中原中也の身体意識︵2︶
−﹁血﹂についてI
一、はじめに 私は前稿において、中原中也が身体感覚の鋭い詩人であることを立証 するために、彼の詩に出現する身体語の統計をとり、伊東静雄、立原道 造と比較した。その結果、中原の詩には身体語が頻出すること、さらに、 基礎身体語の大部分が使われていることを確かめた。また、﹁静脈管﹂ とか﹁白血球﹂というような医学用語が使われていることを指摘し、中 原の父親が医者であることが影響しているのではないかと考えた。とこ ろで、これらはいずれも﹁血﹂に関係ある言葉であるが、中原の詩には、 このような言葉が沢山出てくるのである。﹁静脈管﹂と﹁白血球﹂のほ かに﹁血﹂が六例、﹁血管﹂が一例出現している。したがって﹃山羊の 歌﹄と﹃在りし日の歌﹄の計一〇二篇のうち、﹁血﹂に関連する言葉が 九例あることになる。ところが、伊東静雄の﹃わがひとに与ふる哀歌﹄、 ﹃夏花﹄、﹃春のいそぎ﹄の合計七二篇の詩のうち﹁血﹂は一例しか出現 していない。また、﹁血管﹂というような血に関連した言葉も出現しな い。立原道造の﹃萱草に寄す﹄と﹃暁と夕の詩﹄の合計二〇篇の中に は、﹁血﹂やその関連語は全く出現しない。︵二〇篇では、サンプル数が 少ないという批判があるかもしれないので、立原の死後、友人の編集し た﹃優しき歌I﹄﹃優しき歌Ⅱ。﹄の合計二三篇について調べ・てみたが、 そのような言葉は出現しない。したがって、立原の場合、四三篇にサン プルを増やしても、出現度数がゼロであることは変わらない︶。これを まとめると、表一のようになり、﹁血﹂およびそれに関連した言葉を中 原が多用したことが’わかるのである。 Jご に1 竹 博 人文学部心理学研究室 本稿では、このような中原における﹁血﹂の問題を、﹃山羊の歌﹄、 ﹃在りし日の歌﹄の自選詩集だけでなく、未刊詩篇や日記を対象に考察 してみることにする。 表1「血」に関連した言葉の 出現頻度中原中也
嗇=8.8%伊東静雄
寺= 1.3%立原道造
音=o芦
二、﹁血﹂の用例 自選詩集の中では﹃山羊の歌﹄の中に六箇所﹁血﹂がででくる。 盲目の秋 Ⅲ ザンダーマリア私の聖母’・一〇二 高知大学学術研究報告 第三十七巻 ︵一九八八年︶ 人文科学 とにかく私は血を吐いた!⋮⋮⋮ おまへが情けをうけてくれないので、 とにかく私はまゐつてしまった⋮⋮ ︵略︶ 夏 y 血をはくやうな、倦うさ、たゆけさ 今日の日も畑に腸は照り、麦に陽は照り 空は燃え、畑はつづき 雲浮び、眩しく光り 今日の日も陽は炎ゆる、地は睡る 血をはくやうなせつなさに。
聯
ってしまったもののやうに やうな心の歴史は ぞこから繰れる一つの緒もないもののやうに 燃ゆる日の彼方に睡る。 私は残る、亡骸としてI 血を吐くやうなせっなさかなしさ つみびとの歌 阿部六郎に わが生は、下手な植木師らに あまりに夙く、手を入れられた悲しさよ1 由来わが血の大方は 頭にのぼり、煮え返り、浪り泡だつ。 。︵略︶ ﹁盲目の秋﹂と﹁夏﹂で∼﹁血を吐く﹂という表現が使われている。大 量’に血を吐くと死んでしまうからヽこ三 このこと唸﹁盲目の秋﹂の終りの方に。﹁せめて死昨時には﹂という表現 があることからも明らかである。ごれに対して、﹁つ。みびとの歌﹂にお いては、、﹁血﹂は死の象徴ではない。生命の象徴である。ところで、﹁わ が血の大方は/頭にのぼり﹂という表現と良く似たものが、未刊詩篇の 中の﹁龍巻﹂という詩にでている。 龍 巻 龍巻の顛は、殊にはその 老廃血でいっぱい こうとう後頭は 曇った日の空に 龍巻はさも威勢よく起上るけど 実は淋しさ極まつてのことであり やがても倒れなければならない浪に返った龍巻は たゞた>≪ふ泡となり 呼んでも呼んでも もはや再起の心はない ︵一九三五・九・一六︶ 龍巻とは中原のことを指していると考えられるから、﹁後頭﹂が﹁老 廃血﹂でいっぱいというのは、中原の﹁頭﹂に﹁血﹂がのばった状態に 比定できる。