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初期ロマン主義とエンデの 詩 学

これ までの三章 では、物語 の展 開に沿 う形 で『 はて しない物語』 を ロマ ン主義文学 の諸 作 品 と比較 して きた。 そ こでは、主人公 の基本 的な特徴や境遇 だ けではな く、幻想 世界 の 統治者の救済や 、幻想 と現 実 の対 立的関係 の解 消お よび調和的 関係 の構 築 とい つた話型 、 自然 ポエ ジーや本 の 中の本 、生命 の水 とい つたモテ ィー フ等 、多 くの′点で ロマ ン主義 文学 と同様の、あるいは類似す る特徴 を認 めることができた。『 はて しない物語』は さらに、一 個 の作品 としてのみな らず、エ ンデの文学観・芸術観 のあらわれ として も読む ことができ る。 とい うの も、『 はて しない物語』 に関 してエ ンデは、『 南 ドイツ新聞』 のイ ンタヴュー の中で 「私は物語の中で私の文学理解 あるいは芸術理解 を示そ うと試みま した」466と述ベ てお り、さらに別のイ ンタヴューでも「お望みな ら、この本は私の詩学 (Poetik)で す」467

と述べているか らである。作品の構想やその背後にあるエ ンデの文学観・芸術観 もまた、

ロマ ン主義的な特徴 を備えている。本章では、その代表的な例 として、初期 ロマ ン主義の フ リー ドリヒ 0シ ュレーグルお よび ノヴァー リスの文学理論や文学観 をエンデの文学観・

芸術観 と比較・考察 してい く。

第一節

Lシ

ュ レー ゲルの「進 展的普遍 ポエ ジー

Jと

「新 しい神話」

まず、『 はて しない物語』で描かれた「ファンタージエ ン」とい う幻想世界の構想 につい て見てみ よ う。すでにい くつかの点について触れた よ うに、エンデは 「ファンタジー と夢 の国であるだけではな く、芸術 の国、つま り虚構 (Fiktion)の 国」468であるファンター ジエ ンを描 く際に、様 々な芸術や思想 に由来す るモテ ィーフや描写 を取 り入れていた。 こ の点についてゼーハーファーは、そのイ ンタヴューの中で、特 に トールキンの『 指輪物語』

(鰍

L″

ご〆 肋θ品韓男 1954‐

55)と

の類似性 を指摘 している。469これ に対 してエ ンデ は、「 トールキンの物語 自体が、元をただせば、アーサー王伝説 に基づいていて、それ は、

466 Barbara Bondy,Barbara vonヽ rulfbn,Hans Heigert:θθゃ■慶(■ ′』石ご[′θf ttbめ,S.

137.その 例 と してエ ンデ は 、グモ ル ク とア トレー ユ の 会 話 とア トレー ユ と幼 ご こ ろの 君 の会 話 を挙 げ て い る。

467 HanS Ester:θθΨFa6カ ゴ′施 ′」

Zbあ

,S。 182.

468 Barbara BOndy,Barbara von Wul]bn,Hans Heigert:a.a.0.,S。 137′

469ミ ヒャエル・エンデ他著、樋 口純明編『 ミヒャエル・エンデ ー ファンタジー神話と現代』

38¨39ペ ージ参照。

名 前 のつ け方 にい たるまで、反映 してい る とい うこ とです」470と 述べ、 自身 の作 品 にお け る他 の芸術 作 品の描写やモテ ィー フの意 図的な借 用 について次の よ うに説 明 してい る。

「ですか ら、私はアーサー王伝説か ら票J窃 してい る、 と言 うこともで きるで しょ う。私 は実際、そ うしま した 一一確 か に。 で も、そ もそ も、そ うした借 用は、なぜ行 なわれ る ので しょ うか?この物 語 の 、いた る ところで暗示 され てい るこ とですが 、フ ァンター ジ エ ンの世界 は、私一人が作 つたのではな く、いわば人類全体が作 つたのです。ですか ら、

出典 を見分 ける こ とので きる人は、その暗示 を読み取れ るわ けです。」471

エ ンデは さらに、『 はて しない物語』の中に トールキンや ホフマ ンの要素 を読み取 ること ができることを認 めつつ も、「直接写 し取つたものは、何 もあ りませんが、それ らか らイ ン パ ク トを受けているとは、言えます。なぜなら、私はまさに、バスチアンの入 りこんだ世 界が、あ らゆる時代、あ らゆる人間が関わった、共同の産物であることを、示そ うとした か らです」472と 述べている。

このよ うなエ ンデの試みは、ノヴァー リスにおいて も見出す ことができる。『 青い花』で は過去の神話や伝説に由来す る物語が語 られてお り、小説の草稿 においても、「最 も離れ、

