〈抄録〉 『法華経論子注』は、 現在、 正倉院聖語蔵に保管されている写本〔以下、 聖語蔵本と略称する〕と称名寺所蔵(神奈 川県立金沢文庫管理)の写本〔以下、金沢文庫本と略称する〕が伝わっている。前者は上巻であり、後者は下巻であ る。筆者は本写本を入手して二回にわたり発表をおこなった。 し か し 、 い ま だ 学 界 に お い て 『子 注』 の 重 要 性 に つ い て 共 有 さ れ て い な い と 判 断 し て 、『子 注』 が 新 羅 仏 教 の み な ら ず、東アジア仏教において『法華経論』の流通及び思想の受容を検討するうえで非常に重要な文献であることをもう 一度強調しようとする。 以前の論文では、新羅僧の中で、とくに義寂との関連性を強調したが、本稿においては科文を通して義寂との関連 性を確定した。 『子注』の思想傾向の分析は、まず引用経論を中心に考察した。 『子注』では『涅槃経』を経証として 長く引用しながら『法華経』が満字の経典であり、授記の経典であることを証明しているのである。ここには吉蔵の 影 響 が み ら れ る が 、『法 華 経』 が 授 記 の 経 典 で あ る こ と を 『涅 槃 経』 を 通 し て 明 か す こ と は 円 弘 独 自 の 見 解 で あ る 。 経
『法華経論子注』写本の流通と思想
金
天
鶴
『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)身延論叢第二十五号 令和二年三月典が説かれる理由については大衆との因縁と場所を重視しているのである。そして慧浄の影響を受け、場所を自処と 他処とに区分して、自処では三昧に入り祥瑞なることを徴するようにして、他処では光明を放ち奇瑞なることを現す としたのである。ところで、これに対する経証として『本業経』を挙げ、衆生世間が穢れのないことを証明したのは 円弘独自の見解である。 『〔大乗阿毘達磨〕雑集論』を引用しながらも慧遠の説明に従う部分もあれば、真諦訳と無性釈の『摂大乗論』を通 して成仏論を展開して二乗の成仏を主張する。これらの文献を通して二乗の成仏を主張することからみて、円弘自身 は旧唯識により近いものとみることができる。一方、テキストによって思想が変貌する面も一例を通してみられた。
Ⅰ
はじめに
『 法 華 経 論 子 注 』( 以 下『 子 注 』 と 略 称 す る ) に つ い て は、 金 沢 文 庫 本『 子 注 』 下 巻 を 入 手 し て、 奈 良 時 代 の 華 厳 ・ 法相文献にしばしば引用されるという事実を明かして〔これを〕二〇一二年三月〔発行〕の日本印度学仏教学会の学 会誌に掲載した (1) 。その後、 二〇一三年五月に正倉院の飯田剛彦教授に依頼して聖語蔵に所蔵されている『子注』上巻 を 入 手 し た 。 以 降、 〔上 下〕 両 文 献 を 通 し て 新 羅 文 献 と の 関 連 を 探った の で あ り 、〔こ れ を〕 二 〇 一 四 年 * 四 〔三〕 月 に 『東アジア仏教文化』第一七輯に掲載することにより、円弘が新羅人であることを証明しようとした (2) 。 以上、既存の研究結果を簡略に整理した。しかし、いまだ学会において、本文献の重要性について、それほど共有 されていないと判断される。そこで、本文献が新羅仏教のみならず、東アジア仏教における『法華経論』の流通及び 思想の受容を検討するうえで非常に重要な文献であることをもう一度明かそうとする。 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)Ⅱ
『子注』写本の流通と新羅著述確定
1 『子注』写本の流通 写本『子注』についてはすでに紹介したとおりである (3) 。もう一度整理すると、 現在、 上巻は穏全に残っており、 中 巻 は 全 部 逸 失 さ れ 、 下 巻 は 一 部 が 残って い る 。『子 注』 の 完 本 が い つ か ら 不 完 全 な 写 本 と し て 流 通 さ れ た か は 分 か ら な い が 、『子 注』 は 奈 良 時 代 か ら 平 安 時 代 初 期 ま で そ の 流 通 が 確 認 さ れ る 。 す で に 調 査 結 果 を 発 表 し た よ う に 『子 注』 は 日本の正倉院古文書に七四八年から七六七年まで書写記録がみられる (4) 。その中で、 本『子注』の所蔵者としては次の ように天平勝宝三(七五一)年に集中的にみられる。 七五一年六回〔 『編年』は註六参照〕 法花論子注一部三巻( 「宣教師所」 『編年』一二 ・ 一七、 「宣教大徳房」 『編年』三 ・ 五一〇) 法花論子注一巻一部 右在慈訓師所 (『編年』一二 ・ 八) 法花論子注一部三巻 在善季師所( 『編年』一二 ・ 一一) 法花論子注一部 三巻 円弘師注 在善季師所 又〔在〕宣教師所 (『編年』一二 ・ 一三) 法花論子注一部三巻 聞在善季師所 (『編年』一二 ・ 二〇) この記録から『子注』は慈訓、善季、宣教の所蔵であることが分かる。 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)慈 訓 (六 九 一 ― 七 七 七) は 華 厳 と 法 相 を 兼 学 し た 人 物 と し て よ く 知 ら れ て い る の で あ り 、『華 厳 経』 講 師 を 歴 任 す る こともあったのであり、王仁の後裔でありながら新羅仏教との関連もしばしば言及される (5) 。 善季については、 宝亀年間(七七〇 ― 七八 * 〇〔一〕 )の記録によると「三綱寺主」と記録されている (6) 。すなわち、 寺の雑務を管掌する職に就いていたことが分かる。天平十四(七四二)年には善季が所蔵した『優婆塞五戒威儀経』 を筆写するため請うて返送した記録がみられる (7) 。 彼は七四〇年代からすでに重要な経論などを所蔵したことが分かる が、天平勝宝三(七五一)年には基の『瑜伽論抄』廿巻と文備の『正理門論抄』一部〔二巻〕を彼に借りる記録があ る (8) 。これにより善季もまた法相宗と深い関連のあることを充分に推定することができる。 宣教は多くの法相関連章疏を所蔵していたのであり、新羅系と密接な義淵〔六四三 ― 七二八〕の弟子であるという 点からみて、新羅系の法相学を継承した学僧であるとみることもできる (9) 。 こ の よ う に 『子 注』 を 所 蔵 し た 僧 侶 の 中 で は 、 二 人 も 新 羅 法 相 宗 と 関 連 の 深 い こ と が 分 か る の で あ り 、『子 注』 は 七 五一年まで法相宗学僧によってしばしば読まれていたことを充分に想定することができる。奈良時代末、南都の高僧 護命〔七五〇 ― 八三四〕が円弘の『円弘師章』を暗誦したという記録もこれを傍証する )(1 ( 。たとえ平安初期以降、 その 引用はいまだ明かされていないと雖も、すでに指摘したように鎌倉時代と江戸時代まで流通の痕跡を見出すことがで きる )(( ( 。 2 『子注』の新羅著述確定 『子 注』 に つ い て は す で に 発 表 し た よ う に 新 羅 僧 の 痕 跡 を 通 し て 円 弘 が 新 羅 人 で あ る と 主 張 し た の で あ る が 、 本 稿 で 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
はもう一つより確定的な証拠を提示しようとする。菩提留支訳『法華経論』の初めの部分には帰敬頌七句が出てくる 〔原文には「帰敬偈」とあるが、 『法華経論述記』 (註一七参照) ・ 『法華経伝記』 (註一九参照)に倣い、訳文ではすべ て 「帰 敬 頌」 に 改 め た〕 。 こ れ に つ い て 『子 注』 が 依 用 す る 吉 蔵 の 『法 華 * 経 論 〔論 疏〕 』 で は 帰 敬 頌 に 対 す る 具 体 的 な 分 科 は し て い な い 。 こ れ に 反 し て 『子 注』 と 義 寂 の 『法 華 経 論 述 記』 (以 下 『述 記』 と 略 称 す る) は 次 の よ う に 分 科 す る。 〈表①〉 『子注』と『述記』の比較〔下線は訳者の改めたもの〕 帰敬頌〔 『大正』二六 ・ 一上〕 『子注』 〔第一紙二 ― 三行目〕 『述記』 〔『卍続蔵経』四六 ・ 七八〇上〕 一 帰敬三宝(二偈) 頂礼正覚海 浄法無為僧 一 ・ 一 通敬三宝 (一偈) 一 通敬三宝 (一頌) 為深利智者 開示毘伽典 祇虔牟尼尊 及菩薩声聞 一 ・ 二 別敬 経 主 (一偈) 二 別敬 教 主 及対揚衆(一頌) 令法自他利 略出勒伽辯 帰命過未世 現在仏菩薩 二 帰敬求 請加 * 分〔力〕 (一偈半) 三 一総帰勝縁 請 承 加 護(一頌半) 弘慈降神力 願施我無畏 大悲止四魔 護菩提増長 〈 表 ① 〉 の よ う に 二 つ の 文 献 は 科 目 名 を 付 け る た め 偈 頌 を 分 け る 方 式 が 同 一 で あ る。 使 用 す る 用 語 も『 子 注 』「 一 ・ 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
