知的障害養護学校教育課程における教科の位置づけ : 都立青鳥養護学校に注目して
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(2) 目 次. 序章 問題の所在と研究の目的 ・・・・・・・・・… 1 第1節 知的障害養護学校の教育課程編成 ・・・・・… 1 (1)教育課程編成の法的根拠. (2)知的障害教育の分野における領域の変遷. (3)合わせた指導について (4)教育課程をめぐる議論 (5)教育課程を編成する視点 (6)問題と目的. 第2節 青鳥養護学校の教育課程の変遷と先行研究 ・… 10 (1)青鳥養護学校に注目する意義. (2)青鳥養護学校に関する先行研究 (3)青鳥養護学校略年表. 第1章. 知的障害教育における中等教育の黎明期 … 16 昭和22(1947)年度∼昭和25(1950)年度. 第1節 大崎中学校分教場の開設まで (1)戦後初期の特殊学級における. ● o ● o o ● o. … 16. 「水増し教育」. (2)大崎中学校分教場の開設 第2節 「水増し教育」的な教科指導 ・・・・・・・… 18. (1)「生活と生産」を重視した教育方針. (2)初年度の教育内容 (3)「水増し教育」の限界.
(3) (4)その他の教科指導の例. (5)初年度の反省. 第3節 作業学習の強化と教科学習の軽視 ・・・・・… 23 (1)農耕的な作業の拡大 (2)「現実度」の高い学校生活の設定. (3)教科学習軽視 (4)三木・杉田の学力観 (5)卒業後の進路と教育目標. 第4節 教科の細分化と生活に即した指導 ・・・・・… 29. (1)教科を細分化した教育課程編成 (2)生活を重視した教育内容の選択・整理 第5節 まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・… 34. 第2章. 総合単元学習に統合化された教科 ・・・… 36 昭和26(1951)年度∼昭和33(1958)年度. 第1節 総合単元学習へと移行する背景 ・・・・・・… 36. (1)教育目標の明確化 (2)総合単元学習の設定. 第2節 「バザー単元」 ・・・・・・・・・・・・・… 37. (1)概要 (2)ねらい. (3)指導計画 (4)学級編成.
(4) (5)rバザー単元」における教科内容. 第3節 rバザー単元」の廃止 ・・・・・・・・・・… 45 (1)「バザー単元」のマンネリ化. (2)小宮山倭の教育観の変化. 第4節 生活主義教育批判 ・・・・・・・・・・・・… 46. (1)生活単元学習に対する批判 (2)知的障害教育の一般性と独自性 (3)教科による教育課程編成の意図 第5節 まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・… 50. 第3章. 教科による教育課程の編成 ・・・・・・・… 53 昭和34(1959)年度∼昭和40(1965)年度. 第1節 教科による教育課程編成の概要. 。 ・ ・ ・ ・ … 953. (1)各教科・科目の時間配当. (2)職業教育を重視した教育方針. (3)各教科の指導目標 (4)各教科の内容 第2節 各教科の目標と内容 ・・・・・・・・・・・… 55. (1)国語 (2)数学 (3)社会 第3節 まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・… 959.
(5) 終章 教育課程における生活と教科 ・・・・・・… 62. 引用・参考文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・… 66. 謝辞.
(6) 序章 問題の所在と研究の目的. 第1節 知的障害養護学校の教育課程編成 (1)教育課程編成の法的根拠. 教育課程とは、教育目的・目標を達成するために教育内容を体系 的に習得していくよう計画されたものである。通常学校における教 育課程は各教科を中心にして編成することが一般的であるが、知的 障害養護学校は、それとは大きく異なる場合が多い。つまり、日常 生活の指導や生活単元学習等を大きく位置づけた教育課程のほうが 一般的である。. このような通常学校と知的障害養護学校における教育課程編成の. 違いは、法的にはどのように定められているのか。知的障害養護学 校の教育課程編成に関する法的根拠を確認する。. まず、教育基本法には教育の目的が、学校教育法においては教育 目標が示されている。具体的には、学校教育法第18条で小学校の教. 育目標が、第36条で中学校の教育目標が定められている。しかし、 「特殊教育諸学校」の教育目標については学校教育法に規定されて. いないため、小学部においては小学校の教育目標、中学部において は中学校の教育目標を達成するよう学習指導要領において示されて いる。. そして、学校教育法施行規則及び学習指導要領には、教育課程編 成の子細が述べられている。つまり、小学校の教育課程は学校教育. 法施行規則第24条において、中学校は第53条において、そして特 殊教育諸学校については第73条の7∼9に小学部、中学部、高等部 の教育課程編成について定めている。例えば、中学部の教育課程は、. r盲学校、聾学校および養護学校の中学部の教育課程は、必修教科、. 選択教科、道徳、特別活動、自立活動及び総合的な学習の時問によ って編成するものとする。」(学校教育法施行規則第73条の8第1項). 1.
(7) とされている。. また、必修教科とは、学校教育法施行規則第73条の8第3項に「養. 護学校の中学部にあっては、知的障害者を教育する場合は国語、社 会、数学、理科、音楽、美術、保健体育及び職業・家庭の各教科」. と示されている。よって、外国語以外の各教科の内容は、知的障害 養護学校においても、原則として必ず取り扱われなければならない。. さらに、学校教育法施行規則第73条の10において、盲、聾、養 護学校の教育課程については幼稚部教育要領および小・中・高等部 学習指導要領によらなければならないとされている。. 以上のような法的な根拠によって、知的障害養護学校の教育課程 編成は通常学校とは異なる独自の編成がなされるものである。また、. 知的障害養護学校の教育課程編成を理解するためには、知的障害教. 育におけるr領域」の捉え方に注目する必要がある。このr領域」 という語に関して次に述べる。. (2)知的障害教育の分野における領域の変遷 知的障害教育の分野において、「領域」に関しては様々に提案され てきた。例えば、昭和34(1959)年に文部省が主催した「精神薄弱 教育指導者講座」において、①生活領域、②健康領域、③情操領域、. ④生産領域、言語領域、⑥数量領域の6領域として教育課程が考案 された。. また、昭和38(1963)年の最初の知的障害養護学校の学習指導要 領「養護学校小学部・中学部学習指導要領精神薄弱教育編」では、 小・中学校と同様に「各教科」r道徳」r特別教育活動」「学校行事等」. の4領域で教育課程を編成することになった。 昭和46(1971)年のr養護学校(精神薄弱教育)小学部・中学部 学習指導要領」ではr各教科」「道徳」r特別活動」に「養護・訓練」 が加わり、4領域で編成することとなった。. その後、平成11(1999)年に学習指導要領が改訂された際に、r養. 2.
