いる。この点についてルー トヴィヒは、ノヴァー リスの『 夜の讃歌』(夏ヵ口″θ″θ″』
b助
洗 1800)と 、『砂男』 (3ビ 議口山口″ ″)や
『 石の心臓』等が収められたEoT A。 ホフマンの『夜景作品集』 鋤 励お″歯 ,1816/17)を具体的な作品名 として挙げている。358し か し なが ら、そこではテクス トの比較は行われていない。 ここでは夜を主題 として扱った『 夜 の讃歌』について見てみよう。
『 夜の議歌』一 夜と死の■造性
『 アテネ ウム』
u励
"′″″
)誌
第二巻第二号に掲載 された『 夜の讃歌』は、1791年
にヴ ィ ー ラ ン トの『 新 トイ ツ・ メル クー ル 』(3算
N"θ
■ ″お励 θゴ娩 盪 嘱 1790‐1810)誌
に 掲載 され た『 ある若者 の嘆 き』(magen d
s Jung■ings)以
外 では、 ノヴァー リス 自身 の手 に よつて完成 され 、生前 に刊行 され た唯一の詩作 品で ある。359全体 は六つ の讃 歌か ら構成 され てお り、手稿 では 自由な韻 文で書かれ た詩句 の多 くは、アテネ ウム稿 では散文 に変 え られ てい る。まず 、第 一讃 歌 の最初 の節 では、光が讃美 され るが、次 の節 では語 り手 の眼 は、「神 聖で、
い わ く言 い難 く、秘密 に満 ちた夜」360に転 じてい る。夜 は神聖 で あ る と同時 に、人 間の内 面 に作用 し、「無 限の眼」 を開かせ る とい う。
夜 が我 々の内 に開いた無 限の眼 は、あのき らめ く星 々 よ りも神 々 しく思 われ る。 その 眼 は、あの無数 の星 の群れ の最 も淡 い もの よ りもさ らに先 を見て 一 光 を必 要 とせず と も、愛 の心情 の深 み を 一 よ り高 き空間 を、えも言 われ ぬ悦楽 で満 たす もの を見通す。361
第 二讃 歌では、「呪 うべ き喧騒 は、夜 の神 々 しい気配 を呑みつ くす。愛 の密 か な生贄 は永 遠 に燃 える こ とはないのか
?光
に害Jり 当て られ た時 間は限 られ てい る。 しか し、夜 の支配 は時 間 と空 間 を超 えてい る」362と 述べ られ てい る よ うに、光 が有 限な もの とされ てい るの 358 vgl.,Clautta Ludwig:Nasご ″ererb′ 7on deinθ″ アZtern力′si″̲S.228.359 vgl。,Herbert Uerlings:Frieι闘 泌 yθ″
Z″
勘 わθじ ま盟″ ′ノ吻 Fals,S。 277.お よび 、今 泉文子『 ノヴァー リス作品集 3』 ちくま文庫 2007年 397ページ参照。360 Novalis:町m″θ″′″茜θ腸 よIn:助ゞ盛sS蝸整武
en,Bd.I,S.131.(以
下、同作品か らの引用は 夏
"堕
′″晟9ノ鴨励 ′と略記 し、ページ数 を添 える。 この作品には、手稿 とアテネ ウム稿の二種類 があるが、本稿ではアテネ ウム稿 をテクス トとして用い る。訳出にあたつては、