一 通敬三宝」と『述記』の「一 通敬三宝」が同一であり、 『子注』 「一 ・ 二 別敬経主」と『述記』の「二 別敬 教 主 及 対 揚 衆」 の 中 の 一 部 が ほ ぼ 同 一 で あ る 。『子 注』 に お い て は 第 Ⅲ 章 に お い て 確 認 さ れ る よ う に 意 図 的 に 「教」 を 「経」 に 〔ま た は 「経」 を 「教」 に〕 変 え る 例 〔本 稿 二 〇 頁 参 照〕 が あ る 。 分 科 の 類 似 性 と 一 部 用 語 の 同 一 性 を 通 し て みる時、二つの文献は少なくとも一方が一方を知って援用したということになる。 〈表①〉の『子注』と『述記』の関係を通して円弘が新羅僧侶であるということがもう一度立証された。なぜなら、 当時、新羅法華関連著述を引用するのは新羅或いは日本に限定されるが、日本の僧侶なら、日本の古文書の筆写記録 〔の中〕に〔は〕 、聖徳太子の外には〔撰者〕名が載っていないから〔そこに記載されている円弘の『子注』は日本撰 述にはなり得ないの〕である。 義 寂 と 円 弘 の 先 後 関 係 を 推 定 す る 時、 『子 注』 が 『述 記』 の 分 科 名 を 圧 縮 し た よ う に み え る が 、 科 文 だ け で は 断 定 し 難い。活動年代を推定すれば、 円弘の著述として『円弘章』も知られており、 七三一年から筆写記録があるため )(1 ( 、 円 弘 は 少 な く と も 七 三 〇 年 以 前 に は 活 動 し た で あ ろ う し 、『円 弘 章』 が 『子 注』 よ り 早 い 時 期 に 著 述 さ れ た と 推 定 す る こ とができる。一方、 義寂は義相が活動した時代にすでに法相学者として名を馳せていた )(1 ( 。義相が七〇二年に示寂した ことを念頭に置いて、当時、義寂がすでに著述活動をしていたとするのであれば、少なくとも円弘よりも活動年代及 び著述年代が早いであろうし、しかも七四八年に書写された『子注』より早い時期に『述記』が著述されたものと推 定 す る こ と が で き る )(1 ( 。 以 上 の よ う に 、 分 科 と 活 動 年 代 の 推 定 か ら み る 時、 『子 注』 が 『述 記』 を 引 用 し た も の と み る こ とができるであろう。 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
Ⅲ
『子注』写本の
底本テキストと思想
1 『子注』写本テキスト 『子 注』 は 三 巻 で 構 成 さ れ て い る が 、 現 在 は上巻のほとんど全部と下巻の一部だけが 存在して中巻は欠落された。現存テキスト についてはすでに多くの部分の紹介を終え た。本稿では写真〔①から④は「正倉院聖 語 蔵 経 巻」 、 ⑤ と ⑥ は 「称 名 寺 所 蔵 (神 奈 川 県 立 金 沢 文 庫 管 理) 」 の も の〕 と と も に 補 足 説明を行いたい。 まず、聖語蔵本を紹介する。甲種写経№ 一九八 * 九〔七〕に * 収録されている〔それ に あ た る〕 聖 語 蔵 本 は 上 巻 に 該 当 し 、〈写 真 ①〉から分かるように楷書で筆写されてい る。本写本は帰敬頌から始まるために書名 と作者名がない状態で残っているが、先の 〈写真①〉〔File No. 00000003〕 〈写真②〉〔File No. 00000002〕 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)七五一年の記録から確認されるように 作者が円弘であることに間違いない。 〔これに対して〕 「法華論経子注巻第 三 」 と な っ て い る〈 写 真 ② 〉 は、 * 軸 〔巻 子〕 裏 面 の 最 初 の 部 分 に 記 録 さ れ て い る も の で あ る が 、〈写 真 ①〉 と 〈写 真 ②〉の書体が異なることが分かる。 したがって、後の時期のある時に補 入されたものとみられる。そしてこれ を 受 け 継 い で * 軸 〔巻 子〕 の 外 題 も 「巻 三」 と 正 書 し て い る 。〔し か し な が ら〕 巻末〔の尾題〕には次の〈写真③〉の ように「巻〔第〕上」と表記されてい るために本テキストが上巻であること が 分 か る 。 そ し て 〈写 真 ③〉 〔で 確 認 で きるよう〕に紙を継いで〈写真④〉の ように一九三三年に修理したという記 〈写真③〉〔File No. 00000035〕 〈写真④〉〔File No. 00000036〕 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
録がある。上巻だけのテキストになぜ「巻第三」となっ ているか現在としては正確なことは分からない。 一方、 下巻 * が存在する〔にあたる〕金沢文庫本は、 次 の 〈写 真 ⑤〉 の よ う に 「尊 者 舎 利 弗 説 偈」 〔第 一 紙 三 面 二 行目〕から始まる。これは上巻と同じように菩提留支訳 に 該 当 す る 文 句 で あ り 、「譬 喩 品」 に 該 当 す る )(1 ( 。 日 本 の 古 文 書 の 筆 写 記 録 に お い て「 尊 者 舎 利 弗 」( 『 編 年 』 一 六 ・ 四〇二など)の著述のように記録されたことには、この ような事情があったものとみられる。書写形式は〈写真 ⑥〉にみえるように半面に一行の文字数は二〇 ― 二二字 で あ る が、 「 子 注 」 部 分 の 文 字 数 が 上 巻 に 同 一 で あ る た め、同じ系統の写本に基づいて筆写されたものとみられ る。 2 『法華経論』テキスト 『法 華 経 論』 テ キ ス ト の 流 通 に つ い て は 奥 野 光 賢 と 大 竹 晋 に よ って 詳 し く 検 討 さ れ た )(1 ( 。『法 華 経 伝 記』 に あ る 真 諦 〈写真⑤〉〔第一紙三面〕 〈写真⑥〉〔第一紙四面〕 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
の伝言によると『法華経論』はインドにおいて五十余家によって注釈されたというが、現在は世親の注釈書だけが漢 訳され二種類が伝わる。一つは勒那摩提等の訳〔以下、摩提訳と略称する〕であり、もう一つは菩提留支等の訳〔以 下、留支訳と略称する〕である。現在、二巻からなる留支訳は大竹の指摘のように、吉蔵によると二つのテキストが 流通されたのであり、 〔このことを〕 『法華論疏』に〔おいては〕次のように伝える。 こ の 『法 華 経 論』 に は 二 つ の テ キ ス ト が あ る 。 一 つ は 序 分 が な く 直 ち に 「経 云 帰 命 一 切 諸 仏 菩 薩」 と な って い る 。 これは経を集成した人たちが加護を請う言辞である。 二つは 「帰敬頌」 がある。 天親が自ら作ったものである )(1 ( 。 この陳述〔だけ〕でテキストの形態を見計らうことは容易ではないが、前者のテキストには帰敬頌がなかったと考 え ら れ 、 後 者 の テ キ ス ト に は 帰 敬 頌 は あ る も の の 、「経 云」 以 下 の 文 句 が な い も の と み る こ と が で き る 。 後 者 が 現 存 す るテキストに該当する。問題は『法華論疏』では帰敬頌の次に「経云帰命一切諸仏菩薩」を注釈しているということ である。そうすると、 吉蔵が帰敬頌もあり、 「経云」以下の文句〔も〕が、 二つともある、 現存本とは異なる本を底本 として注釈したかのようになり、 自身の陳述が完全ではないものになってしまう。しかし、 次の文句を読んでみると、 吉蔵が二つのテキストを組み合わせて注釈しているものと推定される。 今、この二文(先の二つのテキスト)によって三つに分ける。初めは三宝に帰敬して論を造る意を申すもので、 威霊の加護を請うて縁起分と為す。……初めの縁起分に二つがある。一つは天親の帰敬頌であり論を造る意を申 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
