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ロビンソンの勞働需要論 : 雇用理論の学史的研究 の一部

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(1)

ロビンソンの勞働需要論 : 雇用理論の学史的研究 の一部

著者 三谷 友吉

雑誌名 關西大學經済論集

巻 創立70周年特集号

ページ 61‑81

発行年 1955‑11‑04

URL http://hdl.handle.net/10112/15695

(2)

る︒いわく﹁生産限界における純生産物が近代の分配学説において演ずる役割は誤解されがちである︒とくにい

くたの有為の学者はそれがある物の限界使用はその物の全体の︹交換

I価値を支配するというものと推定した︒そ

ロピンソンの労働需要論︵三谷︶

の見解にかんたんにふれておこう︒

限界生産力の原理をもつて分配問題を因果的に解明せんとする学説︑いいかえれば︑おのおのの生産要素の限 界生産力をもつてその生産要素の所得の大きさを決定する原因とみなす学説にたいして︑その原理をむしろ企業 における諸生産要素にたいする需要量を説明する原理としてもちいようとする学説があらわれ︑しだいに有力な ものとなったことは︑周知のごとくである︒

マアシャルもその著﹃経済学原理﹄のなかで前の学説をしりぞけ︑後の学説をとつている︒ここでマアシャル

ロ ビ

かれは価格論における需要供給説の立場を分配論においても貫徹せんとす

ソ ン の

労 働 需 要 論

61 

(3)

ろの限界まで雇用されるのであって︑

( 4 )  

こと︑これである︒ 係が価値を支配するのである︒限界使用は価値を支配しない︒なぜなれば︑限界使用そのものが価値とともにこ

( 2 )  

れらの一般関係によって支配されるからである︒

このような見地からしてマアシャルは生産限界の意義についてつぎのように論じている︒

えずかれの資力のもっとも有利な充用法をもとめ︑おのおのの生産要因を限界にたつするまでもちいようとつと

めつつある︒⁝⁝かくして企業者は︑自己の影響のおよぷかぎり︑代用原理の作用の仲介者となるのであって︑

この仲介者をつうじて代用原理は各要因の使用を調節し︑限界充用においては各要因の費用はその使用によって

( 3 )  

生ずる附加的な純生産物に比例するにいたるのである︒﹂

これはいわゆる限界生産力の原理のひとつの言いあらわし方に仕かならないのであるが︑

1 1 1

の場合に適用して労

1 1 1

需要の決定について説明しているのである︒その要点だけをのべるならば左のごとく

である︒すなわち︑労仇はその純生産物がもはやそれにたいして支払われなければならない価格をこえないとこ

以上によってマアシャルが所得分配の因果的説明をしりぞけたゆえんは保匠あきらかであるが︑それにはさら

にもうひとつの理由があったようにおもわれるから︑これに言及しておく︒ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑その全体の価値を支配する諸力の作用を研究するには限界をみなければ

( 1 )  

ならないというにある︒これは右とははなはだことなった事柄である︒﹂ うではない︒分配学説のいうところは︑

この限界においては労仇の紬生産物とその賃銀とはあいひとしいという

マアシャルは︑限界生産力というよ マアシャルはそれを ﹁敏寮な企業者はた マアシャルによれば需要供給の一般関

(4)

りはむしろ限界純生産力の概念をもちいている︒か.れによれば︑企業者はある生産要因の増分の使用によってい

﹁純というのは︑この変化によって間接に生ずることあるペ き余分の費用をさしひき︑他面これにともなう節約を加算した結果ということである︒﹂

意味はあきらかである︒あるひとつの生産要因の使用を増加するときには︑つうれい︑他の生産出費もまた増加 するものである︒それゆえに︑その要因の使用の増加によって生ずる純生産物をしるためには︑その使用増加に よって全生産物の価値にくわわる増加から︑他の生産出費の増加分をさしひかなければならない︒かくて純生産

﹁純生産物は生産物のうちの一確定部分として他の部分から分離しうるものではない︒﹂

( 5 )  

﹁例外の湯合には分離することができる︒﹂

一生産要因の物理的な生産物を決定しう るときわめてかんたんにかんがえる素朴な限界生産力説にたいする批判として︑注目すべきものである︒

マアシャルはかれの右の見解を労仇の湯合に適用し︑大牧羊場における羊飼の限界純生産

﹁各労仇階級の賃銀はその階級の限界労仇者の附 加的労佑にもとずく純生産物にひとしくなるかたむきがある﹂と主張する︒

﹁この説はときに賃銀理論として堂々とかかげられた︒しかしこれを賃銀理論と称すべき妥当な根拠はどこにも 一労佑者の牧入はかれの作業の純生産物にひとしくなるかたむきがあるとの学説はそれ自体なんらの実質 的意味をもつていない︒なぜなれば︑純生産物を評定するためには︑かれが製作する貨物の生産出費は︑かれ自

