北 陸 大 学 紀 要 第
22
号 (1998
) pp,
189〜201
1宗 教
と
法
と
経 済
米 国
日
曜
法訴
訟
の一
考
察
村
上
良 夫
*Religion
,
Law
,and
Economy
;
An
Analysis
ofthe
1961
Sunday
Law
Cases
in
America
Yoshio
Murakami
* 1〜θσθ勿θ40ctober
30
,1998
はじめ
に2
つ の疑問
1961
年の米 国 連 邦 最 高裁
における「
日 曜 休 業 法 判 決 」は, 最 高 裁 が 日曜 法 (日 曜 休 業 法, 日 曜 安 息 法 ) 問 題 に初め て本 格 的に取 り組み,
正 面 か らその 合 憲 性 違 憲 性 を論 じた もの と して,
きわ め て大 部の判決
文と共に よく知ら れ てい る。 m4
つ の事 件 を一
括 して扱っ た本 件の判 決 その ものは , すべ て の件におい て 日曜 法の 合 憲 性 を 認めたの で あるが, し か しこれ ら 日曜法
訴 訟 をよ く見
るな ら,誰
で も次
の よう
な疑
問が浮かぶ で あろう
。 この時期
に, な ぜ4
件 もの事
件が一
度に現れて きたのか ?さ らに,4
件のう
ち2
件 はハ イウェ イ沿い の デ ィス カ ウン ト・
デパー
トメ ン トス トア にか か わ るもの で あ り, 残る2
件 は 正統派
ユ ダ ヤ教徒
の経
営 する店
に か か わ るものである が [2〕,
これ はい っ たい どう
い うこ と なの であろうか ?最初の 問 題 を
考
えて みよ う。 連邦
最高裁
が 日曜法
問 題 を最初 に扱っ たの は1885
年
で,
こ の時 もその合 憲 性を支 持 してい る C3) 。 しか しその後は, 目 立っ た訴 訟は起 きて い ない 。 日曜 法は,時代
遅 れの あい まい な法
と し て, い わ ば 死文化
し, 違反 も黙認 さ れ てき た と 言 える (4) 。宗
教 自由の分 野の権 威のひ と りロ バー
ト・
T
・
ミ ラー
がかつ て評 した とお り, 日曜 法は「
お そらく,破
ら れる こ と最
も多
く,
実 施さ れる こ と最
も少ない法律」
と な っ てい た f’]。 とこ ろが ,1950
年
代に なっ て急に 日曜 休 業を め ぐる問 題が再 燃 し, そのう
ちのい くつ か が連 邦 最高
裁に まで達 するの である {a) 。 なぜ この ころになっ て突
然,
日曜休業法
問 題 が増
えたの か。 これ が 第一
の 疑 問である。第
二の疑問
。1961
年
の 日曜休業法判決
は,
なぜ もっ ぱら 「ハ イウェ イに位 置
する大
き なデ ィ ス カ ウ ン ト・
デ パー
トメ ントス トア」と 「正 統 派ユ ダヤ 教の信 仰 」 を持つ 小 売 業 者に のみ かか わ るも
のであ
っ たのか の 。 つ ま り,
一
般に 日曜法
は,
州 法 レベ ル の ものであれ地 域 的な条 例 *外国 語学 部2
村 上 良 夫 であ
れ,
3
つ の種類
の活動
を禁
じ るの が普通
であ
る一
雇 用
者
が被
雇 用者
を 日曜 日に働か せる こと,娯 楽,
物 品や業
務
の販売
cs) 。 とこ ろが1961
年
の4 件
は,「
販売」
にかかわる も の , そ れ もハ イウェ イ沿
い の ディス カ ウン ト・
ス トア とユ ダ ヤ教徒
の店
で の「
販売」
にか かわ るもの ば か りで あ る。
これ はい っ たい ど うい うこと なの か。 具体
的にどのよ う な 状 況であっ た の か。 これ が 第二 の疑 問である。「
日曜(
休業 )法」争
訟 と言 う
と,宗教的
な法律
か ら派
生する宗
教的
な 問 題とのみ考 えら れ がちで ある。 しかし実際
に は,
経済
的 な 側 面 が きわめ て顕著
に出て くる場合
が し ば し ば である。 日曜 (休 業 ) 法はそ れ 自体, 宗 教と法 律と経 済の接 点で ある とも言え
るが, 本 稿で は特に こ の 経済
的 側 面に注
目 し て検
討 し て み たい 。手
順 とし て, ま ず1961
年
日曜法事件
の経済
的 背景を当 時の報 道 等 を もとに具 体 的に考察
し, その上 で2
つ の事 件 を取 り上 げて実
際に検 証 して み る。 つ いで,
い わ ば 日曜法
の経 済学
とし て,
や や一
般 的な図式
で 日 曜 休 業法
と経 済 活 動 (消 費と販売
)を整 理 する。 そして最 後に全体
を総 括しつ つ 若 干の感 想を述べ て み たい 。1
.
1961
年
日曜 法訴 訟
の経 済 的 要 素
1A .一
般 的 背 景経
済
的 側 面に焦 点 を 合わ せ る前に,
他の側 面,
特に法 的 な 面 と宗 教 的 な 面に も触 れて お く必 要があろう
。(1
> 法
的 側 面日曜 法には長い 歴 史がある c9}。 に もか かわらず, な ぜ
1960
年に至 る まで, 合 憲か違 憲かの 決 定 的 な 審 理 が な されて こなかっ たの で あろ うか。 当 時の 『エ コ ノ ミ ス ト』
誌 (1960
年7
月23
日号)
は,
こ の点
を次
の よう
に簡潔
に説明
する。ま ず 前 もっ て言っ て お かねばなら ない のは, [連 邦
1
憲 法が 日曜 安 息 法 (blue
laws
)に適用
さ れ る よ うになっ たの はや っ と最
近になっ てか らの こと だ という点
である。 日曜法
は 州の法 律で あっ て連 邦の法で は な く,
元 来 [連 邦 ] 憲 法はこ の分 野 [州 内の宗 教 問 題 ]での
州
の権
限を制 限 する もの ではなかっ た。1940
年
になっ て初め て,連邦最高
裁は,各州
が「
法
の正当
な手続
き」
によ らず
して州民
の生命
,自由,
財産
を奪 う
こ と を禁ず
る修
正第14
条 を, 修 正 第
1
条で連 邦 政 府に適 用 されてい る宗 教上 の保 障 を も含 む もの と解 釈 し たの である “e) 。 す なわ ち, 「エ ホバ の証 人 」 問 題 を 扱 っ た
1940
年の キャ ン トウェ ル事 件 判 決 (Cantwe11
v.
Connecticut
匚
310
U
,
S.
