芸術を通しての教育 : 総合学習への接近
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(2) (図画工作)教育は必要か」ということについて的確な把握がなく、美術(図. こまし力弍き. コ ゆ の ロ . 画工作)を教える教科として提える、所謂「芸術の教育」に終始している場合 が多い。当然、学校現場では絵画、彫塑などの技巧的表現力の育成こそ美術(. 近頃、小学生あるいは中学生を対象とした進学塾・学習塾に関わる記事が新. 図画工作)教育であると信じ、よい作品づくりを目標にしている教師が多い。. 聞紙上をにぎわしている。激しさを増す生徒獲得合戦、学習塾による公教育批. しかし、画塾や趣味の教室と違い、美術(図画工作)が学校教育に位置づけ. 判、そして登校拒否の奨励等々、しかも世の多くの親もまた自分の子をよい学. られているのは、それが人間形成のために欠けてはならない役割をもっている. 校に入れることだけしか考えないことがこれら“塾熱”をあおる一因でもある。. からである。学校教育において、それは総ての人聞にとって大切な心の育成、. 確かに、我が国の高度成長には有能な人材の育成・確保が寄与して来たのは. 人間を豊かにするものであり、他の教科では果たし得ない役割を美術(図画工. 事実であり、人材確保の手っ取り早い方法は学歴優先、能力優先であったが、. 作)教育がもっていることを自覚しそれを達成するような実践を我々は行わな. しかし戦後の社会はその方面ばかりに目を向けられ、本来、人間教育のための. ければならない。即ち、美術(図画工作)教育で大切なことは、子供たちを取. く学校教育〉が歪められ、世をあげて進学態勢に傾き学力重視の風潮となって. り巻く環境の中から主題を選び、それとどう関わらせどう育てて行くかという. しまったのである。. 言わば「芸術を通しての教育」であると言えよう。. よい高校よい大学へ入れることが将来の生活に結び付くと信じ、そのために は学校の教育だけでは不十分とばかり子供を塾へ行かせ、勉強勉強と追いやる ことしか念頭にないのが親だけならまだ救いもあろうが、今や学校の教師まで も入試に向けての指導しか考えない者が多いのが実情である。 〈学校教育〉は、集団指導の中で個々のく子供〉の発達にも目を配り、 〈社 会〉とく人間〉、 〈自然〉とく人間〉との正しい関わり方に気付かせ、望まし. い人格の完成を目指す場である。学力優先、学歴偏重の社会に出て、少しでも 優位につくためには入試対策あるのみとは余りに自己本位であろう。. 学校現場に主要教科と周辺教科という表現がある。いうまでもなく、主要教 科とは入試などで重要視される知的理解が主となる科目のことであり、それら は学校現場において、あたかも主役顔で父母や子供に接しているのである。. 本来、人間形成の上から見ると、軸となるのは“主要教科”から得られる情 報としての知識の量ではなくして、人闇の内面の心であろう。教育界の実態を 正常に戻すべく発足した臨教審も「知育だけでなく、社会性や情操なども含め 心身の全体的調和的発達を図る」という考え方に基づいて、教育内容の基本的 在り方を示している。臨教審のその視点に勿論誤りはない。しかし、具体的な 改革となると、まだそれは充分に論議しつくされているとは思えないのである。. それでなくても、美術(図画工作)といった教科に関わる教師には「なぜ美術. 1. さて、本論文において私はく教育〉の問題についてデューイのく教育哲学〉. を中心に考察して行くことから出発したいと思う。言うまでもなく、デューイ の哲学はく子供〉とく社会〉、 〈経験〉とく芸術〉とを常に同時に視野に入れ. そしてそれぞれ両者を統合し、更にそれらを総合しようとする〈広い視野〉と く堅実な三方〉とに立つものであり、そのようなデューイの〈教育〉観を正し く理解した上で、 〈教育の究極の問題〉がく芸術〉 (〈表現〉)と如何に関わ. るのかを検討して行くことにより、学校における「一つのく授業〉の在り方」 としてのく総合学習〉への接近を試みることが私の目的である。.
(3) 次. 目. B.活動的な仕事の社会的側面…一一…一…一……一一………一…一一一一…一一…74. C.表現としての共同活動としての活動的な仕事……一一一…一一一一一…一一80 第三節 活動的な仕事としての授業一一一一一……一……一一一……一一…………一…一82. はしがき. 1.活動的な仕事による授業の:革新一一………一…一一一一一一一…一一一…一…一一83 第一・章 総合学習原論…一一一一……一…一一一…………一……一…一…………一…一一一1. A.学校における社会的態度の変化一一一一一…一…一…一…一……………一…83. 第一節 表現としての共同活動への参加を通しての精神の成長と. B.授業における活動的な仕事による表現の成立・一一……一……一一一87. しての教育・……………一一一一一………………一一一…一一一…一………一一一…2. C.授業における活動的な仕事による興味の喚起一一……一…一一一一…一一一93. 1.表現の展開を通しての経験の改造………一一…一一…一一…一…一……一一…4. 2.総合の中核としての活動的な仕事…………一……一一一………………98. A.既に激しく活動的な存在としての子供・…一一一…一一…一一一一一一一…一一一…4. A。総合の中核としての活動的な仕事・一一……一…一一一一一一…一一一…一101. B.経験の改造としての成長・一一一一一………一一…一…一…一一一……一…一…一…7. B.活動的な仕事とより形式的な教科・一…一一……一一…一一一一…一一一一…一一一104. C.経験の改造としての教育一…一一………一一一一一一………一……一…一一一一一一一一11. 3.総合の根拠・………一一一一…一一一……一……一一一一…一一一一一一一一一一一一一一一一111. D。表現としての教育・一一一…一一………一一一……一一……一…一一一一…一一一一…一一…20. A.社会的活動の基本的形式一一一一一一……一一…一…一…一一一……一一一一一一一…lll. 2。共同活動への参加を通しての精神の形成…………一一一一一一一一一……一…32. B。一つに纏まった経験という共通の基盤・一一…一一…一…一一一一一一…一一114. A.社会化としての教育一…一……一一一一一一一.一一一………一一…一一一一一一一一一一………33. B.社会による人間の形成・一……一……一一…一………一……一…一……一…34. 第二章 表現としての授業一…一一一…一一・一一…一一一一…一一一一一…一一一一一一…一…122. C.i環境による間接教育一一一一一一一一一一一…一一一一一一一……一…一…一一一一一一一……一一一一36. 第一節 経験としての芸術・一……一一一一一一…一一一……一一一一一…一…一一一一一一一一123. D.共同活動への参加を通しての行動の性向の形成・………………39. 1.経験と芸術の連続性の回復・一…一一一一…一一一一一一一一一一一一…一一一…一一一一……123. 3.表現としての共同活動への参加を通しての精神の成長……一…一一.43. A.経験と芸術の連続性の回復・一…一…一一一…一一一一一一一…一…一一一…一一一124. A.表現としての共同活動への参加を通しての精神の成長…一……43. B.