商 業 と 經 濟
二 五
二
アドルフ・ウエバーの賠償問題殊に ヤ ン グ 案 及 び ド イ ツ 國 民 經 濟 觀 奥 田 唯 輔
歓洲の平和は賠償問題の展開如何により祁吉の支配
を受けることは覚れまい︒ヤング賠償案は形式的に
は︑ドイツ 帝団議令に於て一九三〇年三月十二日︑祉
曾 民
主 寅
︵ S
. P
. D
. ︶
中 英
寅 ︵
Z .
︶ ド
イ ツ
人 民
弦 ︵
D .
弓 P
. ︶
民主寅︵Dem.︶の二百七十票に封するドイツ団横窺
︵ D
n t
︼ .
︶ 国
粋 社
曾 寅
︵ N
. S
︐ A
︐ P
︐ D
︐ ︶
バ イ
エ ル
ン 人
民 寅
︵ P
y .
く .
P .
︶ 共
産 寅
︵ K
. P
. D
. ︶
及 び
経 済
共 ︵
W .
P .
︶ の
百 九
十二票を以て可決採用せられ翌日直にヒンデンブルグ
大統領は之に署名した︒併し︑それはドイツ国民が心
から∵︶れを受講したことを意味するものでは勿論な
い︑況んや其後ドイツ帝国議合に於ては︑ヤング某反
対の急先鋒たゎし国粋社食喝か急激なる躍進をとけて
居る︒賠償問転は如何に展開して行くであらうか︒紙
上によれば猫の首欄外棚は打揃ふて此度ロンドンを訪 間したと橡へらる︑入会して事情の迫れるものあるか の如くにも息はしめる︒かゝる時︑ドイツの識者が果 して︑賠償聞鰐に対し︑如何に之を観て居るであらうか を研究することは︑強ち徒事ではあるまい︑それがた めには︑教多き賠償問題に拍する著書の中︑ムユンヘ ン大軍経潜塾部教授アドルフ︑ウエバー博士の現代経 済間跨業容螢一巻として一九二九年秋公にされた.
Re pa ra ti On eロ
.Y Ou ng ph n. くe 芹s w叫 rt sc ha f︹
は︑鼓もよい参考書の一であらう︒こゝに私の拭けた
ものは︑此苦の要旨の晃なる招介である︒
︵ 六
・ 六 二 〇
︶
目
次
第二串︑ベレサイユ抱調
節二章︑賠償間堰の第一段階︑インフラーチオン
第三章︑第二段階︑ド 1 メ案
第四章︑第三段階︑ヤンゲ案
一 ︑
パ リ
l
に於げろ同意は止む在得ざリしか
二︑ヤンゲ案に於げろ進歩
三︑ヤング案に到すろ広一段
第五立︑賠低問題の将来及びドイ
y
同氏経前
文献
第一章 ベルサイユ強制
時は一九一九年五月十二日所はベルリン大墜印ち
プロイセンにとり︑かくも'不幸なりしチルヂツトの姉
和後に於てプロイセンが物質カに於て失へる所を精神
力や以て補はんがために設立されたる彼の大島一の大講
堂であった︒此所に緊張せる肢かなる気分の裡に︑ド
イツ図民により選出せられたる代表者法は集まったの
である︑かくて第三十九次ドイツ図民議舎は開曾せら
れたぷ同日の日程は暴力平和反封演説にあつに︒うら﹄
かなる五月日和の其日は︑ドイツ国民議曾開設以来︑
最もうら
λかなる日にるべきかの如くであつに.直じ
立って︑時の首相シヤイデマン氏は閃舎の献やのべ仁 o
m 刀以︑彼は﹁我等同胞は相共に最後まで提携して行か なければならぬ﹂と焔の如き熱を以て叫ん花︑結いて彼 は﹁敵は我等の郷土を捕獲し︑六千高同胞は牢獄の中 に投ぜられ
J政のために懲役に服せしめられる﹂﹁これ︑
我等が‑)の暴力平和を受入れにる後に於て見るべきド
イツの賂来である﹂﹁吾等はかくの如きものに封し.
呪はぎらんとするも呪はざる守得ない﹂と︑言々︑人
の肺加を突くの辞令以て︑この暴力平和に針し反封を
絶叫した︒彼は枇舎民主祭員であつに︒向︑同議の極
左 に
開 局
せ る
ハ
l ゼ氏は叉立って猛烈に反針し︑殊に彼
の郷土にる束プロイセンの土地と図民とが此暴力平
和によりて︑一片の土塊の如く他図に寅られることを
言を極めて難じた︒祉合主義婦人代表は﹁此こそ︑ドイ
ツ園民ぞ敵の奴隷にらしむるものである︒吾等は吾等
の子孫のために断然此卒和を担まなければならぬ﹂と
訴へに︒日以後に非戦論者クグイデ氏は立つに︒述べて
日 く
︑ ﹁
何 人
と 雄
も ︑
五 日
等 非
戦 論
者 以
上 に
︑ 此
の 如
き 平
和
傑件に針し浦刻に反針する理由を有するものはない﹂
﹁若しも此の如︑き傑件が資現するものとしたならば︑
そは人類にとり如何ばかりの悲劇であらうか︑かるが
十 イ シ + イ ン ナ イ ン
故に︑五日人は云ふ︑否︑二度︑否︑更に三度までも否﹂
ア ド
Wフ・
ウエ
l
パーの賠償問題妹にヤシ
r案及びドイ
y
岡氏経済観 二五三
商 業 と 経 沼
と︒破れるが如き拍手喝釆が彼に迭られた.かくて白
熱せる此曾合は閉ぢられた︒私は故意に︑以上の人々
を選んで其云へる所を漣べ土︑何故なれば︑何人も彼
等に封しては其攻黛的地位より見て反動主義者なり.
偏見的図家主義者なりとして非難することが出来ない
からである︑置に此五月十二日ベルリン大串大講堂に
於ける暴力卒和反針の珪は.宇一闘民を皐けての叫びで
あ っ
た ︒
然るにもか
hはら?間もなく吾々は︑加何にも無気
力なるものになって了った︑五日々は世界の何慮にか︑
多少にかゐはら宇吾等の友たるべき者があるであら
う.叉世には向︑多少正義公平なるものが存するであ
らうと信じて居た.然るに四年の間.ドイツ図民は全
世界と︑嘘断せられ此聞に乗じて敵はありとあらゆる虚
言を以て︑世界の隅々に至るまで︑ドイツ図民こそ此 大戦︑而してその伴へる程々なる惨劇に封する唯一の
責任者であると言葉巧みに云ひ炭めた︒ために有史以
来未だ且て見ざるが如きこの暴力卒和に針する︑吾
等の力を籍めての反封の叫びも世界の何慮に於ても何
等の反響をも聞くことが出来なかったっ買に吾等は四
二五 回
而楚歌.孤立無援の裡にあったのである︒
吾等は︑今や.弓折れ矢議きて居る.然るに敵は燦
附測にる武備を以て我に向って居るしかもそれのみな
ら中敵は手に二つの併問具を持して居る主︑一は非人
道的兵糧攻めである︑吾等が傑約に署名する迄は.吾
等が妻子が食糧快乏のために漸失衰弱して終に餓死す
るの様を見る迄は︑敵はこれや縫績せんとして居るの
である︒其二は︑神聖なる夫婦親子の愛情守採捌せる
か の 惨 酷 な る 魔 手 で あ る ︑ 内 に あ っ て は 数 十 一 両 の 妻 女
子供︑兄弟.友人等は一日千秋の忠を以て捕虜の身と
なれる人々の蹄還を待ち焦れて居るつ外にあっては.
