信用恐慌についての一考察
安 井
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多
1.課題設定 われわれは,いままで恐慌・産業循環論についていくつかの論文を書いてき たが,本稿では,これまで対象外としていた信用恐慌論を取り上げることにす る。 マノレグス経済学の恐慌・産業循環論は,大きくいって商品過剰説と資本過剰 説にわかれているが,信用恐慌の取り扱い方もそれぞれにおいて異なってい る。即ち,商品過剰説では,当然のことながら商品過剰一実現問題が恐慌勃発 の契機として設定され,それが原因となって信用恐慌も勃発することになって いる。もちろん商品過剰説でも,信用恐慌が発生するとそれが反作用をして, 商品過剰による生産恐慌を一層激化させるということは強調されている。更に, 信用制度が恐慌勃発前の過度の緊張状態をつくりだし,その結果信用制度が恐 慌そのものの原因であるかのような外観をつくりだすことも強調されている。 しかしながら,恐慌勃発の中心はあくまでも商品過剰の方にあり,信用恐慌は 全般的過剰生産の枠内で,その一環としてとらえられることになっているので ある。他方,資本過剰説では,労働力の需給逼迫→労賃上昇→利潤(率〉低下 が恐慌・産業循環論の中心に据えられているが,現実の恐慌勃発はこうした要 因より,むしろ信用の逼迫による利子率の急上昇の方に大きなウエイトが置か れる。これは r労賃上昇→利潤(率〉低下」とし、う説明のみに依存していると, (1) もちろん正確にいえば,この商品過剰説と資本過剰説を折衷したものに,富塚説があ り,この商品過剰説と資本過剰説の両方とも否定したものに,置塩説があるということに なる。(もっとも,最近の置塩説は「恐慌の諸契機」を相変わらず5項目程あげながら, 「労働力の入手制限」に重心を置いているようにみえる。置塩C6J参照。少し資本過剰説 に近づいているのかもしれない。)-2 第61巻 第4号 644 下降局面がなだらかな低下局面になってしまい,恐慌現象がもっ激しい作用を 充分表現できないと考えたからであろう。更に,最近の資本過剰説では,恐慌・ 産業循環論のほとんどの部分を信用恐慌論に還元してしまう傾向すらうかがえ るのである。 このように,信用恐慌論の位置づけという点では両説の聞には大きな違いが ある。しかし,信用恐慌がし、かなる契機で勃発するか,その際中央銀行はし、か なる役割を果たすかという点に限定すると,商品過剰説にも資本過剰説にも共 通する論争点が構成されていたといってよし、。本稿の課題は,まず,信用恐慌 をめぐる論争点を, (商品過剰説と資本過剰説の)違いと共通点に留意しながら 整理することにある。あらかじめ確認しておけば,われわれの恐慌・産業循環 論は商品過剰説に立脚するものであり(説明原理は従来の商品過剰説とはかな り異なるが),それ故われわれの信用恐慌論は(商品過剰説の一つの到達点であ る〉井村
(3J
をほぼ踏襲したものとなる。その意味で,われわれは,この論 争の整理を通してわれわれ独自の信用恐慌論を積極的に提示しようとするもの ではない。 後に述べるように,信用恐慌論では中央銀行(と市中銀行〉の信用制限がい かに行われるかが最も重要な論点になる。そのことは,中央銀行が管理通貨制 下で信用恐慌の緩和に絶対的な力を発揮することを想起すれば明らかである。 こうした関係を理解するには,われわれは信用恐慌論を分析するに先だって, 迂目的にさまざまな議論を用意しておかねばならなし、。即ち,第一にw
資本論」 第3
巻第5
篇の記述, とりわけマルグスが繰り返し問題にした「利子率一貸付 資本の運動ーと貨幣量の関係」を出発点にせねばならない。貨幣量の問題が登 場する以上,この問題は,当然 r資本論』第1
巻の貨幣論にまでさかのぼるこ とになる(貨幣論から利子論への展開〉。第二に,マルクスは金本位制下での議 論であるが,管理通貨制下ではどうなるかとL、う問題がある。ここでは,恐慌・ 産業循環の形態変化論が問題ではないが,それでも管理通貨制下での理論的な 扱いと整合的な扱いが金本位制下でもなされねばならないだろう。ところで, 管理通貨制を前提した議論として,ケインズの貨幣論と利子論がある。そこで,645 信用恐慌についての一考察 -3-この問題を考察するには,マルクスとケインズとの違いを考察することになら ざるをえない(マルグスとケインズとの比較検討)。かくして,一方では貨幣論 から利子論へと展開し,他方では,それをマルクスとケインズの比較検討とい う形で行うことになる。更に,最近の注目すべき研究として,ポスト・ケイン ジアンの動向がある。青木Cl
J
によれば,ポスト・ケインジアンは流動性選 好論をケインズ革命を担う要素として位置づけ,それによって正統的ケインジ アンともスラフィアン(ネオ・リカーディアン)とも鋭く対立している。そし て,流動性選好論を動学的に位置づけるなかから,デビッドソンやミンスキー による貨幣的景気循環論が提起されている。こうした研究動向は,マルクス経 済学における信用恐慌論と共通した領域を形成していることは明らかで、あり (横川 (20Jや植村C
5
J
を参照),それ故,われわれもそうした研究動向にも 言及することにしたL、。われわれは, このようないくつかの論点を新しく付け 加えることによって,本稿に単なる論争整理ではない独自な意義づけが与えら れるのではないかと考えている。 かくL
て,本稿では,まず,貨幣論(本稿I
I
)
・利子論〈本稿III)を(マルク ( 2 ) マノレタス経済学とケインズ経済学を比較検討するということは,大きすぎる課題であ るといわねばならない。最近の景気循環論での動向に限定してみるなら,かつてグッドイ ンモテソレが若手のマノレタス経済学研究者によって取り上げられたし,いまミンスキー等 の貨幣的景気循環論が同じように若手のマルクス経済学研究者によって取り上げられて いる。 ただし,こうした研究がただ類似性を指摘するだけでは大きな意義を持たないであろ う。あくまでもマノレクス経済学に新たな光をあてるものでなければならないし,そのため には,より原理論的な研究にまで下降して,両者を比較しなければならない。これはまさ に至難のことといわなければならなし、。本稿で対象とすることに限定していえば,わたく しもマルクスの貨幣論・利子論についてはある程度まで議論ができると思うが,ケインズ の議論については専門的な研究はもちろんしていないし,せいぜい学生時代に(20年以上 も前に)少し学んだ程度である。しかし,そうした状況を踏まえて自分の領域に限定して いたら,結局何もできないことになるであろう。だから,無理を承知で試みたいと考えて おり,それ故本稿てー検討するのは,ケインズ経済学全体の論争では決してないし,またケ インズ自身の議論でもない。ここでは,標準的なテキストとしての小泉・建元[7)と館・ 浜田[12)とを分析することに限定される。このうち,前者の方がより簡潔にまとめられて いるので,主としてそちらを検討することになる。(なお,最近の「モダン・エコノミッ クス」シリーズでは,まだ『マクロ経済学I・IIJとr金融システム』は出版されていな い)。-4- 第61巻 第4号 646 スとケインズの比較検討という形で)展開し,続いて本題である信用恐慌論を (本稿
I
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一商品過剰説一,v-
資本過剰説とポストケインジアンー,V
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一われ われの立場ーという形で)展開することにする。1
1