(8) 護・訓練」が「自立活動」として再編成された。従って、現在は、「各. 教科」「道徳」r特別活動」「自立活動」の4領域によって教育課程を 編成することが基本となっている。. 通常学校においては、このような領域別に指導計画が立案される ことが一般的である。しかし、知的障害養護学校においては、領域. や教科をそれぞれ個別に捉えて、領域別指導及び教科別の指導を行 うことが困難である場合が少なくない。そこで、領域や教科を合わ せた指導について理解を深め、指導計画を立案しなければならない。 次に、合わせた指導について述べることとする。. (3)合わせた指導について 先に法的な根拠を示して、外国語以外の各教科の内容は、知的障 害養護学校においても、原則として必ず取り扱われなければならな いことを述べたが、知的障害教育においては児童生徒の障害の状態 によって、各教科別に指導を行うことが困難である場合が少なくな い。. そのような場合には、各教科、領域の内容を統合的に取り扱うほ. うが適切であるとされ、学校教育法施行規則第73条の11第2項に は、「特に必要があるときは、各教科、道徳、特別活動及び自立活動. の全部又は一部について、合わせて授業を行うことができる。」と示 されている。. ここに示されている、いわゆる領域を合わせた授業は、r盲学校、 聾学校及び養護学校学習指導要領(平成11年3月)解説一各教科、道. 徳及び特別活動編一」において、r領域・教科を合わせた指導」とし て示され、一般に知的発達の状態が未分化であれば、領域・教科を. 合わせた指導の必要性が高くなり、知的機能の分化の程度が高くな るに従って各教科等別に指導できるとされている。領域・教科を合. わせた指導の例としては、日常生活の指導、遊びの指導、生活単元. 学習、作業学習等があり、現在これらは、多くの知的障害養護学校. 3.
(9) において教育課程の中心に位置づけられている。. この領域・教科を合わせた指導は、戦後、生活主義教育に基盤を. 置くことによって発展してきたものである。それに対して、知的障 害教育における教科は、生活主義教育の立場から忌避的に取り扱わ れることが多かった。そのため、わが国の戦後の知的障害教育史に おける最も大きな論争点は、いわゆるr生活か教科か」、というもの であった。. そこで次に、わが国の知的障害教育史における生活主義教育と教 科主義教育の論争を整理する。. (4)教育課程をめぐる議論. 教育課程をめぐる議論を整理するためには、戦後初期に立ち返ら なければならないだろう。. 戦後初期の知的障害児の教育課程は、特殊学級を中心に模索が始 まった。「バザー単元」「学校工場方式」と呼ばれたカリキュラムで. は、生活に直結し、社会的適応を目指す教育目標が掲げられた。こ. の時期の教育課程は、職業生活に適応する技能を徹底して指導する という「生活主義教育」に貫かれていた。子どもの経験や間違い、. 失敗を含んだ問題解決を大切にする経験主義教育とは異なる原理に. 立つ実践が展開された。学習指導要領では、通常の教育のように教 科や領域別に区分した指導だけではなく、領域と教科を合わせた指 導も可能だとして教育課程は二重の構造を持つとされた。今日でも 知的障害養護学校の教育課程は下図のような二重構造で示されるこ とが多い(湯浅,2001)。. 教科・領域を合わせた指導を重視する立場として、生活主義教育 があり、教科別・領域別の指導を重視する立場として、教科主義教 育がある。. 4.
(10) 教科・領域を合わせた指導. 教科別・領域別の指導. 作業学習. 生活単元学習. 遊びの指導. 日常生活の指導. 領域別指導. 教科別指導. 出典: 湯浅恭正(2001). 生活主義教育の性格は時代によって多少異なるが、実際的な生活 を大切にし、教育目的、内容、方法が、生活に基づいたものである ことが、その特徴であるといえるだろう。. 生活主義教育の中心人物としては、小出進があげられる。この教 育の発展、推進に努めてきた小出(1993)は、生活主義教育を「生. 活のための、生活による、生活の教育」であると述べ、特に「生活 の教育」を重視しなければならないと強調している。つまり、生活. 主義教育における学校生活は、教科の内容を生活に密着させて指導 するような手段ではないとしており、学校生活そのものの向上を目 的とした点に、生活主義教育の特色があるとした。. 一方、知的障害教育における教科教育は、戦後当初、教科別の指 導で当該学年教科の内容を薄めて易しくし、進度を遅らせて指導す るという、いわゆる「水増し教育」が行われていた。「水増し教育」 とは、戦後の食糧難の時代に、醤油屋が醤油を水増しして売ってい. たことの比喩として、例えば小学校低学年の内容を、3年間分、6年 間分に水増しして進めようとするような教育に対して、批判を込め て「水増し」と呼称したものである。. 5.
(11) 教科主義教育が批判される際には、特にこの「水増し教育」の問. 題点を指摘して批判している場合が多い。小出(1972)は、知的障 害教育における教科別学習に対する批判を以下の七点にまとめてい る。. ①読み、書き、算数のような学習をするうえで大きな限界が予 想される知的内容が、必要以上に多く扱われやすく、反面、. 学習の可能性の大きいと思われる情緒的・社会的発達に関す る内容が十分扱われない。. ② 実生活とのかかわりの薄い装飾的知識が網羅的に与えられ、 実生活に必要不可欠な実用的内容が十分扱われない。. ③ 各教科の並列的・孤立的指導で、実生活に適用しがたい断片 的知識が与えられる。. ④教科書に依存した、言語により教え授ける指導が多くなり、 直接的経験や実際的活動を通じての指導がなされない。 ⑤ 教師の統制・支配する指導が多くなり、子どもの主体的・能 動的活動、子供同士の協同的な活動が制約される。. ⑥ 画一的な一斉指導がなされやすく、子どもの障害・能力・性 格などの個人差が軽視される。. ⑦事前に選択・組織されている教材を教え授ける指導が多くな り、子どもの現在的な興味・要求・問題意識などが軽視され る。. 以上の小出の指摘は、知的内容よりも生活に密着した内容を重視 しなければならないこと、普通教育における教科指導をそのまま取 り入れることについての問題点を指摘している。確かに、①∼⑦で. 指摘されているように、教科指導における教育内容の精選と指導方 法の工夫については、実際に教科指導を行う際に十分に留意されな ければならない点である。しかし、これらの批判が知的障害教育に. おける「教科」そのものへの批判として正鵠を射ているといえるだ. 6.
(12) ろうか。. 例えば①と②では、知的障害教育において教科教育を行う場合に は、知的な内容が多く取り上げられ、偏りが生じやすいと指摘して. いる。だが、特に近年における教科主義教育は、発達科学の成果を 基にして教育課程全体の中に教科の位置づけを探るという立場をと. っており、そこでは従来の教科の枠組みを広げようというr広義の 教科」が論じられている(大久保,1999)。よって、教科教育の実践. が、必ずしも知的内容に偏るものであるとはいえない。教育の目的 が子どもの人格の調和の取れた発達であるならば、知的な内容を軽 視してはならないだろう。. つまり、教科主義教育は、教育の一般性・普遍性を指向すると共 に、教育内容の系統性・発展性を強調するものであることから、い わゆる「水増し教育」や「詰め込み教育」といったものとは異なる。. よって、①と同様に②∼⑦の批判も、知的障害教育における教科そ のものを否定することはできない。. 戦後の知的障害教育は、教科教育を否定した生活主義教育に基盤 を置いて発展してきたことから、生活主義教育にもいくつか課題が ある。例えば、障害による学習の困難さに着目することによって、. 子どもの発達可能性について極めて限定的な捉え方をしやすい。そ して、教科の内容を「装飾的知識」として軽視してしまうことが過. 去の実践で多く見られた。これらの問題も改めて検討されなければ ならない。. その後、現在に至っては、知的障害教育における児童生徒の発達 と、知的な教授の可能性をめぐって、教科教育の否定論ないし消極. 論、それに対する批判としての教科教育の強調と発達の可能性を追 求する論となって、議論が続けられている。 しかし、荒川(1997)は、r『生活か教科か』というのは、これま で障害児教育における大きな論争点の1つであったが、そもそもこ の両者を対立させて考えるのは、正しいとはいえない。」と述べてお. り、知的障害教育における生活と教科の新たな関係性を明らかにす. 7.
