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748    第36巻 鱒5号  

−204一一  

紹  介  

アダム・スミスの経済発展論(Ⅰ)  

山  崎   怜  

スミス経済学が価値の理論でほあるが,生産力=蓄積の体系でほないとする神話は,か   ってリストのつくったものであった。げんざい,そうした規定ほ,もはや,ひとつの語り   ぐさ紅すぎないといっていいであろうけれども,しかし,ヌミス社会科学における生産力   体系そのものの歴史的な,社会的な総体把握ほ,わが匡トをのぞいては,国際的紅はまだま  

だ不十分であって,ここ紅紹介するVlBSiェ1gh, !AdamSmith sTheoryof EconomicDe−  

velopment,,jn:ScienceandSoci eiy,Vol,XXⅡ,No.2,Spring,1959の論文も稀少のテーマ   をあつかったものである。その内容は,水準のたかい日本のヌミヌ研究者にとって−は耳目  

をそぼだてるほどのものではないし,それ自体とりたててすぐれた論稿ともいうことはで   きない。だが,それにもかかわらず,スミス蓄積論をスミス経済論の内部から出発して−全  

機構的にとらえる周到な用意は,かならすやわが国スミス研究者のたのしい同感をよび,  

おなじアジア人として−かならずしも西ヨーロッパ研究者の眼に映じないスミフの側面(生   産力の社会経済的総体把捉)をみぬいたもんだい関心の共通地盤におもいいたるだろう  

し,その祖国では忘れられた先覚者を後進国人のみが蘇生させる意味の追求をうながすで   あろう。それは後進国スコットランドのうんだスミスのもんだい性にもつながるのである。  

財政学や財政思想史上のインド人レヤ−ラスやレ.ヱハブなどのイギリス財政思想と古典財   政学研究とならんで, 

る。シ′ンの叙述にかんする詔介者の解説と批評は本紹介の末尾に記した。なお,この紹介   は,1960年から62年にかけての清市征忍との愉快な討論の1所産である。  

1  

他の思想家のそれとおなじように,アダム・スミスの思想は,その時代の社会的・経済   的背景にてらして吟味されるべきである。『諸国民の富』は,マニュファクチュアの支配的  

な,封建制皮の妨害を排除して−資本主義がみずからの遺をあゆもうとする17−76年3月9日  

に公刊された。このたたかいほ,封建時代から資本主義への過披期をあらわす。スミス   

(2)

アダム・スミスの経済発展論(工)  

749   

ーご()Jl一  

ほ,上昇する小マニュプァクチユア壬や農民階級の味方であった。かれほ,やがてはそこ   から利益をうる階級によってうけいれられた自由貿易理論を提供した。『諸国民の富』は,南   米と産業の発展のための思想体系をあたえるものであった。こ.うした理論の影轡下に,  

1800年,ピットはイングランドとアイアランドのあいだに自由貿易を導入し,ピールほ,  

1846年,穀物法を廃止Lた。一世紀にわたって動と反動がつづいた。自由貿易理論の意味  

ほ,リベラリズムであり政府干渉からの自由であった。かかる思想ほ,当然,峨烈な関心   をよびおこし放と味方をつくりだす。スミスは,しぼしぼ,議会でひきあいにだされ,よ  

く知られているように,カラれの巨大な影響ほ,学界といわず一般仲間の思想におよんだの   である。   

アダム・スミスの著作ほ独白の科学的・論理的方法な欠如しているといわている。これ   は部分的にのみただしい。ジ/.ェイコプ・プァイナーのいうように,かれほ「偉大な折衷者」  

であるばかりでなく,「偉大な経験主義者」なのである。このことほ,かれを「保守的」  

にも「ユーtウピアン」にもせず,かれが眼前にせまる社会経済力の成長を促進するとい   う意味での「ラディカル」またほ「進歩的」に.lノたのだった。しかし,歴史の進行は,経   験法則を陳腐なものとする。スミスの思索が歴史東根ざしているのはたしかである。とは   いえ,かれの法則ほ,予言の基礎として・っくられなかったハというのも,かれの分析よ   りはやく事実の方がすすんだからである。けれども,かれの分析のつよみは,その指導原   理として歴史をえらんだことにある。かくして,かれは,経済制度を孤立してもんだいに   することはできなかった。スミスに.とっては,ゆたかな経済分析の不可欠な素地をあたえ  

