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江差の古典籍二 ―岸田家旧蔵書―

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Academic year: 2021

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(1)Title. 江差の古典籍二 ―岸田家旧蔵書―. Author(s). 杉浦, 清志. Citation. 語学文学, 56: 1-10. Issue Date. 2017. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/9628. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 江差の古典籍二 ── 岸 田家旧蔵書 ─ ─. 杉 浦 清 志. に「老松/よりまさ/井筒/鉢木/羽衣」と墨書され、刊記が. 」となっている本は全く同じ作品を収録するのだが、 「 B24/70-8 剥離部分の多い題簽は解読が難しいものの「老松/よりまさ/. 右 の 通 り 享 保 十 八 年 と な っ て い る。 そ れ に 対 し て ラ ベ ル が. 井筒/はちの木/羽衣」と読め、裏見返しの刊記によれば発行. 一 はじめに 道南江差町の旧檜山爾志郡役所内に所在する江差町郷土資料 館(北海道檜山郡江差町字中歌町一一二)に収蔵されている古. は文化元年(一八〇四)である。だからこの二冊は同じシリー. 取り合わせ本あり、刊年も右のほか貞享元年(一六八四) 、元. 典籍のうち、最も点数の多い関川家の旧蔵書については「江差. 禄三年(一六九〇)、宝暦五年(一七五五)のものもあり、最. の古典籍一─関川家旧蔵書─」と題して『語学文学』四九号(二 それに続き、関川家に次ぐ点数を擁する岸田家旧蔵書について. ているのだが、本来は別のセットだった複数種類の版が、巻序. ズの異版と考えられる。七十冊の中には写本あり版本あり刊写. 報告するものである。. が混乱したまま一括されているのであり、これを一点と数える. 〇一一年三月北海道教育大学語学文学会)に公表した。本稿は. 江差町教育委員会作成の手書き『書籍目録』によれば岸田家 旧蔵書は全二四九点となるが、何を以て一点とするか、同目録. 低限五種には分かれる。能本ということで同じ番号に一括され. と私では判断の基準に異なる点がある事は前稿で述べた通りで. には抵抗がある。他にも似たような例はあり、数え方によって. (2). 点数も大幅に異なって来るはずだが、今のところ右の手書き目. (1). 老松」で「著者名」無記載、「発行年」が「享保十八癸丑歳(一. “能”羽衣・ ある。たとえば番号二四は目録では「本名」が「. 録が調査の手がかりなので、点数についてもとりあえずはそれ. (3). . その上で、右の目録に従えば岸田家旧蔵書は関川家の分に較. に従っておく。. 、 「数量」が「七〇」となっているのだが、それ 七三二)仲呂」 」というラベルが付いた冊 は七十冊中の三十冊目、 「 B24/70-30 によって代表させたものらしく、その本は原題簽が剥がれた跡. -  - 1.

(3) べて比較的整理が進んだ段階で目録に書き込まれたようで、発. 字に直すこととする。. 数字と漢数字が混在するのは煩わしいので、以下基本的に漢数. け正確な情報が必要だと思うから、まずは書名について、目録. 多くは活字ではないからどう読み取るか、人によって違いが あるのはやむをえないのだが、調査の手がかりとして出来るだ. 二 書名について. 行年が明の「萬暦十九年(一五九一)後三月朔日」の『正続書 譜』(一) 、次いで日本の「元和四戊午年(一六一八)中夏」刊. の『扶氏経験遺訓』 (八三)が近世の最後、 「明治四年辛未(一. の『 軍 待 備 用 集 』 (二。実は『軍法侍用集』後述)というよう. 八七一)七月新刻」という『西国立志編』 (八四)からが明治. と私の調査結果が異なるものを列挙する。. に発行年の順に配列され、 「安政四年丁巳(一八五七)初秋」. 以降となっている。但し近代の分はそこから「昭和五年(一九. 究資料館の日本古典籍総合目録データベース(長いので以下「D. 二 軍待備用集 外題は「軍法侍用集」となっており目録の読 み誤りである。戦国武士の心得を書いた本のようで、国文学研. 