『はてしない物語』におけるロマン主義ポエジーの
継承と再生
著者
石田 喜敬
学位名
博士(文学)
学位授与機関
関西学院大学
学位授与番号
34504甲第466号
URL
http://hdl.handle.net/10236/00028986
博士学位論文
『はてしない物語』におけるロマン主義ポエジーの継承と再生
2013年
3月
関西 学 院 大 学 大 学院 文 学研 究科
論 文 要 旨 ドイツの作家 ミヒャエル・エンデは、多 くのインタヴューや著作において、彼が ドイツ・ ロマン主義の伝統を受け継いでいることを明 らかに してお り、数あるロマン主義の作家た ちの中でもノヴァー リスの名 をその筆頭に挙げている。エンデは自身の作品を意識的にロ マン主義 と関連づけてお り、特に『 モモ』に関 しては具体的な発言を残 している。例えば、 『 モモ』に付 された長い副題や 「メル ヒェン・ ロマーン」 とい う構想において、彼はロマ ン主義を意図 してお り、長野県信濃町黒姫童話館に所蔵 されている叔父ヘルムー ト宛の書 簡では『 モモ』の冒頭にノヴァー リスの詩を引用 しようと考えていたことを明 らかにして いる。エンデはまた、『 はて しない物語』におけるバスチアンの 「失敗」のモテ ィーフと
E.To A.ホ
フマンの『 黄金の壺』 との類似性 も認めている。しか しなが ら、黒姫童話館所 蔵のある書簡で明 らかに しているよ うに、彼は『 はて しない物語』を執筆す る際に、『 黄金 の壺』を念頭に置いてはお らず、さらに他のインタヴューや著作においても『 はて しない 物語』 とロマン主義 との直接的な関連について言及 してはいないのその一方で、すでに多 くの先行研究において論 じられているように、『 はて しない物語』にはロマン主義的な特徴 を数多 く読み取 ることができる。それゆえ本研究では、『 はて しない物語』を主なテクス ト として、ロマン主義文学 との比較・考察を行 うことにより、エンデ とロマン主義の親近性 と、エンデが どのよ うな点でロマン主義を継承 し、現代に再生 させたのか具体的に明 らか にす ることを試みた。 論文の構成は大きく二つに分けられ る。第一章か ら第二章までは『 はて しない物語』を 物語の筋に沿つてロマン主義の文学作品 と比較 し、第四章では作品の構想やその背景にあ るエンデの文学観・芸術観 を、初期 ロマン主義のフ リー ドリヒ 0シ ュレーグルお よびノヴ ァー リスの文学理論 と比較 した。第一章では、主人公バスチアンの性格や境遇、能力 とい つた諸特徴を、E.To A.ホ
フマンの『 黄金の壺』のアンゼルムスや『 蚤の親方』のペ レグ リーヌス、『 ファール ン鉱 山』のエー リス、そ してノヴァー リスの『 青い花』のハインリヒ らと比較 した。第二章では、物語の前半部分、すなわちバスチアンがファンタージエンに 行 くまでの読書行為 と彼が読むファンタージエンの物語について論 じた。そこでは、ロマ ン主義の 「青い花」や 「蓮の花」のモティーフ、幻想世界の統治者の危機 と人間による救 済 とい う話型、 自然ポエジー とい う概念や ドッペル ゲンガー、魔法の鏡、本の中の本等の モテ ィーフを、『 青い花』やホフマンの『 ブランビラ王女』、『 大晦 日の夜の冒険』、『 悪魔の霊液』等の作品 と比較 したの第二章では、物語 の後半部分、つ ま リバ スチアンがフ ァンタ ージエ ンヘ赴 き、人間の世界へ帰還す るまでの筋を扱 った。 ここでは、バスチアンの天地 創造 とその際にあ らわれ てい る夜 と死の創造性 、「元帝王たちの都」にあ らわれている幻想 の持つ危険性、主人公 を導 く老賢者や鉱 山 とい う場、生命 の水の場面描写を、 ノヴァー リ スの『 夜の讃歌』や『 青い花』、ホフマ ンの『 砂男』、『 ファール ン鉱 山』、『 ブ ラン ビラ王女』、 そ してグ リム童話 の『 命 の水』等 と比較 した。 これ ら作品の比較 においては多 くの点で ロ マ ン主義 との親近性 を読み取 ることができる。 これ に加 えて、描写だけでな く、物語の文 脈 も考慮 に入れ た場合、蓮の花や ドッペ ルゲンガー、本 の中の本等、い くつかのモテ ィー フにおいて ロマ ン主義 との相違やエ ンデ独 自の発展 を認 めることができた。 第 四章ではまず 、あ らゆる芸術 を統合す るフ ァンター ジエ ンの構想や 、読者 と本、つま り人間 と文学にお ける反省 的関係 、そ してエ ンデに よる個人 と人類 の神話構想 を、シュ レ ー グル の定義す る 「ロマ ン主義文学」お よび 「新 しい神話」 と比較 し、い くつかの共通点 を認 めることがで きた
Dそ
して最後 に、エ ンデ とノヴァー リスの定義す る 「ポエ ジー」を 比較 した。エ ンデはポエジー を外的なイメー ジ と内的なイメー ジを相互 に変容 させ るもの と定義 してお り、その際に ノヴァー リスの名 を挙げてい る。エ ンデの言 う外的・内的イメ ージの相互変容 と、内 と外のそれぞれの領域 における相互認識 としてのポエジーは、 ノヴ ァー リスの 「ロマ ン化」や 「魔術的観念論」 においてその具体的な作用 を読み取 るこ とが で きる。そ して、エ ンデがポエジー によつて近代以降の 自然科学に基づ く主観 と客観 の二 元性 を克服 し、その先 に新 たな生 き方や新 たな共同体 を創造す ることを 目指 していた とい う点で、 ノヴァー リスのポエ ジー との一致が見 られ た。エ ンデは ロマ ン主義 を ドイ ツ独 自 の文化 とみな し、文化 とい う言葉 を生の形式や生 き方 として理解 してい る。 したがって、 彼 は新 たな生 き方を生み出す手段 を ノヴァー リスの言 うポエ ジーに見 出 した と考 え られ る。 この よ うなポエジーーとい う観点か ら『 はて しない物語』を見る と、そ こにはエ ンデの「詩 学」が集約 され てい るよ うに思われ る。エ ンデはあるイ ンタ ヴュー にお いて『 はて しない 物語』を 自分 の 「詩学」(Poetik)と 呼び、そ こで人間が芸術やポエジー との交わ りを通 し て、 自然科学的思考が生みだす ことのできない意味を事物 に与 えねばな らず、生の形式や 生の観念 を 自ら生み出 さねばな らない と述べている。『 はて しない物語』は、ポエジーの働 きその ものを描 いてお り、ポエジー によつて もた らされ る新 しい生 き方の方 向性 を示 した 作品 とみ なす こ とがで きる。エ ンデ は この作品において ロマ ン主義の 「ポエ ジー」 を最大 限に継承 し、またそれ を現代 において再生す ることに成功 した といえるだろ う。目次 は じめに,……… ……… …… …… ……… ………… … ……… ……… … …・1 第一章 主人公のロマン主義的特徴 。… … … ………… …… … …… … …… …… … 013 第―節 夢想的な性格 と世間か らの疎外 一 アンゼルムス とペ レグリースス.…… … 14 日常における失敗 と現実への不通応 ― アンゼルムス 。… … …… … …… … … … …14 空想世界への没入 ― ペ レグ リースス ロテユス 。… … … …… … … … …… … 017 第二節 親の死 とその影響 ― ペ レグ リースス とエー リス。… … …… … …… … … … 018 両親の死 という契機 ― ペ レグ リースス・ テユス.…… …… … …… …… … …… …19 母親の死 という契機 ― エー リス ロフレーボム.…… …… … …… … … … …… …・21 バステアンにおける母親の死と父親の無関心の影響 ……… … ……… …… …… …22 第二節 非日常性 と空想への傾倒 ― ハインリヒ・ フオン ロオフターディンゲン.….23 「変わ り者
Jで
はない主人公.…… …… … …… … … … …… … …… …… … ……・23 「青い花」の夢。… … …… … …… … … … …… … …… …… … …… … …… … … …25 ロマン主義の主人公 と′`スチアンの相違点・共通点.…… …… … ……… … … … …28 第二章 ファンタージエンヘの道の リ ー 物語の受春 と幻想世界への飛翔 … …… ……31 第一節 ファンタージエンにおIナる「青い花」 と「蓮の花Jの
モティーフ.…… ……31 フアンター ジエ ンの釣鐘車 と「青 い花J 木蓮の花 と蓮の花 。… … …… … …… … … … …… … …… …… … …… … …… … … 第二節 幼 ごころの君の病 と人間による救済.…… …… … …… …… … …… … …… 。 幻想世界の統治者の危機 と幻想世界の荒廃.…… …… … …… … … … …… … …… 人間による幻想世界の統治者の救済.…… …… … …… … … … …… … …… …… … 「命名Jと
