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描写文の文法論――ジャンルとしての写真描写文― ―

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(1)

著者 澤田 茂保

雑誌名 言語文化論叢

巻 25

ページ 47‑73

発行年 2021‑03‑30

URL http://doi.org/10.24517/00061563

(2)

描写文の文法論

――ジャンルとしての写真描写文――

澤 田 茂 保

0.はじめに

本稿の目的は英語の写真描写文を文法論的に考察することである。英語によ る写真描写文は当然英語の文法規則に沿っているが、日常的な会話などでふつ う現れる文とは異なっているものがある。その意味で写真描写文は一つのジャ ンルを構成するといえる。

写真描写文の文法を論じるに当たり、本稿では客観試験等で見られる写真描 写問題の分析を通じてそこに現れる描写文の文法的特徴を考察することとする。

分析対象とする素材はTOEICの写真描写問題である。現行TOEICには6つの 写真描写問題があり、設問形式が標準化しているので、そこで使われる写真と それを描写する英語文(誤答とされる選択肢を含む)の文法的な考察を通じて、

ジャンルとしての描写文を見ていきたい。

1.写真を描写することについて

写真を描写するとは写真に映じている場面(scene)を言葉で表すことである。こ の言語活動では描写する人(「発信者(話し手/書き手)」)だけが存在しているよう に思えるが、実は「受信者(聞き手/読み手)」の存在も大いに係わりがある。発信 者側が受信者も同じ写真を見ていると想定している場合(以下、「状況A」)とそ ういった想定をしていない場合(以下、「状況B」)で描写の仕方が異なる。さら に、状況Bは電話で何らかの図を説明するような場合(状況B1)と、二人が同 じ部屋にいて、一人が窓を見て「あ、雪が降っている」などと発話して、もう一 人が即時的にその場面を共有できるような場合(状況B2)とがある。こういった

(3)

発信者側の状況認識は文法的な表出に影響を与えるが、TOEICの写真描写文は、

この状況認識が標準化されていないので一貫した規則が見えにくくなっている。

また、写真が静止画像として表しうる事態と言語で記述できる事態は全く別 のものである。言語化とは現実の何かを捨象することであり、捨象の過程では 写真を描写する人の解釈が決定的に影響する。写真に映じている事態を認識す る人(認識主体)が受け身的に表現しているように見えるが、実際は写真にあ る働きかけを行って言語化している。

言語表現は基本的に何かを取り立てて(主語の選択)、それについて何かを述 べる(叙述する)という形式を取る。主語として取り立てるときどのような語 彙でも可能なわけではない。認識主体の主観的な判断が含まれる語彙は避けら れる。例えば、グラウンドで誰かが走っている写真を見て、「先生が走っている」

は描写文としては不適切である。だが、教室内の授業風景の写真であれば、「先 生が黒板に字を書いている」という描写文は可能である。主語に取り立てる際 の語彙や文法形式には一定の制約がある一方で、それは絶対的な区分ではなく 認識主体の写真の理解に依存する。

叙述においても同じである。写真に映じないこと、例えば、人の心理的な働 きや主観的な評価などは描写文の述語には使えない。人が相手と話している写 真を見て、「…を非難している」とか「… に感謝している」という叙述は写真 描写とは言えない。また、「… 怒っている」といった人の感情表現も認識主体 の主観に係わる述語で不適当である。また、写真に映じている事態に対する評 価的な判断文(「湖は美しい」、「子供達は寝る時間である」)も不可である。従っ て、写真描写文では主語でも述部でも使われる語彙に制約がある。

さらに抽象的なレベルで言えば、写っていないことを述べる文は描写文とし ては不適切である。ゲームに興じている子供の写真を見て、「子供は勉強してい ない」といった否定文は通常の描写ではない。「否定的事態」は写真に写すこと はできない。また、一般に否定要素が入っている文は写真描写の問題としては 不適切である。二人の男性が写っていて、一人がサングラスをかけている場合、

「一人はサングラスをかけている」はよいが、「一人はサングラスをかけていな い」は写真問題としては避けるべきであろう。

写真に映じないことには「時」も入る。述部動詞は常に時制を伴うが、写真 描写文で使用される時制は現在時制に限られる。それは写真には過去の事態や 未来の事態は映じようがないからである。写真に写っている事態は過去に起こっ たことかも知れないが、あくまでも現在の事態として描写するしかない。

2.写真のタイプについて

人の認知のメカニズムでは、現実の風景 であれ、それを切り取った写真であれ、人 を認知する機能が優先する。人が写ってい れば人の取り立てがもっとも自然である。

つまり、写真描写という観点で、写真は人 が写っている写真と人が写っていない写 真(つまり、モノだけの写真)という二つ のタイプに分けることができる。前者を

「ヒト中心」の写真、後者は「モノ中心」

の写真と便宜的に称する。もちろん、何が 中心になっているかは認知上の問題であ り、そのため、中心が人ともモノとも言え ない写真がある。これは「中間タイプ」の写 真と呼ぶことにする。「中間タイプ」に分類さ れるのは、人が小さかったり、多人数であっ たりして、個としてのヒトが風景の中に溶け 込んで背景化した写真である。しかし、基本 的な一次分岐は人-モノである。さらにヒト 中心の写真では人が一人であるか、複数であ るかで二次的に分岐する。これは英語が数概 念を言語に組み込んでいるため、英語の描写 文の文構成に影響を与えるからである。 写真1

写真2

(4)

発信者側の状況認識は文法的な表出に影響を与えるが、TOEICの写真描写文は、

この状況認識が標準化されていないので一貫した規則が見えにくくなっている。

また、写真が静止画像として表しうる事態と言語で記述できる事態は全く別 のものである。言語化とは現実の何かを捨象することであり、捨象の過程では 写真を描写する人の解釈が決定的に影響する。写真に映じている事態を認識す る人(認識主体)が受け身的に表現しているように見えるが、実際は写真にあ る働きかけを行って言語化している。

言語表現は基本的に何かを取り立てて(主語の選択)、それについて何かを述 べる(叙述する)という形式を取る。主語として取り立てるときどのような語 彙でも可能なわけではない。認識主体の主観的な判断が含まれる語彙は避けら れる。例えば、グラウンドで誰かが走っている写真を見て、「先生が走っている」

は描写文としては不適切である。だが、教室内の授業風景の写真であれば、「先 生が黒板に字を書いている」という描写文は可能である。主語に取り立てる際 の語彙や文法形式には一定の制約がある一方で、それは絶対的な区分ではなく 認識主体の写真の理解に依存する。

叙述においても同じである。写真に映じないこと、例えば、人の心理的な働 きや主観的な評価などは描写文の述語には使えない。人が相手と話している写 真を見て、「…を非難している」とか「… に感謝している」という叙述は写真 描写とは言えない。また、「… 怒っている」といった人の感情表現も認識主体 の主観に係わる述語で不適当である。また、写真に映じている事態に対する評 価的な判断文(「湖は美しい」、「子供達は寝る時間である」)も不可である。従っ て、写真描写文では主語でも述部でも使われる語彙に制約がある。