芸術隔離説が生ずる歴史的理由一一一…一一一…一一…一一一一一…………一128. B.人間の本来の在り方としての表現としての共同活動………一…45. 2。一つに纏まった経験・一一一一一…一一一一一一…一一一…一……一一一…一一一一…一一一134. C.表現としての共同活動としての学校と授業・一一………一…一一一一一一…48. A.一つに纏まった経験一一一一…一一一一一一……一一…一一一一一・一…一一一…一135. 第二節 表現としての共同活動としての仕事……一…一一……一一一……一……49. B.一つに纏まった経験を可能ならしめる美的性質一…一一一一一一一…一一139. 1.特殊な環境としての学校一一……………一一一一…………一一……一……一…50. C.満足すべき情緒的性質としての美的性質一……一一……一一一一……145. A.デザインされた環境としての学校・一一…………一…一一……一………50. D.一つに纏まっていない経験…一一一一一一一一……一一一一…一一一一一一一一一一一一一一149. B.社会としての学校・一一…一一………一一一一一一一…一…一一…一一一一…一一…一一一一56. 3.芸術としての経験一一……一一一一一一一一一一一一一一一…一一一一一…一一一一一一…一一一一一一一153. C.一つの共同体生活の形式としての学校………一一……一一一一……一一一一58. 第二節 表現としての授業・一一一………一……一…一一一一一一…一一……一一一…一一…一…159. 2.活動的な仕事の機能一…………一一一…一…一一…一…一一一…一…一一一一一…一一一60. 1.意味との関わりにおける表現…一一一一…一一一一一一一一…一……一一一一一一一160. A.教育の究極の問題一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一………一一一一一一一一一一一一一一一一…61. A.意味を纏った経験としての表現・……一一一一一一一一一一一一…一一一…一160. B.活動的な仕事による調和の実現・…一一…一一一一一一…一一一一一一一一一一…63. B.芸術としての表現一一一一一……一一一一一一一一一u……一一…一一一一一一一一一一一168. 3.表現としての共同活動としての活動的な仕事…一………一一一一…一一…67 A.活動的な仕事の心理的側面t一一…………一一…一………一……一…一一…68. ]ll. V.
(4) 2.媒体との関わりにおける表現一一一一一一一…一一一一一一一一……一………一一一一174. 2.第二学年総合学習指導案一一一一一一……一一一一一一一一一一一…一一一一一一一一一一一一……230. A.媒体との関わりにおける表現一一一一一一一一一一一一一一…一一一一一………一…一一一174. 1.主題名・一……一一…一……一…一一一一一一一………一一一一一一一…一一一一一一一一一一…一一一一一230. B.芸術的表現における媒体……一一…………一一一…一一…一一一一一一一…一…一一177. 11.主題について一……………一一一一一一一一…一一一一一一一……一一一…一…一一一一…一…一230. 3.情緒との関わりにおける表現一一一一…一一…一一一…一一一…一一…一一一一一一一一180. 皿.目標i一一一一一…一一一一一一一一一一一一一一一一一……一……一…一………一……一………一一一一一231. A。情緒による素材の選択作用・一一一…一一一………一一…一…一一一一一一一……一一180. 1V.指導計画・一一一一一一一一一一一一一一……一……一一一…一一一一一一一一………一一…一一一231. B.発展的情緒としての表現・一…一一一一一一一一一一………一一一一一一一一…一一一…185. V.授業展開・一一一一一一一一一……一一一…一一一一一一一一一一一一……一一一一一一一一一一一一一231. 第三章 表現としての授業過程……………一…一一…一一…一………一一一……一一191. 結語(論文要旨)一………一…一一一一一……一一一一一一一…一…一一一一…一一一一一一一一…一一一一一……一一一一一一238. 第一節 教育課程と授業過程・……一一一一………一一一一一一一一一一一一………一…一一一一…一192. 引用文献・…一一一…一………一…一. 一一一一一J.一一.一一.m.m一.n一一....rr”T.T..T+一一JJ−J−J一一一一一一一m一一r”m..一一一+. @241. 1.教育課程とその構成原理…一一一一…………一一一一一一一一一…一…一一一一一……一192. 参考文献・一一一一一一一…一一…一…一一…. 一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一. @242. A.第一期・……一………一一一一一一…一一一…一一一…一…………一一一一一…一……一一一一一195. 附 記一…一…………一一…. 一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一+一一一一. @244. B.第二期一………一一一一一…一一一一一……一一………一…一一一一一一一一一一一一一一一一…197 C。第三期・一一一一一…一一……一一一……一一一…一…一一一…一一一一一一一一一一一一一一…198. D。第一期における仕事としての指導原則・一一一…一一一一…一一一一一……一199 E.技術の習得に関わる諸問題・一一一一…一一一一一…一一一一一一一…一一一一一一…207. 2.表現としての授業過程一……一一一一一一……一一一一一一…………一…一……一一…210 A。感動的状況・一……………一一一一……一一…………一一一一……一……一一一一一一一211. B。題材の自己設定.一一…一一一一一一一一一一一……一一一……一……一一一…一一214 C。焦点化………一一一一…一…一一…一一一一……一一一一一……一一一…一一……一一215 D.制作(追求) ・一…一一一一一一一…一一一一…一……一一一一一一一一一一………一…一…217 E.終わりの対話…一一・一一一一一一………一一一一一一…一一一………一…一…一一一一一一一一一一一一一219 第二節 実際の授業計画・一一一…一一一一…一一一一一一一一一…一一一一一一一…一一…一一一一一一一一一一一一一…一一221. 1.第一一学年総合学習指導案・一一一一一一一一一一…一一一一一…一一一……一一……一一222 1.主題名・……一一一一一一…一…一………一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一……一一一一…一222. 11.主題について・一…一一一一………一一一……一一一一一一一一一一…一一………一………一222 皿.目標…一…一一一一一一一……一…一一一…一一………一一一一一一………一一一一……一一…223 1V.指導計画・一一一一一…一一一一一一一一一…一一一一一一一一一一一一一一……一一一一一一一一一一一…一223. VD学習の発展一一一一一一……一一一一一一…一……一一一一…一一一一…一一一一一……一一一223 VI.授業展開・一一一一一一…一一一…一一一一一一一一一……一一一一一一一一………一一一一一一一一一一一一…一一224. W.他教科への展開・一…一一一一……一一一一一一……一………一一一一一…一一…………229. v. V.
