ヲ遂ゲテ此ノ功ヲ立テラレン也周防モ沓持ハ最初試ミノミセシカ聞
キピーマサリ既二其ノ事ヲナンテ甚夕妙ナリグレハ安永年中モア.国中残ツナク換持テナリ又休浜シテ.換持ニスル時ハ塩浜家業末
代不易ノ準プア.退転ノ期アルヘカラス休浜ヲヌルハ塩浜廣業ヲスルノ道卜心得換持ハ塙ヲ製スル菜卜心得タランハ万事費へヲ除
︵マ︑︶ ク事︺−心力極ク至ルノ根本トナル休演換持ノ道理ヲ深ク穿掌シテ家集ヌヘキ事肝要至極ナリ
休︑︑︑ぬる羽風や高き百子烏
誘ひ行く風のま1にそ糸柳
右予州波止浜禍 受 劇 友
始メノ発句ハ塩ツキノアレキ時節浜ヲ休メル見付キヲ称美ナリ次ノ旬ハ当時ハ墟浜多軒ナルニヨリ墟ヲ沢山二製スルニハ家集相
続ナヲズ依テ休浜法ヲ始メ仕組立トナラハ否ナク同心スヘソトノコ︑ロ也商売家業ノコトニデモ緊キ人ノ其道ヲ説クヲハ篤クト
聞キティカ様道理至極ナット心中ニヨク聴得タランハ了解ノ場ナリ具ノ奥儀三通シテハイツレデモ信レ用ヒスッル事ナキヲ道ノ
信者トイフヘシ叉夕能ク道ヲ聞テ道理至極卜合点シテ上ツペパ随心シテ心中ニ︵是レニ洩ル\邪水心ヨリ怒慾得手カタヲ案スル
人専ラ多レ予州ノ山友ノ主ハ休︑︑\浜ノ理ヲ聞テ塩マキアンキ時節家業ヲ休ムハ道理至極卜悟り与/ハ以来家業ノ仕組立トアラバ風
ノ柳ノナビク如ク同心スヘソト発句ヲ残サレンナラスヤ然ルニ諸浜休浜ノ利方ハ道理至極ノ仕組立卜合点シテ人ノ兼浜︑ノ日数ハ
短クレテ我業浜ノ日数長クセントハ邪ナラスヤ慈慾際限ナカルヘシ岩レ土地悉敷ニヨリ業浜日数長クセサレハ利潤同様エアラス
トノ事ナルヘシ夫レハ大キュ間違ナルヘ㌢若レ土地慈敷ハ必ス爵モ軽カルヘシ其事ナキニ於デハ上︑︑︑へ慾クヘキノ筋ナリ又土地
アリデハ其土地ヲ求ムルニ同価チア求メジャ慈敷土地ハ上土地卜同レ価ニチハ求ムマレキナリ必ス下底二求メタルナラン直安ノ
浜直高ノ浜卜同様二利得備ルヘキ故ナシ其ノ元来ヲヨク勘弁セナルユヘニ諸浜堅固二成立ノ仕組立ノ休浜日数長短ヲナサントン
テ浜土地ノ沓慈ヲ言孟ルハ址レキ次第ニテ休浜崩レトナランハ能キ浜モ立チカタク慈シキ浜ハ猫.々立カタカルヘレ休浜諸浜ノ崩
レトナルハ日数ノ長短ヨリソデ崩ル︑事ハ宝暦年中芸州ノ休浜十年ニミタズソテ崩レトナリレ是ナリ依テ田中藤六休浜一統ナリ
ト又芸州竹原喜多山値十郎文化六巳ノ年ニテ休浜日限不同ニチハ立カタク崩レ安シ四グ国二凧ナルヘソト申サレレナリ性道ニシ
テ慈慾際限ヲ知ル人ニハ其見ル処尤モ明ラカナリ
て仏港二正像末ノ三時ヲ説キ正法ノ人上様ナルニ対とハツケ激白カノ教アリ像末ノ人根気下様ナルニハ六ツケ敷難行勤ムルコト
能ズトテ.浄セツ他力易行ノ念仏ヲ修セヨフトアリ往古塩浜スクナキ時ハ年中嘗業スヘキ時ナリ中古ヨリ当時ハ塩浜多軒トナヅシ