ロビソソソの労働需要論︵三谷︶

物についての例解をもつて労仇需要の決定を説明したのちに︑

しかしかれはひきつづいていう︑

マアシャルの右の見解は︑

ただ

物は物理的な生産物の数量とみなしうぺきものではないのであって︑

﹁生産物の価値への一般的寄与﹂に仕かな

これによって純という

くばくの純生産物が生ずるかを評定するのである︒

6

 

(5)

ついての論述も注目すべきものであろう︒ 説を完全な賃銀理論としては承認しない︒ただ労仇需要を左右する事情を説明せんとするもの︑したがつて賃銀 身の賃銀をのぞいて︑すべて既定のものとされていなければならないからである︒﹂

( 6 )  

を支配する諸原因のなかのひとつのものの作用をあきらかにするものと︑みなすのである︒

6 7 )  

さてわれわれはJ

・ロビンソンがその著﹃不完全競争の経済学﹄の第七篇﹁生産要索にたいする需要﹂のなか でのべている労佑需要論につい考察するつもりであるが︑その労仇需要論はやはりマアシャルの理論の流れをく むものとみなすことができる︒もちろん百尺竿頭さらに一歩をすすめたものである︒それの特徴のひとつは︑

企業における生産物の限界費用と平掏費用との関係にかんする学説を援用し︑しかも逆の方面にかんがえて︑労 仇の限界生産力と平掏生産力との関係について論じ︑それから賃銀とそれらの生産力との関係によって均衡状態 における一企業の労仇需要の大きさを説明していることである︒な仕全体としての一産業の労仇需要量の決定に 以下においてわれわれはロビンソンの右の労仇需要論をその主要な部分について検討しよう︒

(1

)

fr ed

Marshall•Principles

of

 F8nomics•8th

e d. ,  r ep ri nt ed  1952•pp.

33 91 34 0.

大塚金之助訳﹁紐済学原理﹂第

三分冊一四二頁︒

(2 )I bi d. ,  p 3 .   40 .

訳奪第三分冊一四三頁︒

(3 )I bi d. ,  pp. 4  26

4 27 .

訳害第四分冊三四頁︒

(4 )I bi d. ,  pp .  42 7  et  seq.

訳害第四分冊三六頁以下︒

(5)Ibid••p.

33 7.

訳湛第三分冊一三六ー一三七頁︒

(6 )I bi d. ,  pp .  42 9 43 0.

訳濤第四分冊四0 かくてマアシャルはこの学

(6)

ロピンソンはまずすぺてのひとがあいひとしく︑ひとりのひとは労佑の一能率単位をあらわすものと仮定し︑

労仇の供給が完全に弾力的である場合に︑ある賃銀において一定の労佑者数が雇用されるとき︑その賃銀をその 労仇者数にたいする﹁需要価格﹂となし︑この意味における需要価格と労佑者数とをむすびつけるところの曲線 を労仇にたいする﹁需要曲線﹂とよび︑そして﹁われわれの現在の課題は労仇にたいする需要曲線を発見するこ

( 1 )  

とである﹂といつている︒ところで︑ロビンソンによれば︑あるひとつの生産要素にたいする需要曲線は︑貨物 にたいする需要曲線︑他の生産要素の供給曲線︑および生産の技術的条件に依存する︒それゆえに当面の問題に おいては︑まずある一定の労

1 1 1

者数をかんがえ︑それから貨物にたいする需要曲線と他の要索の供給曲線を既知 のものと仮定して︑その労仇巌にたいする需要価格︑すなわちその労仇者数が雇用されるところの貨銀を発見し

( 2 )  

なければならない︒

そしてロビンソンは右の問題の解明に労仇の限界生産力または限界純生産力の概念を援用するのであるが︑こ の概念はけつしてかんたんなものではないとかんがえ︑種々の生産力の概念を区別して︑これを明確に規定せん としているから︑われわれはまずその区別についてみることにしよう︒

ロビンソンによれば︑労仇の限界物理生産力は﹁他の諸要索への固定的な出費をもつて労佑の一附加単位を雇

ロピソソソの労働需要論︵三谷︶ (

7) Jo an   Ro b i ns o n ,  Th e  E 8n om ic s  o f   I m p er f e ct   C o m p i t e t i o n ,   1 9 3 3 .  

