包公信仰から観音信仰へ
まえがき
本稿は宝巻「生死牌」物語の由来と変容を分析し、それを通して民間信仰と物語文学の影響関係を窺ってみようとするものである。
宝巻は中国の明清から民国に至るまで民間で盛んに行われた語り物の一種である。いわゆる日本の説経節に対比すべきものであるが、宝巻は独自な形態を保ちながら、時代を経るにつれ、物語を含む叙事的なものが多くなり、宗教
的なものから文学的なものへ傾き、娯楽性を強めていく流れが見られる。このように、宝巻は宗教、教化と民間信仰、庶民文芸の性格を併せ持つ語り物であるため、中国の近世文芸史、通俗文学史、民衆宗教史、民衆精神史などの
研究において重要な史料となっている。
ここでは後述する物語の影響関係の理解のために、まず宝巻の文学的変遷については、澤田瑞穂「宝巻の変遷」に
即して簡単にまとめる
((
(。唐代佛教寺院の俗講を起源とする宝巻は、清の嘉慶初期(一八〇〇年前後(をおよその境と
包公信仰から観音信仰へ
「生死牌」物語の変遷について
辻 リ ン
包公信仰から観音信仰へ
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して、古宝巻時代と新宝巻時代とに大別される。古宝巻は、「仏説」などの文字を冠するものが多く、曲子、韻文、散文で構成され、一定の格式を守っているなどの特徴が見られる。新宝巻の体裁は、古宝巻時代の複雑な定型が崩れ
て、曲子が多く失われ、単に韻文と散文で組成され、形式も単純化される。その内容は小説・戯曲・民間説話などで知られる物語を宝巻化されることが多い。恋愛物、世話物、また三国志などの時代物と、その題材は多彩であるが、
裁判物がかなりの数にのぼる。裁判物では民間に親しまれる名裁判官包公説話から取材したモチーフが最も多くみられる。
包公とは北宋時代に実在した名臣包拯(ほうじょう、九九九 一〇六二(である。彼は清廉で権力者に媚びない剛
直の士として尊敬され、民間では包公と呼ばれている。このため、包公については、かなり早い時期から名裁判官として、さまざまな伝説が生じていたのである。その頃は盛り場にあった寄席で、講談などがしきりに語られていた時
期であった。また北宋の時代には『清明集』など裁判集が編纂されるようになり、次の南宋ではさらに読物化した裁判実話集『棠 とう陰 いん比 ひ事 じ』
((
(などが現われ、やがて裁判(公案(小説というジャンルが成立することになる。このような風
潮の中で、名裁判官としての包拯には、様々な話が仮託され、清末に至るまで膨らみ続けていた。ただ物語の中での包拯は一般に考えられる名裁判官としてのほか、神通力を持つ超能力者としても描かれ、民間で信仰される神として
の一面もある。
本稿で取上げる宝巻「生死牌」物語も、先行する包公裁判物にまつわる物語文学から取材した作品のひとつであ
る。宝巻が物語文学と民間信仰といかなる関わりを持っていたのかをみる恰好の一例となろう。
包公信仰から観音信仰へ
一 「生死牌」物語と先行文学
巻の演目である。ここでは『生死牌宝 「牌たほか、宝巻から改編し演巻劇でも同話は人気死の宝」江物語は長江デルタの南る。地域でよく知られて生い
((
(』に拠って、そのあらすじと先行文学との関わりを確認しておく。
本書は、冒頭で聴衆に対する挨拶の七言絶句を詠んだ後、物語の本題に入り、最後に宣巻の常套句である訓戒の意味を持つ七言で唱い終わる。前述のごとく、当時読み物化された「新宝巻」の典型的なスタイルによっている。で
は、その梗概を紹介しよう。
時は明の万暦年間、杭州銭塘県に陳子平、陳子安という金持ちの兄弟がいた。兄の子平は妻に先立たれ子宝に恵まれなかったのだが、後妻として迎えた尤氏には阿長という連れ子がいる。弟の子安は銭氏との間に、一子廷玉一一
才、一女月波一三才がいる。ある日、兄弟は百日のうちに、必ず生命に関わる禍に遭うという易者の託宣を受け、互いに会わないことにしてそれぞれ部屋に閉じこもって物忌みをする。尤氏は、この機会に陳家の財産をわがものにし
ようと企み、連れ子の阿長と共謀して、子安の悪口を言って兄弟の仲を裂こうとする。子平がとうとう尤氏のデマを信じてしまい、叔父(亡き母の弟(柴公道の仲介により兄弟分家することになる。一ヵ月が無事に過ぎたある日、子
平は、数年前馬忠という人物に貸した金がまだ返済されていないことに気づき、阿長と下男とを伴って催促にいく。食事の時、馬忠は借金をした覚えがないと否定し、子平の見せた借入書まで奪って破りすててしまう。怒った子平が