ュヘ年中皆菜ハスヘキ時ナラズ減少業スヘキ時ナリレ三其心ツカズ明和年中迄行形二年中業セレハ正俊末ノ三時ヲ弁へサルニ等
レ塩浜多軒トナリレヲ考ヘスシテ営業ニテ墟出来塩下直トナリテ家業衰ヘレナリ是レヲ考へ付タル三原屋貞右衛門卜田中藤六ト
ナリ休浜スヘキ時ヲ能クハカリ知ルモノナリ往生ノ巣念仏為本卜勧メ玉ヒシ法然上人ハ弥陀超世ノ本願ヲハレメテ我朝ニヒロメ
玉ヒソアラキリ也三原屋貞右衛門法然上人二等シトスヘレ往生ノ業信心為本卜勧メ玉ヒシ親鸞上人ハ法然上人ノ法ヲ受継ギテ信
心ヲ本ソト勧メ玉フ田中藤六親鸞上人ナリ休浜ヲ六ケ且トレ万端能法度ヲ定メ沓業ヲ第劇工数示セラレンハ信心為本ニシテ沓業
六ノ法会得スル人ハ休浜否ム事ナキモノナリ休浜ノ利方ヲ能心得ル時ハ沓持モ心得ラレサルニハアラス併シ沓業六ノ法ヲ能ク心
得ル時ハ休浜ハ止メヨトイフモノヤムべキ事ナシ念仏ヲ申ス斗りエア信心ヲ得ル事ハ雉シ信心ヲ得タラソ入念仏ヲ修セナル人ナ.シ
信心以テ本トレ念仏ハ英行デリ信心ニハ行ヒノ離ル\コトナシ行ニハ心ス信心ヲ具スルニ非ラス容共ニハ休浜具セストイフ事ナ
ク休浜ニハ沓業ヲ必ス具スルエアラスト知ルヘレ
一︑替業ヲ信心トスヘレ休浜ヲ其行トスヘレ然ルニ信心ノ容共心得ストモ休浜ノ業必ス勒ムヘレ外土ノ往生ノ取渡り位ハナルヘキ
事ナリ当時瀬戸内浜多軒トナリテハ諸浜此ノ休ムトイフコトナクデハナチサル時代ナリ時ヲ考フルコト第一ナリ塩浜ノ家集二眼
ラス休ムトイフコトハ物ノ際限ノ場ナリ能ク心ヲ留ムヘキナリ鶴雁ノ顆大粒粗ヨヅ中華朝鮮国へ来リテ夫レヨリ日本へ渡ル壱岐
対島九州ノ地ヲ伝フ叉帰ル日モ其時節ヲ違へズ風雨ヲ考へ羽ヲ休メ海上へ越キ渡ルヨレ当時瀬戸内埴浜休︑︑︑浜沓菜ハンマリンハ
休ムヘキ時節浜ヲ休メ務ムヘキ時節ヲ励ム家業際ノ道立テナリ依テ休︑︑\浜沓業イナム浜人馬−岬シテ劣リンナルヘシ
三浦源蔵遺稿﹃塩製秘録﹄ ︵五四三︶ 八五
︵五四四︶ 八六
第三十一巻 第五号
ラント蛸相即醜シス叩貝人業延場所安キヲ相場トビア兼延セサル場所ノ塩直段高ソトイブニ付余義ナク直下スルユヘ弥下ケトイフ事
ノ発リハ共進ヨリ姶日ナリ休浜日数二統ニシテ家業繁昌ブラムハ難地ハ難地相応ノ相続サルヘレ難地業延ヨリ沐浜規定崩レトナ
ヲハ家業忽チ衰へトナルヘリ家業表徴スルニオイデ難地ハヤク立カタカルヘレ依テ業延不仁ノ仁トイフヘン親愛エソテ子ヲ愛ス
ルニ甘味ヲアタヘテ其子病ヲ生スルニ等シカルヘレ
田中藤六適法ノ抜寄ヲシテ是こヨリ体浜番茶ノ意味ヲサトシ塩製ノ秘事秘密自分悟り得ル革