して、二つは経を集成する人たちが経典を集成する意を申すものである )(1 ( 。 すなわち、吉蔵は世親の帰敬頌の次に集経者の文句を組み合わせて注釈していることが分かる。したがって、吉蔵 がみたテキストは世親の帰敬頌と経を集成する者の文句が二つともあるテキストではなかったものと判断される。 一方、 『子注』 〔の上巻〕は〔首欠で〕 「論曰頂礼正覚海」 〔第一紙一行目〕から始まる。これは留支訳にある帰敬頌 である。摩提訳に帰敬頌がないこと 〔について〕 は僧詳の 『法華経伝記』によって〔も〕 分かる )(1 ( 。「論曰」 〔という文 句〕 は 〔現 行 の 両 訳 に は な く〕 『子 注』 〔所 依 の テ キ ス ト〕 に * だ け 〔は〕 あ る 。 そ し て 帰 敬 頌 の 後 に 「経 云 帰 命 一 切 諸 仏 菩 薩 」〔 第 二 紙 六 ― 七 行 目 〕 と い う 文 句 が あ る。 こ れ は 先 の テ キ ス ト の 前 者 に あ る 文 章 と し て )11 ( 、 先 に 引 用 し た よ う に、吉蔵によると経を集成した人たちが加護を請う言辞である。円弘もこのような趣旨で解釈する )1( ( 。 すでに言及したように吉蔵の陳述によると、前者のテキストには帰敬頌がなく、後者のテキストには「経云」以下 がない。しかし『子注』には帰敬頌の次に、例の「経曰」で始まる文章が出てくる。円弘もまた吉蔵のようにテキス トを組み合わせて注釈した可能性を無視することはできない。ところで『子注』には帰敬頌の前に、この文句がある テキストもあるという )11 ( 。円弘が、 帰敬頌と「経曰」とが順序を変えて存在するテキストの存在を言及することからみ て 、 新 羅 で は 吉 蔵 が 紹 介 し た テ キ ス ト と 〔は〕 異 な る テ キ ス ト が 存 在 し た 可 能 性 も 無 視 す る こ と は で き な い で あ ろ う 。 す な わ ち 、『子 注』 が み た 『法 華 経 論』 の テ キ ス ト が 、 こ の 第 三 の テ キ ス ト で あ った 可 能 性 を 念 頭 に 置 く こ と が で き る の で あ る 。 義 寂 の 『述 記』 で も こ の 部 分 が 注 釈 さ れ る が 、「如 是 我 聞」 の 後 に 言 及 し て い る )11 ( 。 こ れ は 順 序 の う え で 不 自 然である。おそらく吉蔵を多用する義寂が )11 ( 、 吉蔵の『法華論疏』から持ってきたものと推定される )11 ( 。一方、 現在確認 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
可能な日本の『法華経論』注釈書、円珍の『法華論記』もまた帰敬頌の後に「経曰」で始まる文句のあることが分か るため、 『子注』と同じ系統のテキストであったと推定することができる )11 ( 。 『子 注』 * 写 本 〔所 依〕 の テ キ ス ト が 『大 正』 〔二 六〕 に 収 録 さ れ て い る 既 存 の テ キ ス ト と は 異 な る テ キ ス ト を 底 本 と し て 使 用 し た こ と を 証 明 す る た め に 、 重 要 な * 差 異 〔相 違 箇 所〕 を い く つ か * 抽 出 し て 〔取 り 上 げ て〕 比 較 を 行 い た い 。 対 照 は 『法 華 経 論』 の 既 存 の 二 つ の テ キ ス ト 〔『大 正』 二 六〕 と 、 吉 蔵 『法 華 論 疏』 〔『大 正』 四 〇〕 、 義 寂 『述 記』 〔『卍 続蔵経』四六〕 、 円弘『子注』 、 円珍『法華論記』 〔『仏全』二五〕を対象にした。テキストの * 頁〔典拠〕は留支訳だけ を明かし、 残りはこれに基づいて対照する〔但し、 日本語訳ではすべての典拠を補って明記した〕 。身延山大学の金炳 坤准教授の教示によると、吉蔵の『法華論疏』 〔(正徳四年の和刻本)及び円珍の『法華論記』 (『智証大師全集』収録 本) 〕 の 『法 華 経 論』 原 文 は 編 者 の 補 入 で あ る と い う 。 し た が って 、 本 比 較 で は 『法 華 論 疏』 〔と 『法 華 論 記』 〕 の 本 文 においてみることができるものは表示して、そうでないものは省略した。 〈表②〉諸本比較(bは対校本〔 『大正』の脚注のこと〕 ) 留支訳 摩提訳 吉蔵 義寂、円弘、円珍 釈曰此経法門 (一上二九行目) a.此法門中 b.釈曰此法門 〔一〇下一九行目〕 此法門 〔七八七上一三行目〕 論曰此法門 〔七八〇中一七行目、第三紙一五行目、 論此法門( 『論疏』二上八行目) 〕 〈表 ②〉 は 〔『法 華 経 論』 (『大 正』 二 六 ・ 一 上、 同 上 ・ 一 〇 下) 所 引 の〕 『法 華 経』 の 「如 是 我 聞」 か ら 「能 度 無 数 百 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
千衆生」までの経文に対する解釈部分に対する差異である。 〈表②〉のように『子注』 〔所依〕の『法華経論』テキス ト は 厳 密 に い う と 、〔現 行 両 訳 の〕 ど の 本 と も 一 致 せ ず 、 ま た 『子 注』 の 現 存 写 本 は 「釈 曰」 で は な く 、「論 曰」 に な っ ている。これは、 義寂と円珍の〔用いた〕 『法華経論』の底本に一致〔但し、 円珍は「曰」を欠く〕して、 摩提訳の対 校本に近い。 次 い で、 七 成 就 に 対 す る 部 分 に お い て、 〔 そ の 〕 四 つ 目 が「 所 依 説 法 随 順 威 儀 住 成 就 」 で あ る が、 摩 提 訳 に 一 致 す る。留支訳は「依所説法威儀随順住成就」であり、 「所依」と「依所」が異なり、 「威儀」と「随順」も順序が入れ替 わっている。七つ目も「文殊師利答成就」であるが、同じく摩提訳に一致する。一方、吉蔵の『法華論疏』は、四つ 目が留支訳〔摩提訳の誤り〕に、七つ目が摩提訳に一致〔誤り ・ 釈文に見出せないため対比し得ない〕して、義寂の 四つ目はどの本とも一致せず、七つ目は留支訳に一致する。これを整理すると次の〈表③〉のとおりである。 〈表③〉諸本比較( 【隅付き括弧】は一致する底本を表す) 留支訳 摩提訳 吉蔵【前者摩提訳】 義寂【後者留支訳】 円弘、円珍【摩提訳】 依所説法威儀随順 * 一上二九行目 〔一中三行目〕 所依説法随順威儀 〔一〇下二二行目〕 所依説法随順威儀 〔七九四中一一 ― 一二行目〕 依所説法随順威儀 〔七八〇中一九行目〕 所依説法随順威儀 〔第四紙二行目、 一下一三 ― 一四行目〕 文殊師利菩薩 * 一上二九行目 〔一中四 ― 五行目〕 文殊師利 〔一〇下二四行目〕 ? 文殊師利菩薩 〔七八〇中二〇 ― 二一行目〕 文殊師利 〔第四紙一〇行目、 一下一五行目〕 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
こ れ に よ り 『 子 注 』 の 帰 敬 頌 は 留 支 訳 に 一 致 す る が 、「 論 曰 」 か ら 摩 提 訳 に 近 い と い う こ と が 分 か る 。 義 寂 は 〈 表 ③ 〉 の 前 者 で 分 か る よ う に 、 ど の 本 と も 一 致 し な い 。 た だ 、「 依 所 説 法 」 が 留 支 訳 に 一 致 す る こ と か ら み て 、「 随 順 威 儀 」 の 順 序 は 意 図 的 に 変 え た可 能 性 も 否 定 す る こ と は で き な い 。 一 方 、 こ の七 種 〔 功 徳 〕 成 就 を 列 挙 す る 前 に 、留 支 訳 で は 「 此 義 応 知 。 何 等 為 七 」〔 一 中 一 行 目 〕 と な っ て い る が 、『 子 注 』 は 「 何 等 為 七 」〔 第 三 紙 一 九 行 目 〕 と だ け あ る 。 こ れ も 摩 提 訳 に 同 じ で あ る 。 た だ 、 こ の 部 分 は 義 寂 〔 七 八 〇 上 一 七 ― 一 八 行 目 〕、 円 珍 〔「 論 何 等 已 下 」 二 下 九 行 目 〕 が す べ て 摩 提 訳 に 一 致 〔 誤 り ・ 円 珍 は 釈 文 に 見 出 せ な い た め 対 比 し 得 な い 〕 す る 。 こ の よ う な 例 を 通 し て み る 時 、 筆 写 上 の 出 入 を あ る 程 度 予 想 す る こ と は で き る が 、 少 な く と も 『 子 注 』〔 所 依 の テ キ ス ト 〕 が 摩 提 訳 に 一 致 す る こ と は 間 違 い な い 。 次の例をみると『子注』はまた留支訳に従うようにみえる。七成就の名称列挙が終わって次に、 「序分成就」 〔一中 六行目以下〕を説明するところで、両本は〈表④〉のように八文字が完全に異なるか、異本〔=摩提訳の対校本〕で も ま た 文 字 の 欠 落 が み ら れ る が 、〔円 珍 を 除 く〕 諸 師 は 留 支 訳 に 従って い る 。 た だ 、 摩 提 訳 の 異 本 は 〔一 字 を 除 き〕 留 支訳に同じであることを念頭に置く必要があるであろう。これもまた筆写上の出入の例であろう。 〈表④〉諸本比較 留支訳 摩提訳 吉蔵、義寂、円弘、円珍【留支訳】 顕此法門最勝義故 〔一中一〇行目〕 a.なし b.顕此法最勝義故 〔一一上二行目〕 〔顕此法門最勝義故〕 〔七八七中三 ― 四行目、七八一上六行目、第五紙一行目、なし(和刻本 からの補入は三下七行目) 〕 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
