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古典学者の雇用理論(2) : 雇用理論の学史的研究の 一部

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(1)

古典学者の雇用理論(2) : 雇用理論の学史的研究の 一部

その他のタイトル Classical Theories of Employment (II)

著者 三谷 友吉

雑誌名 關西大學經済論集

巻 1

号 2

ページ 1‑24

発行年 1951‑06‑15

URL http://hdl.handle.net/10112/15884

(2)

バアトンの労働需要論とリカアドウの機械論 マルサ

K

の過少消裁説︵以上前号︶

リカア

F

ウの安本蓄積論 バアトンの労働甜要論とリカア

F

ウの機械論 マカロックの補償説︑およびミルのこれに対する批判と資本に関する根本命題︵以上本号︶

0

スミスによつては資本家の貯蓄したものはすべて生産的労働者の雇用に向けられると考えられ︑資本の一

古 典 学 者 の 雇 用 理 論

k

K

の安本理論

次 ー

雇 用 理 論 の 学 史 的 研 究 の

古 典 學 者 の

^ 

層 用 理 論 一 部 ー

( I I )  

友 吉

(3)

古典学者の種用理論

部分としての生産手段の存在はまった<看過されている

0

彼にあっては資本蓄積の過租に姦いて機械の採用が労働需

要に及ぽす影響の問題はまったく存在したいのである︒

この問題をはじめてとり上げ︑それに一つの解答をあたえんとしたのはジョン・︒^アトンであって︑彼が一八一七

年に公にした﹁社会の労働階級の朕態に影響する諸事情の観察﹂

( 1 )

と題する小冊子は︑その意味において注目すぺ

き文献である︒同書のなかでバアトンは﹁あらゆる國における労働需要は國民の富によって測定されるということ︑

るということ﹂は経済学者の間で承認されている意見であるとし︑

( 2 )

3

)

それから右の如き見解が歴史 この富の多かれ少かれ急速た増加に賃銀の通常率が依存しているということ︑それから賃銀奉は人口の増進を調節す

つゞいでスミスの國富論のたかの当該の

叙述やスミスの原理にしたがつている救貧法に関する下院委員会の報告を引用し︑

( 4 )

上の事実に反することを指摘しているが︑しかしさらに進んで彼は國民の富または資本の増加がかたらすしも労働需

要を増加したいことを論証し︑また賃銀の騰貴がかたら中しも人口の増加をもたらすものでないことを証明せんとし

ている︒ここでは.︿アトンの労働需要論について考察するであろう︒

ペアトンの根本的た考え方は︑労働に対する需要は流動資本によって定まるのであって︑機械などの固定資本によ

つて定まるのではないというにある︒彼は言う︑

﹁労働に対する需要は流動資本の増加に依存するのであって︑固定資本の増加には依存したい︒これら二種の資本

の間の割合がすべての時とすべての國に姦いて同一であるということが箕実であるたらば︑たしかに︑雇用労慟者

数は國の富に比例するということにたる︒しかしか

4

る朕態はありそうにも見えたい︒技衛が発達し︑文明が普及

(4)

するにつれて︑固定資本は流動資本に対してますます大なる割合をたもつようにたる︒ィギ

y

スのモスリンの一片

の生産に使用される固定資本の量は︑ ィンドのモスリンの同様の一片の生産に使用されるものの︑少くとも百倍︑

姦そらくは千倍であろう、ー—'そして使用される流動資本の割合は`百分の一または千分の一であろう

0

或る事情 のもとに茶いては︑勤勉たる國民の年々の貯蓄の全部が固定資本に附加されることあるべきは︑

る︒その場合にはこの貯蓄は労働に対する需要を増加する結果を少しももたたいであろう︒﹂

( 5 )

﹁資本の増加は必す労働の附加的分量を動員するとはおもえたい︒

J O O Q

&

t g

の資本を所有していて︑ 容易に想像され

.^アトンがこ上で流動資本といつているのは賃銀として支挑はれる資本の意味に解せらるべきである︒それはとも

かく彼は機械の採用による固定資本の増加が労働需要に及ぽす影響をば次のようた設例によつて説明している︒

これを二十名の織工の支持のために使用し︑各織工に一年につき五

0

謗を支彿

うものとする︒彼れの資本が突然に二

000

謗に増加したとせよ

0

それにもかょわらす︑彼はこの二倍の手段をも

つて以前の二倍の数の労働者を雇いはしたい︒そのうちの一五

00

謗はこれを機械の製作に支出する︒そしてその

機械の助をかれば︑五名の労働者をもつて以前に二十名が行ったと同量の仕事を行うことができる︒さすれば製造

業者が彼れの資本を増加した結果として︑十五名の労働者が解雇されるのではたかろうか︒

しかし機械の建造姦よび修繕に或る数の労働者が使用されはしたいかーー'疑いもなく︑そうだーー

L

この例では一

00

謗の金額が支出されたのであるから︑各人に五〇謗として三十名に一年間だけ仕事を輿えたと考えられるで

あろう︒ところで︑機械が十五年間たもつものと計算すれば・・・・・三十名の労働者がつねに十五名の搬造業者にこれ

古典学者の雇用理論

︱つの場合を想定しよう︒いま或る製造業者が

(5)

