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近大生が教員をめざす理由―恩師は彼らに何を語ったのか―

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Academic year: 2022

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1.はじめに

私は平成30年度末で、近畿大学教職教育部でお世話になって丸4年が終わった。まだまだ近 畿大学での経験が乏しいことから、本学がこれまでどのようにして教員養成に携わってきたか について詳しくは知らない。知っていることは教職教育部が発足して30年になること、そして これまでの多くの先輩教員や大学関係者の方々のご努力のおかげで、教員採用試験においても ある程度高い実績を保持していることなどである。

この教員採用試験での実績に関しては、教職ナビとよばれる近畿大学独自の学生団体が大き な役割を果たしていると実感している。この教職ナビがどのようにして結成されたのかや、ど のような活動を実施してきたのかについては他に譲るが(例えば、石川、2007;田中、2014な ど)、 教職ナビに所属する学生たちが主体となって合宿や面接練習会などを実施することを通 して、互いの意識や専門性などが高まっているものと推察する。このような、学生の自主的な 活動をベースにすえた本学特有の活動が、教員採用の道を切り拓いているといえよう。

さて、この教職ナビが実施している面接練習で面接官をして感じることがある。それは、学 生が語る教員の志望動機の中で、予想以上に多くの学生が、これまでに出会った恩師に影響を 受けた結果、教員を志すようになったと語っていることである。一見、その教員に憧れて教員 をめざすという話は当たり前のことのようであるが、今の私にはとても新鮮に思える。なぜな らば、私が教員をめざしていたころは、“金八先生”や“熱中先生”などが人気を博するなど、

現在と比較すれば教員に対する尊敬や憧れなどは確実にあったといえる時代であった。一方、

現在は“教員の多忙化”や“モンスターペアレント”などという言葉がある通り、学校がとて も厳しい職場環境であるということが世間一般に浸透している時代である。このような困難な 職場環境の中に飛び込んでいこうと考えるには、余程の動機付けが必要だと考えられるのであ る。このような環境に進んで乗り込んでいこうとする多くの学生たちの動機付けが、恩師との 関わりから生じているとすれば、その恩師から受けた影響力には計り知れないものがあると感

近大生が教員をめざす理由

―恩師は彼らに何を語ったのか―

吉 川 武 憲*

*近畿大学教職教育部准教授 〔キーワード〕近大生、学校教員、志望動機、恩師

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じるのは私だけではないであろう。

私は、学生たちにそれほどまでに強烈な影響を与えた現場の教員が、どのような教員だった のかを暴いてみたくなった。その教員が行ってきた教育の中に、その学生に対してそれほどま でに影響を与えた何かが隠されているはずである。おそらくそれは、その教員と生徒との信頼 関係といえる程度のものではなく、“憧れ”に近いものだと想像する。 この“憧れ”の対象と なる教員は、私の経験からすれば多くはないが、確実に存在する。そのような教員には、やは り生徒をとりこにする教員としてのすばらしい魅力が備わっているのだ。

ここでは、学生たちにそのような意識をもたせることができた教員の素顔を明らかにして、

その魅力の奥底に潜むその教員の人間性や教育のあり方に迫ることをめざす。そのため、教員 を志望する理由が恩師に対する憧れであった学生の中で、私が特に印象に残った者に対し、1  時間程度の聞き取りを行った。そして、そこでの内容を私なりにまとめることで、児童・生徒 に対して憧れを抱かすことになった経緯やその教員の言動等に迫る。これらはこれから教員を めざす者に対しても、あるいは子どもたちとの人間関係づくりに苦労している現役の教員に対 しても、重要な示唆を与えてくれるのではないだろうか。本稿では、紙面の関係上、聞き取り を行った学生の中から、3 

人の事例についてのみを紹介する。

2.自分たちのやりたいことをやらせてくれた先生

 Aさんが教員を志望した理由

Aさんは和歌山県から2時間以上もかけて本学に通っている小学校教員希望の女子学生であ る。人の世話をよくするとても真面目な学生だという印象が強い。彼女が教員の志望動機とし て私に語ったのは、次の通りである。

私は、小学校六年生の時に出会った恩師に憧れて、教員をめざすようになりました。その恩 師はかなりベテランと呼ばれるような先生でしたが、教室の中の誰よりもパワフルで、昼休憩 には忙しい時間を縫って私たちと遊んでくださりました。それまでも私は学校が大好きな子ど もでしたが、 その先生に担任をしてもらった一年間は、本当に「毎日先生に会いたい」「夏休 みが早く終わってほしい」と思うほど、学校が大好きでした。(中略)しかし、私が高校2年 生の冬にその先生が亡くなり、今まで生きてきた中で一番大きいショックを受けました。長い 間立ち直れずにいた時に、先生のことをたくさん思い出して、「やっぱり先生のような人にな りたい」と思い直しました。そして、「こんなに人の人生に大きくかかわれる職業は教員しか ない」と思い、小学校教員をめざすに至りました。

この志望動機を聞いて感じたのは、Aさんがなぜそこまでこの先生に会いたいと思ったのか

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ということである。一緒に遊んでくれた程度のことでは、これほどの意識にはならないという ことは容易に想像ができた。そして、Aさんが高校2年生のときに訪れた恩師の死。おそらく Aさんは恩師の死と向き合う中で、その先生が自分に与えてくれたことを思い出し、それが小 学校教員を本格的にめざす強い動機付けになったのであろう。彼女にとって10年も前の小学校 時代の出来事が、なぜそれほどまでにAさんを突き動かしたのだろうか。

 Aさんに対する聞き取り(Y:筆者、A:Aさん)  は筆者が加筆

Y:Aさんの志望動機を聞かせてもらうと、小学校6年生の時に担任してくれた先生の影響が ものすごく強いことがわかるんだけど、その先生がどんな感じの人だったかちょっと教え てよ。

A:4月の最初の日に、義理のお母さんのお葬式か何かでその先生は学校に来られてなかった ので、「どんな先生なんやろ?」「55、6 

歳のおばあちゃんみたいやで」ってみんなでそん なふうに噂してて。2 

日目に楽しみにして職員室まで見に行ったら、見た目は普通の56歳 なんですけど、「わーみんな6年生?」って話しかけてくれて。 その笑顔が忘れられなく て。その時にもう大好きになって。クラスの中で一番初めに「けじめをつけたら、先生は 行き過ぎないところまではみんなに何も言わないから、自分の好きなこととかやりたいこ とをやる1年にしましょう」って言って。お昼休みにみんなで遊ぼうって、全部自分たち で企画したら、先生も一緒になって遊んでくれて。先生は授業中も休憩中もクラスの誰よ

りも明るくて、いっつも楽しい雰囲気を作ってくれる先生でした。

Y:楽しい雰囲気をつくるってどんな感じ?

A:子どもがちょっとふざけた時でもそれを怒るのではなくて、ちょっとはノってあげるとい うか。一緒に面白いこと言ったりとか、授業中でも自由な発言を許してくださるっていう か…。それで上手にまた授業に戻していく感じで、怒ることも少ない先生でした。

Y:小学生くらいだったら特にそうだと思うけど、授業が脱線した時に先生が一緒にノってい くと、なかなか戻らないことが多いと思うんだけど、そんなときでもきちんと元に戻すこ とができる先生だったのかな?