此等の人々は復仇に燃えつ
hある敵凶につながれなが
ら其稗放を渇望して居る︒而も敵は吾等が署名する迄
は 断
C て其魔子を緩める可くもない︒
かくて.われらドイツ図民にとり恐るべき最後の断
案を下すべきの日は来た︑吾等は空手空傘︑以て最新
の武器を備へたる故に針して最後迄戦ふの回目険を敢て
すべきか︑.其結果は自ら明かである︒ドイツの全滅で
ある︒而かもこれ敵の秘かに望む所であるつはた叉吾
等は恥を忍んで.彼の嘘俗的傑約に署名し全国民あ
けて牢獄の苦を嘗むべき
U.
蛍局者としては︑ドイツ
図民の全滅を賭するが如き冒険を︑敢てすることは出
来なかったであらう︒よしんば最後の反抗を試むる
も.これ敢て露のクレンスキーの愚を臨一ぶものにし
て︑帝国の滅亡.ボルシエピズムの勝利を招く恐れな
きか︒人或は云はん︑生きて祭器を失はんよりも寧ろ
全滅するに如か宇と︒併し若し吾等が此ま﹄全滅し
‑h円
ならば︑敵が数年の間.言葉巧に誼
47
一
口 を
以 て
︑ 五
日 等
の
上に被せたる賓罪を加何にしてか雲ぐことを得ん︑吾
等ドイツ図民はこれあるがにめに此不買の罪を零ぐが
潟にこそ生きのびなければならぬではないか︒
恐るべき至難の一語︑詰!否!何人と雄も最後
の回答を決する利那に於て︑例へ五月十二日に見たる
全園民の一致が︑千々に打砕かれにりと雌も︑これを
以て︑ドイツ図民を難ムダることは出来ぬであらう︒か
くて六月廿八日午後.ベルサイユ宮殿鏡の問︑印︑一
八七一年一月十八日ピスマルクがドイツ帝国の創設を
宣言せるあの一室に於て︑終にドイツ図民の代表者
は図民議合の命に従って︑彼の所謂依約なるもの︑事
買に於ては失神せる者に針し強迫せられたる一種の強 制にす︑ぎざるものに署名したのであるつかくの如きも のに封して︑敢て署名を飴儀なくされにるドイツ代表 の心中こそ賓に察するに偽りあるものであつに︒
今や吾等心あるものにとっては︑唯一つの望みが存
するのみとなった︑郎︑かくの如き愚劣なる傑約が︑そ
れ自らの愚劣のために自ら崩壊し.かくて吾等の前に
経法的政治的恢復への遣が再び自由に開かれる迄わ
れらドイツ図民は其力冶持ち耐へ得るであらうと云ふ
一つの望みである
c兎に角今や敵は完全なる勝利を得
たもの
h如くであった︒英図は競争相手にるドイツを
破滅せしむることによって︑再び世界経漉界に於る覇
者たるの地位守恢復し︑フランスは先祖代々の仇敵を
打破し.以て其ヨーロッパに於ける指導的地位を徹底
的に確保せんとしたのであった︒のみならホフランス
は︑あ怯よくば更に機密待ってライン地方を獲得し︑
以てドイツ阜市岡の分裂を来さしめんとの乗ての的去を
も蓬せんとしたのであった︒此フランスの野望は活去
に於て二回までふ殆ん E 達せられんとしにのである
邸︑十七世紀の終と十九世紀の初とである
cしかし乍
ら二度とも敵の忠ひがけぎる反響をよび起した︑郎.
ア ド
UFフ・ウエ1バ1
の賠償問題妹日ヤシグ案及ぴドイ y 図民経済観
二五 五
商 業 と 経 済
それがために内面的に分裂せるドイツ図民が︑長後の
瞬間に於て相聞結し︑以て其危機を脱したのであった︑
果して此度も叉然かくありうるであらうか!
ドイツが︑ペルサイエ強制に署名した時は︑ドイツ
は困窮の極にあった︒四年の長︑ぎに亘れる大戦のため
に吾等は総ての物総ての力を捺け悲したのである︒
旦帝園は革命による幾草にあひそれは経滅的には不幸
なる勢働運動として出現し来った︑農業も商業も工業
も︑全く混沌たるの朕態に陥ったのであった︒かくの
如︑ぎ経減倒的責態い陥れるドイツより︑ベルサイユ強制
は︑震に我領土の八分の一を強奪じた︒しかも此八分
の一の面積にはドイツ銭鍍の四分の三︑同じく錫綴の
四分の三及び石炭の四分の一を殺して居たのである︒
かくて戦前に於て︑既に︑多大の原料を図外に求めぎる
や得ぎりしドイツは愈々経潜的獄立を失ふに至った︒
ま す ノ k 材料を海外に仰ぎ其所に経溌的基礎研}求めね
ばならぬこと
hなつに︒しかも︑これがために必要な
るものは海外投資である︒然るにド l ズ委員舎の算定
する所に従へば︑戦前に於けるドイツの海外投資は︑
或百八十億一両マルクに達せしが︑戦後五年に於ては残
二五 六
留せるもの佳に六拾七億五千高マルクにすぎぬ︒のみ
ならホ敵は我商鴻の十分の九及び全植民地や浸牧し去
ったが故にこれはわれらにとりいよノ
¥1
困難とな
っ て
来 た
︒
かくて図民経済的片割れとして残れる旬︑土は叉至る
所あらゆる苦痛ぞ嘗めさせられたのである︑就中︑最
悪なるものは︑ライン一帯の占領であって︑宮に図民
の五分の一はこれがために外閥兵の監視のもとに働か
ねばならぬこと誌なった︒さらに︑非占領地帯に於て
も.外闘より汲遣されたる各種の委員︑代理人︑監視
員は多数到る慮に赴いてあらゆる秘密を採り抗議を申
立て︑ためにドイツ図民は其労働.其生活すらも楽し
む能はぎるに至った︒しかもその占領投及び外岡監視
