博 士 ( 農 学 ) 矢 崎 友 嗣
学 位 論 文 題 名
湿 原 の ミ ズ ゴ ケ 微 地 形 に お け る 水 文 気 象 環 境 と 植 生 の 関 係
学 位 論 文 内 容 の 要 旨
湿 原 は 豊 富 な 水 に よ って 地表 面付 近が 湿 潤に 保た れる た め、 地表 面付 近に 他 の陸 上生 態系 と 異 な る環 境が 形成 され る 。湿 原の 植生 は、 こ のよ うな 湿潤 な 水文 環境の中で 分布・生育する一方 で 、 自ら の枯 死体 を泥 炭 とし て堆 積す るこ と で水 文環 境の 形 成に 寄与してい る。湿原生態系には こ の よう な植 生と 環境 の 相互 作用 が存 在し 、 その 相互 作用 に 基づ ぃて生態系 が維持されていると 考 え られ てい るが 、そ の詳細はまだ良くわかってい ない。近年北海道の湿原で は、ハンノキの増加 な ど 人聞 活動 の影 響と みられる植生変化が生じてお り、その保全が課題となっ ている。しかし、湿 原 の 有効 な保 全策 を考 え るた めに は、 その 基 礎知 識と して 、 湿原 植生と環境 の相互関係、特に水 文気 象環境との関係を知ること が重要である。
本 研究 は、 北方 湿原 に 多く みら れる 微地 形 のう ち、 ミズ ゴ ケの 枯死体が泥 炭として堆積されて 形成 されたミズゴケハンモック(凸型地形)に着目し、その地表面に生育するミ:ズゴケとその生育を 支 え る水 文環 境の 相互 関 係を 把握 する こと を 目的 とし た。 こ の目 的を達成す るために、北海道東 部の 風蓮川湿原のmixed mire( ヨシ・スゲ類が生育する湿原 にミズゴケハンモックが散在した群落)
に お いて 、植 生調 査と 水文・気象環境の観測を行い 、ミズゴケハンモックにお ける水文・気象環境 と植 生の関係を検討した。
1. 植生の分布と生育
風 蓮川 湿原 のmixed mireに おけ る植 生の 実 態を 把握 する た め、 植生分布とミズゴ ケの成長量を 調査 した。測量と植生分布調査 の結果、観測サイトではハン モックとホロウ(ハンモック問の凹型地 形 ) の面 積比 が概 ね1対1であ り、ハンモックにはチャミズ ゴケやツツジ科灌木などの 高層湿原植生 が、 ホロウにはヨシ・スゲ類な どの低層湿原植生が分布して いた。ハンモックでは、ミズゴケ以外の 維 管 束植 物の 植生 高は 低 かっ た。 これ は、 ハンモック内 部の水(pH:4.25、EC:26.9 prS cm.l)がホ ロ ウ の水(pH:6.02、EC:58.0嵎cm.l)よ り酸 性 ・貧 栄養 であ る ため 、ミズゴケ以外の 植物の生育が 阻害 されているためと考えられた。これにより、ハンモック上のチャミズゴケは、他の植物による被陰 をあ まり受けない光環境のもと に分布していたことがわかった。また、チャミズゴケは年間8.7〜12.7 mm伸 長していたが、基底から測 ったハンモックの比高は高く はなっていなかった。このことから、ハ ン モ ック は、 泥炭 分解に伴う 内部の収縮とミズゴケの成長 による高さの変化が相殺さ れて、比高が 維持 されていると推察された。
2. 湿原の熱収支と蒸発散特性
観 測サ イト で微 気象観測とライシメータ による蒸発散量の観測を行い 、湿原の熱収支およびハン モ ッ クと ホロ ウの 蒸発散特性を検討した。 観測サイトで憾地表面に到達 した正味放射エネルギーの 多 く が水 の蒸 発に 使わ れ てい た。 また 、こ の湿原の群落抵抗は4〜85sm.lで、大きくはなく、気孔 の開 閉などによる蒸発散量の調 節があまり行われていないこ とが推察された。ハンモックとホロウの