A:子どもからもすごく慕われてたんで。先生が「授業戻るで」って言ったらすっと戻るって

感じで。クラスの雰囲気がまず良かったんで、先生の言うことはちゃんと聞いてたように

思います。

Y:でも、その先生が何もしないのに慕われることはないはずじゃないかな。子どもたちはこ の先生だから「先生の言うこと聞かないと」とか思ったはずなんだと思うんだけど…。だ から脱線してもすっと戻っていったと思うんだけど。その先生が慕われていた理由という か、要因というかは、今考えてみたらわかる?

A:すごく褒めてくださる先生で。例えば、朝一番にクラスの子の話をするんですよ。朝の会

で毎日。

Y:どんな話?

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A:例えば、「昨日○○さんが、 何も言ってないのに窓を閉めてくれてて嬉しかったです」っ て。

Y:クラスの子のいいことばっかり?悪いことも?

A:悪いことは言わなくて。「職員室で○○先生が、○○さんのこと褒めてくれてたよ」って

言ったり、「いいクラスやねって褒めてくれてたよ」みたいな感じで。褒めるばっかりじゃ なくて「面白かったね」でもいいんですけど。クラスの子の話をしたり、クラスのことを 話したりして。褒めてくれるっていうのが、子どもだから純粋にすごく嬉しくて。褒めて くれるし、よく遊んでくれたなっていうのをすごく覚えてて。他の先生だったら丸つけと かで忙しいけど、休憩時間になったら外に行って一緒に走り回って遊んで。同じような位 置で遊んでくれるから慕われてた…みんな大好きで…

Y:なかなかそんなことはできないよね。

A:難しいな~。そんなことするのはって思います。

Y:私もそんなことできないな~。大変だよ。子どもと一緒に。しかも小学校6年生位の子と 一緒に遊ぶっていうのはすごく大変だと思うけどな。なぜ、その先生はそんなことをした のかな?

A:遊びの中で子どもたちの様子とかも見てたのかなって思うんですけど…友だち関係がうま

くいってない時に先生が一緒に入って、 小学校6年生の子どもなので、誰と誰がうまく いってないなっていうのがすぐわかったんだと思うんですよ。私とあまりうまくいってな かった友だちが先生に呼び出されたり、 私も呼び出されたりして。 何も言ってないけど

「今どうなってるん?」って聞かれる…

Y:遊びを通して先生が肌で感じてたのかもしれないね。

A:「みんな仲良くしてるかな?」って見るっていう意味もあったのかなって。

Y:遊びの中に一番表れるのかもしれないね。小学生くらいだったら特にね。けじめのつけ方 みたいなのはどう?授業の中で。ただ「授業戻るよ」って言うだけ?

A:ここまではグループ活動とかで楽しく活動しても、すっと授業に戻るとか。友だちを傷つ

けないとかのルールを守ったら、 授業中だけじゃなくて○○活動みたいな中で、「クイズ 出す班」とか自分でグループを作って。夏だったら「怖い話を週に1回します」みたいな 怖い話が好きな子が集まってやるとかも。 自主的に「サークル作っていいですか」って 言って。「どんなサークルなん?いいよ」って先生がけじめをつけて、「クラスのルールを ちゃんと守れるんだったら、自分たちの好きにしていいよ」って言ってくださって。そう 言うのも楽しかった記憶があります。

Y:そのルールを守れなかったこともあるよね?例えば、守れなかったことに対して、先生は どう対応したか覚えてる?

A:先生は長々と怒るんではなくて、帰りの会に「こういうのがあって」っていうのを言うん

ですけど、ヒステリックに怒るんではなくて静かに諭すように言ってて。それも1年前の

先生がすごいヒステリックな先生で、授業を潰して何時間でも怒るような先生で、その落 差が…。子どもに分かるように簡潔に怒ってくれる先生だったので、聞こうっていう気持

ちにもなって。先生の話ちゃんと聞かないとって思う叱り方でした。

(5)

Y:例えばどんな叱り方?簡潔に言うけど、叱るっていうのは難しいんだよね。具体的に言う とどんな叱り方?

A:「なぜそれがダメだったのか」っていうのを考えさせるような叱り方だったのかな…「こ

れはあかんやろ」って先生が一方的に言うだけじゃなくて、「こういうことがあったんや

けど、何でこれが問題になってるんやろう?何でやと思う?」みたいな感じで、何で怒ら

れているか、何でこれをしたらダメなのかっていうのを先生から言うんじゃなくて、子ど

もたちから引き出して。「クラスのルールにここが反してるねんな」っていうのを。 友だ

ちを傷つけたらいけないとか生き物を傷つけたらいけないっていうのを「守れてないよ ね?」って理由を考えさせてたと思います。

Y:なぜ、その叱り方の方が効果的だったか、今なら自分でわかる?それの方がよく効いたん でしょ?ヒステリックに言われるよりも。

A:怒られてるだけだったら、先生の価値観というか、子どもは何も考えずに先生の価値観を

押し付けられてるみたいな感じで、「これあかんのや」って萎縮してしまうみたいなこと

があると思うんですけど、子どもたちに考えさせたら「何であかんのか」「これはみんな で考えたクラスのルールだから守って、同じことはせんとこ」って考えるからかなって思 うんですけど。

Y:先生の価値観を押し付ける方が、 先生にとっては非常に楽なんですよね。「ダメ」って。

手間がかかるのよ、考えさせるっていうのは。

A:手間を惜しまない先生だったのかなって。クラスの仲を取り持つというか、仲のいいクラ

スにしてくれて、本当にいいクラスだったんですけど、そういう意味でもそういうところ に手間を惜しまない先生だったのかなって。

Y:子どもは「それはダメ!」って言う先生の話は聞かなくて、「どうしてか考えてみなさ い」って言う先生の話を聞くっていうのは、先生の姿勢として後者の方が、子どもを完全 に信頼してるってことなんじゃないかな。子どもは判断ができないから「ダメ」って教え てあげるんじゃなくて、「自分でわかるんだから考えてみなさい」って言ってるんだよね。

そういう風に考えたら、そうやって言われたら子どもの立場として「私たちを信頼してく れているんだな」って感じるのかなって思ったんだけど。

A:「みんなわかるやろ?」って…

Y:「みんなわかるやろ?」って聞いてくれるんだよね。「どう?」って。ということは教育の やり方として同じことをしても、子どもが「自分のことを信じてくれてる」って感じるよ

うに指導することが大切だということを示しているのかもね。

A:言葉には出来てなかったんですけど、信頼されてるっていう感じが子どもに伝わってたん じゃないかなって、私も思います。

Y:だから信頼を裏切れないなって思うから、授業中に先生が「さあやるぞ」って言ったら、

頑張るとかね。あれだけ一緒に遊んでくれる先生だから、「この楽しさをぶち壊したくな いな」とかね。それから、その先生にAさんは文章も褒めてもらったんだよね?

