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泰山信仰の歴史的変遷に つい て

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Academic year: 2021

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泰山信 仰の歴史的変遷に つい て

教科・領域教育専攻 社会系コース 王 淑 貞

はじめに

本研究では、古代において山岳崇拝から 発展した泰山信仰について述べ、主に皇帝 による公的な信仰から民衆の信仰への変遷 について論じた。泰山に関する先行研究を 時代別(古代から現代まで)、国別(中国 ・

日本)に挙げ、今までの研究課題をまとめ た。本研究では、先行研究を踏まえ、泰山 信仰の実態及び歴史的変遷を検討する。特 に東岳大帝を巡る皇帝の国家的な信仰から 碧霞元君を巡る民衆の信仰への変遷現象及 び民間の参詣形式の現状について考察する。

第一章 泰山信仰について 第一節 山岳崇拝について

本節では、泰山信仰の原初形態であり、 中国における古くからの山岳崇拝文化につ いて考察した。山岳への崇拝の主な要因は 二つあると考えた。その一つは、高い山が、

直観的に蒼空と繋がり、神霊を宿すところ として認識され、畏敬の対象となったため である。そのこは、山が生きていく上に必 要な生活資源を提供してくれるためである。

第二節 '泰山信仰の形成及び発展

山岳崇拝から発展した泰山信仰の形成に ついては、地理的な特徴(中原にあって東 方に当たる)、文化的な特徴(古代以来多く の文人や著名人の登山の対象となり、賛美 された)、政治的な特徴(皇帝による封禅が 行われた)から考察した。その泰山信仰の 発展については、秦の始皇帝、漢の武帝が 泰山で封禅を行い、不老長生を祈った東学

指 導 教 員 大 石 雅 章

大帝信仰に始まり、その後子授け、産育育 児などを叶えてくれる女神碧霞元君信仰に 信仰の中心が移った。

第二章 東岳大帝信仰と封禅 第 一 節 東 岳 大 帝 信 仰

本節は泰山に主神として杷られた東岳大 帝の名称と起源について考察した。東岳大 帝の名称については、古来「泰山府君J、「泰 山元帥」、 「泰山神」等とされ、各名称につ いて文献を挙 げ分析した。東岳大帝の起源 については、主な説を五つ挙げ、考察した。

第 二 節 泰 山 封 禅

本 節 は三項目に分け、泰山封禅に関する 概念及び意義、秦漢における封禅、歴代に おける封禅について考察した。

封禅の概念及び意義

「封 禅」というのは、山頂で行われた 「封」

と山麓にある正で行われた「禅」の祭りとい うこつの部分からなったものである。その 意義では天に受命を受けた天子、つまり皇 帝が皇代交替となった際に、泰山で、行った 祭礼である。

2、秦漢における封禅

まず(1)秦の始皇帝における泰山封禅 の実態について考察した。秦の始皇帝によ って行われた封禅の目的は、三つで、あると 考える。 一つは、公的な国家の守護を願う 公的な祈りのためである。 二つ目は、個人 の延命長生を願う私的な祈りのためである。 三つ目は国家の巡察を兼ねて、東にある祖 先を探すためである。

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次 に (2)漢の武帝における泰山での封 禅の実態;こvついて考察した。漢の武帝にお ける封禅の目的は、不老長生を祈りとあわ せて、国家統治の業績を誇るためで、あった。

主に漢の武帝が封禅による政治的な意義三 つについて論じた。

最 後 に (3 )歴代の皇帝における封禅の 実態に、ついてー考察した。棄の始皇帝、漢の 武帝の以後、泰山で封禅を行ったのは、後 漢の皇帝光武帝、唐の高宗、麿玄宗、そし て北宋の真宗であるとみられる。その呂的 において、明らかに秦漢と違いが存在する。

それは、不老長生を祈る意義が薄くなり、

政治的な面、つまり国家の強大さと経済の 繁栄を誇り、周辺の国々に脅威を与えるこ

とに比重が大きくなると考える。

第三三章 碧霞元君:信仰とき葉山番杜 第 一 節 碧 霞 元 君 信 仰

本:節は、碧霞元君信仰の縁起、及び展開 について考察した。

1、碧霞元君信仰の縁起

碧霞元君信仰の縁起については従来様々 な説がある。代表的なものに宋の真宗が最 後の封禅を行った後、泰W‑I王女池で発見し た一石像が碧霞元君であるとする。もう一 つの代表的な説は、日本の津田瑞穂氏によ れば、そもそも漢の時代に男女二つ石像が 既に置かれ、その後宋の真宗が偶然に再発 見したとするものとする。

2、碧霞元君信仰の展開

宋の時代に、「昭真市司jを建つ、金の時代 に、「昭真観」を建つ、明の成化、弘治、嘉 靖年間三回も改造修理し、「碧霞霊佑宮Jと いう名前を"つけた。そのように、年を追っ て増改築されてゆき、香火も盛んになった。

第 こ 節 泰 山 香 社 。 香 税 l 、泰山香社

泰山香社の形成、発展及ひ手実態、について

考察した。(1)泰山香社の仕組み、進香の 時期及び地域分布についての考察では、泰 山香社は一つ村或いは周辺数ヶ所村から結 成され、「社首

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会首」とも¥1づ)という

リーダーが一名、「収首jという世話役が二 名から玉名が置かれる組織である。;参詣時 期は主に「春香j と「秋香」と呼ばれる春 季と秋季である。地域分布としては主に運 河沿いを中心とする地域に集中している。

次 に (2)泰山香社の活動について考察し た。泰山へ出発する前に、「焼信香」と「誌 社」の祭儀を行うc 出発する直前の晩に、

「守夜jとしづ風習がある。泰山に到って、

行った祭犯は責ぎ品を神像の前、に陳列し、 貢ぎ品の目録を唄う。祈る行事は「祈願」

と「還願jである。帰りには「接頂j とい う迎え儀礼を行う。

2、泰山香税

碧護元君信仰の興隆、参詣者の増大を背 景ーに、 151 6年から 1735年まで、二 百余年にわたって泰山の参詣者から徴収し た税金即ち泰山香税の実態を考察した。

おわりに

これまで、の泰山信仰についての各側面に おける研究をまとめ、次の課題を提示した。

「若手山信仰Jと「伊勢信仰Jは皇帝による 記られる国家神から一般民衆へ広がってい た経緯が類似していること、「泰山香社j

「伊勢講」は両者とも参詣をするために結 成された信仰団体組織であること等が幾っ か類出な性格が見られると考える。今後の 課題としては、先行研究を再検討するうえも 現地調査による、その異同点を明らかにし たいと考えている。

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