『秋夜長物語』論
―― 石山観音信仰圏の物語として ――
金 有 珍
要 旨 『秋夜長物語』は石山観音の済度方便による瞻西上人(?~一一二七年)の発心遁世の由来を説く作品である。従来、本
物語は稚児物語の代表作とされ、稚児を中心に論じられてきたが、本稿では本物語が仏菩薩と稚児の方便一般ではなく、具
体的に石山観音の霊験を説こうとしている事に注目した。『秋夜長物語』は一四世紀半ばに成立しており、同時代の石山寺
の信仰状況やその周辺の文芸とも無関係ではない。書き手や読み手の属性が異なると見られる『うたたねの草子』との類似
は、石山寺という共通の舞台・信仰対象に由来するものと推定される。少なくとも両作品に共通の享受層がいた事は、同じ
く石山観音の方便を説き、本物語と『うたたねの草子』の両方を踏まえてなるとされる『はにふの物語』の存在から確認で
きる。本物語と『はにふの物語』とは、細部の内容の流れや表現が一致し、直接的な影響関係があったと考えられる。稚児
物語の枠組みの中で論じられてきた『秋夜長物語』であるが、これらの物語との交渉は成立圏の問題として注意される。
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『秋夜長物語』論(金)
はじめに
『秋夜長物語』は石山観音の済度方便による瞻西上人(?~一一二七年)の発心遁世の由来を内容とする作品である。
本物語は、稚児物語の代表作とされ、稚児物語というジャンルを代弁してきた。一方、物語の成立基盤と見られる石
山観音信仰はあまり注目されてこなかった。本稿では、本物語が石山観音の済度方便を説く事を主旨にしている事を
踏まえ、稚児の登場する説話・物語類との関係ではなく、同時代、石山観音信仰を背景とする作品との関係を詳しく
見ていくとする。
一、 『秋夜長物語』と石山観音
『秋夜長物語』の成立は、戒壇問題をめぐる比叡山(山門)と三井寺(寺門)の確執による七度目の三井寺全焼を
背景とする事から、その年に当たる文保三年(一三一九)以降、最古本の奥書にある永和三年(一三七七)以前とさ
れる。本物語には唱導的な語りの場を連想させる外枠があり、ある老翁の方便の物語として、瞻西上人の発心遁世談
が語られる。以下、その内側にある瞻西上人と稚児梅若との愛別離苦の物語を概観する。
瞻西上人は、もと比叡山の宰相律師桂海で、石山寺に参籠して真の発心を祈願していた。七日の夜、稚児の夢想を
蒙るが、その稚児に恋い焦がれるようになる。後日、再び石山へ参詣する途中、三井寺聖護院で夢とそっくりの稚児
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梅若を垣間見る事になる。その童の桂寿の仲立でやがて逢瀬が叶うが、その後、桂海は恋の病に臥す。これを心配し
た梅若は、桂寿を伴い比叡山へ出奔するが、唐崎で山伏に扮した天狗に拉致され、大嶺の釈迦が嶽の岩牢に閉じ込め
られてしまう。
三井寺では梅若の失踪を比叡山の仕業と憤怒し、長年の確執の原因であった戒壇を設立する。これを聞きつけた比
叡山は三井寺へ出向、やがて合戦に至り、桂海は我が故の合戦と奮闘する。一方、梅若と桂寿は天狗に捕られてきた
老翁(龍神)の助けで岩牢を脱出、三井寺が新羅明神社を除き全焼した事を目の当たりにする。石山寺に身を寄せた
梅若は入水を決心し、桂寿に手紙を持たせて比叡山へ向わせる。再会した桂海と桂寿は、手紙の内容に不安を覚え、
急ぎ石山寺へ向かうが、途中で梅若が瀬田の橋で入水した事を知る。泣く泣くその亡骸を荼毘にふし、桂寿は高野山
へ上り、桂海は諸国廻向の後、西山の岩倉で遁世する。
一方、戒壇設立を主導した三井寺の僧侶三十人は、新羅明神社で通夜し、明神が比叡山の日吉山王を歓待する夢を
見る。恨みを申す僧侶たちに対し、明神は、今度の事件で多くの人が仏道に結縁し、また、桂海が発心して人々を化
導する事を山王と喜んだとし、梅若は石山観音の変化で、事件の一部始終がその逆縁の方便であったと説き明かす。
瞻西上人は雲居寺を建てて来迎の儀式を営み、貴賤を問わず帰依されたという。
この内部の物語は後藤丹治氏により様々な説話や物語等と関係している事が指摘されてい
( 1
(る。新羅明神の話以前は、
『山門寺門確執記』(明応以前か)が二度目の三井寺全焼に引く「世伝云…」以下の伝承に酷似する内容が見え、天狗
の拉致や合戦等は『神道集』「上野群馬郡桃井郷上村内八ケ権現事」の後半とも類似す
( (
(る。また、本物語の叙述は『太
平記』と何らかの関係があるとされ、特に前半の恋物語の部分は、巻一八「一宮御息所事」と発想や表現が似ている。
『秋夜長物語』論(金)
加えて、梅若と桂寿が天狗に拉致され、龍の助けで脱出するという部分は『今昔物語集』巻二〇「竜王為天狗被取語
第一一」に類話がある。
後半の新羅明神の話は、二度目の三井寺全焼に付随して伝わる話で様々な類話が知られるが、近年、今野達氏によ
り、新羅明神の話と上人の遁世とが結びついているものとして『諸神本懐集』(覚如、一三二三年成立)所収の話が
指摘されており、物語に先行する類話として注目され
( (
(る。最後に、梅若の死を悼む上人の歌は、『新古今和歌集』釈
教部に入集されている実際の上人の歌である。
本物語がこのような構成要素をもとに全体的に石山観音の霊験を説いている事は、物語のあらすじからも見て取れ
る。しかし、先行研究においては、石山観音という具体的な背景はあまり顧みられなかった。本物語は、研究の初期
段階から稚児物語に分類され、石山観音の済度方便も稚児を中心に論じられてきたのである。すなわち、市古貞次氏
