• 検索結果がありません。

表現としての授業過程

ドキュメント内 芸術を通しての教育 : 総合学習への接近 (ページ 100-126)

 これまで、我々は第一・章において、言うなればく総合学習原論〉とでも言う べきものについて考察し、続いて第二章においてはデューイのく芸術哲学の基 礎理論〉とでも言うべきものについて考察して来た。最後に、本章において我 々は〈活動的な仕事〉としてのく授業〉ないしく表現としての共同活動〉とし てのく授業〉、更に言えばその必然の帰結として、正に〈総合学習〉としての

く授業〉の実際について考察することにしたいと思う。

 よく知られていることであるが、1896年から1903年までの七年間にわたり、

       コ      リ     リ  の     ロ

デューイはシカゴ大学において、一般にデ=・・一イ・スクール(the Dewey Sch一       (1>

ool)と呼ばれる〈実験学校〉を指導し、そしてここでの実践に関わって彼は数 多くの論文を書いている。

 本章において、 俵現としての共同活動〉としてのく授業〉、更に言えば、

正に〈総合学習〉としてのく授業〉の再現を試みる我々にとって、これらデュ ーイ自身の書物・論文は我々に十分な示唆を与えてくれるであろう。

⊥土二二π

(1)杉浦美朗『デューイにおける総合学習の研究』,1985,261頁。

第一節 教育課程と授業過程

 本節において、我々はく活動的な仕事〉とそれから自然に展開されて来るく より形式的な教科〉を以て構成されることになるく教育課程〉及びそれがいか にしてく授業〉として展開されるのであるかというく授業過程〉について考察

して行くことにする。

 しかし、デューイは必ずしも厳密な意味における〈教育課程〉の構成を試み ているとは言えず、彼が実際に行っていることはく活動的な仕事〉とそれから

自然に展開されて来るくより形式的な教科〉を以て構成されることになるく教 育課程〉の素描といったことである。

 1.教育課程とその構成原理

 本項において、我々は問題の〈教育課程〉の素描について『学校と社会』を 中心に考察して行くことにする。

 しかし、それに先立って、我々はデューイがく教育課程〉を構想した時のそ の(〈教育課程〉構成の)原理といったものについて留意しておくことにした

いと思う。

 (1)まず第一の原理として我々はく成長の原理〉とでも言うべきものを指摘 することが出来る。このことは次のような言葉の内に明らかである。即ち、デ ューイは言っている。

 「(シカゴ大学附属小学校という)この実験室の問題は、能力及び経験にお ける子供の成長の自然の過程と調和する教育課程の構成という形を取る。この

問題は、成長のある所与の時期の主要な要求や能力に最も的確に相応するく教 科〉の種類・組み合わせ・適切な割合を選択することであり、そして選択され たく教科〉を成長の過程の中に生き生きと入り込ませるような提示の形態を明       (り

らかにすることである。」

 そして、何故にこのようなく成長の原理〉とでも言うべき原理が出て来るの かということは、次のような言葉によって明らかである。

 「今日では、我々はく精神〉は成長しつつある、従って〈精神〉は本質的に 変化しつつあり、 (成長の)時期を異にするにつれて様々な異なった姿の能力 や興味を表す、ということを信じている。これらの能力や興味は生命の連続と いう意味においては総て一つのものであり同じものであるが、しかし(成長の 時期を異にする)それぞれの能力や興味はそれ自らの特異の要求や任務を持つ       (2,

という意味においては総て異なっている。」

 このような「〈精神〉は成長しつつある」という(現在では当然の)考え方 が当時(十九世紀末に)いかなる意義を持っていたかというと、「古い見解に 従えば、 〈精神〉はく精神〉であった。そして、それで話は終わりであった。

       β)

〈精神〉は人間の一生を通じて同じであった」というわけであり、 〈子供〉と       .   (4)

〈成人〉との闇において「認められていた唯一の重要な差異は量の差異」であ

       の    コ       ロ        や   の

り、従って「〈子供〉は小さな細入であり、彼のく精神〉は小さな精神であっ

 (5>

た」のである。

 (2)続いて第二の原理として、我々は〈社会の原理〉とでも言うべきものを 指摘することが出来る。このことは次のような言葉の内に明らかである。

 「(〈教科〉が)〈子供〉のく精神〉に対して最大限に訴え、 〈子供〉のく 生活〉にとって完全な意味を持ち得るということは、 〈教科〉が(〈子供〉に

とって)単なる外部的教科としてではなくして、それらが社会生活に対して持 っている関係という観点から提示される時にはじめて可能になる。・…・・〈子 供〉の行為と性格との本当の構成部分となるためには、 〈教科〉は単なる情報

の   ヲ  の      の  る         り      の      つ      の

の項目としてではなくして、子供の現在の要求と目的との有機的部分一この く子供の現在の要求と目的〉もまたく社会的〉であるが  として同化されな        (67