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蒸発 散 量を 推定 した 結果 、 湿原 の蒸 発散 量 はハ ンモ ック 由来 の 蒸発 散量 が4割、 ホロ ウ由 来の蒸 発散 量 が6割 で あっ た。 また 、ホ ロ ウ由 来の 蒸発 散量 の うち 、泥 炭面 由 来の 蒸発 量が 約半 分を占 めていた。このこ とから、この群落ではホロウ 泥炭面から蒸発も無視できなぃことがわかった。2003 と2004年 の6月 か ら10月の 蒸発 散量 は、 平 均2.5〜2.7 mm d‑lで あり 、 この 量は 可能 蒸発 量 に匹 敵し て いた 。こ のよ うな群落からの高い蒸発 散量は、湿原表面が湿潤で あったためと考えられた。
3.湿原およぴハンモッ クの水文環境と水収支
観 測サ イト に おけ る水 文環 境 を明 らか にす るため、土壌水分、水位 などの水文気象観測を行い、
湿 原 の 水 収 支 を 明 ら か に す る と と も に 、 湿 原 全 体 とハ ンモ ツク に おけ る水 の動 きを 検 討し た。
そ の結 果、 観 測サ イト(mixed mire)の 水位 は、 風 蓮川 の水 位上 昇の 影 響を 受け ずに ホ ロウ付近 で安定していること、ま たハンモックは7年間の観測 期間内で一度も水没しなかったことがわかった。
そこ で、 地表 面 の水 の流 出特 性 を検 討し たと ころ 、 風蓮 川湿 原で は次 の よう な水 位安 定 化機構が 存在することがわかった 。すなわち、水位がホロウ 表面より高くなると水面がっ ながって地表面の勾 配方 向( 風蓮 川 )へ の流 出が 生 じる 。水 位が 低下すると水面の連続が 途切れて流出が止まり、その 後 の 水 位 低 下 は 蒸 発 散 に よ っ て 生 じ る 。 し か し 降 水量 が蒸 発散 量 より 多い 湿潤 気候 の 風蓮 川湿 原では、降雨により水位 はすぐに元に戻る、という メカニズムである。このよう な水位安定化機構に より、湿原の水位はホロ ウ表面付近で安定していた ことがわかった。
また、ハンモック表層 では含水率が安定していた ことがわかった。この安定し た含水率は、ホロウ 表面 付近 での 安 定し た水 位や 、 ハン モッ クを 構成 す る泥 炭の 高い 空隙 率 のよ る余 剰水 の 遠やかな 排水 と、 泥炭 の 緻密 な構 造に よ る毛 管水 上昇 によるものと考えられた 。降雨時にはハンモック表面 から 浸透 した 水 の一 部が その 不 飽和 層に 貯留 され て いた が、 この 雨水 の 貯留 によ って ハ ンモック 内部 は局 所的 な 雨水 涵養 性の 水 質( 酸性 ・貧 栄養 ) とな って いた こと がわかった。6月からio月の 湿 原 の 水 収 支 を 過 去18年 間 に さ か の ば っ て 検 討 し たと ころ 、2004年以 外は 降水 量が 蒸 発散 量を 大き く上 回っ て いた 。こ れに 対 し、2004年は 降水 量 が平 年の 半分 程度 し かな く、 降水 量 が蒸発散 量よ り約50 mm少 なか っ た。 しか し2004年 で 最も 水位 が低 か った8月に お いて も、 ハン モ ック表層 の含水率はあまり低下し ていなかったことから、ハ ンモック表層の含水率は、少 なくとも過去18年間 で大きく低下することが なく、この安定した含水率 のもとでハンモック上のミズゴケが生育していたこ とが推察された。
4.ミズゴケ微地形における環 境と植生の相互関係