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マルクスとケインズの貨幣論 マルクスとケインズの貨幣論については, 共通点と相違点がある。 マルクス は,貨幣の諸機能を,価値尺度,流通手段,貨幣(蓄蔵貨幣,支払手段,世界 貨幣〉とに分け,ケインズは,貨幣需要を, (その主観的動機に注目して〉取引 需要,予備的需要,投機的需要とに分ける。今, マルクスの貨幣論のうち,世 界貨幣を別とすると(ここには別個に考えねばならない問題が多くある), マノレ クスの流通手段と支払手段がケインズの取引需要に対応し, マルクスの蓄蔵貨 マルクス 幣がケインズの予備的・投機的需要に対応することは明らかである。 の価値尺度は,直接ケインズの貨幣論のなかにはみあたらないが, たとえば取 引需要としての貨幣の役割は必然的に計算単位としての貨幣機能を前提してい るという形で組み込まれており, 基本的な違いではないだろう。 ( 3) この点については,小泉・建元[7]は r伝統的貨幣理論においては,貨幣が経済にお いて果す客観的機能に着目して,次のような三機能を区別してきた。第ーに,貨幣は『計 算単位』あるいは価値の基準』としての役割をもっている。第二に,それは『支払手 段』あるいは一般的交換手段』となる。第三に,それは『価値貯蔵手段』となる。一 ケインズは,このような客観的機能を果す貨幣が需要される主観的動機に着目して,取 引・予備・投機の三三動機を区別した。ところで, この場合,貨幣需要の主観的動機と貨幣 の果す客観的機能のあいだには関連があJ(181頁〕るとし r取引需要が貨幣の『支払手 段』と『計算単位』としての機能に関連して生じるのにたいし,残るこ動機のための貨幣 は資産として需要されるものであるから,貨幣の『価値貯蔵』機能に関連するJ(200頁〉 としている。更に,残る二動機のうち,予備的動機は貨幣の「支払手段」機能と「価値貯 蔵」機能とに関連し,投機的動機は「計算単位」機能と「価値貯蔵」機能とに関連すると している。マノレクスの貨幣論に,機能論と動機論という区別はないであろうが,あえて関 連づければ,そのようになるかもしれない。しかし,所詮完全に対応するわけで、はない。 第一に r計算単位」自体はどの動機にもあてはまるであろう。第二に,動機というのは あくまでも貨幣保有の動機であるから,取引需要というのはどうしても支払手段機能が 中心にならざるをえない。というのは,マノレタスの流通手段機能では,貨幣の存在は瞬間 的なものであり,保有の側面は強くでてこないからである。この点で,流通手段機能のな かにある保有の側面を問題にしたのが,休息貨幣についての論争である。最後に r予備 的動機と取引動機の区別や,予備的動機と投機的動機の区別は,必ずしも明確でないこと が多し、J(館・浜田 02J77頁〕ことも,完全に対応するわけではない理由の一つになる。647 信用恐慌についての一考察 -5-機能論にせよ動機論にせよ,現実の商品経済で貨幣が果たす客観的な役割を 定式化することになるのだから, このような共通性はむしろ当然であろう。相 違点は,この前段階の議論にある。つまり,ケインズには貨幣保有の動機論し かないが,マルクスには価値形態論と交換過程論がある。もちろん, こうした 議論がただ単に貨幣の諸機能を解明する準備でしかなかったら,あまり大きな 意味はない。たとえば価値形態論は,計算する共通の単位として金貨幣が導か れるというだけなら,大きな独自性はない。そうではなくて,商品経済社会に おける価値評価とし、う問題(評価はあくまでも私的に行われながら, しかし商 品経済構成員の誰もが納得せざるをえないような社会性を同時に確保せねばな らないとしづ問題〕をいかに達成しているか(それは,交換可能性とし、う切札 を,他の商品に対しては行使できるが,自分の商品については一切行使できな いという形で実現される)を明らかにすることにこそ,独自性があるのである (拙著 [18J第1章参照〉。このような相違点は十分踏まえねばならないが,本 稿が問題とするのはあくまでも貨幣の諸機能や貨幣保有の動機の方であるか ら,比較検討は充分可能となるであろう。 さて,上述のように,マルクスとケインズの貨幣論は,機能面と動機面で対 応させてみれば共通点が多いが,細かくみれば違いもある。対応関係が必ずし もなじまないのが,マルクスの蓄蔵貨幣とケインズの予備的・投機的動機との 関係であるから,まずマルクスの蓄蔵貨幣論から検討してみよう。 l マノレクスの蓄蔵貨幣論について マルクスの蓄蔵貨幣の規定は簡単で r変態の列が中断され,売りが,それに 続く買いによって補われなければ,貨幣は不動化されJ,蓄蔵貨幣に転化すると いうものである(0"資本論』第
1
巻,国民文庫版2
3
0
頁〉。この規定は誤りでは ないが,しかし完壁なものではなし、。この点についてはすでに,富塚C13
J
が (4) r何が財の一般的受容性を保証するかとL、う問題こそが,なぜある財が貨幣として流通 するかを解く鍵となる。ある特定の財の一般的受容性,つまりなぜそれが一般的に受け取 られるかを解明するのは難しい問題である。J(館・浜田(12)73頁〉問題は,金があるいは 紙切れがいかに一般的受容性をもつかではなし、。設定されるべき課題は,一般的受容性を もつことの商品形態的な意義なのである。-6- 第61巻 第 4号 648 次のような形でそれを補っている。すなわち,マルクスがし、うように,個別的 な 商 品 所 有 者 に と っ て み れ ば , 蓄 蔵 貨 幣 と は 買 い な き 売 り
CG-W
なきW-G)
そ の も の で あ ろ う 。 し か し , 社 会 的 に み る と , 買 い な き 売 り が 成 立 す る た め に は , 他 方 で 売 り な き 買 いCW-G
なきG-W)
が 成 立 し て い な け れ ば な ら なL。、 図1
参照。G-W
なきW-G
を貯蓄とすれば,W-G
なきG-W
は 投 資 に あ た り , 投 資 と 貯 蓄 は 事 後 的 に は 必 ず 一 致 し な け れ ば な ら ず , 事 前 的 な 不 一 致 の 時 (これこそ常態であるが),最終的な大きさを決めるのはもちろん投資の方であ る, と 。 た と え ば , 減 価 償 却 積 立 金(
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は,G-W
なきW-G
で あ り , 更 新 投 資C
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は:W-G
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である。拡大再生産では,D>R
になるが,こ の 差CD-R)
はW-G
なきG-W
と し て の 新 投 資 に よ っ て 埋 め 合 わ さ れ ね ば な ら な い 。 こ の よ う に 補 う こ と に よ っ て , 実 は , マ ル ク ス の 蓄 積 概 念 ( そ の 商 品形態的把握〕とケインズの投資概念との連携を与えることもできるのである。 生 産 /W-G
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消費 蓄 蔵 貨 幣 の 貯 水 池 図1 蓄蔵貨幣の貯水池 一一一一一一一診 貨 幣 の 流 れ ( 5 ) 富塚03J50頁参照。なお,富塚Cl3Jの〔附論〕 ー有効需要論の貨幣把握ーでは,r
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一G
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を制約するG-W
の自立的理解を基調とするJr
ステュアートーマノレサスーケインズの 学史的系譜」を批判している。即ち,富;塚は,rG-W
のG