古典学者の雇用珊論

らの機械を供給しているわけである︒それ故に︑各製造業者はたえナニ名の労働者を雇つているものと言えるであ

ろう︒さらにまた必要たる修繕のために一名の労働者がつねに罷はれているものと仮定しよう︒しかるときは︑以

前の二十名の織工の代りに五名の織エ`︳︱‑名の機械製造工が必要とされる︒

しかし製造業者の牧入の増加は彼をしていつそう多くの僕婢を支持する U とを可能たらしめるであろう︑ーー︐彼

れの年牧入が彼れの資本の一〇彦に等しいと仮定すれば︑

る︒そこで彼れの僕婢が彼れの労働者と同一の率で支撓を受けると仮定すれば︑彼はちょうど二名だけ多く雇入れ

ることができる

0

されば二

00

3

謗の資本と一年につき二

00

謗の牧入をもつて五名の織エ︑三名の機械製造工`

二名の僕婢︑合計十名が雇用される

0

ところが︑以前には半分の資本と半分の牧入をもつてちょうど二倍の数の労

働者が動員されていたのである︒﹂

( 6 )

それは以前は一

00

謗であったが︑

右の説明においてベアトンはます機械の採用による労働者の失業について説き` いまや二

00

碗とな

つぎに機械の建造に際しての労働

者の雇用について述べ︑結局において雇用労働者数が減少することを主張している

0

彼が﹁機械が十五年間たもつも

のと計算すれば・⁝・・各襲造業者はたえナニ名の労働者を雇つている﹂といふ意味は必ナしも明瞭ではたいが︑彼は労

働者による機械の部分的な再生産のことを考えているのであろう

0

機械が建造された後は`労働者はか

4

る再生産の

ためにしか必要でないといふことになる

0

その他に疑点もあるが︑ともかくもペアトンの見解の特徽は明・日である︒

それは機械の採用による資本の固定化を考え︑しかも機械の壽命︑したがつて固定資本の回韓期間を長期間にわたる

ものと看倣していることである︒もし一定の資本量が興へられているならば︑固定資本の割合が大であれば大である

(6)

を生するであろうようた︑或る生産部門への機械の適用は︑

い る

ほど︑またその同韓期間が長ければ長いほど︑結局︑羅用努働者数はますます少いといふことにたる︒

な巳^アトンの上掲の設例においては資本が倍加するときに雇用労働者数が半減することにたつているのに注意す

べきである︒もちろんこれはたゞ︱つの例である︒その外に種々の場合がありうるであろう︒資本が倍加するときに

煎用労働者数が変化したいことがあるかもしれたい︒あるいは屈用労働者数が増加するが︑二倍にはならないことが

あるかもしれたい︒いすれにせよ︑舎︿アトンによつて︑たとえ資本が増加しても︑機械が採用されるたらば︑雇用労

働者の数は比例的に増加するものではなくて︑減少することさえあるということが︑はじめて明かにされたのであ

0

( 7 )  

さてリカアドウの機械論に移ることにしょう︒リカアドウはバアトンの論文から影響をうけて︑機械の採用と労働

需要との関係についての自説を修正するにいたった︒

( 8 )

彼はJ経済原論﹂第三版に﹁機械について﹂と題する章を

附け加えて︑新しい見解を発表した︒この章の冒頭においてリカアドゥは彼れの旧説を述懐して︑次のように述べて

﹁わたくしがはじめて経済学の諸問題にわたくしの注意を向けたとき以来︑わたくしは労働を節約するという結果

古典学者の種用理論

一般的利盆である︑たゞ資本および労働を︱つの用途

から他の用途え移すにあたつて大抵の場合にともたうところの︑いくらかの不都合によつて陵伴されるのみである

との意見であった°地主たちが同

1

の貨幣地代を得るものとすれば︑かれらは︑それらの地代が支出される貨物

(7)

の若干のものの債格の低落によつて︑利盆をうけるであろうし.またその債格低落は必すや機械使用の結果でたけ

ればならたいように︑わたくしには思われた︒資本家も結局においてはまさにこれと同一の方法で利盆をうけると

わたくしは考えた︒たるほど︑機械の発明をした人︑あるいはそれを最初に有用に適用した人は︑

澗を牧得することによつて︑

がつて︑生産される貨物の債格は︑競争の結果︑その生産費にまで下降すべく︑ 一時は大たる利

︱つの附加的た便盆をうけるであろう 0 しかし機械が一般的に用いられてくるにした

そのときには資本家は以前と同一

の貨幣利澗を得︑そうして彼は一消費者としてーー同一の貨幣牧入をもつて慰業品茶よび享業品の附加的分盤を支

配し得るようにせられることによつてー—一般的便盆に参加するのみであろう

0

労働者階級もまた、同一の貨幣賃

銀をもつてより多くの貨物を購買する手段をもつであろうから︑機械の使用によつて等しく利釜をうける︑とわた

くしは考えた︒そして資本家は︑新しい貨物またはとにかく異った貨物の生産に労働を使用する必要に迫られるか

もしれたいとはいえ︑以前と同一分量の労働を需要しかつ雇用する力をもつであろうから︐賃銀の低落はまった<

起らないであろう︑とわたくしは考えた︒もしも`改良された機械によって︑同一分量の労働を使用して︑靴下の

分批が四倍されうるたらば︑そして靴下に対する需要はたゞ二倍されるのみであるたらば︑若干の労働者は必然的

に靴下製造業から解雇されるであろう︒しかしかれらを雇用した資本はな姦存在してをり︑そしてそれを生産的に

使用することが︑それを所有する人々の利盆であるから︑それは︑社会にとつて有用であって︑必す需要がある或

る他の貨物の生産に使用されるであろう︑とわたくしには思われた︒蓋し︑わたくしはアダム︒スミスの次のよう

た考察の餌実であることに深く印象されていたし︑またいまも印象されているからである︒すたわち﹃食物に対す

古典学者の雇用理論

, 

 

(8)

る欲墜は︑各人において︑人間の胃腑の狭小た受容力によって限定されているが︑しかし建物︑衣服︑車馬および

家具のような諸々の便宜品や装飾品に対する欲望はなんらの限度または一定の境界をもたないように見える︒﹄

こで︑労働に対する以前と同一の需要があり︑

わたくしは︑労働階級は他の諸階級と等しく︑機械の使用から生する諸貨物の一般的廉債による便谷に奥か

るであろう︑と考えた︒﹂

(9 )

