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ロ シ ア の 作 家 と チ ェ チ ェ ン

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ロ シ ア の 作 家 と チ ェ チ ェ ン(藤 沼)1

ロ シ ア の 作 家 とチ ェ チ ェ ン

A・A・ マ ル リ ンス キ ー の 作 品(デ カ ブ リス ト蜂 起 以 前)

藤 沼 貴

私 は本 論 文 集(『 外 国 語 学 科 紀 要 』)第9号(1999)に 「ロ シ アの 作 家 とチ ェ チ ェ ンA・S・ グ リボ エ ー ドブの 場 合 」 を、11号(2001)に は 「ロ シ ア の作 家 とチ ェチ ェ ンA・A・ マ ル リ ンス キ ー(ベ ス トゥー ジ ェ フ)の 生 」 を掲 載 した 。 そ の 時 に も述 べ た よ うに、 この二 つ の小 論 は も う少 し 大 きな 規 模 の論 考 の0部 の 準 備 的 な素 描 で あ っ た。今 回 の 小 論 はll号 の 論 文

と今 後 書 か れ るべ き 「ロ シ ア の 作 家 とチ ェ チ ェ ンA・A・ マ ル リ ンス キ ー の 作 品(デ カ ブ リス ト蜂 起 以 後)」 と共 に 、 三 編 で 一・体 を なす も の で あ り、三 っ を併 せ て 「ロ シ ア の作 家 とチ ェ チ ェ ンA・A・ マ ル リ ンス キ ー

(ベ ス トゥー ジ ェ フ)の 場 合 」 と呼 ぶ こ とが で き る。

この 小 論 も少 数 の 資 料 に よ って 短 期 間 に書 か れ た もの で 、 到 底 学 術 論 文 の 域 に入 ら な い が 、 前 二 作 と同様 に、 将 来 の仕 事 の担 保 と して 、 あ えて 衆 目 に

さ らす こ とに した 。

1マ ル リ ン ス キ ー の 文 学 活 動 と そ の 評 価

マ ル リ ンス キ ー は1837年6月 、ア ドラー 岬 で の 山 民 との 戦 闘 で 戦 死 し(あ る い は、 行 方 不 明 に な り)、40歳 で 創 作 活 動 を お えた 。20歳 以 前 か ら創 作 を は じめ た が 、 デ カ ブ リス ト事 件 で 逮 捕 され 、流 刑 に処 せ られ た た め、 約5年 間 文 学 活 動 が 中 断 され た 。そ の 結 果 、か れ の 活 動 時 期 は20年 に満 た な い 。 し か し、 グ リボ エ ー ドブ、 プー シ キ ン、 レー ル モ ン トフ な ど も、 デ カ ブ リス ト

(2)

の 詩 人 ・作 家 た ち も、短 期 間 に集 中 的 に生 命 を燃 焼 させ て 、立 派 な仕 事 を した 。 マ ル リ ンス キ ー も例 外 で は な い 。そ の作 品 は量 的 に も け っ して 少 な くな い し、

さ まざ ま な重 要 な意 義 を持 って い る。 しか も、 か れ は読 者 に愛 され た作 家 だ っ た し、 今 も読 まれ て い る。 そ れ に もか か わ らず 、 か れ の 意 義 が 正 当 に評 価 され た こ とは な か っ た と言 っ て よ い 。1825年 デ カ ブ リス ト蜂 起 まで に(つ

り、 最 初 の6,7年 で)、 か れ は批 評 家 ・作 家 と して の人 気 を確 立 した が 、 評 価 が確 定 す る ほ どの 時 間 が な か った 。 それ 以後 は現 在 に い た る まで 、 か れ の文 学 活 動 全 体 が 正 当 に評 価 され た こ とは な い 。 か れ が 批 評 家 と して傑 出 して い た こ とは、 活 躍 して い た 時 期 か ら現 在 に い た る まで0貫 して 認 め られ て い る が 、 詩 や 小 説 な どの評 価 は ま っ た く0定 して い な い 。 か れ に好 意 的 な ベ リン

1)2)

ス キ ー や ブイ ピ ンで も、 小 説 、 詩 な どに対 して 客 観 的 な評 価 を して い る とは 言 い が た い 。 また 、 か れ の 作 品 は現 代 で も しぼ しば 出 版 され て お り(こ れ は か れ の 根 強 い人 気 を証 明 す る もの で あ る)、 「著 作 全 集 」 と称 され る も の も二 度(1837年 と1847年 に)出 され て い るが 、まっ た く不 備 な もの で しか な い 。 そ の 理 由 の ひ とっ はか れ の 実 生 活 で の 行 動 で あ る。 マ ル リ ンス キ ー は デ カ ブ リス ト運 動 に 関 与 し、1825年12月14日 の 蜂 起 の 時 に は か な り積 極 的 に実 行 行 為 に参 加 した 。 そ の た め、 死 刑 は まぬ が れ た もの の 、 国 家 と皇 帝 に た い す る 「裏 切 り者 」 の汚 名 を一 生 背 負 う こ とに な っ た 。 しか も、 か れ は蜂 起 失 敗 後 、 い ち早 く自首 して 従 順 に取 り調 べ に応 じた ば か りか 、 友 人 た ち の情 報 も取 調 官 に伝 えた と言 わ れ 、 「二 重 の 裏 切 り者 」 と して 忌避 さ れ た り した 。そ れ に加 え て 、1830年 以 降 作 家 活 動 を再 開 して か らは、体 制 的 知 識 人 の代 表 者

に な っ たF・V・ ブ ル ガ ー リ ン らに接 近 した た め、 反 体 制 の 人 や後 世 の イ デ

3)

オ ロ ギ ッシ ュ な文 学 史 家 か らは不 当 に低 い 評 価 を 受 け る こ と とな っ た 。 マ ル リンス キ ー に た い す る不 当 な評 価 は か れ の 創 作 そ の もの に も原 因 して い る。 か れ の 作 品 の 中 で も っ と も量 的 に多 く、 もっ と も人 気 を博 した の は散 文 小 説 で 、 と くに通 俗 的 とみ な され る よ うな 内容 の もの で あ っ た 。 後 述 す る

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ロ シ ア の 作 家 と チ ェ チ ェ ン(藤 沼)3

よ うに 、 か れ は さ ま ざ ま な新 しい 文 学 的 試 み を して い た の だ が 、 そ の 点 で は 先 人 の ジ ュ コ フス キ ー や バ ー チ ュ シ コ フ の ほ うが は るか に 目立 っ て い る。 作 品 の リア リテ ィ、 内容 の 深 さ とい う点 で は 同年 輩 の プー シ キ ンや 後 輩 の レー ル モ ン トフ の ほ うが は るか に鮮 烈 で あ る。 しか し、 マ ル リン ス キ ー の 散 文 作 品 の い わ ゆ る 「通 俗 性 」 は、 後 述 の よ うに、 文 学 的 に 意 味 を持 っ て い た 。 百 歩 ゆず っ て 、 か れ が 通 俗 的 な 人 気 小 説 の 作 者 に す ぎ な か っ た と認 め る に して も、 文 集 北 極 星 」 の発 行 、 当 時 の ロ シ ア文 学 に つ い て の 時 評 、 流 刑 、 軍 務 で滞 在 した い ろ い ろ な場 所 や 経 験 した 事 象 につ い て の ル ポ ル タ ー ジ ュ、 カ フ カ ー ス を題 材 に した小 説 、 ロ マ ン主 義 にっ い て の評 論 な どの価 値 は否 定 で き な い 。そ して 、これ ら全 体 を総 括 した か れ の 文 学 活 動 全 体 を客 観 的 に研 究 し、

そ の 意 義 を正 し く判 断 す る こ とは是 非 と も必 要 で あ る。

こ の小 論 は 当初 マ ル リン ス キ ー の 文 学 活 動 全 体 を概 観 し、 重 要 な ポ イ ン ト を簡 潔 に指 摘 す る予 定 で あ っ た 。 しか し、 か れ の創 作 は実 に豊 富 で あ り、 数 冊 の 著 書 を さ さ げ る に値 す る ほ どの 内容 を持 っ て い る。 どれ ほ ど切 り詰 め て も、 ひ とつ の論 文 に全 体 を収 め るの は不 可 能 な の で 、 今 回 は か れ の創 作 活 動 の前 半 、 つ ま りデ カ ブ リス ト蜂 起 まで を扱 うに と どめ た 。 この 時 期 の創 作 は チ ェチ ェ ン に もカ フ カ ー ス に も直 接 の 関連 が 少 な い が 、 今 後 書 か れ るべ き デ カ ブ リス ト蜂 起 以 後 の 作 品 に つ い て の小 論 の前 段 階 と して 不 可 欠 な もの で あ