65 

(7)

用することによって生ずる産出量の増分﹂である︒便宜のために︑資本と企業者能力が労仇以外の唯一の要素で あるとすれば︑労佑の限界物理生産力は︑全部費用という称呼で測定した資本と企業者能力の同一量をもつて︑

いまひとりの労佑者を雇用することによって生ずる産出量の附加分である︒

つぎに限界生産力は﹁他の諸要索の全価値の不変なるとき︑ひとりの附加労仇者を雇用することによって生ず る全産出量の価値の増分﹂である︒すなわち﹁それは限界物理生産力に限界牧入を乗じたものである︒﹂

対する需要が完全に弾力的であるときには︵たとえば完全競争の状態にある一企業を考察しているときには︶︑限 界牧入は価格にひとしい︒だから︑限界生産力は限界物理生産物の価値にひとしい︒需要が完全に弾力的でない

( 3 )  

場合には︑限界牧入は価格よりもちいさい︒そして限界生産力は限界生産物の価値よりもちいさい︒

これまでは︑他の諸要素への出費の不変なるとき︑労仇の数量が増加せられる湯合が考察されたのである︒し かし雇用労仇者の数が増加せられるときには︑おおくの場合に︑他の諸要索もまた増加せられるであろう︒労

t h

と他の諸要素の量が増加せられる場合について叙述するために必要な若干の用語はつぎのごとくである︒

︑︑︑︑︑︑

平均粗生産力は﹁労仇者ひとりあたりの産出量の平均価値﹂である︒それは産出鼠の全価値を雇用労仇者の数

で除したものである︒限界粗生産力は﹁他の諸要索の適当な附加をもつて︑ひとりの附加労仇者を雇用することによって生ずる産出

批の価値の増分﹂である︒それは平均粗生産力にたいして限界価値の平均価値にたいする通常の関係をたもつ︒

平均純生産力は﹁一労仇者あたりの産出量の平均価値から労仇者ひりあたりの他の諸要素の平均費用をさしひ

貨物に

(8)

いたもの﹂である︒ 限界純生産力は﹁一附加労仇者を雇用することによって生ずる産出量の価値の限界純増分﹂である︒それは︑

他の諸要索の適当な附加をもつて︑ひとりの附加労仇者を雇用することによって生ずる限界粗生産力から︑他の

( 4 )  

諸要素の費用の附加分をさしひいたものである︒それは平均純生産力にたいして通常の限界的関係をたもっ︒

ロピンソンは各種の生産力の概念について以上のように説明しているのである︒これによってみれば︑労仇の 限界生産力と限界純生産力とはそれぞれことなった仮定のもとに決定されるものであるが︑両者はいかなる関係 を有するかが問題となるであろう︒この問題において︑ロビンソンは︑労仇者数の増加するときの他の諸要索の

適当な附加をなにが規制するかについて考察しなければならないとし︑つぎのようにのぺている︒

のためにあらゆる他の諸要素を代表するものとみなされうるところの︶の限界生産力は:⁝・資本の限界費用にひ としくなければならない︒賃銀はある一定の労仇者数が雇用されているというようなものと仮定しよう︒しかる ときは︑われわれが⁝⁝貨物にたいする需要曲線︑技術的条件および資本の費用曲線をしるならば︑われわれは それらの労仇者をもつてどれだけの資本が使用されるかをしる︒それは︵所与の条件のもとに︶資本の限界生産力 がそれの限界費用にひとしくなるようなものであろう︒﹂

加せられるときに︑労仇の限界生産力と限界純生産力とのあいだの関係はどうであろうか﹂ととい︑

そのこたえ

として右の条件のもとに労仇の限界生産力と限界純生産力とはあいひとしいということを立証しようとしてい

( 5 )  

る︒しかし︑その立証にはある疑点が存するのであって︑これについてはのちに言及するであろう︒

そしてロビンソンは﹁労佑と資本とが適当な割合で増 ﹁資本︵便宜

67 

(9)

( 1 ) ( 2 )   ( 3 )  

(4

) 

(5

) 

Ro

bi

ng

n,

 T h

e   E

8n

om

ig

of

 ImperfeaCompetition•p.

2 3 5 .  

I b i d . ,

  p p

2 3 .  

5

23 6.

Ibid••p.

2 3 6 ー器

.7

I b i d

. ,  

p . 

23 9.  

I b i d

. ,  

p p .  

2 4 0

1 .

さてわれわれはロビンソンが右の予備的考察ののちにのぺている﹁個別雇主の労仇需要﹂の理論にうつること

としよう︒ロビンソンにあっても基本的原理は限界生産力の原理または極小生産費の法則に仕かならない︒これ

によって労仇その他の諸生産要索のもっとも有利な使い方が決定されるのである︒すなわち︑

生産するいかなる管理単位もその生産費を極小ならしめるものとみなされる︒これはその管理単位にたいする各

要索の限界費用がそれの限界生産力にひとしいときに達成されるであろう︒しかるときは︑各種の要素の限界生

産力は相互にたいしてそれらの限界費用と同一の比率をたもつであろう︒各要索についやされる貨幣単位の限界

生産力は同一である︒そしてあるもののよりおおくを使用し︑他のもののよりすくなくを使用することによって

( 1 )  

