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本朝法華験記 所収説話の諸特徴上 付 報告 諸本の 現況とその概要

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本朝法華験記 所収説話の諸特徴上 付 報告 諸本の 現況とその概要

著者 原田 行造

雑誌名 金沢大学教育学部紀要.人文科学・社会科学・教育

科学編

巻 22

ページ 250‑235

発行年 1973‑12‑20

URL http://hdl.handle.net/2297/47667

(2)

朝法華験記﹂所収説話の諸特徴

(上)

1付 ︹報告︺ 諸本の現況とその概要1

  序      

  中比巨唐有二寂法師一︑製二於験記一流二布干世間一︒﹂と異朝の先例を        め 久年間に︑釈鎮源によって編纂された本書は︑その序文で﹁而

調している︒この態度は︑景戒が﹃日本霊異記﹄上巻序文で︑

旨口︒若不レ記二現往生者一︒不レ得レ勧二進其心一︒誠哉斯言︒又瑞応伝 日︑上引二経論二教一讃二往生事一︒実為二良験一︒但衆生智浅不レ達二聖 序文で﹁大唐弘法寺釈迦才撰二浄土論一︒其中載二往生者廿人㌔迦才 弗レ信二恐乎自土奇事一︒﹂と叙述し︑保胤が﹃日本往生極楽記﹂の 地造二冥報記一︑大唐国作二般若験記一︒何唯慎二乎他国伝録一︑

所レ載四十余人︒此中有下屠レ牛販レ難者︑逢二善知識一十念往生上︒予

毎γ見二此輩一弥固二其志一︒﹂とその心境を開陳している状況と軌を一

るものである︒それのみか︑本書が人口に有って浬滅しがちな

説話の収録につとめたこと︑そして都鄙遠近.綿素貴賎における見

聞をあらあら集めたこと︑編纂の目的は﹁若不レ伝二前事一︑何励二後商一乎﹂と高遇なものであったが︑その享受者層には﹁意菅為二愚暗

々︑前記二書の方針を大きく踏襲しているといえよう︒ただ︑本書 而作︑専不レ為二賢哲一而作︒﹂というねらいを定めていたこと等

記︶を中心として︑法華経に関する霊験謂・利益課・奇異課・前生 名も示す如く︑法華経を信奉する浄行の仏徒の往生伝︵一代 往生伝の如く類型化しきってはいない︒ 語などに限定されているが︑その割には内容的に多彩で後世の各種

とは異なり︑ ﹃日本往生極楽記﹄のω僧②尼㈲優婆塞ω優婆夷とい  ところで︑説話の配列法は︑ ﹃日本雲異記﹄にあらわれた年時式 う構成法を継承したもので︑この方式は遠く淵源を辿れば︑ ﹃日本

楽記﹄が理想の書として仰いだ迦才撰﹃浄土論﹄や少康・文

論 撰 る︒ただ︑本書の場合は異朝の前記二書や﹃極楽記﹄に比して︑遙 往生西方浄土瑞応伝﹄で採用された配列法に︑連なるのであ

規模の大きな説話集でもあり︑また純粋な往生伝に徹していな

ことが︑一層複雑な配列意識を関与させている︒量的にいえば︑

章﹂として二十人の浄行者を収載し︑独立した往生伝の聴矢といわ 浄土論﹄においては︑九章中一章︵巻下第六章︶が﹁往生人相貌 た︑本朝の先行する﹃極楽記﹄の場合も四十四人であり︑後続の匡 る﹃往生西方浄土瑞応伝﹄にしても︑五十三人にすぎない︒ま 房 撰

本朝往生伝﹄四十二名︑為康撰﹃拾遺往生伝﹄ ︵三巻︶九 名︑為康撰﹃後拾遺往生伝﹄ ︵三巻︶七十五名︑蓮禅撰﹃三外

記﹂五十八名︑宗友撰﹃本朝新修往生伝﹄四十一名︑如寂撰

沙門・沙弥・尼・優婆塞・優婆夷の後に畜類諌が配列されている点 細な研究があるが︑中でも注目されるのは下巻部において︑高僧・          ヨ た︒ ﹃本朝法華験記﹄の上中下三巻にわたる配列法については︑詳 高野山往生伝﹄三十入名と概ね五十名前後の規模が普通であっ る説話が多い︒      なる 紀伊国道成寺大蛇転生謹がそれで︑長文の比較的複雑な内容を有す 下m朱雀大路の狐変化謹︑下㎜紀伊国の道祖神補陀落渡海語︑下㎜ ある︒下随信乃国の蛇と鼠因縁語︑下㎜越後国乙寺の猿前生諌︑

 本稿においては︑ ﹃本朝法華験記﹄の説話の集成態度の一側面を 考

察し︑また﹃霊異記﹄的世界から眺めた場合の諸特色に触れ︑そ

(3)

  

見してみたいと思う︒ 類話の生成にも言及し︑最後に中世隠者説話への崩芽につき管

 ︻

  一説話蒐集の方針とその実態

本書の説話を集成するに際し︑鎮源はその序文で︑都市や僻遠の

問わず︑また道俗貴賎の別なく︑あらあらと見聞を集め︑録し

となしたと述べ︑側聞によったことを強調して︑いる︒これは︑

日本霊異記﹄ で﹃故柳注二側聞一号日二日本国現報善悪霊異記三

巻 序文︶と記しまた﹁拙二蕪浄紙一謬二注口伝一︒蜷娘恭レ慮顔酷 熱︒﹂ ︵中巻序文︶と弁じ︑更に・一﹁我従レ所レ聞選二口伝一︑億二善

穗一録二霊奇一︒願以二此福一施二群迷一︑共生二西方安楽国一 ︒﹂ ︵践文︶と結んでいることや︑ ﹃日本往生極楽記﹄がその序文で﹁今扮

国史及諸人別伝等有二異相往生一者上︒兼亦訪二於故老一︒都慮得二四十

余人一︒﹂と宣言している部分と対比すると極めてそれらと類似し

方法が提示されているといえる︒しかしながら︑ ﹃霊異記﹄や

り︑後書も﹃日本後記﹄ ﹃日本高僧伝要文抄﹄ ﹃三宝絵詞﹄ ﹃聖徳 る︒ただ︑前書の遠国関係説話の殆どが文献伝承によるものであ 極楽記﹄が︑口伝をどの程度摂受しているかは未解決の問題であ       はら伝暦﹄ ﹃行基菩薩行状記﹄ ﹃慈覚大師伝﹄ ﹃空也謙﹄等の文献

依拠していることは︑明らかになっている︒いずれにしても︑

異記﹄ ﹃極楽記﹄ ﹃法華験記﹄の三書は︑書承説話と口承説話

居しているわけである︒そして︑直観的にではあるが︑一見し

とれているように感じるが︑この見方にも問題がある︒なるほど して後の二書の方が収録説話相互間の文体的統一が

ある︒したがって︑景戒の文章と見られるのは口承説話を文字化し 書き改めることはせず︑原資料の形態を著しく尊重しているようで 異記﹄は︑文献に依拠した場合︑その文章を景戒なりの筆致に