る。

2i迭 翼 「北極 星J)

マ ル リ ン ス キ ー はK・F・ ル イ レ ー エ フ と 共 に1823,1824,1825の3年 間 に

わ た っ て 、i避棄 北 極 星 」 を編 集 発 行 した 。1826年 に も出 す 準 備 を して い た が 、 デ カ ブ リ ス ト蜂 起 の 失 敗 に よ っ て 出 版 が 不 可 能 に な っ た 。 ア リ マ ナ フ と い う語 は 、 周 知 の よ う に 、 ア ラ ビ ア 語 のal‑manahに 由 来 す る も の で 、 カ レ ン ダ ー を 意 味 す る。 し か し、1764年 パ リで 出 され た 「ミ ュ ー ズ の ア ル マ ナ 」

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を皮 切 りに、19世 紀 前 半 に わ た っ て ヨー ロ ッパ 諸 国 で 出 さ れ た 近 代 の文 学 ア リマ ナ フ は、広 義 で は 「文 学 名 作 選 」、狭 義 で は 「年 間 名 詩 選 」 とい う ほ どの 意 味 で あ る。 「北 極 星 」 の 場 合 は年 一・回 ず っ 、詩 ば か りで な く、小 説 、評 論 な どをふ くめ て 発 行 され た か ら、 「年 間 文 学 名 作 選 」 と呼 ん で よい で あ ろ う。

この文 集 に マ ル リン ス キ ー は次 の よ うな数 多 くの 作 品 を発 表 した 。 1823年

1824年

1825年

444

これ らの 作 品 に つ い て は後 で 述 べ る こ とに して 、

の 文 集 を編 集 ・発 行 した い き さつ とそ の 意 義 を 見 な け れ ば な る ま い。

マ ル リン ス キー は1818年21歳 の 若 さで 総 合 雑 誌 の 刊 行 を計 画 し、 検 閲局 に許 可願 い を提 出 した が 、 発 行 人 予 定 者 が 経 験 不 足 で 若 す ぎ る こ とを理 由 に 不 許 可 に な っ た 。 当 時 は定 期 刊 行 物 の 出版 が 簡 単 に許 可 され る こ とは な か っ た か ら、 この 決 定 は む し ろ当 然 の こ と と思 え る。 「若 す ぎ る」 とい う不 許 可 の

5)

理 由 は 口実 に す ぎず 、「却 下 の本 当 の 理 由 はか れ の 政 治 的 見 解 だ っ た 」 とい う 説 もあ るが 、 これ は考 え す ぎ で あ ろ う。1825年 の デ カ ブ リス ト蜂 起 の 直 前 で

も、 か れ の著 作 に は、 詩 、 小 説 、 評 論 を通 じて 、 政 治 的 な発 言 は な く、 そ の

6ラ

政 治 的 見 解 を知 る こ とはで き な い 。 ま して 、1818年 に す で にか れ が 政 治 的 に 新 旧 ロ シ ア文 学 概 観

ロ マ ン とオ リガ 。 古 き物 語 露 営 の 夜

1823年 ロ シ ア文 学 概 観 ノ イハ ウ ゼ ン城 。 騎 士 物 語 七 つ の 手 紙 の恋 物 語

1824年 と1825年 初 頭 の ロ シ ア 文 学 概 観

レー ヴ ェ リの 武 術 試 合 裏 切 り者

血 に は血 を

まず マ ル リ ンス キ ー が こ

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ロ シ ア の 作 家 とチ ェ チ ェ ン(藤 沼)5

不 穏 な人 物 と して 当局 に警 戒 され て い た とい う こ とは考 え られ な い。 た しか に 、マ ル リンス キ ー は デ カ ブ リス トの蜂 起 の 時 に積 極 的 な実 行 行 為 を した が 、 そ れ はか れ の ロマ ンチ ッ クな 夢 と正 義 感 か ら発 した も の と考 え られ る。 蜂 起 失 敗 後 、 愚 き物 が 落 ち た よ う にか れ が 後 悔 し、 皇 帝 と国 家 に忠 誠 を誓 っ た こ

とを卑 劣 な 変 節 とみ な す 人 は多 い が 、 も と も とか れ に確 固 と した 政 治 的 信 念 は な か っ た と判 断 す べ きで あ ろ う。

1824年 、雑 誌 祖 国 の子 」 に発 表 され た 詩 「トヴ ェー リ公 ミハ イ ル」 の 中 に次 の よ うな言 葉 が あ る。

麗 ね

を見 下 ろ し、 嘆 き に命 も絶 え ん ば か りに、

若 き公 爵 は 悲 痛 の 涙 を流 す 。 髪 を、 衣 服 をi掻きむ し り、

  鞄 人 、 ウ ズ ベ ク人 を呪 い 、 復 讐 の神 を 呼 び 招 く.。.

荒ぶ る神 は若公 に耳傾 け ロシ ア人 の決起 を助 けてび と

ア ラ

地 上 か ら暴 君 た ち を消 し去 っ た 。

14世 紀 初 頭 、キ プ チ ャ ク汗 国 の ウ ズ ベ クハ ン とモ ス ク ワ大 公 ユ ー リー に惨 殺 され た トヴ ェー リ公 ミハ イ ル の 悲 劇 を うた っ た この詩 句 に、 デ カ ブ リス ト 蜂 起 の 暗 示 を読 み とった 人 もい た 。 文 学 作 品 の解 釈 は 自 由 だ か ら、 客 観 的 な 証 拠 が な い 以 上 、 これ を否 定 も肯 定 もで き な い 。 ま た 、署 名 がB....vと っ て い て 、長 ら くだ れ の作 と もわ か らな か っ た この詩 を、1955年 に な って ト マ シ ェ フ ス キ ー が マ ル リ ン ス キ ー の も の と判 断 した 。 た しか にB....vは

Bestuzhev(ベ ス トゥー ジ ェ フ)で あ る可 能 性 が 強 い し、 この 時 期 に マ ル リ ン ス キー は文 学 の分 野 で も本 名 の ベ ス トゥー ジ ェ フ を使 っ て い た。 私 も この一 片 の詩 句 を無 視 す るわ け で は な い が 、 言 う まで もな く、 作 家 の す べ て の 言 葉 は その 創 作 活 動 全 体 の コ ンテ キス トの 中 で 読 まれ るべ き で 、 特 定 の言 葉 だ け

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を切 り離 して仰 々 し く取 り上 げ るべ きで は あ る ま い 。

北 極 星 」 を め ぐって は、 さ らに大 幅 に政 治 的 意 義 に注 目が 向 け られ て き た 。 教 科 書 や 一 般 読 者 向 けの 解 説 で は問 題 が ま っ た く単 純 化 され 、 デ カ ブ リ ス ト、 ロ シ ア文 学 愛 好 者 自 由協 会 、 「北 極 星 」の 三 っ が ほ とん ど等 符 号 で 直 結

され るの が 普 通 だ っ た 。 た とえ ば 、 ソ連 の文 学 小 百 科 事 典 に は この 文 集 につ い て、 「明確 に表 現 され た 思 想 的 ・政 治 的 な傾 向 とそ の 時代 の先 進 的 な文 学 的 勢 力 を す べ て 結 集 し よ う と した 点 で 、(「北 極 星 」 は)デ カ ブ リス ト的 な 方 向

S)

