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シ エ ナ の サ ン タ ・ テ レ ー サ 礼 拝 堂 の 図 像 プ ロ グ ラ ム

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︻論      文︼

シエナのサンタ・テレーサ礼拝堂の図像プログラム

甲   斐   教   行

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シエナのサンクイリコ通り三六番地に位置するサンタテレーサ女子寄宿学校附属礼拝堂はプリズモ宗教画の殿堂として一九世紀イ

タリア絵画史に特異な位置を占める筆者は永らく同礼拝堂の絵画図像の研究を試みてきたが現在閉鎖中の寄宿学校は係争の対象となっているため立ち入りが不可能である実地検証は後年の課題

として現在の知見の範囲内で礼拝堂の図像プログラムについて検討をおこなっておきたい

   一︑礼拝堂の沿革 一八七七年シエナのレオポルドブファリーニ司祭︵一八四〇│ 一九一七年︶は 良家の子女のためサンタテレーサ寄宿学校の設立 に着手したプリズモの建築家ジュゼッペパルティーニに委ねられた建設工事は一八八一年に終了したが前年にはすでに三部屋と開 ロッジェッタ

にグロテスク装飾が施されている続く一八八二年にはより貧しい家庭の子女の寄宿学校に充てるため隣接するサンティクイリコ

ジュディッタ聖堂と接した建築に改築が施されたしかし同聖堂の使用許可が下りなかったためブファリーニは一八八五年四月に再

びパルティーニに依頼してこの改築部分の内部に新たに礼拝堂を建設させた礼拝堂は同年八月には完成している

礼拝堂の格天井はバリッリーニが制作しジョルジョバンディーニ

が装飾を担当した大理石の主祭壇はレオポルドマッカーリが担当したさらには寄宿学校および礼拝堂の守護聖人であるアビラの聖女

テレーサの生涯を扱った絵画一一点︵主祭壇画のプレデッラ三場面を含

む︶さまざまな聖人を描いた絵画一二点カルメル会の歴史に関わ る天井画三点合計二三点が一八八年から一九年にかけてのさまざまな時期に少なくとも六人の画家の分担によって制作された

本稿の主題となるこれらの絵画群について順を追ってその主題を概観してみよう

礼拝堂の天井には入口側からリッチャルドメアッチ

の円形画エリシャ︵一八九〇年頃︶フランキの聖シモンストックに肩衣を授ける聖母︵一八八二年︶メアッチの円形画エリヤ

︵一八九〇年頃︶が配されている

入口壁の左右にはジュゼッペカターニキーティによ

アレクサンドリアの聖女カテリーナ︵一八九〇年頃︶とメアッチによる聖女チェチリア︵一八九〇年頃︶が配されている

右側の壁には入口側から作者不詳の三人の幼児を連れた聖人の絵︵主題については後述︶ガエタノマリネッリの甥を蘇生させ

る聖女テレーサ︵一八八五年以前︶アレッサンドロフランキの聖ルイジゴンザーガ︵一八九〇年︶窓をはさんでカターニの聖ヴァ

ンサンポール︵一八九〇年頃︶マリネッリの聖女テレーサの死

︵一八八五年以前︶マリネッリのシエナの聖女カテリーナ︵一八八二

年︶が配されている

祭壇壁には向かって右からマリネッリの聖ヨセフ

︵一八八五年以降︶マリネッリの聖女テレーサ没後の最初の奇跡

︵一八八五年以降︶フランキによる主祭壇画聖女テレーサの法悦と三つのプレデッラ︑︽修道院に入る聖女テレーサ︾︑執筆する聖女

テレーサ︾︑修道院の建設を命じる聖女テレーサ︵一八八〇年︶マリネッリの聖女テレーサの列聖︵一八八五年以降︶フランキの

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ルメル会の聖母︵一八八二年︶が配されている主祭壇画の手前の聖体用祭壇は作者不詳のキリスト復活によって飾られている