の自立的理解」には固有の根 拠があるとし,それを r価値表現に固有の『廻り道』によってJr諸商品の形態変換運動 の絡み合いにおける過程の主導性は貨幣の側に転移せざるをえなL、」ところに求めてい る。 (57頁〕この批判は, (1)ケインズには「固有の根拠」が問われていない一つまり価値 形態論が欠けている一, (2)ケインズには社会全体としての有効需要の問題がない一つま り再生産表式分析が欠けている一,というものであって,G-W
のG
の自立的理解そのも のが誤りだとしているわけではないと思われる。もちろん,G-W
なきW-G
が,必ず貯 蓄とし、うわけではない。しかし,われわれが休息貨幣をあくまでも流通手段機能と考える649 信用恐慌についての一考察 - 7ー なお,マルクスの議論にしたがって蓄蔵貨幣の一部が銀行に集中するとしよ う。更に, こうして銀行に集中した貨幣を利用して銀行が割引を行うとして, 図式化すれば図2のようになろう。なお,この図 2の商品流通の図で,手形割 引してえた貨幣で,商品を購入したと考えると,一番上のW - Gと一番下のG Wは同一商品所有者ということになる。 続いてマルクスは,商品生産(更に資本制生産)では蓄蔵貨幣を形成せざる をえない理由が様々にあることを述べる。後に,蓄蔵貨幣の第一形態や第二形 態として展開する議論との関係等の問題もあるが,ここではふれないことにし 限りでは,休息貨幣以外のG - WなきW - Gは,しかるべき目的をもって蓄蔵が行われた (マノレタスでいえば,蓄蔵貨幣の第 形態や第二形態〕として,貯蓄と同一視することが できる。投資についても同様で.W - GなきG - Wが,一時的に休息していた貨幣の出動 でない限り,それは目的をもって蓄蔵されていた貨幣の出動であり,投資なのである。 なお,蓄蔵貨幣のところで,投資と貯蓄の関係をこのように与えることができるとすれ ば,資本制的生産様式を若干先取りすることによって,われわれは恐慌の抽象的可能性を もう少し具体的に与えることができる。即ち,商品所有者を労働者と資本家にわけ,いま、 資本家の消費を捨象して考えてみよう。すると,労働者は労働力の販売(W-G)でえた 貨幣で,生活のために必要な消費財を購入する (G-W)。ここにも,時間的な遅れがな いわけではなし、。しかし,われわれが労働者は貯蓄をしないと想定する以上,ここに(G WなきW - Gによって)W - G不能を連鎖的に波及させる出発点を想定することはでき ないだろう。これに対して資本家の場合は.W - Gの後,何を購入するかで分かれる。原 材料を購入する場合には.W - Gの後,若干の時間的な遅れを伴いつつ,継続的にG - W を行うことになる。ところが,設備の購入の場合は異なる。 G - Wはすぐさま行われず, それ故当然G - WなきW - Gが出現することになる。もちろん,蓄積資金は永久に持ち続 けるわけではないから,いつかは支出(G-W)することになるO しかし個別流通当事者 をみる限り.W - Gの後G - Wがなされないことに変わりはない。だから,この(個別商 品所有者の〕不均衡はG - WなきW - Gがあると同時に,他方で,他の商品所有者のW -GなきG - Wがあることによって社会的に解決される(投資と貯蓄の均等関係)。かくし て恐慌の抽象的可能性は,具体的にみれば,投資と貯蓄の不均衡の問題であり,その決定 力たる投資の動向の問題になる。つまり,なぜ投資が順調に拡大していたのが,縮小し, 実現不能を連鎖的に波及させることになるのか。それを追究することが,恐慌の必然性や 現実性を明らかにすることにつながることになる。恐慌の抽象的可能性の,こうしたより 具体的な形態規定は, この分析レベノレでもできるのである。 ( 6) I純粋な金属流通のおこなわれている国々,または未発達の生産段階にある国々では, 蓄蔵貨幣は,その国の全土にわたってかぎりなく分裂し分散しているが,ブルジョア的に 発達した国々では,それは銀行とし、う貯水池に集中している。」マノレタス「経済学批判』 岩波文庫版178頁参照。 (7) 大衆から銀行への預金のなかで,預金利子率が決まり,銀行から資本への割引のなか で,割引率(貸出利子率)が決まる。両利子率は,当然連携しつつ動くことになる。
-8ー W -手 --¥ 木 --¥
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一手・手- W
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G - W 第 61巻 第 4号 図 2“蓄蔵貨幣の銀行への集中と割引 650 手形ストyク ょう。最後に,マルクスは蓄蔵貨幣の貯水池の機能を次のように指摘する。「商 品流通が規模や価格や速度において絶えず変動するにつれて,貨幣の流通量も 休みなく満ち千きする。だから,貨幣流通量は,収縮し膨張することができな ければならない。あるときは貨幣が鋳貨として引き寄せられ,あるときは鋳貨 が貨幣としてはじき出されなければならなし、。現実に流通する貨幣量がいつで も流通部面の飽和度に適合しているようにするためには,一国にある金銀量は, 現に鋳貨機能を果たしている金銀量よりも大きくなければならない。この条件 は,貨幣の蓄蔵貨幣形態によって満たされる。蓄蔵貨幣貯水池は流通する貨幣 の流出流入の水路として同時に役立つのであり,したがって,流通する貨幣が その流通水路からあふれることはないのである。J(236頁〉この説明も完壁なも のではなし、。第一に,そもそも貯水池がいかに成立するかが説明されていない し,第二に,貨幣の流出入がいかなるメカニズムを通して実現していくかが明 らかにされていなし、からである。 まず,第一の点からみてみよう。いうまでもなく,古くから多くの金銀量が 蓄蔵されている。しかし,蓄蔵貨幣のストックによって貯水池の役割を説明し ようとするなら,このような歴史的な事実に頼るわけにはいかない。ではどう すればよいか。この説明は,マルクスが別のところですでに明らかにしている。 即ち,図3
にそくしていえば,蓄蔵貨幣のストックが増加するためには(増加651 信用恐慌についての一考察 -9ー 生 産 /
W-G
一一一一一揖
金 生 産/
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2
4
貨 幣 の 流 れ 阪級協~湯 消 費 蓄 蔵 貨 幣 の 貯 水 池 図3.. 流通(支払)手段や蓄蔵貨幣の供給ルート するロジックがあればストッグの存在は説明されることになるλ
一方でG - W なきW - Gがあって蓄蔵貨幣が増加し,他方でそれに対応するW - GなきG -Wが蓄蔵貨幣の貯水池からの供給という形で行われなければよいのである。そ のことは i貴金属はその生産源では直接に他の諸商品と交換されるJ(
2
3
1
頁〉 ことによって実現される。正しくいえば,金生産者によるW - GなきG - Wは, そうして流通界に入った貨幣がそのまま流通し続けるなら,それはマルクスで いえば流通手段や支払手段等の流通貨幣量(ケインズでいえば,取引需要とし ての貨幣量)の供給ルートを説明したことになるし,貨幣がG - WなきW - G によって流通界から出るとすれば,それは蓄蔵貨幣の貯水池(ケインズの予備 的・投機的需要としての貨幣量〉の形成ルートを説明したことになるのである。 次に,先にみた第二の点をみてみよう。この点について,マルクスは「第2
節 流通手段 b 貨幣の流通」で次のような説明を与えている。「商品の流通 部面には一つの穴があって,そこを通って金(銀,要するに貨幣材料〉は,与 えられた価値のある商品として流通部面にはいってくる。この価値は,価値尺 度としての貨幣の機能では, したがって価格決定にさいしては,すでに前提さ れている。いま,たとえば価値尺度そのものの価値が下がるとすれば,それは, まず第一に,貴金属の生産源で商品としての貴金属と直接に交換される諸商品 の価格変動に現われる。ことに,ブルジョア社会の比較的未発達な状態では, ほかの商品の一大部分は,なおかなり長いあいだ,価値尺度のいまでは幻想的一10ー 第61巻 第4号 652 となり過去のものとなった価値で評価されるであろう。しかし,一商品は他の 商品を,それと自分との価値関係をつうじて自分にかぶれさせてゆくのであっ て,諸商品の金価格または銀価格は,しだいに,それらの価値そのものによっ て規定された割合で調整されて行って,ついにはすべての商品価値が貨幣金属 の新たな価値に応じて評価されるようになるのである。J