しかしリカアドゥは﹁右の意見は地主や資本家に関するかぎりにおいては引きっゞき変更はない︑しかしわたくし

は︑機械を人間労働に代用することは︑労働者階級の利盆にとつてしばしばはなはだ有害であると確信するにいたっ

ている﹂と述べ︑ つゞいて言う︑

﹁わたくしの談解は︑

そして残りのものは地代にあてられる︒﹂

(11)

総所得 そして労賃は少しも低くならないであろうとわたくしには思われた

一社会の純所得が増加するときには︑ いつでもその総所得もまた増加するであろうとの仮定

から起った︒しかしながら︑わたくしはいま︑地主たち姦よび資本家たちがかれらの牧入を牧得する一つの基金は

増加しうるが︑他方︑労働階級が主として依存する他の基金は減少しうることを確信すべき理由を知つている︒そ

れ故に︑もしもわたくしが正しいたらば︑國の純牧入を増加しうると同一の原因が︑同時に人口を過多たらしめ︑

そして労働者の朕態を謳化することがあるという結果になる︒﹂

( 1 0 )

こ i でリカアドウは社会の純所得と総所得とを区別してゐる︒彼によれば﹁各國の土地および労働の全生産物は三

つの部分に分たれる︒このうち一部分は労貨に`他は利潤に︑

は﹁全生産物﹂よりたり︑純所得はそのうち利潤と地代の部分に相当する︒しかるに 9 カアドウは総所得をば﹁労働

古典学者の颯用理論

(9)

階級が主として依存する基金﹂と混同しているようであるが︑

それはともかくとして︑リカアドウの新説である機械論について考察しょう︒彼は機械の.採用によって生する結果

を次のようた例をもつて説明している︒すたわち︑

﹁一資本家が二

0

000

膀の債値の一資本を使用し︑そして彼は農業者と必要品製造業者との業務を兼ね営むも

のと︑われわれは仮定するであろう

0

さ ら

に ︑

この点については後に論及するであろう︒

この資本のうち七︑

00 0$

は固定資本︑すなわち建物︑器具︑等

々に投下され︑そして残りの︱

l

000

謗は流動資本として労働の支持に使用されるものと盲われわれは仮定す ︑

るであろう︒また︑利潤は一

0

パーセントであり︑その結果として︑資本家の資本は毎年その本来の能李朕態にお

かれ︑そうして二︑

00 0f

t

の利潤を生むものと︑われわれは仮定しよう︒

毎 年

こ の

資 本

家 は

︑ ・

ニ ニ

000

膀の債値を有する食物および必要品を所有することによつて彼れの作業を開

始し︑そのすべてを`

彼はかれらに賃銀として同額の貨幣を支彿う

0

その年の終りにおいて︑かれらは一五︑

00 0$

の債値を有する食

物姦よび必要品を彼れの所有に戻す。そのうち二,

000~

は︑彼が自身でこれを消費するか︑あるいは彼れの快

槃および満足に最も適うように処分する︒これらの生産物に関するかぎりにおいて︑その年の総生産物は一五︑

0

00

碗であり︑そして純生産物は二︑

000

膀である︒さてかりに次の年にこの資本家は彼れの労働者の一半を一

機械の建造に使用し︑ そして他半をつねと同じく食物および必要品の生産に使用するとせよ

0

その年の間には︑彼

は つ

ね と

同 じ

く ︱

︱ ︱

︱ ︑

00

謗の額を賃銀に支彿うであろう

0 0

そして彼れの労働者たちに食物および必要品を同じ

0

古典学者の雇用珊論

一年の間に︑かれ自身の労働者たちにその額の貨幣に対して賣却する︒そして同一期間内に

(10)

額だけ賣却するであろう︒しかしその次の年にはどうなるであろうか︒

機械が被造されている間は︑食物および必要品の平常の分量のたゞ半分しか取得されないであろう

0

そしてこれ

は以前に生産された分量の半分の債値を有するのみであろう

0

機械は`七︐

よび必要品は七︑

う︒それ故に︑彼れの労働雇用の手段は一三︑

0

O O

! t

対 五

00

跨の値打をもち︑そして食物お

0

0

謗の値打をもつであろう それ故に`この資本家の資本は以前と同じ大さであろう︒蓋し

0

彼はこれらの両債値の外に七︑

00

0

謗の値打がある彼れの固定資本をもつていて︑全体として二

0000

謗を ︑

資本たらしめ︑そして二︑

000

謗を利潤たらしめるであろうからである︒この後の額をかれ自身の支出のために

控除した後に︑彼は彼れの爾後の諸作業をよってもつて営むぺき流動資本を五︑

00

傍の割合で低減されるであろう

0

その結果と

して、以前に七,五00~

をもつて雇用されたすべての労働は過剰とたるであろう︒

この資本家が雇用しうる減少された労働量は︑たるほど︑機械の援助によって︑そしてその修緒のための控除の

後 に

七︑五

00

謗に等しい債値を生産したければたらない︒それは全資本に対する二︑

00

0

謗の利潤を加えて

流動資本を回牧したければたらたい︒しかしもしもこのことがなされるたらば︑すたわちもしも純所得が減少され

一 ︑

000

膀の債値をもとうと`あるいは一五︑

000

の債値をもとうと︑それは資本家にとつていったいいかなる重要さをもつか︒

し か

ら ば

00/i~

けしかもたたいであろ

この場合に︑純生産物は債値において減少されたいであろうにもかょわらナ︑その貨物購買力は大い

に増加されるであろうにもかよわらす︑総生産物は一五︐

000

膀の債値から七︑

古典学者の種用珊論

たいたらば︑総所得が三︑

00

謗の債値をもとうと`

0

00

謗の債値に下落したであ

(11)