左側の壁には祭壇側からマリネッリの聖ベルナルディヌス

︵一八八五年以降︶フランキの少年イエスの聖女テレーサへの出現

︵一八九四年︶フランキの聖女アグネス︵一八九〇年︶フランキの十字架の聖ヨハネに修道衣を授ける聖女テレーサ︵一八九九年︶レオー

レオンチーニの聖トマスアクイナス︵一八八四年︶フランキの聖ペドロアルカンタラの聖女テレーサへの出現︵一九〇〇

年︶メアッチの聖ジロラモエミリアーニ︵一八九〇年頃︶が配されている

なお一八八二年は聖女テレーサの没後三年祭に当たり礼拝堂

の装飾がこの機会に合わせて計画された可能性が高い

サンタテレーサ礼拝堂を飾る絵画群の図像に関する詳細な先行研

究は残念ながら存在しない次章以降天井画聖女テレーサ伝聖人図の順にまた原則として表された物語の古い順にその図像を

検討していくことにする

   二︑天井画 リッチャルドメアッチエリヤ︵一八九〇年頃︑図5︶ エリヤはカルメル山上に跪き空中に浮かぶ足形の雲を見つめ両腕を拡げて嘆賞している傍らの樹木には銘帯が絡みそこには 次の一節が記されているECCE NVBECVL[A]/ PARVA/ QVASI VESTIGIVM/ HOMINIS ASC/ENDEBAT DE MARI︵﹁ご覧下さい︑足

形ほどの小さな雲が海から上がってきます﹂︶この出典は第三列王記 一八章四四節で預言者エリヤに対する従者の返答を示すものであるエリヤはバアル神を信仰するアハブに干魃の到来を預言していた︵同

書一七章一節︶干魃の到来より数年後エリヤはカルメル山上でバアルの預言者たちに唯一の神の権威を示し全員をユダヤの神に帰依さ

せた︵同書一八章二〇│四〇節︶こののち山頂に登ったエリヤが従者に七度海の方を観察させ七度目に従者が答えた言葉が銘文の内容

であるエリヤは従者に︑﹁アハブのところに上っていき激しい雨に閉じこめられないうちに馬を車につないで下っていくように伝え

なさい長年の干魃の終焉を預言するこの後激しい雨が降り預言は実現する

エリヤの視た雲は無原罪聖母の予型とされる後年アレッサンド

フランキはジェノヴァのキアッペート神学校壁画無原罪受胎の教義の中にエリヤを描き込みIN SEPTIMA AVTEM VICE ECCE NVBECVLA PARVA QVASI VESTIGIVM HOMINIS ASCENDEBAT

DE MARI ︵七度目に︹曰く︺︑﹁ご覧下さい︒足形ほどの小さな雲が海から上がっ てきます﹂︶すなわちメアッチの円形画と同一箇所を示す銘帯をもたせている

カルメル会の起源は一二世紀にカルメル山に住み着いた十字軍兵士たちにあり一三世紀にはエリヤの泉周辺に僧坊を構えてエリ ヤの孤独な隠修生活を模範としたことに始まる カルメル会の伝承によればカルメル山上で無原罪聖母の予型を視たエリヤは聖母誕生

以前に未来の救世主の母を崇拝する宗教結社を結成したとされ信徒たちはカルメル山上にエリヤが築いた礼拝堂に毎日集まり未来の

聖母への祈りを捧げたという カルメル会がエリヤとその後継者エリ

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シャを伝説的な創始者とする根拠がここにある リッチャルドメアッチエリシャ︵一八九〇年頃︑図6︶

エリシャは地面に坐し右手の杖を支えに上体を起こしている左手に握る銘帯は中空に渦を巻きそこには次の一節が記されている

IN DIEBVS SVIS/ NON PERTIMVIT PRINCIP/EM ET POTENTIA

NEMO/ VICIT ILLVM︵彼は生涯どんな支配者にも動ずることなく︑誰か

らも力で抑えつけられることはなかった︶この出典は集会の書四八章一三節であるエリヤの弟子でやはりカルメル山を拠点に預言を

おこなったエリシャもまたエリヤとならんでカルメル会士の崇拝の対象となった

アレッサンドロフランキ聖シモンストックに肩衣を授ける聖 ︵一八八二年︑図7︶ 雲の上で大勢の天使たちを左右に従えた聖母が自らの肩衣を聖

シモンストックに授けている聖人は頭を垂れて跪き恭しく両手で肩衣を受けている

スカプラリオ(scapolare)とは修道士が服の上に肩から前後に垂らす外衣のことを指し肩胛骨(scapola)の上に置くところからその名が付いたフランキの画中に登場するのはまさにその種の簡略化された修道衣で