と こ ろ で、 次 を み る と〔 『 子 注 』 は 〕 摩 提 訳 と ま っ た く 異 な り、 留 支 訳 に ほ ぼ 一 致 す る と い う こ と が 分 か る で あ ろ う。七成就中、二つ目の「衆成就」に四つがあり、その中で二つ目が「行成就」である。この「行成就」にまた四つ があり、その三つ目が〈表⑤〉のようになっている。 〈表⑤〉諸本比較〔円珍は和刻本からの補入箇所、下線 ・ 太字は訳者の改めたもの〕 留支訳 三者謂諸菩薩 神通自在、随時示現 能修行 大乗 、如颰陀波羅菩薩等 十六大賢士 (一中一七 ― 一九行目) 摩提訳 a.三者 諸菩薩 随時示現 能 行 大乗 、如颰陀婆羅 等 十六 人〔一一上八 ― 九行目〕 b.三者 諸菩薩以神通自在力随時示現 能修行 大乗 、如颰陀婆羅菩薩等 十六 人 義寂 三者謂諸菩薩 神通自在、随時示現 能修行 大乗 。如颰陀婆羅 等 十六 賢士 〔七八一下八 ― 九行目〕 円弘 三者 諸菩薩 神通自在、 随時示現 能 行 衆行 。如颰陀婆羅 等 十六 賢士 人〔第五紙一四 ― 一七行目〕 円珍 三者 諸菩薩以神通自在力随時示現 能修行 衆行 。如颰陀婆羅菩薩等 十六大賢士 〔七下九 ― 一〇行目〕 この〈表⑤〉の「十六大賢士」などをみる限り、 〔円弘の『子注』は〕摩提訳とはまったく一致せず、 〔一字を欠く が〕留支訳に一致する。一方、 『子注』は両テキストと異なり、太字の部分が「能修行大乗」ではなく、 「能行衆行」 になっている。これは日本の円珍も〔一字を除き〕同じである。日本では『子注』のように「能行衆行」になってい る 『法 華 経 論』 の テ キ ス ト も 流 通 さ れ た こ と が 確 認 さ れ る )11 ( 。〔そ の た め〕 少 な く と も 「能 修 行 大 乗」 と 「能 行 衆 行」 が 必ずしも筆写上の出入であるとは見難いであろう。 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
こ の よ う に 紙 面 の 関 係 上、 ご く 一 部 分 だ け を み た た め に 具 体 的 に 叙 述 す る こ と は 難 し い が 、『子 注』 が 使 用 し た テ キ ストは、 摩提訳と留支訳が混ざっているようである。ただ、 『子注』が使用したテキストは、 現存両本テキストを適切 に 混 ぜ て 使 用 し た も の で は な く 、「帰 敬 頌 + 経 曰 帰 命 一 切 諸 仏 菩 〔薩〕 + 如 是 我 聞」 の 形 式 か ら な る 第 三 の テ キ ス ト を 底本に注釈したと推定することができる。 3 『子注』の思想 ⑴ 引用文献を通してみた思想傾向 『 子 注 』 の 現 存 写 本 で は『 経 』 と『 論 』 だ け を 経 論 の 名 称 を 挙 げ て 引 用 し て い る。 そ れ を 上 ・ 下 巻 に 分 け る と〈 表 ⑥〉のとおりである。 〈表⑥〉引用形式をとる引用 巻 引用経論 上 涅槃経一回、華厳経三回、本業経一回、正法華二回、智度論一回、対法論一回 下 華厳経一回、無性摂論三回、梁摂論二回 各経論の中で、重要であると考えられる引用を通して『子注』の思想傾向をみると次のとおりである。 『涅 槃 経』 引 用 は 「毘 伽 典」 〔『子 注』 第 一 紙 八 行 目〕 に 対 す る 説 明 で 引 用 さ れ る 。 こ の 部 分 に お い て 吉 蔵 は 半 字 と 満 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
字 の 関 係 を 三 乗 と 一 極 と し な が ら 『涅 槃 経』 と 『般 若 経』 の 名 称 だ け を 引 用 し て 、 現 在 の 『法 華 経』 を 讃 歎 す る と し 、 五 時 四 宗 を 主 張 す る 者 た ち が 『涅 槃 経』 を 満 字 と み て 『法 華 経』 を 半 字 法 門 と み る こ と を 批 判 す る )11 ( 。 こ れ は 『法 華 経』 が仏性を説く経典であることを証明するものと解釈される )11 ( 。一方、 義寂は半字と満字を小乗と大乗の関係を理解する こ と の ほ か に は 特 別 な 注 釈 を し て い な い 。 し か し 、『子 注』 〔第 一 紙 九 ― 一 一 行 目〕 で は 吉 蔵 よ り さ ら に 長 く 『涅 槃 経』 〔『大正』一二 ・ 三九〇下 ― 三九一上、同上 ・ 六三〇下 ― 六三一上〕を引用する。その趣旨は『涅槃経』において長者 の息子に低い法門から次第に水準の高い法門を教える理由について〔説かれるところを〕引用して、昔は三乗だけを 説 い て 一 乗 法 を 説 い て い な か った が 、『法 華 経』 に 至 り 一 乗 法 を 説 い て い る こ と を 、 比 喩 を 通 し て 明 か す こ と に あ る 。 そして 「毘伽典」 とは授記の経典を指称すると明かす )11 ( 。 とくに 『涅槃経』 において 「毘伽典」 が言及される部分は吉 蔵が注目していなかった部分である。円弘が『涅槃経』と『法華経』を同一の趣旨を持つ経典としてみることは、吉 蔵 の 影 響 で あ る こ と が 分 か る が 、『法 華 経』 が 授 記 の 経 典 で あ る こ と を 『涅 槃 経』 を 通 し て 証 明 す る こ と は 円 弘 独 自 の 方法である。 『華 厳 経』 は 四 回 す べ て 時 間 を 数 え る 証 文 と し て 使 用 さ れ て い る 。 例 を 挙 げ る と 、「依 花 厳、 拘 梨 為 始 数」 〔第 三 一 紙 六 ― 七 行 目〕 と い う 文 章 で あ る 。 こ れ は 『華 厳 経』 「心 王 菩 薩 問 阿 僧 祇 品」 か ら 取 意 し た も の で あ る )1( ( 。 こ れ に よ り 円 弘 は『華厳経』が無限の時間を説明する経典として、認識したものではないかと考えられる。 『本業経』からの引用は七成就の中の「四者。所依説法、随順威儀、住成就」 〔第四紙二 ― 三行目〕の注釈において 見出すことができる。ここで「所依」に三昧、器世間、衆生世間の三つがあるとしながら、三昧と衆生世間の根拠に な る 経 証 と し て「 本 業 経 云、 若 凡 夫 衆 生 住 五 陰 中、 為 正 報 之 土〔 也 〕」 〔 第 四 紙 五 ― 六 行 目、 『 本 業 経 』『 大 正 』 二 四 ・ 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
一〇一六上〕と引用している部分である。 先 に 明 か し た よ う に 留 支 訳 で は 「所 依」 が 「依 所」 に な って い る 。『子 注』 で は 「所 依」 を 三 つ に 分 け る 。 こ れ は 慧 浄 の『 〔 妙 〕 法〔 蓮 〕 華 経 纉 述 』〔 以 下『 纉 述 』 と 略 称 す る 〕 の 影 響 を 受 け た も の で あ る が )11 ( 、『 法 華 経 論 』〔 『 大 正 』 二 六 ・ 三 中、 同 上 ・ 一 二 下〕 に 出 て い る も の で も あ る 。 た だ 、「所 依」 を 取 り 上 げ て 強 調 し た の は 『子 注』 で あ る 。 ま た 義寂の 『述記』 では 「場所を待ち、 大衆を待って、 まさに説法を起こす」 となっている )11 ( 。『子注』 は 「衆縁を待つこと (待 縁) 」 と 「場 所 を 待 つ こ と (待 処) 」 を 重 視 す る 。 し か し 、『述 記』 と の 関 連 よ り は 、 や は り 『纉 述』 の 影 響 で あ る 。 すなわち、 『子注』によると、 外縁と内因を待ってまさに説を起こすのであり、 場所については自ら場所を待って国土 を 荘 厳 に 浄 ら か に し て 、 他 の 場 所 を 待 つ た め に 光 明 を 放 ち 視 る よ う に す る と い う )11 ( 。 こ れ は 各々 「待 自 処」 と 「待 他 処」 と表現されるが、これもまた慧浄からの影響である。慧浄は「自処を待つために三昧に入り祥瑞なることを徴して、 他処を待つために光明を放ち奇瑞なることを須らく現すべし )11 ( 」とするからである。 と こ ろ で 、 な ぜ 証 文 と し て 『本 業 経』 を 引 用 し た の で あ ろ う か 。『本 業 経』 の 文 章 は 元 暁 が 『〔両 巻〕 無 量 寿 経 宗 要』 〔『大正』三七 ・ 一二七上〕において引用し説明しているが、経典の文脈とおりに、衆生の報土とみるために、必ずし も 関 連 が あ る よ う で は な い 。『子 注』 は 、 衆 生 世 間 が そ の ま ま 三 昧 に よ る 浄 土 で あ る こ と を 現 そ う と し た も の と 推 定 さ れ、これはほかの文献からは確認できない『子注』だけの独自的解釈である。 『正法華』の引用は〔 『子注』に〕 「頻婆羅者、 正法華云、 此及摸式。阿閦婆者、 正法華云、 此及不動」とあり )11 ( 、 梵語 の 音 義 を 漢 語 で 説 明 す る た め 引 用 す る 。 こ こ に 問 題 が あ る 。 ま ず 、『正 法 華 経』 自 体 に は こ の よ う な 説 明 は な い 。 こ れ らは偈頌の数を述べるものであるが )11 ( 、 吉蔵の『法華義疏』が典拠である )11 ( 。後に智度の『天台法華疏義纘』巻〔第〕六 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
