• 検索結果がありません。

現象学的身体運動論考(その3)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "現象学的身体運動論考(その3)"

Copied!
23
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

茨城大学教育学部紀要(教育科学)63 号(2014)79 - 101

現象学的身体運動論考(その3)

~「リズム」「身体の社会性」そして「指導の方法」~

日下裕弘*・長山駿 79・霜村裕樹*

(2013 年 11 月 26 日受理)

Considerations of Phenomenology for Physical Movement(3)

~"Rhythm” , “sociality of Mind and Body” and “Teachinng Methods” ~

Yuko KUSAKA*・Shun NAGAYAMA*・Yuki SHIMOMURA *

(Received November 26, 2013)

1.はじめに

 教師や指導者が学習者の身になって技能を向上させようとすれば,どうしても学習者の身体運動 を「内側から」共感し,理解し,発展させる必要が出てくる。特に,「技能(わざ)」は,「身体知」

と呼ばれ,意識下のはたらきが重要であり,目には見えない現象である。したがって,その内実や 本質を,従来の科学的研究の外側からの分析で明らかにすることはできない。

 学習者の「技能・わざ・身体知」を,「動感=動きの感じ」として,そのままのかたちで共感しつつ,

いわば「内側から」理解・了解しようとする方法に現象学的方法がある。

「現象学的身体運動論考(その1)」では,市川浩の「現象学的身体論」,瀧澤文雄の「身体の論理」,

金子明友の「スポーツ運動学」および「身体知」に関する諸理論を中心に,「生きる力」「身体運動」

「スポーツ」における「身体知」の概念について整理・考察した。また,「現象学的身体運動論考(そ の2)」では,金子明友の「スポーツ・モルフォロギー」における「わざ(コツとカン)の身体知」

について論考した。

 本研究は,それに続き,亀山佳明の「生成の現象学」における「リズム」「波」の概念1), 2), 4), 5), 7), 8)

大澤真幸の「身体現象学」における「身体の社会性」の概念6)そして,現象学的モルフォロギーの 立場からみた「保健体育の指導」の方法3)について整理・考察する。

これからの学校教育,特に,保健体育・スポーツ教育を担う学生諸君のための有意義な論考とし たい。

茨城大学教育学部体育社会学研究室(〒 310-8512 水戸市文京2-1-1) Laboratory of Sociology of Physical Education, Ibaraki University.(Bunkyo2-1-1, Mito, Ibaraki, Japan 310-8512)

*

(2)

2 「拍子」と「リズム」 

 時計という機械はいつも正確に同じ強度で金属製の音を立てている。クラーゲスによると,事象 の流れを分節する働きは人間の「本源的精神行為の本領」とされる。われわれは時計の音の流れに

「強度の周期的交替音」を聞き取り,「それぞれ隣接する二音を群として」分節する。その結果,音 は「チック・タック,チック・タック」と聞き取られることになる。拍子とはこのようにしてわれ われの精神の働きによって事象に境界を設定し,秩序を与える作用のことをいう。時計の音に限ら ず,拍子は機械的に事象の流れを分節するために,機械的な反復の調子をもたずにはいない。メト ロノームの刻む音はその代表的な例であるが,メトロノームどおりに正確に再現された音楽,ある いは韻律に合わせて朗読された詩句,正確な分列行進などに対して,われわれは「魂なきもの,死 せるもの」を感じとる。拍子とは人間の精神の作用によって機械的に同じものが反復される場合の ことをいう。

 これに対して,リズム(Rhythmus)とはギリシア語の rheein(流れる)という言葉に由来しており,

「流れるもの」「不断に持続するもの」という意味をもっている。リズムを体現する分かりやすい例 は,水の波である。水の波は,寄せては返す無限の運動を続ける。原理的にいうなら,波の運動は 無限に持続する運動であって,そこに区切りを入れることは難しい。さらに,波は同じ形を繰り返 してはいない。確かに山と谷は繰り返されるように見えながら,次々に継続する両者の形状や大き さはたえず微妙に異なっている。ここから波は「類似するものが永続的に更新するもの」というこ とができる。拍子が「同じものが反復すること」であったのに対して,リズムとは「類似するもの が更新する運動」ということになる。また,拍子は「機械的,死せるもの」であるのに対し,リズ ムは「生命的,生きているもの」である。 

 亀山佳明(2012)によれば,われわれが外界に対して行う最初の事象の分節は,われわれ自身の 脈拍の作動によって可能になる。脈拍の波動がイチニ,イチニの拍子をとることを可能にするとい うわけである。つまり,脈拍(リズム)と分節(拍子)の両者においては,脈拍(リズム)のほう が分節(拍子)よりもいっそう根源的な現象である。それゆえに「リズムは,拍子が欠けていても,

きわめて完成された形であらわれうるが,拍子はそれにたいして,リズムの共働なくしてあらわれ ない」ことになる。

 リズムに呼応するとき,われわれは大きな歓喜に包まれる。日常の世界を生きているわれわれに は,社会的・生活的意味において多様な制約が課せられている。日常世界の秩序はこのような制約(習 慣・規範・価値)によって成り立っている。これらの制約は生活に不可欠な分節をもたらし,いわ ば拍子の役割を果たしている。したがって,「リズムにノル」ということは,このような制約(拍 子)を脱して,生命の波動に参入することを意味する。抑制されていた機械的な制約から解き放た れ,われわれは生命のリズミカルな脈動のなかに入るとともに,それらと一緒になって振動するの である。生命の脈動との呼応を通して,われわれは「自己の肉体のここ(heir)といま(jetzt)の 限界を突き破り,自己をとりまく世界と一時的に融合する」ことができる。自己と対象とを隔てる 境界の壁を打破して,宇宙や自然の生命と融合するとき,われわれを大きな喜びが包むことになる。

スポーツの活動でリズムにノルとき,われわれを襲う「楽しさ(フロー)」はここに由来している。

(3)

81 日下:現象学的身体運動論考(その3)

3 リズムの重なり(「同調」)

 ベルクソンは,リズムを,「絶えず変化しながら持続する流れ」ととらえる。そして世界はリズ ムで溢れかえっており,われわれ人間は全体のリズム(流れ)の一部を切り取り,それを自分のリ ズムにしているという。ベルクソンは,「持続するもの」と「持続しないもの」とを明確に区別した。

持続するものとは,「運動するもの」・「流れるもの」であり,河の流れを分節できないように,わ れわれはそれに境界をつけて分節することができない。われわれは,そのような流れを生きる,あ るいは体験するほかないのである。これに対して,われわれは知性を介して事象の流れに区画を入 れ,分節することができる。知性とは,持続を均衡に分割された時空間に投影し,測定する働きの ことである。

 自己の<持続=リズム>と他者の<持続=リズム>の重なり合いをベルクソンは,「同時性」の 問題として提起した。例えば,いま河岸に腰を下ろして河の流れを眺めている。そこには河の上を 滑っていく船があり,その航行する船に驚いて飛び立つ鳥たちの羽ばたきがある。「河の流れ」,「鳥 の羽ばたき」,「私の意識の流れ」これら三者はともに持続するものである。私が前二者を意識する とき,これらの三者は同調する。他方,私が自分の意識に集中して他の二者を意識の外におくとき,