ある一方︑﹁カルメルの聖母図像に見られるように二枚の布を二本のひもで肩から胸につるしたものもまたこの名で呼ばれるこれ

は平信徒間での普及と使いやすさから最小限にまで縮小された修道衣に他ならない 聖シモンストックの聴罪司祭ピータースウェイントンが伝えるところによれば一二五一年七月一六日から一七日にかけての

深夜カルメル会への庇護を求めて聖母に祈っていた聖人の前に聖母が現れこう告げたという︒﹁おおこよなく愛する息子よあなたの修道会の肩衣をお取りなさいそれは私の信心会のしるしで

あなたと全カルメル会士の特権でありこれを携えて死ぬ者はみな地獄の永遠の劫火の中で苦しむことはありませんこれは

まったき救済のしるしであり危難からの逃げ道であり平安の約束であり私とあなたとの永遠の取り決めです私はつねにこの取

り決めを格別に庇護するでしょう(Dilectissime Fili, accipe tui Ordinis

Scapulare meae confraternitatis signum, Tibi et cunctis Carmelitis privilegium: in quo quis moriens aeternum non patietur incendium. Ecce signum salutis: salus in

periculis, foedus pacis et pacti sempitern i) ラテン語で示した聖母の言葉はカルメル会のモットーとして広い普及を見せたのちにフランキが手がけたラヴァーニャのカルミネ聖

堂天井画︵一八九〇│九三年︶のスパンドレルに描かれた六人の天使のうち四人がここから抜粋した四個の銘文の記された帯を携えている

聖母はさらにこう言葉を続ける︒﹁私の修道士たちよこの言葉を胸に刻み善行によってあなたがたが確実に選ばれるよう務めなさい決して罪を犯さぬよう努力しなさい目覚めていなさいそしてかく も大きなご厚意に対し感謝しなさい ﹂︒

この伝承はさらに解釈を加える︒﹁福者シモンは︵中略︶同信会員た ちを慰める書簡の中で彼らに同じ話を伝えた︵中略︶それは祈りと善行の持続(perseveranza nelle buone opere) によって彼らに神への

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感謝をさせるためであった ﹂︒

このようにスカプラリオはカルメル会士に与えられた救済のしる

しではあるがそれはあくまでも善行を前提としていることがうかがえる

一三二二年には教皇ヨハネス二二世が聖母の幻視の中で聖母からスカプラリオに関わる言葉を賜ったと伝えられるこの伝承は教皇が 公布したとされるいわゆる安息日の勅令(Bolla sabbatina)の中に詳述されている

このカルメルの聖母はある日私が跪いて聖母に願い事をしていると全身から光を発しながら私の前に現れ次の言葉を述べた︵中

略︶私はあなたをあなたの敵から救い出しましょう私の祈りはわ

が子に聞き届けられますただしあなたが︵中略︶私の敬虔なカルメル会に︵中略︶広大にして寛大なご承認をなさるという条件があり

ます︵中略︶この認可によってあなたは服従貞潔清貧の誓願を遵守する者もしくは単にカルメル会に入っている者が救われる︵中

略︶ことを地上において承認するのですまたもしまだ外部にいる者が信仰心のみによって同信会を通してカルメル会に入り私の修道

会の男女の会員と呼ばれてスカプラリオを携えるならば彼らは入会初日からその罪の三分の一を免責されるでしょう同信会員の義務は

以下のとおりです母なる教会が命じているようにやもめはやもめとしての貞潔を守り童貞は童貞の純潔を守り結婚している者は

結婚における誠実を絶対に守ることです︵中略︶彼らが死んだ日に彼らはただちに煉獄に追いやられるでしょうが私は母として彼ら

の死後最初の安息日に無償でその場所に降りそこに私が見出した者 は私によって解放され永遠の生という聖なる山に導かれますしかし同信会員がこの恩寵に与るには聖アルベルトの戒律が定めるとお

