明治後期の農家の学校教育観と子弟の進路 : 明治期農家の子弟教育観
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(2) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 昭和4 6年2月. 明治後期の農家の学校教育観と子弟の進路 --明治期農家の子弟教育観-- 小. 林. 輝. 行. 北海道教育大学函館分校教育学研究室. , View of SchooI Teruyuki K( )BAYA8日[: The Farmers. ’ Educat ion and The i ldren r Chi s Courses of Life in the Lat ter Hal f of the Mei i Bra j. はじめに 明治期における農家の子弟教育観に関しては, すでに先の 「明治期の農民家庭における子弟教 育--…『ょき家人』 の形成を中心として--」 の報 告においてその概観を述べたが 1 ) , 本稿は農 家の子弟教育観に顕著な変 化が現われる明治後期に焦点をあて この期の農家の学校教育観とそ , の子弟の進路との考察を目的とし, ひいては農家の子弟教育観の構造, 特質の問題に接近せんと するものである. 特に明治期にあっ ては, 農家の学校教育観およびその子弟の進路は 子どもを , いかに教育し一個の人間に形成するかという, 親の子弟教育観に大きく規定せられていたのであ り, 従っ てこうした学校教育観, 子弟の進路には当時の親の子弟教育観が端的に反映されていた といわなければならず, 本稿でこの問題をとりあげたのもその故にほかならない . なお, 資料として先の報告では主として自叙伝などの伝記 資料に依ったが, 本稿では文部省年 報をは じめとした諸統計資料を主として用 い, あわせて伝記資料をも適宜使用 した , 1. 農家の学校教育観と就学状況 明治前期の農家における学校教 育観は階層により顕著な二つの学校教育観の並存 していた こ と が知られる. 一つは学校を 「家」 の維持発展という観点から極めて積極的に 評価す る学校教育観 であ り, 他の一つは 扶養共同体および家計の維持という観点から学校を極めて否定的に把握する 学校教育観である, 前者は地主などの上層農家にみられたものであり、 そこには 「家」 の維持に 力点をおく 「家」 の守成的立場から把えられた学校教育観と, 「家」 の発展に力点をおく開拓的立 場から把握された学校教育観とが認められるが, これら学校教育観はいずれも学校を 「家」 の存 続・発展という「家」制度の原理を現実化する最も効力ある手段とみなす点で後者 の中下層農家に おける否定的に把握された学校教育観とは極めて対陳的である, こうした二つの学校教育観の存 在に ついては, 先の報告において既に指摘したが, 特に後者についてみれば, それは当時の農家 子弟の初等教育機関における就学率からも端的に窺える。 第1表は明治2 1年の三重・佐賀両県に おける職業別にみた就学状況である, 一見 して明らかなように, 農家子弟の就学率は, 三重・佐 一11 5-.
(3) . Feb, ,1971. ion IC) i i i do Uni ty of Bducat lof Hokka on (Sect s ver journa. Vo l .21 NO .2. \ 庶. 農 工 商. 就 学. 比 率. 7 ,287 57 ,946 6 ,910. 4 ,189 23 ,950. 57.5. 57,6 54,5. 44.6. 68,5. 15 ,895. 3 ,080 8 ,956. 39,9 57,2. 8 ,677 96 ,715. 1 ,842 42 ,017. 21.2 43,4. 就 学. 比 率. 6 ,007 116 ,412. 4 ,342 67 ,095. 72,3. 7 ,962 15 ,984. 4 ,336 10 ,944. 17 ,748. 7 ’100 93 ,817. 力. 計. 令. 令. 学. 164 ,149. 賀. 佐. 重. 三. 業. 労. 1年度) 小学校職業別就学率 (明治2. 第1表. 学. 41,3 56.3. (文部省年報より) 1年度) 職業別課程在学者比率 (%) (明治2. 第2表. \:. 京. 富. 重. 三. 都. 山. 簡易料. 高等科 尋常料 簡易料 高等科 尋常科 簡易料 高等科 尋常料. 庶. 業. 農 ェ 商 労. 計. 20,8 2,3. 65,5. 13,7. 55,6. 42 .1. 2 .6 11,8. 69 .3 74 ,1. 28,1. 91.3. 0,6 0,8. 91,3 90.7. 2.9 3,7. 0.4 3,2. 49,3 58,3. 50.3. 89,9 85,8. 3,6 8,O. 力. 1・0 6,4. 82,9. 16.1 2,8. 0.8 5,6. 8.1 1,3 1.6 4 ,2. 14 ,1. 0.5 2.3. 37 .5. 26,3. 65,6. 16,2 33,7. 82 ,5 64 .7. 41,3 13,5. 54 ,5 86,O. 22.3. 75.4. (女部省年報より) 賀両県とも共通して庶業・商業な どよりはるかに低く, いずれも県下の平均就学率程度ないしは それを下まわっ ている. 一方これを簡易科・尋常科・高等科 の職業別在学者比率にみると, 第2 表のように, 京都などの先進地域と富山など裏日本の後進地域と ではかなりの相違が み ら れ る が, 総じて高等科の在学者数は極めて低く, それに比し簡易科の在学者は, 富山県の場合の如く 7割5分とその大部分を占めていた地域もあり, 三重の場合でも就学児の約半数は簡易料に籍を おいており, 農家子弟の簡易料在籍率が相当に高かったことが窺える. こうした農家子弟の就学率の低さ や簡易科在籍率の高さは何に起因していたのであろうか. 第 0 3表は不就学者数を男女別, 理由別に示したものである, この表から看取されるように, 明治2 年代におい ては不就学の理由のうち最も多いのは貧窮で4割ないし5割を 占めており, こうした 経済的理由が不就学 の大きな原因であったことは明らかである. しかし, こうした経済的理由と 第3裏. ≧. 不 就 学. 計. 不就学者数および不就学者内訳 者. 男. 不就学者内訳 (%). 数. 女. 貧 窮. 疾 病. 其の他 未卒退学. 3 ,300 ,462 2 ,997 ,612. 1 ,403 ,106 973 ,084. 2 ,194 ,059 2 0 2 4 , ,528. 48,O 50,2. 7・7 6,9. 28,6 26,1. 15.7 16,8. 893 ,116 876 ,932. 1 ,908 ,938 1 8 8 6 , ,147. 49,8 41,5. 6,6 5,2. 25,9. 28. 2 ,802 ,055 7 4 2 5 , ,079. 17,7 32.O. 29. 2 ,217 ,571. 800 ,565. 1 ,652 ,770. 40,3. 5.1. 25 26 27. 21,3 21,O. (女部省年報より作成) 一1 16-. 33.6.
