「『ケアの倫理』からの、合衆国フェミニズムの再 構築‑‑関係性を中心とした人間像からのリベラルな 個人主義批判」特集によせて : 部門研究1
著者 岡野 八代
雑誌名 同志社アメリカ研究
号 53
ページ 99‑101
発行年 2017‑03‑31
権利 同志社大学アメリカ研究所
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015377
99
部門研究 1
「『ケアの倫理』からの、合衆国フェミニズムの再構築
― 関係性を中心とした人間像からのリベラルな個人主義批判 」 特集によせて
代表 岡野 八代
部門研究 I では、本研究テーマへと引き継がれた「グローバル時代におけるア メリカン・リベラルな個人像の脱主体化に向けて―フェミニズム / ケア / 母的文 化」研究以降、2012 年度より同志社大学アメリカ研究所から助成を受け、合衆 国のリベラリズムを中心に規範とされる主体像を批判的に考察してきた。今回研 究成果として報告される 5 論文のテーマ以外にも、フェミニズム経済学における ホ経モ・エコノミクス批判、契約に代わる「贈与」を中心とした社会構想、そして、済 的 人 間 社会科学において軽視されがちな女性の身体性をめぐる論争や女性に対する暴力 の問題などを巡って、法哲学・歴史学・政治思想・社会学・地域研究・マスメディ ア論など、多岐にわたる分野を横断しながら、5 年間にわたり議論を積み重ねて きた。研究会では、研究分担者の専門研究の報告に限らず、女性学会への参加、ジェ ンダー法の第一人者へのインタビューの実施、専門家を招いた研究会、そして共 通の課題図書の報告会など、本研究をめぐる問題意識の共有に努めてきた。
フェミニズム研究という学際的な共同研究であるため、他領域の研究分担者と の議論のなかで、合衆国におけるフェミニズム運動自体の多様性、歴史性、そして、
わたしたちが生きる日本社会へのリベラリズム規範の影響の在り処など、研究会 のたびに新たな発見に遭遇した。今回の 5 本の論文は、そうしたわたしたちの共 同研究の成果である。
野崎論文は、部門研究の出発点とでもいえるリベラルな主体と、現実社会とを 往来する。まず、規範としての「個人」像の意義が丁寧に分節化されたのち、〈ど こから、どこまで〉が国家によって尊重されるべき法的主体なのか、わたしたち の生の〈始まり〉と〈終わり〉に着目する。部門研究のテーマであった、ケアの 倫理の立場からの批判に答える形で、リベラルな国家――個人の尊重と他者の承 認を基礎とする――においては、個人の尊重は自己決定の尊重という形で具体化 されると論じられる。問題は、その自己決定をどのように尊重するかである、と。
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脆弱でケアを要する存在にも敏感な、関係性を重視するリベラルな立場から野 崎論文が、出生前診断に着目しながら、自己決定が迫られる社会状況を注意深く 精査する必要を論じるのに対して、影山論文は、看護の現場の声を救い上げるこ とで、決定が他者(看護師)との応答のなかから生まれてくることに注目する。
自らの身体に関する決定がままならない主体(患者)に代わって、決定を迫られ る家族の不安の只中で、担当医のように決定権があるわけではない看護師が、患 者のため、そして家族のためにする決定とは、いったい何なのか。言説分析を通 じて、自分にとって重要な他者の命をめぐる、大切な決断であればあるほど、そ の決定は、単独の主体から生まれてくるわけでは決してなく、他者と共にあるこ とから生まれてくることに注目し、責任の分有という概念が導き出される。
上記二論文が、家族の身体性をめぐる自己決定の揺らぎに焦点を当てていると すると、野口論文は先住民女性たちの養子問題を取り上げることで、自己決定権 を奪われてきた女性たちの運動史とその意義に新しい光を当てている。
野口論文が指摘するように、「生殖と子育ての問題」をめぐって、白人中心の 第二波におけるプロ・チョイス派の主張は、合衆国の歴史的文脈に位置づけるな らば、一部の女性たちの意見にすぎず、むしろ、植民地主義とも闘ってきた先住 民女性たちは、部族の一員としての「生き残り」をかけて、産み育てる権利を主 張する。また、養子縁組問題は、アメリカの主流社会への同化政策の一環であり、
同化政策のなかで先住民女性の部族内での役割や発言権を大きく縮小させた歴史 を辿ることで、野口論文もまた、「責任の倫理」、そして「再生と再来の連鎖」を 見いだしていく。そこには、女性個人としてのみの権利主張ではなく、社会の一 員として発せられる、子育てへの権利主張という意味があった。
このように合衆国におけるフェミニズム運動の多様性は、内藤論文が紹介する、
マリアンネ・ヴェーバーから見た第一波フェミニズム運動期の社会からも見てと ることができよう。とりわけ、階級が存在しないという合衆国社会の特徴が、ア メリカ人女性たちの生活と運動にどのような影響を与えていたのか、そして、第 二波とは異なる歴史状況において、その運動にどのような特徴が見られるのか、
異国のマリアンネの目を通してだからこそ、その輪郭がより鮮明に描かれる。
女性たちが中心となって運営されるセツルメント運動、労働者と市民層との連 携、女性高等教育のあり方など、連邦レヴェルの社会政策として貧困対策や労働 者保護が――ドイツからみれば――遅れる一方で、だからこそ公的領域への参加 が許されなかった女性たちが活躍する場が広がっていたともいえる。現在「母性 主義」は、フェミニズムの文脈においてはネガティブな評価を受ける傾向がある。
しかし、移民の流入が激しく、未だ苛烈な資本制の下で、第一波フェミニズム期 になぜ合衆国では母性主義が根強かったのか、その歴史的意義について再考が必
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要なのかもしれない。
岡野論文は、1960 年代後半から興隆する第二波フェミニズム運動以後の理論的 変遷を、21 世紀のネオ・リベラリズムの席捲という時代背景のなかで再考する試 みである。とりわけ、マルクス主義との理論的対決がその後のフェミニズム理論 に与えた影響について精査することは、80 年代にフェミニズム理論が分裂してい くような様相に対して、新しい光を与える。80 年代のバックラッシュの時代にお いて深化したフェミニズム理論は、社会正義や平等という理念が、政治的統制力 を失う現代にこそ、再読される価値があるのだと説かれる。そこには、女性たち が家庭内で果たしていた役割の社会的評価、新しい倫理の誕生、労働概念の再構 築、そしてリベラリズムが前提とする主体像への根本的な批判へとつながる萌芽 がすでに根づいていた。
部門研究 1 を通じてわたしたちは、野口がいうように、「個人主義的な社会、
あるいは核家族を子育て(さらには広く社会的弱者のケア)の単位とするアメリ カン・リベラリズムの中で打ち立てられた社会形態に挑戦」する理論について、
それぞれの研究領域から検討を加えてきた。その成果をこうして公表する機会を 与えていただいた同志社大学アメリカ研究所、そしてなにより研究分担者のみな さんに、研究代表者として深く感謝したい。