員
ω費用は︑ドイツ図民自ら乙巻負捻しなければなら
なかった︒政府の報告する所によればライン一帯に於
ける占領軍隊の維持誌として︑ドイツ帝闘の支抑へる
ものは一九二三年末迄に︑五拾安億四千五百一両マルク
に達せりと云ふ︒年平均支出額資に拾億一角マルク以
上にして大戦前に於ける(一九一 O 年より一九一三年
迄の)ドイツ陸海軍総潔算卒均額に該賞する︒
占領地帯に於ては.かくも軍図主義が其勢をたくま
しふせるにも不拘︑ドイツは軍備撒庭に重ぬるに.叉
撒腔を強要せられた︒これがためにドイツは六拾参億
一両マルク以上の軍事品を浸牧せられたのみなら守徹底
的軍備徹底のためと稽して︑工業設備の怒なる破壊す
らも受けた︒例へば貯水塔︑煙突愛電所.倉庫銭
道の加きものすら軍備に利用せられたとの理由そ以て
破壊せられために多大の労働力は生・庭的活動を阻止
せられた︒これによりてドイツの蒙れる損害は賓に九
拾億高マルクに蓬せりと云ふ︒
他面に於ては︑ドイツが敵園より浸牧せりと推定せ
られ又は事賢浸牧せる機械.器具︑加舶.動物に付て
は其返還叉は代物の調達を強制せられ︑これがために
ドイツの費せるもりは︑叉︑四億四千六百一両マルクに
及 ん
で 居
る ︒
併し乍ら以上述べたる総てのものは唯︑墜に本題
印︑賠償問題に至る前置にすぎない︒此外にドイツは
賓に彼のベルサイユ強制第二百三十一傑に依り﹁ドイ
ツ及び其同盟園は戦争の後頭人としてその襲撃のため
に戦争を偽儀なくせられたる聯合図及加戦図の政府及 図民が戦宇に依って蒙れる総ての損失及び碕害に封し 責を負ふ﹂旨を自認すぺく強制せられたのである.し かもドイツが全責任を負ふて其全損害巻償ふと云ふが 加きことは到底事情が詐さないけれ共ドイツは能ふ限 りの力を査して︐その最大限度に於て賠償しなければ ならぬと云ふのである︒これがために︑多数の損害賠 償事項は列皐せられた︑しかし其賠償額の具鰻的決定 は之を向後に委ねられた蓋し.十分なる要求をなす の遣なきがためであったであらう︒かくて賠償委員 舎なるものは此ドイツの賃債総額の具館的決定及び﹃﹄ れが取立の目的を以て︑設けられこ
hに賠償問題なる
惨劇の幕は切られたのである︒
賠償問題の第一段階 インフラ
lチ オ ン
前敵国に於てドイツの給付能力に闘して︑加何に空
想的算定が行れて居ったかは弐の事・貨に依っても之を
知ることが出来る︒旬︑英図に於ては一九一八年末︑英
国総選皐に際しドイツの年給付能力︑或百八拾八億高
マルク在期待することが出来るとせられて居大︒叉
仰図に於ては蔵相クロツツは一九一九年九月五日議舎 第二章
アド
フ・ウエ1
パ
1の賠償問題殊にヤンゲ案及びドイ y
b w図民経済観
二五 七
商 業 と 経 済
に於て濁の年給付能力百八拾億高マルクと算定した︑
事質に於て一九一九年より一九二二年に豆りドイツが 賠償のために提供せる債値の英大なりしことが此黙に
付て大なる誤解を招いたのである︒例へば一九一九年
九月より一九二三年初に至るまで︑毎日百車靭を建結
せる石炭列車は十五分毎にドイツ図境を超え彼の﹁工
業の糧﹂を白.悌伊の諸岡に供しにのである︒かく
て一九二二年末までに︑吾等は総計五千四百高トンの
石炭と骸炭とを供し其債額賃に廿五億高マルクに達
する︒其他の現金及び質物給付額を合すればドイツ蛍
局の算定する所によれば︑一九二二年十二月三十一日
迄に於て四百拾六億一両マルクに及べりと云ふ︒然るに
一方これに封し賠償委員舎は賠償勘定より僅かに七拾
九億一両マルクを消却せるのみである︒併し併ら瀕死の
重傷を員へるドイツ園民より徴牧せられたるかくも英
大なる償額は甚しく微弱となれる図民の財産そのもの
を更に浸蝕して.初めて得られたるものである︒故に
吾々は計百血栓絞って賠償をなすと雌も早晩﹁牛は長平
乳を奥へることが出来ぬ.何故なれば其間牛は既に屠
殺せられて了って居たから﹄と云ふが加き時機が・来な
二五 八
ければならぬ事情にあった︒石炭の快乏のため
Fイ ツ
に於ては熔銑慌及び電気工場を一時休止しなければな
?りなかった︒然るに一方︑フランスに於ては提供せら
れたる石炭の一部分を消去し得大るのみにてち他の部
分は世界市場に持出し頁却しそれが廻ゎ︐廻って再びド
イツに腕って来ることもあると云ふ有様であった︒
一九二一年一月パリ i に於ける前敵園首脳者(静岡時
プリアンがフランス首相であった)合議に基いてドイ
ツは四十二年間に或千武百六拾億一両マルクや支抑ひ且
加ふるに年々其輪出額の一割二分を支抑ふことを要求
せられたこれを五分の利息を以て計算すれば其現債
は裕に九百億高マルク以上に達する︒此要求は外図の
圏構主義者側からは向︑過小に失するとて非難された
のであるが︑ドイツ岡は到底か﹄る要求に路守ること
は事質不可能のことであると云ふの故を以て拒絶し
に︑此問︑程々の折街が行はれにのであるが︑ドイツは
濯にアメリカを此問の仲介者たらしめんと試みた︒印.
