博士(農学)川上 顕 学位論文題名
コムギの雪腐黒色小粒菌核病抵抗性の解析 学位論文内容の要旨
秋 播 き コ ム ギ は9月 に 播 種 後 、100日か ら150日 に及 ぶ積 雪期間 を経 て、 翌年 の7 月 に収 穫を 迎え る。積 雪下 でコ ムギ は根 雪前 に蓄 積し たェ ネル ギー源(主にフルク タ ン) を消 費し ながら 生き なが らえ 、そ の過 程で 雪腐 病菌 がコ ムギを加害する。コ ム ギの 雪腐 病抵 抗性は 秋か ら冬 にか けて の低 温順 化過 程で 発現 し、様々な因子が関 与 す る 圃 場 抵 抗 性 を 示 す が 、 そ の 発 現 機構 に は 不 明 な 点 が 多 く 残 さ れ て い る 。 そこ で本 研究 では、 積雪 期間 にコ ムギ に重 大な 被害 を引 き起 こす雪腐病、特に雪 腐 黒色 小粒 菌核 病(以 下、 雪腐 病と 称す る) にっ いて 、本 病原 菌のコムギに対する 病 原 力 及 び コ ム ギ の 雪 腐 病 抵 抗 性 の 発 現 機 構 の 両 面 か ら 解 析 を 行 っ た 。 1. コ ム ギ の 雪 腐 病 抵 抗 性 室 内 検 定 法 の 開 発 と 雪 腐 病 菌 の 病 原 カ の 解 析 効率 的な 抵抗 性及び 病原 カの 評価 を行 うた め、 室内 検定 法の 開発を行った。人工 気 象室 内で 育成 したコ ムギ を用 いて 雪腐病菌を接種後8℃、暗黒、高湿度条件下に静 置 す る こ と で 、催 芽か ら3力月 で抵抗 性評 価を 行う こと がで きた 。そ して 検定 期間 の 短縮 、供 試コ ムギの 均質 化、 通年 にわ たる 検定 の実 施が 可能 となった。そして雪 腐 病 菌 の 病 原 カ の 評 価 に 上 記 の 室 内 検 定 法 が 利 用 可 能 な こ と が わ か っ た 。 次に 本菌 の有 性世代 を利 用し て得 られ る遺 伝的 背景 が近 い後 代菌株間で病原カを 比較するため、本菌の子実体形成を試みた。10℃/5℃(昼/夜)、8時間日長、光強度 46ルErl‑2s‥、多湿条件で3〜4週間培養することにより雪腐病菌の菌核から子実体を 形 成さ せる こと に成功 した 。子 実体 から 単分 離し た担 子胞 子由 来のモノカリオン菌 株 同士 を交 配す ること によ り、 後代 菌株 (合 成ダ イカ リオ ン) が得られた。モノカ リ オン 菌株 はす べて病 原カ が弱 かっ た。 一方 、合 成ダ イカ リオ ン菌株の病原カは、
交 配 す る モ ノ カ リ オ ン 菌 株 の 組 み 合 わせ に よ り大 きく 変化 する こと がわ かっ た。
以上 のよ うに 、雪腐 病抵 抗性 及び コム ギに 対す る雪 腐病 菌の 病原カを室内で解析 す る実 験系 が開 発され た。 本室 内検 定法 及び 同一 子実 体由 来の モノカリオン間の交 配 によ り得 られ るダイ カリ オン 菌株 を利 用す るこ とで 、病 原カ を詳細に解析するこ とが可能となった。
2.コムギの雪腐病抵抗性発現機構の解析 1)キチナーゼ遺伝子の発現と雪腐病抵抗性
コム ギは 播種 から根 雪前 にか けて 低下 する 気温 を認 識し て雪 腐病抵抗性を発現さ せ る。 病害 抵抗 性と関 連す るこ とが 明ら かと され てい るキ チナ ーゼ遺伝子をコムギ か ら単 離す ると ともに 、低 温順 化過 程及 び積 雪下 での 発現 解析 を行うことで、雪腐 病 抵 抗 性 の 発 現 と キ チ ナ ー ゼ 遺 伝 子 と の 関 連 に つ い て 検 討 し た 。 野外 で低 温順 化した コム ギか らキ チナ ーゼ 遺伝 子を3種類(chil、chi7、chi10)単
離した。低 温順化過 程(積雪 前)では 、chilとchi10は葉 で、chi7はク ラウンで発現 量が多かっ た。すべ ての単離 遺伝子は 葉で低温 順化が進むに従い発現量が増加した。
しか し コム ギ 品 種間 では、 それらの 遺伝子の 発現量に は顕著な 差は検出 されなかっ た。積雪下 では、雪 腐病抵抗 性の強い コムギ「PI 173438」の葉に おいて、chil及び chi10の発 現 量 が雪 腐 病菌 を 接 種後10、20日目 で 特異 的に増加 した。雪 腐病抵抗 性 の弱 い 「Valuevskaya」 では 、 そ れら の 発 現量 が 接種後10日目で増 加したが 、20日 目には急激に減少した。
2)フルクタン蓄積量と雪腐病抵抗性