A:それまで文章書くのが好きで、4 

年生の時の先生も褒めてくれたんですけど、その時に文 章を書く仕事がしたいなって思ってて。誰にも言わなかったんですけど、自分でも文章書

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くのが得意だなって密かに思ってたんですけど。その先生が日記とか作文とかを見て「す ごい上手やな」「○○はこんな文章書けるんやな」って褒めてくださって。 それをすごく 覚えていて。先生から見てこう言ってもらえるんだったら、私が思っているだけじゃなく て、本当に得意なのかなって自信を持てて。「国語も好きだな、文章書いてみよう」って。

自由に書いてって言われても抵抗なく書けるようになって。中学、高校と国語が好きって 思って。その自信がずっと中高大と続いていったかなって思います。

Y:他の子も同じように日記書いたりしてるでしょ?その中で優れてたんだろうけど…

A:頑張ろうっていう気持ちがあったから、作文の宿題だけはきっちりやっていたというか。

「うまいって言わせたろ」「先生に褒めてもらお」みたいな感じで書いていたところもあっ たので。それを褒めてもらえたのがまた嬉しかったかなと。

Y:その褒めてもらったのが、その後10年くらいたっても活きてるんだね。Aさんは文章をそ の先生に褒めてもらったんだけど、反対に今度自分が先生の立場だと考えたら、子どもの 何を褒めてあげたらいいかって言葉にできる?

A:頑張りとか、この子が自信持っていることとかを、褒めてあげたらいいのかなって私は思

うんですけど。教育実習中も、本当に字が汚くて漢字のノートも「何。この字?」ってい

う子に、ちょっと「この字上手やな」「この字頑張って書いたな」って言ったら、次の日 から「今日は全部昨日褒めてくれた字の気持ちで書いたで」って朝一番に持ってくる子が いて。その子はみんなから見たら丁寧に書けてる字でも上手でもないんですけど、「この 字上手やな」って頑張りを褒めてあげたら「これでも褒めてもらえるんや」って自信持っ

て書くかなって思いました。

Y:その通りだと思うよ。でも難しいのは子どもの頑張りを見つけることだと思うんだけど…

「これ頑張ってます」って言ってくれたらわかるんだけど、さりげなく頑張ってるところ があったりとか。でもそれを見つけてくれた時とかに「あの先生私のことよく見てくれて るな」って感じると思うんだよ。この先生はどうやって見つけたと思う?Aさん1人だけ を褒めてたんだったら、普通の先生の話になるんだけど。クラスに30人、40人いて、その 中でAさんだけじゃないでしょ?的確に褒めてもらってたのは。そういうことをいろんな 子にしているから、その先生が信頼されて、子どもたちも頑張ろうっていう気持ちになっ ていったんだ思うんだけど。いろんな子の頑張りを見つけるのって大変なのよ。この先生 が何かコツを持ってたんじゃないかなって思うんだけど。コツというか、何だろうな…。

的確に褒めるってことはとても難しいことなんですよ。頑張ってないことを「頑張ってる ね」「すごいな」って言っても、 子どもにとっても良くないことになると思う。 何もやっ てないのに褒められたら、「俺はやらなくていいんだ」ってなるんだよね。下手に褒めた らこれは逆効果になることいっぱいあるんですよ。でも、頑張ってることを見つけてくれ た時は、それは子どもにとって快感だと思うよ。きっと次につながる。この先生どうやっ てみつけたんだろうなあ。多分、他の子にもいろんなこと言ってると思うよ。どうしてこ の先生は、あの子がこれを頑張っているなっていうのがわかったかってことだよね…感覚 的なことかもわからないけどね。

A:難しいですね。

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Y:これは宿題だね。これはあなたへの宿題。先生がくれた宿題だと思ってこれから考えてみ てよ。いい宿題だと思いますよ。子どもの頑張っていることを見つけて的確に褒める。難 しい。私もなかなか出来ない。でもこの先生は出来てたんだと思う。いいクラスをつくる 先生っていうのは、これがほとんど出来てると思う。それとさっき先生が「○○(Aさん の名前)はこんな文章書けるんやな」って褒めてくれたっていったでしょ?何でこの言葉 が残ってるの?

A:わかりやすく書こうと思ってた…

Y:わかりやすいねって言ってくれた?自分はわかりやすく書こうと思ってた?

A:何も言ってなかったんですけど、いい文章を書くねって、いい文章を書こうと思ってたの で…

Y:まさに的確だね。この言葉だけでも、的確な言葉はそんなに長く言わなくていいんだね。

それだけ言って人生変わるんだから。すごいね。それと、ここで気になったのは、○○っ て名前で呼ばれてるよね?同じ言葉で言われたとして、名前で呼ばれるとAさんって言わ れるのとどう?

A:名前で言われた方が、私が褒められてるっていう気持ちになるんかな…

Y:そうなった?

A:今はそれがどうなのかわからないですけど、その先生は名前で呼ぶ先生で。特に褒めてく

れる時は名前で呼んでくれたのかなって。

Y:特に褒めてくれてる時に名前で呼ぶ。前に聞いた去年の4年生も、名前呼ばれて「○○は ここの高校があってるよ」って言ってくれたんだって。その時に自分の名前を呼んでくれ たことがものすごく嬉しかったらしいんだよ。今Aさんが言った通り。自分のことを親身 に思ってくれてるっていうのを言い方で感じるらしい。「あなたの文章はわかりやすいね」

より「○○の文章はわかりやすいね」って言ってくれた方が自分に響くんだね。相手にき ちんと伝えようとしたら名前で言うっていうのは、心に刻まれるよい方法なのかもわから ないね。

A:勉強になります。来年から。

Y:ここぞっていう時に、こうやったらいいのかもわからないね。1 

人呼んで話をする時とか。

進路の悩みがある子を呼んだりとかしたら。私はあまり意識したことがなかったのよ。こ ういうことは。じゃあ次の話ね。小学校時代はそうやってきて、卒業してからも先生に会 いに行ったりしてたんでしょ?

A:その先生がずっと母校にいらっしゃったので、小学校に行ったら会える。部活早く終わっ たりしたら先生のところに遊びに行って、ちょっと話聞いてもらったり。顔見れるだけで もいいんですけど、先生に友だちと一緒に会いに行って話したりとか。ずっと。先生が58 歳くらいで退職なさったんですけど、それが私が中3の時で、その時はお花持って行った 時に携帯の番号交換してもらって、それから連絡とってご飯みんなで一緒に食べに行って。

その1年後くらいに亡くなってしまったんですけど。それまでは何かあったら先生に会い に行ったりとか。自分が先生がきっかけで先生になりたいって思ったんで、その話をしに 行ったりとか結構会いに行ったりして…

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Y:先生としたら、卒業生が会いに来てくれるっていうのはものすごく嬉しいことだよ。

A:周りの子もその先生が好きなので会いに行ったりとか。今は先生亡くなってしまったけど 同窓会とかしたら先生の話になって。「楽しかったな」「いい先生だったな」って話すんで すけど。それくらい私だけじゃなくてみんなからも慕われてた先生…

(中略)

Y:それで、Aさんが高校2年生の時に先生がお亡くなりになったんだね。早かったよね。病 気だったの?

A:前からずっと貧血気味って言われてたんですけど、それが病気だったみたいで。私も貧血 気味で小6の時「先生も貧血気味やねん」みたいな感じで仰ってたんで。退職して2年後 くらいにそれが原因で手術中に亡くなったみたいな感じで。本当にいきなりで、身内が亡 くなったよりもショックで立ち直れなかったんですけど。

Y:今はがんばって立ち直ってきたんだと思うんだけど、どうやって立ち直ってきたの?