296
]
〉
に おい て,連邦
最高
裁は,信
教の自 由は修
正14
条の「
適
正手 続 き 条 項 」に述べ られてい る 「自 由」の概 念に含 まれ ると解 するこ とによって,修
正1
条
の宗
教条
項は州の問 題に適 用 さ れ うる としたの で ある 〔]]) 。 か く して道は開か れ た。 州 レベ ル の 日曜 法争
訟が連邦
最高裁
の判 断 を問う
こ と が で きる よう
に なっ た。 にも
か かわらず,連
邦 最高
裁は,
日曜 法訴
訟に は実 質 的 な 連 邦 問題 が欠 如 してい る との理 由で審
査 を 拒否
し続 ける “2, 。 こ の問 題は州 が 決め るべ き事 柄だ とする態 度 を 取るの で ある。最
高
裁は お そ らく,
で きれ ばそう
し た 立場を取 り続 けて,
日曜法
問 題には か か わ りた くな か っ たの で あろう。 しか しそ うはい か な くなる。 す なわち1959
年
5
月
, 連邦第
一
巡 回区控訴裁判
宗 教と法と経 済
一
米 国 日曜 法 訴 訟の一
考 察一
3
所 がマ サチ ュー
セ ッ ツ州の 日曜法
を違憲
とし たの に対
し,
12
月には第
三巡回 区控
訴 裁 判 所がペ ン シ ルベ ニ ア州の 日曜法
を合 憲 と し たの である (13♪ 。 連 邦 最 高 裁は, こ の矛盾
を解決
する必 要
に迫 られる。 これが,
1960
年
になっ て初
め て 正面
か ら日曜法
に取 り組 ま ざるを えな くなっ た法
的 背 景である。(2)
宗
教 的 側 面1961
年
の日曜法判決
の法廷
意見
を書
い た首席裁
判官
アー
ル・
ウ ォー
レンが,
4
件の最 初 に し て代 表 的 なマ ガ ワ ン事 件 判 決 理 由の中で言 明 してい る通 り,
「日曜 (
休 業)法」
が も と も と宗
教 的(
キ リス ト教 的 )な動 機に促 さ れて成立 し た こ と は議 論の余 地がない U日曜 規 制 立 法 は
本来
キ リス ト教
的 起源
を持
つ ものであり,
ま た常
に キ リス ト教 と密接
に関連
し て きた と言 え る。日曜
法
論争
の さ な か,
『ク リス チ ャ ン・
セ ン チ ュ リー
』 誌1959
年ll
月25
日号 に掲 載 さ れた「
日曜 安 息 法一
少 数 派の 意 見」
とい う記事
は,冒頭
で こ う告
げる1
「原因
が何
であ
れも し かする と
,
い わ ゆ る1950
年 代の宗 教リバ イバル のた め かもし れない が一
日曜 遵 守 法 を もっ と厳格
なもの にせ よ とい うア ジテー
シ ョ ンが, ます ます高
まり
つ つ ある」
“s} 。冷
戦が背
景にあ っ た と考
えら れ るが,
い ずれに し ろ1950
年代
のそう
した一
般 的
な宗
教 リバ イバ ル が, 日曜 法 論 議の一
つ の 要 因で あっ たのか もし れない 。 し か しそれ だけで はない 。1954
年
9
月
20
日付
の 『ニ ュー
ヨー
ク・
タイムズ』
に,
興味深
い 記事
がある :「
礼 拝の 日と し ての,
より厳 格な 日曜 遵 守を支 持 する『
主の 日連盟 (Lord
’ sDay
Alliance
)』の ポス ター ・
キャ ン ペー
ンが, セブン スデー ・
ア ドベ ンチス トか らの抗議
を受
け てい る1
16)。 ポス ター
の説 明 文 は 「ア メリ カ 流のや り方一
日曜は教 会のた め,
ビ ジネス の た めで は ない一
こ れ を守っ て い こ う」とい うもの で あ り,一
方 , これに対 するア ドベ ン チ ス トの抗議
は 「ア メリカ流の やり方
を うんぬ んするの で あ れば,
誰にも決
して宗 教 的 な “圧力
” をか け ない ことこそア メ リ カ流の や り方その もので あっ た は ず だ という
こ と を 思い 起こす 必 要がある。 特 定の宗 教 的な 日 を守ろ うが 守るまい が 全 く 自 由だ とい うの がア メ リカ流で ある」
とい う もの で あっ たq%
ア ドベ ン チス トの反 応は さ て おき,「
主の 日連盟」のポス ター
の 説 明 文は注 目に値 する。 なぜ ならそ れ は少 な くとも二つ の事 実を物 語っ てい るからで ある :ひとつ は,
日曜
日 に もビ ジネス を するこ とが広がり
っ っ あっ たこと,
もう
ひとつ は,
そのよう
な「
世 俗 化 」に対 する保 守 的な ク リス チ ャ ンた ちの 反動 と して, より厳 格 な日曜 遵 守 が 強 調 さ れてい る こ と。 経 済の発 展が聖日を 浸 食 しつ つ あり,
そ れに対
して聖 日を守
れ という動
きが起
きてい た一
その よう
な時 代であっ たの で ある。そうし た状 況の 中で
,
厳 格 な日曜
遵守
を訴
える新しい旗手
が 登場し てい た。 ロー
マ・
カ ト リ ッ ク教 会である。『
ク リスチ ャ ン・
セ ンチ ュ リー
』の1961
年1
月4
日号で, リ チャー
ド・
コー
エ ン はこう
述べ て い る。近 年
…
プロ テ ス タン ト諸 教 会は,
キ リス ト教の安 息 日を護
る筆 頭 責 任 をロー
マ・
カ トリッ ク教 会に譲っ た よ
う
に見 える。・
…
カ ト リッ ク教 会が安 息日の新
た な擁 護 者となっ てい る。 〔ls> 政 教 分 離 と信 教 自 由とい う分 野の権 威の ひ とりレオ
・
プフ ェ フ ァ も 当 時 , こ の点 を 認 めて次の よう
に記
してい る。… ・
近 年になっ て , わ が国のロー
マ・
カ トリ ッ ク教 会の側には,
目曜 法に 関 する立場
の 上4
村 上 良 夫で顕
著
な変
化 が 見 ら れる。 これ は驚
くべ きことである。 なぜ な ら・
…
カ ト リッ クの教義
