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利益処分案の監査の深奥
幽 居 叡 目 次 1 利益処分案の監査の皮相面 ll 配当可能利益限度額についての規定にみられるわが国商法の精神 皿 任意積立金積立ての意義理解 N 収益性の維持・発展についての考慮理解 (1) V 収益性の維持。発展についての考慮理解 (2) W 株主に対する待遇および財務報告における数量的表現の妥当性如何に関する監査人の判断 工 利益処牙案の監査の皮相面 利益処分案または損失処理案とは,会社が当期に嫁得した利益および前期以前に嫁得し 企業内部において当期に至るまで留保してきた利益で処分可能なものの処分,あるいは, それらによる損失の処理に関し会社経営老の立てた原案である。しかしながら,会社経営 者とは,形式論理上,会社経営の執行機関でしかなく,その任免を含む会社経営について の最高意思決定機関は株主総会にあるから,その承認を得ないで利益を処分したり損失を 処理することのできないことは明らかである。すなわち,利益処分案または損失処理案 (以下,便宜のため利益処分案についてのみの議論に限定する)とは株主総会において採 否を審議される議案の1つであるといえる。そこに示される勘定項目配列の概要を示せば 以下のようになるであろう。 〔図1〕 利益処分案における勘定項目配列の概要当期純利益
+)前期繰越利益 +)取締役会の決議eZZより取崩すことができる使途特定の任意積立金取崩額 一)中間配当額 一)中間配当に伴い積立てることを要した利益準備金の額112 彦根論叢第232号
当期未処分利益 +)取崩しについて株主総会の承認を要する任意積立金取崩額 一)利益準備金積立額 一)配 当 金 一)役員賞与金 一)任意積立金 一)その他の利益剰余金処分額 次期繰越利益 〔図1〕に示している当期純利益とは,営業利益に営業外収益を加え,営業外費用を控 除して算出される経常利益(当期業績主義による当期純利益)に特別損益(期間外損益) を加減し,以て,税引前当期純利益を算出した後,当期の利益に課せられる法人税・住民 1) 税を控除した後の残額を指すものであるが,その金額について監査人に異論はないものと 仮定することにしよう。今,〔図1〕における「当期未処分利益」算出までの段階に限定 して考えるなら,当期未処分利益算定要素の監査に大して面倒な点があるとは考えられな い。順を追って示せば以下の通りである。 (a)前期繰越利益……前期の決算にかかわる株主総会において承認され確定した利益金 処分計算書末尾記載の「次期繰越利益」は,当期利益処分案において示されている「前期 繰越利益」と当然一致しているべきものであるから,このことを確認するため両者を突合 すること。 (b)取締役会の決議により取崩すことができる使途特定の任意積立金取崩額……使途特 定の任意積立金には,退職給与積立金・中間配当積立金・欠損填補積立金の如く,その目的 を達成するためには当然取崩すことが必要であるが故に取崩されるものと,目的を達成す るために必ずしも取崩すことを必要としないにもかかわらず取崩されるもの(たとえば. 2) 減債積立金・事業拡張積立金)とがある。したがって,使途特定の任意積立金取崩額の妥 当性如何を吟味するに当り監査人として考慮しなければならないことは,(i)使途の特定さ 3) れていない任意積立金(別途積立金)が取崩されていることはないということを確かめ, ㈹使途特定の任意積立金であっても,その取崩しについて株主総会の承認を必要とするも の(たとえば,配当準備積立金)の取崩しはこの勘定項目中に含まれていないということ 1) 飯野利夫,r財務会計論』改訂版,同文舘出版㈱,昭和58年,13−12頁,13−13頁Q 2) 飯野利夫,前掲書,12−4頁。 3)∼5)飯野利夫,前掲書,12一 5頁,12一 6頁。〈研究ノート〉利益処分案の監査の深奥 !13 4) を確かめ,㈹取締役会の決議により取崩すことができて取崩された使途特定の任意積立金 5) が目的外に使用されていることはないか確かめ,(1V旧的を達成するために必ずしも取崩す ことを要しないにもかかわらず取崩された使途特定の任意積立金取崩額は正しく未処分利 益勘定に振替えられていることを確かめることに限定されるといってよい。 (c)中間配当額……わが国現行の商法下において,一一年決算の会社は,その旨定款に定 めれば,一会計期間中にユ回だけ,取締役会の決議にもとづき中間配当をなし得るように 6) なっている。それ故,この要件さえ満たされているならば,監査人として当期利益処分案 くちばしに示されている「中間配当額」の是非につき本来,嚇を入れ得る筋合いはないといえる。 但し,商法には中間配当によって会社資本の充実が害されることのないよう中間配当限度 7) 額を示す規定が置かれているから,監査人として,利益処分案に示されている中間配当額 が商法の要件を満たすものであるか否かにつぎ確かめる必要はあるといえるであろう。 (d)中間配当に伴い積立てることを要した利益準備金の額……商法は,金銭を以てする 中間配当額の売を加えても利益準備金の合計額が資本金の一どに達しないとぎ,金銭を以て 8) する中間配当額の煮以上を利益準備金として積立てるよう要求しているから,利益処分案 において「中間配当に伴い積立てることを要した利益準備金の額」として示されている金 額が,商法に定められているこのような要件に合致していることを監査入として確かめる 必要がある。 豆 配当可能利益隈度額についての規定にみられるわが国商法の精神 利益処分案の監査に関し監査人がその職業専門家として有する判断を行使することが必 要になる領域は,むしろ,当期未処分利益および株主総会の承認を得て取崩すことのでき る任意積立金を原資とする利益処分の領域であるといってよい。なるほど,この領域にお いても,積立てることを要する利益準備金の額とか配当fiT能利益限度額の如く,商法上の 要件が満たされているか否かにつき確かめることが監査人として必要な事柄は存在してい るであろう。また,次期繰越利益の算:出1こ至るまでの加減算に誤りがないか否かについて 確かめる必要があることについても勿論のこととして認め得る。しかしながら,そのよう な事柄の当・不当を一々確認することは不可欠であるとしても,それに職業専門家として 6)商法第293条ノ5第1項。飯野利夫,前掲書12−/7頁。 7)商法第293条ノ5第3項。同第4項。飯野利夫,前掲書,12−17頁,12−18頁。 8) 商法第288条,飯野利夫,前掲書,12−17頁。
!14 彦根論叢 第232号 の判断は必ずしも必要ではない。職業専門家としての判断の行使という場合の判断とは, 規準(形式)への合致性を確かめるための計算突合・加減箪の正否確認を与件とし,財務 おそ報告の主たる構成要素としての数:量的表現自体が内部崩壊して虚偽表示に転化する催れは ないか否かということについての判断でなければならない。何故このように言い得るかに ついて以下論じることにしよう。 前節において示した如く,当期未処分利益を算定するための要素は種々存在している。 このため,「当期未処分利益は誰のもの?」ということに関しての当期未処分利益の性格, ひいては,一連の計算書類(財務諸表)中に数字を以て示されている記述の性格が暗黙の ものとしてしか理解され難い状況下にあることを否定することはできない。しかしなが ら,当期未処分利益の性格理解(初歩の理解)にとって幸いなことに,「当期未処分利益は 株主のもの」との認識が定着するに至っている。その論理をもとめるのに大した困難を要 することはないであろう。すなわち,原材料・商品等の提供者(仕入先)に対しては代金 を支払い,従業員・社債権者・金融機関・徴税当局・経営者等会社に対し利害関係を有す る者に対しては約定の賃金・利子・税金・給料等を支払い,およそ支払うべきものはこれ をすべて支払った,あるいは,支払うと仮定した後の残額が利益処分案に示されている当 期純利益であるから,この当期純利益を構成要素として包含している当期未処分利益およ び当期に至るまで企業内部に留保されてきた任意積立金について正当に権利を主張し得る 者は会社自己資本の提供者たる株主以外に残っていない筈であるというのが,その論理と 看倣されるに至る。図式を以て示せば以下の如くである。 配当可能利益=当期未処分利益+既存の任意積立金 二{(資産一負債)一資本金}………・…・・………① この論理に比すれば,上記①式によって算定される配当可能利益の一部を会社内部に積 立てることを強制している商法の精神に半ば温く半ば労いものの存在していることを否定 9) することはできない。なるほど,株式払込剰余金等の資本準備金(資本剰余金)について 1⑪) は,形式上資本金に組込まれていなくとも,内容としては法定資本金と同等のものである が故に,配当可能利益を算出するに際しても両者(資本金と資本準備金)を同等に取扱う 必要のあることはわかる。これを図式を以て示せば以下の如くになるであろう。 9)資本払込取引にもとつく資本剰余金としての株式払込剰余金・合併差益に減資差益を加えた3 っの資本剰余金が商法上の資本準備金である。商法第288条ノ2,飯野利夫,前掲書,10−20頁。 10) 飯野利夫,前掲書,2−20頁o
〈研究ノート〉利益処分案の監査の深奥 115 配当可能利益i=当期未処分利益+既存の任意積立金 ={(資産一負債)一(資本金十資本準備金)}…・…………・・……② ところが前述の如く,わが国商法においては,配当を金銭にて行う場合,資本金の÷に 達するまで,金銭による配当額の養以上を利益準備金として積立てなければならないとの 規定が設けられている。それ故,初めて決算を迎える会社の場合,最底限,②式によって 算出される配当可能利益=積立てを要する利益準備金の額こ10 1になるようする必要が あり,かつ,利益準備金は②式に示される配当可能利益の中から積立てられることになる のであるから,②式により算出される配当可能利益を11等分した中の1が積立てを要する 利益準備金の額,11等分した中の/0が商法の認める配当可能利益限度額となる。これを図 式を以て示せば以下の如くになるであろう。 