性 の定 期 刊 行 物 の 中 で 際 立 っ て い る」 と書 か れ て い る。 しか し、 「北極 星 」を 0見 した だ けで は、0定 の政 治 的 ・社 会 的 傾 向 を発 見 す る こ とは私 ばか りで な く、 だ れ に もで き な いで あ ろ う。 そ の 中 に は、 マ ル リン ス キ ー、 ル イ レー エ フ な どば か りで な く、 デ カ ブ リス トの 内部 で か れ ら と対 立 して い た デ リヴ ィ グや プ レ トニ ョフ も、デ カ ブ リス ト運 動 に直 接 参 加 して い なか った もの の 、 心 情 的 な 同志 だ った グ リボエ ー ドブや プー シ キ ン も、 後 に保 守 派 とか 、 反 動 的 知 識 人 とい う レ ッテ ル を貼 られ た ブ ル ガ ー リ ンや グ レー チ も参 加 して い た か らで あ る。

専 門家 向 けの 学 術 的 な 論 考 で は 、 デ カ ブ リス ト運 動 と 「北 極 星 」 の 付 か ず

9)

離 れ ず の 微 妙 な 関 係 が 説 明 され て い た が 、 そ れ で も結 局 は次 の よ うな定 説 で しめ く くられ て い た 。 「デ カ ブ リス トの政 治 運 動 計 画 の 中 に は文 学 サ ー ク ル、

文 学 結 社 の組 織 が ふ くまれ て お り、 そ れ に した が っ て 緑 の ラ ン プ」、 「ロシ ア文 学 愛 好 者 自 由協 会 」 な どが つ くられ た 。 デ カ ブ リス トの 指 導 者 グ リ ンカ は ロ シ ア 文 学 愛 好 者 自由協 会 を文 学 ・政 治 本 部 に す る こ とを考 え、そ の 中心 人 物 と して マ ル リ ンス キ ー に 白 羽 の 矢 を立 て た 。 マ ル リン ス キー は そ の期 待 に 応 え、 ま もな くそ れ に ル イ レー エ フ ら も協 力 して 、 「北極 星 」が 出 され た 」100)

客 観 的 に 観 察 す れ ば 、 「北 極 星 」 の 最 大 の 特 徴 は特 定 の 主 張 を は っ き り出 した こ とで は な く、 逆 に 、 文 学 的傾 向 や 世 界 観 の 違 い にか か わ らず 、 当 時 の 0流 、 二 流 の 文 学 者 を ひ とつ の文 集 に結 集 した こ と とだ と、 判 断 され る。 そ

(7)

ロ シ ア の 作 家 と チ ェ チ ェ ン(藤 沼)7

して 、 この 文 集 が 異 例 の大 成 功 を お さ め 、 ロ シ ア の ア リマ ナ フ流 行 の き っか け をつ くった 第0の 理 由 も、 こ の 点 に あ る。 文 集 の この基 本 的 な傾 向 は 、 毎 号 の トッ プ に掲 載 され た マ ル リン ス キー の 時 評 と完 全 に0致 して い る。 か れ は種 々i雑多 な特 徴 の作 家 を 自分 の 好 悪 の 感 情 で 選 別 せ ず 、 的 確 に そ の 長 所 を と ら え、 簡 潔 正 確 な表 現 で そ の価 値 を読 者 に知 らせ た 。 か れ は文 集 の 方 針 に 則 して 、 心 に も な くその よ うな こ とを した の で は な い 。 そ の創 作 全 体 が しめ して い る よ うに 、 博 学 多 識 、 俊 敏 な 頭 脳 、 す べ て を 咀 噛 で き る理 解 力 、 簡 明 な表 現 力 を も っ て 、 あ らゆ る作 家 や 事 象 の 特 長 を解 き明 か した の で あ る。

北 極 星 」 の成 功 の も うひ とつ の原 因 は執 筆 者 に原 稿 料 を払 った こ とだ と

11)

言 わ れ て い る。 文 筆 活 動 を 無 償 の 精 神 的 行 為 に と どめ ず 、0種 の 労 力 の 提 供 とみ とめ て 、 金 銭 を 支 払 う習 慣 は 当 時 の ロ シ ア に は な く、 この新 機 軸 が 多 く の 人 を 「北 極 星 」 に 吸 引 した 、 とい うの は事 実 か も しれ な い。 しか し、 マ ル

リ ンス キ ー の好 意 的 な批 評 が な けれ ば、 当 時 の ロ シ ア の誇 り高 い知 識 人 た ち が 、 原 稿 料 の魅 力 だ けで 北 極 星 」 に結 集 した とは考 え られ な い。 か れ が こ の 文 集 で は た した 指 導 的 批 評 家 の 役 割 は実 に大 きい 。

3評

上 記 の よ うに、 マ ル リン ス キ ー は 北 極 星 」 を編 集 ・発 行 した ば か りで な く、毎 号 の 冒 頭 に文 学 概 観 ・時 評 を載 せ 、 「北 極 星 」の 文 学 的 リー ダ ー とな っ た 。そ の概 観 ・時 評 論 文 は、す で に挙 げ た 通 り、「新 旧 「ロシ ア文 学 概 観 」(1823)、

「1823年 ロ シ ア文 学 概 観 」(1824)、「1824年 と1825年 初 頭 の ロ シ ア文 学 概 観 」 (1825)の3編 で あ る。

ll号 掲 載 の 拙 論 で 書 い た よ うに、か れ は デ カ ブ リス ト事 件 後 の 取 調 べ の 際 に 、「私 が 理 論 的 、実 際 的 に勉 強 しな か っ た 学 問 の 分 野 は ひ とつ もあ りませ ん

12)

で した」 と誇 ら し げ に述 べ た。実 際 、か れ は まれ に見 る勉 強 家 で 博 学 で あ り、

しか も、 対 象 の 特 徴 を す ばや く、 的確 に と ら え、 それ を要 約 す る能 力 に た け

(8)

て い た 。

1823年 の 「北 極 星 」創 刊 号 に掲 載 され た 「新 旧 ロ シ ア文 学 概 観 」 は その 長 所 を も っ と も よ く発 揮 した もの で あ る。 この 論 考 は ロ シ ア文 学 の起 源 か ら現 時 点 まで の プ ロ セ ス を簡 潔 公 正 に ま とめ た ロ シ アで 最 初 の文 学 史 の試 み とも 言 え る力 作 で 、 そ の博 覧 強 記 と見 識 は読 者 に感 銘 を あ た え た 。 ロ シ ア文 学 を 起 源 か ら取 り扱 った もの と して は、 これ 以 前 に ノ ヴ ィ コ フの 『ロ シ ア作 家 歴 史 事 典 試 作 』(1771)、 カ ラ ム ジ ンの 『ロ シ ア作 家 パ ン テ オ ン』(1802)、 そ の他 が あ る。 い ず れ も価 値 の あ る作 品 だ が 、 個 々 の 作 家 に つ い て の コメ ン トの 集 成 で あ って 、 通 時 的 な軸 が な い。 この マ ル リン ス キ ー の 論 文 は ご く短 い も の な が ら、 通 時 的 な視 点 が あ り、 ロ シ ア文 学 史 の 最 初 の 試 み とみ な され る。 常

13)

識 的 に は、1843年 に書 か れ た ベ リン ス キ ー の 『プー シ キ ン論 』 第 一 論 文 の ロ シ ア文 学 通 覧 が 、 ロ シ ア文 学 史 の 出 発 点 と され て い るが 、 マ ル リ ンス キ ー の 論 文 は それ に ち ょ う ど20年 先 ん じて い る。

マ ル リン ス キ ー の 評 言 は そ れ ぞ れ の 作 家 に つ い て 数 行 だ け の 短 い もの で 、 トレジ ア コ フス キ ー や ス マ ロー コ フ につ いて の 意 見 は少 し厳 しす ぎ る よ うに、

私 に は 思 え るが 、 大 体 にお い て 現 代 の 研 究 者 も賛 成 で き る。 た とえ ば、 か れ は18世 紀 の 部 分 の 叙 述 を フ ェ オ フ ァ ン ・プ ロ コポ ー ヴ ィ チ の 説 教(雄 弁 術) か らは じ め て い る。 これ は ロ シ ア近 代 散 文 の 成 立 とロ シ ア 文 学 の 内容 の格 調

に か か わ る事 柄 で 、 ロ シ ア近 代 文 学 の も っ とも重 要 な基 礎 の ひ とつ で あ る。

ia)