部 分

序文︑自伝︑説話に付加された教説部のみに限定されるの

ある︒これに比して﹃極楽記﹄や﹃法華験記﹄の説話相互間の差

異は︑あまり顕著に感じられないのではなかろうか︒とすれば︑彼

し︑更にこの課題を深化し︑確からしさを求めるためには︑ ﹃法華 読者に両種の説話の差異を感じなくさせたとも考えられる︒しか と︑文献に話材を仰いだ説話も完全に自身の文章と化し︑結果的に うち少なくとも﹃法華験記﹄の編者鎮源は口承説話は勿論のこ

験記﹄の文献受容の態度を精査しなければならない︒本書が﹃三宝

賀国報恩善男︑下珊美作国採鉄男の六話であるが︑これらは殆どが 咲持経者沙弥︑下98比丘尼舎利︑下団山城国相楽郡善根男︑下伽伊 絵詞﹄から書承した説話は︑上10吉野山海部峰寺広恩法師︑下96軽

出霊異記﹂とか﹁見霊異記﹂と記されている︒が︑この説話群は

引用したのである︒一方︑ ﹃日本往生極楽記﹄からも本書は上7無         は  あり︑説話末尾の出典明示の表記も﹃三宝絵詞﹄の注記をそのまま 記﹄とは直接関係なく︑実は﹃三宝絵詞﹄を介しての書承で 師・上12奥州小松寺玄海法師・下皿宮内卿高階良臣真人・下⁝⁝

話に類似しているが︑直接親子関係は認あがたい例も散見する︒ る︒その他︑上6叡山西塔平等坊延昌僧正話など﹃極楽記﹄所収説 らは原話を忠実に引用したといってもよい程の同文性を有してい 中将藤原義孝︑下m伊与国越智直益躬などを受容するが︑これ   そして︑永観二年成立の﹃三宝絵詞﹄やこれと相前後した頃初稿の る著作群の成立した永観・寛和の頃から約半世紀後のことである︒ 本朝法華験記﹄が成立したのは︑平安朝仏教史上一時代を画す

した﹃日本往生極楽記﹄を二大典拠としていること︑また寛和

しているなどの諸事実は︑鎮源が右の三書に深い関心を払っていた で︑ ﹁撰二往生要集一︑示二極楽之指南一︑施二菩提之資糧一︒﹂と賞讃 撰﹃往生要集﹄についても下83拐厳院源信僧都の中 左 に︑重要な視点を提供することになろう︒ あり︑この現象は︑本書の説話の基本的性格を考察する上

 ここで︑先に言及した﹃本朝法華験記﹄の書承態度を具体的に眺

よう︒

 ︿例工V﹃三宝絵詞﹄ ︵中10︶

   

武天皇の御よに︑やましろくにさがらかのこほりに︑願をお

      イ こしてある人あり︒姓名いまだつばびらかならず︒四恩をむくい

花経をかきたてまつりて︑この経いれたてまつらん

とて︑はこをつくらんとおもふ︒白檀紫檀をもとむるに︑さがら

京よりとぶらひえたり︒ぜに百貫してかひとりつ︒さいくを

ときをもとむるにとぶらひえず︒心を︑いたして願をおこして︑あ       ロ じかくていれたてまつるにたへず︒檀越おほきになげきて︑又こ こをちし︵つくり︶いだしたるに︑経はながくはこはみ

(4)

 またのそうをさうじて︑三七日をかぎりてこのきとぶらふひえさ せたまへといのりこふ︒二七日ありて︑こころみに経をいれみる  

経なを︵ほ︶いらねどもはこすこしのびたり︒檀越よろこびて

 ますますふかくつつしみいのる︒三七日をすぐしているるに︑よ

 くいりたまひぬ︒人くあやしみうたがふ︒もし経のしじまれる

 か︑もしはこののびたるかとて︑すなはちもとの経とりいでて︑

      ニ あたらしき経にくらぶれば︑かれもこれも︑たけひとし︒又ふ

経をならべて︑ひとつはこにいるればふるきはいらずしてあ

   のふかきまことにかなひ給なり︒霊異記にしるせり︒ らしきはいる︒まさにしるべし︑大そうのふしぎのちから願主        

本朝法華験記﹄下皿

   

      イ 武天皇御代︒山城国相楽郡︒有二善根人一︒姓名未レ詳︒為レ報ニ

徳一︒書二写法華経一︒以二百貫銭㌔買二白檀紫檀㌔細   工        ロ  居︒令レ造二経箱一︒見二所γ造箱一︒経長箱短︒不レ能レ奉レ入︒

見二是箱短一︒檀越悲歎︒為二改造官箱︒求二他貴木一不二買得一︒念佗   歎悲︒殊発二信力一︒嘱二請僧一︒三七日間︒読二法華経一︒祈下願当レ得二貴木一之由上︒過二二七日一︒試取二経巻一︒奉レ入二此箱一︒経頗難〆不γ入︒箱長倍︒檀越喜奇︒勧二進諸僧一︒令γ作二祈祷一︒満三七日︒

 以γ経入レ箱︒無レ障入給︒人々見レ此︒奇念無レ限︒若経巻縮︒若    ニ 箱延長︒即以二本経一比量︒新古弐経斉等︒又新故二経︒双入一ニ  箱一︒錐γ入二新経㌔不レ入二故経㌔当知大乗不可思議︒檀越信力  亦復甚深︒感応道交︒有二此奇事一 ︒出霊異記

両話の内容は全く同様で︑若干の出入もすべて書写者の意識的敷行

省略の程度を出るものではない︒傍線θの部分は﹃三﹄を﹁験﹄

省略し︑θの部分では敷衝している︒また内の部分も﹃験﹂は

旧経の表現順序が逆転している︒ 勧請諸僧﹂という語句を入れている︒更には⇔の部分は︑新経と

 イ ︿例皿V﹃日本往生極楽記﹄34

 右

近衛少将藤原義孝︒太政大臣贈正一位謙徳公第四子也︒深帰二          ロ  法一︒終断二電腫一︒勤王之間︑請二法華経一︒天延二年秋︒病二庖  瘡一而卒 ︒命終之時剋︒請二方便品一︒気絶之後︑異香満レ室︒内府   亜相藤原高遠︒同在二禁省一相友善 ︒義孝卒後不レ幾︒夢裡相伴   宛如二平生一︒便詠二一句詩一云々︒其詩謂︒昔契二蓬莱宮裡月一︒今

遊二極楽界中風一︒云々︒

         イ 本朝法華験記﹄⁝⁝

   