この労働基金が労働に対する需要を決定するのである︒

古典学者の雇用理論

ろ う

0

そして人口を支持し︑ そうして労働を雇用する力は︑

つねに一國民の総生産物に依存するのであって︑

そ の

純生産物には依存しないのであるから︑必然的に労働に対する需要に減少が起り︑人口は過多となり︑そして労働 階級の境遇は困窮と貧乏との境遇になるであろう︒﹂

( 1 2 )

これによつて見れば︑リカアドゥはバアトンにおけると同様に︑機械の使用により資本の固定化すること︑しかも

そ の

壽 命

` したがつて固定資本の同韓期間が長期間にわたることを論拠として︑労働需要の減少を説いているのであ る︒マカロックえの手紙の一つのなかで彼れの述べているように︑彼は︑機械がたゞ一年たもつならば労慟需要は少 しも減少しないが︑機械が十年間たもつたらば︑労働需要が減少したいといふことはたいと考えたのである︒

( 1 3 )

だしリカアドウの上掲の設例においては資本量の不変なること︑総生産物の減少することが仮定されていることに注 意すべきである︒彼は総生産物の減少ということを労働需要の減少の必要條件と考えるのであるが︑

これは必すしも

正しくないであろう︒上述のように︑総生産物は賃銀︑利潤︑地代たる諸部分を包含している︒それ故に︑総生産物 が増加したとしても︑利潤姦よび地代の部分がいつそう大なる割合で増加したようた場合には︑賃銀の部分︑換言す れば﹁労働維持のための基金﹂は減少し︑

し︐次のやうに述べている︒

したがつて労働に対する需要も減少したであろう

0

総生産物よりはむしろ たほリカアドゥは機械の使用によつて諸貨物の債格が低落し︑資本家の貯蓄の能力が増大し︑したがつて資本が増

加するようた場合には︑機械使用の結果として失業せる労働者がふたたび仕事につくことができるということを主張

1 0

 

(12)

というように作用するのである︒﹂

( 1 5 )

そしてリカアドウは引きっゞき日く︑

﹁ し

か し

事 実

は ︑

これらの発明は漸進的であり︑そ ﹁資本に附加するために牧入から貯蓄する力は︑純牧入が資本家の欲望をみたす効力に依存したければならたいか ら︑機械採用の結果たる諸貨物の債格の低落のために︑彼は︑同一の欲望をもちながら︑増加された貯蓄手段ーー 牧入を資本に轄化する便宜の増加ー—んをもつであろうという結果が、必ナ起つてくるであろう。しかし資本の各増 加とともに︑彼はよ b 多くの労働者を雇用するであろう

0

それ故に︑第一次に失業した人々の一部分は︑後に雇用

されるであろう︒そしてもしも︑機械使用の結果として︑生産の増加がはたはだ大であり︑したがつて以前に総生

産物の形で存在していたと同一量の食物および必要品を純生産物の形で輿えることができるたらば︑全人口を雇用

する同一の能力があり︑それ故に≫人口のなんらの過多も必然的には起らたいであろう︒﹂

( 1 4 )

この場合にも︑資本の増加にともたつて労働基金が増加することによつて︑失業労働者がふたたび雇用されるにい

たるのである︒

それはともかく︑ リカアドウによれば︑前述の説明においては﹁原理を解明するために﹂

に発明され︑そして広汎に使用されるものと﹂考えられている︒

して資本をその現実の用途から他に轄ぜしめるというよりは︑むしろ節約され且つ蓄積された資本の用途を決定する

﹁資本および人口の各増加とともに︑食物は︑その生産がより困難となるために︑

物の謄貴の結果は賃銀の騰貴であろう︒そして賃銀の各騰貴は︑貯蓄された資本を以前よりも大たる比例において

機械の使用に向けしめる傾向をもつであろう°機械と労働とはたえす競争してをり︑そして前者はしばしば労働が

古典学者の雇用理論

﹁改良された機械が突然

一般的に騰貴するであろう

0

(13)

( 2 )  

( 1 )

 

古典学者の雇用理論

人間の食物が容易に調逹されるアメリガおよび他の多くの國においては︑食物が高くそうしてその生産に多くの

労働がか

i

るイギリスにおける匠どには︑機械を使用することの誘因は大きくない

0

労働を高めると同じ原因は機

械を高めない︒それ故に︑資本の各増加とともに︑そのより大なる割合が機械に投下される°労働に対する需要は

資本の増加とともに引きっゞき増加するであらう︒しかしその増加に比例してではない︒その比李は必然的に一っ

の逓減的比李であろう︒﹂

( 1 6 )

リカアドウがこ

L

で労働と機械との競争的な代用関係を指摘しているのは正しい︒しかし機械の使用がたゞ徐々に

賃銀の騰貴にともたひ起ると考え︑また機械の使用がたゞに追加資本においてのみならす旧・資本においてもその構成

の変化をもたらすことを考慮にいれていないのは首肯しがたい︒資本家は蓄積に際ししばしば他の資本家との競争に

打ち勝ち超過利潤を獲得するために機械を使用すること︑そしてやがて他の旧資本家もそれを採用するにいたるこ

と︑そのかぎりにおいて労働に対する需要が絶対的に減少するということこそ︑強調さるべきであろう︒

なほこまかく見ればリカアドウの説明にはいろいろの欠点があるであろうが`.しかしともかくも彼れの機械論が問

題解決にあたえた大きな寄興は認めたければならないであろう︒

J o

h n

  B a r t o n ,

O  

b s

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g   C l a s s e s   o f   S o c i e

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̀ 

18 17 . 