つい碗を投げ、運悪く馬忠のこめかみにあたって彼を死なせてしまう。子平は殺人の罪で投獄される。兄思いの子安は、法廷で兄の代わりに刑を受けたいと主張する。子安の孝悌に打たれた知府沈清が仕方なく生死牌(生と死を記し
た二枚の牌 ふだ(を兄弟に引かせ、死の牌を引いた者が死刑を受けることにする。子平は生の牌を引いて無罪釈放され、
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子安は死の牌を引き当てて縛り首になる。その様子をみていた観音菩薩が子安の兄思いを称え、後日生き返らせる時のため死体の腐敗を防ぐよう、侍童の善財を遣わし、人知れず仙草を子安の口に銜えさせる。一年が経たないうち、
銭氏も悲嘆のあまり病気になり、子女を遺して死ぬ。玉帝が銭氏の貞節を賞賛しさらに二期(二四年(の寿命を与えるが、二人の子供月波、廷玉は三ヵ月の苦難を受けなければならないため、ひとまず銭氏の魂を観音の仙山へ連れて
行くことにする。後妻の尤氏は喜んだが、まだ財産が自分のものにならないため甥を邪魔者にする。夫の留守に乗じて阿長と共謀して姉弟を虐待し、厳寒の中で中庭の雪掻きをさせるのだが、二人を守ろうとした老僕の陳方が替わり
に凍死する。玉帝が陳方の忠義を聞いて彼を当地の土地神に封ずる。尤氏が今度は直火で熱くした碗を廷玉に持たせ
火傷させる。火傷をみた子平がやっとすべての真相を知り、甥をかばい尤氏を叱責する。尤氏は最後の手段として子平の誕生日の祝宴で廷玉の毒殺を企てる。観音菩薩が子安と銭氏に子供を守るようにとその魂を帰宅させる。また五
路雷神に命じて尤氏母子を雷で撃ち殺し、子安夫妻の棺をも砕く。子安と銭氏が蘇生して一家団らんになる。四年後、廷玉が科挙の試験に一番の成績で合格し、紹興知府沈清の一女と結婚する。勅命により、一族もそれぞれ官位を
与えられた上、皇帝から褒美を賜る。亡き忠僕陳方も皇帝により土地神から城隍神に昇格される。その後、子平、子安と銭氏が至福の中で天寿を全うする。
この話のあらすじはほぼ以上の通りであるが、現代の各地方劇やお芝居などの通俗文芸においても、いわゆる「生死牌」物語は珍しいものではない。もっとも口承文芸は口伝ての形で行われるから、聞き手の興味を引くために、民
間によく知られている話を特に選んだのであろう。民国年間に刊行された『生死牌宝巻』も、以前にすでにいくつもの先行作品が存在している。
まず、同じジャンルの宝巻から挙げると、『仏説劉子忠賢良宝巻』(以下『賢良宝巻』とする(がそれである。本書
包公信仰から観音信仰へ
は車錫倫『中国宝巻総目』(以下『総目』と略称する(に、嘉慶二十四年(一八一九(抄本一冊(長春
・
東北師範大学蔵(と道光四年(一八二四(抄本一冊(中国国家図書館蔵(が著録されているが((
(、『生死牌宝巻』との関わりは示
されていない。ここで、中国国家図書館蔵本により、その内容を以下に要約しておく。
北宋仁宗朝の汴京城外水南寨に裕福な兄弟がいた。兄の子明は妻に先立たれ、後妻として迎えられた馬氏には甥の
保住がいる。弟の子忠は妻の李氏との間に息子の定僧、娘の愛姐がいる。ある日、子明が百日のうちに必ず災いが来るという易者の言に従い、しばらく静かに家に閉じこもり外出を控えた。ところが、馬氏の讒言によって仲のよい兄
弟が分家することとなる。その後、易者の言を忘れた子明は、保住と城内へ掛け取りにいくが、逃げる債務者に酔っ
た勢いで「鉄流星」を袖から取り出して投げつけ、彼を死なせてしまい投獄される。兄思いの子忠が吏員に金をやり懇願した結果、兄の身替わりになることができ、縛り首になる。夫を亡くした李氏が馬氏に再婚を迫られ、仕方なく
娘を連れて尼寺に身を寄せる。馬氏が残された甥の定僧を邪魔者とし、あの手この手の悪巧みをめぐらして虐める。真相を知った子明は馬氏を叱責し、定僧を守るため日夜行動を共にする。馬氏が最後の手段として、定僧を石臼で殺
そうとしたが誤って夫の子明を殺してしまう。そこで、馬氏は子明殺害の罪を定僧に擦りつけた上に、真実を言わぬよう堅く口止めするのだが、名判官包公が彼女の悪事を看破する。馬氏が包公の銅鍘で処刑され、子明は「霊牙宝
杖」で蘇らされて、再び一家団円となる。その後、一家成仏する。
『い進行し因果応報を説て語いる。標題に「仏説」とが物賢な良宝巻』は、比較的少いく紙幅ながら、テンポよ冠
