ヤコビにおけろ
意思表示のレヒツシャイン
由暑
多了
序1本稿の企圖
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前稿においではヤコビの意思表示概念を次のように理解した︒すなわちこの概念は意思表示の効力獲生の根猿から
して把握されるべきであつて︑そうするときは︑効果意思存在の槻念と信頼とを畳醒する表示者の意識的な行爲とし
て理解せられる︒從つて︑表示行爲がさような観念と信頼との豊醒意圖を具えている以上︑よしんば効果意思そのも
のを伴わなくとも︑そこには表示における意思の欠鋏はないのであり︑叉さような畳醒意圖が表示行爲を手段として
達成されたかぎりで︑たとい表示手段に適切を欠いていても︑そとには意思と表示との不一致はないのである︒故
に︑ヤコビが意思と表示との合致として理解するものには︑内心的効果意思ある表示と内心的効果意思なきも内心的
効果意思ありとの観念と信頼との畳醒意圖ある表示との二つの場合が含まれるわけである︒
(註)拙稿﹁ヤコピの意思表示概念﹂商學討究三馨四號三九ー六八頁︒
しかし乍ら︑かような意思表示概念の前に立ちはだかる一つの難問は︑表示がヤコビのいわゆる観念と信頼との畳
ヤコピにおける出息思表示のレヒツシャイy
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商學討究第四巷第︼號
醒意圖までをも欠歓した場合に︑この軍なる表示が必すしも無効とはならないところにある︒そこで︑箪なる表示の
効力嚢生の根擦を獲見することがヤゴビの次の課題となる︒彼はこれを﹁意思と表示との不一致﹂という題目の下に
彼の﹁意思表示論﹂第一章第二節に取扱つている︒その際︑彼の騙使する武器がレヒツシャイン法理である︒本稿で
は彼の論述を理解しながら︑意思のない軍なる表示につい℃意思表示のレヒツシャノ・ンを考察して見たい︒
(註)岡川﹁表示の公信力﹂法商研究一巻二號七九頁以下に主としてこの部分な取扱つたものてある︒われわれに今その一暦詳細
なろ理解な期しれいと思うのであろ︒
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二意思なき表示
ヤコビによれば︑﹁意思なき表示﹂(舞Φ国詩鼠葺βσQoげ昌①白白①)の効力襲生の根撮は︑﹁その表示に相手方が
信頼しうべきこと﹂に存するという︒そのかぎりで︑意思なき表示は﹁信慧性ある意思表示﹂の問題にぞくする︒
(註)﹄きoぴ把U冨日ヶo負8・ドリ≦筥①ロ︒・o同匡弩暮σq露.コo・ωH●前稿序に一言し雲通り︑本稿取扱うところの第二節な含む第一章は
﹁信樋性あろ意思表示﹂と標題づけられている︒
ヤコビは意思なき表示の信慧性を次の二つのドイッ法原理に從つて論定する︒
第一にドイッ法の原理に從えぱ︑或人の行爲に蹄着せしめられるべき意思されざる効果もまた意思された効果と屡
々同覗される︒だから︑意思表示の拘束を獲生する決定的な根擦は︑﹁自己の任意な行爲にょつて意識的にまた無意
識.的に拘束への信頼を喚起した﹂黙にある︒當面の課題は︑その無意識的に拘束への信頼を喚起した場合である︒こ
の場合表示者が相手方の信頼を知り且つ欲して喚起したわけではないが︑相手方の信頼が表示者の行爲に臨着せしめ
られうべきかぎりで保護されるのである︒
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(註)﹄鷺oぴ♂鉾費ρのGob9・他人の行爲に蹄着ぜしめられうべ奇信縦が保護されるのであつて︑輩なる信輯が保護されるのではな
いから︑ウィントシャイトが︑欝造にょつて自己の名前な手形に書かれれ者でも費任な負うことがないのは何故か︑と反問すうが
如・きは誤解である︒譲言負阻oゲo幽島噛一8>りoげ●や旦く・憎辱9図・ひもpロe●cQO︒=の論丈でウィントシャイトは雨㊦加⑳刈O劇に今日う敦われて
いる原則を手形のために攻撃しているのである︒
爪何︑本丈瓶述べた考え方は郎髄Kヤコビの口冨≦①同陣弓9Ω弓凶㊦門oゴ昌び貯σq●コσ・噂HOOH燭ω︒].OOH肉・や一)僧訟≦の昌冒触一ぢ宙門舞冒H﹂oαq凶自bH"臨O口o巨‑
目窪︒㌍HOO9己D・Nひh・︾ひに見受けられる︒いわー9ろ原因主義(<Φ冨三髪︒・ロコαq︒・℃二冨鼠娼)の原理な考えていろのであろ︒そして︑