に も 援 用 さ れ る )11 ( 。 智 度 は 湛 然 (七 一 一 ― 七 八 二) の 門 下 で あ る )11 ( 。 智 度 の 師 匠 で あ る 湛 然 の 著 作 が 七 五 〇 年 に 確 認 さ れ )1( ( 、 『子注』は七四八年に筆写のための記録が初めてみられるために、 〔湛然の〕門徒である智度の著述から取意した可能 性はまったくない。これまでの例により『子注』に及ぼした吉蔵と慧浄の影響を見計らうことができるであろう。 『 智 度 論 』 か ら は、 初 め の 部 分 の 帰 敬 頌 に お い て「 無 畏 」 に 関 し て 注 釈 す る 時、 菩 薩 の 四 無 畏 に つ い て「 一 知 法 無 畏、 二知根無畏、 三答難無畏、 四断疑無畏。 〔広如智度論説〕 」として、 その教証として提示した部分である )11 ( 。しかし 『 智 度 論 』 に は 見 当 た ら ず、 現 在、 最 も 近 似 す る 例 は 慧 遠 の『 維 摩 義 記 』 と 敦 煌 写 本『 維 摩 経 疏 』 で あ る。 こ こ で は 『智 度 論』 を 根 拠 に し な が ら も 「知 法 無 畏」 が 「総 持 無 畏」 に な って い る こ と の ほ か に は 同 一 で あ る )11 ( 。 そ の ほ か に 『〔華 厳経〕探玄記』があるが、 文字の出入がさらにみられる )11 ( 。現在としては慧遠の文献からの取意とみられる。菩薩の四 無畏により菩薩の自在説法が可能であるため説法を請う必要があることを明かすことにその引用の意義がある )11 ( 。 『対法論』 からの引用は漏の三つ (欲漏、 有漏、 無明漏 )11 ( ) に関する 『大乗阿毘達磨集論』 或いは 『大乗阿毘達磨雑集 論』 〔以下『集論』と略称する〕からの取意に該当する。ところで、 『子注』では漏の名称が一つでないことを「諸」 としたというのであるが、これは慧遠の『 〔大般〕涅槃経義記』 〔以下『涅槃経義記』と略称する〕の説明に従ったも のである )11 ( 。したがって「漏」について『集論』のように必ずしも三つに限定しないことが分かる。 一方、 『無性摂論』の三回引用は「三つの平等(乗の平等、世間と涅槃の平等、身の平等) 」の中において、声聞授 記に関して注釈する時、法華会において世尊が声聞に仏記を与えることは平等の意味があるということを証明するた め 二 回 引 用 さ れ る 。 残 り の 一 回 の 引 用 は 如 来 と 声 聞 間 の 平 等 に つ い て 論 ず る 時 に 引 用 す る 。 こ れ に 関 連 し て 『梁 摂 論』 からの二回の引用も三つの平等の中において、声聞授記に関係される説明である。したがって、仏と声聞の平等を証 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
明するための教証として『摂大乗論』を重視したことが分かる。とくに、 〔『無性摂論』と〕 『〔梁〕摂論』の引用の後 には五回すべて「解云」として円弘の意見を披歴している。次項において、その解釈に根拠して『子注』で理解する 声聞の成仏に関して検討する。 これにより、 経論からの、 直接引用したケースと、 孫引き(正法華二回、 智度論一回)のケースが確認された。 『子 注 』 で 引 用 名 を 明 か さ な い 経 論 は『 〔 大 乗 〕 阿 毘 達 磨〔 雑 〕 集 論 』 が 挙 げ ら れ る が、 以 降、 七 種 の 驕 慢 を 論 ず る に あ たっても引用名なしに『集論』を援用する )11 ( 。 中国の文献の中では慧遠、吉蔵、慧浄の文献の引用を確認した。慧遠の文献は先に『維摩義記』の部分を言及した が 、『涅 槃 経 義 記』 の 引 用 も 確 認 す る こ と が で き た )11 ( 。 吉 蔵 の 文 献 は 先 に 言 及 し た よ う に 『法 華 義 疏』 、『法 華 論 疏』 が 引 用 さ れ る 。 そ の ほ か に 『勝 鬘 宝 窟』 も 引 用 さ れ る 。 例 を 挙 げ る と 『子 注』 が 使 用 す る 用 語 の 中 で 「伝 教 序」 、「説 経 序」 〔上 巻 ・ 第 三 紙 二 〇 行 目〕 と い う 用 語 は 、 吉 蔵 の 『勝 鬘 宝 窟』 で は 「伝 経 序」 、「説 経 序」 〔『大 正』 三 七 ・ 六 上〕 と な っ ているからである。慧浄の文献は『妙法蓮華経纉述』が引用される。 このような引用傾向を通してみる時、三論宗の吉蔵、地論宗の慧遠、そして『 * 摂大乗論〔梁摂論〕 』のような旧唯 識の文献を重視することから、法相唯識系と異なる円弘の態度を読み取ることができる。併せて『華厳経』に対して 好意的であり、 とくに、 『法華経』を一乗の経典として高く認定することも、 玄奘の系統である法相唯識とは異なる面 貌を見せてくれている。 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
⑵ 声聞の成仏について 『法 華 経 論』 で は 阿 羅 漢 が 持って い る 三 つ の 染 慢 を 対 治 す る た め 七 つ の 方 便 を 叙 述 す る 。 三 つ の 染 慢 と は 「信 種 種 乗 異、信世間涅槃異、信彼此身異」 〔『大正』二六 ・ 八下〕という考えを持つ人たちである。すなわち、種々の乗が異な り、世間と涅槃が異なり、此の身と彼の身が異なると信ずる驕慢であるのである。これを対治するため各々が持って いる信念を転じさせて、乗が平等であり、世間と涅槃が平等であり、身が平等であるという考えに転換させることに なる。そのために仏は声聞に授記を与えるのである。 ところで『法華経論』では、この時点で次のような質問が提示される。 彼の声聞などは実際に成仏するために授記を与えるのか、成仏できないのに授記を与えるのか?もし実際に成仏 できるのなら、菩薩たちがなぜ長い時間、無量の功徳を積むのか?またもし成仏できないのなら、なぜ無駄に授 記を与えるのか? )11 ( 質問の内容について『法華経論』では「彼の声聞たちが授記を受けることは決定心を得させるためのもので、声聞 が法性を成就するというものではない )1( ( 」と答える。 『子注』では、 階位でいえば、 十信位から初地位にかかり、 時間的 には一阿僧祇劫から無量劫に至るまで善根を積むことで成仏することができる。しかし、舎利弗はいまだそれだけの 修行を積んでいないために成仏の授記を受けることは理致に合するものでなく、だからといって、実際の成仏に対す る授記でなければ、仏が虚妄に授記を与えるはずがないと説明する )11 ( 。 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
そ れ で は こ の よ う な 難 題 を 『子 注』 で は ど の よ う に 解 い て い く の で あ ろ う か 。 ま ず 、『子 注』 で は 舎 利 弗 の 成 仏 の 時 間についてまだ初地に入り法身を成就した部類でないと前提する )11 ( 。それから舎利弗を実行舎利弗、 菩薩舎利弗、 変化 舎利弗に分けて『無性摂論』と『梁摂論』を挙げて説明する。以降、このような舎利弗に対する三つの分類は、後に 『摂大乗論』に根拠すると信じられるようになる事例も生まれる )11 ( 。 まず、実行舎利弗については『無性摂論』の「世尊の法花会上において諸々の声聞舎利子などのために、仏の記別 を与え、 意楽を得て、 我れと汝が平等にして二でないことにした )11 ( 」という文章を引用してこれを解釈して、 仏はこの よ う に 意 楽 心 (『子 注』 で は 決 定 心 と し て 解 く) を 得 る よ う 授 記 を 与 え た の で あ り 、 時 間 的 な 成 仏 に 対 す る 授 記 で は な いとする )11 ( 。次に菩薩舎利弗においても、 また続けて『無性摂論』を引用して、 会座に集まっている菩薩と名を同じく するために、 仏がこのような菩薩のために授記を与えることを示す )11 ( 。最後に変化舎利弗については『梁摂論』を引用 して、 仏が舎利弗などの声聞に化現して、 授記を与えるものと説明する )11 ( 。この声聞は授記とおりの時間に実際に成仏 するのである。 『子 注』 で は 『法 華 経 論』 に お け る 授 記 は 、 こ の 中 で 実 行 舎 利 弗 を 対 象 と す る も の と 理 解 す る 。 そ し て 『梁 摂 論』 を 引 用 し て 、 仏 法 は 平 等 で あ る が 声 聞 が 授 記 を 受 け た と し て も 仏 の 法 身 を 得 る の で は な い と 明 言 す る )11 ( 。 す な わ ち 、『法 華 経論』にあるのと同じように、 授記を受けた声聞が法性を成就するのではない。 『子注』ではこれをさらに解いて、 法 身と法性は一法の異なる名称であるが、声聞が初地に法身を得て成仏したとしても完全ではない部分的な仏としての 法 身 と し て 理 解 す る )11 ( 。 部 分 的 な 仏 を 成 就 し た た め 続 け て 修 行 し て 〔い け ば〕 完 全 な 仏 に な る の で あ る 。 こ の よ う に 『子 注』では、授記を受けた後に修行を通して初地に達することに大きな意義のあることが分かる。 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