1974年 の コチ ェ トコー ワ の論 文 な どに よ っ て 、この こ とは今 で は多 くの 人 に 理 解 さ れ て い るが 、 マ ル リ ンス キ ー は1823年 に す で に それ を 意 識 して い た 。

また 、 文 学 者 の カ テ ゴ リー に入 るか ど うか疑 わ しい ポ ポ フス キ ー を重 視 し、

か れ が お こ な っ た 、 文 学 的業 績 と言 え るか ど うか疑 わ しい、 ポ ー プの 『人 間 論 』 の翻 訳 の 意 義 を重 要 な もの と して 、 読 者 に紹 介 した 。 この こ と もマ ル リ

ン ス キ ー の 博 識 と見 識 の 高 さ を証 明 して い る。

か れ が この 論 文 の18世 紀 の部 分 で取 り上 げ た の は ロモ ノー一ソ フ、トレジ ァ

(9)

ロ シ ア の 作 家 と チ ェ チ ェ ン(藤 沼)9

コ フ ス キ ー か らデ ル ジ ャー ヴ ィ ン、 カ ラ ム ジ ン に い た る有 名 な 作 家 ぼ か りで な く、 マ カ ー ロ フ、 ヴ ォス トー コ フ、 シ ャ トロ フな ど、 あ ま り名 の 知 られ て い な い者 もふ くまれ て お り、 この こ とに よっ て も、 マ ル リンス キ ー の 勉 強 ぶ り と博 識 が 証 明 され る。 ノ ヴ ィ コ フ、 ラ ジ ー シ チ ェ フの 名 が 見 られ な い の は 政 治 的 理 由か らで あ ろ う し、 エ ミン、 リ ョー フ シ ン、 チ ュ ル コ フ につ い て 言 及 され て い な い の は、 か れ らの 作 品 が 娯 楽 の部 類 に入 れ られ て い て 、 文 学 の カ テ ゴ リー に 入 っ て い な か っ た か らで あ っ た 。19世 紀 前 半 は それ が 常 態 だ っ た の で あ る。

同 時 代 の 文 学 を扱 っ た 部 分 で も、か れ が 言 及 した 作 家 は約50人 に お よん で お り、 当 時 と して は、 か な り多 い。 しか も、 そ の一 人 一 人 につ い て 簡 潔 明 快 な コ メ ン トが 加 え られ て い る。 この 事 実 は、 か れ の 批 評 論 文 が か つ て の 説 」 とは逆 に 、 特 定 の傾 向や 自分 の 好 み の主 張 で は な く、 ロ シ ア 文 学 の 現 状 の 客 観 的 で 総 覧 的 な 見 取 り図 の 提 示 を 目指 して い た こ とを しめ して い る。 か れ の この基 本 的 姿 勢 は次 号 の 「1823年 ロ シ ア 文 学 概 観 」に も、そ の 次 の 「1824 年 と1825年 初 頭 の 「ロシ ア文 学 概 観 」 に も受 け継 が れ て い る。

この 時 代 の ロ シ アで は 出版 物 で あか ら さ ま に反 体 制 的 な意 見 を述 べ る こ と はで きな か っ た か ら、マ ル リン ス キー も 「イ ソ ッ プ的 言 語 」(寓 意 をふ くむ 表

現)で 語 って い た の だ 、と言 わ れ て きた し、 それ は原 則 的 に正 しい 。しか し、

そ の 具 体 的 な例 は 新 旧 ロ シ ア文 学 概 観 」 に は見 当 た らな い 。 「1823年 ロ シ ア 文 学 概 観 」 か らの例 は次 の 部 分 で あ る。

遥 か な戦 闘 の 雷 鳴 が 作 家 の 文 体 を生 気 づ け、 散 漫 だ っ た読 者 の 注 意 に活 を入 れ る。 新 聞 が 雑 誌 や 著 書 に変 わ り、探 究 心 は 高 ま り、 現 存 す る もの に満 足 しな い 想 像 力 は虚構 を渇 望 し、 政 治 的 刻 印 をつ け て文 学 が 社 会 をか け め ぐ

る」

この 遥 か な戦 闘 の雷 鳴 」 とい う言 葉 は、 当時 イ タ リア を 中心 に活 動 して い た 革 命 勢 力 カ ル ボ ナ リ(炭 焼 き党)や1823年 に敗 北 した ス ペ イ ンの リエ

(10)

ゴ ・イ ・ヌ ニ ェ ス の 革 命 運 動 を ロ シ ア の デ カ ブ リス ト運 動 に結 び つ けて い る、

とい うの が 、 マ ル リ ンス キ ー の イ ソ ップ 的 言 語 」 の 謎 解 きで あ る。 だ が 、 上 掲 の語 句 は 「昔 、 学 問 は消 え ゆ く戦 争 の 雷 鳴 の 中 で そ の 光 明 を と も し、 雄 弁 の 花 は平 和 な オ リー ブの 葉 陰 で 育 っ た 。 学 者 と軍 人 の 立場 が もは や ひ とっ の線 に融 合 しな い 現 代 、 わ れ わ れ は まっ た く逆 の もの を 目 の 当 た りに見 て い る。 地 形 学 者 や 古 美 術 研 究 者 は軍 旗 の も とで発 見 を検 証 す るの で あ る」 とい う言 葉 の す ぐ後 に書 か れ て い る もの で あ る。 それ は学 芸 が 政 治 、 社 会 的事 件 に直 接 影 響 され 、 それ か ら刺 激 を 受 けて い る新 しい 時 代 の 特 徴 を、 一 般 論 と

して 述 べ た もの と受 け取 れ る。 また 、引 用 され た 言 葉 の す ぐ後 に は、 「この よ うな こ とは祖 国 戦 争 の 時 に わ れ わ れ に も起 こ っ た」とい う文 が っつ い て お り、

1812年 の ナ ポ レ ン戦 争 中 の ロ シ ア人 の精 神 的 高 揚 に結 び つ け られ て い る の で あ る。

この 中 に デ カ ブ リス ト との 結 び っ き を、 ま して そ の 政 治 的信 念 の 主 張 を感 じ とる こ とは、 当 時 で も、 普 通 の読 者 は 容 易 にで き なか っ た で あ ろ う。 寓 意 は、 ま さ に イ ソ ッ プ の作 品 の よ うに、 多 くの普 通 の 読 者 が0読 して 推 察 で き る もの で な け れ ば な る ま い。

北 極 星 」 に掲 載 され た マ ル リン ス キー の 評 論 にす で に ロ マ ン主 義 の 明確 な 主 張 が あ る よ うに言 って い る論 者 は多 す ぎて 、 そ の 例 を挙 げ る こ と もで き な い ほ どで あ る。 だ が 、 実 は、 この 時 期 の か れ の論 文 に は明 確 な政 治 的主 張 ば か りで な く、 ロマ ン主 義 の優 位 や 意 義 を主 張 した 言 辞 もな い 。 か れ の有 名 な 論 文 「ロ マ ン主 義 につ い て」 は1839年 に発 表 され た もの で あ る。 この こ と は い わ ゆ る 「デ カ ブ リス ト文 学 」 とロ マ ン主 義 との 関 係 に もか か わ る大 き な 問題 だ が 、 本 論 で は扱 わ な い こ とに し、 後 日、 マ ル リ ンス キ ー 自身 の ロ マ ン 主 義 につ い て 述 べ る と き に、 ま とめ て 論 じ る こ とに しよ う。

も う一 度 繰 り返 して い え ば 、 マ ル リ ンス キ ー の この 時 期 の 評 論 の特 長 は、

特 定 の主 義 や 傾 向 を主 張 した こ とで は な く、 博 覧 強 記 と的確 な判 断 を 武 器 に

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ロ シ ア の 作 家 と チ ェ チ ェ ン(藤 沼)11

して 、 客 観 的 に広 くロ シ ア文 学 の過 去 と現 状 を しめ した こ とに あ る。 この 時 期 の ロ シ ア に 文 学 研 究 、文 芸 学 な どの分 野 は実 質 的 に存 在 して い なか っ た が 、

も しか れ が20年 、 いや10年 遅 く生 まれ て い た ら、 ロ シ ア の文 学 史 や 文 学 研 究 の祖 に な っ た 可 能 性 が あ る。 か れ の 評 論 は その よ うな性 格 を 持 っ て い るの で あ る。