三〇)十二月十八日」の『新撰商業綱要』 (一三六)までであり、 明、明治六年(一八七三)九月二十六日刊の『中等裁縫教科書』. 一三七の『格物探原』から二三二の『摹印篆選』までは年代不 (二三三)から最後の大正四年(一九二九)刊『尋常小学國史』. 本があるという。. B」と略称する)によれば、国文研に同名の寛文四年刊十二冊. 近代の専門家が調査したのだが、明治に入ってもなお版本の出. 三 史記 内題から「史記評林」とすべきであろう。DBでも そうなっている。. (二四九)まで、また近代の物が続く。近代の物は原則として 版は続くので、 実際には私が、 最初から明治二二年(一八八九). で(一三八と一五九は除く) の九十四点の計二百十一点となる。. 査した点数は一~一一七までの百十七点と、一三七~二三二ま. 現物が見当たらなかったからか調査していない。だから私が調. たが、一三八の『嘉永明治年間録』と一五九の『防海新論』は. いる。なおこの本は巻一に五、二には二だが、三には六という. ら「当流拾遺大成謳」と呼ぶべきであり、DBでもそうなって. 一四 當流謳直傳元本也 二十冊あり、これは各冊裏見返しの 刊行趣旨説明文の一行目であって本書の題名ではない。題簽か. DBでもそうなっている。. 一二 漢楚軍談 題簽には「通俗」が角書きになっているのだ が、 内題と柱の表記から「通俗漢楚軍談」とすべきかと考えた。. 刊の藤川三渓著『水産図解』 (一一七)まで、 また年代不明の『格. 全体の約八十五%である。以下、その調査結果を報告する。な. 物探原』 (一三七)から『摹印篆選』 (二三二)までの調査も行っ. お目録やラベルの整理番号は洋数字で書かれているのだが、洋. -  - 2.

(4) ラベル番号(末尾の部分)が与えられている等、巻序とラベル の番号がかなり混乱していて注意を要する。 一七 列国志通俗十二朝軍談 題簽は「列国志」が角書きで「通 俗」以下が中央に書かれているので目録は上記のような書名と 認定したのだろうが、 内題・柱題・尾題は「列国志」と「通俗」 の位置が逆転している。どちらが正しいか一概には決められな. 三「大坪流奇合之巻」 享保七年五月写 四「大坪本流雲霞集」 享保七年五月写. 五「大坪本流好玄記」 享保七年五月写 六 題不明 享保五年五月写 七「大坪本流對馬問答」 享保七年五月写 九「大坪本流繰糸之巻. 八「大坪本流善御譜序」 享保七年五月写 乾」 享保七年五月写 . いが、私は内題等に従って「通俗列国志十二朝軍談」と呼ぶべ. 一二「大坪本流若葉之巻」 享保七年五月写 一三「鹿島流大坪流軍馬船川目録 三」 書写年時不明. . きであろうと考えた。DBもそれを統一書名としている。. 一〇「大坪本流繰糸之巻 坤」 享保七年五月写 一一「大坪本流黄昏之巻」 享保七年五月写. 二〇 合類大節用集 目録は見返し題であり、私は序や内題に 従い「書言字考節用集」と認定したのだが、DBはむしろ「合 類大節用集」の方を統一書名としている。. )とした冊の題。十三冊は少なくとも三種 (正確には B22/13-1 に分かれ筆者も年時も異なり、各冊の独立性は強いので一括す. 二 二 大 坪 流 秘 伝 軍 馬 遠 乗 巻 目 録 の 書 名 は ラ ベ ル 末 尾 を 一. 書名としている。. したのだが、これもDBは目録通りの「年中故事要言」を統一. 集の最終冊と思われ、炭俵と阿羅野を収録している。. 四二 炭俵集 題簽も柱もなく内題の位置に「炭俵序」とある から仮に「炭俵集」と名付けたもののようで、本来は俳諧七部. る。. 二四 “能” 羽衣・老松 「はじめに」に書いたので省略す. も含まれている。. 以上のように大方は享保七年五月に書写したとの奥書がある のだが、享保五年、天明七年とするものと書写年時不明のもの. るには問題がある。目録には表示されていないので、以下各冊. 二一 年中故事要言 題簽と内題は「民間」が角書きになって おり柱は「民間故㕝」なので私は「民間年中故事要言」と判断. の題名をラベル末尾の数字の順に列挙する。題名の下に書写年. そのうち中庸繹解はどちらも題簽が「中庸繹解 全」となって いるが、内容から一二が一冊目で一一が二冊目と考えられる。. 四四 論語繹解 十三冊となっているが論語繹解は十冊目まで で、十一・十二冊目は中庸繹解、十三冊目は大學繹解である。. 時を添えた。 一「大坪流秘伝軍馬遠乗巻」 書写年時不明 二「大坪本流飛鳥之巻」 天明七年一二月一三日写. -  - 3.