声 聞 が 成 仏 す る と い う こ と は 『子 注』 で は 変 わ ら ず に 主 張 さ れ る 。 す な わ ち 、「二 乗 が 成 仏 す る こ と が で き な い と す ると、 また「異なるという執着」と名づける )1( ( 」という。それに「異なるという執着」を顛倒の異名であるとする。す でに『円弘章』の文句を通しても明かしたように )11 ( 、二乗の成仏は円弘の一貫した思想である。 ⑶ テキストと思想の関係 『子 注』 が 依 用 し た 『法 華 経 論』 の 底 本 テ キ ス ト が 第 三 の テ キ ス ト で あ る こ と 〔に つ い て〕 は 先 に 述 べ た 〔と お り で ある〕 。それならば、 テキストの注釈であるだけに、 テキストとテキスト文脈の理解によって、 解釈が変わり得ること が 予 想 で き る の で あ る 。〈表 ③〉 で み た 「所 依」 の 例 の よ う に 「依 所」 に な って い る テ キ ス ト を み た 場 合、 そ の 意 味 に つ い て ま った く 注 目 す る こ と は な い で あ ろ う 。〔 〈表 ⑤〉 の〕 「随 時 示 現 能 行 衆 行」 と い う 文 句 も 、 テ キ ス ト と 思 想 の 関 係 を 説 明 し 得 る 例 で あ る 。 こ の 文 句 は 七 成 就 の 中 に お け る 行 成 就 の 三 つ 目 に 該 当 す る 。 現 行 本 で は 「衆 行」 が 「大 乗」 になっていること〔について〕は先に明かしたとおりである。留支訳の原文は「三に、諸菩薩が神通自在を随時に現 して、よく大乗の修行を修める。颰陀婆羅菩薩など十六〔大〕賢士……ようである」と解釈される )11 ( 。 この部分について『子注』では「第二行(外行)である。小乗の実践を行ずることを現すために衆行といったので ある )11 ( 」として「衆行」を小乗の実践であると解釈したのである。吉蔵は、 十六賢士が小乗の四部大衆のために実践す る が 、 そ れ は 大 乗 が 小 乗 を 包 含 し て い る た め に 、 大 乗 が 小 乗 行 を 行 ず る と 理 解 す る )11 ( 。 吉 蔵 の 『法 華 論 疏』 に は 「衆 行」 に対する解釈がない。異本をみたからであろう。おそらく『子注』において、このような吉蔵の解釈を参照して、衆 行 を 小 乗 行 に 同 値 さ せ た で あ ろ う が 、『子 注』 が 「衆 行」 に つ い て 関 心 を 持った の は 、 テ キ ス ト に よ って 思 想 性 が 変 わ 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
り得る例であるといえよう。一方、留支訳をみた『述記』の場合、外部に現行された大乗と小乗の実践であるとみた のであり、 実際には在家と出家の実践がこれに属すると短く注釈するに止まる )11 ( 。これは比丘、 比丘尼、 優婆塞、 優婆 夷の実践をいうのである。それならば、比丘、比丘尼は大乗行、残りは小乗行を実践するものとみたことになろう。 『述記』も吉蔵の解釈を念頭に置いたものとみられるが、 「衆行」についてまったく考えることができなかったのであ り、 『子注』だけが「衆行」を重視してそれを小乗の実践であると解釈したのである。
Ⅳ
結
論
以上、聖語蔵本と金沢文庫本の『子注』についてその流通と思想の一端を検討した。写本『子注』は日本の古文書 の記録に七四八年から筆写のために記録され、主に法相宗学僧によって所蔵され、その所蔵者たちは新羅仏教と関連 が深い。一方、 『子注』が義寂の『述記』を引用したことを通して円弘が新羅人であることを確定した。 『子注』が依 拠した『法華経論』テキストは既存の『法華経論』と異なり「帰敬頌+経曰〔帰命一切諸仏菩薩〕+如是我聞」で構 成された第三の写本であり、 『〔法華〕経論』の本文について調査した結果、現存、留支訳と摩提訳が混ざっているも のと判明された。 『子注』 〔における〕思想の一端を分析するため引用経論の内容を検討した。その結果『 * 摂大乗論〔梁摂論〕 』のよ う な 旧 唯 識 論 書 や 三 論 宗 の 吉 蔵、 地 論 宗 の 慧 遠 の 解 釈 を 導 入 し て、 『 法 華 経 』 を 一 乗 経 典 と し て 確 固 に 位 置 づ け る な ど、玄奘系統の中国の法相唯識とは異なる面貌を見せてくれることが分かる。 とくに、 『子注』では『摂大乗論』 〔『無性摂論』と『梁摂論』 〕を引用した後、舎利弗を実行、菩薩、変化という三 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)つの範疇で分析して成仏授記に関する意見を披歴する。授記を受けた舎利弗が、たとえ完全な法性、法身を証得した のではないと雖も、以降、修行を通して成仏が保証されるという事由である。これもまた『子注』の法相教学が玄奘 系統の唯識と異なるという証拠になるであろう。テキストと思想の問題は〔所依とする〕テキストの差異によって解 釈が変わり得る例を提示した。 以 上 に よ り 『子 注』 が 写 本 と し て の 価 値 が あ り 、 解 釈 上 の 特 徴 も 充 分 に 見 出 し 得 る こ と を 論 じ た の で あ る 。『子 注』 は早くも日本に伝播され『法華経』研究の参考書にもなるのである。このような点などを考慮する時、今後『子注』 の思想については新羅の法華思想史において重要に研究されるべきであるのみならず、東アジア仏教における『法華 経論』研究史の側面から本格的に照明すべき価値があると判断される )11 ( 。 註 (1) 金 天 鶴「 金 沢 文 庫 所 蔵、 円 弘 の『 妙 法 蓮 華 経 論 子 注 』 に つ い て 」『 印 仏 研 』 第 六 〇 巻 第 二 号、 二 〇 一 二、 * 七 一 二 ― 七 一 九〔一五四 ― 一六一〕頁。 (2) 金天鶴「円弘は新羅僧侶か
―
『法華経論子注』の引用文献を中心として―
」『東アジア仏教文化』第一七輯、 二〇一 四、一八五 ― 二〇八頁〔日本語訳 ・ 『身延山大学仏教学部紀要』第二〇号、二〇一九、一 ― 一六頁〕 。 (3) 金天鶴、二〇一二、二〇一四、前掲論文参照。 (4) 金天鶴、二〇一二、前掲論文、 * 七一二 ― 七一九〔一五五 ― 一五六〕頁。 (5) 慈訓に関しては、佐久間龍『日本古代僧伝の研究』吉川弘文館、一九八三、七七 ― 一〇二頁に詳しい。 (6) 「三 綱 寺 主 「善 季」 」( 『〔東 京 帝 国 大 学 文 科 大 学 史 料 編 纂 掛 編 『大〕 日 本 古 文 書 〔』―
編 年 文 書―
〕』 〔第 一 冊 ― 第 二 五 冊、東京帝国大学、一九〇一 ― 一九四〇(以下『 編年 』と略称する) 〕二五 ・ 三六六) 。 (7) 『編年』二四 ・ 一八一。 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)(8) 『編年』一二 ・ 一七。 (9) 宣 教 に 関 し て は、 佐 久 間 龍、 前 掲 書、 索 引 を 参 照 さ れ た い。 ま た 七 五 一 年 に は 大 徳 と 呼 ば れ て い た た め 非 常 に 学 識 が 高 かったものとみられる。 「造東寺司牒 宣教大徳房下」 (『編年』三 ・ 五一〇) 。東寺は東大寺のことである。 ( 10) 金天鶴、二〇一四、前掲論文、一九〇頁〔日本語訳 ・ 四頁〕を参照されたい。 ( 11) 金 天 鶴、 二 〇 一 二、 前 掲 論 文、 一 五 五 ― 一 五 六 頁 を 参 照 さ れ た い。 〔 平 安 初 期 以 降 の 引 用 に つ い て は、 金 炳 坤「 『 三 平 等 義 』 の 成 立 に 関 す る 研 究 」『 身 延 山 大 学 仏 教 学 部 紀 要 』 第 一 七 号、 二 〇 一 六、 一 ― 三 四 頁、 及 び 金 炳 坤「 『 三 平 等 義 』 所 引 の「注云」について」 『印仏研』第六六巻第一号、二〇一七、二七四 ― 二六九を参照されたい【金炳坤】 〕 ( 12) 金天鶴、二〇一二、前掲論文〔一五五頁〕参照。 ( 13) 均如『釈華厳教分記円通鈔』巻〔第〕一( 『韓仏全』四 ・ 二五七上) ( 14) 本稿の註六 * 七〔六〕においても『子注』が『述記』を引用したであろう可能性が高い例を挙げた。 ( 15) 留支訳「尊者舎利弗所説偈」 (『大正』二六 ・ 八上) 、摩提訳「舎利弗説偈」 (『大正』二六 ・ 一七中) ( 16) 奥 野 光 賢「 〔 第 一 篇 〕 第 一 章〔 『 法 華 論 』 に つ い て 〕」 『 仏 性 思 想 の 展 開