たのは,広汎な社会的・政治的制度のパタL−・ンだったのだ。スミスの偉大さは,ときにい   われるように,かれのたったひとつの貢献に.あるのでほなく,その仕事の全体,つまり,  

経済生偏の発展や経済学の進化のためにつくりだした風潮にある。かれの著作ほ矛盾紅み   ちている。だが,これらの諸矛屑は,マルクスのいうように,それ白身に意義をもつ。「  

∴なぜなら,たしかたかれほ解決しないが,しかしかれ自身が矛眉するととによちて,  

かれの明示する諸もんだいをそれらの諸矛盾はふくんでいるからだ。この点におけるかれ   のただしい本能は,対立しあうかれの後継者たちがその理論のある一面にもとづき,また   他の側面に依拠した事実紅,もっともよく,示されている。」  

2  

アダム・スミスの経済像ほ,それの作用する社会から孤立した自己推堪の機構なので株   

(3)

一−−206−・・■】・一  

第36巻 第5号   750   

ない0したがって,その道勤は,帥フランシス・ハチスンから検収した自終哲学のもとで    理解される社会的・政治的制度の本性にしたがう。かかる自然哲学が後期ギリシャのス   

トア哲学やエ・ピクロス学派にさかのぼることは,哲学史の帯識だろう。しかし,その発展    は㌦・様ではなかった。−・時的な衰退のあと,それはふたたび,キケロ,セネカ,エビクタ   トゥスのようなロ−マ・ストアの哲学の著作に.あらわれ,ルネサンスや宗教改革に閂4し」,  

17世紀に・はベイ=トン,ホップズ,ロックがあたらしい方向をあたえ,経済学では重患主    義者とアダム・スミスのうけいれるとこ.ろとなった。自然哲学に.たいするかれの信念は,   

ア\・プリオリであって,そのごのかれの経験主義ほこれをふかめるためのものだった。   

かれの社会哲学が,『諸国民の富』公刊の17年まえ,1759年にあらわれた『道徳感情の理論ゴl    に示されたことほ霧要である。『道徳感惜の理論』は,あるべき自然秩序とおなじような調    和のとれた社会をあらわす。この調和への鍵ほ,自愛,同感,自由への欲求に.よって行動   する人間性向や道徳的適性と労働気屑への自然な感覚,また,物を交換する性向のなかに   

みいだされる。かかる運動のみなもとは神の挺理にあり,人間ほみずからの利益の最上の   裁判官として,放;若されたのであった。汀諸国民の富jは,こうした見地を示す叙述をもつ   

が,これに矛盾する部分もふくまれる。ここ1でほ紙面のかんけいで,ふたつだけ引用しよ   

う。「われわれは夕食を,肉屋や酒尿やパン屋の仁愛に期待するのでほなく,かれら自身    の利益に期待するのである。.」というのも,「みずからの姓情状態を改善しようとする各   人の自然な努力ほ,自由と安全のもとに遂行されるとき,巨大なプリンシプルなのセあ   

り,なんらのたすけもなく,社会を富裕と繁栄にみちびくばかりでなく,」尤大な傍題    きわまる妨害を克服しうる」からである。   

『諸国民の富針でほ,スミスほ,『道徳感惜の理論』のなかで社会調和の規制老として蚤要   べ弁ボレンス  

恍をふした仁愛をたいして蔓祝しなかった。これほ,一滴Sほ,初期の著作が倫理学にかん   するもので経済学でほない事実によって説明されよう。けれども,プァイデーの指摘する  

ペネボレンス  

ように,後期の著作でも仁愛,すなわち,「たよるには薄弱なもの」をみいだすこともた    しかである。‡諸国民の乱膵凍けるかんぜんな調和理論への例外の拡大ほ,ふたつの事情   による。ひとつには,現実生活の闘争が 道徳感惜 の範朗をこえること,ふたつほ,資本主   義の発展につれ,矛眉が明白となったことである。  

偏見のないアダム・スミスほ,これらの矛偏に注目した。たとえば,労働者と親方の利  

害ほ「けっして一・致しない」し,かれらの公然の闘争には,法と官憲が親方に味方するとみ  

た。商人と−・般人民,都市と農村などに対立があるとしたし,地代と利潤は,賃金からの   

(4)