の中には, 米 国の 日曜
法
に規 定さ れてい る ような厳 格な遵守
を求め るものな ど何ひ とつ ないか らで ある。 にもか か わ ら
ず,
こ の教会
は日曜法
の緩和
に反対
しており・
…
〔19’
) 。 ア メ リカ の カ トリッ ク教 会に, そ う した目立っ た変 化 が 起 きたのは, なに ゆえであろうか。 教
皇
ピ ウス12
世に よ る「
日曜 日の聖 別 」の訴 え (1947
)が刺 激を与 えたの か も しれ ない 〔20〕。 しか し,特
に ア メ リ カ の場合,
「共 産 主義
と “ 世俗
主義
”
に対
する対抗
意 識が,
ロー
マ・
カ ト リッ クの指 導 者たちに, 休 日風の 日曜日 とい う古 くか らの “ 大 陸 的” 概 念 を捨て させ る に至っ た」
と見る ほう
が e21),
あ たっ てい る よう
に思わ れ る。 い ずれ に し て も米 国の ロー
マ・
カ ト リッ ク 教 会は,
1950
年 代,
そ れ までの“
大 陸 的安息
日”,
つ ま り聖日とい う よ り休
日と考
える よう
な ゆるやかな 見 方か ら,
厳 格 な 日曜 遵 守へ と,
顕 著に立 場 を 変 えるの で ある 。実
例 を見て み よう。1950
年代
か ら60
年代
初め に か け ての ニ ュー
ヨー
ク市
での“
日曜法
論争
”
は よ く知 ら れて い る (22] 。 同 市のロー
マ・
カ トリッ ク教 会 が, 日曜日の厳 格 な 遵守
を強 調 し, 土曜安息
日主義者
たちに対
する 日曜規制免
除に反 対 し たの で あ る。た とえ ば
1956
年3
月, ニ ュー
ヨー
ク 市の60
のカ ト リッ ク信 徒 団 体が, 日曜 遵 守 法の緩 和に反 対 して公 式 声 明 を 出 して い る。
・
…
日曜日の適切な 遵守に関 する現 在の法 律は ゆ る め ら れ るべ きでは ない と我々 は 主張する もの で ある。 この確 信は, 我々 の宗 教 的 信 念 と実 践に
,
わが 国の伝 統に, そ して,
提案さ れ てい る
変
更が 必然 的に引
き起こすで あ ろう
弊 害[
へ の懸
念1
に 基 づい てい る (23)。 同 年9
月, ス ペ ル マ ン枢 機 卿は, 日 曜 日の ビジネス が ま す ますひ どくなっ て きて い るこ と を非 難してい る。近
年 ,… ・
主の 日に ふ さわしい 平穏
で霊的な雰 囲気
が, 平日にわ け な くで きる はずの 買 物 や 商 売によっ て,
ますます 破ら れて きてい る。日曜日の商 業 化 とい うこ の陰 険で急 速に広が っ てい る害 悪の ゆえに
,私
は 大司教 区の全ての カ ト リック信 徒に お願い する。 日曜 日の遵 守に そむ くような ど ん な こ とも差 し控 えて
い た だ きたい 。 そ して
,
神の第三戒 を破
っ てい る人 た ち を あ な た が たの模範
によっ て助 けて あげて ほ しい C24)。
1958
年3
月, 大 司 教 区の カ トリッ ク信 徒 団体
調 整 委 員 会は, 日曜
日の さ ま ざ まなビ ジネスを禁
じ てい る州法
を修
正匚
緩 和]
す るこ とに反 対 する声
明を出し てい る。日曜日 は祈 りと礼 拝と休 息の 日である。
… ・
日曜
日の適 切な遵守
に関
する現
在の法律
はゆ る め らるべ きで ない と我々 は 主
張
するもの で ある 〔Zニ ュ
ー
ヨー
ク だけで なく, 米 国各
地で, 日曜日遵 守の「
最 も声 高 なスポー
ク スマ ン」,「
力 強 き擁護者」
は,
ロー
マ・
カ ト リッ ク教会
であっ た 〔Xl) 。こ の よ うに,
1950
年 代60
年 代の 日曜 法 論 争の背 景に は, 「諸 教 会, そ れ もロー
マ・
カ トリッ ク が ます
ます先
頭に 立っ ての」
キャ ンペー
ンがあっ た と言 える CZ7)。 し か し, それだ けでは な い 。 日曜 法 論 争 が 実 際に裁 判の形 を とる に至る には, 別の現実
的要
因が必 要であっ た。 そ れは 経 済 的 要 因である。B .
経 済 的 背景
あ
えて単 純化す
る な ら,1961年
に最高裁
判 決の出た 日曜 休 業法違
反事件
は, 経済
戦争
の産
物宗 教と法と経 済
一
米 国 日曜 法 訴 訟の一
考 察一
5
だ とい うことがで きる。経済競
争こそ が真
の原因だっ たの である。 どうい うこと か ?第
二次 大 戦後
, 都市化
とク ルマ 社 会 化が急 速に進むにつ れて, 米 国 社 会の暮ら し方に も買 物 の仕方
にも大
き な変化
が 生 じ て くる {2S)。最
も 目立っ た現象
の一
つ は,
ハ イウェ イ沿
い の デ ィ ス カ ウ ン トス トアあるい はスー
パー
マー
ケ ッ トの 出 現である (en) 。 『ビ ジネス・
ウ ィー
ク』
の1957
年
6
月8
日号は,「
ハ イ ウェ イの販売
業 者たち」の繁 盛ぶ りは,「
自動 車 と急 増 する郊 外 居住
入 口とが,
流通機構
に どん な に大
きな影響
を 及ぼ しつ つ ある か を証 明し てい る」
と報
じ てい る (U°1 。 ハ イウェ イ 沿い の小売
業者
たちに は,
有利
な 点 がい くつ もあっ た。
「増 え 続 ける[
郊外]
人口,
十 分な駐 車スペー
ス, 安い 土地 代。 こ れ らの利 点のお かげで , 彼ら は低コ ス トで営 業で きる。 だか ら彼
らの多
くは,低価格,店
頭現
金 販売,
そ し て大
量販売
である」 (
『ビジ ネス・
ウ ィー
ク』)〔31)。 こ う して,『
タ イム』の表 現 を借 りるな ら, 「人々が [都 心 部 か ら ] 郊 外へ と大 量脱 出し,
そ し て市街
地 か ら離れ た所に大 規 模な シ ョ ッ ピン グ セ ン ター