(13) ることが求められているといえる。. 以上のことを踏まえた上で、教育課程を編成するにあたって、い くつか視点をあげる。. (5)教育課程を編成する視点. 平田・大城(2001)は、知手的生涯養護学校における教育目標等 は昭和37年度版学習指導要領の具体目標をひも解きながら設定して いくことが重要であると指摘している。この指摘にもあるとおり、. わが国の知的障害教育は、独自の発展をとげており、教育目標や領 域の編成や教科内容、指導方法について、過去の実践から学ぶべき ことが多いといえる。. また、玉村(1997)は、障害児教育実践の課題として以下の点を あげている。. ・障害児教育実践の構造的把握 ・教科概念とその位置づけ(発達的教科論). ・障害児教育における学力の問題 ・生活指導論. ・遊びの位置づけ. ・教材・教具論 ・集団論. 玉村は、教育の一般性の視点に立ち、発達に資する教科の設定を 提起した。つまり、生活と教科との関連性を構造的に把握すること が求められているといえるだろう。. また、障害者問題研究において、シリーズ「教育実践にかかわる. 理論的問題一教科論」が設定され、実践現場の教師と研究者がそれ ぞれの教科の位置づけをめぐって論を展開した。大久保(1999)は、. 8.
(14) シリーズのまとめとして、「知的障害教育における教育課程の領域編 成とその展開(試案)」を示した。. それによると発達年齢が1歳6ヶ月以降に教科を設定し、基本的 には発達年齢が1歳6ヶ月に満たない子どもに対しては、教科を設 定していない。そのため、生活を中心にした教育課程から教科を設 定する際には、様々な留意点があると思われる。生活的な指導から 教科別の指導へと変化・発展させていくときに、そこに教育内容の 断絶があってはならないし、連続性・系統性を保持しなければなら. ない。また、教科指導と合わせた指導、生活指導の関連を常に意識 しなければならない。. .よって、ここであげた三者の論から、知的障害養護学校における. 教育課程編成の視点としては、①戦後の実践を総括した目標の設定、 内容の精選、指導方法の工夫。②子どもの発達に視点をおいた指導。. ③生活と教科との関連性を明らかにした教育課程編成。これらが視 点としてあげられる。. (6)問題と目的. 今日、養護学校が発展し、量的に拡大するにつれて、児童生徒の 障害の重度・重複化が進み、現在、多くの知的障害養護学校が、領. 域・教科を合わせた指導を教育課程の中心に位置づけている。しか し、領域・教科を合わせた指導の基盤となる生活主義教育は、児童. 生徒の生活そのものの向上を目指すものであることから、一定の形 式をとらず、本来教育内容を明確に示すことはできない性格のもの である。そのため、内容が混沌として一回一回の授業のねらいが不. 明瞭になりやすく、系統性、発展性のある指導を行うことが困難で ある場合が多い。. このような問題に対して、学習指導要領は、児童生徒の人間形成 に必要な知識や能力を示し、一定の教育の質を保証するものであり、. 9.
(15) 教科はそれらを系統的・組織的に配列したものである。. この観点から見て、生活主義教育だけで児童生徒の二一ズを満た すことができるかどうかが問題である。発達段階に即した教科指導 の必要性や、生活との関連について十分に検討を重ねなければなら ないだろう。. 玉村(1997)は、教科を人類文化の蓄積として捉え、人間の普遍 的な発達のために、教科の科学性・系統性は、知的障害教育におい. ても必要であることを強調した。また、大久保(1998)も、普通教 育とは異なるにしても、知的障害教育における教科は存在するし、. 知的な陶冶のためには教科の指導が必要であるとしている。両者の. 論に共通するのは、教科をより普遍的な意味合いで捉え、教育の一 般性を強調している点である。. 以上のことから、知的障害養護学校において教育課程を編成する 場合には、領域・教科を合わせた指導を教育課程の中心に位置づけ て学校生活全体の教育活動を組織する場合においても、系統性、発. 展性を常に意識して、生活や授業を児童生徒に提供することが重要 であり、それには、生活と教科の関連性を明らかにすることが不可 欠である。. よって、教科をどう捉えるか、また、それを教育課程の中にどう. 位置づけていくべきかが知的障害教育の課題であり、教科について の理論的な構築が求められているといえる。. そこで、本研究においては、知的障害養護学校の教育課程研究の 一端として、教科教育の位置づけについて考察する。知的障害教育 における教科教育の実践から、教科教育の位置づけ、教育課程に教 科を位置づける際に課題となる点などを検討する。その際、戦後の 知的障害教育史における代表的な養護学校の教育課程の変遷に注目. する。具体的には、①発達段階に即して教科指導を行う際の、教科 と生活との関連。②教科別指導を行う内容と指導形態。③教育内容. における生活と教科の関連、指導形態の違いが、教育内容に及ぼす 影響。これらを検討していく。 10.
(16) 第2節 青鳥養護学校の教育課程の変遷と先行研究 (1)青鳥養護学校に注目する意義. 研究対象としては、東京都立青鳥養護学校の昭和22(1947)年度 から昭和40(1965)年度までの教育課程の変遷に注目した。同校は、. 文部省教育研修所敷地内に、品川区立大崎中学校分教場(中学校特. 殊学級)として開設されたものであり、戦後の知的障害教育の先導 的役割を果たしたとされている。. 青鳥養護学校は、昭和26(1951〉年度から開始した総合単元学習 rバザー単元」を中心にして、教科別の指導は一切行わないという、. 当時としては非常に大胆な教育課程編成を行ったことで有名である。. さらに、昭和34(1959)年度からは、一転して、当時忌避的に考え られていた教科別の教育課程編成を行ったことでも全国から注目を 集めた。. つまり、現在でいえば、青鳥養護学校の教育課程は生活を重視し た「合わせた指導」中心の教育課程から、教科別の教育課程編成へ と移行したものであり、その変遷の過程やその要因、学校全体の取 り組みは注目し検討されるべきものである。. また、青鳥養護学校は多数の研究者を輩出している。開設に携わ った、城戸幡太郎、三木安正をはじめ、教員として、小杉長平(昭. 和22年度∼昭和30年度)、山本晋(昭和22年度∼昭和26年度)、 杉田裕(昭和23年度∼昭和26年度)、東洋(昭和24年度∼昭和25 年度)、山口薫(昭和25年度∼昭和27年度)、小宮山倭(昭和27 年度∼昭和39年度)、藤島岳(昭和30年度∼昭和34年度)、小出進 (昭和34年度∼昭和39年度)、大庭伊兵衛(昭和35年度∼昭和41 年度)ら、戦後の知的障害教育において指導的立場となって活躍し た人材を多数輩出している。 11.