私の意識という内部と,河の流れ,鳥の羽ばたきという外部とが分かたれることになる。また,私 が河の流れに見入るならば,私の意識と河の流れとは同時的な持続をなす。ベルクソンは私が河の 流れに見入るとき,この二つの持続が違いに交錯するという(それは,市川浩の「同調」概念と同 義である)。

また,これらの三者が交錯するには,三者を含む「より大きな部分」がなくてはならない。この「よ り大きな部分」がこれら三者を交錯させる場を提供することになる。三者の「地平」である。

<共振>

 知覚論はリズムの議論に最もよく当てはまる。生活の領域において,われわれはいろいろなリズ ムに出会う。そのようなリズムを知覚するのは,われわれのリズムと他者や自然のリズムが交錯す るからである。リズムとは,波動であった。私のリズムとあなたのリズムとが出会うとき,ともに 波動であるなら,両者のリズム間には共鳴作用による<共振>(両者の波動が同調現象を起こすこ とを共振と呼ぼう)が生ずるはずだ。私が河の流れと鳥の羽ばたきに見入るとき,これら三者のリ ズムは共振している。なぜなら,これら三者のリズムを包む,より「大きなリズム」の場がそこに 生じているからである。

 人間の生きた運動が分割できない<流れ=波>であるとするなら,ある一つの波と別の波との出 会いには共振現象が生じる。人の動作は,すなわち,運動の流れと考えることができる。ボールの 動きもまた,運動の流れと捉えることができる。したがって,ボールの運動と選手の動きが共振す るなら,選手はボールをまるで自分の身体の一部でもあるかのように自由自在に操ることができる。

同様にして,ある選手の動きが他の選手に波及して,一種の「うねり」を起こす場合がある。これ は<モノリズム>が共振して<ポリリズム>に発展したととらえることができる。そのうえに自 チームのポリリズムが相手の動きをさらに取り込んで,よりダイナミックに展開されるとき,そこ には「渦巻きにも似た激流」が生み出される。

(4)

4 「リズム」と「波」~バレーボールを事例に~

(1)バレーボールの動作 1)基本動作

 バレーボールの基本動作には,サーブ(サービス),アンダーハンドパス(レシーブ),オーバー ハンドパス(トス),スパイク(アタック),ブロックなどがある。

2)下位動作

 基本動作は,下位動作から成り立っている。その下位動作の基盤には,「基礎的身体能力」が ある。「基礎的身体能力」とは,生まれてから長い年月を経て,日常的,非日常的に形成された様々 な単純な身体・運動図式のことであり,身体の移動,状況判断,空間・時間認知,身体の操作(立 つ,歩く,走る,ジャンプ,弾く,打つ,叩く等)によって構成されている。

 バレーボールにおける動作はすべて「ボールの性質や方向を予測し,認知すること→状況とそ れに対応した技術を即座に判断すること→身体を操作すること→ボールを操作すること」の連続

(持続)である。

 そうして,これらの下位動作の地平には,プレイヤーが生まれてから日々の運動体験を通じて形 成してきた基礎的な「動感」の図式がある(金子明友,1900)。

 バレーボールに用いる全ての動作には,全ての身体が関与している。力を抜き,関与しないゼロ 関与から,ボールに接触する直前の最大関与までの範囲内で,全ての身体がはたらいている。フロー 状態のプレーにおいては,そうした身体(運動)図式が1つの動作を生成するために極めて複雑か つ全身的に錯綜し,習慣化された潜在する図式(行動パターン)を瞬時に引き出し,表出する。適 切な基本動作・下位動作は,練習によってさらに洗練化され,再構造化されたかたちで定着し,類 似した状況への適切な反応の幅を広げる(ゆとりの幅を広げる)。対応力(応用力の広い)技の習 得である。この習得過程は「楽しいもの」であることが望ましい。そうしてできあがったひとり一 人に独創的な,潜在的な技の可能性を,瀧澤は「枠組みとしての身体的時空間」と名付けた。バレー ボールにおける身体は,この枠組みをもとに,状況に応じた身体的思考を通して,適切な技を表出 する。習得の段階では,練習内容や教材を工夫し,バレーボールの技術特性を特有のフロー感覚と 共に伝える必要がある。(図1)

3)バレーボールにおける「チームワーク」

 <チームワークにおける身体的思考>

 身体的思考とは,日頃の練習で培ってきた身体(運動)図式を,状況に応じて瞬時に判断し,顕 在化することである。状況や場面に適した動作を判断し,練習によって自動化された動作を行うた めに身体を操作することである。つまり,練習で培った動作の引き出しを的確に使い分けることで ある。さらに,バレーボールにおいては,敵から邪魔されることのないコートの中で,6 人が各個 人の最善のプレーを引き出す必要がある。そのためには,チームとしての練習が不可欠となる。ボー ルに 3 回触る中で,相手からのサーブやスパイクをレシーブし,トスをあげ,スパイクを打つ。一 つ一つの動作で,常に次のプレーをする人のことを考え,丁寧にレシーブやトスをし,チームのた

(5)

83 日下:現象学的身体運動論考(その3)

図1  バレーボールの技術特性と動作

(6)

めにスパイクで得点をする。個人の最善のプレーをつむぐチームプレイの地平には集団的な身体的 思考としてのチームワークが存在する。

 <チームワークにおけるリズム>

 リズムとは,「生命的,生きているもの」,「類似するものが更新する運動」であった。また,リ ズムは絶えず変化しながら持続する流れであった。バレーボールにおいては,プレイヤーがその人 体の構造と機能,およびルールによって与えられた行動可能性の枠組みの中で,無限に変化,発展 し得る合目的,効率的な「技の流れ」である。そこには,技の実現に伴うフロー感覚があり,バレー ボールの「動感」である。バレーボールにおけるリズムとは,バレーボールの動作に伴う動感の規 則性,周期性のことをいう。その波形には,強さ,長さ,大きさ,奥行き等の規則性の連続性があ る。そのリズムの形成には,次のような段階がある。

 ① 一人一人が生まれ,成長していく中で形成された独自の生命リズム

 ② 個人が下位動作・動作の技術を体得する過程で形成された個人のプレイリズム  ③ 各個人のプレイリズムの交差・同調・共振によるチームプレイのリズム

 ①が②をそして③を形成する。練習で培ってきた個人の技術と生命のリズムが,各チームメイト のリズムと出会い交差した時,リズムの波長は重なり共振する。それは,意識下でなされる。この リズムの共振は,バレーボールを行っているチームメイトや相手チームを巻き込み,うねりを生じ させる。つまり,個人とチームメイトが共振することでチームプレイを可能とし,個人と相手チー ムが共振することで相手の動きを瞬時に読み取り,それを補完する動きを可能とするのである。