A:受験に入っていく時だったので、やっぱり先生みたいな先生になりたいって思って。思い 出すのもそうですし。勉強にその気持ちをぶつけるというか…

Y:先生のことを思い出して立ち直ってきたんだろうけど、何をどう思い出して、どう力に変 えてきたの?

A:最後に先生と会ってご飯食べた時に「今、小学校の先生めざして勉強してます」って言っ たら。

Y:それはいつ頃?

A:それは高校1年生の時で。

Y:その時には小学校の先生めざすって、自分でも決めてたんだね。

A:その時はずっと小学校の先生になりたくて、「先生の影響を受けて、先生になりたいと思っ た」って言ったら、先生が「○○(Aさんの名前)やったら絶対いい先生になるから、夢 諦めやんと頑張って」って言ってくれて。その言葉とかも思い出して、やっぱり先生にな ろうって思って。先生がそう言ってくれてたから、先生みたいないい先生になろうと思っ て。それが一番大きかったです。

Y:先生みたいなっていうのは、具体的に言葉にしたらどんな先生?

A:子どもから、味方だと思ってもらえるような先生になりたいと思って。信頼できるという か、この大人は信頼できるなって、子どもに思ってもらえる人になりたいなって。そんな 先生になりたいなって。

Y:まねしたいことある?この先生の。

A:まねしたいことはとにかく明るく、子どもたちの個性というか…覚えてるのが自分の顔が めちゃくちゃ嫌だった時期が小6の時にあって。ほくろがいじられるというか。本当に嫌 だって。 その時に1人呼び出されて「世界に1つしかないあなたの顔で、 私はめちゃく ちゃ好きやから、自分でそんなん思わんといて」っていう風に。先生に何も言わずとも先

生がわかってくれて。

Y:その時も先生に、いじめられてるとかって言いに行ったわけではなくて?

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A:言いに行ったわけじゃなくて。いじめられてたわけではないんですけど、面白がって同級 生が言うのに、「自分の顔嫌いとか嫌って言わんといて」って怒られて。それもすごい覚 えてて。個性とかを大切にするっていう意味でも見習いたいなと思います。

Y:すごいことをいろいろ教えてもらったね。それで、小学校の先生をめざしたと。小学校の 免許取るのは大変だったと思うんだけど…どうだった?

A:大変でしたね。和歌山から通ってるんで。

Y:どれくらいかかるの?

A:2時間半…長瀬からもここまで結構歩きで遠いんで…2時間半かけて6限の授業だったら 夜の11時くらいに帰って。

Y:終わって普通に帰っても11時

A:11時なんで、友だちとみんなでごはん食べに行くってなっても、私は行けずにっていう時 もあったんですけど。週に2回くらいあったりして結構しんどかったんですけど。

Y:しんどいよね。

A:そうですね。レポートもテストもあって。

Y:それを乗り越えてこれたのも…

A:小学校の先生になりたいっていう気持ちと、その先生に背中を押してもらったからってい うのが…

Y:最後に。もし今天国にいる先生に言葉を届けるとしたら、今の率直な気持ち、教員採用試 験終わって、今現在の気持ちを先生に伝えるとしたらどんな言葉伝えます?

A:「先生に憧れて、私も来年から先生になることになりました。 先生がいつも私の味方でい てくれたみたいに、子どもみんなの味方になれるような、先生みたいな先生になるので見 守っててください」って伝えるかなと。

Y:ずっと見守ってくれてると思いますよ。今もね。

 Aさんへの聞き取りを終えて

まず、Aさんの恩師の先生についての話の中でとても印象に残ったのは、一緒に遊んでくれ たということである。それも50歳を超えた先生がである。体力的にもきつかったであろうが、

何よりもこの行為が子どもたちにとってうれしいことだったに違いない。しかし、この先生の 目的は、一緒に遊んで子どもたちと仲よくなることだけではなかったのであろう。子どもたち との遊びを通して、個々の子どもの状態を敏感に、しかも的確に捉えていた。Aさんが文章の 上手さを褒めてもらったときも、ほくろのことで悩んでいたときも、Aさんから何も言わずと もわかってくれたのは、その証拠である。この教員としての力量には恐れ入ってしまう。

また、 4 

月の最初の言葉がこの先生の教育方針を端的に表している。「けじめをつけたら、

先生は行き過ぎないところまではみんなに何も言わないから、自分の好きなこととかやりたい

(10)

ことをやる1年にしましょう」と言ったこの言葉を、10年ほど経った今でもAさんは鮮明に覚 えている。それは、この言葉にうそはなかったという証拠でもあろう。しかし、自分たちの好 きなことをやらせることがすばらしいわけではない。そのような価値観を持っている先生は他 にもたくさんいるだろうが、 なかなかよい学級にはならない。それは、「けじめをつけたら」

という条件を子どもに守らせることがなかなか難しいからである。下手をすれば学級崩壊にす らなりえる。

この先生が子どもたちに、「自分たちが好きなことをやらせることができた」前提は、 子ど もたちにけじめをつけさせることが非常にうまかったからだと想像する。一方では、すごく上 手に褒めることで、「けじめ」を守る子どもたちを育てていった。「けじめ」を守るから、先生 はたくさん褒めてくれるし、何でもさせてくれるのだ。「授業戻るで」って静かに言ったらすっ と授業にもどる学級はそれほど多くはない。もう一方で、叱り方もすばらしい。「なぜそれが ダメだったのか」を考えさせるような叱り方をこの先生はしていたとAさんは述べているが、

これはこの先生が「あなたたちならわかるでしょ」というメッセージだったような気がする。

「自分の好きなこととかやりたいことをやる1年にしましょう」という4月の最初の言葉にも、

「あなたたちなら、ちゃんとやれるでしょ」という、 この先生の子どもに対する信頼と期待が 読み取れる。子どもは期待に応えてくれることをこの先生は知っていたのであろう。

2.「こんなに気持ちいいことがあったんや」と気づかせてくれた先生

 Bさんが教員を志望した理由

Bさんは理科教員を志望していた男子学生である。授業で話をした印象では、自然が大好き で理科に興味をもった、とても純粋な青年という感じがしていた。彼が教員の志望動機として 私に語ったのは、次の通りである。

私が教師になりたいと思ったきっかけは、中学校の時に出会った担任の先生にあります。当 時、私のクラスはあまり良い雰囲気ではなく、私も含めクラス全体に、自分が良ければそれで いいといった考えがありました。ある時、私が偶然、隣の席の休んでいる子の机にプリントが 置いてあるのを見つけ、プリントを机の中に入れたことがありました。その時、それを見てい た先生が私に「休んでいるA君はきっと喜ぶね。学校に来たとき机の上にプリントが散乱して いるのと、整理されているのでは思うことが全然違うから」と言って褒めてくれました。私は その時、行動ひとつで人を幸せな気持ちにさせることができるんだと感じました。その後も先 生は、生徒の思いやりのある行動を見つけては褒めていました。その結果、クラスの雰囲気は だんだん良くなり、クラスがまとまっていきました。私は1人の先生によって、クラスを良い

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方向に変えることができることに感銘を受け、私もこの先生のように思いやりの溢れたクラス をつくりたいと思い、教師を志望しました。