そ の 反 面 、 か れ が1825年 の 事 件 に め ぐ り会 わ ず 、 そ の ま ま雑 誌 や ア リマ ナ フで 評 論 活 動 を続 け て い た に して も、 ノ ヴ ィ コ フや カ ラ ム ジ ン、 ポ レ ヴ ォ イ や ネ ク ラ ー ソ フの よ うな す ぐれ た ジ ャー ナ リス トに な った か ど うか は疑 わ しい 。 マ ル リ ンス キ ー は現 象 の観 察 、 認 識 、 そ の 結 果 の 叙 述 に か け て は非 凡 な 能 力 を持 っ て お り、 今 挙 げ た ノ ヴ ィ コ フ な どの傑 出 した 人 々 に勝 る とも劣 らな い 。 しか し、 現 象 の奥 に潜 在 して い る もの を洞 察 した り、 そ の現 象 が生 じた原 因 を え ぐ り出 した り、 そ の 今 後 の成 り行 き を見 通 した りす る点 で は、

明 らか に 劣 っ て い た 。 そ の例 を ひ とっ だ け挙 げ よ う。

新 旧 ロ シ ア 文 学 概 観 」 で か れ は ロ シ ア文 学 の 過 去 と現 状 を一 覧 した後 で 、 独 自性 の あ る作 家 、 しっか りした 作 品 が ロ シ ア に は少 な い こ とを 指 摘 し、 そ

の 原 因 と して 、 次 の 点 を 指 摘 して い る。

i国 土 の 広 さか ら生 じた 教 育機 関 や 教 員 の不 足 。 そ の 結 果 と して の 啓 蒙 の遅 れ 。

この遅 れ は貴 族 の封 建 的 な 考 え方 、 ペ テ ル ブル グ、 モ ス ク ワ の俗 悪 な 生 活 に よっ て 、 い っ そ う悪 化 して い る。

ii作 家 の 努 力 不 足 。 そ の 原 因 は柔 軟 性 の な い流 派 の 結 成 、0般 の意 見 に 耳 を傾 けず 、 追 従 だ け を聞 く作 家 の 独 善 に あ る。 それ で い な が ら、 作 家 は 自分 の 作 品 が 人 気 を得 な い と、 目先 の 評 判 だ け を求 め て 、 未 来 の 月桂 冠 よ り今 の ケ シ の 花 を え らぶ 。

ロ シ ア語 の軽 視 。 と くに、 ロ シ ア語 で 書 か れ た もの に対 す る女 性 の無 関 心 。

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この説 明 は これ まで の見 事 な叙 述 に くらべ て 、 あ ま りに も平 凡 で核 心 をつ い て い な い 。 ま た 、 あ との 二 つ の 時 評 は現 象 の概 観 だ けで 、 総 括 的 な 結 論 は な い 。 「1824年 と1825年 初 頭 の ロ シ ア文 学 概 観 」 の 末 尾 を筆 者 マ ル リ ンス キ ー は 「私 は 自分 の読 者 と論 争 す る とい う よ くな い方 法 を選 ん だ ・… しか し、

どん なか た ち に し ろ、 私 は考 えて い る こ とを言 っ た の だ 」 とい う言 葉 で 結 ん で い るが 、 読 者 を反 発 させ る よ うな き び しい意 見 は この論 文 ば か りで な く、

一 般 にか れ の論 文 に は な いIfi)。 か れ の論 文 は冷 静 で 、 妥 当 な情 報 を提 供 す る こ とで 、 読 者 に 感 謝 され た の で あ る。

4‑0散 文 作 品

マ ル リン ス キ ー は批 評 家 と して 目 ざ ま しい成 功 を お さめ た が 、 小 説 を主 と す る散 文 作 品 で も大 き な 人 気 を博 した 。 か れ の散 文 作 品 は批 評 論 文 の 場 合 と 違 い 、 そ の 評 価 が さ ま ざ まで 、 個 々 の 作 品 も十 分 に分 析 され て い な い 。 ソ連 の 代 表 的 な 文 学 研 究 者 の一 人 だ っ たF・Z・ カ ヌー ノ ワ は1973年 に 、マ ル リ ン ス キ ー の 散 文 作 品 の研 究 史 を概 観 した 。 そ して 、 そ の 結 果 、 これ まで に も あ る程 度 の研 究 成 果 は あ る もの の 、い まだ に研 究 の余 地 が 多 く残 され て お り、

か れ の 散 文 作 品 が なぜ 大 人 気 を博 した の か 、 ロ シ ア の 散 文 に何 を あ た え、 リ ア リズ ム散 文 の発 展 に ど うつ な が るの か 、 とい った 問題 さ え解 明 さ れ て い な

ロ ラ

い こ と を 指 摘 した 。 そ れ か ら30年 た っ た 今 も 、この 状 況 は あ ま り変 化 して い な い 。1995年 ア メ リ カ のL.バ グ ビ ー が 著 書 『ア レ ク サ ン ドル ・ベ ス ト ゥ ー

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ジ ェ フ とロ シ ア の バ イ ロ ニ ズ ム』 を 出版 した 。 私 に は この著 者 の視 点 、 分 析 の 方 法 、判 断 の 多 くが 納 得 で き な い が 、この30年 間 の ロ シ ア 人 学 者 の研 究 の 中 に、この 労 作 以 上 に興 味 を そ そ る もの を、私 は発 見 で きな か っ た 。そ して 、 この 本 は ロ シ ア語 に翻 訳 され 、ロ シ ア 人 研 究 者 に も利 用 され て い るの で あ る。

この小 論 で は、 もち ろん 、 か れ の 散 文 作 品 を多 少 とも くわ し く検 討 す る こ

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とは不 可 能 な の で 、 多 くの 問 題 を割 愛 し、 マ ル リ ンス キ ー の 散 文 小 説 が ロ シ ア散 文 小 説 の通 時 的 な流 れ の 中 で 、 どの よ うな位 置 を 占 め 、 どの よ うな役 割 を は た した か とい う0点 に しぼ って 、 略 説 す る こ とに し よ う。

デ カ ブ リス ト蜂 起 まで にマ ル リ ンス キ ー が 創 作 ・発 表 した 散 文 小 説 は十 数 編 あ るが 、 そ の 主 要 な も の を種 類 別 に ま とめ る と、 次 の よ うに な る。

i歴 史 小 説

aロ シ ア史 か ら題 材 を とっ た もの ロ マ ン とオ リガ 。 古 き物 語 裏 切 り者

bバ ル ト諸 国 の歴 史 か ら題 材 を とっ た もの ウ ェ ンデ ン城 。 近 衛 士 官 の 日記 断 章 ノイ ハ ウゼ ン城 。 騎 士 物 語

レー ヴ ェ リの 武 術 試 合 ii現 代 小 説

a恋 愛 小 説 船 上 の0夜

七 つ の 手 紙 の恋 物 語 b戦 場 小 説

カ フカ ー一ス で の オ ヴ ェー チ キ ン とシ チ ェル ビー ナ の 勲 功 cオ ム ニ バ ス 形 式 の 小 説

露 営 の 夜 露 営 の 第 二 夜

4‑1歴 史 小 説

1825年 ま で の マ ル リ ン ス キー の小 説 の 中で は、歴 史 小 説 が も っ とも大 き な 比 重 を 占め て い る。 しか し、 私 の とぼ しい 知 識 の 範 囲 で は、 これ らの 作 品 を

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克 明 に検 討 した 研 究 は 上 記 の バ グ ビ ー の 著 書 以 外 に な い 。 ベ リン ス キ ー はマ ル リ ンス キ ー の批 評 論 文 を高 く評 価 し、そ の 小 説 も0方 で 価 値 を認 め な が ら、

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他 方 で は 「芸 術 で は な く、 単 に文 学 に属 す る もの 」 と切 って 捨 て て い る。 カ ヌー ノ ワ は い っ も 自分 の専 門 で あ る美 学 論 の見 地 か ら文 学 を考 察 して い るの で 、 も と も と具 体 的 な分 析 を 期 待 す る こ とは無 理 で あ る。 事 典 ・教 科 書 レベ ル で は、 マ ル リ ンス キ ー の 小 説 の第0の 特 徴 が シ ュ トゥル ム ・ウ ン ト ・ドラ