ドイツは一九一二年四月廿四日の文書を以て聯合同側
のアメリカに封する債務を自ら引受肩替せんこと冶願
出でに︒アメリカは此に針し皐にドイツは大戦に針し
責を有し︑能力の許す限り賠償金を支挑ふ道徳上の義
務があると宜一一一一目したのみであって︑ドイツ側の具健的
提議に付て.協議を唯一めることを拒絶したのであるu
ロンドンに於ける協一議は︑終に︑一九一二年五月一つ
の最後通牒を以て終結した︑郎︑反艶側はドイツが出品
千参百武拾億一尚マルクの賠償金と加ふるにベルギー
の聯合同に針する債務印︑六十億一両マルクとの支挑を
承諾する旨啓明せ
さ.•
れば 一史 にル
l
ル地方をも占領すべしと脅威した︒これに封しドイツは同額の公債守引渡 すべし而してそれは総ての租税其他の責捻を兎ぜら れ市場流通牲を兵へ且ドイツ帝閥及び聯邦諸国の全 財産を以て捻保せられたものでなければならぬと云ふ
のである︒その支抑計主として年生見拾億一両マルクと
外にドイツの輪出額の二割六分に相官する額と在要求 しに此案によれば例へば一九二八年に於てはドイツ
は約百武拾億高マルクの輪出在日んたるを以て五十億一両
マルク以上の支抑をなさねばならぬ勘定になる︑無力 なるドイツに取りではか﹄る脅迫の下にこのロンドン
長後一迎牒守無傑件で受入れるの外なかつにつこのこと
ありにる静岡目︑既にドイツ閣内に於ては一郊に封し六 十二マルク四分の三を支抑つにのである︒
間もなく人は弓を張りすぎたことが分かった︒一九
二一年.五月舟一日ドイツは第一回賦金として拾億一両マ
ルク在支排はなければならなかった︒多大の辛苦のあ
けくやうやく六億八千五百一角マルク丈︑金︑銀.鍔替
を以て調達し得.残徐に封しては高利付短期外債によ るの外なかった叫係︒多額のお替を一時に提供せるを 以て︑生活必昂品輸入のために要する金融は不能に陥 りこれがためにも亦︑短期外債を求めなければなら なかった︒一九一二年夏︑初めて弼相場が百マルクを
超えた﹃)とは別に異とするに足らぬ︒
何とかして所要め儒替を調達しようと云ふ念願より
して︑一九一二年十月時の外相‑フi一プナワと備の外相
ルシヤールとの聞にグイ
l
スパ!デン協定が生れた︒それによればドイツは破壊地方の復興のために四ク年
半に七十億一品マルクの質物給付をフランスになすべし
と云ふのである︑而してをれに依って此聞に支排ふべ き賠償金の僅かに三割五分を消却すべく其硲依の支抑 はしばらく延期し機を待って鍔替を以て支排ふべしと 云ふのである︒かくの加き協定によってドバツ側に有
アド
Wフ
・ウ
エ
1
バーの賠償問題殊にヤシグ案及びドイY図民経済観
二五 九
商 業 と 経 済
利な影響を震替相場の上に奥へ得べしとの考へは︑併
し全然諜りなることが間もなく判明した︑蓋し根本的
に考へれば︑ドイツが質物を以て支梯ふにせよ︑同県の
局替をはて支梯ふにせよ︑其結果に於ては全然同じ
ことである︒音物を以℃支抑へば︑それ丈輪出し得べ
き商品の量を減じ従って其代金取立のために振出さる
べき鍔替の供給を減中べきが政である︒
グイスパ!デン協定締結の数日後に於て.国際聯閉山
目 誠
一 向
合 議
の オ
バ
l
シユレジヱンの境界線の決定が下さ
れた︑ドイツはオバ l
シ エ
ν ジエンに於ける工業地帯
の殆ん E 全部守失った互に密接なる関係を有せる工
業は一本の境界線により二つに引き裂かれた︑ラ
iテナワがずイ
lス パ
l
デンに赴ける時百二十一マルク
なりし弼相場はずイ
lス パ
l
デン協定締結後一週間に
して︑既に︑百五十マルクに騰貴し︑今や一躍して一一一
い臼十マルクに騰貴するに至つに︒
一九一ご年十二月ドイツ攻府はドイツ図民の方は今
や破滅の直前に立てること守認めざ︐
Qを得なかった︒
印︑政・府は敢闘にモラトリアムを歎願したのである︒
一方攻府は賠償案の命中る所に従ひ極力其必要資金の
二六
O
調達に努めたのであるが四閣の事情よりして唯外債
の助けによる外なかりしを以て︑英図に於て其募債方
を折衝した︑然るに有力なる方面(英繭銀行)よりドイ
ツが賠償問題のために現在の如︑き傑件在課せられ居る
以上︑英図に於て此の加き募債をなすことは至難であ
る旨を回答せられた︒
再び合商となつに︒カンヌに於て一九二二年一月︑
常座の間ドイツより年七億或千高マルクの現金と十四
億五千高マルクの現物給付とを要求すべく決せられ
た︑ドイツは極力此に従はんニとを努めたのであるが
併し既に四月にはドイツは其支梯能力の審査を歎願し
なければならなかった︒七月にはドイツ代表はパリ
lに於て明日泊れる賠償金支抑の解決方を折衝しなけれ
ばならなかつに︑弼相場は一九二二年の夏の間に︑五
百マルク以上に暴騰しにつ
同年の十月じは︑更に︑部相場は千八百マルクより四
千五百マルクに飢騰した︑ドイツは一方外岡専門家の
注意を促すと共に︑自らも極力通貨安定策を講じたの
であるが総ては水泡に蹄した︒一九二二年十一月壮一
日 ク
lノl
内悶が成立せる時は既に弼相場は六千マル
クに達して居に
Q終に・米るべきものは来った︑第二降誕祭の日に賠償
委員合は英図委員の一票に封し三回一加を以て︑ドイツの
賠償不履行の認定を下し七︑マルクの暴落のために賠
償用電柱十四高五千本の引渡が遅滞し︑且引績き石炭
給付の極一部分が遅延せるがためである︒一九二三年
一月十日倒︑白︑雨図はルール地方に軍隊擁護の下に技
師よりなる一閣の委員を汲遣すべき旨通牒し来った︑
引続き最新の武器守以て装備せる軍隊はル l ル 地 方 に
侵入し来つに︒これがため被占領地帯の経済は非常な
る座泊吾被ったことは云ふまでもない︑例へば同地方
に於ける炭坑は其採掘高の四割を課徴せられ︑関税牧
入は浸牧せられドイツの各税関には外図人より成る監
視機関が設置せられると云ふ有様であっ大︑新なろ関
税境界線の出現により︑ドイツの経法地帯は二分せら
れ︑而も此境界線はドイツ財界の致命傷ともなるべき
場所に設けられたのである︒世界に於て最も複雑せる
同地方の銭道は驚くべき飢用を受けた︑貨車の使用期
間は普通四日乃至五日であるが︑非︑蛍時に於ては二十
日以上も引絞き運特使用せられた︑工場は其製品資却 不能のため叉は原料取寄せ溢滞のため作業を休止︑叉 は制限しなければならなかった︒旦︑到る慮に暴虐 の限りがつくされた.例へば蛍時?住宅難に苦めるエ ツセンに針し士官.下士︑官吏用として短時日の聞に 千五百戸の住宅の徴殺を命宇ると云ふが如︑き其横暴の 航