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頁〉マルク スの議論は,基本的に平均的世界の叙述に中心点があり, メカニズム論は展開 されていない。だから,価値尺度そのものが下がると, まず諸商品の価値が高 く評価され直され,その後,高くなった諸商品の価格にあわせて多くの貨幣が 流通すると説明されている。しかし, どうしてそのような順序になるのかは十 分説明されていない。上で引用した箇所のうち,-ァツレジョア社会の比較的未発 達な状態でJ土」として説明しているところが,むしろ本来のメカニズムではな いだろうか。即ち,金貨幣は原始的購買手段であり, (価値が下がるというよう に〕安く生産できるようになるのなら,金生産者は高い利潤率にひかれて生産 を高めるであろうし,その結果金貨幣供給は増加し,原始的購買手段は増加し, 諸商品の価格は上がっていくであろう。諸商品の価格が上がれば,金生産者の 生産条件(利潤率〉は悪くなるが,こうした上昇はこの部門の利潤率が一般的 利潤率の水準まで落ちるまで続くであろう。(もちろん,こうした調整は行きす ぎて,一般的利潤率の水準以下になって,逆の流れが始まるであろう。だから こそ,この過程はいつも「絶えざる不均衡を貫く均衡化」といわれるのである。〉 貨幣数量説の批判は,貨幣が原始的購買手段であることを否定することによっ て成立するのではなく,こうしたメカニズムを展開して初めて成立するのであ る。2
マルクスとケインズの貨幣論 以上の1
でみてきたのは,マルクスの蓄蔵貨幣論とその若干の補充であるが, マルクスとケインズの貨幣論(特に,マルクスの蓄蔵貨幣とケインズの予備的・ (8 ) こうした問題を最初に提起したのは,高須賀 (11)である。高須賀(11)が主として問題に したのは,諸商品と金との価値次元での変化ではなく,諸商品の価値から価格が離れた運 動をする場合の調整メカニズム(価値尺度論〕である。そこでは,金供給が価格を価値に 収数させるような役割を担うことになる。653 信用恐慌についての一考察 -11-投機的需要と)を比較するには,まだ補わなければならない点がある。 第ーは,マルクスが金本位制を前提しているばかりか, (貨幣論の大部分の〉 議論では金貨流通を前提していることである。ケインズはもちろん管理通貨制 を前提し,不換銀行券制度を前提している。マルクスの議論を管理通貨制・不 換銀行券制度下で考えるとすれば,いかなる修正が必要であろうか。決定的な 相違は,第一に,先にみた流通貨幣量や蓄蔵貨幣量の供給ノレートが変わってく ることである。そしてそれと連動して,流通に不足な(または不用な〕通貨の 補充(または収縮〉メカニズムが変化することである。この問題は,マルクス 経済学における膨大な論争(,不換銀行券論争J)と関連するのだが,ここでは その論争に深入りすることなく,簡単にまとめておこう。供給ルートは,中央 銀行の貸借対照表の資産に対応させれば,(1)金・外貨, (2)政府証券, (3)商業手 形の三つがある。もちろん, このルート自体がマルクスの設定と変わるわけで はない。違いは,一つには供給ルートの中心が(2)の証券購入(買いオペ〉に移 ることであり, もう一つには,管理通貨制の下では金本位制下とは異なって, 通貨供給の決定的な歯止めがなく,過剰な通貨の供給がなされやすいことにあ る。ただ,だからといって,いつも過剰な通貨の供給一物価騰貴が発生するわ けではなL。、(3)の商業手形の再割引という形で供給される通貨は, (もちろん決 定的な歯止めはないが,それでも)マルクスのいうく流通手段の量は実現され るべき諸商品の価格総額によって規定される>であろうし, (2)の政府証券購入 とし、う形で供給される通貨といえども,成長に必要な部分であれば,決してそ れが無条件に過剰を意味するわけでもない。管理通貨制を採用した戦後資本主 義社会が,特に
6
0
年代まではインフレーションがあったといっても,マイルド な形で収束していたのはそれが原因である。この関係を(1)のルートをのぞいて 図式化すれば,図4になる。なお,図4では図1と図3の関係が同時に描いて ある。いうまでもなく,貨幣供給が商業手形の再割引という形で行われる場合, ( 9 ) この図を前提にして,不換銀行券論争を整理すると,次のようになろう。当初,インフ レーションとは,<国家ニ中央銀行が過剰通貨を投入することによって引き起こされた 持続的な物価騰貴である>というところから出発した。ところが,現実には持続的な物価 騰貴は起こっているが,く国家が赤字国債を発行してえた貨幣=過剰通貨を投入する>-12 中央銀行 ~、~古 第61巻 第4号 654 国 家 市中銀行
W-G
x
W-G-W
貨幣の流れx
W-G-W
x
G-W
図 4 管理通貨制下の貨幣供給ルート そこに再割引率(公定歩合)が成立する。公定歩合が利子率とどう関連するか という問題は,利子論で検討される問題であるが,管理通貨制下では意図的な 金融政策が展開できるということは明らかである。また,証券購入が主要な貨 幣供給ノレートとなると,中央銀行の政策が利子率や利回りに大きく影響するで あろうことも明らかである。いずれにせよ,これらの問題は,利子論で検討さ れることになろう。 マルクスとケインズの貨幣論を比較するために, もう一つ決定的に重要なの は, さまざまな資産の保有状況である。マルクスがいうように,商品生産(更 に資本制生産〉ではさまざまな理由で,蓄蔵貨幣を形成しなければならないの だが,それは貨幣の形態で保有しなければならないものではない。収益性や危 険性や流動性(や期間〉を考慮しながら,さまざまな資産に分散して保有する ことができる。もちろんこの貨幣論では,収益性や危険性や流動性をどう評価 するかは問題ではない。そうした問題は,利子・信用論で検討されるべき問題 である。貨幣論では,こうした資産選択の問題を商品形態のなかでどう図式化 できるかだけが問題なのである。マルクスは蓄蔵貨幣は銀行に集中されると というようなことは起こっていなし、。そこから,それ以外の要因を求める形で,論争は始 まったのである。論争は,一方では需要要因CG-W
,ディマンドプル〉として,信用イ ンフレーションと名付けられた議論が登場し,他方では供給要因CW-G
,コストプッ シュ)として,生産性(変化率〉格差インフレーシヨンと名付けられた議論が登場した。 こうして,インフレーション論は,現在では近代経済学もマルクス経済学もあまり変わら ない形で与えられるようになったのである。655 信用恐慌についての一考察 -13 いっているが,それ以外の所有形態にはあまり言及していない。もちろん架空 資本の分析はあるが,それは資産選択の問題として取り上げられているわけで はないのである。マルクスの時代には,そうした問題は貨幣論や利子・信用論 を考える際に大きな意味をもっていなかったのであろう。そのことが,マルク スの蓄蔵貨幣はケインズの予備的動機とはうまくつながるが,投機的動機とは うまくつながらないことと結びついている。 かかる資産選択の関係を図式化したのが図
5
である。マルクスも,蓄蔵貨幣 論では蓄蔵貨幣形成の必然性を与えようとはせず,その課題は資本主義的生産 の解明の後与えようとしている。ここでも,蓄蔵形態の多様化の必然性は,資 本主義的生産の解明の後に与えられるべきであり,更に資本主義の歴史的な変 化を前提にして与えられるべきであろう。しかし,ここではそうしたことを先 取りする形で表現してみよう。一つの証券市場があることとし,商品所有者が 蓄蔵貨幣形成の際,同時にそれを貨幣でもつか,定期性預金でもつか,証券で もつかの選択に直面するとしよう。ここでも,図2