近中将藤原義孝︒太政大臣贈正一位謙徳公第四子也︒深帰二

        ロ法一︒終断二章腹一︒勤王之間︒諦二法華経一︒天延二年秋︒病二庖  瘡一而卒 ︒命終之間︒請二方便品一︒気絶之後︒異香満レ室︒同府  

将藤原高遠︒同在二禁省㌔相友善奏︒義孝卒後不〆幾︒夢︒相

 伴宛如二平生一︒便詠二句詩三口︒昔契二蓬莱宮裏月一︒今遊二極楽   るためか︑全く酷似している︒僅かに傍線θ︑回の部分が異なるの ︿例IVの場合とは異なり︑この場合は両者とも漢文体の文脈であ 界中風一央︒

時代性が説話の中に稀薄であり︑これは鎮源の説話編纂態度によっ が︑ωの官名は右近少将が正しい︒また︑ ﹃法華験記﹄は一体に

うではあるまい︒というのは︑右の義孝少将の説話書承例でも明ら 原典に存するものを省略したと速断しがちであるが︑必ずしもそ な如く︑・−−〜線部分の﹁天延二年秋﹂という年時は忠実に書承し

るからである︒また︑ ﹃三宝絵詞﹄説話の受容例においても︑

寅時﹂を書誌的理由によって屈折したにしても﹁勝宝二年十一月十 年時を有する下98比丘尼舎利で典拠の﹁宝亀二年辛亥十一月十五日

日寅時﹂と引用している︒以上の諸考証によって次のようなこと

明すると思われる︒ ﹃本朝法華験記﹄は説話を書承する場合︑

は︑殆ど同文的でさえある︒とすれば︑先に本書が﹃霊異記﹄など なり原典に忠実であり︑なかんずくそれが漢文体である場合に

承・口承説話を問わずに編者がすべて書きなおして自分の筆致を以 比して各説話間の文体の統一性を保持していることを理由に︑書

現しているのではないかと推測したことは︑次のように訂正・

修 尊重して書承したのであり︑したがって各説話間の文体の統一性は しなければならないと思う︒鎮源もまた景戒と同様︑原資料を

彼が原拠として依存した書物がかなり文体的にも近い種類のものば

りであったということに起因しているのであろうと︒即ち︑﹃霊異

記﹂の場合は︑遠国の地方郡司や︑彼等の勢力範囲の中に止住する

したもので︑当然個性的な文体が滲み出ることになった︒しかし︑        ア 寺の僧たちが︑天竺・農旦の仏教因果説話集を参看しつつ書き記

本書の参照した文献は︑恐らく仏教的世界に身をおく相当な知識人

(5)

法 指 導

者としての立場から編述したものが殆んどであったと思

も︑全体としては一つにまとまった﹁統一ある表現体﹂としての説 る︒したがって︑鎮源がそれらの文体を尊重しつつ引用して

話集の誕生を見ることになったのであろう︒また︑本書所収説話に

ことを参考とするに︑やはり依拠した文献が既に年代を記すことの ける年代性の稀薄現象は︑先の二例が原拠に忠実に書承している 少ない説話によって構成されていたと考えられるのである︒

こで︑次に本書収載説話のうちで︑年代のあらわれたものを列

記しておこう︒ただし︑上巻冒頭部の上1聖徳太子・上2行基菩薩

  第一表﹁本朝法華験記﹄における年代明記の説話

下i下i中i上i上

85 i83i 44 i 8 i 6

仏i源i陽…沙i延主  i信i勝i門渇.人 公︷ 場

仙⊥糖西塔潅渇﹁濃享三年 汕誕鍋鷲川郡霊︹

    年

      代

応和四年正月十五日

夷暦︐九︐年.頃⁝.⁝︐⁝ー⁝

      師忌世冨国霞牢 齋に覆恒﹈

護墨麟曙藷饗遅ぞ四年                                                  

︐璽諏

田磐渥 麹い涜い趣越滅国川⁚h︐一⁝︐︐.一

︹90 薄﹂波⁝法⁝師痂測国⁝−⁝⁝

93…

沙門転薯峰山

m94域 滅一粛㏄︐娠葵濃︐風︐吟︑無助準 

98一偲゜邊︐泥゜邉芦利一肥後国和代測:⁝

㊦卯

正 渥厄釈妙﹁︵平安京︶

佃一高階凛人嗅臣一︵平湊京﹀⁚⁝⁝⁝

佃︐﹁藤⁝原.義孝﹁︐づ平安京︶

涯注伝⁝   類

[蘇注輝

下諏

︐︐径蛋属⁝

観,音利益

⁝⁝※徳亮年.⁝︐︐︑︐︐︑ ﹂前虫諏︐︐︐︐

  

  

  

  

  

..屈幽伝⁝︑

[ 嘉祥二年 藤濃

゜.︐雇平年中︵後漉∨⁝⁝⁝

  

  

  

  

  

  荏

伝⁝

 ︑一勝宝二年至︐一月十五日一奇異諏

 ︐︐一正暦ヨ年⁝.⁝.⁝︑︐.⁝.︐.一往.生伝⁝

 ︐一天元三年七月五口  ﹂往注伝︐い

⁝﹁天延⇒年秋︐−⁝.⁝⁝⁝⁝

                     往生伝︐

.上3伝教大師.上4慈覚大師・上5相応和尚はあまりにも著名であるため︑活躍年代や没年時は諸書に記録されているので︑本書の依拠した文献の性格を考える上からは除外した︒それ以外で︑本書

部に集中していることが注目される︒そして︑年代の記された説話 年代記述を有する説話は十四話を数える︒そのうち十一話が下巻 全体のほぼ一割程度という数字に接した場合に︑ ﹃霊異記﹂ ﹁観 音 利 益集﹂ ﹁長谷寺霊験記﹄などとはあまりにも異なった在り方に 驚を禁じ得ない︒この現象は︑ ﹁法華験記﹂がいかなる享受層を 頭において書かれたものであるかを如実に物語っている︒即ち︑

挙げた三書は︑説話を唱導の具に供し︑大寺院や地方文化の中

る郡寺︑はたまた草深い僻遠の地の小堂で︑法会の席上僧によ

あった︒中でも︑﹁長谷寺霊験記﹄は長谷寺参詣の衆生を参集させ 様々に変容・脚色・敷術されて語られる材料を集成したもので

場で︑信者に向って説教を進める話材として盛んに援用されたも

あろう︒これら善男善女の信をかち得るためには︑説話の中味

格部は重要な要素であった︒当時︑上流貴族階級の掌中にあった       荘漠としていることは禁物で︑①いっ②どこで③だれがという骨

文学﹂ー物語・随筆などーが主に人間の内に真実性を追 学﹂1説話ーは︑まず事実性を生命とした︒如上の観点から 究したのに対して︑僧侶などの口を通して大衆に向かって﹁語る文

本朝法華・験記﹂を眺めると︑本書はまさしく読む説話集たる感が く乖離していたのである︒それにしても︑本書の僅かな年代明記例 したという主張が︑たとい謙辞であったにせよ︑その内容とは大き る︒したがって︑序文で賢哲のためにではなく暗愚のために作成