紘 一
十 舌
の よ
く 之
を 蓋
し 得
ざ る
所 で
あ つ
に ︒
非占領地帯に於ては吾々は所謂︑消極的抵抗を初め
たのであっにが中央の指導宜敷きを得ざりしため其殺
果も思はしきものがなかっに︒かくて図家財政は全く
混飢に陥って了ったマルクは暴落の一途冶辿るのみ
であった︒悌軍がエツセンを占領せる時は一弗に封し
一一両五百マルクと云ふ相場に達した︑其後︑四週間にし
て ル
i 凡地方の遮断が完全に行はれた時は早や一弟に
針し四一両マルク在支排はなければならなかった︑同年
の六月に於ては︑弟相場十五一両四千五百マルクに飢騰
し︑其後は全く急速なる勢を以て百一両マルク千高マ
ルク.一億一両マルクとの除り.終に同年十一月には四
兆︑五兆︑六兆マルクと云ふ相場を見るに到つ亡︒
ドイツの図民経法は︑今や浸落の外はない︒ライン
の 彼
方 に
於 て
は ︑
併 の
野 竪
印
︑ ラ
イ ン
一 州
市 の
獲 得
︑ ド
イ
アドWフ・ウヱーメーの賠償問題妹にヤシグ案及びドイ
w J 図氏経務観
一 一 六 一
商 業 と 経 済
ツ帝国の分裂が︑殆ん E 遼せられんとして居る︒吾々
は︑此閥︑レシアンマルクを創設するないと︑あらゆる努
力を梯ひ危機を脆せんとせるももはやかくては此際
巨額の外図資本の助けを借るの外︑通貨安定の策なし
とは︑総ての専門家の意見の一致する所であった︑併し
此外国資本を得るがためには是非共︑ルール地方の解
放と賠償問題の緩和を得るニとが必要傑件であった︒
第三章 第二段階︑ド
lズ索
既にのぺたるが加く吾々は臆念の策としてレンテン
.マルクを創設したのであるが︑之を一時的に維持する
がためにも.徹底的緊縮政策をとらなければならなか
った郎︑思ひ切った官公吏の減俸減員が断行せら
れ︑官会吏は従来の俸給の僅かに︑三分の一︑乃至︑
四分の一を支給せられ叉数十一両の彼等は失業の憂き目
を見た
0・信用は徹底的に緊縮せられ︑これがために金
利は六割乃至八割と云ふ今日に於ては殆んど信宇る能
はざるが如き相場を呈すると云ふ有様であった︒叉︑
有償詮券は極端に下溶し外閥資本家は此等の中.有
望なるもの在選んで二足三交の値段を以て買取って居
一 一 六
た︒農村経済は非常なる困窮に陥り.穀種︑肥料︑市
程ぞ購買すべき資金すら制法することが出来ないと云
ふ朕怨であり︑そのために圏内の食糧は盆々快乏を来
し︑一居其不足を海外に求めなければならぬ必要に泡
られて来たが︑之が購買に要する鍔脊は︑之ぞ調達す
るに由ないと云ふ有様であった︒
か﹄る時に於てド
l︐ス案が提出せられ︑ドイツに其
採否を問はれたのである︒ド
1 . ス委員合に於てはドイ
ツ人は議決構も.亦評議樫をも奥へられなかった︑ ド l ズ委員舎の委員は努めてドイツの経溌欣悠を正視
せんとせることは之冶認め得べきも︑営時の朕怨の混
沌たる︑ドイツ人それ自身にすら其正視の不可能なる
の時なりしを以て︑外園人たる彼等に正解を期待し得
ざりしは勿論である︒一部の人々が︑ドイツ人の嘗め
たる昔︑ぎ経験に鍛み例へか﹄る案が如何に正義の俄面
をつくるとも.之を信宇べきではないと反封を叫べる
も︑叉︑宜べなりと云はなければならぬ︒
併し︑叉二歩退いて此案を見るに.そは偏狭なるフ
ランスの同家主義者の考︑彼等の抱くドイツ帝図分裂
の策謀に比すれば透かに進歩せるものがあった︑何と
なればド1ズ委員舎に於ては.ドイツより賠償金を取
らんとせば︑少なくともドイツを殺すべきではない︑
其経済を破滅さしてはならぬ︑と云ふのが其所見であ
ったからである.今︑五日々がドlズ案の採否を決寸る
に蛍り其基準大るべきもの在皐.ぐれば次の三貼で
あ る ︒ 印 ち
一︑そがドイツの経法的自主様冶回復せしむべきや
否 や
二そが賠償金支抑の絶針的前提たるべき︑通貨の ︒
安定財攻の均衡密資すや.否や︒
三.賠償金の支抑はドイツ園民の輪出超過︑即ち貿
易尻己よりてのみなされ得べきである.故に︑か
hる
貿易尻をあけ得にる時にのみ︑賠償金の引渡は可能な
るが︑そが果してしか怠固し居るや否や︒
賓に︑以上の三結が吾人の前に展開されてこそ︑
吾々は
J暗黒の裡にも.一線の墜を得る理である︑而し
て反之.吾々が此ド i ズ案の採用生拒否せんか︑敵は
一史に新なる強制力を以て我に臨むべきは極めて明白な
る事質であつに︒
叉︑之を後日の経験より見るもド l ズ案の採用は蛍 時の欣態に於て無力なるドイツのとるべき唯一の賢 策
で あ
っ た
︒
事質に於てド l ズ案及び其直後︑それに基いてなさ
れたるロンドン協定は︑多くの利盆をドイツに賀し
たることは否定し得ざる所であるが︑其主なるものを
皐ぐれば︑失の如くである︒
一︑フランスの攻治的野望が経湾目的に従ふ現寛政
策のために抑制せられたること︒
二︑ドイツの経済的心戒にるル l ル地方が解放せら
れ た
る ニ
と ︒
三.外岡資本市場が.門戸を吾人の前に解放し鍔
にドイツ園内の金利も︑漸次低下せること︒
四︑外図軍隊の占領費︑及び外図波遺委員の諸費用
は︑爾後此等の諸外園自ら之を負携することとなり叉
其結果として自然汲遣軍隊及び委員が漸減せること︒
五︑ドイツの利盆と外園︑殊に︑アメリカの利盆
とが連絡せられ︑其結果
. γ
イツ囲内に於ける外岡資
本擁護のためじも.前敵国側の要求を緩和するの止む
なきに立至らしめたること︒
六︑ドイツの通貨をして永績的に安定せしむること
ア ド
ル フ
・ ゥ
・ エ
バ
1
の賠償問題妹にヤシ
r案及びドイ
y 図民経済観
一 一 六
商 業 と 経 済
を得たること.これ蓋しド1ズ案の資したる最大の効
果とも云ふべきである︒
叉︑其外︑ド
lズ案に針する憂慮︑郎.ド
lズ案成
立の結果外同人が監督機関に加はること﹄なり.ため
にドイツの財攻.金融︑関税上の自主植は.侵害せら
ると)となきゃと云ふ懸念も全然資現せ示︑軍に一片
の杷愛と化したのであった例へば︑ドイツ帝園銀行
の政策の如きも︑全くドイツ人の意のま﹄に行はれ︑
戦前と同一の見地より総てが潟され外園人側よりのド
イツの金融自主樫抑制の企ての如︑きは何等之を見苫
りし所であった︒
併し以上総ては︑ド 1 ズ案により.吾々は唱へ得べ
からざる犠牲を要求せられたと云ふ事官舎欺附し去る