ければならない。」

 そして、何故にこのような〈社会の原理〉とでも言うべき原理が出て来るの かということは、次のような言葉によって明らかである。

 「現在では、個人の精神を社会生活の関数として捉える傾向がある。即ち、

〈個人の精神〉をそれ自体だけでは作用することも発達することも出来ないも のであり、社会的諸力から絶えず刺激を求め、それの栄養を社会的供給にまつ ものであるとして捉える傾向がある。……進化という観念の影響を受けて、

〈精神〉は個人の独占的所有物ではなくして、人類の努力と思考との所産を代 表するものであるという考え方、 〈精神〉はく自然的〉であると同時にく社会 的〉であるく環境〉の内において発達するものであるという考え方、社会的要 求及び社会的目的が〈精神〉を形成するに当たって最も有力な要因であるとい       (ワノ

う考え方・…が人々に親しみ慣れたものになって来ている。」

 このような(〈教育課程〉構成の)二つの原理、即ち(1)<能力及び経験に おける子供の成長の自然の過程と調和する教育課程〉というく成長の原理〉と

(2) 〈教科はそれらが社会生活に対して持っている関係という観点から提示さ れなければならない〉というく社会の原理〉はデューイのく子供〉観及び彼の

〈教育〉観から当然に出て来る原理であると言ってよいであろう。

 註

(1) Dewey,J.,The School and Society,revised edition,1915, pp.88−89.

  (訳は、杉浦美朗『デューイにおける総合学習の研究』,1985,292頁参照。

  以下同様に扱う。)

幻紛の励のD

︵ ︵ ︵ !㍉ ︵ 

Ibid.,pp.94−96.(前掲書,292頁参照。)

Ibid.,p.94.(前掲書,292頁参照。)

Ibid.,p.94.(前掲書,292頁参照。)

Ibid。,p.94。(前掲書,292頁参照。)

Ibid。,p.92.(前掲書,293頁参照。)

Ibid.,pp.90−91。(前掲書,293−294頁参照。)

 A.第一期

      つ  リ  ヒ       の        の ロ  の  ロ  の ロ  

  「第一期(おおよそ4歳から8歳まで)は社会的及び個人的な興味の直接性 によって、また印象・観念・行動の間の関係の直接性及び迅速性によって特徴

        ロ   の  リ   コ  ロ       ら  の  ロ      ロ  コ  リ

づけられている。表現のための運動的な捌け口を求める要求が緊急であり直接 的なのである。

 従って、この年齢期のためのく教材〉は子供自身の社会的環境の中へ入って 来る生活の諸局面から選択され、そして可能な限り、社会的形式に近い何らか

の活動一遊戯・競技・仕事・工芸・絵画・会話(といった〈活動的な仕事〉)

  において〈子供〉がそれを再現することが出来るようなものである。

 このような〈教材〉はまず第一に、 〈子供〉自身に最も身近なもの即ち蒙庭

      ロ      の   の

生活や近隣の事物である。それから、 〈教材〉はく子供〉自身の身辺からやや

離れたもの即ち社会的な仕事に進む。更にそれから、 〈教材〉は(人間が衣・

食・住の資料を獲得する)典型的な仕事及びそれらと結び付いている社会生活 の形式の歴史的進化に及ぶ。

 このようなく教材〉はいわゆる課業即ち学習されるべきあるものとして提示 されるのではなくして、織物・料理・手工・模型製作・演劇・会話(といった

〈活動的な仕事〉)における子供自身の活動を通して子供自身の経験の中へ取 り込まれるべきあるものとして提示される。

 これらの活動(〈活動的な仕事〉)は直接的な学習の手段である。それらは

      む        ワ  む   の  タ   ロ  の  ゆ  ゆ

この年齢期の〈子供〉のく生活〉の特徴を成している知ることと為すこととの

ゆ   の   ロ   の       ワ   リ   ロ

間の密接な結び付きが維持され得るようにするためにく教育課程〉を支配する       (t)

ように強調されるのである。」

 このように、第一期においては、「(〈子供〉の)発達の自然の行程を認め るということはく為すことによって学ぶ〉ことを含む状況から出発するという     (2♪

ことである」という原理と(〈教育の本質〉からして)「〈教材〉はく子供自 身の社会的環境の中へ入って来る生活の諸局面〉から選択されるべきである」

という二つの原理が最も典型的に実現されるべきであり、従って、 〈活動的な 仕事〉としてはく表現的活動〉・〈身体的活動〉・〈社会的活動〉といった諸 特徴が強調されることになる。

  註

(1)  Dewey,J.,The School and Society,revised edition,1915,PP.97−99.

  (訳は、杉浦美朗『デューイにおける総合学習の研究』,1985,295−296頁    参照。以下同様に扱う。)

(2)Dewey,J.,Democracy and Education,1916,p.217.(前掲書,296頁参照。)

ドキュメント内 芸術を通しての教育 : 総合学習への接近 (ページ 100-126)

関連したドキュメント