一方、頭に血がのばった状態というのは、血が静脈をとおっ て心臓にもどらない状態である。だから﹁老廃血﹂になるわけであるが、 中原は血が心臓に回帰することが﹁生命﹂にとって大変大事なことと考 ■ r ・ 1えていたようである︵したがって、動脈よりも静脈に関心があった。こ れについては後述する。︶昭和二年四月十九日の日記に、リルケの詩を 評して﹁この詩人は健かに心臓から出発して機制の全面に這入った。し かしまだ心臓に回帰してゐない﹂︵傍点は吉竹。以下同様︶とのべてい るのも、このような生命観の反映であろう。 \ 生命の象徴としての血をあらかざまにうたったものとして、次のよう な作品が全集の未刊詩篇の中にある。 燃える血 1 誹 を眺めながら 燃える血のことを思った。 一〇三 中原中也の身体意識︵2︶︵吉竹︶ ふくらはぎを眺めながら 僕はたらちねのことを思った。 ああヽおもひ出すおもひ出す、 小学校のころのこと⋮⋮ 小学校のかへりみち⋮⋮ 雑嚢はほんに重かった! 雨の爾れ間をオルガンは、 僕を何処まで追つかける。オルガンは 雨を含んだ風にのりよ 小さな僕の耳に泣く。 何時でも何時でも僕の血は 燃えてゐた。友達よ、 君と話してゐるひまも。僕の血は あんまり燃えて困るのだ。 血はあんまり燃え、そのことは 僕にあつてはI、つの事象だ。 君と話してゐる時も、だから話と血の燃焼、 僕は二つの事象にかかはつてゐる。 友達よ、もし僕の目付が悪いとしても、 そのせゐだ。燃ゆる血は、
一〇四 高知大学学術研究報告 第三十七巻 ︵一九八八年︶ 人文科学 何時も空中に音を探し、すがすがしさをせちにもとめ、
賢
なければならぬのだ、何時も何時も⋮⋮ 労作のそのまへに、まづ燃える血を それゆゑ自然は懐しく、人の虚栄は眩しいばかり⋮⋮ 燃ゆる血よ、僕をどうしようといふのだ? 夏の真昼の、動かぬ雲よペミ・ 動かぬ1 も虻な剰のtむヽヽ 僕をどうしようといふのだらう? 鳴いてゐる蝉も、照りかへす屋根も、 僕の血に沁み、堪へざらしめる。 燃ゆる血よ、僕をどうしようといふのだ? 感じ感じて、それだけで死んでゆけばよいといふのか? ︵一九三三・八・二二 この詩では﹁血﹂がI〇回も出現する。まさに﹁血﹂のオンパレード という作品であるが、あまりに露骨に思ったのか︵作品の出来は悪くな いと私には思える︶、草稿のままでどこにも発表していない。このよう に、血を生命の象徴とする考え方は、日記の中にも散見される。 △昭和二年四月十六日 リルケ詩抄を読む。︵略︶ ≪をぎ ・ 一 参 一 一︵4︶つまらない。けれども蒼梗めた魅惑だ。第十二胸椎を空の方へ吊り廻 す。あぶない所で心意を客観する所だ。嫌なこった。︵略︶ −これがリルケだ。こ奴には血がないのだ。▽ △昭和二年八月二十九日 思索は、そのたどる論理が正しい程循環する。︵略︶ で、創造とは流血なんだ。⋮⋮︵略︶∇ △昭和二年十一月三日 考へるべし、然し考えられたることは忘るべし。そは 考へられたる.こど侭血の残骸に過ぎざるゆゑ。▽ ’’’⋮⋮⋮ ー `7 1 d ー ー t F ー !“j °`一一 ー ーー ゛ ・` ’ 1 え書き﹂の中で﹁生命の豊かさ熾烈さだけが芸術にとって重要﹂といっ ていることに対応する。飛高隆夫は、これを引用して立原道造における 生命感の欠乏と対比している。︵立原はリルケを愛読していたが、表一 で示したように、立原にも﹁血がない﹂。︶ 三、静脈管、白血球、血漿についての関心 自選詩集の中に﹁静脈管﹂と﹁白血球﹂という医学用語がでてくると 先にのべた。このうち、﹁静脈管﹂は、﹃山羊の歌﹄の冒頭の﹁春の日の 夕暮﹂にでている。 春の日の夕暮 トタンがセンペイ食べて春の日の夕暮は穏かです アンダースローされた灰が蒼ざめて 春の日の夕暮は静かです 呼1 案山子はない.