 後述するように,ゲームの流れとは,敵と味方の共振,すなわち,敵と味方の双方によって生成 される共振の共振である(図2)。

 そこで展開されるチームプレイ(例えば,時間差攻撃,A・B クイック,バックアタック等)には,

前述の①,②,③のリズムが独自の時間的,空間的パターンを伴って形成される。それらは,もと もと度重なる練習によって基本的な形を形成しているチームの動作(チームワーク)の中から,状 況に適応した最善のプレーとして表出された,目に見える一つの連携のパフォーマンスである。一 つ一つのコンビネーションプレーは,それぞれのプレイヤーのリズムの共振・連携によって形成さ れた小さな,あるいは中程度の波といっていい。

 <バレーボールにおける「リズムの重なり」と「波」の形成>

 バレーボールは,サーブから始まり,レシーブ,トス,スパイク,ブロックと得点が入るまでラ リーが継続される。そこには,絶えず変化しながら持続する流れが存在する(図3)。

 ラリー中の攻防を通して,個人とチームメイト,相手チームの三者のリズムが重なり,交錯する。

これを試合における共振と呼ぼう。このとき,コートの 6 人の身体には様々な形で,様々な仕方で 錯綜するチームワークが生成されている。そのラリーの中では,フロー感覚も体験されている。一 点一点チームで得点を重ね,試合に勝利したとき,言葉にはできない達成感,高揚感,楽しさ,面 白さを体験する。各個人の技とリズムが,同じ目標に向かい協働することで新たなリズムを生みだ す。そのことによって得られるフロー感覚は幾重にも拡大する(図4)。

(7)

85 日下:現象学的身体運動論考(その3)

図2  チームワークにおけるリズム

(8)

図3  バレーボールにおけるリズムの重なり

(9)

87 日下:現象学的身体運動論考(その3)

図4  バレーボールにおける新たなリズムの形成 

(10)

 <チームワークの地平:「より大きな波」(再考)>

 ボールを見極め,動きながらボールをとらえ(打ち),その感覚を体認しつつ,味方に送る。チー ムの仲間につなぐ。つないだチームメイトは,別のチームメイト(セッター)に,より安定した,

正確で効果的なアタックを打てるように,最終のチームメイト(アタッカー)にボールをつむぐ。

許されたボールタッチの数(時間)は,ブロックを除き,3 回である。

 ブロッカー,レシーバー,セッター,アタッカーと役割があり,すべてのチームメイトがすべて の役割を遂行する可能性がある。従って,すべてのプレイヤーはすべての基本となる技を身につけ ていなければならない。より正確な技の「動感」の引き出しをできるだけ多く,全員が共通にもっ ていることが重要である。

 チームプレイのリズムや波を形成させる土台が,パフォーマンスの「地平」に引き出しとしてある。

身体に練り込まれた「動感」の束,チームメイトが共通に身につけた類似した技の波がある。その 技の動感(リズム・波)が一人,二人と交じり合い,重なり合う。つながり合って「小さな波」,「中 ぐらいの波」を形成する。そうした波の形成を可能にするのは,その波の地平に潜む「より大きな 波(類似した基本動作・下位動作・基礎的身体能力)」の存在である。

 湯浅泰雄(1986)は,身体の情報回路(フィードバックシステム)を3つの層で捉える。すなわ ち,①外界からの刺激を感覚で受け止め,運動によって状況に対応する日常的な「外界感覚―運動 回路」,②身体の運動感覚,平衡感覚,皮膚感覚のように,身体の状態そのものについての習慣化 され,記憶された,身体が覚えている,「自分の身体の気づき」に関わる「運動・全身内部感覚回路」

(いわば「動感」そのもの),そして,③呼吸器,循環器,消化器,感情や情操など生命を維持する ための自律神経や脳幹に関わる「生命維持回路」または「情動・本能回路」で,思考や感覚のよう に局在化しない,身体の最も深い部分に存在する全身的な働き,の3つである。

 小・中・大の「波」という動感の共振リズムは,この②の運動感覚回路を通じて,③の生命や情 動に関わる人間の最も深いシステムに繋がっている。したがって「波」の地平には,プレイヤーが 共有する身体の情報システムがあり,それは,喜びや楽しさなどを含めた人間の感情や情動と深く 結びついていたのである。

5 身体の社会性~バスケットボールを事例に~6)

 <原身体>

 リングにアフォードされ,初めてボールをシュートしてみた。そのとき,私の「原身体(「絶対 ゼロ点)」は,バスケットボールという新世界を予感する。私に中心化した原身体が,初めてバスケッ トボールに出会い,脱中心化しようとする。

 <過程身体>

 バスケットボールは,5 人対 5 人で行うチームゲームであるが,ゲーム中にボールを保持 できるのは,たった 1 人のオフェンスプレーヤーしかいない。したがって,ボール保持の 1 対 1 は一組であり,他のプレーヤーはボール非保持者の 1 対 1 をそれぞれ展開する。それは 開・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

かれた身体のコミュニ・ ・ ・ ・ ・ ・

ケーションであり,社・ ・ ・会性をもつ。オフェンスプレーヤーは,ボール保持 者とボール非保持者を繰り返し,ディフェンスプレーヤーとの駆け引きをしながら,お互いに協力

(11)

89 日下:現象学的身体運動論考(その3)

し合ってチームプレーを展開する。

 1対1には,シュート,ドリブル,ピポットなどの基本的な動作がある。身体の拡張によって「あ の大きなボール」を自分のものにしているボール保持者の身体を,大澤は「過・ ・ ・ ・程身体」と呼ぶ。プ レーヤーの過程身体はバスケットボールのコートにアフォードされ,ボールと遊び戯れる。

 <抑圧身体>

 過程身体は,「求心化作用」と「遠心化作用」の2つのはたらきを持つ。過程身体が,味方のプ レーヤーとパスやスクリーンプレイなどのプレーを繰り返していくことで,1 対 1 という他者を含 んだ「抑・ ・ ・ ・圧身体」へと成長していく。さらに,その抑圧身体は,2 対 2 や 3 対 3 といった少人数で のコンビネーションオフェンスへと繋がっていく。チームに優れたオフェンス能力の持ち主がいた としても,そのオフェンスが成り立つとは限らない。1 人の優秀な選手は,複数のディフェンスの 協力によって防御することが可能である。ましてや,優秀なプレーヤーがいないチームにとっては,

他者との連携プレーを繰り返すことがチームのオフェンス力の向上に繋がっていく。こうした連携 プレーは,他者の存在を前提としている。他者とは絶対の差異であり,固有の宇宙といった根本的 な外部性である。そして,それは一種のコミュニケーションでもある。そうしてできた他者とのつ ながりを,大澤は,「 間・ ・ ・ ・ ・ ・