ことは到底出来なかった︑賃に吾々は年或拾五億一向
マルクの賠償金を要求せられた
ωみ な
ら や
ノ
B
其外に繁
栄指数に基く迫加給付を強要せられたのである繁栄
指数に基く迫加給付とはドイツの輪出入高の増加︑
ドイツ帝園及び聯邦の牧支額の漣培︑商品取引一品︑砂
糖︑煙草︑ピ
lル︑酒の消費高の増加︑ドイツの人口
の増加︑石炭︑褐炭の一人常り消費量の増加すればする
二六 回
程︑叉︑賠償金の給付を迫加加重すべしと云ふのであ
る︑五日々ドイツ図民が経情的回復のために奮助努力す
ればする程︑報ゆるに賠償給付の加重を以てすると云
ふ本案は.思へば︑
44mし会法に値する︒
此の如き案に封し.吾等の署名せしことはもしも
本案の根本精神が通貨の保詮.経済の保詮に存せざり
しならば買に思妄の極みなりしならん此に遁貨の保
詮とは賠償金の支排によりて我通貨制度が危害を加へ
ら る
h
ことなき守云ふ︑経済の保詮とは賠償金の支抑
によりて︑ドイツ経済の元本が侵されることなきを云
l
チオンの惨害の︑身に浸み込みたるドイ インフラ ふ ︒
ツ園民が︑通貨の保詮︑安定をひたすら渇望せること
は勿論である︑併し︑最早殆んどインフラ i チオシに
就ては︑何等恐るべき必要はない︑もしも我ドイツ帝
園銀行が.政府の座泊干渉をはなれて濁立の地位を
保持し.且現行正貨準備規定巻厳守するならば︑再び
インフラ│チオンの襲来と云ふが如︑ぎは︑殆ん E 最早
技術的に不可能事である.かく遁貨の安定を得たる反
面に於ては叉ドイツ帝国銀行は.一定の狭き限度を
超えては貸出を行ふこと能は.ざる賊態に置かれに︑故
に︑此限度に貸出が達すれば帝国銀行は︑其割引率をい
やが上にも引上ぐるか︑叉は四国の事情ぞ顧慮せ示︑
其貸出を制限するかの外なかっ六︑此事は.引いて信
用の快之を来しそが如何に︑中小企業じ惑影響を典
へたるかは)蛍時外岡資本家が︑ドイツ内に於ける
短矧資本を引上けんとする振を見せたる丈にて︑ドイ
ツ財界は直に非常なる脅威に襲はれたるの事官に見て
も明かであるかくて信用の逼迫は金利の騰貴とな
り外国資本家は之を笠んで雌寅なる捲保を取って︑
盆々北︑資本在ドイツ図内に貸付くるに至った.かく
て.ドイツ凶民が終一湾的閤窮に陥れば陥る程︑列図資
本は流入し︑これがために匁替の供給は増加し允ので
あるが質に此借金銭替印︑外資輸入鍔替を以ア賠償
金は支排はれたのである︑郎︑ドイツ園民が悶窮すれ
ばする程︑賠償金支抑の予防刊にり得べき此種の銭替は
盆々潤洋となり︑それを以て叉ドイツは賠償金の支抑
にあて来ったのである︑かくて︑ドイツの輸出超過︑
郎︑貿易尻によりてのみ賠償金を支抑はしめ︑以てド
イツ絞踏の元本を浸蝕することなく︑之を保詮せんと
せ る
ド
l
ズ案の根本精紳は全然浸却せられ賠償金の支
排は︑郎︑外債の増大︑ドイツ経済元本の浸蝕を意味
し︑か︿て︑もし︑このまミ数年を経過せば.ために
ドイツの経済的破滅を来し︑終に︑賠償金の支掛は絶
封に不能となるべき服勢に陥り︑此にド
lズ案は全く
行詰るに至ったのである︒
か﹄る行詰れる獄勢に立至る前に於て︑ドイツ静岡局
一 か
. ド
1 ズ案の根本精神は全く浸却せられて賠償金が
取立てられ居る事賞に封し抗議を符し其針策を講ホノ
ることなくして︑徒 μ 四年を経過したるが如きは.不
都合なりと云はなければならね︒
かくて吾等はド l ズ案の下に絶望の欺態となり︑債
椛者諸国は彼等自身の利盆のためにドイツ図民経済
を全く破滅きして了ふが加台ことは︑よもやあろま
いと云ふかすかなる笠を有するのみとなった而も
一大図民経済の死滅と云ふが如︑き事は急速に現はれる
ものに非宇極めて徐々に来るが故に此危機に際し.
傑約的協議守待た宇して債搭者諸園より唯一んで遁蛍の
時に於て救済の手守延べるであらフと期待することは
到底不可能であった︒
•
ア ド ル フ
・ ウ エ パ ー の 賠 償 問 題 妹 に ヤ シ ゲ 案 及 ぴ ド イ
w J 国民経済観
二六 五
商 業 と 経 済
唯︑此間吾等の慰安とする唯一のものは.か
hる
欣筒仙の下に於ても︑吾等は最後まで賠償義務を誠
心誠意を以って履行し来ったことである︒此貼は叉賠
償委員舎に於ても.此を認むる所にして屡々彼等はド
イツの誠意に針し讃美稽読・したのであった︑しかし
此稽讃は叉.以て︑ヤング案下に於けるドイツの窮
迫を到底一糊塗するを得宇.彼等委員命日も︑此逼迫せる
賊態を見て︑他に先んじてドイツ及び抗︑債様者諸国の
聞に於ける新たなる交渉の要を痛感するに至ったので
ある.ドイツとしては勿論︑此交渉を担むべき筋合で
はなかったのである
G第四章 第三段階︑ヤング案
一九二八年九月十六日︑濁臼悌
1英︑伊.日.
政府の代表者はグンフに於て賠償問題の完全にして徹
底的なる解決の必裂なること且︑之がため
ι︑六大図
攻府によりて︑任命せられたる金融専門家より成る委
員舎を設置すべき旨︑決議した爾来︑此決議に参加せ
る六ク図政府は︑此が質現のために︑種々交沙を進め︑
終仁一九二八年十二月二十二日なされたる新専門委
一 一
六 六
員合設置決定の公表となったのである.それによれば
委員舎は出来る丈︑早く之を開催し︑且︑ムハク闘政府
よ 0
.
それに封し.失の主旨の委任をなすと云ふこと
になった︑印ち︑
﹁濁・白・仰・英・伊・及び日本攻府は一九二八年九
月二十二日に於ける各国攻府より溺立せる金融専門委
員合設置に関するグンフの決議に従ひ︑木委員合に︑
賠償問題に付て完全にして決定的なる解決案の作製を
委任すべく決定した︑本案はドイツ及び党︑債権者諸闘
の聞に存在する傑約及び協定に基き︑後生すべき︑一
切の債椛債務関係を規定すべきである.本委員舎は︑
グンフの決議に参加せる諸岡攻府︑並に.賠償委員舎
に︑其報告をなすべし﹂
金融専門委員舎は四ク月の長きに瓦って︑熱心に協
議せる結果.ゃフやく︑一つの案に到達した︑此案は
彼等自ら認むるが如く︑それは決して最後的のもので
はない︑それは経済的考慮のみなら示︑叉︑攻治的考
慮を待って︑始めて︑決定せらるべきものである︑叉
それは︑とりも直さ宇ヤング案が賠償攻策の一段階に
すぎざることを意味するものなりと云はなければなら
ぬ︑吾人は今︑以下に於て本案をドイツ園民の立場よ
り股正に批判せんとするものであ
r︒併しそれが前提
として︑次の問題を︑一‑熔吟味する必要がある︒
一 .