751   アダム・スミスの経済発展論(Ⅰ)   叫・207−  

控除であり,「ふたつの⊥層階級が劣位のそれを抑圧サる。_J「国.民約偏見と敵意」が諸   国民聞にわけへ・だてをつくったが,これほ,つねにl ̄特定商人の私的利益によって鼓舞さ   れたものだ。」要する紅,『道徳感情の理論』の調和のとれた自然秩序と『諸国民の富』にえ   がかれたさもしい闘争にほちがいがある。  

3  

自然哲学へのスミヌの信念ほ,ア・プリオリであって−,かれほ,これを経験論で支持し   ようとした。かれが調和の経済秩序に劇定の亀裂をみとめたのはたしかだが,かかる亀裂   は,ある不可欠の職能と権力ー最小限にたもたれるべきとほいえーをゆだねられた政   府の介在によつてなおされうるとかんがえた。政府職能にかんするスミスの見解ほ,まず,  

柑翫鋸脾.おいて,ついで『諸国民の富』で詳述された。最良の政府は,個人のなしえない最   小の職能をのみおこなう政府を・いう。スミスほ,「主権者」と「政府」のことばをほとん  

どゎなじものとしてもちいる。その基本的職能ほ,社会を内と外の侵害からまもること,  

市民のための適切な司法行政,私企業ときそわない公共事業の実施である。   

いかなる政府もこうした限度をおかせば,混乱と無秩序がおこる。2,3の例をあげよ   う。(1はろこんで約束手形を受鎖するのを禁ずる法律は自然的自由の侵害である。(2)立法   府は,あたらしい独占の拡充ないし樹立については公共利益にそって行動すべきである   岬かかる行為ほ無秩序をみちびくのだから−。(3)「恒飢餓ほ,欠乏の不便をおぎな  

うため鱒不適切な方策をとった政府の義政以外のどんな原因からも断じて巷じなかった。」  

値1マニュファクチャラ、−がレヨッブキーパ、一になることを禁じたり,ファーマ−・が穀物商   人となるよう強制する法禅は,不得策かつ不正であって,後者ほ,土地の改展を阻害するた   め,より有害なものだった。(5)人民は,立法者よりもよりよく地方特有の事情を把握する   から,法は人民を信頼しなければならない。奨励と抑制のすべての制度は社会進歩をおく   らせる。かくして,「明白かつかんたんな自然的自由の制度がおのずから確立する。各人   には,正義の法をおかさないかぎり,みずからの利益をみずからの方法で追求し,また,  

かれのインダストリと資本をともに,他の人またはどんな階層のそれとも競争するかんぜ   んな自由があたえられるのだ。」   

ここ∴で,われわれのみいだすスミスは,自然哲学にささえられて政治的自由とレッセ・  

フ‡.−ルとを強力に主張して−いる。一・般に,この信念が政村の最小職能を指示したといわ  

れてきた。もうひとつの理血科 その政府起源論にかんれんしてかんがえられるのではな   

(5)

一−2∂8,・■・−  

第36巻 第5管   752   

いか。ヌミスほ,ほ翫鋸のなかで,政府の必要ほ私有財産のおこりと篇裕索を貧乏人から    まもる欲求とともに生じたといい,打諸国民の富』でも,この見方をくりかえし,財産のな    い階級から有産者をまもるというかんがえを提出したのである。かれほ,独占とコオバレ    インョンの形式による既得権益の政府にたいする支配をおそれて,その積極的な協力がな    けれぼ生産の閉止される労働者階級に同情したのだった。かれにとって,幸福で隆盛する社   

会ほ,労働する人々からなる人口の大部分が幸福であることを意味した。そのうえ,かれ    によれは,平等ほ,労働者たちが「はどよく十分に衣食住をとりうるはどにみずからの労   

働生産物のわけまえにあずかるべきこと」なのだった。また,かれほ,労働者の声は,雇    壬の支持がなければ無視されるともいう。労働者と親方のあらそいで官憲と法が,後者の味   

方になるといったスミ.ヌの叙述をかえりみれば,当然,かれに.とってほ,政府職能の増加    は貧卦へ.の抑圧を意味するとかんがえられよう。こ.うして被圧迫者ごの同情とむすぴつ    くその自然哲学ほ,政府が個人のなしえない職能のみを遂行すべきだとしたのであった。   

かかる政治制度があたえ.られれほ,かれは,社会に均衡をもたらすに十分な経済競争を信    頼する。このことは,スミスの経済システムが孤i二子して作用せず,合理的な人間の行為の   