いう行為の意味.…… …… … …… …… … …… … ………… … … … …… 第三節 三つの神秘の問 一 ドッベルゲ ンガー と魔法の鏡。… … …… … …… … … …・ 鏡像に対する恐怖 … …… … …… … … … …… … ……… …… …… … …… … …… ドッベルゲンガー というモティー フ 。… … …… … …… … … …… …… … ホフマン文学における ドッベルゲンガー ヨモティー フ.…… …… … …… … … …・ ドッベルゲンガーか、アルター・ エゴか.…… …… … …… …… … …… … …… … 魔法の鏡 というモティーフ.…… … … … …… …… … …… … …… … … … …… … 。 第四節 ウユララと自然ポエジー.…… …… … … … …… … …… … ………… …… …・ 31 34 40 40 42 47 51 53 55 57 59 61 62第五節 さす らい山の古老 と「本の中の本」 65 本を持 つた老人.…… …… … … …… … …… …… … …… … … …65 「本の中の本
Jと
いうモティー フ。… … …… … …… …… … …… … …… … … … …68 第三章 ファンタージエンにおける経験 一幻想世界における主人公の内的成長………73 第一節 願いの実現による天地目造.…… …… … …… … … … …… … …… …… … … 73 パステアンによるファンタージエンの再編造 。… … …… … …… …… … … 73 神話の語 る原初の日 と天地劇遺 。… … …… … …… … … …・75 『 夜の議側 一 夜 と死の日遺性.…… …… … …… … … … …… … …… …… … …077 エンデとノヴァー リスの死生観 ……… ……… ………78 第二節 元帝王たちの都 ― 幻想のはらむ危険性.…… …… … …… …… … … …82 『 砂男』一 人間を狂気に導 く幻想 。… … … …… …… … …… … …… … … … 084 破滅的な幻想か ら人間を救 うもの 。… … …… … …… …… … …… … …… … … … …87 第三節 盲目の坑夫 ヨル とミンロウ ド坑 一 老賢者 と鉱山。… … …… … …… … … … 088 主人公を導 く老賢者 … ……… …… … …… …… ……… … … ……… ………… … 89 鉱山とい う場 。… … …… … …… … … … …… … …… … … … …… … …… …… … …93 第四節 生命の水 ― 丸天丼 という空間 と主人公の内的交容.…… …… … …… … … 。94 丸天丼における水浴 … ……… …… … ………… ……… … … ……… … ………… 95 生命の水が持つ複合的な性質.…… …… … …… … … … …… … …… …… … …… 098 生命の水が現実世界に与える影響9………… … …… …… … …… … …… … … … 。100 第四章 初期 ロマン主義 とエンデの 詩 学 …… … … …… …… … …… … …… … 。103 第一節 F■ シュレーゲルの「進展的普週ポエジー」 と「新 しい神話」…… … …… 。103 シュレーゲルの「 ロマン主義文字Jと
エンデの文学観 ………。105 シュレーゲルの「新 しい神話」 とエンデの神話観……… … ……… …… ………0110 第二節 ノヴァー リスのポエジー とエンデのポエジー.…… …… … …… … … …… …118 エンデのポエジー観 ……… ………… …118 ノヴァー リスにおける「心情」の表現 としてのポエジー.…… …… … …… ……0124 「 ロマン化」の作用 一 意味 と表現の付与による変容の操作.…… …… … …… …126 「魔術的観念論J―
事物 と思考の相互変換による知覚.…… …… … …… … … … 129 ノヴァー リス とエンデのポエジーが目指すもの 。… … …… … …… … … … …… …131 おわ りに。… … …… … … …… … …… …… … …… … …… … … … …… … … 135参考文献… …… … …… … … … …… … …… … … ………… …… … … ……… … ……。138
-次
文献 … …… ……… … … ……… … ……… ………… ………… ……… …・138は じめ に
20世
紀 を代表す る ドイツの作家 ミヒャエル・エ ンデ (Michael Ende,1929‐1995)は
、 その著書や多 くのインタヴューにおいて、 自身の文学の模範 として ドイツ・ ロマン主義を 挙げてお り、彼がその伝統 を引き継いでいることを明 らかに してい る。例 えば、1977年
1 月23日
に東京で行われた高杉一郎 との対談の中で、彼は 「(。・0)私
はほかの国の人達に、 いい意味での ドイツ的なものを紹介 したい と思っています。ですか ら私は、いい意味での ドイツ的な もの、 ドイツのロマン派に戻 つて書いているつ もりです」1と述べている。さら に、1981年
の筋Tma♂
:z力誌 の記事 において も同様 の発言 を見つけることがで きる。 「私はまった く意識的にロマン主義の伝統を引き継いでいます。 もしあなたがロマン主 義 を雰囲気ではなく、全般的な態度の問題 としてとらえるな ら、私はロマン主義者です。」2 この ようなロマ ン主義 に対す るエンデの態度は、終生一貫 して変わることがな く続いて お り、彼 はカリ比口θル:″力誌 による1994年
のイ ンタヴューの中で も、「私はまった く明 ら かに ドイツ・ロマ ン主義の後継者 です」3と述べている。さらに、『 エ ンデのメモ箱』(И
盪 ′J
Frltts ittttelka動盟,1994)所
収の 「まった く ドイツ らしい」(物
力励'知
お励)に
おい ては、次のよ うな記述が見つかる。 私 を批評す る評論家の何人かは、私が 自分の著作の中で英米の 「ファンタジー文学」 1ミ ヒャエル・エンデ、高杉一郎 「 (対談)「
メルヘ ン・ ロマン」をめぐって」『 図書』331 号 岩波書店 1977年 10ペ ージ。2 Dieter Eo Zimmer:D鐘ユら″″′ル ″″serer多豪′茜θittZttθ″SttFa■ら■
In:麗
■Tmag′z14′Nr.24,05.06.1981,S.46.
3 ste五
Hugendubel:励
bin ein」詢レ“ ル五Fθ&er Rθ “ ′″し濃 r_In:乏 裂兄π働盟agaz■n′ Nr.47, 18. 11.1994,S.50。 (黒 姫 童 話 館 資 料 番 号
:01DA016)長
野 県 信 濃 町 に 所 在 す る黒 姫 童 話 館 に は 、 エンデに関する様々な資料が私的、公的を問わず多数所蔵 されている。資料の一覧は、『 童話 の森通信』第16号 信濃町黒姫童話館 1999年 や童話館のホームページQttp://wwwoavis.ne.jp/ ∼dowalcan/en“ _date/ende_shiryo_index.html)か ら閲覧することができる。資料所蔵に至つ た経緯や資料の概要に関 しては、『童話の森通信』第16号
や、小高康正 「信濃町黒姫童話館 「エンデ資料J調査研究の報告」長野大学産業社会学部『 長野大学紀要』第20巻 第 2号 1998 年 144‐148ペ ージ、堀内美江「エンデ文学の萌芽 ― 黒姫童話館エンデ資料 リス ト公開を機に一」早稲田大学大学院文学研究科 ドイツ文学専攻 Angelus Novus会 『Angelus Novus』 第
27号
1999年 115‐ 130ペ ージ、子安美知子監修、堀内美江編著『 エンデの贈 りもの』河出書を模範 とす る よ りもむ しろ、 ロマ ン主義 の伝統 を今 日の我 々にふ さわ しい形 で取 り上げ よ うと試 み てい る、 と推測 してい る。 それ は正 しい。4 ドイ ツにお け る ロマ ン主義 は18世紀末か ら
19世
紀 にかけて興 った思想 的・文化 的運動 で あ る。 文学 にお いては時代 と活動地 に よる複数 の 区分が あ り、多 くの場合 、活動地 によ る区分 は時代 区分 の下位 区分 として置 かれ てい る。 主 な時代 区分 と しては、二 区分 と三 区 分 の二つが挙 げ られ る。前者 はテ ィー クや ヴァ ッケン ロー ダー 、そ して主 にイ ェーナ を中 心 に活動 した ノヴァー リスや シュ レー ゲル兄弟 らを初期 (前期)ロ
マ ン主義 とし、それ以 後 の作 家た ちを後期 ロマ ン主義 とす る区分で あ る。5後
者 の三 区分 の方で は、初期 ロマ ン 主義 よ り後 の時代 が二つ に分 け られ てお り、アル ニ ムやブ レンター ノ、 グ リム兄弟 らハイ デ ルベ ル クのサー クルや 、E.To A.ホ
フマ ン、 シャ ミッソー、 フケー らベル リンのサー ク ルは盛期 (中期)ロ
マ ン主義 として、そ して ウィー ン時代 の フ リー ドリヒ0シュ レー グル や ミュン ヒェン時代 の グ レス、ブ レンター ノらは後期 ロマ ン主義 と して位 置 づ け られ てい る。6 この よ うに数 多 く存在 す る ロマ ン主義者 たちの 中で も、エ ンデ に とつて最 も重要 なのはノヴァー リス (Novalis IFriedrich von Hardenbergl,1772‐
1801)で
あった。例 えば、エンデ は 自分 の人生の転機 とな った、あるいは決 定的 な影響 を与 えたテ クス トを集 めたアン
ソロジー『
M.エ