かIあるまい 馬噺くかI噺きもしまい ただただ月の光のヌメランとするまiに 従順なのは 春の日の夕暮れか ポトホトと野の中に伽藍は紅く 荷馬車の車輪 油を失ひ 私か歴史的現在に物を云へば 嘲る嘲る 空と山とが 互が一枚 はぐれました これから春の日の夕暮は 無言ながら 前進します 自らの 静脈管の中へです ここでは、﹁夕暮﹂が﹁静脈管﹂と重なっている。﹁春の日﹂が沈ん で﹁夕暮﹂に力るように、役目を終った血液が﹁静脈管﹂をとおって心 臓に回帰するというイメージである。︵だから、この部分は﹁動脈管﹂ であってはいけない。﹁動脈管﹂であれば、夕暮ではなく日が昇るとい うイメージになるからである︶。この詩の﹁静脈管﹂と﹁夕暮﹂という 言葉は、次に示す﹁盲目の秋﹂の中の﹁血管﹂と﹁夕陽﹂に対応する。 一〇五 中原中也の身体意識︵2︶︵吉竹︶ 盲目の秋 I ︵略︶ 私の青春はもはや堅い血管となり、 その中を曼珠沙華と夕陽とがゆきすぎる。 ︵略︶ したがって、この﹁血管﹂は﹁静脈管﹂であると考えられる。 ﹁静脈﹂という言葉は、︵馬の静脈であるが︶、未刊詩篇の中の﹁僕が 知る﹂という詩にもでている。 僕が知る 僕には僕の狂気がある 僕の狂気は蒼ざめて硬くなる かの馬の静脈などを想はせる ︵略︶ このように、中原は動脈よりも静脈に関心があった。動脈には心臓か ら出たばかりの赤い血が流れているが、静脈には体の各部分を通ってき た黒ずんだ血が流れている。そうすると、静脈には少し死のイメージが ある。この点は、次にのべる﹁白血球﹂と似ている。 自選詩集の中のもうひとつの医学用語である﹁白血球﹂は﹃在りし日 の歌﹄にある﹁幼獣の歌﹂にみえる。
.一〇六 高知大学学術研究報告 第三十七巻 ︵一九八八年︶ ︵人文科学︶ 幼獣の歌 黒い夜草深い野にあって、 一匹の獣が火消壷の中で 燧石を打って、星を作った。 冬を混ぜる 風が鳴って。 獣はもはや、なんにも見なかった。。 カスタニェットと月光のほか 。‘ 自覚ますこ。となき星を抱いて、 壷の中には冒涜を迎へて。。 ド” 雨後らしく思ひ出は一塊となって 風と肩を組み、波を打った。 あi なまめかしい物語− 奴隷も王女と美しかれよ。 卵殻もどきの貴公子の微笑と 遅鈍な子供の白血球とは。 それな獣を怖がらす。 黒い夜草深い野の中で、 一匹の獣の心は煉る。 黒い夜草深い野の中でI 太古は、独語も美しかった!⋮⋮⋮ ﹁白血球﹂は﹁遅鈍な子供﹂のそれであるから、決して良いイメージ を帯びてはいない。﹁獣を怖がらす﹂とあるから、死のイメージである といえなくもない。 ところで、白血球は血液の成分のひとつである。血液を遠心分離する と図一のように、血漿と血球成分に分かれる。血漿は血液の水分にあた る。血球成分は、血小板と白血球と赤血球より成っている。興味あるこ とに、中原は、﹁血漿﹂という言葉のはいった詩もつくっているのであ ’る。それは、﹁或る心の一季節﹂という未発表の散文詩である。この中 うめ うる ・ 畢に、﹁私の唸きは今や美はしく強き血漿であ。るに﹂という表現が二回で てくる。 図1からわかるように血球成分の中で最も目立つのほ赤血球である。 I I ∼ J − ‘赤い色は血む色そのものであるからf赤血球以生命の象徴である。しか l l l sし、七B-原の詩には‘。﹁赤血球﹂は登場しない︵﹁血小板﹂も登場しないが、 これは血液の中で最も目だたない成分であるから不思議ではない。︶﹁赤 血球﹂ではなく﹁白血球﹂が登場し、医学関係者以外の人はまず使わな い﹁血漿﹂という言葉を使っていることに、中原の特異な生命感や生い Oj% 1% 0.9% 91% 血漿 55% 血球 96%
閤I