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ン グ との 結 び っ きで あ るか の よ う に解 説 して い る もの さ え あ り、 は た して 筆 者 は マ ル リン ス キ ー の 作 品 を読 ん で い る の か と疑 い た くさ え な る。

マ ル リン ス キ ー の 歴 史 小 説 の もっ と も重 要 な特 徴 の ひ とっ は 、 一 見 、 な ん の変 哲 も な い 、 独 自性 の とぼ しい もの に見 え な が ら、 実 は、 ロ シ ア の 歴 史 小 説 の 前 例 を ほ とん ど拒 否 し、 独 自の 型 を創 り出 した こ と に あ る。

か れ に とっ て 直 接 先 行 す る ロ シ アの 歴 史 小 説 は言 う まで もな く、 カ ラム ジ ンの 二 つ の作 品 、『貴 族 の娘 ナ タ ー リア』(1792)と 『太 守 の 妻 マ ル フ ア』(1803) で あ る。 もち ろ ん 、 マ ル リ ンス キ ー は この 二 っ の作 品 を読 ん で い た ばか りで な く、 それ が 新 しい ロ シ ア の歴 史 小 説 の基 盤 で あ る こ とを熟 知 した は ず で あ る。 当 時 の ロ シ ァ で 、 この こ とは文 学 に た ず さわ る者 ば か りで な く、 知 識 人 の 常 識 で あ っ た 。 しか し、 か れ は カ ラム ジ ンの例 に な らお う と しな か っ た 。 か れ は 『貴 族 の 娘 ナ ター リア 』 の よ う に、 歴 史 小 説 の 中 にセ ンチ メ ン タ リズ

ハ   ト

ム特 有 の 情 緒 を持 ち こ ま な か っ た し、『太 守 の 妻 マ ル フ ァ』の よ う に人 間 の 心 を 主 軸 にす る方 法 を と らず 、 ヒロ イ ズ ム 、 騎 士 精 神 な ど、0般 的 な観 念 の 表 現 を優 位 に お い た 。マ ル リ ン ス キ ー は歴 史 上 の 人 物 の政 治 的行 為 を 描 い て も、

個 人 の 恋 愛 を描 い て も、 物 語 の 筋 とそれ に よっ て しめ され る イ デ ー を優 先 さ せ 、 個 人 の心 に深 入 り しな か った 。

マ ル リン ス キ ー の 小 説 は観 念 的 だ とか 、 心 理 描 写 が 不 十 分 だ とい っ た 批 判 が 多 いが 、そ れ こそ が か れ の 作 品 の 特 徴 な の で あ る。「小 説 は観 念 的 で あ っ て は な らな い」 とか 、 「小 説 に は 十 分 な 心 理 描 写 が な けれ ば な らい 」な ど とい う

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の は主 観 的 な判 断 に す ぎ ず 、0般 的 な通 則 に は な りえ な い 。 また 、 マ ル リ ン ス キ ー が 読 者 よ!」 な ど と呼 び か け る こ と、0般 に、 作 者 の 声 を響 かせ る こ とを避 け、 客 観 的 な叙 述 をつ らぬ こ う と した こ と も、 か れ の 重 要 な特 徴 で あ る。

カ ラ ム ジ ン以 外 の ロ シ ア の歴 史 小 説 の前 例 と して は、 フ ォー ク ロ ア を源 泉 とす る もの が あ る。 と くに、 フ ォ ー ク ロ ア を源 泉 と したM・D・ チ ュ ル コ フ の 物 語 集 『か らか い屋 、 また は ス ラ ブ昔 話 』(1766‑1788)は5編 か らな る大 労 作 で 、 大 き な人 気 を博 した 。 マ ル リン ス キ ー は この存 在 を知 っ て い た は ず だ が 、 この 流 れ に もつ な が らな か っ た。 前 述 の よ うに、 当 時 チ ュル コ フ た ち の 作 品 は文 学 とは み な され て い な か っ た の で 、 マ ル リン ス キー も それ を重 視 し

21)

な か っ た の か も しれ な い。 しか し、 か れ はイ マ ジ ネ ー シ ョン に よ る フ ィ ク シ ョ ンを駆 使 して い た 反 面 、 フ ァ ン タ ジ ー は創 作 に と りい れ な か っ た 。 フ ァ ン タス テ ィ ッ ク な面 を本 質 的 な 要 素 と して 持 つ フ ォ ー ク ロ アが 、 か れ の 歴 史 小 説 の 素 材 に な らな か っ た 第0の 理 由 は、 こ う した か れ の創 作 原 理 に あ る と考 え るべ きで あ ろ う。か れ の 歴 史 小 説 は年 代 記 の よ うな歴 史 資 料 に よ っ た もの 、 あ るい は、よっ て い る と思 わせ る装 い を も っ た もの で な けれ ば な らなか っ た 。 この よ うな フ ァ ン タ ジ ー と フ ォー ク ロ ア の 拒 否 は、 先 輩 の ジ ュ コ フ ス キー が フ ァ ン タジ ー一を 重 視 した こ と、 ま た マ ル リ ンス キ ー と同 じ時 期 に、 プ ー シ キ ンが フ ァ ン タ ス テ ィ ッ クな フ ォー ク ロ ア と密 接 に結 び っ い た 『ル ス ラ ン と リ ュ ド ミー ラ』(1820)で 、 本 格 的 な文 学 活 動 に入 っ た の とは大 き く異 な っ て い る。

また 、 マ ル リ ンス キ ー は17世 紀 以 降 ロ シ ア に現 れ た モ ス ク ワ発 祥 の物 語 」 や 「トヴ ェ ー リ ・オ ー トロ チ修 道 院 縁 起 物 語 」 の よ う な年 代 記 の 物 語 化

L2)

に も無 縁 だ った 。 年 代 記 の0行 か 二 行 の 記 述 を フ ァ ン タ ジ ー に よ っ て 膨 張 さ せ 、 しか も、 それ を猟 奇 的 な 物 語 に仕 立 て る こ とは、 や は りか れ の創 作 原 理 に反 す る も の で あ っ た 。

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この よ うに、 どの 型 に も属 さ な い マ ル リ ンス キ ー の歴 史 小 説 の特 徴 は 、 国 家 や 民 族 の 歴 史 的 な 動 きの 重 視 、 個 人 的 感 情 へ の没 入 の抑 制 、 第 三 者 的 な叙 述 方 法 な どだ と言 え る。 か れ が 批 評 論 文 で 見 せ た博 識 と判 断 力 を考 え る と、

この選 択 が 直 感 に よ る もの や 、 ま して 、 無 意 識 に よ る もの だ っ た とは考 え ら れ な い。

4‑2現 代 小 説

こ の 時 期 の マ ル リ ン ス キ ー の 現 代 小 説 は歴 史 小 説 と比 べ 量 的 に は る か に 少 な く、 そ の3分 の1く らい で しか な い 。 しか も、 秀 作 とい え る ほ どの もの は な い。 だ が 、 そ の 全 容 は豊 富 で 多 様 で あ り、 そ れ を通 じて 、 か れ の文 学 的 姿 勢 とロ シ ア文 学 の 中 で 占 め る位 置 を 知 る こ とが で き る。

上 掲 の 二 つ の 恋 愛 小 説 船 上 の0夜 」 と 「七 つ の 手 紙 の恋 物 語 」 は両 方 と も悲 恋 小 説 で あ る。

前 者 で は、 ス コ ッ トラ ン ドの 海 軍 士 官 ロ ナ ル ドが 愛 す るメ リー を命 が けで 海 難 事 故 か ら救 う。 しか し、 ロ ン ドン に帰 国後 、 上 流 社 会 で もて はや され は

じ め た か の女 に冷 た くされ 、 悲 し くス ペ イ ン に 去 る。 や が て メ リー は 上 流 社 会 で 人 気 を失 い、 ロ ナ ル ドを思 い 出 す 。 か れ は それ を 知 っ て 、 イ ギ リス に も