いかなる利益もえることができない︒﹂

この法則における限界生産力の概念そのものが問題であるが︑ ﹁一定の産出盪を

しばらくこれを不問に附してロビンソンの議論

をあとずけることとしよう︒まずロピンソンは若干の仮定をもうけている︒いわく﹁われわれはいまや一管理単

(10)

位の労仇需要曲線を構成するぺくこころみることができる︒⁝⁝その管理単位は企業者能力の一単位よりなるも のと仮定される︒すなわち︑それはひとつの企業である︒それは競争が完全または不完全である一産業の一部分 を形成しているかもしれない︒あるいはひとつの孤立せる独占であるかもしれない︒企業者能力の費用は産出盤 から︑したがつて雇用労仇者の数から︑独立せるものと仮定される︒おのおのの労仇者数とともに⁝⁝ある資本 使用鼠が存在するが︑これは企業にたいする資本の限界生産力がそれの限界費用にひとしいというようなもので ある︒資本はいまや労仇および企業者能力以外のあらゆる要素を代表せるものとみなされなければならない︒完

目的のためには︑この場合をば︑ 全に競争的な産業の一部分である一企業の場合はたんに一管理単位の特例にすぎない︒だが︑われわれの現在の

C 2 )  

一般的な場合をしめすまえに︑別箇に論ずる方がいつそう容易であろう︒﹂

下においては︑主として完全競争のもとにおける一企業の労仇需要曲線の構成についてみることとする︒

ロピンソンは﹁一企業の産出量にたいする需要が完全に弾力的であり︑かつその企業への資本の供給が完全に

弾力的である﹂と仮定し︑それから﹁おのおのの労仇者数をもつて使用される資本最はそれの限界生産力がそれ

の価格にひとしいというようなものである﹂とみなし︑つづいてつぎのようにのぺている︒おのおのの労佑者数

が適当な資本量をもつてはたらいていると想定しよう︒そして軸に労佑者を︑y軸に労仇者ひとりあたりの産︑︑︑︑︑︑︑︑︑出量の平均価値をはかつて︑平均粗生産力の曲線をえがく︒もし企業にとつて大規模生産の技術的利益がまった

く存在しないならば、労佑者ひとりあたりの資本使用量と労仇者ひとりあたりの粗産出量は、大規模経営の不~

益があらわれはじめるような産出量に到達するまでは︑不変であろう︑もちろん︑このような不利益は︑雇用労仇

ロピソソソの労働需要論︵三谷︶

(11)

はかぎりがあり︑ 者数がいかにちいさくても生ずるかもしれない︒したがつて︑粗生産力曲線は全域をつうじて下降する︒しかし企業にとつて大規模生産の利益がまったく存在しないというのはただきわめて単純な型の生産においてのみである︒つうれい︑粗生産力曲線ははじめに上昇し︑それから下降する︒それがはじめに上昇するのは︑

いつそうお

おくの労仇者といつそうおおくの資本がひとつの企業によって使用される場合には︑それらの能率が特殊化によ つて改善されるからである︒そして極大点にたっしたのちにそれは下降しはじめる︒なぜなれば︑経営の単位に えられるからである︒このように企業がおおきくなるときにひとりあたりの産出量が減退する理由は︑

が能率を減ずるということ︑または能率を維持せんとする場合には直接に生産的な工員にたいする管理上の職貝

( 3 )  

の割合を増加しなければならないということである︒

おのおのの屈用労仇者数にたいするひとりあたりの産出屈の価値をしめす右の粗生産力曲線から︑ひとりあた

︑︑︑︑︑︑︑︑りの他の諸要素の費用をさしひけば︑平均純生産

J J 曲線をうる︒ひとりあたりの資本量は︑技術的条件にしたが

つて︑あらゆる労仇者数にたいして同一であるか︑または変化するかもしれない︒おおくの場合にそれは労仇者 数の増大につれて増加するであろう︒しかし鉄逍の場合のように装備における最小の資本投下がおおきいところ

一企業によって能率上の損失なくして無限に大なる産出盤を生産することはできないとかんが

その組織

それは労仇者数の増大につれて低減するかもしれない︒資本は︵企業者能力をのぞき︶すべての他の要索 を代表するものとみなされている︒他の要索が原料よりなるかぎり︑労仇者ひとりありの使用最はひとりあたり の祖生産力とおなじように変化するであろう︒労仇者ひとりあたりの土地の大きさは労仇者︵および機械︶の数

(12)

がますにつれて︑ある場合には増加し︑ある場合には減少するであろう︒あらゆる場合に︑貨物の価格と諸要索

の費用は労仇者数の変化するときにまったく不変であると仮定されているから︑労仇者数の変化にともなう労

f t J

の他の要索にたいする割合における変化は︑まったく生産の技術的条件によって決定される︒企業者能力の︑労

仇者ひとりあたりの平均費用は︑労仇者数が増加するにつれて減少するにちがいない︒企業者能力の費用は雇用

労仇者数から独立しているから︑労仇者ひとりあたりの費用は労仇者数のひじようにちいさい場合には無限にお

おきく︑労仇者数のますにつれてたえず低減するであろう︒かくて平均純生産力曲線ははじめに上昇し︑それか

( 4 )  