さらに抽象的なレベルで言えば、写っていないことを述べる文は描写文とし ては不適切である。ゲームに興じている子供の写真を見て、「子供は勉強してい ない」といった否定文は通常の描写ではない。「否定的事態」は写真に写すこと はできない。また、一般に否定要素が入っている文は写真描写の問題としては 不適切である。二人の男性が写っていて、一人がサングラスをかけている場合、

「一人はサングラスをかけている」はよいが、「一人はサングラスをかけていな い」は写真問題としては避けるべきであろう。

写真に映じないことには「時」も入る。述部動詞は常に時制を伴うが、写真 描写文で使用される時制は現在時制に限られる。それは写真には過去の事態や 未来の事態は映じようがないからである。写真に写っている事態は過去に起こっ たことかも知れないが、あくまでも現在の事態として描写するしかない。

2.写真のタイプについて

人の認知のメカニズムでは、現実の風景 であれ、それを切り取った写真であれ、人 を認知する機能が優先する。人が写ってい れば人の取り立てがもっとも自然である。

つまり、写真描写という観点で、写真は人 が写っている写真と人が写っていない写 真(つまり、モノだけの写真)という二つ のタイプに分けることができる。前者を

「ヒト中心」の写真、後者は「モノ中心」

の写真と便宜的に称する。もちろん、何が 中心になっているかは認知上の問題であ り、そのため、中心が人ともモノとも言え ない写真がある。これは「中間タイプ」の写 真と呼ぶことにする。「中間タイプ」に分類さ れるのは、人が小さかったり、多人数であっ たりして、個としてのヒトが風景の中に溶け 込んで背景化した写真である。しかし、基本 的な一次分岐は人-モノである。さらにヒト 中心の写真では人が一人であるか、複数であ るかで二次的に分岐する。これは英語が数概 念を言語に組み込んでいるため、英語の描写 文の文構成に影響を与えるからである。

写真1

写真2

(5)

具体的な例で見てみよう1。写真1と3 はヒト中心の写真であり、写真3の方は複 数の人が写っている。一方、写真2には人 が写っているが、小さく背景化しており、

その他の対象物の内の一つになっている。

従って、中間タイプに分類される。次に、

写真4には全く人間が写っておらず、モノ 中心の写真の例である。

今述べた基準で、本稿で分析対象のデー タとした公式問題集Part 1の写真描写問題

(48問)を分類すると表1と表2のように なる2。次頁の表1は各問題集における写真 タイプの配置をまとめたもので、上枠上段 の番号は設問の順番(1~6)である。下枠は 設問順における写真タイプ(A~Dで略記) の出現数である。また、表2はテストバージョン(8回分)での写真タイプの出現 の割合を表す。

全体の傾向として、ヒト中心の写真が圧倒的に多いことが分かる。一人より も複数の人の写真が多いが、両者を合算すると実に2/3はヒト中心である。モ ノ中心は2割、中間タイプは一割強である。

モノ中心の写真はどのテストバージョンにも必ず含まれているが、中間タイ プがまったく含まれないバージョンもある。また、モノ中心の写真はテストの 後半に配置されている。後述のように、ヒト中心とモノ中心では後者の方が難 易度が高く、また、ヒト中心では一人よりも複数の人が写っている写真が難易 が上がる。従って、Part 1では難易の順に問題が配置されていることは否定しが たい。次節では写真タイプごとに描写文の特徴を見ていく。

写真4 写真3

2.1 ヒト中心の写真

写真1はヒト中心の写真の典型的な例である。一人の写真なので、描写文は、

写っている人が何をしているか(行動・動作)、または、その人の姿勢や服装(状 態)を述べる文になりやすい。従って、期待される描写文は主語が人で、述部 は人の行動・動作や状態についての叙述となる。写真1を描写する文を一つ作れ、

と言われば、言語表現として様々な可能性がある。しかし、例えば、人を無視 して、本棚に本が詰まっている、といった描写文は原理的には可能であるが、

人の認知機能を反映した文とは言えず、少なくとも客観試験では不適切である。

ヒト中心の写真の描写において問われる学力は音声面を除けば、人の行動・動 作や姿勢・服装等の状態を記述する語彙の力である3

2.1.1 主語の選択

ヒト中心の写真の描写文では、人を主語として取り立てるのがもっとも自然 であり、そのため主語の選択は非常に限定的となる。先述のとおり、写真描写

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具体的な例で見てみよう1。写真1と3 はヒト中心の写真であり、写真3の方は複 数の人が写っている。一方、写真2には人 が写っているが、小さく背景化しており、

その他の対象物の内の一つになっている。

従って、中間タイプに分類される。次に、

写真4には全く人間が写っておらず、モノ 中心の写真の例である。

今述べた基準で、本稿で分析対象のデー タとした公式問題集Part 1の写真描写問題

(48問)を分類すると表1と表2のように なる2。次頁の表1は各問題集における写真 タイプの配置をまとめたもので、上枠上段 の番号は設問の順番(1~6)である。下枠は 設問順における写真タイプ(A~Dで略記) の出現数である。また、表2はテストバージョン(8回分)での写真タイプの出現 の割合を表す。

全体の傾向として、ヒト中心の写真が圧倒的に多いことが分かる。一人より も複数の人の写真が多いが、両者を合算すると実に2/3はヒト中心である。モ ノ中心は2割、中間タイプは一割強である。

モノ中心の写真はどのテストバージョンにも必ず含まれているが、中間タイ プがまったく含まれないバージョンもある。また、モノ中心の写真はテストの 後半に配置されている。後述のように、ヒト中心とモノ中心では後者の方が難 易度が高く、また、ヒト中心では一人よりも複数の人が写っている写真が難易 が上がる。従って、Part 1では難易の順に問題が配置されていることは否定しが たい。次節では写真タイプごとに描写文の特徴を見ていく。

写真4 写真3

2.1 ヒト中心の写真

写真1はヒト中心の写真の典型的な例である。一人の写真なので、描写文は、

写っている人が何をしているか(行動・動作)、または、その人の姿勢や服装(状 態)を述べる文になりやすい。従って、期待される描写文は主語が人で、述部 は人の行動・動作や状態についての叙述となる。写真1を描写する文を一つ作れ、

と言われば、言語表現として様々な可能性がある。しかし、例えば、人を無視 して、本棚に本が詰まっている、といった描写文は原理的には可能であるが、

人の認知機能を反映した文とは言えず、少なくとも客観試験では不適切である。

ヒト中心の写真の描写において問われる学力は音声面を除けば、人の行動・動 作や姿勢・服装等の状態を記述する語彙の力である3

2.1.1 主語の選択

ヒト中心の写真の描写文では、人を主語として取り立てるのがもっとも自然 であり、そのため主語の選択は非常に限定的となる。先述のとおり、写真描写

(7)

文の主語として使用できる語彙には制約がある。今回の調査では(1)のとおりで ある。

(1) a. 普通名詞:man, woman, people, customer, shopper, vendor, nurse, employee b. 代名詞: he, she, they

man/womanは排他的なカテゴリーで、人を認識する場合は必ずどちらかである

からもっとも写真描写文では利用されやすい。peopleは複数人の写真で使用さ れている。その他は場面に依存する役割を表す名詞で、写真に映ずる行動や服 装でその役割が判断できるので使用されると考えられる。(1a)は視覚的に確認で きて、認識主体の主観的な判断が入り込まないような語彙である。

一人の写真では主語形式が四つの選択肢で同一となっていることが傾向とし て指摘できる。主語を統一しておくことは、主語の解釈に余計な情報処理の負 荷を与えず、問うべき学力を述部の表現に限るので好ましい。

次に主語の文法形式を見てみる。写真1の場合、以下のような形式が考えら れる4

(2) a. The woman is picking up a notebook.*

b. She’s picking up a notebook.

c. A woman is picking up a notebook.