(5) 第一一章 総:合学習原論. 第一節 表現としての共同活動への参加を通しての 精神の成長としての教育. 本章において、我々は〈総合学習〉の問題をデューイを中心に考察すること にしたいと思う。普通であれば、まず始めに(当然のことながら)「総合学習. 「教育とは何か」という問いに対し、杉浦は『デュ・・一イにおける総合学習の. とはなにか」という問いが回せられ、そして、このような問いが発せられると. 研究』において、「〈教育〉とはく探究としての共同活動へ参加することを通. 獅モノく総合学習の本質〉をつく言葉が解答として提出されるのが常であると. して精神が成長して行く過程〉である」という(デューイにおける) 〈教育〉. 一一. 言ってよいであろう。. についての彼自身の定義を提出している。. しかし、ここで我々は余りにも形式的に過ぎると思われるかも知れない解答. そして、続いて彼は〈探究としての共同活動〉こそ(デューイにおいては). を提出することにしたいと思う。即ち、それは、 〈総合学習〉は「一つのく授. 業〉の在り方」であるということであるe そして、普通に〈授業〉のことが問題になると「教育とは何か」ということ とは直接的な関わりなしに、 〈授業の過程〉とかく授業の設計〉とかというこ. とが論議されるのであるが、このような論議の進め方は必ずしも充分な進め方. 〈人間の本来の在り方〉にほかならず、 〈社会の本来の在り方〉にほかならず、 従ってまた、 〈学校の本来の在り方〉にほかならず、 〈授業の本来の在り方〉. にほかならないが故に、 〈学校〉はく探究としての共同活動体〉として組織さ れなければならず、 〈授業〉はく探究としての共同活動〉として展開されなけ ればならないと主張するのである。. ではないように思うのである。. このようにく教育〉一く学校〉一く授業〉をく人問の本来の在り方〉 (〈社. 言うまでもなく、 〈授業〉は「学校におけるく教育〉の一つの在り方」であ. 会の本来の在り方〉)としてのく探究としての共同活動〉を手がかりとして捉. り、従って当然のことながら、〈授業〉についての考察は「教育とは何か」と. えようとする態度こそ彼のデューイ教育学理解の基本的立場であるが、本節に. いうことの検討を内に含んでいなければならない。. おいては、何故に彼がこのようなデューイ教育学理解の基本的立場を取ろうと. そこで「一つのく授業〉の在り方」としてのく総合学習〉そのものの考察を. するかについて明らかにしたいと思う。. 進めるにあたり、我々はまず第一・節において「教育とは何か」ということにつ. それは言うまでもなく、そうすることがデューイにおいて「教育とは何か」. いて考察し、次第に「一つのく授業〉の在り方」としてのく総合学習〉につい て明らかにして行きたいと思う。. ということを問うことであるからである。 ところで、杉浦は(デューイにおける) 〈教育〉の最終定義の中の〈探究〉. を次のように解釈している。即ち、彼は定義の中の〈探究〉をく人間の考える. 1. 2.
(6) 働き〉としてのみ捉えるのではなく、 〈人間の作る働き〉 〈人間の表す働き〉. 註. としても捉えようとするのである。. (1) Dewey,J.,The Child and the Curriculum,1902,pp.7−8.. 言葉を換えるならば、彼は定義の中のく探究〉を人間の、{1)〈作る〉一く労. (訳は、杉浦美朗『デューイにおける総合学習の研究』,1985,3−4頁参照). 働〉一〈技術〉、②〈考える〉一く思考〉一く科学〉、(3)〈表す〉一く創造〉. 一く芸術〉という三つの働きの統合体として理解しようとするのである。 (こ のことについては、後で明らかにされて行くと思われる。). 1.表現の展開を通しての経験の改造 本項において、我々は〈子供〉との関わりにおいて「教育とは何か」という. さて、我々は本論文を進めるにあたり、 (「芸術を通しての教育」というテ. ことについて考察することにしたいと思う。. ーマからもわかるように) 〈探究〉の三つの働きに関わって、特に、 〈表す〉. 繰り返すまでもなく、 〈教育〉が「〈子供〉とく社会〉とのく働き合い〉」. (〈芸術〉)という働きを中心に考察を進めて行くことから、 (先の)教育の. である以上このことは当然のことである。. 最終定義の中の〈探究〉という言葉に代わって〈表現〉という言葉を使って行 くことにしたい。. A。既に激しく活動的な存在としての子供. さて、本節における考察はデュ・一一イにおいて「教育とは何か」を問うという. さてデューイにおいて、 〈子供〉という観点からく教育〉はいかなる働きと. 形において進められるわけであるが、その時、我々はく子供〉とく社会〉とい. して捉えられているであろうか。. う二つの観点から考察を進めることにしたい。何故ならば、『子供と教育課程』. このことを明らかにするべく、我々はまずデューイがく子供〉をいかに捉え. の中において、デューイ自身が次のように述べているためである。. ていたかということから考察を始めることにする。. 「〈教育の過程〉の基本的要因は〈未熟で未発達な存在〉 (〈子供〉)と成. 我々は何より、次のような『学校と社会』の中の言葉を借りることにする。. 人の成熟した経験の中に具体化されているくある種の社会的な目的・意味・価. 即ち、デューイは言っている。. 値〉 (〈社会〉)である。 〈教育の過程〉とはこれらの諸力(<未熟で未発達. 「〈子供〉は(我々が抽き出すより以前に)既に走り廻り、物を引き散らし、. な存在〉一〈子供〉とくある種の社会的な目的・意味・価値〉==〈社会〉)の ‘り く十全な働き合い〉にほかならない。」. あらゆる類の活動をしている。 〈子供〉は(彼の内にある)ある隠れた活動の. 萌芽を成人が次第に抽き出すために大きな注意をもって接近しなければならな. ともあれ、このように、本節において我々はく子供〉とく社会〉という二つ. いく純粋に潜在的な存在〉ではない。 〈子供〉は(fi leが抽き出すより以前に). の観点から考察を進めて行くことにする。. 既に激しく活動的であり、〈教育〉の問題1まこのく子供〉の諸々の活動を撒・ (り それらに方向を与えるという問題である。」. 3. 4.