(4) . 第 21 巻 第 2 号. 昭和46年2月. 北海道教育大学紀要 (第一部C). ともに 「貧窮」 以外の事由による不就学も看過しえない. とくに 「其の他」 「未卒業退学」 の両 項を合すると4割ないし5割5分にも達するのであり, これらはいずれも学問不要観に基 づく否 定的学校教育観に主として起因していたものとみることが出来, かかる学校教育観が大きく作用 していたであろうことは, 男女別の不就学校数において, 女子の数が圧倒的に男子を上まわっ て い た こ と か ら も 窺 え る の で ある.. しかし, 明治後期に至るとこうした農家における学校教育観にも顕著な変化が現われている. その第一は 「家」 の開拓的立場から把握された学校教育観の袷頭であり, 第二には学校教育の効 用を認める肯定的学校教育観の出現 である, まず第一の変化についてみれば, 学歴や資格による 地位・待遇の差異 が社会のいたるところで見られるようになり, かかる現実に接する機会が拡大 するにつれて立身出世の階梯としての学校教育の効用を 感覚的, 体験的に把握した上層農家およ び比較的に経済的余裕のある中層農家の親たちの中に, こうした開拓的学校教育観が次第に浸透 7年に青森県の地主の家に生まれた柳田泉は, その していっ たものと考えられる. 例えば, 明治2 自伝において 「父は……晩年は交際が広くなって, やはり学問のないということをいかにも不自由に思ったらしい. 男の子 には皆な学問をさせて, 百姓のことは別に本式にしこまなかった, ……父は……おれは百姓の子であり, おれ の家は先祖から百姓をしてきた. それでおれの父も祖父も皆百姓に学問はいらぬといった. おれもそう思っ た. おれはしかし今になってみると, どうにもそうは思えない。 学問は世の中に出るのにどうも必要だと思 う, 百姓のままでいるにしても, 何になるにしても, まず一通りの学問をしておくことがよいという気がす 2 ) 」 る. ……こういう意味のことを聞いたと覚えている,. と, 上層農家におけるこうした親の学校教育観の存在を伝えている, また, 明治31年, 大阪府下 の中農の家に生まれた坂信弥も, 「わが家の暮らしむきはまあ中農といったところだったろう. ……それなのに男三人が上の学校に行けたのは 母の力であった, ……母が教育熱心だったのは, そこにそれだけの理由があった. それは本家の没落をまのあ たりにしていたからである, ……母はいくら田畑, 財産を子供に残しても自分のことだけしか考えないわがま ま者がおれば, 家はつぶれてしまう. 子供にものを残さなくてもそのかわりに教育を与えれば……という考え 3 ) 」 方だったにちがいない. 私は母にいく度となくこの話を聞かされ〔た〕,. と述べており, こうした中層農家における親の学校教育観が看取される, このように明治後期にいたると 「家」 の開拓的立場にたつ学校教育観が次第に拾頭し, 学校は 立身出世の階梯とい う認識の拡大とともに中・高等教育機関への農家子弟の進学は増加の一 途 を た ど っ た の で あ る.. 次に, 肯定的学校教育観の出現という第二の変化についてみると, 第4表, 第5表にみるごと く, 明治37年には村における就学率が男 女とも90%代に達しており, 小学校に行く ことが極めて 第4表. 益. 市町村別小学校就学率 女. 男. 均. 市. 町. 35. 93,O. 96 ,O. 96.1. 89 ,7. 86.2. 87 ,O. 91 .4. 93,O. 91 .4. 96,1. 97,3. 97,3. 95 ,8 97 ,2. 89,4. 37. 64 .4. 93 ,3. 91,5. 95 ,3. 95.4. 39. 96,8. 98,4. 98,3. 98,2. 95 .3. 97.8. 98,9 99 ,O. 98,7 98.8. 96 .5. 43. 98,9 98 ,9. 96 .O 97 ,O. 97 ,2. 97 ,4. 96,8. 97 ,8. 94 ,8 96 ,9 97 ,4. 94 .1 96 ,5. 41. 95.9 97,3. 90 ,7 94 .9. 97 .1. 98 ,4. 村. 平均. 平. 市. 町. 村. 96 ,8 97 ,4. 平均. 市. 町. 98 .1. 村. 平均. 97 ,9 98 .2. (文部省年報より) -11 7-. 91 .6 94 .4 96 .3 97 ,8 98 ,I.