最 も異なる伝説や 出来事が結びつ け られ る。 これは私の発明である」473と ぃ ぅ記述 をは じ め、多 くの神話や伝説、メル ヒェンに関す る記述があ り、 ノヴァー リスがそれ らを積極的

470ミ ヒャエル・エンデ他著、樋口純明編『 ミヒャエル・エンデ ー ファンタジー神話と現代』

39ペー ジ。

471ミ ヒャエル・ エ ンデ 他著 、樋 口純 明編 同上39‐40ペー ジ。

472ミ ヒャエ ル・ エ ンデ 他 著 、樋 口純 明編 同上

41ペ

ー ジ。 ェ ンデ は本稿 の 「は じめ に」 で 引 用 した シ ュ ミ ッ ト宛 の 書 簡 にお い て も同様 の 点 に つ い て述 べ て い る。 黒 姫 童 話 館 資 料 番 号 :

02EB002(17.05。 1981.An Hans Walter Schmidt)「た だ 、私 が 一 連 の 「幻 想 的 な文 学 と絵 画 」 の作 品 を意 図 的 に私 の本 の 中で 引用 してい るの は確 か な こ とです 。 しか し、そ こで 問題 と な つ て い るの は 、そ の都 度 、短 い ヒ ン ト (例 えば 、 「シ ェ クス ピー ル 」 と呼 ばれ る、遠 い 昔 日 の フ ァ ン ター ジエ ンの旅 行 者

)だ

け な の で す。 私 は これ′に よっ て フ ァ ンタ ジー が あ る個 人 の創 造 物 で は な く、 あ らゆ る民族 と時代 が共 同 で作 り上 げ る創 造 物 で あ る こ とを暗 示 して い るつ も

りです

c私

の方 か ら、誰 か他 の作家 に対 して意識 的・テー マ的 に依拠 す るこ とは してい ませ ん。 」

"[.…]Nun ist es zwar so,daS ich eine Reihe vonヽ Verken der"Phantastischen Literatur und LIalerei"absichtlich in m[einelm Buchnzitiere[壺 d,aber es handelt sich dabei eben nur um jelweis kurze Hinweise(z.B.der Phantasiereisende aus iangSt Vergangenen Tagen,der sich"Schexpむ''nennt。)Ich¬will dallllit andeuten,daS Phantasie nicht die Schё pfung eines Einzelnen,sondern eine Gen■einschatts‐Schё pfung aller Vёker[」d und Zeiten isto Eine bewusste thematische Anlehnnunglsia an i.・ gend einen anderen Autor lag von meiner

Seite aus nicht vor.[。 ] (下線 は筆 者 に よ る) 473AゐIィs Sirtte″,Bdo I,S。 345。

に作品の中へ取 り入れ ようとしていたことが うかがえる。 この ような傾 向は さらに、フ リ ー ドリヒ・シュ レーゲルの文学論において も見出す ことができる。

シュ レーゲルの「 ロマ ン主義文学

Jと

エンデの文学観

シュ レー ゲル は『 アテネ ウム断章』

116番

の 中で 「ロマ ン主義 文学」 について論 じてい る。 そ こではまず 、人 間の想 像力 に よつて生 まれ た あ らゆ る芸術 的創 造物や 思想 的産物 を 文学作 品の 中で統合 しよ うとす る構想 が語 られ る。

ロマ ン主義文学は、進展 的普遍 ポエ ジー (eine progressive Universalpoesie)で ある。

その使命 は、単 に、引 き離 され た文学 の あ らゆ るジ ャンル を再び一つ に し、文学 を哲学 や修 辞学 と関係 づ けるだけではない。 それ は詩 と散 文、独創 性 と批評、創 作 ポエ ジー と 自然 ポエ ジー を ときには混ぜ合 わせ 、 ときには溶 か し合 わせ 、文学 を活気づ け、社 交的 に し、生活 と社 交 を詩 的 に し、機智 を詩化 し、芸術 の諸 々の形式 をあ らゆる種類 の堅実 な形成 素材 に よつて満 た し、 フモール の振動 に よつて生気 を吹 き込 も うとす る ものであ り、 またそ うす べ きもので あ る。 それ はい くつ もの体系 をそ の中に含 んでい る芸術 の も つ とも偉 大 な体系か ら、歌 を作 る子 どもが素朴 な歌 の 中にそ つ とも らす溜 ′自、や 口づ けに 至 るまで、詩的 で さえあれ ば、す べての ものを包括す る。474

文学 にお ける諸 々のジ ャンル の統合や 、相 対立す る形 式や概 念 の融合 、そ して あ らゆる 詩 的 な もの を包括 しよ うとす るシ ュ レー ゲル の態度 は、エ ンデ に も当てはめる ことがで き る。 エ ンデ の場合 、諸学問の統合 とい う視 ′像こそない ものの、先 に見た よ うに、 フ ァンタ ー ジエ ンは、あ らゆる芸術 が相互 に関連づ け られ ることによつて生み 出 された国であつた。