商法上の配当可能利益限度額=当期未処分利益+既存の任意積立金 ={(資産一負債)一(資本金+資本準備金)}×翌 一・一一+般に 商法上の配当可能利益限度額={(資産一負債)一(資本金一ト既存の法定準備金)} ×号警…③ 資本金の}に至るまで(当期未処分利益+既存の任意積立金)x去以上を,金銭を以て する配当のたび毎に,利益準備金として積立てることを強側するということは,事実上の 資本金を最終的には法定資本金の一二倍とするということを意味している。このことの背後 1 1 ) 飯 野 禾ij 夫 , 肩 tr誉易書 , 1 2一 ユ 3頁 Q 但し,わが国商法は,資産としての実体を有しない繰延資産を貸借対照表資産の部に計上する ことを認める見返りとして,繰延資産中の開業準備費・試験研究費および開発費に限り,その合 計額が既存の法定準備金および新たに積立てるべき利益準備金の合計額を超過する場創こは,そ の超過額(α)をも,貸借対照表上の純資産額からさらに控除した額を以て配当可能利益の限度 額としている。(商法第290条第1項第4号。)すなわち, 開業準備費+試験研究費および開発費一既存の法定準備金+新たに積立てるべき利益準備金+ 超過額(at) とすることによって,利益配当による法定資本金の浸蝕を事実上防止している。図式を以て示せ ぽ以下のようになる。 商法第290条第1項第4週中該当する場含の配当可能利益限度額 一(資産一負債)一(資本金+開業準備費+試験研究費および開発費)・・一・・④ しかしながら,この図式に見出される商法規定の精神は,繰延資産の貸借対照表への計上を認め ることに対する見返りとしての・いわば・商取引的なものであると考えられ,利益準備金の積立 て強制に見られる本筋の精神がそこに貫徹しているとは考えられない。④式の中に見出される商 法の精神が妥協の産物と言われることの所以である。 (田中耕太郎,r貸借対照表法の論理』,有 斐閣,昭和23年,236−238頁。)
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に存在している意味はどのようなものなのであろうか? 商法はこのようにすることが皆 の利益に合致すると考え,このような規定を置いた筈のものであるが,この規定の中に存 する意味合いを株主総会を召集する経営者・召集に応じこれに出席する株主がどのように 解釈することになるかが問題である。 前に“商法規定の精神に半ば温く”と述べたのは,②式を以て算出される配当可能利益 おこ の全額が株主に帰属するものと驕ることなかれと商法は戒めていると解されることによ る。同じく,“半ば冷く”と述べたことの意味は,“1を知って10を知れ”の如くに後は何 らの指示もしないま弐突き放している様を指している。株主が自己の利益に固執するなら ば,前者こそ‘‘半ば冷く”,後者こそ“半ば温く”感じられるでもあろう。しかし,商法 の規定は放置しておいたのでは株主が持ち出し押し通そうとするであろう前述の如く強力 な論理に対する戒めであると解されるが故に,株主にとって近視眼的には冷く思われるも のが結局は温いものであり,逆はそのまた逆であると筆者は解しているのである。それで は,株主にとって一見冷いものであるように感じられ,実において温いところのある商法 の戒めとは具体的にどのように敷延解釈すべぎものであるのか? これについて次に考え てみることにしよう。 皿 任意積立金積立ての意義理解 前節において述べた如く,形式論理上は,当期未処分利益および株主総会の決議によっ て取崩すことのできる任意積立金が株主に帰属するものであることを否定することはでき ない。但し,商法によってその一部を株主の手の届かない利益準備金として積立てるよう 12) 要求されているから,株主は,事実上,前掲③式あるいは④式によって算出される金額を 限度とし金銭による配当を要求し得るにすぎないといえる。そこで今,株主総会の決議 は,過去の年度に積立てられてきた任意積立金はこれを全額取崩し,商法上合法とされる 限度一杯までの金銭を株主に対する配当に充てるべきであるというものであったと仮定す ることにしよう。この場合,株主総会の決議,あるいは,経営者が株主の意向を酌んで作 成した利益処分案は,商法という強力な相手に対しては屈服しつつ,その他の者に対して ははか は何由ることもなく自からの手中にある論理を以て押し切ろうとするものであったといえ 12)但し,資本の欠損を填補する場合および資本金に組入れる場合に限り,利益準備金を取崩すこ とは可能である。(商法第289条第1項。飯野利夫,前掲書,12−4:頁。)それ故,“利益準備金は 株主に手の届かないもの”と述べたことの意味は,“利益分配の対象とはなし得ない”というこ とである。〈研究ノート〉利益処分案の監査の深奥 117 13) る。証券取引所における上場廃止基準の自社株式に対する適用を回避するためには,好む と好まざるとにかかわらず,このように処置することが現に必要な場合もあるかしれな い。あるいは,そのような理由にはよらずして,株主の全く近視眼的な利害意識からこの ような決議がなされる場合をも想定することができるであろう。