ノ上ナン後代此ノ初役目所動スルノ肝要トイフハ他事ナク休ミ浜ヲ厳重ニスル為ナリ元来正月ヨり∴ソテ十二月二重り年中ノ家業
ナリレヲ六ケ月トレ大浜小浜共現土地各港トセレハ家集三荷山二減少ナヅ見積り麹り往年勘定ヨクナランニ於テハ栄進ヲ好ムコ
ト眼前ナり菜延ヲ免ス時ハ休浜ノ徳ヲ失フニテ其益ナン然ルー壷晴ハ天地ノ変ナリ宕レ暗多キ六ケ月ヲモ減スヘシ雨シゲキ年ダ
リトモ余分ノ出来劣リナラサレバ業延スル事必ス無用タグヘシ出来高至テ減少二及ブ年ハ十月廿日ノ業延見封ライアルヘキ事ナ
リ当時塩浜厚キ成立ノ御意二依テナリ何事ニチモ売買′事自他国中合ハセスルコト第仙ハ御法度ナルヲ浜人常二集会申談シノ事
ノ差免シハ他国交易一石テハ御国益御国損ノ堺二至ルユヘナリ御国中塙浜三田尻小郡両御宰判何分多軒ナルニヲリ小郡初筆判ニ
テ無塩浜ハ中ノ朋へ寄七村二被仰付シハ塩浜成立ノ御方便ナリ今中ノ関和琴判ノ塩浜ハ蒙御免休浜製道心二任セスルトイブトモ
他㈲宰判ハ御国制−芦ヲサレバ同商売相続ノ規定ナリカタレ因玄手前ノ慈慾ヲ離レ方率直ヲ表トレヨク人和ヲト︑ノフ一貫ラサ
レバ休浜法崩レトナルヘキナット
二身体仕合能ク才智アリデ塩浜家業数代ノ人ナリトモ浜要義ス預り浜人ヲハ本年寄ハ勿論直立ニモ用捨スヘシ休浜法巷特異外
規婚ヲ立ツル事ハ其年耳ノ警アラス永久ノ討ラヒナリイカ程才アリ徳アリ身代ヨキ人ニチモ預り浜人ノ浅マ¥ハ後年ヲ斗ル
ト恩フ内二眼前ノ勝利へカ\ハ甘規矩ヲ崩シ法ヲ変スル草間々多カルヘシ
て塩民ハ士農工商四ツヲ兼ネ心得ル事肝要チリ諸相場ヲ能ク考へ知り商売ヲ夢昇約ヲ逢フヘカラズ手ヲ打ツ事ハ武士ノキンテ
フ毒夢スヘ・忘慾ヨ‖ノンテ変ヲ生Xニ指サ芝アフ挙モ眈ナリトセス利慾二迷ヒヲ取ル芙町人ハ武士蒜取立ナ忘人 ハ他国ノ人卜常二交易ノ事ナル言基慾ヲリレテ約束ヲ警ルハ其身斗リノ牡鹿三アラズ国ノ馳璧フリ農ヲ兼ネヨトハ当時休
浜ハ家業二休月ヲセレナリ休ム時節ハ此ノ訳ニテ休ムハ芝ルハ此ノ道理ニテ始マルナ‖ノL卜知ルへ蒜ヲオロ忘付ヲ蒜取其
ノ時ヲ能ク考フルニアラサレ∵ハ益ヲ得カタシ農ノ時ヲ知ルニ等レク塩浜家業ノ休浜替持ノ道理ヲ能ク考へ知ルコト農ノ時ヲタガ
ヘズト等夢スヘレ工ヲ兼ネヨトハ塩浜開作場所ノ見雪り夢浜ノ開キ様縫ノ手様坪ノ幻チ様塩蔵釜屋ノ建様方角ハ風′受ケ
ハブシ皆々普請功者ニアラサレバ損アリ第忘電工合ノ事細吉ノナリ工ノ心アル事ヨV商トハ塩浜ハ土地ナリ其所作鋤鍬モツ
コ所持エブリヲ特級ヒ日夜泥悩ミスルユへ同農業二似寄リクル事ナカラ其兼ハ浜子ノスべキ事ナリ浜人ハ商人ナリト心得売買ノ
道二能ク達スヘキコトナリ 一︑休浜巻業ヲハレメソハ此家業二道ヲ立テ㌢り道ヲ立ツル時ハ法度ナクテハ道立チガタ芸歴ヲ背クト能ク守ルニ其賞罰ヲ礼