(5) ない。読み方もわからないが、内容は馬の画集である。. 検索しても「該当する文書が見つかりませんでした」としか出. 五二 秦(土偏+回) 弭塵呉門曳練 題名の二字目は或いは 「垉」 ではなかろうか。 「秦垉弭塵呉門曳練」と判断したが、DBで. のうちのどれに該当するのかはわからない。. 蒙正文章軌範」をはじめ四十五種類の文章軌範が登録されてい. も D B で は 検 索 出 来 な い。 「文章軌範」で検索したところ「啓. るので「点註正続文章軌範」とすべきであろう。但しどちらで. するべきであろう。DBでもこれで検索可能。. 九七 今古世六名家文抄 三字目の「世」は目録の読み誤りで、 「丗」 、つまり三十である。よって「今古三十六名家文抄」と. るが、その中に「点註」から始まるものはないから、これがそ. ために残っている続編から書名を特定したらしいが、正編もあ. 七二 窺塑心計示蒙 「塑」という字は目録の手書き文字が判 読 し づ ら く こ う い う 字 の よ う に 見 え る の だ が、 外 題 も 内 題 も 来る。なお内題には振り仮名も書いてあり、 「きぼうしんけい. 「望」なので「窺望心計示蒙」である。DBでもこれで検索出 じもう」とある。. 一〇六 史籍集覧 南方記傳 目録は二十八冊を一括してこう 名付けているが、こう呼んでよいものはラベルの末尾番号一と. 一二~一四. 一五、一六. 宇多天皇実録 . . 一〇 唐澤老談記一名佐野宗綱記 一一、二二 十三代要略 禮典抜粋. 五 渡邊幸庵對話 六 福島太夫殿御事 七 佐久間軍記続群書類従合戦部 八 惟任退治記続群書類従合戦部 九 備中兵乱記. 三 朝鮮陣古文 四 耆舊得聞. (4). 二だけで、三以下は異なる。以下、 ラベル番号の順に列挙する。. 七四 稚言童諭 一字目は目録の読み誤りであり、「雅」 である。 「雅言童諭」でDBでも検索可能である。 八〇 校本古文前集 題簽が剥離した跡の直書きの外題、柱題 がこうなっているから目録はこのように表記したのだろうが、 内題から推測して「校本古文真宝前集」ではないかと考えた。 内題そのものは「魁本大字諸儒䇳解古文真寶巻之上前集」 。但 し「校本古文真宝前集」 ではDBで検索出来ず、「古文真宝前集」 で検索したところ右の内題と同じ書名の本が国文研ほか何ヶ所 かに所蔵され、それらに対する統一書名は「鼇頭評註古文真宝 前集」となっている。 九一 清史鑿要 三字目は外題の「攬」の手偏が左側ではなく 下に「手」の形である字体なので読み誤ったのであろう。 「清 史攬要」である。DBでもこれで検索可能。 九三 點註続文章軌範 目録は正編の題簽が一部欠如している . -  - 4.