中で︑一番最後に付加したような形で記されたものが下85・下87

下87・下89・下93・下99の四話は往生年時を記しているわけである 下89・下90・下93・下94・下99の七話を数える︒尤も︑このうち

ら︑さして不自然にも思われないが︑下85﹁応和二年有此事 ︒

下90﹁康保年中 ︒﹂下94﹁承平年中事 ︒﹂の三例は異様な感

ケリ︒﹂︑因広澄利生事﹁是レ弘仁入年春三月ノ事ナリケリ︒﹂︑ を有する︒その中で︑以下⇔元興寺僧景善童事﹁弘仁七年ノ事ナリ る︒同書は︑現存説話数四十五のうち︑約二十一話の年代明記の説話 する︒しかし︑このような話例は﹃観音利益集﹂にも散見され

㈹ 広 継 病 愈 事

元 年 資料からその年時を知り得て記入したり︑或は書承過程でうっかり この形は一見不自然の如く思われるが︑説話を摂受し終えた後に他 八月ノコトナリケリ︒﹂と記されている︒

ケースが考えられよう︒この場合︑ ﹃法華験記﹄説話がこのような 部分を削除してしまったことに気づき︑後から追補したりした 形

を有していることは︑やはり依拠した資料がそうした姿となっ

と解されよう︒

 さて︑年代を極めて重視して構成した説話集に﹃長谷寺霊験記﹂

る説話を対比してみよう︒この説話は︑ ﹁醍醐寺僧恵増が︑多年の あることを先に述べたが︑ここでは︑ ﹃法華験記﹂上31と関係あ

(6)

ることを夢で告げられる︒そこで︑前世の父母を尋ねると︑果たし していた時︑火でその部分を焼いたままになっていたことに原因す も拘らず法華経の二字を記憶しがたいが︑それは前世で読経

ある︒この部分の骨格部を対比すると次のようである︒       法華経が堂にそのままとなっていた﹂という筋書の前生語で 第二表 説話の骨格の進化

較項目一本朝法華験記上31長谷寺霊験記下18

字記人場時  憶  し:i  得

 ぬ 文物所代

 醍播沐 1醐磨

 i寺国明  i僧賀 i恵:茂:

 …i郡…

一 方便品比丘ぼ至酸鷹舗遠唖彗鴛︐︐

︐﹁播磨国賀茂東郡︐︐村上帝御代

︐︐︹︐醍醐寺僧恵増⁝

即ち︑ ﹃長谷寺霊験記﹄では︑この種の説話の最も古形を有すると

り説法の実践の場からの要請で︑かなり自由活閾に敷行しているの り︑更に記憶し得ぬ文字を﹁心浄﹂と明記している︒これは︑やは 御代﹂と断定し︑地名もただ賀茂郡ではなく賀茂東郡と詳細とな る﹃法華験記﹄が不明とする時代を︑いとも簡単に﹁村上帝 ある︒

 さて︑次に﹃本朝法華験記﹄の中で口承を暗示させるような部分

とり出してみたい︒そこで︑若干の説話に登場する人物が己の体

語った旨を記したものを列記すると第三表の如くである︒

11

18・中59はともに深山に住む仙人謂である︒上11叡山東塔

い︑彼に︑異形の怪物どももつき従っている︒また上18比良山の蓮 味座主の弟子であった聖人は︑今や不老不死︑端正な童子を使

仙人は︑興福寺の僧籍を離れ︑今や都率天とも往来自在で様々の

霊力を備えている︒更に中59下野国のもと法隆寺僧法空は︑古仙の

と説明した︒蘇生した優婆塞は︑これを諸人に語り︑沙門にも伝え あって︑これはかの沙門が曝素の心強いため︑その炎が宝塔を焼く 々と口中から吐き出される炎で焼失するのを目撃する︒側らから声 る優婆塞が急死して閻羅王宮をめぐり︑許されての帰途七宝塔が次 羅刹女を駆使している︒上32は多々院に住む沙門に仕え

奇異な説話である︒下90は比叡山の住僧摂円が北陸道へ旅の途上

滅の状況を見守り︑人々の夢に紫雲たち聲え︑音楽が空に満ち︑蓮 加賀国の或家に宿を乞うが︑その家の主摂円の正念端坐して西向入

華台に坐す尋寂の姿を見たという噂を本山に伝えたのである︒下旧 第三表 口承性を暗示する諸説話 ︹  ︺は口承者

   主 人 公

⊥相応

⊥ 上

琶璽べ︐

 場  所

頁無蓮不

代口承を暗示する表現

         .        卜    ■  ・    φ ︐

             

 一 峰山

流一碗門学蕉で鑑漠川

垂曜婆書.↓沙璽量嶋郡

垂定.照..

童躍苦民躍︐

T︺・藁︐

.⁝.一⁝⁝.⁝⁝.⁝:︐

m六官人某︺

︐︐︐¶一:.⁝.

  一佃︹兼隆第一女︺

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国i国i二なi   元、どi

i簾・不…不…不・

明i中:明i明i年 明・

・      :

肥i加慈下興i

後i賀罐響i

禦 ㊦ ぽ誌姫玉

︐〜ザ裂亘︵亮頃か︶

醜伊国三本示倍下明

⁝嶽灘諮に渇嶽ぽ

︑言難琉護﹁︑雀⁝ 流レ涙︑伝語︒

︐一昧献軍庇妻︑︐皆奇・未︐

未レ聞其二案内一︒僅聞二古

老伝一

︐﹁塁蜜司薦聞当

難燐羅鶯煤・一ぽ

其人還レ舎︒以二如上事㌔

語二於父母妻子一︒

︐羅懸﹁..説庇壁已

 じ コ ココ コ   タ ロ コ ロコ コる     ロロ コ ロ コ コ コ コ ひ     ロ コ コ     コ   コ   エ コ ひ び  

 ︒聞者随喜︒ 還二来本寺一︒伝二語此事一 遠国の霊鬼諌で︑ ﹁羅刹鬼に追跡された官人が︑馬倒れ穴の中に 転 落 鼻舌から焔煙を出す怪鬼が穴に迫ると︑穴中からそれをたしなめ追 る︒馬を敢いつくした二眼赤色︑四牙口中より一丈余︑眼目

を以て籠められた法華経の妙の一字であった︒﹂という︒下旧は蘇 払う声がした︒それは︑かの地に卒都婆を立て一切衆生救済の願 さず見せようと告げられてこの世に還る筋書を有する︒下⁝⁝は樹下 れ︑顔を覆って姿と声を聞かせ︑蘇生後開結経を修すれば面目を隠 生諌であるが︑来世自分の生まれる所を知り︑更に大仏があらわ

に︑かの道祖神が礼をいい法華請経を乞う︒その後︑補陀落世界に 祖神の前にある絵馬の破損した前足を補修した天王寺僧道公 中41の嵯峨定昭法師のこ高僧伝を挙げ得る︒口承に依るためか︑両 聞いて鎮源が伝を作成したものとして︑上5叡山無動寺相応和尚と して観音の脊属となったことを告げる︒この他に故老の伝言を とも往生年時も明示されていない︒他書を播けば︑それらが夫々延 喜