は本物語を稚児物語の代表作とし、その特徴として真の仏道に導くための仏菩薩の方便である稚児に注目している。
さらに、このような構造が同時代の他の物語にも見えるとしながらも、とりわけ稚児物語には済度方便の思想が顕著
であるとし、その背後には稚児への崇拝と男色の合理化が働いているとし
( 4
(た。つまり、石山観音の済度方便を説くと
いう本物語の主旨は、仏菩薩の化身となる存在であり、性愛の対象でもある稚児の特性に由来するものとされたので
ある。
御伽草子の分類を確立した市古の影響もあってか、以降の研究においても、本物語は観音の方便を説く話・物語の
流れのなかで、稚児との男色をもって本覚思想を説くものとして位置付けられてきた。たとえば、好色を方便とする
仏教説話の流れに位置づけられた
( 5
(り、「煩悩則菩提、生死則涅槃」をキーワードに稚児灌頂との共通性が指摘された
りしてい
( (
(る。さらに、阿部泰郎氏は「児をめぐる性愛が発端となり、児の受難によって〈聖なるもの〉が顕れるとい
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う普遍的な形、逆説的な構造」が、稚児の登場する中世の説話・物語に共通するとして、本物語もその一例として取
り上げてい
( 7
(る。総じていえば、稚児そのものが、このような物語の要とされているように見受けられる。
しかし、周知のように、中世の発心遁世談の中には、身内の死を善智識として遁世に至る話が少なくなく、その善
智識となった人物を神仏の化身と意義づける事も常套の手段である。さらに、このような物語の中には、特定の寺院
の神仏と結びついている作品もあり、たとえば、『くるま僧』は、清水寺や北野社を物語の舞台とするが、主人公の
くるま僧の遁世の善智識となった女を、清水観音や北野天神の化身でその方便としている。本物語もこのような発心
遁世談の一つであるといえよう。
前述したように、本物語は様々な説話・伝承を踏まえているが、これらの説話・伝承には石山観音に関する話題は
含まれていない。また、瞻西上人に関する史実・伝承からも石山寺との関係は見当たらな
( 8
(い。よって、物語を石山観
音の霊験譚としてまとめたのは、作者の創意であるといえよう。以下、物語がどのようにして諸要素を石山観音の霊
験譚としてまとめているかを確認する。
まず、石山観音の済度方便という物語全体の主旨は、冒頭の外枠の語り手の老翁の語りと、それと呼応する新羅明
神の説法に提示されてい
( 9
(る。
(老翁)「夫、春ノ花ノ樹頭ニノボルハ、上求菩提ノ機ヲスヽメ、秋ノ月ノ水底ニクダルハ、下化ノ衆生ノ相ヲ
アラハス。天語ナクツテ、物々皆顕示之。人、心アリテ、孳々トシテ豈不勤乎。若(シ)、人アツテ人問ノ八苦
ヲミテ、穢士ヲイトフ時ハ、煩悩則菩提トナリ、天上ノ五衰ヲ聞(キ)テ、浄士ヲ求(ム)ル時ハ、生死則涅
槃トナル。茲ニ諸佛薩埵ノ順逆ノ化導ヲタルヽ日、罪アルヲバ邪ヨリ正ニイレ、縁ナキヲ悪ヨリ善ニコシラへ
『秋夜長物語』論(金)
玉フ。ナニヲ以テカイフトナラバ、経論ノ諸説、書伝ノ載(ス)ル処、事シゲヽレバ申スニ語タエズ、近比、耳
ニ触(レ)シ事ノ、余ニ不思議ナリシカバ、面々ニ枕ヲ欹サセ玉ヱ。老ノ寝覚ニ、秋ノ夜ノ長物語一(ツ)申(シ)
侍ラン」(二三四頁・
(10
(下)
(新羅明神)「夫、神明仏陀ノ利生方便ヲタルヽ日、非ヲ是トシテ福ヲアタフルモ、真実ノ本意ニハアラズ。是
ヲ非トシテ罸ヲ行(フ)モ、慈悲ノ至(リ)ナリ。只、順逆ノ二縁ヲ以テ、ツイニ無上菩提ニヲモカシメンガ
爲ナリ。我悦(ブ)処ヲバ、シルベカラズ。仏閣僧房ノ焼(ケ)タルバ、造営スルニ財施ノ利益在(リ)。経論
聖教ノヤケタルハ、是ヲカクニ伝写ノ結縁アリ。有為ノ報仏、豈生滅ノ相ナカランヤ。只、此悲(ミ)ニ依(リ)
テ、桂海ガ発心シテ、若干ノ化導ヲ至サンズル事ノウレシサニ、観 (歓)喜ノ心ヲバアラハシツルナリ。山王モ是ヲ 賀 ヨロコバシメ給ハン為ニ来(リ)玉ヱリ。石山ノ観音ノ童男変化ノ得度、真ニアリガタキ大慈大悲カナ」(二五一頁・
下)
物語の意図は、老翁の言葉の傍線部に示されているように、仏菩薩の順逆の化導について経論や書伝ではなく、近
頃の聞いた話、つまり、瞻西上人の発心遁世談をもって説こうとするものである。仏菩薩の順逆の化導という主旨は、
新羅明神の言葉の傍線部にも繰り返されており、続く点線部では、仏閣・僧坊・経論・聖教の焼失という悪事が、む
しろ衆生を無上菩提に導くための石山観音の逆縁の方便である事が解き明かされている。つまり、本物語は諸仏菩薩
の順逆の化導のなかでも、特に石山観音の逆縁の化導を説いていることが分かる。
稚児梅若が石山観音の化身である事は、この新羅明神の説法で明かされるものの、物語の序盤にすでに暗示されて
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いる。夢想の稚児は仏殿の帳の内から現れており、それに少しも違わない稚児を垣間見るのは、再び石山寺に参詣す
る途中である。寺社への参詣の途次に神仏の化身に会い、その利生を被るという事は霊験譚の典型といえよう。なお、
類似性が指摘されている『太平記』巻一八「一宮御息所事」では、男が絵で見た美女に恋焦がれ、その絵と瓜二つの
女を垣間見る事になっているが、本物語では、石山参籠の際に夢で見た稚児に恋い焦がれる事になっており、石山観
音の夢の示現として話が整えられている。