私がこの志望動機を聞いて関心をもったことは、Bさんが言った「人を幸せな気持ちにさせ る」という言葉であった。「楽しい」や「うれしい」という言葉はよく耳にするが、 彼は「幸 せ」という言葉を使っている。余程のことがない限り、こういう場面で「幸せ」という言葉は 出てこない。彼はなぜ「幸せ」という言葉を使ったのであろうか。

 Bさんに対する聞き取り(Y:筆者、B:Bさん)  は筆者が加筆

Y:最初は、クラス全体が壊れてたみたいなことを志望動機に書いているよね。

B:まとまりがなかった。まともに先生の話も聞かないし、第一に自分のことばっかり考えて しまう。やっぱり子どもなんで、自分が良ければ周りの迷惑っていうのを全然考えてなく て。

Y:全体的にどんなクラスだったの。具体的に。

B:別に生徒同士は仲良かったんですけど、1 

人が授業をうるさくしたら周りが迷惑するって いうのも考えなくて。その仲間同士だけでやってるから。他の授業受けてる生徒には関係 ないやろとか、 自分が掃除やってなくても他の人がやってるからいいやろとかいうのが あって。

Y:そんな感じだったんだ。

B:先生が「掃除はまずみんなでやるものやし、掃除は自分の心もきれいにしてくれる。掃除 ができなかったら自分の生活習慣もダメになってくる。まずは掃除をしっかりしろ」って 掃除を結構大事にしてくれてる先生で。

Y:掃除から始まったんだね。普通は先生が「掃除ちゃんとしなさいよ」とか「掃除は大事な んだよ」って言ってもそう簡単にはしない。そこには何かあったんだよ。この先生には。

それは何だと思う?

B:根気強いっていうのが一番…

Y:根気強い。なるほど。

B:もう1つ要因があって。僕の学校って掃除の場所によって担当の先生が違うんですけど、

毎回掃除のランクを付けるんですよ。担当の先生がA、B、CとかSとか。それを毎回帰 りのホームルームで言って。先生がチェック付けて、この班はどうだった、とか。そこで 褒めたり。褒めるのもそこだけじゃなくてちゃんと回ってくれて、普段あんまりしない人

がたまにやってる時に「〇〇君してたね」って直接1対1で話して、そこを褒めて。「や

ればできるんやから、いつもそれをやってくれたらみんなもそのおかげで助かるし、自分 も気持ちがいいんじゃない?」っていうのを細かく見てくれて。多分その先生は、視野が

とても広かったんじゃないかなって。

Y:視野が広い?

B:ほんとに細いところも見てくれて、志望動機にあるような細かいとこ見てくれてそれで…

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Y:パッと褒めてくれるの?

B:褒めてくれることがすごく多かったです。でも叱るときもちゃんと叱ってくれるんですけ

ど、それでもやっぱり中学生は褒められると嬉しいっていうのがあると思うので。この褒 められるっていうのは、その先生が自分のために褒めてくれるっていうのもあるけど、褒 められるようなことをしたことで、周りのその友だちみんなが感謝されるようなこと…例 えば僕ら日直が黒板消すとかあるじゃないですか。日直じゃなくてもその中学校生活の後 半には気づいた人が消すくらいの。プリントとか職員室に持って行くのも手が空いている 人、掃除が早く終わった人とか給食当番じゃない人とかが持って行ったり。ノートも先生 が持ってたらそれに気づいた人が「先生持ってくよ」って。みんなが率先して。

Y:それは点数稼ぎとかではないんだね。

B:音楽の先生だったんですけど、全然関係なく。

Y:それは、何でそんなことまでになったの?やっぱりうまく褒めてくれるってこと?

B:一番のきっかけは、多分2年生の時の合唱コンクールの時に、やっぱり男の子って恥ずか しくてあまり積極的に練習できなくて、あまり放課後残ったりしたくなくて。来ても立っ てるだけとか、あんまり声出さないとか。その先生が音楽の先生っていうだけじゃないん ですけど。ピアノはクラスの女の子が弾いてくれたんですけど、毎回毎回頑張ってて。学 級委員もみんなで声出して盛り上げてやっていくうちに、その最初はうまく入れなかった 男の子とかやんちゃな子らとかも、「やらなあかん」という風になって。 それが徐々に日 にちを重ねる毎に、真面目に取り組む生徒が増えて。最後に先生にいつもお世話になって るから、先生が音楽の先生だからいい賞取って、この先生に感謝伝えたいなって。その時 に2年生だったんだけど銀賞もらって。そこからとんとんとんとまとまっていって。歌で 繋がってたっていうのもあるかもしれないです。

Y:言い方悪いかもわからないけど、歌は学級づくりにとって、非常にいい教材だよね。

B:本当に音楽も大事にしてくれてて。 2 

年生から3年生に上がる時に、 一番クラスでやん ちゃだった男の子がいたんですけど。本当に不良っていう。生徒には優しいんですけど、

やっぱりちょっと反抗してて。その子が親の都合で引っ越ししちゃう時に、みんなでどう するかっていうので、先生が言うんじゃなくて、「先生。こういうのしたいんですけど」っ て言って。「お別れ会みたいなのを、音楽の授業でさせてもらえませんか」って。もちろ ん快諾してくれて。自分たちは音楽の練習して、その引っ越す生徒のために。それもバレ ないようにうまいことやって。当日になってお別れ会になった時に、絶対泣かないような その生徒が初めて泣いて。僕らもつられて泣くじゃないですか。その時にはもう信じられ ないくらい、本当になんて言うか、すごいみんなから慕われるような生徒になってたんで すよ。最初タバコ吸ったりなんかも。バイク乗りまわしたりみたいな。野球はすごくうま かったんですけど、本当にやんちゃで。そんな生徒が泣くのにみんなびっくりして。学校 でスクールライフっていう日記みたいなのがあったんですけど、それをその生徒が出さな い時があったんですよ。1 

ヶ月くらい。「何で出さへんの」って。 後半はちゃんと出して たらしいですよ。ある期間から全然出さなくなって。1ヶ月分まとめて出してきたらしく て。その内容がクラス30人分の各生徒のいいところ、今までの思い出を全部1人1日分書

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いて先生に提出して。その先生は学級通信を書くのがすごく多い先生で、週4、5 

ぐらい

は書いてて、ほぼ全部文字なんですよ。毎朝ギリギリぐらいまで書いてくれて。寝る時間

削って。それがわかってたからか、そのやんちゃだった生徒が先生に、「もし良かったら、

これのっけてくれへん」って。最後はその子の転校まで、それを先生が学級通信に載せて くれて。それぐらいうまくまとまってて。

Y:そうしたら、その子がそんな風に変わった要因というか…いろいろあると思うよ。何でそ んなことを日記に書けたんだろう?

B:その生徒1人に先生が言ってるだけじゃなくて、周りも変えていったからこそ、つられた

というか。その生徒も「みんな頑張ってるから俺もせなあかんのじゃない」みたいな。し かも一番目立ってリーダーシップあるのに「俺がこんなんじゃダメなんじゃない」って思 わせたのが、一番のきっかけだったんじゃないかなと。

Y:その子に対してその先生は、特別に何かしてたわけではないんだね?

B:みんなと同じようにしてて、その過程でみんな変わっていくのを見て「自分も変わらない

かんのじゃない」っていうこと感じたんじゃないかな。

Y:その先生が喋ったりすると、どんな雰囲気なの?ちょっと怖い感じなのか、優しい感じな のか。あんまり感情を出さないタイプとか…どんな感じ?