ンデ が読 んだ本』0分
力Zθsθわυ励,1983)の
中に、 ノヴァー リスのエ ッ4 LIichael Ende: ル笙盪 ′」
Enあ
s ttιtelkasIわ″。Shzze″ 口″ご ´Ab泣
eno Stuttgart, Wien:Weitbrecht Verlag in K.Thienemanns Verlag,1994,S.266。 (以 下、同 テ クス トか らの 引用 は
滋 ふ ′」
Lあ
sん
′lelkasわ ″ と略 記 し、ペ ー ジ数 を添 え る。訳 出 に あ た っ て は、田村都 志 夫 訳『エンデ全集
18エ
ンデのメモ箱 上』および『エンデ全集19エ
ンデのメモ箱 下』岩波書店1998年を参 照 した が 、本 稿 にお け る引用 は筆 者 に よ る訳 で あ る。)
5 vgl.,Fritz l唖artini:De″rsθヵθ Litera′道聰QsChiChごυ.予 b″ &en∠″fangθ ″1先is z″r(7oge″ NaFι
15。 Auflageo Stuttgart:赳 frod KIёner Verlag,1968,S.319r。 お ょび 岡 田朝 雄 、 リンケ珠 子
『 ドイ ツ文 学 案 内 増補 改 訂 版 』 朝 日出版 社 2000年 23‐24ペー ジ、332ペー ジ参 照。
6 vgl。,Helmut Schanze(Hrsg。):』b“ ′″″女ザ乃″励 ν
“
。Stuttgart:ノ 咀ied]甍rёner Verlag,
1994,S.31∬.uo Jan‐Dirk lttuller(Hrsg。 ):fb′Jθ壼女θtt■eF db口 おaルθ″Lゴtera′口r再ノ7Ssθ″Saみarh
Bd.3.Berlin,New Yrork:ヽValter de G}ruyter,2003,S.326」r.u.Detlef E■e mer:Ro」
“
′″tik。 3.,
aktualisierte Au■ ageo Stuttgart: Lttetzler, 2007, S.47ff.uo Lttonika Schnlitz‐ ElllllanS:
Einカカr“″
g
ゴh tte Dιerar″r ier Ro“θ″L量_ 2., durchgesehene Au■age.]Darlnstadt: Wissenschattliche Buchgesellscha乱 ,2007,S。761た
だ し、 テ ィー クや Fr。 シ ュ レー ゲル 、 ブ レン ター ノな ど、複 数 の 時 代 や 活 動 地 に ま た が っ て活 動 した 作家 もお り、 これ らの 区分 は一 義 的 に定 め られ て い るわ けで は ない 。 さ らに 、研 究 者 に よ つて 作 家 や サ ー クル の 区分 、年 代 の 規 定 も様 々 で あ る。 例 え ば 、 ゲ ルハ ル ト・ ホ フマ イ ス ター は上 記 の 二 区分 にお い て ホ フマ ン ら ベ ル リン・ロマ ン主 義 の作 家 た ちを後 期 ロマ ン主義 に数 え入れてい る。Vgl.,Gerhart Holmeister: De口tschθ 口″ごθttrop′ゴs“θ Rθ“′″ん己12.,durchgesehene und erweiterte Auiage.Stuttgart:
セイ『 キ リス ト教世界あるいはヨー ロッパ』 に
"ChFiS"″
力JιθグレF■ropa 1799)の
一 部 を収録 してい る。7彼
はまた、イェル ク・ク リッヒバ ウム(Jorg]陶ichbaum,1945‐ 2002) によるイ ンタ ヴュー『 闇の考古学』 に"几
観猪θ彙Ⅲ〕グル θttnhhθゴぁ1985)で
、 ノヴァ ー リスを 自分の「精神的な父親」8の一人に数 え入れてお り、先ほ ど引用 した 「まつた く ド イツ らしい」では、エ ンデの「芸術 と文学の祖先」9であるロマ ン主義の作家たちの中で も、 ノヴァー リスの名がその筆頭 に挙げ られている。 さらに、カリλra夕lガb誌 による1994年
のイ ンタヴューにおいてエ ンデは、先 に引用 した発言 に続 けて、「私はノヴァー リスを 自分の偉大な師 (meinen gr03en Lehrmeister)と みな しています」10と述べている。
エ ンデ とノヴァー リス文学 との関わ りは、彼が創作をは じめた少年時代 にまで さかのぼ る。彼 自身の発言によれば、
1943年
当時、まだ13歳
であった彼は、疎開先 の学校 で知 り 合 った友人 を通 して ノヴァー リスの作品に角虫れ、詩作 をす るよ うになった とい う。 「ええ、あの頃、私は13歳
で、学童疎開のキャンプの一つにいま した…。 当時、主要 な文学 と詩 (Poesie)に 取 り組んでいた何人かの相部屋の仲間たちによつて、私はそ も そ も初めて、ドス トエ フスキーの小説や ノヴァー リスに触れたのです。 ノヴァー リスを 私はその とき発見 しま した。彼は私 に深 い感銘 を与 えま した ヒ/、 今 日まで私の導きの星 の一人です。」117 vrgl.,卜生chael Ende:ユ丘分h¨ιθsθわ″励 。Frankfurt an■ 1嘔ain:Fischer Taschenbuch¬ Verlag, 1983,S.106‐ 115。
3 vgl.,IMichael Ende,Jё rg IGichbaum:″ゴbノレdi″
“
匂豪θ 乱∝ クロ″
ktt」
′ θθ3pra(■ θ ″b"
Kuns′ ″″ご 〔力
s
″b」を(力s_ル麟及ys Edg鐘
肋 あ 。Stuttgart: Edition Weitbrecht in K。Thienemanns Verlag,1985,S.153。 (以 下 、 同 テ ク ス トか らの 引 用 は Jtt И
z九
わ嫌 ″θ囲疑Lθゴ
`と略記し、ページ数を添える。訳出にあたつては、丘沢静也訳『エンデ全集
17闇
の考古学』岩波書店 1997年 を参照したが、本稿における引用は筆者による訳である。)
9 」砒衝とみ′JEndbJ Ze′しekasten′ S.266。
10 Ste五 Hugendubel:f昴 加 θ血 腸 盪カカFθル タθ口′″魚 ■,S.50。 (黒姫童話館 資料番 号 :
01DA016)興
味深 い こ とに、このイ ンタ ヴュー記事 を読 んだ ロマ ン主義研 究 の大家 であ り、当 時 国 際 ノ ヴァー リス協会 の 会 長 で あ つた ハ ンス=ヨ ア ヒム・ メー ル (Hans‐Joachim Mahl,1923‐
2001)が
エ ンデ に二通 の手紙 を送 ってい る。 まず 、1994年 12月 4日付 の タイプ打 ちの 手紙 (黒姫童話館 資料番 号:02B016)に
お いて、メール は国際 ノ ヴァー リス協会 での招待講演 をエ ンデ に打診 してい る。1995年 1月 4日付 の メール に よる三通 目の手書 きの手紙 (黒姫童 話館 資料番 号:02B017)を
見 る と、エ ンデ は1994年 12月 21日付 の手紙 で メール の最初 の手 紙 に対 して返信 してお り、そ の 中で原則 と して講演 を行 わない こ とを理 由に、 メールの招待 を 辞 退 した よ うで あ る。 さ らに、エ ンデ は この返信 の 中で 自身 とノヴァー リス との関係 を語 つた と推測 され るが、筆者 は これ まで行 なった調査 でメール宛 の手紙 を見つ け るこ とがで きなかっ た。1l Jurgen KIatzer:Kuns′ 』b′ einじのerse″
“″
gッ
θttθβ′…θθΨFacル
“崩 И 励 ′」 Enあ.In: 五)θ口ιs凸
“″腱rrithぁ 47.Jg。,He乱 7/8,Juli/August 1994,S.339。 (辱:女臣童:言舌鐸ヨ:峯お+1野号
こ うした ノヴァー リスを主 とす るロマン主義への傾倒 とその継承の理 由について、エン デは『 闇の考古学』や「まった く ドイツ らしい」において詳 しく述べている。彼 によれば、 ドイツ人は、ヨー ロッパの他の国民 と異な り、「文化的アイデンティテ ィの問題のようなも の」12を抱えてお り、「他 の国民が持つ よ うな、自分たちの文化 と生 き方に対す る自明な関 係 を持 っていない」13と ぃ ぅ。そ して彼 は、「ロマ ン主義は、共通の生の身振 りや態度 とい う意味で、他の ヨー ロッパの国民の心 も惹 きつけ、納得 させ 、それ どころか踏襲 された、 初めての、そ して私の見 る限 り、 これ までで唯一、ドイツ独 自の文化業績だったのではな いだろ うか?」 14と述べ、「このあま りにも早 く切れ て しまった我 々の文化史の糸を再び引 き継 ぐ努力 をす ることは、価値があることだ と確信 している」15と 主張す る。16 エ ンデはまた、
E「
mθ魔!″力誌 による1994年
のインタヴューにおいても、ロマ ン主義 を 「これ までで唯一の完全な ドイツの文化業績」17と位置づけ、 自らの作品において、現 代では忘れ去 られ て しまつた 「ロマ ン主義の持つあ らゆる文化的刺激」の 「糸 を手繰 り寄 03AE001)12 』乙:6Й′θノEndes Ze′telkasん ″,S.266.