図1 血液の成分たちがうかがえる。 ︲︲’ 四、血液の状態、血液型についての関心 中原はまた、血液の状態についても関心を持っていたぶしがある。日 記の中に次のような記述がある。・ △昭和二年三月二千三日 ︵略︶そして彼︵注、富永太郎︶が或は見下げた私の血こそ、レウマ チか壊血病にかかりさうな、それでゐて明るい血のジャンルの中で最 上壇にあるものと信じてゐた。︵略︶▽’ △昭和十年十二月四日 ︵略︶ 津村信夫より﹁愛する神の歌﹂︵詩集︶送って来る。パラパラと読む。 あんまり殆んど面白くない。︵略︶ I 一 一 − − − 昏 a津村君、君は人間血液の正常な状態 ことをお分りだらうか。ところが君 血液の状態についての関心は、血液型についての関心にもつながる。 草稿のままで未発表の﹁断片﹂という詩︵昭和十年から十二年の間に・つ くられたと推定されている︶の中に、﹁血液型﹂と’いう言葉が四回出て くる。 断 片 ︵人と話が合ふも合はぬも 一〇七 中原中也の身体意識︵2︶︵吉竹︶ 所詮は血液型の問題ですよ︶?・・・・・・・ 恋人よ!。たとへ私かどのやうに今晩おまへを思ってゐようと、また、 おまへが私をどのやうに思ってゐようと、百年の後には思ひばかり か、肉体さへもが影をもとどめず、そして、冬の夜には、やっぱり 風が、煙突に咆えるだらう⋮⋮ おまへも私も、その時それを耳にすべくもないのだし⋮⋮ さう思うと私は淋しくてたまらぬさう思ふと私は淋しくてたまらぬ 勿論このやうな思ひをすることが平常ではないけれど、またこんなこ とを思ってみたところでどうなるものでもないとは思うけれど、時々 かうした淋しさは訪れて来て、もうどうしやうもなくなるのだ⋮⋮ ・︵人と話が合ふも合はぬも 所詮は血液型の問題ですよ︶?・:⋮・ さう云ってけろけろしてゐる人はしてるもいい⋮⋮ さう云ってけろけろしてゐる人はしてるもいい⋮⋮ けろ出来ればなんといいこったらう⋮⋮ ︵略︶ そして、 yl ︵人と話が合ふも合はぬも 所詮は血液型の問題ですよ︶と云って
一〇八 高知大学学術研究報告 第三十七巻︵一九八八年︶︵人文科学︶ 僕も、万事都合といふことだけを念頭に置いて 考えたって益にもならない、こんなことなぞを考へはしないで、砂く も今在るよりは裕福になってゐたでもあらうと⋮⋮ ﹁人と話が合ふも合はぬも/所詮は血液型の問題ですよ﹂というのは、 輸血のときの血液型の適合から連想したものと思われる。ここにも、中 原の父親の影響があらわれてい’る。父親。の専門は外科であったから’、生ヽ 家の中原医院では尹術がひんぱんに行われたであろう。。そして、手術の とぎには貧血をする・ことがありヽ輸血のときには血液型が適合しな扮れ ぼい出ないという知識は、門前の子僧で中原は知っていたと思われる句 であ石。。 ’︰t’ し ’・ノ 。’一‘ ゛⋮⋮⋮ ゛yいIご t・ ”\ l j l°゛ ’﹃’ Iχ・ ” ・ ″ ’ ` ヽ ’ `i ’り’ a ・ j゛ 五、おわりに 以上のように、﹁血﹂やそれに関連した言葉が、中原の詩や日記の中 に頻出することが確かめられた。ところで、﹁血﹂は生命の象徴である とともに死の象徴でもあるが、中原は﹁動脈管﹂とか﹁赤血球﹂のよう な、あからさまに生命の象徴として使われる言葉は、詩の中では使って いない。これに対して、﹁静脈管﹂とか﹁白血球﹂のように、生命の象 徴とは必ずしもいえない言葉を使っている。また﹁血﹂という言葉にし ても、未発表の詩や日記の中では、生命の象徴として多用しているが、 自選詩集の中では、﹁血﹂は死の象徴としての使い方が目立っている。 このことは、生の中に死をみるという中原の生命観のあらわれであろう。 そして、このような生命観をいだくようになったのは、医者の家に育っ たことが関係していると考えられる。 中原の年譜によると、彼がI〇歳のとき、父親が軍医をやめて、自宅 で医院を開業している。父親の専門は外科であった。また、中原は、少 ︵a年時代、通学以外にはほとんど外出を許されなかった したがって、自 宅兼医院の中ですごす時間が非常に多かった。このような環境であれば、 当然、血のついたガーゼや説詣綿を見る機会も多かったであろう。この ことが、血についての関心を呼ぶことになったであろうし、門前の子僧 で医学用語にも親んだであろう。