サ\レハクラ宣定ル所ノ塩場ノ法度浜志田屋誓迄諸状セ¥尚ホ警ヲ会処二張紙ランチ其罰ヲ償フコトハ過料賢り夫
レ々々過料ノ定メアリ其罪言プチ過料銀ハ問屋ニデ塩代押へ取ル事用捨スべカラズ叉過料銀取り建ルノ高其所ノ会所雑用言
へシ 一︑大年寄年寄直立ノ浜至心得違ヒノ背キアラハ過料銀倍増レタルヘシ万事依情威風ノ沙汰スヘカラズ ー︑大年寄座ハ休浜二付チノ諸規定怠慢スヘカラス年寄役ハ塩浜商売向キ何事モ聞届ケカタデリ直立ハ商ヒ直段役アリ塩問屋塩廻 ∴
ハレ旦展頭夫レ々々受ケ掛リノ場アリ怠慢スヘカラス叉直師旦展頭ハ請ケカ\リノ事折二大年寄へ直訴スヘキコトナリ役カ\り
少レ宛筋違ヒア‖ノーーイヘトモ皆墟場繁昌ノ取斗ヲヒナレバ元聖体ナリ余り一卜向アルコト宜シカラス大年寄座ヨリモ年寄産後 見ノ心持アルヘシ年寄座ヨリハ大年寄座ノ補佐スヘキナリ叉直立チエ存レ寄リヲ加フヘシ直立ヨリハ年寄座ノ補佐スヘシ会所人
︵五四五︶ 八七
三浦源蔵遺稿︑還製秘録﹄
ハ年寄座ノ手元スヘキナリ
一︑休浜仰ノ年中菜アリ何故卜云フニ美浜日限減少トナリレ事故塩余分出来劣ルヘソト心セカレ仕入浜脚日トレ雨ヲ見掛ケテ朝持
スルゴト休浜ハンナカラ奥義二重ヲサル故工業浜アセリシテ垂水蒋キヲ取り入ル事体浜師ノ年中業ナリ
山︑替某ノ日工業アリ何故トイフニ沓持ハ土地半分宛二日工業浜スルコト故日々潜業ニクラベテハ技モマタルソ斯クテハ瑞余分出
来劣リトナルヘソト心セカレ垂水余分取入レ浄水ヲ取入レ一rハ替業ノ日二共ナク替巣ノ妙術ノ場二至ラヌ故ナリ
替業ノ法ハニ日砂ヲ晒レ砂二汐口付ニシテ.乗水至デ浪ク取入ル\仕方達ナリ二日サヤシ替業ヲシナカラ垂汐薄クレテ余分二取入
ル事ハ沓業ノ日工業卜云へレ
山︑休浜沓菜ノ極意トイフ入費ヲ能ク除ク事第一ナリ費アル事サヘセサレバ年中菜常温シテモヨカルヘキヨワトイフ人アルヘキ問
誰レモ費アル事シリテ費スル事ナシ此休浜替業ヲ妙法ニスル時ハ天然自然工費ノ庶ヲ除ク撃ハ普ヲ修スレハ木口ロヲ得ルヒモ辛
ヲ得へソト慾心ヨリ壱ヲ修スルハ誠ノ蕃トハ云ヒカタシ如法二是ヲ行フ時ハ自然ノ道理ニテ費ヲ除クト云フハ九月ヨリハ日至テ
短ク塩付キ番数故垂汐落シ是ヲ焼立テ塩代ノ内ユタ諸雑用ヲ引キ去り見ルニ塩ノ直段抜群高道エアラサレバ仕入損トナル然ルニ
塩ハ多分出来立事故翌年ノ塩値段ニカ\ハル事ナリ正二月モ未ダ余寒ニシテ塩付ヨオフ才冬浜同様ナリ此時節ヲ休ム事ハ利徳ニ
︵リ︶ ナラヌ塩焼立ノ雑用ノ費へ皆除クナリ啓業ハ日々某ヨリハ取水減少スル然‖ノt﹁イヘドモ水至テ濃クナルユヘ墟ノ出来劣余分ナラ
ネハ薪ノ減少ハ余分ノ事ナリ薪ノ糞ナク浜ノ人懸ケ減少スクナカラズ塩二利徳ヲ多カラスレムルエアラス自然卜費ナキコトナキ