(17) 三木(1967)は、青鳥養護学校が戦後の知的障害教育史において 果たした役割の大きさを次のように述べている。 「(青鳥養護学校は)終始この教育の開拓者としての役割を果たし、. 全国の精神薄弱児教育の先達をつとめてきたのであります。したがっ て、青鳥の発展の歴史は現代のわが国の精神薄弱児教育の発展史でも あるといって過言ではないくらいです。」(三木,1967). この三木の言葉にもあるように、戦後の知的障害教育において、. 青鳥養護学校が果たした役割は極めて大きい。これらの先人たちが 実践した「バザー単元」や、教科別の教育課程編成を考察すること は、今日の知的障害養護学校の教育課程研究に貴重な示唆を与える ものであると考える。よって、本研究の研究対象として、青鳥養護 学校の教育課程の変遷に注目するものである。 なお、わが国において、養護学校教育の義務制が施行されたのは、. 昭和54(1979)年であり、それまでは重度・重複障害児は、就学猶 予・免除の対象とされていた。よって、本論文において取り扱う、 昭和22(1947)年から昭和40(1965)年までの青鳥養護学校では、. 重度・重複障害の生徒を教育対象としていなかった。そのため、本 論文においても、基本的には軽度から中度の知的障害を有する生徒 を対象とした教育課程編成を前提にして、論を進めていくものであ る。. (2)青鳥養護学校に関する先行研究 青鳥養護学校に関する先行研究の主なものとして、次のものを挙 げたい。. ・田中良三(1977) 障害児教育課程の戦後の歴史. ・張穎槙(2001):知的障害教育における生活と教科の関係論一 12.
(18) 序論一 ・依田十久子(1977):養護学校論構築のための歴史的事例研究. 一都立青鳥養護学校設立過程に即して一 田中(1977)は、生活主義教育の発展過程にっいて述べる上で、. 青鳥養護学校の「バザー単元」に触れている。張(2001)は、教育 方法論の視点。から戦後の知的障害教育の実践例として、青鳥養護学. 校に触れている。依田(1977)は、青鳥養護学校の設立過程に注目 して、養護学校の設立過程について明らかにしている。. その他、わが国の知的障害教育史を扱った本において、青鳥養護 学校は、数多く登場する。その一端を以下に示すこととする。 ・小出進編(1979):目本の精神薄弱教育 一戦後三十年一 第. 二巻教育の方法,全日本特殊教育研究連盟編 ・名古屋恒彦(1996):知的障害教育方法史 生活中心教育・戦. 後50年,大楊社 ・全日本特別支援教育研究連盟編(2002):教育実践でっづる知. 的障害教育方法史 教育方法の展開と探究,川島書店 小出(1979)と大見川(2002)は、青鳥養護学校の前身である大 崎中学校分教場の開設から、昭和30年代後半の教科別の教育課程編 成までを概括的にまとめている。名古屋(1996)は、生活主義教育 の立場から当時の関係者の証言を多数取り入れ、詳細に記述してい る。. 青鳥養護学校に関する研究では、生活主義教育における先駆的な 取り組みであった「バザー単元」に注目したものが多い。上に挙げ た研究も、「バザー単元」にっいては詳細に取り扱っている。青鳥養. 護学校は、昭和30年代後半に教科を中心とした教育課程を編成した が、それに注目した研究は、ほとんど見られないようである。. 本研究においては、これらの先行研究をもとにして、青鳥養護学 13.
(19) 校における教科の位置づけを考察する。. (3)青鳥養護学校略年表. まず、青鳥養護学校の教育課程の変遷を明らかにし、本論文の構 成を示すこととする。本論文では、青鳥養護学校の教育課程が大き く転換された時期で区切って、それを章としている。すなわち、戦. 後の社会情勢が不安定な知的障害児に対する中等教育の黎明期(昭 和22(1947)年度∼昭和25(1950)年度)を第1章、rバザー単元」 を中心とした総合単元学習によって教育課程を編成した時期(昭和. 26(1951)年度∼昭和33(1958)年度)を第2章、教科によって 教育課程を編成した時期(昭和34(1959)年度∼昭和40(1965) 年度)までを第3章とした(表1)。. 14.
(20) 表1 青鳥養護学校略年表 章. 出来事. 年度. 第1章. 昭和22(1947). r東京都品川区立大崎中学校分教場」として開設。. 昭和23(1948) 昭和24(1949) 昭和25(1950). 都に移管されr東京都立青鳥中学校」となる。. 昭和26(1951). 新校舎への引越しを機に「バザー単元」が開始される。. 昭和27(1952). 小宮山倭が校長となる。. 第2章. 昭和28(1953) 昭和29(1954) 昭和30(1955) 昭和31(1956). 昭和32(1957). r東京都立青鳥養護学校」となる。. 昭和33(1958). 「バザー単元」が廃止される。. 昭和34(1959). 教科による教育課程の編成が始まる。「体育」・「音楽」・. 図工」が、独立して指導される。 第3章. 昭和35(1960) 昭和36(1961). r国語」・r算数」が独立して指導されるようになる。. 昭和37(1962). 「社会」が独立して指導されるようになる。. 昭和38(1963). 「理科」が設定される。. 昭和39(1964). 小宮山倭が転出となる。. 昭和40(1965). 15.
(21) 第1章 知的障害教育における中等教育の黎明期 昭和22(1947)年度∼昭和25(1950)年度. 第1節 大崎中学校分教場の開設まで (1)戦後初期の特殊学級における「水増し教育」 まず、青鳥養護学校の前身である「品川区立大崎中学校分教場」 の開設された戦後当初の時代背景を確認する。. 戦前からの知的障害児のための特別な学級は、戦時中にはほとん ど閉鎖され、戦後まで維持されたものは、極めて少なかった(文部 省,1999)。そのため、戦前の特別な学級における実践の多くが断絶 し、戦後の知的障害教育は手探りの状態から始まった。. 戦後初期の特殊学級は、異なる障害種の子どもを一緒にした「混 合学級」であったり、障害の有無に関わらず、r勉強のできない子ど も」を集めたr促進学級」的な性格であったりした上、普通学級で. 扱いの困難な子どもや浮浪児を特殊学級に入れることもあった(荒 川,1976)。このような、盲児、聾児、知的障害児、学業不振児、浮. 浪児等が混在する特殊学級の多様な実態は、各種の障害に応じた専 門的な教育を行うことを困難にしていた。. 特に、知的障害教育は、盲教育、聾教育に比べ、制度面でも、指 導法の面でも遅れていた。当時の特殊学級においては、当該学年教 科の内容を薄めて易しくし、進度を遅らせて指導するという、いわ ゆるr水増し教育」が行われていた。戦後の混乱期にあっては、参. 考になる指導書等もなかったため、普通教育に目標や内容、方法の よりどころを求めざるを得なかったといえる。 (2)大崎中学校分教場の開設. 昭和21(1946)年8月、学校教育法が制定され、翌昭和22(1947). 年度より、新たに中学校の三年間が義務教育期間となることが決定 16.
(22) された。戦前における義務教育期間は小学校段階の六年間とされて おり、中学校に特殊学級は設置されていなかった。. 当時文部省教育研修所教育方法研究室主任であった三木安正は、. いち早く中学校特殊学級設置の必要性を訴え、その実現に向けて奔 走した(青鳥養護学校,1967)。三木の学生時代の師であり、教育研 修所所長であった城戸幡太郎も、「これからはどうしても中学校に特. 殊学級を設けなければならないが、それはまず実験的に研究してみ なければならない」(1967)として三木に賛同し、研修所内の空いた. 建物に知的障害児を対象とした中学校特殊学級の実験学級を開設す ることとした。. しかし、教育研修所が自ら義務教育の一部である特殊学級を持っ ことはできないため、最寄りの公立中学校の分教場として研修所内 に特殊学級を置くという形をとらねばならなかった。そのため、こ. の文部省教育研修所が運営する実験学級は、東京都品川区立大崎中. 学校の分教場として、昭和22(1947)年4月に開設され、わが国で 最初の中学校特殊学級となった。. 生徒募集は、教育研修所が品川区の北端にあったため、品川区の 了解を得て、通学距離が徒歩30分以内の、品川区・目黒区・渋谷区・ 港区に呼びかけられた。. 入学許可予定者15名であったのに対し、入学希望者67名が集ま り、選考は、鈴木ビネー、算術推理能カテスト、計算能力測定問題、. 作文、身体検査、面接による家庭状況調査、発育暦調査によって行 われた。入学基準は、1.Q.50∼80を想定していたが、実際には、1.Q.80. 以上の生徒も数名いたとされる。選考後、選考に漏れた者の保護者. が強く入学を希望したため、次第に増加して、結局、34名(男18 名、女16名)もの入学を許可した(青鳥養護学校,1957)。入学予 定者の倍以上の数の入学を許可したため、次年度の入学者を4名、. さらに次の年度の入学者を0名としなければならなかった。. 既に述べたように、当時の特殊学級の多くが、いわゆるr混合学 級」であったり、「勉強のできない子ども」を集めた学級であったり 17.