(5) . i i f Educat i i ido Un t lof H0kka ty o ver journa on (Sec s on I C). VO 1 ,21 No ,2. 第5表 高等科進学者比率 明 治. 尋常料卒業者 高等科入学者 比率(%). 35. 769 ,188. 400 ,443. 52 .O. 36. 811 ,560. 429 ,670. 37. 842 ,999. 456 ,520. 52 .9 54 .2. 38. 878 ,659. 39. 815 ,742 911 ,063. 500 ,568 536 ,648. 56 ,9 65 .8. 518 ,127. 56 ,8. 40. (文部省年報より作成). Feb , ,1971. 普通のことと考えられるほどに, 著しい初等教 育の普及 がみられ, 尋常科卒業者の高等科への 進学も20年代とは比較にならないほどに多くな っ ている. こうした就学率の上昇, 高等科への 増加は, 一面ではそこに就学督励という上から の施策による力 が大 きく働いたことは確かであ るが, しかし他面, それに呼応する国民の教育 要求の存したことも事実であり, そこには否定 的学校教育観から肯定的学校教育観への大きな. 転換が認められる. 事実, 明治30年代に入ると, かかる就学率の上昇に伴っ て, 子弟の教育を全 面的に学校に委ねるという 学校依存の風潮が次第に顕在化し 「兎角学校にさへ入れば, 教育は完 4 ) といっ た批判が次々と起っており, こうした 全なるものと思ひ, 無頓着に打過くるものあり」 肯定的学校教育観の登場 したことが窺 える, このように明治後期に至る と 「家」 の開拓的立場から把握された 学校教育観の袷頭, 否定的学 校教育観にかわる肯定的学校教育観の 出現とい った二つの顕著な変化が指摘されるが, しかしそ れは明治前期における 「家」 の守成的立場にたつ学校教育観や学問不要観にもとづく否定的学校 教育観が全く姿を消 したことを意味するものではない. 特に前者は上層農家とりわけ豪農層 の家 庭に,, 後者は生活に余裕のない多く の中下層農家に依然として存続 していたからである. ところで, こうした学校教育観のもとに農家の子弟たちはい かなる進路をたどったのであろう. ロ. 上層農家の子弟の進路 明治後期における上層農家の子弟の進路を人事興信録自 叙伝などを手がかりとしてみると, 次 のような六つの型に要約できる。 AI型 小学校一旧制中学一旧制高校一帝大一官界・実業界・学界 1型 〃1. 小学校一旧制中学一私立大学・専門学校一実業界・マスコミ界. B I型. 小学校一旧制中学一家業経営兼地方役職. 〃 口型. 小学校一旧制中学一私立大学・専門学校一家業経営兼地方役職. I型 〃D. 小学校一旧制中学一旧制高校一帝大一家業経営 兼地方 役職. 小学校一高等小学一師範学校一家業経営 兼教師 \ 旧制中学一師範二部/ A型は, 主として 「家」 の飛躍的発展を期す親たちがその子弟を送り込んだルートであり, 殊 にAI型はその目的 達成の可能性が最も大なる通路として, 次三男層を中心とした有能な子弟を 〃I V型. こ ぞ っ て 進 ま せ た, い わ ゆ る エ リ ー トコー ス で あ る. こ れ に 対 し B 型 は, 主 と して 「家」 の 維 持. .永続 という 「家」 の守成的見地 から, 後嗣としての長男層を中心とした子弟たちが送り込まれ V型は, こうした親の要求に適合 する進路として, かなり多くの子 たルートであり, とりわけBI 弟 を 吸 収 して い る。. 第6表は, 自叙伝から上層農家に生まれた15人の人々を任意に選び, その辿 った進路を示した ものである, 従ってそれは斉総計的意味をもたないことは勿論であるが, しかし, 当時のこうした 地主層の子弟の進路の概要を窺うことは可能であろう. -1 18一.
(6) . 北海道教育大学紀要 (第一部C). 第 21 巻 第 2 号. 上層農家の子弟の進路. 第6表. 府県名. 家 名. 続柄. 生 年. 大 阪 幣原家 長男 明治3年 5年 ‘ グ 次男 7年 新 潟 芳沢家 三男 8年 山 口 岩田家 次男 9年 長 野 田中家 長男 12年 岡 山 正宗家 長男 12年 熊 本 奥村家 次男 19年 兵 庫 永富家 長男 29年 ‘ グ 四男 20年 岡 山 星島家 次男 22年 奈 良 富本家 長男 24年 岡 山 安井家 長男 ? 神奈川 茅 家 長男 1年 ‘ 3 次男 グ 31年 神奈川 河野家 長男. 昭和46年2月. 路. 進. 小子校一私塾一大阪中学・第三高等中学一東京帝大→造士館教授 小学校一大阪中学・第三高等中学一東京帝大→農商務省 小学校一旧制中学一二高一東京帝大一外務省 小学校→山口中学→山口高校一東京帝大一内務省 小学校一高等小学→松本中学一東京専門学校一新聞社 小学校一高等小学→蔽陽学院一東京専門学校一新聞社 小学校一高等小学→済々費一五高一東京帝大一大蔵省 小学校一龍野中学一三高一京都帝大一家業 (村長など歴任) 小学校一龍野中学一三高一東京帝大一外務省 小学校→岡山一中一六高一東京帝大一弁護士 小学校一旧制中学一美術学校→清水組 小学校一師範付小一岡山一中→-高一東京帝大一内務省 小学校一県立第三中学一家業 小学校一県立第三中学一東京高等工業一東北帝大一研究所 小学校一高等小学一県立第二中学一東京専門学校一新聞社. ところで, こうした子弟の進路を統計的数値の面からみる と, 当時の農家子弟の上級学校進学 数は, 第7表のように明治30年代から40年代にかけて, 中学校では, その入学者 の3割5分から 4割が農家の子弟であり, 高等女学校でもほぼ2割が農家の出身者である. そしてこれら農家の 子弟のほとんどが, 地主層の出身者であったことは, 「その頃でも地主の家は別で, 鍋田村には 5 ) とか, 南部と北部に地主が二軒あったが, 地主の子供たちだけは女学校や中学校に進学した」 「ある程度 小作地をもっ て自分のうちでは二, 三反しか耕作していない地主階級の家では中学校 6 )といった自伝にあらわれた当時の回想からも窺えるし, また学資の面から にやるのであった● .」 0年代前半では, 月額3円~3円50銭, 明 もそのことは知られる. 例えば, 中学生の場合, 明治2 治40年代では10円相当の学資が必要であり, それらはほ ぼ当時の普 通労働者の1ヶ月の収入に該 7 ) しかし, 3円, 10円という額は, 経常費にす ぎず, 実際には, 当する額であったといわれる. 0年代の鹿児島県立第一鹿児島中学校の場合, 臨時費として 第8表, 第9表にみるように, 明治4 1円49銭, 最も少ない第5学年でも12円の経費を要しており, また, 県立静岡中学 第一学年では3 ) 鹿児島 0銭必要だとされており,8 校の場合でも, 被服費, 教科書代だけで, 第1学年では17円2. 汰. 第7表 中. 入学者. 農家子弟の上級学校進学者数. 学. 高 等 女 学. 校. 農家出身者 比率(%). 入学 者. 37. 26 ,934 29 ,041. 10 ,307 11 ,668. 38 .3. 38. 40 .2. 7 ,182 8 ,062. 39. 29 ,597 30 ,791. 11 ,788 11 ,963. 39 ,8 38 .9. 9 ,250 10 ,872. 31 ,764 31 ,144. 12 ,050 11 ,815. 37 .9 37 .9. 12 ,773 13 ,728. 11 ,525. 36.1. 15 ,073. 40 41 42 42. 31 ,932. 校. 農家出身者 比率(%) 1 ,543 1 ,923 2 ,105 2 ,336 2 ,904 3 ,153 3 ,295. 21 ,5 23 .9 22 .8 21 .5 22 ,7 23 ,O 21,9. (女部省年報より作成) 一119-.