(2a)の主語は定冠詞名詞である。定冠詞は話し手と聞き手が共有する文脈や一般

知識(general knowledge)によって唯一的に同定できる対象物に付加される。写真

描写文ではThe woman (in the picture)の意味である。先述のとおり、人の認知は 優先されるので、一人が写っているのならば、その人を定冠詞付きで指すこと に不自然さはない。後述のように、モノ中心である場合は事情が一変する。

(2b)は代名詞主語である。代名詞は通常すでに談話上に導入されているものを 指し示す代用形である。女性の存在を事前に認めて、それについて叙述すると いう二段階の事態認識となっている。これが可能なのは、発信者は受信者がす

でに女性を同定していることを前提にできるからである。描写問題では、Look at the picture.というインストラクションがあるため、What is the woman doing in it?

の応答として描写しているように聞こえる。

(2a)や(2b)のように、主語に定冠詞や代名詞が使えるのは、前節で述べた状況 Aでの描写文だからである。状況Bであれば不自然で、聞き手側ではWhat is the

woman? Who is she?などといった疑問が当然想起される。状況Bでは(1c)のよ

うに不定冠詞が使われる。この場合は二段階認識ではなく、ノートを持ち上げ ているという事態と行為者の認識が一括して行われているといえる5。What’s taken in the picture?とか、What do you see in the picture?の応答として成り立つ形 式である。

定冠詞も不定冠詞も共に可能であるが、写真描写文としてはどちらが普通か、

と言われれば、人が一人の場合は(2a)であろう。人が一人写っている場合はその 人を認識的にまず取り上げてしまうからである。しかし、複数の女性が写って いる場合は(2a)はあり得ず、(2c)とすべきである。その場合は事実上、There is a woman (who’s) picking up a notebook.(「ノートを持ち上げている女の人がいる」) という意味である、といってもよい6

さて、(2)の各形式を日本語に対応させると以下のようになるだろう。

(3) a. 「女の人はノートを手に取っている」

b. 「ノートを手に取っている」

c. 「女の人がノートを手に取っている」

(3a)と(3c)は「は」と「が」の違いで表されている。日本語では、英語のような 言語的代用形(preform)としての代名詞が存在しない。英語はすでに談話で存在 するものは代名詞で表す7。一方、日本語は「空要素」で表すことで、その指し 示すものを理解する、といった言語である。従って、(2b)に対応する日本語は(3b) のような主語のない文がもっとも近い。

(8)

文の主語として使用できる語彙には制約がある。今回の調査では(1)のとおりで ある。

(1) a. 普通名詞:man, woman, people, customer, shopper, vendor, nurse, employee b. 代名詞: he, she, they

man/womanは排他的なカテゴリーで、人を認識する場合は必ずどちらかである

からもっとも写真描写文では利用されやすい。peopleは複数人の写真で使用さ れている。その他は場面に依存する役割を表す名詞で、写真に映ずる行動や服 装でその役割が判断できるので使用されると考えられる。(1a)は視覚的に確認で きて、認識主体の主観的な判断が入り込まないような語彙である。

一人の写真では主語形式が四つの選択肢で同一となっていることが傾向とし て指摘できる。主語を統一しておくことは、主語の解釈に余計な情報処理の負 荷を与えず、問うべき学力を述部の表現に限るので好ましい。

次に主語の文法形式を見てみる。写真1の場合、以下のような形式が考えら れる4

(2) a. The woman is picking up a notebook.*

b. She’s picking up a notebook.

c. A woman is picking up a notebook.

(2a)の主語は定冠詞名詞である。定冠詞は話し手と聞き手が共有する文脈や一般

知識(general knowledge)によって唯一的に同定できる対象物に付加される。写真

描写文ではThe woman (in the picture)の意味である。先述のとおり、人の認知は 優先されるので、一人が写っているのならば、その人を定冠詞付きで指すこと に不自然さはない。後述のように、モノ中心である場合は事情が一変する。

(2b)は代名詞主語である。代名詞は通常すでに談話上に導入されているものを 指し示す代用形である。女性の存在を事前に認めて、それについて叙述すると いう二段階の事態認識となっている。これが可能なのは、発信者は受信者がす

でに女性を同定していることを前提にできるからである。描写問題では、Look at the picture.というインストラクションがあるため、What is the woman doing in it?

の応答として描写しているように聞こえる。

(2a)や(2b)のように、主語に定冠詞や代名詞が使えるのは、前節で述べた状況 Aでの描写文だからである。状況Bであれば不自然で、聞き手側ではWhat is the

woman? Who is she?などといった疑問が当然想起される。状況Bでは(1c)のよ

うに不定冠詞が使われる。この場合は二段階認識ではなく、ノートを持ち上げ ているという事態と行為者の認識が一括して行われているといえる5。What’s taken in the picture?とか、What do you see in the picture?の応答として成り立つ形 式である。

定冠詞も不定冠詞も共に可能であるが、写真描写文としてはどちらが普通か、

と言われれば、人が一人の場合は(2a)であろう。人が一人写っている場合はその 人を認識的にまず取り上げてしまうからである。しかし、複数の女性が写って いる場合は(2a)はあり得ず、(2c)とすべきである。その場合は事実上、There is a woman (who’s) picking up a notebook.(「ノートを持ち上げている女の人がいる」) という意味である、といってもよい6

さて、(2)の各形式を日本語に対応させると以下のようになるだろう。

(3) a. 「女の人はノートを手に取っている」

b. 「ノートを手に取っている」

c. 「女の人がノートを手に取っている」

(3a)と(3c)は「は」と「が」の違いで表されている。日本語では、英語のような 言語的代用形(preform)としての代名詞が存在しない。英語はすでに談話で存在 するものは代名詞で表す7。一方、日本語は「空要素」で表すことで、その指し 示すものを理解する、といった言語である。従って、(2b)に対応する日本語は(3b) のような主語のない文がもっとも近い。

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2.1.2 複数の人が写っている場合の主語の選択

ヒト中心の写真の描写文では、人が一人の場合はそれが主語になる。では、

複数の人が写っている場合はどうだろうか。写真3は複数の人、男と女の2名 が写っている。

複数の人の場合、同じ行動を取っていると認識されれば、複数主語となる

(They are…やPeople are…など)が、別々の行動と認識されれば、その行動を

取る人が主語になる。写真3であれば、The man/ the womanといった主語可能 性である。写真3では、A man is…はあり得るが、One man is…は不自然である。