(23) したのに対し、大崎中学校分教場は知的障害児のための中学校特殊. 学級であった。保護者の入学希望が多かったことからも、いかに中 学校特殊学級の設置が強く望まれていたかがわかる。. では、戦後の知的障害教育をリードしたとされる青鳥養護学校(大. 崎中学校分教場)の教育とはどのようなものだったのだろうか。次 節から見ていくこととする。. 第2節 「水増し教育」的な教科指導 (1)r生活と生産」を重視した教育方針. 大崎中学校分教場の開設にあたって、rこの学級ではまず生活の能 力と性行とを検定し、個性に応じた教育を行うことはもちろんであ るが、その教育は生活と生産に直結したものでなければならない。」 (青鳥養護学校,1957)という指導方針が定められた。. 「生活と生産」を方針として掲げたのは、分教場の開設に携わっ た城戸や三木の影響が強いとみられる。当時まだ、障害児教育は個. 人の熱意、善意の問題として取り組まれることが多い中で、城戸 (1978)は戦前から、知的障害の基準が教科内容の出来、不出来に. のみ依拠していることを批判し、家庭・地域・社会における生活や. 作業・労働の知識・技能等を含めた多元的な尺度で知能を捉えるべ きであることを提起していた。また、三木は東京大学大学院在学中 から城戸の指導を受け、「要するに智能とは新しい生活事態に封する. 順磨力」(1949)であると述べている。このように、城戸と三木は、. 当時の知識偏重な教育観を批判し、生活や生産に知的障害教育の価 値を見出そうとしていた。「生活と生産に直結した」教育とは、城戸. や三木の戦前からの教育観を端的に表現したものであったといえる。. 分教場開設後も三木は、他の教育研修所所員と共に、分教場初期 の実践に積極的に関わり、自ら教壇に立っこともあった。その後、. 昭和22(1947)年7月に文部省教育研修所教育方法研究室主任から 18.
(24) 文部省幼児教育・特殊教育担当視学官として転任したが、転任後も 週一回の学級ミーティングには必ず参加しており(山本,1984)、分 教場の実践に大きな影響を与えた。. (2)初年度の教育内容 城戸や三木のもと、「生活と生産に直結した教育」という指導方針. を掲げた大崎中学校分教場であったが、昭和22(1947)年度の時間. 割(表2)は、各教科を中心に編成されていた。学級担任は、戦前特 殊学級での指導経験がある小杉長平に決まった。小杉は社会を担当 し、他は教科別に教育研修所の所員が分担した。. 表2昭和22(1947)年時間割表 9=00. 13=00. 10:00 11=00 11=30 12;00. 月. 日記指導. 社会科中心. 努力表記入. 掃除. 中食. 自由研究. 火. 〃. 理科中心. 〃. 〃. 〃. 〃. 水. 〃. 家庭科中心. 〃. 〃. 〃. 〃. 木. 〃. 算数中心. 〃. 〃. 〃. 職員会議. 金. 〃. 国語中心. 〃. 〃. 〃. 自由研究. 土. 〃. 音楽体育中心. 〃. 〃. 一一一. 一一 一. 初年度の授業内容にっいて、小杉(1957)は、「はじめは何を教え てよいかわからないので中学校用の教科書をそのまま買わせた」が、. 生徒の実態には合わず、「簡単な詩のようなところしか使用できなか. った」と述べている。当時、物が不足している時代であったので、. の授業の教材としては、古い教科書の切り取りや新聞の切り抜きを 使用していた(青鳥養護学校,1957)。. また、山本晋(1967)は自身の担当した算数の授業について、r個. 19.
(25) 人指導を主にしながら時には一斉授業も交え、ひたすら数字の書け ないものには数字を、引算のできないものには引算を、というよう に一応個人々々の能力に応じた問題をどんどん与え」と述べている。. これら、大崎中学校分教場における初年度の授業は、普通教科の 内容を生徒の実態に合わせて易しくして教えているものであり、「生 活と生産に直結した教育」を掲げた指導方針に反して、「水増し教育」 的であった。. 小杉(1957)は、大崎中学校分教場の初年度の教育方針について、. 「多くの教育や心理の権威者が、深い研究の中からしぽり出してく. れたこの大方針は、当時具現するにはあまりに困難であった」とし て、初年度のいわゆる「水増し教育」的な実践が本意ではなかった ことを述べている。初年度の実践が、r水増し教育」的な実践になっ. てしまった要因としては、当時は他に参考となる実践も少なく、適 当な教材・教具もなかったため、具体的な教育内容・教育方法は普 通教育を踏襲せざるを得なかったことがあげられるだろう。 小杉は戦前から特殊学級での指導経験があり、日記を書かせたり、. 成績の絶対評価を点数表示する「努力表」や、自由研究班組織によ って学習意欲の高揚を図るなど、独自で様々工夫した指導を行った。. また、「生活と生産に直結する教育」という方針に基づき、小金井農. 場や千葉農業専門学校で農耕的作業を行ったり、文部省伊香保保養 所で二泊三目の宿泊訓練学習なども実施されたが、いずれも散発的 であった。. (3)「水増し教育」の限界 先にふれたように、山本の算数の授業は、いわゆる「水増し教育」 的な指導であった。しかし、学習に対する生徒の意欲は非常に強く、. 山本は、授業における生徒たちの様子にっいて、次のように述べて いる。. 「最初は算数の時間と聞いただけであきらめたような顔付をしていた子供 20.
(26) 達が、今まで小学校6年間全くのけものにされていた反動もあり、自分達 のできる算数もあるのだなということを知り、又算数では自分がだんだん進 歩して行くことがよくわかるので、異常な興味を覚えて来て、ある時などは、. 私が教室へ入って行くと 「よう、待ってました!」. という掛け声さえかかる始末であった。」(山本,1951). 分教場の生徒は、普通学級の授業についていくことができず、自. 分で学習を諦めていたが、計算問題を解くことによって次第に自信. をつけ、大いに興味を持って勉強した。その結果、Woody−McCall 計算能カテストの結果が大きく向上した(表3)。Woody−McCal1計. 算能カテストは、四則混合の計算問題35題を20分問でやらせ、1 題1点として採点するものである。結果を見ると、入学時に小学3 年生程度であったものが、一年後のテストでは小学4年生程度に成 績が上がっている(表4)。. 3 4 表表. Woody−McC&11計算能力テスト成績(左). WoodyMcCa11計算能カテスト小学校標準得点(右) 言1!!lil彪力テスト感弘笹Woo〔!y・McCall. 薄 弱 児 群. 第2図. 塘3回 q呂,{ミ023年. ヨ昌租122箕乳. ・響月2(IR 6月10目. u.e、65』1. 1≧月27R. 3月6R. ご)9 1‘〕.97 11 9 13.i. 大崎中学 務1学年 55呂. 避年点. 劉. . ヨ しヨドま . 4 13.11. 3月22日. 5 17・8 1 21.o . 6 22.5 1. 7 25,9 男子午均 (L(き,62,5). 女子ノi≦均 (1.Q,67). 6..5 11〕.〔) 11)、0 11.6. ,69 12.06 13、8 15.07. l 一 . 8 27.8. 1 Wo⊂xiy・McCall計算.能力テス1. 小学校標準得点. この計算指導によって、生徒がある程度の計算ができるようにな 21.