が増 える と共に,
家 族 たちは車で買 物に出るのが普
通になっ て きた」
の で ある [32} 。さて
,
こ こ で重要なこと がある。 それ は,
ハ イ ウェ イ沿
い の大 規 模 店ば
, 週 末の売 り上げが 大 きい とい うこと, つ ま り, 日曜
日こそ稼
ぎどきだ とい う事実
で ある。 当の販売業者
らによ れ ば,
一
週 間の売
り上 げの15
% か ら30
% が 日曜
日の もの であっ た (311 ) 。 な ぜ 日曜
日にそ れ ほ ど多
くの買 物 客が来るのか。 主婦の雇 用が増え た こ と が一
因では ない か と考え ら れ る t34) 。 主 婦た ち が平
日働
く と なると,
買 物は当 然 週末
になる。 か くて買 物 は日曜
日 に,
そ れ も家 族そ ろっ て 郊 外の安 売 り大 規 模 店へ,
すな わ ちハ イ ウェ イ沿い の シ ョ ッ ピン グセ ン ター
へ とい うこ とにな る の で ある C3i)。 お ま けに, ハ イウェ イ 沿い に位 置 する 新 興の シ ョ ッ ピン グセ ンター
は ,多
く の 場 合,
地方 条例の法
域外
に あ っ た し,
ま た古
色蒼 然と し た日 曜 法 規は,
日曜 日の 販 売 活 動を 州 規 模で効 果 的に規 制 するに は不 十 分であっ た {3%
こ う して人々 は 日曜日 に
,
車で郊 外に買 物に出る ようになる。
『ビ ジネス・
ウ ィー
ク』
が 指 摘す る と おり,
「日曜日の ド ラ イ ブ は買い 出しの小 旅 行と な り」,「
ハ イ ウェ イ沿
い の 商売
は 日 曜日商 売」 となっ た 〔37> 。ハ イ ウェ イ
沿
い の店
舗のめ ざま しい成
功を,他
の店
が黙っ て見てい る はず
は な かっ た。『
エ コ ノ ミ ス ト』の い うと お り,f
宗 教 的 反 対 と商 業 的 反 対の奇 妙 な 結 合を惹 起 」 するようになる。諸
教会
, そ れもロー
マ・
カ ト リッ ク が ます
ます先
頭 に 立 っ て, 「
主の 日の冒涜」
に反対
する キャ ン ペ
ー
ン を張る。 町 なかの商 人たちは競 争の危 機を感 じて, しば しば教 会の キャンペ
ー
ン に資
金援
助 をし, また効
果的
な 政治的
圧力
をか けて い る。日曜
営
業に対
するこ の宗
教 的かつ 商 業 的攻
撃は , い くつ かの地域
では 日曜安息法
の強 化となっ て, また他の とこ ろ では長い こと忘 れ られてい た
[
日曜]
法 規の 実 施となっ て現れて い る czz)。
i これ が
1961
年
日曜 法訴
訟の 真の背
景 で あっ た。 町の 中心街
にある店
と,郊外
の ハ イ ウェ イ 沿い の ショ ッ ピング セ ンター
(スー
パー
マー
ケッ ト)との経 済 競 争 が, 当 時の激 しい 日曜 休 業 法 争 訟をもた ら し たので あ る。当
時の法律家
も次の よう
に分 析 し てい る。町の小 売 業
者
は, も し自 分 もハ イウェ イの競 争 相 手 も共に 日曜
営 業 するな ら, 相 手の ほうがは る かに多 く売 り上げる と感 じて い る。 したがっ て, それ くらい なら む しろ
,
日曜 日に は
休業
しよう,
そ してハ イウェ イの店
も休業
させ よう,
と考
えてい る 〔39)。 こう
して町の小売
業 者たちは, 教 会と協 力 して, 新たな日曜 法を作る よう
に, あるい はもっ と6
村 上 良 夫 厳 格に実 施 する よう
にと, 当 局に強い圧 力を かけた わけである〔4°} 。『
ニ ュー
ヨー
ク・
タ イム ズ』 は1960
年
4
月26
日 の紙面
で,最高裁
が 日曜法
問 題を審
…理 し よう
とし てい る ことにつ いて次
の よ うにコ メ ン トする。近 年, こ の問 題
[
日曜法
の合 憲 性]
は激 しい 争 点 となっ てい る。 これは, 金物 や 家 具 や食
品や 衣類
を売
るハ イウェ イの店
が増 えた た めだ と見
ら れ る。 こう
し た店
は日曜日 がい ちば んの
書
き入れ時なの で ある。ハ イウェ イの
店
や その客
は 日曜の販売
規 制が緩和
さ れ る よう希
望してい るの に対
し , 町な かの 店のほうは 日曜 法 が もっ と厳 し く執 行 さ れる よう圧 力 を か けてい る “1) 。 こ れ が実 態で
あ
っ た。 そ し て同年
12
月,
最高
裁で の 口頭 弁 論に関し, 『
ビ ジ ネス・
ウィー
ク』 はこ う指 摘 する。最 高 裁における論 争は 主 として, 消 費 者の お 金を め ぐる新 しい競 争を反
映
し たもの で ある。 そ れは また
,
静か に過ごす宗
教 的 な日とい うよ り,
ゴルフ をした り,
泳い だ り,
野球場に行っ た りする日と し ての日曜 日とい う,
20
世 紀 半ばの多 くの ア メ リカ人の態 度と か かわっ てい る。 それ は また,
郊外
に住
む家族
の夫
の ほう
は平
日 に車
を使
い ,妻
の ほう
は日曜
を含む週 末に買 物を せ ね ば な ら ない とい うこと とも結びつ い てい る 〔42♪ 。 そ して この
記事
は, 「[
日曜
法 争 訟が]
宗 教 的 な 問題で ある こ とは間 違い ない が,今
回の大
きな 要因
は小売業者
間の競争」
であるこ と を認
め,彼
らの衝突
が「
論議
の 中で明確
な役割
を演
じて い る」 と断 言 する 〔a:1)。 実 際にどうであっ たの か,4
件の 中か ら2
件を選び, 具 体 的に検 証 し て み よう。C
.
具 体 的 状 況 (1) ッー
ガ イ ズ・
フ ロ ム・
ハ リソ ンー
ア レン タ ウン対マ ギ ン リー
事件
(
TWO
Guys
from
Harrison−Allentown
,∬nc v.