―
吉 蔵 を 中 心 と し た『 法 華 論 』 受 容 史―
』 大 蔵出版、 二〇〇二〔二 ― 三六頁〕 。大竹晋校註「 〔『妙法蓮華経憂波提舎』 〕解題」 『法華経論 ・ 無量寿経論他』大蔵出版、 二 〇一一、一〇八 ― 一 * 二六〔一七〕頁。 ( 17) こ れ に つ い て は、 大 竹 晋 校 註、 前 掲 書、 一 〇 八 ― 一 * 〇 九〔 一 一 〕 頁 に 紹 介 さ れ て い る。 〔 吉 蔵 〕『 法 華 論 疏 』「 但 此 論 有 二 本。 一 無 前 序、 直 云。 経 云 帰 命 一 切 諸 仏 菩 薩。 此 是 集 経 人 請 護 之 辞 也。 二 有 帰 敬。 此 是 天 親 自 作 」( 『 大 正 』 四 〇 ・ 七 八 五 中) 。〔義 寂 『述 記』 「此 論 二 本。 一 是 勒 那 摩 提 所 翻。 無 帰 敬 頌 。 二 是 菩 提 流 支 所 翻。 有 帰 敬 頌 」( 『卍 続 蔵 経』 四 六 ・ 七 七 九下) 〕 ( 18) 〔吉 蔵〕 『法 華 論 疏』 「今 具 依 二 文 開 三 分。 一 帰 敬 三 宝 申 造 論 意。 請 威 霊 加 護 為 縁 起 分。 二 牒 経 解 釈 為 正 体 分。 三 重 牒 章 門 追示分斉為余勢分。就初有二。一天親帰敬申造論意。二集経者帰敬申集経意」 (『大正』四〇 ・ 七八五中) ( 19) 僧 詳『 法 華〔 経 〕 伝 記 』「 〔 勅 以 流 支。 為 訳 経 之 元 匠 也。 重 訳 成 二 巻。 曇 林 受 并 製 序。 題 云 妙 法 蓮 華 経 優 婆 提 舎。 初 有 帰 敬 頌 者 是 也。 〕 与 宝 意 訳 大 同 少 異。 彼 題 同 云。 妙 法 蓮 華 経 優 婆 提 舎。 而 無 帰 命 頌 也」 (『大 正』 五 一 ・ 五 * 二 下 〔三 上〕 )。 〔但 し、 留 支 訳 の 初 め に 有 る と さ れ る 帰 敬 頌 と 摩 提 訳 に は 無 い と さ れ る 帰 命 頌 と を 同 一 視 す る こ と に つ い て は、 再 考 の 余 地 が 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)あろうと考えられる【金炳坤】 〕 ( 20) 吉蔵によると「経云」であるが、 『子注』には「経曰」になっている。 ( 21) 『子注』 「斯乃経集家。為集経故。自須帰敬」 (上巻 ・ 六〇行目〔第二紙一二行目〕 ) ( 22) 『子注』 「或有論本、 将此文置於偈前 、為例釈故」 (上巻 ・ 六二行目〔第二紙一三行目〕 ) ( 23) 〔義寂〕 『述記』 「如是我聞等、 雖不別釈。文少故并牒。経曰帰命等者、 結集経者。将欲出経、 故先帰命」 (『卍続蔵経』四 六 ・ 七八〇中) ( 24) 朴姯娟『新羅法華思想史研究』慧眼、二〇一三、九六 ― 九八頁。 ( 25) 金 炳 坤 ・ 桑 名 法 晃「 義 寂 釈 義 一 撰『 法 華 経 論 述 記 』 の 文 献 学 的 研 究 ⑴ 」『 身 延 山 大 学 仏 教 学 部 紀 要 』 第 一 五 号、 二 〇 一 四、一九 ― 四三頁〔三七 ― 三八頁〕 。 ( 26) 円 珍〔 『 法 華 論 記 』〕 (『 仏 全 』 二 五 ・ 一 上 )。 〔 こ の 文 句 が 和 刻 本 に よ っ て 追 加 さ れ た も の で あ る こ と に つ い て は、 金 炳 坤 「 流 布 本『 妙 法 蓮 華 経 優 波 提 舎 』 考 」『 宗 教 研 究 』 第 九 〇 巻 別 冊、 二 〇 一 七、 三 〇 六 ― 三 〇 七 頁 を 参 照 さ れ た い。 ま た 和 刻 本 に つ い て は、 桑 名 法 晃「 『 法 華 論 』 版 本 の 研 究
―
清 水 梁 山 国 訳『 法 華 論 』 の 底 本 を 視 点 と し て―
」『 東 洋 文 化 研 究 所 所報』二〇一六、一七 ― 六二頁を参照されたい【金炳坤】 〕 ( 27) 〔貞 慶〕 『法 華 開 示 抄』 〔「三 者 諸 菩 薩。 神 通 自 在 力 随 時 示 現。 能 行 衆 行 。 如 颰 陀 波 羅 等 十 六 賢 士」 〕( 『大 正』 五 六 ・ 二 七 〇 下) ( 28) 〔吉 蔵〕 『法 華 論 疏』 「〔毘 伽 論 者。 斯 文 引 涅 槃 般 若 所 説 以 歎 今 法 華 教 也。 稚 子 但 教 半 字 之 経。 長 成 則 訓 満 字 毘 伽 羅 論。 〕 昔 説 三 乗 喩 同 半 字。 今 明 一 極 謂 満 字 経。 亦 用 斯 言 斥 五 時 四 宗 之 説。 以 彼 謂 涅 槃 之 経 独 満。 法 華 等 教 猶 半 教 也」 (『大 正』 四 〇 ・ 七八五下) ( 29) 吉 蔵 が 仏 性 を 証 明 す る た め『 般 若 経 』 を 依 用 す る 事 例 に つ い て は、 奥 野 光 賢、 前 掲 書、 「〔 第 一 篇 〕 第 二 章 吉 蔵 教 学 と 『法華論』 」〔三七 ― 九四頁〕を参照されたい。 ( 30) 大竹晋校註、前掲書、一五七頁。 ( 31) 『華厳経』巻第二十九「百千百千名一拘梨、 拘梨拘梨名一不変……不可説転不可説転名一不可説転転」 (『大正』九 ・ 五八 六上〔 ― 下〕 )。この〔心王菩薩問阿僧祇〕品では「拘梨」から始まり時間の数字が数えられる。 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)( 32) 慧 浄 『纉 述』 「説 法 依 三 種 法 故。 一 依 三 昧。 二 依 器 世 間。 三 依 衆 生 世 間」 〔巻 第 二 ・ 六 丁 ウ 三 ― 四 行 目〕 。 本 テ キ ス ト は 金 炳坤博士の提供によるものである。本稿を借りて感謝の意を表す。 ( 33) 義寂『述記』 「待処待衆。方起説故」 (『韓仏全』二 ・ 三〇二中〔 『卍続蔵経』四六 ・ 七八〇下〕 ) ( 34) 『子 注』 「自 下 二 文 待 縁。 初 待 自 外 縁 後 待 内 因。 因 縁 和 合 方 起 説 故。 処 待 自 処 故。 厳 土 令 浄 待 他 処。 故 放 光 令 覩。 〔所 依 有 三。 一 依 三 昧。 謂 説 者 威 儀。 二 依 器 世 間。 謂 説 処 威 儀。 三 依 衆 生 世 間。 謂 聞 者 威 儀 〕」 ( 上 巻 ・ 一 二 二 行 目〔 第 四 紙 三 ― 四 行目〕 ) ( 35) 〔慧浄〕 『纉述』 「待自処故。先須入定以徴瑞。待他処故。後須放光以現奇」 〔巻第二 ・ 六丁オ一五行目 ― 六丁ウ一行目〕 ( 36) 『子注』 (上巻 ・ 七四五 ― 七四六行目〔第二一紙一六行目〕 ) ( 37) 「数」については、 大竹晋校註、 前掲書、 二五八頁を参照されたい。 (『子注』上巻 ・ 七四五 ― 七四六行目〔第二一紙一六 ― 一八行目〕 ) ( 38) 〔吉 蔵〕 『法 華 義 疏』 〔「甄 迦 羅 (正 法 華。 云 何 作) 頻 婆 羅 (正 法 華。 云 模 式) 阿 閦 婆 (正 法 華。 云 不 動) 」〕 (『大 正』 三 四 ・ 六二〇下) 。金炳坤博士の助力により典拠を見つけた。感謝の意を表す。 ( 39) 〔 智 度『 天 台 法 華 疏 義 纘 』 巻 第 六「 甄 迦 羅 等 者 正 法 華 云 何 作 頻 婆 羅 云 摸 式 阿 閦 婆 云 不 動 也 」( 『 卍 続 蔵 経 』 二 九 ・ 一 〇 四 下) 〕 ( 40) 松森秀幸「智度とその著作『天台法華疏義纘』について」 『印仏研』 〔第五八巻第二号〕 、 二〇 * 〇九〔一〇〕 、 四六 ― 五〇 頁〔六〇六 ― 六一〇頁〕 。 ( 41) 日比宣正『唐代天台学序説〔
―
湛然の著作に関する研究―