意思ある行爲のみならず︑意思なき行爲も蹄貴原因糞りうることを明かにしようというのである︒この鮎について拙稿﹁レヒツ
シャイン法理の構成﹂一橋大學法學會編現代法學の諸問題七七‑七八頁参照︒
だが問題なのは︑それならぼ何故にその場合損害賠償の義務を生ぜしめるだけにとどめられずに︑進んで表示通り
の効力嚢生が認められねばならぬのかである︒ここに﹁全ドイツ私法を貫く第二の原理﹂が登場する︒
(註)智oげ♂oσ①巳鈍原因主義そのものからにぜいぜい損害賠償[の義務が導・き出されうるだけであるということに︑それと結びつ
く﹁第二の原理﹂おる外観主義の性格に損害磯生の防止という政策的なものな盛り込む理解の仕方にとつて︑一の伏線となるで
あろう︒われわれば他の機會にレbッシャィン法理の性格の一班なそのように理解しれことがあろ︒拙稿・前褐八〇頁滲照︒
この第二の原理は︑本來法律的効果の嚢生に必要なる事實のほかに︑次のような事實もまた効力を生じうるという
ことである︒その事實とは℃なるぼど法律的効力獲生のための一または他の要件を欠いてはいるが︑しかし生活の通
例に從乏ば︑しかも法の規準となる欺態では︑すべての要件を具えているとの外観を俘う一定の外部的徴表を示す事
實である︒ここに椹利に樹して灌利外襯が認識せられる︒構利外槻すなわちレヒツシャインが効力を生する根擦はこ
うである︒レヒッシャインを形成する事實は︑墜倒的多数の場合において権利が存在するほどに︑精選されたもので
あるから︑訴訟においては立鐙上の推定を正當化し︑しかも取引においては︑レヒツシャイァを信頼する者は誰でも
このレヒツシャインを信頼することができ︑從つて本來必要なる裏實のそれ以上の要件を審査するには及ばないので
ヤコピにおける意思表示のレとツシャイy
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﹂ 商學討究第四春第一號
ある︒
(⁝註)OOり孕燭①げO眉ユ孚このような考え方も既にヤコビの一)冨嵩①二娼帥鳳Oh㊦一葺ぴ畝﹁嘩≒q己90qややO器≦①㎏な"覧①同舘ロ
ピoαq崔日鎗ざ舘日峯9噂融o慶・劇ScO卜oに見受けられる︒水交で彼のいわゆろレヒツシャイソ概念が原因主義と一慮切.り離して読かれ
ていろように︑當時のこの概念は今圓われわれのいうレヒッシャイソ概念と異ろ.だからこそ彼はそれに原因主義為結合しよう
というのである︒拙稿﹁ヤコビの意思表示概念﹂商學討究三巻四號五六頁註参照︒
荷レヒツレヤイソが取引上信顧しうろという効力な有することについては︑例えばドイッ民法第八九二ー三條な︑またレヒツ
シャイゾが立詮上の推定為件うことについては︑例えば同第八九一條な参照︒U舘oぼ燭岱●薗・O●の.ωS
かように︑表示者におけるレヒツシャインの喚起と相手方におけるレヒツシャインの信頼とが相侯つて︑意思なき
表示が効力を焚生するのである︒故にヤコビはいう︒﹁表示は第一に通常は観念覧醒が意思されたが故に効力を生す
る︒第二にそれは︑萬が一親念畳醒が意思されなかつたときでも︑或範園において効力を生する︒すなわち︑表示者
の意思の外観が存在し︑それが表示者の責に露すべき仕方で表示者により喚起され︑そして相手方がそれに信頼した
のであるならばである︒ここで︑第二の場合に効力嚢生が萬が一に已むをえすにしか認められないというのは︑けだ
しこの場合には外観になお親念畳醒意圖の信頼がつけ加わらねぼならず︑しかもそれでいて外観が必すしも効力を生
ハ するとはかぎらす︑少くとも大部分は効力が距否されうるからである︒﹂すなわち︑﹁取消原因による表示の取消があ
ハ れば︑表示されたものは効力を有しないか︑叉は若干の効力をしか有しない︒﹂若干の効力とは︑表示のレヒツシャイ
ンに信頼した者が表示者に封し損害賠償講求椹を獲得することで︑ドイッ民法典第一二二條に定められる︒
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2Uo屋.嘘㌍騨.ρ匂ロ.G︒H︒
3このことはレヒッシャイソの損害賠毅的軽絡な端的に物語る︒ドイッ民法はいわゆス誹諌表示(第一一八條)と錨誤(第一一
九條・第一二〇條)との各場合に︑表示の無効または販清によつて損害彪蒙り療信頼者の利盆な保護すろ表めに︑一定の損害賠
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