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第26図 前野町期遺跡分布図 (1/800,000)顧胤﹂階
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20kmから印格・手賀沼周辺地域 にかけては、前野町式土器 と印椿 。手賀沼系土器 との共伴関係 が認 め られず、前野町式土器文化圏の浸透 と、印格・手賀沼系土器文化圏の消滅 とは強い関連性 が あるのではないかと思 われる。主 な遺跡 としては、市川市国分台付近では 日出学園遺跡、須和 田遺跡、宮久保遺跡、殿 台遺跡、小塚 山遺跡、諏訪原遺跡 、中和倉寒風遺跡 などがあ り、須和 田遺跡
1軒
、殿 台遺跡8軒
、中和倉寒風遺跡5軒
、諏訪原遺跡27軒 (弥生時代後期∼古代土師 器)の
竪穴住居址 が検出 されている。Fp烙 。手賀沼周辺地域 では、方形周溝墓3基
が検出 され た渡戸 (A・B)遺
跡、石神 (第1)遺
跡 などがある。千葉市周辺 では上 ノ台遺跡、宮脇遺跡、 東寺山石神遺跡、それよ り以南の上総国分台周辺地域 では大厩遺跡、請西遺跡、手古塚 (古墳 下)遺
跡 などがあ り、下総台地東端 に吉田遺跡、阿玉台北遺跡 がある。 印格 。手賀沼系期は、従来、印施・手賀沼周辺地域 を中心 とす る遺跡の中で、後期前葉頃の Jヒ関東系土器文化圏 に包括 されていた文化期 を指す ものであ り、あえて久 ヶ原期 とは分離 した。 これまでに78遺跡発見 され、夷隅川流域 における分布調査 で若干の十三台系土器が確 認 されて いるの を除 いては、下総台地 中央部のFp施 .手 賀沼周辺地域 に密集 し、前にも述べたが、村田 川 を越 えた上総 。安房地方 にはほとん ど見 られない。下総台地東端の大平洋側の地域 にも2∼
3の
遺跡 が存在す るが、 これ らの遺跡 を含めたFp烙沼東側 の地域 は、後述す るよ うにFp椿 。手 賀沼系式土器文化圏 とはやや異 なる文化圏 に属す るのではないかと思 われる。Fp施 。手賀沼周 辺地域 にこれだけ多 くの遺跡 が集中す るほ どの文化が、 どの よ うな形 で発生 し、展 開 されてい ったかにつぃては、第V章
で詳 しく述べ る。 東京湾沿岸地域 か ら江戸川流域 にかけては、須和田遺跡、宮久保遺跡、国府台遺跡、諏訪原 遺跡、大谷 口遺跡 などがあ り、 これ らの地域 よ りやや東南 に夏見大塚遺跡、夏見台遺跡 が位置 す る。諏訪原遺跡 では3軒
、夏見台遺跡 では9軒
の竪穴住居址が確認 されている。利根川南側 から手賀沼周辺地域 にかけては、鴻の巣遺跡 、中`馬場遺跡、北作 (古墳下)遺
跡 などの他 に、 合 口壺 (甕)棺
の出土 した羽中遺跡、発作遺跡、古新田遺跡、鶴塚 (古墳下)遺
跡 などがある。 印格沼周辺地域 は、特 に遺跡 が集中 し、中で も印椿沼南岸 か ら鹿島川流域 にかけては遺跡 の数 もさることなが ら集落址の発見 される遺跡 が多い。おもな遺跡 としては、西 ノ台遺跡、萱橋遺 跡、飯合作遺跡、石神 (第I。 第 Ⅱ)遺
跡、渡戸 (A・B)遺
跡、間野台遺跡、古屋敷遺跡、 江原台遺跡、江原台第1遺
跡 、飯重新畑遺跡、生谷境堀遺跡 などがあ り、 これ らはすべ て集落 址 が確 認 されている。 この うち、萱橋遺跡 、飯合作遺跡、渡戸遺跡、石神遺跡、江原台遺跡、 江原 台第1遺
跡 などは、大規模 な集落構成 を持つ遺跡 である。印椿沼東岸地域 では集落 を伴 う 遺跡 は見あた らず、当該式土器 とは異 なる茨城県地方 に主体 を持つ十二台式土器 と称 される土 器の出土す る遺跡 が多い。 その中では、は るか距離 をへ だてた太平洋沿岸地域 に含 まれ る阿玉 台北遺跡、佐野原遺跡 か ら集落址 が検出 されている。千葉市周辺 では都川流域 に東寺山石神遺 跡 が集落 を構成す るだけで、 この周辺地域 が、Fp椿・手賀沼系式土器文化圏の外縁 となるもの と思 われる。第27図 房 総 弥生後期 印施・ 手賀沼系期遺跡 分布 図 (1/800,000) 角 Ъ
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lo 20km =第28図 房 総弥生後期埋 葬遺跡 分布 図 (1/800,000) 磁真 Jヒ北 (銚 子 市)
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20km文化様相 久 ヶ原期の文化様相 について概観 してみ ると、集落 に関 しては、上総国分寺台周辺地域 に限 らず、標 高
20m前
後の沖積面 を見下す台地縁辺部 に立地 し、中期宮 ノ台期,こ見 られたよ うな大 集落 を構成 しないのが特徴的である。ほとんどの集落 が10軒にも満 たないものであ り、 これ を 上回 るもの としては、大厩遺跡 、坊作遺跡、南中台遺跡 などわずかである。概 ね10軒を越 えな い住居群 が1つ
の単位集団 を構成す るよ うであ り、宮 ノ台期の集落 に伴 う環濠 も房総地方久 ヶ 原期では全 く認 め られない とい うことも大 きな時代的特徴 と言 えるであろ う。大厩遺跡 では久 ヶ原期の竪穴住居址12軒が確 認 されているが、環濠 を伴 う宮 ノ台期の集落 が東西に伸 びる台地 の東端 に位置 し、 これよ り台地 西側 に奥 まって久 ヶ原期の集落 が構成 されている。又、 ここで は弥生町期、前野町期 と時期 が下 るにつれて西側 に集落 が移動 しているとい う事実があ り、 こ れ ら各時期の集落 占地 の対比 が非常 に興味深 い。 久 ヶ原期の住 居形態 は、宮 ノ台期の伝統 を受け継 いだ もので、小判形、胴張 り隅丸長方形、 隅丸方形 などの他 に不整円形 などがある。 この うち最 も主体的 な位置 を占めるのは、胴張 り隅 丸長方形 ない しは隅丸方形 で、炉穴 と主柱穴4本
を具備す るのが最 も基本的 なものである。長 辺7m、
短辺6m前
後の ものが多いが、胴張 り隅丸長方形 (小判形 に近 いが、主軸 に直交す る 壁長 と主軸の壁長 との差 は顕著ではない)を
呈す るものの中に、長辺 が10m前
後 を測 る大形の 住居址 が存在す る。前 に述べた大厩遺跡 で も、長辺 9.7m、 短辺8.3mの
住居址 が認 め られて いる。数軒の集落 を構成 している中に、最低1軒
は確 実 に存在 しているよ うであ り、大形住居 の占める位置 も何 らかの意味 があるよ うである[こ
れに対 し、隅丸方形、不整円形 を呈す るも のは、長辺 5m、 短辺4m前
後で、不整円形 を呈す るものは炉址 は具備す るが、柱穴 は不規貝1 なものが多い。 久 ヶ原期 に伴 う埋葬形態 は、Fp椿 。手賀沼周辺地域 と上総地方 とでは大 きな相異 を見せ る。 前者では浦部羽中遺跡l発
作遺跡出土の合口壺 (甕)棺
墓が挙げ られる。いずれ も形態 が不明 であ り、出土土器 に しか様相 は窺 われないが、蓋 に縄文が施文 された印格 。手賀沼系式土器の 鉢形土器 を用い、主体部 に山形状 に区画 された沈線文間に縄文帯 を持つ久 ヶ原式土器特有の壺 形土器 が使用 されている。合 口壺 (甕)棺
墓の系譜 については種 々の論議がな されているが、 祖源は東 日本の縄文時代 に求め られるよ うであ り、 このよ うな特定の時代の生活様式 を示す も のの中にそれぞれ文化の系譜の異 なる様式 (蓋と主体部 に使用 される土器)が
混在す るとい う 事象は、久 ヶ原期の もつ特殊性 を如実に表現 しているよ うである。 これに対 して、上総国分寺 台周辺地域 では、合口壺 (甕)棺
墓の形態 を持つ ものは見い出 されず、方形周溝墓が認め られ る。 しか しなが ら、久 ヶ原期 に属す る方形周溝墓は宮 ノ台期 に比べて検出例 が少な く、南向原 遺跡、坊作遺跡 などわずかである。南向原遺跡では、3軒
の竪穴住居址 とは小支谷 を隔てた台 地縁辺 に2軒
確認 されている。1号
方形周溝墓 は、4辺
がそれぞれ独立 した周溝 で画 された方 形の中に内部施 設 を置 くもので、南北約 9.9m、 周溝 の長 さ6∼
4.5m、 最大幅1.4mを
濃1る。内部施設は、東西
2m、
南北1.14m、 深 さ45cmの隅丸長方形 を呈 し、出土遺物は検出 されない。 ほぼ同様 な規模 を持つ 2号 周溝墓とあわせて、当地方久 ヶ原期方形周溝墓の祖源期 に属す るもの と言 われている。上総国分寺台周辺地域 に見 られるこのよ うな方形周溝墓│よ、明 らかに中期宮 ノ台期か ら受け継 がれたものであり、Fp施 .手 賀沼周辺地域 における埋葬形態 とは全 く系譜が 異 なる。 土器 に関 しては、壺形土器、鉢形土器、甕形土器、高ナ不形土器 など器種 に富 む (第29図6∼