(27) ったため、冬休みに小遣い帳をつけさせた。しかし、大部分の生徒 は、収入と支出が合わなくても一向に矛盾を感じないようであり、. 計算能力が高い生徒であってもそのようなことが起こった。機械的 な計算能力は向上したが、それを実際に生活場面で活用することは 難しかったといえる。学習した教科の内容を生活場面に般化するこ とが困難であるという問題は、戦後当初の知的障害教育において、 教科教育を批判する最も大きな論拠の一つとなった。. (4)その他の教科指導の例 教科学習に関しても、様々工夫した指導が行われた。昭和23年度 に、「努力表」を廃して用いられた「テスト・ノート」(表5)は、毎. 週テストを行い、その結果をノートに記述させることによって一種 の意欲づけをねらっていた。. 表5テスト・ノート 科ロ. テストしたこと. ゆり. ひづけ. い. て ん. い ん. 他に、生徒個々の能力調査とも関連づけて、「各科指導のねらいと. 実際」が作成された。具体的な指導例としては、古い教科書を切り 取ってボール紙に貼り付けて作った「計算カード」、漢字の学習とし. て基本的な漢字を新聞から切り抜いて辞典を作らせる「基本漢字字 22.
(28) 典の作成」や、その他「そろばん問題集」rワークブック努力張」等、. さまざま工夫した教科別の指導が行われた。. これらの教科指導は、生徒の学習意欲を高めることには有効であ ったが、「学習内容を他の場面で活用できない」という、教科指導に おける根本的な問題を抱えていた。. (5)初年度の反省 初年度の分教場の教育は、指導方針に「生活と生産」を掲げたが、. 教科中心の教育課程が編成され、授業においては「水増し教育」的 な指導がなされた。. この一年間の実践を終え、年度末に数日問の反省会がもたれた。. そこで、①訓練の目標を「自立」におく。②指導の方法は出来るだ け作業的、具体的に。③指導の内容は生活に必要なことを第一にす る。という、目標、方法、内容の三点にわたって確認がなされ、こ れはそのまま次年度の方針となった(青鳥養護学校,1957)。. ①には、訓練の目標が「自立」であると明示された。また、指導 内容においても「生活に必要なこと」を重視し、実際の指導にあた っては「作業的、具体的」な方法を用いるとしている。. よって、三点のいずれにおいても、作業的、職業的な教育を指向 している。そのため、次年度以降の大崎中学校分教場の教育は、作 業的な学習が強化され、職業教育が重視されるようになっていった。 次節においては、作業学習の具体的な実践をみていく。. 第3節 作業学習の強化と教科学習の軽視 (1)農耕的な作業の拡大. 昭和22(1947)年度末の反省により、昭和23(1948)年度には 以下のような作業的な学習の時間が大きくとられるようになってい った。. 23.
(29) ・千葉農業専門学校の見学. ・自然公園内の牛小屋を譲り受け、取り壊して山羊小屋に移築す る作業。. ・山羊四頭を小金井農場より譲り受け、世話する。 ・七泊八日の宿泊訓練。. ・夏休みから、校外実習教育が始まる。(数名の生徒が参加) ・女子三班(炊事、裁縫、洗濯). ・男子五班(畑、山羊、工作、自然園) ・研修所内の各種作業… 山番、通信教育教材の封織など. 分教場のある教育研修所は、白金自然園に隣接していたことから、. その環境を活かして、作業学習は主に農耕的作業が多かったとされ ている。これら、学校外における経験的な学習によって、より直接 的に生徒たちの生活力を育成することが目指された。. (2)r現実度」の高い学校生活の設定. また、作業学習の強化とともに、学校生活を社会生活に近接させ ることによって、いわゆる「現実度」を高めることが目指された。「現. 実度」の高い実践としては、図書当番や青鳥銀行、売店の取り組み を始めた。これらを生徒によって運営させ、生徒の生活力の育成が 目指された。. 例えば、青鳥銀行の取り組みは、金銭取扱い指導の生活化として 作業学習に対する「青鳥銀行券」(模擬貨幣)の支払いを行ったもの. である。青鳥銀行に関しては、山口が以下のように説明している。 「青鳥銀行券は小杉先生の作った一円・五円・十円・百円・千円の五種類. のおのおの色どりの違った模造紙幣で、子供達は毎週土曜日銀行から若干 のお金をもらうのであるが、その額はめいめいのその一週問の作業点によ って決まるのである。 24.
(30) 子供達は一人々々作業長と小遣帳をもっているが、作業長には毎日当番 や作業(男子ではまきわり・花壇作り・大工仕事等、女子では洗濯・裁縫 等)を先生が評価した点を記入して先生の印をもらい、土曜目になると一 週間分の点を合計してそれを小遣帳に移し記す。その換算の割合は一〇〇. 点が一円である。だから一週間分の合計が五六〇点だとするとその子供は 五円六〇銭銀行からもらうわけである。(実際には銀行には一円以下の紙幣. はないので一円以下は次の週の端銭と合計して一円以上になる毎に払うよ うになっている。). 銀行の支払いが終わった頃に売店を開き、学用品を中心に子ども達が必 要な品物を銀行券と引換えに売る。その時買う品物の名前と値段、もって いたお金から使ったお金を差し引いた残額を小遣帳に記入させる。」(山口, 1951). 山口(1951)は、このような銀行や売店のねらいは、r全体として は作業に対するモチベーションになるということ、金銭の取り扱い に習熟すること、記入の仕方を覚えること等々である。」と述べてい る。直接的に生活に役立っ内容を、生活に近接させた指導形態によ って、指導を行うことが考えられたものであるといえる。. (3)教科内容の軽視. このように分教場の教育が次第に生活化、作業化してきたことの 要因の一つには、分教場の教育では教科内容を軽視する傾向性があ った。これに関して以下のような生徒と教師のやりとりがあった。 「作業学習の強化とあいまってこの学校では「勉強を教えてくれない」と. いう声が生徒の間にだんだん高まって来た。これに対して教師側は「勉強 の仕方について四月に実験してみよう」と約束した。(中略)それは、文部. 省編「私たちの科学・五・植物はどのようにして生きているか」を教材と して与え、一般中学の国語の時間と同じように授業をした。一週間後、や 25.