パ リ
l
に於ける同意は止むを得ざりしか?
ド!ズ案の下に設けられたる賠償委員舎は︑無能組
むに足ら宇︑例へば︑パリ l 合議開催蛍時の四月(一
九二九年)は財界逼迫し.ドイツ図民経清は非常な
る閃難に陥り︑税もすれば通貨制度の危険すらも
恐倶せれられたるに賠償委員舎の四月に於けゐ.正
貨引渡額は末官有の多額に達すると云ふ有様であっ
た.叉一面ドイツに投ぜられたる外岡資本は咽喉
に犯せる短刀の如く︑絶え中'ドイツ財界を脅威して
居に︑こかが錦叉パリ!に於けるドイツ代表も︑少な
からざる脅威を感ぜることは事宜である︑貫際九百時
の欣態に於ては.フランス側よりなされたる投資の一
部を引上ける丈にてドイツ財界を撹飢するに充分であ
っ た
y 況んや合議の雲行惑かりし時に於ける米凶の輿
論は一部の例外を除き︑一般じ於ては︑ドイツに極め
て不利なるものがあり︑大戦蛍時の容気を忠ひ出させ
るものすらありしに於てをやもしか
hる不安によ り金融恐慌の襲来する所とならんか︑ドイツ経済界は 非常なる打撃
LT蒙り︑弊働者の失業は︑いやが上にも
増加し商品及び有債詮券は︑再び惨落し︑外同資本家
をして叉二足三文に之守買取らしむる機曾を血之︑
一方過激一段の人々をして︑新なる猛運動を開始する
口買を奥へしならんかくて︑ドイツが経済的に滅亡
せる践に於ては︑世界
ω何れの図もドイツに封しロ
シアに封する程の関心すらも︑有せぎるに至るであら
う︑蓋し︑ロシアは成汎なる土地を有し︑其中に.未
知の財賓を︑多大に戒するに反しドイツは僅に石
炭と加旦の外︑労力︑知日識及び秩序を供し得るに過ぎ
ざるが故である︑か﹄る不安の却にパリ i に於ては交
渉 が
重 ね
' り
れ た
の で
あ る
︒
パ リ
j 合議に於ては我代表専門委員は数ク月の苦
闘︑以てわが得べき最高限度のものぞ牧め得たりとは
一一般の意見の一致する所である︑此貼は叉蛍時我代表
の一人にして︑此の如き過重の賠償案に封しては︐ド
イツ専門家として︑到底署名し得ぎる所であるとして︑
断然其代表を辞せるグハイムラ l
ト ︑
フ ェ
l
ギ ュ
ラ
l
氏すらも︑認むる所である世界の大衆は︑数年の問︑外
ア ド
ル フ
・ ウ
エ パ
ー の
賠 償
問 題
妹 に
ヤ シ
グ 案
及 び
ド イ
y 図民経済観
二六 七
商 業 主 経 涜
図政治家によりてなされたる﹁ドイツの豚共が総てや
賠償しなければならぬ︑叉事賞︑彼等め支抑ひ得る所
である﹂と云ふ貸俸のために末︑た迷夢より限め宇︑ド
イツの支排能力に闘し大なる誤解を有して居る︒例
へば一九一九年フランスの戒相は︑時の議舎に於てド
イツは賠償金として年百八十億一雨マルクを支挑はなけ
ればならぬ叉︑事賞︑彼等の支抑ひ得る所であると
啓明せることは人の記憶に︑向.新なる所である.然
るに︑ヤング案によればフランスは年約十億一両マルク
を得て満足しなければならぬ.のみならす︑その大部
分は︑更に針米債務の支挑に振向けなければならぬ︑
かるが故に.仰.自代表が従来の契約を楯に︑極力其
主張︒}紅けざるニとを以て図民に封する義務なりと考
へたるニとも叉解し得る所である︑叉イギリス
ω態度
を見るに︑そは本専門委合員に於ける白眉とも云ふべ
きスタンプ卿により代表されたる所なるか︑総選事を
眼前 μ 控へたるがために︑ドイツに針し極めて償重な
ろ態度を取らざるを得なかった︑叉アメリカ代表たる
オ
lエン・ヤング及モルガン雨氏は前大統領ク
lリ
ッ ヂ
氏
ω信認は甚古厚きものありしが︑現大統領フ
l二 六 八
パ l 氏に針する関係は然ら.ざるものあ
0 .
自ら其態度
主張の自由を快ぐ所があった︑か
hる空気の裡にあっ
て︑か﹄る結果を我代表が得たることは叉其の持を多
としなければならぬ︒
叉︑立場争愛へて五日々がヤング案に同意を奥へぎり
しとせば如何︑ドーズ案による賠償訴務の履行滑継続
しなければならぬ︑而して既にのべ大るが如く︑ドイツ
経演は其元本を浸蝕することなくしてド
lズ案による
年々二十五億一尚マルクの賠償金を支排ひ行く事は到底
不可能なる賊態にあった︑況んやド
1 0 ス
案 は
此 外
︑ 向
︑
繁栄指数に基く迫加給付を命中るに於てをや︑かくド
!ズ案
ω根本精神たりしドイツ経演の保障は絶望せざ
るを得ざるに至の而も︑ド!ズ案には如何なる場合に
於てもモラトリアムをなすの係地を認め.ざるが故に. ド
lズ案の彼絞.印ちドイツ財界の危機に直面するこ
とであの︑其結果は略︑恐るべきものあるのみ︒
かるが故に︑ヤング案に針する同意の拒絶は︑同時
に賠償金支抑の一切の拒絶をなしてこそ︑初めて意
義があるものであると云はねばならぬ︑而しでもしド
イツが賠償金の支抑を一切布施せんか︑全世界
ω人 々
はドイツの真情争解せ宇︑必宇や︑悪意に出でたるも
のとなし.外岡は其投下資本をドイツより引上ぐべく
叉前敵園は既存傑約に基き︑賠償委員舎をして全然濁
立せる租税の強制的徴牧機関の設置を要求せしめ得ベ
く叉.彼のベルサイユ傑約二百三十六傑により復興の
ためドイツより直接宜物の給付や強制し得るであらう
吾々は既にル l ル地方の占領により︑共賓例をよく見
せつけられにのであるが︑債権者諸園はか﹄る場合に
於ては再び其亭に出でんとする準備に怠りなかりしは
明白であつに.倒へば官時ライン地方に於て行はれに
る英仰聯合大演習の終れる時︑ギヨ l
マ 将
軍 は
演 説
中 ︑
公言して日く﹁此八日間に於て五日々はライン地方の図
民に封し.もし外交官が紛宇在解決し得ざる時は︑向
外に仰の軍隊なるもの﹄存することを彼等は計算に入
れて考へねばならぬ.と云ふこと在︑よく示し得たり
と .