(7) . do Uni i i i i t t Journalof Hokka ve rs on (Sec on IC) y of Educat. Vo l .21 No .2. 第8表. ≧畏. Feb , ,1971. 鹿児島県立第一鹿児島中学校学資 (臨時費) 概算 (単位は円). 教科書 参考 書. 拳資璽. 服付 文 武術用具 制 携帯品. 1年 2年 3年 4年. 5 ,04 5 ,93. 4 .60. 0.60 0 ,60. 5.40 0 .65. 5 .84 5 .16. 2 ,10. 0 ,60 0 ,60. 3 .15 0 .65. 5年. 5 .55. 1.35. 0 ,60. 0 ,65. 8 ,95 3 ,85. 計. 27 .52. 8 ,05. 3 .00. 10,50. 29 .85. 9 .35 3 .85 3 ,85. 具 0 .80 1 ,20 0 .80. 制. 服 5 ,20 5 ,20 2 .00. 校友会 入会金. 計. 0,50. 31,49 17.43 18 .34. 3 ,20. 2 ,80. 15 ,60. 18 ,56 12 .00 97 ,82. 0.50. 『男女全国遊学案内』 明治4 ( 5年, 博文館より). 「. 第i o表 農家子弟の師範学校入学者数. 第9表 第一鹿児島中学校寄宿舎生徒 月額平均経常費 (単位. 円) 平均月額 ー、 考 備 - - 、 費 用. (上段, 男. 下段, 女). 明 治\. 、 、 ‐ 、 ‐ ー. 授 業 校 友 会 食 舎 小. 計. 料 費 費 費 遣. 1.80 0,20 5.10 0,40. }瀞黄の場合. 『男女全国遊学案内』 より) (. 2 ,111 442. 73 .7 33 .5. 38. 2 ,906 1 ,345. 2 ,118 457. 72 ,9 34 ,O. 39. 2 ,923 1 ,427. 2 ,162 461. 74 ,O 32,3. 40. 3 ,069 1 ,517. 2 ,232 550. 72 ,3 36 .3. 3 7 3 ,2 1 64 ,5. 2 04 ,3 594. 70 ,4 O 38 .o. 1 ,339 37 8. 844 87. O 63 .o O 23 .o. 2 50 ,9 ’. 2 ,107. 68 ,4. 部 4 1. 一. 部. 高 額 な 経 費 を 要 す る 中 学 校 へ の 進 学 は, 資 産 や 固 定 収 入 の 乏 しい 中 下 層 農 家 に と っ て は, ま さ に 「高 嶺 の 花」 で あ り, そ れ は 主 と して 地 主 層. 率 比 (%). 2 ,865 1 ,318. 中 学校 と ほ ぼ 同 額 の 臨 時 費 を 要 した こ と が 窺 え る. こ れ らは月 額 に 換 算 した と し て も か な り の 額 に 達す る の で あ り, い ず れ に し て も こ う した. 葺薯襲. 37. 1.50 9 ,00. 本科入 学者数. 42. 部 部. 1 ,272. 489. 38,4. 二. の 子 弟 に 限 られ て い た と い え る で あ ろ う,. 部. 1 ,534 250. 98 7 53. 64 .3 21 ,2. 次 に, 農 家 の 子 弟 の 師 範 学 校 へ の 進 学 状 況 を み る と, 第10表 の よ う に, 明 治30年 代 か ら4o年. 部. 3 61 ,8 1 2 ,73. 2 9 5 ,6 6 23. 68 .9 O 36 .o. 1 00 ,8 6 21. 1 12 ,1 135. 6 1 .8 21 .7. 代 に か け ては 入 学者 数 の約6 割 5分 か ら7割 を 占 め て お り, 農 家 出 身 者 の 極 め て 多 か っ た こ と が 知 られ る. こ れ ら 農 家 の 子 弟 が い か な る 階 層. 43. 一. 部. (文部省年報より作成). の出身者であっ たかは, なお今後の研究に待たな ければならないが, 長野師範を例にとると, 大 正2年4月の本科生徒父兄の直接国税納入額の調査によれば, 第11表のような結果が示されてい る. これによれば, 県会議員選挙の納税資格3 円未満の者は62人で全体の1割7分, 県会議員の 選挙資格は有する が国会議員の選挙資格をもたない3 円以上10円未満の者は, 73人で全体の2割 である, これに対し, 国会議員の選挙資格をもつ10円以上の者の数は, 226人で全体の6 割3分 を占めている, これは師範学校入学者の大部分が, 中・上層の有産階級の出身であることを示し ており, 殊に, 当時の長野県民2 69人, 県全体の2割6分 3戸中, 直接国税10円以上の者が5 ,52 -120一.
(8) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要(第一部C). 第1 1表 長野師範本科生の納税額別 人数(大正2年4月調) \\\\ ・一~~. -. -」. 全く直接国税を納めざる者 3円未満納むる者 3円以上10円未満の者 0円未満の者 10円以上5 50円以上100円未満の者 100円以上の者. 計. 昭和4 6年2月. にすぎなかったこ とを考慮すれば, これら入学 者の出身階層は, 長野県ではかなり上層部に属. 人 数. 比 率. 22 40. 6 ,1 11 ,I. 73. 20 ,2. 187 24. 51 ,8 6 ,6. 15. 4 ,2. 361. 100 ,0. 『信州大学教育学部九十年史』3 ( 7 6頁より作成). して い た と 考 え て よ い で あ ろ う,. 一方, これを明治43年に行なわれた文部省の 8名の家庭 女子を含めた全国師範学校生徒19 ,59 調査と比較してみると, 農家出 身者は約6割を 占め, 直接国税10円以上を納める家 庭の出身者 は約6割で, そのうち直接国税30円以上の家庭 ) ほ ぼ長野師範の場 は全体の2割5分であり,9 合と合致している, これらの数値の中に地主層 がどれ ほど含まれていたかを明らかにする資料. を未だ持ちあわせていないが, しかし, 長野師範の場合, 農家出身者が7割3分も占めており,全 国的にも男子の場合6割5分から7割が 農家出身者であったことを考え合わせると, 地主層の子 弟が少なくとも2割ないしは2割5分ほ ど入学していたものと推測さ れる. 