H、 第34図8∼
10、 第35図12・ 13、 第44図 1・ 2、 第49図 1。 2、 第50図)。壺形土器の文様帯 を持 たない部分が赤彩 され るなどの装飾手法、文様手法は、東京湾西岸地域 と全 く同様 である。 甕形土器 も、同様 に口縁部 か ら頸部 にかけて輪積痕 による装飾 手法 を持つ土器がほとん どであ るが、台付甕形土器は全般的 に非常に少ない。土器以外の遺物 については、中期宮 ノ台期 に豊 富 に見 られた石器 が急激 に消滅す ることが指摘 される。南向原1号
住居址 か ら出土 した有角石 斧 が特異 な石器 として挙げ られるだけで、他 に顕著 な石器は見 あた らない。関東地方で も、す でに弥生時代中期の段 階 か ら鉄器の存在が認 め られてお り、房総地 方 においても、久 ヶ原期 に 至 ってすでに鉄器 が、石器 にとって変 わるほ ど普及が著 しくなったとい うことが考 えられ、事 実、 これ以外 に石器の消滅 を納得す る要因は見つけられないが、当地方の この時期 における鉄 器の出土例 は皆無である。青銅器 もほとん ど例 はなく、古 くは田子台2号
住居址 から不明鋼製 品が出土 している他 に、わずかに大竹遺跡 か ら銅鏃 が出土 しているだけである。 それに対 して、 紡織技術 に関す る道具 としての紡錘車 (土製)は
比較的多い。 その他、特殊 な遺物 としては、 田子台2号
住居址 か らガラス玉 が117個
検出 されている例 があ り、当地方では最古の部類 に入 るものであろ う。 弥生町期は、土器 を見 る限 りにおいては連続性 を持つが、む しろ、文化 その ものは前野町期 前段階の過渡的 な様相 を呈 している。上総国分寺台周辺 については、詳細 が定かではないが、 印格 。手賀沼周辺地域 に見 る限 りでは、印格 。手賀沼系式土器文化の持つ独 自性 が薄 れて行 く とともに、一部 に十三 台式土器文化の一端 が波及す るなど、錯綜 した動 きが現 われて流動的な 様相 を含んでいる。 集落は久 ヶ原期 と同様 な立地条件 を持つが、大厩遺跡 か ら検出 された2軒
の竪穴住居址 は久 ヶ原期の集落の西側 に位置 し、前野町期の集落 が営 まれる地域 と重複 している。住居形態 も大 形の住居は消 え、須和 田遺跡91号住居址 でもそ うであるが、一辺 が3∼
4m前
後の隅丸方形 を 呈 し、炉穴の他 に主柱穴 を完備 しているものは少 ないとい うのが特徴 的である。 埋葬形態 については、印椿 。手賀沼周辺地域 、上総国分寺台周辺地域 いずれ とも久 ヶ原期の 葬制 を踏襲 している。 しか しながら、印椿・手賀沼周辺地域 においては、同 じ合口壺 (甕)棺
墓でも土器 にやや異 なるものが用い られている。発作遺跡、国府台遺跡 などのよ うに蓋 と主体 部 に印椿・手賀沼系式土器 と弥生町式土器 が用い られているのに対 し、阿玉台北遺跡 では移入 された とも言 うべ き十三台式土器 が用い られていることである。必ず しも十三台式土器 を用いたこのよ うな葬制が当地域 で主体的 な位置 を持 ち得 なかったことは他の地域 に類例 が認 め られ ないことから言 って も確 かなよ うであ り、 この辺 にも過渡的 な様相 が感 じられる。方形周溝墓 は類例 が少ないが、加茂
(C地
点)遺
跡 では2軒
の弥生町期の住居址南側 に接 して構築 されて いる。一辺 が23m前
後 を測 り、西側周溝 だけが独立 しているもので、前記久 ヶ原期 に属す るも のよ りもは るかに規模 が大 きい。 この よ うな同一地域内 に住居 と墓域 が併存す るとい うことは、 前時代 には認 め られなかったことである。両者は同 じ弥生町期で も若千時間差 を含んでいるの かもしれないが、あるいは、何 らかの要因で墓制 に対す る意識の変化がおこつたのかもしれな い。 土 器 は、弥生町式土器 と呼 ばれ る。久 ヶ原式土器の特徴 を受 け継 いだ もので、須 和 田遺 跡(第 29図 12∼18、 20、 23)、 小塚 山遺跡 (第29図 13∼15、 19、 21、 22)、 大厩Y-1号
址 、5号
墳 下 、カロ茂(C地
点)遺
跡 、 明鐘 崎遺 跡 な どか ら出土 した土 器 は その代 表的 な もの と言 え る。壺 形 土 器 はS字
状 結節 文 と羽状 縄 文 が主体 とな るが、網 目状撚 糸 文 が 多用 され るの も特徴 的 で あ る。甕形 土器 は、高台部 を持 つ甕形 土器 は まだ量 的 に少 な く、久 ヶ原期 に見 られた輪積痕 によ る装飾技法 が退 化 して、 わず かに頸部 か ら胴部 に移行す る部分 にだけ稜 を残 す もの に変化 す る。 土器 以外 の遺 物 につ いては、顕著 な出土例 は見あた らず、不 明 な点 が 多い。 前野町 期 に至 って も、遺 跡 の ほ とん どが、水 田面 との比 高差10m前
後 を測 る台地 上 に位 置 し、 前代 と引 き続 き同 じ占地 を示 す。例 外 と して、標 高約6mの
市 川砂 州 上 に発 見 された 日出学 園 遺跡 が挙 げ られ る。 しか しなが ら、 日出学園遺 跡 で は集 落址 は検 出 されず、手捏 土 器 を含 む壺 形 土器 や器台形 土器 が発 見 されて い るこ とか ら、直接 的 には農 耕 にか か わ る遺 跡 では ないの で は ないか とい う見方 も されて い る。 集落 を構 成す る住 居数 は、殿 台遺跡 と大厩遺跡 で それ ぞれ8軒
検 出 されて い るの が最 も多い 数 と言 える。住 居形態 は、 第2図
に示 されてい るよ うに、長辺 、短辺 とも3∼
4m前
後 の隅 丸 方形 を呈 す る もの と、 これ よ りやや大 きい5∼
6m前
後 の2種
に分 かれ、炉穴 はほ とん どが具 備 す る ものの 、柱 穴 は4個
完 備 す る もの と不整 ピ ッ トしか ない もの とがあ る。 ど ちらか とい え ば、やや大形 の住 居址 の方 が主柱穴 を完 備 してい るよ うで あ る。大厩Y-6号
・Y-11号
址 で は南壁寄 りに貯 蔵穴 を持 つてい る。小形 の住 居址 には、隅 丸方形 よ りも不整方形 を呈 す るもの もかな り多い。大厩遺跡 では、8軒
の竪穴住 居址 が検出 されてい るが、3∼ 4軒
を1単
位 とす る3つ
の グルー プが弧状 に構 成 されてい る。殿 台遺跡 では8軒
が北側 に開 回す る円弧状 を構 成 し、中和倉寒風遺跡 では5軒 (2軒
は未 調査)が
環状 にめ ぐって い る。 埋 葬形態 につ いては、 この時 期 に明確 に伴 う例 が少 ないの で可概 には言 い切 れ ないが、請 西 遺 跡 や渡 戸(A地
点)遺
跡 か ら方形周溝 墓 が検出 されて お り、 この時 期 においては、地域 を問 わず に方形周溝 墓 が主体 を占め るに至 るの であろ う。 土 器 につ いては、須 和 田遺 跡2号
住 出 土 土 器 (第30図 2・ 4・ 5・ 10・ 12・ 17・ 19・ 24・ 29・31)や
殿 台遺 跡 出土 土 器 (第30図 7・ H。 13∼15・ 18・ 22∼24・ 26・ 27・ 30。 32∼36)な
どが該当す るであろ う。壺形土器、鉢形土器、甕形土器、高椰形土器の他 に器台形土器が現 わ れる。壺形土器はそれまでの縄文による装飾帯 が消 え、簡素なつ くりとなる。甕形土器は、平 底の他 に台付甕形土器 が多 くなる。器面に刷毛 目調整痕 を持つ もので、弥生町期に見 られたよ うな技法は全 く残 らない。 この よ うな前野町式土器 については、遺跡分布状態の ところでも述 べたが、現在でも未解決 な点が多い。諏訪原遺跡 では弥生時代後期から古墳時代前期に至る竪 穴住居址 カウ7軒確認 されているが、 ここではFp格 .手 賀沼系式土器 をⅡ群 として分離 し、それ 以後 か ら五領期 に至 るまで をⅢ群 として前野町式土器 と五領式土器 について言及 している。そ れによれば、各住居址 で最 も普遍的に出土する甕形土器 を
A系
(台付甕)と B系
(平底甕)に
分け、形態別 に分類 した他器種 (壺・lll・ 婉・高ナ不・器台)と
の対比 を住居址相互の関係で行 なってA系
か らB系
へ移行す ることを導 き出 している。 さらにこのA系
とB系
の先後関係 を前 提 として、Ⅲ群土器A系
の土器が弥生町的要素 を多分 に持 ちながらも前野田I期にも含み得 ない 新 しい要素 を含み、前野町式土器 よりも後出す る位置 を与 えぎるを得 ない土器が存在す ると結論づけている。積極的ではないが、前野「
