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はじめに

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Academic year: 2021

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(1)

 本書は,大学の学生を主な対象として,とくに専門的な前提知識なしに,

生物や生命について,新たな観点から考えなおす題材を提供することを目的 としている。その際のキーワードが,副題の「めぐる

crculatng

」「めぐむ

coupled」「

わきあがる

emergent」という三つの言葉である。「めぐる」とい

うのは,生命や人間社会の活動がサイクルをなしていることを指し,「めぐむ」

とは,それらのサイクルが,相互にエネルギーやものを供給しあっているこ とを示している。これを端的に感じるのは,大地震や大洪水など

2011

年に 各地をおそった大きな災害が,多面的に社会に与えた影響の大きさによって であろう。その中で,私たちがふだん感じていない物流や資源のつながりと ともに,人間の連帯意識の重要さを再認識させられる。しかし,それだけで はなく,無生物から,分子,細胞,個体,生態系,進化,あるいは人間社会 などと,生命活動を構成する多数の階層のそれぞれにおいて,下の階層の勢 いをもらって上位の階層が「わき上がる」という「生命の勢い」の連鎖にも 思い至る。誰の目にも明らかな生物の特徴である「生命の自発性」の源泉も,

こうした「めぐりめぐみ わき上がる」生命活動の中に見いだされるのでは ないだろうか。私は生物学を専門とするが,もともと学生の頃から哲学や思 想には特別の関心をもって勉強してきて,いつか両者を総合しようと準備し て来た。本書はこうした生命の基本的かつ統合的な理解をも目指し,生命の 理解の仕方や生命科学の教育に,新しい風を吹き込むことができると期待し ている。以下,基本的な考え方について説明し,序論としたい。

はじめに

(2)

 生命の学問がこれだけ発展したのは,20世紀後半からのことである。そ の理由は,生命の基礎となる遺伝情報が,解読できるようになったためであ る。そうした,新しい生命科学の進歩を支えるのが,次のような信念である。

「生命とは何か?という問いに解答を与えることが生物学の目的であるこ とは議論の余地はない。そして,生物学研究の結果が生命観形成の基礎の 一つになることも当然である。(中略)ライフ・サイエンスは,生物学の 知識を基盤にして個体としての人間および人間と環境との関係を研究し,

その理解のうえに,

人間らしく生きるとは

という課題に取り組もうと いう意気込みで生まれたのである。」

これは,生命科学者 中村桂子が,1980年に出版された科学史の本の中で書 いていた言葉である([87]:第

6

章冒頭)。分子生物学の黎明期に,「これか らの生命科学は変わるぞ!」という大きな意気込みで,研究者が生命研究に 取り組んでいた雰囲気が伝わってくる言葉である。その期待というのは,総 合的な生き物の学問が生まれるというものだったに違いない。専門家も一般 の人も,生命の研究に対してもつ期待は大きく,現在でも,生命の理解を通 して,農業生産の向上や病気の治癒・予防といった面ばかりでなく,人間と は何者なのか,生きがいとは何か,など,人間の根本にかかわる問題にも理 解が深まるものと期待されていることは変わらない。

 ところが,現実の生命科学は,ますます個別の事象,個々のタンパク質や 遺伝子の働きの記述に向かっている。これでは,生命の理解に対する期待に は応えることができない。確かに,個別のことがらの理解が深まると,個々 の応用には役立つかもしれない。しかし,生命を全体として理解しようとい う期待,一言で言えば,生命とは何か,人間とは何か,ということに対する 答えからは,ますます遠ざかっていくようにすら思える。

(3)

 生物学を教える本はたくさんあるが,多くは,一人の人間,一匹の動物な どを対象としている。その結果,生き物は,細胞でできている,代謝を行う,

増殖する,遺伝する,形態形成をする,内部の恒常性を維持する,環境に応 答する,運動する,情報処理能力をもつ,などのさまざまな特徴をもつもの として描かれている。ところが,そのどれ一つとして,それだけでは生命を 特徴づけるのに十分ではない。「生命とは何か」という問いに,一言で答え ることができない。これまでの生命に対する考え方はどこかが違っているの ではないかというのが,本書の出発点である。