B:結構穏やかですけど。女の先生なんですけど。喜怒哀楽が激しいわけじゃなくて、言う時 は言う。ホームルームでも自分の大事にしてる信念とか、今の中学生の僕たちが聞いて共

感を持てるけど大事なことっていう内容を毎回…。学級通信もそうですし。思いやりのあ

る行動とかも随時チェックしてくれて、それを学級通信に書いてくれてたりして、それを

見て僕らは「こういうことで周りの人が喜ぶんだ」ってそれをして。

Y:褒めてくれるって言っても褒める内容が違うんだね。「点数が良かったよ」って褒めるわ けではないんだね。

B:思いやりを一番大事にしてたので。思いやりのある行動。こんなところまで見てくれてた

んだって。それに僕たちも多分「こういう行動をすると自分も嬉しいし、相手も嬉しくな

るし、「こんなに気持ちいいことあったんや」って率先して自分たちでやっていく。

Y:そういうことが、このちょっとやんちゃな転校生の子にまで伝わっていくのがすごいよね。

B:最初中学校入って、1 

ヶ月で窓ガラス10枚弱割っちゃって。僕らのクラス。しかもわざと じゃなくて、遊びながら。野球してたり何かしてたりで。それが1ヶ月で1年分の記録抜 いちゃって。全校集会で言われるくらいのクラスだったんですけど。2 

年生になってから 1回も割ってないですもん。気をつけて。

Y:1年から2年になる時はクラス替えとかないの?

B:あります。でも2クラスなんで。そのもう1つのクラスの先生も本当にいい先生で、今は

○○県の教育委員会の方に、僕らが卒業した時に行っちゃったんですけど。

Y:そしたら2クラスともいいクラスだったんだね。1 

年のうちは小学校から上がってきてガ サガサしてたけど、1 

年間の間で直ったんだね。ちょっと考えてみてよ。先生にとって何 が大切なのか。Bさんが感じた「これだな」ってことを。

B:本当に僕たち生徒に対して本気ってのは伝わってきたから…

(14)

Y:本気か。

B:本気じゃなかったら、正直やっぱり中学生の分際でもわかるんですよね。本気っていうの

がまず学級通信。親にも影響を与えてくれてて。学級通信持って帰ると「またこんなに書

いてくれたん」って親が喜んで見るんですよ。僕の親と同級生の親とが集まって「学級通

信すごかったよな~」っていう話が結構広まってて。「すごいな~こういう先生。なかな かおらんよな」って。

Y:当然、親が喜ぶような学級通信ということは、生徒のこと悪くはあまり書いてないよね。

あの子がこんないいことをしたとか?

B:特定したことはないですね。悪いことは学年通信か何かでまとめて、「こんな事注意した 方がいいです」という感じで。学級通信はいいこと。思いやりのある行動。その先生が好 きな本の紹介とかも時々してくれて。

Y:「こんなことをしてましたよ」「クラスの子がこんないいことをしてくれましたよ」みたい なことを書いてくれてたんだね。

B:もっとクラスのみんなのこと知れて、クラスがまとまった要因として、総合の時間をうま

く僕たちが自分たちで積極的に活動できるような時間にしてくれて。その内容は、例えば

今となればちょっと恥ずかしいですけど、席近い何人かで集まって、5 

、6 

人ぐらいで順 番に、その1人ずつ回って指定した1人を、 他の班の子にその子のいいところを1分間 言って、それを繰り返して全員回るようにしたりとか。誕生日には絶対誕生日カードを…

「中学生でそれすんのかな」って最初は恥ずかしかったんですけど、 今となっては本当に いいことだったし。他の人のいいところを認める、褒める、認め合えるっていうその時間 が出来たっていうのはすごいことだったんで。今となってはすごい感謝してるんですけど。

誕生日になったら絶対にその生徒のいいところを全員が書いて、先生に渡して、先生が一

応中傷的なものがないか全部チェックするんですけど。それはもちろんないんですけど、

それを全部確認してその生徒に渡して。同じ中学校って言っても、 小学校は東と西って あって、それが合併したのでわからないことも最初はあったんですけど。それをなくすた めにやってくれたんかなと思ったんですけど。最初から西も東も初対面でもうまく打ち解 けて、他の生徒のこともいろいろ知れたし、 喋る機会も増えて。 褒めること、 認めるこ とって中学生はあまり得意じゃないじゃないですか。自分が上がいいっていうのがあるん ですけど、それをなくしてくれたっていうのがあって。だから他の人がこれやってくれた ら、「ありがとう」「ごめんなさい」が素直に飛び交うようなクラスになったのかな。僕も

好きなんですけど、 高校に入って、 大学に入って僕結構言われるんですけど、「ありがと うとかごめんをいつも言ってくれて、何か清々しい」って。その影響は中学校時代にある のかなって自分では思ってて。

Y:自然に言えるようになったんだね。その気持ちよさを味わったんだね。多分。

B:それで笑顔になってくれるんだったらいいかなって。

Y:すごい先生だね。他にその先生のすごさとかに気づくことない?自分に影響を与えてくれ た先生のすごさ。すごさというか印象に残ったこと。

B:休んでる時とかに、絶対に休み明けに行ったらちゃんと声かけてくれて。簡単なことなん

(15)

ですけど、でもそれってすごい嬉しくて。授業とか遅れないように連絡とか取って、絶対

家が近い友だちに先生がプリントを持って来させてくれて。先生も時間あったら持ってき てくれてたんですけど、そんなに時間取れないじゃないですか先生って。いつも学校行く とその先生が話してくれてたらしくて。「休んでるから、 今度来たらノートとか見せてあ げて」みたいな。休み明けは結構学校に行くのが滅入るんですけど、普通に話しかけて。

そんな苦じゃなくて。元々学校がすごい嫌いな子がいて、生徒と喧嘩して不登校になって いて。それでもその子がいない時に「別にその子が悪いわけじゃないし、誰も悪いわけ じゃないけど、 その子が学校来やすい環境を先生じゃなくて君らが作らなあかん」って 言ってて。「自分たちの仲間が1人でもいないのは寂しいことって、 自分たちも感じてる だろうし」って。たまに来る時に生徒みんなが「明日も来いよ」とか、その生徒に対して。

逆に何人かで先生と一緒に家に行ってたわいもない話をして、絶対に1人でも欠けないよ

うに努力はしてくれました。

Y:みんな大事で、「誰1人欠けたらいかんぞ」っていうのを出してたんだね。

B:それが上辺だけじゃなくて本気なんだなって。

Y:さっき聞いたけど、あんまり情熱的な感じの人ではないんだよね?

B:めちゃくちゃその情熱的とかではないです。

Y:ある意味では淡々としてる?

B:褒めてくれる時は、めっちゃ子どものように褒めてくれるみたいな。それが嬉しかったで

す。親近感がすごいあって。でも怒る時はちゃんと壁作ってくれて。ある程度。

Y:どんな怒り方するの?