ir式主碁あ
rinふら
│よ分離きれそ主嶺式
│ヒ合まれる主碁
が存在すると指摘 している。その他、この時期に合まれる土器として、渡戸 (A地 点
)遺
跡 と、
渡 戸B地
点遺跡 第1周
溝 墓 か ら出土 した櫛描 文の施 文 された2個
の壷形 土器 の存 在 も注 目 され る。 当地域 では あ ま り類例 の見 られ ない土器 で、東海地 方 か伊 勢湾 あた りか らもた らされた も の と言 われてい る。直接 的 に西南 日本 か ら伝播 された土器 が方形周溝墓内 か ら出土 してい るこ と を考 えると、発生期 の古墳 文化 と何 らかの関連性 があ るのでは ないか と推察 され る。 土器以外 の遺 物 につ いて は、不 明 な点 が多い。 中和倉 寒風4号
住 居址 か ら土製紡錘 車 が確 認 されて い る他 に、請 西遺跡 で検 出 された方形周溝 墓 (昭和 52年 調査)か
らガ ラス玉 が数点出土 して い る。 しか しなが ら、古式土師器 を出土す る遺跡 か ら銅鏃 が 出土 してい る例 もあ り、鉄器 な ども確 認 は されて ないが、存 在 していた ことは まちがい ないで あろ う。 次 に印椿 ・手賀沼系期 と した時期 の文化様相 につ いて概 観 す ると、端 的 に言 えば久 ヶ原期 の 文化様相 と共通 す る部分 をかな り多 く持 ってい ることが指摘 され る。印椿 。手賀沼周辺地域 は、 北佃1の利根 川 、 西側 の江戸川 によって囲 まれ、大小河 川 によって複雑 に入 り込 んだ支谷 を多数 持 った地 理 的条件 の よい地 帯 で あ り、豊富 な水利 と可耕地 が展 開 してい る。集落 は、 この よ う な沖積 面 を見下 す台地 縁辺 部 に例 外 な く位 置す る。集落 を構 成 す る住 居 は、久 ヶ原期 で もそ う で あ った よ うに10軒 た らずの もの が多いが、久 ヶ原期 とやや異 な る点 は、数軒 の住 居 が同一台 地 上 、 あ るいは地 点 を別 に してい くつ かの単位 集 団 を構 成 して い ることで あ る。先 に挙 げた石 神 (第I・ 第 Ⅱ)遺
跡 、渡 戸 (A・B)遺
跡 、飯合作遺 跡 、萱橋遺跡 な どは その顕著 な例 であ る。 住 居形態 は、胴張 り隅 丸長方形 (小判形 に近 い)、隅 丸長 方形 、隅 丸方形 、円形 (不整 円形 、 不整楕 円形)の
4つ
に大 きく分 かれ るが、最 も主体 的 な位 置 を占め るのは隅 丸長方形 と隅 丸方 形 で あ る。 長辺6∼
7m、
短辺4∼
5m前
後 が最 も多い。炉 穴 と主柱穴4本
を基 本 とす るが、南壁寄 りに小 ピッ トを持つ もの と浅 い凹み を持つ もの とがあ り、数は少ないが両方備 えた もの もある。又、円形 を除 いては大形の住居が存在す ることも特徴 的で、久 ヶ原期 と共通性 が認 め られる。最 も大形 に属 す るもの として長辺 が
12mを
越 えるもの もあるが、概 ね長辺10m、 短辺8∼
9m前
後で、西 ノ台遺跡 、江原台遺跡、江原台第1遺
跡、石神(第I)遺跡 などで検出 されて いる。 この よ うな大形住 居の存在が何 を意味す るのかは,明らかではないが、江原台第1遺
跡、 飯合作遺跡、萱橋遺跡 などでは、大形住居の周辺 にこれよ りも小 さい住居が作 られていること を考 えると、あるいは単 なる住 まいとしての家屋 ではな くて別 な役割 を果たす住居の可能性 も 考 えられる。又 、生谷境堀遺跡では、6軒
の住居がほぼ環状 に位置 しているの も注 目される。 しか しなが ら、 これとは逆 に、Fp格 ,手 賀沼周辺地域 より離れた阿玉台北遺跡、佐野原遺跡 な どでは、隅丸方形 で も不整方形 を呈す るものや、矩形 に近 い ものが多く、主柱穴 も完備 しない ものが目立つ。 埋葬形態 に関 しては、方形周溝墓は全 く検出 されない。国府台遺跡、羽中遺跡、発作遺跡 、 鶴塚 (古墳下)遺
跡 などか ら合口壺 (甕)棺
が検出 されているよ うに、土渡墓の形態 をとるの であろ う。 これ らに使用 された土器 については、主体部 に使 われた壺形土器の中に弥生町式土 器 も含 まれてお り、葬制 に関 しては当該期だけにとどまらないよ うである。又、阿玉台北遺 跡 からは3基
の土療墓が検出 されているが、当該式土器 とは異 なる文化圏の土器形態であ り、当 文化期の下限 を知 る うえでの好資料であると言 える。 土器 については、胴部 に単節縄文ない しは付加条縄文が施 文 され、底部 に木葉痕 を残す甕形 土器 と、頸部 に櫛描沈線文 が施 文 される甕形土器 が主体 となる。 その他鉢形土器、高ナ不形土器 があるが、明瞭 な壺形土器 と言 えるものは少ない。甕形土器は、 回縁部 が複 合 口縁 を呈 し、口 縁部か ら頸部 にかけて久 ヶ原期に特有な輪積痕 を持つ ものが多く、胴部 に縄文が施文 されない 甕形土器 も同様 な輸積痕 を持つ。一方、複合口縁 を呈す る甕形土器の中には、頸部 に輪積痕 を 全 く持たずに無文帯 となるものや、無文帯の部分 に櫛描沈線文が施文 されるものがある。櫛描 沈線文 を出土す る遺跡は当該期文化圏の外縁 に近い東寺山石神遺跡 か らも出土 しているが、住 居址 に共伴す る良好 な資料はほとん どない。阿玉台北遺 跡、佐野原遺跡 か らも出土 しているが、 やや様相の異 なるものである。む しろ頸部 に櫛描沈線文が施文 される土器の多 くは、手賀沼か ら西佃1地域 に限定 されるのではないかと思 われる。 この種の土器 を出土す る遺跡 としては、鴻 ノ巣遺跡、中,馬場遺跡 、北作 (古墳下)遺
跡、古新田遺跡 などが挙げ られる。ただ、北辺 田遺 跡 と北大台遺跡 からも同種 の土器が出土 しているので、櫛描沈線文の土器に関 しては、印絡 沼 東側 と手賀沼西側の地域 とではやや異 なる様相 を持 っているのかもしれない。 石器 については久 ヶ原期同様 に特徴的 なものは見あた らず、佐野原遺跡、石神 (第Ⅱ)遺
跡 から片刃石斧 がそれぞれ出土 しているのが目立つ。 その他の遺物 としては、土製紡錘車がやや 多 く認め られる他は、佐野原遺跡 から琥珀製勾玉2個
と碧玉製管玉1個
が出土 しているだけで ある。註
1
神沢勇一「弥 生文化 の発展 と地域性5関
東」 『 日本の考古学 Ⅲ』河 出書房1966
2 38号
住 居址 出上 の底 部 に木葉痕 を残 す土器 が指摘 され る。3
君津郡袖 ヶ浦町 大曽根 付近の畑地 か ら口縁部 を欠損 した推 定器高30cm前 後 の大形 の壺形土器 が発見 されてい る。頸 部 に山形状沈線 で区画 された縄 文帯 を持 ち、 この部分 を除 いて赤彩 が施 された もの で、明 らかに久 ヶ原式土器特有の文様形態 を持 っている。現在袖 ヶ浦町立根形 中学 校 に保管 されて い る。 又、安房郡千倉町瀬戸 か ら、複雑 な山形状沈線 で区画 された縄文帯 を持 つ土器 が出土 している他、夷隅郡夷隅町峯谷 か らも同様 な土器 が出土 している。4
遺跡 数 の少 な さと、集落規模 も久 ヶ原期 に比べ ると小 さいな どの要因 が考 えられ るが、 この 点 に関 しては第V章
で詳 しく述 べ る。5
船尾 白幡遺跡2号
住 居址 では、印施 ・手賀沼系式土器 と口縁部、胴部 を欠損 した壺形土器 が 共伴 してい る。6
長辺 3m、 短辺2.6mの
隅 丸方形 プラ ンを持 ち、炉址 の ほ かに主柱 穴 は な く、南側 に ピッ ト、 壁柱穴 らしきもの がめ ぐってい る。7
『新版考古学講座』4
原史 文化 P、 1428
前野町式土器 と五領 式土器 の編 年的位置づけに関す る土器論の問題 と、弥生時代 と古墳時代 の時代区分 に関す る問題 な どが挙げ られ る。9
お もに長岡式土器 。十二 台式土器類似 とい う用い方 をされた他 に、久 ヶ原期∼前野町期 に至 る幅広 い時 間の中で位置づ け られて きた。10
当千葉県 文化財 セ ンターで発掘調査 され、弥生時代後期 か ら国分期 に至 る竪穴住居址 と前方 後 方墳2基
を含 む古墳 (マウ ン ドを持 たない方形周溝墓)が
検 出 されて い る。印格 ・手賀沼系 期 に属 す る竪穴住 居址 は20軒 以上確認 されている。11
石神 (第 I・ 第1)追
跡 、渡戸 (A・B)遺
跡 とも同一台地 上 に地 点 を異 に して位 置す るも ので、総称 して臼井南遺跡 と呼 ばれる。12
遺跡地 名表では江原台貝塚 と称 された遺跡 で、江原台遺跡 、江原台第1遺跡 とも全 く同 じ台 地 上 に位 置す る。.