B E

t o  

n ,   o p   c i t . ,   H ?

l l

a n

d e

s  r   ̀ 

r e p r

i n t ,

1

 

93 4,  

p .  

9.  

騰貴するまでは使用されえたい︒

(14)

( 1 3 )  

( 1 2 )  

( 1 1 )  

G10) 

I b i d

. ,  

p .  

37 9.

 

書 下 巻 四

︱ ‑ ] 五 頁 ︒

( 9 )  

( 8 )  

ていうに足らぬほど僅かに労働の需要をひきおこす部分に比して相対的に減少するということを︑はじめて力翫した︒そ れ故に︑彼は﹃凰用労働者の数﹄は﹃國の富に比例﹄しない`前者は産業的に発展した國におけるよりも産業的に発展し

ない國において比較的に大であるという重要な命題を︑はじめてうちたてた︒﹂

( K

I

M a r x

T h ,  

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K a u t

s k y ,

 

I I ,  

2.  

T e

i l  

̀ 

5. 

A u f l

. ,  

19 23 , 

S .  

37 2'

37 3.

第 十 巻 ︑ 一 ー ー 九 七 頁

︒ ︶

7

)

マルクスは言う︑

﹁バアーンは︑賓本の種々なる有機的成分が蓄積および生産力の第展に際して同じ割合で増加せず︑む しろその増大の過程において賓本のうち労賃となる部分は彼が固定賽本と名づけた部分`すなわち自からの大さに比較し

( 6 )  

( 5 )  

( 4 )  

( 3 )  

それは人口増加の原因である︒﹂

B 5  

o n ,  

o p .   g 

•.

pp.f 

l l .  

﹁労働の報酬がい

A

ことは︑富の増加の結果である︒それと同時に

( S m i

t h ,  

W e a l

t h   o

f   N a

t i o n

s ,   C

a n n a

n ' s  

e d t i

o n ,  

v o l .

 

i•P

.器.訳書 (D-12 頁<>)

Bton•

o p .  

c i t . ,  

p p .  

3 ‑

において*ランダーはリカアドウがパアトンの論文を読んで改翫するにいたったいきさつにつ

5

いての考証を記している︒

R i

g   r d o

,   P r

i n c i

p l e s

,   p p

3

.  

77

37 9.

訳 書 下 巻 四

l l

︱ ‑ T

ー 四

︱ ︱

一 五

頁 ︒

nid•

p .  

33 6.

 

訳書下巻︱︱ h

八 七 頁 ︒

I b i d

̀  .  

p p .  

37 9

38 1.

古典学者の雇用珊論

訳書下巻四三五ー四︱

I

七 頁

L e t t

e r s  

o f   R

i c a r

d o   t o  

Joh~,

a y  

M c C u

l l o c

h .  

18 16

1 82 3, . 

e d .   b y

 

J•H•

H o l l

a n d e

r ,  

18 95 , 

p .  

10 7.  

I b i d

. ,  

p p

.  

17

18 .

I b i d

. ,  

p p .  

16 

│ 

17 . 

k ̀

K

は﹁國富論﹂のなかで次のように述べている書

マ ル ク ス ・ ・ エ ン ゲ ル

K

全集︵改造祉版︶

(15)

マ カ ロ ッ ク の 補 償 説

︑ およびミ

J V の こ れ に 対 す る 批 判 と 資 本 に 関 す る 根 本 命 題 リカアドウの機械論に対しては古典学派の人々のたかにも反対論を唱えるものがあったが︑

マカロックの補償説について考察することにしよう︒

しかしなんらかの補償作用によつてそれらの労働者は仕事につくことができると説くものである︒

マカロックは機械と労働の問題についてはリカアドゥとまったく正反対の見解を主張した︒リカアドウがまだ彼れ の旧説を唱えていた時代にはマカロックはむしろ機械の使用が労働需要を減少せしめることを主張した︒そしてリカ アドウが新説を採用した後にはマカロックは機械はいかに進歩しても労働需要を減退ぜしめることはありえないと説 くにいたった°機械と労働の問題をめぐつて両者の間に論争が起つたことはリカアドゥのマカロックえの手紙によっ

て知ることができるのであるが︑

( 1 )

それについてはしばらくおき︑

ける補償説について考察するであろう︒

こ i ではマカロックの﹁経済学原理﹂

( 2 )

に お

マカロックは同書第一部第七章に姦いて︑供給過剰の原因について論する際に機械の問題に言及している

0

新機械 をもつて綿製品を製造する場合に茶ける労働需要に対する影響について彼は次のように説明している︒

( 1 6 )  

一般的にいえば︑補償説は︑機械の使用は労働者を排除するが

I b i d . ,   p p .  

38 6

38 7.

訳書下巻四四一︳

I

四 四 四 頁 ︒

( 1 5 )

I b

 

i d . ,   p .   3 l ぷ釈書下巻四四一一一頁︒

( 1 4 )

 

古典学者の雇用理論

R i

c a

r d

o ,

  P r i n c i p l e s ,   p .  

38 1.  訳書下巻四――一七ー四—-]八頁。

こ上ではそのうち特に

(16)

分をもつて⁝⁝同量の財貨を供給することを可能たらしめたところの︑

購買者たちの富は︑綿製品の生産が容易になり︑

一 五

﹁第一に︑・・・・・・綿製品の債格を半分に低減したところの︑すなわちその製造に用いられでいた資本姦よび労働の半

︱つの改善は︑残りの半分をまったく不用

たらしめはしないであろう

0

4

る事情のもとでは︑綿撰品に対する需要は不変ではなくて︑大てい増加するであ

ろう。•…`•そして古準痴の拡大は・・・・・・つねに附加的な労働者数の雇用を惹起するものである。……

しかし第二に︑機械の採用にともなう利益は︑多くの人々の想像するように︑市場が貨物の債格の低減に比例し

て拡大するという事情に依存するものではないということを示すのは︑容易である︒それらの利盆はか

L

る市場の

拡大が起りえたい場合においても辰とんど同じように大である

0

綿製品の債格が半分に低落したと想定せよ

0

綿製

品に対する需要が同時に拡大したいたらば︑その製造に従事していた人々の半分は疑いもなく失業せしめられるで

あろう︒しかしか

4

る事情のもとでは他の職業の生産物に対する需要に相応の増加があるであろう︒

. . . . . .  