年と永観元年たることは直ちに知り得る所である︒ところで

〔 ︺で示した口承者のうち︑義容ー不明・一沙門ー葛河山寺僧・

優婆塞−多々院関係者・法空−法降寺僧・摂円ー叡山住僧・道公ー

(7)

王寺僧ということで︑義容の場合も相手役の聖人が叡山東塔関係

あるから︑これらは編者鎮源が関係寺院の僧から一次伝承とは

  

も考えられよう︒         り らず二次伝承.三次伝承という関係で話材を口伝えに入手したと

 ︻

  二 ﹃霊異記﹄的視野から眺めた二三の傾向

本朝法華験記﹄が法華経の霊験を強調し︑それが他のいかなる

経 とは︑題名の示す通りである︒勿論﹃霊異記﹄においても法華経や 典よりも卓越した力を持っていることを宣揚した説話集であるこ 観

音菩薩の験力を語る説話の比重は最も大きいが︑その他金剛般若

薩関係ー上33・中26など︑弥勒菩薩関係ー中23下8など︑薬師仏関 経関係−中24・下21など︑方広経関係ー上8.下4など︑阿弥陀菩 本書では︑この中で法華経が最も尊いことを次の三説話によって強 ー下9など︑華厳経関係ー下19など極めて多方面にわたっている︒ ー上14・中19など︑妙見菩薩関係ー上34・下32など︑地蔵菩薩関係 ー中39・下11など︑吉祥天女関係ー中13・中14など︑般若経関係

調している︒

第四表 法華経の優位を語る説話群 17 33

中48

下公

持 法

持 金法 厳

蓮 蔵光 勝

法 蓮

下 亘

或山寺

出雲国奥 州

剛般若経を奉ずる持金は︑自然に食物を出現させてい ら彼は食物を得られない︒夢でその理由が持法をそしっ た︒持金が金剛般若経の優位性を主張すると︑その時か が︑法華経奉持の持法は人々の布施を頼りに生きてい

ことと︑従来持法の力で食物を得ていたことを知り彼

る︒

華厳経を尊しとする法厳は︑食物の不自由を歎いていたが︑或る時急に仏法守護の善神があらわれて︑以後の食膳を整えるようになる︒一日︑法華持経者の蓮蔵を招き

人分の食事を命ずるが届かない︒蓮蔵が帰ると早速食 守護する梵天・帝釈天などがいたため︑傍を通過し得な 奉げて善神が出現する︒その理由は︑蓮蔵の周囲を

各一町の水田で収穫争いを提案する︒光勝の田の方が断 最勝王経を重んずる光勝は︑二経の優劣を決めるため︑ ある︒法厳は後に︑蓮蔵に帰依した︒

来た︒そして莫大な収穫を得た︒光勝は法華経を軽んじ じた︒収穫時に割ってみると︑中から五斗の白米がでて よいできばえであった︒七月上旬︑法蓮の田に瓠が生 れ︑かつ道心を発した︒ ことを反省した︒またその米を喰べた諸人は貧苦を離

ノ、

この説話に登場する主人公名は︑何れも作為的臭いが強い︒即ち︑

ことから︑机上で発想された可能性が濃い︒        け 典の一字を名乗り︑また法華経信奉者が法・蓮の一字を用いている 金剛般若経・華厳経・最勝王経の持経者が︑何れも法・厳・勝と経   次

書にあらわれた大きな特徴の一つに︑前生諌が多く採録さ

ることを指摘し得る︒ ﹃日本国現報善悪霊記﹄が︑その名も 示 介して深い関係を有している下96の悪報諌の他には︑僅かに中61の 記﹄中で現報を強調する説話は︑ ﹃霊異記﹄説話と﹁三宝絵詞﹄を 話が多出する点はたしかに特異な現象といえよう︒また﹃法華験 本書が前生諌にかなりの分量をさき︑とりわけ法華読諦に関する類 く︑現報善悪を説く点に主眼点が存していたのに対して︑

ぎ︑持経者を捕縛して答を加えて責めたて︑更に柱にくくりつけて すると近くにいた男が︑この馬は先年自分が盗まれたものだと騒 し難いので他人の馬を借りて京にもどり︑祇園まで来て留まった︒ 寺の僧好尊が︑縁あって丹州に出向いたところ︑身に病を生じ歩行 数えるに過ぎない︒この説話の梗概は次のようである︒石山

辛苦を受けさせた︒その夜︑祇園の老僧三人が同時に夢を見た︒そこでは︑件の男が普賢菩薩を縛して答で苦しめているのである︒明

立って盗人を追跡したところ︑彼自身が盗人に見誤られて射殺され り︑馬盗人を追って数十人がやって来た︒時に︑男は最前に

た︒ここで︑この説話の作者は人々の口を通して﹁非道非法︑縛二

打持経者一︑依二其現報一︑不レ過二日夜一遭レ災死去︒﹂といっている︒

       ロ 見誤られて殺されたという典型的な因果応報諏である︒そこで︑前 と盲信して好尊を責めたため︑その報いで今度は自分が盗人と 生讃について展望してみると︑大体次のように分類されよう︒

 力 

華経請経前生諌とは︑

31︶如く様々である︒

く同想のもので︑

  法華請経前生謹⁝⁝⁝上31.中58・中77.中78・中80.下89・下93

 畜類前生諏θ⁝⁝⁝⁝上26・上27・上30・上36・下伽

③ 畜類前生諌⇔⁝⁝⁝⁝上24・上25・中53 ω  

念前生語⁝⁝⁝⁝⁝下惚

     

  

  

  

 先にとりあげた醍醐寺恵増の説話︵上

 と同族説話である︒ただ︑法華経が請経できぬ理由は第五表の

31

外のそれは︑前世にお

(8)

概観

説話

31

中58

中77

中78

中80

89 93

 増

蓮 尊

行 範

 代 醐寺 磨国賀茂郡

  明

︐︐牢手院定塞建︐

都の弟子

覚 念明 蓮

 蓮  乗

叡山か︶

法隆寺・大山

越中国 磨国赤穂郡

  明   明   明   明

嘉祥二年

 話 内 容

文字璽前生の自家で︑経修復する︒

  馬

  蜂

  板馴︐の下で︐法華経聞ぐが普賢︑

 ︑︐持︐経者の法華を聞ぐが薬王職︐  る︒ 品を聞かないためと夢告され  る︒ 聞かないためと夢告され   虫に住むを以て人身を得たと老 行を︐食い︐失︐なつだが︐︑⁝経中︐︐

僧夢告する︒

巻まで聞くが八巻は聞いて ないと大山の大智明菩薩に 夢告される︒

 ︐僧房.の︐壁−ぎわ︐で︐二十︐五品まで︐

聞いたが僧が休息のためより  ︐.山駅の︐棟上で︑聖人の諦経︑を聞 圧死した︒

 った︒ 七・八両巻は聞かなか

どで知り︑現在の境遇に思をいたす一連の説話群がある︒ を採っている︒この外に︑前生畜類の身を受けていたことを夢告な 時に聞き洩した部分を暗請することが不可能であったという筋立て 法華経を聞いたがために今生で人身を得たのである︒しかし︑その 犬・馬・衣虫・牛・蟻蝉・毒蛇の身で畜生道にあったものが︑