The other man is…が予想されるからである。男女に分かれていなければ、one of

the men/womenなどの主語形式も可能である。

複数の人が写っている場合、主語の選択に変化が生まれ、また述語もそれに 応じるので、一人の場合の描写よりも難易の度合いが上がる。

2.2 モノ中心の写真の場合

モノ中心の写真の場合、認知上顕著な(salient)事物を取り立てて、その「配置」

や「状態」を述べることとなる。何が顕著であるかは、認識主体の経験や関心 の度合いに左右されるといえる。そのため主語の選択は様々で、この主語の多 様性がヒト中心の写真の描写文との大きな相違となる。

2.2.1 主語の選択について

写っている事物は理論的にはすべて主語になり得る。写真4の場合は次のよ うな例が考えられる。

(4) a. Stacks of paper have been left on a desk.*

b. A guitar is leaning against a desk.

c. A stool has been placed in front of a desk.

d. A computer display has been put on a desk.

e. A shelf is filled with books.

f. Some books are arranged on a shelf.

動詞語形については後述するので、ここでは主語形式に注目しよう。一般にモ ノ中心の写真の主語は不定(indefinite)である8。それはヒト中心の場合と異なり、

認知上優先するものがないからである。事物がその中に一つ写っている場合、

状況Aでは定冠詞の使用はありうるが、それでも抵抗感があるだろう。

また、複数形の場合、(4a)のような形式(以下、「ゼロ形」)と(4f)のような強

勢のないdeterminerのsomeが使われる形式(以下、「some形」)がある。文法

的にはどちらも可能であるが、ゼロ形は事物の量性が捨象されて、他の事物と の区別(カテゴリとしての区別)に焦点を当てたような語感がある9。言い換え ると、ゼロ形の描写文は主語の指し示す対象自体のgenericな特性として述べて いるようである。Books are arranged on a shelf.は、何冊かの本の配置関係を述べ ているのではなくて、例えば、ある部屋での配置の特性として述べているよう に聞こえる。棚に何を置くかと聞かれて、Books are here, and magazines are there….

などと量を意識せずに対比的にいうときのような文脈がないと不自然である。

TOEICの写真描写文をみる限りでは、some形とゼロ形を首尾一貫したルールで

使っている訳ではない。だが、日常的な用法ではどの形式となるかは文脈に依 存する。写真描写文で両方が出現するのは、文脈から切り離した叙述が可能だ からである。とはいえ、someの有無に起因する語感からは逃れられない。

2.2.2 述部の表現について

(4a-d)では述部で場所に相当する前置詞句内のdeskにも不定冠詞が使われて

いる。(4f)は棚が複数写っているので、on a shelfは自然な言い方である。だが、

机は一つしかないので、通例は不定冠詞形である。状況Aの写真描写ではon the deskとすることは可能である。

一般に写真描写文では述部動詞句内で場所と解釈される事物にも不定冠詞が 使われる。だが、実はこれは日常的な使い方ではなはい。写真描写文は文脈を 無視して作成できるが、日常的な言語使用では、話しことばであれ、書きこと ばであれ、使用される時には前後の文脈がある。そのような文脈上の働きで定 冠詞が使われることが多い。書きことばで考えてみよう。

(10)

2.1.2 複数の人が写っている場合の主語の選択

ヒト中心の写真の描写文では、人が一人の場合はそれが主語になる。では、

複数の人が写っている場合はどうだろうか。写真3は複数の人、男と女の2名 が写っている。

複数の人の場合、同じ行動を取っていると認識されれば、複数主語となる

(They are…やPeople are…など)が、別々の行動と認識されれば、その行動を

取る人が主語になる。写真3であれば、The man/ the womanといった主語可能 性である。写真3では、A man is…はあり得るが、One man is…は不自然である。

The other man is…が予想されるからである。男女に分かれていなければ、one of

the men/womenなどの主語形式も可能である。

複数の人が写っている場合、主語の選択に変化が生まれ、また述語もそれに 応じるので、一人の場合の描写よりも難易の度合いが上がる。

2.2 モノ中心の写真の場合

モノ中心の写真の場合、認知上顕著な(salient)事物を取り立てて、その「配置」

や「状態」を述べることとなる。何が顕著であるかは、認識主体の経験や関心 の度合いに左右されるといえる。そのため主語の選択は様々で、この主語の多 様性がヒト中心の写真の描写文との大きな相違となる。

2.2.1 主語の選択について

写っている事物は理論的にはすべて主語になり得る。写真4の場合は次のよ うな例が考えられる。

(4) a. Stacks of paper have been left on a desk.*

b. A guitar is leaning against a desk.

c. A stool has been placed in front of a desk.

d. A computer display has been put on a desk.

e. A shelf is filled with books.

f. Some books are arranged on a shelf.

動詞語形については後述するので、ここでは主語形式に注目しよう。一般にモ ノ中心の写真の主語は不定(indefinite)である8。それはヒト中心の場合と異なり、

認知上優先するものがないからである。事物がその中に一つ写っている場合、

状況Aでは定冠詞の使用はありうるが、それでも抵抗感があるだろう。

また、複数形の場合、(4a)のような形式(以下、「ゼロ形」)と(4f)のような強

勢のないdeterminerのsomeが使われる形式(以下、「some形」)がある。文法

的にはどちらも可能であるが、ゼロ形は事物の量性が捨象されて、他の事物と の区別(カテゴリとしての区別)に焦点を当てたような語感がある9。言い換え ると、ゼロ形の描写文は主語の指し示す対象自体のgenericな特性として述べて いるようである。Books are arranged on a shelf.は、何冊かの本の配置関係を述べ ているのではなくて、例えば、ある部屋での配置の特性として述べているよう に聞こえる。棚に何を置くかと聞かれて、Books are here, and magazines are there….

などと量を意識せずに対比的にいうときのような文脈がないと不自然である。

TOEICの写真描写文をみる限りでは、some形とゼロ形を首尾一貫したルールで

使っている訳ではない。だが、日常的な用法ではどの形式となるかは文脈に依 存する。写真描写文で両方が出現するのは、文脈から切り離した叙述が可能だ からである。とはいえ、someの有無に起因する語感からは逃れられない。

2.2.2 述部の表現について

(4a-d)では述部で場所に相当する前置詞句内のdeskにも不定冠詞が使われて

いる。(4f)は棚が複数写っているので、on a shelfは自然な言い方である。だが、

机は一つしかないので、通例は不定冠詞形である。状況Aの写真描写ではon the deskとすることは可能である。

一般に写真描写文では述部動詞句内で場所と解釈される事物にも不定冠詞が 使われる。だが、実はこれは日常的な使い方ではなはい。写真描写文は文脈を 無視して作成できるが、日常的な言語使用では、話しことばであれ、書きこと ばであれ、使用される時には前後の文脈がある。そのような文脈上の働きで定 冠詞が使われることが多い。書きことばで考えてみよう。

(11)

(5) John came home and went into the(i) kitchen. He took his key out of his pocket and put it on the(ii) side table.