みられる社会的・政治的制度によ、つて条件づけられていることなのである。かれの個人ほ    組織されないばらばらなそれでなく,商人・製造業者・親方・職人・職エ・労働者・農民  

・そのはかの職米人という社会=経済的役割をになってあらわれる。私有財産制度ほ,ふ    かく根をおろし,さまぎまのグループほ,その収入の極大化につとめる。  

4  

こうした背景紅てらして,われわれは,かの著作臣,諸国民の富の姓燭と原因にかんする    研究二【巨のタイいレに暗に.示されるアダム・スミスの経済発展理論を究明しうるだろう。ロ   

ビンズの影響のもと,現代経済学は,代替的用途をもち,あたえられた目的に役だつ稀少    な資源の配分を研究するものとする傾向がある占 しかし,スミスの本来的な関心は,稀少   

蟄源をふやす方法の究明だった。なぜなら,スミスのいうには,「各国経済(political    economy)の巨大な目的ほ,その国の富と力とを増加させることである。_!さらに,「政    治家またほ.立法者の学問の一・部門とみなされる経済学(politicaleconomy)ほ,ふたつの   

ことなつた目的をもつ。第1に,人民にたいしてゆたかな収入またほ生活質料を供給する   

こと,もっと適切にいえば,かれらみずからがかかる収入またほ生活費料をうるように.し   

てやることであり,第2にほ,国家またはコモンウェルスに公共サ−ヴィスをおこなうた   

(6)

アダム・スミスの経済発展論(り  

ご()さ)−  

753  

めの十分な収入をあたえることである。それほ,人民と主権者の両者を富裕にしようとす   る」と。富ほ,適切な資源配分なしにうまれないというもんだいは,フミス経済学ではイ   ムプリンッ巨なものである。けれども,スミスに.現代的な配分概念をさがしあてようとす  

るこころみほ,ゆきすぎであろう。   

だが,かれの功績ほ,ある1章(第1篇第7茸)の範囲内で競争市場の均衡過程一一−−そ   れによって資源は最高率の報酬をうけとる仕事とインダスヤリにひきよせられる一−−V一の分   析濫成功したことである。したが/ブて,キーアステッドのように∴スミスが市場均衡に関心   を示さなかったというのはただしくない。このことほ,第1篇で自然価格と市場価格のか   んけいを究明するとき,かれの関心の的だったものなのである。尺度としての貨幣へのか   れの関心がわれわれをあやまらせるのでほない。これほ必然の受容である。かれにと′つて明  

白なことは,その価値が変動する商品ほ,ウニルフェアの示標である実物的な国民鎮座物を   ほかる信頼すべき尺度でありえなか/つた。富の増進を放言」するにさいして,スミスほ分配   もんだいを忘却したのではなか′うたのである。それというのも,かれは,生産物が,「そ  

れをテ肖費する人の数に対応しておおかったりすくなかったりする′1し,国家の箆富もき   まることを熟知していたからである。キャナンの指摘するごとく,このことは,一国の竃   がひとりあたりの所得によっではかられるべきで,総封ではかるべきでないことを意味し   よう。こうした所得極大化のもんだいほ,ヌミ.スをして瀬所得と純所得の区別にみちぴい  

た。というのは,「各国の土地と労働の年々の全生産物,いいかえると年生産物の総価格   は,当然,乙部分にわかれる。つまり,地代,貸金,利潤であって,ことなった3階   級の収入を構成する。    これらは.,巨大で基本的な全文明社会の3階級なのであり,  

他のいっさいの階級の収入ほ,窮極紅はこうした階級の収入からひきだされる」と。   

しかし,アダム・スミスは,事実上,生産の本源的要素だけを認識し,したがって粗収   入はあたえられた国の土地と労働の年々の全生産物であるとみた。純収入ほ,「第1に   固定費本の,第2に流動資本の維持のための控除のあとにのこるもの,いいかえれば,か   れらの資本をくいつぷすことなく,使按の消費に留保されるストックに.くりいれることの  

\  

できるもの,ないしは,かれらの生活費料,便首品,快楽品紀文出するものなのである。  

かれらの実質的富もまた,かれらの粗収入でなく,その純収入に比例する。」この生産物  

(あるいは価値)の−・部は,あたえられた期間の生産に要した物理的磨損の補填にむけら  

れ,第2の部分は,「切挫慮的」消費か仁生産諸力の増進か紅むけられる。こうして,こ  

の剰余ほ経済発り引こと〔て決定rf勺領空件をもつ。これほ,蚤農]二‡義の時代以来今日にいた   

(7)