13″
bみ′ダFr2Jbs Zette‐asten,S。 266.14巡
ふ ′」み あsん
′わ旅′sね″,S。 268.エンデは3″
爾 贋〆′誌 のイ ンタヴューにおいてもロマ ン主義 を「これまでで唯一、ドイツ独 自の文化業績」であったと述べている。Vgl.,Astrid Braun:
〃レbr"′′″dt《 22ゴ′17 r」′¨ ′″″′
・ e(Jヒ “″ご五&置を′′In:」致ヵ'sθ″b■ar′ノレr ttn De“ιsttθ″ β口aみ力′″ie■、46。 Jg。,Nr。 102,21。 12.1990,S.3985。
15 ]拓fεЙ′θノEndes Zerte■kasね″。S.269.
16「ま っ た く ドイ ツ ら しい 」 にお い てエ ンデ は 、ホ フマ ンや シ ャ ミ ッ ソー ら一 連 の ロマ ン主 義
者 た ちの名 前 の 中 に ジ ャ ン0パウル も挙 げ て い るが 、 ジ ャ ン・ パ ウル は多 くの 場 合 、 文 学 史 に お い て ロ マ ン 主 義 と 古 典 主 義 の 中 間 に 分 類 され て い る 。
Vgl.,Kurt Rothmann:meinθ
Ges“ich農9 dbr dbυ`sttθ
″乃tera′口r.19。s erweiterte Au■ageo Stuttgart:]Reclam,2009,138∬ .
u.Hans Gerd Rёtzer:θθsてカゴ(■わ&er`わ″お
“
θ″ 」りιeraιI″
.助
θttθ″′И口LoreI■, ″erke.2.,veranderte und er、アeiterte Auflage.Bamberg: Co C.Buchnersヽrerlag。 2006, S.149f.u。
Fritz Martini:3知角 “ θ_〕ねr′;urges“」 “ れS。 296。 および岡田朝雄、リンケ珠子『 ドイツ 文学案内 増補改訂版』
44ペ
ージ参照。また、『闇の考古学』でエンデは、「ロマン主義はじ か し、は るか に大 きな構想 だったの です。 それ は文化や世界全体の構想 であ り、世 界 に関す る 哲 学 的 な構想 だ つたのです」 にあ 五r盪江01oぎe歯
″こ “ ke■hJム S.154■)と
述べ 、ヘ ー グル も ロマ ン主義 に数 え入れ てい る。 ただ し、ヘー ゲルは青年期 か らロマ ン主義 と深 い 関係 を持 ち なが らも、後 に ロマ ン主義 を批判 してお り、一義 的 に ロマ ン主義 に含 め られ るわ けではない(ヘ ー ゲル とロマ ン主義 の関係 につ いては、伊坂青 司『 ヘー グル と ドイ ツ・ ロマ ン主義』御茶 の水 書房 2000年 を参照)。 さらにエ ンデ は、 ここで引用 した 「文化 的 ア イデ ンテ ィテ ィ」 とい う 言葉 において、 「自国の歴 史 に関す る学術 的・歴 史 的認識 」で はな く、 「生の形式や 生 き る価 値 に共通す る性 質」 (Л石盪′J肋
ルs,発ιtelka動 "′S.268)を
意 図 してい る と述 べ てい る。 こ れ らの点 か らは、エ ンデ は ロマ ン主義 を学術 的 な観 点か らでは な く、思想 的・ 文化 的運動 とし て幅広い観点 か ら理解 してい た と考 え られ る。17 stelh Hugendubel:fbゐ ら二″慶h ttaみルカrθ dbr Fθ
“′″[量er,S.50。 (黒姫童話館資料番 号
:
せ 、紡 ぎ続 け るこ とをまつた く意識 的 に試 み ています 」18と述 べてい る。 この発言や 、「ま つた く ドイ ツ ら しい」での発 言 に見 られ る よ うに、彼 はその作 品 において ロマ ン主義 を積 極 的 に受 け継 ご うと試 みてお り、 この点 について しば しば具体的 に言及 してい る。
例 えば、『 モモ』(」唆口 α
1973)に
付 された 「時間泥棒 と人間に盗まれた時間を取 り返した子 どもの不思議な物語 ― メル ヒェン・ロマー ン」(Die seltsame Geschichte von den
Zeit‐E)ieben und von derrl Ⅸhnd,das den IIlenschen die gestohlene Zeit zuruckbrachte。
Ein Mttrchen‐
Roman)と
い う長い副題や、「メル ヒェン・ロマー ン」 とい う構想は、ロマ ン主義を意図 した ものであるとい う。19さ らにエンデは、長野県信濃町黒姫童話館 に所蔵 されている叔父ヘルムー ト宛の書簡の中で、アイル ラン ドの童謡 を見つける前にはノヴァ ー リスの詩 を『 モモ』の冒頭 に挿入す ることを考えていた と述べている。 (…)ノ ヴァー リスの詩は、僕 もよく知 っていた よ。「アイル ラン ドの童謡」を見つける 前には、それ どころかモ ッ トー として本 の冒頭 に持 って こよ うか と一時は思 っていたん だ。でも僕はそ うしなかった。 ノヴァー リスで 自分 を飾 るのはちょつと要求が高す ぎる よ うな気が したんだ。それ に本全体が、いわばあの詩の解釈以外のなにものにも思えな くなるリスクもあつた。 とい うの も、あの詩は良す ぎると言 つていい くらいぴ つた り合 つているか らね。(0・・)20
田村都志夫によれ ば、エ ンデが挿入 しよ うとしていた ノヴァー リスの詩 とは、未完の小 説『 青い花』(」物カガ励 “ ′DR霊
血sen,1802)の
草稿 に記 された無題 の詩 「もはや数 と 図形が…」 (四勁″″励 ′″θ力rZ勁
力″y″ご」助ダロ “ ″..。)を
指 していた ようである。21こ の18 steffi Hugendubel:」 を通bin ttLМね ぼ 曇 ″
&erR硼
囮 ″″し ろS.50。 (黒 女臣童 言舌館 資 料 輝野号 :01DA016)
19 Vrgl.,ebd。 ,S.50.u.Astrid Braun:〃 階 Ⅳa″
dk″
ゴ′Fr五 .¨
′″″′・ ec晨口″ごЙレ島 ,S.