McGinley
)ッ
ー
ガイ ズ・
フ ロ ム・
ハ リソ ンー
ア レ ン タ ウン は大 規 模 チェー
ン店の一
つ で, ペ ン シ ルベ ニ ア州リー
ハ イ郡郊外
の ハ イ ウェ イ に位
置し てい た。 オー
プン し たのは1957
年
10
月。
最初 か ら週7
日間 営 業の方 針を発 表 し, 日曜の営 業 時 間は正 午か ら午 後10
時 まで で あっ た c4「1) 。 こ の店は, チェー
ン に属
する他
の店
と同様,
さま ざ まな商
品を低価格
で販売
し てい た。 土地代
が安 く,
し か も 人口密 集 地に比 較 的 近 く,4000
台 収 容の大 駐 車 場 を持 ち, 中 央 管 理 方 式の仕 入れ や保 管, コ ン ピュー
ター
に よ る在庫管
理,大
量販売,
広告
費は低 く押
さえ店内
の装 飾 も省
き,店員
はな るべ く減 らして セ ル フ・
サー
ビス方 式にする, 等々 のや り方で こう した薄 利多
売 が 可 能だっ た わけである。 “s}し か し, こ の よ
う
な 日曜営
業の郊 外 大 規 模デ ィ ス カ ウ ン ト・
ス トア の 出 現は , 当 然 なが ら, 既存
の 町 な かの 商店街
の敵
意 を引 き起こす。 さっ そ く同年
12
月3
日,
ア レ ン タ ウン の デパー
ト,
ヘ ス・
ブ ラザー
ズは新 聞に, お 客様の 便 宜の た め,
ク リスマ ス まで 日曜日午
後1
時より5
時 半 まで営 業い た し ます,
と発表
し た f4G)。 『ビジネス・
ウィー
ク 』 (1957
年
12
月21
日号)
が報 じ た と おり,
「攻撃
目標
は,言
わ ず と知 れ たッー
ガイズ・
フロ ム・
ハ リ ソン,
164
年前
か らの州の安
息 日法 を無 視 して 日曜 営 業を続 ける」 新参
の商 売 敵, であっ た。ヘ ス
社
は, 自
分た ちの行為
がッー
ガ イ ズ社の違
反にスポ ッ ト ラ イ ト を当て る こ と を , そし て 日
曜
営業
に対
する世 間の批判
を喚 起 すること を期待
したの で ある。 ア レ ン タ ウン の ほ宗 教と法と経 済 米 国日曜 法 訴 訟の
一
考 察一
7かの商
店
主たち も一
も う一
つ のデパー
ト,
ッ ォ リンガー一
ハー
ネッ ド社
も含
めて一
ヘ ス社と行 動を共にする。 しか し, その試 金 石となる最 初の 日曜日
12
月8
日がやっ て くる前に
,
郡の検事
は州法
の執行
を明 言 する。 こ の威 嚇一
ま さ しく町な かの店が求め てい たもの
一
のお か げでヘ ス社
も他
の店
も,
日曜
日はや はり休業
という方針
にも どる 〔47)。 日曜 法 を実 施 する と地 方 検 事 が 宣 言 する と, ヘ ス社はす ぐ新 しい広 告 を打っ た : 「ヘ ス・
ブ ラ ザー
ズは 日曜 日は休業
い た し ます 」「
日曜営
業を禁
ずる力 強い処 置ゆえに,検事
に脱 帽 !!」
。 そ し てこ う説 明する。数 日前, ヘ ス
・
ブラザー
ズ は 日曜 日に営 業 し ます と宣 言 して攻 撃を開 始 し ま した こ と は,我々 にと りまして きわ め て困 難な決 断で あ
り
ま し た。 我々 が求め たの は違 反が もっ と広 まる ことで し た
1
我々が求め たのは,一
般のか た が たの噴
慨で し た !そして行
動で し た !そしてその とお りにな
り
ました !鮒 この広 告はまた, もし日曜 営 業を今 食い 止めな け れば, 日曜日の商 売は瞬 く間に全 米に広まっ て,社
会的
な不名誉
となっ て しまう
だろう
と述べ るのである。さて, ッ
ー
ガ イズは どう した か 。12
月8
日も通 常 通 り営 業 し, 従っ て, 日曜 法が実 施さ れて 逮 捕者
が出るこ とになる。 そ し て,
これ が その後
も2
年
間にわ たっ て続
くの である c49 〕 。 日曜
営 業は儲か る仕 事であっ た。 ツー
ガ イ ズ は, 日曜に店を閉じ る よ り, 罰金 を払っ て も営 業を続 ける ほう
が利
益が 上 が っ たの で ある 〔弸 。 しか し, い ずれに せ よ決着
をつ けたい と判断
し たッー
ガ イ ズ は 上訴
するに至 る 。 か く して 日曜法訴訟
が本格
的に開始
さ れた わ けである。ッ
ー
ガイズの場 合を見て きたが一
そ してパ ター
ンとして はマ ガ ワ ン対メ リー
ラン ド州 事 件(
McGowan
v.
Maryiand
) も同 じなのであるが一
,経済競争
が直
接の原 因であっ たことは明 ら かであろう。 郊 外の新 興 安 売 り店 と,
既 存の街な かの 店との 間の経 済 戦 争におい て,
日 曜 営 業 に対
す る効果的 な 武 器と して 日曜 休 業 法が使われ たわ けである。 (2) ギャラ ガー
対ク ラウン・
コー
シ ャ・
スー
パー
マー
ケ ッ ト事 件(
Gallagher
v,
Croivn
Kosher
Super
Market
ofMassachusetts)
ク ラ ウ ン
・
コー
シヤ・
スー
パー
マー
ケ ッ トは, その4
人の株主 も役
員たちも 正統
派ユ ダ ヤ教徒
で あっ て,
正 統 派ユ ダヤ教の 多 数の 顧 客 を有 する会 社であっ た 〔5D 。 マ サチ ュー
セ ッ ッ 州ス プ リングフィー
ル ド に オー
プン し たの は1953
年
である (52)。 ユ ダ ヤ教の信仰
に従っ て 土曜
日 は休業
し,
日曜日 は営 業 してい た。 そ して 日曜日には週の全 売 り上 げの約三分の一
を商 っ て い た の である c53’ 。8
月の オー
プン 以来翌1954
年
5
月 まで は,
日 曜 休 業法
に違 反 し てい る に もか か わ らず 警察
当 局 とは何の トラ ブル も な かっ た。 ところが,1954
年5
月, 警 察 本 部 長 がマ サチ ュー
セ ッ ッ州 日曜 法 違 反のか どで,
店の 共 同 所 有 者 兼マ ネジャー
の 逮 捕を命 じ たの である (S4>。こ こ で
注
意しておか ね ばならない 重要
なことが ある。 そ れ は, 日曜 (
休業)法
は,積極
的に 実 施さ れ る という
場 合よりむ しろ, な ん ら かの理由で特に騒 ぎ立 て ら れ る よう
な事
態にな っ て はじめて執 行
さ れる場 合 が多
い,
とい う事
実である (55)。官
憲 としては なるべ くか かわ りた く ない の が,一
部の連 中 が 苦 情の申 し立て をした た めにや む な く取 り締 ま りに乗 り出 す という
場 合が,
実 際に は多
い の で あ る。 そ れ で は ク ラ ウン・
マー
ケ ッ トのマ ネ ジャー
が 逮捕
さ れたの は,
誰
が 日曜法
違 反 を 問 題に し訴 えたの で あろ うか。 そ れは町 じゅ うに散 在 して い る (コー
シ ャ を 扱 う) 小 さな肉 屋た ちであっ た CliG) 。 土 日休 業の週5