第六表 畜類前生諌をめぐる説話群 孟主人公 24 25 26

27 安 勝 春 命 頼 真

目僧

  所 勝寺

叡山西塔

谷寺

備前国中堂薬師仏 前世時

  話  内  容

干   †   十

盲を蛇前たな持iたが法iだつ前 目得と世i°お経i°ら華iたた世 とたし信: 、者i妙堂iめが近 ながて濃i余のi法裏i人、江

つ、住国i残経i及にi身供国

た仏ん桑iのをiび住iを養愛 こ前で田i宿聞宝し得の知

とのい寺i を常た乾i 知燈折のi

るの 角i

°油妙のi

 を法榎i  なをのi  め聞木i  たき中i  た人にi  め身毒i

業いi螺たiた経郡

にたi   をが:°を郡

よたi聞゜iに司 りめiい野iなの 黒 iた干iつ下 色人iたのiて役 の身iめ身 山人 身をi人でi寺の

と得i身あ に飼

なるiをりi運牛 つもi得なiんだ

30 36 中53中惚 僧 某朝 禅 神奈井寺叡山中堂

永 慶拐厳院

   ﹁

躬高越後国乙寺 駈  矧

竃㌶舗㌶寳鷲蒜

    ノヘ   ト ぬ なの持:余で仏箕iら遊栢 お寺経:残法す面iれ行人i 存に磯の華るのiるしか,

命刺のi習経を滝i°たらi

°史経:気を見でi色功前i

 とを、で聞る修白徳世i  な聞人い゜行iはに白i  っい:々たそ中iそよ馬i  てたはたれのiのりでi  赴猿i狗めは人i余、持i  任が・形人永々i習人経i  す人iの身慶はi°身者i  る身i礼をが夢iををi  °をi仏得耳でi得のi  持得:をた垂老iたせi  経てi見か狗狗i とてi  老、iたらのの:告一i  はぞ゜で身礼iげ時i

これらも︑法華経が暗請できない理由を夢告される先の説話群に対して︑人身を得た原因を知らされる話型を内蔵して︑全く同工異曲

内容を呈しているのである︒

中国古代説話集の﹃冥報記﹄中14や﹃弘賛法華伝﹄六117などにそ  さて︑法華経が前世の何かの因縁により一部分記憶し得ぬ話型は 州を巡視中︑ある村里にいたると急に一軒の家に入っていく︒そし 即ち﹃冥報記﹄該話は︑やはり産武という官吏の前生謂で﹁彼が魏 淵源を求め得る︒また﹃日本霊異記﹄上18もその系統に属する︒

壁中より自分が前世使っていた法華経と金叙を取り出す︒

産 系統を引くのが﹃日本霊異記﹄の上18の持経者多治比某の前生諏で 枚を火に焼いたため記憶することができなかった﹂と伝える︒この は︑その家の主人の妻であった︒そして︑法華経巻七の終り一

ある︒先の﹃冥報記﹄説話では︑産武が自分でその原因を把握して

焼いたためであるとわかる︒この形は﹃法華験記﹄の上31の醍醐寺 は︑前世に伊予国別郡日下部猴家の子息として︑堂で法華経を火で 対して︑本話では夢告の形をとり︑法華経が一字読めぬの 恵 鍍鍵の二字が読めず︑夢でその理由を次の如く告げられている︒一 は︑ ﹃法華験記﹄の中78と酷似している︒ただ︑前話は薬草愉品の 引く﹃法華霊験伝﹄下15の秦郡東寺の一沙弥を主人公とする前生諌 前生謹に連なっていく︒ 一方︑ ﹃弘賛法華伝﹄六ー17やそれを していたが︑その中に白魚がいて護鍵の二字を食ってしまった︒そ        しみ弥は︑前世東寺の近傍東村で女の身を受けていた︒法華経を読請

し得ぬのだと︒これに対して︑後話では︑覚念

師自身が前世に衣虫の身を受け︑法華経三行を食ったが︑経中に

(9)

住んでいた功徳で人身を得た︒しかしその三行は請経し得ぬままとなったという筋書となっている︒それにしても︑畜類前生語の中で︑黒牛や白馬の身を受けていたものが︑人身を得た後もなおその 口歯を動かしていたこと︑更には箕面の滝で大勢の人々と修行して 向が皮膚の色にあらわれ︑また鼻欠牛であった頼真が牛のように

永慶は︑前世耳垂狗であったためか︑左右の人々が夢に老狗高

えて立居礼仏する姿を見たことは誠に興味をそそられる発想

ある︒

下偽は︑信濃長官某が上京する際︑つき従う三尺の蛇と︑彼

転生させてハッピーエンドとなっている︒蛇と鼠の組合わせと同程 衣櫃の底に隠れる老鼠との争いを︑法華経の力で両者を初利天に 2に収録されているが︑両話を対照させてみると︑二つの説話集の 度宿命的な対立を有する狐と犬の争いを描いた説話が﹃霊異記﹄下

性格をそのまま浮彫りにしていて興味深い︒即ち︑紀伊国牟婁郡熊

えるがすぐもとにもどってしまう︒そこで強く究すると霊が病者に 村の永興禅師の住む寺に病者が訪れた︒呪文をかけている時は愈 今仇をうつのだ︒この人は死ねば犬に生まれてまた狐である自分を りうつり︑ ﹁自分は狐である︒病人は前世狐である私を殺した︒

う︒﹂と告げる︒病者の死後一年︑死人の臥した室に永興

禅師の弟子が病で寝ていると︑犬をつれた人が来た︒犬があまりに

咋いて引き出した︒止めたけれども咬み殺したと︒そこで景戒は えて放たれたがるので︑錬を外すと弟子の部屋に跳び入り︑狐を 見二怨人一者︑為二我恩師一︑不レ報二彼怨一︒以之為レ忍︒是故怨者即忍 以レ怨報レ怨︑々猶不レ滅︑如二車輪転一︒若有レ人︑能発二忍辱一︑時

師︒しと述べ︑忍耐の重要性を強調している︒そして︑ここでは

辱の心を発揮しない限り際限もなく仇を果たしあう罪深い生物の

けにはいかない︒一方︑ ﹁法華験記﹄下田の蛇対鼠は︑人身を得て し︑衆生を教化しようという激しさをこの説話の内に感得しないわ 赤裸々に描出されている︒因果応報の確かさを中心思想と