B:まずした理由を聞いてきました。「何でしたん」って。 いつものトーンとは違うんで、 怒

られてるなって。黙ってると「何か理由があったんかわからんけど…。」って聞いてくれ て。僕はほとんど怒られた記憶はないんですけど、他の生徒の話聞くと、長いこと話を聞

いてくれたとか。先生に相談しに行って、放課後付き合ってもらって何時間か話したとか。

生徒と生徒が喧嘩した時も、その生徒の相談にも。だから僕の親も「あんたよかったな」っ て。 もう片方の先生もいい先生で、 どっちもよかったから、「あんたらの時代はほんまに 先生がよかった」って周りの親御さんも言ってて。

(中略)

Y:担任の先生のことでもっと詳しく聞きたいんだけど、クラスに大人しくて目立たない子っ ているよね。そんな子に対してはどうだった?

B:クラスの班づくりとかあるじゃないですか。なぜかわからないんですけど、はみ出る子が

いないんですよ。他の学校出身の友だちと、班をどうやって決めてたかって話になって。

その友だちのクラスでは、 修学旅行とかで何人か余ってたみたいで。「無理矢理入っても らった」って言ってて。そういうの多いじゃないですか。じゃなくて絶対決まるんですよ。

何か迷ってる人がいたら絶対「おいで。 おいで」って絶対はみ出なかったです。「あの子

喋るの苦手かもしれない。それは人それぞれだけど、何かあったら助けてあげるのはみん

ななんやで」って言われたことあって。「先生も助けられるけど、 それはあの子のために

(16)

もならんし。 同じ目線で話し合える僕たちが話した方が練習にもなるし。逆に君たちに 持ってない、例えば勉強に対しての集中力とかわからんとことか教えてもらえるから、お 互いにいい刺激になる」っていうようなこととかは、うまくホームルームの時間にこうい う遠回しに伝えてくれたというか。直接は伝えてはくれなかったですね。周りの友だちに

いい子が多かったっていうのもあると思うんですけど、絶対にはぶきとかはしなかったで

す。

Y:もし、はぶいてたらどんな?

B:怒るっていうより悲しむと思います。

Y:褒め合ったりとか、 いいことを見つけ合うような活動を通して、「この子もそういうとこ ろがあるんだな…」っていうのをみんながわかっていったんだね。それだけでなくて、普 段の学級通信とかも含めてそうなんだろうね。

B:クラスのみんなが仲間っていう認識があったから、誰か1人でも悲しんでるのは嫌だって いう本当にすごいクラス…直接この先生には関係ないんですけど、僕たちが入学した時の 1年生の時の3年生の先輩がすごいできた先輩で、高2高3とレベルが変わらないぐらい のすごい先輩たちで。後輩の面倒もすごく面倒見がいいし、勉強もみんな志望校に入って いくし。問題も何も起こさず、 それでいて明るい。 先輩、 後輩って言うより弟みたいに 扱ってくれて、大切にしてくれて。ああいう先輩になりたいって思ったのも1つで。先輩 の影響も大きいんで。時々地元帰った時に声かけてくれたり、僕の親の職場で2つ上の先 輩が働いてるんですけど、「〇〇君は元気?」って親に声かけてくれたり、 付き合いが今 でもあります。

Y:いろいろ勉強になることあるね。いい先輩に恵まれたというか、そうなった時に感じが変 わってくるね。ああいう人になりたいみたいないいモデルが身近にあるってことは、とて も大切なんだよね。

B:それが順番にうまく続いていったらいいですけど、それが難しいんですよね。

Y:そんなところも、中学校時代が忘れられない一つの理由なんだね。最後。もしその先生に 今会ったら、どんなこと言う?

B:1回高校卒業する時に会わせて頂いて。

Y:その時何を喋った?

B:「近畿大学行きます」って言ったら、「どの学部行くん?」って。「農学部です」って言った ら「理科好きだったもんね」って言われて。その時に何かちょっと恥ずかしくて先生にな りたいって言ってなくて。「教員免許も取ろうと思ってます」って言ったら「ちょっと大変 だと思うけど、教員免許と並行して、理系やし、卒業研究とかもあるけど頑張って」って。

Y:もし、今、会うとなったら何て言う?

B:「先生が僕たちのクラス作ってくれたんで、そのクラス越えられるようなクラスつくりま す」って言います。やっぱりそれが一番の恩返しで。それを自分たちがいいクラスって言 うのはちょっとあれなんですけど。でも僕は、本当に僕たちのクラスはどの日本全国のク ラスにも負けないと思ってるし。そのクラスを越せるようなクラスをつくる生徒が、先生 の教え子から出てくれたら先生も嬉しいかなって思うし。そうすることが一番の恩返しか

(17)

なって思います。

Y:先生も喜ぶと思うよ。これからも頑張ってください。

 Bさんへの聞き取りを終えて

Bさんに対する聞き取りを終えてまず感じたのは、当時のことを語るBさんの態度が、本当 に生き生きとしていたことである。授業でBさんと接しているときには感じられなかった感覚 であった。おそらく、そのクラスに対する誇りがそうさせたのだと感じた。自分が育ってきた クラスのことを、胸を張って言える。彼を教員の道に向けさせたのは、この恩師の先生という よりもこのクラスの存在そのものだったといえるかもしれない。

しかし、そのクラスのベースを作ったのはまぎれもなくこの学級担任である。中学生になれ ば生徒自身が成長することもあり、徐々に教員の直接的な関わりは減っていく。そのためであ ろう。Bさんの話からこの先生と生徒たちとの関わりは見えづらい。しかし、結果が物語って いる。あのやんちゃな生徒が転校する前に、クラス全員の良い所を書いたノートを学級担任に 提出している。この先生が、地道にやってきたなかまを幸せにする活動を、最後にこのやん ちゃな生徒が実行したのである。これは他の級友に対する感謝の気持ちでもあったろうが、こ の先生に「先生のお陰で俺もこれだけ成長した」ということを見てもらいたかったからに違い ない。

この学級担任の信念は、やんちゃな子に対しても、クラスで辛い立場に立っている生徒に対 しても、「何かあったら助けてあげるのはクラスのみんななんやで!」という姿勢を本気で貫 くことにあろう。その本気の言葉を信じた生徒たちが、みんなでその子のためを思って活動し、

「こんな気持ちがいいことがある」ことに気づく。 この“ごほうび”がこのクラスを前進させ る原動力になったのだろう。しかし、この真似は簡単にできるものではない。このようなクラ スに成長するまでに、この学級担任はたくさんの種を蒔いているのである。例えば、クラスで 誕生日の生徒の「よいところ探し」のような活動をさせている。しかし、ここで気をつける必 要がある。この話を単純に捉えてしまうと、「よいところ探し」をすればよいクラスになるよ うに思えるかもしれないが、現実は決してそうではない。すべての子どもがよいところを持っ ていることをふだんの生活の中で、そして学級通信の中で、この学級担任がきちんと発信し続 けた結果、「よいところ探し」が成功するのだ。そしてその結果、「こんな気持ちがいいことが ある」ことに気づけたのである。この順序を間違わずに、しかも地道に続けてきたからこそ、

(18)

この全国一のクラスができあがったといえるであろう。

また、この学級担任の先生の姿勢を示す言葉として、Bさんはこの聞き取りの中で、何度も

「絶対に」という言葉を使っている。絶対にという言葉は100%を意味する。この言葉がこの先 生の本気度を示している。何度も何度も繰り返し繰り返し種を蒔き、そして、人のことを思い やり、人を幸せにすることがこんなに気持ちがいいものだと生徒たちに気づかせていった。中 学生のクラスづくりの真髄をここに見ることができたような気がした。しかも、あのやんちゃ な生徒には、あまり直接的な指導をしているようには見受けられない。おそらく、その生徒の プライドを大切にしたうえで、その生徒自身の立ち上がりを辛抱強く待ったのではないだろう か。この学級担任の繊細な心配りにとともに、この生徒を信じ続ける姿勢がこの物語を生んだ のであろう。