今泉文子訳『 ノヴァー リス作品集3』 を参照 したが、本稿 における引用は筆者による訳である。) 361 Hym″θ盟′″こe Na盪ムS.133。
362 Hym″θ″′″麗e/Va励ムS.133.
に対 して、夜 は無 限である とされ る。第二讃歌 ではいわゆ る 「ゾフ ィー体験 」が語 られ 、 第 四讃歌 では、夜 がペ レリンの よ うに、昼 の世 界を作 り出す 光 を留 め、補完す るもの とし て語 られ る。
我 々を感激 させ霊感 を与 えるすべ ての ものは、夜 の色彩 を帯び てはいないか
?夜
は汝(=光 )を
母親 の よ うに抱 き、汝 は夜 に、汝 の栄光 のすべ て を負 ってい る。汝 が熱 を発 し、燃 え さか りなが ら世界 を生み 出す た めに、夜が汝 を引 き留 め、東縛 しな けれ ば、汝 は 己 自身 の 中で消 え去 るこ とだろ う 一 無 限の空間の 中へ溶 け失せ るこ とだ ろ う。363第 五讃 歌では 、ギ リシア神話 の世界 とそ の終焉 、そ して キ リス トの誕生が歌 われ てお り、
い わゆる 「歴 史の三段階説 」(die triadische Geschichtsauhssung)を 読 み取 る こ とがで きる。 そ してそ の際に夜 は、次の世界が到 来す るまで神話 の神 々が眠 りにつ く 「母胎 」 と され る。
もはや 光は、神 々の居所 ではな く、天 上の しる しではなか った 一 神 々は夜 の帳 を御 身 らの上 に投 げか けた。夜 は啓示 の力強 い母胎 とな った 一 その 中へ神 々は還 リ ー 新
しい栄光 ある姿 となつて変革 した世界へ 出てゆ くた めに、眠 りにつ いた。364
ここでは死 と同義 で もある夜が、一つ の世界 の終焉 で ある と同時 に、新 しい世界が生 ま れ るための準備段 階 と して も構想 され てお り、神話や 聖書 において語 られ た原 初 の暗 闇や 夜 、そ して フ ァンター ジエ ンの再創 造 にお ける暗闇 と同様 に創 造的 な性 質 を見 出す こ とが で きる。
エンデ とノヴァー リスの死生観
さらに、上に引用 した夜の描写を生 と死 とい う観点に置き換 えてみ ると、死は新たな生 へ と至るための一つの過程 として扱われているといえる。 ノヴァー リスが夜を創造的な状 態 として表現す る背景には、彼の死生観が影響 してい るように思われ る。 とい うのも、彼
363 Hym″θ″′″ごθⅣして■4S。 137∬。
364 Hvm″θ″′″置e Na 4S。 145。
は、ある時は死を「生へ と至 るための手段」365と呼び、またある時は 「死は我々の生 をロ マ ン化す る原理である。死はマイナス、生はプラスである。死によつて生は強め られ る」366
と述べ、死を生のための積極的な契機 とみな しているか らである。367
ノヴァー リスはまた、 この よ うに死の中に生の契機 を認 める一方で、生の中に死の作用 を認 めて もいる。
1798年
の『 アテネ ウム』誌第一巻第一号に掲載 された断章集『 花粉』(』「 趨な盟θ″口わ
)の
中には次の ような断章がある。生は死のは じま りである。生は死のために存在す る。死は終わ りであると同時には じ ま りであ り、分離であると同時に、 より密接な 自己結合である。死によつて還元が完了
さオtる。 368
生あるものはいつか死を迎 えねばな らず、生はそのは じま りか ら死を最終 日標 としてい る といえる。その点で死は、生あるものの終焉である一方で、生を得た ものがその生涯 を かけてた どる道で もある。 この世のあ らゆる存在は時 とともに徐 々に死へ近づいてお り、
それは漸次的な死であるといえる。死はまた、分離 (Scheidung)であると同時によ り密 接 な 自己結合 (Selbstverbindung)で もあるとされ る。分離 とは生か らの断絶 として理解 できるが、より密接な 自己結合、すなわちより深 く自己に結びつ くこととは何 を意味す る のだろ うか。
ここで述べ られている自己 (Selbst)と い う語 を人間の 自己 として とらえ、生 と死を観 念 として見 るな らば、 自己結合 とは人間が死の観念 によつて生の意識か ら離れた後 に、死 の側か ら自己の生 を意識 し、自身の生へ と再び回帰す ることとして理解できる。この場合、
死による還元の完了 とは、死を意識す ることによつて 自己か らの離脱 と自己への回帰 とい う観念的な運動が完結す ることを意味す る と考えられ る。