ら極大にたっして︑下降するであるう︒

つぎに平均純生産力曲線に限界的な曲線をひく︒この曲線は他の諸要素の適当な蛋をもつてはたらくおのおの︑︑︑︑︑︑の労仇者数の限界純生産力をしめす︒それは︑おのおのの点において他の諸要索の適当な附加をもつてひとりの附加労仇者を雇用することによって生ずる価値の増分︵限界粗生産力︶から︑他の諸要索の費用の限界増分をさ

しひいたものをしめすのである︒ひとりの附加労仇者が雇用されるとき企業者能力の費用はすこしも増加しない

( 5 )  

から︑それは企業者能力の費用からは独立しているのである︒

右にあげた諸曲線は第一図によってしめされる︒

MG

Pは限界粗生産力曲線である︒

産力曲線である︒

ロピソソソの労働需要論︵三谷︶

AG P

は労仇者ひとりあたりの平均粗生産力曲線である︒

AN P

は労仇者ひとりあたりの平均純生産力曲線である︒

M̀ NP

は限界純生

労仇者OQ

AC

 (

MG P

M

NP )

は他の諸費用の限界増分である︒

( 6 )  

(A GP

AN P)

は他の諸要素の労仇者ひとりあたり平均費用である︒ そしてBD

71 

(13)

註 で

1)

(2 ) 

があたえられたわけである︒

、 、 、 、 、 ' 、 口

GAp6P

` 

MNP 

に弾力的である場合には賃銀にひとしいであろう︶にひとしいところの労仇者数を︑

う︒よりおおくの労仇者が雇用される場合には︑賃銀支払高は︵他の費用を酌数したのちに︶産出盤の価値より

もよりおおく増加する︒よりすくない労仇者が雇用される湯合には︑その雇用をますことによって︵他の費用を

酌飛したのちに︶産出量の価値を賃銀支払高よりもよりおおく増加さすことが可能であろう︒されば限界純生産

( 7 )  

力曲線こそはわれわれが発見せんとする労仇需要曲線である︒﹂かくて当面の問題にたいするロビンソンの解答

R o b i

n s o n

T,  

he

  E8

no

mi

cs

  of  

I m p e

r f e c

t   C o

m p e t

i t i o

n ,  

p .  

2 4 1 .  

Ibid••p.

2 4 3 .  

雇用するのが有利であろ 限界費用︵これは個別企業にたいする労仇の供給が完全 されるそれの限界純生産力がその企業にたいする労仇の つぎのような労仇者数︑すなわち右の曲線によってしめ る労仇の供給曲線があたえられているとき︑その企業は︑ ばならないことは︑あきらかである︒個別企業にたいす ける︶個別企業の労佑需要曲線を表示するものでなけれ ︵生産物の価格と資本の費用の︑あたえられた状態にお

ロビンソンによれば﹁限界純生産力曲線は

(14)

んするかぎり︶均衡状態にあるであろう︒﹂ ず企業の均衡条件についていわく︑ (3)Ibid.,  p

p.

2 4 3  

2 4 4

.

(4)Ibid••pp.

2 4 4

24

5.

(5)Ibid.,  p

. 

24

5.

  (6)Ibid••p.

24 6.   (7)Ibid••p,

2 4 5 .  

しかしロビンソンはひきつづきつぎのようにのべている︒すなわ さてロビンソンは一企業の労仇需要里の決定について以上のごとく説明したのちさらにいわゆる完全均衡の条件について詳論している︒これによって完全均衡の状態における雇用労仇者数があきらかにされるのである︒まつてしめされるのである︒その管理単位は労仇の限界費用が限界純生産力にひとしいときに︵雇用労仇者数にか

ち︑﹁問題の管理単位が競争的産業の一部分を形成している湯合には・・・・・・われわれはさらに︑企業の自由参加が存

するときに︑その産業はどんな条件のもとに均衡状態にあるかを︑考察しなければならない︒産業の均傑の条件

は︑そのなかの諸企業が正常利潤をえているということ︑いいかえれば︑企業者は平均純生産力曲線をえがくと

きに労仇以外の諸要索の費用の計卵において酌量するかれの正常な報酬よりおおくもすくなくも受取らないとい

( 1 )  

78 

(15)

, '  

、 、 

、 、. 、

  4 ,   u '   '  

ANP 

右の均衡条件についてはさらにつぎのようにとかれている︒

ば︑企業者はかれの正常利潤を受取っているであろう︒そして産出量の全価値は生産の全費用︵企業者能力の特 用をふくむ︶にひとしいであろう︒もし賃銀がそれよりもちいさいならば︑産出鼠の価値はそれの費用よりも大 であろう︒賃銀と労仇の平均純生産力との差に雁用労仇者数を乗じたものは企業者の正常利潤をこえる剰余利潤 を表示するであろう︒同様に︑もし賃銀が平均生産力よりも大であるならば︒産出量の価値は生産の全費用より も小であろう︒そして企業者はかれの正前報酬よりもすくないものを受取るであろう︒ただ賃銀が平均生産力に

( 2 )  

ひとしいときにのみ︑生産物の価値はちょうど生産の全費用にひとしいのである︒

と限界純生産力曲線である︒もし労仇の供給が賃銀

0c において完全に 弾力的であるならば︑それの限界純生産力

(Q E)

O C

1 1 .