切利天に上生することにより一挙に解決している︒いわば法華経の

霊 験

る感がする︒ や︑それを見つめる周囲の人々の動きや心理描写が稀薄となってい さを説くことに中心が移行し︑怨をなす当事者の争い

 さて︑乙寺猿の下㎜は︑前生謹というよりも︑生類の転生する実

とは現在の生活の問題から前世の状況に遡及するのを原則とする 態を︑時間を追って克明に描いた説話といえよう︒一般に︑前生課

が︑本話は一一世を順序よく進行させている︒本話は﹁古今著聞集﹂巻

きは︑ ﹃今昔物語集﹄巻十四ー6では︑国守として赴任したのが︑ ー剛︑及び﹁元亨釈書﹄に採録されているが︑中でも注目すべ 歴﹂やコ能歴﹄の舞人にその名を連ね︑後者は﹁尊卑分脈﹄によ る点である︒紀躬高と藤原子高も実在の人物であり前者は﹃二中 紀躬高ではなく藤原子高であり︑その時期を承平四年と明記してい

ば︑越後・三川・備前・伊賀・山城・讃岐守を歴任した人物で︑

天慶から応和元年頃にかけて活躍しているので︑勿論承平四年には

存命していたと考えられる︒ ﹁法華験記﹂説話を書承しつつも︑こ

直接行動的になっている︒即ち︑協力を呼びかけられた猿は︑早速 常陸国多賀郡の猿は︑建仁・元久の頃と時代が下るためか︑ひどく 法華経書写を手伝う場合でも︑ ﹃古今著聞集﹄二十ー眺に登場する しまうということは︑何とも健気であった︒ところが︑同じく猿が を運ぷことに励み︑ついには薯蓑を掘りに行き︑土穴の中で死んで 猿が︑乙寺の持経者の法華経書写を助けようとして︑紙を整え食物 改変したのはいかなる理由によるか定かではない︒二匹の

飼馬を盗み出し︑馬主の追跡をふりきって上人のもとに辿り

く︒追って来た男に︑上人が一部始終を説明すると︑彼は﹁畜生

に︑まして人倫の身にて︑などか結縁したてまつらざらむ︒速にこ も如法経の助成の志候て︑かかる不思議をつかうまつりて候

馬をば法華経にたてまつるべし︒﹂と述べて帰っていったという

ある︒対照の妙を得て面白い︒

  次に︑ ﹁法華験記﹂説話で注意を惹くのは︑日本国最初の焼身例

という上9奈智山応照法師に代表される焼身謂である︒灰となっても︑謂経の声は絶えないのである︒ ﹃日本霊異記﹂にも︑自己の生

断って来世を志向する人が一例ではあるが登場している︒下1

た一禅師がそれで︑両足を結え︑崖から身を投げた︒しかし︑その 永興禅師のもとに来住し︑一年後に伊勢国へ山越するため旅立っ るのも注目すべきである︒この型の説話が早くから熊野・吉野地方 あらわれた醐骸請経語が︑この﹁日本霊異記﹄説話を以て最初とす 髄骸はずっと後々まで法華経を請したという︒本邦における文献に

様々な形を以て語られていた状況は︑以上の話例の他に︑ ﹁霊異

(10)

記﹄下1︵後半部︶の金峰山で法華経と金剛般若経を請する一禅師

鰯 骸や︑ ﹃法華験記﹄上13の紀伊国完背山で法華経を読んだ円喜

ら様々に把握される︒ところで︑焼身謂については︑﹁三外往生記﹄ 骸︑中56の金峰山にて死後法華経読請の声を発する長増などか 成

立期頃になると六例をも採録することになるが︑本書においても

9・上15・中47の三例が指摘され︑その主な内容は第七表の通り

ある︒

第七表 焼身往生者の横顔

翼注込場亘焼身直後一説 話 内 容 造沙濃禦漉耀灘噸の漂漬羅ぐ髪警藷総供季

15   一沙門薩摩遷誌墓所に三宝艮養し・2する︒

渥西向.誓世俗藁蔑璽確繧宍繧要い

垂護上麟亘難黍︒﹄壌親聴響に荷慧せるぎ繧

日本における最初の火葬例は︑ ﹁続日本紀﹄の文武天皇四年三月条

よれば︑遺教によって弟子たちが粟原でとり行なった道昭和尚の

葬儀であった︒その法系下にある彼の弟子行基も火葬に付すことを

遺言し︑菅原寺東南院で亡くなっているが︑ ﹃大僧正舎利瓶記﹄に

よれば︑弟子景静は忠実にそれを実行して︑ ﹁禁号不レ及︑惰仰無レ

見︑唯有二砕残舎利一⁝⁝︒﹂と歎じている︒景戒が﹃霊異記﹄下38の自伝部分で︑自身を火葬に付した体験をもとに︑ ﹁若得二長命一 ︑若得二官位二﹂と一見逆夢と思われる態度を示していることは︑私淑する行基とその師道昭の火葬行為が大きく関与しているのであ  ける︒火葬から焼身往生へという流れは︑そのまま﹃霊異記﹄から﹃法華験記﹄の修行者へと展開する経路の軌跡を鮮明に描いている︒即ち︑ ﹃霊異記﹄では︑篤い信仰心を持った沙門・沙弥・聖・優婆塞

優婆夷たちが現世の生活舞台にいかに幸を得ていくか︑また不幸

も死後地獄へ堕ちた者は︑生前の仏法に関する諸行為がいかに蘇

支える重要な契機となり得たかを説くに急である︒勿論﹃法華

験記﹄にもそのような要素は存するが︑自ら現世の生活を罪深いも

と観じ︑来世往生を信じて焼身自殺していく往生人の姿は︑殆ど

罪の本だと断言して︑切り落とし︑脂燈として三宝に供養したという 異記﹄では見受けられないのである︒また︑女人に触れた指を

徹 底したストイックな面も見当らない︒

  ﹃日本霊異記﹄は︑大原則として徹底した因果応報思想に色どら

るわけであるから︑極楽浄土に生まれかわるには︑何かその

因となるべき善行を実践しなければならないのである︒例えば︑

7亀報恩謂では︑禅師が亀放生を行なったため︑海中に投じられ

されたのも︑日頃帰依していた観音菩薩を尊び︑法華経書写の志を抱 時助けられたのであり︑下13で鉱内に閉じこめられた役夫が救出

らである︒ところが︑ ﹃法華験記﹄では︑このような因 していたが︑病のため入滅の時提婆品を菅諦し︑遺言に浄心信敬の 日常生活中に覚えず作った悪業を改悔し︑また幼き時より法華を請 縁讃の他に︑下脱の左近中将源雅通の如き説話もある︒即ち︑彼は 文

唱えて逝った︒師壇の契りを持つ聖は︑夢に中将の寝殿が五色

るのを知り︑彼の往生を知った︒ところが︑左京権大夫藤原道雅が まれ︑光明と異香︑更には微妙なる音楽のあらわれてい

 ﹁中将一生︒敦生不善︒依二何善根一︒得二往生一哉︒若爾︑欲レ生二極楽一人︒当レ好二敦生放逸邪見不善ご﹂とこの考えを批判している︒この善因善果・悪因悪果を徹底的に計算し尽す考え方こそ﹃霊異記﹄の志向した世界であった︒そんなに殺生を好んでも極楽に往生