さて、物語の前半と酷似する『確執記』の伝承は、次のようなものである。「世伝云、山徒律師桂海、沈二恋三井 寺児童一、而忍徘二徊彼寺林中一数度。或時、児出レ寺不レ知行方。聞二浮説一寺門徒騒噩、攀二登山上一焼二房社二三宇一。 山徒大怒発追二下之一、尚遂二合戦一終焼二三井寺一。此日保安三年閏五月三日云々〈覚基僧都之記同レ之、行誉記云五 月六日〉。後、彼児遁二出魔所一、聞下三井焼失、又父大納言屋宇為二寺門一所 (被カ)
レ焼事上。沈二身於勢多河一畢。桂海深発心、
於二洛東一建二立雲居寺一、号二瞻西上人一云々。秋夜長物語レ可レ為云二此事
(11
(
一」。 この伝承は最後に本物語に言及しており、後出のものではあるが、後藤氏は細部の異同がある事をもとに、物語の
成立以前にこのような伝承が存在していたと推測してい
(1(
(る。また、今野氏も本物語の前半と後半とで上人の遁世の理
由が一致せず、本物語の後半は『諸神本懐集』所収の話のような別途に典拠があると考えられる事から、後藤氏の推
測を追認してい
(1(
(る。よく似た話であるものの、『確執記』には石山寺や石山観音に関わる事項は見えていない。この
ような伝承が先にあり、それを石山観音の霊験談として構成したのが本物語だとしても矛盾はなかろう。
後半の新羅明神の話は、本来、戒壇問題による三井寺の二度目の全焼に対する三井寺側の意義づけを語るものであ
る。新羅明神は、焼失した仏閣経巻は重要ではないと説き、事件により真の道心を起こした者ができた事を喜んでい
る(あるいは守護する)としている。この話は二系統に分かれる十数の類話が知られる
(14
(が、そのうち、この際の発心
『秋夜長物語』論(金)
者として上人に言及しており、本物語の成立状況の一端を示しているとされる『諸神本懐集』所収の話を取り上げ、
新羅明神の言葉を確認する。
「ワレ、ハルカニ新羅ノ本国ヲステヽ、コノテラにキタリ住スルコトハ、堂舎・僧房ヲ守護セントニハアラズ。タヾ
出離生死ノコヽロザシアランモノヲ、マモランガタメナリ。シカルニ、コノタビノ炎上ニヨリテ、法滅ノ菩提
心ヲオコシタル僧徒アマタアリ。一定生死ヲハナレントス。ワガヨロコビ、コノ一事ナリ。コノユヘニ、ミヅ
カラモコレヲマモリ、眷属ヲツカハシテモ、コノヒトヲ守護スルナリ。仏像・経巻・堂舎・僧房ハイクタビモ
ヤクベシ。イクタビモツクルベシ。出離生死ノコヽロアルモノハ、マコトニマレナ
(15
(リ」
新羅明神は、焼失した仏閣経巻は重要ではないと説き、事件により真の道心を起こした者ができた事を喜び、それ
を眷属も自分も守るとする。しかし、本物語は、前述の点線部のように、仏閣僧坊を再建するための「財施ノ利益」
や経論聖教を書く「伝写ノ結縁」がある事を喜んでいるとし、また、桂海の発心ではなく、彼が発心して多くの人を
化導する事を喜んでいるとする。つまり、三井寺の立場に基づく意義付けから、石山観音の衆生への済度方便を説く
ことに話の主旨が変化していることが分かる。
他にも本物語には、全体の文脈とは無関係に衆生の救済を語る場面がある。梅若と桂寿が天狗の岩牢から脱出する
場面である。天狗に捕らわれ岩牢に投獄されてきた老翁(龍神)は、梅若と桂寿の涙を借りて龍の姿に戻り、二人を
乗せて牢屋を脱出するが、その際に先に天狗に囚われていた他の「道俗男女」の救出が描かれる。
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龍神、石ノ楼ヲケヤブリテ、児ト童ノミナラズ、所 (あらゆる)有処ノ道俗男女ヲ雲ニ乗(セ)テ、大内の旧跡、神泉苑ノ
辺ニゾ置(キ)タリケル。道俗男女ハ皆ワカレテ、此ヨリオノガ様々ニカヱリヌ。(二四七頁・上)
先行する『今昔物語集』巻二〇「竜王為天狗被取語第一一」は、天狗に拉致された龍の脱出を中心とするもので、
このような内容は描かれていない。新羅明神の話に鑑みると、この件も石山観音の衆生済度をほのめかす部分と言え
よう。
二 、 一四世紀頃の石山観音信仰と文芸作品
『秋夜長物語』の作者像については、『太平記』の制作に関わる人
(1(
(物、あるいは高野山と繋がる雲居寺関係の念仏
僧
(17
(や瞻西上人の流れを引く檀那院流の唱道
(18
(者等が挙げられてきた。しかし、本物語が全体として石山観音の衆生への
済度方便を説いている事を考えれば、ひとまず、石山観音への勧進・宣伝を旨とする者がその制作に関わっていると
見てよかろう。このような勧進・宣伝の姿勢は、当時の石山寺の信仰の状況とも関係していると考えられる。では、
一四世紀頃、石山寺はどのような状況にあったのだろうか。
まず、この時期、石山寺では『石山寺縁起絵巻』(以下『縁起』)の制作が進められていた。その詞書の下書きは石
山寺座主の杲守筆で正中(一三二四~二六)頃に制作されており、絵巻全七巻のうち巻一~三の詞書も同筆者のもの
でほぼ同時期の制作とされ
(19
(る。絵巻の制作には、皇室の外戚であり、石山寺座主を四人続けて輩出していた洞院家が
関わっており、その目的は、対抗していた西園寺家の公衡の発願による『春日権現験記』の制作意図に鑑みると、洞
『秋夜長物語』論(金)
院家の繁栄を祈願することにあったと推定されてい
((0
(る。『縁起』は石山寺の濫觴をはじめとして、その霊験譚を多数
収録しており、石山観音の霊験を知らしめるのを一つの目的としていたと考えられる。
また、紫式部の『源氏物語』執筆に関する諸説が石山寺や石山観音に結びつけられるものこの頃と見られ
((1
(る。まず、
紫式部の『源氏物語』の執筆の契機に関する説は、早く『古本説話集』や『無名草子』に見え、大斎院撰子内親王が
上東門院彰子に物語を求め、紫式部が新たな物語として『源氏物語』を執筆する事になったというものである。加え