ひとしいとこ それの平均純生産力

QD は賃銀よりも大である︒そして

ED

(限界純生産力と平掏純生産力との

差︶に

O Q

C雇用労仇者数︶を乗じたものにひとしい剰余利潤

(C

ED

B)

(3

が存在する︒

かくてロビンソンによれば︑﹁完全均衡のためには︑労仇の限界費用が 限界純生産力にひとしく︑

そして労仇の平均特用︵貨銀︶が平均純生産

ろの労仇者数

(O

Q)

が屈用されるであろう︒

第二図において

AN P

M ̀ N P

は企業にたいする平均純生産力曲線

いま賃銀が労仇の平均純生産力にひとしいなら

(16)

I/ 

,9 ‑

j M N P  

ロピンソソの労働需要論︵三谷︶

均符用とはひとしい︒

3

力にひとしいことが必要である︒個別単位への労仇の供給が完全に弾力的であるときには︑労幼の限界費用と平

限界純生産力曲線と平均純生産力曲線とが相交るところの

( 4 )  

値︑いいかえれば平均純生産力の極大値に︑賃銀がひとしいときにのみ︑みたされうるのである︒﹂

第三図において︑賃銀

o c

O Q

の労仇者が雇用される︒

( 5 )  

は限界純生産力と平均純生産力

(Q D)

!.

!.

そして賃銀 このようにロビンソンは完全均衡にたいする二重の条件をあげているの

しかしこれらの二重の条件はいかにして実現されるのであろう か︒この問題にかんするロピンソンの説明は左のごとくである︒

銀が平均純生産力よりも小であるならば︑剰余利潤がえられる︒そして新 しい企業がその産業に誘引される︒貨物の産出試は増加せられ︑諸々の個

別企業にたいする需要曲線は低下される︒

その結果︑諸々の平均純生産力 曲線は低下され︑均衡は平均純生産力曲線が労仇の平均費用曲線に切する ときに確立される︒企業への労仇の供給が完令に弾力的である場合には︑二つの曲線は純生産力曲線の極大点に おいて相切する︒⁝⁝労仇の供給が全体としての産業にとつて完全に弾力的でないならば︑新企業の参加の炊果 は︑おのおのの個別企業の貨物にたいする需要曲線が低下せしめられるということのみならず︑すぺての企業に たいする労切の費用を高めるということであろう︒そして均衡がふたたび確立されるとき︑企業の平均生産力曲

そして均衡の二重の条件は︑

75 

(17)

(1 ) (2 ) 

(3

) 

(4 )  (5 )  (6 )  (7 ) 

( 6 )  

線が賃銀に合するべく低下すると同時に︑賃銀が平均生産力曲線に合するべく上昇するであろう︒﹂

は︑産出航一単位あたりの平均生産費が極小であるような産出醤を生産する︒そして⁝⁝各企業によって雇用さ れる労仇者の数は労仇者ひとりあたりの平均純生産力が極大であるというようなものである︒したがつて︑最適 の大きさの︵すなわち︑極小生産費をもつ︶企業にとつては︑屈用労佑者数は労仇者ひとりあたりの平均純生産 力が極大であるところの労仇者数である︒利潤が正常であることを確保するためには︑貨物の価格は極小生産府 にひとしく︑そして貿銀は極大平掏純生産力にひとしくなければならない︒かくて賃銀と価格はつぎのように調 節されなければならない︒すなわち︑ある賀銀において極小生産費が価格にひとしく︑そしてその価格において

( 7 )  

樹大純生産力がこの貨銀にひとしいというように︑調節されなければならないのである︒﹂

Ro bi ns on ,  T he   Ec on om ic s  o f I mp er fe ct o  C mp et it io n,  p .  24 8.   I bi d . ,  p .  24 8.   I bi d . ,  pp . 

248

2 4 9 .

I bi d . ,  p .  24 9.   I bi d . ,  p . 

2 4 9 .  

I bi d . ,  pp . 

250

'2 51 . I bi d . ,    p . 25 1.  