(7) 続いて、我々は次のような「教育eF応用された児童研究の成果」の申の言葉 を借りることにする。即ち、彼は言っている。. 「ある所与の年齢において現れてくる現象を(いかなる仕方においてであれ) 〈自己説明的なもの〉ないし〈独立自足的なもの〉 〈それら自体において. 「(〈教育〉の)基本原理は次の通りである。・〈子供〉は常に現存しており、. 究極的に有意義なあるもの〉 として取り扱うことは、不可避的に〈子供〉. 緊迫しており、従って誘導されたり、抽き出されたり、開発されたりすること. を甘やかしたり、スポイルしたりすることに結果する。…・いかなる〈能力〉. を必要としない〈彼自身の活動をもった存在〉である。教育者一両親であろ. もそれらの所与の現在のレベルにおいてく既に完成されたもの〉ないし〈それ. うと教師であろうと一の仕事は、そのく子供自身の活動〉を確かめ、それら. ら自体において究極的に有意義なもの〉として取り上げられる時には、それは. に適切な機会や条件を供給することに1まかならない禽. 甘やかされることになってしまうであろう。いかなる〈能力〉の純正な意味も. このように、デューイによれば、 〈子供〉はなによりもまず(我々が抽き出. 〈より高いレベルに向かってそれが生み出す推進力〉の内にこそある。いかな. すより以前に) 〈既に激しく活動的な存在〉であり、 (誘導されたり、剥き出. るく能力〉も、正にくそれをもって何事かを為すべきあるもの〉である。 〈現. されたり、開発されたりすることを必要としない) 〈彼自身の活動をもった存. 在のレベルにおける興味に訴えること〉は(〈子供〉を) 〈興奮させること〉. 在〉である。. を意味している。 〈現在のレベルにおける興味に訴えること〉は明確な成果に. しかし、 (いま引き合いに出した言葉の中の)「〈教育〉の問題はこの〈子 供〉の諸々の活動を捉え、それらに方向を与えるという問題である」、「教育. 向かってあるく能力〉を方向づけることなく、それを絶えず弄んで、ついには (3? それを苛立たしめることを意味している。」. 者 両親であろうと教師であろうと一の仕事は、その〈子供自身の活動〉. デューイにおいて、 〈子供の自発性を尊重すること〉は決して〈子供を彼自. を確かめ、それらに適切な機会や条件を供給することにほかならない」という. 身の指導を受けないままの自発性に委ねること〉を意味しているのではないの. (〈教育〉に関わる)主張によっても示唆されているように、デューイにとっ. である。. て〈子供〉をなによりもまずく既に激しく活動的な存在〉であり、 〈彼自身の. 註. 活動をもった存在〉として捉えることは、 〈子供の現在の能力と興味〉を〈そ. (1) Dewey,J.,The School and Society,revised edition,1915,p.37.. れら自体において究極的に有意義なあるもの〉として捉えることではない。. (訳は、杉浦美朗『デューイにおける総合学習の研究』,1985,37頁参照。. もしそうであるとするならば、デューイは〈誤れる児童中心主義教育〉に陥. 以下同様に扱う。). っていると言わざるを得ない。しかし、 〈子供の現在の能力と興味〉に関わっ. (2) Dewey,J., “Results of Child−Study Applied to Education ”in The. て次のような『子供と教育課程』の中の言葉が彼の真意を伝えるのである。即. Early Works,5,1972,p.204.(前掲書,37頁参照。). ち、デューイは言っている。. (3)Dewey,J.,The Child and the Curriculum,1902,p.21.(前掲書,38−39頁). 5. 6.
(8) B.経験の改造としての成長. 葉を借りることが出来る。即ち、デューイは言っている。. 前項において明らかなように、デューイは決して「〈教育〉とはく子供を彼. 「(〈子供〉という) 〈生命〉があるところには、すでにそこにくむさぼる. 自身の指導を受けないままの自発性に委ねること〉である」とするく誤れる児. ような情熱を込めた活動〉がある。 〈成長〉ということは、そのような活動を. 童中心主義〉には陥っていないのである。けれども、ともあれ彼にとっては、 〈子供〉は(我々が幽き出すより以前に) 〈既に激しく活動的な存在〉であり. (誘導されたり、抽き出されたり、開発されたりすることを必要としない)、 〈彼自身の活動をもった存在〉なのである。. している〈子供が為す何ごとか〉であって、 〈子供に対して為される何ごとか〉 (2). ではない。」. このように「〈成長〉ということは…・〈子供が為す何ごとか〉であって、 〈子供に対して為される何ごとか〉ではない」というわけであるが、そのよう. そして、デューイによれば、このようにく既に激しく活動的な存在〉である. なく成長〉の本質 言うなればく子供が為す何ごとか〉の内容 をよりょ. く子供〉は、正に〈彼自身の活動〉を基盤にして成長して行く存在である。. く理解するために、我々はく未熟性〉の二つの主要な特性、即ち、 〈依存性〉. そこで、次に当然のことながら、「成長とは何か」ということになるのであ. とく可塑性〉とについて考察しなければならない。. るが、デューイによれば、まずく成長〉の基本的条件は(〈子供〉の) 〈未熟 性〉であり、 〈成長〉を正しく理解するためには、我々はこのく未熟性〉を正 しく理解しなければならない。. まず始めに、 〈依存性〉についてであるが、 〈依存性〉は一般に動物の子の. く独立性〉に対する人間の〈子供〉のく依存性〉という形において問題にされ ている。. そして、 〈未熟性〉を正しく理解するならば、 〈未熟性〉はく成長の可能性〉. 動物の子は生まれるやいなや自然界に巧みに適応して行く能カー〈独立性〉. を意味しており、「〈未熟性〉がく成長の可能性〉を意味するという時、そこ. 一を持っている。しかし、デューイによれば、このことは動物の子の生活が親. において我々は〈後の時期に存在するであろう能力が現在いま存在しないこと〉. 達の生活や社会の生活とは密接な関連を持っていないが故に、言葉を変えるな. を意味しているのではなくして、 〈積極的に現存している能力〉即ち〈成長す. らば、彼らはく社会的恵与〉において欠けているが故に、 〈自然的恵与〉にお. (り る能力〉を意味している。」. (3) いて富んでいるということの証拠である。. このように、 〈成長〉の基本的条件としてのく未熟性〉はく成長の可能性〉. それに対して、人間のく子供〉は自然界においては、正にく無力〉である。. を意味しており、 〈成長の可能性〉とはく成長する能力〉のことにほかならな. しかし、デューイによれば、夕闇のく子供〉のく自然的無力性〉はく社会的恵. いのであり、 〈既に激しく活動的な存在〉であり、 〈彼自身の活動をもった存. 与〉によって償われている。即ち、彼らが、正に自然的に無力であるが故に、. 在〉であるく子供〉のく未熟性〉はこのような、正に〈成長する能力〉として. (4) 親達を中心に成人が彼らの生存を助けてくれるのである。. のく未熟性〉である。そこで、我々は次のような『民主主義と教育』の中の言. 確かに、親達を中心に成人によって自らの生存を助けられるということは、. 7. 8.