ーごノ(トー  

堺36巻 第5弓   754  

るまで確認されてきたものだ′つた。さまざまの経済学老による経路絡嵯理論の主要点凝,  

かかる剰余の増加を説明する諸要因である。ヌミスにとって,こうした諸要因は,(a)労働   一一−−熟練,器用さなどの質的なものと人口成長の最的なもの,(b)分業,(C)資本蓄積,およ   ぴ(d)農業,マニュファクチユア.ノ通商の促進による(内外)市場の拡大である(もちろん,  

これらは,自然の贈物である土地と結合しノてはたらく)。しかし,われわれのすでにみた   ように,スミスの経済レステ∴ムは,社会の不可欠な部分として磯能し,さきにのべた人間   行為の6樺の性向や自由な政府のような非経済的要因は,経済秩序の調和や均衡の作出に   役だ?。スミス経済学ほ,一足の社会学的構造をふくんでいて,これなしに理解すること   ほできない性貿のものといっていい。  

5  

アダム・スミスは,労働をあらゆる商品価値の真実で普遍的な尺度であるとかんがえ   た。けれども,労働ほ,分業から生ずるその生産性・熟練・判断によ′ノてのみ,有用かつ   効果的でありうる。かれにほ,このことが人類進歩のも′つとも大切な要因であり,そこで  

『諸国民の富』は分業の説明ではじめられる。不幸にも,かれほこのもっとも重要なものの  

正確な規定をせずに,かれの叙述ほひとつ以上の意味をあたえた。キャナンほ分業の本質   を「仕事の分割」だとし,スタークは「労働手段の優秀さにあるのではなく,人間の労働   力の熟練」のなかにあるという。キ−アステッドほ,それを資本蓄積とジェムぺ⊥クー流  

のイノブ工インヨン概念と同一・祝するところまで行ってしまった。こうしたさまざまの異   説をかえりみると,形式的な定義をしたり現代のかんがえと対比したりするのはやめた方   がよさそうである。そのかわりに,われわれは,分業をそのはたらき,すなわち,手工過程  

の熟練のなかでかんがえてみよう。スミスは,機械よりも手の操作が支配的な社会を諭ず   るのだから,これほかれの貴志を把握するのに都合のいい方法であるとみられる。『講義∩の   第3節と第4節は,それぞれ, 富は分発から生ずること 分業が生産物をふやす方法 と  

題される。この見地ほ,『諸国民の富』第1窟のさいしょの3章にあらわれるが,これほス   ミスが,終生,このもんだいの研究にうちこんだことを示していよ・う。スミスの分業論   は,4つにわけて検討されて−いる。(a)分業の諸原因,(b)分業の利益と不利益,(C)窟の増進   を通じての分業の社会厚優にたいする正味の効果,(d)市場のひろさによる分業の制限。   

まず,スミスは,分業が世襲的制度であるとか,「人間の分別」や叡智の「所産」′である  

とする見方を拒否して,それほ「かかる巨大な効用を念頭におかない人間本件のある−・   

(8)

アダム・スミスの経済発展論(り   仙−2JJ−  

755  

定の性向,つまり,物を取引し交易し交換するといった性向のゆるやかで漸進的な,だ  

が_」必然的な結果であるとみた。かかる性向の起源と性質についてのスミスの見解は,ノし、  

くらかとらえにくい。「この件向が,人間本性のなかにある,これ以上説明されるほずも   ない本源的諸原理のひとつであろうと,あるいは,こ.れよりもたしからしくおもわれ   るのだが,理性と言語の諸能力の必然的帰結であろうと,そのことほ,われわれの当面の   研究主題のなかにほ.いらない。」これらの叙述は,たしかに,形而上的・心理的説明の余  

地をのこしているが,スミスのかんがえ.では,諸性向が人間のどんな神秘的諸能力を示し   ていないのだ′つた。それらほ.,事実上,「われわれの好みの微妙さやこまやかさ軋応じて」  

「われわれの3コの簡易な必需品,つまり,衣食住」、の「便宜品」をかくとくするもんだいか   らはしまる。すすんで,かれに.よれほ,交易・交換性向をあらわすことはは,「ばくの欲   しいものをくれ,そうしたら,君の欲しいものをあげよ・う」だと。  