(31) はり一般中学一年と同じような程度、形式の問題を作って試験をした。そ. の結果は教師側の予想通り極めて悪い成績を示した。これを全員の前で発 表し、rこれでも君達はほんとうの勉強がわからないか」と詰問したら、や つとわかつて、それからは皆すなおに勉強した。」(青鳥養護学校,1952). 前節でも述べたように、生徒の学習に対する意欲は非常に高かっ たが、それを押さえつける形で、作業学習の強化が進められていっ. た。当時は、まだ高等部が設置されておらず、中学部三年間におい て社会へと送り出す教育が求められていた。そのため、学習内容が 日常生活に般化されないr水増し教育」的な教科教育よりも、作業. 的な学習が重視されていた。しかし、日常生活になかなか般化され ない教科内容を軽視し、いわゆる「装飾的知識」と単純に捉えてよ いかどうかについては、検討が必要であろう。 (4)三木・杉田の学力観. 分教場の教育が作業化されるとともに、教科学習は軽視されるだ けでなく、むしろ教科学習そのものが否定されるようになっていっ た。その理論的支柱となったのが三木安正と杉田裕であった。. 三木は、知的障害教育における教科教育を批判するとともに、職 業教育の重要性を強調して以下のように述べている。 「一人の子供に一生懸命になつて、算数、読方を教えて、五年かかつて. 五十音が読めるようになつた、あるいは三年か》つて十までの勘定がで きたということが一体何の役に立っでしようか。そういう学校ごつこみ. たような、道樂みたいなことをやって、その子供に何の役に立つかとい うことになると思うのです。それよりも、そういうこと意外に生かす方. 法が必ずあるのです。たとえば、薪割りが上手になるとか、あるいは水 汲みが上手になるとか、そういう例だけでは極端になりますけれども、 そういうことで世の中に貢献することがほかにあるはずだと思います。. 数が十まで計算できたとしても、銭までの釣銭がわからないということ 26.
(32) があります。それでは生活には役に立ちません。これでは見かけは子供 を教育してやつているように見えますが、実を言うと子供を苦しめてい るのです。いじめているのです。(中略)親としては、何とか学校を卒業. させて、いろはの全部が読めるようにしてもらいたいということを要求. するに違いありません。しかし、できないものはできない。無駄な者は 無駄です。それよりも、それはそれなりに他に道があるのではないかと. いうことで生かして行くことを考えるべきだと思います。これは半人前 だという基礎の上に立つて、そしてこれをいかに生かすかということが 特殊教育の課題だと思います。半人前だから半分しか教えてやらないと いうのではありません。半人前なら半人前をどうやつたらいいかという ことが教育問題になるのです。」(三木,1949). また、理論面で分教場の教育をリードしたとされる杉田裕は、知 的障害児の算数教育に関して、机の上の計算ができても実際のおつ りの計算や買い物をすることができないとして、r水増し教育」的で あった山本の授業を批判した(山本,1951)。さらに杉田は、三木と. 同様に、知的障害教育における教科学習を批判するとともに、職業 教育の重要性を強調して、以下のように述べている。 「従來の薄弱見教育は題目として作業教育等を唱へながらその実教科書 をいかにして彼等におぼえさせるかに終止してゐた。(中略)既成の教科. 書をいくら上手に彼等に仕込んでも之は輩なる道樂に過ぎない。教育が 意図するものが生徒をよりよき社会人として大成させる事であるなら、. 彼等の乏しい能力の上に一目も早く最小の社会生活能力を賦與する事で なければならない。(中略)彼等の將來を考へれば先づ勤労人としての生. 活であり、職業人としての豊かな発展こそ彼等への教育目標でなければ ならない。」(杉田,1949). 三木と杉田に共通しているのは、①生徒の発達を限定的に捉え、. ②教科が意義が楼小化され、③職業教育の重要性を強調している点 27.
(33) である。また、教科の内容に関してはいわゆる「装飾的知識」とし ての捉え方がなされている点も共通しているといえる。. 分教場の教育においては、計算能カテスト結果の著しい向上など で、教科指導においてもある程度の成果をあげていたといえる。し. かし、昭和23(1948)年度末には、「過去二ヶ年の追込み教育で学 習能力ののび切ったものが約半数出ていた」(青鳥養護学校,1957). として、三木・杉田の述べているとおり、生徒の発達を限定的に捉. える論が説得力をもって受け入れられ、次第に作業学習の時間を増 加させていった。. (5)卒業後の進路と教育目標. また、昭和23年度の2学期には、「生徒将来の職業に関して父兄 の希望調査」を行い、その中では、「何とか一人前になれる職業につ かせたい」という保護者の希望が強かった。しかし、r生徒の現在の. 能力とは大分かけはなれているため、学園としてはもつと実力のつ く教育方法を考えざるを得なかつた」(青鳥養護学校,1957)として、. 夏休みから校外実習教育を開始したとしている。このように、職業 教育重視の方向性は、保護者の希望とも合致して進められていった。 これに関して、山本は、以下のように述べている。 しママラ 「昭和二十五年三月に始めての卒業生を社会へ送り出す頃になって、一体彼. らが、社会の一員になるために充分な教育をしたといえるであろうか?教師 としての私自身が、未だ、いわゆる古い学校教育の枠にとらわれ、学校ゴッ. コ的なものに終始しているのではないだろうか?ということが、且てS先生 (引用者注一一杉田裕先生)に指摘されたことと結びついて想起され、甚だ しい不安と焦燥感にかられたのであった。」(山本,1951). 卒業生を送り出すようになって、教員間においても生徒の将来に ついてより具体的なイメージが持たれるようになり、三木・杉田の 28.
(34) 職業教育重視の論が、教員達の意識を一層強く職業教育へと向かわ せたと考えられる。. 知的障害教育における教育目標を説明する中で、三木はしばしば、 「立派な精神薄弱者」という語を用いている。 r私は、まず“精神薄弱者は治すことはできないが、活かすことはできる”. と考える。つまり、精神薄弱者を正常者にすることはできないが、精神薄 弱者なりに立派な人間にすることはできるということである。 そこで、私は、精神薄弱児の教育の目標を、“立派な精神薄弱者にする”こ とだと提唱してきた。」(三木,1949). 三木は、知的障害教育における目標として、限られた能力であっ ても、社会に適応していくことをあげたのであった。. 第4節 教科の細分化と生活に即した指導 (1) 教科を細分化した教育課程編成. 大崎中学校分教場の教育が作業学習の時間を増加させ職業教育を 重視する中、昭和25(1950)年度には、都に移管され都立青鳥中学 校として独立し、学校としての組織や教育内容が整えられ、指導目 標及び指導方法の原則が示された(表6)。この中で、「知的生活の面. (言語、文字生活、数量生活)も伸びられるだけ伸ばしてやる」と. 示され、国語、算数、理科、家庭、体育、音楽、図工の教科が設定 された。. それまでは、各教科の一斉指導が多かったが、指導方法の原則に 示された「個人個人の能力に応じ」た指導を徹底するために、「各科 能力要素表」を作成して、生徒個々の能力を調査した。. そして、国語、算数をそれぞれ5分野に分節化し、これらを指導 29.