従 って, 「師範学校 の生徒の家庭は資産乏しく貧窮なるもの多し」 とか 「師範学校は貧民学校なり」 といった当時の o ) 明治30年代をすぎると地方における中学校の設立により 「地方の有力者はその子弟を 世評や,l i l ) といった 多く中学校に入れ, 師範学校を選ぶ者は比較的資力に恵まれないもののみとな った」 こ れ ま での 見 解 は, 必 ず し も 適 切 な も の と は い い が た い. と こ ろ で, 師 範 学 校 へ のこ う した 地 主 層 の 子 弟 の 進 学 は,. ど の よ う に 理 解 した らよ い の で あ ろ. うか, これまで兵役免除, 六週間現役という教職のもつ恩典が, 地主層の子弟とりわけ家督相続 者たる長男を師範学校にひきつけたのであり, さらにまた, 交互にめぐり来る経済界の不況が, 1 2 ) しかし, 兵役上の特典に関して言えば, 兵役免除 その有力な一因であったと推測されている. の特典を有した明治2 0年頃までの時期においては, 兵役を忌避するために師範学校に入学せしめ たということが妥当するとして も, 明治22年以降の徴兵令の改正による六週間現役 の後国民兵役 に服すという師範学校卒の兵役上の特典の大中な後退があり, 六週間現役が果して どれほ どの誘 因力をもっていたかは, 多分に疑問があるといわねばならない. また, 経済不況説に しても, 地 主層の子弟の師範学校への進学が, 経済界の好・不況にかかわりなく, 常に存したことが, 断片 的資料からではあるが窮われるのであり, 必ずしも有力な誘因であったとは考えられない, 私見 によれば, こう した地主層子弟の師範学校進学の第一の理由は, そこにおける 「家」 の守成的な 学校教育観であり, 第二には, 地主層子弟の能力上の問題ではなかったかと考える, 第一の理由 につい てい えば, すでにみたごとく, そこ では田畑や山 林を抵当に入れたり, その一部を売 った 3 ) しか し, 家 産 の 一 部 を 犠 牲 に し り して 学 資 を つ く る とい う 事 例も, 決 して 稀 で は な か っ た が,i. てまで, その子弟をA型コースに送り出す積極性をもちえず, その子弟を師範学校に出し教師に することによ って, 「家」 の飛躍的発展は期待しえないとしても, 「家」 の維持という目標は 達せ られたのであり, そこ においてこ うした 「家」 の守成的意識が強く働いた事例も決して少くは な か っ た と 考 え ら れ る, 次 に, 第 二 の 子 弟 の 能 力 の 問 題 に 関 して は, A 型 コ ー ス, と く に A I型の エリー トコースに 進む能力を持たないこれら地主層の子弟が, 親の守成的な学校教育観や家格意 識と結合して, 師範学校に送り込まれたものと思われる, 第12表は, 先の調査によ って明らかに さ れた長野師範 の入学者の成績である, この表に示された成績上位者は, 成績優秀なるために進 学 したに .下層農家の子弟によ って占められていた可能性が強く, 地主層の子弟の場合, 成績優 -121一.
(9) . ido Uni i i l of Hokka i t Journa t s ver on (Sec on I C) y of Bducat. VO I .21 No ,2. 秀者は, 尋常小学から中学校の系統に進むの が 普通であり, 従っ て成績上位者に入っ ている可. 第1 2表 長野師範本科第一部入学者の高 等小学校卒業席次 (大正2年) \. 能性は極めて少なかったと考えられる. もちろ ん,これらは未だ推測の域を出ないものであり, 明治30年代から実施きれた私費制の問題もあわ. 零屠箸 第合 格二 者次 第一 席の者 第 二席 の者 第 三 席 の者 半ば以上の者 半ば以下の者 未 卒 業 者. せて今後の実証的研究に待たな けれ ば な ら な し、.. m. 中下層 農家 の子弟の 進 路 中 下 層 農 家 に あ っ て は, 中 . 高 等 教 育 機 関 に. 計. 積極的に進出した上層農家と異なり, その多く. 42. 21. 34. 12. 22. 7. 68. 29. 比 率. (%). 26.3 15 .O 8 ,7 36 ,3. 70. 4. 13. 7. 5 ,O 8 .7. 9 19. 8 0. 100 ,0. 『信州大学教育学部九十年史』ょり) (. の子弟は次のような進路をたどっ ている. 1型 〃1. 小学校中退・卒業一家事従事一家業継承・分家・養子・結婚 小学校卒業一実業補習学校・家事従事 一家業継承・分家・養子. B I型. 小学校中退・卒業一丁稚・徒弟奉公一目立. 〃 □型. 小学校中退・卒業一下男・下女奉公一結婚. A I型. Feb . ,1971. C I型. 小学校中退・卒業一職工一自立. 1型 〃1. 小学校中退・卒業一職工一帰郷一結婚その他. DI型. 小学校卒業一師範学校一教員 小学校卒業一師範学校一教員一高等教育一研究者等 BI型 小学校卒業一実業学校一技術官公吏・会社技術員等 〃 亘型. 〃 □型. 小学校卒業一旧制中学一高等教育一官界 ・実業界・地方官吏等. これら諸進路のうち, A型は家事従事型と いってよく, 主として長男およびその子弟の家事労 働力を必要とするだけの耕地を所有した中層農家の次三男, 子女に多くみられた進路である. A I型は主として日露戦争後急速に発展した実 I型は農家における支配的伝統的進路であるが, AI 3表参照). これに対しB型C型は家 業補習学校に伴なっ て次第に増加 していっ た進路である (第1 計補助型と称してよく, 主として耕地面積が少なく家事労働力をさして必要としない下層貧農層 の子弟が, 直 接的, 間接的家計補助を目的として進んだコースであり, それはB型の奉公 型とC 型の職工型とに区分される, B型の奉公型はさらに丁稚・徒弟生活に進むBI 型と, 下男・下女 奉公の進路をとるBn型とに細分化される, B I型は, 一般的に言えば, 尋常小学校中退・卒業 第1 3表 農 業 補習 学 校 学校数 28. 10. 31. 16. 34. 143. 37. 1 ,436. 40. 4 ,407 4 ,592. 43. 生徒数 1 ,427 3 ,423 7 ,255 62 ,918. 実業補習学校・徒弟学校数および在学者数 工 業 補習 学 校 学校数. 生徒数. 商 業 補習 学 校 学校数. 8. 688. 12. 15. 1 ,693. 17. 32. 2 ,250. 45. 82. 124 201. 163 ,309. 227. 5 ,050 13 ,164. 178 ,684. 161. 10 ,718. 190. 徒 弟 学 校. 生徒数 1 ,212 1 ,859. 学校数. 生徒数. 10 24. 3 ,523 7 ,123. 41. 26. 12 ,714 14 ,822. 104. 76. (文部省年報より) -122-.