綿披品の

その債格が低下するということによつて︑害されはじたいであろ

う︒かれらは依然として同一の資本と同一の牧入を有するであろう

0

唯一の相違は︑かれらがいまや一ソヴリンを

もつて以前にニソヴリンをもつて購買したと同量の綿製品を購買するであろうということ︑そして余分のソヴリン

は他の物の購買にあてられるであろうということである︒

. . . . . .  

それ故に︑労働または労働生産物に対する全有効需

要は少しも減少せしめられたいであろう°綿工業から解放された資本と労働に対しては︑同等の需要増加が起った

物品の製造において︑仕事が見出されるであろう︒したがつて︑新しい職業えのその移動をゆるす如き期間の経過

後︑労働は以前と同じ大さの需要をもつであろう︒﹂

( 3 )

古典学者の雇用踵論

(17)

古典学者の種用珊論

す な

わ ち

発 明

は ︑

マカロックによれば︑新機械採用の結果として︑綿製品の同一量を製造するに必要な労働は半減するけ

れども︑綿襲品の債格の下落によってそれに対する需要が増加すること︑またはしからざる場合には他の貨物に対す

る需要が増加することによって︑労働に対する需要も増加するから`結局に苓いて全体としての労働需要は減少しな

いというのである°右の場合にマカロックは新機械の採用によつて綿撰品の同一量を生産するに必要た労働のみなら

中資本もまた半減すると仮定している°換言すれば盲資本が遊離されると考えられている︒しかし一般に新機械の採

用は資本を遊離するものではなくて︑それを固定化するものである︒すなわち従来の流動資本の一部分が固定資本に

韓化するのである︒それ故に︑労働基金は減少し︑したがつて労働需要も減少せざるをえたいであろう︒あるいは資

本の一部分が遊離するかもしれないが︑それによつては失業労働者のうち若干が雇用されうるにすぎないであろう︒

マカロックはさらに右の如き彼の見解に対するシスモンディの異論を挙げ`

﹁シスモンディ氏は言う︑それによつて綿艘品がその現在の債格よりも五︒^ 1 セント廉<供給されるような機械の

ィングラン

F

に 4 ける各々の紡績エや織布工の解雇を惹起するであろう︑他方︑

生するところの︑他の貨物に対する需要の増加は︑失業労働者の五︒^ーセントまたは二十分の一に対して仕事を輿

えるにすぎたいであろう︑

( 4 )  

し た が つ て ︑ これを反駁せんと試みている︒日く︑

ての種の改善が起るべきであるたらば︑ この僅かた節約によって

これらの人々の大多数はたゞちに

餓死するかまたは授産所で給養されたければたらない︑と︒しかしこの叙述をたすにあたりシスモンディ氏は一っ

のきはめて重要な要素を無親したーー彼は彼れの機械がいかにして作られるかについてわれわれに語っていない︒

二 ^

(18)

古典学者の種用理論

薪しい機械の採用が綿製品の債格を五︒^ 1 セント低下させると迦べることによって︑

れた機械に投下される

1 1 0

︑ o

o c

謗が︑賃銀の支彿または現行の機械に使用されるニー︑

00

0

跨と同量の綿撰

品を生産するということを意味したのであれば︑以前に綿摸品の襲造に使用されていた資本と労働の二十一分の二

十がいまや機械の製造に使用され︑ そして残りの部分が︑綿綬品債格の五︒^ーセントの下落によりそれに比例する

需要の増加を見るであろうところの諸貨物の生産に︑使用されるであろうことは︑明白である︒それ故に︑

合︑綿製品の製造に従事していた各二十一名の労働者のうち二十名が解雇せられるというととはなく︑

者も存在したいであろうことは︑明白である︒﹂

( 5 )

これによつて見れば︑ マカロックは︑綿撰品の製造に従事していた労働者の一部分が機械の摸造に使用せられると

いうのであるが︑しかしこのことは必然的ではたい

0

新機械の採用される場合には︑

‑ 七

シ ス

モ ン

デ ィ

氏 か

・ ・

・ ・

・ ・

改 善

この場

一名の失業

これまで労賃の支彿に用いられ

ていた資本の一部分が新機械に固定化されたことになる︒かくて労働者の生活資料の需要が減少するから︑その生産

が縮小されなければたらない︒そしてそこからの労働と資本の移動によつて新機械の撰造が可能ならしめられる︒そ

れ故に︑綿撰品の製造に従事していた労働者の一部分が新機械の製造に使用されるといふことはないであろう

0

か れ

らは失業せざるをえないであろう

b

なおマカロックは上掲の章句に引をつゞき﹁この推論は機械がたゞ一年間たもっとの推定にもとづいてなされてい

る か

ら ︑

シスモンディ氏はそれらの機械を十年または二十年たもちうるものと想定すれば仕事の不足が存するであろ

うと主張したかもしれたい︑しかしたがら箕実はその反対の湯合が妥当するということであって︑労働に対する需要

(19)