(9) の . 入闇のく子供〉は彼らに、正に依存しているということである。しかし、逆に. おいて発揮されて〈経験の改造ないし改組〉という形における〈成長〉が展開. 考えるならば、このことは親達を中心に成人の助力を呼び込むということであ. されて行く姿については次項において考察することになっているが故に、ここ. の . り、この助力を呼び込むということは(動物の子にはない)人間のく子供〉の. ではく可塑性〉というく経験から学ぶ能力〉を中心に考察すると) 〈可塑性〉. 強みである。それはく社会的能力〉であると言ってよい。 〈依存性〉はく社会. というく経験から学ぶ能力〉はく一つの経験から後の状況の困難を処理するの. ‘5,). 的能力〉という意味におけるく能力〉なのである。. に役立つ何ものかを取って来て保持する能力〉であり、 〈前の経験の成果に基. 次に〈可塑性〉についてであるが、デューイによれば人間の〈子供〉のく可. づいて行動を変容する能力〉にほかならなかったが、この〈一つの経験から後. 塑性〉は石膏やワックスが外部からの圧力に従って形を変えて行くというく受. の状況の困難を処理するのに役立つ何ものかを取って来て〉 即ち、 〈前の. 容性〉を意味するのではなくして、彼らが自分達自身の本質を失うことなく、. 経験の成果に基づいて〉 〈行動を変容すること〉こそく経験の改造ないし. しかも彼らの環境の影響を受け容れて行くというく柔軟な弾力性〉を意味して (6). (g). 改組〉にほかならない。. このように、 〈経験の改造ないし改組〉が成長の基本的条件であるく未熟性〉. いる。. あるいは、さらに強く言うならば、人間の〈子供〉のく可塑性〉はく経験か. の一つの主要な特性としてのく可塑性〉即ち〈経験から学ぶ能力〉の具体的姿. ら学ぶ能力〉である。即ち、それはく一つの経験から後の状況の困難を処理す. であるというのであるならば、 〈経験の改造ないし改組〉とは、正に〈成長〉. るのに役立つ何ものかを取って来て保持する能力〉であり、 〈前の経験の成果. にほかならないであろう。. に基づいて行動を変容する能力〉である9. 註. このように、デューイはく未熟性〉の二つの主要な特性、即ちく依存性〉と く可塑性〉とを〈社会的能力〉および〈経験から学ぶ能力〉として、正に積極. (1)Dewey,J.,Democracy and Education,1916,p。45。(訳は、杉浦美朗『デ. ューイにおける総合学習の研究』,1985,43頁参照。以下同様に扱う。). 的に捉えているのであるが、その二つの主要な特性のいずれもが積極的に〈能. (2)Ibid.,p。50。(前掲書,44頁参照。). 力〉として捉えられるが故にこそ、 〈未熟性〉はく成長の可能性〉、更に言え. (3)Ibid.,p.51.(前掲書,46頁参照。). ばく成長する能力〉を表しているのである。. (4)Ibid.,p.51。(前掲書,46頁参照。). ともあれ、このような〈社会的能力〉としてのく依存性〉とく経験から学ぶ. (5}Ibid.,p.51.(前掲書,46頁参照e). 能力〉としてのく可塑性〉とに基づいて(〈子供〉が) 〈経験の改造ないし改. (6)Ibid.,pp.52−53.(前掲書,47頁参照。). 組〉を展開して行くことこそく成長〉にほかならない。. (7)Ibid.,p.53.(前掲書,48頁参照。). (〈依存性〉という く社会的能力〉がく共同活動〉というく社会的環境〉に. (8)杉浦美朗『デューイにおける総合学習の研究』,1985,63頁。. 9. 10.
(10) C.経験の改造としての教育. 〈経験の改造ないし改組〉としてのく教育〉、即ちく成長としての教育〉の意. 前項において、 〈経験の改造ないし改組〉こそく成長〉にほかならないとい. うことになったのであるが、デューイによれば、このような〈経験の改造ない し改組〉 (〈成長〉)こそく教育〉にほかならないのである。即ち、『民主主 義と教育』の中において、彼は次のように言っている。. 「これまでの諸訳において展開されてきたく教育〉についての考え方は〈教 育〉とはく連続的な経験の改造〉であるという考え方にはっきりと要約され得 る。このような〈教育〉についての考え方は、 〈遠い未来への準備〉としての く教育〉と言った考え方、 〈開発〉としてのく教育〉と言った考え方、 〈過去. ζり の反復〉としてのく教育〉といった考え方とは明確に区別される。」 あるいはまた、デューイは次のように言っている。 「〈成長〉 (〈経験の改造ないし改組〉)はく生命〉そのものの本質である が故に〈教育〉はく成長すること〉と全く一・つである。 〈成長〉 (〈教育〉). (2> はそれ自身を越えたいかなる〈目的〉も持っていない。」. そして、このような考え方は、同じ『民主主義と教育』における(〈教育〉 の)有名な定義に結実する。即ち、「教育とは、経験の意味を付加し、後続の 経験の進路を方向づける能力を増大させるところの、経験の改造ないし改組で. 味を理解することが出来、そこにおいて我々は〈成長としての教育〉がく表現 の展開を通しての経験の改造〉 (〈表現としての教育〉)にほかならないとい うことを見出し得るのである。 (a)まず「〈教育〉とは…・〈経験の改造ないし改組〉である」ということに. 関わって第一に指摘しなければならないことは、 〈経験の改造ないし改組〉は く成長〉にほかならないが故に、「〈教育〉はく成長すること〉と全く一つで q) ある」あるいは「〈教育の過程〉はく絶えざる成長の過程〉である」というこ. とであるが、このことについては既に考察したので、ここではこれ以上触れな いことにする。. 次に、第二に指摘しなければならないことは、 〈経験の改造ないし改組〉は く生きること〉ないし〈生命過程〉そのものにほかならないが故に、「〈教育〉 (s) はく生きること〉ないしく生命過程〉そのものである」ということである。 『民主主義と教育』の中において、デューイは次のように言っている。. 「〈生物〉は自らの活動を連続させるために、もし自分が征服しなければ逆 に自らが征服されるが故に、 〈環境のエネルギー〉を自ら進んで征服し支配し (6) て行く、そのような存在である。」. (s>. ある。」. 続けて彼は次のように言っている。即ち、「(この意味において) <生命>. (1にの(〈教育〉の)有名な定義について我々は、(a)「教育とは・…経験の. o) とはく環境に対する働きかけを通しての自己更新の過程〉にほかならない。」. 改造ないし改組である」という主文と、(b) i.「経験の意味を付加する」と. いうこと及び、ii 「後続の経験の進路を方向づける能力を増大させる」とい う条:件文とにパラフレーズし、それぞれについて考察しなければならない。. なぜならば、これらの意味を明らかにすることによってはじめて、我々は、. 11. このような、 〈環境に対する働きかけを通しての自己更新の過程〉としての. く生きること〉ないしく蛉過程〉はまた、〈行動の事柄〉としてのく経験廼 が自らを改造し改組して行く過程、即ち〈経験の改造ないし改組〉にほかなら ない。なぜならば、 〈行動の事柄〉としてのく経験〉はく生きること〉ないし. 12.