ふつう家にはキッチンがあるという共通の知識がある。「ジョンが家に帰った」

という談話では、ふつう(i)では定冠詞が使われる10。場面はすでにキッチンの中 なので、(ii)でも、そのキッチンにあるサイドデーブルと文脈上理解されるので 定冠詞が使われている。ここでon a side tableとなっていると、いくつかあるサ イドテーブルの一つをことさら強調しているように聞こえる。キーをおいた瞬 間を写真で取った場合、He’s placed his key on a side table.という写真描写文はあ りうるが、それは文脈の流れを無視して、突然切り取った表現であって、日常 的な言語使用とはいえない。

つまり、場所表現内の名詞が不定冠詞なのは写真描写でのことであって、現 実の使用場面ではあまりない表現である。状況B2のような場合を考えてみる。

例えば、二人の人が同じ部屋におり、そのうちの一人が窓の外を見て、屋根に 一人の男が立っていた事態を視認したとする。その場合、“Hey, look. A guy is on the roof.”は自然であるが、“Hey, look, a guy is on a roof.”は不自然である。現実の 場面でかりに窓越しに複数の屋根が見えていていても、後者は不自然である。

このような状況で不定冠詞を使うとone of Xsをことさらに焦点を当てているよ うに聞こえる。これは≪地と図≫の関係で「地」となる名詞でおこる。逆に、屋 根が主語の場合、例えば嵐の日では、“Hey, look. A roof has been blown away.”

となるべきである。ここで定冠詞だと聞き手はすぐに同定できないので、which roofという問いが続く可能性がある。

すこし抽象的に言えば、人がある事態を言語で描写するとき「注意の窓」と も言うべきものがあって、現実の場面では、認識主体が眼前に見える風景が写 真の枠のように硬直しておらず、言語で記述する際の事態認識の及ぶ領域の枠 を自由に広げたり、狭めたりしているようである11。「床」とか「黒板」などは注 意の窓の枠内では唯一的に決まる。「床にペンを落とす」(drop a pen on the floor) とか、「名前を黒板に書く」(write a name on the blackboard)という場合に定冠詞 を付けるのそのためである12。他方で、この注意の窓は可変的で、例えば、人の

いない教室に入ったとたん、一つの財布がある机の上にあるのを認めたとする と、教室には複数の机があるにもかかわらず、“A wallet is on the desk.”というこ とは可能である。この人の事態認識(「貴重品が置き忘れてある」)の注意の窓 は当該の机の周辺でぐっと狭まっており、どの机だったかはどうでもいいこと、

だからである。

目的語の位置の名詞についても付記する。目的語は状況Aでは定冠詞も可能 であるが、通常は上述のとおり不定形が標準である。可算名詞の複数形の場合 は、主語と同様に、some形かゼロ形の二つの可能性がある。写真描写文として は両方が可能であるが、ここでも両者では聞こえ方が違う。単にリンゴを食べ ている場面を考えてみよう。

(6) a. The girl is eating apples.

b. The girl is eating some apples.

(6a)はリンゴ以外の食物の対比でしかなく、リンゴの量は事態認識で前景化され ない・事態認識の枠内に入っていない。食事としての活動を述べている語感であ る。一方、(6b)のようなsome形の場合は量の存在を連想し、単純な活動ではない。

モノの存在前提があり、There’re some apples she’s eating.のような解釈になる。

別の視点で考えてみる。いま写真1のような場面で、実は女性が花を「いじっ ていた」する。すると、次の二つの表現が可能である。

(7) a. The woman’s arranging some flowers.

b. The woman’s arranging flowers.

この二つは写真としては同じ事態を描写しているが、認識主体の事態理解の仕 方を異にしている。(7a)は、目的語がsome形のため一定量の花を想起して、そ れに対する動作として述べている。一方、(7b)は、花の量を想起させないので、

目的語はカテゴリーとしての認識である。そのため、写真に写っている花それ 自体は関係なく、全体として人のある活動・動作を記述しているといえる。つま

(12)

(5) John came home and went into the(i) kitchen. He took his key out of his pocket and put it on the(ii) side table.

ふつう家にはキッチンがあるという共通の知識がある。「ジョンが家に帰った」

という談話では、ふつう(i)では定冠詞が使われる10。場面はすでにキッチンの中 なので、(ii)でも、そのキッチンにあるサイドデーブルと文脈上理解されるので 定冠詞が使われている。ここでon a side tableとなっていると、いくつかあるサ イドテーブルの一つをことさら強調しているように聞こえる。キーをおいた瞬 間を写真で取った場合、He’s placed his key on a side table.という写真描写文はあ りうるが、それは文脈の流れを無視して、突然切り取った表現であって、日常 的な言語使用とはいえない。

つまり、場所表現内の名詞が不定冠詞なのは写真描写でのことであって、現 実の使用場面ではあまりない表現である。状況B2のような場合を考えてみる。

例えば、二人の人が同じ部屋におり、そのうちの一人が窓の外を見て、屋根に 一人の男が立っていた事態を視認したとする。その場合、“Hey, look. A guy is on the roof.”は自然であるが、“Hey, look, a guy is on a roof.”は不自然である。現実の 場面でかりに窓越しに複数の屋根が見えていていても、後者は不自然である。

このような状況で不定冠詞を使うとone of Xsをことさらに焦点を当てているよ うに聞こえる。これは≪地と図≫の関係で「地」となる名詞でおこる。逆に、屋 根が主語の場合、例えば嵐の日では、“Hey, look. A roof has been blown away.”

となるべきである。ここで定冠詞だと聞き手はすぐに同定できないので、which roofという問いが続く可能性がある。

すこし抽象的に言えば、人がある事態を言語で描写するとき「注意の窓」と も言うべきものがあって、現実の場面では、認識主体が眼前に見える風景が写 真の枠のように硬直しておらず、言語で記述する際の事態認識の及ぶ領域の枠 を自由に広げたり、狭めたりしているようである11。「床」とか「黒板」などは注 意の窓の枠内では唯一的に決まる。「床にペンを落とす」(drop a pen on the floor) とか、「名前を黒板に書く」(write a name on the blackboard)という場合に定冠詞 を付けるのそのためである12。他方で、この注意の窓は可変的で、例えば、人の

いない教室に入ったとたん、一つの財布がある机の上にあるのを認めたとする と、教室には複数の机があるにもかかわらず、“A wallet is on the desk.”というこ とは可能である。この人の事態認識(「貴重品が置き忘れてある」)の注意の窓 は当該の机の周辺でぐっと狭まっており、どの机だったかはどうでもいいこと、

だからである。

目的語の位置の名詞についても付記する。目的語は状況Aでは定冠詞も可能 であるが、通常は上述のとおり不定形が標準である。可算名詞の複数形の場合 は、主語と同様に、some形かゼロ形の二つの可能性がある。写真描写文として は両方が可能であるが、ここでも両者では聞こえ方が違う。単にリンゴを食べ ている場面を考えてみよう。

(6) a. The girl is eating apples.

b. The girl is eating some apples.