どるが 、 か れ が 到 着 した ち ょ う どそ の 時 、 病 死 した メ リー の 葬 儀 が 行 わ れ て い た 。

後 者 で は、 あ る男 が 恋 を し、 幸 福 に酔 い 、 恋 敵 に恋 人 を うば わ れ 、 そ の ラ イ バ ル を殺 して 獄 につ なが れ る。 わ ず か4カ 月 ほ どの 問 に起 きた この ドラマ が 、 そ の 男 の7通 の 手 紙 だ けで 伝 え られ る。

この よ うな 悲 恋 を テ ー マ と した 作 品 は古 今 東 西 に無 数 に あ る。 悲 恋 小 説 は 文 学 作 品 の 中 で も っ と も数 の 多 い もの で あ り、フ ォー ク ロ ア に も悲恋 の説 話 、 物 語 、 伝 説 は数 多 くあ る。 ロ シ ア の場 合 も、 マ ル リ ンス キ ー の作 品 に 先 行 す

る もの と して 、 カ ラム ジ ン の 『エ ヴゲ ー ニ ー とユ ー リア 』(1789)や 『あ わ れ

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ロ シ ア の 作 家 とチ ェ チ ェ ン(藤 沼)17

な リー ザ 』(1792)を 、 わ れ わ れ は容 易 に思 い 出 す こ とが で き る。 この カ ラ ム ジ ン の二 作 は周 知 の よ うに、 ル ソー 、 ゲ ー テ 、 リチ ャー ドソ ン な どの 西 欧 の 近 代 小 説 に な らい な が ら、 内 外 の フ ォ ー ク ロ ア の伝 統 もふ ま えて 作 られ た 作 品 で あ る。 実 に 単 純 素 朴 な作 品 だ が 、 ロ シ ア の 土 壌 に据 え られ た ロ シ ア 悲 恋 小 説 の 、 そ して 、 ロ シ ア の 近 代 小 説 の 基 盤 で あ っ た 。 カ ラ ム ジ ンが さ さや か な作 品 に す ぎ な い 『エ ヴ ゲ ー ニ ー とユ ー リア』 に 「ロ シ ア の真 実 の物 語 」 と い う副 題 をつ け た の は け っ して誇 張 で は な い 。

カ ラ ム ジ ンの基 礎 造 りか らマ ル リン ス キー の 時 代 まで30年 もの 時 間 が 過 ぎ て い た。当 時 の ロ シ ア に とっ て30年 は 一 世 代 で は な く、一 世 紀 ほ どの大 き な 時 問 幅 で あ っ た 。 しか し、 この 間 の ロ シ ア に お け る悲 恋 小 説 を調 べ て み る と、 意 外 な こ とに発 展 は ほ とん ど見 当 た ら な い 。 カ ラ ム ジ ン 自身 は個 性 の微

ハ ロ

弱 な ロ シ ア で 個 人 レ ベ ル の 「心 」 に 深 入 り して し ま う と、 卑 小 な も の に 突 き 当 た る こ と を 予 測 して 、『あ わ れ な リー ザ 』の 線 を 発 展 させ よ う と しな か っ た 。 か れ は 『ボ ル ン ホ ル ム 島 』(1794)、 『シ エ ラ ・モ レ ナ 』(1795)な ど で ロ マ ン主 義 の 線 を 試 み 、 さ ら に 、 『わ が 俄 悔 』(1892)、 『情 の 人 、冷 た い 人 』(1803)、 代 の 騎 士 』(1803)で は リ ア リ ス テ ィ ッ ク な 小 説 も試 み た 。 しか し、 こ れ ら の

ス ピ リ ッ ト

流 れ に も深 入 りす る こ とな く、 歴 史 執 筆 に転 じ、 民 族 の 「心 」 を探 求 しは じ め た 。 この 結 果 、 『あ わ れ な リー ザ 』の線 に は、カ ラ ム ジ ン の亜 流 だ けが 残 る こ とに な っ た 。

マ ル リ ン ス キ.一は全 体 的 に セ ンチ メ ン タ リズ ム とは 明 らか に一線 を画 し て い るが 、 「船 上 の0夜 」 も 「七 っ の 手 紙 の恋 物 語 」も、テ ー マ 、形 式 と も 『あ わ れ な リー ザ 』に似 て い な が ら、別 種 の作 品 で あ っ た 。両 作 品 と も、第 一・に、

そ の 至 婁 素 は個 人 の 感 情 で は な く、 「運 命 の 力 」で あ っ た。 しか も、か れ は人 間 の 敗 北 が 予 定 され て い る、 古 典 的 な運 命 と人 間 の 闘 い を描 こ う と した の で もな く、 ロ マ ン主 義 的 な運 命 の 壮 絶 な暴 威 を描 こ う と した の で も な く、 運 命 に は従 うべ きだ とか 、 運 命 は 克 服 で き る とか い っ た 教 訓 を説 こ う と した の で

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もな い 。 マ ル リン ス キ ー の 運 命 の 力 」 は、 い わ ば、 折 衷 的 で あ った 。 つ ま り、 か れ は人 間 が 運 命 の 支 配 下 に あ る こ とを しめ す と同 時 に 、 運 命 を誇 張 も 軽 視 もせ ず 、 等 身 大 で 描 い た の で あ る。

カ フカ ー ス で の オ ヴ ェー チ キ ン とシ チ ェル ビー ナ の 勲 功 」 は カ フカ ー ス の 戦 場 で 奮 戦 した(前 者 は 生 き残 っ て 恩 賞 を受 けた が 、後 者 は戦 死 した)二 人 の勇 士 の話 で あ る。マ ル リ ンス キ ー が カ フカ ー ス の戦 争 に取 材 した作 品 は、

ロ シ ア将 兵 の 活 躍 を誇 張 し、 美 化 した 、 悪 い 意 味 で ロ マ ン チ ッ クな 作 品 だ と

zs)

い う 「定 説 」 が あ る。 自分 で もカ フカ ー ス の 戦 争 小 説 を書 い た レ フ ・トル ス トイ は、カ フ カ ー スで 戦 っ て い る将 校 た ち の 中 に は、 「現 実 と矛 盾 す る」マ ル

̀L4)

リ ンス キ ー の 作 品 の ヒー ロー た ち の 「プ リズ ム で カ フ カ ー ス を見 て い る」 者 が い た と言 っ た 。 しか し、 この トル ス トイ の 言 葉 こそ が 事 実 と矛 盾 す る偏 見 で あ った 。 トル ス トイ は天 才 的 な 芸 術 家 の 常 と して 、 他 人 の作 品 を注 意 深 く 見 て い な か っ た の で あ る。

マ ル リン ス キー の い わ ゆ るカ フ カ ー ス物 カ フ カ ー ス で の オ ヴ ェ ー チ キ ン とシ チ ェ ル ビー ナ の 勲 功 」 に は、 全 体 と して 、 過 度 の ロ マ ン テ ィ シ ズ ム は な い。 この作 品 の場 合 、 主 人 公 は二 人 と も一 介 の将 校 で あ っ て 、 王 侯 で も騎 士 で もな い。 冒険 的 な筋 もな く、 美 女 も登 場 しな い 。 現 代 の現 実 の 中 に現 れ た さ さや か な ヒー ロ ー の 話 で あ る。 前 掲 の 一・覧 の 中 で 私 は この 作 品 を 「戦 場 小 説 」 と名 づ け た 。 も し これ が も う少 し ロ マ ンチ ッ ク な小 説 で あ っ た ら、 「現 代 英 雄 小 説 」 とい う呼 び 名 を使 う こ ともで きた で あ ろ う。 しか し、 この 作 品 は

そ の よ うな 大 げ さ な名 が ふ さ わ し くな い 種 類 の もの で あ る。(こ の作 品 に は 1825年 の初 出版 と1834年 の 著 作 集 版 が あ り、 厳 密 な 議 論 をす る た め に は、

まず 両 者 の 比 較 を しな けれ ば な らな い が 、 こ こで は そ の よ うな細 部 に は立 ち 入 らな い こ とに した)。

こ の 小 説 は崇 高 な 英 雄 的 行 為 の場 を 中 世 の 騎 士 世 界 か ら現 代 の 現 実 に移 して、 変 換 し よ う と した もの で あ る。 しか も、 マ ル リン ス キ ー は そ れ をパ ロ