(11) (9) 〈生命過程〉にほかならないが故である。. まず、第一の条件である、i.「経験の意味を付加する」、即ち〈意味の増. そして、 〈経験の改造ないし改組〉がく生きること〉ないし〈生命過程〉そ. 加〉ということであるが、このことについて、我々はまず次のような『民主主. のものにほかならないとするならば、 〈経験の改造ないし改組〉として定義さ. 義と教育』の中の言葉を借りることが出来る。即ち、デューイは言っている。. れる〈教育〉は当然のことながらく生きること〉ないし〈生命過程〉そのもの. 「〈意味の増加〉ということは、我々が従事しているいろいろな活動の間の. にほかならないのである。. 結合や連続の知覚の増大ということに対応している。一体、人間の活動という. ここにおいて、我々は〈生きること〉ないしく生命過程〉一く経験の改造な. ものは衝動的形式を取って始まる。即ち、それは盲目的である。それらは自ら. いし改組〉一〈成長〉一く教育〉というデューイの基本的な考え方をつかむこ. がいかなるものであるかを知らない。言葉を換えるならば、それは自らと他の. とが出来るのである。. いろいろな活動との相互作用がいかなるものであるかを知らない。所謂〈教育〉. (b)続いて、i。 「経験の意味を付加する」及び、 ii。「後続の経験の進路を. とか、 〈教授〉とかを伴っている活動とは、このような〈いろいろな活動の間. 方向づける能力を増大させる」という二つの条件についてであるが、まず第一. の結合や連続〉のいくらかを我々に意識させてくれる働きをする活動のことで. に指摘しなければならないことは、これらの二つの条件は〈経験の改造ないし. ある。身近な事例に返って、もし〈子供〉が輝いた光をつかもうとするならば、. 改組〉としてのく成長〉がく教育としての成長〉であり得るための条件であり、. 彼は火傷する。そこで、彼は、ある視覚の動きとある触覚の動きとが結合され. そしてそれらはく連続性の原理〉の具体的表現であり、更に言えばく知性の原. る時、それ(〈結合〉)は熱と苦痛とを意味する、あるいは、ある光は熱の源. 〈le>. 理〉の具体的表現である、ということである。. を意味するということを知ることになる。…・このようにして、ある事象に関. 即ち、『経験と教育』の中において、デューイは「ある特定の方向における. わって彼の行動はより一層深い意味を獲得することになる。即ち、あることを. 〈成長〉がいろいろな新しい方向における〈成長の連続〉に役立つ場合にのみ、 (1 t) そしてその場合にのみ、それはく教育としての成長〉の基準に合致する」と言. っているのであるが、これらの二つの条件は〈経験の改造ないし改組〉として のく成長〉がいろいろな新しい方向における〈成長の連続〉に役立ち、 〈教育. 為さなければならない時、彼は自分が為していることあるいは自分が為そうと リ コ リ . していることについてこれまでよりもよりよく知るということになる。彼は結. 果を偶然的に生起せしめる代わりに、それ(結果)を意図的に持ち来すことが (12♪. 出来るようになる。」. としての成長〉となり得るための条件であり、そしてそれらはく知性〉の働き. このように〈意味の増加〉ということはくいろいろな活動の間の結合や連続. を要請しているというわけである。. の知覚の増大〉に基づいており、その〈いろいろな活動の間の結合や連続の知. すると、当然のことながら、第二に、これらの二つの条件は具体的にはいか. 覚の増大〉によって我々はある事象についてくよりょく知る〉ようになり、更. なることを要求しているのかということになる。. にはそれをく意図的に持ち来す〉ことが出来るようになるのである。. 13. 14.