13
中期宮 ノ台期 の大集 落 とは内容的 に異 な る。14
現 在 では宮 ノ台期 に属 す る集落 の中で も環 濠 を伴 うもの と伴 わない ものの両者 があ ることが 指摘 されてい る。 た とえば、前者 に大厩遺跡 、後者 に当千葉県文化財 セ ンターが調査 した城 の 腰遺跡 があ る。15
岡本孝之 「宮 ノ台期弥 生文化の意義」 『神奈 川考古』 第1号1976
ここでは住 居の規模 につ いて、大・小の存在は集落内部の階層分化 に結 びつ け ることはで きない とい う考 え方 に否 定的で あ り、南関東地 方 におけ る大形住 居 (超大形住 居 と大形住 居 を厳 密 に分 けてい る)は
宮 ノ台期 だけでは な く、久 ヶ原期、弥生町期 にも認 め られ るものであ り、逆 にこの時期の中小住 居 が相対的 に小形化 して行 くとい う事実 か ら、南関東地 方 に宮 ノ台期弥 生文化 が成立 しての ち 集落内 において大形住 居 が徐 々に形成 された ものでは な く、東海地 方以 西か らの侵 入 者 た ちが 階層分化 を遂 げつつ出現 した結 果 による、 と述 べ てい る。16
第66図1参照17
第2図
参照18
『南向原』 報文中、南向原遺跡 第2章
Ⅵ まとめ に記述 されてい る。19
第2図
参照20
第2図
参照21
第66図2・3参
照22
十二 台式土器 につ いては その位 置 をどこに置 くかが論議 されてい るが、今 だ には っ き りして い ない。何人 かによって編 年 が提起 されてい るが、 そのい くつ か を示 す と、井上義安は、茨城県東北部 に限 つて後 期初 頭磐舟 山式土器 (1・ Ⅱ式
)の
直後 に置 き、 これ と対比 す る形 で茨城 県西南部 に二軒屋 式 を置 いてい る。 又、塙 静夫 は、後 期初 頭 の磐舟 山式土器 をI式とⅡ式 (東 中根 ・長岡式)に
分 け、 その後 に十王 台式 を置 いてい る。川崎純徳 は、東中根 式土器 と長岡式 土器 を久 ヶ原期 よ り弥 生町 期 にかけて同時 期 に置 き、十三 台式土器 を弥 生町 式 よ り新 しい時 期 に置 いてい る。23
第2図
参照24 2号
住 居址 出土壺形 土器 を指す。25
『市川市史 原始 古代編』P、 324に よれば、農耕 にかかわ る祭iE遺 跡 との結 びつ きが問 われ てい る。26
第2図
参照27
渡 戸(A地
点)遺
跡 か ら1基、渡 戸(B地
点)遺
跡 か ら2基
検 出 されてい る。長辺10∼ 16m、 短辺9∼15m前
後 で、 うち1基は東側周溝 南端 が開 口 してい る。方形周溝 墓内 か らは、印椿 ・ 手賀沼系 式土器の共伴 は認 め られ ない。 この こ とも方形周溝 墓 の分布 が地域 を限定 しない1つ の理 由だ とも言 えそ うである。28
阿玉台北遺跡 か ら3点
出土 してい る。29
主要遺跡 と出土遺 物 の説 明の項参照。30
第65図 参照31
西 ノ台20号 住 居址 は、長辺 が 12.05m、 短辺8.5mを
測 る。32
第37図 参 照33
鴻 ノ巣遺跡 も同様 にあては まる。 主要遺跡 とその 出土遺物 市川 市域 内遺跡 下総 台 地 の西 南端 に位 置 し、市川 、船橋 、松 戸 、柏 を中心 と して旧東葛飾 郡 に広 が る東 葛台 地 と総称 され る地域 にあ る。 この東 葛台地 は江戸 川 に面 して 、国 分 谷 と大柏 谷 の二 つ の大 きな 谷 によって国分台 ・曽谷台 ・柏井台 を形成 し、小塚 山遺跡 、須和 田遺跡 は国分台 に、宮 久保遺 跡 、殿 台遺跡 は曽谷台 に位 置 す る。 日出学 園遺跡 は特殊 な例 で 、標 高6m前
後 の市川砂州上 に 形 成 されて い る。 日出学 園遺跡 を除 く他 の遺跡 は標 高 15∼22m前
後 の台 地縁 端 に立地 し、須和 田遺跡 、殿 台遺跡 な どで竪穴住 居址 が認 め られて い る。殿 台遺跡 で は前野 町期 に属 す る竪穴住 居址8軒
が検 出 されて い る。 又、須和 田遺跡 、宮 久保遺跡 か らはF「椿 、手賀沼系式土 器 が出土 して い る。 出土 遺物(1)(第
29図)1
甕 形土 器 胴 部径 に比 べてやや口径の広い土器で、日縁部 か ら頸部 に移 行す る部分 にか けて縄文 が施文 され、下端 に刻 目を持 つ。頸 部無文帯 よ り下位 はS字
状 結 節 文 と縄 文 を 施 文 。2
甕 形 土 器 小 形 の土 器で 、やや丸味 を帯 びた胴部 か ら強 くくびれて回縁部 に移行。頸 部 の細 さと口縁部 まで の長 さか らす れ ば、細頸 の壺形土 器 に近 い。文様 構 成 は頸 部無文帯All
o 20cln 1∼5
印手式土器6∼
11 久ケ原式土器 12∼23 弥生町式土器 第29図 市 川 市 域 内遺 跡 出土 土 器(1)(%)(杉
原他・1971)恙 翁
ノ
イ
・¨¨¨﹂¨・20
・
︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ´ ¨ ︰ ︰ ︰ ︰ ︲ ︰ ︱ 一ヽ
1
をは さんで縄 文 が施 文 され るが、胴部 は羽状 縄 文 を構 成 す るこ とが特 徴 的 。
3
甕 形土 器 器高10cm前 後 の小 形 の土 器。胴 部 文様 は他 の上 器 と変 わ らない。 口縁部 上 端 と、頸 部 か ら胴 部 に移 行す る部 分 に無 文帯 を構 成 し、この間 に縄 文 が 施文 され る。刺 突 文 と縦位 の細 長 い瘤 状 突起 が周 回 す るの が特 徴 的 で あ る。 口唇部 は小 波状 となる。4
甕 形土 器 胴部 か ら底部 にかけてはやや直線 的 にな るの に対 し、鋭 角的 に くの字 に外反 して 口縁 に移 行す る しま りの あ る土 器。 口唇部 は連 続 した押捺 によ る刻 目を持つ 。 口縁 部 か ら頸部 にか けて は幅 の広 い無 文帯 と し、胴部 の縄 文 と接 す る部 分 に連 続 した束」突 文 が2段
施 文 され る。5
甕 形土 器 口縁部 欠損。胴部径 に比 べ て底 面 の大 きい安定 した土 器。胴部 上半 か ら底部 に至 るまで縄 文 が施文 され る。頸部 は7∼
8条
を1単
位 とす る櫛 描状 波線 文 が波状 に 2 段 、 それ よ り上位 は山形 状 に施 文 され る。6
壺 形土 器 頸部 以 下 欠損 。羽状 縄 文を施 文 した複 合 口縁部 に刻 目 を持 つ棒 状 浮 文 を施文 。 頸部 は上 下2段
のS字
状結節 文 で 区画 された中 に3段
の縄 文 によ り羽状 縄文 を構 成 し、 中央 部 に円形浮 文 が付 帯 す る。赤 彩 不明 。7
壺形土 器 頸部 以 下 欠損.単 純 口縁 を呈 し、日縁部 はやや垂 直 ぎみ に立 ち上 が る。特殊 な文様 手法 を持 つ もの で 、 日縁部 か ら頸 部 にか けて 、基本 的 には羽状縄 文 を構 成 するが、 回転 方向の異 な る条 と条 の境 目に網 目状撚 糸文 が3段
施 文 されて い る。8
壺 形土 器 頸部以 上 欠損 。口縁部 が欠損 して不明瞭 で は あ るが、お そ ら く最 大径 を胴部 中央 に持 つ もの と思 われ る。胴 上半部 か ら頸 部 にか けて は山形メ犬沈線 で区画 された羽状 縄 文帯 が施 文 され る。山形状 沈線 は頂点 が相 対 す るよ うに2組
持 つ 。下端 にはS字
状 結 節 文 を施 文 。赤 彩 不明 。9
高不形土 器 ナ不部 はやや直線 的 に外反 しなが ら口縁端 で 内傾 する。口縁部 は羽状 縄文 が 施 文 され る。外 部 と脚部 との境 目 には刻 目 を持 つ 隆帯 とな り、脚 縁端 は複 合 口縁状 を呈 して口縁部 と同様 な羽状縄文 を施 文 。赤彩 不明。10
高不形土 器 脚部 欠損。 日縁部 に単 一方 向 の縄 文 を3段