て『無名草子』には、紫式部が仏に祈った験あって、『源氏物語』という傑作が書けたとする件があるが、永仁三年
(一二九五)成立の『野守鏡』には、紫式部が祈った対象を石山の観音と特定している。さらに、『縁起』巻四第一話
には『無名草子』と同様な起筆説を載せ、石山寺での七日籠りの際に物語を思いついたとし、執筆の場所を「源氏の
間」と名付けたとするなど、独自の伝承を盛り込んでいる。また、これらの説は『源氏物語』の注釈書の世界にも広
がり、貞治年間(一三六二~六八)撰進の『河海抄』にも『縁起』と同様な説が見える。
一方、『源氏物語』という狂言綺語の罪により紫式部が地獄に落ちたとする、いわゆる紫式部堕地獄説は、十二世
紀末頃から『源氏一品経』『宝物集』『今鏡』『今物語』等に見える。『今鏡』にはその弁護として、白楽天を文殊とす
る説に比肩し、紫式部は観音・妙音の化身で『源氏物語』はその方便であるとする件が見えるが、貞治三年(一三六四)
成立『原中最秘抄』には、同様な文脈の話が見え、「或(は)石山の観音の御ちかひにて作(り)出したりともいへり。
或は作者、観音の化身ともいへ
(((
(り」とあり、紫式部を観音の化身とする説と石山観音との繋がりが見えてくる。
紫式部の『源氏物語』執筆の諸説に端を発する石山観音信仰の状況は、同時代の文芸作品の創出にも多くの影響を
与えたと見られる。たとえば、一四世紀末~一五世紀初頃の成立と推測される能〈源氏供養〉の制作背景には、石山
寺における紫式部信仰があり、それを儀礼化した源氏供養の法会が存在していた可能性が指摘されてい
(((
(る。能〈源氏
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供養〉は同様な素材でなる御伽草子『源氏供養草子』とは異な
((4
(り、石山寺との関係性が明確で作品の舞台を石山寺に
設けている。安居院法印(ワキ)は「石山の観世音を信じ、常に歩みをはこび
((5
(候」と石山観音の信奉者として描かれ、
当の紫式部の幽霊(シテ)から石山寺での源氏供養を頼まれている。最後の地謡には「紫式部と申すは かの石山の 観世音 仮りにこの世に現れて かかる源氏の物語 これも思へば夢の世と 人に知らせん御方便 げに有難き誓ひ
かな」とあり、紫式部が石山観音の仮の姿で、源氏物語はその方便であると説いている。
また、御伽草子の中には『はにふの物語』『雁の草子』『伊香物語』『赤松五郎物語』など、室町期の石山観音信仰
を背景とする作品が多く見られるが、中でも『うたたねの草子』(以下、『うたたね』)には、このような一四世紀頃
の石山観音信仰の状況が大いに反映されていると考えられ
(((
(る。『うたたね』は所々で『源氏物語』を踏まえており、
全体として石山寺との関係が深く、石山観音の縁結びの霊験を説いている。主人公の姫君は夢で契った光源氏のよう
な男君に恋い焦がれて病になってしまう。姫君の兄の石山寺座主の僧都が祈祷にあたり、姫君も病気が治るなら石山
観音へ参詣すると御願を立てる。平癒後は、玉葛の例にならって徒歩で石山寺へ参詣し、隣の局の「紫式部が源氏の
物がたりつくりしその
((7
(所」、すなわち『縁起』のいう「源氏の間」で夢とそっくりの男君を垣間見る事になる。姫君
は女の身のゆえ名乗り出られず、瀬田の橋で入水をするが、偶然にも舟遊びで通り過ぎていた男君に救われる。男君
も夢の姫君に悩まされていたのであり、二人は石山観音の導きでめでたく結ばれるとある。
さて、『秋夜長物語』も一四世紀半ば、石山観音信仰を背景としてなる作品である。むろん、本物語は紫式部や『源
氏物語』に端を発する言説・信仰と直接的な関係は見られないが、このような信仰および文芸創出の状況と無関係で
はなかったのであろう。その一端を示すのが、本物語と『うたたね』との類似性であると考えられる。
周知のように、本物語は『うたたね』と類似するモチーフを持つ。一つは、夢で見た相手に恋焦がれ、石山寺への
『秋夜長物語』論(金)
参詣を契機にそれとそっくりの人を垣間見る事である。本物語では石山参籠の際に、夢の示現で見た稚児に恋い焦が
れるようになり、再び参詣の途中で、夢の稚児とそっくりの梅若を垣間見る事となる。『うたたね』では順番が逆で、
参籠の前にまず夢での男君との逢瀬があり、その後、石山へ参籠して男君を垣間見る事となっている。
もう一つは、瀬田の橋での入水であ
((8
(る。本物語では、入水を決心した梅若が、童の桂寿の不在の間、石山寺から瀬
田の橋に向かい、念仏を唱えて身を投げる。『うたたね』では、入水を決心した姫君が、お供の者と共に瀬田の橋を渡っ
ている途中、突然身を投げる。ちなみに、本物語の類話等には瀬田の橋での入水は描かれない。『確執記』では「勢
多河」で入水したとあるのみで、『神道集』の該当話には、稚児は物狂いとなって山中で死んだとある。
また、本物語と『うたたね』は冒頭の外枠を有する事でも同じである。前述したように、本物語には老翁の語りの
外枠があった。『うたたね』にも冒頭に、まず、小町の歌「うたたねに恋しき人をみてしより夢てふ物はたのみそめ
てき」を引き、「小町がいひけんは、たゞなをざりのあはれにて、まさしく身をなきになしぬるまでのたぐひやは侍
るに、さま〳〵の世のむかし物がたりには、いとふしぎなる事も侍る物かな」と、昔にあった命がけの恋の物語とし
て、内部の物語を語る形式をとっている。
一方、本物語は石山観音の逆縁の方便を説いているが、『うたたね』は石山観音の縁結びの方便を説くもので、で
ある。ただし、姫君が石山観音の方便に感歎しながら「逆縁」に言及する件がある。入水を決心した姫君が、夢で見