〕』山喜房仏書林、一九六六、一三一 ― 一三二頁。 ( 42) 『子注』上巻 ・ 四三行目〔第二紙四行目〕 。 ( 43) 慧 遠『 維 摩 義 記 』〔 「 一 総 持 無 畏。 …… 二 知 根 無 畏。 …… 三 断 疑 無 畏。 …… 四 益 難 無 畏 」〕 (『 大 正 』 三 八 ・ 四 三 〇 上 )、 敦 煌 写 本 『維 摩 経 疏』 〔( S.2688 )「一 総 持 無 畏。 ……二 知 根 無 畏。 ……三 断 疑 無 畏。 ……四 答 難 無 畏」 〕( 『大 正』 八 五 ・ 三 五 七 上) 。 一 方 『維 摩 義 記』 に は 「四 益 難 無 畏」 に な って い る 。「益」 と 「答」 は 草 書 体 が 似 て い る た め に 生 じ た 誤 字 〔「益」 は 「 答 」 の 翻 刻 ミ ス 〕 で あ る。 〔 両 テ キ ス ト は 同 本 異 写 で あ る。 岡 本 一 平「 浄 影 寺 慧 遠 の『 別 章 』 に つ い て―
『 大 乗 義 章 』 の 成 立 試 論―
」 金 剛 大 学 校 仏 教 文 化 研 究 所 編『 地 論 宗 の 研 究 』 国 書 刊 行 会、 二 〇 一 七、 五 九 二 頁、 六 〇 七 頁 の 註 一 四 を 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)参照されたい【岡本一平】 〕 ( 44) 〔 法 蔵 〕『 〔 華 厳 経 〕 探 玄 記 』「 一 総 持 無 畏。 …… 二 知 根 無 畏。 …… 三 決 疑 無 畏。 …… 四 答 難 無 畏 」( 『 大 正 』 三 五 ・ 一 八 五 上) ( 45) 『子注』 「由此四事自在説法故。須求請」 (上巻 ・ 四五行目〔第二紙 ・ 四行目〕 ) ( 46) 『子 注』 〔「此 則 嘆 位 三 漏 非 一 名 諸。 令 心 連 注 流 散 不 絶 故 名 為 漏。 依 外 門 流 注 故 立 欲 流。 依 内 門 流 注 故 立 有 漏。 依 彼 二 所 依 門流注故立無明漏。此出対法」 〕(上巻 ・ 二〇四 ― 二〇六行目〔第六紙一四 ― 一五行目〕 ) ( 47) 『子 注』 「三 漏 非 一 名 諸」 (上 巻 ・ 二 〇 四 行 目 〔第 六 紙 一 四 行 目〕 )。 〔慧 遠〕 『涅 槃 経 義 記』 「漏 別 有 三。 所 謂 欲 有 無 明 漏 等。 下当具辯。三漏非一。是故言諸」 (『大正』三七 ・ 六二一中) ( 48) 『子注』下巻で「心挙為性」という表現を十回使用するのがこれである。 ( 49) 『涅 槃 経 義 記』 は こ の ほ か に も 『子 注』 に お い て 「具 言 略 伽 羅。 此 云 記 論。 以 記 音 声 名 字 章 句 事 故」 (上 巻 ・ 一 四 行 目 〔第 一紙八 ― 九行目〕 )とした部分が、 慧遠『涅槃経義記』の「造毘伽羅論。此名記論。辨明一切音声名字章句等法」 (『大正』 三七 ・ 七八四上)とほぼ一致するケースも見出すことができる。 ( 50) 『 法 華 経 論 』「 彼 声 聞 等 為 実 成 仏 故 与 授 記。 為 不 成 仏 与 授 記 耶。 若 実 成 仏 者。 菩 薩 何 故 於 無 量 劫。 脩 集 無 量 種 種 功 徳。 若 不 成 仏 者。 云 何 虚 妄 与 之 授 記」 (『子 注』 下 巻 ・ 三 一 オ 〔第 一 七 紙 二 面 一 ― 六 行 目〕 に 従 う) 。 参 考 ま で に 摩 提 訳 及 び 摩 提 訳 の異本にほぼ一致〔厳密には留支訳 ・ 摩提訳 ・ 摩提訳の異本とも一致しない〕する( 『大正』二六 ・ 一八上) 。 ( 51) 『 法 華 経 論 』「 彼 声 聞〔 等 得 〕 授 記 者。 得 決 定 心。 非 謂 声 聞 成 就 法 性 故 」( 『 子 注 』 下 巻 ・ 三 一 オ〔 第 一 七 紙 三 面 四 ― 五 行 目〕 に 従 う) 。 参 考 ま で に 摩 提 訳 及 び 摩 提 訳 の 異 本 に ほ ぼ 一 致 〔厳 密 に は 留 支 訳 ・ 摩 提 訳 ・ 摩 提 訳 の 異 本 と も 一 致 し な い〕 する( 『大正』二六 ・ 一八上) 。 ( 52) 『 子 注 』「 此 則 設 難。 始 従 十 信 終 至 初 地。 略 説 逕 一 大 劫 阿 僧 企 耶。 中 説 逕 三 大 劫。 広 説 逕 無 量 劫。 逕 如 是 劫 脩 集 善 根。 方 得 現 前 授 記。 如 記 劫 数 当 得 成 仏。 然 身 子 等 未 逕 此 劫 脩 集 善 根。 云 何 忽 得 此 現 前 記。 如 記 成 仏。 若 言 雖 未 脩 集 善 根。 而 得 授 記。 実 成 仏 者。 菩 薩 何 故 無 量 劫 脩 集 善 根 方 得 授 記。 若 不 如 記 実 成 仏 者。 諸 仏 始 無 妄 語。 云 何 虚 妄 与 此 授 記 之 者。 訓 此」 (下 巻 ・ 三一オウ〔第一七紙二面六行目 ― 三面四行目〕 ) ( 53) 『 子 注 』「 彼 身 子 等、 若 得 授 記 即、 相 同 義、 得 決 定 心。 為 得 此 心 故、 与 授 記。 非 謂 声 聞 已 入 初 地 成 就 法 身 故、 与 授 記。 然 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)
舎 利 弗 自 有 三 種。 一 実 行 舎 利 弗。 故 無 性 摂 論 云。 世 尊 法 花 会 上、 与 諸 声 聞 舎 利 弗 等、 授 仏 記 莂、 為 令 摂 得 如 是 意 楽。 我 等 与仏平等無二」 (下巻 ・ 三一ウ ― 三二オ〔第一七紙三面五行目 ― 四面二行目〕 ) ( 54) 安 然『 胎 蔵 金 剛 菩 提 心 義 略 問 答 鈔 』「 摂 大 乗 論 云。 舎 利 弗 有 三 種。 一 応 化。 二 菩 薩。 三 実 行( 云 云 )」 (『 大 正 』 七 五 ・ 四 八 二 下) 。 た だ 、『摂 大 乗 論』 に は な く 『子 注』 に 似 て い る た め に 影 響 関 係 を 念 頭 に 置 く こ と が で き る で あ ろ う 。〔こ の 指 摘 は、安然が『子注』乃至は『三平等義』を参照した可能性を示唆する事例になるであろう【金炳坤】 〕 ( 55) 『 無 性 摂 論 』「 世 尊 法 花 会 上、 与 諸 声 聞 舎 利 子 等。 授 仏 記 別。 為 令 摂 得 如 是 意 楽。 我 等 与 仏 平 等 無 二 」( 『 大 正 』 三 一 ・ 四 四七中) 。実行舎利弗は舎利弗の典型的な解釈である退菩提心舎利弗と考えられる。後〔代〕の記録であるが、 湛然『法華 文 句 記 』 の「 如 舎 利 弗 得 記 之 時、 四 衆 八 部 即 其 流 也。 故 三 周 中 亦 有 応 化 与 実 行 者。 同 時 得 記。 故 論 中 云。 退 大 応 化 二 種 与 記。即其意也」 (『大正』三四 ・ 一六七下)が参考になるであろう。 ( 56) 『子 注』 「解 云。 意 楽 者 謂 決 定 心。 仏 為 令 得 此 意 楽 故。 授 仏 記 莂。 非 必 如 記 劫 数 成 仏」 (下 巻 ・ 三 二 オ 〔第 一 七 紙 四 面 二 行 目〕 ) ( 57) 『子 注』 「二 菩 薩 舎 利 弗 故。 次 文 云。 又 此 会 上 有 諸 菩 薩 与 彼 名 同 得 授 記 莂。 解 云。 授 此 記 時 同 名 菩 薩、 即 謂 為 我 授 此 記 莂。 即能信受、如記成仏、仏為此菩薩故、与授記」 (下巻 ・ 三二オ〔第一七紙四面二 ― 四行目〕 ) ( 58) 『 子 注 』「 三 変 化 舎 利 弗 故。 梁 摂 論 云。 復 * 以〔 次 〕 仏 化 作 舎 利 弗 等 声 聞、 為 其 授 記。 解 云。 為 調 声 聞 種 * 性〔 姓 〕 人 故。 授仏記別。如記劫数実得成仏。 〔身子既爾所余声聞。准釈可知〕 」(下巻 ・ 三二オ〔第一七紙四面四 ― 五行目〕 ) ( 59) 『子 注』 「今 此 文 中。 唯 依 実 行 而 説。 梁 摂 論 云。 但 得 法 如 平 等 意。 未 得 仏 法 身」 (下 巻 ・ 三 二 オ ウ 〔第 一 七 紙 四 面 五 行 目 ― 第一八紙一面一行目〕 ) ( 60) 『子注』 「解云。法身法性一法異名。初地是一分仏名仏法身」 (下巻 ・ 三二ウ〔第一八紙一面一行目〕 ) ( 61) 『 子 注 』「 〔 然 謂 如 相 体 性 亦 別。 是 名 異 執。 亦 名 顛 倒。 …… 然 謂 〕 二 乗 不 得 成 仏 亦 名 異 執 」( 下 巻 ・ 三 二 オ〔 第 一 五 紙 二 面 四 ― 五行目〕 ) ( 62) 金天鶴、二〇一二、前掲論文〔一六〇頁〕において『円弘章』の逸文を通して声聞の成仏を証明した。 ( 63) 『法 華 経 論』 「三 者。 謂 諸 菩 薩 神 通 自 在 随 時 示 現。 能 修 行 大 乗。 如 颰 陀 波 羅 菩 薩 等 十 六 大 賢 士……」 (『大 正』 二 六 ・ 一 中) ( 64) 『子注』 「第二行、現行小行故言衆行也」 (上巻 ・ 一七四 ― 一七五行目〔第五紙一六行目〕 ) 『法華経論子注』写本の流通と思想(金天鶴)