(6a)はリンゴ以外の食物の対比でしかなく、リンゴの量は事態認識で前景化され ない・事態認識の枠内に入っていない。食事としての活動を述べている語感であ る。一方、(6b)のようなsome形の場合は量の存在を連想し、単純な活動ではない。

モノの存在前提があり、There’re some apples she’s eating.のような解釈になる。

別の視点で考えてみる。いま写真1のような場面で、実は女性が花を「いじっ ていた」する。すると、次の二つの表現が可能である。

(7) a. The woman’s arranging some flowers.

b. The woman’s arranging flowers.

この二つは写真としては同じ事態を描写しているが、認識主体の事態理解の仕 方を異にしている。(7a)は、目的語がsome形のため一定量の花を想起して、そ れに対する動作として述べている。一方、(7b)は、花の量を想起させないので、

目的語はカテゴリーとしての認識である。そのため、写真に写っている花それ 自体は関係なく、全体として人のある活動・動作を記述しているといえる。つま

(13)

り、(7b)は単に「flower-arrangement」とも呼ぶべき動作をしている、という語感 である。この語感の違いは進行相とは関係ない。コンピュータのセールスをし ているという場合、コンピュータの量は事態認識の外にあり、ただのカテゴリー であるから、He sells computers.とすべきである。一方、He sells some computers.

は不自然である。There’re some computers he sells.ということであり、特定の種類 のコンピュータを商っているようである。

TOEICの描写文において、述部の名詞句の文法形式は不定冠詞形、ゼロ形、

some形、定冠詞形と様々である。基本的には、どの文法形式が使われるかは描 写する側の事態の認識を反映している。これは設問として統一されていないよ うである。写真描写問題では、写真に映じている事態と矛盾しなければよいの で、こういった文法的な差は障害にならないかも知れないが、解答後に問題分 析をする場合、規則性が読み取れず、英語の文法で誤った理解をする可能性が あり、注意を要する。

2.3 中間タイプについて

中間タイプの描写文はヒト中心とモノ中心の両方の特徴が現れる。まず、主 語の選択は人となる場合とモノとなる場合に分かれる。写真2の設問では主語 選択は次のようになっている。

(8) (A) A boat is docking at a pier.

(B) Some birds are circling above the water.

(C) A person is sitting on a beach.*

(D) Some children are digging in the sand.

原則として、選択肢の主語は写真に写っている対象が選ばれて、不定形である。

主語の選択や述部の構造は文法論的にヒト中心とモノ中心の写真で述べた特徴 をもつ。

先に述部における場所表現には不定冠詞を使われることが多いと述べた。し

かし、(B),(D)ではwater/sandが定冠詞で使われている。これらは単数形がなく、

不定冠詞を付けることもできない。ここでは漠とした場所を一括して捉えるた めに、the skyやthe airと同様に、the water/ the sandとなっている。従って、文 脈から切り離されて使用されている定冠詞である。

3.写真描写文の動詞語形について

本節では写真描写文で使われる時制と動詞語形について述べる。先述のとお り、過去や未来は写真では写せない。明治時代の東京銀座を写した写真があっ たとしても、その写真に映じている事態を描写するときは現在形でしかあり得 ない。従って、写真描写文の時制は現在時制に限られる。

データの192例の動詞語形はすべてが現在時制で、展開語形で分類すると以 下のようになる13

(9) 単純現在形 does/ is/are 6 現在進行形 is doing 149 単純現在形受動態 is done 7 現在進行形受動態 is being done 13 現在完了形受動態 have been done 17 192

以下で個別的に述べる。

3.1 単純現在形

単純現在形6例のうちbe動詞文は4例で、一般動詞は次の2例である。中間タ イプかモノ中心の写真である。ヒト中心の写真では単純現在形の使用例はない。

(10) a. An awning extends over a shop entrance.* Red_1

b. Some stairs lead to a boat. Pink_2

描写文では一般動詞の単純現在形は非常に少なく、モノの位置・配置関係を表

(14)

り、(7b)は単に「flower-arrangement」とも呼ぶべき動作をしている、という語感 である。この語感の違いは進行相とは関係ない。コンピュータのセールスをし ているという場合、コンピュータの量は事態認識の外にあり、ただのカテゴリー であるから、He sells computers.とすべきである。一方、He sells some computers.

は不自然である。There’re some computers he sells.ということであり、特定の種類 のコンピュータを商っているようである。

TOEICの描写文において、述部の名詞句の文法形式は不定冠詞形、ゼロ形、

some形、定冠詞形と様々である。基本的には、どの文法形式が使われるかは描 写する側の事態の認識を反映している。これは設問として統一されていないよ うである。写真描写問題では、写真に映じている事態と矛盾しなければよいの で、こういった文法的な差は障害にならないかも知れないが、解答後に問題分 析をする場合、規則性が読み取れず、英語の文法で誤った理解をする可能性が あり、注意を要する。

2.3 中間タイプについて

中間タイプの描写文はヒト中心とモノ中心の両方の特徴が現れる。まず、主 語の選択は人となる場合とモノとなる場合に分かれる。写真2の設問では主語 選択は次のようになっている。

(8) (A) A boat is docking at a pier.

(B) Some birds are circling above the water.

(C) A person is sitting on a beach.*

(D) Some children are digging in the sand.

原則として、選択肢の主語は写真に写っている対象が選ばれて、不定形である。

主語の選択や述部の構造は文法論的にヒト中心とモノ中心の写真で述べた特徴 をもつ。

先に述部における場所表現には不定冠詞を使われることが多いと述べた。し

かし、(B),(D)ではwater/sandが定冠詞で使われている。これらは単数形がなく、

不定冠詞を付けることもできない。ここでは漠とした場所を一括して捉えるた めに、the skyやthe airと同様に、the water/ the sandとなっている。従って、文 脈から切り離されて使用されている定冠詞である。

3.写真描写文の動詞語形について

本節では写真描写文で使われる時制と動詞語形について述べる。先述のとお り、過去や未来は写真では写せない。明治時代の東京銀座を写した写真があっ たとしても、その写真に映じている事態を描写するときは現在形でしかあり得 ない。従って、写真描写文の時制は現在時制に限られる。

データの192例の動詞語形はすべてが現在時制で、展開語形で分類すると以 下のようになる13

(9) 単純現在形 does/ is/are 6 現在進行形 is doing 149 単純現在形受動態 is done 7 現在進行形受動態 is being done 13 現在完了形受動態 have been done 17 192

以下で個別的に述べる。

3.1 単純現在形

単純現在形6例のうちbe動詞文は4例で、一般動詞は次の2例である。中間タ イプかモノ中心の写真である。ヒト中心の写真では単純現在形の使用例はない。

(10) a. An awning extends over a shop entrance.* Red_1

b. Some stairs lead to a boat. Pink_2

描写文では一般動詞の単純現在形は非常に少なく、モノの位置・配置関係を表

(15)

す動詞に限られる。またその関係は恒常的な状態として認識されている。(10) の文には視点の移動は感じられるが、物理的な動きは存在せず、モノの静的な 配置関係を表している。

恒常的な配置関係ではなく、一時的な関係として認識されていれば、進行相 は可能である。比較してみよう。

(11) a. A guitar is leaning against the wall.

b. A guitar leans against the wall.