するように、挙香讃
・
諸仏奉請・
開経偈など、長々と仏教的な前置きを唱いあげた後、ようやく本題にはいる。このような冒頭からも明らかなように、民国年間に芸能化された『生死牌宝巻』とはスタイルが異なり、宝巻が本来持つ仏法宣布の息吹が感じられる。なお、ここでは「仏」と言う字を使って仏典に擬しているが、具体的に何れかの仏尊
包公信仰から観音信仰へ
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を指すというよりは、単に漠然と神聖さを標示しているだけであろう。既述の如く、嘉慶年間は、古宝巻時代が終わり、宝巻が新たな全盛期を迎えようとする時期である。故に、この作品は構造
・
表現などの文学面においても、宝巻史そのものの研究においても注目に値する存在であるが、これについては別稿に譲ることとする。本稿では、ひとまず『生死牌宝巻』との関わりに即して考えたい。
から、別の物語だと思われがちである。しかし、上記の要約からも明かのように両書の話柄はまったく同一である。 『良死り、人名も前述する『生牌て宝巻』と異なることおれ宝仁巻』は時代が北宋の宗賢朝、舞台が汴京と設定さ
ただし、『賢良宝巻』では、観音ではなく、包公が事件に決着をつけ、裁判物語となっている点が興味深い。
前述のように、包公の裁判物語は包公説話として、宋の話本、元の雑劇から明の「説唱詞話」を経て、今日に至るまで、小説、語り物や演劇などの形式で伝承されている。
包公劇における、伯母による甥いじめの話というと、元雑劇無名氏撰の『神奴児』(『神奴児大鬧開封府』とも言う(が挙げられる。『神奴児』のあらすじを簡単に記せば、次のごとくである。李徳義が悪妻 00王氏に唆されて、兄李
徳仁に分家 00を迫ったため徳仁が憤死する、さらに王氏は甥の神奴児を虐め、絞殺して母親李氏に罪をせきようとする、包公が神奴児の幽霊の訴えを受けて裁判をする(『曲海総目提要』巻四(。
よる兄弟分家や、伯母による甥いじめは『賢良宝巻』と同工異曲である。 『奴仲みられないが、兄弟のがこ大変よいこと、悪妻にそり児わ』では、弟が兄の身替り神になって受刑するくだ
また、元曲『包待制智賺合同文』とも登場人物に関して類似点が見られる。この話は包公が機知を以て家庭の財産継承権を裁判するもので、物語展開が『賢良宝巻』と異なるが、人物設定は以下のように似通っている。開封の町は
ずれに、劉天祥
・
天瑞という仲のよい兄弟がいる。兄天祥の妻楊氏は子連れの再婚であり、弟天瑞には一子安住がい包公信仰から観音信仰へ
るのだが、強欲な楊氏が連れ子に劉家の全財産を継がせたいとあれこれ画策する。なお、『包待制智賺合同文』は、話本「合同文字記」(明
・
洪楩『清平山堂話本』所収(をリライトしたとされたもので、「張員外義撫螟蛉子 包龍図智賺合同文」と題され『初刻拍案驚奇』巻三三にも収められており、庶民に馴染みの深い物語である。ちなみに、易者の言による血光の災 0000は、元雑劇無名氏撰の『玎玎璫璫盆児鬼』、元雑劇武漢臣の『包待制智賺生金閣』、短編白話小
説集『警世通言』巻十三「三現身包龍図断冤」などにもみられ、包公説話にはよくあるモチーフである。
こうしてみると、『賢良宝巻』は先行するいくつかの包公説話を下敷きにし、それらの作品の枠組みやモチーフを
取り、お馴染みの道具立てを転用しながら、宝巻として組み立てられている跡を窺うことができる。
二 関連作品からみた物語の宝巻化
ここまで『生死牌宝巻』と先行文学との関わりを概観した。次に、河西地域に広く宣講される『烙碗計宝巻』(各
地の巻名が異なるが、ここでは河西地域の同話を『烙碗計宝巻』と総称する(も紹介しておこう
((
(。筆者が現在参考にできるのは以下の版本である。
① 烙碗計宝巻
『河西宝巻続選』下
巻 ((
((同版『河西宝巻集粋』下巻
((
(に再収録(
② 仁義宝巻 『山丹宝巻』上冊
((
(
③ 落碗宝巻 『金張掖民間宝巻』(二
((
((
④ 落碗宝巻 『酒泉宝巻』第五輯
((1
(
この四種の「整理本」は字句に僅かな相違があるものの、構成や内容はほぼ一致している。したがって、同系統の
包公信仰から観音信仰へ
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「兄弟宝巻」と見なしてよかろう。ただし①には、新中国成立以降のいわゆる「新抄本」である