゜し得るならば︑極楽行を志願する人は︑殺生・放逸・不善を求めて

なうべきとまで極言する態度に対して︑道雅は六波羅蜜寺に来合

ら次の話を聞いた︒自分は身貧しく無為に年をとり︑

根も積まず︑きっと地獄に堕ちるだろうと悲しく︑昼夜三宝に祈

ノ く       ミくくくぐくく ところ︑一老僧が夢の中に出現し︑﹁汝更無レ歎︒只修二念仏一︒直 心 定︒往二生極楽一︒左近中将雅通︒只直二内心一︒持二法華一故︒難レ

不〆作二善根㌔既得二往生一云々︒﹂と述べたと︒つまり︑ ここにいう別に善根を為さずとも︑法華経を持っていれば︑極楽往生できるという考え方は他力本願の思想の芽生えであり︑更に老尼にただ念      お

極 楽 行

符という専修念仏を勧めている︒

これらの人物は﹃霊異記﹄では悪死の報いを厳正に受けることを余

朝法華験記﹄の大きな特徴の一つである︒ 儀なくされている︒これに対して︑悪人往生の説話群の登場も﹃本

第入表の説話群のうち︑下97の阿武大夫が修覚と名乗り︑俗人時の

悪 行

獄の体験を契機に反省し︑道心を抱き出家する類の説話

(11)

第八表 悪人往生謂の諸相

量叢人物

29 一

万 亙

悪  行往 生 の 様 子

定法寺

盗・婬妄飲

墨密︐黒ぞ︑歳簸煤窒

物私用 放逸双六寺

中73

中76 94

97 浄  尊

沙弥薬延

沙弥修覚 鎮  西

  明 濃国

門国 ⁝田猟漁捕︑じ−で︐ 蚕用にする︒ 持︒  魚鳥殺し ︑再矢︐㌧︐刀剣所 肉  食

食う︒ を食し鳥を 悪不善殺生

依道一iれ対夜i品受最iる仏再旅iし死i華死 心持iをし半iをけ期を堂訪僧iた期i書後

兜を経i実月よi諦 .見でしにi°にi写堕

率お者i行日りiし病後iた光た往i往浄iに地 天このiすを持i入悩法i°明僧生i生処iよ獄 にしたiる約仏滅平性i遍はのiしにiつの

転てめi°し堂iす安寺iく 日iた庵て憂

生出地iてでiるに座i 、かをiかをi抜目 し家獄 極法i°し主 音つ約i否結i苦を

鴇;i竃i認鷲芒i騰麗

 し蘇iを諦 を僧iと食たi論経i°が  、生i宣しi清都iもし゜i議断i 、  法しi言、iめかiにた数付食妻

 華て:し聖  、らi往僧年:載しi 子

 に 、 、人i寿戒i生が後i°入: の

 帰後iそに:量をiす持  滅  法

異記﹄的世界と同想のものである︒また︑悪行により地獄の

責 行重なって地獄行となり閻羅王宮の裁決を待って復讐しようとする は︑この場合二重因果を適用することが常套である︒即ち多年の悪 は⁚﹃霊異記﹄的世界観を以てしては理解しがたい︒ ﹁霊異記﹄で く中を光明につつまれ妙なる音楽を後に西方に往生するという筋立 も︑一方で法華経による修行を多年続けた浄行により︑紫雲たなび 様である︒しかし︑中73と下94の一僧及び薬延が肉を常食しつつ 苦厳しい中で︑妻子の写経供養などで救済される上29の一僧も同

        い異形の生物を法華経の化神たる童子が阻止し︑蘇生し得る形をとる

う結末を示している︒中76の一比丘もまちがいなく地獄行第一候補 普通である︒そしてそれからの余生の浄行により往生するとい 者

あり︑その無漸破戒の悪僧が手を洗い口を漱いで一念に寿量品

ば︑直ちに極楽行となりかわるという所に︑他力本願の思

し得る︒ところで︑中66容実法師の説話は大きな問題を孕

を食したという超人で︑その無欲清簾さは中世隠者の先駆的存在と を入れた中に住み︑寒を制して法華経を請し︑雪中食物なく竈の土 る︒彼は︑極寒の時には人に着衣を施し︑裸で大桶に木の葉

える︒口中より光を発し︑音声微妙にして︑自苑穣不浄な路頭の

一〇

病者を法華を請し︑衣で覆い介抱し抱き臥して︑病悩除癒させた慈

あった︒その彼が鎮西に下るや︑魚鳥を食い弓箭を具して

た︒肥後守某が︑容実を誹誘してその財物を奪い取り﹁彼は破戒

無漸の法師であるから近づき親しんではいけない︒﹂といった︒そ

ころ︑すぐさま回復をした︒死期を悟り︑浄処に庵を結び法華経を 後守の妻重病に陥るが︑目代の計らいで容実に抜苦を依頼したと

し断食して安禅合掌して入滅したという︒彼の鎮西に下ってから

き方は︑それまでの聖者としての生活と対比して到底理解しが

      ロ もののようであるが︑これは﹃摩詞止観﹄の方でいうところの な人間的絆を捨てて絶域他方に身を遁れる生き方で︑容実法師自身 徳を隠して狂をあげるという思想に基くものであった︒名利と無用

とっては理に叶った行為であった︒当時容実周辺の人々は隠徳伴

姿をやはり洞察しきれぬと見えて︑次のような注目すべき

問答を付載している︒

云︒容実最後遇二悪縁一発二悪願一云々︒

云︒更不レ発二悪心一︒最初難レ似二悪心一︒後発二露俄悔一︒深発二道心一諦二法華一入滅云々︒

ここでは︑悪縁を発して往生し得ぬと説く批判派も︑最初は悪心を

い︒それは﹁偽悪の伝統﹂に連なる行為なのである︒以上の如く︑        ゆ もに入滅したとする擁護派も︑審実の狂態の真意を理解していな 発したようにも思われたが︑後に発露繊悔して法華を請する声とと

単純な現報善悪という規範によって律しきれぬ様々な生き方を体現

る修行者の往生の諸相を描いているところに︑本書の特色が存す

るのである︒ ︵未完︶

 付・︻報告︼諸本の現況とその概要

  館文庫蔵本・真福寺文庫蔵本・高野山宝寿院蔵本・旧彰考館文庫蔵 る︒ ﹃国書総目録﹄によって︑その古写本の所在を徴すると︑彰考 本朝法華験記﹄の諸本の研究は︑現在全く未開拓の状態にあ       ぼ本とが列記されている︒いま︑この四本のうち︑旧彰考館文庫蔵本は 戦 災

消失し︑また︑高野山宝寿院蔵本も所在不明という︒した

て︑本書の本文研究は︑彰考館文庫蔵本︵上中下三巻︶と真福

寺 文 庫 蔵 本 及 版 本

なわなければならぬ現況である︒本報告では︑右の諸本の概要と版 (享保二年版︶という極めて制約された中で行

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