施 文 。H
高ネ形土 器 ネ部 欠損。9同
様 脚 縁端 が複合 口縁状 を呈 し、上端 に押捺刻 目を持 ち、 そ れ よ り下位 は縄文 を施 文。12
壺 形 土器 胴 下半 欠損。大きく漏 斗状 に広 が る複 合 口縁 を呈 し、この部 分 に羽状 縄文 と 押 捺 刻 目を持 つ 。頸部 は無 文帯 をは さんでS字
状結節 文 で 区画 した中 に、円形赤彩 文 を 付 帯 す る羽状 縄 文 が施 文 され る。胴 上半部 も同様 な文様構 成 を とるが、円形 赤彩 文 は持 た ない。13
壺 形土 器 胴 下半部 欠損 。や や胴 下 半 に稜 を持 ち、頸部 か ら口縁 部 にか けて強 く屈 曲 し て外反す る。複 合 口縁 を呈 し、刻 目を持 つ棒状浮 文 が口縁部 をめ ぐるよ うに貼付 され る。 頸部 か ら胴部 に移 行 す る肩 口 には円形 浮 文 が施 文 され、 それ よ り下位 は網 ロメ犬撚 糸 文 を施 文 。赤彩 不明。
14
壺形 土 器 頸 部以 下 欠損 。13と類似 するが、口縁部 には網 目状撚 糸文 が施 文 され る。赤 彩 不明 。15
壺 形 土 器 頸部 以 下欠損。7同様 口縁部 がやや内傾 する。回縁 上端 か ら頸部 にかけて一 様 に網 目状撚 糸文 を施文。赤彩 不明。16
広 口壺形土 器 頸部以 下 欠損。口径 に比 べ て頸部 がやや幅広 となる。単純 口縁 を呈 し、 口縁 上端 か ら、頸部 と胴部 との境 目に引 かれた横位沈線 との間 に縄 文 が施文 され る。縄 文 は3段
のS字
状結節 文 で 区画 された中 に2段
ない しは3段
施 文 され て羽状縄 文 を構成 す る。赤彩 不明。17
壺形土 器 頸部 以上 欠損。頸部 から胴部 に移行 する肩 回の部 分 に数条 のS字状結 節 文 を 施 文 。赤彩 不明。18
無 頸壺形土 器 底部 欠損。日縁部 はやや強 く内弯 した複 合 を呈 し、下端 に押捺 刻 目を持 つ 。赤彩 不明。19
椀 形土 器 や や不整形 を呈 し、口縁部 が わず かに外反する。口縁部 内面 に稜 を持 つ。外 面 は刷 毛 目調 整痕。20
台 付甕 形 土 器 脚部 欠損 。胴部 は丸味 を帯 び、頸部 から回縁部 にかけて やや強 く屈 曲 し て外反す る。21
台付甕 形 土 器 やや長胴 を呈 し、口縁部 内面 に稜 を持 つ。胴部 は刷 毛 目調 整痕。22
高不形土 器 脚 部 欠損。ネ部 は直線 的 にゆるく外反 し、口唇部 の器壁 の厚 さは極 めて薄 い。ネ部 下端 の外面 は稜 を持 つ 。23
堆形 土 器 特 殊 な形態的特徴 を持 つ もので、胴下半 に稜 を持 ち、これより口縁部 にかけ て大 きく漏 斗状 に外反す る。 出土 遺物(2)(第
30図)1
壺形土 器 頸部 以 上 欠損 。球形 に近 い胴 部 を持 つ が、 やや胴 下 半 に最 大径 を持 つ 。2
壺形土 器 口縁部 、胴 下半部 欠損。頸部 と胴部 の境 目に隆帯 を持 つ。 内部 に接合痕 が数 条 認 め られ る。3
壺形 土 器 胴部 は丸味 を持 つ が、胴上半部 から肩 口 に力ヽすてはやや直線的 に移 行 し、頸 部 は強 く くの字 に外反 して口縁部 にいた る。器表 面の肩 口 か ら胴下 半 にかけて籠 目状 の 圧 痕 を残 す。内面 には接 合痕 が数条認 め られ る。 4・5
壺 形土 器 口縁部 。6
壷 形 土 器 球 形 に近 い胴部 と鋭 角的 に外反 する日縁 部を持 つ。器表 面 の 口縁 部 か ら胴 上 半部 にか けて と、内面 の稜 を持 つ部分 の上位 にそれぞれ刷 毛 目調整痕 を残 す。 7・8
鉢 形土 器 いず れ も胴下 半 か ら回縁部 にかけて ゆる く内弯 ぎみ に移行す る。9
小 形甕形 土 器 胴 上 半部 欠損。胴部 内面 に刷毛 目調整痕。珂
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8①
399
Ⅲ
第30図 市川 市域 内遺 跡 出土 土 器(2)(%)(杉
原他・1971) 1∼ 39前
野町式土器 111〔
点 基
`ミヽまミ:、、ヽ゛ ニ ーー ‐:ヾ` ,....r,'\-.,.".1 -.a10
小 形甕 形土 器 底部 欠損。胴部最大径 よ り口径 が広 い。内面の頸部 か ら口縁部 にかけて 横位 の刷 毛 目調整痕。H
甕 形土 器 胴 下半部 欠損。頸部 か ら口縁部 にかけては丸味 を帯 びて ゆ る く外反。頸部 か ら胴部 にかけての器表面 に刷毛 目調整 痕。12
甕 形土 器 頸部 か らEIl縁部 にかけてやや直線的 に外反。頸部 か ら胴下半 にいた るまで の外面 に刷 毛 目調 整痕 を持 つ 。13
壺形 土 器 頸 部以 上欠 損 。最大径 を胴部 下 半 に持 つ もの と考 え られ る。 14。15
甕 形土 器 口縁部以 下 欠損。15は 口唇部 に押捺刻 目を持 つ 。16
甕 形土 器 胴 下半部 欠損。強 〈丸味 を帯 びた胴部 とやや直線 的 に くの字 に外反す る頸 部 を持 つ。頸部以 下の外面 と口縁部 内面 には刷毛 目調整 痕。17
台付甕 形 土 器 脚部 欠損 。最大径 を胴 上半部 に持 ち、やや肩 回の張 った特徴 を呈す る。 頸部 か ら口縁部 にかけて は曲線 的 に外反 し、 口縁部 下端 は波状 を呈 す る。 口縁部 以下の 外面 は刷 毛 目調整 痕。18
台付甕 形土 器 脚縁 端 欠損。球形 に近 い胴部 を持つ。口唇部 に押捺 によ る刻 目を持つ。19
台付甕 形土 器 胴 下半部 欠損 。ほぼ胴 中央部 に最大径 を持 ち、胴部 及 び脚 部 内外面 に刷 毛 目調整 痕 が施 され る。20
台 付甕 形土 器 胴 下半部欠損。胴 上 半部 はやや丸味 を持 つ が、胴 下半 はやや直線 的 に移 行 して脚部 にいた る。外面 は粗 い刷毛 目調整 痕。21
高不 形土 器 脚 部 欠損。22
高郊形土 器 脚部 下端 欠損 。1不部 下半 に稜 を持 ち、脚部 に穿孔 を持 つ。23
高不形土 器脚部 脚部 中央 か ら脚縁 端 にかけて裾広 が りを呈 し、この部 分 に穿孔 を持つ。24
高郊形土 器 脚部 欠損。22同 様郊部下端 に稜 を持 つ。25
高郊 形土 器 ネ 部 下半 か らゆ る く直線 的 に外反 しなが ら口縁部 でやや垂直 ぎみ に立 ち 上 が る。脚部 はほぼ直線的 となる。 26・ 27・28
脚部 いず れ も甕 形土 器の高台部 に属 す ると思 われ る。29
脚部 高不形土 器の脚部 で あろ うか。下端 に穿孔 を持 つ。30
器台形 土 器 くの字 に大 き く外反す る器受部 とやや胴 長の脚部 とを持 つ 。脚部 の器受 部 に近 い部 分 に穿孔 を持 つ。31
脚部 器台形 土 器 ない しは高ネ形土 器の脚部 で あろ う。 ほぼ脚部 中央 に穿孔 を持 つ。 32・ 33。 34。 35。 36・ 37・ 38。39
手捏 土 器 いず れ も甕 形土 器 、鉢形土 器、高ネ形土 器 な どを模倣 して い る。 三 ツ堀遺跡 遺跡 付 近 は、東側 の利根 川 、西側 の江戸川 には さまれた葛飾丘陵 の北端 に位 置 し、瀬 戸支谷と呼ばれる溺 谷の
1つ
が北 に大 きく入 り込 んだ途 中で北 から南 にのびた灰毛支丘 によって東西 に分岐 される形 をとる。本遺跡 はこの灰毛支丘の西側 に立地 、沖積地 をへだててニ ッ塚支丘 と 相対す る。灰毛支丘 の標高は15∼17m前
後で、水田面 との標高差 は7∼
8mを
測 る。付近 には 灰毛古墳 、ニ ツ塚古墳等 があ り、水田 をへだてた西北 には環濠集落 を伴 う弥生時代末期の竪穴 住居址 が発見 されている。発掘調査 において、竪穴住居址6軒
の うち弥生時代後期土器 を伴 う 古墳時代前期 から和泉期 にかけての竪穴住居址4軒