(6) 一七 底倉之記 一八 足利治乱記 一九、二〇 続武将感状記 二一 豊内記続群書類従合戦部 二三 雲州軍話 二四~二八 浅井三代記 一三九 頭書字彙 外題の角書きから上に「増註」を冠して「増 註頭書字彙」とするべきであろうと考えた。DBの統一書名は. 一五一 国語解叙 「国語解叙」とは墨付き一オ右端に確かに そう書いてあるのだが、解とは韋昭の解の意で、それについて. 書かれた叙(序)の意であろう。外題・内題・柱題全て「国語」 であり、これは国語である。. 一九七 書の本 「書の本」と題して一括してあるが、実は六 種類に分かれ写刊の違いもある。以下その六種につき、ラベル の末尾番号の下に略述する。. 一四四 老能接木 外題も内題も確かにこういう字で書かれて いるから目録がそれをそのまま写したのは理解出来るが、「能」. /頭書字彙」としている。. 六 『蘭亭序』の石刻拓本。刊年不明。. 五 武島又次郎編『中等習字帖 上』(明治三八年東京修文館 発行) 。. 四 「酔翁亭記」 と題する石刻の刊本で享保二〇年 (一七三五) 刊。. 一~三 年代不明。一面に二字ずつの漢字を書いた写本。. は仮名として使われていると思われるので「老の接木」とすべ. 「増注校正頭書字彙」だが、岐阜市図蔵本は標目書名を「増註. きではなかろうか。但しDBではどちらでも検索出来ない。. 七 寛政一二年(一八〇〇)の刊本だが書名はわからない。石 碑からの拓本のようである。. 一六〇 嶋津琉球軍(米偏+責)記 目録の手書き文字はどう 見ても米偏に責という不可解な字である。それは外題がそうと. /改正」という角書きがある。. もDBでは検索出来ない。 「論語」をキーワードにして検索し. 私は「四書新釈論語」とすべきであろうと考えたが、どちらで. 一冊が 「四書国字弁論語」なのでそれと混同したのであろうか。. 八 寛延四年(一七五一)刊『赤壁賦』の石刻拓本。 二〇九 四書國字辯 (論語) 外題・内題ともに「四書/新釈」 が角書きでその下に「論語」とあるので目録がなぜこういう書. 一四五 大学章句 序に「大学章句序」とあるので目録は「大 学章句」としたのだろうが、外題・内題・柱題全て「大学」で. しか見えない文字なのでやむをえないのだが、内題では「精」. ても、 その中に「四書」や「新釈」で始まる書名は見出せなかっ. あり、「大学」とすべきであろう。但し外題には「新刻/大字. となっており、 「嶋津琉球軍精記」とすべきなのだろう。DB. 名と判断したのかわからない。或いは近接する二〇七の三冊中. でもこれで検索可能。. -  - 5.

(7) 二三二 摹印(竹冠+ヨ+木)選巻之四月録 目録では三字目 が不可解な字体だが、内題により「篆」と知られる。 「巻之四. 書名は「小篆千字文異同考」と「考」の字が使われている。. 文異同攷」とすべきであろう。DBでもこれで検索可能。統一. と判断したのだろうが、内題では同一行中にあり、 「小篆千字. 二一五 小篆千字文 外題は「小篆千字文異同攷坤」の「異同 攷」の部分が若干右に寄っているので目録は上記のような書名. 二一一 聚分韻略 外題はないが内題により「便蒙続字聚分韻 略」とすべきであろうと考えたが、 どちらでもDBで検索可能。. 六九〇)、宝暦五年(一七五五) 、文化元年(一八〇四)のもの. 三三)仲呂」としているが、貞享元年(一六八四)、元禄三年(一. ら、書名は目録通りとした。目録では「享保一八癸丑年(一七. 二 四 “ 能 ” 羽 衣・ 老 松 前 述 の よ う に 書 名 が 不 適 切 で は あっても本来複数組に分かれる七十冊もの本を一括しているの. の再版である。. 二三 孝経 再板 目録は「享保一七年壬子仲冬朔日」とする がそれは初版であり、これは「文政二年(一八一九)十二月」. 五年(一七二〇)と天明七年(一七八七)のものも含まれる。. た。. 月録」も不可解だが、内題には「摹印篆選」の下に確かに「巻. 二二 大坪流秘伝軍馬遠乗巻 前述のように目録はこの名で一 括し「享保七壬寅(一七二二)五月吉日」としているが、享保. 之四」まではある。但しこれはあくまでも巻数表記だから、書. も含まれる。. 日」とあるのでそれに従うべきである。延享二年の干支は乙丑. 二六 草訣百韻歌 目録は「延享二年壬戌(一七四五)春正月 吉」と書いているが、最終丁ウに「延享二年乙丑冬十二月十八. で、その一括されたものをどう名付けたらいいかわからないか. 名としては「摹印篆選」とすべきである。. 三 刊写年時について (5). である。. 二七 増補元明史略 目録は「宝暦元年辛未一一月」とするが. について、目録と私の認定の異なるもの、目録 次に刊写年時 では「年代不明」となっているが調査によって判明したものに ついて、やはり番号の順に略述する。その際書名については前. それは原版で、刊記に「明治七年六月 官許改刻/同八年十一 月十四日版権免許」とあるから、明治八年(一八七五)刊とす. 二八 倭楷正訛序 目録は「宝暦三癸酉歳三月」とするが、刊 記によればそれは原本でこれは新刻であり、「明和三丙戌歳(一. べきである。. 節での考察に従って最低限修正した書名を用いることとする。 一一 大智偈頌 目録は「元禄甲戌七年孟春」とするが、刊記 によればそれは初版であり、その後に「再版」とあって「宝暦 壬申二年(一七五二)孟秋」とあるのでこれは再版である。. -  - 6.