身体的連鎖 」 という。

 <集権身体>

 かくして,複数の抑圧身体から成る身体の内在的な諸作用は,超越的なあるもの(すなわち「規 範としてのチ・ ・ ・ ・ ・ ・

ームプレイ」)をすでにプレイに先行して存在するものとして擬製・仮構してしまう。

超越性を持ったこの規範(チームプレイ)は,それをつなぎとめる場所を,諸身体が特殊な相互作 用によって自身の外部に投射した時に現れる。そのような場所を,大澤は,「 第三者の審級 」 と呼ぶ。

すなわち,抑圧身体は,原身体的な平面の上での過程身体の活動によって形成される最も初歩的な 規範(チームワーク)である。超越性をになう身体は,自己の経験の所産でありながら,これを自 ら規定し,自ら先立つものとして生産してしまう。つまり,自らの身体がその中に生産した価値的 なもの(チームプレイ)が,あたかもすでに客観的に存在していた規範(チームワーク)であるか のごとく,身体の外部に投射し,身体の内部に引き出しとして内面化する。こうしたチームプレイ の身体を,大澤は,「集・ ・ ・ ・権身体」と呼ぶ。

 集権身体によって生まれたチームプレイがシュートを可能にする。しかし,相手チームのレベル が高くなるにつれて,そうしたチームプレイだけでは通用しなくなる。さらに 4 人目や 5 人目のプ レーヤーによる集権身体が必要となる。こうした複数の抑圧身体を統合し,乗り越える高度な超越 性としてのチームプレイ,つまり 4 対 4 や 5 対 5 といった形からチームとしての集権身体が形成さ れる。

 このチームのプレーヤーを集権身体に持っていくためには,チ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

ームとしての共通意識や決・ ・ ・ ・まりご とが必要となる。それらを練習の段階から意・ ・ ・ ・ ・ ・

識的に行うことで,試合においてどのような状況でも 同調するようなプレイが先行的に投射されていく。

 <抽象身体>

  チームの決まりごとや約束を共通理解していくことで,チームとしてのまとまりやチームワー クが生まれてくる。それは,あたかも客観的に存在していた規範(チームワーク)であるかのごと く,先行的に外部に投射されている集権身体である。

(12)

 こうしたチームとしての集権身体は,具体的なバスケットボールという身体活動を通して形成さ れたものである。したがって,集権身体は他の行動場面では宙に浮いたまま,不安定である。

規範(チームワーク)は,バスケットボール以外の社会の中でも生かされるべき価値をもつ。それ は,「社会性」や「脱中心化」「非中心化」といった価値である。そこで,よりいっそう高次な先行 的投射の形態である「抽・ ・ ・ ・象身体」を形成する必要がでてくる。抽象身体とは,諸身体が固・ ・ ・ ・ ・体として 分・ ・離され,内・ ・ ・部に「・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

んとうの主体性」・ ・ ・形成されることである。今まで先行的に投射されていた ものが,「内なる声」として内・ ・ ・ ・ ・面化され,主・ ・ ・ ・ ・体化されたものに代わる。例えば,良・ ・心や正義や仲間 との関係,未・ ・ ・ ・ ・ ・

来への目標などのように,いったん抽・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

象化された概念が,深い内面化を通して具体的

(有限的)なものに転移し,実現されていく。それは,一種の理・ ・ ・ ・想形態である。

 バスケットボールを通して,学習した規範(チームワーク)は,その集権身体をさらに超越し,

抽象身体にまで高めていくことが大切になる。(図5)

6 保健体育の指導法3)

 (1)動きの発生と伝導 1) 保健体育授業の本質

 体育は,運動学習が中心内容であり,その中で動きを覚え,身につけるということが本質である。

2) 習得されるべき身体運動

 スポーツの動きには「価値意識」が共生していて,動きそのものが目的的な運動財である。体育 の運動財は,自ら積極的に身につけるものであり,自分の生きた財産として知となり肉となるよう に「身体化」される。そこには「達成原理」がはたらく。体育教師は,動きのかたち,つまり,「構造」

(動き方)の発生にともなう本質的な「意味系と価値系の体験内容」(意味と価値がある動き)にま で踏み込み,その構造を分析しなければならない。

子どもたちは,「やろう」としても,どうしても「できない」,「逆らう身体」に出会っている。

その自分の身体と(さらに,他者の身体とも)対話を重ね,工夫のすえにやっと意識下に潜在して いた「沈黙の身体」(眠っていた「引き出し」)に行きつく。この動きの発生における教師と生徒と の関係こそ,体育における人間形成の原点である。

3) 動きの「かたち」の発生

 動きの「かたち」とは,一瞬たりともとどまることのない動きの流れの中に存在する「生命」の「形 態」(ゲシュタルト)である。それは,ひとまとまりの「構造」をもっている。(それは,身体によっ て「直感」される。)それは,始めと終わりという「枠組み」のなかで,その変化や移り変わりの なかにこそ,その「すがた」を現す。個々ばらばらな動作ではなく,「一気に全体としての」「動き 方」の秩序(構造)が発生する。その生命ある動きは,「自己運動」であり,「いま・ここ」の身体 の時空性における即興的な「かたち」(ゲシュタルトクライス)である。それは,主体によって体 験される生命的な「かたち」であり,過去・現在・未来とつながる「そのつど」の流れつつある動 きの体験から,新しい動きの秩序が発生することである。いわゆる「私のコツ」の発生である。そ れはやがて「われわれのコツ」へと昇華(抽象化,類化,普遍化)する。

(13)

91 日下:現象学的身体運動論考(その3)

図5 バスケットボールにおける身体の社会性~わざの習得と人間としての成長~

(14)

4) 動きの「共感」と「伝導」

 模倣するとは,他者の動きに身体で「共振」「共鳴」しながら,他者のコツを「私のコツ」に「移 す」ことである。そのとき,コツは,自己の主体的な運動として直感される。コツが,模倣しよう とする身体の(意識下に潜在する)キネステーゼ体系に移入される。

5) 動きのアナロゴン

 アナロゴンとは,「類似の動き」のことである。新しい技を覚えようとする子どもには,まず,

その子が今もっている技能でも対応できる「類似の動き」(アナロゴン)を用意してやることが大 切である。そのためには,その動きの構造が「われわれのコツ」として共通認識されていること(す なわち,われわれが共通して「肌で感じ取れる理論」が存在していること)が前提である。それが モルフォロギー理論である。しかるのちに,その子どもにあった動きのアナロゴンを提示できる。

 アナロゴンを「師範」する場合も,その子どもの技能レベルに合わせて,その子どもが共鳴(共 振)できる動きを提示しなければならない。

 (2) 新しい運動学習 1) 運動指導と教育

 子どもたちが苦労して,ある運動を習得するその努力の過程自体,つまり,運動をめぐる学習そ のものに人間を形成していく教育的価値を求めることができる。

2) 新しい体育(モルフォロギー:動感形態学,動感構造論)と人間形成

 運動は,思考,知識,言語などと同様,人間的行為の重要な要素である。運動は学習することに よって身につけられ,発達し,キネステーゼ体系を豊かにする。豊かな動感(運動感覚・動きの感 じ)の引き出しは,豊かな運動生活を形成する。人生を豊かにする。それは人間形成の重要な部分 である。