た男君の実際の姿を目にする事ができ、また、相思相愛の心も確認できた事を観音の方便のおかげとしながら、男君
と浄土で結ばれる事を祈る場面である。
さてもありし夢のおも影、まさしき姿を見るのみならず、互みの心のそこも残りなきやうに聞き侍る。まこ
- 1(0 -
- 1(1 -
とに観音の方便もいちしるく、後の世のしるべもたのもしくて、終りの心みだれず、逆縁とかやの、むつびも
むなしからで、一仏浄土にても、猶おなじ蓮の中にと、ほとけの御まえにてこまやかに念じ給ふ」(二八四~五頁)
傍線部の解釈については、子が親に先立つ意味での逆縁を踏まえて、「逆縁とかいう、子が親に先立つ薄い親子関
係であっても、その縁が消滅することなく、極楽浄土においてもまた、父と同じ蓮華の中に座れますように
((9
(と」と親
子の関係とするものがある。一方、悪縁が返って仏道への縁となる意味での逆縁も交えて、「親に先立つ悪因もかえっ
て左大将殿と阿弥陀の浄土で結ばれるの意
((0
(か」とするものもある。
確かに、前後の段で父親に先立つ事を嘆いてはいるが、物語の主題が観音の縁結びにあり、男君との相思相愛を語
る前の文脈から、傍線部を父親との事とするのは不自然ではなかろうか。また、親に先立つ悪事を男君と結ばれる縁
と祈るのも唐突に見える。ここでは男君の事に言及する前の文脈からすると、「(男女の)睦びという悪事がかえって
仏縁になり、男君と阿弥陀浄土の同じ蓮の上に生まれる事を石山観音の前で祈った」という事ではなかろうか。石山
観音の方便を語りながら、逆縁に言及している点、本物語と同類の発想として注意しておきたい。
他にも、両作品には細かい表現の共通が見られる。一つは、相手を垣間見た際の心境を表す表現である。本物語に
は稚児を垣間見た上人が、「是ヤ夢アリシヤウツヽワキカネテイヅレニ迷フ心ナルラン」(二三七頁・下)と歌を詠む
が、『うたたね』には、男君を垣間見た姫君が、「これぞみしや夢、ありしやうつゝ、せんかたなき心まよひには、声
もたてつべく(略)」(二八二~三頁)と述べる。この表現には典拠・類歌として、「これや夢いづれかうつゝはかな
さを思ひわかでもすぎぬべきかな」(『千載集』雑中・上西門院兵衛)、「見しや夢ありしや現、面影の、忘れずながら
遠ざかる」(『宴曲集』三・竜田川恋)等が指摘されている
((1
(が、両作品で状況や言葉が酷似する。
『秋夜長物語』論(金)
もう一つは、相手を見た際の描写に見える「遠山桜」という言葉である。まず、本物語には、夢の稚児が散る桜の 木陰に立っている姿を見て、「青葉勝 (ガチ)ニ縫シタル水干ノ遠山桜ニ、花二度咲キタルカト疑(ハ)レテ」(二三六頁・上))
という件がある。一方、『うたたね』では、男君が舟で救い上げた姫君を見て、「(略)きびはに匂ひやかなるまみつ
らつきは、霞に残るあり明のかげに、白みあひたる遠山桜を見る心ち」(二八八頁)がしたとある。前者は直接稚児
を比していったわけではないが、やや珍しい表現の一致といえるか。
三、 『秋夜長物語』から『はにふの物語』へ―石山観音信仰圏における物語の享受
『秋夜長物語』と『うたたね』はこのような類似性を持つ一方、叙述や文体においては差が大きく、作り手にはか
なりの隔たりがあったと見られる。本物語は、永和本など古い伝本には漢字片仮名まじりのものもあり、漢字や漢文
の表現が多用されている。一方、『うたたね』は平仮名で書かれており、いわゆる王朝物語的な作品である。このよ
うな異なる作り手の接点となり、両作品の類似性を生み出した背後には、石山寺やその信仰圏があったのではなかろ
うか。少なくとも本物語と『うたたね』に共通の享受層があった事は、同じく石山観音の方便を説き、両物語の影響
を受けてなるとされる『はにふ』の存在から確かめられる。『はにふ』の概要は以下の通りである。
大納言の一人娘は仏道に邁進し、縁談には興味がないが、親の悲しむのを見て、自分の知らない和歌を送った相手
と結婚するとする。多くの文が贈られてくるが、姫君の意に叶う文はない。その中、一条堀川の「はにふの小屋」か
ら送られた一通が入水を暗示していて気にかかるが、送った相手は見つからない。さて、姫君は仏道修行のために石
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山寺へ参籠するが、そこで一条堀川の文の主と見られる稚児の夢を見ることになり、また、実際の稚児も垣間見る事
になる。それがきっかけで恋に悩まされる事になった姫君の前に、稚児に仕える童の長寿丸の縁者である尼君が現れ
る。尼君の話から、稚児がもと南朝の近衛殿の公達で、姫君への恋で瀬田の橋で入水するも、亀に持ち上げられて命
が助かり、今は三井寺に滞在している事を知る。その後、稚児の事を祈りに石山寺に来ていた稚児の母君にも巡り会
う事となる。姫君は参籠の事が発覚して父の怒りを買い、出家させられる危機となるが、やがて稚児の母君や姫君の
乳母らの計らいで稚児と結ばれる。その後、姫君は男児一人を生み、若くして死んでしまう。姫君は実は石山観音の
化身で、恋の歌で人々を仏道に導いたという。
『はにふ』の成立は、南朝の公達を主人公とする事から応永年間(一三九四~一四二八)以後、伝本の本奥書に見
える明応六年(一四九七)以前とされる。物語の主眼は、姫君と交わされる歌やそれに関連する説話等にある一方、
結末で見られるように、石山観音の霊験を物語の軸としている。『はにふ』は、物語の大筋は『うたたね』に依って
おり、稚児に関わる部分は本物語を取り入れ、また、瀬田の橋で亀に救われるという事などは『伏屋の物語』と類似
す
(((
(る。