(11a)は壁に立てかけた配置関係が一時的なものであることを含意する。(11a)と

比較すると、(11b)ではその配置関係がギターの恒常的な特性のようである。そ れはThe tower of Pisa leans slightly.が恒常的な位置関係を表すのと同じである。

他方、(11b)は写真描写ではなく、台本のト書きのようなtimelessな読みである

場合は可能である。これは人でも同じで、A man leans against the wall.となると、

timelessな位置関係、例えば、台本のト書きなどに見られる書き方である。

(10a)の描写文の写真は店の外観を写したものである。店のレイアウトである

から恒常的な関係である。店のレイアウトが一時的なものであるという認識は 不自然なので、An awning is extending over a shop entrance.は通常は現在の実際の 動きを想起するしかない。

3.2 現在進行形

動作を表す動詞が単純現在形で使われると、原則として、現在の動きを表さ ず、習慣的動作を表す。このため写真の描写文で人の行動を表すときは必然的 に動詞語形は現在進行相をとる。そのため、ヒト中心の写真描写では動詞語形 は非常に単純である。(9)の149例はすべてヒト中心の写真である。

英語初学者に描写文を書かせると動詞の単純現在形を使うことがある。動作 を表す動詞の単純現在形は現在の習慣的行為を表わし、現在進行中の動作を表 さないことは日本語も同じである。言語の語形に鈍感である学生はこういった 事実を内省的に理解することがないので、とくに外国語の修得には後れを取っ

てしまう。写真描写文を作ってみる活動はこういった語形への「気づき」を促 すことになるのではないかと思う。

「原則として」というのは例外があるからである。例えば、(12a)は通学方法を 述べているが、(12b)のようにして、進行形は最近の一次的な習慣的行為を表す ことがある。また、逆に、動作を表す動詞の単純現在形が特殊な言語文脈で眼 前の動きを表すことがある(例えば、スポーツ中継などで)。

(12) a. He comes to school by bus.

b. He’s coming to school by bus this quarter.

しかしながら、(12b)は一時的な習慣の読みを持つのは、this quarterなどの時間 副詞表現が存在しているからであって、こういった時間表現もなく、文脈上の 支えもないと、進行形は現在進行中の動作の解釈しかない14。例外的な文脈を写 すことはできないので、写真描写は英語の動詞語形の一般原則を理解させるに はよい素材であると考えられる。

3.3 単純現在形受動態と完了形受動態について

受動態の二つの形式について述べる。受動態は基本的にモノ中心の写真で現 れる。それは英語に限らず、多くの言語で動作を表す動詞は行為者を主語に取 るため、モノを主語とするときは態を変える必要があるからである。

まず、単純形の受動態は7例あり、そのうち正答となっているのは以下の2 例である。

(13) a. A bench is located near some plants.* Green_2 b. Some boxes are stacked above the cabinets.* Pink _1

(13)は現在の一時的状態というよりも、むしろ主語の恒常的な特性として述べて いる表現である。従って、(13a)は公園内のレイアウトとして述べられているよ う聞こえる。これらの表現は動作を表す能動態表現とは直接つながりがなく、

(16)

す動詞に限られる。またその関係は恒常的な状態として認識されている。(10) の文には視点の移動は感じられるが、物理的な動きは存在せず、モノの静的な 配置関係を表している。

恒常的な配置関係ではなく、一時的な関係として認識されていれば、進行相 は可能である。比較してみよう。

(11) a. A guitar is leaning against the wall.

b. A guitar leans against the wall.

(11a)は壁に立てかけた配置関係が一時的なものであることを含意する。(11a)と

比較すると、(11b)ではその配置関係がギターの恒常的な特性のようである。そ れはThe tower of Pisa leans slightly.が恒常的な位置関係を表すのと同じである。

他方、(11b)は写真描写ではなく、台本のト書きのようなtimelessな読みである

場合は可能である。これは人でも同じで、A man leans against the wall.となると、

timelessな位置関係、例えば、台本のト書きなどに見られる書き方である。

(10a)の描写文の写真は店の外観を写したものである。店のレイアウトである

から恒常的な関係である。店のレイアウトが一時的なものであるという認識は 不自然なので、An awning is extending over a shop entrance.は通常は現在の実際の 動きを想起するしかない。

3.2 現在進行形

動作を表す動詞が単純現在形で使われると、原則として、現在の動きを表さ ず、習慣的動作を表す。このため写真の描写文で人の行動を表すときは必然的 に動詞語形は現在進行相をとる。そのため、ヒト中心の写真描写では動詞語形 は非常に単純である。(9)の149例はすべてヒト中心の写真である。

英語初学者に描写文を書かせると動詞の単純現在形を使うことがある。動作 を表す動詞の単純現在形は現在の習慣的行為を表わし、現在進行中の動作を表 さないことは日本語も同じである。言語の語形に鈍感である学生はこういった 事実を内省的に理解することがないので、とくに外国語の修得には後れを取っ

てしまう。写真描写文を作ってみる活動はこういった語形への「気づき」を促 すことになるのではないかと思う。

「原則として」というのは例外があるからである。例えば、(12a)は通学方法を 述べているが、(12b)のようにして、進行形は最近の一次的な習慣的行為を表す ことがある。また、逆に、動作を表す動詞の単純現在形が特殊な言語文脈で眼 前の動きを表すことがある(例えば、スポーツ中継などで)。

(12) a. He comes to school by bus.

b. He’s coming to school by bus this quarter.

しかしながら、(12b)は一時的な習慣の読みを持つのは、this quarterなどの時間 副詞表現が存在しているからであって、こういった時間表現もなく、文脈上の 支えもないと、進行形は現在進行中の動作の解釈しかない14。例外的な文脈を写 すことはできないので、写真描写は英語の動詞語形の一般原則を理解させるに はよい素材であると考えられる。

3.3 単純現在形受動態と完了形受動態について

受動態の二つの形式について述べる。受動態は基本的にモノ中心の写真で現 れる。それは英語に限らず、多くの言語で動作を表す動詞は行為者を主語に取 るため、モノを主語とするときは態を変える必要があるからである。

まず、単純形の受動態は7例あり、そのうち正答となっているのは以下の2 例である。

(13) a. A bench is located near some plants.* Green_2 b. Some boxes are stacked above the cabinets.* Pink _1

(13)は現在の一時的状態というよりも、むしろ主語の恒常的な特性として述べて いる表現である。従って、(13a)は公園内のレイアウトとして述べられているよ う聞こえる。これらの表現は動作を表す能動態表現とは直接つながりがなく、

(17)