そして又、医院では、時には患者が死 ぬこともあろう。このようなことを見聞きすれば、﹁血﹂が生と死の象 微であることを幼くして心の深層に植えこむことになろう。以上のよう 註 ︵1︶ 吉竹博﹁中原中也の身体意識﹂高知大学学術研究報告第37巻︵人文科学︶、 昭63。 ︵2︶ 土居光知が選定した基礎日本語︵一〇八五語︶の中の身体語︵体、頭、 目、耳などの三五語︶。 ︵3︶ 中村稔﹁名詩鑑賞中原中也﹂講談社、昭54。 ︵4︶ 第十二胸椎というような解剖学の用語が突如とび出してくるのも、父親 が医者であることの影響であろう。 ︵5︶ 飛高隆夫﹃中原中也と立原道造﹄秋山書店、昭51。 ︵6︶ 白血球が異常にふえると白血病になる。白血病は血液のガンであり、死 をもたらす。 ︵7︶ 飛高隆夫は、前掲書で、﹁この表現は津村信夫の詩における生命の充溢
感の欠乏を、中原独自のいいまわしで指摘したもの﹂とのべている。なお、 血液の正常な状態では明八・二であるから、弱アルカリである。したがっ て、中原のこの記述は医学的に正しい。このような正確な医学知識を持つ ていたことも、父親が医者であることの影響であろう。 ︵8︶ 中川米造﹃医療の文明史﹄︵日本放送出版協会、昭63︶によれば、一九〇〇 年︵明治三十三年︶にオーストリアのランドスタイナーが血液型にA、B、 ○、Jの四つがあることを発見した。しかし、採血したものが凝固するの を防ぐ方法がなかったので、血液型の発見は直ちに輸血に結びつかなかっ た。一九一四年︵大正三年︶にクェン酸ソーダをまぜればよいことが知ら れ、これによってはじめて輸血ができるようになったのである。中原のこ の詩が書かれたのは、昭和十年から十二年の間と推定されているから、輸 血が可能になってがら二十年ほどしかたっていない。したがって、現在ほ ど教育の普及してなかった当時の庶民にとって、このような知識は一般的 でなかったと推測される。 もうひとつの解釈として、﹁人と話が合ふも合わぬ﹂を﹁血液型﹂と結 びつけているから、血液型と気質に関係があるという学説に影響されたと 考えるのはどうだろうか。当時、東京女子高等師範学校︵現、お茶の水女 子大学︶教授の古川竹工が、このような説を発表し、社会的反響をよんで いた。彼は、昭和七年に﹁血液型と気質﹂︵三省堂︶を出版した。私はこ の本を見たことはないが、﹁心理学研究﹂第七巻︵昭和七年︶に、牛島義 友︵のちに、九州大学教授︶が古川の本の紹介をし﹁近時の心理学的研究 題目中、血液型と気質の問題ほど有名になったものはあるまい﹂と沓いて いる。︵古川は﹁心理学研究﹂の第二巻と第六巻にも論文を発表している︶。 血液型と気質の関係は、現在では否定されている︵ただし、信じている人 ’は多い︶が、この問題のルーツは古川説である。この詩が書かれたのは、 古川の本がでたあとであるが、中原が古川の本を読んだとか、古川説に関 心を持っていたという証拠はないので、私はこのような解釈はとらない。 ︵9︶ 中原思郎﹁事典・中也詩と故郷﹂︵吉田煕生編﹁中原中也必携﹂学燈社、 昭56、所収︶ ︵10︶ 中原思郎︵中也の弟︶は、前掲書の中で次のようにのべている。﹁当時 の医院には済製場があった。包帯、ガー・ゼ、脱脂綿などを洗濯、消毒する 一〇九 中原中也の身体意識︵2︶ ︵吉竹︶ 部屋である。直径︸メートルもある消毒釜に水を入れ、沸騰させ、汚れも のを煮沸する。薬品は石炭酸で、蒸気いっぱいの部屋は石灰臭い。﹂なお、 ﹁在りし日の歌﹂の中の﹁月﹂という詩に、﹁済製場﹂という言葉がでている。 月 今宵月は襄荷を食ひ過ぎてゐる 済製場の屋根にブラ下った琵琶は鳴るとしも想へぬ 石灰の匂いがしたって怖けるには及ばぬ 潅木がその個性を砥いでゐる 姉妹は眠った、母親は紅殻色の格子を締めた’。 ︵略︶ ︵昭和六十三年九月 七 日受理︶ ︵昭和六十三年十二月二十七日発行︶