故勘定ヨクナルコトナリ
山︑塩ハ価高直テデモ用塩至テ倹約モナリカタグ又下直ナリトテ余分二用ユルニモアラスサレハ諸国用塩大体其極ル所アルヘレ乗
海道筋塩余分入津スル場所第山江戸又ハ九州北国ニチモ余分二入津スル所二名委細ニセサレドモ其場所々々ノ仲買毎年ノ格ヲ以
テ手当ソテ買入ル事ナリ年々ニテ或ハ入増或ハ入り劣り大工相違スルコト⊥ノン依デ穀類卜違ヒ墟ハ諸国用塩高其極マリアル事顕
然タリ然レハ瀬戸内塩場際限セサル事ハ不党ナルヘシ依テ休浜ハ家業二際限ヲシテ仕入方費ヲ第山卜心得へン
ノ︑瀬戸内塩場九ケ国程ナリ備後伊予安芸周防四ケ国チデ半分ナルヘレ瀬戸内脚統ノ休浜ナラス半分程休浜セレ所二直二勘定ヨク 第三十山巻 第五号 ︵五四六︶ 八八
デリ三ケ年ヲ経ズシテ家業繁昌セレハ用塩梅ル所アリテ休浜ノ的中ツタルナラスヤ山諸国二漁多キト人塩入増ア‖ノt﹁スル人アリ
サナキニアラズ志かし一人州日三勺喰ノ内へ漁方用塩モ能リタルナリ又諸国大豆ノ上作年増入塩アリトイフ大根上作ノ年塩入増
アリト云フ事アリサナキニハ看ルヘカラズ然ル淀魚漁ナキ年大根不作大根不作年入劣リアルヘレ平均スルキハ格別アル事ナレ冨
ノ市アリ取へソト引当スレドモ容易二当ラス追々入札代ノ損アリ魚漁アル事アルヘシ塩ノ直売セント手当スレドモメソホク大漁
アリテ塩ノ直売スル事モ稀ナルヘレ葡ナラス変ナル事ヲコノミデ仕当ソト恩フハ能クぐ商人ノ心カクヘキ所ニアラス常ヲマモ
ルヘキ事ナリ
∵閏月アルトソニテモ業浜六ケ月アル︵ヘレ若ソ此ノ年雨繁ク出来劣リアリテ止ム事ヲ得ストモ業延十日強テナ五日ナルヘシ閏月
アリトテ大切ナル教レヘニ作り増ノハカラヒ仕様ナキュへ毎年農菜同番デリ閏月年数ハ不足ニテ高直トナルニ限ラスサレハ塩モ
閏月ノ手当スルニ及フヘカラス
て毎年盆後日他国ノ持塩閲繕ヒ秋冬売ノ墟手当ヲシテ余分越年墟トナルヘク見ユルニ於チハ業浜ノ日数縮ムヘキ事ナヅ越年塩余
分アルコトハ翌年ノ商売難渋トナルヘキ事眼前ナリ
て八月二至り弥出来塩少クサレドモ値段モ高歯ニナラズ不勘定年卜鬼へテ今五首俵モ製セスシテハ此ノ年ノ勘定アンキナド\本
﹂ 業延セハ猶々下直トナソテ業延ニテ出来立塩ニハ何程モ得ニハタラヌ事ナリ然ル三好二村キ弐盲五十石出来立時ハ瀬戸内二千
五首軒ニチハ惣曇ハ十こ万五千石ナリ只−人ノ手前ノミ見ル専ナカルヘシ
山︑業延ヲソテ五百目利権トナル其積リモデル事ユへ菜賂スル事アルヘレ然ル一義五首目刺徳アルヲ見切ヅ業延セサレバ本翌年其
買五百目モ勘定ヨクナルモノナヅ止ムコトヲ得スシテ染延ヲシテ五百目モフケタりで→オモフコトハ塩値段下底トナリ五首昌卜恩