と同様に貨幣のストック(貯 水池)は二重になっている。一つは,大衆がもっ貨幣(不換銀行券〉であり, 中 央 銀 行 ぺ 場 オ 市 り 券 売 証l
↓i
j
I
大 衆│
蓄 蔵 貨 幣 の 貯 水 池 証券スト yク F ーーーーーーョー 貨幣の流れ 証券の流れ (1):現金の保有 (2):預金 (3):証券の保有 図5“蓄蔵形態の多様化-14 第61巻 第 4号 656 もう一つはそれが銀行に預金されて銀行の準備金となったものである。(通常, 大衆がもっ現金貨幣と預金通貨をあわせて,
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と呼び,更にこれに定期性預 金=準通貨をあわせてM 2と呼ぶ)。他方,ここに新しく証券のストッグがあり, 一つの貯水池を形成している。大衆の資産は,二重になった貨幣ストックと証 券ストックの聞を,利子率 証券価格を指標にしながら動くことになる。なお, 一般的にし、って,資産の保有を貨幣から証券に変えたとしても,証券販売者が 貨幣を保有しただけなら,資産の分布状況は個別的に所有者の変更はあっても, トータルには不変で、ある(もちろん証券価格の上昇等があれば,変化はあるが〕。 そこで第5
図では,純粋に関係を把握するため,中央銀行が保有証券を売却す る形で,貨幣を吸収する(売りオベレーション)とした。 なお,このためには,あらかじめ証券ストッグが形成されていなければなら ない。それを描いたのが第6図である。この場合,証券市場は発行市場という ことになる。貯蓄する主体も投資する主体も,産業資本であるが,ここでは貯 蓄する主体を大衆と表現してある。 こうした図式を前提にすると,貸付資本市場と証券市場との聞には一定の関 連があること,それ故, (貸付資本市場できまる)預金・貸付利子率と(証券市 場できまる)利回りとの間には一定の関連があることがわかる。いままでの図 でいえば,図2が貸付資本市場(割引市場ト預金・貸付利子率を表現し,図5出
蓄 蔵 貨 幣 の 貯 水 池 ; 証券スト yク し ー 産 業 資 本 図6
,証券市場と証券ストック657 信用恐慌についての一考察 -15-が証券流通市場 利回りを表現し,図6が証券発行市場 長期的利子率を表現 している。これに中央銀行の貨幣供給がどう関連するか,更に先にみた管理通 貨制下で自由度を増した金融政策がどう影響するか(し、ままでの図でいえば, 図 4がそれを表現している)。こうした問題は,次の(マルクスとケインズの) 利子論の比較のなかで検討されることになろう。 III.マルクスとケインズの利子高命
1
マルクス利子論の構成 マルクスの利子論u
資本論』第3
巻第5
篇〉は次のように構成されている。 第一は,第5
篇第21-
第2
4
章で展開されている利子付資本論で,そこではいわ ば利子(利子付資本〉の本質論が展開される。第二は,続く第5
篇第2
5
章 第3
5
章で,利子の産業循環的変動が分析される。このうち第ニの点は,従来必ず しも明確にされていたわけではなかった。拙著Cl8Jの利子論の一つの諜題は, 実はこの点を整理し明確にすることにあった〈拙著Cl8JI第5章第2節利子論1
貸付資本の現実的運動(1)一一『資本論』第5
篇第2
5
章以下の新しい位置づけ 一一」を参照〉。そして拙著Cl8Jのもう一つの課題は,上述の第一の点に関連 するもので,マルクスの利子付資本論に競争論を積極的に導入して,マルクス 利子論の再構成を試みるというものであった(同じく「第5章第2節利子論 2 貸付資本の現実的運動(2)一一個別銀行資本の運動と利子率一一」を参照〉。われ われはこの後者の試みによって,従来本質論が中心であったマルクスの利子論 が,個別資本(個別産業資本や個別銀行資本〉の運動を媒介とするメカニズム 論として再構成されたと考えている。 このように,われわれは,第二の点についてはマルクスの叙述を整理するこ とによって,第一の点については競争を積極的に導入することによって,利子 論を機能論的に再構成したと考えている。これによって,機能論中心に構成さ れているケインズの利子論との比較も可能となるであろう。とはいえ,ケイン ズの利子論との比較のためには, これだけでは不十分である。先の貨幣論の検 討でみてきたように,ケインズが資産選択を問題にする以上,利子論で問題と-16ー 第61巻 第4号 658 される貸付資本(資金)市場だけでなく,証券市場をも視野に入れなければな らないからである。(なお,以下では次のような概念を使うことにしたい。マノレ クスは抽象的にとらえた利子付き資本を,信用制度下でより具体的に把握する 時,貸付可能な貨幣資本(略して,貸付資本と呼ぶ)と表現している場合が多 い。マルグスはそこでは,預金として集められた貨幣(貸付資本の供給)が現 金準備となって,手形割引等で使用される(貸付資本への需要〕と想定してい る。それ故,本稿でも,利子付き資本の短期的な運動領域を,貸付資本市場と 呼ぶことにしたい。ただし,証券市場を視野に入れると,利子付き資本=貸付 資本は,実は両市場を行き来することになる。その意味では,本稿のような貸 付資本市場についての定義は誤解を生みやすいので,あらかじめ注意された い。〉 マルクス経済学では,従来こうした議論は擬制資本論として展開されてきた。 その代表的な見解が,深町(l
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であり,飯田 C2
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であった。ここでは深町C
l
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から要約してみよう。深町は,まず貸付資本市場を次のように与える。 即ち,商業信用の展開を前提にして,手形割引という形で銀行信用が展開され る(深町のいう「資本の流通時間の止揚」である〉。その延長上に,手形が有価 証券として銀行間で売買(再割引〉される関係が展開される。このような形で 手形割引市場が確立してくると,-手形は利子生み資本の運動の媒介形態であ り,現実資本の運動から霜離した擬制的証券としてあらわれる。それはいまや 価値(貨幣〉請求権ないし資本請求権である。J(
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6
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頁〉とはいえ,この手形割 引市場としての金融市場は,資本調達,集中・集積を実現するものではなく, 「その基本的役割において,社会的に,再生産過程の流動的性格を実現するも のとして理解されなければならないJo(273頁〉即ち,手形はいつでも売りにだ せるから,銀行にとって流動性の高い準備のような機能を持つことになる,と。 続いて,深町は証券市場の確立を次のように与える。まず,確定利付き債券 が利子率を通して資本還元され,ここに擬制資本という範時が成立する。「利子 生み資本の形態が確立すると,利子生み資本は,貨幣貸付という本来の領域を こえて,定期的に貨幣所得が流入する場面にその形態を擬制していく。つまり659 信用恐慌についての一考察 17-そうした貨幣所得が金融市場で支配している利子率にしたがって一資本の利子 として計算されてし、く市場メカニズムを媒介として,それ自体価値ではない貨 幣所得にたいする権利名義一貨幣請求権ーが資本としてあらわれる。これが抽 象的にのべられた擬制資本の形態規定である。J(282頁)こうして,擬制資本と いう新たな信用形態が,商業信用一銀行信用一手形割引市場から連続的に与え られることになる。他方で,資本主義の歴史的発展段階から,株式資本が新た な資本集中機構としてあらわる(深町のいう「資本所有の量的制限の止揚」で ある)。こうした二つの流れが統合する形で,株式が擬制資本化し,証券市場が 確立していくことになる。かくして,金融市場は貸付資本市場と証券市場とを 包撰する形で確立していくことになり,貸付資本=利子付き資本は両市場を行 き来し(深町は,証券市場での貸付資本を「証券流通に必要な資金」と呼んで いる入(後にケインズ理論でみる〉両市場に一定の連携関係を作り出すことに なる。 なお,深町