(8) なお目録の書名最後の一字「序」は不要である。. て点検し封筒に鉛筆で記入しており、 そこでは修正されている。. 目録作成後一冊ずつを大型封筒に入れて保管するに際して改め. 七六六)九月日」とあるのに従うべきである。なお現所蔵者は. 後藤点』 、一・四・五・六は明治三年(一八七〇)三刻刊の『校. 二・二・三は寛政五年刊の『新刻校正礼記道春点』、八・九・. 五四 禮記 目録は十六冊全てを寛政五年(一七九三)とする が、実は版の異なる四種の礼記である。うち末尾番号一一・一. は右の版のダイジェスト版のようである。刊年は不明。. 五五 (大学) 目録は()入りでこう書いているが、外題は. 訂音訓礼記 改点』、一五・一四・一三・一六は明治一九年(一 八八六)刊の『改正音訓礼記後藤点』である。. 一〇・七は文政二年(一八一九)五刻刊の『改正音訓礼記再刻. 三一 小篆千字文 目録に「宝暦八戊寅歳正月吉日」とあるの は間違いで、序には寛延庚午とあってそれなら寛延三年(一七 五〇)である。 三六 南留別志 (天) (地) 目録は「宝暦一二季壬(一七 六二)正月」とするが、それは版本を刊記ごと写したものであ り、書写年時は当然それ以後だがいつかはわからない。. は「大学章句」と呼ぶべきか。それはともかく目録はこれを寛. 下部が破損しているものの途中までは「新刻/改正/大学 再 刻後藤」と読め、内題は「大学」で柱題は「大学章句」。或い. 四二 炭俵集 書名については既に述べたので省略。 目録は 「安 永三年甲午一一月」とするがそれは初版。これは再刻であり文. 政六年(一七九四)としているのだが、どこにも刊記は見当た. 四五 古篆論語 目録は恐らく巻十の刊記から安永四年(一七 七五)としているが、巻四の刊記は明和七年(一七七〇)で、. (一七七五) 、 『大學繹解』は刊記がないのでわからない。. 訂正されている。なお一括されている『中庸繹解』は安永四年. 何を元に書いたか不明で、封筒では裏見返しの墨書によってで. 六〇 毛詩鄭氏箋 目録の題名中「氏」は不要。外題は「毛詩 鄭箋」である。目録は発行を「享和二年壬戌正月」と書くが、. 八二五)刊の補刻版である。. 五八 東洞遺稿 目録・封筒ともに刊写年時を「寛政一二年庚 申正月」とするがそれは最初の刊年であり、これは文政八年(一. らないから、不明とすべきかと考える。. 化五年(一八〇八)十一月とすべきである。. 巻一~四と巻五以下は別途板行されたもののようである。. べきである。. 四四 論語繹解 目録は「安永四年乙未秋八月」とするが、刊 記により天明元年(一七八一)とすべきである。但し封筒では. 四六 居行子 九冊から成るが一冊目から四冊目は全五巻五冊 の内一冊目を欠く端本で、目録に言うように安永四年(一七七. 七二. 窺望心計示蒙 . 目録は「天保一二年辛丑孟夏」とするが . あろう「文政六年(一八二三)三月」としてあり、それに従う. 五)でよい。が、五冊目から九冊目は五巻五冊揃いだが、内容. -  - 7.