(((
(。河西地域の「烙碗計」物語も、あらすじが殆ど上記の『賢良宝巻』と同じであるが、弟の子忠が兄の替わりに受刑することを懇願する
くだりでは、ふたりの命運をきめる小道具は「聴天由命(天に従い運に任せる(」と書いた一枚の板であった、それを子忠が先に取ったことから、やっと兄の身替わりになることができたとしている。これは、次に述べる戯劇から影
響を受けていると思われる。ここからも、「古層」のものを保ちながら近現代的要素をも取り入れている
(((
(、という河西宝巻の特色がみられて興味深い。なお、「烙碗計」とは、馬氏が企んだ甥いじめの手段の一つで、直火で熱くした
碗をそのまま甥に持たせて、火傷させることである。『生死牌宝巻』でも見られる痛々しいくだりであるが、秦腔折
子戯『烙碗計』(『秦腔劇目初考』三八九頁、陝西芸術研究所編、一九八四年(などのように、この一折のみを「烙碗計(記(」と題し、悪人をクローズ
・
アップして演じる地方劇もある。ここまで、「生死牌」物語と関わりを持つ宝巻をみてきた。清末民国年間には、そのほかの語り物や演劇においても同類の作品がみられる。以下に主なものを列記し、あらすじの替わりに物語の流れをキーワードで示す。
○鼓詞『烙碗記』二巻一冊
清宣統元年刊本、台湾中央研究院歴史語言研究所傅斯年図書館所蔵
(((
(
扉葉題『繍像全伝烙碗記』、題の右に「新写定生打碗上下全部」と記す。
本書の内容は河西地域の「烙碗計」とほぼ同じで、同系統の物語と確認できる。
○石派書『包公案鉄蓮花』 十二巻
包公信仰から観音信仰へ
抄本、台湾中央研究院歴史語言研究所傅斯年図書館蔵
(((
(
本書は、石派書として分類されている。石派書(石韻書ともいう(とは、道光年間に北京で活躍した石玉崑(一八
一〇 一八七一?(の名講釈『龍図公案』のテキストが流派によって語り継がれたものを指す
(((
(。この分類が正確であれば、石玉崑およびその同時代の講釈名手らが、嘉慶年間にすでに転抄されていた『賢良宝巻』から取材して、盛り
場で語っていたことが推察される。さて、この抄本の内容は次のようである。
冒頭に八句の詩を詠んだ後に
(((
(、題名「鉄蓮花」に因み、その出所の説明が続く。鉄蓮花はもともと、紫竹林の観音
菩薩の法座にある鉄製の海灯である。千年の修業で得道したため、観音から燃灯侍女に封ぜられる。四月八日観音が
雷音寺へ行った隙に、燃灯侍女が人間へ遊びにでたことから、罰として姿を仏前の灯に戻される。土地神が灯明売りに身をやつしてこの灯を売る。それを買ったのは、北宋仁宗朝、汴京の城外永寧庄に住む金持ち劉家である。ここか
ら本題に入る。なお、兄弟家族の名は、兄自明(後妻頼氏、連れ子保住(、弟自忠(妻李氏、子定生、女玉姑(としている。
頼氏讒言→兄弟分家→仏前の灯が蓮花仙姑に化して百日の災を自明にお告げ→自明掛取りに出かける→酔って債権者を殴り死なせる→自忠が兄の身替わりになりたいと懇願→「聴天由命 0000」と書いた首かせ 0000000を壁にたて兄弟が法廷の両
側の戸から競って取る→自忠が先に取る→蓮花仙姑が「還魂丹」を縛り首になる自忠の口に→頼氏、自明不在の隙に李氏に再婚を迫る→李氏出家→頼氏、定生を虐待→夜中に定生を殺そうとしたが誤って自明を殺す→定生に自明殺害
の罪を擦りつけた上に口止めさせる→包公が観音からお告げ 0000000000を受け→定生の冤罪を晴らす→自忠自明が還魂→一家団円
この話はみての通り、『賢良宝巻』の物語を基礎としながら、因果応報、輪廻転生といった仏教的要素をあしら
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い、観音のお告げといった神秘的なものまで加味し、物語の構成や表現にも手をいれるなどの操作を加え、短い宝巻から十二回にも及ぶ連続物の講釈へとその姿を変えた。
観音に謫せられた燃灯侍女が使者として劉家のすべてを見守るという臨凡の形は、俗文学や民間説話によくある、過失から罪を得て流謫を命ぜられる謫仙の物語を踏まえながら、発想を逆転させたものであろう。しかし、この鉄蓮
花の由来説が付け加えられたそもそもの原因は、物語の作者(語り手(が「鉄蓮花」という標題の合理性のためなのかもしれない。以下に述べる観音と鉄蓮花にまつわる伝説を知らない地域の聴衆には、鉄蓮花といえば観音に関わる