コ ムギ で は 、フ ル クタンの 蓄積量の 増加と雪 腐病抵抗 性の増強 との間に 関連があ るこ と が報 告 さ れて いる。 そこで雪 腐病抵抗 性発現に 対するフ ルクタン の役割を明 らか に する 目 的 で、 積雪下 での雪腐 病菌の感 染による フルクタ ン蓄積量 の変動につ いて解析した。
無 接種 条 件 では 、 コムギ品 種によら ず葉とク ラウンで フルクタ ンが徐々 に分解さ れた 。 菌接 種 後10日 目で は 無 接種 の 場 合と 比 べ、 フ ル クタ ン 蓄積 量 に 差が 検 出さ れな か った が 、 接種 後20日目 では無接 種の場合 に比ベフ ルクタン の分解が 急速に進 んだ。特に 雪腐病抵 抗性の弱 いValuevskayaの葉で 、フルク タン蓄積 量の減少が顕著 だった。
3)コムギのフルクタン代謝に関する分子生物学的解析
植 物種 及 び その 生 育ステー ジによっ て蓄積さ れるフル クタンの 構造が異 なる。そ のた め コム ギ が 低温 順化過 程で発現 するフル クタンの 合成・分 解に関与 する酵素遺 伝子の解析を行った。
コムギでは、光合成により合成されるスク口ースを基質として、sucrose:sucrosel− fructosyltransferase(1―SST)が1‐ケストースを合成し、スクロースと1―ケストース を初期の基質としてsucrose:fructan6―fructosyltransferase(6―SFr)によってフルクタ ンが 合 成さ れ る 。し かし低 温順化過 程で蓄積 するフル クタンの 合成には 、それらの 酵素以外にfructan:fructan1ーfructosyltransferase(1‑FFF)が必要であることがわかった。
さらにフル クタン分 解に関与 する4種類 のfructan exohydrolase (FEH)遺伝子をイネ 科植 物 から 初 め て単 離し、 それらが コードす るタンパ クの一次 構造や基 質特異性を 明ら か とし た 。 それ らの単 離遺伝子 は、低温 順化過程 及び積雪 下では主 にクラウン で発現していた。
以 上の こ と から 、 積雪下に おけるフ ルクタン 蓄積量と キチナー ゼ遺伝子 の発現量 の 変 化 を 比 較 し 、 コ ム ギ の 雪 腐 病 抵 抗 性 に つ い て 以 下 の よ う に 考 察 し た 。 雪 腐病 抵 抗 性の 弱 いコムギ は、低温 順化過程 (積雪前 )でのフ ルクタン 蓄積量が 少な く 、積 雪 下 では 感染に よる消耗 も多いた め、フル クタン蓄 積量が急 激に減少す る。 フ ルク タ ン は積 雪下で 主なエネ ルギー源 であるこ とから、 その蓄積 量の減少は コム ギ 組織 の 生 理活 性の低 下にっな がる。そ してキチ ナーゼ遺 伝子の発 現量が減少 し雪 腐 病菌 抵 抗 性が 著しく 低下する ことで、 感染が早 く進行し 被害が大 きくなる。
その た め、 低 温 順化 過程で フルクタ ンを多量 に蓄積し 、積雪下 では効率 的に病害抵 抗性を誘導 する機構 を持つコ ムギほど 、雪腐病 抵抗性が強いことが明らかとなった。
本 研究 で 得 られ た 知見によ って、キ チナーゼ 遺伝子の 発現やフ ルクタン の蓄積及 び分 解 がコ ム ギ の雪 腐病抵 抗性の増 加と関連 すること を明らか とすると ともに、コ ムギ の 雪腐 病 抵 抗性 及 び雪 腐 病 菌の 病 原カ を 効 率的 に 評 価す る 手法 を 確 立し た。
学位論文審査の要旨
主査 教授 内藤繁男 副査 教授 幸田泰則 副査 教授 大澤勝次 副査 助教授 近藤則夫
副査 教授 松本直幸(筑波大学連携大学院)
学 位 論 文 題 名
コムギの雪腐黒色小粒菌核病抵抗性の解析
本論 文 は 、図74、 表11、203頁か らぬる和 文であり、 別に参考 論文9編が 付されて いる 。
秋播 き コ ムギ は9月 に播 種 後 、100日 以上 に 及 ぶ積 雪 期間 を経て、 翌年の7月 に収 穫を 迎える。 積雪下で コムギは 根雪前に蓄 積したエ ネルギー源(主にフルクタン)を 消費 しながら 生きなが らえ、そ の過程で雪 腐病菌が コムギを加害する。コムギの雪腐 病抵 抗性は秋 から冬に かけての 低温順化過 程で発現 するが、その発現機構には不明な 点が 多い。そ こで本研 究では、 積雪期間に コムギに 重大な被害を引き起こす雪腐黒色 小粒 菌核病( 以下、雪 腐病と称 する)につ いて、本 病原菌のコムギに対する病原力及 び コ ム ギ の 雪 腐 病 抵 抗 性 の 発 現 機 構 の 両 面 か ら 解 析 を 行 っ た 。