『うたたね』と『はにふ』の共通項については『うたたね』の注釈に詳しいの
(((
(で、ここでは本物語から『はにふ』
への直接的な影響関係があると見られる場面を詳しく見ていきたい。まず、石山寺に参籠の際、稚児の夢想を得る場
面である。本物語では、石山寺に道心を祈って参籠した七日目の夜に、稚児の夢を見てそれを諸願成就の証であると
喜ぶ。『はにふ』でも、姫君が同じ状況で稚児の夢を見るが、その稚児は以前から気になっていた一条堀川の文の主で、
返事を書いて送った袖を返される。
『秋夜長物語』論(金)
『秋』七日満(ジ)ケル夜、礼盤ヲ枕ニシテ、チトマドロミタル夢ニ、仏殿ノ錦ノ張 (帳)ノ内ヨリ、容色華灑ナル児ノ、
イフ計ナクアテヤカナルガ、タ (衍字)チ立(チ)出(デ)テ、散(リ)マガヒタル花ノ木陰ニ、立(チ)ヤスライタ レバ、青葉勝 (ガチ)ニ縫シタル水干ノ遠山桜ニ、花二度咲キタルカト疑(ハ)レテ、雪ノゴトクフリカヽリ、是ヲ袖
ニツヽミナガラ、イヅ方ヱ行(ク)トモ覚(エ)ヌニ、暮(レ)行クケシキニキヘ、サテミヘズナリヌトミヱテ、
夢ハスナハチサメニケリ。是則、所願成就ノ夢想ナリトウレシク思(ヒ)テ、マダシノヽメノ、アケハテヌマ
ニ立(チ)帰(リ)ヌ。(二三六頁・上)
『は』かくてほどなく、一七日にあたりける夜のあかつきがたに、すこしまどろみ玉へる御夢に、錦のと帳をを
しひらき給ひて、御とし十七八かとおぼしき御児の、くれなゐに梅をぬひものにしたりける水干に、大口めし
たりけるが、御手にきぬの袖をもたせ給ひて、「ことのは、いまはかへしてん」との玉ひてたまはりければ、何
とはわかねども、祈事のかなひけるよとうれしくて、たまはりぬとおぼしめして、ゆめうちさめにけり。(五七三
頁・
((4
(上)
両作品は、石山参籠の七日目の夜、少し居眠りした際に、稚児が錦の帳の中から登場する夢を見て、それを祈願成
就の証と思った点で共通する。詳細や文脈は異なるが、水干の様子や袖の事に言及する点も似ている。さらに、傍線
部は表現としても酷似しているといえよ
((5
(う。
次に、逢瀬に関わる場面でも類似する表現が二、三見える。まず、本物語の逢瀬の場面では、梅若が桂海を訪れた
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際に、案内役の桂寿が「書院ノ戸ヲホト〳〵ト扣 (たた)キ」(二四一頁・上)、梅若の到着を知らせる。『はにふ』では後半、
姫君が父親の怒りを買い、なかなか対面が叶わないところ、稚児が姫君の乳母の侍従を訪れて、姫君との対面を頼む
場面がある。その際、「つまどをほと〳〵とたゝくよそほひ」(五九二頁・上)がしたので、侍従が稚児の訪問に気づ
く件がある。また、本物語の逢瀬の場面には、稚児の髪に対して「ネミダレ髪ノハラ〳〵ト懸リタルハツレヨリ」(二四一
頁・下)という件があり、『はにふ』の同場面にも姫君の髪について「(略)御ぐしの、はら〳〵とこぼれかゝるさま」
(五九三頁・下)という件がある。他にも類例が多い表現ではあるが、両物語の類似性からはやり相関関係があると
見るべきか。
次に、本物語では、梅若が病になった桂海を心配し、桂寿に桂海のもとへ連れていけと泣きつく場面がある。梅若
は、「ユクヱモシラヌアダ人ノ、只云(ヒ)捨(テ)シコトノ葉ヲ実ニシテ、吾ニ心ヲツゲシモ、タガセシ態ゾヤ。
今ノ程ニ、我ヲシルベニ (ママ)テ、イカナル山ノ、イヅクノ浦ナリトモ、尋(ネ)行(ケ)」(二四二頁・下)といい涙を流
す。『はにふ』では、姫君が乳母の侍従に稚児との対面を頼み、「いまはめのとにこそ、こころやすくも、又たのもし
くも思侍れば、いづくのうら、野の末、山のおくにも、我をつれさへ玉へ。いまは人めもつゝまれず」()とすがる。
これに続く侍従の心内語には、「かやうにては、いかなるひまにも、御所中をしのびいでさせ給ふ事も侍らば、いか
様の御あやまちもありて、御身をうしなひ給ふ事も侍るべし」(五九四頁・上)とあるが、この件は、本物語の以降
の展開で、梅若が出奔し、結局、入水で命を落とす内容を踏まえたものと見られる。
殊に、入水の場面前後には内容や表現の類似が多く見られる。まず、本物語では、入水を決心した梅若が童を見送
る心境の描写に、「是ヲ限トハヨモシラジト、哀ニ」(二四八頁・上)思ったという件がある。『はにふ』では、入水
を決心した稚児が、身の守りに文を結んで形見として尼君に渡して出かけるが、後に尼君がこの事を回想しながら、「い
『秋夜長物語』論(金)
まをかぎりの御いとまごひなりけると、後にこそ思ひはせられて」(五七九頁・上)と述べる件がある。
次に、比叡山についた桂寿は、桂海に梅若の文を渡す。開けて見ると、入水を暗示する和歌があり、桂海と桂寿は
急ぎ石山寺に向かう事になる。『はにふ』では、尼君が身の守りを形見と渡された事をあやしく思い、そこに結ばれ
ていた文を開けてみたところ、入水を暗示する和歌を発見する。尼君は急ぎ長寿丸にこのことをいい、同じく川に入
水しようとする彼を説得して、稚児を探しに行かせる。この身の守りは、本物語では梅若が入水の際に橋に残した形
見として登場するものである。その描写を見ると、「若公ノ、イツモ御身ヲハナタデ懸(ケ)給(ヒ)シ金襴ノホソ
ヲノマモリ、碧瑠璃ノ□ (念珠カ)□ヲソヱテ橋ノ柱ニ被懸タリ」(二四九頁・上)とある。『はにふ』で尼君が「御はだのまぼ
り」(五七八頁・下)の和歌を発見する場面には、「金襴の御まぼりのをに、ひきむすばせ給ひける物を、とりひらき
てみれば、一首のうたあり」(五八〇頁・上)とある。
続いて、石山寺に向かっていた桂海と桂寿は、途中、ある旅人から稚児の入水の事を聞く。旅人は瀬田の橋で、