日制で営 業 し たい 彼らに とっ て,
日曜も8
村 上 良 夫営
業 する ク ラ ウン・
マー
ケ ッ トはきわ め て迷 惑な存在
であっ た。 お まけにこの新
しい,
大 きな ク ラ ウン・
コー
シ ャ・
スー
パー
マー
ケ ッ トは, い わゆ る ワンス トッ プ・
ス トア で, い ろい ろの 品 物 が まと めて買 える た め買 物 客には便 利で, そ れゆ えに他の店に とっ ては手ご わい 商 売 敵であ
っ た 15η 。 こ の よう
に,
ツー
ガイ ズの場合
と同様
,経済競争
が ク ラ ウン・
マー
ケ ッ ト事件
の 直 接の原 因で あっ た。 新興
スー
パー
マー
ケ ッ ト と 既存の店
との 間の経済
戦争
の 中で,
日曜休業
法
が武 器 と して用い ら れ たわけで ある。以 上, こ こ では
1961
年 日曜 法事
件の4
件の う ち2
件 を取 り上 げて, 日曜 法 争 訟の経 済 的 側 面 を 具体 的
に見
て き た。「
日曜安息
日法
は経済 闘争
に おける武
器と なっ てい る。 これ は この種
の 法 律の 制 定 者たち が 想 像 も し なか っ た こ とで あろう」 と , 『ラ トガー
ズ・
ロー ・
レビュー
』(
1958
年
秋 号 )の「
論
説」
でユー
ジン・
P
・
シェ ルが評 し た通 りである {58)。 裁 判 所は 日曜 休業
法にか か わるこ う し た経 済 的 現 実に は ほとん ど触 れ ない で きてい るが,
し か し 日曜 法が経 済
戦 争の 有 効な武 器 と し て用い ら れ て き た こと は明々 白々 で ある tSO }。 経 済 最 優 先の 時 代にあっ て は,本
来宗
教 目的で作
られた はずの 日曜 休業法
も経済
戦争
の武
器 と なる一
1961
年
の日曜法訴
訟は こ の事 実を如 実に示 す もの であっ た。 皿.
日曜 法
の経 済
学
こ こ で少 し角 度 を変 えて, 日曜 法と
経
済 活 動の関
連 を 消費者
一
販 売者
とい う観 点 か ら,
日曜法
訴 訟 当 時の資料
を中心 に,
一
般 的な構
図と して整理 し て み たい 。A
.
消 費 者 (購 買 者 )「
日曜日 の商売
は悪 循 環であっ て, こ れ を断ち切ること がで き るの は買 物 客自身
だ けであ る」
と,1954
年10
月の『
カ トリッ ク・
ダイジェ ス ト』 誌は述べ る tco〕 。『
ビ ジネス・
ウ ィー
ク』
(1957
年
6
月8
日号
) も,
「日曜日 の買 物の切 り札は消費者
自身」
と強調 する 16D。 日曜
営業
の 問題 は 結 局 「消 費 者 次 第 」 (同1961
年7
月29
日号 )だ とい うこ と は, すで に 日曜 法 訴 訟の こ ろ の基 本的認
識であっ たt6z 〕 。それで は, 消 費 者 自 身は 日曜 法を どう考 えるの か。
一
般 的には , 彼 ら は 日曜 規 制の廃 止に賛 成 だ と言 える。 すで にツー
ガイズ事件
の時
にも,店側
は,「
こ の 問題 に関す
る住民投票
を求
め て, こ の郡の住 民 何 千 人 もの署 名が寄せ ら れてい る」と述べ てい る。 また地 方 紙の編 集 者 も「
日曜 日 にッー
ガ イズで買物
をし た 人々 の数
を見
れ ば,彼
ら が 日曜営業
に賛成
してい る こ と は 明ら か だ」 と報 じてい る {“;i)。 日曜法訴
訟以降の もの で ある が,1966
年のある調査
に よ れば,店
が 日曜
に営
業 する主 な 理 由と し てあ げ られたの は,
「客
が要求
する から」
とい うの と , 「(他 店 との) 競 争の た め」という
もの であっ た 〔GS) 。 日曜 営 業 が 消費
者 (買 物 客 )に は利 点 が ある という
こ と は誰
にで も理解で きる。 買物
の機
会が増 えること はそれだ け便 利 だか らで ある {65} 。 さ らに,女性
の社会
進 出,
つ ま り共働
き家 庭の増 加
と共に,
土曜午後
と,
そし て特
に 日曜
日が 買 物には最 適の 日 となっ て きた tO「’
) 。1976
年5
月30
日付『
ニ ュー
ヨー
ク・
タイム ズ 』の「
日曜 安息法
の社
会学」
と題す
る記事
の中で,
イェ フデ ィ・
A
・
コー
エ ンは次
の よう
に論
じ てい る。多
くの 家 族に とっ て, 日曜日 は両 親と子
ど もたちと がい っ しょに衣 類等
を 買 うこ との で宗 教 と法 と経 済
一
米 国日曜 法 訴 訟の一
考察一
9
きる唯
一
の 日であ り, そ う した遠 出は家 族の一
体 感 を 強め る もの となる。 家 族 生 活の質が大 き く問わ れてい る この 時 代にあっ て , これ は
き
わめ て重 要なこ と だ (6T] 。買 物の機
会
が増 えること,家族
そ ろっ ての買物
がで きる こ と,
とい っ た理 由に加
えて,
も う ひとつ ,消費者
にとっ て 日曜 営 業の大き な利 点がある。 ツー
ガ イ ズ・
チ ェー
ン店の会 長はい み じくも
こう表
現してい る ;「
買物
は レク リエー
シ ョ ン です
。 買物
の時
の奥
さ んの楽
しそう
な よ うす を 見て ごらんなさい 」(ca’。 言い 得て妙である。 買 物は,
特に車で 出 か けて大 き な 店でい ろ い ろな 品物を探 し, 選び, 購 入 すること は, 現 代の娯 楽であ り気
晴らしで あ り, レジ ャー
の一
形態
なの であ る。 『タ イム』
の1956
年
10
月22
日号
は,
オハ イ オ州ク リー
ブ ラン ドの あ る主 婦の 感 想 を紹介
してい る ;「
日曜日 に遅 く起 きて きて,
子どもたちに ゆっ く り朝 食 をとらせて か ら 買 物に行 くの は楽 し みで す。 共 進 会の お祭
りに行く み たい です」
t69) 。この よ
う
に,
一
般に消費者 (
購
買者,
買 物客
) は,
日曜法
に よ る規 制の廃
止,
す なわ ち日曜 営 業の 自 由 を望 む 傾 向 が ある と言 える。 自給 自足 なら ぬ現 代 産 業 社 会に あっ てはすべ て の 入が消
費 者という
面 を持
つ 。 た だし, そ れ ではすべ ての 人 が 日曜法廃
止に賛
成か と言 えば そ うで も ない 。 交 通 渋 滞や混 雑 を 嫌 う 人 もい れば, や は り日曜日 は休 息の 日であるべ きだ とする人たち もい る v°}。前
記の1966
年
の 調査で は, 日曜休業
を支持
する主な 理 由は, 「宗
教 的 主張
と, 休み の 日の必 要 性 」とい うもの で あっ た (T]) 。 こう
し た さ まざま な意 見は あ る もの の , 消 費 者 とい う立 場 か ら見た場 合,
日曜 法は明 らかに支 持 さ れに く くなっ て きてい る と言い うるであろう。B .