ヒンハ三百目モ止マラスシテ五首俵ノ出来増塩三付テ翌年三貫目モ不勘定トナルナリ業延スル事ハ諸国用塩至テ不足ナ=ノt﹁見エ
サルヲ只手前ノ勘定ノ︑︑二言業建セハ少ンヨカルベントオモフノ︑︑︑ニテ必ス業娃ノ企テ以ノ為ナル心得遵ヒナリ浜主トレテ只後
年ノ事ヲ今年ヨリハカラヒ其年ノ勘定ノ︑︑二ふテコ︑ロヲ移ス.ヘヵラズ
三浦源蔵遺稿﹃塩製秘録﹄ ︵五四七︶ 八九
︵五四八︶ 九〇
第三十一巻 第五号
一︑於三田尻浜ニハ定置所ノ六ノ濠ヲ能ク心得へキナリ六ツノ法会得スル時ハ替業休浜ノ利方ヲ心得ルナリ巷業休浜ノ法ヲ会得ス
ルニ於テハ家業相続スルコトナソトイフコトナシ家弟相続堅固ナルトキハ墟製秘事者斯コソスヘン斯クゾアラメト其秘術ヲ尽ス
ノ人来り集リルカ故二塩菜ノ秘事全ク知ラズトイフコトナ羞酎鮎レ謂㌶待テ
一︑塩民先後ヲ別タズ先ツ塩製秘事アルコトヲ探シモトム龍ク塩ヲ製スルノ道三達ストイヘドモ家業ノ道三暗ラ町道トイブ八巻持
休浜法也休浜ハ天ニサカプチ利ヲ得サル自然ノ道理ヲ弁へ怒慾際限スヘキヲ本トレテ浜ヲ休ム替持ハ倹約質素ヲムネトビ7万端
費ナキ斗ヲヒユ心ノ格り至ルノ基ナリ道ヲ先キニ学ヒ塩製ノコト後ニスヘキナリ
一︑塩ヲ製スルノ道ハ家業エソテ日夜イトナム事二村浜主浜子功者ニナリ自他国ソノ愚ナル寧ナシ宝智明和ノ頃旨能ク沢山二垢製
望冗延トナリテ直段下値ニテ仕入損トナリテ困究二及ヒシナラスヤ其ノ以前ノ事ヨク︶〃\分別スヘキコトナリ休浜ハジマリ周防
バカリ一貫モ出来高大概三拾万石ノ減少ナリ安芸備後伊予二於テヲヤ此ノ休浜始マリンヨリ家光ノ相続ナルニ非ラスヤ因玄塩ヲ
製スルノ︑︑︑ニテ家集相続スルコトアリト心得フヘキナけ′︑
一︑念仏門ノ宗旨ハ行住臥産念仏セヨトノ勒ナルヘキニ浄土英ノ教へハ信心ヲ以デ本トセラレント又ロニ唯称名ハカリヲ唱へタラ ︵閤カ︶
ハ極栄一養生スヘキヨウニオモヘリ夫レハ大キニ覚束ナキ次第ナリト弥陀ノ本願ノ由来ヲ聴聞シテ極栄二往生ヲ遂ル寧ヲ了翁シ
テ安心トモイブナリ凡夫ノ身ハ皆地獄二墜在スべキヲ阿弥陀如来不思議ノ御本願−茅凡夫ノタヤスク極楽二往生ヲ遂ル事広大ノ
忍徳ナリト恩ハ\只御報謝ノタメト心得念仏スヘソト諦鮎鮎馴詣蠣悸㌍譜鮎如糾錮露粕謂媚肘㌶認詣鮎〃鍼憎け㍊離籍踊即断銅
膵酎酎望 銭錆拍酎即妙㌍酎ル訪訝岬雛針謂
上ノ御本意能クス〜考へ奉り御役目筋慨怠
山︑塩浜方大年寄役ヲ蒙ル寧等閑ノ事ナラス垢浜成立厚キ御慈悲御璽盲ツテナリ
スヘカラス御国中ノ塩浜勿論 上ノ衡土地ナリ三田尻繁昌スル時ハ諸郡浜モ繁昌ナリ端二諸国仙統繁昌スヘキ事 上ノ細心
ナリ是レ全ク啓 上ノ御土地ナルエヨリ依惰ノ御恩召アルコトナシ依テ御国中諸浜脚統モ成立ノ斗ヒテ肝要ナリ然ル一美年番