定時の祈祷を朗唱しなければなりません朗唱ができない者は教会の断食を守り︵中略︶クリスマスを除く水曜と土曜には肉食を

慎まなければなりません﹄︒こう言うと聖母は姿を消したさて私は︵中略︶この贖宥を受け容れ是認し地上において承認した︵中略︶

教皇六年目すなわち一三二二年三月三日アヴィニョンにて公布 ﹂︒

聖母は無償といいながらも信徒に貞潔や祈祷節制といった

行動規範を課している救いは功績によって支えられるのである

なおフランキは前述したラヴァーニャの天井装飾においてスパンドレルの残り二人の天使に上記の聖母の言葉からとられた二つの銘

文の記された帯をもたせている

   三︑アビラの聖女テレーサ伝連作とその出典 アビラの聖女テレーサ︵一五一五│八二年︶の生涯については︑﹃

叙伝︵一五六五年完成︶を筆頭にフランシスコリベラ︵サラマ

ンカ︑一五九〇年刊︶ディエゴイエペス︵マドリッド︑一五九九年刊︶

による合わせて三つの伝記とテレーサの創立史が基本史料となる連作制作時までにテレーサの三つの伝記のイタリア語訳が出版

されており本研究でも画家たちが直接参照することのできたイタリア語版を使用する しかしサンタテレーサ礼拝堂の聖女伝連作には

上記三文献に含まれていない挿話も含まれており後年イタリアで出版された聖女伝諸版への参照が必要となる調査の過程で浮上したの

ベルナルディーノケックッチによる伝記小説︵シエナ︑一八八二

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年刊︶である 聖女の没後三年に刊行された同書は連作の依頼主レオポルドブファリーニじきじきの依頼により書かれたと序文に 謳われており 連作の制作開始年に出版されているため当然画家たちが参照したと考えられるとはいえケックッチの小説にもすべての挿話が含まれているわけではない基本三文献に含まれている挿話に

関しても画家たちがいずれの伝承を用いたかについては慎重な議論が必要であろう以下おおよそ聖女の生涯をたどるかたちでこの連

作を検討していく

アレッサンドロフランキ修道院に入る聖女テレーサ︵一八八〇

年︑図8︶

主祭壇画プレデッラの第一場面である一五三六年八月一五日テレーサはドメニコ会士志望の弟アントニオとともに父親に隠れて生

家を出て幼なじみフワーナのいたカルメル会エンカルナシオン修道院に入ったテレーサはやがて同年一一月二日に修道衣を受けること

になるこの挿話は自叙伝でも簡潔に記されているが ケックッチの小説にはさらに詳細な描写がある

ついにテレーサは父親に打ち勝ついかなる望みも失い親友のフワーナ︹・スアレス︺に再会するためもあってその修道院に入ろうと強く望むと何があろうとそこに行くと決めたそして一六歳にな