 子どもたちは,スポーツにおいても,子どもなりの目的や課題をもち,ひとり一人の子どもに固 有の意味や価値のもとでいろいろの動きをしている。そこには「生命の躍動」がある。運動の指導 とは,ひとり一人の子どもの生命とかかわって指導するということである。

3) 動きの「かたち」:形なきものの「かたち」

 山には「稜線」(かたち)が認められるが,実態はない。音も,全体としてひとつのまとまりを もつ音響,すなわち「メロディー」(かたち)として認められるが,実際の形はない。人間の運動 も固定した形はないが,その人の「かたち」がある。それは,稜線やメロディーと同じように,一 瞬一瞬にかたちづくられ,遂行される。それは,直感によってのみ把握されるものであるが,後に,

その構造を研究することができる。運動はあるまとまりをもった全体(「かたち」:動感の形態・構 造)として存在する。教師は,その運動がどのように始まり,いつ,どのように終わるのか,説明 することができなければならない。千変万化する運動ゲシュタルト(形態)に「類似性」を探求し,

体系化していかなければならない。形なきものに「かたち」を見,その生成・発展過程の普遍的理 論化をめざす。それがモルフォロギーである。

4) 運動を見る「眼」,感じる「こころ」

人間は,意図的に運動するときには,意識下に潜在させていた「動きの引き出し」をあれこれ錯 綜させて,適当な動きを選択する。実際に動く前に「イメージ」として投企出来る。事前に「潜勢

(15)

93 日下:現象学的身体運動論考(その3)

運動」として,自己の運動(他者の運動)を内側から眺め,感じ取りながら自己観察(他者観察)し,

イメージ体験できる。

 一時的,長期的に身体に保存された体験残像(引き出し)は,いつでも潜勢運動として再現でき,

自己の運動を観察したり,他者観察の結果と比較することが可能になる。これが,運動ゲシュタル トの発生の認識であり,この運動を見る眼,感じるこころの育成が大切になる。自己観察能力とし ての運動ゲシュタルトの認識能力とは,他者観察も可能にし,自己の運動の発生時にも,そして運 動が行われているときにも,さながら運動メロディーを奏でるように運動を「調節する働き」があ る。従って,自己観察力の育成が重要になる。

 運動の「調節」の主体は,運動感覚,触覚,皮膚感覚等を統括している「体性感覚」である。そ れは,身体の無意識的な深部知覚であるので,意識の表面にはほとんど現れることはない。体性感 覚は,実在する身体の本質的基盤であり,外部知覚と連続している。従って,自己観察は種々の外 部知覚を手がかりとして意識的に自分の運動を内観し,それらを言語として表現することで正確さ が保障されることになる。

 この運動感覚を意識させ,それを言語化し,確認する学習が不可欠である。生徒が一回ごとの試 行の運動過程を自己観察によって捉えようとする学習が大切である。

 他者観察には,外からその感覚印象を把握し,運動を見抜く眼が必要になる。運動を見抜く力が あれば,仲間の運動や師範の動きから良い動きを知り,模倣することが出来る。指導者は,一回性 の現象である運動を観察し,種々の感覚印象のなかから特徴的なもの,本質的なものを分析して,

即座に運動の特徴を把握し,問題点を見抜かなければならない。それは,意識的な「見抜き」でな ければならない。いわば,運動の診断であり,教師は,この能力を意図的に訓練する必要がある。

5) 「教えるー覚える」の関係

 運動学習は,学習者主体と指導者主体の「切迫性」をもった「出会いの場」である。そこには「共 通感覚的相互理解のチャンネル」が必要である。指導者は,ひとり一人の生徒が主体として自分な りに意味を見つけ,一定の価値意識に支えられて運動に取り組んでいることを忘れてはならない。

言語を通じてお互いの意思を通じ合わせること,感覚的な共感があること,どちらも重要である。

指導者は,運動共感能力を働かせ,子どもの運動を自己の運動として感覚的に共鳴し,感じ取りな がら見ること,すなわち,「私のコツ」という自分の血を通わせることが大切になる。

(3) 運動学習の意味 1) 体育で何を学習するのか

体育の学習活動の中心は,運動を学習するということである。すなわち,運動の楽しみ方や学び 方をねらいに,技能を身につけていくことである。

2) 活動内容としての運動学習

 新しい運動学習では,「運動の楽しさ」「個に応じた学習指導」「個人のめあて」が大切にされる。

自分の力に応じて解決できる「めあて」が大切になる。

3) 「動き」を覚え,できるようになる学習

 体育学習は,「動きそのものの学習」,つまり,動きの「かたち」を覚え,うまくできるように修正し,

それがいつでもでき,状況の変化にも対応でき,技のゆとりの巾を広げていく・・・といった感覚

(16)

運動の学習である。そこでは,身体をどのように動かすか,どんなタイミングで,・・・,すなわち,

動きの「コツ」を覚える学習が中心になる。

4) 運動学習とその基礎理論

指導者は,「動きの構造」(構造形態・構造モルフォロギー)に関する基礎理論と,ひとり一人 の子どもたちに目標としての動きの「かたち」をどのようにして自得されるかを問うていかなけれ ばならない。

5) 運動学習の指導に求められるもの

 指導者は,生徒たちの運動が「意味系や価値系にかかわったパトスの世界で行われていること,

生徒たちの願いや想いによって,自分の意志で行われている「自己運動」であることを認識する必 要がある。

 (4)運動学習と授業形態を考える 1) 「めあて」と運動学習

 「今できる力で運動を楽しむ」から「新しい工夫を加えて運動を楽しむ」への運動の流れを,自発的・

主体的に学習する。運動の楽しさによる内発的動機づけによって,自分にあった「めあて」をもた せ,そこに生じる課題をみずからの工夫や努力によって解決できるようにする学習を「めあて」学 習という。学習段階は,「めあて1」から「めあて2」・・・へと進んでいく。

 運動の学習は,技術の習得やその向上が,運動を覚え,修正していく感覚運動としての学習,つ まり,「わかる・できる」を目標として進む。「めあて」となる運動の発生の形態が,モルフォロギー

(運動形態の感覚的構造理論)の視点から明らかにされなければならない。

学習者は,技が「できる」ようになるために,感覚的に動きを覚える(コツをつかむ)。教師は,

その「動き方」を見て,「動きの構造」の視点から,適切な「めあて」をもたせ,個に応じた指導 をしなければならない。

子どもたちは,自分の力に応じて「できる」喜びに動機づけられて,スパイラル的に学習を進め ていく。子どもの力にあった「めあて」をもたせるということは,子どもの運動の学習可能性を見 抜き,運動課題を子どもの感覚運動にあわせてどのようなかたちで提示していくかということであ る。そのためには,教師は,ひとり一人の子どもの学習指導において,「できる」(コツをつかんだ)