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では,最近の「金融革新」やセキュリタイゼーションを踏 まえて,貨幣資本(貸付資本)蓄積の現段階的な特質が明らかにされている。 即ち,本来蓄蔵貨幣は銀行の金庫に集中し,これが割引等のための現金準備と して機能する(われわれのいう<貸付資本市場における利子付き資本の運動> である)ことになる。ところが一方では r公衆,企業の『取引残高.!l,信用・ 銀行制度の現金準備の節約・縮減が進行しJ(11頁λ
他方で証券形態での非貨 幣的金融資産が急増している。これを生んだのはいうまでもなく国債の大量発 行であり,それに対応した中央銀行の貨幣供給ノレートの変更である。そして, こうした状態は「ストックとしては小額の現金準備で巨大な金融資産が金融市 場で維持されていくメカニズムにほかならないJ(35頁〉から,激しい金利変動 や高騰を生み r市場開の金利裁定,資本の投下部面の移動を激化したのであ る。J(38頁)この深町の見解は,最近の金融市場をめぐる激しい変化を,ただ 単に競争一般の激化としてとらえるのでもなければ,情報通信革命としづ技術 的側面に解消するのでもなし、。マルクス経済学の立場から,従来の議論の延長 上に的確にとらえたものとして大きな意義をもっている。とはいえ,それは本18ー 第61巻 第4号 660 稿の直接的な対象ではない。 いずれにせよ,深町や飯田の擬制資本論は, マルクスでは萌芽的な形でしか 与えられていなかったものを再定式化したものである。ただそこでも,両市場, それ故利子率と利回りの理論的な連携関係については充分言及されていたとは いえない。 もしその連携関係の中身が充分明らかになっていれば, マルクス利 子論を基軸にして, ケインズ利子論の批判を展開できたであろう。そこでわれ われは,貸付資本市場と証券市場の関係を, ケインズ経済学との比較ができる ような形で提起してみよう。
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ケインズ利子論への疑問点、 周知のように, マルクスとケインズの利子論は, 両方ともまず需要関係と供 給関係を与え, そこから利子準の決定を導いている限りでは,似ているように みえる。しかし,両者の利子論は根本的に異なる。即ち,上でみてきたように, マルクスが貸付資本(資金〉の需給関係を問題としているのに対し, ケインズ は,貨幣の需給関係を問題としているのである。つまり, マルクスの場合は貸 付資本の運動を媒介する銀行を軸として, そこに集まる貸付と借入の関係から これに対しケインズは,中央銀行を軸とする貨幣供給 利子論を構成している。 と人々の貨幣需要から利子論を構成している。この差が生まれる理由の一つは, すでに述べたことからも明らかなように, ケインズが証券市場の問題を取り上 げていること(マルクスではこれはほとんど入ってこなしうにある。そこで, 以下では, まずケインズ利子論の標準的な理解を紹介し, それへの批判を展開 し, その批判を踏まえて,貸付資本市場と証券市場の関連をマルクス経済学の 立場から述べることにしたい。 ケインズの場合,先にもみたように,貨幣論は貨幣保有の動機という観点か ら構成される。そのように把握された貨幣需要の決定関係は,次の二面から説 明される。第一の側面とは,貨幣の需要が国民所得の水準に依存する (取引需 要+予備的需要〉という場合である。 このうち,取引需要は,経済成長に必要 な限りでの通貨需要(¥,、わゆる成長通貨〉であり, マルクス経済学流にいえば (拡大再生産とともに増大する〉流通必要金量ということになる。もちろん,661 信用恐慌についての一考察 -19-こうした貨幣需要にも利子率は一部影響するが(小泉・建元[7J 180頁参照), それは利子率の決定に大きな意味が付与されていないから, ここでは省略しよ う。他方,第二の側面は,資産選択の変動からの影響(投機的需要〉という形 で与えられる。具体的には,証券と貨幣の聞の資産選択で,貨幣の投機的需要 が生まれるとし,その資産の選択→貨幣の需要の変化に対して,利子率が影響 することになる。いま市場利子率と(将来実現するであろう)期待・予想利子 率を区別し,期待利子率を短期的に固定すると考える。すると,証券価格が高 いと市場利子率(利回り〉は低下し,期待利子率が変わらない以上,将来証券 価格の低下が予想され,現在時点での貨幣保有が増大することになる。以上の ような説明が通常教科書的には使われているが,次の点は注意すべきであろう。 即ち,現在時点での貨幣保有が増大するということは,証券保有から貨幣保有 への移動が起こることになるから,証券市場での売りが多くなり,それは証券 価格を下げ,利回りを上昇させることになる。「有価証券=擬制資本はr自由に 利用できる貨幣資本』の投下部面であるから,本来の貨幣貸付の部面との比較 において,証券市場へは貸付可能資本が流入する。金融市場の総体としての統 一性である。有価証券の利回りが短期貨幣市場の利子率より高いか,あるいは また証券売買による差額利潤獲得の見とおしがあれば,貨幣資本にたいする新 たな需要が生じ,証券市場に貨幣資本が吸いょせられ投機が進行し,証券価格 が上昇してし、く。J(深町 (14)304頁。深町の例は逆のケースである〉。われわ れの例でどこまで証券価格が下がり利回りが上昇するかといえば,証券保有か ら貨幣保有への移動が止まる点,即ち期待利子率と一致する点である。したがっ て期待利子率がどこにあるかによって,貨幣需要の大きさは異なってくるが, 市場利子率がそれより高ければ貨幣需要を拡大させ,逆に低ければ貨幣需要を 縮小させることに変わりはない。かくして,投機的需要としての貨幣需要は, 利子率の減少関数になるというわけである。利子論にとって問題となるのは, この第二の資産選択と利子率の関数関係である。 小泉・建元
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7Jには,資産選択と利子率の関係について,二つの疑問点が 紹介されている。第一の批判点は,期待利子率(予想利子率〉を一定としてい-20ー 第61巻 第4号 662 るという点である。これは,マルクスとの差を考える場合は重要であろう。論 点を,小泉・建元 C7Jから引用すれば次のようになる。「特
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こ,長期的均衡を 考えるかぎり,予想利子率と現行利子率とは一致し,両者の議離によって貨幣 需要を説明することは許されなくなるという批判がある。もっとも,ケインズ が問題としたのは断えず変化しつづけている世界であり,それゆえにこそ,短 期均衡が分析対象にえらばれているのだから,予想利子率と現行利子率は必ず しも一致する必要はない。また過去に経験された利子率がかなり安定している ときには,非弾力的予想、の過程もあながち不都合ではない。J080
頁〉先にもみ たように,マルクスの利子論はいくつかの局面に分けられる。『資本論』第3巻 第5
篇第2
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章以下の分析は,基本的には産業循環過程における利子率の運動 (貸付資本の現実的運動〉を分析したものである。この局面では,1