株主総会のこのような決 議に違法性はないし,企業内外の利害関係老で正面切ってこのような決議に異論を唱え得 ほとん る者は殆ど誰も居ないことであろう。異論を唱えることのできる老があるとすれば,それ は,職業専門家としての監査人を云いて他にいないであろうが,その場合においてさえも 異論の直接の対象は決議そのものではなく,(決議によって影響をうける監査対象として の)計算書類の数量的表現に限定されざるを得ない筈である。株主総会の決議そのものに 対し直接異論を唱え得ることの根拠を監査人に見出すことはでぎないからである。 本仮説例の場合,監査人は計算書類の数量的表現に関し異論を唱えることがあるかもし れないと言い得るのはどうしてであるのか? 監査人はこのような発言をなし得るかもし れないということの根拠,それは,商法上如何に許容されるものであろうとも,前掲③式 あるいは④式を以て算出される配当可能利益は全額現金の形で留保されているとは限ら ず,むしろ,日常の営業循環過程の中に絶えず投下され,種々様々の資産形態をとってい るということにもとめ得るであろう。すなわち,配当可能利益は,たとえそれが法定限度 額以内のものであろうとも,飽くまでも帳簿上の利益に他ならず,各種資産の見積りによ って左右される性格のものであるということに発言の根拠をもとめる以外にない。 今,最も楽観的な見地に立ち得る場合を想定して,配当可能利益は,全額,現金もしく はいつにても引出し可能な預金の形で留保されているものと仮定することにしよう。この ような場合には,経営者をして配当金支払いのための手続きを代行金融機関に委託させる だけでよく,会社の維持・存続のために当面何人の助力をも必要としないように見える。 このような場合とは,株主が自己の手中にある論理を以て株主以外の関係者を各自の任に つぎ職務を遂行するよう押している典型であると認めることがでぎる。しかし,会社に配 当金の支払能力は十分あったとしても,配当金の支払いにより会社の公表する計算書類と おそりわけ貸借対照表の数量的表現が虚偽表示に転化する留れは全くないと言いきれるもので あろうか? 企業の公表する計算書類の数量的表現は,いうまでもなく,ゴーイング・コ ソサーン(継続企業)の仮定の上に成り立っている。配当金の支払能力に支障さえなけれ 13)たとえば,最近5年間無配を継続しているとすれば,上場廃止基準が適用される。日経文庫 (102)『株式用語辞典』新版;日本経済新聞社,昭和51年,ユ33頁Q
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ば,この仮定に関し問題が生じることはないと旧記し得るものでは必ずしもないこと以下 の通りである。すなわち,日々の営業活動に関連して原材料・商品を仕入れれば,その支 払いは約定の期日にしなければならない。従業員・経営者の労力提供に対しては賃金・給 料を支払わなければならない。支払期日の到来した手形および借入金はこれを決済しなけ ればならない。他方,顧客に対する売掛債権はこれを全額回収し得るとは限らない。貸付 い つ ど こ 金についても全額回収し得るとは限らない。何時,何処において不測の事故が生じ,偶発 債務が実現し,損害の賠償をもとめる訴訟が提起されるかわからない。これが日々の営業 活動における現実であるといってよいであろう。会社との取引関係をもっているこれら利 害関係者が呈示した正当な支払要求に対して会社に応じる義務があるのは当然である。こ の種の支払要求をも考慮した資産形態の配分用意(流動性)が認められるというのであれ ば,監査人として計算書類の数量的表現の妥当性に関し異議を唱える筋合いはないといえ るであろう。しかしながら,正当な契約上の支払要求にすべて応じ得るだけの流動性が配 当金支払い後の会社に残っていないとすれば,そのとき会社は向後の支払資金を如何にし て調達することができるであろうか? 銀行に限らず関係者は,他の者の手中にある論理 が有無を言わせぬほどに強力なものであるとき,その論理を以て押されるものではある が,同時に,自らの手中にある論理はこれを温存し,機熟したときこれ(自らの手中にあ る論理)を以て押し返すものであるということが注目されなければならない。この会社が こた 銀行に融資を申し込んだとき,銀行はどのような論理を以て応えるであろうか? それ は,融資に伴う自行の損害は万が一にも回避したいということであり,そのためには,貸 付金に十分見合うだけの担保を要求したいということでなければならないであろう。本仮 説例の場合,貸付金の担保となるものは,会社の純財産=資産一負債嘉法定資本金+法定 準備金,あるいは,法定資本金のみでしかない。会社の純財産を構成している個々の具体 的資産中に未だ担保に入っていないものがあればともかく,そうでなければ銀行融資の道 はすべて閉ざされているといえるであろう。未だ担保に入っていない資産があったとして も,銀行融資の可能な額は担保品の演出に制約されたものとならざるを得ない。