る弟のやはり信仰心が非常に篤かったアントニオを自分のもとに呼んだ︵中略︶

私は明日密かにカルメル会の修道院に入ってもう二度とそこを出ないつもりですお父様にはそこから手紙を書きます︵中略︶

実は僕もドメニコ会の修道院に入りたいのだけれどもお父様に何と言ったらいいかわからないのです

いいわ一緒に出発しましょう

はい

内緒にね神様は御自分に従う者をお助けになります私たちも

お助けになるでしょう︵中略︶

むろん彼女は修道女たちに受け入れてもらえるよう︵中略︶フワー

ナに手紙で自分の意図を告げた修道女たちはこの知らせを聞いて大きな慰めを得た一番年上の修道女が言い始めた︒﹃テレーサ︵中

略︶テレーサと言えば何年も前見知らぬ金属採掘士が私たちの修道院に現れて預言者のような口調で言ったのですこの館にテレー

サという名の聖女が住みにやってくるだろうこれは誰のことでしょうすぐにすぐにおいでなさい﹄︒そしてフワーナはテレーサ

に返事を出したみんなが大喜びであなたを待っています︵中略︶ついに修道院に着いて足を踏み入れるや否や諸悪から解放され

びに慰められる思いがした││そうよ彼女は言った私は満足だわ喜びと優しさに感動したアントニオは彼女に愛情のこもった別

れの挨拶をした ﹂︒

フランキの画面では回廊の一角に跪くテレーサに一人の修道女が手を差し伸べているこの修道女の後方にはさらに七人の修道女の姿

が見えるがそのうち前景の一人は前屈みになって遠くからテレーサの顔を覗き込むように注視している傍らの修道女はこの女性の方に

顔を向けているあるいはテレーサの名前にまつわる預言を聞いて特別な関心を寄せているのかもしれない一方テレーサの後方には

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まだ扉に手をかけたままのアントニオがおり帽子を取って足を踏み入れたところである

   アレッサンドロフランキ聖女テレーサの法悦︵一八八〇年︑図9︶ 主祭壇画を飾る場面であるテレーサを扱った絵画主題の中でもっとも人口に膾炙したもので︑﹃自叙伝を筆頭にあらゆるテレーサ伝 に登場する ただ聖女の観想的生の極地ともいうべきこの幻視場面が三点のプレデッラ︵うち二点は彼女の活動的生を扱っている︑後述︶によっ

て補われていることに注意を促しておきたい

アレッサンドロフランキ少年イエスの聖女テレーサへの出現

︵一八九四年︑図

10 テレーサのイエスの幻視は数多いがそれらはいずれも成人として

の出現であり少年の姿の出現は主要な三つの伝記のいずれにも含まれていないそこで後年の伝記をいくつか参照するうちにケックッ

チの伝記小説が典拠であることが判明したこの挿話は同書に二度繰り返し掲載されているが 特に最初の箇所は直前にこの聖女の エスのテレーサ(Teresa di Gesù)という呼称の由来をも示しており重要である修道院に入ってから度重なるイエスの出現に心を乱さ

れたテレーサは自問する

この出現を聴罪司祭に言うべきであろうかあえてすまい信じ

てもらえるかどうかまた嗤われるのではないか︵中略︶でも言ってみよう

神父︵と彼女は言った︶あなたがあの美しさをご覧になったなら あの口調をお聴きになったならあの喜びをお味わいになられたなら

││どうしたのだテレーサ││今日私に主が現れたのです

しかしわが娘よそれはむしろ悪魔ではないか注意するがよい

いいえ神父イエズスイエズスイエズスですなんという

輝きなんという穏やかさなんという愛

そしてこう言いながら愛情に胸を焦がし叫んだ私はつねにイエズスのものでありた

ただイエズスのものだけでありたいのです私の生命でありすべてであるイエズスの私はもはやこの世のテレーサではなくイエズスのテレーサなのです

このあと彼女は修道院を通って行ったすると廊下の真ん中で不意に白い衣服を着て頬を薔薇のように染めた愛らしい少年に出く わしたこれを見て驚いた彼女は少年に訊ねた

ここで何してるの坊や

ここにいるのが心地いいんだ

どこから来たの可愛い坊や

すべての楽しみがある所から

あなたの名前は

まず君のを言ってそしたら僕のも言うから

私はテレーサそうイエズスのテレーサよ

そして僕はテレーサのイエズスだよ︵そう言って姿を消した ﹂︒

この美しい挿話はその後の聖女伝にはしばしば掲載されているが 出典を明記したものは管見の限りでは見出せなかった ケックッチ

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の小説が初出かどうかは現時点で断言できないが礼拝堂の所有者ブファリーニ司祭じきじきの依頼で書かれたこの小説がフランキにとっ