(10) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 昭和4 6年2月. ないしは高等小学校 卒業後直に丁稚ない しは徒弟として王家に住み込み, 一定期間の修業を積ん で, 年季明け後, 半年から一年の礼奉公を経て主家から独立させてもらうという形態が普通であ る. こうした奉公には例えば会津若松の漆器業塗師の徒 弟の場合, 三種類が存 したといわれる . 1 ( ) 家庭の経済的負担の軽減のために徒弟になった者--家庭が極貧の故に 「ロベラ シ」 の ために, あるいは生家が親方から前借をして親方に子どもをあずけるという形態で この場合 , 徒弟の年令は尋常小学校卒の数え年12 3歳の子どもが多 い , . 2 ) 技術の習得・生活の自立を目的として徒弟になった者 --14 5歳から徴兵検査までの { , 年季を親方の家に住み込み, 技術を習 得して年季明け後独立するという形態, 執 同業者の子弟が修業のた めに徒弟になった者 -- この場合は徒 弟の親の方で一切の仕着 t せをもって期間を短縮する場合があり, これら子弟は年季明け後の身のふ り方を心配する必要 は 全く な か っ た,. これら三種類のうち最も多かったのは,{ 1 2 )と( )の中間的な場合で, 徒弟の出身は近在の農家の次 i 4 ) こうした農家の 次三男層の徒弟への進出は 漆器 三男, 市内の貧困者が多かったといわれる. , 業に特有なものではなく, かなり一般的な傾向であったとみてよい. 例えば, 会津本郷の陶 器業 を営むある窯元に奉公した一古老の 「明治二十二年に生れ, ……小学校を高等三年で終えて明治三十七・八年頃十五歳で川南の佐竹富三窯へ弟子 入りした. その頃弟子は自分一人であったが, 以後ふえて延五人位になった, 徒弟は農家出身者が多かった 6 1 ) (傍点は筆者) が, 町内から来る者もあり, 同業者の子弟なども弟子入りしていた. 」. とい った回想からもその一端は窺えよう, ところで, これら農家出身者の徒弟の場合, 年季明け後も容易 に独立できず, そのまま主家に 職人として留まるか, あるいは他の親方のもとで職人として働き, 資金を蓄積した後独立すると い う事例も多く, 従って, 塗師の徒弟の場合, 徒弟一職人→賃物 師 (特定の 「たな」 から前 貸し や仕込みを受けて専属 となる) →請物師 (複数の 「たな」 と関係を有し, 基本的 には自己資金で 経営を行う) →売物師 (いずれの 「たな」 にも従属せず, 独立して製造販売を行う) →問屋業と いう上昇コ←ス において, 徒弟から問屋業まで上昇するということは極めて稀であり, 職人のま 1 6 ) ま一生を終える者も少なくなかったといわれる, こうした職人の徒弟の世界は, 商家の丁稚奉公の世界と基本的には大差なく, ただ後者 の場合 , 経済生活自体により密着していたために, 前者に比し致富による上昇の機会がより開けていた と いう点が特徴的である. 従っ て明治期にあっ ては, 商家への丁稚奉公型コ スが 容易に高等教育 機関に進め ない中下層農家子弟にとっ て最も手近で上昇可能性を秘 めた進路として存したの で あ る.. 一方BI I型の進路は, 小学校中退ないしは卒業後, 男子の場合, 地主などの家 に作男とし て住 み込み農事に従事し, 女子は地主や商家などに下女として奉公にあがるコース であり, 貧農層の 子女, 次三男の歩んだ上昇のみちがほとんど閉ざされていた進路である, 明治2 9年および30年の 両年にわた って小作人の生活事情を調査した横 山源之助は, 当時の貧農層子弟の実態を 次のよう に 述 べ てい る, 「小作人全体及び小さき自作農の若い者にして, 作男となりて外に出でざるはほとんどなし, 十五歳にもなり て家に遊ばせ置くは天道様に対して相済まぬと思へる故のみならず, 幾分なりとも家計を楠 はしむる迫れる必 要ある故のみならず, 亦た外に奉公に出だすを以て少年を成人せしむる一の準備なり教育方法なりと思へるも 1 7 ) あり」 一12 3-.
(11) . Feb . ,1971. ion (Sect i iver i ido Un ty of Bducat on I C) l of Hokka s journa. Vo l ,2 ,21 No. こうした横山の報告にみるように, 小作人など下層農家子弟の多くは, 作男となりて地 主など の家に住み込み農事に従事 したのであり, それはロ ベら しと家計補助とい う現実生活の当面せる 必要からと られた進 路であると同時に, 他面では子を一人前の人間にするために とられた庶民の 教育方法でもあったのである. ところで, この進路に進む子弟の数は, 資本主 義生産機構の発展 した明治後期にあっ ては, 前期に比し次第に減少の 一途をたどっ たのであり, このことは 「工業 8 ) とか, 「以 1 の発達と共に年に農業労働者の減少 し行くは, 国家前途の為に寒に憂慮なき能はず」 ) とい っ た 1 前は下女たるべき 農民漁 民職人の少女に して, 工女となるもの実に少 からざるなり」9 当時の言葉 からも窺えるであろう, 次に, 職工型 (C型) の進路についてみると, 第14表に示されているように, 日清, 日露の両 戦争を経て日本の資本制生産が急速に発展し, それに伴う賃労 働者の需要も著しく増大 した, こ れら労働力給源の 基幹部分は寄生地主制と資本主 義経済の浸透とによ って 急激に増加 した 窮乏農 家層であり, その次三男, 子女を中心とした農村の過剰労働力が, ロ ベ らしと家計補助とのため に, 劣悪なる労働条件にもかかわらず, 賃労働者として炭鉱山, 金属機械, 紡績な どの諸工業に 2 0 ) 第15表は, 大阪私立教育会が明治30年当時の大阪府下の職工50人以上 を 吸収されたのである. 工場数および職工数. 第1 4表. \. 工. 明治\. 市. 営. 27. 17. 29. 31. 民. 数. 女. 男. 計. 営. 工. 職. 数. 場. 計. 5 ,982 7 ,640. 5 ,999 7 ,671. 155 ,585 191 ,721. 240 ,374 262 ,659. 395 ,959 454 ,380. 7 ,085 7 ,284. 7 ,118 7 ,362. 198 ,966. 236 ,098. 435 ,064. 196 ,219. 259 ,138. 455 ,357. 7 ,867 9 ,244. 229 ,576. 315 ,535. 545 ,111. 216,965. 319 ,832. 10 ,427. 348 ,338. 378 ,682. 536 ,797 727 ,020. 31. 33. 33. 42. 35. 46. 37. 10. 7 ,821 9 ,234. 39. 66. 10 ,361. (農商務省 『農商務統計表』 より作成) 有する22工場の職工の教育程度に関する調査結果である, これによれば職工 15 ,680 人 の う ち, 義務教育を全く 受けていない者 が約4割, 義務教育中途退学者が約5割で, 尋常小学校卒業者は 約1割にすぎない. これを男女別にみると, 男子の無教育者は約3 割であるのに対し女子は約 4 割, 尋常小学卒業者は男子が約2割い るのに対し, 女子は一割にも満た ず, とりわけ女子の教育 程度の低かったことが窺われる, 一方これを年令別にみると, 10歳未満では約7割の者が義務教 育を全く受けておらず、 残りは中途退学者であり, 10歳以上14歳未満では, 無教育者4割, 少し 第16表. 少し教育を受けた者. 1 ,327 2 ,509. 27 ,2% 51 ,4. 尋常小学卒業者. 1 ,042. 21 .4. 4 ,878. 100 ,0. 計. 計. 女. 男. 一・. 無教育の者. 0年) 職工の教育程 度 (明治3. 雲 孝一r 雀 10 ,802 1. 100.O. 5 ,980 7 ’771. 38 .2%. 1 ,929. 12 .2. 15 ,680. 100 .0. 49 ,6. 0頁より) (横山源之肋 『日本の下層社会』18 一124-.