(12) 〈意味の増加〉ということを更に明確にするため、再び『民主主義と教育』の 中から次のような言葉を借りることにする。即ち、デューイは言っている。. 更に言えば、 〈知性〉 (〈精神〉)とはく事実とそれらの相互の関係の知覚. によって統制された意図的目的的な活動〉あるいは〈現在の条件を未来の結果. 「物理的刺激に対する適応と精神的行動との間の差異は、後者が意味の内に. (15) に関係づけ、未来の結果を現在の条件に関係づける能力〉にほかならないが故. ある事物に対する反応であるのに対して前者はそうではないというところにあ. に、第一の条件即ち〈意味の増加〉という条件は、このような働きをする〈知. る。例えば、騒音は私を飛び上がらせるかも知れないけれども、しかし丸それ. 性〉に導かれてく経験の改造ないし改組〉が展開されなければならないという. は、私の精神までは動かすことは出来ない。しかし、もし私がある音を聞いて. ことを意味するのである。. 走りだし、水を持って来て炎を消し止めようとするならば、私は知性的に. 次に、第二の条件である、ii.「後続の経験の進路を方向づける能力を増大. 〈精神を用いて〉 反応しているのである。即ち、そこにおいてある音は火. させる」即ちく方向づける能力の増大〉ということであるが、このことについ. 事を意味し、火事は消火の必要を意味しているのである。そして、このように. て考察しようとすると、我々はまず第一の条件で明らかになったことをふまえ. 事物が我々に対して〈意味〉を持っている時には、我々は何ごとかを意図して. た上で、次のような『民主主義と教育』の中の言葉を借りることができる。. いるのである。しかし、事物が我々に対して〈意味〉を持っていない時には、. 1一人が自分が為そうとしていることを〈知っている〉とかあるいは、人があ. 我々は盲目的に、無意識的に、非知性U勺に行動する曹. る結果を〈意図する〉ことが出来るとかと言うことは、彼がやがて生起するで. このようにく意味〉というものは我々の行動を〈盲目的〉 〈無意識的〉 <非. あろうことを〈よりょく予見する〉ことが出来る、従って彼は役に立つ結果を. 知性的〉なものから、 〈精神的〉 〈意識的〉 〈知性的〉なものに転換してくれ. 保持し、望ましくない結果を回避すべく予め準備することが出来るということ. る働きをするが故に、 〈意味の増加〉ということは我々の行動がますます精神. 〈16). である。」. 的になり、ますます意識的になり、ますます知性的になるということにほかな. そこで、デューイによれば、「(既に第一の条件を充足している)純粋に教. らないのである。. 育的な経験は、一方において仕来り的な活動から、他方において気紛れな活動. 更に言えば、意味“meaning”という言葉の動詞である「意味する」という. (Fひ. 言葉が、意図する、計画を立てるということを意味していることによっても明. このようなく仕来り的な活動〉一く固定した習慣〉一とく気紛れな活動〉一. らかなように、 〈意味の増加〉とは我々がますます意図、即ち目的をもって計 画的に行動するようになるということであり、それは我々がますます〈精神〉 (〈知性〉)を用いて行動するようになるということである。つまり、目的を. もって行動することは知性的に行動することと全く同じであ謂. 15. から区別される。」ということになる。. 〈衝動的活動〉一とを制御し、未来の出来事をく予見する〉ことによってそれ に対してく予め準備する〉ことこそ、 〈後続の経験の進路を方向づける〉こと くtg). である。. しかし、このことをよりょく理解するためには、我々は〈仕来り的な活動〉を. 16.
(13) 成立せしめているく習慣〉とく気紛れな活動〉を発動せしめるく衝動〉とそれ. (2)). 実現し得るのである。. らを制御してく後続の経験の進路を方向づける〉ことを可能ならしめる〈知性〉. そして、この〈活動の改組〉 (〈経験の改造ないし改組〉)が実現した時、. との関係について考察しなければならず、我々はまず『人間性と行為』の中か. そこに新しい習慣が形成されたことになる。. ら次のような〈衝動〉についての言葉を借りることにする。即ち、デューイは. このようにして、 〈衝動〉を原動力とし、 〈社会的な依存と共同〉あるいは く集団の経験の分有〉を媒介として、 〈活動の改組〉 (〈経験の改造ないし改. 言っている。. 「〈衝動〉は活動の改組 〈経験の改造ないし改組〉 がそれを中心と して回転する軸であり、古い習慣に新しい方向を与え、そしてそれらを変化さ. 組〉)という形において、これまでのく古い習慣〉はく新しい習慣〉に転換さ れて行くわけである。. (tq) せるための逸脱の原動力である。」. しかし、ここにおいて注意して置かなければならないことは、いまく古い習. 即ち、デューイによれば、まずく古い習慣〉即ち〈仕来り的な活動〉が新し. 慣〉からく新しい習慣〉への転換が〈衝動〉を原動力とし、 〈社会的な依存と. い状況の新しい条件に適応して行くことが出来ない程に硬直化してしまった時、. 共同〉あるいは〈集団の経験の分有〉を媒介として行われると言ったのだが、. 〈衝動〉は、正に「〈活動の改組〉 (〈経験の改造ないし改組〉)がそ静を中. もしこのことがく慣習〉 (社会の共通の行動様式)への単なるく順応〉を意味. 心として回転する軸」となり、「〈古い習慣〉 (〈仕来り的な活動〉)に新し. しているとするならば、そこにおいては決してく活動の改組〉 (〈経験の改造. い方向を与え、そしてそれらを変化させるためのく逸脱の原動力〉」となるの. ないし改組〉)が行われたことにはならないということである。即ち、そこに. である。. (22) 結果して来るものは新しいく仕来り的な活動〉に過ぎないのである。. しかしながら、デ=t・一一イによれば、「〈衝動〉はそれらが使用されるぐその. そこで、我々は次のような『人間性と行為』の中の言葉を借りなければなら. 使用のされ方に従って複雑に変化する活動のための非常にフレキシブルな出発. ない。即ち、デュ・・一イは言っている。. C20>. 点である」というわけであり、 〈衝動〉は新しい状況の新しい条件に適応し1. 「〈古い習慣〉の拘束からの脱却は古い物事を新しい仕方において行う機会. 行くためのく活動の改組〉 (〈経験の改造ないし改組〉)の可能性は与えでく. を与えてくれる。 〈古い習慣〉という菓子の外被が破れて、 〈衝動〉が解放さ. れるが、それの保証までを与えてくれるというわけではない。. れる。しかし、 〈衝動〉を使用する方法を発見することはく知性〉の仕事であ. そこには、どうしてもく社会的な依存と共同〉あるいは〈集団の経験の分有〉. る.璽. (〈伝達〉)ということが必要であり、この〈社会的な依存と共同〉あるいは. このようにして、我々はく後続の経験の進路を方向づける能力〉とはく知性〉. く集団の経験の分有〉ということを通してのみ、 〈衝動〉は新しい状況の新し. にほかならないということを知るのである。正に、「〈知性〉は行動が秩序と. い条件に適応して行くためのく活動の改組〉 (〈経験の改造ないし改組〉)を. (2Y? 方向とを持ち得るように未来をく予見する〉ことに関わっている」というわけ. 17. 18.