信 ホ
ノ ﹂
と ︒
五日等は今や武備を有せざるが故に賠償不履行の践
は唯.消極的抵抗を以て敵の武力に針抗し得るの
み既に吾等は之をルール地方占領の際︑試みたの
であるがために英大なる費用を︑負ひたりと雌も︑ 向山町田時は︑ドイツ園民に︑帝図の一致の鍔には如何な る物質的犠牲をもいとはぎるの意気存することを世界 に示し得て有意義であった︑併し今︑ライン地方の撤 兵も眼前に迫れる此際︑ヤング案を担否し︑消極的抵 抗争}繰り返すならば︑必中やドイツはライン地方の解 放よりも︑寧ろヤング案による物質的負擦を重要視す るものなりと世界より解せられるであらう叉ル
lル
占領官時の消極的抵抗は︑山町田時のインフラ i チオンを
利用してその資金が供せられたのであるが︑今日に於
て は
︑ 最
HT
か
hる資金融通の手段は存しない︑もし再び
少しでも︑これぜかためにインフラ
1チオンを招来せん
か︑それこそドイツの経波及び攻治の危機である︑か
くの如く︑もし吾等が賠償義務の履行冶拒否せんか︑
敵は武力を以て直に︑従来の賠償を績行するか︑勝又
滅亡するか何れか其一在選ぶべく吾等を強制しにで
あ ら
う ︒
ドイツ財界の逼迫せる状態に鑑み︑叉パリ l 合議に
於ける雲行を顧み︑更に担否せる後にドイツの遭遇す
べき運命を忠ふ時我代表がパリ l に於て︑ヤング案
に同意を奥へたるは.査し止むを得ざりしものと云は
ア ド
U
フ・ウエパーの賠償問題妹にヤシ
F案及びドイ
y 図民経済説
二六九商 業 主 経 済
なければならぬ
ω二ヤング案に於ける進歩
吾々はパリ
lに於て折街が重ねられつ﹄ありし蛍時
は︑程々なる意味に於て.特にヤング案に封し反針を
強調せりと維も亦.ひるがへって︑そがも仁らせる
種々なる利盆も之在否認することは出来ぬ︑人 1
北 (
主 な
るものを列皐すれば次の如くである
d一︑賠償総額及び其縫続年限に於て未定なりし賠償
債務は.今やこれが一定を見たること︒ドーズ案によ
れば債椛者諸岡は年々十二億五千高マルクの支排と併
せて︑繁栄指数に基く迫加給付を不定の期間に瓦り引
績き要求するの椛を認められ居たることは多くの人の
賠償案を批判するに蛍り.看過する所である︒
二不都合なる彼の繁栄指数に基く治加給付の除去
せられたること︒フリードリヒ︑ラ l プ氏の計算する
所によれば.此追加給付は数年にして数億一両マルクに
上り︑更に沼増して︑終には数十億一両マルクに法すべ
しと︑五日人の見解を以てすれば此計算は寧ろ.内輪に
見積られたるかの翻すらある︒
三.賠償金支掛額は繁栄指数に基く氾加給付の除去
二七
O
せられたるの外︑向可なりの軽減を見るに至れること︑
印︑ヤング案によれば一九三三年までは︑印ドイツ
経済の困窮に陥れる此経過期間中は年約十七億高マ
ルクを支抑ひ.其後に於て・支抑額の返培守見ると雄
も y 之が卒均年支抑額は︑十九億八千八百高マルクに
して.これをド l ズ案による平均年支抑額二十五億高
マルクに封比すれば︑質に約五億一両マルクの軽減であ
る︒今︑年五分五庇の金利を以て︑賠償金支排総額の
現債を算出し見るに︑ヤング案によれば三百四十五億
一両マルクにして︑ド!ズ案によれば四百六十六億一向マ
ルクである印.前者は後者に比し︑現債に於て七
十一億一両マルクの軽減である.これ守前敵国が一九二
一年に於て五分利計算を以て現債九百億一両マルクを
要求せるに封比すれば査し思ひ平に過ぐるものがあ
る︑向更にヤング案は賂来︑一定の事情の下に於ける
賠償債務の緩和の可能在認めて居る︑印人債椛者諸図
の戦時債務が終来軽減せられたるときは其純軽減一品の
三分のこをドイツの賠償金支排年金の引下に振向ける
こと︑叉
.
ドイツは其都合により賂来の賠償金を一
1時に償却することを得ることを認めて居る︒若しドイ
ツの信用回復し︑五分五胆以下を以て公債守護行し得
るに至れば蓋し一時の償却は賠償債務の可成りの軽減
となるであらう
.
C 設立せらるべき園際決潰銀行が叉
賠償負捻の緩和に役立つべきことは後に詳述するであ
﹁ ? フ ︒
以上の賠償年金の外に向迫加負擦としては.街︑自
の聞に協定せられにる所謂ベルギー‑マルク公債の償
却 額 が 存 す る ︒
四煩雑なる工業課税が底止せられたること.郎︑
総額五十億一両マルク︑これを年五分の金利と共に年々
其一分づ﹄在償却すべかりし工業債券は撤去せられた
のである︑本税は﹂貨に煩雑を極めたるものであって濁
り徴税者たる図家側のみなら宇叉納税者側に於てもこ
れがため少なから.ざる努力を浪費して居たのである︒
五︑モラトリアムを行ふの椛利を認められにるこ
と︒ヤング案によれば賠償年金が無傑件部分と傑件付
部分とのこつに分かにれて居ゐ︑賠償年金の中一定部
分︑印︑六億六千高マルクを無傑件部分となし其残鈴
が傑件付部分である︑叉.更に狛消印棋が二つに分別さ
れて居る︑印︑引渡猫務椛と徴牧猶務椛とである.ド イツは其事情により総額︑無傑件部分の倍額に達する 迄.賠償年金の引渡猫務をなすの慌がある更に叉︑ 此引渡猫務にして一ク年以上に疋るときは︑ドイツ政 府は傑件付部分の牟額巻限度として.自由に徴牧猫協 を宣言することが出来る︑而して此限度は園際決済銀 行委員舎の推薦あるときは︑これを傑件付部分の全額 にまで強大することを得る︒
六︑外図人よりなる諸種の監督機関の泊減せるこ
と︒これヤング案の精紳によるや回然の蹄結にして︑帝
園銀行︑帝図畿道に於ける︑叉工業課税のために設置さ
れたる此等の機関は早晩消滅すべまである.賓に彼の
ヘ ル プ ェ リ ヒ 氏 の ︑ ド
lズ案に針し︑最も非難せるは此
貼であった︑彼は此程の機関設置によりドイツ経済自
主椛の侵害されんこと身恐れたのである.此危険は今
やヤング案の質施により永久に取除かれたのである︒
七.ヤング案の間接
ω結果として︑‑フイン一帯より
撤兵されるに至れること︒フランス数百年来の野心は
戦後殆ん E 遼せられんとしたのであるがライン地方
の撤兵により今や完全に其野心を拠棄せざるを得ざる
こと込な句︑明にドイツ統一の勝利を示すに至ったの
ア ド
Wフ・ウエパI
の賠償問題殊にヤシゲ案及ぴドイ
y凶氏経部観
二七