また、 自己 (Selbst)と い う語 を死そのもの として とらえ、生 と死を現象 として見 るな らば、 自己結合、すわなち死そのものへの結びつ きとは、生の内に生 じる漸次的な死が時 の経過 に応 じて、その最終 日標である終わ りとしての死へ接近 してい くことを意味す ると
365 Ab予こ′方θ
Bふ
昴 ″,Bdo Ⅱ,S.560,Nr.166.366 Ab「羞
s鋤
」」始″,Bd.Ⅲ,S.559,Nr.30。367ノ ヴァー リスが死を積極的に評価するに至った経緯には、恋人ゾフィーや弟エラスムスの 死、ヘムステルホイス (Franz Hemsterhuis,1721‐1790)の影響などがある。中井章子『 ノヴ
ァー リスと自然神秘思想』21‐32ペ ージ参照。
368 Abla■
isSふ
正rb″夕Bd.Ⅱ,s.417,Nr.14.考 え られ る。分離 と結合 、そ して還 元 とい う言葉 を化学的 な意 味で解釈 す る と、死 に よる 還 元 の完 了 とは、生 と結びつ いていた漸 次的な死が 、最終的 に生 か ら離れ て、終わ りとし ての死 に変化す る ことと して理解 で きる。
さらに この断章 にお け る生 と死は、輪廻転生の観念 か らも解釈 で きるであろ うが、いず れ にせ よ、 ここでは両者 が表裏一体 の関係 を成す もの として とらえ られ てい る とい え る。
以上 の点 を踏 まえ る と、 ノ ヴァー リスは生 と死 を、不可逆的 で一方 向的 なは じま りと終 わ りとい う一般 的 な観念 に留 ま らず 、一つ の連続 した創 造的過程 と して、そ して循環 的 な運 動 において働 く相補的・相 関的作用 として も理解 していた とい えるだろ う。
この よ うな ノヴァー リスの死生観 は、エ ンデ の死生観 に も通ず る よ うに思われ る。 エ ン デ は『 ものがた りの余 白』 において 「死」が話題 にな った際 に、生 の裏 で働 く死の力や連 続 した一つ のプ ロセス としての生 と死 につ いて述べ てい る。
彼 に よれ ば、人 間は一 生 を通 じて死 に続 けてい る とい う。 人間 に意識 が あるのは覚醒時 に身体 の 中で微細 な破 壊 を してい るためで あ り、思考 をす る際 に も人間は身体 の中で何 か を破壊 し、身体 の力 を消費 してい る とされ る。 エ ンデ はそれ を 「人間のなか に存在す る死 の力 」369と 呼び 、生 の力 とは異 な る もの に作用す る超越 的 な力 とみ なす。続 いて彼 は、偉 大 な芸術 家や詩 人 の生涯 につ いて触れ 、創 造的能力 の源 で あ る 「青春 の力
Jを
使 い果 た し て早世 した芸術 家 370と 、それ とは逆 に35歳
や40歳
の年齢 になってか ら「死 にゆ く力」に よつて突然創 造 的 にな った芸術 家 とい う二つ の タイプを挙 げ る。彼 は前者 の創造J性が「身 体性 か らくる力」371でぁる一方で、後者 の創造性 は「脱身体化 (物的 な身体性 を失 うこ と) か らくる力」372でぁる と述べ、特 に後者 の力を精神的 な もの とみ なす。373
エ ンデはその よ うな 「死 にゆ く力」 とい う観 ″点を樹木 の よ うな植 物 の変容や 、人生 にお け る人間の年齢 、自然 にお け る四季 の移 り変 わ りに例 えてい る。木 々が葉 を落 とす ことは、
外 的 には 「死 にゆ くプ ロセ ス」 であ る一方 、内的 には本か ら大地へ と異 な る力 が働 いてい
369田 村都志夫編訳『 ものがた りの余 白』253ペー ジ。
370ェンデ は この よ うな芸術家 の例 と して ノ ヴァー リスの名 を挙 げてい る。 「ノヴァー リス を 例 にひ けば、ず いボ ん若 死 に してい る。 つ ま り、 ノヴァー リス はそ の創 造 的能 力 のすべ て を、
実 は青春 の 力か ら得 たの です。 そ して、それ を使 い尽 く した とき、 ノ ヴァー リスは死 んだ。 」 田村都志夫編 訳 同上 253ペー ジ。
371田 村都志夫編訳 同上 254ペー ジ。
372田 村都志夫編訳 同上 254ペー ジ。
373ただ し、ェ ンデ は ノ ヴァー リスの青春 の力が精神 的 では なか つた とは言 えない こ とに注意 を促 してお り、それ ぞれ の力 は異 な る質 を もた らす異 な る手段 であ る と述べ てい る。 田村都志 夫編 訳 同上 255ペー ジ参 照。
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