一六、七に見える稚児が「西ニ向(ヒ)テ、念仏十反計(リ)唱(ヘ)テ、身ヲナゲサセ給テ候ツル」(二四八頁・下)
事を目撃したといい、川に入って稚児を助けようとしたが、結局、見つけられず「チカラナク」通り過ぎてきたと語
る。『はにふ』でも、稚児は「西にむかひて手をあはせ(略)念仏十ぺんばかりきこえて、橋よりしたにぞしづみ給
ひける」(五七九頁・下)とある。また、石山寺での通夜を終わらせて帰ろうとしていた三井寺の衆徒がそれを目撃し、
助けようとしたが、水に沈んでしまい、「ちからなくて」、この事をそのあたりで騒いでいたとある。
瀬田の橋に着き、梅若の形見を発見した桂海と桂寿は、同じく身を投げようとするが、同宿などに止められる。桂
海は、その死骸でも見つけてから死のうと、繋ぎ捨てられていた「小船」に乗って梅若を探し始める。なかなか見つ
ける事ができず、供御の瀬という所まで下ったところ、赤く紅葉のたまっていると見えて、岩の影にかかっているも
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のに舟を寄せてみると、無念にも梅若の死骸が浮いていたとある。前述した『はにふ』の場面のうち、童の長寿丸が
稚児の入水の歌の事を聞き、自分も川に飛び込んで死のうとするのを、尼君が取り付いて止めたとする件は、この辺
の影響であろう。一方、『はにふ』で稚児の発見の場面は、三井寺の衆徒たちが集まって騒いでいたところ、川裾に
赤いものが浮いているのが見え、舟で近寄ってみると、亀に乗っていた稚児であったとある。
『秋』「桂海ハ、ツナギ捨タルアマノ小船ニ乗テ、淵ノ底ヲ臨ニ(略)供御ノ瀬ト言(フ)処マデ求(メ)下(リ)
タレバ、セカレテトマル紅葉ハ、クレナイ深キ色カト見(エ)テ、岩ノ影ニ流(レ)カヽリタル物アルヲ、船、
指(シ)ヨセテ見タレバ、アルモ空キカホバセニテ、タケナルカミ、ナガレモニミダレカヽリテ、岩コス波ニ
ユラレイタルヲ、泣〳〵取(リ)上(ゲ)テ(略)」(二四九頁・上下)
『は』「はるかなりける河すそに、いとあかく、物のうかびて見えけるほどに、舟さしよせてみたりければ、紅
の水干にぬひものしたりけるに、大口きたまひて、そのまゝ御身をなげさせ給ひ、しづみかねさせ給ふかと見
たてまつりければ、大なる亀のこふの上にのり玉ひて、なぎさによりて、恙なくておはしけるほどに、是まで
御とも申なり」(五八一頁・上)
河に浮いていた赤色の物体を発見し、舟で近寄って稚児である事を確認して、それを乗せて戻るという流れは一緒
である。本物語で梅若が赤色の紅葉に見えたのは、入水の際に「紅梅ノ小袖」を着ていたからであり、『はにふ』も
これを踏襲したのであろう。
『秋夜長物語』論(金)
最後に、両作品は同じく稚児/姫君を観音の化身でその方便としている。本物語の場面は第一章で述べたとおりで
あり、『はにふ』では物語の最後に、「彼石山の観音の御方便にて、ひめ君変化し、恋を以てうたのたねとなし、無常
のこゝろをおこさせて、菩提の道にひきいれ玉はむとなり」(五九九頁・上)とあり、姫君は石山観音の化身で、恋
の和歌を方便に親や男君をはじめ文を交わした人々を仏道に導いたとする。狂言綺語も讃仏乗の因とするものであり、
『うたたね』には見えないもので、本物語の逆縁の方便とも相通じるものがあるといえよう。加えて、本物語の外枠は、
語り手の老翁が「仏種、縁ヨリヲコルトハ、カヽル事ヲゾ申スベキ」(二五二頁・下)と語って涙をながすと、聞い
ていた人々も感涙を流したとする所で終わる。この表現は『はにふ』の最後にも見え、「仏種は縁よりおこるとあれば、
ゑんによりて信心ぶかき所に、その徳あるべきなり。これをしらせ給はんために、大慈大悲のかりに夫婦と現じ給へ
ば、ありがたき御事どもなり」(五九九頁・下)と締めくくられている。
おわりに
『秋夜長物語』における済度方便の主旨は、稚児の登場する説話・物語のなかで論じられ、神仏の化身であり、性
愛の対象でもある稚児の特性に由来するものとされてきた。しかし、本物語は様々な構成要素をもとに石山観音の霊
験譚として構成されており、石山観音という具体的な信仰対象の衆生への済度方便を説くものである。
本物語のこのような姿勢は、その成立時期である一四世紀頃の石山観音信仰の繁盛やそれを背景にする文芸の創出
の流れとも無関係ではないと考えられる。現に、本物語との類似性が指摘されている作品のなかには、『うたたねの
草子』や『はにふの物語』のように、近しい時代の石山観音信仰を背景とする作品がある。『うたたね』とは夢や瀬
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田の橋での入水のモチーフの共通が知られていたが、他にも、同様な場面における和歌の酷似や細かい表現の類似が
確認でき、また、冒頭に前置きがあり、内部の物語をその例話としている形式も同じであった。本物語と『うたたね』
との間に共通の享受層がいた事は、両作品の影響を受けて成るとされる『はにふ』の存在から確かめられる。本物語
と『はにふ』とは稚児の夢想や入水の場面などにおいて、内容の流れだけではなく、表現にも酷似するものがあり、
直接的な影響関係があったと考えられる。
これらの共通性や影響関係の背後には、石山寺やその信仰圏での話の流布や交差があったと見てよいのではなかろ
うか。稚児物語の枠組みのなかで語られてきた『秋夜長物語』であるが、より具体的な共通項を持つこれらの作品と
の関係も成立圏の問題として注目すべきである。
〔注〕
(
1
)後藤丹治『中世国文学研究』(磯部甲陽堂、一九四三年)、六五~八三頁。(