3985.u.〃
bレ
」Lル
sノゐ′しekasわ″′S.266.『モモ』の副題には、現在のものとは別に二つの試案があったようである。その変遷については、堀内美江 「黒姫童話館に見る『 モモ』のフ ァンタジー」、梅内幸信編『 エンデ文学におけるファンタジー』 日本独文学会研究叢書 064
号 2009年 3‐13ペ ージを参照。
20黒姫 童 話 館 資 料 番 号
:02F05](08.03.1973.An Helmuth Ende)"[.…
]Das Gedicht vonNovalis、アar lnir sehr gut bekannt,ich habe sogar zeitweilig IIlit dem Gedanken gespielt,es
als IⅥ:otto vorn ins Buch zu setzen ehe ich das''irische Ⅸhnderlied‖ fand.Ich habe es aber nicht getan,weil es lnir ein wenig zu anspruchsvoll schien夕 Yrlich lnit Novalis zu schmucken. Es bestand auch(五 e(3efahr,daS es so scheinen konnte,als sei das ganze]Buch sozusagen ntthts anderes,als eine lnterpretation des Gledichtes,denn es paSt fast zu gut。 [...]“
書簡 の 中でエ ンデ は、 ノヴァー リスの詩 を挿´入 しなか った理 由 とtノてヽ ノヴァー リス を持 ち出す こ とに要求 の高 さを感 じた こ とと、『 モモ』とい う作 品全体 が ノヴァー リスの詩 の解 釈 と して一義的 に理解 され て しま うこ とを避 け るこ とを挙 げてい る。 この点 か らは、エ ン デが ノヴァー リス を高 く評価 していなが らも、単純 にそ して盲 目的 に ノ ヴァー リスお よび ロマ ン主義 を志 向 していたわけではない こ とが うかが える。 エ ンデ は さ らに、同 じ書簡 の 中で 、彼 が女流作 家 ルイーゼ ・ リンザー (Luise Rinser, 1911…
2002)に
『 モモ』 を朗読 した際、彼 女 の 日か らもノヴァー リスの名 が出て きた こ と につ いて次 の よ うに述 べてい る。 (…)も
う一度 ノヴァー リスの話 に戻 ろ う。叔 父 さんが この詩 でモモ の こ とを考 えて く れ た ことは、 もちろん とて も うれ しいの で もそれ とはまた別 の こ とが起 きたんだ。 人は ま さにその よ うな小 さな 「偶然」 に注意すべ きなんだ。少 な くともルイーゼ ・ リンザー は、僕 た ちが この間、試 しに本の何章か を彼 女 に朗読 した ときに、少 しの沈黙 の後 、突 然 こ う言 つたんだ。「これ は ノヴァー リスだ わ。」彼 女 はその後 の会話 の 中で、 も うその 事 について取 り上げ る ことはなか った。 結局、僕が彼 女 に尋 ねた とき も、彼 女 は この発 言 をまった く表 面的 に根拠づ ける こ と しか できなか ったの 文体的、そ して純粋 に言語的 に しかね。 そ こには もちろん、本 当の関連は ほ とん ど存在 しないの この こ とについて、 僕 は ど う理解 すべ きか分か らない。 ただ、短期 間に三度 も相 次いで、そ してそれ ぞれ に 関係 な く、 この名前が 自分 の ところへや つてきた とい うこ とが僕 の注意 を引いた。 も し か した ら彼 は 「上」か ら少 しお節介 を焼 いたのか も しれ ない。(…)22
照 。 田村都 志 夫 も述 べ てい る よ うに 、後 にエ ンデ は この ノ ヴァー リス の詩 を『 エ ンデ の メモ箱 』 の「あ る中央 ヨー ロ ッパ原住 民 の 思 い 」(θθル ″魚η α″θs zθ″加 んこ[ropa品
θ″■ ngeわorenθJ
の 末 尾 で 引用 してい る。Vgl.,1%“′」 ル ルsん
′古elkasZθ″,S.69。 エ ンデ は ま た 、 ドイ ツ児 童 文 学 ア カデ ミー 大 賞 受 賞 記 念 講 演 の 中で も、 この エ ッセ イ とほ ぼ 同 じテ ー マ を扱 つ てお り、やは リノヴァー リスの詩を引用 している。Vgl.,Michael Ende:。 …晨瑠 Лゐ″saゐθ″力 あ
F″
υ′"7θこer力a力留Iscl■ “′励 θ″.Vbrtrag anla131ich der Verleihung des G卜 ro3en Preises der
Deutschen AkadeⅡlie f・tilr lhnder‐ und Jugendliteratur am 26。
November 1980.In:
Juge″ 覆ら “
盪 盟′g′zI″,31.Jg.・ H.1,1981,S。 17.od.′′」動Fterar″ r」缶r mntter“ ′Rede anla31ich
der ヽ/erleihung des ,,CTr03en Preises der E)eutschen AkadeⅡ lie fur lhnder‐
und
Jugendhteratur V「 olkach 1980``, 28。 November 1980。 In: ル IIθ Sa″2J堕ノυ″g″ GёιιingerZeitsirtt hr Erziぬυ″g“″ご θθsens“′■ 21。 Jg。,H。 4,1981.S.316。
22黒姫童話館 資料番 号
:02F051(08,03.1973.An Helmuth Ende)"[。
…]Aber zuruck zu Novalis:Es Jheut lnich naturlich sehr、 da3]Du bei dieseln Geとcht an die LIonlo gedachthasto Aber es ist noch et¬ was anderes gescheheno LIan soll ja wohl auf solche kleinen 'lZufalle''achteno Jedenfalls sagte Luise Rinser,alsマ vi口ihr neulich einige]Kapitel aus dem
ここでエ ンデは『 モモ』に関 して、短い間に二人の別々の人物によつて ノヴァー リス と の関連が読み取 られた とい う「偶然」に注 目している。この点か らは、エンデの作品には、 一方では彼が意識的にロマ ン主義を取 り入れ よ うとした部分があ り、他方では彼がまつた く意識 しなかったにもかかわ らず、結果 として ロマ ン主義 と類似す る特徴 を持つに至 った 部分がある と考え られ る。 この ことは『 はて しない物語』 に恥 “ 銀d■thθ 働 “ 脳働″
,1979)に
関す る言及か ら も読み取 ることができる。エアハル ト・エプラー (Erhard EppleL 1926‐)お
よびハ ンネ・ テ ヒル (Hanne Tachl,1942‐)ら
との対 談『 オ リー ブの森 で語 りあ う』(■物″″″mtiFPO■
it量,1982)に
おいて、エ ンデは『 はて しない物語』の中心的なテーマの一つ として 「失敗の神秘」(das MySterium der Fehler)23を 挙げ、バスチアンが経験す る、度重
なる失敗が最後には成功につながるとい うモテ ィー フが、すでに
E.TA.ホ
フマ ン(E.T.A. Hoffmann,1776‐1822)の
小説『 黄金の壺』 にし″g瀾由″θ bp二 1814)24に 存在す ると述 べている。 「バスチアンは実に多 くの失敗をす る。彼 はそ もそ もほとん ど失敗 しか していない。で もま さにそれ ゆえに彼 は、最後にはすべてを適切 に行 うことができた。 このモテ ィーフ は新 しい ものではない し、僕のものでもない。 これはすでに、 とりわけE.Te A.ホ
フマ ンの『 黄金の壺』の中にあるものなんだ。そこでも大学生アンゼルムスは常にすべて失 敗 している。そ して最後には、ま さ しくそれゆえにすべてが正 しかった ことが明 らかに Sie kaⅡl dann im weiteren(3esprach nicht lnehr darauf zuruck und als ich sie schlie31ich iagte,wuSte sie diese AuSerung nur ganz oberiachlicih zu begrtilnden,stihstisch und reinsprachlich,¬ 7o naturlich wenig wirklicher Zusarlllllnenhang bestehto lch weiS nicht,was fur
einen Reim ich mir darauf machen soll,mir ist nur aufgefa■ en,daS in kurzer Zeit zweimal
hmtereinander und unabhangig vOn einander dieser Name auf Hlich zukam。 ヽ「ielleicht hat
er von‖ oben"ein biSchen lnitgelllischt.[...]“
23 Erhard Eppler,L[ibhael Ende,Hanne Tachl:fL′ ″ム21"a′面的酵比νfb″饉k,PIs虎湧η」re■
nθs θθΨ raaあa Stuttgart:Edition VVeitbrecht im Ko Thienenlanns Vё rlag,1982,S.42.(以T、
同 テ ク ス トか らの 引 用 は ■レ ″″ 」bZ醜どル “
ra強
艦 と略 記 し、 ペ ー ジ数 を添 え る。 訳 出 に あ た っては、丘沢静也訳『エンデ全集15オ
リーブの森で語 りあう』岩波書店 1997年 を参照した が 、本稿 にお け る引用 は筆 者 に よ る訳 で あ る。) 24『黄金の壺』の ドイツ語表記は二種類 あ り、初版では"D"己
d温
θZ″F`と 、第二版 では"」″3d趣
θご呻i“と表記 されてい る。 この変更がホフマンによるものか どうかは不明であ り、ホフ マ ン自身 もテ クス ト等において両方の表記 を使 つていたよ うである。Vgl。,Hartmut Steinecke[u.a.]131rsg。
):ErИ
″Лttha燿″SImムルb力θrerh.Bd.2/1.Л
2″″」θs′″attθ 力 Ca■■oιむ』イレ」ごbr,「erke fjげ4 Frankfurt am Main:Deutscher IClassiker Vrerlag,1993,S.753f。 1許術
論 文 や 学術 書 にお い て は"Dげ
3d温