『諸国民の富』でスミスは,「■ゎれわれほ自分たちの必要とする世話の圧倒的部分をおた   がいにうけとる」という。こうした人間欲望への連関は,欲望をみたし性向を保持する諸   活動をひきおこすに.ちがいない。すなわち,あたらしい好みと性向をつくりだし満足させ  

る社会の生産かんけいがそれである。この見方ほ,また,さまざまの職業にしたがう人   々のうまれつきの才能にちがいをうみだすのは社会動乱つまり,習慣やならわしや教育   であるというスミヌの規定によって支持されていよう。こうしたことは,交換性向が人間   生活の白々の仕事のなかで生起し発展し,人間内部の神秘的な先天性なのではないことを   示す。しかし,明快な叙述の欠如ほ,分業の起源にかんするスミスの議論の弱点であろ   う。   

ひとたび分業があらわれれば,それは労働および資財のあたえられた単位で最大愚を生   産しようとする雇傭者の欲求,国際苗場の拡大,長期の需要増,戦争技術の進歩といった   さまざまの要因によって促進される。スミスほ,早速にも生産過程における分業の利益を   確認した−−(a)職工の器用さの増進,(b)時間の節約,(C)労働生産性をたかめる機械の発明  

をうみだすと。のみならず,分業は,先資本制社会において−労働者の賃金をひきあげ,交   換による生活を可能にした。しかも,「うまく統治された社会」で「全般的富裕」が最下   層の人民に.までゆきわたるのも,分業のおかげなのである。これが分兼の力であるが,か  

れの唯一・のなげきは,それが劃−・的な精神をうみだし,その範囲が市場のひろさによって  

制限されること−現代経済学に復位されている命題−であった。スミスはマニュファ  

クチ・ユアを議論しているのだから,分業の利益を強調するのは,かれにとって当然なこと   

(9)

756  

第36巻 第5号   

=lユJご一一  

であ、つた。近代工場の設二(/につれ,諭八■、くほ,あきらかに分業から技術的進歩にうつった。  

要するに,分業と市場のひろさのかんけいは,相互作用のそれである。スミスのもんだい   にかんする処理は,市場のすでこに確立されてしまったばあいの段階にかんれんしている   が,人ほ市場の発展,つまりその拡大が分業の結果である市場の発展を忘却するわけに・ほ  

いかない。市場が分業の範囲を制限しうるかどうかのもんだいほ.,生産をたかめる政策の  

導入される経済機構にてちしてこたえられるだろう。資本主義のもとでほ.そうであろう。   

労働にたいする人1コ成長の効果…すなわちその量的側面を検討しよう。アダム・スミ   スほ,労働供給の増加は,分業の増大にむすびつくという。したがって,専門化と発明の   機会もふえる。スミスにほ,経済発展匹かんする人口論的主張ほない。純粋に人口論的な談  

論ほ,はとんど,弁護の余地がないだろう。人口論的要因の強調ほ,社会かんけいに.おい  

て,社会=経済的グル−プの強調を意味する。この点からい1〉て,人口成長の役割にかん   するかれの認識ほ健全であった…一人口増加が分業を通じて生産力をたかめるというかれ   のかんがえは,かれが国富の生産に.あずかる階級の視角から思考していることな意味して  

いよう。のみならず,これほかれのいう有効需要 】 あたえられた価格(自然価格)で購   買される昂】 の増加をもたらすのであって,いいかえると,有効需要は最期均衡に必要   な鼻であった。これは,現代の需要概念に凝似しでいる。   

こうした見方には,体系的な人口理論が要求される。スミヌほ,マルサスやマルサス  

理論をうけいれたリカ−・ドゥとことなり,人口にかんする規定をもたなかった。かれの思  

想は,一見したところ,キー・アズテッドのいうように,混乱して■みえる。かれほ,貧困  

と大家族が相関かんけいにあるとしながら,そのまさにつぎのぺ−ジでほ,高賃金が大家   族を意味すると主張する。あきらかに,これは矛眉とおもわれるもので,ふたつの異質な   事態の記述である。スミスの推理ほ,こうである。ひどい貧困のために,幼児死亡.率がた  

かいが,これは「下層階級の人民においてのみ」である。「ゆたかな労働報酬をかくとく   すれば,みずからの子供によいものをあたえ,多数の子女をやしない,〔増殖にた、いする〕  