取引相手 かどで 方の中に存在している物理的な存立基盤,否,むしろ,その日々新たな門出・その維持・ 発展のための精神配慮が強力・着実なものであるならば,これとの取引によって不測の損 おそ 害を被る隔れはないから,これに刻しては善友として接近したい,さもなければ,好まし くない友として敬遠したい,というのは,銀行に限らず,健全な生き方をしたいと願う人 間一般の心情であると解してよいであろう。企業の存立基盤は何も支払能力・流動性に関〈研究ノート〉利益処分案の監査の深奥 119 する事柄に限られているものではなく,銀行家もこのことを十分理解していることであろ うが,その表立って押し出すことのできる論理は取引相手方の支払能力・流動性に限定さ れているというのもまた止むを得ないことである。本仮説例の場合,銀行は配当金支払後 はか き ぐ の流動性維持を図るため融資をもとめてきた会社に対し善友として遇することに危濯をい だいてよい。融資に際しては必ず十分なだけの担保を要求し,提供された担保品の価額範 囲内で慎重に融資額を決定するのを最良とするであろう。このことは,融資を申し込んだ 側の会社にとってみれば,会社内部に任意積立ての資金を留保しておいた場合に比し,融 資を受ける道は著しく狭くなっていることを意味している。このことを裏返して言えば, 当期の決算時点において計算書類とりわけ貸借対照表の数量的表現が虚偽表示になってい るとは言えないまでも,次期以降において早晩虚偽表示に転化する選れば多分にあり,そ の崩芽は当期の利益処分案に対する経営者・株主総会において議決権を行使する株主の未 くちはし 熟な意思決定の中に存するということになる。監査人は当期利益処分案の決定に直接臓 を入れ得る筋合いにないこと勿論であるが,利益処分案によって利益処分案以外の計算書 類の数量的表現が次期以降直ちに虚偽表示に転化する濯れはないか否かについて上述のよ うな吟味を行い,場合によっては利益処分案の内容修正を経営者に助言することが必要に なるであろう。このような助言をなすことによって株主の近視眼的な配当要求を間接的に 抑制することは株主の利益に合致することにもなる筈である。会社が倒産することによっ て損害を被る利害関係者の中には,当然,株主も含まれているからである。 1V 収益性の維持・発展についての考慮理解 ① 次には,利益処分案の記載内容が法定の利益準備金の他に任意積立金をも手厚く積立て るという内容のものであったとし,前掲③式あるいは④式によって算出される配当可能利 益から任意積立金積立額を控除した後の残額はこれをすべて配当金に充てるとするもので あったと仮定することにしよう。この場合,配当金は前工且節で仮定した場合に比し任意積 立金積立額だけ’抑制されたものとなっており,両者の相違は他にない。前節において述べ た如く,後老の場合には前者の場合に比し,必要なときの銀行融資の道は広く開かれてお り,財務報告の数量的表現が虚偽表示に転化する危険性は著しく緩和されたものになって いるといえるであろう。しかしながら,このような利益処分案の中に読みとることのでき る株主の暗黙の観念が,“自己は固己の才覚のみを以て生きている”というに未だ近いとい えるであろう。逆に言えば,‘‘自己は他によって生かされている”との認識に未だ遠いとい
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える。場合によっては銀行の助力が必要になるかもしれないということを意識しているに もかかわらず,他の関係者の助力も不断に必要であるとの認識は欠落したま鼠である。商 法に違反せず,銀行融資の道さえ確保しておけば,企業の存立に不安材料はなく,すべて の関係者は自己の手中にある論理によって押され動くものであると思い直している。これ もまた甚だしい誤解であるといわざるを得ない。何故であるのか? そもそも論理を以て 関係者を押すという場合の論理とは何であるのか? これを極論すれば,その深奥は,生 命ある者自己の生命を養うためには食物を摂り,衣服を着し,住いを整えることが必要で あるということに関するものであるといえるであろう。生命を具体的に養うためには働き をなし生活の資を得ることが必要である。このとき,生活の資の対価として自己の提供す る商品が取引相手方により値切られるということがあれば,それは誰しも面白くないこと であるにちがいない。しかし,好むと好まざるとにかかわらず,取引関係には自ずと強弱 があり,立場の弱い取引方は立場の強い取引方の呈示する取引条件に服さなければ,自己 の生命を養うことができないことも明らかである。経済上の弱者は,自己の生命を養うた めには,経済上の強者に屈服することを要する。これがここに言う“論理”の意味である。 前に:本仮説例にみられる株主総会出席株主の観念中には甚だしい誤解があると述べたこ との意味,それは,現時点における経済上の強者と経済上の弱者との関係は永遠に不変で でもあるかのような仮定が利益処分案の記載内容中に内在していることの不思議を指摘し たものである。なるほど,会社の株主は形式論理上その会社の主人である。その資金提供 がなければ,会社そのものが存在し得なかったことであろうし,営業活動を営むこともで きなかったことであろう。しかしながら,営業活動の現実の担手が経営者であり従業員で あることについても,これまた言うまでもないことである。