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デ ィ化 す る の で は な く、 崇 高 な もの を現 代 に再 現 しよ う と した 。 これ も しば し ば ロ マ ン主 義 とい う抽 象 的 な 言 葉 で 片 づ け られ て い るマ ル リンス キ ー の創 作 原 理 の 重 要 な 点 で あ る。

現 代 の 現 実 に もか か わ ろ う とす るマ ル リ ンス キ ー の 試 み は さ ら に進 ん で 、 卑 小 な もの 、 コ ミッ ク な もの、 日常 の些 事 に まで 及 ん だ 。 「露 営 の夜 」、 「露 営 の 第̲̲.,夜」 は そ の 試 み の現 わ れ で 、 小 品 な が ら興 味 の尽 きな い作 品 で あ る。

前者 で は二 つ、後者 で は三っ の宗 器 が作 品 の 内容 の すべて で あ る。ひ とつ ず つ 切 り離 せ ば軽 妙 な 短 編 小 説 に な る もの を、 マ ル リン ス キ ー は オ ム ニ バ ス 形 式 で 一 作 に ま とめ、 しか も、 作 者 が 直 接 に語 らず 、 露 営 の 軍 人 に順 々 に語 らせ た 。 それ は 自 らの現 実 へ の進 入 を あ ま りに 急 激 な もの に して 、 作 家 と し て の 自分 を未 知 の危 険 に さ らす の を恐 れ た た め か も しれ な い 。

こ う して 、「カ フカ ー ス で の オ ヴ ェー チ キ ン とシ チ ェ ル ビ ー ナ の 勲 功 」、「 営 の夜 」、 「露 営 の 第 二 夜 」 の 三 作 を先 入 観 な し に単 純 に観 察 して み る と、 マ ル リン ス キー も また カ ラム ジ ンや プ ー シ キ ン と同 じ よ うに 、 自分 が 到 達 した 地 点 に ほ とん ど立 ち止 ま る こ とな く、 質 の違 う新 しい領 域 にた え ず 踏 み こん で い る こ とが わ か る。 そ して 、1806年 に文 学 創 作 をや め、歴 史 執 筆 に専 心 し た カ ラ ム ジ ン と、1830年 代 か ら散 文 小 説 を書 き は じ め た プ ー シ キ ン、 ゴ ー ゴ リの 間 に あ っ て 、 マ ル リ ンス キ ー が ロ シ ア近 代 散 文 小 説 の形 成 に大 きな 役 割 を はた して い た こ ともわ か って くる。 ベ リ ン ス キ ー が マ ル リン ス キ ー を 「ロ

'L5)

シ ア散 文 の プー シ キ ン」 と呼 ん だ の も当 然 だ っ た の で あ る。

しか し、 この興 味 深 い 問題 に は、 今 後 マ ル リ ンス キ ー の創 作 の後 半 を論 じ る機会 が あ っ た ら、 そ の 時 に ふ た た び 立 ち 返 る こ とに し よ う。

1)Be∬HHcKHhB.r.no皿Hoeco6paHHecoqHHeHH哲A.Map皿Hxcxoro.〃

Ho朋oeco6paHHecoq朋exHHB.1'.benKxcxoro.M.,1954.TJV,C.21‑53

(20)

2)r【HmlHA.H.HcTop四pyccKo茸JIHTepaTypLI.Cr[6.,1903.Tr▽,C.21‑53

3)こ の 例 は 列 挙 で き な い ほ ど 多 い 。 も っ と も 典 型 的 な 例 は 、 こ れ ま で で 最 大 の ロ シ ア 文 学 史HcTop圏pyccKo伽HTepaIypLIAHCCCPBlO‑HToMax.M.‑JI.,1952.T.r▽.

で 、 二 流 の 作 家 ・詩 人 ま で 独 立 し た 節 で 論 じ ら れ て い る の に 、 マ ル リ ン ス キ ー に は 独 立 し た 節 が あ た え ら れ て い な い こ と で あ る 。

4)「 北 極 星 」 の 原 書 を 見 る こ と は 現 在 で は 比 較 的 容 易 だ が 、 テ キ ス ト と し て は JIHTepaIypHBIe‑‑aMATHHKHシ リ ー ズ の 次 の 版 を 使 う の が 普 通 。Ho朋paH牙3BesAa.

H3月aHHa∬A.】3ecTy)KeBblMHK.PbmeeBLIM.M.‑JI.,1960.

5)上 掲 書.C.807.

6)こ の よ う な 見 方 は 革 命 以 前 で は む し ろ 普 通 で あ っ た 。 た と え ば:KoT.nsrpeBCxHH H.A.八eKa6pHcTbl;KH.A.H.OAoeBCxHHHAA.Tech(eB‑MapnHxcxHH;HX)KH3HbH

nHTepaTypxaAAeATenbxocTb.CII6.,1907.C.122.

7)こ こ で は 次 の テ キ ス ト に よ っ た 。BecTy)KeB‑Map∬HHcK嘘A.A.CoqHHeH圏B耶yx ToMax。M.,1958.T.2,C.477‑478.

8)1くpaTxaxnHTepaTypxaA3xuHxnoneAHA.M.,1968.T5,C.873,∬eB.

9)た と え ば 、前 掲 のHo朋pa朋3Be3胆.H3胆HHa∬A.TecTyxceBbiMHK.PbrneeBblM.M.一

1960.C.808‑820.やHcTop瑚vpyccxoH∬HTepaTypblAHCCCPBlO‑HToMax.M.‑JI.,

1952.T」V,C.21‑41.な ど 。

10)Ho朋pHa∬3Be311a.C.809.

11}TaMxce.C.811.

12)McKnaxb.C.八eKa6pHcTcKa朋 刀e朋aHHoHa∬BHoroBo3po)KAeHH∬HpyccKa∬Ky皿BTypa Hasa皿aBeKa.AeKa6pHcTLIHpyccKa∬Ky皿ETypa.JI.,1975.C.8.

13)Be∫IHHcKH益B.rYx.1(H。1954.TVIr,C.99‑131

14)KoqeTI(oBaH.TT.OpaTopcl(aAnpo3aΦeoΦaHaHpoKomBHqaHnyTHΦopM即oBaHH牙

皿HTepaTypLIKπaccHHH3Ma.//c6.XV皿.JI.,1974.No.9,C.50‑80

15) 16) 17) 18) 19) 20)

HcTopH∬pyccKo貢KpHTHKH.M.‑JI.,1958,C、197.

benxxcxxHB.r.yx.1くH.T.IV,C.30.

KaHyHoBaΦ.3.9cTeTHKapyccKo哲poMaHTHqecKo営noBecTH.TOMCK,1973.C.4‑8.

BagbyL.AlexanderBesiuzhev‑MarlinskyandRussianByronism.Pennsylvania,1995.

benHxcxHHB.rYx.KH.T.rV,C.35.

と え ば:9HHHK皿one八HqecKH覚c∬oBapLΦ.A.Fpoxraysa‑H.A.θ ΦpoHa.1891.

(21)

ロ シ ア の 作 家 と チ ェ チ ェ ン(藤 沼)21

T.6,C.621,np.

21)こ の 項 の ロ シ ア 小 説 の 流 れ に つ い て は 、cf.CHnoscxKHB.B.OqepKHH3HcTopHH pyccxoropoMaxa.C116.,1909‑1910,T.1,Bbln.1‑2.

22)藤 ロ シ ア 文 学 に お け る 歴 史 小 説 一 そ の 前 史 と カ ラ ム ジ ン 、 プ ー シ キ ン 、 ト ル ス ト イ//岩 波 講 座 「文 学 」。2002,第9巻 、106ペ ー ジ 。

23)Tasaxosb.OqepKH八eKa6pHcTcKo首 ■HTepaTypLI.M.,1953.で は 、 ソ 連 時 代 に な っ て そ の よ う な 偏 見 が な く な っ た 、 と 主 張 さ れ て い る が 、 私 見 に よ れ ば 、 そ の 後 も 強

く 残 っ て い る 。

24)ToncTOHJI.H.r【o皿Hoeco6paHHecoqHHeH励.M.,1935T.3,c.232 25)benxxcxxHB.r.yK.1(H.TIV,C.28.

参照

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