(
)福田晃「群馬八ケ権現説話の形成」『神道集説話の成立』(三弥井書店、一九八四年)。(
(
)今野逹「中世小説―秋夜長物語―」今野達・佐竹昭広・上田閑照編『岩波講座日本文学と仏教』九(岩波書店、一九九五年)。
(
4
)市古貞次『中世小説の研究』(東京大学出版会、一九五五年)、一三六~一三七頁。(
5
)濱中修「秋夜長物語」攷―性による救済譚―」『室町物語論攷』(神典社、一九九六年)、初出(一九九一年一二月)、注3、今野氏前掲論文。
(
(
)廣田哲通「『秋夜長物語』考―仏教文学研究の一事例として―」『中世法華経注釈書の研究』(笠間書院、『秋夜長物語』論(金)
一九九三年)、初出(一九九〇年三月)。
(
7
)阿部泰郎「神秘の霊童」『湯屋の皇后』(名古屋大学、一九九八年)、初出、一九八五年一〇月・一一月)。(
8
)上人にまつわる史実・伝承については、宮地崇那「実在人物の物語化―瞻西上人と『秋の夜長物語』―」『国学院雑誌』六二・一(一九六一年一月)に詳しい。
(
9
)この部分が物語の主題として呼応している事については、注6廣田氏前掲論文に指摘されている。(
10
)本文は『室町時代物語大成』一(角川書店、一九七三年)所収、永和三年写本による。旧字は常用漢字に改め、( )で読み仮名・送り仮名等を補い、濁点・句読点を付した。以下、本文の引用は同じ方法による。
(
11
)本文は複製版『改定史籍集覧』(すみや書房、一九六八年)による。(
1(
)注1
後藤氏前掲書。(
1(
)注(
今野氏前掲論文。(
14
)渡邉信和「「新羅明神発心者悦事」考」馬淵和夫博士退官記念説話文学論集刊行会編『馬淵和夫博士退官記念説話文学論集』(大修館書店、一九八一年)。
(
15
)大隅和雄校注『中世神道論』(岩波思想大系、岩波書店、一九七七年)、一九六頁。(
1(
)高乗勲「永和書写秋夜長物語について」『国語国文』二四・一〇(一九五〇年一〇月)、平沢五郎「秋夜長物語攷」『斯道文庫論集』三(一九六四年三月)。
(
17
)注(
福田氏前掲論文。(
18
)注8
宮地氏前掲論文。(
19
)梅津次郎「研究資料京都国立博物館「石山寺絵詞」」『美術研究』二二六(一九六三年一一月)。- 170 -
- 171 -
(
(0
)梅津次郎「石山寺絵考」『美術史』六(一九五二年七月)。(
(1
)源氏物語の執筆に関する諸説は、伊井春樹『源氏物語の伝説』(昭和出版、一九七六年)第一章・第四章に詳しい。
(
((
)本文は池田龜鑑編『源氏物語大成』七(中央公論社、一九五六年)による。(
((
)小林健二「能《源氏供養》制作の背景―石山寺における紫式部信仰」『国文学研究資料館紀要』三七、二〇一一年三月。小林氏は、源氏供養の法会に使われたと推測される礼拝用の紫式部画像(石山寺蔵)の成立時期が応
安元年(一三六八)あるいは正長元年(一四二八)であり、この時期が能楽の大成の時代とも重なるとしている。
能〈源氏供養〉の成立時期の目安と考えてよかろう。
(
(4
)天理大学図書館蔵『源氏供養草子』は例外的に聖覚を石山観音の化身とする。(
(5
)本文は『謡曲集』上(新潮日本古典集成、新潮社、一九八六年)による。(
((
)『うたたね』は小絵の伝本がある事から、文明頃の成立と推定されてきた。ただし、物語内部の時代背景は鎌倉初期であり、鎌倉期の王朝物語『木幡の時雨』との共通要素も指摘されている(阿部好臣「うたたねの草子論
―付・校注並びに注解 稿」『国文学研究資料館紀要』八、一九八二年三月)。あるいは当初の制作は鎌倉初期で、
後に改作された作品であるか。
(
(7
)本文は『室町物語』上(新日本古典文学大系、岩波書店、一九八九年)所収、高松宮家本による。(
(8
)むろん、『うたたね』の入水は本物語との関係のみで語り得る問題ではない。入水した姫君が舟遊びの男君に救われるという設定は『木幡の時雨』に前例が知られ、両作品には他にも石山の乳母や石山での男君との出会い
など、多くの共通点があるとされる。また、『伏屋の物語』には、琵琶湖に沈められた姫君が母の魂である亀に
『秋夜長物語』論(金)
よって、瀬田の橋に救い上げられる場面がある事が知られる。真下美弥子「はにふの物語」論」福田晃編『日
本文学の原風景』(三弥井書店、一九九二年)参照。
(
(9
)市古貞次編『お伽草子』(日本の文学・古典編ほるぷ出版、一九八六年)、二五三頁、沢井耐三氏訳。(
(0
)注(7
前掲書、二八五頁、田嶋一夫氏注。(
(1
)前者は市古貞次校注『御伽草子』(日本古典文学大系、岩波書店、一九五八年)、四六四頁・頭注一、後者は注(7
前掲書、二八二頁・注一四。他にも、阿部好臣「うたたねの草紙―伝本とその注解補訂」『語文』七三(一九八九年三月)にいくつかの類歌が指摘されている。
(
((
)市古貞次「はにふの物語」『未刊中世物語解題』(楽浪書院、一九四二年)、『うたたね』が『はにふ』に先行する事は、注
(8
真下氏前掲論文。(
((
)注((
阿部氏前掲論文および注(7
前掲書。(
(4
)本文は『室町時代物語大成』一〇(角川書店、一九八二年)所収、刈谷市立図書館蔵本による。(
(5
)さらに、本物語の最初の傍線部のうち「チト」と「張」(帳)は、伝本によってはより一致する表現となっている。慶長元和頃片仮名古活字本「少」「戸帳」、同平仮名古活字本「すこし」「とちやう」、東京大学蔵嘉吉二年
本奥書の明治一五年小田清雄模写本「少し」、天理大学図書館蔵本「スコシ」、狩野文庫蔵本「戸帳」等。
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