最後にロビンソンの結論をあげておこう︒いわく︑﹁完全に競争的な産業が完全掏衡にあるときには︑各企業

(18)

右と関聯していることであるが︑

ロビンソンの企業の労仇孟要の理論についてみたのであるが︑ここでそれの理論的な性格や特色につい てかんがえてみる︒ロビンソンは︑平均粗生産力曲線をえがくときに︑

般的に主

一企業における労仇と資本の使用の増加 にともない最初は大規模生産の利益によって牧益逓増が生じ︑それから牧益逓減にうつてゆく事実を考察してい る︒かかる見方は︑企業の組織や設備の一定の状態を仮定し︑牧益逓減の傾向のみを問題とする短期分析の城を こえるものである︒ロビンソンの用語によれば︑それは準長期的である︒なお完全均衡の成立については企業の

( 1 )

2) 

自由参加がかんがえられている︒この場合には観察方法は長期的であるとみなされている︒

ロビンソンは平均純生産力曲線をえがくときに︑企業者能力の費用を生産の 全質用のなかに算入している︒それはいわゆる正常利潤とみなさるぺきものである︒このように正常利潤を考嵐.

にいれていることは︑これをまったく無視していた従来の諸理論にくらぺて︱つの特長とかんがえられるであ

( 3 )  

もっともロピンソンは論文﹁オイラーの定理と分配の問題﹂のなかで全生産物の諸生産要索への完全分配の問 題について論ずるさいには右と異った説明の仕方をしめしている︒ここではロピンソンは﹁おのおのの企業が︑

ロピンソソの労働需要論︵三谷︶

﹁企業への平均

産出量から独立せる供給価格をもつひとつの不可分的な企業者能力の単位からなる﹂という仮定は非現実的であ

( 4 )  

るとし︑正常利潤と費用との関係または物理的牧益との関係についてつぎのようにのぺている︒

費用は競争的均衡においては極小になるから︑企業への物理的牧益は不変状態にあるということを︑

張することはできない︒なぜなれば︑競争的均衡において極小となる費用は正常利潤をふくむ平均費用であるか

7Z 

(19)

潤が正であるときには︑

( 7 )  

る ︒

物理的牧益の逓減がおこなわれるということは︑

らである︒もしも正常利潤が正であるならば︑平均費用が極小となる産出撒は︑大規模の純利益に代つて純不利

( 5 )  

益があらわれるところの産出量よりも大である︒そして物理的牧益の不変状態は存しない︒﹂

この叙述だけではロビンソンの見解がはつきりしないが︑

しかし左の章句をよめば明瞭になるであろう︒すな

﹁いまや︑経済学者は︑個別企業にとつて牧益が逓増しつつあるか逓減しつつあるかにしたがつて︑利潤 は負であるか正であることを証明しうるのである︒けだし︑完全競争のもとでは︑利潤が極大となる産出量にお いては︑企業への限界牲用は生産物の価格にひとしい︒もしも雇主がある損失をこうむつているならば︑価格は 平均牲用よりちいさい︒だから限界費用は平均費用よりちいさい︒だから産出扱の平均費用曲線は下降しつつあ

物理的牧益は逓増しつつある︒逆に︑雇主がある利潤をえているならば︑

…•••利潤の正常水準が正である場合には、企業の数が制限されており、

物理的牧益は逓減しつつある︒

したがつて︑ちょうど要求される利潤に

適合する程度において企業への物理的牧益の逓減がおこなわれる︒この水準の正の利潤は新しい企業を誘引する ことができず︑かくて現存の諸企業をば物理的牧益が不変状態になるところの産出量の方へおしもどすことはで

Co ) 

そしてロビンソンは完全分配の問題にたいする解答としてつぎのように主張している︒

には︑全生産物が︑使用された諸要索の所得によって吸牧しつくされえないことは︑あきらかである︒そして利 り ︑

われわれのすでに知ったごとくであ

﹁利潤が正であるとき

(20)

うようなことは︑主張できないはずである︒

( 8 )  

上述のようにロピンソンが説明の仕方をかえたのはおそらく完全分配の問題に関する考察の結果であるとおも われる︒しかしいずれにしてもロピンソンは正常利潤の存在ということを重視しているのである︒

さて最後にわれわれはロビンソンの見解や理論のなかに見出しうる若千の疑点または難点に言及しておく︒ロ ピンソンは︑すでにのぺたような見方にしたがつて︑労仇の限界純生産力曲線が同時に﹁他の諸要索の適当な盈

( 9 )  

をもつてはたらく場合における各労佑蜃の限界生産力をしめす﹂ということを力説している︒しかしこの見解に たいしては疑問をいだかざるをえない︒ロビンソンによれば︑前述のごとく︑労佑の限界生産力はそれの限界物 理生産力と限界牧入とによりてさだまるのである︒しかし︑この限界物理生産力は︑すでにマアシャルなどの指 摘しているように︑つうれい︑確定することができないのであり︑