ての典拠であった可能性はきわめて高い

フランキの画面では白地の衣服を着た少年イエスが両手を胸に置いて立っているとくに左手は僕はと言うように自分を指差し

ている美しい金色の巻き毛をし輪光を伴ったこの少年に対し左手に書物を手にしたテレーサは右手を軽く挙げて驚きを示している

テレーサの身振りは少年を認めた瞬間の驚きをイエスの身振りはその最後の言葉にそれぞれ対応している二人の間には回廊へと通じ

る扉が半開きになっておりそこからアーケードと列柱突き当たりの壁の磔刑の祭壇その傍らで会話をする二人の修道女の姿が垣間見

える

アレッサンドロフランキ修道院の建設を命じる聖女テレーサ

︵一八八〇年︑図

11 主祭壇画のプレデッラの一枚画面右手でテレーサは貴紳が拡げる設計図を指差して指示を与えている一人の修道女が聖女の傍らに

付き添っている画面左手では三人の大工が建築作業に専念している

この場面が聖女が最初に創立したアビラのサンホセ修道院に関するものかその後の修道院に関するものかは決定しにくいアビラの

サンホセ修道院の創立については自叙伝の第三二│三六章それ以降の修道院の創立については創立史に詳述されている

ガエタノマリネッリ甥を蘇生させる聖女テレーサ︵一八八五年 以前︑図

12 テレーサの自叙伝には言及がないがリベラとイエペスがとも

にこの挿話を扱っているカルメル会から独立して新たに跣足カルメル会を創設したテレーサがその最初の女子修道院であるアビラのサンホセ修道院を建設中に起きた事故であり奇跡である

未来の修道院が建設中のある日のこと﹂︑外出から戻ったフワンオバッレは幼い息子ドンゴンサロが入口で意識を失っている

のを発見したフワンは息子を義姉妹のテレーサのもとに運んだ隣室にいた妻のフワーナは妊娠中であったが泣きながらテレーサに息

子のことを頼んだテレーサは幼児を膝の上に抱きかかえ生命が救われるよう神に祈った︒﹁彼女の祈りはまもなく聞き届けられた

さな息子は死の闇から呼び戻され普通の眠りから覚めるようにして起き上がり聖なる叔母の顔に手を伸ばし優しく彼女をなでた ﹂︒

とはいえリベラはフワーナがその後に産んだ子が三週間しか生きなかったことも書き落としていない

しかしいっそう示唆に富むのはイエペスの伝記であるリベラはテレーサの甥が死にかけた原因を明記していないがイエペスはそれを

はっきりと修道院建設に結びつけている少年がおそらく五歳のとき壁の一部が落ちてきて少年に当たったのである両親はすぐさまテレーサのもとに駆けつけたテレーサはギヨマールドゥロア

という婦人の家にいたが二人して少年のもとに向かったギヨマール婦人は子供が死んでいるとテレーサに告げたが母親の願いを容れ

てテレーサは神に祈る︒﹁聖女はヴェールを前に引き上げ頭を垂れ子供に顔を近づけると内心はともかく表面上は黙ったままモーセ

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かエリヤのような姿で神が仕事の斡旋人に選んだ人々が落胆したままでいることのないよう神に祈ったこのようにしてしばらく子供

を腕に抱き心を神に預けているとまもなく誰もが死んだと思っていた子供がまるで眠りから覚めるように甦ったのである﹂︒しかも

なお続けて︑﹁悪魔が企んだのはこれだけではなかったこの子供の災難それだけですべてを妨げるに十分だったこの災難によっても︵中

略︶また聖女に与えた恐れによってもこの仕事を妨げることができなかったからである怒りは激しかったため修道院の壁と建築に矛

先が変わった︵中略︶これらのことのいかなるものも聖女を動揺させることはなく壁を再建し仕事を完遂するための新たな資金を探す気をなくさせはしなかった ﹂︒

イエペスの記述からは子供の死が建設中の修道院の壁の落下によるものでありそれはこの仕事を妨げ(disturbare questa opera)よう とする悪魔の仕業であったことがうかがえるにも関わらず聖女は仕事を完遂(perfezionar lopra)したのである

このようにこの挿話は単なる奇跡譚にとどまらず修道院建設という聖女のいわば活動的生の完遂という文脈の中でとらえることがで

きる

ケックッチの伝記小説ではここまでの明言こそないが︑﹁五歳の幼

いゴンサルボが︵中略︶石や建物の破片で遊んでいると壁が落下して子供を押しつぶしたとあり父親フワンがテレーサにこう毒づく場

面がある︒﹁さあこれがお前の姉妹とその夫がこの建設事業から得られた素晴らしい利益だよ息子を失って家に帰るというねテレー

神は何でもおできになるさあ神に祈れお前の甥を甦らせろ ﹂︒ この挿話と修道院建設事業との関連性はもはや明らかでありイエペスの記述に見られるような含意は当時の読者にとって明瞭であったと