が調査 されてい る。 この うち注 目されるの は第1号
住居址 で、火災を受 けてお り、後述 す る4個
体の弥生式土器 (この うちの1個
体 には 記述 なし)が
五領式土器に伴 ってお り、当住居址 力渡 用 された当時 、何 らかの形で住居址の壁 近 くに存在 したもの と述べ られている。 このよ うな出土状況 をもとに前野町期 か ら五領期 にか けての編年 を言及 している。 出土遺物 (第 31図)1
壺形土器 頸部 から胴部上半にかけての部分で、頸部 にヘ ラ状工具 による横位 の2段
の 0 20cm 第3!図 三 ッ堀遺跡 出土土器(%)(下
津谷他・1957)ぐ
ヽ
`
ミ
平 行沈線 、胴部 上半 には鋸歯状 の
2段
の沈線 で それぞれ区LJ」し、 その間 は網 目状撚糸 文 が うめ られ る。文様 帯 を除 く部分 は赤彩。推定 器高4∝m前後 。2
壺 形土 器1同
様 の形 態的特徴 を持 つ。胴部 はほぼ球形 に近 いが、胴部最 大径 はやや下 半 に位 置 す る。 文様帯 は1よ りもふ くらみ を持つ頸部 に、縦方向の網 目状撚糸 文 を伴 う ヘ ラ描沈線 が縦位 に周回す るの を除 いて は 1と 同様 で、文様 帯 を除 く外面 は一様 に赤彩。3
壺形 土 器 口径13cm、 器高25cm、 単純「l縁を呈 し、ほぼ球 形 に近 い胴部 と頸部 か ら大 き くくの字 に外反す る日縁 部 を持 つ。4
壺形土 器 大形 の土 器で 、胴 部はやや算盤玉状 に近 いふ くらみ を持 つ。頸部 は3よ
りも 屈 曲 しない。推定 器高411cm前後 。 鴻 ノ巣遺跡 手 賀沼 の西側 に入 り込 んだ支 谷の南側舌状台地 に位 置 し、標 高18m、 水 田面 との比 高約8m
を測 る。3地
点 にわた って調査 され、 この うち沖積 面 をは さん だBoC地
区 か ら竪 穴住 居址 6 軒 が発 見 されて い る。C地
区8号
住 居址 (長辺7.2m、
短 辺5.5m)を
除 いて は長辺5∼
6m、 短辺4m前
後 を測 り、 ほ とん どが隅 丸長方形 とい うよ りも矩形 に近 い形 態 を呈す るの が特徴的 で あ る。炉穴 と主柱穴4本
を完備 す るが、C地
区1。2号
住 居址 を除 いて は南壁寄 りに貯 蔵穴 を付 帯 す る。 出Jl遺 物 は僅 少で あるが、土 器 に関 して言 えば、複 合 口縁部 下端 に刻 目を持 つ もの、櫛描波 状 沈線 文 が施 文 され るもの 、 などだ けでFp椿 沼周辺地域 に見 られ るよ うな頸部 に輪積痕 を持 つ 土 器 は皆無 で あ る。 その他 の遺 物 と して は」1製 紡錘車 、土 製勾玉 な どが出土 して い る。 出土 遺物 (第2図
C-1住
・8住
土 器)C-1住
出土 土 器 甕 形 土 器 胴 下半部 欠損。複 合 日縁 を呈 し、日唇部 に縄文原 体 によ る押捺刻 目、Ll縁部 下端 に棒 状 工具 による刻 目が施 され る。頸部 は無 文帯 とな り、 それ よ り下位 は縄 文 を施 文。C-8住
出 土土 器 甕 形土 器11縁
部 欠損。底径1∝■。頸部 に7条
を1単
位 とす る櫛 描 沈線 文 ハII形状 と横位 に施 文 され、 それ よ り下位 は縄 文 を施 文。胴 部 に煤 の付 着 が認 め ら れ る。底部 は本葉痕 を残 す。 中馬 場遺跡 手賀沼 にそそ ぐ溺 谷 によ り形成 された台地 上 に位 置 す る。昭和38年 の発掘 調査 か ら数次 にわ た る発掘調査 が行 われ、昭和47年 の第3次
調 査で は手 賀沼 に沿 って伸 びた台地 南西端 の部分 が 実施 された。標 高15∼19.5mを
測 り後期 に属 す る竪穴住 居址8軒
が検 出 されてい る。 住li・形 態 は隅 丸長方形 、隅 丸方形 、不整円形 などと不統 一 で あ るが、長辺5m、
短辺4m前
後 の隅 丸方形 が主体 で あ り、 この他 に長辺 が8∼
9m前
後 の胴張 り隅 丸長方形 を呈す る大形 の 住 居 が2軒
存 在す る。炉 穴 と主柱 穴4本
を基本 と し、不整円形 を呈 す る もの は主柱穴 は認 め られ ない。 出土遺 物 は不明瞭 で あ るが、出土土 器 に関 して は鴻 ノ巣遺跡 と類似 した土 器 で 、第62図 59住 土 器 に代 表 され る。 萱橋 遺跡 西 ノ台遺跡 に連 続 す る台地 の南側 約l kmに位 置す る。標 高26m。 水 田面 との比高約
Hmを
測 る。遺構総 数22の うち、前野 町期 の竪穴住 居址18軒、弥 生後期 の方形 周溝墓2基
が確 認 されて い る。 この 中で後期 の土 器 を伴 出す る住 居址 は5軒
で あ る。 しか しなが ら、竪穴住 居址 の外形 、 及 び ピ ッ ト、炉址等 の付帯施 設 を比較 す るとこの他 に同時期 の もの と して12軒 (何 ら付帯施設 を持 た ない もの を含 めて )の 存 在 が考 え られ る。報 告書 中の遺 構 全体 図 では、幅約 60×60mの
範 囲 にわた って調査 区域 が及 んで い るが、仮 にこの部 分 が集落総数 を表示 して い る とす れ ば非常 に興味深 い。 これ らの竪穴住 居址 は若千 の例 外 を除 いて はほ とん ど胴張 り隅丸長方形 で 、主軸 を西北 にと る。 又、西 ノ台遺跡 で も検 出 された大規模 な住 居址 が認 め られ、 ここで は長辺 が10mを
越 す大 形 の竪穴住 居址 がほぼ集落 の中央 に占地 し、 この大形 の住 居 をは さむ よ うに南北 に7∼
9軒
の 住 居址 がほぼ東 西 に連繋 す るよ うに占地 して い る。 あた か も南北 に相 対 す るよ うに群 を構 成 し て い るよ うで あ り、両群 には それ ぞれ長辺 が約8mを
測 る大形 の住 居址 が それ ぞれ1軒
ずつ ほ ぼ等位 置 に存在 して い るこ とが注 目 され、同様 な位置関係 を持 つ何 ら付 帯施 設 を持 たない竪穴 状遺構 も単 に性格 不明 、時期 不明 で は片 付 け られ ない意味 を持 つ もの か も しれ ない。 さ らに弥 生 時代 か古墳 時代 かはっ きり しない が、2基
の方形周溝 墓の存在 も検 討 され なければな らない で あ ろ う。 出土遺 物 は さほ ど多 くな く、土 器 が主体 を占め る。 これ らは印格 ・手 賀沼 系式 土 器 がほ とん どで あ り、頸部 に沈線 によ る網 目状 文 と円形浮 文 が施文 され る南関 東系 の壺形土 器 が1点
出土 して い るだ けで あ る。第62図 に掲載 された土 器は これ らの土 器の一部 で あ る。櫛 描沈線 を伴 う 土 器 は5号
住 出土 の高ネ (鉢?)形
土 器1点
だ けで、口縁部 か ら頸部 にかけて輪積痕 を持 つ甕 形 土 器 が 多い。 その他 には2号
住 か ら複 合 口縁 を呈 す る鉢形土 器、12号 住 か ら円形刺突 文 が施 文 され る高ナ不形 土 器 などが出土 して い る。 石 神 (第I・ 第 Ⅱ)遺
跡・ 渡戸 (A・B)遺
跡 (第32図) Fp籍 沼南側 の手操川 、鹿 島川 には さまれた成 田層 を基盤 とす る標 高20m前
後 の洪積台地上 に 位 置す る。北 東 に伸 びる台地 を地点別 に調査 し、 これ らを総称 して臼井 南遺跡 と して い る。渡 戸 A・B地
点 、石神第 I・ 第 Ⅱ地点 か ら後期 に属 す る遺構 、遺物 が確 認 されて い るが、 この う ち渡戸B地
点 、石神 第 I。 第 Ⅱ地点 で後期集落址 が確 認 されたほ かに弥生時代終 末期 に属 す る 方形周溝 墓 が3基
検 出 されて い る。_
ヽ __ ヽミヽ\
生
型
第32図 石 神 第I地点遺 構 配置 図(1/100)(熊
野他・1975) 出土 遺物(1)(第
33図)1