と「判断する基準」の運動イメージをもっておくことが必要である。

2) 「めあて」になる運動の多様化

「めあて」(目標)となる運動は,個別化・多様化されなければならない。教師は,子どもたちが 挑戦してみたいと思っている運動が,どんな「動きのかたち」(運動形態の構造)をもっているのか,

類似した運動(運動ファミリー)にはどのようなものがあるか,どのような運動が「めあて」の運 動に「転移」しうるのかを知っていなければならない。何を基礎的技能として共通に学ばせればい いのか,それがどんな運動に発展していくのかの見通しを立てておかなければならない。共通の指 導と個別化・多様化すべき指導の両方が大切である。

3) 「めあて」と基礎的技能

 コツをつかみ(動きの感じの全体を,動感メロディーとして,構造化して一気に身につけるため には,その基盤に,「基礎となる動き」の要素を経験させておく必要がある。教師は,子どもの感

(17)

95 日下:現象学的身体運動論考(その3)

覚的な運動の世界に共感し,今もっている力で挑戦できる「動きのアナロゴン」(「類似した動き」

や「類似したリズム」)を多く経験させ,子どもに「できそうな気がする」という「挑戦する意欲」,

そして,自分にあった「めあて」をもたせることが大切である。

 

 (5) 運動意欲とは

1) 意欲をもたせることの難しさ

 技の習得の学習は,その動きの「発生」→「修正」→「適応」→「自在」へと進む。その場合,

教師は,子どもひとり一人の(個に応じた)「感覚運動」の指導を中心に行う。

 「今もっている力で運動を楽しむ」から「新しい工夫を加えて運動を楽しむ」へのスパイラル型 の学習を自発的に行わせ,「できる」,新しい動きの「かたち」を覚える,「動きを工夫して修正する」

の喜びをもたせることが重要になる。ただし,中途半端な遊び感覚では,挑戦意欲はなくなってし まう。強い意欲を引き出す教師の指導力が問われる。

2) 意欲は何によって引き出されるのか

 意欲の定義は明確ではないが,「活動の方向づけや維持を強化する」働きをもつものであり,「内 発的」「外発的」な「動機づけ」によって引き出される。

 特に,運動の「楽しさ」故に「自ら学ぼうとする内発的動機づけ」は大切である。子どもの場合,

その意欲には,「感情」「欲求」「意志」などが含まれている。深い情動,強い欲求,強固な意志を 含んだ「強い意欲」(高い要求水準)は,その分だけ「できたときの達成感・成就感・喜び・満足感」

を大きくする。成功したときの達成感には,身体の奥底に発生する喜びや嬉しさなどの感情・情動 が伴う。

 しかし,「ほんとうにみずから運動に挑戦する意欲」を育てるためには,「できそうな気がする」「も う一回やってみよう」という,動きの感じを呼び起こし,具体的に動感メロディーを奏でさせるよ うな(その子どもの意識下の身体に「引き出し」として)「潜在している運動」が特に必要になる。

その「潜勢運動」が強く触発される必要がある。

3) 「できる」喜びに内発される意欲づくり

 子どもの主体的な学びは,動きを「自分の身体で覚え」,自分の身体をどのように動かせば,ど んな動きになり,どのような動き方ができるようになるのか,という「自分の動きを知ること」(「運 動内観」)によって進んでいく。この「動きを知ること(運動内観)」が「運動感情としての達成感」

を生みだし,体育の「学習意欲」に大きな影響力を与える。

子どもたちは,この流れの中で,「やってみたい」→「できそうだ」「できた」→「もっと上手にな りたい」と,意欲を継続する。

 このように,「今までの自分の運動経験」「できそうな気がするという感覚」「やってみた後で感 じる運動感」は,きわめて重要な意欲に直接的,具体的につながっている。

4) 運動経験を大切にするということ

遊びの中で培った動き方の成功体験は,それを何度も繰り返すことで自分のものになり,動きの 記憶が形成される。この動きの記憶が,新しい動きと「類似した動きの感じ」を引き出し,それを 手がかりに新しい運動を覚えていく。

 動きの記憶を豊富にもつ子どもは「できそうだ」「やってみよう」と,身体に潜在していた「動

(18)

きの感じ」が湧き起こり,運動意欲として表れてくる。教師は,「できそうだ」と感じて意欲的に 取り組める運動,そのための予備的な運動を「適時に」与えることができるように,学習の段階性 や系統性をしっかりともっていなければならない。

5) 「できそうな気がする」段階での意欲

 過去の運動経験から類似した動きの力の入れ方やタイミングのとり方を呼び起こし,実際にやっ ているような「運動メロディー」として奏でられそうな気がする,「できそうな気がする」となれば,

もう挑戦する意欲はある。

 その場合教師は,前もって「動きのアナロゴン」(子どもが感覚的に動きを思い浮かべるときの 素材としての様々な類似した運動例)を経験させておくと良い。

6) 運動感,運動経験によって強化される意欲

 運動感には,感情的な喜びが伴っている。快い知覚,快い感情(“いい感じ”)が伴っている。そ れは自分だけの快感情のエネルギーとなって運動を継続的に,上昇志向で意欲的に行わせる。この

“いい感じ”は,動きをより良くする意欲を高めると同時に,動きを修正するフィードバックの情報,

すなわち,自己観察の基準となっている。

7) 子どもの主体的学習を評価すること

 子どもの主観的な意欲は目には見えない。教師は,子どもの「内にある言葉」に耳を傾け,潜在 する意欲を引き出し,それを伸ばし,評価する必要がある。

8)意欲のない子どもに「火をつける」には

意欲のない子ども・生徒は,練習に身が入らない。楽しさを感じていない。したがってまず,「運 動する喜び」を与えることが大切である。まず,「快い運動感」(“いい感じ”)を体験させることで ある。「軽快な感じで気持ちよく動くことができた時に感じる快感」(フロー)を体験させることで ある。自分の身体を意識し,わずかでもコントロールできたことの楽しさ・喜び(フィジカル・ハッ ピネス)を体験させることである。

 この体験が,その後の学習意欲を支える。意欲的な学習(主体的な学び)とは,自分の動きに注 意を向け,意識的・積極的に次の課題を探し,一つ先の困難を努力して乗り越えようとすることで ある。(その意味と価値は,努力したぶんだけ,進歩した分だけ感じとられる。努力した分だけ財 産として自分に返ってくる。)

 子ども・生徒の身になり,その運動感覚の世界に入り込んで,「自分にもできそうな課題」に意 識を向けさせることが大切である。(「可能性」による動機づけ:「フローのチャンネル」)

 (7)創造性とは 1) 指導

 教師と生徒との間には,「運動への共感」と「運動感覚的な想像力」が媒介となっている。

2) 動きの「創造」

 教師は,「ここでおなかに力を入れて」「ここでは強く押して」と,「コツ」を図式的に説明し,

子どもの運動感覚的(動感)想像力をかきたてる。子どもは,試行錯誤を繰り返しながら,「何と なくわかるような気がする」とイメージ的に動機づけられる。その後,教師は,一見意味のない子 どもの言葉にも耳を傾けながら,子どもの動感世界に入り込み,できない生徒たちに「類似の動き」