決算時点における株主が,当 面の経済上の強者は自己であり,経済上の弱者は経営者・従業員であると国忌し,事実に おいてもその通りであったとすれば,経営者・従業員は株主総会の決議に服し黙々と働き 続ける以外にない。しかしながら,経営者・従業員がその主人たる株主の非清な処遇を意 識したとすれば,そこに約定以上の働きを期待することも,無理なことといえるであろ う。主人からの非情な扱いを知った者の心は,そうでない場合に比し,著しく冷やかなも のにならざるを得ない筈である。力を貯えるに従って株主からの処遇に最早服すことので きなくなった有能な経営者・従業員は,他社の招きに応じ自己の活路を見出すことになる であろう。自由な競争の許される社会において,有能な経営老・従業員を擁しない企業 は,その現時点において有する社内留保利益が如何に大きなものであろうとも,早晩守勢〈研究ノート〉利益処分案の監査の深奥 121 に立たざるを得ない筈のものである。会社利益増進の中核となる有能な職員が居なくなっ たばかりでなく,その職員は他社において厚遇されるに至っているとすれば,その旧主人 たるもの本来変な気持がする筈のものであろうが,これまた自己の招いたことであり致し もっと 方のないことであるといってよい。尤も,主人が不特定多数の株主より成る株式会社にお いて,その職員の処遇の巧拙について判断することは容易なことでないと言えるかもしれ ない。それにもかかわらず,会社収益の維持・発展を望むというのであれば,従業員に対 する賞与は人件費としてであれ給してあることの方が財務報告の数量的表現に生きた意味 をもたせるうえで賢明である如く,役員に対する賞与は法定の配当可能利益限度額の中よ り給してあることの方が賢明であることに変りはないといえるであろう。監査人はこのこ との有する意味を十分理解しておく必要があるといえる。 V 収益性の維持・発展についての考慮理解 ② 株主総会の決議が法定の配当可能利益限度額中より役員に対し相応の賞与を分与すべき であるというものであった場合には,そうでない場合に比し,現経営者を後継する有能な 入材に事欠かないことになるであろう。すでに法定準備金の他任意積立金をも手厚く積立 てているうえに,なお,このような配慮が施してあるというのであれば,企業の存立につ いて将来の不安材料は何もないように見える。このことは,企業の財務報告にみられる数 量的表現が将来崩壊することによって虚偽表示に転じる回れはないように見えるというこ とと同等である。しかし,用心の徹底性如何という観点からみるならば,ここまでの配慮 でなお欠けている点は最早存しないとも言いきれないであろう。企業の流動性を維持し, 収益性を維持・発展させるための一応の用心はありながら,その用心の背後に存する心情, すなわち,‘‘企業の流動性はこれを自力で維持してみせる;企業の収益性はこれを自力で 維持・発展させてみせる”との心清について見るならば,それは依然として旧来のまXで あることが解る。この心情が前削節において示した心情,すなわち,“強い相手に対しては ははか 屈服する必要があるとはいえ,その他の者に対しては渾渾ることもなく自からの手中にあ る論理を以て押し切ることが可能である”と五十歩百歩であることを否定することはでき ないであろう。他会社との競争に勝ち得る商品を開発しさえずれば必ず売れるとの確信 (仮定)がそこにはある。人間が瞬時瞬時の物欲に完全に圧倒されているというのであれ ば,この仮定は真であるでもあろう。しかしながら,そうでなければ,この仮定は真では ない。人間社会は必ずしも単なる動物社会でないことに留意することが必要である。冷や
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やかな合理主義に圧倒されて自己の心をも冷ややかに装いながら,自己の内なる熱い魂は これをしっかり守っている,否,守ろうとしているのが,自己の才覚を自負している者の 疎外しているその他社会の人々といえるであろう。他会社との競争に勝ち得る商品を開発 し販売しようとすることは,これらの人々を見えない力を以て屈服せしめようとすること と同等である。今,その他社会の人々は会社の立てている上記のような仮定に沿って消費 行動を起すものと仮定することにしよう。おのおのの会社は他会社との競争に勝ち,消費 者の上に君臨することを夢見ることになるであろう。しかしながら,このような仮定の成 立つ場合においてさえも,会社内部者(株主・経営者・従業員)の冷ややかな合理主義が 対しているのは,これまたその他社会の人々の冷ややかな合理主義であると解する他はな い。筆者はこのことを言っているのである。その他社会の人々に,会社内部老に認められ る冷ややかな合理主義をもなお許させ得るだけの愛好というものが全くなければ,当該会 社が他会社との競争に遅れをとったときの,その収益力に及ぶ影響は直接的であり致命的 であるとさえ言えるであろう。冷ややかな心を以て身を守ることを教えられてきた人々が 冷ややかな心を以て今は落後者と仮した会社に報いることがあったとしても何らの不思議 もないからである。