古典学者の雇用踵論

は機械持続性の大となるにしたがつて減少するのではたくて増加するであろう﹂とたし.次のように説明している︒

﹁ 利

澗 が

0

^

1 セントであると仮定せよ︒二

00

00

謗の資本が一年間たもちうる機械に投下されるときは︑

それによつて生産される財貨は二二︐

000

謗︑すなわち利潤としての二`

000

謗姦よび機械そのものを填補す

べき二

0

000

媛 で販賣されなければたらない︒しかし機械が十年間たもちうるたらば︑

000

謗の原資本を填補するために十年間にわたり年金として巣積すべきーニ五四謗︑ それによつて生産さ

れる財貨は二二︐

000

謗で販賣される代りに︑たゞ三二五四謗︑すなわち利潤としての二︑

00

0

謗 お

よ び

1 0

で販賣されるであろう︒か

くて一年間の代りに十年間たもつところの︑等しい資本で建造された機械の採用によつて︑それをもつて生産され

る貨物の債格はその以前の債格のおよそ七分の一に下落するであろうと思われる︒それ故に︑綿撰品の消養者はそ

れだけ他の商品に対する需要を増加することによつて︑将来︑失業労働者の七分の六に仕事を輿えるであろう︒ま

たこれは発生する唯一の結果ではたい°機械の所有者は彼れの資本に対する通常の利潤を除いても最初の年度の終

りにーニ五〇謗すなわち彼れ機械の債値の十六分の一の附加的たストックを有するであろう

0

そして彼はこれを必

中なんらかの方法で賃銀の支彿に費すにちがいたい︒第二年度の終りにはこの附加的な牧入またはストックは機械

の債値の姦よそ八分の一に増加するであろう︒そして機械の持続する間の後の年度に苓いては労働に対する需要は

減少する代りにほゞ倍加しているであろうことは明白である︒﹂

( 6 )

u

れを要するに︑ マカロックは︑機械の壽命が長いたらば︑ これに応じて綿撰品の生産費︑したがつてその債格が

下落するから︑消費者の購買力がそれだげ増大してー貨物に対する需要が増加し︑かくして失業労働者に仕事を奥え

-•八

(20)

ることができるというのである︒しかし彼はこの場合に失業労働者が以前にもつていた貨物に対する需要がなくたっ ていることを考慮にいれていたいのである︒マカロックのいう需要の増加はこの需要の減少を補うにすぎたいであろ

0

それ故に︑全体としての貨物の需要が増大するであろうということはないであろうし︑また失業労慟者がただち

にふたたび仕事を見出すというととはたいであろう︒

J o S o

̀ `ヽルはその著﹁経済学原理﹂

( 7 )

第一篇第六章のたかで補償説を批判している︒前述のように︑

クは︐貨物に対する需要の増加は必す労働者の雇用を増加せしめると考えている︒しかし貨物に対する需要の増加に

対応してその貨物の生産を増加するために必要た資本はいったいいづこに存在するのであろうか︒``ヽルはこの点をつ

いて次のように述ぺている︒

﹁わたくしの考えるところでは︑

一集合体としての労働諸階級が損害をうけるということはありえたいという説は︑必然的に誤りである︒か

かる変化が行はれる特定の産業部門において労働者が損害を西ぶるであろうことは︑

り︑常識にも明かなところである︒しかるにしばしば次のように言われる︒すたわち`たるほど一部門の労働から

は雇用が取り去られるけれども︑

ることができ︑ よ

り ︑

古典学者の雇用瑾論

一 九

姦よそ機械を採用することにより︑あるいは永久的改良に資本を固定することに

る°何故たれば•特定の一商品が低廉とたったとすれば、消費者は節約し、 一般に認められているととであ

これとまった<相等しい分量の雇用が他の諸部門における労働のために輿えられ

これをもつて他のものの消費を増加す

これによつて他種の労働に対する需要を増加するからである︑と︒この学説はもっともらしい学院

マカロッ

(21)

言 う

的た雇用理論の帰結である

0

艇に明かたように︑

で あ

る が

︑ し

か し

・ ・

・ ・

・ ・

b

を含んでいる

0

貨物に対する需要は労働に対する需要とはまったく別物だからである︒

たるほど消費者がいまや他の品物を購うための追加的な資力をもつているということは翼実である︒しかしこれは

他の品物をつくることはないであろう

0

他の品物をつくることは︑そのための資本があるのでないかぎ

b

︑不可熊

である︒そして改良は︑他の用途から若千の資本を吸牧したことはあっても︑

る︒したがつて︑他の諸部門に姦ける生産姦よび労働の雇用の増加は︑右の説の考えるところに反し︑増加したい

で あ

ろ う

︒ ﹂

( 8 )

9

)

査本を解放したことはないのであ

ミ ル

U の見解は︑右の章句のたかにも現われているように︑貨物に対する需要は労働に対する需要とはまった<

別物であるという見方にもとすいているのである︒そしてこれはミルの有名な資本に関する根本命題の一つである﹁

貨物に対する需要は労働に対する需要ではたい﹂という命題を適用せるものである︒

この命題は︑労働に対する需要は︑資本のうち労働維持のための基金の大さによつて定まるとなす古典学派の正統

﹁茶よそ生産的労働を扶養し︑ 古典学者の顧用理論

その理論によれば︑ 雇用問題は労働基金の増減の問題に外たらた

い︒資本量の増加は多かれ少かれ労働基金の増加をもたらす︒他方︑技衛的進歩︑とくに新機械の採用は多かれ少か

れ労働基金の減少を意味する︒このような労働基金の増減に応

E

て雇用労働者数加増減するのである︒``ヽルにあって

も同檬である︒彼によれば︑労働者数は労働維持に直接さ上げられる基金によって定まるのである︒すたわち︑彼は

これを雇用するものは︑ U の労慟に仕事をさせるために支出されるところの資本で

10  

(22)