3.「この先生を裏切ったら自分が終わる」と感じさせた先生

 Cさんが教員を志望した理由

Cさんは明るく活発な女子学生である。自分の言いたいことは遠慮なく言える頼もしい存在 であったが、反面、表には出さないが、どこか少し陰があるなと私は感じていた。彼女が教員 の志望動機として私に語ったのは、次の通りである。

私が教員を志望した理由は、高校時代の恩師との出会いにあります。入学してすぐに、高校 へ行く目的を見失った私は、学校の雰囲気にも馴染めず、真面目に授業を受けない日々が続き ました。そんな私に、「あなたはやればできるから」と声をかけて頂き、 授業をきちんと受け るように勧めてくれました。その結果、少しずつ勉強に取り組めるようになり、学ぶ楽しさを 知ることもできました。そこで私は、恩師のように生徒を信じ、向き合えるような教員になり たいと思い、教員を志望しました。

この志望動機を聞いて、彼女がもつ陰の正体がわかりかけた気がした。高校時代にかなり苦 労をして、それを乗り越えてここまでたどり着いたことが想像できる。無気力になりかけた彼 女を救い、そして彼女を奮い立たせた恩師とは、いったいどのような教員だったのだろうか。

 Cさんに対する聞き取り(Y:筆者、C:Cさん)  は筆者が加筆

Y:Cさんの中学校時代の話から聞かせてよ。

C:学校自体もそんな真面目な学校じゃないんで。全体の雰囲気が。大体授業聞いてるのは教 室40人クラスで1、2列目ぐらいまでで、残りはもうみんな遊んでるようなクラスだった んです。みんな勉強したい子は「目悪いです」って言って、席替えの時に目が悪くなくて

(19)

も前に行って。後ろ半分ぐらいはもうみんな遊んでて。自分もそんな真面目には受けてな くて。友だちも朝は学校に来ないから、私も遅れて行ったりとか。朝、友だちと公園で集 合して遊んでから行くみたいな感じでした。

Y:そのことに対して罪悪感は?

C:ないです。

Y:何でなかったと思う?今考えたら当時はやばかったなって思う?

C:やばかったなとは思うけど、当時はよかったなって思ってました。

Y:何がよかったのか教えてよ。

C:とりあえず楽しかった。

Y:何か罪悪感というか悪いことしてるけど、こっちの誘惑に勝てないとかではなかったんだ ね?

C:親が厳しかったから、絶対真面目な人にはならないと思ってました。中学校の頃は。

Y:深い意味があったの?そこに。

C:とりあえずいい子にはならないって思って。親の知り合いの先生もいっぱいいたから。あ の先生の子どもって見られるのも嫌だったから…

Y:うちの娘と一緒だね。あの先生の子どもって見られるから地元から離れたかったって。そ れもあって地元から離れた大学に行ったんだよ。じゃあ、成績も当然悪かったんだよね?

C:みんな成績悪かったんで。相対評価なんで大体7とか8とかでした。内申はよかったです。

でも英語とか苦手で。基本は私、ワーク出さないと嫌な人間だったんで、ワークは答え写 して出してたんですよ。テストはワークから出るんで、テストはできるんですよ。

Y:へーっ

テストはできたんだね。

C:テストはできました。みんな提出物出さないから、提出物出してる時点で成績はいいんで すよ。

Y:授業には参加してた?

C:一応、受けてノートは書いてました。

Y:授業1時間目とか2時間目とかは参加してなかったんじゃないの?そこまでは遅れてな い?

C:そこまでは遅れてないです。1 

時間目の途中とか、朝読書とかの時間です。

Y:高校はその時行きたかった?

C:高校は吹奏楽するために行きたかったです。

Y:中学校で吹奏楽してたの?

C:してません。でも、途中からはしたかったです。中学の最初は吹奏楽と迷ってました。で も仲良かった先輩が吹奏楽にいたから、ふだんはタメ口で喋ってるのに、部活では敬語使 わなければならないのが嫌で、吹奏楽入らなかったんです。結局、友だちに誘われて陸上 部入って。でも陸上部も先輩がいた間はよかったんですけど、先輩にめっちゃ可愛がって もらったんで。それで部活行ってたんですけど。やっぱり吹奏楽に入っていたらよかった なって思って、陸上部は辞めました。途中で怪我したのもあって。

Y:楽器を演奏する技術とかは、中学校のころは持ってなかったってこと?

(20)

C:やったことないです。

Y:やったことないけど、高校ではやりたかったんだね。

C:なので、高校で吹奏楽の強い学校に行こうと思って、吹奏楽強い学校だけ受験して。中学 校の先生に、公立で吹奏楽強いところがダメって言われたら、「じゃあ高校行きません」っ て言ってたくらいの感じです。

Y:それで受かったんだね?

C:内申よかったので。筆記は運良く取れたんですよ。

Y:それで「入学してすぐに高校へ行く目的を見失った」って志望動機に書いてるんだけど、

どういうこと?

C:吹奏楽部入って、フルートやりたかったんですけど、フルートできなかったんで。パート 3人しかとらないと言われて。希望6人いて結局できなかったんで。「私は、 部活しに、

吹奏楽でフルート吹きに高校に来たから、 もう高校来る意味はありません」って担任に 言って。一応12月までは打楽器やってたんですけど、そこでやりがいもそこまで感じられ ずに辞めて。そこでもうここ辞めようと思って、担任の先生に「退学届ください」って言 いました。フルートできないってなったのは5月なんですけど、5 

月ぐらいから、授業に もだんだん出なくなって、12月に部活も辞めて、もう高校辞めようって。

Y:その時は真剣だったと思うんだけど、今振り返ったらどう?

C:辞めなくてよかったと思います。それはもう高3の卒業の時に思いました。 続けててよ かったなあと。

Y:辞めようと思った時に恩師の先生が声をかけてくれたの?

C:はい。ずっとその化学の先生は4月の頃から面倒を見てくれてて。

Y:その人は担任?

C:担任ではないです。

Y:化学を教えてくれてた先生なんだね。何でその人が面倒見てくれてたの?

C:元々中学の時も理科が一番好きだったので。高校入って物理と化学があって、物理はあん まり先生も好きじゃなくて。授業も好きじゃなくて。何か化学の先生は…でもみんな厳し いからあんまり好きじゃなかったみたい…

Y:厳しかったんだね?

C:厳しいんですけど、授業面白かったし。何か面白い話するんじゃないんですけど。

Y:面白いというのはどんな面白さ?

C:何かわかりやすかった。

Y:わかりやすい。

C:私、結構潔癖症だったんで、ノートを綺麗に写せる板書の仕方をしてくれていました。

Y:板書を一番覚えてる?

C:板書が綺麗でまとまってた。

Y:かなり家でちゃんとまとめて来てるはずだよね。授業の前にね。思いついて書いてるので はなかなかまとまらないからね。

C:ちゃんとノート持っていました。化学はまだ授業を受けてたんですよ。

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