(9) それは序の年時であり、 刊年は天保一四年(一八四三)である。 八五 小倉百首 目録は年時無記入。百人一首の拓本で順徳院 の歌の後に「安永六年(一七七七)二月二十五日書」とあるこ とからその年と特定した。但し刊記ではないので、要するにそ の年以前の刊であろうとしかわからない。 八六 続国史略 目録は「明治五年壬申冬一〇月」とするが、 それは跋に拠ったと考えられ、刊記によって明治六年(一八七 三)とすべきである。. 九六 筭題雑解 目録は「明治一一年一二月五日」とするが根 拠不明。刊記によれば明治一一年八月初版刊行で、これは明治. 二七年(一八九四)三月刊の再版である。. 九八 史記評林 目録は「明治一二年一一月四日」とするがそ れは初版であり、これは明治二五年(一八九二)三月二〇日の 再版である。. 一〇〇 孟子 新刻改正 目録の「明治一三年四月二六日」は 初版の「翻刻御届」日で、出版は六月。これは明治二七年(一. 八九四)六月一日の再版である。. は刊記がないから不明だが、続編は刊記から明治一五年(一八. 八九 毛詩鄭箋 目録では年代不明だが刊記あり、 享和二年 (一 八〇二)である。封筒にもそう書いてある。 九二 孟子 目録は六冊を一括して明治一〇年(一八七七)五 月七日としているが、実は三種あり一~四は明治一一年(一八. 八二)八月一五日刊。. 一〇一 近世先哲叢談 上 実は『近世先哲叢談』の上巻のみ の端本と『続近世先哲叢談』上下二冊を一緒にしている。正編. 七八)一〇月一日刻成、五は同版かも知れないが巻七~十まで. 一〇四 箋註蒙求校本 目録は「明治一三年同月刻成」と書く のだが、それでは「同月」が何月を指すのかわからない。刊記. の端本、六は巻十一から十四の端本だが、 元禄八年(一六九五) の版である。. 刻成出版」とあるから、同年七月である。. には「明治十三年(一八八〇)七月十六日反刻御届/同年同月. 九三 点註正続文章軌範 目録は明治一〇年とするがそれは版 権免許の年であり、 「再版御届」が「同十二年(一八七九)五. によれば行年六十歳の「古郡玄秀」なる人物が書写して外孫の. 孝経』で、ラベルの末尾番号一は目録通りだが、三は同年「十. 月八日」とあるからそれが刊年であろう。 九四 纂輯御系図 目録は「明治一〇年一二月」としているが それは初版。これは再版で明治二七年(一八九四)刊。. 「岸田梅女」に与えたものという。書写者の生没年がわからな. 一〇五 古文孝経 目録は三冊を一括して「明治一四年一〇月 二五日」の発行としているが、実は三冊はそれぞれ別の『古文. 九五 舊典類纂・皇位継承編 目録は「明治一一年八月刊行」 とするがそれは初版刊行の日付で、これは明治二七年(一八九. 月十五日翻刻御届/同年同月刻成」とする。二は写本で、奥書. 四)三月の再版。. -  - 8.