θ物 ノ`が多 く用 い られ て い るが 、本 稿 で は テ ク ス トと してな るの い つたい ヽ正 しい とか 間違 ってい る とは、 ど うい う意 味だ ろ うか
?人
間の運命 は 学校 の課題や ×印 の付 いたテ ス トなんか じゃないん だ…。」25 ここで注意 しな けれ ばな らないのは 、エ ンデが この 「失敗」 とい うモテ ィー フをホ フマ ンか ら直接 取 り入れたのではない とい うこ とである。 黒姫童話館 に所蔵 され てい るあ る書 簡 において、エ ンデは『 はて しない物語』 を執筆す る際に『 黄金の壺』 を意識 してはいな かった と述べている。1981年
5月 17日 付のハ ンス・ ヴァルター・シュミット宛の手紙で ある。 幾度 とな く私を驚かせ ているのは、私 の『 はて しない物語』が他の数多 くの本 と関連 づけ られていることです。これまでで一番多かったのは、Eo Th。 ホフマ ンの『 黄金の壺』 との関連です。確かにこの作品は以前か らよく知っていま したが、私の本を執筆す る際 に、私は この作品のことをまった く考えていませんで した。26 この書簡 を見る限 り、『 はて しない物語』にお けるバスチアンの「失敗」のモテ ィーフや その他の類似す るモテ ィー フを『 黄金の壺』に由来す るもの とみなす ことはできない。 し か しなが ら一方で、エンデは『 はて しない物語』と『 黄金の壺』の類似性は認 めてお り、27 彼 の作品の解釈 に関 して、そ こに直接的な因果関係が存在 しないにも関わ らず何 らかの一 致 を見た場合、その解釈 を完全に否定 してはいない。28こ れ に加 えて彼 は、文学作品にお いては、時 として作者が意図 していたよ りも多 くの意味が成 り立つ ことを認 めて もい る。29 それ ゆえ、彼が執筆の際にロマン主義文学を意識 しなかった場合においても、その作品か らは ロマ ン主義文学 と共通す る特徴 を読み取ることができるはずである。バスチアンの持 25f■′″″ 壺b′蚤ff′口瀦 」飯k、 S.42.26辱:女臣童:言舌食官:資料 番1手チ:02EB002(17.05。 1981.An Hans ttralter Schmidt),,[...]Es ist fur
Ⅱlich illrlmer w7ieder verblu■lend, llrlit Ⅵ/ievielen anderen Buchern meine ''Unendliche Geschichte"in Zusammenhang gebracht wird.Am haufigSten bisjetzt mit dem"Goldenen Topf'von Eo Th.HOflll■ ann[sia,der mir zwar von ither her bekannt war,an den ich aber
beim Schreiben meines Buches ganz und gar nicht gedacht habe.[...]“ (下 線 は 筆 者 に よ る)
273ヶ
赫 ″誌のインタヴューにおいてもエンデは、トールキンよりも、「むしろE.To A.ホフマンやティーク、あるいはカフカに内的な親近性を感 じて」お り、『 はてしない物語』が「間
違いなくトールキンの小説よりも、『黄金の壺』との類似性をより多く持っています」と述ベ
てい る。 Vgl.,Astrid Braun:〃 予レ 陶 ″d旅″ガ′_Zi rメ
4.¨
′″』,・eaをυ″ノЙレ丘 ′,S.3985。 28子安美知子 『 エ ンデ と語 る 作品・ 半生・ 世界観』 (朝 日選書306)朝
日新 聞社1986年
188‐189ペー ジ参 照。
つ 「失敗」のモティーフも、エンデ とロマン主義文学の間に存在する共通点の一つとみな す ことができるだろう。 さて、先に見たように、エンデは『 モモ』執筆の際にロマン主義を意図的に取 り入れよ うとした発言を残 しているが、これに対 して『 はて しない物語』に関する発言は少ない。 しか し、一方で、『 はて しない物語』においては『 モモ』よりもロマン主義的な特徴を多く 読み取ることができ、この分野に関する先行研究においても『 はて しない物語』に関する 論述が多 く見 られる。 エンデとロマン主義の関連を扱った先行研究はすでに
1980年
代か らあ り、主なものと してアン ドレアス・フォン・プロン ドチンスキー30ゃクリスティアン・フォン・ ヴェルン ス ドルフ31、 そ してクラウディア・ルー トヴィヒ32らの研究が挙げられる。また、近年で もハイナ・ス トヤン33ゃァガーテ・ラ トカ34らによる研究があるが、これ ら一連の先行研 究の中には、エンデ とロマン主義を直接的に結びつけようとするあまり、その解釈の根拠 に蓋然性がなく、再考の余地を含んでいる部分もある。35ま た、日本では、中村ちよ36ゃ 酒井明子37、 青山隆夫38、 梅内幸信39らの論考において、エンデ文学の持つロマン主義的30 And■teas von Prondczynsky:Dθ ″″θ″d左盪 θSi″θ口盪
`″ ′
“
品たЙ se■bsι″Иttfien5レEren
α″θS″θ
“θ″ル6/Z力θS.Tそrs口励 ″わ″ einθ ″DLθ″dZttθ θes(ダゴ励ね
`I Frankfurt alln Main:
正pa‐Verlag,1983.Ougend und Medien,Bd。 3)
31 christian von Wernsdor」
『 :五Lたた
rgり
θ″ ルsA石 “おり乙斑 醒ederkehr ttI Rο
“
′″乙』rわ
J
ittiaゐ′aFEndb“″ごPeter」曰レ″量e.Neuss:Verlag Jurgen schampel und Frank ICteine,1983.
32 claudia Ludwig: Nasご
“`rθrわ′じη″dein“ レ7tern力′θ′..ゑ奮励 ′aJ Enあθ」強′″″ Jb″ ―
3ymわ〔油量 ″″ご〃terarisc力θθ口θ」髪狙.Frankfurt am M[ain:Peter Lang,1988.
33 11ttna StOyan: Ittb phaf2漁 stischθ″ 麗
nie島
″“ d労・ Ittθ″ 拓 “ ′θf Endb′ И r ein6r Ein」Lぎ′ms zttr Zb′ "をlJ」口″g ttl θ′′′口″ gsl力θθ″θ II″ごe■nθ」 “ 五k女 ″ s zIIFノカ′″ι′θttsぬθ″ 亜GbdしL″じerarttr ttI I乃じピ7 FrankfuFt am Main:Peter Lang,2004.
34 Agathe Lattka: И
ttb―
F
■eF Rθ “′″艦 ′ Einθ DLじers口aゐ
“
″
g
』乙たら′aJ Endbs ″θЛ ′″ り θiフЪθ″dttiθЙθθes盪1“ 茨ダ。Munchen:G}rinヽ戸erlag,2005。35例 えば、ス トヤンはコレアンダー氏の名前が『黄金の壺』の第二の夜話で言及される店の所 有者の名前「コンラーディ」("Conradi“,Hartmut Steinecke[u.a.](Hrsg)Z rИ ′″πb′″″
sam』
盪θ マ熱 ゝBd・ 2/1,S.235u。243)に
由来する可能性 を示唆 している。Vgl。,Httna
Stoyan:a.a.0.,S.126.こ の点についてはしかし、すでにルー トヴィヒが述べているように、
あくまで名前の類似´性が指摘できるのみであろう。Vgl.,Claudia Ludwig:ao ao Oり S.162.
36中 村ちよ「ミヒャエル・エンデ 「モモ」一 児童文学にあらわれた内的時間について 一」東 京女子大学『東京女子大學付属比較文化研究所紀要』第 45巻 1984年 17‐35ペ ージ。 37酒 井明子 「二つの世界とイノセンスの所在及びその意義 一 エンデ と賢治を巡つて 一」横 浜商科大学 『 横浜商科大学紀要』 第 7号 1991年 293‐315ペ ージ、および、「ロマン主義円 環理論 と
M.エ
ンデの 動 α Lα″♂ "Reisθ Zゴ(『ある長い旅の終着点』)」 横浜商科大学『横 浜商大論集』 第 27巻 第2号
1994年 208-228ペ ージ。 38青 山隆夫 「M。 エンデ:『モモ』 とロマン主義」東北大学言語文化部『 言語 と文化』第9号
1998年 161‐186ペー ジ 。 39梅 内幸信 「M.エ
ンデの『魔法のカクテル』における良心の鐘の音」鹿児島大学法文学部『人な特徴 が指摘 され 、あ るいは両者 の関連が論 じられ てい るが、 この方面 に関す る研 究 はま だ十分 で あ る とは言 えない。特 に現在 では、 ローマ ン・ホ ッケ (Roman Hocke,1953‐ ) に よつてエ ンデ の遺稿 の一部 が刊行 され 、 さらに黒姫童話館 に所蔵 され たエ ンデ の原稿や 未刊行 の書簡等 の一次資料 が公 開 され てい るこ ともあ り、 この方面 に関す る研 究 もさ らに 広 が る可能性 を秘 めてい る。 本稿 では、『 はて しない物語』を主 なテ クス トとして、ノヴァー リス をは じめ とす る ドイ ツ・ ロマ ン主義 の文学作 品や 文学理論・文学観 との比 較・ 考察 を行 うこ とに よ り、エ ンデ 文学 とロマ ン主義 文学 の間 にある親近性 を具体的 に明 らか にす る こ とを試み る。 これ に よ ってエ ンデが どの よ うな点 で ロマ ン主義 を受 け継 ぎ、現代 に再生 させたのか考 えてい きた い。 テ クス トの考察に入 る前に、作品の概要について少 し触れてお こ う。『 はて しない物語』 は、
1979年
秋 に出版 された後、ブクステフーデ雄牛賞や ヴィルヘルム・ハ ウフ賞、ヨー ロ ッパ青少年文学賞 をは じめ、 ドイツ国内外で数 々の賞を受賞 し、40映
画化 もされた長編小 説である。執筆のきっかけ となったのはエ ンデの本 を出版 していたテ ィーネマ ン社の社長 ハ ンスイェルク・ ヴァイ トブ レヒ トとの会話である。1977年
2月
、当時 ローマ近郊 にあ ったエンデの家に滞在 していた ヴァイ トブ レヒ トは、ある晩、新 しい本 を書 くようエ ンデ に勧 める。そ こでエンデはアイデアのメモが入った箱 を取 り出 し、中に入 つたメモを次々 と読み上げてい く。やがて彼は、「一人の少年が本を読んでいる間に文字通 り物語の中へ入 り込んで しまい、苦労 してそ こか ら抜け出す」41とぃ ぅ文言が書かれたメモに行 き当たる。 文学科論集』第 72号 2010年 285‐312ペ ージ。40 vgl。
,Roman Hocke,Thomas I←
a乱:A奮ごi′」 ル あ こI″ごsα″θρ力′″ねs″s(■θ"Ъ
『′Die
Sυ
“
θ″′θЙ 〔晨,」盟ZarJわθr再/6ri Stuttgart,Ⅵ rien,Bern:ヽ Veitbrechtヽrerlag in]K.Thinemanns
ヽrerlag,1997,S。 143f.