 そこで気づいたのは,生き物はひとりぼっちではないということである。

生物は集団としてしか存在しないこと,それは,生物種としてもまた生物種 の集まりである生態系としても同じである。複数の生物が共存し,何らかの 関係をもちながら生きている。生き物を考える場合には,個々の体がどのよ うにうまくできているのかという観点だけではなく,異なる個体の関係から 得られるものを見いだすという観点が大切ではないか。そう考えてみると,

一つの体の中でも同様の関係が見えてくる。さらに一つの細胞の中でもたく さんの分子の間の関係がある。一方に多くあるものを他方に与えるというこ との繰り返しにより,生命のつながりが成り立っている,そんなふうに考え てはどうだろうか。この生命のつながりのすべてを理解するためのたった一 つの尺度こそ,「エントロピー」なのである。エントロピーというタイトル を見ると何か難しそうな印象を受けるかもしれないが,本書では,不均一性 という一般的な概念に置き換えて説明してゆくことにより,これまでにはな い生命像の理解が得られるものと考えている。なかなか理解しにくい概念か も知れないが,本書を後ろからもめくりながら,不均一性を使えば生命のど んな新しい理解ができるのかを考えつつ,全体を通読してもらえれば一番よ い読み方になるだろう。

 私がずっと研究してきたのは,光合成生物の代謝,遺伝,進化である。私

(4)

たちが暮らすときに,太陽の恩恵を感じていることは滅多にない。しかし,

私たちがものを考えること自体,体全体の

5

分の

1

にも及ぶ大きなエネルギー を消費し,それは究極的には太陽のめぐみなのである。生命世界全体が,主 に太陽のめぐみによって成り立っていることは間違いない。そればかりか,

雨も,風も,雲も,海の流れも,地上の万物が太陽のエネルギーによって生 成している。私たちが呼吸している酸素は,すべて光合成生物が作り出した ものである。私たちが生活の中で作り出す二酸化炭素を,再び有機物に変え てくれるのは,植物や藻類が行う光合成である。このように,生命のあらゆ る活動が相互に関連していて,それらを究極的に駆動しているのが太陽であ る,ということを明確に表現することが,生命の理解にもっとも重要なこと ではないだろうか。

 めぐりめぐむのは生命だけではない。それを考える私たちの学問もめぐり めぐみあうことによって,そこからわき上がる総合的な知識を得ることがで きる。すでにきわめて専門化した知識であるが,個別の知識をつなぎ合わせ て,すべてを総合することで,これまでにない知識が生まれるのではないだ ろうか。生命を考えるにも,異なる専門分野の学者は,ともするとお互いに 言葉が通じない,考えていることがわからない。理系の研究者は,個別の細 かい話を極めることこそが学問と思っているか,あるいはそう教えられた人 が大部分である。私は,学問にはもっと違うものがあると思う。私が目指す のは,個別の知識を結び合わせることにより,個別の学問だけでは見えてこ ない考え方や,新たな次元での理解を創造しよういうことである。たくさん の物質が集まった複雑系では,個々のもの単独では見られない協同的な性質 や,カオス,相転移などの新しい現象が生ずる。学問も同じではないだろうか。

異なる分野の知識を総合するというのは,単に列挙するだけではなく,そこ から別の次元の新しい知識を生みだすことではないのか。これが,本書に私 が込めたもう一つの思いである。なお,本書は平易に書いたが,もとになる

(5)

資料はしっかり示すよう,引用文献は詳しくした。発展的理解に役立つもの と期待している。

 このような広範囲にわたる書物であるので,個別の点については,誤解な どあるかも知れないが,読者諸氏におかれては,全体をまとめて考えるとい うことがテーマであることをご理解いただき,是非,建設的な指摘をお願い したい。誤りは訂正しながら,さらに全体をしっかり考えてゆくようにした いと考えている。

 本書をまとめるにあたっては,多くの方にお世話になった。安孫子誠也氏 には,光合成の熱力学の基本について,教えていただいた。山田晃弘氏に は,内容のさまざまな点についてコメントをいただいた。その他,研究室メ ンバー,講義を受講した学生の諸君,また,原稿を読んでいただいた方々に もいろいろなコメントをいただいた。裳華房編集部の野田昌宏氏には,編集 のパートナーとして,迅速かつ的確な仕事をしていただいた。ここに記して 厚く感謝申し上げる。

 2012年4月

佐 藤 直 樹 

参照

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