如何に有能な経営者・従業員を擁していたとしても,競争社会におい て常に先頭を走ることができるとの保証は必ずしもない。順調に先頭を走っている間はよ い。しかし,先頭を走れなくなったときに大勢を挽回する力を何処にもとめようというの. か? 社内に留保している過去年度の利益によって当座のつなぎとすることが可能である とは言える。しかし如何に巨額なものであろうとも,新たな収益など利子の如くしか産ま ない社内留保利益を全社的に消費し得る期間には自ずと限度があると言えるであろう。通 常の営業取引によって獲得し得る収益に優る収益(大勢挽回力)というものは存在しない と言ってよい。 不特定多数の社会の人々にすでに愛好の念を抱かせている会社にあっては,たとえ他会 社との競争に遅れをとっていることがあったとしても,消費老の姿をした不特定多数の人 々から見放されてしまうことのない度合いは,そうでない会社の場合に比し,著しく大き なものと認めることができるであろう。前者の会社にあっては,その苦境に際し,世人の 支援があるものと解することができる。後を続かせようとの心の働きは能動的なものであ る。不特定多数の人々が有するこの能動的な心の働きを無視もしくは否定した会社内部者 の観念が驕りであると看徴されても致し方はないであろう。このように,資本の集積体と して成る物的会社においても,世論の支持にもとつく後続が可能であるのでなければ,い〈研究ノート〉利益処分案の監査の深奥 123 ずれ消滅せざるを得ないことなお個人の如しである。このことを考えるならば,会社の公 表する財務報告の数量的表現の生成・消滅に世論が暗黙のうちに参加していることを否定 することはできない筈である。 世人の愛好は如何にして得られるか? 愛好を得んがためにとの計算観念は不純であ る。世人はこのことについて盲目ではない。計算観念が存在しているところに,自己中 心・自己本位への執着離脱を認めることは不可能である。計算観念をすべて放棄するとし たなら世人の愛好は得られると言えるであろうか? そのような保証は皆無であると言っ てよいであろう。しかし,自己中心の観念をすべて放棄することなくして世人の真の愛好 を得ることは不可能であるとも言えるであろう。すべては天からのお預りものであり,真 に自己のものと二三し得るようなものはこの世に何一つ存在していない,そうでないとす る観念はすべて錯覚である。このように言うこともできるであろう。このように考えるな らば,会社の株主が自己の権利として配当を要求している限り,如何に,株主総会におい て配当可能利益の一部を不特定多数の社会の人々に分与する旨の決議をしていようとも, それは計算つくのものであるに近い,それはなお不純なものであり,人間の陥りがちな錯 ふっしょく 覚を必ずしも払拭しきったものとは言えない,ということが解る。それ故,これによって 世人の真の愛好を得ることはできないものと二三すことの方が正解であると言えるであろ う。このことを承知のうえで,それにもかかわらず,配当可能利益の一部を不特定多数の 人々に還元しようとすることは愚なことであるとも言えるであろう。目前の利害得失とい う観点から見る限り,確かに愚なことであるにちがいない。しかし,賢愚を判断するのは 自己でなく,自己の外なる他であるということについても否定することはできない筈であ る。 VI株主に対する待遇および財政状態表示の妥当性如何に関する監査人の判断 以上述べてきた如く.利益処分案の記載内容が,配当可能利益限度額についての規定に みられる商法の精神を酌みとって,その適用領域を段階的に拡張していくものであったな らば,それにつれ,会社の公表する財務報告の数量的表現は長期的に見てより安定したも のになっていくことが解る。しかし,このことは同時に,株主が要求することのできる配 当額は,上記の精神適用領域の拡張につれ,縮小されねばならないことを意味している。 利益分配の順序が逆であるとして,上記の精神を適用することに異議を唱える株主は必ず と言ってよいほどに居ることであろう。目前の利益に関心を示さない三主を想定すること
!24 彦根論叢 第232号 はむしろ不可能であると言ってもよい。それは何よりも,種々ある計算書類の中でも殊に 利益処分案は全く株主総会承認用の資料であるということによっている。利益処分案以外 の計算書類は,たとえそれが株主にとって不満足なものであったとしても,その報告内容 に法令違反・虚偽表示等の問題点が内包されているのでなければ,株主としてもこれを承 認せざるを得ない筈のものと認め得るであろう。この点に限定して見る限り,株主は,言 わば,計算書類(利益処分案を除く)の表示が適正なものであるならば,それに対し直接 牌を入れ得る筋合いにはない,という論理に押されざるを得ないのであると言える。株主 が利益処分案の表示内容についても,前述の如き論理,すなわち,株主への配当は商法の 定める配当可能利益限度額の中から,⑦任意積立金を積立て,㈲役員に対し賞与を支給 し,⑰社会に対し利益の還元を行い,これらすべてに対する配分額がそれ自体満足すべき ものとなるように処置した後なお残余があれば,この残余を以て充てるというものである とき,財務報告の数量的表現は長期的に見てより安定したものになっているという論理, に押されて服してくれるならば,監査人として安楽なことこの上もないと言えるであろ やっかいう。