(14) である。. (13)Ibid.,p.35.(前掲書,74頁参照。). ここにおいて我々は第二の条件、即ち〈後続の経験を方向づける能力の増大〉. (14)Ibid.,p.120.(前掲書,75頁参照。). という条件に関しても、それはく知性〉に導かれてく経験の改造ないし改組〉. (15)Ibid.,p.120.(前掲書,75頁参照。). が展開されなければならないということを意味していることを知るのである。. (16)Ibid.,p.90.(前掲書,76頁参照。). ②すると、当然のことながら、「教育とは丸経験の意味を付加し、後続の経. (17)Ibid.,p.90.(前掲書,76頁参照。). 験の進路を方向づける能力を増大させるところの、経験の改造ないし改組であ. (18)杉浦美朗『デューイにおける総合学習の研究』,1985,77頁。. る」という(〈教育〉の)定義は、「〈教育〉とはく知性〉に導かれてのく経. (19)Dewey,J., Human Nature and Conduct,1922,p.93。(前掲書,78頁参照。). 験の改造ないし改組〉である」ということを意味していることになるのである。. (20)Ibid.,p.95。(前掲書,79頁参照。). (21)杉浦美朗『デューイにおける総合学習の研究』,1985,79頁。 註. (22)同書,80頁。. (1) Dewey,J.,Democracy and Education,1916,p。89.(訳は、杉浦美朗『デ. (23)Dewey,J。,Human Nature and Conduc t, 1922,p.70。(前掲書,80頁参照。). ューイにおける総合学習の研究』,1985,54頁参照。以下同様に扱う。). (24)Ibid.,p.238.(前掲書,81頁参照。). (2) Ibid。,p.62.(前掲書,54頁参照。) (3) Ibid.,pp。89−90.(前掲書,55頁参照。) (4) Ibid.,p.63.(前掲書,64頁参照。). D。表現としての教育. (5) 杉浦美朗『デューイにおける総合学習の研究』,1985,62頁。. 前項において、我々は「教育とは経験の意味を付加し、後続の経験の進路を. (6)Dewey,J。』emocracy and Education,1916,p.2.(前掲書,61頁参照。). 方向づける能力を増大させるところの、経験の改造ないし改組である」という. (7) Ibid.,p.2.(前掲書,61頁参照。). (〈教育〉の)定義は、「〈教育〉とはく知性〉に導かれてのく経験の改造な. (8) Dewey,J.,Creative Intelligence,1917,p.7.(前掲書,61頁参照。). いし改組〉として展開するく生命過程〉そのものとしてのく成長〉である」と. (9) Ibid.,p.7.(前掲書,56頁参照。). いうことを意味していることを知ったのであるが、では次に、問題のく知性に. (10)杉浦美朗『デューイにおける総合学習の研究』,1985,69−72頁。. 導かれての経験の改造ないし改組〉は具体的にはいかなる形において展開され. (11)Dewey,J.,Experience and Education,1938,p.29.(前掲書,71頁参照。). るのであろうか。. (12)Dewey,J., Democracy and Education,1916,p.90.(前掲書,73頁参照。). このことについて、我々は〈生命過程としての経験の本質〉を明らかにしな. 19. 20.
(15) がら考察を進めて行くことにする。. 〈知性〉に導かれてのく経験の改造ないし改組〉へと展開して行くのか(さら. さて、我々は、まず『経験としての芸術』の中の次のような言葉を借りるこ とにする。即ち、デューイは言っている。. 「些細な意味しか持っていないものにせよ、重大な意味を持っているものに せよ、総てく経験〉というものはく生命衝動〉(impulsion)をもって始まる、. いなく生命衝動〉として婚まる。ここにおいて私はく個別衝動〉(impulse)と いう言葉よりもむしろく生命衝動〉という言葉を使用することにしたい。一体、 〈個別衝動〉は、(我々が、正に〈個別衝動〉と訳しているように) 〈特殊的 なもの〉であり、 〈特定的なもの〉である。 〈個別衝動〉は、それがく本能的. なもの〉である時でさえもく環境とのより完全な適応に携わるメカニズム全体 の一部分〉に過ぎない。それに対して、 〈生命衝動〉はく生物全体の外部へ向 かって前進して行く運動〉であり、 〈個別衝動〉はこのく生物全体の外部へ向 かって前進して行く運動〉に対して補助的役割を演ずる。 〈生命衝動〉は、例 えば食物に対する生物の渇望そのものであって、 (生物が)食べ物を飲み下す 時の(食べ物に対する)舌や唇の働きかけとは異なる。あるいは、 〈生命衝動〉. は、植物の向日性のように、身体全体の光に向かっての転回そのものであって、 ct) 眼によるある特定の光の追跡とは異なる。」 このように、デ=t 一一イは、(1)「総て〈経験〉というものはく生命衝動〉を以. て始まる、いな〈生命衝動〉として始まる」ということ、そして②「〈生命衝 動〉はく生物全体の外部へ向かって前進して行く運動〉である」ということを 指摘しているわけである。. に言えば〈表現〉へと成長して行くのか)ということである。. しかし、(デューイに従うならば)、このことを明らかにするためには、我 々はく生物全体の外部へ向かって前進して行く運動〉であるく生命衝動〉とし て始まる〈経験〉そのもの 正に〈生命過程としての経験〉そのもの に ついて明らかにする必要があるというわけである。 そして、このように、 〈生命衝動〉との関わりにおいて正に〈生命過程とし. ての経験〉そのものについて明らかにしょうとすると、我々は、言うなれば一 歩退いて、 〈生命衝動〉を当の〈生命過程としての経験〉の中に正しく位置づ けることから出発しなければならない。. すると、我々はまず次のような『経験としての芸術』の中の言葉を借りるこ とが出来るのである。即ち、デ=t・一イは言っている。. 「〈生命衝動〉はく経験の発端〉である。なぜならば、 〈生命衝動〉はく要. 求〉から生まれて来る、即ち、 〈一つの全体としての生物に属し、しかも環境. との一定の関係を打ち立てることによってのみ充足され得る欲望〉から生まれ (2) てくるが故である。」. このように、 〈生命衝動〉はく要求〉から生まれて来る、即ち、 〈一つの全. 体としての生物に属し、しかも環境との一定の関係を打ち立てることによって のみ充足され得る欲望〉から生まれて来る、というわけであるが、このことを 確認した上で、次に我々は、 〈生命過程としての経験〉に関わって次のような 『経験と自然』の中の言葉を借りることにする。即ち、デューイは言っている。. そして、言うまでもなく、本項における問題は〈生物全体の外部へ向かって 前進して行く運動〉であるく生命衝動〉として始まる〈経験〉が、いかにして. 21. 「経験的に言って、 〈生命の有る事物〉 (〈生物〉)とく生命の無い事物〉. (〈無生物〉)との間の最も顕著な差異は、前者即ちく生命の有る事物〉 (く. 22.
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