話だという自明の認識を持っていない可能性がある。当時、腕によりをかけた語りの名手たちがこのことを配慮し
て、かような興味深い前置きを編み出したのではないか。
○鄭振鐸旧蔵本『鉄蓮花』
抄本十二巻、中国国家図書館蔵
本書は上記の台湾中央研究院歴史語言研究所傅斯年図書館所蔵本と個別の文字の違いを除けば、内容がほとんど同様である。巻首標題は『鉄蓮花全伝』とする。
○清蒙古車王府曲本『鉄蓮花総講』四冊
冒頭では、観音が善才龍女に伴って登場し、「紫竹林鶯歌声送 金蓮湧海島並擁…」と一曲「点絳唇」を唱った後、本題に入る。観音が物語の始まりと終りにしか登場しないが、全知全能のお見通しとして人間界のすべてを見
守っている。なお、兄弟の名は兄子忠(後妻馬氏とその甥宝珠(、弟子明(妻王氏、子定生、女賽姐(としており、
包公信仰から観音信仰へ
通行のものと逆になっている。
子忠の誕生祝宴→易者が百日の災いに遭うことを託宣→馬氏の讒言→兄弟分家→子忠が掛け取りで人を殴り殺し→
生死板(生と死を書いた二枚の板(を争って取る 00000000000000000000→子明が兄の身替わりに縛り首になる→王氏、再婚を拒否し出家→馬氏、定生を虐める→石臼で誤って子忠を殺す→包公が子忠を蘇生させる→観音が雷神を遣わして子明の柩を砕く→
兄弟が科挙に合格
本書にある誕生祝宴、生死板、雷神や科挙試験などのモチーフは『生死牌宝巻』にもみられる。ただ、最初にある
子忠の誕生祝いは、『生死牌宝巻』ではいじめの最後の場面に移し、尤氏が祝宴で姉弟を毒殺しようとするくだりで
使われている。
上記のほかに、この物語は京劇を始め、各地方劇の劇目にも著録されているが、多くは上記の系統を引くもの、あるいは近年の新作または改作であるためここでは列挙しない。
以上の如く、この物語は、語り物や演劇などで広く演じられ、話に尾ひれがついて膨らみつづけてきたが、登場人物名から物語の大筋まで大差がないのが確認できる。これらの情節における個別の改変により、どちらの作品の成立
が早いかを断定することはもとより不可能であるが、嘉慶年間にすでに転抄されていた『賢良宝巻』の影響はまず度外視することができまい。
ここで、以上にあげた一連の作品における物語の影響関係を整理すれば、次のようになろう。『賢良宝巻』は、包公説話に由来する物語の話柄やモチーフ、道具立てを取り、作り出されたものである。この宝巻物語が、語られてい
くうちに再び俗文学、民間信仰の中に種を播き、新しい包公物語の素材として盛り場で語られ、戯劇化される。さら
包公信仰から観音信仰へ
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に、戯劇を始めとする各種の文芸で膨らまされた物語と従来あった古宝巻の要素を取り入れて、民国の宝巻の極盛期に、新宝巻として新たに改作された。これはつまり、『生死牌宝巻』である。現代地方劇でもお馴染みのいわゆる
「生死牌」物語は、こうして戯劇
・
語り物(小説( (古(宝巻 戯劇・
語り物 (新(宝巻と変転循環していたのである。三 『生死牌宝巻』における改編
に試る。かわがのるいてみを賢作改な達闊由自て、し『良たな旨主や成構のそら、がし宝にともを柄話の』巻りし加 『
・
語物と、るす較比と品る作す行先は、』巻宝牌死の生舞ロ追動移に意随をトップ登り、たえ変を名物人場台・拘泥せずに、ストーリーをより複雑化している。
標題に「又の名 鉄蓮花」と記していることからも分かるように、『生死牌宝巻』における改変の多くは、「鉄蓮
花」と題する語り物や演劇から影響を受けていると思われる。この点は、唱の表現において近似する箇所が散見することからも明かである。また、作品における頻繁な場面転換という展開方法も演劇からの借用であり、宝巻が芸能化
されていることを端的に示している。
『懲を非難し、包公が悪をら伯すという単純明快な母る賢わ良宝巻』の、兄の身替りめとなる弟を称え、甥を虐構
成に対し、『生死牌宝巻』ではこれに、夫を亡くした悲しみによる銭氏の病死、忠僕の凍死、毒殺未遂などの情節を交錯させながら、物語が紆余曲折を経てようやく結末にたどりつく。包公の裁判は、『生死牌宝巻』をより「宝巻ら
しく」するためか、その役柄が完全に観音にすりかわっている。また、一家大団円した後も、成人した姉弟の才子佳
包公信仰から観音信仰へ
人式の後日談が延々と唱い続くことは、当時流行りの弾詞のスタイルを連想させる。