(12) . 一部C) 北海 教育大学紀要 (第一部C 北海道教育大学紀要. 第 21 巻 第 2 号. 昭和4 6年2月. 教育を受けた者5割4分, 尋常小卒6分である. 14歳以上では, 無教育者が約4割近くおり, 義 務教育欠陥者は8割5分にも達している. このように職工の教育程度は極めて低かったのであり, 下層農家子弟の多 々土, 義務教育さえ満足に受けることなく, このC型のコース へと進んだので I型は, 結婚, 職工生活への不適応, 羅病などの理由により家郷にもどり, 再び ある. なお, CI 農業などに従事した者がたどったコースである. 第16表は, 明治42年の出稼女工の帰郷数とその 原因を示したものであるが, 出稼女工総数の約4割が再び同年中に帰郷しており, このコ ースを たどっ た者もかなり多かったことが窺える. 第1 6表. 実. 数. 百分比. 出稼女工の帰郷原因 (明治42年). 出稼女 工総数. 曇工饗. 16 ,989 100 ,0. 7 ,320 43 ,1. 疾. 病 1 ,324 18 .1. 労働に. そ の 他. たえぬ者 357. 不. 4 ,395 60 .O. 4 ,9. 明 1 ,244 17 ,0. 7年刊)142頁の表より作成, 本調査は新潟・千葉など8県に 藤林敬三 『労働者政策』(昭和1 おける明治42年中他地方に出稼した者で同年中に帰郷した者の調査.. 次に, D型E型は進学型と総称しうる進路であり, 主として向学心にもえた能力ある子弟たち がたどったコースである, ま ずD型師範学校コースは, E型が比較的ゆとりある中層農家子弟に 限定されていたのに対し, 学資不要という師範学校の特殊性から, 中層農家ばかりでなく下層農 家子弟の進みえた唯一の進学コース であった. 前掲の第10表, 第11表から6割から7割5分近く の農家出身者のうち, 7割5分ないし8割が中下層農家の出身であ ったと推定され, 特に長野師 範本科生の納 税額人数を示した第11表によれば, 県会・国会議員選挙資格をもたない納税額3円 未満の下層家庭の出身者が62人, 全体の1割7分を占めており, これらの中にかなりの貧農層子 弟が含まれていたことは十分推測される, このようにこの師範型コースは, 経済的にゆとりのな い多くの中下層農家にとって, 学校教育機関を通じて上昇しうる機会の最も開けた進路 であった と い っ て よ い で あ ろ う, 一 方, E 型 コ ー ス に つ い て み る と, ま ず B I型の実業学校コースは, 第1 7表にみるように明治 第1 7表. 中学校程度実業学校数・生徒数. :\1 農 業 学 校 明 治 \1学校数 49. 生徒数. 工 業 学 校. 学校数 16. 107. 4 ,527 7 ,772 11 ,442. 63. 10 ,046. 30. 70. 11 ,492. 31. 77. 12 ,685. 34. 80. 13 ,427. 34. 77. 18 28. 商. 生徒数. 業 学 校. 学校数. 生徒数. 3 ,078 1 ,993. 28. 2 ,997 4 ,279 4 ,945. 52. 4 ,913 5 ,583. 62. 16 ,940 19 ,082. 67. 20 ,437. 41 47 54. 6 ,544 9 ,841 12 ,821 13 ,448. (文部省年報より作成) 32年の実業学校令により実業教育制度が一応確立し, 次第にその生徒数も増加の一途をたどり, 農家子弟の進学もみられるようになったが, しかし, その数は相対的には極めて微々たるもので あり, そこへの進学者の階層も比較的経済的にゆとりある中層農家に限定されていたとみ 、なけれ -12 5-.