(35) する際には、それぞれ生徒個々の能力によって低・中・高の3段階 にグループ編成した。従って、国語、算数、それぞれ15のグループ 編成を行って、「子供が絶対に落ちこぼれない態勢」をとり、各教科. の能力要素表の細案を作成し、それらを組織体系化した時間割を作 成した。この時間割は一日を8つに区分し、午前に教科的な学習を、 午後に作業的な学習を設定している(表7)。 (2)生活を重視した教育内容の選択・整理. このような教科の細分化は、「あくまで子どもの社会生活に合致す るように」(青鳥養護学校,1967)との趣旨で行われた。普通教育に おける教科内容にこだわらず、国語は、「読む」「会話」「記録」「書 く」「通信」、算数は、「計算」「測定」r時間」r金銭」r珠算」という. ように、極めて実際的な項目を挙げて指導を行ったものである。. これについて、山本は算数を例に挙げながら以下のように述べて いる。. 「まず彼等が生産人になるために社会は最低限度どのようなことを要求し. ているかをさぐり出してそれらが全てふくまれるような「全生活カリキュ. ラム」の編成が望まれる。しかし、もしその学級が農村とか漁村とかの くママラ. よう特色ある、しかも子供達が卒業すれば大体この仕事につくということ. が一定しておるような地域社会ならば、比較的可能であるが、都市的なと ころではあまりにも場面が広すぎて、容易なことではない。. そこで我々は、過渡的な一つの手段として算数の場合、次のような要素 を選んで、これを時間割にくみこんだ。」. ①算 一一大体ドリル的なものを主として行う。 ②買物一一買物だけでなく、実際にお金を扱うこと全部を含む。. ③珠算一一これは比較的程度の低いものにもできるし、又就職す る場合に非常に有利になる。 ④測定一一度・量・衡等について。 30.
(36) ⑤時間一一時計の見方を主として、時刻・時間に関すること。. (山本,1951). ①∼⑤にあるように、社会に出るうえでこれだけは必要であると. いういわゆる「ミニマム・エッセンシャルズ」を整理して、三年間 で指導できるよう考えられた。. 名古屋(1996)は、「各科能力要素表」による教育内容の選択・組. 織が、教科を基準にしてではなく、生徒の生活を重視し、生活に最 小限必要な内容をということを強く意図している点で、先駆的なも のであるとして評価している。. 指導場面を授業だけでなく、学校生活のあらゆる場面を使って指 導を行うことが考えられており、教科を生活化する教科学習におい ても、目標は職業自立や社会適応であり、内容は、生活に直接的に 役立っ内容に限定されていたことが特徴である。. しかし、この教科の細分化は、一年問のみの実践に留まった。第2 章で述べるように、校舎の移転に伴う「バザー単元学習」が始まっ たことがその理由である。. 31.
(37) 表6 昭和25年度 指導目標及び指導方法の原則 、指導目標. (イ) 精神遅滞の原因をあらゆる面からできるだけのぞく。. (ロ) 精神遅滞の故に出来あがった非社会的、又は、反社会的性格を なおす。. (ハ) 知的生活の面(言語、文字生活、数量生活)も伸びられるだけ 伸ばしてやる。. (二) 職業教育の徹底 二、指導方法の原則. (イ) 徹底的個別指導と適当な集団編成を交錯運営して個人的社会的 生活能力をのばしてやる。. (ロ) 作業及び勤労を重点として全学習生活を組織する。. (ハ) 生徒の学習作業その他すべての行動は個人個人の能力に応じ、 しかも社会的適応能力をつける動機づけとなる方向に評価される。. 32.
(38) 区分 1 1 2. 表. 3 1 4. 一稽評. 電鈴 ?1㌣ 陣争 間 . 間. 時. 1951−No.1. 一 8.55 9。00. 9.15. 6. 5 0 0. 1 1 11.25 1. 水木圭12、OC 月火金12.15. ^σ10.151 ^,11.15. 各都担当. 看護当番. 肝 作業科 整 経. L. 番各部担当響奮. 各部担当. (山口). 炊事(擶掌) 女1. 書 く (池上}. (山本}. 理科 (山本). 通信 (梅津). 炊事(欄=》 女1 作離1隈・小 帳の整理・銀行支払. 図書館 店テスト. 土1鵬編(池上)k鼓鰯. (山ロ). . L 日の注意. 、鍵豊灘言諸 ヒ家庭(池上)つけ7あい. 2. (:家庭作藁). (家庭作業) ーしょん. 里1,搬.….甲./..…..…一..... 測定. りくりえ 昼 食 ︸. わ マロロ ト ロ. 金騰翻. ,音楽(加賀谷庭連絡4明. 整理︵月火に同じV. 4畑花だん一…’. 時間. !練(糊辮1裟. ソ さつ 下佼. (画口) ・その他)8溝潔検. 木の見回り9持殉検 (小杉》 5山羊のせ.以上時. りくりえーしょん. 筆 算. 録鴻. 水 事室・庭7注意亭. 餐池..挙驚. 昼 食. 男女. P. ユ. 菅楽. 記騰. まど・炊 6相談事. 読 む て池 上 ラ. 物︶ 本 幽 買︵. ■教葦置・ 5時挙解説. .弘臨鞠。。. {4.15 ひ る. 読 む馳 麗 轡楽 覆 讃 (小杉) 榊 碑 炊事(梅海)女1. じ(1陵員4日記提出 (梅津) 簑・階段 以上毎膚. O O l I. やすみ. 珠算 火 . 12.15. 東京都立青鳥中学校 7 8. 算繍i臨科 技能科 各都担当. 3朝のそう 3出席調べ. $ 協 蹉 i. 表7 昭和25年度時間割表. 作業(小. 薙(池. 整 理 月火に同じ. 大整理i 火のものの内1. (家. 庭. 作. 業). 特に. 注慧 O忘れものをしないこと(いろいろな帳面一算数2・国語2・日記1。おそわり帳1・理科帳 1●家旛科帳1.運絡帳1¢作業帳1.zト遣帳1.辱刻…麦1・その他ブリントとじこみ1∼ 2。計13^’4種。鉛筆・けしごむ・小刀・くれよん・てぬぐい・はな紙・上ぱき等) 0すべての所持品に名前をっけること Q:おくれな㌧、こと.
(39) 表8昭和25年度 指導の実態. O国語 【ねらい】… 読むカ・文字を書く力、文章を綴るカ、話すカ、理解. 力。 【指導場面】… r一目の準備」r読む」r書く」r通信」r会話」r図書. 館」その他の場面。. O数学 【ねらい】… 計算力、考えるカ、はかるカ、応用力。. 【指導場面】・・r筆算」r珠算」r時間j r測定」r努力帳作業帳・小遣. 帳の整理・青鳥銀行支払い」など。. O理科 【ねらい】… 考える力、観察するカ、作るカ。. 【指導場面】… r理科」r畑花壇作り」r山羊のせわ」など。. O家庭 【ねらい】… 家庭生活を営むための知識・技能。 【指導場面】… 「裁縫」「炊事」など。. 第5節 まとめ 青鳥養護学校の前身として、昭和22(1947)年に開設された大崎 中学校分教場は、「生活と生産に直結」した教育を目指した。それで も当初は、教育環境の不備、教材・教具の不足等から、いわゆる「水. 増し教育」にならざるを得なかった。r水増し教育」は、学習内容が 目常生活に般化されない断片的な知識になりやすいこと等の理由か. ら、批判的に捉えられた。つまり生活を離れた教科学習では、生徒 たちは、教科学習で得た知識を有効に活用できなかったものである。 34.
(40) そのため、分教場の教育は職業教育の重視や、青鳥銀行の取り組 み等、生活に密着した形で教育を展開していった。その一方で、教 科の内容は細分化され、生活や職業に最低限必要な内容、いわゆる rミニマム・エッセンシャルズ」が強調された。. 教科の学習内容は、日常生活に般化されないとされた。そのため、. 知識をいかに使うかに焦点が当てられ、系統的な指導よりは、生活 に密着させた教科指導が重視された。. また、国語や算数といった教科に対する生徒の学習欲求は非常に 高いものがあったが、学習内容が日常生活に般化されないことを理 由として生徒の意欲を無視し、社会的要求に従属させている点は、. 現代の職業教育においても常に課題となる点であり、反省されなけ ればならないだろう。. 35.
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