しかし、この作品は巻首に「新出」と標示している通り、先行作品から影響を受けながら、独創的な点も少なくな
い。以下に例としてその特徴的なものを二、三挙げる。
『れ、い弱き者として描か夫のの死後やむを得ずに尼な力賢の良宝巻』では、弟の妻キるャラクターが子供を守寺
に出家することになっている。このような尼寺に出家する設定は、早期の宝巻の特徴として、宣巻者が多く尼姑、聴衆が多く女性、場所が尼寺か閨中であったなどのことを考えると、もっとも順当なものであると言えよう。尼寺が
迫害に苦しみ、辛酸を嘗める女性の逃げ道であることは古宝巻の常例なのである。『賢良宝巻』以降の語り物や演劇
も、この設定を踏まえながら、最後に包公が母子を再会させることによって事件の真相を暴くという伏線として活かされていると同時に、聴(観(衆の感動の涙をも誘っている。
さて、『生死牌宝巻』では、甥を虐める尤氏が絶対的強者と描かれているわけではなく、銭氏が裕福な一家を賢く切り盛りし、尤氏と対立するように設定されている。それゆえ、通行作品にある、やむなく出家することや、悲喜こ
もごもの母子再会などのこともありえなくなる。ただ、二人の子供が苦難を受けなければならないことから、銭氏が亡夫思いで一旦病死し、魂が観音の仙山へ連れられることになる。その後、観音の慈悲によって蘇生し、褒美として
二期(二四年(の寿命を賜る。子供の受難という発想は、大衆の熟知する『西遊記』の悟空一行が八一難を受けなければならないことから転用したと言えるかもしれないが、銭氏のキャラクターに対する大幅な改変は、江南地域の観
音信仰の反映であろう。また、銭氏が尤氏への対立行為を強調する趣向もおもしろい。このような家庭内の女性が、互いに譲らずに言い争う描写は、世間人情を描き映した明清白話小説の多くの場面を思い出させて興味深い。
さらに、兄弟分家を仲介する伯父(亡き母の弟(が道化役として登場するくだりも、言及すべき本書ならではの工
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夫である。
母親の兄弟は中国語で「舅
jiù
」(呉方言では「娘 ニャン舅 ジュ」(といい、娘舅は女兄弟の子供を「外甥」と呼ぶ。親戚関係の中で、娘舅が外甥を特に可愛がり、外甥も娘舅のことを特に親しみを感じるというのは庶民の共通認識である。「外甥打灯籠 照舅
zhàojiù
」(甥が提灯をかかげる 照旧zhàojiù
相変わらず(という歇後語があるように、外甥と娘舅は非常に親しい間柄であると同時に、言葉としても常に対として用いられる。そして、その親密な間柄ゆえに、外甥兄弟の諍いが起こった時、娘舅が仲介人として登場するのも、庶民の常識では暗黙の約束事である。
本書では、道化役として出番する「娘舅」の名は、ほかならぬ柴公道(裁公道 公道を裁く(という。仲介役に
ぴったりの名前であると同時に、ユーモアも込められており、観(聴(衆の笑いを誘わずにはいられない。こうした万人周知のことをさらに一ひねりして盛り込むという遊び心が、このくだりを一風変わったコメディに仕立てあげて
いる。この部分は明らかに、道化役の活躍を描写するために追加したものであり、作者(宣巻師(の苦心を窺うことができる。ただ、この後、痛々しい「甥いじめ」が進行する中で、近くに住むはずの「裁公道」がそれきり登場しな
くなってしまったのは、不自然であり、整合性を欠く憾みがある。
ほかに、債権者が子明から金を借りた理由は官職を買うためだというように改変し、弟
・
子安を看守する獄吏が茶代を待ちかねているエピソードを追加するのは、清末民国の時世を書き写したパロディーとして、構想されたものだといえよう。
こうした細部の改変
・
追加は、大衆芸能という場の要請であろう。大衆芸能においては、聴衆もしくは観客の興味を持続させるためにさまざまな工夫がなされるのが常である。上記のように、本筋とは無関係なお笑いが適当な間隔を置いて配置されるのは、さまざまな芸能、演劇に共通して認められることである。虐めの残酷さとお笑いの滑稽さ
包公信仰から観音信仰へ
を共存させる語り口、即ち、痛々しさ、不平、驚きによる緊張と、これを一挙に弛緩させ発散させる哄笑との巧みな組み合わせこそ、語り物芸能の聴衆が求めているものなのである。
この作品の面白さは、従来よく知られている甥いじめの物語に、同情、怒りによる涙と笑いを交錯させたということにあると言えよう。ちなみに、こうした改作はまた、小説や戯劇、弾詞の物語を母胎とする、芸能化された「新宝