以 上の こと から 、 観測 サイ ト(mixed mire)における環境と植生 の関係を総合的に検討した結 果、
mixed mireにおけるミズゴケ などハンモック上の植生は、 ハンモックが水没しなぃ安定した水位、そ の 安 定し た水 位に 基 づく ハン モック表 層の安定した含水率、およ びそれらの条件で作り出され たハ ン モ ック 内部 の雨 水 涵養 性の 水質(酸 性・貧栄養)など、ハンモ ック独特の水文環境に支えら れて 生 育していることがわかった 。また、ハンモックではその 水質のため、他の維管東植物は大きく生育 で きず、ミズゴケの生育に適 した光環境も形成されている。このような、ハンモック上のミズゴケの生 育 環境は、ミ:ズゴケ自らが 作りだした隆起地形と泥炭の物理的特性によって形成されたものであり、
ま たその隆起地形はミズゴケ の成長と泥炭の分解によって 維持されていることから、ミズゴケはそれ 自 身 の 生 育 を 支 え る 環 境 を 自 ら 形 成 し 、 か つ 維 持 し て い る と 考 え る こ と が で き る 。
観測 サ イト では 、湿 潤な 気 候と 地形 条件 のも と 、環 境と 植生 の 相互関係によって植生の生育 が 維 持さ れ てい ると 考えられる。しかし、 人間活動による環境の急変 は、水・養分動態の変化のみ な ら ず泥 炭 の物 理特 性までも変化させ、環 境と植生の相互関係を変化 させることが懸念される。し た が って 、 湿原 生態 系の 持続 的 な保 全を 検討 する た めに は、 環境 と 植生の相互関係を念頭に置き 、 そ れが 維 持さ れる よう な手 法 をと る必 要が ある と 考え られ る。
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学 位論文審 査の要旨 主査
副査 副査 副査
教授 教授 教授 助教授
浦野 長谷川 波多野 平野
学 位 論 文 題 名
慎一 周一 隆介 高司
湿原の ミズゴケ微地形における 水文気象 環境と 植生の関係
本論 文は
5
章か らな る175頁の 和文論文で,引用文献143
を含んでいる。他に参考論文4
編 が添 えら れて いる 。湿 原は地表面付近が湿潤に保たれるため、他 の陸上生態系と異なる環境が形成される。
その一方で、湿 原植生は自らの枯死体を泥炭として堆積することで水文環境の形成に寄与 している。湿原 生態系にはこのような環境と植生の相互作用が存在すると考えられている が、その詳細は 良くわかっていない。湿原の保全を考える場合、このような環境と植生の 相互作用の把握 が基礎知識として重要である。本論文は、湿原における水文気象環境と植 生の関係を把握することを目的に、北海道東部の風蓮川湿原のmixed mire(ヨシ・スゲ類が 生育する湿原にミズゴケハンモックが散在した群落)において、植生調査と水文気象観測を 行 い 、 ハ ン モ ッ ク に お け る 水文 気象 環境 と植 生の 関係 を明 らか にし たも ので ある 。
1
.植生の分布と生育風蓮川湿原の
mixed mire
における植生分布とミズゴケの成長量を調査した結果、ハンモ ック(凸型地形)にはチャミズゴケやツツジ科灌木などの高層湿原植生が、ホロウ(凹型地 形)にはヨシ・スゲ類などの低層湿原植生が多く分布していた。ンヽンモックでミズゴケが優 占していたのは 、ハンモック内部の水がホロウの水より酸性・貧栄養であるため、ミズゴ ケ以外の植物の 生育が阻害されているためと推察された。また、ハンモック上のチャミズ ゴケは年間8.7
〜12.7 mm
伸長していたが、ハンモックではその成長と内部の泥炭分解が相 殺されて比高が維持されていることがわかった。2
.湿原の熱収支と蒸発散特性一1343−