例 えば、ア トレーユ は、古典 古代 の英雄 の特徴 を備 えてお り、475彼の物語 は、ス フ ィン クスや魔法 の鏡 、そ して禅 の公案 に由来す る三つの神秘 の門や 、 自然 ポエ ジー の人格化 で あ る ウユ ララ等 、多 くの神 話 的・詩 的形象や思想 的産物 に、 さらには 「誰 で もない」 とい うオデ ュ ッセ ウス に由来す る発言 の よ うに、神話的言動や行動 に満 ちていた。形式 の融合 とい う点 では、『 モモ』にお け る 「メル ヒェン・ ロマー ン」 とい う構想 が挙 げ られ る。そ こ で は、メル ヒェン と小説 とい う二つの形式 を融合 させ るこ とに よる「現 実 と夢 の相 互浸透」

474 Иttα2J θ′

agm

Nr,116,S.182.

475 vgl.,Claur̲lia Ludw増 :″bSごererb′ π口aL:hθ″ 丁'7tern i′θ′″S.46」

(Durchdringung von Tag und Traum)476が 意 図 され てい る。

シ ュ レー ゲル は さらに、 ロマ ン主義 文学 につ いて次の よ うに述べ る。

ロマ ン主義文学だけが、叙事詩 と同様 に周 りを取 り巻 く全世界 の鏡 、時代 の似 姿 にな る こ とが で きる。 しか も、 ロマ ン主義文学 はあ らゆ る実在 的関心 に も観 念的 関心 に も制 約 されず に、詩的反省 の翼 に乗 つて、描 写 され た もの と描 写す る者 の 中間に最 も良 く漂 うこ とがで き、 この反省 を繰 り返 し累乗 して、無 限 に続 く合 わせ鏡 の よ うに重ね合 わせ る こ とがで きる。477

ロマ ン主義文学が周囲の世 界や時代 を映 し出す鏡 で あるよ うに、エ ンデ も文学作 品にお いて、現代 とい う時代 を反 映 させ よ うと試みてい る。『 オ リー ブの森 で語 りあ う』の一 日目 の対談 の中で、彼 は『 モモ』の構想 に関 して、「僕 に とつてはむ しろ、今 日の僕 たちを取 り 巻 く世界 のイ メー ジを、内的 なイ メー ジに変 え る ことが、つ ま り、昔の メル ヒェンの語 り 手 た ちが彼 らを取 り巻 く世 界 につ い て行 な ったの と同 じこ とをす るこ とが重 要 だ つた ん だ」478と 述べ てい る。彼 はまた、モモ の人物像 にお いて、従来 の行動的な英雄 とは異 なる 英雄像 を提示 してお り、「仕事 をす る際や過 去の文学 と取 り組 む際 に」彼 の内 に生 じた、英 雄 とい う概念 の今 日的 な意義や 、今 日的な英雄 像 の有 り様 に対す る問い に取 り組 んで もい る。 479

ロマ ン主義文学 は さらに、実在 的 (real)関心 、つ ま り外部 の世界 の事物や 出来事 と、

観念 的 (ideal)関心 、つ ま り思惟 に よつて人間の内部 で展 開す る営 為の どち らに も偏 るこ とな く、描 写 され た もの

(=描

かれ る対象)と 描写す る者

(=作

)の

中間 に存在 しなが ら、両者 を鏡 の よ うに反射 す る とい う。480っま り、 ロマ ン主義 文学 は、作家お よび作家 が描 いた対象 の反 映で あ りなが ら、その どち らに も属す る こ とな く、両者 の間でそれ ぞれ を映 し出す鏡 と しての働 き も持 ってい る と考 え られ る。

ここで述べられている実在 と観念の二極は、『 はてしない物語』の場合、現実と虚構の二

476 aaゐ′ダEndbθ Zertekasten,S。 266.

477 [zヵθ″ガ″ s―Fr■gmθ″′θ,Nr。 116,S。 182f.

478 R.′ ″ι′」θ∠【曖■t″多を■ガ71圧た。S.37.

479 vgl。′″″ttbfraルグbi圧,S.39.

480こ こでは、 「反省」 (Re■exlon)の 意味を 「思考や省察とい う意味での 「反省」よりもむ しろ、まずもつて 「反射」 として、この場合は特にある対象の描写 として理解すべきものであ る」 とい う田中均の解釈にならう。田中均『 ドイツ・ロマン主義美学 ― フリー ドリヒ0シュ レーゲルにおける芸術 と共同体』御茶の水書房 2010年 99ペ ージ参照。

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