甕 形土器 胴 下半部 欠損。ゆ るや かに外反す る口縁 を持 ち、押 捺 が加 え られた口唇部 は 波状 を呈 す る。 口縁部 か ら頸部 にかけて7条
の輪積 痕 を残 し、頸部 か ら胴部 にかけては3本
のS字
状 結節 文 と縄文 が加 え られ る。一
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石 神 。渡 戸遺 跡 出土 土器(i)(%)(熊
野他 ¨ ﹄ ﹂ ,′ ・・一 ′, Cm2
甕形土器 底部欠損。日縁部 か ら頸部 にかけて3条
の輸積痕 を持 ち、日唇部 には刻 目を 残す。胴上部 に1条
のS字
状結節文 を施 し、それよ り下位 は縄文 を施文。3
甕形土器 口縁部 から頸部 にかけて6条
の輪積痕 を残 し、胴部 には結節文を有するRと
LR交
互の撚糸文を施文。4
甕形土器 大形で回径 に比べてやや巾広 の胴部 を持つ。日唇部 に縄 文。頸部 に5条
の輪 積痕 を残 し、それよ り無文帯 をは さんで縄文 を施文。5
甕形土 器 口縁部上端 に2条
の輸積痕 を残 し、幅広 の頸部無文帯の下位 にS字
状結節文 を有す るRと
LR交
互の撚糸文 を施文。この部分 にも3条
の輪積痕 を残 しているのが特 徴的。6
甕形土器 口唇部欠損。最大幅 をほぼ胴部中位 に持つ。日縁部 から胴上部 にかけて3条
のS字
状結節文、それより下位 に縄文 がそれぞれ施文 されている。胴下半の内外面に刷 毛 目調整痕。7
甕形土器 やや幅広の複合口縁部 と鈍角的 に胴部 に移る頸部を持つ。胴下半 に稜 を持 ち、 頸部無文帯の下位 に撚糸文Rを
施 文。8
甕形土器 複合口縁部 から頸部 にかけて何 ら施文 を持 たない。これより下位 は縄文が施 文 されるのであろう。日唇部 は縄文。9
甕形土器 底部欠損。器面は何 ら施文 を持 たない。口唇部 は外から内に向かっての押捺 が加 えられ、日縁部 から頸部 にかけては4条
の輪積痕 を残 す。10
甕形土器 何 ら施文 を持 たず、白縁部 か ら頸部 にかけて9条
の輪積痕 を残すが、部分的 にヘ ラ状工具 により消失 されているι口唇部 は押捺 により波状 を呈する。 出土遺物(2)(第
34図)1
甕形土器 口径13.lcm、 底径7.2 cln、 器高19cm、 日縁部 はl cm前後の貼付隆帯で波状 を 呈 し、LR縄
文 を施文。口縁部 の下端 か ら肩部 にかけて3∼
4本
単位 の櫛描沈線文が縦 位 と横位 に区画施文 されている。それよ り下位 は粗 いLR縄
文。底部 には本葉痕 が認め られる。2
甕形土器 底部欠損。口径19.4cm、 器高は21cm前後。口縁部 は粘土紐 を上 か らす りつぶ し、上端 に指圧痕 を残 す。日縁部 内面 は粘土紐 が付加 され、LR縄
文 を施文。頸部 には ヘ ラ状工具 によ り不規貝」な波状沈線 が施 され、それより下位 に3条
のS字
状結節文 とL
R縄
文が施文 される。3
甕形土 器 胴下半欠損。最大幅 を口縁部 に持 ち、ゆるやかに外反。口唇部 は上 か らの押 捺 が加 えられ、波状 を呈す る。日縁部下では右 から左への押捺 が施 され る。胴部上半 に は3条
のS字
状結節文 が施 され、その下 に3本
の深 い平行沈線 を残 し、以下縄文が施文 される。器面 は煤の付着 が顕著。4
甕形土 器 肩部 はやや張 り、口縁部 はわずかに外反。複合口縁部下端 には押捺 による点TH W
第34図 石 神 。渡戸遺跡 出土土器(2)(%) (熊野他・1975) 10cm│
′,′ ′ι′列 、突起部 には絡縄体圧 痕 によ る点列 が施 され る。頸部 は縦位 の櫛描沈線 文 が
2列
づつ 周 回 し、 それよ り下位 に4条
のS字
状 結節 文 と撚 糸 文Rを
施 文 。5
壺形土 器 頸部 。3本
単位 の波状櫛 描沈線 文 を施文 した下 に、6本
単位 の平 行沈線 に区 画 された格 子 目状沈線 文 を施 文 。 かつ 、3本
単位 の沈線 で縦 に区画 し、格 子 目状沈線 文、 綾 杉状沈線 文 を交互 に施 文 。 それ よ り下位 で は平 行沈線 文 を境 と して縄 文 を施 文。器面 は赤彩。6
高郊 形土 器 脚部 。器面 に縄 文の施 文 された痕跡 を残 すが磨滅 して い る。上部 で はヘ ラ 削 りが認 め られ、内面 には指頭圧 痕 を残 す。7
高ネ 形土 器 口縁部 はお り返 しがつ き、下端 に刺突 が加 えられ る。日縁部 か ら口唇部 に か けて撚 糸文 を残 す。8
甕 形土 器(広
口壺形土 器 ?)底 部 欠損。器高 に比 べて口径 、胴部径 ともほぼ一定 した広 が りを持 ち安定 した器形 を持 つ。やや幅広 の複合 口縁部 を持 ち、下端 に縄文の押捺 が見 られ る。 口唇部 には縄 文 を施 文。頸部 か ら胴部 に移行す る接合部 による稜 に も同様 に縄 文 によ る押 捺 が見 られ る。 それよ り下位 には4条
のS字
状 結節 文 を施 文 。 器表面 は一様 に赤彩 され る。9
広 口壺形土 器 球形 に近 い胴 部 か ら著 しく内弯 しなが らするどく外反 して口縁部 を形づ くる もので、折 り返 し口縁 となる。頸部 に撚 糸文 を施 した突帯 を有 し、日縁 部 との間 に4段
の縄 文 を施 文 して羽状縄 文 を構 成 す る。 器面 は内外面 とも赤彩 。10
壺形 土 器 球 形 の胴部 と細 い頸部 か ら強 くくの字 に外反する大形 の土 器で 、頸部 か ら胴 部 に移 行す る部 分 に、3条
を1単
位 とす るS字
状 結節 文 を3段
施 文 して区画 し、上位 の 区 画 に撚 糸 文Rを
施 文 。 器表面 は赤彩 。H
手捏 土 器 器 高4.2 cm。 口唇部 に刻 目を持 ち、器面 はヘ ラ調整。指 頭圧 痕 も認め られ る。12
手捏 土 器 器高4.7 cm。 口唇部 に刻 目を持 ち、器面 はヘ ラ調整 。 江原 台遺跡 。江原 台第1遺
跡 遺 跡 名 は異 なるが、 ともに1つ
の台地 に隣接 してい るので一括 して取 り扱 う。 印格 沼南 の、鹿 島 川河 口西狽1の西方 よ り大 き く突 出 した台地 の北端 に位 置 し、標 高26m前
後 、 水 田 面 との比高差19m前
後 を測 る。飯 合作遺跡 、石神遺跡 、渡戸遺跡 、飯 重新畑遺跡 な どの遺 跡 群 に連 な る遺 跡 の中で最 も印椿 沼 に接近 した遺跡 で あ る。江原台遺跡 は昭和48年 に確 認調査 が行 われて以 来 、昭和50年 か ら52年 にかけて2次
にわた る調査 が実施 され、縄文時代 か ら歴 史 時 代 に至 る竪穴住 居址 、土渡 等150基
以 上 が確 認 され、弥生時代後期 に属 す る竪穴住 居址7軒
が検 出 されて い る。江原台 第1遺
跡 は江原 台遺跡 の西側 か ら北側 の台 地 先端部 に近 い隣 接 した 地 域 で あ り、昭和50年 の確 認調査 に始 まって51年 、52年 にわたって発掘調査 が行 われた。縄文 時代 か ら歴 史時代 に至 る遺構 が200基
以 上確 認 され、51年 の調査 で は29軒、52年 で は30軒 前後の弥生時代後期 に属 す る竪穴住 居址 が検 出 されて い る。 この中 には大形 の住 居 が10軒 前後存在 す る他 に、銅鏃 、石剣 などの特殊遺物 も数点 出土 してい るとの ことで あ る。 図示 した出土土 器 は、昭和52年 の調査 で出土 した ものの一部 で ある。 江 原 台遺跡 出土遺物 (第35図)
1
甕 形 土 器 最 大径 を口縁 に持 ち安定 感 を持 つ。 口唇部 に内 か ら外へ の連 続 した押圧 が 施 され、日縁 部 か ら頸部 にか けて6段の明瞭 な輪積 痕 を持 つ。胴部 は縄文 を施 文。2
甕 形 土 器 口唇部 は交互押圧 によ り小波状 。口縁部 に3段 の輪積 痕 を持 ち、それよ り無 文帯 をは さんで縄 文 が施 文 され る。底部 は焼 成後 に貫通 された小 さい穿孔 を持 つ ことが 特 徴 的 。3