41,,Ein Junge gerat beilll Lesen eines Buches buchstablich in die(3eschichte hnein und
fillldet nur sch恥アer wieder heraus.“ maus seehafer:LLerTレ7帥′」 “
ゴ′盟
Lbe■
Enあ
:2 re量_In:L力
′Sozia」bェ■ab農フ′IIs ier′″励FηθsリカIsttθ″=セわ″4 Nr。 7‐8,1982 Juli‐August,S.15.u。Hans‐ JOachim LIIuller(Hrsg。 ):β口彪わ′ab〔ソ ИυこQIen」L農ソ燿θ712T/S′ Darmstadt:Gesellscha乱
Hessischer Literaturieunde, 1985,S.88.uo Michael Ende,Roman Hocke(Hrsg。
):D∝
ⅣZθ″′″dsgaF""″
Munchen:Pゎ
er Verlag,2009,S.300。u.Roman Hocke,Uwe Neumahr:
″lab′」 ル あ,Magis“θ Ndten″ Munchen:Henschel Verlag,2007,S.103.他 の 資料 で は 、 「一 人 の 少年 が物語 を読 ん でい る間 に文字 通 り物語 の 中へ入 り込 ん で しまい 、 苦労 してそ こか ら抜 け出す 」,,Ein Junge gerat beilll Lesen einer Geschichte buchstablich in diese Geschichte
hinein und indet nur schwer wieder heraus.“ (Barbara Bondy,Barbara von Wuttn,Hans
Heigert: θθttraθ力 盟ゴ′
Mbゐ
′」 Endb. I′ brs口θ乃, こen
丁勧 sser ttI ″働 θ″d■lθらθ″θθs“ittιθ“zこI″2 Erzahん″z″ bringθ″.In:S″ddeυ ιsiθ ttdι■理 ,Nr.61,14。/15。 Marz 1981,
S.137)Od.,,Ein Junge gerat beillrl Lesen einer Geschichte buchstablich in die(3eschichte hinein und findet nur schwer wieder heraus。 “
(Roman Hocke,‐
omas I←aft:a.ao O夕,S.この構想が ヴァイ トブ レヒ トに気に入 られ、エンデは『 はて しない物語』を書 き始めるこ ととなった。42当 初は
100ペ
ージほ どの短い物語が想定 されていたよ うであるが、次第に 物語は膨れ上が り、最終的に428ペ
ージにお よぶ長編 となつた。それでも現在、我々が読 む ことのできる内容 は、「実際に書かれたものの四分の一ほど」43あるいは「五分の一ほ ど」44 であるとい う。文字通 り、はて しなく発展 してい く物語の執筆は、エンデを極限まで追い つめたよ うである。クラウス・ゼーハー ファーによるインタヴューにおいてエ ンデは、当 時を振 り返 って、「私 は命がけで『 はて しない物語』と闘いま した。この物語は危 うく私 を 精神病院 に送 り込む ところで した」45と語つている。 こ うした苦心惨愴の末 に完成 した『 はて しない物語』は、出版 の翌年には 「シュピーゲ ル」誌のベス トセ ラー リス トにランクインす る。初登場 となったのは1980年
7月 7日 第28号
で、 この とき第5位
であつた。46そ の後、1981年
1月 12日 第3号
で初めて第1位
の座 を獲得 したのを皮切 りに、47ベ
ス トセラー リス トの1位
と2位
の間で入れ替わ りを続 110)と 述べ られている (傍点および下線は筆者による)。 なお、L力
θの訳出にあたつては、 河西善治編『 第二の道』第3号
人智学出版社1985年
および ミヒャエル・エンデ他著、樋 口 純明編『 ミヒャエル・エンデ ー ファンタジー神話 と現代』 人智学出版社1986年
を参照 し た。後者の方にはLん
Jで は編集・短縮 されたインタヴューが全文訳出・掲載 されている。そ こで 底 本 とされ てい るの は 力賭湖 yf2多盟Jbs JQIttθ zぽЛ分ル ″ば ご″ "り腸 媚 ♭ガdagO」 k′He量 25,Advent 82,Flensburg e.V。 に掲 載 され た記 事
Lた
″力 ″“ゴ測匿盪 ′」
&ル
で あ るが 、筆 者 は この資 料 を入 手 で きな か っ た た め 、 本 稿 で は 可 能 な 限 り
L力
θをテ クス トと して使 用 した。
42 vgl.,Roman Hocke,Patrick Hocke:腸 “
ar2直ふ θθθsaみ」盪 ル.Jas_月b′″″
J“
texikon.StuttgaFt:Thienemannヽrerlag,2009,S.54■
43 Barbara lBondy,Barbara von Wulffen, Hans Heigert: θθ3praab mi′ 』五:bЙ′」 Enあ,S.
137′
44:皿auS Seehafer:Lねrttθlly“士И 盪 ′」 ル (わ2 re■■、s.15。
45 Ebd。,S.14.エ ンデは他のインタヴューや講演においても同様の発言をしている。例えば彼
は、『南 ドイツ新聞』のインタヴューにおいて 「最初はもつと短い話になると考えていま した が、書いている間にこの案件はますます発展 しました。本当に私はこのことで危 うく気が狂い
そ うにな りま した。それ は私 を四方 人方 に爆発 させ たのです」と述べてい る。Vgl.,Barbara Bondy,
Barbara vOn Wulffen,Hans Heigert:ao a,0り S。 137,彼はまた、1986年 8月 18日か ら23日
か けて開催 され た、国際児童 図書評議会 の東京会議 「子 どもの本世 界大会 ― 第
20回
IBBY
東 京 大 会 ― 」 で の 基 調 講 演 に お い て も 、 同様 の発 言 を して い る。Vgl,,Mbレ
ダ 肋 あs 多銘tekasた″′S.188。 この大会 のプ ログラムでは、エ ンデ の講演 が行 われ たのは、8月 19日 と なつている。神宮輝夫他編『 なぜ書くか、なぜ読むか1986年
子 どもの本世界大会 一 第 20 回IBBY東
京大会 ―』 日本国際児童図書評議会 1987年 13ペ ージおよび243ペ
ージ参照。 基調講演のタイ トルは「なぜ子 どものために書 くのか」 (閉ケ ″θJ陽
施力F(%hen)で
あ ったが、『 エンデのメモ箱』に収録 される際には 「永遠に幼きものについて」(働
び ルsF"詳
Kn`滋
盪θ)に
変えられている。 46 vgl.,Dtt QttQF4 34.Jgり Nr.28,07.07.1980,S.162. 47 vgl.,3ビ身震りこ35。 Jg。,Nr.3,12.01.1981,S.160。 この号では『 モモ』も第8位
にラン タイ ン してい る。け、
1981年
6月 15日 第25号
か ら1982年
7月 12日 第28号
まで56週
連続で 1位 を獲得 した。481984年
4月 には『 鏡のなかの鏡』(五brヽ
‐ゞ ゴカ 助 れ "ノ)も
ベス トセ ラー リ ス トに登場 し、4月 中旬か ら 7月 頃まで『 はて しない物語』 と『モモ』 とともに、エンデ の著作三冊がベス トセ ラー リス トの上位 を占めている。ただ し、7月 を境に『 モモ』と『鏡 のなかの鏡』は徐 々に順位 を下げ、10月 には リス トか ら姿を消す。一方、『 はて しない物 語』は1985年
4月 中旬 まで リス トに残 り、初登場以来、5年
近 くに渡 ってベス トセ ラー リス トに載 り続 けた。年間ベス トセラーが掲載 され る各年次の第1号
を除けば、49最 終的 に総計 110週 に渡ってベ ス トセ ラー リス トの 1位 を獲得す ることとなった。50 すでに多 くの先行研究において指摘 され 、エ ンデ 自身 もその一部 について言及 している よ うに、この作品には ロマ ン主義だけでな く、ギ リシア神話やアーサー王伝説、グ リム童話、トールキン (おhn Ronald Reuel Tolkien,1892‐
1973)等
の文学に由来、あるいは類似す るモテ ィーフや、アルチ ンボル ドや ゴヤ等の絵画に由来す るモティーフ、 さらには錬 金術51ゃヵバ ラ、禅の思想等が随所 に織 り込まれている
Dそ
れ らは空想や幻想 を意味す る 語 「ファンタジー」 (Phantasie)の ア クセ ン トをず らし、地理的な名称 に転用 した 「ファ ンタージエ ン」 (Phantisien)と い う作品の中の物語世界のみな らず、『 はて しない物語』 とい う作品全体を形成 している。 以下の章では、 ロマン主義文学において描かれている主人公や幻想世界、モテ ィー フ等 の特徴か ら『 はて しない物語』 を読み解 くことを試み るD主
に比較の対象 となるのは、ノ ヴァー リスお よびE.TA.ホ
フマ ンの作品群である。481981年
の年間ベス トセラーが掲載 された 1982年 1月 4日第 1号 を除く。 49『は て し な い 物 語 』 は 、1981年、1982年、1984年の 年 間 ベ ス トセ ラ ー に お い て 1位を 獲得 し て い る。Vgl。,Der a娘esd,36.Jg。 ,Nr.1,04.01。 1982,S。 110。 u。 37.Jg。,Nr。 1,03.01. 1983,S.126。 u。 39.Jg。 ,Nr.1,31.12.1984,S.104.