1. コ ム ギ の 雪 腐 病 抵 抗 性 室 内 検 定 法 の 開 発 と 雪 腐 病 菌 の 病 原 カ の 解 析 効 率的な抵 抗性及び 病原カの 評価のた め、室内検 定法の開発を行った。人工気象室 内 で育成 したコム ギを用い て雪腐病 菌を接種後8℃、暗黒 、高湿度 条件下に 静置する こ とで、催 芽から3カ 月で抵抗性評価を行うことができた。また供試コムギの均質化、
通年にわたる検定の実施が可能となった。
次 に本菌の 有性世代 を利用し て得られ る後代菌株 間で病原カを比較するため、本菌 の子実体形成を試みた。10℃/5℃(昼/夜)、8時間日長、光強度46ハEm―2s…、多湿条 件 で3丶一‑4週 間培養す ることにより子実体の形成に成功した。子実体から単分離した 担 子胞子由 来のモノ カリオン 菌株を交 配して作出 した後代菌株の病原カは、モノカリ オン菌株の組み合わせにより大きく変化した。
以 上のよう に、雪腐 病抵抗性 及び雪腐 病菌の病原 カを室内で解析する実験系が開発 さ れた。本 室内検定 法及び同 一子実体 由来のモノ カリオン菌株間の交配により得られ る 後 代 菌 株 を 利 用 し 、 病 原 カ を 詳 細 に 解 析 す る こ と が 可 能 と な っ た 。
2,コム ギの雪腐病 抵抗性発 現機構の 解析
1)キチナーゼ遺伝子の発現と雪腐病抵抗性
コムギからキチナーゼ遺伝子を単離し、低温順化過程及ぴ積雪下での発現解析を行 う こ と で 、 雪 腐 病 抵 抗 性 の 発 現 と キ チ ナ ー ゼ 遺 伝 子 と の関 連 を解 析 した 。 コ ムギからキ チナーゼ遺伝子3種類(chil. chi7.chilみを単離した。低温順化 過程では、chilとchi10は葉で低温順化が進むに従い発現量が増加した。積雪下では、
雪腐病抵抗性の強いコムギの葉では、chi10の発現量が雪腐病菌を接種後10、20日目 で特異的に増加した。雪腐病抵抗性の弱いコムギでは、その発現量が接種後10日目 で増加したが、20日目には急激に減少した。
2)フルクタン蓄積量と雪腐病抵抗性
コムギでは、低温順化中にフルクタンが多量に蓄積する。雪腐病抵抗性の発現に対 するフルクタンの役割を明らかにするため、積雪下での雪腐病菌の感染によるフルク タン蓄積量の変動を解析した。
無接種条件では、コムギ品種によらずフルクタンが徐々に分解された。雪腐病菌接 種後20日目では、雪腐病抵抗性の弱いコムギで特に、フルクタンが急激に分解され た。
3)コムギのフルクタン代謝に関する分子生物学的解析
低温順化過程で発現するフルクタンの合成・分解に関与する酵素遺伝子を解析した。
スクロースを基質として、sucrose:sucrose1ーfructosyltransferaseが1―ケスト ースを合成し、スクロースと1ーケストースを初期の基質としてsucrose:fructan 6−fructosyltransf eraseによってフルクタンが合成される。しかし低温順化過程で蓄 積するフノレクタンの合成には、さらにfructan:fructan1ーfructosyltransferaseが 必要であった。またフルクタン分解に関与し、基質特異性の異なる4種類のfructan exohydrolase遺伝子をイネ科植物から初めて単離した。それらの単離遺伝子は、低温 順化過程及ぴ積雪下では主にクラウンで発現していた。
以上のことから、積雪下でのフルクタン蓄積量とキチナーゼ遺伝子の発現量の変化 を 比 較 し 、 コ ム ギ の 雪 腐 病 抵 抗 性 に つ い て 以 下 の よ う に 考 察 し た 。 雪腐病抵抗性の弱いコムギは、低温順化過程でのフルクタン蓄積量が少栓く、積雪 下では感染による分解が多いため、フルクタン蓄積量が急激に減少する。フルクタン は積雪下で主なエネルギー源であり、その蓄積量の減少はコムギ組織の生理活性の低 下にっながる。そしてキチナーゼ遺伝子の発現量が減少し雪腐病菌抵抗性が著しく低 下することで、感染が早く進行し被害が拡大する。そのため、低温順化過程でフルク タンを多量に蓄積し、積雪下では効率的に病害抵抗性を誘導する機構を持つコムギほ ど、雪腐病抵抗性が強いことが明らかとなった。
以上のように本論文では、キチナーゼ遺伝子の発現やフルクタンの蓄積及び分解が コムギの雪腐病抵抗性の増加と関連することを明らかとするとともに、コムギの雪腐 病抵抗性及び雪腐病菌の病原カを効率的に評価する手法を確立した。この成果は、学 術的、実用的に高く評価される。
よって、審査員一同は、川上顕が博士(農学)の学位を受けるのに十分な資格を 有するものと認めた。