制限は,自然に,拡大しひきのばされる。」しかし,かれほ,早速にも高賃金が人口とイ  

ンダストリを増加させるというあまり,「したがっ て,労働へのきまえのいい報酬は,富  

の増加の結果であるように,人口増加の原因である。それについて不平をいうのほ,最大  

の社会的繁栄の,必然的な結果と原因についてなげくことである」と結論づける。こうし  

て,かれは,l ̄静」上約」および「衰退的」社会にたいして,労働貧民の生活が「もっとも  

草笛かつ快頑な_卜進歩の社会を師磯する。ニスミスが,「人r1の成兵を経臍発根の結界であ   

(10)

アダム・スミスの経済発展論(Ⅰ)  

757    ー【2Jβm−  

り原因であるとみなした」というノ\ンセンの解釈ほ.,ただしいようにおもわれる。  

6  

分業ほ,資本蓄積によって−,−・層,実行可能なものとなるから,その役割ほこの関連に   おいてよりよく央価がみとめられる。スミヌほ,分業にさきだつ「資財」またほ.「資本蓄   横_」をみいだし,これよ/つて「労働は,ますます,細分されうる」とした。だが,ある段階   をすぎると,蓄積と分業とほ同時にすすみ,高度の生産をうながす。こうして,スミスほ   分業にだけは劣るが,資本に重要性を賦与したのである。銘記すべきことほ,」一諸国民の  

富』第2篇第3葦が 資本の蓄横について,あるいほ生産的ならびに不生産的労働に.つい   て車と名づけられていることである。この あるいほ. の語ほ,資本蓄積と生産的・不生産   的労働とのあいだの論理的かんれんを示唆している。だから,まったく明白なことほ,そ   の区別が剰余の増加次第…生産的労働は剰余をつくりだし,つくりださない労働ほ不吐   産的である仙できまることである。スミスの蓄積論は,マルクスのそれにおける意味で   は歴史的でないが,経験主義者たるかれは,経済発展における資本蓄積の役割を知って−い   た。  

.スミスは,もし資本が幅をきかせば喪実の富がふえ ,収入がそうなれば怠惰がはびこる   という。したがって,いりさいの浪費者は公共の敵であり,いっさいの節約者ほ公共社会   の恩人だとかれほ.断ずる。諸個人の,したがって−1国民の貯蓄ほ,その栗本一迫加的労   働者を雇傭する人々の使用となる資本−−を増加させる。つまり,貯蓄がたかけれほたか   いはど,投書は大きくなる。ここで,人はスミスとケインズとの酷似をみいだすだろう。  

同時にスミスほ,貯蓄,消費,支出(われわれはことさらに投資という語を用いない)の   もんだいに女こづいている。かれによれば,富者の年々の収入ほ,消費につかわれるか,貯   蓄されるかであり,消費紅むけれは受益者は怠惰な来客であり召使であつて,かれらの消   費ほあとになにものこさないが,労働者の雇備にむけられる資本となる貯蓄甲ばあい,労   働者たちは,】 ̄かれらの年々の消費物の価佃を利潤とともに再生産す畠。   消費ほ同一・  

であっても,消費者はちがうのだ」と。   

ある1国の富ほ,年産的労働者の追加数,またほ現存労働者の牲産力を改良された機械  

ないしはすぐれた分業によ・つて増加させることで,ふえる。どちらのばあいにも,資本増  

加はさけられない。この不可避性を確認したために,スミスは資本増加の方法をさがして  

やまなかった。たとえば,蓄私は消費よりも大切だが,個人消蟄のための耐久消題硯への   

(11)

758   第36巻 第5卑   

ーーごり  

支出が非耐久財へのそれよりのぞましいとスミスほいう。それは,この消費様式が貯蓄と   資本蓄積にむかうからであった0さらに,かれは資本のとるさまざまの形態,流動資本や   固定資本−その比率ほ仕事によってこ、となる−一の,さまざまの生産的労働に・はいりこ  

み,社会の年々の生産物をふやしていく割青にくわしかった。こうして,資本が巨大にな   れほなるはど,生産諸力はたかくなり,国の富ほ大きくなる0資本は,このようなかたち   で,スミス経済発展理論に重要な役割をにな′つている。だが,ただしくは,スミスの関心  

が資本の質的増加にあるよりも資本の 拡大 にあるといわなくてはならない0   

参照

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