巻」にしばしば見られることである。
これまで、『生死牌宝巻』における趣向を凝らした細部の改作・追加をいくつかあげた。次に、「生死牌」という道
具立ての改変を手がかりに、この物語の民間信仰との関わりを考えてみたい。
四 「生死牌」物語にみる民間信仰
既述した一連の物語の梗概を確認してみると、弟が兄に替わって受刑するというくだりにおいて、『賢良宝巻』で
は、単に吏員に金をやり兄の身替わりになる。河西地域の「烙碗計」物語では、兄弟で争うのは「聴天由命」と書いた一枚の板であるが、石派書『包公案鉄蓮花』では、さらに一ひねりして、「聴天由命」と書いた首かせという象徴
的なものになっている。そして、車王府曲本『鉄蓮花総講』では、生と死を書いた二枚の板に変わっている。(生(死を争う話が伝承、潤色されているうちに、「聴天由命」の板(あるいは首かせ(をへて、「生死牌(板(」を争って
取ることに定着した過程を見て取ることができて興味深い。このような道具立ての改変に、天が生と死を司るという民間信仰が垣間見える。
名裁判官包公はいわば中国の大岡越前とでもいうべき存在であるが、本質的に異なっているのは、包公が庶民伝説
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の中で、閻魔大王となって生命に対する報いを執り行い、宝物を用いて死者をも蘇らせる神通力を持っていることである。包公が没後、中国で古くから冥土の世界と見なされていた泰山の「速報司」になったという伝説が早くからあ
る
(((
(。「速報司」というのは、生前の行いの報いが速やかに実現するよう取り計らう、あの世の役人のことである。また元雑劇を始めとして戯曲・語り物(小説(の世界では、人間の生死を握る神格化された存在として、宗教的、民間
信仰の意味合いを持っている。つまり、包公がこの世の人間でありながら、天に代わって、生と死を司る力をも持っているのである。(生(死を争って兄弟の一人が亡くなり、遺された子供が伯母の虐めに遭う、という物語に包公が
実に相応しい登場人物と言えよう。『賢良宝巻』では標題に「仏説」と冠して「仏」の神聖さを標示しながら、物語
展開においては「仏の力に頼らず」に、決着を完全に包公に任せたゆえんもここにあろう。
しかし、『賢良宝巻』では包公のなすべきところが、語り物や演劇の中では、観音が全知全能の存在として登場
し、包公にお告げをしたりする設定となっている。さらに、江南地域の『生死牌宝巻』では観音が完全に包公に取って代わる。そして、その時点で作品の性格も裁判物でなくなり、単なる観音信仰仕立ての宝巻へと変貌した。
実は、上述する語り物や演劇に用いる、「鉄蓮花」というタイトルがすでに観音の活躍を暗示している。鉄蓮花と南海観音の関わりについて、江南地域では次のような伝説がよく知られている
(((
(。
唐末の日本人僧侶慧鍔は五台山より、明州(今の寧波(から乗船して観音像を日本へ持ちかえろうとした。途中、杭州湾普陀山の海面で急に強風が起こり、海に多数の鉄の蓮花が現れ船を阻んだ。これをきっかけに、普陀山の仏教
の聖地としての地位が築かれ、江南地域では南海観音が篤く信仰されたという。「鉄蓮花」を聴くと自然に観音が連想されるゆえんである。
『蓮かなるきっかけで「鉄花ら」という題名に変わっいか賢承良宝巻』の物語が伝さ品れていた過程で、どの作た
包公信仰から観音信仰へ
のかは、現在では考証するすべもないが、語り物や演劇の「作者」はこのタイトルに合理性を持たせるために、さまざまな前置きを作り出した。『包公案鉄蓮花』では、既述の如く、興味深い鉄蓮花の由来説を編み出し、当時の語り
の名手ならではの腕前をみせている。また、車王府曲本『鉄蓮花総講』も、冒頭に置かれている「紫竹林鶯歌声送金蓮湧海島並擁」云々は言うまでもなく、上記の鉄蓮花の伝説を踏まえている。いずれにせよ、こうした着想は、南
海観音にまつわる民間信仰に裏付けられているものに違いない。
江南地域における観音信仰が広くかつ深く民間に浸透していることは
(((
(、俗文学の作品の数からもその一端を窺う
ことができる。観音にまつわる話において、戯曲では『香山記』、小説では『南海観音全伝』、『全像観音出身南遊記