(19)

97 日下:現象学的身体運動論考(その3)

を提示し,子どもの立場に立った指導言葉で子どもを誘導する。試行錯誤とフィードバックを繰り 返すことで,子どもは,「子ども自身のほうから」「リズムがわかり」,「ほんとうに自分でやっている」

感じになり,「できそうな気がする」と動感的に動機づけられる。そうして子どもは,新しい動きを「創 造」し「できる」ようになる。

3) 動きの発生・修正  ① 「探り」

 「できる」ためには,動きが「ひとまとまり」になっていなければならない。動きの部分部分 をいちいち確認し「探り」を入れている段階では「できる気がしない」。

 そこで教師は,子どもの出来具合に応じて様々なアナロゴンを提示する必要がある。子ども自 身がアナロゴンを通じた「探り」から,やがて「できる」自分の動きを創造し,全体の動きをス ムーズに連結するようになると,「跳び箱を跳びたい」と言うようになる。

 ② 見えない動きの発生・修正

 水泳の「かえる足」は水の中では発生しない。かえる足には,「水をとらえる」という重要な「見 えない動き」があるからである。この動きの発生や修正のためには,アナロゴン

が必要になる。例えば,プールサイドで腹這いになり,ビート板の両壁に足を後方にこすりなが ら伸ばし,最後に足首も伸ばす。こうすることで「かえる足」の「見えないコツ」をつかませる。

そうして「足で水の抵抗をとらえる感覚」を発生・修正させる。

 (8)動きの構造

1) 動きに構造を見つける

 動きには,まとまりをもった構造(「形態」「かたち」)がある。その構造には,これまでの努力,

意欲,動きの目的や意味といった「価値」が含まれている。また,その構造は,情況や条件によっ て多様に変化する。

 例えば,前転を指導している教師は,動きの「コツ」(効果的な技術の行い方)を解説した後,

学習者の動きを観察し,子どもの態度やしぐさ,顔の表情などからどのくらい意欲をもって取り組 んできたか,また,その子どもにとってその動きがどんな価値(目的や意味)と構造をもっている のかを,教師自身の感覚の中でとらえていかなければならない。

その子どもの動きの「全体構造」を見抜き,理解して,その子どもにとって「よりよい動き」を 身につけさせなければならない。

 生涯の財産としてのその動きを覚え,身につけることが,体育の授業の出発点となる。

2) 動きの先取りを見つける

 動きには,主体的(運動感覚的)イメージと客観的(映像的)イメージとがある。「変化する部分」

と「変化しない部分」がある。

 また,動きの局面には,①「準備局面」(導入,構え,予備緊張など),②「主要局面」(主動作),

③「終末局面」(消失,性的な平衡状態への移行など)がある。しかも,最後の「終末局面」と最 初の「準備局面」は,「融合」して「中間局面」を形成している場合が多い。「~しながら~する」

という中間局面においては「動きの先取り」が行われている。例えば,ゴロをキャッチしてからボー ルを投げるときの中間局面には,それまでの数多くの経験から自動化した動きの融合がある。動き

(20)

の先取りには,「自己の動きの先取り」と「他者の動きの先取り(共感)」があるが,この先取りの 上手なことがよりスムーズな動きの鍵となる。動きの先取りは,意識的に訓練することによって覚 え,身につけることができる。

教師は,先取りを目でとらえることができる。その動きの全体を把握し,指導や評価をしなければ ならない。

3) 動きのリズムを見つける

 「動きのリズム」とは,「どのような力を入れ」「どのようなタイミングで」,「加速の仕方」「力の 発揮の仕方」「力の入れ・抜きの仕方」「アクセントのつけ方」といった「スピード感」「動きの起伏」,

すなわち,「動きの中での緊張と解緊」「動きの力動構造」のことである。それは,「こんな感じで!」

「もっとスピーディーに!」「もっとリズミカルに!」「一気に振り下ろす感じで!」などと表現さ れる。

 それは,音楽のリズムとは異なる。それは,例えば,投げる時には投げ出す局面だけに「思い切って」

「グーン」と力を入れるが,そのグーンと投げる時の「解緊と緊張の力動感(力動構造)」のことで ある。それは「擬音」(「グワーン」「グーン」など),「タクト的表現」(「タンタターン」「トントトー ン」「ギュッ・ポン」など),「かけ声」(「イチ・ニ・サン」など)といった動きの言語が用いられる。

 合目的的,合理的,経済的な動きには,その動きに固有の「基本リズム」がある。それは,一連 の起伏や抑揚をもった「動作の流れ」「全体の流れ」である。目標とする「基本リズム」に子ども たちを近づけるために,教師は以下のようなリズムの3つのポイントをおさえておくべきである。

すまわち,

 ①分節(動作の流れの「節目」,1つの特徴をもった動き,まとまりの部分のこと),

 ②アクセント・力点(ある部分を強調すること),

 ③時間の長短(どの部分をどのくらい長く,あるいは,スピーディーに持続させるかということ)

  である。

 教師は,未だ「基本リズム」には届いていない子どものリズムに「共感」しなければならない。

子どものリズムに入り込み,共有し,そこからアドバイスをすれば,子どもは「わかるような気が し」「できるような気がしてくる」。子どもに教師の語る動きに共鳴させ,受け入れさせることがで きる。ここに「教える=覚える」の関係ができる。

4) 動きに系統性を見つける

 例えば,投げる-捕るの動きは,互いに「つながり」,関連し合いながら「順序性」をもって発 達していく。これを「系統性」という。

 動きの構造(特に,時空的・図形的局面とリズム)が似かよった「類縁性」をもっている運動群 を「技のファミリー」と呼ぼう。例えば,前転のファミリーに共通しているのは,「からだをボー ルのように丸くして」スムーズにころがるための「順次接続」と,「腰角を広げながら足を投げ出し,

それに合わせて上体を一気に起こし」,転がるエネルギーを「伝導する技術」の2つである。

 豊富な運動経験と共感能力が発達している小学校中学年以降の子どもたちには,「即座の習得」

という能力がある。例えば,自転車,一輪車,スキー,スケートなどである。そこには,バランス 感覚という共通の技術要素がある。しかし,同じ動きの課題であっても,その難しさは個人によっ て異なっている。

(21)

99 日下:現象学的身体運動論考(その3)

 教師は,子どもの動きに共感する他者観察を行い,さらに子どもとの対話などを通して,子ども に自己観察をさせなければならない。適切な形成的評価をもとにアドバイスしたり,やさしく変形 した動きを行わせ,系統づけることが必要である。

5) 動きの違いを見つける

 「意図をもって」「動く」と「意図しないで」「動かされる」とはちがう。人間は,自分の意図(企 て)をもってそれが「できた」ときに満足感をもつ。

 習熟には,「粗形態の発生」「精形態の発生」「自動化の発生」という3つのステージがある。動 きそのものが「質的」に上達していく。「負担」が軽減された合目的的,合理的,経済的な動きへ「巾」