過去分詞は状態を表す形容詞用法である。言い換えると、(13a)はSomeone located a bench near some plants.と事態認識としてはつながっておらず、(13a)にby someone を付加することはできない。(13)が表す事態認識の枠内には行為者は入っておら ず、過去に行われた行為として認識されているのではない15

写真描写文で問題となるのは(13)と完了形受動態との違いであろう。完了形受 動態は17例あるが、すべてモノが主語である。またそのうち14例はモノ中心 あるいは中間タイプの写真での使用である。正答の描写文は以下の6例である。

(14) a. Stacks of paper have been left on a desk.* =(4b) Red_1 b. A staircase has been positioned next to an airplane.* Red_2 c. Some cookware has been left on a stove.* Red_2 d. A patient's sleeve has been pushed up.* Gray_1 e. Cars have been parked in the shade.* Green_1 f. Some trees have been planted along a walkway.* Pink _2

完了形受動態は過去において何らかの出来事が発生して、その結果が現在まで に維持されていることを含意する。例えば、(14b)では、Someone positioned a

staircase next to the airplane.を明らかに前提にしている。つまり、写真に映じてい

る事態を過去に起こった出来事の結果として認識している、ということである。

もしA staircase is positioned next to an airplane.であれば、ある空港での昇降階段 と機体の恒常的な配置関係としているような語感である。現在形の単純受動態 は誰かの行為の結果を表現しているのではない。

TOEICで使われる描写文では、受動態が単純形で使われたり、完了形で使わ

れたり一貫性はないが、英語表現としてどっちを使うかは、文法の可否の問題 ではなく、事態の理解の仕方である。この違いは日本語では表しづらいが、次 のような場合はどうか。教室に入ると花が教卓の上にあったとする。そのとき の言い方として、「花が教卓の上に飾られている」と「花が教卓の上に飾ってあ る」の違いに近いのではないかと思う。前者は目に映る事態を現在の状態(「あ、

きれいだな…」)として述べているが、後者は誰かの行為の結果として認識して

いる(「誰がしたのかな…」)といえる。

3.4 進行形受動態について

進行形受動態の事例としては13例あるものの、正答は以下の2例である。言 い換えると、この形式は誤答の選択肢として利用される比率がかなり高い、と いうことである。

(15) a. Merchandise is being displayed in a store window.* Red_1 b. Files are being stored on shelves.* Green_1

進行形受動態は元来現実の場面では使用頻度が低い。基本的に、進行形受動態 が成り立つ事態はその能動態が成り立つ事態である。例えば、男の子がリンゴ を食べている写真を描写する場合、A boy is eating an apple.のように人を主語に するのが普通で、An apple is being eaten.は文法的には可能であるが不自然である。

受動態にするのはふつう行為者が写っていないからである。すると、人が写っ ていなければその人の動きも同時に写っているはずはない。従って、そもそも進 行形の受動態は描写文では使いにくいのである。

検討してみよう。(15a)は写真5の描写文にある。(16)に選択肢を表す。

(16) (A) Merchandise is being displayed in a store window.*

(B) A man is reading a sign on a wall. (C) Boots have been piled next to a door. (D) A man is examining a pair of shoes.

写真はヒト中心なので、人を主語とし、その人の行動や姿勢を描写するのが標 準的である。だが、この設問では人を主語とした描写文(B),(D)は写真を正しく 描写していない。また、ドアが写っていないので(C)も正しくはない。すると、

消去法で(A)が正答とならざるを得ない。しかし、(A)が真として成り立つ事態 は、Someone is displaying merchandize in a store window.が成り立つ事態である。

写真5

(18)

過去分詞は状態を表す形容詞用法である。言い換えると、(13a)はSomeone located a bench near some plants.と事態認識としてはつながっておらず、(13a)にby someone を付加することはできない。(13)が表す事態認識の枠内には行為者は入っておら ず、過去に行われた行為として認識されているのではない15

写真描写文で問題となるのは(13)と完了形受動態との違いであろう。完了形受 動態は17例あるが、すべてモノが主語である。またそのうち14例はモノ中心 あるいは中間タイプの写真での使用である。正答の描写文は以下の6例である。

(14) a. Stacks of paper have been left on a desk.* =(4b) Red_1 b. A staircase has been positioned next to an airplane.* Red_2 c. Some cookware has been left on a stove.* Red_2 d. A patient's sleeve has been pushed up.* Gray_1 e. Cars have been parked in the shade.* Green_1 f. Some trees have been planted along a walkway.* Pink _2

完了形受動態は過去において何らかの出来事が発生して、その結果が現在まで に維持されていることを含意する。例えば、(14b)では、Someone positioned a

staircase next to the airplane.を明らかに前提にしている。つまり、写真に映じてい

る事態を過去に起こった出来事の結果として認識している、ということである。

もしA staircase is positioned next to an airplane.であれば、ある空港での昇降階段 と機体の恒常的な配置関係としているような語感である。現在形の単純受動態 は誰かの行為の結果を表現しているのではない。

TOEICで使われる描写文では、受動態が単純形で使われたり、完了形で使わ

れたり一貫性はないが、英語表現としてどっちを使うかは、文法の可否の問題 ではなく、事態の理解の仕方である。この違いは日本語では表しづらいが、次 のような場合はどうか。教室に入ると花が教卓の上にあったとする。そのとき の言い方として、「花が教卓の上に飾られている」と「花が教卓の上に飾ってあ る」の違いに近いのではないかと思う。前者は目に映る事態を現在の状態(「あ、

きれいだな…」)として述べているが、後者は誰かの行為の結果として認識して

いる(「誰がしたのかな…」)といえる。

3.4 進行形受動態について

進行形受動態の事例としては13例あるものの、正答は以下の2例である。言 い換えると、この形式は誤答の選択肢として利用される比率がかなり高い、と いうことである。

(15) a. Merchandise is being displayed in a store window.* Red_1 b. Files are being stored on shelves.* Green_1

進行形受動態は元来現実の場面では使用頻度が低い。基本的に、進行形受動態 が成り立つ事態はその能動態が成り立つ事態である。例えば、男の子がリンゴ を食べている写真を描写する場合、A boy is eating an apple.のように人を主語に するのが普通で、An apple is being eaten.は文法的には可能であるが不自然である。

受動態にするのはふつう行為者が写っていないからである。すると、人が写っ ていなければその人の動きも同時に写っているはずはない。従って、そもそも進 行形の受動態は描写文では使いにくいのである。

検討してみよう。(15a)は写真5の描写文にある。(16)に選択肢を表す。

(16) (A) Merchandise is being displayed in a store window.*

(B) A man is reading a sign on a wall.

(C) Boots have been piled next to a door.

(D) A man is examining a pair of shoes.

写真はヒト中心なので、人を主語とし、その人の行動や姿勢を描写するのが標 準的である。だが、この設問では人を主語とした描写文(B),(D)は写真を正しく 描写していない。また、ドアが写っていないので(C)も正しくはない。すると、

消去法で(A)が正答とならざるを得ない。しかし、(A)が真として成り立つ事態 は、Someone is displaying merchandize in a store window.が成り立つ事態である。

写真5

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