したがつてまた限界生産力も決定することが できないのである︒さすれば︑労仇の限界純生産力がそれの限界生産力にひとしいとか︑両者が一致するとかい つぎに資本の限界生産力が問題になる︒ロビンソンは前述のように資本をも.つて労仇および企業者能力以外の

あらゆる生産要素を代表するものとみなし︑そして資本の一定の限界生産力を仮定している︒しかしそれらのい ろいろな生産要索よりなる資本抵をいかにして測定するかはあきらかにされていない︒それから資本の限界生産 力というときには︑その資本を構成する諸々の資本財の消耗を考慮にいれなければならないが︑これらの狩本財 の消耗部分はその生産物とおなじ物理的形態を有するものではなく︑したがつて後者をもつて寵接に補埴しえな いのである︒それだから︑われわれは資本の限界物理生産力なるもつについて語ることはできない︒したがつて

ロピソソソの労働需要論︵三谷︶

79 

(21)

く手をつけずにのこされているわけである︒ またその限界生産力について云々することもできないであろう︒資本の限界生産力についてなんら明確な説明をあたえることなく︑たんにそれを仮定して議論をすすめていることは︑

( 1 0 )  

であるとおもわれる︒ ロビンソンの理論におけるおおきな欠点

なおロビンソンは既述のごとき個別腿主の労仇需要の理論につづいて﹁一産業の労佑需要曲線﹂について論じ

( 1 1 )  

ているのであるが︑これにかんする考察は紙幅がないので省略しなければならない︒ここではただっぎのことだ

けを指摘しておく︒ロピンソンがそのさい問題としている一産業は消費財を生産する産業にすぎない︒ロビンソ

ンは﹁本書は全体としての産出盤の問題は取扱わない︒それはひとつの特殊な貨物の産出董にかんする研究に制

( 1 2 ) ( 1 3 )  

限される﹂とのべているが︑ここに貨物というのは消費財を意味するのである︒かくてあきらかなように︑

ンソンは消費財を生産する一産業の労仇需要について論じているにすぎないのである︒消費財生産部門のみなら

ず生産財生産部門をもふくめての︑全体としての労仇需要量がいかにして決定されるかという重大問題はまった

(1 )R ob in so n, Th e  E co no mi go f  I

mp

er

fe

ct

  Co m p et i t io n ,   p .  

47 . 

(2

) ロピソソによれば﹁短期においては︑企業の生産設備が一定しており︑生産我の一部分は産出祗のいかんにかかわ らず一定している︒いかなる産出黛も生産せられない場合には必要とされない喪用︵たとえば︑労働︑原料および動

︑ ︑ カの我用︶は索価としてしられている︒準長期においては︑生産設備は産出祗の変化に適応されるものとかんがえら

︑ ︑ れる︒そして企業者の最低報酬以外のすぺての喪用は産出量とともに変化するであろう︒爽の長期においては企業そ

のものが創造されまたは消滅するであろう︒﹂

( i b i d . , p .  

47 ) 

(3 )R ob in so n, u l   E e r' s  T he or em   an d  t h e  P ro bl em   of   D is t r ib u t io n .  E co no mi c 1934.Journal,•Vo].』2にIV

(22)

(4 )I bi d. ,  p p. 405 

406.

(5 )I bi d. ,  p 4 .   06 .  (6 )I bi d. ,  pp.  40 7 40 8.   (7)Ibid••p.

40 8.  

( 8 )

この問題については左の著書のなかに詳細な文献的研究が見出される︒

G .

J. 

S ti g l er , P  ro du ct io n  an d  D is tr ib ut io n  Th oe ri es

̀1 94 9,   pp. 32 0  e t  s e q .  (9 )R ob in so ,n h  T e  E co no mi cs ,  p .  24 5.  

(10)

ロピソソソは後年においては限界生産力分析にたいしてますます批判的となつている。

Cf•Robinson,

Es sa ys n    i th e  Th eo ry f  o   Em pl yo me nt ,  2 nd   ed . ,  1 94 7,  p .  1 74 .   : t i ! ; ! 原三代平・伊芦g率ユ巾訳﹁扁i用理論研究﹂二四五百r

hT e Ra te   of   I nt e r es t  a dn   Ot he r  Es sa ys ,  91 52 ,  pp ,  54 15 5.

大川一司・如g5

5

3子傘︸その他賭研究﹂六六ー七0

限界生産力分析に直接ふれてはいないが︑彼女の最近の考え方の方向をしめすものとして︑左の論文にも注意すべで

On

Re

R ea di ng   Ma rx ,  1 95 3,  pp .  10   et   s eq .   (1 )1 Ro bi ns on ,  T he   Eco no mi cs ,  pp. 5  2 3  e t  seq.  (1 2) Ib id .,   p.   1 04 .   (13)Ibid••p.

1 7.  

ロピンソンの労働需要論︵三谷︶

81 

参照

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