考えられる

フランキの画面左手には幼児を座らせて抱きしめるテレーサがい

右手後方の窓際では頭から続く黒い衣服を着たギヨマール夫人が右手で口を覆いながらこの奇跡を見守っている観者に背を向けて

彼女にしがみつくようにしているのが幼児の母親フワーナ机に座って組んだ両手で顔を隠しているのが幼児の父親フワンであろう窓か

らは剥落の跡も生々しい建設中の修道院の壁が見える足場がひどく崩壊している様子がうかがえる

アレッサンドロフランキ聖ペドロアルカンタラの聖女テレーサへの出現︵一九〇〇年︑図

13 小型の十字架と燭台の前の書見台で読書していたテレーサは部屋の中に出現した聖人の姿を見て書物の右頁の上に右手を置いたまま

左手を軽く挙げて驚きを示している雲の上に立つ聖人は左手を胸の前に運び右手で上方を指し示している聖人の頭部の背後には光輪

のような光が見える部屋の右端の椅子の上には三冊の書物が置かれている下の二冊は横に上の一冊は縦に重ねられている

この挿話はテレーサの自叙伝にすでに含まれている改革派フランチェスコ会士ペドロアルカンタラ︵一四九九│一五六二年︶

は数度にわたって聖女の前に現れているがフランキの画面はペドロの死の直後の幻視を表している

亡くなる前の年私から遠いところにおられましたが私にご出

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現なさいました私は主から彼がまもなく亡くなることを知らされていましたここから離れた彼の住む土地に彼に宛てて手紙を書き

のことを注意しました最後の息を引き取った瞬間彼は私に姿を見せ休息に行くのだと私に言いましたこの幻視をすっかり信じたわけではありませんでしたが何人かの人々にこのことを知らせたとこ

八日経って彼の死のというより彼が永遠の生を開始したという知らせが届きました ﹂︒

私が﹂︑というように胸に左手を当て︑﹁天に昇る﹂︑というように右手で上方を指し示すピエトロの身振りは死を告知するこの挿話を

表しているように見える

リベラとイエペスの伝記には筆者の見落としでなければこの挿話

は見当たらなかったしかしフランキが確実に読んでいたと思われるケックッチの小説には次のようにある︒﹁テレーサはこのときアビ

ラの自分の僧房にいた突然太陽の光をはるかにしのぐ光の球と空中を浮遊する一人の男を眼にした男は彼女に言った︒﹃私は永遠の

休息に向かうところだ﹄︒彼を見つめるとそれはピエトロ神父だった││神父彼は姿を消した ﹂︒

ペドロアルカンタラはテレーサの最良の理解者の一人であり聖女の跣足修道院創立の大願を終始一貫励まし続けた テレーサはその自叙伝死が間近に迫ったこの老修道士との交流がもつ

意味を次のように要約している︒﹁神はこの︹修道院創立の︺問題の解決がつくまで彼を私どものために留めおかれたように思われます

もうずっと前からたしか二年以上前からと思いますが彼はたいへん健康がお悪かったのですから︵東京女子カルメル会訳 老修道士は また︑﹃自叙伝では死後のケックッチでは生前の出来事とされる別の出現においても聖女の修道院創立を励ましている ︒﹁がんばれ

おおテレーサお前の仕事を神はお前を見守りお前の熱意を祝福される ﹂︒この連作にペドロアルカンタラの出現が加えられたことについては単なる聖女の幻視の称揚ではなくむしろ修道院創