監査人にとって厄介な場合とは,株主総会出席の株主が監査人の押したいと願う上記 の如き論理に黙って服してくれない場合である。このような場合,監査人は上記の如き論 くちはし 理と自からは株主総会の決議内容に直接騰を入れ得る立場に居ないという論理(株主の押 す論理)との問に狭まれてジレンマに陥らざるを得ないことになる。 ところで株主の歓心は当該会社の公表する財務報告の数量的表現の妥当性に何らの影響 も及ぼさないと言えるものであろうか? 何らの影響を及ぼさないとも言いきれないであ ろう。株主は会社に対しすでに資本を投下している。しかし,その所有権は株主の手を離 れ企業に帰属するものになっていることは,株式会社の場合,法制上の事実である。それ 故,株主がすでに会社に投下済みの資本に関する限りにおいては,それにより財務報告の 数量的表現の将来的な妥当性に直接の影響が及ぶものでないことは明らかである。株主が 企業に対し過去に提供した協力を取消し引揚げることはできないようになっているからに 他ならない。株主が会社に対し為し得ること,それは,会社が将来必要とするとぎ,新た な協力を提供するか否かということに限られている。将来株主のこのような意思決定に対 する誘因となるものは,会社の株主に対する待遇を云いて他に存在しないとすれば,会社 の現在株主に対する待遇如何が将来株主の新規協力提供に関しての意思決定に影響を及ぼ すであろうことを否定することはできない。すなわち,会社の株主に対する待遇の中心を なすものは配当金の額としてしか表現し得ないとするならば,現在株主に対する配当金の
〈研究ノート〉利益処分案の監査の深奥 125 多寡が会社財務報告の数量:的表現の将来的な意味での妥当性に影響を及ぼすことはあり得 ると言える。しかしながら,自己の利益にのみ魅かれて動くというのは,株主に限らない ことながら,当てにならない;当てにしてはならないものであるが故に,必要なとき新た な協力を株主より取りつけんがための利益配当をなすことは愚なことであるとも言えるで あろう。株主は他の関係者と異り,形式論理上,会社の主人であるが故に,なおさらに, このように言うことがでぎる。株主が会社において占める形式論理上の地位についての顧 慮は当然必要なことでもあろうが,株主の利益が第一に考慮されるべきものであるとは到 底考えられない所以である。 あるいは,会社の株主・経営者・従業員および不特定多数の社会の人々のおのおのに対 する利益処分額の妥当性を個々に検討する考え方はこれを一先ず惜いて,このグループ全 体に対す処分利益と会社内部に留保すべき利益とではそのいずれを優先させるべきである かという観点から財務報告の数量的表現の妥当性・安定性に関する監査判断上の困難を整 理することの方が実際的解決法であると考えられるかもしれない。すなわち,これは監査 人に対し,社外流出利益と社内留保利益との割合が如何ほどのものであれば,企業の存続 ひいてはその財務報告における数量的表現の妥当性・安定性維持にとって最適であるかに ついての判断を形成するようもとめるにとどめる考え方である。監査人としては上記のグ ループ内における利益の分配については,最終的には,株主総会において議決権を行使す る株主の理性にこれを任せる以外にないということをふまえての議論がこれである。勿 論,このような考え方は,監査人の直面せざるを得ない判断上の困難の幾分かを整理し容 易化しようとしたものであるにとどまっている。この方式のもとにおいても,社外流出利 益と社内留保利益との割合いが如何ほどであるならば,会社の存続にとって最適であると 看敬し得るかは依然未解決のまXである。着実・堅実という見地から判断するならば,後 上は前者に優先するとも言えるであろう。しかしながら,前述の如く,社外流出利益が会 社の存続に及ぼし得る効果の歩幅は,社内留保利益のそれより格段に大きいこともあり得 るということを考えると,必ずそう(社内留保利益は社外流出利益に優先して)あるべき であるとも言いきれない。さらに,如何なる将来時点までを見通したうえでの財務報告に おける数量的表現の妥当性に関する判断が要求されるのかという点についても,議論は岐 れることであろう。これらのことを考えるならば,このような判断形成の方式を採用する 場合においても,監査判断上の困難は真に緩和されることにならないことが解る。監査人 としては,個々の具体的事例に即して上記の諸点を考慮し,監査判断を形成する以外にな
126 彦根論叢 第232号 いであろう。実際上,監査人が利益処分案に対し反対意見(不適正意見),限定付適正意 見を表明し得る場合とは,株主総会に提出される利益処分案の可決によっては,財務報告 とりわけ貸借対照表の数量的表現が次期以降直ちに虚偽表示に転化する催れが濃厚である と判断されるにもかかわらず,会社経営者がこのような判断を受容しない場合に限られる とすることも止むを得ないように思われる。