販 売 者で は 販
売
する 側,
小売
業 者は ど うか。 雇 用者
(経
営 者 ) を中心に, 被 雇用 者 (従 業 員 )に も 触れな が ら考 えてみ よう。(1) 雇 用 者 (店の経 営 者 )
薄 利
多売
を方針
とする ディス カウン ト・
ス トアや スー
パー
マー
ケ ッ トが,
家 族つれの 客 が 多 く見 込め る日曜 営 業を望む こ と, つ まり 日曜 法の廃
止を望む こ とは言う
まで もない 。しか し その他の店 は
,
一
般に,
日曜 営 業に は反 対の傾 向 が 強い 。 主の 日連 盟に よる1956
年の 報 告で は,「
米 国の商 店主の95
% が 日曜 営 業に反 対 」で あっ た u2} 。 『ニ ュー
ズ ウィー
ク』ig62
年6
月18
日号
は,
日曜
日の販 売に関 す るE ・B ・
ヴァ イス (ニ ュー
ヨー
ク の ドイル・
デー
ン・
バー
バ ック広告 代理店 副 社 長)
の調査 を紹介
し てい る 。ヴァ イスに よれば, 日曜日の商 売に対 する組 織 的 な 反 対は今日, 聖 職 者たち か らの もの
では ない 。 そ うでは な くて
,多
くの 商 店主 自身
か らの もの で あ る。彼
らは宗
教や道 徳 を気
に して い る の で はな く, た だ無
秩
序な競 争を恐れて い る の で ある。 シ カ ゴ の ス テー
ト・
スト リ
ー
トの店
主が言
う とおり,
「み んな 閉じ るか,
み んな開
ける か,
その どっ ちかです。
単 純 なことです 」t「3}。 シェ ルは このこ と を, 車の販
売
業者
たち を例にあ げて説 明す
る。彼
ら は一
般
に 日曜
日 は休 業
す ること を 望ん でい る の である。これは, 市 街 地で営 業 活 動 するディ
ー
ラー
た ちは, ハ イ ウェ イ沿
い の ディー
ラー
たちが 日曜日に
営
業 するの に は到底
太 刀打
ちで きない ため である。 つ ま り,今
ど きの一
般 大 衆 は,
買物
に出 か けるこ とと ドライブの楽 しみ とを 結びつ ける傾 向 が あっ て, 従っ て 日曜 日の 買物 とい うと たい てい ハ イ ウェ イ 上で の こ とにな る。 C74)
10 村 上 良 夫 か く して 車の デ ィ
ー
ラー
たちの圧 力のゆ えに, い くつ かの 州で は, 日曜 日には車の販 売を禁 止 する という
特 別な法律
が成
立す
る ことに な るわ けであ
る c7s)。競
争に対 抗 する た め 日曜日に営 業せざ
る をえ
ない店 も も ちろ んあるが,多
くの小 売 業 者は, 特に比 較 的 小 さ な商 店の経営
者は,
一
般
に 日曜 休業法
を支持す
る傾向
が あ る 。 主な 理由
は 二つあ
る。一
つ は, よ り大規模
で効率
的 な店
との競
争 を恐 れ る か らであ り, い ま一
つ は, 人 手 不 足 とい うことで ある 17η。 第一
の 理 由につ い て はすで に見て きた と お りで ある が, 第二 の理 由はつ ま り,大
規模店
ほ どには 入員
に余裕
の ない店
は, 日曜
日に働 く従業員
のやり
くり
に苦労
する とい う事 実で ある 〔7%
以 上
見
て き た ところ か ら,
日曜法
と小売業者 (
店
の経
営者)
につ い ては,
少 な くとも次の2
点 が 明 らかであろう一
買 物の機 会 が 増え
る こ と を (つ ま り 日曜 法の廃 止を) 消 費 者は強 く望 んで い る という事
実は,
どの業者
も認 め てい るこ と,
し か し,
日曜法
に対
する態 度 は店
の種
類 や規 模,
立 地 条 件に よっ て差 が ある ということ , である 〔T9) 。被 雇 用 者
(
従 業 員)
そ れで は被 雇 用 者 (店の従 業 員 )は, 日 曜 法を どう見て い るのか。 この あた りの具 体 的な資 料は
少
ない が,
現代
の 日曜法
を 総合的
に考察
したラバ ン ドとハ インバ ッハ に よ れば(
1987
)
, 従 業 員たちは 日曜 日の勤 務を強い ら れ るこ と を恐れ て 日曜 法 廃 止に は反 対の傾 向が強い という
。 日曜法
の廃
止が 日曜
出勤の 強 制につ ながる こ と は当 然考
え ら れ る。 それ ゆ え, 日曜 休 業 法 を廃
止し よう
としてい る州の ほ とん どが,
その廃
止法案
の中
に,
日曜
日に働
きた くない者
に対
して仕 事 と身 分を保 証 する一
節を含めてい る ほ どである [s°} 。 経 済 状 況や雇 用 状 況, そして個 人的事情
に左右
さ れ るこ とは も ちろん であるが,
一
般 的に は現 代の従 業 員は,
日曜日の超 過 勤 務 手 当よ りも自 由な 日曜 日の ほ うを好むの で は ない か と見ら れ てい る。以 上
,
消 費 者 と 販売
者の 両面 か ら,
日曜法
の 経済学
を概観
してみ た。 現代
にあっ て は 日曜
法 は, 宗 教や道 徳.