50ベス トセラー リス トが掲載 されなかった1984年 4月 30日 第 18号を除 く。テ ィーネマ ン社
のホームペー ジでは、『 はて しない物語』が第1位を獲得 したのは113週 とされてお り、年間
のベス トセ ラー リス トにおける結果 も含まれ ている。Vgl.,http:〃cms.thienemann.deAndex。
php?option=co m_content(&view=article86id=66&51tell■ id=94
51ェ ンデと錬金術思想の関連については、川村和宏『 ミヒャエル・エンデの貨幣観 ― ゲーテ の『 メルヒェン』からシュタイナーを経た錬金術思想の系譜 ―』三恵社 2011年 を参照。
第 一 章 主 人 公 の ロマ ン主 義 的 特 徴 『 はて しない物語』の主人公バスチアン・バル タザール・ ブ ックスは 「十歳か十一歳 く らいの背の低い太 つた少年」52である。物語の冒頭で彼 は、登校 中に同 じクラスの子 ども たちに追われて、 コレアンダー氏の吉本屋へ駆 け込んで くる。 コレアンダー氏 との会話に おいて彼 の性格お よび境遇が明 らかになる。彼 は学校 でい じめ られている上に、スポーツ も勉強 もできない落第生である。コレアンダー氏の言葉 を借 りれば、彼は「弱虫」53で「臆 病者」54、 そ して 「まった くの役 立たず」55でぁる。バスチアンに とつて学校 は 「日々、 打 ちのめ され る場所」56であるために、彼 は学校での生活を「はて しな く長い懲役刑」57の よ うに感 じているの そんな彼 が唯一、得意 とす るのは 「物語を考え出 した り、まだ存在 しない名前や言葉 を 作 り出す」58こ とゃ、「本 当に見た り聞いた りするように、何かをはつき りと想像す ること」59 である。彼の命名 の才能は後 に、幼 ごころの君に新 しい名前をもた らし、ファンタージエ ンを虚無の拡大か ら救 うことになる。 さらに彼は、優れた想像力によつて、物語の中の出 来事 をあたか も現実に起 きたかの よ うに五感で知覚す ることができる。例えば、バスチア ンはコレアンダー氏の吉本屋で見つけた本『 はて しない物語』を無断で持ち出 した後、こ の本 を学校 の屋根裏にある物置で読みは じめるのだが、その際に彼 は、本の中の出来事を 聴覚 と嗅覚に よつて知覚 している。 本 を読んでい る間に彼 は、太い幹のき じむ音や、風が本々の梢 にざわめ く音 を聞いた だけでな く、四人の奇妙な使節のそれぞれ異なる声を聞いた。それ どころか彼 は、苔や 森 の上の匂いまで嗅いだ よ うな気が した。60 52 Michael Ende:]θ “″θ″dLttθ θθθJ蜃力発.Mhnchen:Piper Verlag,2009,S.5,(以下、「司 作 品か らの引用 は 五石θ “ “ごね猪 θbs“ 渤 た と略記 し、ペ ー ジ数 を添 える。訳 出にあたつて は、上田真而子、佐藤真理子訳 『 はて しない物語 上・下』 岩波少年文庫 2000年 を参照 した が、本稿における引用は筆者による訳である。ただ し、固有名詞の表記については上田・佐藤 訳にならつた。) 53 Die口』θttdZb■θ(7θs励ゴ盪 た,S.8. 54 Die″″θ″dZb力 θθθsabicЙゎ,S.8. 55 Die″″θttdZ“θθθθ盪 」盪 た。S.9. 56 Die“燿θ″dZ“θθθs(“bicЙね。S.13. 57 Die口″θコdZむLθ θθs励ゴ “ ιθ,S.13. 58 Die“″θ″d■b力θ Ges励ゴとみた,S。 9.
59 Die II12θ″dbむЙθθes(ダbibルた,S.26.
バ スチア ンは言葉や物語 を創 造す る能力 だけでな く、物語 を受容す る能力 に も長 けてい る とい える。 しか し、その容 姿や性 格 と同 じく、彼 の この よ うな能力 も周 囲か らはほ とん ど良い評価 を得 ていない。 とい うの も、彼 は 自分の物語 を聞 く人 間が誰 もいないた めに、 自分 でつ くつた物語 を 自分 自身 に話 して聞かせ てい るが、 この行為 は彼 が同級生 にか らか われ る原 因の一つ とな ってい るか らであ る。 バ スチア ンの よ うに生来の能力や性格 、 あるいは運命 のた めに、社会や家庭 とい う現実 の世界 に うまく適応 できない一方で、優れ た想 像 力を駆使 して空想や幻想 の世界 に生 きる 主人公 は、文学研 究 において 「変 わ り者 」(Sonderling)の類型 に属 してお り、61ロマ ン 主義 文学 におい て も しば しば登場す る。 クラウデ ィア・ルー トヴィ ヒは、 ノ ヴァー リスの 『 青い花』 のハ イ ン リヒや
E.T.A.ホ
フマ ンの『 黄金の壺』 のアンゼ ルムス、『 蚤 の親 方』u農
壼燈・」磁9ヵ,1822)のペ レグ リー ヌス・テ ュス、さらに『 フ ァー ル ン鉱 山』にをB血
Ⅳette z″ 」乃 ノ囲,1819)の
エ ー リス ・ フ レー ボ ム ら とバス チ ア ンを比 較 して い る。62本章 で は 、 これ らノヴァー リス とホフマンの描いた主人公たち とバスチアンの類似点お よび相違点を よ り詳細に検証 してい く。 第一節 夢想的 な性格 と世間か らの疎 外 ― ア ンゼルムス とペ レグ リー スス 日常における失敗 と現実への不適応 一 アンゼルムス まず、エンデ 自身が『 はて しない物語』における失敗のモテ ィーフとの類似性 を認 めた、 『 黄金の壺』の主人公アンゼ ルムス とバスチアンを比較 してみ よ う。アンゼルムスは 「整 つた顔立ち」63と 「た くましい体つき」64に加 え、学校での成績 も良い 65大学生である。 彼 もまた、 日常生活において不運に見舞 われ、失敗ばか りしているために、バスチアンと 同 じく世間 とうまく付 き合 うことができない。物語 冒頭か ら彼は、物売 りの老婆の籠 に飛 61ルー トヴ ィ ヒに よれ ば 、ドイ ツの 文 学研 究 にお け る 「変 わ り者 の類 型 」 とい う名 称 は 、ハ ンス・ レー ル の 論 文 (Hans Rёhl:αLraktere力 あr abυtsぬθ″I万盪 ′′″g abs f9し ら力J“″こerお′
In:笏
お盪J力
r&こ
′ιs凸女υ″あ,Nr.36,1922,S。 213‐221)の
中 で初 め て登 場 した とい う。Vgl。,Clauclia Ludwig:"Lsご口ererbr yθ″こei″θ″ 予移tern力 ′s′′,″′S。 150。
62、「gl.,ClauとaI」ud"アig:ebd.′ S,151‐ 155u。 232■
63 Eo To A.Hofflnann:Der gθldenθ ttf ln:Hartmut Steinecke[uo a.](Hrsg。
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『 И″ 〃覆んη″″Samttbttθ ″