甕 形土 器 胴 部位 と口径 がほぼ同 じ大 きさを持 つ 。 やや幅広 の複 合 口縁 部 に縄 文 が施 文 され、それ よ り下位 の無 文帯 をは さんで 1条 のS字
状結節 文 と とも に縄 文 を施 文 。 口唇 部 に も縄 文を施文。4
甕 形 土 器 口縁部 か ら頸部 にかけて5∼6段輪積痕 を残 す ものの一部 分で 、輪積痕 の下 位 の無 文帯 をは さんでS字
状結 節 文 、縄 文 が施 文 され る。5
甕 形土 器 底 部 欠損。胴部 下半で強 い屈 曲 を持 って稜 をなし、頸 部 か ら口縁部 に向 かっ て ほぼ垂 直的 に立 ち上 が りなが らやや外反す る。 口唇 部 には棒 状 工具 によ る連続圧 痕 を 持 ち、幅広 い頸部無 文帯 をは さんで縄 文 を施 文 。6
甕 形土 器 「1縁部 欠損。小形 の土 器で 、頸部 に6∼ 7条
の波状櫛描沈線 文 が施 文 され、 それ よ り底部 に至 る まで縄 文 を施 文。底 面 に本 葉痕 を持 つ 。7
甕 形 土 器Ll縁
部 、底部 欠損 。大形 の土 器で 、胴部 か ら頸 部 に移 行す る肩 国の部 分 に接 合部 によ る稜 を持 つ 。文様 は一 切持 たず 、器表 面 はヘ ラ ミガキ 、内面 にヘ ラケ ズ リが認 め られ る。8
甕 形土 器 日縁 部、胴部 欠損。胴部 が算盤玉状 に張 り出す特徴的 なもので 、胴 部 か ら頸 部 に移 行す る部 分 に縄文原体 を使 用 した押捺 が認 め られ、 それ以 外 は縄文 を施 文。9
高塚 形土 器 郊 部 は1宛形 を呈 し、細 く小 形 な脚 部 を持 つ 。 上 部 はヘ ラケ ズ リ調整後 に 刷 毛 目調 整 。 内弯 す る「l唇上 と器表 面上半 には縄 文 を施 文。10
鉢形 土 器 複 合 口縁 を呈 し、やや椀形 に近 い。 器面 は内外面 と│,ヘラ ミガキ後刷毛 目 調 整 。11
無 頸壺形土 器 完 形 。複 合「l縁を呈 し胴 部 は さほ ど丸味 を持 た ない。複 合 [l縁部 下端 に21固1組 の小 穴 を対称 的 に持 つ。器面 はヘ ラケズ リと刷毛 目調整。12
壺形土 器 折 り返 し口縁部 及 び[1唇 部 に方向 を変 えて施 文 した縄 文 、日縁部 下端 には 縄 文原体 に よ る連 続押圧 が施 されて い る。 内外面 とも赤彩 され る。13
壺 形土 器 折 り返 しLl縁 を呈 す るカミ縄 文 は羽状 を構成 せ載 Ll唇 上 の施 文 を持 た ない。 口)縁部 下端 に縄 文原体 によ る押圧 を持 つ。内外面 とも赤彩。F
ヽ
︱
ん
耽
第35図 江原台遺跡 出土土器(/)(高
田 1977) 89 0 10Cm ― 一14
壺形 土 器 最 も径 の細 くな る頸部 に、沈線 で区画 し、その 間 に網 目状撚 糸 文 を施 文 。器 表 面 及 び内 面の一部 に赤彩 が認 め られ る。 江 原 台第1遺
跡 出土遺物 (第36図)1
甕 形土 器 底 部 欠損。口径21cm。胴部 がやや外方 に張 り出 し、頸部 か ら口縁部 にかけて は ゆ るや か に外反す る。複 合 口縁 を呈 し、日唇部 にRL回
転圧 痕文 を施 文 。頸部 は無 文 帯 とな り、 それ よ り下位 は付 カロ条 縄 文 を施 文 。2
甕 形土 器 口径22cm、器高28.5cm、底径7 cm。 ゆ るや かに外反 した口縁部 に比 べて著 し く張 り出 した胴部 を持 つ。胴 中央部 やや上 に接合部 によ る稜 を持 ち、竹管状 工具 によ る 刺 突 文 がめ ぐる。 口唇部 には上 か らの押 捺 が施 され る。3
甕 形土 器 胴 下半部 欠損。口径21cm。複 合 口縁 を呈 し、口唇部 に絡 条体圧 痕 による押捺 が施 され る。頸部 は無 文帯 とな り、胴部 に移 行す る部分 に4本
1単
位 の櫛 描沈線 が周 回 し、 それ よ り下位 に縄 文 が施 文 され る。4
甕 形土 器 胴部以 下 欠損。日径18.7cm。日唇部 は内外面か ら棒状 工具 によ る押捺 を持 ち、 口縁部 内面の接合部 によってで きた稜 の部分 には絡条体圧 痕 が施 され る。 又、頸部 か ら 胴部 に移 行 す る部 分 には棒 状 工具 を用 いて上下 か らの押 捺 が施 され る。5
甕 形土 器 頸部 以 上 欠損。底 径5.2 cm。2同
様 に胴 中央 部 に竹 管状 工具 によ る刺突 文 を 持 つ 。6
甕 形土 器 胴 下半部 以下欠損。日径21.lcm。器面 に縄文 を持 た ない もので 、口縁部 か ら 頸部 にか けて5段
の輪積痕 を残 す。7
甕 形土 器 口径18.6cm、器高24.6cm、底 径7.3 cm。6同
様 施 文 を持 たず 、 口縁部 に3段
の輸積痕 を残 す。底 面 には本葉痕 が認 め られ る。8
甕 形土 器 胴 下 半部 以 下 欠損。回径16.8cm。丸味 を持 つ胴部 に比 べ て、頸部 か ら口縁部 にか けて は さほ ど外反せず に垂直 ぎみ に立 ち上 が る。 日縁部 は単純 口縁 を呈 し、口唇部 に縄 文原体 によ る圧痕 が残 る。 日縁部 はS字
状 結節 文で 区画 され た中 に付 加条縄 文 が施 文 され て 羽状 縄 文 が構 成 され る。 上段 は斜格子状 となるの が特 異で あ る。頸部 は無文 帯 とな り、胴部 に移行 す る部分 にS字
状 結節 文 が配 され、 それ よ り下位 に付 カロ条縄 文 に よ る羽状縄 文帯 が形成 され る。9
甕 形土 器 胴 下半部以下欠損。口径8.7 cm。単純 口縁 を呈 し、口唇部 に絡条体圧 痕 が施 され る1口
縁部 か ら頸部 にかけて は無 文帯 と し、 それよ り下位 に単節 縄 文 を施 文。10
壺形土 器 口径2.4 cm器
高8.5 cm、底 径2.6 cm。 手捏 状 を呈す る。H
鉢 形土 器 口径16.4cm、器高6.4 cm、底径 5.6 cm。 複 合 口縁 を呈 し、 口唇部 に連 続 した 刻 目 を持 つ 。12
脚部 底 径6.2 cm。 台付甕 形土 器(?)の
高台部 にあた る。脚縁端 に近 い部 分 にヘ ラ状 工具 によ る押捺刻 目を持 つ。綴
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│゛ …学
第36図 江原台第 1遺 跡 出土土器
(%)(田
村他・1977)13
高不形土 器脚部 底径10.7cm。ネ部 と脚部 が接 す る部 分 に隆帯 が施 され る。脚縁端 は複 合 口縁 状 を呈 し、上端 には縄 文原 体 によ る押 捺刻 日、 それ よ り下位 には羽状 縄 文が施 文 され る。 飯 重 新畑 。生 谷境堀 遺跡 (第37図) 鹿 島 川 西岸 の北 東 に伸 び る独 立丘 を呈 した台地 上 (下総 上位 面)に位 置 す る。標 高28m∼ 29m
J 32 [::] 34 □ 35 [::] 36 [::] 37 [::] 38 [::] 39 [::] 40 [::]4□
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生谷境堀遺跡 弥生時代遺構配置 図(1/100)(桑
原他・1974)︲
□
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第
3
7
図
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第6号
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第3号住居l■蝙
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を測 る。久ケ原期後半 に位置づ け られる竪穴住居址