を広げていく。

 考えながら学習したり,言語的な指導によって「わかるような気がする」「できるような気がする」

「できる」へと上達していく。子どもたちの動感はひとり一人微妙に違う。動感は自分だけのもの だからである。日常の言語では表現できない。そのときの言語は,具体的な動き方(解決法)を臨 場感をもってイメージできる言語でなければならない。

 生きた人間同士,子どもが意図的に動こうとする,教師が意図的に教えようとする,ここに子ど もにとっての動きの意味と価値が出てくる。

6) 修正の仕方を見つける

 できなくて困っている子どもを,どのようにしてできるようにさせるかが指導者の仕事である。

教師は,子どもの身体のブラックボックスを探り,適切な動きを与え,より良い動きに修正し,そ の「感じ」をつかませなければならない。

 子どもは,先生からの情報を理解し,自分の感覚に翻訳し,身体に命令して,意図的に動く(自 分の動きを企てる)。教師は,子どものこの「動きの感じ」「運動感覚」「動感」「キネステーゼ」の 世界に入らなければならない。いっさいの色眼鏡(偏見)はもちろん,予備知識や常識さえも捨て て,子どもの話が正しいという前提に立ち,子どもがどのような動感世界にいるのか,どのような 動きを企てようとしたのか,どのようにうまくいかないというのか,教師が言った言葉をどのよう に理解し,動感に翻訳しているのかを,「純粋に子どもの身になって共感」しなければならない。「し たい」,しかし「できない」の状況におけるこの混沌とした「動感の翻訳作業」を手伝うことこそ,

指導者の仕事である。

 (9)動き方を覚えさせる 1) 動き方が「わかる」「できる」

 「動き方」は,身体全体の動きが「かたち」として認識されてはじめて身につく。それは,時間的,

空間的,力動的な「まとまり」をもって構造化されている。それが身体に「記憶」され,次第に,

精密な「運動イメージ」として形成される。「わかる」ということは,この運動イメージが臨場感 をもって認識でき,いつでも再現できることである。「かたち」が「イメージ」されることである。

しかる後に,「できる」の段階がくる。

 「わかる」と「できる」は,相互依存関係にある。「わかる」ことがより良く運動を変容させ,「で きる」ことが新たな「わかる」へつながっていく。

2) 「動き方」「コツ」の発展には,3つの位相(段階)がある

(22)

①「粗形態」の発生

 荒削りではあるが,おおまかなフォームが形成され,ある程度確実にできる。「わかる」と「で きる」がはじめて一致する。類似の運動,自己観察,他者観察,試行錯誤等を通じて,運動感覚 の世界で「わかり」,自分なりの「コツ」をつかみ始めた段階である。「苦労して覚えた動きほど 忘れない。」子ども自身がつかみ取り,強い動機づけのある真の自己運動となるよう,ダイナミッ クな動きがいい。

②「修正」と「分化」の段階

 第1段階の欠点を修正し,より合理的な,経済的な動き方を形成したり,条件に対応できるよ う動き方を細分化する段階。幅広い,より高いレベルでの対応・適応・応用ができるような「精 形態」の動きの「かたち」に洗練される。教師は,子どもとの動感世界における共通のチャンネ ルを用いて,「切迫性」をもった指導をすべきである。また,観察の内容を「言語」で表現する 訓練も必要である。

③「安定化」や「自動化」の段階

 どんな条件の下でも身体で覚え,動きが安定し,意識せずとも身体がひとりでに動く,完全に 定着した段階。一定のタイミング,リズムで調和のとれた動きが流れるようにできる。注意は,

外界の条件,味方や相手の動き,状況判断,予測矢先取りへと振り向けることができる。何の苦 労もなく「ひとりでに」できてしまう。いつでもスムーズな運動メロディーが流れる。定着し,「幅 のあるコツ」がそれを可能にしている。「余裕」「ゆとりの幅」が安定化と自動化を促進する。そ れは一生の財産となる。

3) 主体的条件

 動きを覚えるための主体的条件とは,「自ら学ぼうとする意欲」と「学ぶ方法を工夫する学ぶ力」

である。「やる気」のある子どもたちは,自ら工夫してやって(投企して)みて,それを経験や知 識として身体に保存している。これを「感覚運動性知能」という。自己観察や他者観察による比較,

情報の収集や再構成,フィードバック,修正,創造など,「有能な学び手」「主体的な学び手」は,

楽しさや感動によってもたらされた意欲・興味・関心などの「感性」と同時に,価値覚との関連で 運動を「知的」に改善していく。

 (10) 必要な情報 1) 指導者の運動経験

指導者の示範,ビデオ,連続図などを用いて,子どもたちを「やる気」にさせる。

2) 問題の運動技術を探し出す

 できない子どもの気持ちになって,その子どもにとって大切な動きのコツを見つけ出し,身につ けさせる。子どもの動きの他者観察(内部からの観察)を通じて,その子どもの感覚的な動きの悩 みや問題点を「見抜いて」,子どもの感覚的な動きに直接伝わるような情報を与える。したがって,

教師も子どもも,その「動きの感じを書き留めておく」ことが大切になる。「共通のコツ言語」が 創造できればすばらしい。

(23)

101 日下:現象学的身体運動論考(その3)

文献

1) 亀山佳明,(2012):「生成する身体の社会学~スポーツ・パフォーマンスのフロー理論 / リズム~」,『世    界思想社』,pp.216-227,p.250

2) 金子明友(2009):『スポーツ運動学』,明和出版,Pp.380

3) 金子明友監修,吉田茂・三木四郎編,『教師のための運動学~運動指導の実践論~』,大修館書店,1996 年,

   Pp.276

4) 金子明友(2007):『身体知の構造』,昭和出版,Pp.442

5) L. クラーゲス,杉浦実訳(1977):『リズムの本質』みすず書房,pp.66-76 6) 大澤真幸(1990):『身体の比較社会学Ⅰ』,勁卓書店,Pp.386

7) 瀧澤文雄(1995):『身体の論理』,不昧堂出版,pp.1-229

8) 湯浅泰雄(1986):『湯浅泰雄全集 14 巻』,平川出版社,pp.398-455

参照

関連したドキュメント

られてきている力:,その距離としての性質につ

睡眠を十分とらないと身体にこたえる 社会的な人とのつき合いは大切にしている

特に 2021 年から 2022 年前半については、2020 年にパンデミック受けての世界全体としてのガス需要減少があり、その反動

る、関与していることに伴う、または関与することとなる重大なリスクがある、と合理的に 判断される者を特定したリストを指します 51 。Entity

「新老人運動」 の趣旨を韓国に紹介し, 日本の 「新老人 の会」 会員と, 韓国の高齢者が協力して活動を進めるこ とは, 日韓両国民の友好親善に寄与するところがきわめ

・マネジメントモデルを導入して1 年半が経過したが、安全改革プランを遂行するという本来の目的に対して、「現在のCFAM

救急現場の環境や動作は日常とは大きく異なる