立という活動的生を意義づけようとする意図を読み取るのが適切であろう

アレッサンドロフランキ執筆する聖女テレーサ︵一八八〇年︑

14 主祭壇画のプレデッラの一枚修道院の一室で机に向かい筆を執る

テレーサの視線は机の背後の小さな磔刑の飾られた祭壇を超えて高窓から来る光に向けられる聖女の顔はその光に照らされている

背後の椅子には縫いかけの衣服と糸紡ぎの棒が放置されているカーテンを開けて二人の修道女がテレーサの様子をうかがっている

テレーサは一五六二年八月以降ペドロイバニェス師に命じられた自叙伝の執筆を始め一五六五年末頃に書き終わってガルシア

トレド師に送ったという以後︑﹃完徳の道︵一五六五│七九年︶創立史︵一五七三│八二年︶︑﹃霊魂の城︵一五七七年︶といった主要著作を次々に執筆していく︒﹃自叙伝にもこの執筆活動への言及が

あるフランキの画面に関わるのは第十章の次の記述である︒﹁私はいわば寸暇を盗んでこれを書いておりますがそれでもなお心苦しい

思いをしておりますなぜならこの仕事のために糸紡ぎができませんしかも私は貧しい修院におり用事は山のようにあるのです︵前

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掲訳 糸紡ぎは活動的生の象徴であり聖女はここで活動的生を捨て高窓から来る光││恩寵に身を委ねている︒﹃自叙伝は次のように

続ける︒﹁もしも聖主が私にもう少し才能と記憶力とをくださっていましたら私は読んだり聞いたりしたことを有利に使うことができた

でしょうに私はごくわずかしかそういうものを持っていませんそれでもしも何かよいことを言うのに成功するとすればそれは

主がそこから何かの善を引き出すためにそのようにお望みになったからでしょう︵前掲訳 また第三九章に曰く︑﹁私がここに書い

ている多くのことは私の頭から引きだしたものではありません私にそれらを書き取らせてくださったのはこの天の師にましますのです﹂︒私のうちには私の側からなんの功徳もないのに聖主が与え

ることをお欲みになったもののほかよいものはありません︵前掲

このようにテレーサが活動的生を犠牲にして主の恩寵に導か

れつつ執筆をおこなったことが理解できる

他の幻視の挿話ひとつとってもテレーサが並はずれた神の恩寵に

与ったことは疑いないしかしテレーサの執筆活動が糸紡ぎと並べて表されていることは意味深長である聖女は執筆のために祈りの時間

がとられるとは言わず糸紡ぎや他の用事の時間がとられると言ったつまり執筆行為は観想的生の代替物ではない本人のためでなく

他者の救済のためによりよく役立つこの執筆行為は霊感に満ちたものではあるがむしろ活動的生の代替物と考えられる

アレッサンドロフランキ十字架の聖ヨハネに修道衣を授ける聖

女テレーサ︵一八九九年︑図

15 の聖ヨハネ︵一五四二│九一年︶らをアビラから八キロ程離れたドゥル 跣足カルメル会最初の男子修道院設立の許可を得た聖女は十字架

エロに最初の修道士として派遣することにした聖母は自らの手でヨハネの修道衣を縫うそしてその記念すべき最初の男子修道衣をヨハ

ネに授けるのであるドゥルエロの修道院は一五六八年一一月二八日に創設されたのち一五七一年にエンカルナシオン修道院長に着任し

たテレーサはヨハネを自分の聴罪司祭に選んでいる

テレーサの創立史およびリベラの伝記は十字架の聖ヨハネ らを最初の男子修道士として派遣した経緯には触れているものの修道衣への言及はない イエペスは修道衣に言及するがテレーサから十字架の聖ヨハネへの授与の場面を描写していない この挿話はピア

チェンツァで一八七年に刊行されたテレーサ伝の中で短く言及されているものの 本格的な描写はケックッチを待たねばならない

マードレただちに出発します

ええ善良なヨハネぐずぐずしてはいけませんあなたのため

に手ずから縫った衣服もあげましょう修道院を開いたらすぐに着てください

出発の前に失礼︵そして跪いた︶

何をなさるヨハネ神父

あなたの足下にひれ伏し神の名によるあなたの祝福をお願いします

いいえ︵彼女は動揺して答えた︶その務めは私ではありませんどうかお立ちになって

院長まずあなたの祝福を受けなければ私は立ちません

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