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年周期の 循環が対象とされているのであり,通常いう長期分析であろう。だから,たと えば好況過程の進行とともに,貸付資本の需給がだんだん逼迫してくるが, こ れは現行利子率とともに予想利子率も上げていくであろう。もちろん,その運 動には若干のタイムラッグはあるだろうが,ケインズが想定するような,議離 を想定することはできない。いま現行利子率が上昇していくと,証券価格は低 下する。この場合,ケインズ的な想定では,予想利子率は変化しないことになっ ているから,いずれ証券価格は上昇することが予想されるので,証券保有を増 加した方が有利だとし、う判断になる。ところがわれわれの想定(産業循環論的 な局面〉では,予想利子率も同じように上昇するので, (関数自体がシフトして しまって〉将来証券価格が特別に上昇するということもなく,結局証券への資 産のシフトは特別には起こらないことになる。かくして,マルクスの<貸付資 本の現実的運動分析=利子率の産業循環的変動>に限定する限り,ケインズ的 な視点を導入する必要はないということになる。もちろん,ケインズはそのよ うな局面の利子率の動きを対象にしていたわけで、はない, ということになろう が,では利子率の産業循環的な変動を与えようとする時には,いかなる理論を 用意するのかとし、う疑問は残ることになる。われわれは,これこそ利子論の中 心的な課題であると考えるし,後にみるように,ポスト・ケインジアンの貨幣663 信用恐慌についての一考察 -21ー 的景気循環論では,このことが鋭く問われることになろう。 次に,小泉・建元
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7Jのケインズ利子論への第二の疑問点をみてみよう。 「より重要な批判は,この理論によれば,個人についてみるかぎり,資産はす べて貨幣か証券のいずれか一方の形で保有されることになり,両方を保有する 行動は説明されないというJ(180頁〉点にある。こうした批判のなかから,よ り一般的な理論的枠組みのなかで,貨幣需要を説明する資産選択理論が登場し, ケインズの理論はその一特殊ケースとして含まれることになる。即ち,資産選 択理論では,資産を,安全資産(危険がなく一定の利子率をもっ貯蓄性預金〉 と危険資産に分け,まずこの両者をどうもちあうかを議論し,続いて危険資産 の内部でいかなる保有状態が成立す町るかを議論する。その場合,収益性と危険 が相反する関係にあること(収益の期待値と収益の分散の二つのパラメーター から接近する〕を前提とすると,危険回避者から危険愛好者まで,さまざまな 最適な資産選択が成立する。しかしいかなる資産選択にするにせよ,安全資産 の収益率(=貯蓄性預金の利子率)と危険資産(証券等)の収益率との差が, 大きければ証券購入に,小さければ貨幣保有にむかうことに変わりなし、から, 貨幣需要は,こうした差としての利子率の(減少〉関数になる(ケインズの場 合は,安全資産の収益率(利子率〉をゼロとした場合で,利子率というのは証 券等の利回りに等しいことになる)。ここで注意すべきことは,この場合貨幣需 要とは貯蓄性預金部分も含んだ広義の貨幣需要(M2
)
であり,利子率というの は証券利回りと貯蓄性預金の利子率との差を指していることである。そうなれ ば,その差の高低が証券と広義の貨幣との選択の指標になることは明らかであ る。(なお,あらかじめ注意しておけば,証券利回りと貯蓄性預金の利子率との 差が大きければ,貨幣保有への需要が減少するといっても,それはあくまでも 変化の方向であって,その差がどれだけであれば,貨幣需要がどれだけになる とし、う形で,その水準が与えられるわけではない。つまり,今の水準より差が 上昇したら,貨幣需要は減少するといえても,今の水準がどこであり,減少し た水準がどこになるかはいえないのである〉。 こうして,資産選択理論から理解すると,ケインズの「貨幣の投機的需要」-22- 第61巻 第4号 664 における利子率とは,銀行の預金・貸付利子率のことではなく,あくまでも証 券の利回り(または利回りと預金利子率の差〉のことであったということが明 らかになった。 n証券』の期待収益率Fと安全資産の収益率 r
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(ケインズ・モ デ、ノレではゼロ)の差がケインズ・モデルにおける利子率に対応し証券』から の収益の分散を所与とすれば貨幣』需要は利子率の関数になる。J(小泉・建 元C
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頁〕それ故,この議論では,あくまでも差が問題とされているので あって,差の基礎となる預金利子率(ケインメではゼロと想定されている〉に ついては説明されていない。少なくともそれを決める論理は,そこのなかには 用意されていないのである。この点について,小泉・建元C
7Jは,貨幣の予 備的需要と関連させて次のように理解する。即ち,上にみた安全資産のうちで, 貯蓄性預金のような利子をもたらす資産の所有もあれば,現金貨幣のように利 子をうまない資産所有もある。どの所有も,危険性があるわけではなし、から, 収益と危険の相反する関係から最適な資産選択を考えるなら,現金貨幣の保有 などありえないことになる。しかし,にもかかわらず利子を生まない貨幣保有 がありうるのは,資産のもつ流動性に原因があるのである。こうして,安全資 産のなかで,収益性と流動性の相反する関係を前提にした最適な資産選択の問 題を論ずることができる。ここでも,流動性に特別の変化がなければ,収益性 (預金利子)が上がれば現金貨幣から貯蓄性預金への選択が生じるであろうか ら,現金貨幣は預金利子率の減少関数になる。こうして,収益性と流動性の関 係から,利子を生まない現金貨幣と貯蓄性預金の選択が考えられ(ここに,預 金利子率が決まる),収益性と危険の関係から,貯蓄性預金と証券の選択が考え られる(ここに,利子率二利回りが決まる〉ことになる。それ故,ケインズ経 済学で,貨幣の需給によって利子率が決まるという時,一般的にいってさまざ まな利子率が一本としてとらえられる傾向にあるが,正確にいえば,貯蓄性預 金の利子率が貨幣の需給によって決まるとしなければならないのであり,その 上で収益性と危険の関係で利回りが決まるとしなければならないのである。 かかる議論に対し,われわれは次のような疑問点を提示したし、。第一に,す でに述べたことであるが,そこでは広義・狭義の貨幣需要は利子率の減少関数665 信用恐慌についての一考察 -23-であるということがし、われているだけであって,その関数の位置は十全には与 えられていないということである。収益の期待値と危険の分散がどのように与 えられるかはここでは所与のものとする以外になし、。それを決めるのは,マル クス流にいえば,現実資本の運動であるからである。同じことが,収益と流動 性の関係についてもいえる。後にもみるように,恐慌局面で,流動性を求めて 現金貨幣に殺到するのを説明しうるのは,あくまでも現実資本の分析なのであ る。ケインズ理論を資産選択理論として拡大しても,そうした分析は,現実資 本の運動をすべて所与とした上で成立するものでしかない。そうであるとすれ ば,それは短期的なものでしかないという批判はここでもあてはまる。その上, それは所詮変化の方向を与えるものでしかなく,いかなる水準に決まるかを与 えるものではない。第二に,いま,収益の期待値と危険の分散を前提にして, 利子率(=利回り〉の変化に対応した広義の貨幣需要
(M2