風蓮 川湿原 のmixed mireに 観測サ イトを設け、微気象観測とライシメータによる蒸発散量の観 測を 行い、 湿原の 熱収支と 蒸発散 特性を 検討し た。そ の結果 、観測 地では 正味放射 量の大部分 が蒸 発散に 使われていること、また、群落抵抗は4‑85sm一1で、それほど大きくはなく、気孔の開 閉などによる蒸発散調節が強くは行われていないことがわかった。さらに、ハンモックとホロウの 蒸 発 散量 を 推 定し て比較 した結 果、湿 原の蒸発 散量は ハンモ ック由 来の蒸 発散量 が4割、 ホロ ウ由 来の蒸 発散量 が6割で あること がわか った。 また、 ホロウ由来の蒸発散量のうち、泥炭面由 来の 蒸発量 が約半 分を占め ており 、この群落ではホロウ泥炭面からの蒸発も無視できないことが わかった。
3.湿原およびハンモックの水文環境と水収支
風蓮 川 湿 原で土 壌水分、 水位な どの水 文気象 観測を 行い、 湿原の 水収支 を明らか にする とと もに 、湿原 全体と ハンモ ックに おける水 の動き を検討 した。その結果、mixed mireの水位は、風 蓮川 の水位 上昇の影響を受けずにホロウ表面で安定していることがわかった。またこの湿原では、
水 位 が高 く なると 水面が っなが って表 面流出 が生じ 、水位 が低下す るとそ の連続 性が途 切れて 流出 が止ま り、そ の後は 蒸発散 によって ゆっく り水位 が低下する、という水位安定機構が存在す るこ とがわ かった。一方ハンモック表層では、含水率が安定していることがわかった。この安定し た 含 水率 は 、mixed mireの安定し た水位 、ハン モック 泥炭の 高い空 隙率の よる余 剰水の速 やか ぬ排 水、お よびミズゴケ桔死体による毛管水上昇によるものと推察された。ハンモック表層の含水 率は 、観測 期間中 最も水 位が低 かった2004年8月に おいて も低下 してい なかった ことから、少な くとも過去18年間で大きく低下することがなかったと推測され、ハンモック上のミズゴケはこのよう な安定した含水率のもとで生育していることがわかった。
4.ミズゴケ微地形に韜ける環境と植生の相互関係
以上 の結果 から、mixed mbにお けるハ ンモッ ク上の 植生は 、湿原の 安定し た水位とハンモッ ク表 層の安 定した 含水率 、およ びそのような条件で作り出されたハンモック内部の雨水涵養性の 水質など、ハンモック独特の水文環境に支えられて生育していることがわかった。また、ハンモッ クで はその 水質の ため他 の維管 東植物 の生育は 困難で あり、 結果的 にミズ ゴケの 生育に適した 環境が形成されている。しかし、このような環境はミズゴケが自らが作った微地形(ハンモック)と その泥炭の物理的特性によって形成されたものであり、またそのハンモックはミズゴケの成長と泥 炭の 分解に よって 維持さ れてい ることから、ミズゴケはそれ自身の生育を支える環境を自ら形成 し、かっ維持していることが明らかになった。
以 上 のよ う に 本 研究 は , 風 蓮川 湿 原 のmixed mireに 韜 け る 水位 安 定 機 構、 ハ ン モ ック表 面 の 安 定 した 含 水 率 など を 詳 細 な観 測 に よ って 把 握 す ると と も に 、水 文 気 象 環境 と 植 生の 関 係 を 明 らか に し た もの で あ り 、そ の 成 果 は学 術 上 , 応用 上 高 く 評価 さ れ る 。よ っ て 審査 員 一 同 は , 矢 崎 友 嗣 が 博 士 ( 農 学 ) の 学 位 を 受 け る の に 十 分 な 資 格 が あ る と 認 め た 。