座主於テ後役へ中継ノ秘密アリ大浜御開作ハ沖ノ手衆西へ長ク拾八丁程ナリ初ノロヨリ荒浪突キ当り雉渋場所ナリ北入川土手叉
拾八丁合三拾六丁又中入川三筋左夕堤六筋空中ノ関境入川土手鶴浜境璧ハニ 八筋壱筋七丁是又五十六丁北浜西堤拾三丁 程惣都合百丁余塩石ノ手別テ沖土手ハ是二山ノ如クナル御普請尚開限芸百買目余ノ義莫大ノ御雑作人中昌姓町人有徳ナリト モ築草ルヘキ場所ニアラス偏ニ←ノ御威空依テ御汐留成就セぎり中ノ関新地勧築立モ徹雑作人ノ警大浜便利ノ為メ 御竪ノ事然ルニ御開作ノ栗勘定年打チ続浜主付六ツケ敷警浜ナリレハ衡公損彩敷己工芸一友フべ三付浜成立ノ見込伽 詮儀ノ翼持休箕禁彗及ヒソニ初代官三戸四兵衛様苦慮ノ制取計ヒニテ忽南中一統休浜相警ヲヨヒ則チ勘定宜敷気風
行キ睦り芝ヨリ御称美卜事大年寄窟仰付御役目ヲ嚢リンナリ諸浜山統御恵︑︑\洩ル事ナキナリ実ハ鶴浜大浜中ノ関新地和歌
立往繁昌厚キ御恩召ヲ以テ大年寄座御取立ナリアル御遺地ナル事ヲ能クモ相考二入疎略ノ計ヒナモヤク後役へ中継クヘ㌣
也
一︑御役目讐所動スルハロ口上ミノ御本意二叶フヤクニト心得ル事肝苧ソロJハ御意専テナリ∩口上︑\︑ノ御霊ヲ下三々行届クヤウ≠禦孟謂ヲスル也卜心得フヘ蒜業休浜トイフコトハ外莞ノ立方トハ大キ三関筋レタル振合政市血三テ才アル人 ニチモ合点ナリガタ忘浜住居ノ人スラ其ノ意味ヲ心得ル人称ナリ若レ合点タリトモ如法蒜ヒ得ル事ナリ難宗ヒ得ルコトナ ラサレバ知り得ヌモ同然音叉其ノ知ル事雉三アラサレバ心得サル人ハナ茎時ノ塩浜ハ替業休浜ナラデ取続ノ方便ナ¥ハ 大林皆心得クリ然ルニ怒慾ノホどマ︑ヨリ如法二行ヒ得サルナリ甚夕愚ノ至ツナリ若ルニ法ヲ全スル事能ハス猥リカハンクセ ハ家業ノ衰微遠カラサルマ汐能々分別スヘキコトナリ
塩 製 秘 録 巻十一
周防塩浜壱軒壱ケ年塩ノ出来高壱ケ年分ノ仕入雑用塩代立用損益ノ勘定目安 但シ三月ヨリ八月マデ六ケ月替持ノ事 周防三田尻壱軒壱町五反ニテ喜八十三夢六ケ月休︑主月朔最付キ八月晦日マ一基業ニテ壱ケ年塩之出来高不残売り払ヒ代銀
三浦源蔵遺稿﹃塩製秘録﹄ ︵玉田九︶ 九一
第三十山巻 第五号 ︵五五〇︶ 九二
仕入雑用廉酋
三景弐百目
石炭壱釜焚壱振寸シ≠弐千釜壱振代百弐拾八文トレテ右ノ辻 ︹入質銀と雪レる︺
五百弐拾五.匁
釜焚旦展賃百五十日分日別一三匁五分ニシテ大工分
五百弐拾五匁
右同断夜焚分
弐 貫 目
▼
八拾文銭壱貰四百四匁八分三厘
銀壱罷五十日
弐 拾 壱 匁
九匁六分四厘
〆壱買入拾匁六分
百四文銭卜直レ右之辻
七 拾 目
﹇臼 百 石炭細道上引当
会所雑用引当