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の変化の方向が決 まったとしよう。更に,収益と流動性の関係を前提にして,貯蓄性預金の利子 率の変化に対する狭義の貨幣需要 (M1)の変化の方向が決まったとしよう。問 題は,貨幣の供給である。われわれは,中央銀行が対市中銀行への割引を通し て貨幣を供給している限り(つまり特別の供給制限をしない限り),貨幣は需要 に応じて供給されるということになると考える(通貨論争における銀行学派の 立場がそれであった〕。それ故,利子率の変化に対応して貨幣需要の変化の方向 が決まり,貨幣需要の変化に対応して貨幣供給の変化が決まることになるので あるから,説明する論理は出発点にもどってこないことになり,結局利子率そ のものを説明する論理は与えられないことになる。 それでは,利回りや預金利子率はどう決まると考えたらL、し、のであろうか。 われわれの立場は次のようになる。まず,証券市場と貸付資本市場とを明示的 に区別する。その上で,両者が一定の連携関係にあることを導入し,更に貨幣 供給がそれに制約を加えることを導入すEる, と。もう少し詳しくみると,利回 りや預金利子率の決定は,何よりもまず第一に,それぞれの市場の需給関係か ら与えられることになる。次に,証券市場における証券の購入は,広義の貨幣 保有と一定の(逆の〉連携関係にあり,広義の貨幣保有は,貸付資本市場にお666 第4号 第61巻 -24ー したがって,実はそれぞれの市 場の需給関係は,一部未決定のところを残していたことになり, ところをこうした連携関係が決めていくことになる(ワルラスの法則〕。最後に, 中央銀行の貨幣供給が問題とされる。中央銀行が貨幣供給を需要に応じて供給 その未決定の ける資金供給=預金と一定の連携関係にある。 ケイン もし, それは以上の決定関係に影響を及ぼさないが, するというなら, そ ズ経済学がやるように,貨幣供給がある水準で与えられると前提するなら, れは広義・狭義の貨幣保有に一定の影響を与え,利回りや利子率決定にも影響 を与えることになる。下の図参照。 われわれの図式でいえば,利回りに対応 ケインズ経済学が問題にするのは, して連動する広義の貨幣需要(保有〉と中央銀行によるハイパワードマネー (H) われわれの図でいえば,証券販売(設備投資 との関係だけである。そこでは, 資金への需要)は省かれることになるし,貸付資本の需要(短期資金への需要〉 ケインズの世界 「証券販売(設備投資資金の需要)
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証券発行市場│↑ ↓長期利子率決定j
巨窪ヨ「
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証券流通市場│↑ ↓利回り決定 │証券の購入│ ↓ ↑ 利回りに対応して逆に連動する │広義の貨幣保有(預金+現金)1
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一般大衆現針呆有│-
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資金供給=預金│←5
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貸付資本市場│↑ ↓預金・貸出利子率決定 │貸出・割引(短期資金の需要)I
667 信用恐慌についての一考察 -25-も省、かれることになる。これらはすべて産業資本の運動によって決まるもので あるO これらの要素を所与としているのだから,わかるのは全体の水準ではな く,変化の方向だけである。しかも,変化の方向も決まっている。われわれの 表現でいえば,中央銀行による貨幣供給の制約があると,貸付資本の供給(預 金利子率〕に一定の変化が惹起され,それによって連動性のある証券市場(利 回り)にも一定の変化が惹起されるのであるが,ケインズ経済学で示すことが できるのは,こうした変化の方向だけである, と。だからこそ,証券市場で設 備投資資金の需要が変化したり,貸付資本市場で割引要求が変化したりしても, その変化はケインズ体系の枠に入ってこないのであり,更にいえば<中央銀行 の貨幣供給は需要に応じて>とすると未決定になってしまったのである。 しかしながら,変化の方向を与えることができるということは,一定の経済 分析ができるということを意味する。たとえば,中央銀行が貨幣供給を増加さ せる形で,金融緩和政策を実施した時,利子率がどの方向に動き,それが経済 全体にどのような影響を与えるかを説明することは充分できるのである。そこ で次に,マルクスとケインズの違いに充分配慮した上で,両者の接点に焦点を しぼってみてみることにしよう。 3 貸付資本の運動(利子率〉と貨幣供給 われわれは利子率を貨幣需給関係によってではなく,マルクスのように,銀 行を中心とする貸付資本(資金〉の需給関係から与え,その関係に貨幣の需給 が間接的に影響を与えるという形に理解しなければならない, と考える。いう までもなく,貨幣需要と貨幣供給の関係こそは,マルクスが貨幣論で「貨幣数 量説批判」として繰り返し論じた点であり,貸付資本と貨幣量の関係こそ,マ ルクスが信用論で「通貨学派批判」として繰り返し論じた点で、ある。マルクス とケインズの利子論の差という問題は,実はマルクス自身を悩ませた利子論の 重要な問題につながっているのである。 貨幣の需給が貸付資本の運動に間接的な影響を与えるという場合,その中身 はいかに与えられるのであろうか。それは次のように要約できる。利子率は基 本的に貸付資本の需給によって決まるが,産業資本による貸付資本の供給を考
-26- 第61巻 第4号 668 えてみると,それは銀行資本からすれば貯蓄性預金であって,現金準備を構成 する。その現金準備=本源的な預金に基づいて信用創造が行われ,貸付(預金 通貨の創造)がなされる。その意味で,現金準備は利子率決定に大きな役割を 果たすことになる。他方で,銀行資本にとって産業資本からの預金と閉じ意味 を持つのが,中央銀行から再割引という形で入ってきた現金で、ある。ここから, 中央銀行による貨幣の供給は,直接利子率を決定するものではないが,利子率 決定の軸になる銀行資本の現金準備に影響を与える形で間接的に影響するとい うことになる。ただし,その間接的な影響は金本位制下では所詮限定されたも のになる。というのは,中央銀行の貨幣供給は再割引というルートが中心であ るし,しかも再割引率はペナルティレートにはなるが,それでも特別のこと(た とえば金流出がそれにあたり,現実に恐慌期に起こるのだが)がない限り,必 要に応じて供給されることになるからである。したがって,そこからは当然マ ルクスのように,貨幣量は利子率に「逼迫期以外には影響しなし、」とし、う結論 が導かれることになる。 「逼迫期以外には影響しなL、」ということは,逆にいえば貨幣量が利子率に 影響することがあることを認めたことにもなる。そして, マルクスが前提して いた条件が歴史的に変化してくると,その影響の回路は大きく広がることにな る。ということは同時に,マルクスとケインズの利子論の接点が広がることに もなる。いうまでもなく,ケインズが対象とした時代は,マルクスが対象とし た時代とは大きく異なっている。貨幣論でも与えたように,第一に,マルクス の場合,資産選択を考えるといっても,せいぜい(安全資産における〉貨幣と 預金の聞の選択である。ケインズのように,さまざまな証券との聞の選択関係 は登場してこない。第二に,最も重要なことは,ケインズがあくまでも管理通 貨制を前提していることである。管理通貨制の下では,中央銀行の役割は飛躍 的に高まることになる。まず,
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世紀においては補助的なルートであった「公 開市場操作が管理通貨制下の現金通貨の主要供給ルートとなるJ(深町Cl5
J3
0
頁〉。とすれば,証券市場への介入を通して積極的な政策を展開しうるから,利 回り(→利子率〉水準に直接的な影響を与えることも可能になる。先に展開し669 信用恐慌についての一考察 -27