あって︑その労働の生産物が完成したときに・これに対して存するところの購買者の需要ではたい

0

諸貨物に対する

需要は労働に対する需要ではたい°貨物に対する需要は︑どの生産部門比労働と資本とが使用さるべきであるかを

決定するものである︒それは労働の方向を決定する︒けれども労働そのものの多少を決定するものでもたければ

労働の維持または給典の多少を決定するものでもたい︒これらのものは︑労働の維持姦よび報酬に直接さ 4 げられ

るところの︑資本または他の基金の分量によつて定まるものである︒﹂

( 1 0 )

多少を決定することはできたいのである︒

によって支持されているのである

0

ミ ル に よ れ ば ︐

= 

かくてミルにしたがえば︑貨物に対する需要はたゞ労働の用途を決定するにすぎない︒それは全体としての労働の

たほついでに述べておかたければたらないが︑かの命題は労働の多少は過去の労働生産物に依存するという考え方

﹁およそ或る国の國民が生命を維持し︑欲求をみたすのは︑現在の労働の生産物によってではたくて︑過去の労慟

の生産物によってである︒このことは自明の理であるが︑よく人の忘れる事柄である

0

國民はすでに生産されたも

のを消費するのである︒これから生産されようとしているものを消費するものではたい︒ところで︑生産されたも

ののうち︑生産的労働の支持に割当てられるのは︑たゞ一部分にすぎたい︒そしてとのように割当てられた部分

︵これがその國の資本である︶が養いえ且つ生産用の材料および道具を供給しうるところよりも多くの生産的労働

が存在することはたいであろうし︑またそれは存在しえないのである︒﹂

( 1 1 )

かようにミルは生産的労働の多少を決定するものは現在の労働の生産物ではたくて過去の労働の生産物であること

古典学者の種用珊論

(23)

それはともかくとして︑前に挙げた``ヽルの命題は︐ 慮にいれられたければならない°労働基金については次のように考えられる︒いまかりに現在を一ケ年とたし︑そし て消費財生産部門における資本のうち労賃の部分が一年間にたゞ一回轄するにすぎたいとすれば︑回轄期間は一年で あるから︑過去の年度の生産物として一年または半年分の労賃に相当するもが存在していることが必要である︒しか しそれが一年間に六回韓するとすれば回轄期間はニケ月であるから︑過去の年度の生産物はニヶ月または一ヶ月分の 労賃に対して十分であればよい°残りの部分に関しては現年度の生産物が労働者によつて消費される︒

( 1 2 )

資本のうち労賃の部分の回韓期間が短ければ短いほど︑過去の年度の生産物の労賃のために存在しなければならない

ものは︑ますます少くなるであろう︒

つぎに生産財生産部門における資本のうち労賃の部分については︑それが消費財生産部門にぶける資本のうち生産

手段の部分に韓化するところのものの回韓期間のいかんによって︑過去の年度の生産物としてその労賃のために存在

していたければたらないものが左右されるであろう︒

根本的特徴を要約せるものとして注目に値するものである︒いまその特徽を指摘すれば︑次のようになるであろう︒

第一︑資本︑とくに労働基金によつて雇用労働者数が定まるとされる︒そして労働基金は生活資料より成るものと

看倣される︒

~ヽ

古典学者の雇用理論

スミス︑ リカアドゥから彼にいたるまでの正統的な雇用廻論の を強調する︒しかしとの問題については︑現在とはいかたる期間であるか︑例へばそれは一日であるか︑

一ヶ月であるか︑または一ケ年であるかということ︑それから資本の回韓期間が長いか短いかということが︐考

かくして 一

週 で

あ る

(24)

古典学者の種用華論

( 4 )  

( 3 )  

( 2 )  

( 1 )  

I b i d . ,   4 t h   e d . ,   p p .  

2 0 5

2 S .

第二︑労働基金としての生活資料は過去の労働の生産物であるとされる︒

第三︑有効需要は全体としての展用労働者数を決定するものは考えられたい︒それはたゞそれぞれの生産部門にお

ける相対的た労働者数を決定するにすぎないとされる︒

以上に姦いてスミスをはじめ諸古典学者の雇用理論を労働需要の醜点から考察した︒蓋しかれらの理論においては

労働需要の増減が雇用の中心問題をたしているからである

0

労働供給は労働者人口の大さによつて奥えられると考え

られている︒そしてこの労働者人口の変動についてはしばしばマルサスの人口原則が採用される︒古典的理論のたか

にはその後の理論的発展からみればいろいろの素朴た点が見出されるが︑その動態的な問題提起そのものは十分にか

えりみられなければたらたい︒

リカアドウと﹁カロックとの間の意見の対立とその変遷については堀経夫﹁機械と労働﹂東北大学経済学会研究年報﹁経

済学﹂第五巻︵一九︱

‑ H ^年︶のなかに詳細な研究が述べられている︒

J. 

R .  

M c C u l l o c h ,   T he   Pr i n c i p l e s   o f , . P o l i t i c a El   co no my   " 

w i t h   some n q   I u i r i

"  g gP 2

ng t h e i r   A p p l i c a t i o n ,   an d  a  S k e t c h   o f   t h e  

Ri習目dPrぶ~ess

o f   t h e   S c i e n c e ,  

1 8

2 5

  ; 

4 t h   e d . ,  

1 6 4 9 .  

この事猜についてはマルク

K

の見解が参考せらるべきである︒

V g l ..  K ar l  Ma rx

 D K a p i t a l

L Ba nd ,  h e r a u s g e g ,   vo nF

g

i c h   E n g e l s ,   S .  

4 0 3

 

f f .  

長谷部文雄訳﹁審本論﹂第一部第一

l

分冊二五五頁以下︒

参照

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