(10) いので今のところ書写年時は不明である。 一〇六 史籍集覧 南方記傳 二十八冊の各題名は前述した。 目録は発行年を「明治一六年一月二七日」としているのだが、 南方記傳は刊記に「明治十七年(一八八四)十二月五日出版御. 三日. 二一 豊内記続群書類従合戦部 刊記なし. アムソン著の科学書。十冊で一括しているが、実は全五巻五冊. 一三七 格物探原 目録は「年代不詳」と書くが刊記によって 明治一一年(一八七八)一一~一二月出版と知られる。ウイリ. 二三 雲州軍話 明治一六年(一八八三)八月一〇日 二四~二八 浅井三代記 既述. 井三代記だけなので、目録はその刊記を写したらしい。各冊の. 届」とある。目録に記す発行年と合致するのは二四~二八の浅 刊記は異なるので、以下それを抜き出す。. が二組。刊記はほとんど同じだが出版人の住所が異なるので別. 一四九. 東江先生尺牘帖 . 人. 地. 目録では年代不明だが「安永六季丁 . 一四八 文選 六臣註 目録では年代不明だが巻六十の巻末の 刊記に「寛文二壬寅(一六六二)歳正月吉日」とある。. 一四七 神儒佛三笑噺 目録では年代不明だが序に「寛政七年 (一七九五)六月芝鬼楽作」とあるのでその年と推定した。. 一 四 四 老 の 接 木 奥 書・ 識 語 の 類 は な い が 序 か ら 文 化 元 年 (一八〇四)写と推定した。. するが、一四三の跋から正徳五年(一七一五)と推定した。. 天. 一四一~一四三 倭漢三才図会○・○・○ 目録は別の番号を 振っているが三種はツレであろう。いずれも目録は年代不明と. 一四〇 草書淵海 目録では年代不明だが序から延宝二年(一 六七四)と推定した。. 一三九 頭書字彙 目録は「年代不明」としているが附巻序か ら寛文二年(一六六二)と推定した。. の版である。. 三 朝鮮陣古文 明治一六年(一八八三)六月二一日 四 耆舊得聞 明治一六年(一八八三)一〇月一三日 五 渡邊幸庵對話 明治一七年(一八八四)一〇月一〇日 六 福島太夫殿御事 明治一六年(一八八三)一一月九日 七 佐久間軍記続群書類従合戦部 刊記なし 八 惟任退治記続群書類従合戦部 刊記なし 九 備中兵乱記 刊記なし 一〇 唐澤老談記一名佐野宗綱記 刊記なし 一一、二二 十三代要略 明治一六年(一八八三)一〇月一二 日 一二~一四 禮典抜粋 明治一七年(一八八四)一月一八日 一五、一六 宇多天皇実録 刊記なし 一七 底倉之記 奥書に「明治十七年(一八八四)一月 近藤 瓶城校」とあり 一八 足利治乱記 明治一七年(一八八四)九月一七日 一九、二〇 続武将感状記 明治一六年(一八八三)一二月二 . -  - 9.

(11) 一五二 徒然草大全 目録では年代不明だが 「延宝五年丁巳 (一 六七七)九月吉日」という刊記がある。. 酉歳(一七七七)十壹月貳日」という刊記がある。. 二 一 六 華 陽 皮 相 目 録 は 年 代 不 明 と す る が 序 か ら 天 明 九 年 (一七八九)と推定した。. 「宝暦八戊寅歳(一七五八)正月吉日」とある。. 四 結び. 以上、書名と刊写年時について目録と私の調査結果が異なる 点を抜き出してまとめた。紙数の制限で全貌は示せないが、そ. 一六〇 古文尚書標註 目録では年代不明だが凡例に「明和九 年壬辰(一七七二)之夏 宇成之識」とある。 一六六 標註日本外史 目録では年代不明だが刊記があり明治 二三年(一八九〇)三月一〇日の六刻である。. を望む。. れは目録に譲る。貴重な蔵書であり、今後更に活用されること. 一六七 本朝鍛冶考 目録では年代不明だが刊記に「寛政十二 年(一八〇〇)庚申八月」とある。. 注. (1)以下「番号」という表記は省略する。. 一七〇・一七三 唐詩訓解 目録は二つの番号に分けているが ツレである。また年代不明とするが一七三の末尾番号三に当た る四冊目最終丁に刊記があり「萬暦戊午孟夏月」とある。これ. (2)項目名は目録によるが「本名」は以下「書名」 「題名」. ことにした。. (5)目録では「発行年」とするが、写本もあるのでこう呼ぶ. した。以下同じ。. (4)外題は上に「史籍集覧」とあるが煩わしいので内題を写. (3)西暦はわかりやすさを考慮して挿入した。以下同じ。. 等とする。. は明の元号で日本では元和四年(一六一八)に当たる。 二〇六・二〇七 四書國字辯(孟子) ・四書國字辯(中庸) (大 学)(論語) 番号は二つに分けられているがツレであろう。 なぜなら大学にのみ四書国字弁序があり孟子にのみ刊記があ る。その刊記によれば「寛政六甲寅(一七九四)臘月」刊であ る。 二〇九 四書新釋論語 目録は年代不明とするが刊記に「明治 三十五年(一九〇二)一月廿五日発行」とある。 二一四 東江先生書法図 目録は年代不明とするが刊記に「寛 政四年壬子(一七九二)八月」とある。 二一五 小篆千字文異同攷 目録は年代不明とするが刊記に . -  - 10.

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