伝』などがあげられる。また、宝巻では、香山観音に因む話だけで『総目』の著録では三十三種にものぼる。これらの作品の多くは江南で刊行されていた。清末民国年間の江南地域の宝巻の盛行と観音信仰がメビウスの輪のように表
裏一体の相互関係をなしていたのである。
『りが、観音信仰の広まと信浸透によって、次第に「仰う賢公良宝巻』において、包がい人間の生死を司ると駆
逐」されていく過程を伺えて興味深い。『生死牌宝巻』がどのように先行する説話を受け継ぎ、変容したかという文学的流れの中では、このような民間信仰の対象の変換がみられる。
物語は語り継がれることによって、容易に他地域に広がっていく。仲の良い兄弟がおり、兄の後妻は悪人である、兄の身替わりとなって弟が死に、遺された子供が伯母の虐めに苦しむ。最後に、包公(観音(が登場して、悪者を懲
らしめて、善人を蘇らせる。この話の話柄をほとんど保ったままで、土着の要素が入ってくる、という伝播の仕方が見られる。ここで、事件に決着をつけるのが包公なのか、観音なのかによって、物語の性格が大きく変わってくる。
『生死牌宝巻』は包公と関係ない展開を設定されているが、実は、その背景には、包公信仰から土着の観音信仰への
包公信仰から観音信仰へ
18
シフトが見られる。『生死牌宝巻』における物語の時代と舞台の改変もこうした信仰を背景としているのである。『生死牌宝巻』は、江南地域での観音信仰を念頭に、その時代その地域で一番受け入れやすい地元バージョンに仕立てら
れたのである
((1
(。
付記
を加筆修正し、論考を加えたものである。 :本拙(究所、二〇〇五年の「化解説篇」の一部研文著『影搶生死牌宝巻は、印・籍翻字・注釈』(中国稿古
注(
( (( 澤田瑞穂『増補宝巻の研究』第三章「宝巻の変遷」三七頁(国書刊行会、一九七五年(参照。
( る。がある。((岩波文庫、一九八五年『板倉政要』や大岡政談に影響を与えたとされる。駒田信二による日本語訳『棠陰比事』 (( 撰。組ずつ対比され、合計七二が二収められてい栄万桂の宋話が戦の国から宋代に至る古今名件裁判の公案(判例(一南四四
( (( 早稲田大学図書館風陵文庫蔵。
( (( 車錫倫編著『中国宝巻総目』二〇九二一〇頁、北京燕山出版社、二〇〇〇年
( (( 前掲『総目』一四四頁に著録。
( (( 段平撰『河西宝巻続選』、新文豊出版公司、一九九四年。
( (( 王学斌纂集『河西宝巻集粋』、中国人民大学出版社、二〇一〇年。
( (( 張旭主編『山丹宝巻』、甘粛文化出版社、二〇〇七年。
( (( 『金張掖民間宝巻』、甘粛文化出版社、二〇〇七年。
(1(
酒泉市粛州区文化館主編『酒泉宝巻』第五輯一五三 一八一頁、甘粛文化出版社、二〇一二年。(
((( 「新宝巻」については、段平が次のように述べる。
「其中的迷信色彩取掉了。(中略(《烙碗計》、《紅灯宝巻》、《手巾宝巻》等等、共有五十種之多、是今日河西宝巻的主流、形成今日念巻的中心脚本」。段平著『河西宝巻的調査研究』三〇頁、蘭州大学出版社、
包公信仰から観音信仰へ
一九九二年。(
(((
方歩和編著『河西宝巻真本 校注研究』(蘭州大学出版社、一九九二(「河西宝巻探源」三六五 三八五頁を参照。(
((( 『俗文学叢刊』五四四冊所収、中央研究院歴史語言研究所、新文豊出版公司、二〇〇一年
(
(((
前掲四〇二冊、四〇三冊所収。(
(((
阿部泰記『包公伝説の形成と展開』(汲古書院、二〇〇四(三八二頁を参照。(
(((
詩は次の如くである。「手足堪念是同胞、誰似張公九世高。千朵桃花根一脈、釜中燃豆豆泣苗。続絃最須防姤婦、再醮心性狠如刀。世人参透書中書、免被他人作話嘲」。(
(((
志怪小説集『続夷堅志』巻一
(「包女得嫁」に見られる。中華書局、二〇一五年。
(
(((
清・康煕『定海県志』の蓮花洋の項にも、『普陀山志』から転引した次のような記録がある。「在県東往洛伽必経此。『普陀山志』
:倭人入貢、見大士靈異、欲載歸。海生鉄蓮花、舟不能行、懼而還之。
」(
(((
中国の観音信仰について、詳しくは塚本善隆「近世シナ大衆の女心観音信仰」(『山口博士還暦記念
( 五(を参照されたい。 印度学仏教学論叢』、一九五
(1(
清末民国年間、本来包公説話であったが、観音に取って代わった作品がほかにもいくつか見られる。一例として『龍鳳鎖』が挙げられる。尚書の子と豆腐店の娘の恋愛を描く物語で、最後に包公が登場するのだが、『龍鳳鎖宝巻』(抄本二巻、宣統三(一九一一(年(では包公を登場させていない。