(13) . i ion IC) ido Un i i l of Hokka t Journa t ver on (Sect s y of Bduql. Vo l .2 .21 No. 第i9表 家 名. 続柄 生 年. 村松 家 篠原家 長谷川家 中野家 西川家 石原家 井村家 西尾家 三 島家 山崎家 前田家. 長男 明治5 9 長男 1 5 三男 1 5 次男 2 1 四男 2 3 長男 24 五男 24 三男 26 五男 26 長男 26 三男 26 長男 28 次男 33 三男 35 長男. 府県名 長. 野 愛 媛 兵 庫 福 岡 奈 良. 京 都 長 崎 香 兵 群 大. 川 庫 馬 阪. 神奈川 柳 田 家 長 田 家. 滋 賀. 宮 城 佐々木家 兵 庫 井植家. Feb . ,1971. 中下層農家の子弟の進路 進. 路. 小学校一代用教員→長野師範一小学校教員 小学校一私塾一尋常師範一小学校教員一高等師範→京大一研究者 小学校一丁稚奉公一諸店・諸業を遍歴一大阪三成社創立 小学校一家業→筑豊鉄道一回漕店門司出張所開設 小学校中退一徒弟奉公一諸鉄工所遍歴→西川鉄工所創設 小学校→京都農林学校一府庁農業技手一南方開発一会社設立 小学校一行余学舎一新聞配達一台湾一中テ撒水電支配人 小学校一徒弟奉公一大日本労働総同盟大阪連合会常任委員 小学校一書生(独学)→立教中学編入→-高一東大一研究者 小学校一丁稚奉公一回米問屋支配人一回米問屋開業 小学校一丁稚奉公一新聞販売店経営→南大阪新聞創刊 小学校一尋常師範一教員一検定一師範教員→京大一研究者 小学校一丁稚奉公一呉服店番頭一織物問屋へ養子 小学校一臨時人夫一労働者として諸店遍歴一労組委員長→仙台市議 小学校一船員→松下電機製作所一同社専務. I型の専門学校や大学などの高等教育への進路は, 中下層農家の子弟にとっ ばならない. 次にEI てはほとん ど閉ざされていたといっ てよく, わずかに富裕中農層の能力に恵ま れた ごく少数の子 弟たちが進みえた進 路にすぎなかっ たのである. 第19表は, 自叙伝から中 下層農家に生まれた人々を任意に摘出し, そのたどったコースを表示 したものである. 従っ てそれは統計的意味をも つものではない 第, 8表 専門学校 (実業専門学校 を含む) 数・生徒数 明 治. 学校数. 生徒数. 32. 49. 13 66 ,9. 34. 61. 4 7. 19 ,670 22 5 ,44. 63 64 74 83. 95 29 ,4 3 1 9 5 , 2 3 3 71 ,4 3 51 4 ,4. 36 38 40 42 44. (文部省年報より作成). が, こ れ ら 農 家 の 子 弟 が い か な る 進 路 を 現 実 に た ど っ た か, そ の 一 端 を 窺 い 知 る こ と が で き る で あ ろ う. 一 見 し て 明 ら か な よ. う に, こ れ ら 中 下 層 農 家 子 弟 の 進 路 は, 上 層 農 家 子 弟 の 進 路 と は 極 め て 対 嫌 的 で あ る. 兵 庫 県 の 長 谷 川 家 の 三 男 を は じ め, 多 く の 子 弟 が B I型の丁稚徒弟奉公型の進 路をとりそこから上昇 し て い る が,. 自 叙 伝 に み る 限 り こ の B I 型 の コ ー ス が,. 中下. 層 農 家 子 弟 の 最 大 の 上 昇 路 で あ っ た と い っ て よ い で あ ろ う, ま た, 香 川 県 の 西 尾 家, 宮 城 県 の 佐 々 木 家 の 子 弟 は CI型, 長野 県 の 村 松 家 の 子 弟 は D I型, 愛媛県の篠原家, 神奈川県の柳田. I型, 京都の石原家の子弟はEI型, 兵庫県の三 家の子弟はDI I型であり, これらは各進路の典型的事例である, なおA型, Bロ型, C型の進 島家の子弟はBI 路については, これらのコースに進んだものが極めて多かったにもかかわらず, 自叙伝などには その事例をほとんど見い出すことができず, このことは逆にこれらのコースに上昇可能性がほと ん どな か っ た こ と を 物 語 っ て い る.. 結. 語. 以上, 明治後期における農家の 学校教育観とその子弟の進路とを階層的にみてきたが, これを 要するに, 農家の学校教育観は, 明治後期に至ると 「家」 の創造的・開拓的立場から把握された 立身出世の階梯 としての学校教育観の 袷頭がみられるとともに, 中下層農家における学問 不要観 一1 26一.
(14) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 昭和4 6年2月. にもとづく否定的学校教育観から, 子弟の教育を全面的に学校に 委ねるといった如き肯定的学校 教育観への転換という大さな変化があらわれている , かかる学校教育観の変化は, その子弟の進 路にも端的に あらわれており, 上層農家にあっては子弟の中・高等教育機関への進出が一層その 数を増 し, 比較的に経済的余裕のある中層農家にあっ ては, 子弟の上級学校への進学が 顕著とな り, 実業学校, 師範学校, 専門学校などへの進学が増加の一途をたどっている. 一方, それ以下 一 の中下層農家にあっ ては, 初等学校への就学が一般的になり, 従来の徒弟奉公, 下女奉公などに かわっ て近代産業社会 への進出が次第に顕著になっ ている, そこには 「男の子は上方へ丁稚奉公 にやらな出世 しゃ へん」 2 1 ) といった庶民の伝統的教育観が依然として存続したものの , 資本主義 の発達に伴う社会産業構造の変化は, 次第にこうした教育観を非現実的なものにしていっ たので あり, そこに 子弟教育観の構造的変化をもたらさずにはおかなかったのである , 註 1) 北海道教育大学紀要, 第2 1巻第1号参照, 2) 柳田泉 『明治の書物・明治の人』24 1~2 42頁, 3) 坂信弥 『私の履歴書』 第18巻, 日本経済新聞社, 12 9~13 0頁. 4) 「家庭雑誌」 明治2 7年, 第4巻, 第33号, その他, 同誌第42号, 「日本の家庭」 明治2 9年, 第4号など, 当時の家庭雑誌にこうした批判警告が沢山現われている, 5) 田島ひで 『ひとすじの道』18頁. 6) 寺島文夫 『人生はわが学校』18頁. 7) 深谷昌志 『学歴主義の系譜』1 74~1 76頁, 346~349頁参照. 8) 博文館編 『男女全国遊学案内』 明治4 5年, 博女館, 482~484頁. 9) 「師範生徒の家庭」 「帝国教育」 明治4 3年8月, 第33 7号. 10) 『信州大学教育学部九十年史』3 7 6頁. 11) 唐沢富太郎 『教師の歴史』 昭和30年, 創女社, 91頁. 12) 同上書, 88~9 0頁. 13 ) 拙稿 「明治期の農民家庭における子弟教育- 『よき家人』 の形成を中心として-」 北海道教育大学紀要, 第2 1巻, 第1号参照, 14 ) 佐藤守他 『徒弟教育の研究』312~3 13頁. 1 5 ) 佐藤守他 『徒弟教育の研究, 面接調査資料』51頁. 1 6) 佐藤守他, 前揚書 3 01~302 13頁参照, ,3 1 7) 横山源之助 『日本の下層社会』 岩波版 273頁. 18 ) ) 同上書, 2 7 6頁, 2 7 5頁. , 19 0) 森喜一 『日本労働者階級状態史』99頁以下参照, 2 2 1) 井上貞治郎, 『私の履歴書』 第10巻 12 5頁,. -1 7- 2.
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