よりも経 済という
観 点か ら論 議の的と な る。宗
教 的な色彩
の濃い法律
とい えど も,時代
の波
の 中で その性 格 を 変 えるの で ある。な お
,
付 け 加 える な らば,
イ ギ リス で は1993
年末
に 日曜営業
の規 制緩和
が 可決
さ れ てい る が,
一
般 大衆 [
消費
者1
]
の多
くが日曜 営 業 を 支 持 する中で , 反 対 運 動を展 開 したのは英 国 国教 会 の信 徒 や 零 細 小売
店主 たちの組 織であ り,
ま た,
日曜 出勤
を拒否す
る店員
が不利
益 を被
らぬ よ うにする こ とが 問 題 点の一
つ で あっ た とい う{Sl)。 日曜 法の経 済 学は イ ギ リス に も あて はまる ようで ある。お わ
り に法
とい う もの はすべ て , 社 会 状 況の反 映 とい う面を持つ と言 える。 日曜法
は も ともと は宗
教 のた めの法
として制定
さ れた。 そ れ が,産業化
と世俗化
の時代
にあっ て は,
違っ た 意味
を持
つ もの と なっ て きた。 日曜 法 訴 訟の こ ろ米 国 消 費 者 運 動の若 き旗 手ラ ル フ・
ネ イダー
が,「
元 来 は教 会 出 席 を強 要 し, 聖 日の冒 涜を防 ぐた めに考 えら れ た 日 曜安息法
が,種
々雑多
な世俗
的 目 的を達す る た め に利 用さ れ てきた」
と指摘
した とお りである ts2)。特
に,
激 しい経
済競
争とい宗教と法と経済
一
米 国日曜 法訴訟の一
考察一
11
う状 況の もとで , 日曜 法は商 売 敵に打 撃を与え る重 要な武 器と して使わ れて きた。1961
年の 日 曜法事
件はそれ を如
実に示す も
の であ
っ た 。日曜
法
は そ れ で は,
どう
なっ てい くであろうか。 日曜 法判決
か ら四半 世紀
の 時 点で碩学
プフ ェ ファ はこ う述べ てい る。最
高裁
の判決
か ら今
日[
1980
年代半
ば]
まで の間
に,
日曜休業法
は米
国の ほ ぼ全 土で終
焉 を迎 えて きた。
[
違 憲とい うよう な]
最 高 裁 判 決 が 下っ た わ けで も な けれ ば, 主の 日連盟 や 他の キ リス ト教 団
体
が泣 き寝
入 り して し まっ た わけで もない 。 ただ,米
国の資
本 主義
は
,
人々 が金 を使
うこ とを許 され ない よう な日とい う もの を容
認で き なか っ たか ら だ。 日曜 法は今日
,
廃 止 さ れて いない地 域におい て も, 実 際上 は ほ ぼ死 文 法となっ て い る c83) 。 この観察
は妥
当と言 えよう
。 ア メ リ カ経 済史
の ア ラ ン・
ラ ウヒ ャー
も最 近の論文 (
1994
)
の 中 で,多
元 的 共 存 社 会の進行
とい う背 景 もあるがや は りなに より も ま ず 経 済 的 利 害の ゆえに,
日 曜 休 業 法は死 滅 するであろう
と予 測 し てい る (84}。 ただ,
それ で は 日曜法
論 議は完全 に決着
が つ い たのか,経済
の さ ら なる進 展 と共に消 滅 するだ け なのか, と言 えば, 少々疑 問が残る の で ある。 経 済 的 利 得と便 利 さが最 優 先の 現 代である が, それ が際 限な く続
くか どう
か は誰にも予 測できない か らである。 日曜 法 判決
の頃, ある メ ソ ジス ト派 牧 師は『
ニ ュー
ズウ ィー
ク』で こ う述べ て い た。 「日曜
日 を取
り去っ て しま う なら,
完 全に 世俗
的で物質
主義
的 な 国へ と 限 り な く近づい てし ま うこ とにな りま す。 そこで は人々は快 楽 や 儲 け や 私 利 私 欲し か頭にな くな る こ とで しょ う至
余 りに 世俗 化が進ん で,
こうし た懸 念ど お りの 社 会になっ て くると,
今 度は その反 動と して逆に宗 教へ の関 心が再び高
まっ て くるこ とも あ りう
るので は ない か。 その 中で 日曜 法が息 を 吹 き返 す 場 合 も考 え られるし, あるい は, 経 済 競 争 と 日曜 法 が 結びつ い た ように ,今
度は福祉
や資
源・
環 境 問題 と日 曜法
が結びつ く可能性
さえ あるか もし れ ない (SB)。今後
の米
国 社 会の展 開と共に 日曜 法は どの よう
な経 過を た ど るのか, 興味
深い とこ ろ である。 註(1)David N
.
Laband and DebQrah H.
Heinbuch,
Blue Laws : The Hisory,
Economics,
and Potitics ofSunday−
Cjosing Laws (Lexington
,
Mass.
:D.
C,
Hea
[h
&Co.
,
1987
),
39−41
等 参照。
邦 語の もの では,
瀧 澤 信 彦 『国家と宗教の分 離ア メ リ カ に お け る政 教分離の法理 の形成』(早 稲田大 学 出版 部
,
1985年 ), 37−
84頁が参 考にな る。 W・
マ
ー
ネル,
野村 文子訳 「信 教の自 由とア メ リ カー
合 衆 国 憲 法 修正一
条・
十四条の相剋』 (新 教出 版社,
1987
年)、
239−241
頁 も参照。
な お,
本 件の弁 論 は1960
年12
月 に 行 なわ れ, 判 決 が 出た の は1961
年5
月である。
(2)それぞtt McGo ,van v
.
Maryland,
366
U.
S.
420(1961);Two Guys frotn Harrison−
Alientown,
lnc.
v.
McGin/ey,
366 U,
S
.
582
(1961)と、 Braunfeld v.
Brown,
366
U,
S.
599
(1961);Gallagher v.
Crown KosherSuper
Market
of
Massachusetts
366
U.
S.61
ア(1961
)と である。
(3>Soon Hing v
.
Cro;vley,
113 U,
S.
703
〔1885).
カ リフ ォルニ ア で洗 濯 店を営んでい た中国人 が 日曜に営 業した と し て有 罪判 決を受け た た め,
同 州の 日曜 法の違 憲 性を訴え た事件である。 A.
P、
Stokes and Leo Pfeffer,
Church
andState in the Unjted States rev
.
ed.
(New York:Harper&Row,
1964
},
501
;Laband and Heinbuch,
39
等参 照。
(4) Tima
220ctober
1956
,
98
;Business Week,
29Ju
ユyl961,
80.
(5)Robert T
.
Miller,
“
The Courl of the States as Delineators of the Boundaries between Chur’
ch and State,
”
亅ames E.
Wood
,
亅r.
E.
Bruce Thompson,
and RQbert T.
Miller,
Church and5tate inScri
ρture,
History,
andConstitutionat
乙aw(Waco
,
Texas
:Bay]orUniversity
Press,
1958
),
111.
(6)Hiley H
.
Ward,
SI)ace−
Age Sunday(New York;The Macmi]]an Co.
,
1960),
3.
(7)366U
.
S.
423.
585
,
601,
618.
(